サウラの伝記ドキュメンタリー "Saura(s)" *フェリックス・ビスカレト2017年11月11日 14:44

 

               「パパは85歳」になりました!

 

    

★今年のラテンビートでは、カルロス・サウラの新作J:ビヨンド・フラメンコ』が上映されました。「ホタJota」というアラゴン起源の民俗舞踊と音楽をテーマにしたドキュメンタリー。現在ではリオハやナバラなどでも演奏され、歌、アコーディオン、ガイタ(ガリシアのバグパイプ)、リュート、バンドゥーリアというギターに似た楽器で演奏されます。サウラの生れ故郷ウエスカはアラゴン州の県都です。個人的には初期の『狩り』(65)や1960年代末から1970年代に撮られた作品群の強烈な印象がわざわいして、いわゆるフラメンコ物やタンゴ、ファド、ソンダの音楽舞踊がメインの作品には飽きがきています。

 

70年代の作品群の中には、『アナと狼たち』(72)、『従姉アンヘリカ』(73)、『カラスの飼育』(75公開)、『愛しのエリサ』(77)、『ママは百歳』(79)、『急げ、急げ』(81)など大体はジェラルディン・チャップリンがサウラの「ミューズ」であった時代の映画(9作ある)、または製作者エリアス・ケレヘタとタッグを組んでいた時代の映画です。公開されたのは『カラスの飼育』のみ、それも12年後の1987年、他はミニ映画祭上映でした。日本公開作品が如何にフラメンコ物に偏っているかが分かります。ラテンビートで即日完売となった『フラメンコ・フラメンコ』(10)は、本国の映画館では閑古鳥が鳴いていたのでした。

 

    

  (母子を演じたジェラルディン・チャップリンとアナ・トレント、『カラスの飼育』から)

 

★前置きが長くなりましたが、ご紹介したいのはフェリックス・ビスカレトのサウラの伝記ドキュメンタリー Saura(s)1785分)です。1932年生れのサウラは今年85歳になりました。だからではないと思いますが、父親サウラとそれぞれ世代の異なる子供7人と会話を通して対峙させてドキュメンタリーを撮ろうという企画が持ち上がり、7人からは承諾をもらえた。しかし肝心の父親は過去については当然乗り気でない。過去のことなど重要じゃない、これからが大切だというわけでしょう。

 

★しかし監督は企画に固執する。サウラは描写に拘る。監督は屈服しない。サウラも降参しない。両人とも相譲らなかった。そういう性格のドキュメンタリーのようです。逃げきろうとする老監督の核心にどこまで迫れたか、惚れっぽい女性行脚への匙加減、市民戦争がトラウマになっている先輩の数々の仕事、留守がちだった父親に対する子供たちの言い分、どこまで過不足なく描き切れたかどうかが決め手でしょうか。サウラに限らず過去の自作など恥ずかしくて一切見ない監督は結構おりますね。

 

      

     (撮影中の左から、次男アントニオ・サウラ、監督、カルロス・サウラ)

 

★本作はサンセバスチャン映画祭「サバルテギ部門」で上映後、113日にスペインで公開されました。鑑賞後の批評には、個人的な部分への立ち入り禁止と同時に、過去の作品の分析回避が顕著だとありました。7人の子供たちといっても第1子カルロスは1958年生れ、末子アンナは1994年生れと親子ほども開きがあります。母親も4人なのでキャスト欄には母親の名前も入れておきました。出典はスペイン語ウイキペディアによりました。日本語版と異なるのは、最初のアデラ・メドラノとは正式に結婚せず(しかしサウラを名乗る)、ジェラルディン・チャップリンと同じパートナーとなっている点です。IMDbには7人のうちシェイン・チャップリンはアップされておりません。

 

主なキャスト

カルロス・サウラ(1932ウエスカ)

エウラリア・ラモン2006結婚~現在、女優、4人目)

カルロス・サウラ・メドラノ(1958、製作者、助監督、母親アデラ・メドラノ1人目)

アントニオ・サウラ・メドラノ(1960、製作者、同上)

シェイン・チャップリン(1974、心理学者、母親ジェラルディン・チャップリン2人目)

マヌエル・サウラ・メルセデス(1981、母親メスセデス・ぺレス1982結婚~離婚、3人目)

アドリアン・サウラ(1984、同上)

ディエゴ・サウラ(1987、撮影監督、同上)

アンナ・サウラ・ラモン1994、女優、母親エウラリア・ラモン)

 

★映画界で仕事をしている子供は、父親の作品にそれぞれ参画しています。ジェラルディン・チャップリンとは、デヴィッド・リーンが『ドクトル・ジバゴ』(65)を撮影費が安く上がるスペインで撮影中、撮影風景を見学に行ったサウラと知り合った。意気投合した二人は以後1979年にパートナー関係を解消した。多分『ママは百歳』が最後の出演映画と思います。1974年には1子を出産したが籍は入れなかった。1979年、チリの撮影監督パトリシオ・カスティーリョと結婚、1986年に高齢出産で生まれたのが女優ウーナ・チャップリンである。前回アップしたセビーリャ映画祭のオープニング作品 Tierra firme のため母子で赤絨毯を踏んだ。シェインとウーナは異父兄妹になる。

 

★メルセデス・ぺレス(1960年生れ)とは、1978年ごろから関係をもち、最初のマヌエル誕生後の1982年に結婚している。女優エウラリア・ラモンとは、1990年代の自作起用(『パハリコ』『ボルドゥのゴヤ』)が機縁、正式には2006年再婚して現在に至っている。

 

     

      (娘アンナ、サウラ監督、妻エウラリア、ゴヤ賞2012ガラに3人揃って登場)

 

★海千山千の老獪な監督のガードは固かったと想像できますが、サウラ像の核心に迫れたかどうか。来年1月下旬、デヴィッド・リンチ(1946)を主人公にしたドキュメンタリー『デヴィッド・リンチ:アートライフ』が公開されます。リンチの「アタマの中」を覗ける、かなり刺激的なドキュメンタリーのようです。今年のカンヌ映画祭で特別上映された『ツイン・ピークス The Return』で観客を驚かせたリンチ、こちらは本人が謎解きをしてくれるとか。切り口は違うが、二人の監督自身がドキュメンタリーの被写体になったのは偶然か。偶然といえば、リンチも4婚している。

 

    

          (サウラと監督、サンセバスチャン映画祭2017にて)

 

フェリックス・ビスカレトFelix Viscarretは、1975年パンプローナ生れ、監督、脚本家、製作者。短編 Soñadores99)、El álbum blanco05)など発表、国内外の短編映画祭で好評を博し受賞歴多数。2007Bajo las estrellas で長編デビュー、批評家、観客両方から受け入れられ、マラガ映画祭「銀のビスナガ」監督賞・新人脚本賞、ゴヤ賞2008では脚色賞、主演のアルベルト・サン・フアンが主演男優賞を受賞、その他受賞歴多数。

 

  

                 (デビュー作 Bajo las estrellas ポスター)

 

★その後、TVミニシリーズで活躍、最近ではサンセバスチャン映画祭2016で、キューバとの合作映画TVミニシリーズ Cuatro estaciones en La HabanaFour Seasons in Havana)と Vientos de La Habana が上映された。日本でもファンの多いレオナルド・パドゥラの「マリオ・コンデ警部補シリーズ」のスリラーもの。Cuatro estaciones en La Habana は、ハバナの春夏秋冬が描かれ、それぞれ約90分のドラマ、そのうちコンデ警部補役ホルヘ・ぺルゴリア以下常連のカルロス・エンリケ・アルミランテほか、フアナ・アコスタ、マリアム・エルナンデスが出演した Vientos de La Habana が独立して、20169月に公開された。

 

  

     (Vientos de La Habana のポスターを背に、アコスタとぺルゴリア

     

 

  (Vientos de La Habana の原作者レオナルド・パドゥラ、ビスカレト監督、  

  後列、アコスタ、ぺルゴリア、エルナンデス、サンセバスチャン映画祭2016にて

   

元気印のバルセロナの女性監督たち*カルラ・シモン、ロセル・アギラル・・・2017年07月10日 15:53

     カタルーニャに押しよせる魅惑的な新しい波―独立プロダクションの活躍

 

★どこの国にも当てはまるのが女性監督の圧倒的な少なさです。特にヨーロッパでも東欧では格差が顕著です。しかしカタルーニャではいささか様子が違うようです。というのも独立系プロダクションで映画作りをしている女性監督の活躍が目覚ましいのです。最近1か月間にカルラ・シモン1986)のVerano, 1993ロセル・アギラル1971)のBravaエレナ・マルティン1992)のJúlia ist の新作が次々に公開されることになり話題を呼んでいます。3人ともバルセロナ出身、先月末バルセロナのバルセロ・サンツ・ホテルで行われた鼎談の様子をエル・パイス紙が報じていました。この背景にはESCACで映画を学んでいる女性が40%を超えているという現実を見逃すわけにいきません。

  

  

(左から、カルラ・シモン、ロセル・アギラル、エレナ・マルティン、バルセロ・サンツにて)

 

ESCAC : Escuela Superior de Cinema i Audiovisuals de Catalunya カタルーニャ・シネマ・オーディオビジュアル高等学校。1993年バルセロナ大学の付属校としてバルセロナで設立、翌年開校した。現在は同州のタラサTarrasa(テラッサTerrassa)にあり、現校長はSergi Casamitjanaである。同校の卒業生には、当ブログでもお馴染みのフアン・アントニオ・バヨナ(『怪物はささやく』17)、キケ・マイジョ(『ザ・レイジ 果てしなき怒り』15)、マル・コル(『家族との3日間』09)、ハビエル・ルイス・カルデラレティシア・ドレラなどバルセロナ派の優れた監督を輩出している。

 

★同じバルセロナで仕事をしているが、シモンとアギラルは初顔合わせだった。それは年齢差の他に、映画を学んだ出身校の違いもありそうです。例えばシモンはバルセロナ自治大学オーディオビジュアル・コミュニケーション科を卒業後、映画はロンドン・フィルム・スクールで4年間学んでいる。アギラルがバルセロナ自治大学でジャーナリズムを学んでいるときは、ESCACはまだ設立前だった。マルティンはバルセロナのポンペウ・ファブラ大学(1990設立)を卒業、この公立大学で学ぶ女子学生数は74%に達しており、スペイン全体では51%と男子学生を逆転してしまっている。女性シネアストの活躍にはこのような裾野の広がりがあるようです。

 

      「ロンドンでの4年間が私を映画作りに駆り立てた」とカルラ・シモン

 

