イサベル・コイシェの新作*ベルリン映画祭2015 ③2015年03月01日 18:50

            オープニング作品だったコイシェの新作

   

★昨年のような目玉作品がなかったせいか、金熊賞のジャファル・パナピの“Taxi”が頭ひとつ出ていただけでチャンスは誰にもあった。テレンス・マリックの“Knight of Cups”の前評判はイマイチだったらしく、それでも主催者からオープニングを打診されたとき「とても名誉なことだけれど、しかし・・・」と、コイシェ監督は躊躇したそうです。結局主催者はマリックを選ばなかった。ベルリナーレのディレクター、ディータ・コスリックDieter/Kossilick は、「極限状況におかれた二人の女性の迫力ある直観的な物語」が気に入ったようです。

 


Nobody Wants the Night(西語題“Nadie quiere la noche2015、西≂仏≂ブルガリア、118分、撮影地ブルガリア、ノルウェー、カナリア諸島のテネリフェ)は、結果的には無冠に終わりましたが、コイシェ監督はここ毎年新作を発表している。言語は英語だがAnother Me2013、“Mi otro yo”)、昨年のトロント映画祭出品のLearning to drive2014、資金難に喘ぐスペインの監督としては珍しいことです。やはりバルセロナを離れてニューヨークに居を定めたことが、人的交流にも恵まれ創作意欲も刺激しているようです。残念ながら新作もイヌイット語を含む英語映画です。1909年、初めて北極点に到達したと言われるアメリカの探検家ロバート・ピアリーの妻ジョゼフィーンにジュリエット・ビノシュ、イヌイット女性アラカに菊池凛子、ロバートにガブリエル・バーンが扮する。監督によると「実在した人物が主人公ですが、物語はフィクション、文明とは何か、野蛮とは何かが語られる」、ということは極めて今日的なテーマとも言えます。

    

      

        (イサベル・コイシェとジュリエット・ビノシュ、ベルリン映画祭にて)

 

★初の極点到達を目指している夫ロバート・ピアリーを追って、アメリカからグリーンランドへ旅立ったジョゼフィーンの物語。ロバートは妻と娘をワシントンに残して極点到達の探検に出掛けた。留守がちの夫の帰りを待つだけの暮らしにウンザリしていたジョゼフィーンは、初到達を夫と共有しようとグリーンランドを目指すことにする。イヌイットの女性アラカの助けを借りて夫の後を追う。

 

★ロバート・ピアリーはイヌイット女性との間に二人の子供があり、この女性の導きで極点に向かったと言われている。裕福なブルジョア階級に属し、教養の高い女性だったジョゼフィーンは、食べるのがやっとの一般庶民が夫の探検を軽蔑していると感じていた。しかし極点初到達は、現在では真偽のほどが疑問視されている、いや否定されているようだが、本作においてはあまり関係ないようだ。何故なら彼らにとって重要なことは栄光、初到達はどうでもよいことだったからだ。

 

          

                 (ジョゼフィーン・ディウベッツチ・ピアリー 18631955

 

コイシェ監督談4年前にミゲル・バロスから脚本を受け取り、とても興奮した。アメリカの多くの女優に声を掛けたが「素晴らしい役柄で気に入ったわ、だけど撮影条件に対応するのは難しい」と次々に断られた。結局「ジュリエットのようなぶっ飛んだ女優でないとやれないと分かったの」と監督。「テント小屋の暖房は灯油ストーブでも文句を言わない、プラスチックの袋に用を足せる強靭さがないと務まらない。更にある種の高揚感や本質を見抜ける力がある女優でなければ」というわけです。

 

★広大な北極で迷ってしまったジョゼフィーンをロバートは救出に行かなかった。彼にとって気がかりなのは極点に早く到達すること、そしてその偉業を喧伝することだった。後に妻は見せかけの人生を送ることになるのだが、ワシントンに戻ってから夫がどんな人間だったかを思い知る。「そのとき本当の北極の夜が始まった。悲しいけれどこれが現実」と監督。つまりタイトルに繋がる。名声と栄光を求めるだけの偽りの芸術家夫婦は、周りにたくさんいるとも。

 

                

                           (ジョゼフィーンと夫ロバート)

 

★ジョゼフィーンと冬を過ごすアラカについて、「その無垢さ、しなやかなインテリジェンス、高貴さに打たれる。若いけれど無知ではない」。グリーンランドで撮影中、イヌイットの素晴らしい女性と大いに語り合った。その識者の高祖母(ひいお祖母さんの母)がアラカの姉妹の一人だったという。スクリーンの最後に出てくるようです。キャストについてはジュリエットは言うまでもなく大いに満足している由、新婚ほやほやの凛子さん、良かったですね。

 

            

          (ジョゼフィーン役のビノシュとアラカ役の菊池凛子)

 

★ジュリエット・ビノシュによると、凍てつくようなノルウェーでの撮影を思い出して「実際のところ、撮影の3日間は凍えそうだった。残りは6月のテネリフェのスタジオで、毛皮にくるまって撮影した」。6月のテネリフェは暑いから相当過酷な仕事だったことが想像できます。「演技とは感覚的なもので知的な仕事ではない」、頭脳労働じゃない。「この映画は七面鳥であることを止めて犬に変身しようとした女性の物語」だそうです()

 

★コイシェ監督近況、現在3本の脚本を抱えている。その一つが英国のペネロペ・フィッツジェラルドのブッカー賞受賞作“The Bookshop”(1978、“La libreria”)の映画化。ニューヨーク市ブルックリン区のマンションに戻って執筆中。他にダーウィンの玄孫を主人公にした脚本をマシュー・チャップマンと執筆している。ニューヨークも寒いが「鼻がもげそうなほど寒かった」ノルウェーに比べればなんてことはないですね。「どこに住んでいようが、気分がいいときも悪いときもある・・・不安定な綱渡りのロープに立っていると感じることもあるが、必要があればウズベキスタンでもモンゴルでも行きます」、「ハイ、スタート、カット」と言いながら死にたい。

 

共同脚本家マシュー・チャップマン1950年ケンブリッジ生れ、監督・脚本家・製作者。1980年代にアメリカに渡り、ロスに10年余り暮らした後ニューヨークへ。『殺しに熱いテキーラを』(1986脚本)、『ニューオーリンズ・トライアル』(2003共同脚本)、話題となった心理サスペンス『ザ・レッジ 12時の死刑台』(2011監督・脚本・製作)など。

 

*関連記事:管理人覚え

◎“Another Me”(英西、英語)については2014727

◎トロント映画祭2014「スペシャル・プレゼンテーション」部門“Learning to drive
 (
米国、英語2014813 


ベルリン映画祭2015*番外編2015年03月04日 11:33

        パノラマ部門にセバスチャン・シルバの新作

 

