マリオ・バローゾの 『モラル・オーダー』 鑑賞記*ラテンビート2020 ⑬ ― 2020年12月03日 15:15
20世紀初頭の実話に着想を得て自由に描いたフィクション

★マリオ・バローゾの『モラル・オーダー』(「Ordem Moral」)は、予想したようにかなりフィクション性の高いドラマでした。主人公マリア・アデライデを演じるマリア・デ・メデイロスの魅力を余すところなく盛り込んでいる。階級を超えた禁じられた恋、逃亡と監禁、裏切りと策略、情熱と苦悩、復讐とその代償、ハッピーエンド、テレノベラの要素をたっぷり詰め込んでいる。マリア・デ・メデイロスありきの映画です。最初、バローゾ監督から脚本執筆を依頼されたカルロス・サボーガはあまり乗り気でなかったという。しかし主役に「マリア・デ・メデイロスを起用するつもりだ」と話した途端「それなら話は別だ」と引き受けた逸話が、それを物語っている。以前、作品紹介の記事をアップした折り、監督&フィルモグラフィー、マリア・デ・メデイロスの出演映画などを以下に紹介いたしました。キャストは主人公を取りまく脇役に実在した人物が多数登場しますので、新たに補足追加しておきます。
*『モラル・オーダー』作品紹介記事は、コチラ⇒2020年11月01日
主なキャスト:
マリア・デ・メデイロス(マリア・アデライデ・コエーリョ・ダ・クーニャ)
マルセロ・ウルジェージェ(アルフレド・ダ・クーニャ、夫)
ジョアン・ペドロ・マメーデ(マヌエル・クラロ、マリア・アデライデの恋人)
ジョアン・アライス(ジョゼ・エドゥアルド・ダ・クーニャ、息子)
アルバノ・ジェロニモ(シーセロ、マヌエルの同僚、アナーキスト)
ジュリア・パーニャ(ソフィア・デ・アゼヴェド、アルフレドの愛人)
アナ・パドラオ(ベルタ・デ・モライス)
アナ・ブストルフ(フィリパ・デ・サ)
テレサ・マドルガ(クロティルデ、女中頭)
ヴェラ・モウラ(イダリナ、マリア担当の女中)
レオノル・コーティニョ・カブラル(マリア・アデライデの妹)
ディナルテ・ブランコ(エガス・モニス、医師。1949年ノーベル医学賞を受賞)
リタ・マルティナ(マファルダ)
ソフィア・マルケス(エミリア、マリア担当の看護師)
イザベル・ルス(堕胎所の祖母)
ミゲル・ボルへス(ベルナルド・ルーカス、弁護士)
ホルヘ・モタ(マガニャーエス・レモス、コンデ・デ・フェレイラ病院医療部長)
ルイ・モリソン(ジュリオ・デ・マトス、医師。1942年リスボンで精神病院を開院)
ディニス・ゴメス(ジュリオ・ダンタス、劇作家)
マリオ・バロッソ(アニバル・クルエル民政長官)
ストーリー:1918年11月13日、日刊紙「ディアリオ・デ・ノティシアス」の相続人マリア・アデライデが、何の前触れもなく失踪する。やがて22歳年下の家族の元運転手マヌエル・クラロが手引きしていたことが判明する。間もなく夫アルフレドによって探し出されたマリアは、病気療養の名目で精神病院に隔離されるが、愛を貫くために男性優位の社会と対決する。第一次大戦後の混乱期、スペイン風邪が猛威を振るうポルトガルを舞台に、自らの信念を貫き通した実在の女性に着想を得てドラマ化された。階級を超えた恋、逃亡と監禁、嘘と隠蔽、裏切りと策略、情熱と苦悩、復讐とその代償、ハッピーエンド、テレノベラの要素を隈なく取り込んでいる。 (文責:管理人)
精神病院強制入院に著名な精神科医たちが加担した危機の時代
A: 本作は東京国際映画祭TIFF「TOKYO2020プレミア」上映作品の一つ、その折企画された「TIFFトークサロン」を視聴することができた。パリ在住のマリオ・バローゾ(仏語)とシニア・プログラマー氏とのQ&A、通訳は仏語と英語でした。
B: 監督はパリの映画高等学院IDHED教授ということでパリ在住、トークサロンでは長編4作目と話していた。
A: 劇映画長編3作とTVドラマ1作で4作、TVを下に見る人もいるが自分はそうではない。当ブログでは劇映画、TVドラマ、ドキュメンタリーを区別しているので3作とご紹介しています。当然のように2005年に出版されたアグスティナ・ベッサ・ルイスの伝記小説 ”Doidos e Amante”(仮題「狂人たちと愛人」)への質問があった。
B: 小説の映画化ではなく、視点が異なるので参考にしていないときっぱり応えていた。
A: 全然参考にしていなかったわけではないでしょう。調べたところ、この新聞連載小説は「二人の間に愛があったという仮説を否定、マリアは単に脱出のエピソードが欲しくて、誘拐劇を演出し、マヌエルはお金目当てで協力した」と結論付けているようです。
B: タイトルからも想像できるように悪意が感じられます。監督はトークで「マヌエルとタクシー労働組合の同僚シーセロの関係をゲイにしたのは、アグスティナの小説から採った」と語っていた。映画を見るかぎり、マヌエルはバイセクシュアルでシーセロに引きずられている印象だった。
A: ホモセクシュアル的なにおいを入れたのは、自分を解放するのがテーマだからと述べていたが、当時同性愛は犯罪でタブー視されていたわけです。夫が火遊びでする浮気は許されたという糞ッたれな時代でした。
B: 夫が長年とっかえひっかえした女遊びは表沙汰にならなければ病気ではないが、マリアのように駆け落ちというスキャンダルを起こせば「これは立派なビョーキ、隔離して治療する必要がある」と精神科医は臆面もなく主張する。