カルラ・シモン(バルセロナ1986)の監督、脚本家。Verano 1993(カタルーニャ語題 Estiu 1993)でデビュー、ベルリン映画祭2017ジェネレーション部門の第1回作品賞・国際審査員賞、マラガ映画祭2017では作品賞「金のビスナガ」とドゥニア・アジャソ賞を受賞した。この賞はガン闘病の末に2014年鬼籍入りしたドゥニア・アジャソ監督の功績を讃えて設けられた賞。第7回バルセロナD'Autor映画祭正式出品。他にブエノスアイレス・インディペンデント映画祭監督賞、イスタンブール映画祭審査員特別賞などを受賞している。選考母体が欧州議会の第11回ラックス賞のオフィシャル・セレクション10本にも選ばれています。プロットは紹介記事を読んでもらうとして、「両親がエイズで亡くなったため叔父さん夫婦と従妹と一緒に暮らさねばならなくなった6歳の少女の一夏の物語」です。観客にも批評家にも好感度バツグン、両方に評価されるのは、易しそうでいてなかなか難しいものです。主役の少女フリーダは監督自身に重なります。つまり監督のビオグラフィーがもとになっていて、6歳にしてはちょっとおませな少女像です。

 

       

      (養父を演じたダビ・ベルダゲルとフリーダ役のライア・アルティガス)

 

★ロンドンでの4年間が私を映画作りに駆り立てた。というのもロンドン時代に「内に抱いている、心を動かされる物語を語りたいと強く突き動かされた」からです。バルセロナに評判の高い独立プロダクションが本当に存在するかどうか具体的に答えるのは難しいが、「カタルーニャの女性監督の数がここにきて急に増えたことは確かなことです。要するにカギはこうしたいという意思表示や本当にやる気があるかどうかです。とても小さい世界ですから、お互いに刺激やエネルギーのやり取りがしやすい。ロンドンでは誰とも親しくしなかった。マル・コル監督やプロデューサーのバレリエ・デルピエレと交流し、結果彼女がプロモートしてくれた」。バレリエ・デルピエレは本作のエグゼクティブ・プロデューサーの一人です。 本作を支えてくれたスタッフの80%が女性だったことも明かしていた。  

 

        

          (ライア・アルティガスに演技指導をするシモン監督)

 

 Estiu 1993 とカルラ・シモンの紹介記事は、コチラ2017222327

 

     「マドリードよりバルセロナのほうが自由がある」とロセル・アギラル

 

ロセル・アギラル(バルセロナ1971)の監督、脚本家。Brava2017)は第2作、3人のうち一番年長のロセル・アギラルの Brava は、マラガ映画祭の記事で作品と監督のキャリアを紹介しております。新人とは言えませんが、国際的にも高い評価を受けたデビュー作 La mejor de mí 2007年と10年前になり、女性監督のおかれた地位の険しさを改めて感じさせられます。「第2作をクランクインさせるまで長くて曲がりくねった道を辿りましたが、撮りたい映画を作れるわけではありません。胎児を引っ張り出す助けをする助産婦さんのようなものです」と生みの苦しみをのぞかせた。それでも「マドリードは産業的だが、反対にバルセロナの独立プロダクションはより自由に伸び伸びと作らせてくれる」とカタルーニャのindieの柔軟さを語っていた。

 

  

         (ヒロインのライア・マルルを配したポスター)

 

★「20年前には、フェミニズムや男女平等について語ることは恥で、それは映画でさえ僅かでした。今日でも相変わらず男尊女卑が大手を振るっていますから、声を張り上げなければなりません」と。ESCAC内には「観客を置き去りにしない多くの独立プロダクションがあって、決まりきった事柄を回避する良い方法が得られます」とも。「私たちが望むのは現在の不均衡を是正して欲しいだけです。というのも私たちは男性が作るあまりに単純化された一方向性の世界観に馴らされてしまっているからです」と警鐘を鳴らしておりました。

 

 

             (ロセル・アギラル監督)

 

Brava とロセル・アギラルの紹介記事は、コチラ2017311

 

     「映画史は学ばなかった。学んだのは男性映画史だった」とエレナ・マルティン

 

エレナ・マルティン(バルセロナ1992Júlia ist2017)はデビュー作、マラガ映画祭2017ZonaZine部門の作品賞、監督賞を受賞している他、第7回バルセロナD'Autor映画祭に正式出品された。自ら主役ジュリア(フリア)を演じた自作自演のデビュー作。新世代の代表的監督の一人、映画と舞台、監督と女優と二足の草鞋を履いている。バルセロナのポンペウ・ファブラ大学UPFの学生時代に仲間4人と共同監督したLas amigas de Agata(15)でも主役のアガタに扮した。本作は「ポンペウ・ファブラ大学の最終学年に閃いた作品、公立大学のUPFにはESCACのような制作会社がないので常に資金不足、コストを下げるために、およそ持てるもの全てにについて議論し励ましあい、グループで作っている」とマルティン。彼女の仲間たちにとって「アメリカ映画、例えば『今日、キミに会えたら』(Like Crazy2011)を見ることはヒントになった。なぜなら若人たちの会話とか状況が似通っていたからです」と語っている。まだ経験不足でバルセロナの映画産業について語る立場にないが、「大学では映画史は学ばなかった。学んだのは男性映画史だった。コンペティションも男性優位、女性が作る映画は取るに足りないと遠ざけられる」とも語っている。

 

    

          (ヒロインのエレナ・マルティンを配したポスター

 

★当ブログ初登場作品、脚本はエレナ・マルティン、ポル・レバケマルタ・クルアニャスマリア・カステリビの共同執筆、撮影はポル・レバケ。キャストはエレナ・マルティン、オリオル・プイグラウラWeissmahrほか、90分、スペイン公開616日。プロット「ジュリアはバルセロナ建築大学の学生、深く考えたわけではないがベルリンにエラスムスに行こうと決心する。初めて家を離れるのも冒険なのだ。ところがベルリンでは、どんよりとして冷たい想像を超えた凍てつくような寒気という手痛い歓迎を受けてしまった。期待と現実の落差に立ち向かうことになるが、どう見ても新しい人生はバルセロナで考えていたようなものとはかけ離れ過ぎていた」。エラスムスに行くというのはEU域内を対象にした留学奨励制度を指していると思うが、あるいは世界各国に対象を広げたエラスムス・ムンドゥスかもしれない。

 

   

          (ジュリアを演じたエレナ・マルティン、映画から)

 

★意を尽くせませんでしたが鼎談のあらあらを総花的にご紹介いたしました。バルセロナはマドリードよりindie独立プロダクションで製作する監督が多く、その中にはイサキ・ラクエスタ&イサ・カンポ夫婦(La proxima piel マラガ映画祭16)、カルロス・マルケス=マルセ10.000 KMマラガ映画祭14)、マルク・クレウエトEl rey tuerto マラガ映画祭16)などもおり、当ブログでもご紹介しております。

 La proxima piel マラガ映画祭2016の紹介記事は、コチラ2016429

 10.000 KM マラガ映画祭2014の紹介記事は、コチラ2014411

 El rey tuerto マラガ映画祭2016の紹介記事は、コチラ201655

 

BAFICI第19回作品賞はアドリアン・オルの「Ninato」*ドキュメンタリー2017年05月23日 15:44

           受賞作のテーマは多様化する家族像と古典的?

 

  

★インターナショナル・コンペティションの最優秀作品賞は、アドリアン・オルOrrのデビュー作Niñato2017)、どうやら想定外の受賞のようでした。本映画祭はデビュー作から3作目ぐらいまでの監督作品が対象で、4月下旬開催ということもあって情報が限られています。今年は20本、日本からもイトウ・タケヒロ伊藤丈紘の長編第2作「Out There」(日本=台湾、日本語142分)がノミネートされ話題になっていたようです。昨年のマルセーユ映画祭やトリノ映画祭、今年のロッテルダムに続く上映でした。審査員も若手が占めるからお互いライバル同士になります。スペインが幾つも大賞を取ったので審査員を調べてみましたら、以下のような陣容でした。

 

エイミー・ニコルソン(米国監督)、アンドレア・テスタ(亜監督)、ドゥニ・コテ(カナダ監督)、ニコラスWackerbarth(独俳優・監督)、フリオ・エルナンデス・コルドン(メキシコ監督)の5人、最近話題になった若手シネアストたちでした。アルゼンチンのアンドレア・テスタは、カンヌ映画祭2016「ある視点」に夫フランシスコ・マルケスと共同監督したデビュー作「La larga noche de Francisco Sanctis」がノミネートされた監督、ニコラスWackerbarthは、間もなく劇場公開されるマーレン・アデのコメディ『ありがとう、トニ・エルドマン』に脇役として出演しています。フリオ・エルナンデス・コルドンは、米国生れですが両親はメキシコ人、彼自身もスペイン語で映画を撮っています。2015年の「Te prometo anarquía」がモレリア映画祭でゲレロ賞、審査員スペシャル・メンション、ハバナ映画祭脚本賞、他を受賞している監督です。ということでスペインの審査員はゼロでした。

A・テスタ& F・マルケス「La larga noche de Francisco Sanctis」紹介は、コチラ2016511

 

Niñatoドキュメンタリー、スペイン、2017 

製作:New Folder Studio / Adrián Orr PC

監督・脚本・撮影:アドリアン・オル

編集:アナ・パーフ(プファップ)Ana Pfaff

視覚効果:ゴンサロ・コルト

録音:エドゥアルド・カストロ

カラーグレーディングetalonaje:カジェタノ・マルティン

製作者:ウーゴ・エレーラ(エグゼクティブ)

 

データ:製作国スペイン、スペイン語、2017年、ドキュメンタリー、72分、撮影地マドリード

映画祭・受賞歴:スイスで開催されるニヨン国際ドキュメンタリー映画祭Visions du Réel2017でワールド・プレミア、「第1回監督作品」部門のイノベーション賞受賞、ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭Bafici2017「インターナショナル・コンペティション」で作品賞受賞

 

キャスト:ダビ・ランサンス(父親、綽名ニニャト)、オロ・ランサンス(末子)、ミア・ランサンス(次女)、ルナ・ランサンス(長女)

 

プロット・解説:ダビは3人の子供たちとマドリードの両親の家で暮らしている。定職はないが子育てをぬってラップ・シンガーとして収入を得ている。彼の夢は自分の音楽ができること、3人の子供たちを養育できること、自分の時間がもてて、それぞれあくびやおならも自由にできれば満足だ。重要なのは経済的な危機にあっても家族が一体化すること、粘り強さも必要だ。しかし時は待ってくれない、ダビも34歳、子供たちもどんどん大きくなり難しい年齢になってきた。特に末っ子のオロには然るべき躾と教育が必要だ。何時までも友達親子をし続けることはできない、ランサンス一家も曲がり角に来ていた。およそ伝統的な家族像とはかけ離れている、風変わりな日常が淡々と語られる。3年から4年ものあいだインターバルをとって家族に密着撮影できたのは、ダビと監督が年来の友人同士だったからだ。

 

           短編第3作「Buenos dias resistencia」の続編?