★コンペティション外ですがチリのセバスチャン・シルバの新作Nasty Babyが「パノラマ」部門で上映されていました。ベルリンはコンペ外にパノラマ→フォーラム→ゼネレーション(子供が審査員)と4つのセクションがあります。「ラテンビート2010」で『家政婦ラケルの反乱』、同2013には『クリスタル・フェアリー』と『マジック・マジック』が上映された。2013年には監督自身も来日、Q&Aに参加しております。シルバは既にカミングアウトしていて故国では息苦しいのか、「私はチリではアウトサイダー」と語っており、2010年からニューヨーク市のブルックリンに居を定めて製作、従って本作も残念ながら言語は英語です。

 

       

          (Tunde Adebimpe とクリステン・ウィグ“Nasty Baby”から)

 

★“Nasty Baby”は、ブルックリンに住んでいるゲイ・カップルが人工授精で子供を持とうとする話。予告通り監督自身も出演しておりますが、「nastyな」赤ん坊とは穏やかでないタイトルです。20136月にクランクイン、エキストラはブルックリン周辺の隣人たちということです。2015年、米国=チリ、英語、100分。1月下旬に行われたサンダンス映画祭2015がプレミア。

 

        

            (サンダンス映画祭での監督以下出演者、左から2人目がシルバ監督)

 

経歴・フィルモグラフィー紹介記事は主にコチラ⇒2013925

『クリスタル・フェアリー』はコチラ⇒20139251029Q&A

『マジック・マジック』はコチラ⇒9271026Q&A

『家政婦ラケルの反乱』はコチラ⇒2013927

 

 

       フォーラム部門にドミンガ・ソトマヨル・カスティリョの新作

   

Mar ドミンガ・ソトマヨル・カスティリョの長編第2作目、 チリ=アルゼンチン合作、2014年、70分。チリのバルディビア映画祭201410月)で上映、ベルリン映画祭の後、チリのサンチャゴで開催される「第5回女性映画祭2015 FEMCINE 5」(324日~29日)のイベロアメリカ映画部門の上映が決まっています。ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、パラグアイ、ベネズエラ、スペイン、ポルトガルなどの女性監督作品が一堂に会します。


33歳のマルティンMartinはガールフレンドと夏季休暇に海Marに出掛ける。彼の母親が到着するまでは何事もなく平穏に過ごしていたが・・・。MartinMarに意味があるようで、だから英語‘Sea’にはできないか。家族の崩壊、移動(旅行)がテーマらしく、デビュー作『木曜から日曜まで』と似ているようです。監督が脚本、製作を兼ねているだけでなく、他の俳優たちも脚本、製作を掛け持ちしている。うち脚本家の一人マヌエラ・マルテリも“Apnea”で監督デビュー、「第5回女性映画祭2015」の短編部門に選ばれている。とにかくチリだけでなく、ラテンアメリカの女性シネアストたちは元気です。


★『木曜から日曜まで』“De jueves a domingo”(2012Thursday till Sunday”)は、ロッテルダム映画祭2012がプレミア、その後世界各地の映画祭にエントリー、「東京国際映画祭2012」でも上映され邦題はそのときのもの。ドミンガ・ソトマヨル・カスティリョは、1985年チリのサンティアゴ生れ、若くて美人だ。チリのカトリック大学視聴覚学部を卒業したばかりの2009年に撮った短編“Videojuego”(ビデオゲーム)が、2010年ロッテルダム映画祭に出品され話題に。『木曜から日曜まで』はオランダから資金が出て合作となったが、カンヌ映画祭の映画基金も貰って製作された。 


★離婚を決意した若い両親と何も知らない二人の姉弟4人で、木曜から土曜にかけて車(日本製M929)で「お別れ旅行」をする話。姉ルシアの賢そうな目とカメラの目は、走っている車中では常に後ろ向きの両親の姿を見ることになる。このルシア役の子役サンティ・アウマダは監督の妹の友人ということだが、自然な演技が気持ちよく、おしなべてその他の子役の扱いに感心した。「子役には台本を与えず、姉弟二人のリアクションを観察しながら、日々起こるハプニングを加えて撮影したことで、より自然な演技を引き出すことに成功した」とQ&Aで語っていた。

 

  

  (構図の取り方が優れていた『木曜から日曜まで』 両親の背中を見ながら移動する姉弟)

 

★車窓を飛び去る荒涼としたチリの風景、スピード感もあって将来が楽しみな監督と感じた。第2作目となる本作がフォーラム部門とはいえベルリンにエントリーされたのは嬉しい。テーマの一つに「移動」を上げたのは、チリも含めてラテンアメリカ映画の特徴と考えるから。上記のセバスチャン・シルバにも顕著です。「チリは細長い国なので、移動といえば北か南に行くしかない」が、これに心理的な移動が加わって、デビュー作とは思えない完成度を示した。

 

『バードマン』*アカデミー賞2015作品賞2015年03月06日 16:46

      メキシカン黄金時代の再来か、アレハンドロ・G・イニャリトゥ『バードマン』

    

★昨年のアルフォンソ・キュアロンの『ゼロ・グラビティ』に続いて、今年もメキシコ出身の監督がオスカーを手にした。今回アレハンドロ・G・イニャリトゥ1963年メキシコ・シティ生れ)は、作品賞・監督賞・脚本賞のトリプル受賞だから驚きだ。手は2本しかないからオスカー像が一度に持てない()。因みに撮影賞のエマニュエル・ルベツキ1964メキシコ・シティ生れ)もメキシコからの移民、それで「メキシカン黄金時代」なんて書かれることになったが、勿論どちらもメキシコ映画じゃないし、スペイン語でもない。ルベツキは昨年の『ゼロ・グラビティ』に続いて2度目の受賞、二人は「エル・ネグロEl Negro」「エル・チボEl Chivo」とニックネームで呼び合う仲、同時受賞でヨカッタヨカッタ。 

          

         (オスカー像が一度に持てないエル・ネグロことゴンサレス・イニャリトゥ)

 

 
2度目のオスカー像を手に、エル・チボことエマニュエル・ルベツキ)

 

★『BIUTIFUL ビューティフル』の後、少しスランプ気味で引きこもっていたが、禅の瞑想のお蔭でカオスから抜け出られたという。常に自身の根っこにある「メキシコ」に拘りつづけていたが、それが吹っ切れた。ここに新生ゴンサレス・イニャリトゥが誕生した。キャストにはスペイン語ができない人を選び、主役には主人公と同じ辛い体験をしたことのある俳優を探すことにした。そしてマイケル・キートンに行き着いたという訳らしい。こうして『バードマン』は動き出した。ルベッキによると不自然さを捨てるため全編長回しで撮りたかったが、それは無謀すぎるので、観客にはあたかもそう見えるようにするのに苦労した。

 

             

           (主演男優賞を逃したマイケル・キートン)

 

