ダビ・トゥルエバの「Casi 40」正式出品*マラガ映画祭2018 ⑦ ― 2018年04月04日 17:12
『「ぼくの戦争」を探して』のダビ・トゥルエバの新作「Casi 40」
★開幕10日を切りましたが未だコンペティション部門の全作品発表に至っておりません。現在上映が決定されているダビ・トゥルエバの新作「Casi 40」のご紹介。本映画祭がワールドプレミアということで詳しい情報は入手できていませんが、トゥルエバのデビュー作「La buena vida」(1996)出演のルシア・ヒメネス(1978、セゴビア)とフェルナンド・ラマリョ(1980、マドリード)が主役ということです。二人とも監督同様本作で映画デビューしており、ちょっと話題になりそうです。「La buena vida」はゴヤ賞1997新人監督賞・脚本賞にノミネートされた他、ラマリョも新人男優賞にノミネートされた。カルロヴィー・ヴァリー映画祭特別審査員賞、トゥリア賞(第1作監督賞)を受賞した作品。
◎「Casi 40」 2018年
製作:Buenavida Producciones / Perdidos G.C.
監督・脚本:ダビ・トゥルエバ
データ:製作国スペイン、スペイン語、2018年、マラガ映画祭2018コンペティション部門出品
キャスト:ルシア・ヒメネス、フェルナンド・ラマジョ、カロリナ・アフリカ、ビト・サンス
プロット:青春時代に友人だった二人の男と女の慎ましい物語が語られる。彼女は歌手として成功したが、もうステージからは降りている。彼は化粧品のセールスマンとしてなんとか暮らしているが、若いころの音楽への夢を再び活動させたいと思っている。演奏旅行をするために二人は再び集まることにする。

(ルシア・ヒメネス、フェルナンド・ラマリョ、映画から)

(左から、撮影中のルシア・ヒメネス、監督、フェルナンド・ラマリョ)
★詳しい情報が入手でき次第、追加する予定です。カロリナ・アフリカは脚本家でもあるが、フェルナンド・トゥルエバの「La reina de España」や『「ぼくの戦争」を探して』に出演している。ビト・サンスは前回アップしたマテオ・ヒルのオープニング作品「Las leyes de la termodinámica」の主役を演じている。
★ダビ・トゥルエバDavid Trueba、1969年マドリード生れ、監督、脚本家、俳優、小説家、ジャーナリスト(日刊紙「エル・パイス」や「エル・ムンド」紙)。マドリード・コンプルテンセ大学ジャーナリズム情報科学科卒業、フェルナンド・トゥルエバ監督は実兄。2013年の「Vivir es fácil con los ojos cerrados」邦題『「ぼくの戦争」を探して』では、念願のゴヤ賞2014の作品・監督・脚本・主演男優・助演女優・オリジナル作曲賞の6冠を受賞した。以下で主なフィルモグラフィーを紹介しています。
*「Vivir es fácil con los ojos cerrados」内容紹介は、コチラ⇒2014年1月30日
*監督フィルモグラフィー紹介は、コチラ⇒2014年11月21日

◎ダビ・ロドリゲスの主なフィルモグラフィー(短編・俳優は割愛)
1991 「Felicidades, Alberti」(TV映画、脚本)
1992「Amo tu cama rica」(脚本、監督はエミリオ・マルティネス=ラサロ)
1993「El peor programa de la semana」(TVシリーズ5話)監督デビュー作
1996 「La buena vida」(監督・脚本、長編映画デビュー作)
2003 「Soldados de Salamina」(オスカー賞2004スペイン代表作品、コペンハーゲン映画祭脚本賞、
トゥリア賞受賞、ゴヤ賞ノミネーション)
2006「Bienvenido a casa」(監督・脚本、マラガ映画祭監督賞受賞)
2006「La silla de Fernando」(ドキュメンタリー)
2007「Rafael Azcona, oficio de guionista」(TVドキュメンタリー)、
2011「Madrid, 1987」(主役のホセ・サクリスタンがフォルケ賞男優賞受賞)
2013「Vivir es fácil con los ojos cerrados」『「ぼくの戦争」を探して』(2016年発売DVDタイトル)
2016「Salir de casa」
2018「Casi 40」マラガ映画祭2018正式出品
★脚本のみ参加作品は、兄フェルナンド・トゥルエバの『あなたに逢いたくて』(95)や『美しき虜』(98)、エミリオ・マルティネス=ラサロの『わが生涯最悪の年』(94)や、カルロス=ハビエル・バルデム兄弟が出演したアレックス・デ・ラ・イグレシアの『ペルディータ』(97、メキシコとの合作、英語・西語)では、監督やホルヘ・ゲリカエチェバリアなどと共同執筆している。その他、初期には「オチョ・アペジード」で空前のヒット作を生み出したエミリオ・マルティネス=ラサロ監督とのコラボレーションが多く、なかで「Amo tu cama rica」にはハビエル・バルデムも出演、主役を演じたアリアドナ・ヒルと結婚したが後離婚、現在はそれぞれ別のパートナー、アリアドナは『アラトリステ』で共演したヴィゴ・モーテンセンと2009年に再婚している。彼女が主演した 「Soldados de Salamina」は、ハビエル・セルカスの同名小説の映画化、小説は『サラミスの兵士たち』の邦題で翻訳されている。上記したようにオスカー賞スペイン代表作品に選ばれたが落選した。
★「La silla de Fernando」は、監督、俳優として長きにわたって活躍、彼抜きでスペイン映画史は語れないという巨人フェルナンド・フェルナン=ゴメスの人生を語ったドキュメンタリー、本作は批評家から絶賛された。続くTVドキュメンタリー「Rafael Azcona, oficio de guionista」は、脚本の恩師であり、ダビ・トゥルエバのシナリオ作家としての才能を開花させたと言われる名脚本家ラファエル・アスコナの業績を辿った作品、2008年2月に鬼籍入りしたが、現在でも「アスコナ亡き後の脚本は面白くなくなった」と惜しむアスコナ・ファンは多い。
オープニング作品はマテオ・ヒルの新作*マラガ映画祭2018 ⑥ ― 2018年04月02日 17:38
マイアミ映画祭2018「監督賞」受賞作品「Las leyes de la termodinámica」
★まだコンペティション部門の全体像は見えてきませんが、マテオ・ヒルのオープニング作品「Las leyes de la termodinámica」他、スペインからはダビ・トゥルエバ「Casi 40」、パウ・ドゥラ「Formentera Lady」、エレナ・トラぺ「Las distancias」、キューバからエルネスト・ダラナス・セラーノ「Sergio y Serguéi」、ヘラルド・チホーナ「Los buenos demonios」、アルゼンチンからヴァレリア・ベルトゥチェッリのデビュー作「La reina del miedo」などが発表されています。例年の3月開催から4月にシフトしたことで、本映画祭がワールドプレミアではなくなっています。マテオ・ヒルやダラナス・セラーノの作品は、マイアミ映画祭2018(3月9日~18日)にエントリーされており、そのほかヴァレリア・ベルトゥチェッリの作品も、サンダンス映画祭(1月18日~28日)がプレミア、監督自身が主演して演技賞(女優賞)を受賞しています。今後もこのケースが増えるかもしれません。