 

アドリアン・オルAdrián Orrは、マドリード生れ、監督。助監督時代が長い。ハビエル・フェセルの成功作『カミーノ』2008)、ハビエル・レボージョの話題作La mujer sin piano09、カルメン・マチ主演)、父親の娘への小児性愛という微妙なテーマを含むモンチョ・アルメンダリスのNo tengas miedo11)、劇場公開されたアルベルト・ロドリゲスの『ユニット7/麻薬取締第七班』12)と『マーシュランド』14)、フェデリコ・ベイロフのコメディEl apóstata15)などで経験を積んでいる。

 

    

★今回の受賞作は2013年に撮った同じ家族を被写体にしたドキュメンタリーBuenos dias resistencia20分)の続きともいえます。つまり何年かにわたってランサンス一家を追い続けているわけです。同作は2013年開催のロッテルダム映画祭、テネリフェ映画祭、Bafici短編部門などで上映、トルコのアダナ映画祭(Adana Film Festivali)の金賞、イタリア中部のポーポリ映画祭(Festival dei Popoli)、ポルトガルのヴィラ・ド・コンデ短編映画祭(Vila do Conde)ほかで受賞している。Bafici 2013の短編部門に出品されたことも今回の作品賞につながったのではないでしょうか。下の子供3人の写真は、短編のものです。他に短編「Las hormigas07)とDe caballeros11)の2作がある。 

 

      

(ランサンス家の3人の子供たち、中央がルナ)

 

     

                (ポーポリ映画祭でインタビューを受ける監督、201312月)

 

★タイトルになったniñatoは、若造、青二才の意味、普通は蔑視語として使われる。親がかりだから一人前とは評価されない。2013年ごろはスペインは経済危機の真っ最中、「EUの重病人」と陰口され、若者の失業率50パーセント以上、失業者など掃いて捨てるほどというご時世でした。しかし3人子持ちの父子家庭は珍しかったでしょう。少しは改善されたでしょうが、スペイン経済は道半ばです。別段エモーショナルというわけでなく、ダビが子供たちを起こし、着替えや食事をさせ、一緒に遊び、ベッドに入れるまでの日常を淡々と映しだしていく。オロがシャワーを浴びながら父親譲りのラッパーぶりを披露するのがYouTubeで見ることができます。現在予告編は多分まだのようです。 

      

               (niñatoダビ・ランサンス)

 

★純粋なドキュメンタリー映画というよりフィクション・ドキュメンタリーficdocまたはドキュメンタリー・フィクションficdocと呼ばれるジャンルに入るのではないかと思います。ドキュメンタリーもフィクションの一部と考える管理人は、ジャンルには拘らない。今カンヌで議論されているネットフリックスが拾ってくれないかと期待しています。


レトロスペクティブ賞にフェルナンド・レオン*マラガ映画祭20172017年03月18日 10:29

          レトロスペクティブ賞はフェルナンド・レオン・デ・アラノア

 

★レトロスペクティブ賞は貢献賞または栄誉賞の色合いが強い賞、直近では2014年ホセ・サクリスタン、2015年イサベル・コイシェ、昨年がグラシア・ケレヘタ、2年連続で女性監督でした。さて、今年のフェルナンド・レオン・デ・アラノアは、19685月マドリード生れの監督、脚本家、製作者。マドリード・コンプルテンセ大学情報科学部卒、テレビドラマの脚本家としてキャリアをスタートさせた。48歳と受賞者としては若いほうかもしれません。マラガ映画祭にエントリーされた映画もなく、個人的には少し意外感がありました。何かしら社会に意義を唱える作家性の強い監督だが、同時に商業映画としての目配りもおろそかにしないバランスの良さ、いわゆる社会の空気が読める柔軟性がある。

 

     

長編第1Familia1996)は、幸運にも「スペイン映画祭1998」に『ファミリア』の邦題で上映された。この映画祭のラインナップは画期的なものでアルモドバルが面白かった時期の『ライブ・フレッシュ』、失明の危機にあったリカルド・フランコの『エストレーリャ』、モンチョ・アルメンダリスの『心の秘密』など名作揃いだった。そして本映画祭で初めて知った監督がフェルナンド・レオン・デ・アラノアだった。中年の独身男(フアン・ルイス・ガリアルド)が1日だけ理想的な家族を演じる人々を募集して、対価を払って家族ごっこをする。社会制度としての永続的な家族に疑問を呈した。役者もよかったが辛口コメディとして成功した。妻役がアンパロ・ムニョス、十代の娘役になるのが本作がデビュー作となるエレナ・アナヤだった。ゴヤ賞新人監督賞受賞、バジャドリード映画祭では国際映画批評家連盟賞と観客賞を受賞した作品。写真下、和やかなのは疑似家族だから。

 

 

2作がBarrio98)は、現代のどこの都市でも起こり得るマージナルな地域バリオで暮らす3人の若者群像を描いた。サンセバスチャン映画祭監督賞、ゴヤ賞監督賞と脚本賞を受賞したほか、フォルケ賞、サン・ジョルディ賞、トゥリア賞など、スペインの主だった映画賞を受賞している。

 

3作がハビエル・バルデムを主役に迎えたLos lunes al sol02)、『月曜日にひなたぼっこ』の邦題で「バスクフィルム フェスティバル2003」で上映された。バスクと言ってもスペイン語映画で、主にバスク出身の若い監督特集映画祭の色合いが濃かった。アレックス・デ・ラ・イグレシアが『マカロニ・ウエスタン800発の銃弾』をお披露目かたがた来日した。マドリード出身のフェルナンド・レオンの映画が加わったのは異例で、それは北スペインの造船所閉鎖にともなう労働争議が舞台背景にあり、ヒホン造船所がモデルだった。撮影はヒホンと雰囲気が似通っているガリシアの港湾都市ビゴが選ばれたと言われている。ビゴはルイス・トサールの出身地でもある。ゴヤ賞監督賞を受賞したほか作品賞を含めてバルデムが主演、トサールが助演、ホセ・アンヘル・エヒドが新人と男優賞全てをさらった。さらにアカデミー賞スペイン代表作品にも選ばれるなどした(ノミネーションには至らなかった)。スペイン北部の造船所閉鎖によって失業を余儀なくされた落ちこぼれ中年男たちの群像劇。観客を憂鬱にさせないユーモアを効かせた筋運び、それでいてしっかり怒り、挫折、失望、人生の浮沈を織り込んでいる。デモシーンの実写を取り入れる画面構成もなかなか迫力があった。一番の成功作かもしれない。

 

            

                    (ルイス・トサールとハビエル・バルデム)

 

4作がカンデラ・ペーニャを起用してのPrincesas05)、本作で初めてプロデューサーとして参画、主役に初めて女性を据え、二人の女優に友人同士の娼婦を演じさせた。一人はスペインの娼婦、もう一人はドミニカから移民してきた娼婦、女性の一番古い伝統的職業である娼婦、スペインへ押し寄せる移民という問題を取り入れた。二人ともゴヤ賞主演にカンデラ・ペーニャ、新人女優賞にミカエラ・ネバレスが受賞した他、マヌ・チャオがオリジナル歌曲賞を受賞した。

 

  

         (カンデラ・ペーニャとミカエラ・ネバレス

 

ゴヤ賞に絡まなかったのは第5Amador10)だけ。第6作は英語で撮ったA Perfect Day。スペイン語題はUn dia perfectoでカンヌ映画祭2015「監督週間」で上映され、ゴヤ賞2016では脚色賞を受賞、プレゼンターだった再婚ホヤホヤのバルガス=リョサからゴヤ胸像を受け取った。本作については紹介記事をアップしています。

Un dia perfecto」の紹介記事は、コチラ2015517

 

   

      (バルガス=リョサからゴヤ胸像を手渡されて、ゴヤ賞ガラ2016年)

 

★長編ドキュメンタリーも4作あり、第3Invisibles07)はイサベル・コイシェやマリアノ・バロッソ以下5監督合作だが、ゴヤ賞2008長編ドキュメンタリー賞を受賞している。寡作ではあるがゴヤ賞との相性がよい監督である。最新ドキュメンタリーは、新党ポデモスを追ったPolitica, manual de instrucciones16)である。政治的には旗幟鮮明ということもあって評価は分かれるようですが、何はともあれスペイン映画の一つの顔であることには間違いない。運も幸いしているのかもしれませんが彼のような映画も必要だということです。

 

★コロンビアのメデジン・カルテル伝説的な麻薬王エスコバルビオピックを撮るとアナウンスして大分経ちますが、やっと201610月クランクインした。198090年代のエスコバルをハビエル・バルデム、その愛人のビルヒニア・バジェッホにペネロペ・クルス、両人とも久々のスペイン語映画になります。元ジャーナリストだったビルヒニア・バジェッホの同名回想録Amando a Pablo, odiando a Escobar2007年刊)の映画化。タイトルはズバリEscobarです。今年後半公開の予定ですが、あくまで予定は未定です。これは公開を期待していいでしょう。

 

   

            (まだ未完成だがポスターは完成している)

 

サンティアゴ・セグラ、「金のメダル」受賞のニュース2016年06月11日 18:02

         「そろそろ私にくれてもいいのじゃないかな・・・」

 

4月半ばに発表されていたスペイン映画アカデミーの金のメダル」、今年はサンティアゴ・セグラ、「スペイン映画における多方面にわたる全功績に対して」贈られる。授賞式は秋なので近くなってからと思っていましたが、第3回イベロアメリカ・プラチナ賞の総合司会者に決定したこともあり、早めにアウトラインをアップすることにしました。昨年はフアン・ディエゴとアイタナ・サンチェス=ヒホンという異例の二人受賞でした。アナウンスされるたびに、「彼(彼女)は未だ貰っていなかったのね」と驚きますが、今年も同じ感想をもちました。

 

     

    (イベロアメリカ・プラチナ賞の司会者に選ばれて、右側にあるのがトロフィー)

 

メダルの正式名は、Medalla de Oro de la Academia de las Artes y las Ciencias Cinematográficas de España と長く、通称金のメダルです。スペイン映画アカデミーが選考、受賞対象者は、製作者、監督、脚本家、俳優、音楽家、撮影者などオール・シネアスト。 1991年から始まり、第1回受賞者はフェルナンド・レイでした。内戦前のスペイン映画界に寄与した製作会社CIFESAの設立者であったビセンテ・カサノバに敬意を表して、1986年に設けられた賞が前身。最近の受賞者は、アンヘラ・モリーナ(13、女優)、マヌエル・グティエレス・アラゴン(12、監督)、ホセ・ルイス・アルカイネ(11、撮影監督)、ロサ・マリア・サルダ(10、女優)、カルメン・マウラ(09、同)、マリベル・ベルドゥ(08、同)、ほかジェラルデン・チャップリン(06)、コンチャ・ベラスコ(03)など女優の受賞者が目立っている。