★監督紹介は日本語のウイキィでも読めるし、本作の公式サイトもアップされているからキャスト、プロット以下は割愛、下記に長編フィルモグラフィーだけ記しました。代表作5作がすべて日本語で鑑賞できる数少ない監督の一人。メキシコの監督とはいえ母国語のみはデビュー作『アモーレス・ペロス』だけ、本作のカンヌ映画祭2000での成功がアメリカ行きの切符を可能にした。日本では監督の名前を知らなくても第1話に出演したガエル・ガルシア・ベルナル(写真下)の名前なら知っている。同年の東京国際映画祭には監督以下スタッフとキャストが来日して、下馬評通りグランプリを受賞しました。更に『バベル』がカンヌ映画祭2006コンペにノミネーション、メキシコ初の監督賞を受賞しました。カルロス・レイガダス2012年、アマ・エスカランテ2013年ですからずっと後ですね。 

                              

                                (『アモーレス・ペロス』のG・G・ベルナル)

★他にスペイン語が主言語なのはBIUTIFUL ビューティフル』だけです。というわけで当然ながらスペイン語関係の賞は少ない。デビュー作『アモーレス・ペロス』がメキシコのアリエル賞ファースト作品賞他、ハバナ映画祭ファースト作品賞他、ボゴタ映画祭作品賞他、チリのバルディビア映画祭ファースト作品賞受賞ぐらいでしょうか。ゴヤ賞は『BIUTIFUL ビューティフル』がオリジナル脚本賞にノミネートされただけ、メキシコの監督というよりハリウッド監督という捉え方をされています。移民監督ですが、国籍は現在もメキシコです。メキシコ「移民」というと「不法」をイメージしがちですが、彼はアルフォンソ・キュアロンのようなセレブ階級ではありませんが、中流階級の出身、「列車の旅」組ではありません。 

 

★オスカー作品賞受賞でも興行成績は飛躍的に伸びるかどうか。元夫婦対決と話題になった『ハートロッカー』と『アバター』、妻に軍杯が揚がったがトータル22億円、対する夫の『アバター』はケタ違いの400億円と言われている。『バードマン』の最近の数字は45億円(米国)、製作費1800万ドルは充分回収できているが、今後どれだけ増やせるか。20152月までに世界の殆どの国が公開しており、日本の410日公開がドン尻のようで、話題は早くも2016年のアカデミー賞予想に移っている。

 

*長編フィルモグラフィー*

2000Amores perros”『アモーレス・ペロス』(メキシコ)西語 

200321 Grams”『21グラム』(米国)英語

2006Babel”『バベル』(米国・仏・メキシコ)英語・アラビア語・西語・日本語・
   ベルベル語他

2010Biutiful”『BIUTIFUL ビューティフル』(メキシコ・西)西語・中国語・ウォロフ語

2014Birdman: Or (The Unexpected Virtue of Ignorance

 『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(米国)英語

2016The Revenant**(米国)英語、(撮影中)

 

ウォロフ語は、セネガル、ガンビア、モーリタニアにかけて住むウォロフWolof族の言語。

**The Revenant”は、実在した毛皮取りのワナ猟師ヒュー・グラス(17801833)を主人公にした伝記小説の映画化。舞台は19世紀初頭のアメリカ、レオナルド・ディカプリオ主演です。雪のカナダで撮影中。撮影監督は勿論エマニュエル・ルベッキです。20161月米国公開が決定しています。 


         

サルバドール・アジェンデ*孫娘が撮ったドキュメンタリー2015年03月09日 12:12

   孫娘が撮った「我が祖父アジェンデ」

サルバドール・アジェンデ→チリの元大統領→ピノチェト軍事クーデタ→1973911日→映画『NO』・・・と連想ゲーム風にイメージできる人が現在どのくらいいるのでしょうか。このドキュメンタリーは、孫娘の一人マルシア・タンブッティ・アジェンデが近親者にインタビューして纏めた32人の証言で構成されております。謂わば悲劇のアジェンデ一族の<家族写真帳>という顔を持っております。その証言の殆どが今回初めて公開されたもので占められているそうです。「私には祖父の知識がなく、彼のことをもっと知りたかった。自己顕示欲からではなく、より深い愛着からです。このドキュメンタリーを通して家族の沈黙の理由を理解しようと心がけ、悲惨なエピソードの存在が分かるようにしました」とコメント。

 

Allende, mi abuelo Allende「我が祖父アジェンデ」仮題

監督・脚本:マルシア・タンブッティ・アジェンデ

共同脚本:ブルニ・ブレス、パオラ・カスティジョ

データ2014年、チリ=メキシコ合作、スペイン語、ドキュメンタリー・ドラマ、家族史、90

*グアダラハラ国際映画祭2015Work in Progresss」部門上映(メキシコ)

 

       (アジェンデ大統領夫妻と二人の孫娘マルシアとマヤ、1971年)

 

主な証言者とアジェンデ家系図

故サルバドール・アジェンデ・ゴッセン(愛称チチョ、監督の祖父):1908626日サンチャゴ生れ、外科医、チリの社会党所属の政治家。チリ大統領(1970113日~1973911日)、911日の軍事クーデタで自害、享年65歳。本作にはペテカPeteca(ブラジル先住民起源のバトミントンに似た競技)をする若いときの映像が挿入されている。ほっそりした体形で「健康に気をつけていたスポーツマンだった」と娘イサベル・アジェンデ。

 

           (海水パンツ姿でペテカに興じる若き頃のチチョ)

 

故オルテンシア・ブッシ・デ・アジェンデ(愛称テンチャ、監督の祖母):1914722日ランカグア生れ、撮影中の2009618日サンチャゴで死去、享年94歳。1940317日サルバドール・アジェンデと結婚、子供は娘3人。クーデタ後メキシコに亡命、ピノチェト政権末期の1988年チリに戻る。ピノチェトの信任を問う国民投票「イエスかノー」には投票できなかったが、「NOキャンペーン」に参加。この選挙運動を題材にしたパブロ・ララインのNOは、カンヌ、サンセバスチャンなどの映画祭で上映、アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされた。

1973911日は悪夢を見るようなものでした。あの日を境に人生は一変しました。夫を失い、続いて娘を失い、孫たちは世界各地に散らばって暮らすことになってしまった」と失意を語っていた祖母も、監督の「あなたの夫はとても洒落者でしたね」という質問には、「ウッふ、彼は何にでも手を出すのが好きだったのよ」と答えている。

 

         (長女カルメン・パス、90歳のテンチャ、三女イサベル)

 

イサベル・アジェンデ・ブッシ1945年サンチャゴ生れ、アジェンデ大統領の三女、監督の母親。セルヒオ・メサと結婚長男ゴンサロ(・メサ・アジェンデ)、ロミリオ・タンブッティと再婚長女マルシア(・タンブッティ・アジェンデ)をもうける。父親と同じチリの社会党に所属する現上院議員。

 

カルメン・パス・アジェンデ・ブッシ:アジェンデ大統領の長女、生年検索できなかったが1941年か。監督の伯母。亡命はしないでマスコミを避けてずっとサンチャゴで暮らしており、彼女にとってあれ以来時間は止まったも同然だったから、インタビューのためにことさら記憶を蘇らせる必要はなかった。