(顔に包帯を巻いた奇抜な格好で友人たちを驚かすマリア・アデライデ)
A: マリアは入院させられていたコンデ・デ・フェレイラ病院の医療部長室で行われた医療委員会によって狂人と診断され、いわゆる禁治産者の烙印を押される。このシーンは劇中の山場の一つでした。マリアの一族の主治医ジョゼ・ソブラル・シド、家庭医のようなエガス・モニス、ジュリオ・デ・マトス、という当時の著名な精神科医3人が報酬をもらって加担した。
B: 夫が支払った賄賂をもらいながら、エガス・モニスにいたっては、1949年にノーベル医学賞をもらっている。時代精神と言われればそれまでですが。
A: 1942年にリスボンで精神病院を開院したジュリオ・デ・マトスの二人については、エンディング・クレジットでその後が語られたのですが、字幕は省略していた。重要なメッセージと考えるので、僭越ながら疑問を呈しておきたい。
B: バローゾ監督もトークでモニスのノーベル賞受賞に触れていた。マリアは女性の社会的地位の不平等、不自由、不公平という犯罪まがいの行為と闘った女性でした。家族のみならず精神科医たちが加担した暴力の時代があったことを若い世代に知ってほしかったことも映画化の理由でした。
A: 夫が医師たちを買収してまで妻を冒瀆したのは、彼女が大新聞社の相続人だったからですね。新聞社を早く売却したい夫は、売却に反対する妻を禁治産者にして後見人になる必要に迫られていた。首尾よく後見人におさまった夫は、すぐさま売却することができた。
B: マヌエルの1歳年下という息子のジョゼは、美人の使用人イダリナをレイプして妊娠させたり、父親の言いなりで不甲斐ない。マヌエルも危険な恋のアバンチュールを愉しむというタイプでなく、一体に男性陣は魅力に乏しかった。ましなのはルーカス弁護士、マヌエルへの愛を独占できなかったシーセロくらいかな。