2015年の「金のメダル」の記事は、コチラ⇒201581同年1120

 

サンチャゴ・セグラSantiago Segura Silva1965717日、マドリードの下町カラバンチェル生れの50歳、俳優・監督・製作者・脚本家・テレビ司会者・声優と多方面で活躍、ポルノ小説のペンネームはBeaベア、またはBeatrizベアトリス(イラストはホセ・アントニオ・カルボが描いた)、「トレンテ」と言えば彼を指す。本気でキャリアを紹介しようとすれば、二足どころか五足も六足も履いているから、そう簡単にはいかない。見た目からは窺い知れない複雑でインテリジュンスの持ち主、最近30年間のスペイン映画は、アレックス・デ・ラ・イグレシア同様彼なしには語れない。日本語ウィキペディアはスペインのシネアスト紹介としては充実しており全体像はつかめます。まずは喜びの談話から。

 

「私の最初のリアクションは驚きと責任の重さです。(発表がある度に)いつももっと他に相応しい人物がいるのじゃないかと思ったり、時には自分にくれてもいいのじゃないかと思ったり」と相変わらず冗談を飛ばしながらもホンネをポロリ。「私のキャリアも既に終盤戦に入ってきているから、多分早くやらないと間に合わなくなると思ったのかもしれない。私自身はまだ将来有望な若者と思っているけれど、気がついてみれば、愛するファンに言いたい放題をしてもう30年も経っている」。アカデミーによると、授賞の知らせを伝えると、一呼吸してから、「私に票を投じてくれたアカデミーのメンバーに感謝を申し上げたいが、実は、それだけでなく反対意見の人にも敬意を表したい」と返答したそうです。

 

★マドリードの公立中高学校サン・イシドロで学ぶ。12歳のときマドリードの蚤の市で購入した(900ペセタ)ボレックスBolexのスーパー8ミリで3分程度の短編を撮り始める。マドリードのコンプルテンセ大学では趣味が嵩じて美術を専攻、デッサンの才能をあらわした。卒業後はポルノ小説を執筆するかたわら、声優、仲間とのインディペンデント演劇、ウエイター、書籍の訪問販売などの仕事をした。1989年、わずか6000ペセタの資金で撮った8ミリの“Relatos de medianoche”が、翌年バレンシア青年シネマ・コンクールに入賞、10万ペセタを獲得した。このコンクールの審査員の一人がフェルナンド・トゥルエバだった。バレンシアのお礼にトゥルエバ宅を訪れると、35ミリで撮ることを勧められた。この幸運の出会い、トゥルエバの賞賛と助言によって今日のセグラが存在する。(トゥルエバ作品では1995年『あなたに逢いたくて』、1998年『美しき虜』に出演している。)

 

5人の仲間と協力して5本の短編を撮り、テレビ局のコンクールに応募、そのうちの“Vivan los novios”が受賞して7万ペセタを得る。最初のプロとしての短編1作目はホラー映画『エルム街の悪夢』の主人公フレディ・クルーガーのような精神病質者の物語“Evilio”(92)、第2作目は美しい女性ばかりを狙う殺人鬼の反社会的な物語“Perturbado”(93)、本作がゴヤ賞1994の短編映画賞を受賞し、国営テレビでも放映された。

 

★俳優としては、何といっても相性がいいのがアレックス・デ・ラ・イグレシア映画の常連、デビュー作『ハイルミュタンテ!電撃××作戦』(93)から、つづく『ビースト 獣の日』でゴヤ賞2016新人男優賞を受賞、いきなりスターダムにのし上がった。『ペルディータ』、『どつかれてアンダルシア』、『気狂いピエロの決闘』、『刺さった男』、女装して魔女になった『スガラムルディの魔女』など。もう一人がメキシコのギレルモ・デル・トロ監督、『ブレイド2』(02)を始めとして、『ヘルボーイ』、『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』、最新作は『パシフィック・リム』(13)でしょうか。

 

ホセ・ルイス・トレンテは時代錯誤、映画はそうじゃない

 

★長編映画デビューは、1998年から始まった「トレンテ・シリーズ」、第1作“Torrente, el brazo tonto de la ley”の監督・脚本・製作者・主役と4足の草鞋を履いた。本作の邦題は『トレンテ ハゲ!デブ!大酒飲みの女好き!超肉食系スーパーコップ』というタブー語混じりのなんともはや凄まじいもの。彼はスコセッシの『レイジング・ブル』(80)で実在のミドル級ボクサーに扮したロバート・デ・ニーロに見倣って、体重を20キロ増量して悪徳警官ホセ・ルイス・トレンテになった。デ・ニーロはアカデミー主演男優賞、セグラはゴヤ賞1999新人監督賞を受賞し、三つ目のゴヤ胸像を手にしました。 

   

        (第1作“Torrente, el brazo tonto de la ley”のジャケット)

 

★悪徳警官トレンテの人格造形は、ピーター・セラーズ演ずるパリ警察のクルーゾー警部から1981223日クーデタ、いわゆる23-Fの実行部隊を指揮した実在のアントニオ・テヘロ中佐(1996年釈放、現在故郷マラガ在住84歳)までを網羅しているといわれる。批評家と観客の乖離が甚だしい毀誉褒貶のシリーズだが、毎回興行成績は飛びぬけている。どの「トレンテ」も物議を醸したのだが、なかで『トレンテ4』が一番賑やかだった。

 

   

            (いろいろあった『トレンテ4』のポスター)

 

★「EUの重病患者」または「EU のお荷物」と世界から批判された経済破綻の時期に製作された。タイトルもそのものずばりのTorrente 4 : Lethal Crisisでした。2011年のスペイン国内での観客動員数264万人、興行成績1957万ユーロを叩き出し、「スペイン映画界の救世主」とまでいわれた。しかし翌年のゴヤ賞のノミネーションはゼロ、たちまちネット上では不満や非難のつぶやきが始まり、220日のガラで頂点に達した。セグラ自身が舞台上で、映画初出演ながら真剣に映画に取り組んだ歌手キコ・リベラを軽視した映画アカデミーを挑発したからです。キコ・リベラは闘牛士パキーリことフランシスコ・リベラとコプラ歌手イサベル・パントーハの息子。パキーリを継いだパキリンが渾名、彼自身は「やあ皆さん、ありがとう、少し気落ちしているだけで怒っていないよ。(テレビの)授賞式は見なかった」とツイートした。

 

          

             (サンティアゴ・セグラとキコ・リベラ)

 

★「4」はラテンビート2011『トレンテ4として上映された。この年は『私が、生きる肌』、『ブラック・ブレッド』、『気狂いピエロの決闘』、『ザ・ウォーター・ウォー』、アニメ『チコとリタ』など充実のラインナップでした。第5作目Torrente 5 : Operación Eurovegasには、ハリウッドスター、アレック・ボールドウィンが出演して話題をまいた。現在2017年公開予定の6作目が進行中(タイトルは未定)、その度に体重の20キロ増減を繰り返している(笑)。トレンテについては別項を設けたほうがいいかもしれないが、彼が出演した他の映画にも触れないと。

 

  

         (「トレンテ5出演の アレック・ボールドウィンと監督)


引退していなかったモンチョ・アルメンダリス*新作を準備中2016年04月02日 16:09

         『心の秘密』からかれこれ20年になる!

 

★引退の噂もちらほら届いていましたが、新作のニュースが飛び込んできました。No tengas miedoを最後に沈黙していた監督、まだ全体像は見えてきませんが、とにかく引退説はデマでした。デビュー作『タシオ』から数えて長編映画は30年間に8作と寡作ですが、『心の秘密』などの映画祭上映により結構知名度はあるほうじゃないかと思います。当時8歳だったハビ役のアンドニ・エルブルも立派な大人になっているはずです。彼の印象深い眼差しが成功の一つだったことは疑いなく、子供ながらゴヤ賞1998では新人男優賞を受賞しました。しかしその後アルメンダリスのSilencio roto、短編やTVにちょっと出演しただけで俳優の道は選ばなかったようです。

 

   

       (左から、アンドニ・エルブル、親友のイニゴ・ガルセス 『心の秘密』から)

 

モンチョ・アルメンダリスは、19491月、ナバラ県のペラルタ生れ、監督、脚本家、製作者。6歳のときパンプローナに転居、パンプローナとバルセロナで電子工学を学び、パンプローナ理工科研究所で教鞭をとるかたわら短編映画製作に熱中する。バスク独立活動家の殺害に抗議して逮捕、収監されたがフランコの死去に伴う恩赦で出所する。1974年短編デビュー作Danza de lo graciosoが、1979年ビルバオのドキュメンタリーと短編映画コンクールで受賞、文化省の「特別賞」も受賞した。1981年ドキュメンタリーIkuska 11などを撮る。検閲から解放され戸惑っていたスペイン映画界も民主主義移行期を経てやっと新しい時代に入っていった。

 

1998年、『心の秘密』の成功により、1980年から始まった映画国民賞を受賞、2011年ヒホン映画祭の栄誉賞に当たるナチョ・マルティネス賞2015年にはナバラに貢献した人に与えられるフランシスコ・デ・ハビエル賞を受賞したばかりである。2009年に始まった賞でナバラの守護聖人サン・フランシスコ・デ・ハビエルからとられ、受賞者の職業は問わない。

 

1984年、長編映画デビュー作『タシオ』は、ナバラの最後の炭焼き職人と言われるアナスタシオ・オチョアの物語、年齢の異なる3人の俳優が演じた。プロデューサーにエリアス・ケレヘタ、撮影監督にホセ・ルイス・アルカイネを迎える幸運に恵まれた。この大物プロデューサーの目に止まったことが幸いした。引き続き1986年にケレヘタと脚本を共同執筆した27時間』がサンセバスチャン映画祭1986銀貝監督賞に輝き、製作者ケレヘタはゴヤ賞1987で作品賞にノミネートされた。アントニオ・バンデラスやマリベル・ベルドゥが出演している。撮影監督に“Ikuska 11”でタッグを組んだ、北スペインの光と影を撮らせたら彼の右に出る者がないと言われたハビエル・アギレサロベが参加した。自然光を尊重する彼の撮影技法は大成功を収めた『心の秘密』や「オババ」に繋がっていく。

 

         

        (炭焼きをするタシオ・オチョア、『タシオ』のシーンから)

 