 

  (監督、母イサベル、伯母カルメン・パス。両脇に異父兄ゴンサロと従姉妹マヤが同席)

 

故ベアトリス・アジェンデ・ブッシ(愛称タティ):1943年サンチャゴ生れ、アジェンデ大統領の次女、監督の伯母。19771011日、亡命先のキューバで精神を病み自ら生を絶つ。ルイス・フェルナンデス・デ・オニャと結婚、長女マヤと長男アレハンドロの一男一女。クーデタ当日には第2子妊娠中で、父親のいるモネダ宮殿に馳せつけることができなかったことがトラウマになっていた。タティは父サルバドールと同じ医学を学んだ医者、三人娘のなかでは一番身近な存在だったらしく、それだけに打撃も強かった。

 

故ゴンサロ・メサ・アジェンデ1965年生れ、アジェンデ大統領の初孫、監督の異父兄。本作撮影中の20101215日自死、享年45歳。

 

マヤ・フェルナンデス・アジェンデ1971927日サンチャゴ生れ、監督と同い年の従姉妹(写真上:祖父サルバドールに抱かれている右側の赤ん坊)。クーデタ後キューバに亡命、母親自死の際は6歳だった。1990年帰国、祖父と同じチリの社会党に所属する現下院議員。

 

             (同い年の従姉妹マヤ・フェルナンデス)

 

アレハンドロ・フェルナンデス・アジェンデ1973年か74年キューバ生れ、監督の従弟。現在ニュージーランド在住。母親ベアトリス自死の際は4歳足らずだったが、「母はキューバでは知られた存在だったが、非常に孤独だったと思う」とインタビューに答えている。革命家は精神病などに罹っている場合じゃないという偏見というか時代精神の犠牲者でもあった。多分キューバ亡命は誤算だったのかもしれない。

 

 ★監督紹介:マルシア・タンブッティ・アジェンデ1971年生れ。元大統領サルバドール・アジェンデの孫。1973911日のピノチェトの軍事クーデタ後メキシコに亡命、まだ2歳の誕生日を迎えていなかった。母帰国後もメキシコに止まっていたが、2008年、アンタチャブルだったアジェンデ一族の総括をするべくチリに戻った(2008年はアジェンデ没後百周年の年であった)。

 

★家族間では悲劇の詮索はタブーだったから何も知らされていなかったと監督。家族並びに親類縁者のインタビューを開始するが、封印された悲劇の扉をこじ開けるのは難しく、結果的には32人の証言を得るのに6年以上かかった。ふさがった傷口を開くことでもあったから当然です。特に高齢の祖母は病の床にあったから40分の時間制限を求められた。伯母カルメン・パスからは「40分は長すぎる」とクレームがついた。口火を切ってくれたのは、母親イサベル、「カメラを前にして、911のことを次第に話してくれるようになった」。両親のこと、つまり監督にとって祖父母のこと、911日に小さな2人の子供(ゴンサロとマルシア)を抱いて自宅で待機していたことなどを話し始めたという。難しいジグソーパズルの一つ一つを嵌めこんでいくような作業だったという。

 

★撮影中に祖母テンチャと兄ゴンサロを失ったことは大きな打撃だった。特に兄は自ら生を絶ったから尚更だった。かつては伯母タティの自死もあった。祖父サルバドールの兄妹は6人だが、2人夭逝しているので実際は4人兄妹。1981年、祖父の妹(大叔母)ラウラ・アジェンデも末期ガンの苦しみから逃れるため自殺している。カトリック教徒にしては多い印象を受けるが、アジェンデ家の人々が口を開かなかった理由がなんとなく伝わってくる。軍事独裁の17年間は「911」を体験したアジェンデ家の人々にとって、相当長い年月であったことを改めて思い知らされる。

 

★監督は本作完成後チリ定住を決意したが、グアダラハラ映画祭上映は殊のほか嬉しいという。何故ならメキシコは今まで自分を育んでくれた国だから。

 

デ・ラ・イグレシア新作はコメディ*歌手ラファエルとのコラボ2015年03月14日 15:54

          カンタンテ Raphael ラファエルとのコラボレーション

     

★しばらくチリ映画が続いたので軌道修正いたします。手始めにアレックス・デ・ラ・イグレシアの近況から。去る2月下旬にコメディMi gran nocheがクランクインしました。ラファエルはスペインでは知らぬ人などいない歌手ですが、今の日本でどのくらい知名度があるのでしょうか。本名はミゲル・ラファエル・マルトス・サンチェス、194355日リナーレス生れ、芸名 Raphael はミドルネームの Rafael からとった

 

1960年代後半から世界巡業を開始、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、米国、まだソ連だった頃のロシアなど、日本公演もしているようですが、ライブを聴いた人はかなりの年配者になってます。デビューシングルの“Yo soy aquel”は、「はるかな想い」の邦題が付けられて発売された。映画タイトルの“Mi gran noche”は、彼の同名ヒット曲から取られています。因みに『気狂いピエロの決闘』の邦題で公開された“Balada triste de trompeta”(2010)もRaphaelの“Balada de la trompeta”から取られています。物語詩バラッドとバラードが掛けられているのでしょうが、邦題からはその欠片もうかがえません()

 

    

 (デ・ラ・イグレシアとラファエル、マドリードのシルクロ・デ・ベジャス・アルテスにて)

 

          デ・ラ・イグレシア学校の生徒さん大集合

     

★デ・ラ・イグレシアの映画は「すべて子供のときのオブセッションに関係がある」と本人が語っているように、本作もその例に漏れない。Raphaelは、1965年生れの監督が物心ついたころには既に超有名な歌手であり映画スターであった。「スペインのフランク・シナトラ」と称され、監督には子供の頃からの崇拝の的であったという。1973年の“Volveré a nacer”を最後に銀幕から遠ざかってしまっていたRaphaelを再び銀幕に呼び戻したい、その願い叶って40年ぶりの復帰となった。「申込んだはいいが、NOと言われるんじゃないかと怖かったよ」と監督。Raphael40年間のブランクはまったく感じていない。「まるで反対だよ」と出演が楽しみのようです。

 

★今回Raphaelは、「Alphonso」という歌手に扮します、やはり<ph>入りです()。エゴイストでサディスト、常にナンバーワンに拘り、年末恒例のテレビ番組構成にちょっかいを出し、つまり大晦日のカウントダウンで「新年おめでとう!」と叫ぶ人になりたい。他の共演者には、『スガラムルディの魔女』や『トガリネズミの巣穴』に出演していた、監督お気に入りのウーゴ・シルバ、マリオ・カサス、サンチャゴ・セグラ、監督夫人カロリーナ・バング、カルロス・アレセス、テレレ・パベス、ペポン・ニエト・・・と、他にカルメン・マチやアントニオ・ベラスケスの名前もクレジットされています。まだ全容はつかめていませんが、今年中に公開が決まっています。勿論、他の俳優が演じる伝記映画やTVミニ・シリーズのドラマは作られていますが、それはまた別の話です。 