(コンデ・デ・フェレイラ病院に入院するマリア・アデライデ、付添いの妹とモニス医師)
A: 映画にも採用された1919年2月2日に決行された梯子を使っての病院脱出劇は実際にあって、マヌエルは塀の下で待っていた。マヌエルの叔母がかつて住んでいたという空き家に隠れ住んでいたが、26日発見されて病院へ逆戻り、マヌエルも誘拐と強姦罪で逮捕という最悪の事態になる。
B: 勇敢なのか世間知らずなのか浅はかな行為、この経緯はウラが取れているそうですね。
情熱は狂気ではない――「クレージー・ノー!」
A: ジャーナリストのマヌエラ・ゴンザガの ”Doida Não E Não !” です。アグスティナの小説に反旗を翻して、4年後の2009年2月に刊行した。「クレージー・ノー・アンド・ノー」という意味ですね。ジャーナリストという職業柄、マリアを実際に知っている人や姪など親族縁者にインタビューして裏をとっ本にした。
B: タイトルはマリアが1920年に執筆した「クレージー・ノー!」から採られているようですが、すぐさま夫が「残念ながらクレージー」と応酬、さぞかしメディアは喜んだことでしょう。社交界の大スキャンダルでしたから。

(マヌエラ・ゴンザガの「クレージー・ノー・アンド・ノー」の表紙)
A: ほかにも病院に入院させられている患者のうち、病気でないのに家族が女性を処罰する方法として入院させる事実を「キャピタル」紙に投稿、このセンセーショナルな記事によって病院内に調査団がはいり、議会も無視できなくて法律が改正されたという。これはウイキペディアにも載っている。
B: 映画には採用されなかった。マリアは語学に優れ、入院中にストリンドベリの『令嬢ジュリー』をスウェーデン語をポルトガルに語に翻訳して、お芝居ごっこをして憂さを晴らしている。
A: 『令嬢ジュリー』は1888年にストリンドベリによってスウェーデン語で書かれた戯曲です。上流階級の子女はフランス語が教養とされていたが、マリアはスウェーデン語もできた。物語は、主人公ジュリー嬢はアシエンダを所有する伯爵と使用人であった農民出の母親のあいだに生まれた。今は亡き母親から「男のように考え行動するよう育てられた」意志の強い娘だったが、それは当時としては風変わりな女性だったから、男性にとっては危険な小説だった。
B: マリアはジュリーと自分を重ねていた。本当に院内でこんなお芝居ごっこができたのでしょうか。この芝居中に独裁権力を握り、国王大統領と呼ばれたシドニオ・パイスが急進的共和主義者の銃撃を受けて暗殺された報が伝わってくる。
A: ジュリー嬢役のマファルダが愛人だったという設定でした。これで彼女の監禁理由がはっきりする。つまり狂人ではないが、いささか常軌を逸している不都合な女性も監禁されていた。暗殺日は1918年12月14日、こういう歴史的事実を挿入して、観客に時代背景が分かるように工夫している。

(使用人イダリナに髪を整えてもらうマリア・アデライデ)
B: お芝居ごっこは冒頭に出てくる。詩人、戯曲家ジュリオ・ダンタスの宗教劇、豪壮な邸宅で客人を招待して催す芝居ごっこです。芝居に託けて自分を吐露するマリア、豪華な調度品にも目を奪われた。
A: マノエル・ド・オリヴェイラやジョアン・セーザル・モンテイロのフレームを彷彿させた。バローゾ
は二大巨匠の撮影監督を長らく務めたから、その影響が顕著だった。冒頭の赤いカーテンが開く瞬間、あっこれはオリヴェイラ、いよいよ緞帳が上がってお芝居が始まると思いました。美術監督や衣装デザイナーの時代考証は大変だったろうと思います。