ケレヘタは同じテーマでカルロス・サウラの『急げ、急げ』(1980)を製作するなどドラッグに溺れる若者の生態に興味をもっていた。翌年のベルリン映画祭「金熊賞」受賞作ですが、その後主人公に起用した若者たちが撮影中もドラッグに溺れていた事実が発覚、サウラもケレヘタも社会のバッシングに晒され、それが二人の訣別の理由の一つとされた。1980年を前後して社会のアウトサイダーをメインにした犯罪映画「シネ・キンキ」(cine quinqui)というジャンルが形成されるなど、数多くの監督が同じテーマに挑戦した時代でした。

 

     

          (最近のモンチョ・アルメンダリス、マドリードにて)

 

40代から白髪のほうが多かった監督、髪型も変えない主義らしく、その飾らない風貌は小さな相手を威圧しない。ゆっくり観察しながら育てていくのアルメンダリス流、そうして完成させたのが『心の秘密』1997)でした。脇陣はカルメロ・ゴメス、チャロ・ロペス、シルビア・ムントなど〈北〉を知るベテランが固めた。なかでチャロ・ロペスは本作でゴヤ助演女優賞を受賞したが、カルメロ・ゴメスもイマノル・ウリベの『時間切れの愛』(1994)で主演男優賞、シルビア・ムントはフアンマ・バホ・ウジョアの長編デビュー作“Alas de mariposa”(「蝶の羽」)で主演女優賞を既に受賞していた。現在はそれぞれ舞台や監督業などにシフトしている。以下は、短編及びドキュメンタリーを除いた長編映画リスト。

 

長編フィルモグラフィー

11984Tasio”(邦題『タシオ』)監督・脚本

1985フォトグラマス・デ・プラタ賞受賞、シカゴ映画祭1984上映作品

19859月に「スタジオ200」で開催された「映像講座 スペイン新作映画」上映作品

 

2198627 horas”(邦題27時間』)監督・共同脚本(エリアス・ケレヘタ)

サンセバスチャン映画祭1986監督銀貝賞受賞作品

1989年に東京で開催された「第2回スペイン映画祭」上映作品

美しい港町サンセバスチャン、ホン(マルチェロ・ルビオ)とマイテ(マリベル・ベルドゥ)は恋人同士、同じ学校に通っているが二人ともヘロイン中毒で殆ど出席していない。漁師の父親の手伝いをしているパチ(ホン・サン・セバスティアン)には二人が理解できないが友達だ。ある日三人はイカ釣りに出かけるが船酔いでマイテが意識を失くしてしまう。マイテが死ぬまでの若者たちの27時間が描かれる。他にヤクの売人にアントニオ・バンデラスが扮している。

 

     

        (イカ釣りに出掛けたマイテ、ホン、パチ、『27時間』から)

 

31990Las cartas de Alou”(「アロウの手紙」)監督・脚本

サンセバスチャン映画祭1990作品賞(金貝賞)・OCIC受賞。ゴヤ賞1991オリジナル脚本賞受賞、監督賞ノミネーション。シネマ・ライターズ・サークル賞1992作品賞受賞

スペインに違法に移民してきた若いセネガル人アロウが、異なった文化や差別について故郷の両親に書き送った手紙。80年代から90年代にかけて顔を持たない無名のアフリカ人が豊かさを求めてスペインに押し寄せた。この不法移民問題は社会的な大きなテーマだった。

 

41994Historias del Kronen”(「クロネン物語」)監督・脚色

カンヌ映画祭1995コンペティション正式出品。ゴヤ賞1996脚色賞受賞(共同)、シネマ・ライターズ・サークル賞1996脚色賞受賞(共同)

*ホセ・アンヘル・マニャスの同名小説の映画化。何不自由なく気ままに暮らす大学生のセックスやドラッグに溺れる生態を赤裸々に描いた。クロネンは溜まり場のバルの名前。主役のカルロスにフアン・ディエゴ・ボット(ゴヤ賞新人男優賞ノミネーション)、その姉にカジェタナ・ギジェン・クエルボ、バル「クロネン」で知り合った友人にジョルディ・モリャ、チョイ役だったがエドゥアルド・ノリエガが本作で長編映画デビューを果たした。

 

           

              (“Historias del Kronen”から)

 

51997Secretos del corazón”(邦題『心の秘密』

1997年ベルリン映画祭ヨーロッパ最優秀映画賞「嘆きの天使」賞受賞ほか、アカデミー賞外国語映画賞スペイン代表作品に選ばれたが、翌年のゴヤ賞では監督賞・脚本賞はノミネーションに終わった。

19983月シネ・ヴィヴァン・六本木で開催された「スペイン映画祭‘98」上映作品

 

62001Silencio roto”(「破られた沈黙」)監督・脚本

トゥールーズ映画祭2001学生審査員賞スペシャル・メンション受賞。ナント・スペイン映画祭2002ジュール・ヴェルヌ賞受賞。他

1944年冬、21歳のルシア(ルシア・ヒメネス)は故郷の山間の村に戻ってくる。若い鍛冶職人マヌエル(フアン・ディエゴ・ボット)と再会するが、彼はフランコ体制に反対するレジスタンスのゲリラ兵「マキmaquis」を助けていたため追われて山中に身を隠す。監督の父親が農業のかたわら蹄鉄工でもあったことが背景にあるようです。“Historias del Kronen”で主役を演じたフアン・ディエゴ・ボットを再び起用、他に彼の姉マリア・ボットや、アルメンダリスお気に入りのベテラン女優メルセデス・サンピエトロが共演している。本作でシネマ・ライターズ・サークル賞2002の助演女優賞を受賞した。

 

      

           (再会したルシアとフアン、“Silencio roto”から)

 

72005Obaba”(「オババ」)監督・脚色(原作者との共同執筆)

サンセバスチャン映画祭2005コンペティション正式出品、ゴヤ賞2006では作品賞を含む10部門にノミネーションされたが録音賞1個にとどまった。

*ベルナルド・アチャガ1988年にバスク語で発表した短編集『オババコアック』(翻訳書タイトル)の幾つかを再構成して映画化。映画は作家自らが翻訳したスペイン語版が使用された。女教師役のピラール・ロペス・デ・アジャラがACE2006の最優秀女優賞を受賞、彼女はゴヤ賞助演女優賞にもノミネートされている。現在公開中のカルロス・ベルムトの『マジカル・ガール』のヒロイン、バルバラ・レニーも新人女優賞にノミネートされた。

 

         

          (ピラール・ロペス・デ・アジャラ、“Obaba”から)

 

82011No tengas miedo”(「怖がらないで」)監督・脚本(ストリーはマリア・L・ガルガレリャと共作)

カルロヴィ・ヴァリ映画祭2011コンペティション正式出品、シネマ・ライターズ・サークル賞2012作品賞・監督賞ノミネーション

父親の娘に対する児童性的虐待がテーマ。父親にリュイス・オマール、娘シルビアには年齢(7歳、14歳、成人)ごとに3人に演じさせた。離婚して別の家庭をもった母親(ベレン・ルエダ)にも信じてもらえず、トラウマを抱えたまま成人したシルビアにミシェル・ジェンナーが扮した。この難しい役柄でシネマ・ライターズ・サークル賞2012とサン・ジョルディ賞2012女優賞を受賞した。ゴヤ賞2012でも新人女優賞にノミネートされるなど彼女の代表作となっている。間もなくスペイン公開となるアルモドバルの新作“Julieta”にも出演している。

 

 

(左から、ベレン・ルエダ、ヌリア・ガゴ、監督、ミシェル・ジェンナー、リュイス・オマール)

 

○以上が長編映画8本のアウトラインです。受賞歴はアルメンダリス監督のみに限りました。 

   

準備中の新作のテーマは霧のなか?

 

★監督の家族は〈赤い屋根瓦の家〉として知られていた精神科病院の前に住んでいた。モンチョが両親に「映画の道に進みたい」と打ち明けると、「息子をこの〈赤い屋根瓦の家〉に監禁しなくちゃ」と母親は考えたそうです(納得)。何しろパンプローナ理工科研究所の教師の職にあり安定した生活をしていたから、映画監督などとんでも発奮でした。37歳の長編デビューは当時としては遅咲きでした。『27時間』や“Historias del Kronen”のような若者群像をテーマにしたのは、かつて自分が教えていた若い世代にのしかかる危機が気にかかっていたからのようです。

 

DAMADerechos de Autor Medios Audiovisuales 視聴覚著作権)、SGAESociedad General de Autores y Editores 著作者と出版社の全体を総括する協会)の仕事に携わりながら教鞭をとっている。教えることが好きなのでしょう。引退したわけではなく常に映画のことを模索している。フアン・ディエゴ・ボットによると、二つほど企画中のプロジェクトがおじゃんになってしまったが、現在取り憑かれているテーマがあるそうです。

 

★「今どうしていると訊かれれば、映画のことを考えている」と答えている。「それは居心地よくワクワクするから。山ほど難問があるけれど、オプティミストになろうと努めている。人間的な善良さについての立派な映画や小説はあるけれども、私は自分たちが抱えている悩みや困難について語りたいと考えています」と監督。結局、長編第9作となる新作のテーマは明かされず、あれこれ類推するしかないようですが、フアン・ディエゴ・ボットを起用するのかもしれない。


『アマンテス/ 愛人』 のビセンテ・アランダ逝く2015年06月06日 23:01

 

   パションを介して愛と性と死を描いて社会のタブーに挑んだ

 

★アランダが死んでしまった。訃報は気が重くて書きたくないが、ガルシア・ベルランガの次くらいに好きな監督だった。二人の共通点は、フランコ時代に思いっきり検閲を受けたことぐらいか。もう1週間以上も経つのに「もう新作は見られない」と拘っている。大分前から映画は撮っていなかったのに不思議な気がする(2009年の“Luna caliente”が遺作)。デビュー作“Brillante porvenir”(1964)が38歳と同世代の監督に比して遅かったので、88歳になっていたなんて驚いてしまった。改めてフィルモグラフィーを調べたら27作もあり、フィルムで撮っていたことを考慮すると寡作というほどではないかもしれない。日本で公開された映画は4作だけだが、映画祭上映やビデオ発売はセックスがらみで結構多いほうかもしれない

 


公開作品リスト、ほか

198811月公開『ファニー 紫の血の女』1984Fanny Pelopaja フィルム・ノアール

19942月公開『アマンテス / 愛人』1991Amantes”ビデオ

20043月公開『女王フアナ』2001Juana la LocaDVD

20043月公開『カルメン』2003CarmenDVD

 