       

      (監督デビューも果たした“Mi gran noche”出演のウーゴ・シルバ)

 

Raphaelの主なフィルモグラフィー

1963Las gemelas” 歌手(役柄)   アントニオ・デル・アモ 監督

1966Cuando tú no estás”ラファエル同   マリオ・カムス

1967Al ponerse el sol ダビ・アロンソ同  マリオ・カムス

1968Digan lo que digan ラファエル・ガンディア同  マリオ・カムス

1969El golfo”ラファエル同   ビセンテ・エスクリバ

1969El ángel エル・アンヘル同   ビセンテ・エスクリバ

1970Sin un adiós マリオ・レイバ同   ビセンテ・エスクリバ

1973Volveré a nacer”アレックス同   ハビエル・アギーレ

2015Mi gran noche”(予定)アルフォンソ 同  アレックス・デ・ラ・イグレシア

 

★リナーレス生れでも生後9カ月でマドリードに引っ越しているからマドリッ子と言える。しかし「リナーレスのナイチンゲール」「リナーレスのエル・ニーニョ」または「リナーレスの花形歌手」と生れ故郷リナーレス付きで呼ばれている。9歳のときにザルツブルグ・フェスティバルに出場、その美声でヨーロッパでも知られるようになった。美空ひばりみたいな人ですね。本作は伝記映画ではないので深入りしませんが、1970年に「エド・サリヴァン・ショー」に出演してスペイン語、英語、イタリア語で歌ってそれが放映されたり、1964年から1980年までのレコード売上げが5000万枚とか、マイケル・ジャクソンの天文学的な数字10億枚には遠く届きませんけど。

 

      

   (デビュー50周年を記念して発売されたアルバム、2008年スペイン版)

 

1985年に罹ったB型肝炎が疲労で悪化、2000年ごろには活動できなくなっていたが、臓器移植手術を受け不死鳥のごとく蘇った(ドナーは公表されていない)。「私の第二の人生が始まった」と語った。現在は臓器移植の活動に尽力している。1972714日、ジャーナリストで作家のナタリア・フィゲロアと結婚、子供はハコボ、アレハンドラ、マヌエルの二男一女、それぞれ政治家の娘や女優と結婚しているので、大勢の孫に囲まれている。

 

                   

             (ラファエルとナタリア・フィゲロア)

 

★持ち歌のジャンルはロマンティック・バラードが中心だが、タンゴやメキシコのランチェラも得意にしている。以前の人気レパートリーを現代の若者が好む最新の音響に録音しなおしている。デビューから約55年が経ったがスペインでの人気は衰えていません。「今のRaphaelは、前より穏やかでゆったりしています。ステージにもゆっくり出ていきますが、以前はせかせか落ちつかなかった。今は楽しんで歌っています」と自己分析しています。彼のステージやディナショーは、YouTubeで簡単に楽しめます。


デ・ラ・イグレシアは、「ラファエルは私の人生になくてはならない人、心の奥深いところにいます」と語る。更に「ホセ・ルイス・ボラウやマリオ・カムスの映画なしに自分は存在しない。『カラスの飼育』(カルロス・サウラ)や『パスクアル・ドゥアルテ』(リカルド・フランコ)なしに人生をイメージできない。マリオ・カムスに出会えたことで現在映画作りができることになった。ハグと感謝を捧げたい。これはラファエルにも同じことが言える。二人みたいに素晴らしい人はいない」と手放しで讃えています。マリオ・カムスはラファエルの映画を1966年~68年にかけて立て続けに3本撮った監督です。

 

 

*関連記事:管理人覚え

アレックス・デ・ラ・イグレシアLB特集『スガラムルディの魔女』20141012日/18

アレックス・デ・ラ・イグレシアLB特集『トガリネズミの巣穴』20141022

マリオ・カムス『無垢なる聖者』2014310日/11


アルモドバル女性映画にリターン*”Silencio”2015年03月15日 16:25

                       まだ全容がつかめない“Silencio

   

★正月早々、「次回作は女性をヒロインにした“Silencio”、脚本は間もなく完成、クランクインは4月、ロケ地はガリシアの海岸とマドリード」と、監督自らが「ファイナンシャル・タイムズ」のインタビューに語っていました。何故イギリスの日刊紙かというと、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』ミュージカル版のロンドン公演のこけら落しが112日、そのプロモーションにロンドン入りしていたからです。自身のブログとかで何人か脇役の名前がアナウンスされていますが、今もって主演者の名前は発表になっておりません。決定している中にはロッシ・デ・パルマがおり(IMDbに唯一アップされています)、ロンドン公演にも駆けつけておりました。アルモドバル映画は7作目となります

 

製作順:『欲望の法則』(86)、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(87)、『アタメ』(89)、『キカ』(93)、『私の秘密の花』(95)、『抱擁のかけら』(09)。1964年マジョルカ島のパルマ生れ、女優、作曲家。生れ故郷から芸名は付けられた。本名ロサ・エレナ・ガルシア・エチャベ。マドリードのカフェでアルモドバルにスカウトされ映画デビュー、それがチョイ役の『欲望の法則』でした。最後の『抱擁のかけら』もカメオ出演でした。

 

       

       (ロッシ・デ・パルマ、マドリードのホテル・インディゴにて 2015114日)

 

★デ・パルマによると、「優しさにあふれた映画、特に女性」路線だが、テーマは口止めされているのか自分の口から「詳しく述べることはできないが、スペイン内戦に言及している映画」だそうです。「少し前から出演が決まっていたが、ペドロが公式に発表するまでは口外できなかった」由。またペネロペ・クルスのプロジェクト参加の可能性についてはかなり少ないと語っていた。どうして突然PPの名前が出てきたかというと、キャストに彼女とバンデラスの名前が噂として飛び交っているからです。

 

★「ファイナンシャル・タイムズ」のインタビューでのアルモドバル発言によると、「脚本執筆中はキャスティングしていると集中できないから」としている。ヒロインにハプニングが起きて悪い方向に転がっていき、観客をノックし続けるという。最近管理人はアルモドバル映画にはノックダウンしていないので大いに期待しています。また、新作には関係あるのかないのか分かりませんが、アメリカのTVシリーズ『ブレイキング・バッド』について、「初期のスコセッシの映画のように、テレビ・ドラマとしては残酷で辛辣・・・アメリカのテレビドラマの最高峰と思う」とコメント。スコセッシは遠藤周作の秀作『沈黙』を脚色して同じ題名“Silence”の映画を計画中です。競合したら邦題はどうなるんでしょうか()

 


★プエルトリコの歌手リッキー・マルティン(スペインの国籍を持っている)が、アルモドバルからオファーを受け、脚本も読んだとと語っています。まだアルモドバル映画には出たことのない女優に「新アルモドバル・ガール」のチャンスを与えるだろうという説も。ゴヤ・トレドの名前も挙がっておりますが、エル・デセオからは公式の発表はありませんから、いずれも憶測の域を出ていません。インタビューでは、4月クランクインを表明しておりますからそろそろでしょうか。

 

★アルモドバルの女性路線は、デビュー作の『ペピ、ルシ、ボン、その他大勢の女の子たち』以来、10作は下らないと思いますが、個人的には『トーク・トゥ・ハー』や『抱擁のかけら』の主人公は、やたら女性が目立ちましたけど男性じゃないでしょうか。いずれ全容が見えてきた段階で触れたいと思います。 


★上の写真は『神経衰弱ぎりぎりの女たち』ミュージカル版出演のタムシン・グレイグTamsin Greigと談笑するアルモドバル監督(2015112日公演初日)。ロッシ・デ・パルマの他、エレナ・アナヤ、ミゲル・アンヘル・シルベストレ、ブランカ・スアレスの面々もロンドン入り、新作に関係ありや?