(開幕上映作品、マテオ・ヒルの「Las leyes de la termodinámica」ポスター)
★マテオ・ヒルの新作「Las leyes de la termodinámica」は、第35回マイアミ映画祭の監督賞受賞作品、受賞したから選ばれたわけではなく開催前に決定しておりました(3月7日発表)。因みに作品賞はディエゴ・レルマンの『家族のように』でした(ラテンビート2017)。クランクインした2016年10月から話題になっており、それは前作のロマンティックSF「Proyecto Lázaro」(16、英題Realive)が観客に受け入れられたことと関係があると思います。2083年という未来の世界では、科学に重きを置く、宗教を蔑ろにする不信人者たちであふれ、人生はより不明確で曖昧になる。矛盾が許され、どこまで行っても不可能だが、やはり愛を求めている。モラル的な願いを込めて構成されたロマンティックSF。

(主役のトム・ヒューズ、ウーナ・チャップリンなど、「Proyecto Lázaro」ポスター)
「Las leyes de la termodinámica」英題「The Laws of Thermodynamics」
製作:Zeta Cinema / Atresmedia Cine / On Cinema 2017 / Netflix / Televisió de Catalunya / Atresmedia / ICAA / ICEC
監督・脚本:マテオ・ヒル
撮影:セルジ・ビラノバ
音楽:フェルナンド・ベラスケス
編集:ミゲル・ブルゴス
美術:フアン・ペドロ・デ・ガスパル
衣装デザイン:クララ・ビルバオ
製作者:フランシスコ・ラモス、(エグゼクティブ)ラファエル・ロペス・マンサナラ
データ:製作国スペイン、スペイン語、2018年、ロマンティック・コメディ、撮影地バルセロナ。配給元ソニー・ピクチャー、スペイン公開4月20日決定。
映画祭・受賞歴:マイアミ映画祭2018正式出品(Knight Competition Grand Jury)監督賞受賞、マラガ映画祭正式出品(オープニング作品)
キャスト:ビト・サンス(マネル)、ベルタ・バスケス(エレナ)、チノ・ダリン(パブロ)、ビッキー・ルエンゴ(エバ)、フアン・ベタンクール(ロレンソ)、アンドレア・ロス(アルバ)、イレネ・エスコラル(ラケル)、ジョセップ・マリア・ポウ(アマト教授)他
物語:ちょっとノイローゼ気味だが前途有望な物理学者マネルの物語。人気モデルで新米女優のエレナとの関係をどのように証明するか計画を立てる。彼のせいで散々な結果になっているのは、まぎれもなく物理学の原則、つまりニュートンやアインシュタインのような天才、あるいは量子力学の創始者たちの原理から導きだしているからだ。それは特に熱力学の三原則によっているからだ。

(左から、チノ・ダリン、ベルタ・バスケス、ビト・サンス、映画から)
★自由意志は存在するのか否か、人々は自分自身で決定する能力、または自然の法則によって定められた能力を持っているのかどうか、私たちの関係が上手くいかない責任は自ら負うべきか、現実を変えようとするのは無意味なことか、と監督は問うているようです。主役のビト・サンス、ベルタ・バスケス、チノ・ダリン、ビッキー・ルエンゴの4人は当ブログでは脇役として登場させているだけですが、最近人気が出てきた若手のホープたちです。ビト・サンスはいずれアップしたいダビ・トゥルエバの新作「Casi 40」にも起用されている。チノ・ダリンはリカルド・ダリン・ジュニア、フェルナンド・トゥルエバの「La reina de España」に出演している。ベルタ・バスケスはフェルナンド・ゴンサレス・モリナの「Palmeras en la nieve」でマリオ・カサスと禁断の恋をするヒロインを演じ、2015年の興行成績に寄与している(Netflix『ヤシの木に降る雪』)。ビッキー・ルエンゴは当ブログ初登場です。

(監督を囲んだ4人のキャスト、2016年10月クランクインしたときの写真)
★マテオ・ヒルMateo Gil、1972年ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア生れ、監督、脚本家、製作者、撮影監督。1993年、短編「Antes del beso」で監督デビュー、1996年、アレハンドロ・アメナバルの『テシス 次に私が殺される』や翌年の『オープン・ユア・アイズ』の脚本を共同執筆する。エドゥアルド・ノリエガを主役に起用した長編デビュー作(1999『パズル』)以来、奇妙で一風変わった、それでいて興味深い映画を撮り続けている。『パズル』ではアメナバルが音楽を手掛けている。初期にはアメナバル、ノリエガと組んだ作品が多い。

◎主なフィルモグラフィー(短編を除く)
1996「Tesis」『テシス 次に私が殺される』脚本、監督アメナバル
1996「Cómo se hizo Tesis」監督
1997「Abre los ojos」『オープン・ユア・アイズ』脚本、監督アメナバル
1999「Nadie conoce a nadie」『パズル』監督、脚本、東京国際映画祭上映
2004「Mar adentro」『海を飛ぶ夢』脚本、監督アメナバル、ゴヤ賞2005脚本賞
2005「El método」脚本、監督マルセロ・ピニェイロ、ゴヤ賞2006脚本賞
2006『スパニッシュ・ホラー・プロジェクト エル・タロット』TV、監督・脚本、TV放映
2009「Agora」『アレクサンドリア』脚本、監督アメナバル、ゴヤ賞2010脚本賞
2011「Blackthorn」『ブッチ・キャシディ 最後のガンマン』監督
トゥリア賞2012新人監督賞、TV放映
2016「Proyecto Lázaro」「Realive」監督、脚本、ファンタスポルト映画祭2017作品・脚本賞
2018「Las leyes de la termodinámica」監督、脚本、マイアミ映画祭監督賞
ロドリゴ・ソロゴイェンにマラガ才能賞*マラガ映画祭2018 ③ ― 2018年03月26日 11:24
エロイ・デ・ラ・イグレシア賞がマラガ才能賞に衣替え
◎マラガ才能賞(エロイ・デ・ラ・イグレシア)-La Opinión de Málaga
★今回から各種特別賞にそれぞれ協賛者の名前が入ることになったらしく、エロイ・デ・ラ・イグレシア賞は上記のように長たらしい「マラガ才能賞Premio Malaga Talent(エロイ・デ・ラ・イグレシア)」と名称まで変更になりました。コラボしているLa Opinión de Málagaは、マラガやアンダルシア中心の情報(経済、文化、スポーツ)を発信している日刊紙です。
*エロイ・デ・ラ・イグレシアの紹介記事は、コチラ⇒2014年4月7日
◎キャリア、フィルモグラフィー紹介
★受賞者のロドリゴ・ソロゴイェン(ソロゴジェン)Rodrigo Sorogoyenは、1981年マドリード生れ、監督・脚本家・プロデューサー。マドリードの大学で歴史学の学士号を取得、大学の学業とオーディオビジュアルの勉強の両立を目指して映画アカデミーで学び、3本の短編を制作して卒業。2004年、マドリード市が資金援助をしているECAM(Escuela de Cinematografía y del Audiovisual de la Comunidad de Madrid)の映画脚本科に入り、並行してTVドラマ の脚本執筆を始める。最終学年の2008年にデビュー作「8 citas」を撮り(脚本はペリス・ロマノとの共同執筆)マラガ映画祭2008に出品され高い評価を受ける。本作にはフェルナンド・テヘロ、ベレン・ルエダ、ベロニカ・エチェギ、ラウル・アレバロ、ハビエル・ペレイラなど、現在活躍中の演技派が出演した。