映画祭上映及びビデオ発売(未公開)作品製作順

1972『鮮血の花嫁』“La novia ensangrentada”ゴシック・ホラー 原作『カーミラ』ビデオ

アイルランドのシェリダン・レ・ファニュ(181473)の怪奇小説の映画化

1977『セックス・チェンジ』“Cambio de sexo 東京国際レズ&ゲイ映画祭1999上映、ビデオ

1989『ボルテージ』“Si te dicen que caí原作フアン・マルセ、ビデオ発売1998

1993『危険な欲望』Intrusoビデオ発売2001

1994『悦楽の果て』La pasión turca 原作アントニオ・ガラ、 ビデオ発売1998

1996『リベルタリアス自由への道』Libertarias東京国際映画祭1996上映、審査員特別賞

1998『セクシャリティーズ』“La mirada del otro”原作フェルナンデス・G・デルガド、ビデオ

 

ビセンテ・アランダVicente Aranda Ezquerra  1926119日、バルセロナ生れの監督、脚本家(526日マドリードの自宅で死去)。7歳のときカメラマンだった父親が死去、家計を助けるため中学生の頃から働きはじめ、学校は義務教育止まりだった。一家がスペイン内戦で負け組共和派に与していたことも人生の出発には不利だった。経済的政治的な理由から、1949年ベネズエラで情報処理の分野で働くため生れ故郷を後にした。アメリカの総合情報システム会社、後には現在のNCRコーポレーションで中心的な役職についたが、1956年、映画の仕事への執着やみがたく帰国する。しかし学歴不足で希望していたマドリードの国立映画研究所入学を拒絶され、バルセロナに戻って独学で映画を学んだ(ベネズエラ移住期間195259年など若干の異同はありますが、英語版ウィキペディアを翻訳したと思われる日本語版があります。スペイン語版はごく簡単な作品紹介にとどめ、デビュー前の記載はありません)。

 

   「アランダはヒッチコックの足元にも及ばなかった」とフアン・マルセ

 

★デビュー作Brillante porvenirから遺作のLuna calienteにいたるまで執拗と言えるほど同じテーマ、つまりパションを介してEspaña negra≫の性愛と死の現実を風刺的でビターな語り口で明快に描き続けた。多くの作品が小説を題材に、または実際に起きた犯罪事件に着想を得て映画化されたが、そのことが物議をかもすことにもなった。フアン・マルセの小説を上記の『ボルテージ』を含めると4作撮っている。作家はどれも気に入らず、「アランダはヒッチコックじゃなかった、彼の足元にも及ばなかった」と不満をぶちまけた。監督も負けてはおらず、「マルセも所詮、ギュスターヴ・フローベールじゃなかった」と応酬した。後で仲直りしたから()、ちょっとした子供の口ゲンカなんでしょうね。

 

★しかし本気で怒った作家もいた。『悦楽の果て』の邦題でビデオが発売されたLa pasión turcaのアントニオ・ガラ、処女小説“El manuscrito carmesí”が『さらば、アルハンブラ、深紅の手稿』として翻訳書が出ている。原作を読んでいないから分からないが、原作とは凡そかけ離れているんだと思う。映画の結末には2通りあって、なんとなく作家の怒る理由が想像できる。個人的には小説と映画はそれぞれ独立した別の作品だから、映画化を許可した時点で我が子とはサヨナラするべき、だって小説の筋をなぞる映画など見たくもないからね。主演のアナ・ベレンの妖しい美しさを引き出しており、女優を輝かせるベテランであった。ビクトリア・アブリルは言うに及ばず、『セクシャリティーズ』のラウラ・モランテ『ファニー 紫の血の女』のファニー・コタンソンなどにも同じことが言える。

 

             (“La pasión turca”のアナ・ベレン)

 

★第1Brillante porvenirF・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、第2Fata Morgana65)はゴンサロ・スアレス、La muchacha de las bragas de oro80)はフアン・マルセ、Asesinato en el Comité Central82)はマヌエル・バスケス・モンタルバン、『ファニー 紫の血の女』84)はアンドルー・マルタン、Tiempo de silencio86)はヘスス・フェルナンデス・サントスなどなど。

 

★晩年のTirante el Blanco06)はジョアノ・マルトレルの Tirant lo Blanc”、『ドン・キホーテ』より先にカタルーニャ語で書かれたスペイン古典中の古典、セルバンテスが大笑いしたという騎士道物語の映画化だった。これは製作費約1400万ユーロをつぎ込んだわりに評判が悪く、しかしアランダが“Tirant lo Blanc”を撮るとこうなるんだ、という映画だった。『カタルーニャ語辞典』の著者、田沢耕氏が講演会で「この監督は何という人ですか、ひどすぎます!」とマルトレルにかわって憤慨しておられたが、小説と映画は別物なんです()。撮影にホセ・ルイス・アルカイネ、音楽にホセ・ニエト、キャストにエスター・ヌビオラビクトリア・アブリルレオノル・ワトリングイングリッド・ルビオ、などを揃えた豪華版だった。

 

       (左から、ワトリング、ヌビオラ、ルビオ “Tirante el Blanco”)

 

     『アマンテス / 愛人』のテーマは内戦後と愛の物語

 

★実際に起きた事件に着想を得て映画化された代表作が『アマンテス / 愛人』、『セックス・チェンジ』以来、アランダのミューズとなったビクトリア・アブリル、まだ初々しかったホルヘ・サンスマリベル・ベルドゥ3人が繰りひろげる愛憎劇。アランダはエロティシズムとやり切れない内戦後に拘った。その二つをテーマに選んだのが本作。舞台背景は内戦後の1955年、しかし主要テーマは性と愛と死、だから今日でも起こりうる物語といえる。

 

        (アランダとアブリル、『アマンテス / 愛人』撮影のころ)

 

★この作品はゴヤ賞1992の作品賞と監督賞を受賞している。他にノミネートこそあれ受賞はこれだけ。アカデミー会員はマドリードに多いから、どうしてもバルセロナ派は不利になる。またベルリン映画祭1991でアブリルが主演女優賞を受賞、アランダの名前を国際的にも高めた作品といえる。最後の雪が舞うブルゴスのカテドラルを前にしたサンスとベルドゥのシーンは忘れ難い。ろくでもない不実な男に一途な愛を捧げる娘のひたむきさ、二人のクローズアップからロングショットへの切り替えの巧みさなど名場面の連続だった。

         (ベルドゥとサンス、『アマンテス / 愛人』最後のシーン)

 

<エル・ルーテ>と呼ばれた実在の犯罪者エレウテリオ・サンチェスの自伝にインスパイアーされて撮ったのがEl Lute87)とEl Lute ,mañana seré libre88)。収監中に勉強して弁護士になったエル・ルーテにイマノル・アリアス、その妻にビクトリア・アブリルが扮した。

 

           (アリアスとアブリル、“El Lute”)

 

      なりたかったのは作家、小説の映画化に拘った

 

★デビュー作“Brillante porvenir”を共同監督した友人で作家のロマン・グベルンが「エル・パイス」紙に寄せた追悼文によると、アランダは「本当は監督じゃなく作家になりたかった」が物書きとしては芽が出ず映画監督に方針を変えた。グベルンは「本当は監督になりたかったが監督になれず作家になった」。「これは何というパラドックスだ」とアランダが叫んだそうです。

 

★プレス会見でもあまり胸襟を開かないと言われた監督だが、それは映画が語っているから充分と考えていたのではないか。愛の混乱と曖昧さ、愛と性は爆弾のようなもの、幸せになれない登場人物たち、性愛の解放を描いて社会のタブーに挑んだ監督だったと思う。グベルンによると、バルセロナ派の監督なのにマドリードに住んでいたのは、バルセロナ派との関係が必ずしも良好ではなかったからで、それは彼がカタルーニャ語で撮らないことも一因だったという。アランダはそういう狭量な仲間意識を嫌っていたのではないか。「高校に行くことができなかった青年は優れた観察力をもっていた。神々は運命が計り知れないことを御存じだったのだ」と温かい言葉で追悼文を締め括っている。

 

ボルハ・コベアガの新作”Negociador”*2015年公開予告 ④2015年01月11日 22:41

 4弾*ETAのコメディ

17日にゴヤ賞2015のノミネーション発表があり中断しました。“La isla mínima17個(カテゴリーは16ですが、主演男優に2人ノミネーション)、『エル・ニーニョ』16個に、「ご冗談でしょ」と腰が引けてしまいましたが、なかには「何で?」「まさかぁ!」もあったり、短編では見るチャンスがなかったりもして、例年ノミネーションに不満が聞こえてきます。取りあえずNegociadorが済んだら気分を変えて「ラテンビート2015」なども視野に入れてニュースを更新していきます。 

                                                                                 (映画のワンシーン)

★さて、ボルハ・コベアガって名前、初めて聞くけど、どんな監督なの。当ブログではエミリオ・マルティネス≂ラサロのコメディOcho apellidos vascosの脚本をディエゴ・サン・ホセと共同執筆した人として紹介しております。今年ゴヤ賞では5個ノミネーションされましたが、残念ながら脚本は選ばれませんでした。

 

    Negociador

製作Sayaka Producciones Audiovisuales

監督・脚本・プロデューサー:ボルハ・コベアガ

撮影:ジョン・D・ドミンゲス

編集:カロリーナ・マルティネス・ウルビナ

美術:リエルニ・イザギレ

衣装:レイレ・オレリア

プロデューサー(エグゼクティブ):ナヒカリ・イピニャNahikari Ipiña

データ:スペイン、スペイン語、201479分、ETAの悲喜劇、撮影地:サンセバスチャン/
    ビアリッツ/サンフアン・デ・ルス、スペイン公開
2015313

受賞歴:サンセバスチャン映画祭2014 Zabaltegi部門上映、最優秀バスク映画賞Irizar賞受賞

 

キャスト:ラモン・バレア(マヌ・アラングレン)、ジョセアン・ベンゴエチェア(ジョキン)、カルロス・アセレス(パチ)、メリナ・マシューズ(ソフィー)、ラウル・アレバロ(ソフィーの恋人)、セクン・デ・ラ・ロサ(ボーイ)、サンティ・ウガルデ(ボディガード)、オスカル・ラドレイ、ゴルカ・アギナガルデ、ジュリー・ダクキン、他

 

   (左から、カルロス・アセレス、ラモン・バレア、ジョセアン・ベンゴエチェア)

 

プロット:バスクの政治家マヌ・アラングレンの物語。2005年、アラングレンはスペイン政府とETAとの「平和プロセス」の難しい交渉に立ち合っていた。もう黒ネクタイをしめて友人知人の告別式に出席するのは終りにしたいと思っていたからだ。しかし会談はプロフェッショナルな形式に基づいたプロセスとはほど遠く、意見の相違、誤解、偶然に強く左右されがちで進展しなかった。ただ交渉人たちの個人的な関係だけは明るい結末を得るために損なわないようにしていたのだが・・・

 