 

デ・ラ・トーレ「マラガ賞」受賞*マラガ映画祭2015 ①2015年03月19日 13:02

                    マラガ映画祭2015の特別賞が発表


★今年の第18マラガ映画祭は、417日開催26日閉幕です。本映画祭にはコンペティション以外に特別賞として本映画祭に貢献したシネアストに贈られるマラガ賞リカルド・フランコ賞エロイ・デ・ラ・イグレシア賞レトロスペクティブ賞、昨年カルロス・サウラが手にした「金の映画」があります。当ブログでは昨年各賞の性格、特徴について触れております。コンペの前段として受賞者の名前を簡単にお知らせいたします。お馴染みのシネアストが受賞者です。

マラガ映画祭20142015年04月07

 

マラガ賞  アントニオ・デ・ラ・トーレ(前回の受賞者マリベル・ベルドゥ)

★一番の大賞、地中海を見下ろす遊歩道に等身大の記念碑を建ててもらえます。映画祭が開催されれば写真が公開されるはずです。デ・ラ・トーレについては、毎年ゴヤ賞の主演・助演賞にノミネーション、公開作品やラテンビート上映などでお馴染みですから紹介は割愛いたします。

 



リカルド・フランコ賞  キコ・デ・ラ・リカ(前回は美術監督ジル・パロンド)

★この賞は、スペイン芸術映画アカデミーとのコラボで選ばれ、スペイン映画に独自の映画スタイルを取り入れ、カメラ・ワークの分野などで高度な技術を駆使する信頼のおける人に与えられます。リカルド・フランコをおさらいすると、1949年マドリード生れ(1998、心筋梗塞で死去)、監督、脚本家、俳優、製作者。哲学者フリアン・マリアスの甥、作家ハビエル・マリアスは従兄弟、伯父ヘスス・フランコ監督の助監督として出発した。代表作は「カンヌ映画祭1976」のコンペに出品された『パスクアル・ドゥアルテ』、ノーベル賞作家カミロ・ホセ・セラの『パスクアル・ドゥアルテの家族』の映画化です「第1回スペイン映画祭1984」で上映されました。他に「スペイン映画祭1998」で長編10作目となる『エストレーリャ~星のまわりで』が紹介されただけと思います。ゴヤ賞1998の最優秀作品賞、監督賞、脚本賞、アントニオ・レシネスに主演男優賞をもたらした秀作。

 

キコ・デ・ラ・リカ Kiko de la Rica1965年ビルバオ生れ、撮影監督。1980年代の末ごろからオーディオビジュアルの世界に入る。49歳という中堅ながら確かな仕事ぶりで多くの監督から信頼されております。同郷同年生れのアレックス・デ・ラ・イグレシアの最近の作品は今や彼の専売特許です。例えば『みんなの幸せ』を皮きりに『オックスフォード殺人事件』『気狂いピエロの決闘』『刺さった男』『スガラムルディの魔女』、他にパブロ・ベルヘルの『トレモリノス73』、イシアル・ボリャインの“Mataharis”、フリオ・メデムの『ルシアとSEX』、ハイメ・デ・アルミニャン、ハビエル・レボージョなど。ゴヤ賞ノミネーションの常連でしたが、2013パブロ・ベルヘルの『ブランカニエベス』で初の撮影監督賞を受賞しました。ベルヘルは昨年の「エロイ・デ・ラ・イグレシア賞」の受賞者です。

  


エロイ・デ・ラ・イグレシア賞  パコ・レオン(前回はパブロ・ベルヘル監督)

★エロイ・デ・ラ・イグレシアは、1944年バスク自治州ギプスコア生れの監督、2006年癌で死去。バスク映画祭上映の『ブルガリアの愛人』(2003)が遺作。フランコ時代から問題作を撮りつづけていた監督ですが、当時は批評家の無理解もあって正当に評価されていないと思います。1972年の“La semana del asesino”が『カンニバルマン 精肉男の殺人記録』の邦題でDVDが発売されているだけか。

 

パコ・レオン Paca Leon1974年セビーリャ生れ、監督、俳優、製作者。マラガ映画祭2012で監督デビュー、第1作“Carmina o revienta”に続いて、カルミナ第2弾“Carmina y amén”(2014)もマラガでプレミアしております。現在はフアナ・マシアスのコメディ“Embarazados”に俳優業に専念しているはずです。

Carmina o revienta”はコチラ⇒2013818(ゴヤ賞2013新人監督賞の項)

Carmina y amén”はコチラ⇒2014413(マラガ映画祭2014

Embarazados”はコチラ⇒20141227(フアナ・マシアスの新作紹介)

  


レトロスペクティブ賞  イサベル・コイシェ(前回は俳優ホセ・サクリスタン)

★本映画祭の貢献賞または栄誉賞の意味合いが強い賞。昨年から今年にかけてのコイシェの活躍は目を見張るものがあります。当ブログでは英語映画にもかかわらずその都度ご紹介しております。マラガ映画祭では“Learning to drive”が上映されるようです。他にサイコ・スリラー“Another Me”やベルリン映画祭のオープニングに選ばれた“Nadie quiere la noche”など、現在はニューヨークで次回作の脚本執筆中。

Learning to drive”はコチラ⇒2014813(トロント映画祭2014

Another Me”はコチラ⇒2014727

Nadie quiere la noche”はコチラ⇒201531(ベルリン映画祭2015




「金の映画」  前回の受賞者はカルロス・サウラ)

★こちらはオーソン・ウェルズの『フォルスタッフ』(1965)、次回にアップします。

★コンペティションについても、いずれアップいたします。


オープニングは合唱劇”Hablar”*マラガ映画祭2015 ②2015年03月21日 17:55

       「金の映画」は『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』

 