★2011年、Caballo Films製作で長編第2作となる「Stockholm」の脚本に共同執筆者イサベル・ペーニャと着手する。資金難からクラウドファンディングで賛同者を募り完成させる。マラガ映画祭2013監督賞、新人脚本賞を受賞、ゴヤ賞2014新人監督賞ノミネート、シネマ・ライターズ・サークル賞2014新人監督賞受賞、Feroz 賞2014ドラマ部門作品賞受賞、トランシルバニア映画祭グランプリ、その他マイアミ、モントリオール、トゥールーズ他の映画祭正式出品。
*「Stockholm」とキャリア紹介記事は、コチラ⇒2014年6月17日

★2016年、第3作目となるスリラー「Que Dios nos perdone」(英題「May God Save Us」)の脚本をイサベル・ペーニャと共同執筆、キャストにアントニオ・デ・ラ・トーレ、ロベルト・アラモを起用した。サンセバスチャン映画祭2016脚本賞を受賞、主演のロベルト・アラモがゴヤ賞2017、フォルケ賞、フェロス賞で主演男優賞を受賞した。本作は2018年10月「ワールド・エクストリーム・シネマ2017」の一つとして『ゴッド・セイブ・アス マドリード連続老女強姦殺人事件』の邦題で短期間ながら公開された。

(アントニオ・デ・ラ・トーレとロベルト・アラモ、映画から)
★2017年、短編「Madre」は映画賞60以上の受賞に輝く。アルカラ・デ・エナーレス短編映画祭217観客賞・作品賞・監督賞、「マドリード市短編週刊」で短編映画賞、マラガ映画祭2017観客賞・女優賞(マルタ・ニエト)、アリカンテ映画祭監督賞、フォルケ賞2018(短編フィクション部門)作品賞、ゴヤ賞2018(フィクション部門)短編映画賞など多数受賞している。
*「Madre」関連記事は、コチラ⇒2018年2月10日

(トロフィーを手に受賞スピーチをする監督、ゴヤ賞2018授賞式2月3日)
★2018年、長年撮りたかったと語っていたスリラー「El Reino」が長編第4作となる。既に公開9月28日が予定されている。製作TornasolとAtresmedia、脚本共同執筆イサベル・ペーニャ、出演者は主役にアントニオ・デ・ラ・トーレ、バルバラ・レニー、ジョセップ・マリア・ポウなど演技派を揃えている。

(バルバラ・レニーとアントニオ・デ・ラ・トーレ、映画から)
フアン・アントニオ・バヨナにレトロスペクティブ賞*マラガ映画祭2018 ② ― 2018年03月24日 18:18
『怪物はささやく』のバヨナ監督、レトロスペクティブ賞受賞
★レトロスペクティブ賞は、貢献賞、栄誉賞の色合いが濃く、どちらかというとベテラン勢が受賞することが多かった。当ブログ誕生後の過去4年間を遡る受賞者は、2014年ホセ・サクリスタン(1937)、2015年イサベル・コイシェ(1960)、2016年グラシア・ケレヘタ(1962)、昨2017年はフェルナンド・レオン・デ・アラノア(1968)でした。1975年生れのフアン・アントニオ・バヨナは、輝かしいキャリアの持ち主とはいえ、世代的には一回りほど若くベテラン枠には入らない。今年から賞名が日刊紙「Málaga Hoy」とのコラボレーションとなり「Premio Retrospectiva—Málaga Hoy」に変更されました。

★マラガ映画祭には特別賞として、前回アップのマラガ賞以下、リカルド・フランコ賞、エロイ・デ・ラ・イグレシア賞、銀のビスナガ「シウダ・デル・パライソ」賞、「金の映画」などがあり、コンペティション発表前に決まりしだい順次アナウンスされます。先頭を切って1月31日に発表されたのが本賞でした。今回の受賞者は長編3作すべてがヒットした、批評家からも観客からも受け入れられた稀有な監督、全作が劇場公開されました。日本語ウイキペディアでも詳しい情報が入手できますので簡単なデータ紹介にとどめます。
★フアン・アントニオ・バヨナ Juan Antonio Bayona、1975年5月9日バルセロナ生れ、監督、脚本家、製作者。カタルーニャ映画視聴覚上級学校ESCACの監督科出身、「Mis vacasiones」(99)、「El hombre esponja」(02)など、短編多数を制作する。1993年、長編デビュー作『クロノス』を手にシッチェス映画祭に出席していたギレルモ・デル・トロより、将来的に制作支援を確約してもらえ、それが果たされたのが「母子三部作」の第1作「El orfanato」(『永遠のこどもたち』)、製作総指揮をデル・トロが担いました。カンヌ映画祭2007でプレミアされ、翌2008年のゴヤ賞新人監督賞を受賞した。

★2012年「母子三部作」の第2作「Lo imposible」(『インポッシブル』)は、ハリウッド俳優を起用した英語映画にもかかわらず国内外で空前のヒット作となる。国内だけでも600万人以上が映画館に足を運び、ゴヤ賞5冠、彼は監督賞を受賞した。2004年スマトラ島沖地震の津波に巻き込まれたカタルーニャ一家の実話がもとになっている。ナオミ・ワッツ演じた母親マリア・ベロンがものした記録を、前作と同じ脚本家セルヒオ・G・サンチェスが脚色した。スペイン映画としては製作費$45,000,000は半端ではなかったが、トータルで$180,300,000を叩き出し、その功績のお蔭か、翌2013年の映画国民賞に歴代最年少で選ばれた。スペイン文化省とスペイン映画アカデミーが選考母体、格式はゴヤ賞より上でしょうか。時の文化教育スポーツ大臣出席のもとサンセバスチャン映画祭で授与式が行われる。2013年は消費税が3倍近く急騰した年だったことから、「教育を疎かにし文化にたいしては消費税増税をした」と、文化教育に冷たい政権に苦言を呈するという異例の受賞スピーチをして話題になった。

(国民党ラホイ政権の文化相ホセ・イグナシオ・ウェルトから授与されたバヨナ監督)
★2014年、アメリカのテレビ局ショウタイムShowtime が企画し、サム・メンデス他によってプロデュースされたゴシック・ホラー、TVシリーズ「Penny Dreadful」(第1話・第2話)を監督する。翌年WOWOWが「ナイトメア~血塗られた秘密」という邦題で放映された。
★2015年、Oxfam Intermón のために短編ドキュメンタリー「9 días en Haití」(37分、仮題「ハイチでの9日間」)を撮る。世界の極貧国の一つと言われるハイチの現状、開発協力の重要性、危機的状況からの緊急的脱出の必要性、またハイチの子供たちの目を通して、チャンスを得られる権利を訴えたドキュメンタリー。