★事実に着想を得て作られたフィクションだが、実在のモデルが存在するということです。ですからコメディといってもテーマがテーマだけに辛口の悲喜劇のようです。ラモン・バレア扮する主役のマヌ・アラングレンのモデルは、ヘスス・マリア・エギグレン(1954年ギプスコア生れ)、法学者で政治家、現在はバスク大学の法学部教授。舞台背景となる200506年は、バスク社会党(Partido Socialista de Euskadi-Euskadiko Ezkerra PSE-EE)の党員だった。「平和を取り戻そうとする主人公の夢に惹かれる。エギグレンの熱意がエタを終わらせた。ラモン・バレアが映画に息を吹き込んでくれたんだ。エギグレンのオピニオンを知ることができて満足している。ドキュメンタリーで撮ることは考えていなかったし、フィクションで少しも支障は感じなかった。だって彼を批判したりからかったりする意図は全くなかったからね、その反対だよ」とコベアガ監督。

 

          (ETAとの交渉についての著書を手にしたエギグレン)

 

ジョセアン・ベンゴエチェアのモデルは、ホセ・アントニオ・ウルティコエチェア・ベンゴエチェア(1950年ビスカヤ生れ)だが、ホス・テルネラのほうが知られている。テロ組織ETAの歴史に残る代表的な指導者の一人だった。199010月、武器の不法所持や偽造身分証明書利用の廉で10年の刑を受けている。2011年アメリカはテロリスト名簿に載せているが、詳しい現況は分かっていない。カルロス・アセレスのモデルは、バスク分離独立ITAの元リーダー、ハビエル・ロペス・ペニャ、別名「ティエリー」(1958年ビスカヤ生れ)。休戦協定を台無しにした張本人。20085月、ボルドー潜伏中に逮捕されフランスで服役中だったが、2013330日、心臓障害で治療を受けていたパリの病院で脳溢血のため死去している。

 

            (ボルドーで逮捕されたときの「ティエリー」)

 

★この交渉は結果的には失敗するわけですが、だからといって無駄だったわけではなく、20134月、エギグレンは平和と和解に寄与したとして「ゲルニカ賞」を受賞している。コベアガ監督は書籍、新聞記事、ドキュメンタリーを徹底的に精査して脚本を作り上げたと語っています。実際の会談では「何が話し合われ、どう推移したのか、何を食べ、飲み物は何を飲んだのか」。彼はこの平和プロセスの厳粛さを取り除いて自由に夢想しているようです。つまり「交渉のプロセスを描くストーリーではなく、その副次的な側面や家庭を取りまく細部について語った物語です。政治的な会談に集中したくなかった」とサンセバスチャン映画祭で語っています。

 

                (ボルハ・コベアガ監督

 

ボルハ・コベアガBorja Cobeaga Eguillor 1977年、サンセバスチャン生れ、監督、脚本家、製作者。脚本家として出発、監督デビューはPagafantas”(2009、ゴヤ賞新人監督賞ノミネート)2作目No controles”(2010、本作が3作目です。TVシリーズ、短編多数、うち2002年“La primera vez”がゴヤ賞ノミネート、2007年“Eramos pocos”がオスカー賞にノミネート、2014年“Democracia”がナント映画祭で短編映画賞を受賞している。エミリオ・マルティネス≂ラサロの“Ocho apellidos vascos”の続編をディエゴ・サン・ホセと共同執筆中、今春クランクインが予告されている。

イマノル・ウリベ*新作のテーマはETA2014年11月30日 20:33

9月初めにイマノル・ウリベの新作Lejos del marの発表があり、10月末か11月半ばには舞台となるアルメリアでクランクインするとアナウンスされていました。予定通り1110日に監督、主演者エドゥアルド・フェルナンデス(サンティ役)が現地入りして撮影が始まりました。12月中旬までかかる由、カンヌ映画祭2015に間に合わせたい、とプロダクション・マネージャーのエルネスト・チャオ氏。スペインでの公開は秋になります。

 

       (ウリベ監督、エレナ・アナヤ、エドゥアルド・フェルナンデス)

 

★物語は、「パロット・ドクトリン」が適応されてソト・デル・レアル刑務所を出所したETAの元テロリストのサンティが、かつて同房だった友人と再会するためアルメリアへの旅を決意する。彼らのテロで犠牲になった男の娘マリナ(エレナ・アナヤ)をサンティは愛するようになるだろう。他にもこういうラブ・ストーリーあったのではないかと突っ込みたくなりますが、まだ全体像が明らかになっておりません。キャスト陣も二人の主役とホセ・ルイス・ガルシア・ぺレス、ナチョ・マテオしかアップされておりません(IMDb)。ウリベのETA物は、『ミケルの死』(84)にしろ『時間切れの愛』(94)にしろ「愛」がテーマでしたが。

パロット・ドクトリンDoctrina Parot2006228日にスペイン最高裁判所が判決に基づいて制定された一般名称。ETAのテロリスト組織のメンバー、アンリ・パロットの上告によって制定されたことから彼の名がついた。いわゆる複数の罪を足し算して禁固1000年とか科するのは国家にとっても不利益とする考え方。1973年制定された刑法でも、既に刑期は最長30年とされていた。200873日、禁固2700年のイネス・デル・リオ・プラダ(ETAメンバー)が18年間の刑期で自由の身になった(スペインは死刑廃止国)。

 

イマノル・ウリベImanol Uribe1950年、エルサルバドルの首都サンサルバドル生れ、両親はバスクのギプスコア出身でスペインに戻った。マドリードの公立ジャーナリズム学校卒、マドリード国立映画研究所の監督科の学位を取る。1975年プロダクションZeppo Films設立、1979Cobra Films、他を設立した。1979年のドキュメンタリー“El proceso de Burgos”でデビュー、これは1970年ブルゴスで行われたETAメンバー6人の軍事裁判を再現したもの。第2作がセゴビアの刑務所を脱獄するLa fuga de Segovia”(81、バスクの急進的政党abertzaleのメンバーであるミケルの不可解な死を描いたLa muerte de Mikel”(84『ミケルの死』の邦題で第1回スペイン映画祭1984で上映)が、バスク三部作と言わる初期の代表作品。この映画祭には故ピラール・ミロー団長以下、故アントニオ・バルデム、カルロス・サウラ、ハイメ・デ・アルミニャン、他若いウリベ監督も来日した。 

     (ミケルを演じたイマノル・アリアスもギプスコア出身、『ミケルの死』より


 
★一番の成功作が再びETAをテーマにした『時間切れの愛』(“Dias contados”)で、1995年のゴヤ賞を総なめにしたこともあって、1996年劇場公開された。サンセバスチャン映画祭1994の金貝賞受賞作品でもある。他に1996年の“Bwana”もサンセバスチャン映画祭1996金貝賞受賞作品。アフリカからの移民排斥運動、人種差別がテーマ。日本スペイン協会主催の「スペイン映画祭1997」で『ブワナ』として上映された。第1回ラテンビート上映の“El viaje de Carol”(02『キャロルの恋』)は、キャロルに扮したクララ・ラゴが来日したり、その愛くるしさも幸いしたのか公開された。ただ『ミケルの死』や『時間切れの愛』を見ていた観客には物足らなかったかもしれない。以上の4作が字幕入りで見られた作品。他にコメディ“El rey pasmado”(91)も、ゴヤ賞1992のオリジナル脚色賞、音楽・美術・音響・衣装デザイン・メイクアップ賞の他、フアン・ディエゴが助演男優賞を受賞した。ウリベは寡作のほうですが、下準備も入念にするタイプ、比較的賞に恵まれている。(写真下は、揃ってゴヤ賞にノミネートされた『時間切れの愛』の出演者たち、ゴチック体は受賞者

 

  (カンデラ・ペーニャ、ペポン・ニエト、主演ルス・ガブリエル、主演カルメロ・ゴメス
   助演ビエル・バルデム

 

★ウリベ監督にとってアルメリアは思い出深い土地、18年前に『ブワナ』をここ国立公園のガータ岬(Cabo de Gata)で撮影した。その折り歩き回ったので公園内は隅々まで知り尽くしているとか。今回は難しい立場に立つ主人公のテロリズムについての考えを語ることになる。『時間切れの愛』を完成した後の1996年ごろから構想していたテーマだったが、撮るには時代が早すぎることもあって、今日まで持ち越してきてしまったという。監督としては『ミケルの死』、続く『時間切れの愛』の集大成として“Lejos del mar”を撮りたいと考えているようです。この3作が後には「バスク三部作」と言われるようになるのではないか。

 

★プロデューサーのアントニオ・ペレスによると、自分は仕事柄「多くの脚本を読んでいるが、一読してこれはイケルと直感した」、完成度の高い脚本で、間違いなく来年の話題作になるだろうと、獲らぬ狸の皮算用、製作費は約200万ユーロ、製作は『エル・ニーニョ』も手掛けたセビーリャのMaestranza Films社。プロダクション・マネージャーのエルネスト・チャオも「全面的にウリベを信頼している」と断言、主役二人の演技は折り紙つき、予想通りになることを期待したい。

 

ロドリーゴ・ソロゴイェンの”Stockholm”2014年06月17日 11:41

★ロドリーゴ・ソロゴイェンの5年振りとなる新作Stockholmは、マラガ映画祭2013の正式出品映画です。デビュー作8 citasがマラガ映画祭2008で紹介されて以来テレビに戻っていた。新作は監督賞、共同脚本執筆のイサベル・ペーニャと新人脚本賞、アウラ・ガリードが女優賞と3賞を制覇しました。これが快進撃の始まりでしたが、高い評価にも拘わらず配給元が見つからず「映画祭だけの映画」の陰口も聞こえてきて、今もってスペインでさえ未公開です。もっとも彼と同じ世代は映画館に足を向けないのですが。

 


★本ブログではアウラ・ガリードについては新年の挨拶とゴヤ賞2014予想記事の主演女優賞の項113日)、監督と新人男優賞を受賞したハビエル・ペレイラについては新人監督賞・新人男優賞の項114日)でご紹介しています。最近ルーマニアのトランシルバニア映画祭でグランプリを受賞したこと、低予算(6万ユーロ!)でも映画製作が可能であること、ネットでの資金集めなど、大資本に頼らないで危機を乗り越えようとしている若手監督にエールを送りたいと改めてアップいたします。

 