(豪華な大道具小道具に魅せられる朝食のシーン)
B: 時代考証といえば、トークでも質問が出ていたが、マリアがイダリナの中絶に付き添う怖ろしいシーンで、受付の女の子の背後に後光のようなものが射していた。壁際には祭壇が置かれ、おばあさんが祈りを捧げている。
A: 監督によると、堕胎をするのは人間でなく天使という考えがあったということです。神のご加護を願いながら受けるのですね。堕胎医は女の子の母親、祈るのは祖母、受付は娘、親子三代でやっている。このおばあさん役をしたイザベル・ルスは、ポルトガル映画アカデミーのソフィア栄誉賞を受賞しているベテラン女優、『アブラハム渓谷』にも出演している。
B: お腹の子の父親が継父という13歳の子供を連れた母娘を登場させたのは、監督や脚本家の怒りと感じました。何時の時代でもこんな過酷な状況で命を落とす女性がいるのは悲しい。
A: フィナーレにポルトガルの国民的作家アグスティナ・ベッサ=ルイスの『シビラ』(“A Sivila”)を挿入したのは、製作中の2019年に彼女の鬼籍入りが報道されたからでしょうか、享年97歳だった。オリヴェイラの『アブラハム渓谷』や『フランシスカ』、『家宝』などの原作者でもあったから、恩師へのオマージュも含めていたかもしれません。『シビラ』はマリアが死去した1954年に刊行されたばかりの小説でした。
B: 1923年、ルーカス弁護士のお蔭で自由の身になったマヌエル・クラロとマリアはポルトに移り住み、彼女の死まで一緒に暮らしたが結婚はせず、二人は生涯恋人同士だった。
A: カトリック国のポルトガルで離婚ができるようになったのがいつか、もしかしたらできなかったのかもしれない。夫のアルフレドは、10年前の1944年に死去していた。
B: バローゾ監督もマリアに解放を伝えに来るクルエル民政長官役で顔を出していた。自由の身になってからの彼女の人生は語られず、いきなりマリア最期の年、1954年に飛んだ。
★前回の紹介記事で、彼女がバレンシア映画祭2020で棕櫚栄誉賞を受賞したことを書きましたが、その際には本作の上映はなく、監督2作目「Aos Nossos Filhos」(19「私の息子たち」)と、イシュタル・ヤシン・グティエレスの「Dos Fridas」(18、メキシコ=コスタリカ合作、「二人のフリーダ」)でバイセクシュアルだったメキシコの画家フリーダ・カーロの晩年の看護をしたコスタリカ出身の看護師を演じた作品が上映された。独立系の映画はフェスティバルでしか上映されない、コロナ禍の時代でも「映画祭は必要」と語っていた。

(バレンシア映画祭2020に出席のマリア・デ・メデイロス)

(フリーダ役のイシュタル・ヤシンとマリア・デ・メデイロス「Dos Fridas」から)

(監督第2作目「Aos Nossos Filhos」ポスター)
ポルトガル映画 『モラル・オーダー』*ラテンビート2020 ⑧ ― 2020年11月01日 22:37
ポルトガル映画――マリオ・バローゾの第3作目『モラル・オーダー』

★『モラル・オーダー』は、東京国際映画祭TIFF「TOKYOプレミア2020」部門でスクリーン上映される作品。マリオ・バローゾは1947年リスボン生れ、マノエル・ド・オリヴェイラやジョアン・セーザル・モンテイロの撮影監督として知られている。本作は20世紀初頭に実在した大新聞社の相続人マリア・アデライデ・コエーリョ・ダ・クーニャがヒロイン、ポルトガル映画ではないがフィリップ・カウフマンの『ヘンリー&ジェーン/私が愛した男と女』(90)や、クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』(94)に出演したマリア・デ・メディロスが扮する。特に後者はカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したこともあって脇役ながら注目された。ポルトガル語のほか幼少期をウィーンで過ごしたことからドイツ語、更にフランス語、英語、スペイン語、イタリア語と6ヵ国語を駆使して120本もの映画に出演、活躍の舞台は広い。フィルモグラフィーについては後述します。