★前回に続けて、特別賞「金の映画」はオーソン・ウェルズCampanadas a medianoche1965、西≂仏≂スイス合作、“Chimes at Midnight”)、日本では『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』の邦題で1986年公開されています。シィクスピアの『ヘンリー4世』と『ウィンザーの陽気な女房たち』に出てくる、大ぼら吹きの悪党フォルスタッフが主人公、でっぷり肥ったウェルズがこの巨漢を怪演して大いに笑わせてくれた歴史物コメディ。ヘンリー4世にシィクスピア劇俳優のジョン・ギールグッド、娼婦ドルにジャンヌ・モロー、皇太子ハル、後のヘンリー5世にキース・バクスターとキャスト陣は英仏米、スペイン人は出ていないようです。製作会社 Internacional Films がスペインなのでタイトルはスペイン語になったが言語は英語というややこしさです。15世紀のイギリスが舞台だがロケ地はバルセロナで撮影された。多分安上がりだったのではないか。受賞者が故人の場合は誰が登壇するのだろうか。製作会社も現在は存在していないようです。 

           

         (真夜中の鐘を聴くフォルスタッフ、最後のシーンから)

 

1966カンヌ映画祭「20周年記念賞」とテクニカル大賞を受賞(オーソン・ウェルズ)

 1966シネマ・ライターズ・サークル賞(スペイン)最優秀作品賞受賞

 1968 BAFTA外国人俳優賞受賞(オーソン・ウェルズ)

 

             ベテランと若手が競うコンペティション13作品

   

★オープニングはホアキン・オリストレルの合唱劇Hablarです。マドリードのラバビエス地区を舞台に約20人ほどの若手、中堅、ベテランが織りなす群像劇。もうお馴染みのラウル・アレバロ、マルタ・エトゥラ、マリア・ボトーとフアン・ディエゴ・ボトー姉弟、メルセデス・サンピエトロ、ゴヤ・トレド・・・今回「マラガ賞」受賞のアントニオ・デ・ラ・トーレも出演します。

 

                  

               (ラウル・アレバロ、映画から)

 

★クロージングはコンペ外から、アルフォンソ・アルバセテのコメディSolo química、アナ・フェルナンデス(オリ)、アレホ・サウラス(カルロス)、ロドリゴ・ギラオ(エリック・ソト)、ナタリア・デ・モリナ、マリア・エステベ、ホセ・コロナド、ロッシ・デ・パルマなどなど。アルバセテ監督は、『セックスとパーティと嘘』がラテンビート2009で上映されています。原題の“Mentiras y gordas”が英題からの直訳で、残念ながらかけ離れた題が付けられてしまった。アナ・フェルナンデスとアレホ・サウラスはTVシリーズで人気上昇中、ロドリゴ・ギラオはアルゼンチンのイケメン俳優です。

 

        

     (左から、アレホ・サウラス、アナ・フェルナンデス、ロドリゴ・ギラオ)

 

4月になって映画祭が近づいたら、ラテンアメリカ映画部門と合わせて個別にご紹介したい。


2015年公開予定のスペイン語映画2015年03月23日 10:45

 飽くまで予定です。

★予定されながらお蔵入りになることもあるので、公開日時が決定しているもの以外は予定です。はや3月も下旬、ジャウマ・バラゲロの『REC/レック4』のように上映中のもの、終了してもDVD・ブルーレイが発売になったケースは入れておきます(当ブログでデータを記事にしたものはワープできるようにしておきます)。

 

1『ロスト・フロア』(“Séptimo2013、西≂アルゼンチン)パトクシ・アメズカPatxi Amezcua監督、スリラー、88分、ロケ地ブエノスアイレス。出演リカルド・ダリン、ベレン・ルエダ他。マイアミ映画祭、リオデジャネイロ映画祭上映。

124日ヒューマントラストシネマ渋谷公開でしたが終了。DVD・ブルーレイ発売。監督名の読みは配給元によっておりますが、念のため原綴入れました。

 


2REC/レック4 ワールドエンド』(“[REC]4 Apocalipsis2014、西)、ジャウマ・バラゲロ監督、ホラー、95分、R15+、出演マヌエラ・ベラスコ、パコ・マンサネド、エクトル・コロメ他。トロント映画祭、シッチェス映画祭、サンセバスチャン映画祭「ファンタジー&ホラー週間」などで上映。

131日新宿武蔵野館他で公開、順次全国上映、62DVD・ブルーレイ同時発売予定。

トロント映画祭2014の記事はコチラ⇒2014813

 


3『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』(“Narco cultura2013、米≂メキシコ)シャウル・シュワルツ監督、ドキュメンタリー、103分、言語はスペイン語と英語。シウダー・フアレスを舞台にしたメキシコ麻薬戦争。サンダンス映画祭2013がプレミア、ベルリン映画祭2013、サンセバスチャン映画祭2013他で上映、20145月メキシコ公開。

411日シアター・イメージフォーラム公開、順次全国上映。4月監督来日トークあり。

 


4『光、ノスタルジア』(“Nostalgia de la luz2010、仏≂独≂チリ≂西≂米)パトリシオ・グスマン監督、ドキュメンタリー、90分、言語はスペイン語と英語、撮影地アタカマ砂漠など。ピノチェト軍事独裁の犠牲者の遺族をめぐるドキュメンタリー。監督については新作El botón de nácarの紹介記事を書いたばかりです。

10月公開予定、岩波ホール。

パトリシオ・グスマンの記事はコチラ⇒2015226

 


以下は邦題も決まっておりませんが、公開がアナウンスされている作品です。

5Magical Girl2014、仏≂西)カルロス・ベルムト監督、スリラー

サンセバスチャン映画祭2014、ゴヤ賞2015などで監督・主演者を紹介しております。

サンセバスチャン映画祭2014の記事はコチラ⇒2014916

ゴヤ賞2015の記事はコチラ⇒2015121

 


6Relatos salvajes2014、アルゼンチン≂西)ダミアン・シフロン監督、夏公開が決まっているようですが邦題・劇場は検索できなかった。本作については2014年のカンヌ映画祭以来幾度となく紹介しております。アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた作品で公開を確実視しておりました(写真下はアカデミー賞ノミネーションを受け宣伝に馳せつけたシフロン監督)。

カンヌ映画祭2014の記事はコチラ⇒201451日/522

トロント映画祭2014の記事はコチラ⇒2014815

アカデミー賞外国語映画賞ノミネーションの記事はコチラ⇒20141221

フォルケ賞の記事はコチラ⇒2015114

ゴヤ賞2015の記事はコチラ⇒2015119

 


7Jauja2014、アルゼンチン≂デンマーク≂仏≂メキシコ他)リサンドロ・アロンソ監督、スペイン語とデンマーク語、撮影地パタゴニア、コペンハーゲン他。カンヌ映画祭2014「ある視点」上映、国際批評家連盟賞を受賞した作品。主演が知名度のあるヴィゴ・モーテンセンなので公開が期待されておりました。配給元は『REC/レック4 ワールドエンド』と同じブロードメディア・スタジオですが、劇場・邦題・上映日などの情報が検索できませんでした。IMDb613日とありますが確かですかね。