(自身出演した短編ドキュメンタリー「9 días en Haití」のポスター)
★2016年「母子三部作」の第3作「Un monstruo viene a verme」(『怪物はささやく』)、本作はゴヤ賞2017では最多受賞の9冠、うち彼は監督賞を受賞した。
★2017年、セルヒオ・G・サンチェスのホラー・スリラー「El secreto de Marrowbone」をプロデュースする。ゴヤ賞2018新人監督賞にノミネートされた。サンチェスは『永遠のこどもたち』と『インポッシブル』の脚本家。
★2018年、「Jurassic World: El reino caída」を撮る。「ジュラシック・ワールド」シリーズの第5作、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮、2018年6月8日スペイン公開予定、日本公開は邦題『ジュラシック・ワールド/炎の王国』で7月13日がアナウンスされている。他にグスタボ・サンチェスの長編ドキュメンタリー「I Hate New York」の製作を手掛ける。ニューヨークのアンダーグラウンドで生きる4人の女性アーティスト、トランスジェンダー活動家を追ったドキュメンタリー、本作は今年のマラガ映画祭で上映される予定。

ギレルモ・デル・トロに「マラガ-スール」賞*マラガ映画祭2018 ① ― 2018年03月22日 17:41
アカデミー賞に続いてマラガ—スール賞受賞――今年はデル・トロの年

★第21回マラガ映画祭2018が4月13日に開幕します。コンペティション部門の正式発表はまだですが、オープニング作品にマテオ・ヒルの「Las leyes de la termodinámica」というSF映画が決定しております。他にはダビ・トゥルエバ、エルネスト・ダラナス・セラーノ(キューバ)、アニメーション2D/3Dでは20年のキャリアの持ち主カルロス・フェルナンデス・デ・ビゴが確定しています。いずれ全作品が発表された時点でアップしたい。
★本映画祭の大賞マラガ—スール賞にギレルモ・デル・トロ、エロイ・デ・ラ・イグレシア賞にロドリゴ・ソロゴジェン監督、リカルド・フランコ賞に衣装デザイナーパコ・デルガドがアナウンスされました。「金の映画」にはペドロ・オレアの「Un hombre llamado Flor de Otoño」が公開40周年を記念して選ばれています。主役のホセ・サクリスタンが女装に挑戦、サンセバスチャン映画祭1978の男優銀貝賞を受賞した作品です。
★まずは、米アカデミー賞作品・監督賞を受賞した(3月4日)興奮も覚めやらない3月9日に、マラガ—スール賞*受賞の朗報を貰ったギレルモ・デル・トロから始めたい。現在の178センチの巨漢からは、青い目の金髪、ひどく痩せていた子供だったとは想像できないが、中身はシャイで繊細、モンスターの恋人、妖精物語が大好きな少年そのままです。子供のときの夢は「海洋生物学者か作家、イラストレーター」、「海の中の混沌や恐怖に惹かれる」と、かつて語っていたデル・トロ、『シェイプ・オブ・ウォーター』は子供のころの夢と繋がっているのでしょうか。
*昨年までの「マラガ賞」が、今回から映画動向に詳しい「Diario Sur」のコラボレーションにより賞名変更になったようです。本賞受賞者は海沿いの遊歩道に等身大の記念碑を立ててもらえる。

(ギレルモ・デル・トロ)
★受賞にとどまらず、マラガ映画祭が出版社Luces de Galiboとコラボして、デル・トロの人生やキャリアに関したアントニオ・トラショラスの「Del Toro por Del Toro」という本を出版する。彼のオピニオン、逸話、意見、年代順ではない自由自在に歩き回る伝記まで網羅したデル・トロ紹介本のようです。デル・トロは長編映画『デビルス・バックボーン』(2001)を初めてスペインで撮ったメキシコ監督としてスペインではファンが多い。著者アントニオ・トラショラスは、本作の共同執筆者の一人で旧知の間がら、二人の対談も含まれている由。
★アルモドバル兄弟の制作会社エル・デセオが手掛けたホラー・ミステリー『デビルス・バックボーン』は、国際的に非常に高い評価を受けながらも興行的には芳しくなかった。後年『パンズ・ラビリンス』(06)がハリウッドで成功した折に「わたしの映画は、いくつかの分野にまたがっているので評価が分かれる。『ヘルボーイ』(04)は興行的に成功したが、批評家からは無視された。『デビルス・バックボーン』は批評家からは評価されたが、観客にはそっぽを向かれた。両方が納得してくれたのが、この『パンズ・ラビリンス』だ」と語ることになる。十年以上の歳月を経て、『シェイプ・オブ・ウォーター』で再びハリウッドに戻ってきて、自身が念願の作品賞・監督賞の2冠を手にしたほか、作曲賞・美術賞も受賞した。

(オスカー像と抱き合って喜ぶデル・トロ、アルゼンチン出身のアウグスト・コスタンソ筆)
★中古車売買業者フェデリコ・デル・トロ・トレスを父に、女優グアダルーペ・ゴメスを母に、1964年10月9日、グアダラハラ、ハリスコに生れる。監督、脚本家、製作者、小説家。厳格なカトリックの家庭で育ち、不可知論者。8歳のとき母親の影響を受け短編を撮る。少年青年期には2日に1冊のスピードで読了した本好き、子供向け古典シリーズから家庭医学百科事典、「芸術の鑑賞法」10巻など、絵画、人体について多くを本から学んだ。「これらの百科事典を読んでいたせいで、早くから心気症ヒポコンドリー患者になってしまった」と昨年のシッチェス映画祭2017で語っていた。1986年ロレンサ・ニュートンと結婚、2017年に離婚したが、できるだけ2人の娘と過ごす時間を大切にしている。

(最新作『シェイプ・オブ・ウォーター』をバックにした監督)
★グアダラハラ大学の付属校映画製作研究センターで、特に特殊効果を学ぶ。1985年、特殊効果の制作会社ネクロピア Necropia を設立、翌年シリーズ「Hora marcada」で監督デビュー、6話を手掛ける。20歳のときハイメ・ウンベルト・エルモシージャ監督(1942生れ)と出会い、彼から「もし道がなければ、自分で切り開きなさい」という言葉を貰った。さらに「監督からは若いシネアストへの援助の重要性も教えられた。フアン・アントニオ・バヨナのデビュー作『永遠のこどもたち』のエグゼクティブ・プロデューサーを手掛けたのもその教えです」と。エルモシージャ監督はグアダラハラ大学オーディオビジュアル・アート校で後進の教育に当たっている。
★現在はロスとトロントのどちらかで暮らしているが国籍はメキシコ、「何故なら私はメキシコ人だからです」。ゴチック風の家には膨大な珍しいモンスターなどのコレクション、書籍、おもちゃ類、コミック類が収蔵されている。『デビルス・バックボーン』の撮影地マドリードにも、約5000冊のお気に入りコミック類と一緒に旅をしたというコミック・オタクです。
*主なフィルモグラフィー*(短編・テレビ・脚本・製作のみは省く)
1993 Cronos 『クロノス』監督・脚本
1997 Mimic 『ミミック』同上
2001 El espinazo del diablo 『デビルス・バックボーン』監督・脚本・製作
2002 Blade II 『ブレイド2』監督
2004 Hellboy 『ヘルボーイ』監督・脚本
2006 El laberinto del fauno 『パンズ・ラビリンス』監督・脚本・製作
アカデミー賞撮影・美術・メイクアップ賞の3賞を受賞した作品
2008 Hellboy 2: el ejercito dorado 『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』監督・脚本
2013 Pacific Rim 『パシフィック・リム』監督・脚本・製作
2015 La cumbre escarlata『クリムゾン・ピーク』監督・脚本・製作
2017 La forma del agua『シェイプ・オブ・ウォーター』監督・脚本・製作
ベネチア映画祭2017金獅子賞、ゴールデン・グローブ賞監督賞、アカデミー賞作品・監督賞他
*多数の受賞歴のあるアリエル賞、ゴヤ賞、英国アカデミー賞、他ノミネーションは割愛。
サウラの伝記ドキュメンタリー "Saura(s)" *フェリックス・ビスカレト ― 2017年11月11日 14:44
「パパは85歳」になりました!