『モラル・オーダー』(「Ordem Moral」)
製作:APM-Ana Pinhão Moura Produções / Alfama Films / Leopardo Films
監督・撮影:マリオ・バローゾ
脚本:カルロス・サボーガ
音楽:マリオ・ラジーニャ
編集:パウロ・MilHomens
美術:パウラ・Szabo
衣装デザイン:Rucha d’Orey
プロダクション・マネージメント:フィリペ・フェレイラ
製作者:パウロ・ブランコ、(エグゼクティブ)Ana Pinhão Mouraアナ・ピニャン・モウラ?
データ:製作国ポルトガル、ポルトガル語、2020年、実話、101分、撮影地リスボン、公開ポルトガル9月9日、フランス9月30日、スペイン10月
映画祭・受賞歴:バレンシア映画祭2020(10月)、サンパウロ映画祭(10月22日)、東京国際映画祭(11月)、ラテンビート(オンライン上映11月)
キャスト:マリア・デ・メディロス(マリア・アデライデ・コエーリョ・ダ・クーニャ)、マルセロ・ウルジェージェ(アルフレド・ダ・クーニャ)、ジョアン・ペドロ・マメーデ(マヌエル・クラロ)、ジョアン・アライス(ジョゼ・エドゥアルド)、アルバノ・ジェロニモ、他多数
ストーリー:1918年11月13日、日刊紙「ディアリオ・デ・ノティシアス」の相続人マリア・アデライデは、何の前触れもなく22歳年下の家族お抱えの運転手マヌエル・クラロと姿を消す。マヌエルの生れ故郷に隠れ住んでいたが、間もなく夫アルフレドによって探し出される。第一次世界大戦後の混乱期、愛を貫徹するために精神病院に入れられても闘い続け信念を貫き通した女性の物語。大スキャンダル事件として歴史に残る。
★ポルトガル社交界の一大スキャンダルだったこの失踪事件は、かなり詳細な史実が書き残されている。しかしどれくらいお化粧直しされて映画化されているかは、実際に鑑賞してみないと分からない。これは愛ゆえの単なる駆け落ち事件ではなく、当時のポルトガルで女性がおかれていた社会的地位の低さを糾弾した勇気ある女性の物語です。続きは鑑賞後に回したい。下の写真は実際の登場人物。

(左から、一人息子ジョゼ、マリア・アデライデ、夫アルフレド・ダ・クーニャ)

(マリア・アデライデの恋人マヌエル・クラロ)
マノエル・ド・オリヴェイラとの初仕事は俳優でした
★マリオ・バローゾMário Barroso は、1947年リスボン生れ、監督、脚本家、撮影監督、俳優。バローゾの他、バーローゾ、バロッソなどに表記されるため解説書によってはマリオ・バロッソの表記もある。1968年ベルギーで舞台演出、1973年からパリの映画高等学院IDHECで演出と撮影技術を学び、1967年ポルトガルに帰国した。当時のポルトガルはカーネーション革命(1974年4月)と称される無血革命後の混乱期であったが、48年間に及ぶ独裁体制が倒れて民主主義に移行した新しい時代だった。もっぱらTVドラマの撮影を担当している。TVドラマの監督デビューは2000年、長編映画デビューは2004年の「O Milagre segundo Salomé」(ポルトガルのゴールデングローブ賞2005ノミネート)だった。2008年に撮った第2作目「Um Amor de Perdição」では、同ゴールデングローブ賞2010作品賞を受賞した。第3作目が本作である。4作手掛けているTVドラマでは撮影は担当していないが、映画は3作とも撮影を兼ねている。現在はIDHECで後進の指導にも当たっている。

(ポルトガル・ゴールデングローブ賞2010受賞の第2作)