ルーマニアのトランシルバニアで2002年にスタートした比較的新しい国際映画祭。東京国際映画祭と同じように若手育成を目的にデビュー作から2作目までの監督がコンペティション対象者。ルーマニアは初代大統領のチャウシェスクの独裁政権が24年間も続き、ルーマニア革命で1989年末に銃殺刑に処されたことは世界が知ってることです。映画後進国といってもよいかと思いますが、カンヌ映画祭2007のパルムドールを受賞したクリスチャン・ムンジウの『4ヶ月、3週と2日』など近年の躍進は目覚ましく、ラテンアメリカ諸国からもサンダンスやロッテルダム映画祭と同じように本映画祭の応募が増えてきています。2012年のスペイン語映画では、ドミンガ・ソトマジョール・カステージョのデビュー作『木曜から日曜まで』(チリ≂オランダ、東京国際FF上映邦題)の撮影監督バルバラ・アルバレスが撮影賞を受賞、『ウイスキー』や『幸せパズル』を撮っているベテラン。監督はロッテルダムのタイガー賞を受賞しています。2013年ではアドリアン・サバのEl limpiador(ペルー)が国際批評家連盟賞、アナ・ゲバラ&レティシア・ホルヘのTanta agua(ウルグアイ≂メキシコ他)が審査員特別賞を受賞、前者は1回イベロアメリカ・プラチナ賞男優賞部門にビクトル・プラダがノミネートされた優れた作品です(417UP)。

 

   Stockholm

製作: Caballo Films / Tourmalet Films

監督・脚本:ロドリーゴ・ソロゴイェン

脚本(共同):イサベル・ペーニャ

撮影:アレハンドロ・デ・パブロ

編集:アルベルト・デル・カンポ

 

キャスト:アウラ・ガリード(彼女)/ハビエル・ペレイラ(彼)/ロレナ・マテオ/
          ヘスス・カバ

データ:スペイン、スペイン語、2013年、撮影地マドリード・撮影期間13日間、90分       

受賞歴&ノミネート:マラガ映画祭2013(上記参照)/ゴヤ賞2014新人男優賞ハビエル・ペレイラ受賞、新人監督賞&主演女優賞アウラ・ガリードがノミネート/シネマ・ライターズ・サークル賞2014新人監督賞・女優賞・新人男優賞受賞及び作品賞・撮影賞・編集賞・脚本賞ノミネート/マイアミ映画祭20141作品コンペ部門出品/Feroz 2014作品賞受賞/サン・ジョルディ賞スペイン女優賞受賞、トランシルバニア映画祭グランプリ、主演の二人がパフォーマンス賞を受賞、その他モントリオール、トゥールーズ、ワルシャワ、モンペリエ、セルビア、ベルグラード各映画祭に正式出品された。

                    (写真:マラガ映画祭2013でのペレイラ、監督、ガリード)

 

プロット:ディスコで初めて会った<><彼女>の恋の行方。突然声をかけられた女は警戒して男になかなか心を開かない。恋に落ちてしまった男は諦めきれず<夜の廃墟>マドリード散策に誘い、やっとベッドに辿りつく。翌日<>は自分の想っていたような<彼女>でなかったことに気づく、何が起きたのか? ディスコで、しつこくなく感じも良い男に突然愛を告白されて一夜を過ごす。翌日<彼女>は自分が考えていたような<>でなかったことに気づく、何が起きたのか?

 

   キャリア&フィルモグラフィー

ロドリーゴ・ソロゴイェン(ソロゴジェン)Rodrigo Sorogoyen 1981年マドリード生れ、監督・脚本家・プロデューサー。マドリードの大学で歴史学の学士号を取得、大学の学業とオーディオビジュアルの勉強の両立を目指して映画アカデミーで学ぶ。その間3本の短編を制作して卒業。2004ECAMの映画脚本科に入り、並行してテレドラ の脚本執筆を始める。最終学年にペリス・ロマノとの共同脚本と監督のチャンスが訪れる。それが上記のデビュー作8 citasであり高い評価を受ける。本作にはフェルナンド・テヘロ、ベレン・ルエダ、ベロニカ・エチェギ、ラウル・アレバロ、ハビエル・ペレイラも出演しており、かなりの収益を上げることができた。

ECAMEscuela de Cinematografía y del Audiovisual de la Comunidad de Madridの頭文字。マドリード市が若手育成のためにスポンサーになっている。

 


その後テレビに復帰、代表作は<ローコスト>で制作したImpares2008)、Pecera de Eva2010)、Frágiles2012)など。テレドラの仕事はとても勉強になったと語っている。2012年よりStockholmの準備に入り、今回の数々の受賞を手にした。現在3作のプロジェクトが動き出しており、2015年の完成を目指して進行中である。その一つが脚本をダニエル・レモンと共同執筆しているEl presenteであり、資金が集まることを願っている。いずれバイオレンスをテーマに推理物を撮りたい。

 

「ボーイ・ミーツ・ガール」

★タイトルの<ストックホルム>って何のことですか。いわゆる「ストックホルム・シンドローム」のことでしょう。セルフ・マインドコントロール、恐怖と生存本能に基づく自己欺瞞的心理操作です。同じタイトルの映画が他にもあるのは、ちょっと興味の惹かれるタイトルだからでしょう。本作では危険な大都会の夜が醸しだすミステリアスな顔と、朝のまぶしい光線に守られた日常が対照的に映し出される。夜のあいだは無理して隠していた<彼女>の内面の問題がはっきりしてくる。数時間前には恋する男であった<>の唯一つの願いは、女が自分の視界から消えること。男は誘惑ゲームを終わりにしたいが、女は暫くつづけてもいい。「ボーイ・ミーツ・ガール」の行方はどうなるのか。 


★「二人の人間がどうやって関係を結ぶのかというテーマで映画を作りたかった」と監督。現代の若者はどうやって男と女の関係を築くのか、どこで、どのように始めるのか、ということですね。本能的な暴力が常に存在するなかで、「関係が上手くいかなくなったとき、素晴らしいのは嘘で言い逃れができたとき」とも語っている。大人の世界に入る条件は嘘をつけることだ。ここでは真実は語られず、話せば話すほど不自然さが明らかになる。

 

新しい試みwebでの資金調達の呼びかけ

★「本作はホントにミニチュアな映画です。13日間で撮影、製作費はトータルで6万ユーロでした。でも僕たちの映画の成功を信じてくれた多くの人々の支えで完成させることができました」。どういうことかと言うと、脚本を携えて次々とプロダクションの門を叩いてまわったが、脚本は突き返された。どうしても諦めきれず、「それなら自分たちで立ち上げよう」、そうしてweb verkami で資金協力を呼びかけた。40日間で8000ユーロ、最終的には13000ユーロという満足いく額になった。約300人の出資者が最少で5ユーロから最多2000ユーロと、塵も積もればナントヤラですね。お金がないから映画が作れないと嘆くだけが能ではありません。

 

★映画産業に携わっている関係者の間でディベートが盛んだそうですが、採用してくれるプロダクションがあるならそれに越したことはない。「この方法を何度も繰り返したいとは思わない」し、「スペインでは自分の世代は映画館に行かない人が多い。映画が広がるには配給会社が見つかることだが、できればテレビで放映してもらえるといい」と語っています。どの国でも配給システムは上手く機能しているとは思えないし、規模の大きいTVチャンネルが放映する映画は、かなり広範な人間を惹きつける必要がある。こういう地味な映画はその条件を満たせない。これからは「在来とは違う様式、例えばネット配信など、配給方法の新路線に順応していかねばならない」と考えているようです。

 

フェイスブックもツイッターもやらない

★日刊紙「ラ・ラソン」のインタビュアーから、自宅マンションを撮影場所にした理由を訊かれて、「僕たちは自己顕示欲の強い世代ですが、部屋を借りるお金がなかっただけで、本当は自宅での撮影は避けたかった」と語っています。フェイスブックもツイッターもやらないそうで、今時の若者にしては珍しい。

 

★キャストもスタッフも若く大体30代の半ばまで、「だからそれ以外の世代の人がどのように感じるかに関心があります」と監督。第1作がマラガで評価されたこともあって、第2作もマラガを意識していたようで、それはマラガの審査員は他と比べて若い監督に興味を示してくれるからだそうです。2014年の「金のジャスミン賞」もカルロス・マルケス≂マルセのデビュー作10.000KMでした(44UP)。

 

アウラ・ガリード Aura Garrido1989年マドリード生れ。父親は作曲家で指揮者、母親は画家、母方の祖母と叔母はオペラ歌手だったという芸術一家の出身。4歳からピアノ、5歳でバレエ、女優の道をまっしぐらに歩んできた。TVドラ・シリーズDe repente, los Gómez2009)でデビュー、映画初出演のフアナ・マシアスのPlanes para mañana2010)でゴヤ賞2011の新人女優賞にノミネート、他マラガ映画祭助演女優賞とスパニッシュ・シネマ・ムルシア・ウイークでパコ・ラバル賞を受賞している。ハビエル・ルイス・カルデラのPromoción fantasma2012)は『ゴースト・スクール』の邦題で、「スクリーム・フェスト・スペイン2013」ミニ映画祭で上映された。オリオル・パウロのEl cuerpo2012、邦題『ロスト・ボディ』)にも出演、本作での演技が認められ「ビルバオ・ファンタスティック映画祭2013」で新人に与えられるFantrobia賞を受賞。Stockholmは上記の通り。

 


ハビエル・ペレイラ Javier Pereira Collado1981年マドリード生れ。まだ32歳だが20作近い長編に出演、TVドラ、短編を含めると40本を超える。短編に出たのが16歳、テレビ界が17歳だから納得の本数か。子供のときから俳優を天職と考え、14歳でクリスティナ・ロタの演劇学校に入学して演技を学んだ。彼女は夫ディエゴ・フェルナンド・ボトーとアルゼンチンの軍事独裁を逃れて、1978年にスペインに亡命してきた女優にして舞台演出家、マリア・ボトー、フアン・ディエゴ・ボトー姉弟の母親。 


長編に限ると、代表作は今世紀に入ってからでパブロ・マロのFrío sol de invierno2004)、マロ監督がゴヤ賞2005新人監督賞を受賞した話題作、ヘラルド・エレーロのHeroína2005、マリア・リポルのTu vida en 65 minutos2006)で主役のダニを演じた。ソロゴイェンの8 citasにも参加、これが本作出演に繋がった。モンチョ・アルメンダリスのNo tengas miedo2011)、短編だがダニエル・サンチェス・アレバロのTraumalogía2007)の出演で成長したと言われ、Stockholm以降出演依頼が殺到している。サムエル・グティエレスのLa sangre de Wendy2014)、最新作はチェマ・ロドリーゲスのAnochece en la Indiaなど。2011年にはルベン・オチャンディアノが演出したチェーホフの『かもめ』で舞台に立った(舞台監督までしてるとは知りませんでした)。オチャンディアノとは、TVドラやアルメンダリスのNo tengas miedoで共演しています。彼はイシアル・ボジャインの『花嫁の来た村』(1999)で映画デビュー以来、『タパス』、『抱擁のかけら』、『ビューティフル』などでお馴染みになっていますが、ハビエル・ペレイラは多分まだ登場していないと思います。

              (写真:ゴヤ賞2014新人男優賞のトロフィーを手にしたペレイラ)