★今年のラテンビートでは、カルロス・サウラの新作『J:ビヨンド・フラメンコ』が上映されました。「ホタJota」というアラゴン起源の民俗舞踊と音楽をテーマにしたドキュメンタリー。現在ではリオハやナバラなどでも演奏され、歌、アコーディオン、ガイタ(ガリシアのバグパイプ)、リュート、バンドゥーリアというギターに似た楽器で演奏されます。サウラの生れ故郷ウエスカはアラゴン州の県都です。個人的には初期の『狩り』(65)や1960年代末から1970年代に撮られた作品群の強烈な印象がわざわいして、いわゆるフラメンコ物やタンゴ、ファド、ソンダの音楽舞踊がメインの作品には飽きがきています。
★70年代の作品群の中には、『アナと狼たち』(72)、『従姉アンヘリカ』(73)、『カラスの飼育』(75公開)、『愛しのエリサ』(77)、『ママは百歳』(79)、『急げ、急げ』(81)など大体はジェラルディン・チャップリンがサウラの「ミューズ」であった時代の映画(9作ある)、または製作者エリアス・ケレヘタとタッグを組んでいた時代の映画です。公開されたのは『カラスの飼育』のみ、それも12年後の1987年、他はミニ映画祭上映でした。日本公開作品が如何にフラメンコ物に偏っているかが分かります。ラテンビートで即日完売となった『フラメンコ・フラメンコ』(10)は、本国の映画館では閑古鳥が鳴いていたのでした。

(母子を演じたジェラルディン・チャップリンとアナ・トレント、『カラスの飼育』から)
★前置きが長くなりましたが、ご紹介したいのはフェリックス・ビスカレトのサウラの伝記ドキュメンタリー “Saura(s)”(17、85分)です。1932年生れのサウラは今年85歳になりました。だからではないと思いますが、父親サウラとそれぞれ世代の異なる子供7人と会話を通して対峙させてドキュメンタリーを撮ろうという企画が持ち上がり、7人からは承諾をもらえた。しかし肝心の父親は過去については当然乗り気でない。過去のことなど重要じゃない、これからが大切だというわけでしょう。
★しかし監督は企画に固執する。サウラは描写に拘る。監督は屈服しない。サウラも降参しない。両人とも相譲らなかった。そういう性格のドキュメンタリーのようです。逃げきろうとする老監督の核心にどこまで迫れたか、惚れっぽい女性行脚への匙加減、市民戦争がトラウマになっている先輩の数々の仕事、留守がちだった父親に対する子供たちの言い分、どこまで過不足なく描き切れたかどうかが決め手でしょうか。サウラに限らず過去の自作など恥ずかしくて一切見ない監督は結構おりますね。

(撮影中の左から、次男アントニオ・サウラ、監督、カルロス・サウラ)
★本作はサンセバスチャン映画祭「サバルテギ部門」で上映後、11月3日にスペインで公開されました。鑑賞後の批評には、個人的な部分への立ち入り禁止と同時に、過去の作品の分析回避が顕著だとありました。7人の子供たちといっても第1子カルロスは1958年生れ、末子アンナは1994年生れと親子ほども開きがあります。母親も4人なのでキャスト欄には母親の名前も入れておきました。出典はスペイン語ウイキペディアによりました。日本語版と異なるのは、最初のアデラ・メドラノとは正式に結婚せず(しかしサウラを名乗る)、ジェラルディン・チャップリンと同じパートナーとなっている点です。IMDbには7人のうちシェイン・チャップリンはアップされておりません。
◎主なキャスト
カルロス・サウラ(1932ウエスカ)
エウラリア・ラモン(2006結婚~現在、女優、4人目)
カルロス・サウラ・メドラノ(1958、製作者、助監督、母親アデラ・メドラノ1人目)
アントニオ・サウラ・メドラノ(1960、製作者、同上)
シェイン・チャップリン(1974、心理学者、母親ジェラルディン・チャップリン2人目)
マヌエル・サウラ・メルセデス(1981、母親メスセデス・ぺレス1982結婚~離婚、3人目)
アドリアン・サウラ(1984、同上)
ディエゴ・サウラ(1987、撮影監督、同上)
アンナ・サウラ・ラモン(1994、女優、母親エウラリア・ラモン)
★映画界で仕事をしている子供は、父親の作品にそれぞれ参画しています。ジェラルディン・チャップリンとは、デヴィッド・リーンが『ドクトル・ジバゴ』(65)を撮影費が安く上がるスペインで撮影中、撮影風景を見学に行ったサウラと知り合った。意気投合した二人は以後1979年にパートナー関係を解消した。多分『ママは百歳』が最後の出演映画と思います。1974年には1子を出産したが籍は入れなかった。1979年、チリの撮影監督パトリシオ・カスティーリョと結婚、1986年に高齢出産で生まれたのが女優ウーナ・チャップリンである。前回アップしたセビーリャ映画祭のオープニング作品 ”Tierra firme” のため母子で赤絨毯を踏んだ。シェインとウーナは異父兄妹になる。
★メルセデス・ぺレス(1960年生れ)とは、1978年ごろから関係をもち、最初のマヌエル誕生後の1982年に結婚している。女優エウラリア・ラモンとは、1990年代の自作起用(『パハリコ』『ボルドゥのゴヤ』)が機縁、正式には2006年再婚して現在に至っている。

(娘アンナ、サウラ監督、妻エウラリア、ゴヤ賞2012ガラに3人揃って登場)
★海千山千の老獪な監督のガードは固かったと想像できますが、サウラ像の核心に迫れたかどうか。来年1月下旬、デヴィッド・リンチ(1946)を主人公にしたドキュメンタリー『デヴィッド・リンチ:アートライフ』が公開されます。リンチの「アタマの中」を覗ける、かなり刺激的なドキュメンタリーのようです。今年のカンヌ映画祭で特別上映された『ツイン・ピークス The Return』で観客を驚かせたリンチ、こちらは本人が謎解きをしてくれるとか。切り口は違うが、二人の監督自身がドキュメンタリーの被写体になったのは偶然か。偶然といえば、リンチも4婚している。