(最近のマリオ・バローゾ監督)
★マノエル・ド・オリヴェイラ(ポルト1908~2015)の作品に出演していた女優マリア・バローゾが叔母ということで、早くから監督とは面識があった。撮影監督を希望していたが、初仕事は『フランシスカ』(81)に俳優として起用された。それは登場人物の19世紀ロマン派の大作家カミーロ・カステーロ・ブランコに顔が似ていたからだそうです。撮影監督としてオリヴェイラ作品には合計6作を手掛けています。俳優としては作家の晩年を描いた第3作目『絶望の日』(92)と、2014年の短編「O Velho do Restelo」に同じカミロ役で出演しています。以下にオリヴェイラ作品を羅列しておきますが、本格的な監督デビューが遅いと言っても、普通なら引退していてもおかしくない年齢の1992年から95年まで、毎年1作ずつ送り出していたオリヴェイラの執念に圧倒されます。

(カミーロ・カステーロ・ブランコを演じた『絶望の日』から)

(撮影監督マリオ・バローゾ)
*マノエル・ド・オリヴェイラ作品*
1981年『フランシスカ』俳優、1993年ポルトガル映画祭上映
1986年『私の場合』初撮影監督、未公開
1988年『カニバイシュ』撮影監督第2作目、1993年ポルトガル映画祭上映
1992年『絶望の日』撮影監督第3作目、俳優、未公開
1993年『アブラハム渓谷』撮影監督第4作目、語り手、1994年公開
1994年『階段通りの人々』撮影監督第5作目、俳優、1995年公開
1995年『メフィストの誘い』撮影監督第6作目、1996年公開
★第4作目の『アブラハム渓谷』はカンヌ映画祭併催の「監督週間」に出品され審査員特別賞を受賞した作品。本作ではナレーターにも起用されている。バローゾによると「子供のころ詩の朗読をしたおかげで一語一語はっきり発音する訓練をしたから」オリヴェイラが気に入ったのではないかと語っている。オリヴェイラは厳しい人だったが寛容な人で、信条の人、理念の人でもあったとも語っている。

(話題作『アブラハム渓谷』から主演のレオノール・シルヴェイラ)
ジョアン・セーザル・モンテイロの撮影監督時代
★オリヴェイラ作品の以後タッグを組んだのがジョアン・セーザル・モンテイロ(コインブラ県フィゲイラ・ダ・フォス1939~リスボン2003)で、モンテイロの「ジョアン・デ・ゼウス」三部作、シリーズの第2作目『神の喜劇』と3作目『神の結婚』を手掛けている。このシリーズでは監督自身がポルトガル生れの聖人ジョアン・デ・ゼウスを演じている。モンテイロは2003年2月3日癌に倒れたから、結果的には彼の晩年の作品すべてを手掛けたことになる。マリオ・バローゾはポルトガルでも実に個性的な二人の監督とタッグを組んだことになる。それはショットとかフレーミングのとり方、または照明などに強く影響をうけていることが分かる。