カンヌ映画祭2014の記事はコチラ⇒201456日/527

 


★他にアメナバルのスリラー“Regression”(2015)も年内公開と思いますが、こちらは英語映画です。Regression”の記事はコチラ⇒201513

 

                   

                         (スペイン語のポスター)


「スター誕生」バルバラ・レニーの魅力2015年03月27日 21:32

            最も輝いている女優バルバラ・レニー

 

   まだ邦題、劇場は分かりませんが、カルロス・ベルムトのMagical Girl が年内に劇場公開されることになりました(配給元ビターズ・エンド。かつてウルグアイの二人の監督が撮った『ウィスキー』を配給してくれた会社)。主演のバルバラ・レニーについてはゴヤ賞主演女優賞の項で予想した通り「スター誕生」となりました。最近では『エル・パイス・セマナル』の表紙を飾り「時の人」にもなりましたので改めてその魅力をお伝えいたします。

 


★ゴヤ賞主演女優賞のバルバラ・レニー Barbara Lennie Holguín は、1984年マドリード生れ、女優、舞台俳優。祖先は第1期のイギリスからのアルゼンチン移民で、苗字の「レニー」はスコットランド系。生れはスペインですが両親が左翼系の活動家で当時アルゼンチンから政治亡命していた。70年代80年代は軍事独裁政を逃れてラテンアメリカからの亡命者は珍しくなかった時代です。父は医者、母は心理学者、しかし当時父はマルベーリャ(コスタ・デル・ソルの観光地)でオレンジ・ジュースを売っており、母はテレビ局の秘書をしていたそうです。曲がりなりにも民主化なった故郷ブエノスアイレスへ一家は帰国、バルバラは誕生後6カ月でしたので記憶は全くゼロということです。

 

★ブエノスアイレスでは、19世紀末に鉄道の仕事で移民してきたイギリス人たちが住んでいた大きな家が立ち並ぶ地区で育った。大木に囲まれていたので空気が澄み切って美しい記憶として今でも残っているようです。週末にはピクニックやラプラタのシティ・ベルに住んでいた祖父母たちの家を訪問した。メネム政権時代の1990年に再びスペインに舞い戻ってきた。もう6歳になっていましたから一緒に遊びまわった従兄妹たちや友達との別れは悲しかったそうです。「私にとってマドリードは別の惑星だった」と後に語ることになった。学校では意地悪な少女たちから<ポルテーニョ訛り>をからかわれ辛かったし、楽しい幼年時代との訣別だったから、ノスタルジーもあってアルゼンチンは意図せず美化されているのかもしれません。

 

★彼女を救い出してくれたのはコレヒオ・ラス・ナシオネス Colegio Las Naciones という学校だった。そこで演劇コースが気に入り、アルゼンチン人の女性教師について学んだ。これにはベイビーと呼ばれていた祖母ベルタ・スカリノの影響があった。女優志願であったが若くして結婚したため断念、結婚と女優は両立しない時代だった。「私が昨年の夏“La función por hacer”の舞台に立つためブエノスアイレスに到着した同じ日に亡くなった」という、こういう偶然はありますね。

 

★王立演劇学校で本格的に演技を学び始める。16歳でビクトル・ガルシア・レオンの“Más pena que gloria”(2001)で映画デビュー。新人女優を探していたガルシア・レオンに推薦してくれたのが、フェルナンド・トゥルエバの長男ホナス・トゥルエバ1981マドリード)でした。本人もこれが脚本デビュー、監督との共同執筆ですが。「まだ基礎演技もできなかった頃で、まったくクレージーな話でした。最初の撮影日には恐ろしくて死ぬ思いでした。ビクトルが女優として私を世に出してくれた」と語っている。ホナス・トゥルエバが最初の恋人です。彼の新作“Los exiliados románticos”が今年のマラガ映画祭コンペに選ばれています。これはマラガ映画祭でいずれ。トゥルエバ一家との繋がりができたことも幸いでした()

 

2007年より間断なくシリーズTVドラにも出演、歴史物“Isabel”(201213)で人気を博した。今年から始まった“El incidente”にも出演しております。2008年からは本格的に舞台でも活躍しており、とくにMisántropoは、2013年以来のロングランを続けています。バルバラにとって2014年は素晴らしい年になったが、「自分が演じたいと思うような役柄に出会うことは、そんなに簡単なことではない」、Magical Girlについては「スペインの危機的な現実をダイレクトにテーマにした作品ではないが、どの時代にもある表面には現れてこない危機が、精神的にも経済的にも落ち込んでいるマドリードが描かれている」と語っています。

 

      

            (シャネルの黒のドレスにゴールドのジャケットを着た最近のバルバラ)

 

今年スペインで公開される予定の映画は、ウルグアイの監督フェデリコ・ベイロフのEl apóstata、ベイロフの代表作“Acne”(2008)はカンヌ映画祭やトロント映画祭で上映され、2012年『アクネACNE』の邦題で短期間だが劇場公開された。

 

代表的なフィルモグラフィー

2001Más pena que gloria ビクトル・ガルシア・レオン

2005Obaba”モンチョ・アルメンダリス、ルルデス役でゴヤ賞2006新人女優賞ノミネーション。

2007Las 13 rosas”エミリオ・マルティネス≂ラサロ (スペイン内戦物)

2008Todos los días son tuyosホセ・ルイス・グティエレス・アリアス

2009Los condenadosイサキ・ラクエスタサン・ジョルディ映画賞で女優賞

2010Todas las canciones hablan de mí”ホナス・トゥルエバコメディ

2011La piel que habitoペドロ・アルモドバル『私が、生きる肌』の邦題で2012公開

2012Dictado”アントニオ・チャバリアス(『フリア、よみがえりの少女』邦題で2012公開

同 “Miel de naranjas”イマノル・ウリベ

2014Stella cadente リュイス・ミニャロ(サンセバスチャン「メイド・イン・スペイン」)

同 “El Niño”ダニエル・モンソン(『エル・ニーニョ』の邦題でラテンビート2014上映)

ゴヤ賞助演女優賞ノミネーション

同 Magical Girl”カルロス・ベルムト、ゴヤ賞主演女優賞フォルケ賞女優賞シネマ・ライターズ・サークル賞主演女優賞など受賞

同 Murieron por encima de sus posibilidades イサキ・ラクエスタコメディ

 

脇役が多いが傾向の異なる監督からのオファーを受けている。歴史物からシリアス・ドラマ、コメディまでこなせるマルチ俳優。アルモドバルの『私が、生きる肌』のチョイ役で合格点を貰ったようで、女性路線に回帰するという次回作“Silencio”にオファーがあるのではないかと期待していましたが、どうやらアドリアナ・ウガルテに決まったようです。現在はMagical Girlにも共演してゴヤ新人賞にノミネートされたイスラエル・エレハルデが恋人、舞台“Misántropo”でも共演しています。
 

 

   (“Misántropo”でのイスラエル・エレハルデとバルバラ・レニー)