(サウラと監督、サンセバスチャン映画祭2017にて)
★フェリックス・ビスカレトFelix Viscarretは、1975年パンプローナ生れ、監督、脚本家、製作者。短編 “Soñadores”(99)、”El álbum blanco”(05)など発表、国内外の短編映画祭で好評を博し受賞歴多数。2007年 ”Bajo las estrellas” で長編デビュー、批評家、観客両方から受け入れられ、マラガ映画祭「銀のビスナガ」監督賞・新人脚本賞、ゴヤ賞2008では脚色賞、主演のアルベルト・サン・フアンが主演男優賞を受賞、その他受賞歴多数。

(デビュー作 ”Bajo las estrellas” のポスター)
★その後、TVミニシリーズで活躍、最近ではサンセバスチャン映画祭2016で、キューバとの合作映画TVミニシリーズ “Cuatro estaciones en La Habana”(Four Seasons in Havana)と “Vientos de La Habana” が上映された。日本でもファンの多いレオナルド・パドゥラの「マリオ・コンデ警部補シリーズ」のスリラーもの。“Cuatro estaciones en La Habana” は、ハバナの春夏秋冬が描かれ、それぞれ約90分のドラマ、そのうちコンデ警部補役ホルヘ・ぺルゴリア以下常連のカルロス・エンリケ・アルミランテほか、フアナ・アコスタ、マリアム・エルナンデスが出演した “Vientos de La Habana” が独立して、2016年9月に公開された。

(“Vientos de La Habana” のポスターを背に、アコスタとぺルゴリア)

(“Vientos de La Habana” の原作者レオナルド・パドゥラ、ビスカレト監督、
後列、アコスタ、ぺルゴリア、エルナンデス、サンセバスチャン映画祭2016にて)
元気印のバルセロナの女性監督たち*カルラ・シモン、ロセル・アギラル・・・ ― 2017年07月10日 15:53
カタルーニャに押しよせる魅惑的な新しい波―独立プロダクションの活躍
★どこの国にも当てはまるのが女性監督の圧倒的な少なさです。特にヨーロッパでも東欧では格差が顕著です。しかしカタルーニャではいささか様子が違うようです。というのも独立系プロダクションで映画作りをしている女性監督の活躍が目覚ましいのです。最近1か月間にカルラ・シモン(1986)の”Verano, 1993”、ロセル・アギラル(1971)の”Brava”、エレナ・マルティン(1992)の”Júlia ist” の新作が次々に公開されることになり話題を呼んでいます。3人ともバルセロナ出身、先月末バルセロナのバルセロ・サンツ・ホテルで行われた鼎談の様子をエル・パイス紙が報じていました。この背景にはESCAC*で映画を学んでいる女性が40%を超えているという現実を見逃すわけにいきません。

(左から、カルラ・シモン、ロセル・アギラル、エレナ・マルティン、バルセロ・サンツにて)
*ESCAC : Escuela Superior de Cinema i Audiovisuals de Catalunya カタルーニャ・シネマ・オーディオビジュアル高等学校。1993年バルセロナ大学の付属校としてバルセロナで設立、翌年開校した。現在は同州のタラサTarrasa(テラッサTerrassa)にあり、現校長はSergi Casamitjanaである。同校の卒業生には、当ブログでもお馴染みのフアン・アントニオ・バヨナ(『怪物はささやく』17)、キケ・マイジョ(『ザ・レイジ 果てしなき怒り』15)、マル・コル(『家族との3日間』09)、ハビエル・ルイス・カルデラ、レティシア・ドレラなどバルセロナ派の優れた監督を輩出している。
★同じバルセロナで仕事をしているが、シモンとアギラルは初顔合わせだった。それは年齢差の他に、映画を学んだ出身校の違いもありそうです。例えばシモンはバルセロナ自治大学のオーディオビジュアル・コミュニケーション科を卒業後、映画はロンドン・フィルム・スクールで4年間学んでいる。アギラルがバルセロナ自治大学でジャーナリズムを学んでいるときは、ESCACはまだ設立前だった。マルティンはバルセロナのポンペウ・ファブラ大学(1990設立)を卒業、この公立大学で学ぶ女子学生数は74%に達しており、スペイン全体では51%と男子学生を逆転してしまっている。女性シネアストの活躍にはこのような裾野の広がりがあるようです。
「ロンドンでの4年間が私を映画作りに駆り立てた」とカルラ・シモン
★カルラ・シモン(バルセロナ1986)の監督、脚本家。”Verano 1993”(カタルーニャ語題 “Estiu 1993”)でデビュー、ベルリン映画祭2017ジェネレーション部門の第1回作品賞・国際審査員賞、マラガ映画祭2017では作品賞「金のビスナガ」とドゥニア・アジャソ賞を受賞した。この賞はガン闘病の末に2014年鬼籍入りしたドゥニア・アジャソ監督の功績を讃えて設けられた賞。第7回バルセロナD'Autor映画祭正式出品。他にブエノスアイレス・インディペンデント映画祭監督賞、イスタンブール映画祭審査員特別賞などを受賞している。選考母体が欧州議会の第11回ラックス賞のオフィシャル・セレクション10本にも選ばれています。プロットは紹介記事を読んでもらうとして、「両親がエイズで亡くなったため叔父さん夫婦と従妹と一緒に暮らさねばならなくなった6歳の少女の一夏の物語」です。観客にも批評家にも好感度バツグン、両方に評価されるのは、易しそうでいてなかなか難しいものです。主役の少女フリーダは監督自身に重なります。つまり監督のビオグラフィーがもとになっていて、6歳にしてはちょっとおませな少女像です。

(養父を演じたダビ・ベルダゲルとフリーダ役のライア・アルティガス)
★ロンドンでの4年間が私を映画作りに駆り立てた。というのもロンドン時代に「内に抱いている、心を動かされる物語を語りたいと強く突き動かされた」からです。バルセロナに評判の高い独立プロダクションが本当に存在するかどうか具体的に答えるのは難しいが、「カタルーニャの女性監督の数がここにきて急に増えたことは確かなことです。要するにカギはこうしたいという意思表示や本当にやる気があるかどうかです。とても小さい世界ですから、お互いに刺激やエネルギーのやり取りがしやすい。ロンドンでは誰とも親しくしなかった。マル・コル監督やプロデューサーのバレリエ・デルピエレと交流し、結果彼女がプロモートしてくれた」。バレリエ・デルピエレは本作のエグゼクティブ・プロデューサーの一人です。 本作を支えてくれたスタッフの80%が女性だったことも明かしていた。

(ライア・アルティガスに演技指導をするシモン監督)
* “Estiu 1993” とカルラ・シモンの紹介記事は、コチラ⇒2017年2月22日/3月27日
「マドリードよりバルセロナのほうが自由がある」とロセル・アギラル
★ロセル・アギラル(バルセロナ1971)の監督、脚本家。”Brava”(2017)は第2作、3人のうち一番年長のロセル・アギラルの ”Brava” は、マラガ映画祭の記事で作品と監督のキャリアを紹介しております。新人とは言えませんが、国際的にも高い評価を受けたデビュー作 ”La mejor de mí” が2007年と10年前になり、女性監督のおかれた地位の険しさを改めて感じさせられます。「第2作をクランクインさせるまで長くて曲がりくねった道を辿りましたが、撮りたい映画を作れるわけではありません。胎児を引っ張り出す助けをする助産婦さんのようなものです」と生みの苦しみをのぞかせた。それでも「マドリードは産業的だが、反対にバルセロナの独立プロダクションはより自由に伸び伸びと作らせてくれる」とカタルーニャのindieの柔軟さを語っていた。