(ジョアン・セーザル・モンテイロ、『神の喜劇 / ジェラートの天国』から)
*ジョアン・セーザル・モンテイロ作品*
1995年『神の喜劇』撮影監督、「ジョアン・デ・ゼウス」シリーズ第2作目。
ベネチア映画祭出品、シネフィル・イマジカで『ジェラートの天国』の邦題で放映
1997年『J.W.の腰つき』撮影監督、ポルトガル映画講座1999上映
1999年『神の結婚』撮影監督、「ジョアン・デ・ゼウス」シリーズ第3作目。
カンヌ映画祭「ある視点」出品、ポルトガル映画祭2000上映
2000年『白雪姫』撮影監督、ベネチア映画祭出品、未公開
2003年「Vai e Vem 」(行ったり来たり)遺作、撮影監督、カンヌ映画祭出品
★製作者のパウロ・ブランコ(リスボン1950)は、1981年の『フランシスカ』からオリヴェイラの長編をプロデュースしており、バローズとは彼の長編第1作、2作に続いて今回も担当した。第1作「O Milagre segundo Salomé」では、バローゾ自身は監督賞を逃したが、ブランコがポルトガル・ゴールデン・グローブ作品賞を受賞した。エグゼクティブ・プロデューサーのAna Pinhão Mouraは、第1作ではライン・プロデューサーとして参画している。
★脚本家のカルロス・サボーガは、1936年モンテイロと同郷のコインブラ県フィゲイラ・ダ・フォス生れの監督、脚本家。国内外の受賞を多数手にしたラウル・ルイスの『ミステリーズ 運命のリスボン』(10、仏=ポルトガル)、チリ出身の監督バレリア・サルミエントの『ナポレオンに勝ち続けた男~皇帝と公爵』(12、DVDタイトル)、両作ともパウロ・ブランコが製作、サルミエントは前者で編集を手掛けている。監督自身も73歳と決して若いといえないが、スタッフ陣ではベテランに支えられていることが分かる。
ファシズムの復活は一種の国際的な錯乱――マリア・デ・メディロス
★キャスト紹介:マリア・デ・メディロスは、1965年リスボン生れ、監督、脚本家、女優(LB公式サイトに合わせてりますが、Medeiros はメデイロスではないかと思います)。フランスで演技を学ぶ。映画デビューは1981年ジョアン・セーザル・モンテイロの「Silvestre」、主役シルビア/シルヴェストレに抜擢された。当時15歳だったから既に40年のキャリアがある。今でもポルトガル映画が公開されることは稀なことだが、当時はより珍しいことだった。彼女の公開作品の多くがフランス映画ということもあってフランス女優と思われている。上述したように6ヵ国語に精通していることから海外からのオファーが顕著です。公式サイトにあるようにフィリップ・カウフマンの『ヘンリー&ジェーン 私が愛した男と女』のアナイス・ニン役、クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』のファビアン役は、彼女の紹介文では必ず引用される映画です。

(ヘンリー・ミラー夫人ジェーン役のユマ・サーマンとマリア、『ヘンリー&ジェーン』から)
★フィルモグラフィー紹介:120本以上になるので、公開、または映画祭上映になった作品に絞って列挙しておきます。必ずしも代表作品ではありません。
*監督名、製作国、主要言語を補足しました。
1990年『ヘンリー&ジェーン 私が愛した男と女』(アメリカ)フィリップ・カウフマン、英語
1991年『神曲』(ポルトガル)マノエル・ド・オリヴェイラ、ポルトガル語
ポルトガル映画祭1993上映
1993年『ゴールデン・ボールズ』(スペイン)ビガス・ルナ、西語
1994年『パルプ・フィクション』(アメリカ)クエンティン・タランティーノ、英語
1996年『私家版』(フランス)ベルナール・ラップ、仏語
2002年『死ぬまでにしたい10のこと』(スペイン=カナダ)イサベル・コイシェ、英語
2003年『ぼくセザール 10歳半1m39cm』(フランス)リシャール・ベリ、仏語
2007年『あたたかな場所』(フランス=イタリア)マルコ・S・プッチオーニ、伊語
大阪ヨーロッパ映画祭2007、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭2008上映
2011年『チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢』(フランス=ドイツ=ベルギー)
マルジャン・サトラピ&バンサン・パロノー、仏語
2017年『荒野の殺し屋』(ブラジル)マルセロ・ガルヴァオン、ポルトガル語、Netflix配信中
2020年『モラル・オーダー』省略

(マリアとマチュー・アマルリック、『チキンとプラム~』から)

(『モラル・オーダー』から)
★第51回ベネチア映画祭1994の最優秀女優賞ボルピ杯をテレサ・ビリャベルデの「Tres Irmãos」(ポルトガル=フランス=ドイツ合作、ポルトガル語・スペイン語)で受賞している。バレンシア映画祭2020で棕櫚栄誉賞を受賞したばかりです。当映画祭でのインタビューでは、「ファシズムの復活は一種の国際的な錯乱、映画をつくるのは闘いです」と語っている。クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』で監督に同行してカンヌ入りしたときの逸話、監督作品「Aos Nossos Filhos」(19)などは鑑賞後にアップしたい。

(バレンシア映画祭2020にて)
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