(ヒロインのライア・マルルを配したポスター)
★「20年前には、フェミニズムや男女平等について語ることは恥で、それは映画でさえ僅かでした。今日でも相変わらず男尊女卑が大手を振るっていますから、声を張り上げなければなりません」と。ESCAC内には「観客を置き去りにしない多くの独立プロダクションがあって、決まりきった事柄を回避する良い方法が得られます」とも。「私たちが望むのは現在の不均衡を是正して欲しいだけです。というのも私たちは男性が作るあまりに単純化された一方向性の世界観に馴らされてしまっているからです」と警鐘を鳴らしておりました。

(ロセル・アギラル監督)
*”Brava” とロセル・アギラルの紹介記事は、コチラ⇒2017年3月11日
「映画史は学ばなかった。学んだのは男性映画史だった」とエレナ・マルティン
★エレナ・マルティン(バルセロナ1992)”Júlia ist”(2017)はデビュー作、マラガ映画祭2017のZonaZine部門の作品賞、監督賞を受賞している他、第7回バルセロナD'Autor映画祭に正式出品された。自ら主役ジュリア(フリア)を演じた自作自演のデビュー作。新世代の代表的監督の一人、映画と舞台、監督と女優と二足の草鞋を履いている。バルセロナのポンペウ・ファブラ大学UPFの学生時代に仲間4人と共同監督した”Las amigas de Agata”(15)でも主役のアガタに扮した。本作は「ポンペウ・ファブラ大学の最終学年に閃いた作品、公立大学のUPFにはESCACのような制作会社がないので常に資金不足、コストを下げるために、およそ持てるもの全てにについて議論し励ましあい、グループで作っている」とマルティン。彼女の仲間たちにとって「アメリカ映画、例えば『今日、キミに会えたら』(”Like Crazy”2011)を見ることはヒントになった。なぜなら若人たちの会話とか状況が似通っていたからです」と語っている。まだ経験不足でバルセロナの映画産業について語る立場にないが、「大学では映画史は学ばなかった。学んだのは男性映画史だった。コンペティションも男性優位、女性が作る映画は取るに足りないと遠ざけられる」とも語っている。

(ヒロインのエレナ・マルティンを配したポスター)
★当ブログ初登場作品、脚本はエレナ・マルティン、ポル・レバケ、マルタ・クルアニャス、マリア・カステリビの共同執筆、撮影はポル・レバケ。キャストはエレナ・マルティン、オリオル・プイグ、ラウラWeissmahrほか、90分、スペイン公開6月16日。プロット「ジュリアはバルセロナ建築大学の学生、深く考えたわけではないがベルリンにエラスムスに行こうと決心する。初めて家を離れるのも冒険なのだ。ところがベルリンでは、どんよりとして冷たい想像を超えた凍てつくような寒気という手痛い歓迎を受けてしまった。期待と現実の落差に立ち向かうことになるが、どう見ても新しい人生はバルセロナで考えていたようなものとはかけ離れ過ぎていた」。エラスムスに行くというのはEU域内を対象にした留学奨励制度を指していると思うが、あるいは世界各国に対象を広げたエラスムス・ムンドゥスかもしれない。

(ジュリアを演じたエレナ・マルティン、映画から)
★意を尽くせませんでしたが鼎談のあらあらを総花的にご紹介いたしました。バルセロナはマドリードよりindie独立プロダクションで製作する監督が多く、その中にはイサキ・ラクエスタ&イサ・カンポ夫婦(“La proxima piel” マラガ映画祭16)、カルロス・マルケス=マルセ(“10.000 KM”マラガ映画祭14)、マルク・クレウエト(“El rey tuerto” マラガ映画祭16)などもおり、当ブログでもご紹介しております。
* “La proxima piel” マラガ映画祭2016の紹介記事は、コチラ⇒2016年4月29日
* “10.000 KM” マラガ映画祭2014の紹介記事は、コチラ⇒2014年4月11日
* “El rey tuerto” マラガ映画祭2016の紹介記事は、コチラ⇒2016年5月5日
BAFICI第19回作品賞はアドリアン・オルの「Ninato」*ドキュメンタリー ― 2017年05月23日 15:44
受賞作のテーマは多様化する家族像と古典的?

★インターナショナル・コンペティションの最優秀作品賞は、アドリアン・オルOrrのデビュー作「Niñato」(2017)、どうやら想定外の受賞のようでした。本映画祭はデビュー作から3作目ぐらいまでの監督作品が対象で、4月下旬開催ということもあって情報が限られています。今年は20本、日本からもイトウ・タケヒロ伊藤丈紘の長編第2作「Out There」(日本=台湾、日本語142分)がノミネートされ話題になっていたようです。昨年のマルセーユ映画祭やトリノ映画祭、今年のロッテルダムに続く上映でした。審査員も若手が占めるからお互いライバル同士になります。スペインが幾つも大賞を取ったので審査員を調べてみましたら、以下のような陣容でした。
★エイミー・ニコルソン(米国監督)、アンドレア・テスタ(亜監督)、ドゥニ・コテ(カナダ監督)、ニコラスWackerbarth(独俳優・監督)、フリオ・エルナンデス・コルドン(メキシコ監督)の5人、最近話題になった若手シネアストたちでした。アルゼンチンのアンドレア・テスタは、カンヌ映画祭2016「ある視点」に夫フランシスコ・マルケスと共同監督したデビュー作「La larga noche de Francisco Sanctis」がノミネートされた監督、ニコラスWackerbarthは、間もなく劇場公開されるマーレン・アデのコメディ『ありがとう、トニ・エルドマン』に脇役として出演しています。フリオ・エルナンデス・コルドンは、米国生れですが両親はメキシコ人、彼自身もスペイン語で映画を撮っています。2015年の「Te prometo anarquía」がモレリア映画祭でゲレロ賞、審査員スペシャル・メンション、ハバナ映画祭脚本賞、他を受賞している監督です。ということでスペインの審査員はゼロでした。
*A・テスタ& F・マルケス「La larga noche de Francisco Sanctis」紹介は、コチラ⇒2016年5月11日
「Niñato」ドキュメンタリー、スペイン、2017
製作:New Folder Studio / Adrián Orr PC
監督・脚本・撮影:アドリアン・オル
編集:アナ・パーフ(プファップ)Ana Pfaff
視覚効果:ゴンサロ・コルト
録音:エドゥアルド・カストロ
カラーグレーディングetalonaje:カジェタノ・マルティン
製作者:ウーゴ・エレーラ(エグゼクティブ)
データ:製作国スペイン、スペイン語、2017年、ドキュメンタリー、72分、撮影地マドリード
映画祭・受賞歴:スイスで開催されるニヨン国際ドキュメンタリー映画祭Visions du Réel2017でワールド・プレミア、「第1回監督作品」部門のイノベーション賞受賞、ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭Bafici2017「インターナショナル・コンペティション」で作品賞受賞
キャスト:ダビ・ランサンス(父親、綽名ニニャト)、オロ・ランサンス(末子)、ミア・ランサンス(次女)、ルナ・ランサンス(長女)
プロット・解説:ダビは3人の子供たちとマドリードの両親の家で暮らしている。定職はないが子育てをぬってラップ・シンガーとして収入を得ている。彼の夢は自分の音楽ができること、3人の子供たちを養育できること、自分の時間がもてて、それぞれあくびやおならも自由にできれば満足だ。重要なのは経済的な危機にあっても家族が一体化すること、粘り強さも必要だ。しかし時は待ってくれない、ダビも34歳、子供たちもどんどん大きくなり難しい年齢になってきた。特に末っ子のオロには然るべき躾と教育が必要だ。何時までも友達親子をし続けることはできない、ランサンス一家も曲がり角に来ていた。およそ伝統的な家族像とはかけ離れている、風変わりな日常が淡々と語られる。3年から4年ものあいだインターバルをとって家族に密着撮影できたのは、ダビと監督が年来の友人同士だったからだ。
短編第3作「Buenos dias resistencia」の続編?
★アドリアン・オルAdrián Orrは、マドリード生れ、監督。助監督時代が長い。ハビエル・フェセルの成功作『カミーノ』(2008)、ハビエル・レボージョの話題作「La mujer sin piano」(09、カルメン・マチ主演)、父親の娘への小児性愛という微妙なテーマを含むモンチョ・アルメンダリスの「No tengas miedo」(11)、劇場公開されたアルベルト・ロドリゲスの『ユニット7/麻薬取締第七班』(12)と『マーシュランド』(14)、フェデリコ・ベイロフのコメディ「El apóstata」(15)などで経験を積んでいる。

★今回の受賞作は2013年に撮った同じ家族を被写体にしたドキュメンタリー「Buenos dias resistencia」(20分)の続きともいえます。つまり何年かにわたってランサンス一家を追い続けているわけです。同作は2013年開催のロッテルダム映画祭、テネリフェ映画祭、Bafici短編部門などで上映、トルコのアダナ映画祭(Adana Film Festivali)の金賞、イタリア中部のポーポリ映画祭(Festival dei Popoli)、ポルトガルのヴィラ・ド・コンデ短編映画祭(Vila do Conde)ほかで受賞している。Bafici 2013の短編部門に出品されたことも今回の作品賞につながったのではないでしょうか。下の子供3人の写真は、短編のものです。他に短編「Las hormigas」(07)と「De caballeros」(11)の2作がある。


(ランサンス家の3人の子供たち、中央がルナ)

(ポーポリ映画祭でインタビューを受ける監督、2013年12月)
★タイトルになったniñatoは、若造、青二才の意味、普通は蔑視語として使われる。親がかりだから一人前とは評価されない。2013年ごろはスペインは経済危機の真っ最中、「EUの重病人」と陰口され、若者の失業率50パーセント以上、失業者など掃いて捨てるほどというご時世でした。しかし3人子持ちの父子家庭は珍しかったでしょう。少しは改善されたでしょうが、スペイン経済は道半ばです。別段エモーショナルというわけでなく、ダビが子供たちを起こし、着替えや食事をさせ、一緒に遊び、ベッドに入れるまでの日常を淡々と映しだしていく。オロがシャワーを浴びながら父親譲りのラッパーぶりを披露するのがYouTubeで見ることができます。現在予告編は多分まだのようです。

(niñatoのダビ・ランサンス)
★純粋なドキュメンタリー映画というよりフィクション・ドキュメンタリーficdocまたはドキュメンタリー・フィクションficdocと呼ばれるジャンルに入るのではないかと思います。ドキュメンタリーもフィクションの一部と考える管理人は、ジャンルには拘らない。今カンヌで議論されているネットフリックスが拾ってくれないかと期待しています。
レトロスペクティブ賞にフェルナンド・レオン*マラガ映画祭2017 ― 2017年03月18日 10:29
レトロスペクティブ賞はフェルナンド・レオン・デ・アラノア
★レトロスペクティブ賞は貢献賞または栄誉賞の色合いが強い賞、直近では2014年ホセ・サクリスタン、2015年イサベル・コイシェ、昨年がグラシア・ケレヘタ、2年連続で女性監督でした。さて、今年のフェルナンド・レオン・デ・アラノアは、1968年5月マドリード生れの監督、脚本家、製作者。マドリード・コンプルテンセ大学情報科学部卒、テレビドラマの脚本家としてキャリアをスタートさせた。48歳と受賞者としては若いほうかもしれません。マラガ映画祭にエントリーされた映画もなく、個人的には少し意外感がありました。何かしら社会に意義を唱える作家性の強い監督だが、同時に商業映画としての目配りもおろそかにしないバランスの良さ、いわゆる社会の空気が読める柔軟性がある。

*長編第1作「Familia」(1996)は、幸運にも「スペイン映画祭1998」に『ファミリア』の邦題で上映された。この映画祭のラインナップは画期的なものでアルモドバルが面白かった時期の『ライブ・フレッシュ』、失明の危機にあったリカルド・フランコの『エストレーリャ』、モンチョ・アルメンダリスの『心の秘密』など名作揃いだった。そして本映画祭で初めて知った監督がフェルナンド・レオン・デ・アラノアだった。中年の独身男(フアン・ルイス・ガリアルド)が1日だけ理想的な家族を演じる人々を募集して、対価を払って家族ごっこをする。社会制度としての永続的な家族に疑問を呈した。役者もよかったが辛口コメディとして成功した。妻役がアンパロ・ムニョス、十代の娘役になるのが本作がデビュー作となるエレナ・アナヤだった。ゴヤ賞新人監督賞受賞、バジャドリード映画祭では国際映画批評家連盟賞と観客賞を受賞した作品。写真下、和やかなのは疑似家族だから。

*第2作が「Barrio」(98)は、現代のどこの都市でも起こり得るマージナルな地域バリオで暮らす3人の若者群像を描いた。サンセバスチャン映画祭監督賞、ゴヤ賞監督賞と脚本賞を受賞したほか、フォルケ賞、サン・ジョルディ賞、トゥリア賞など、スペインの主だった映画賞を受賞している。
*第3作がハビエル・バルデムを主役に迎えた「Los lunes al sol」(02)、『月曜日にひなたぼっこ』の邦題で「バスクフィルム フェスティバル2003」で上映された。バスクと言ってもスペイン語映画で、主にバスク出身の若い監督特集映画祭の色合いが濃かった。アレックス・デ・ラ・イグレシアが『マカロニ・ウエスタン800発の銃弾』をお披露目かたがた来日した。マドリード出身のフェルナンド・レオンの映画が加わったのは異例で、それは北スペインの造船所閉鎖にともなう労働争議が舞台背景にあり、ヒホン造船所がモデルだった。撮影はヒホンと雰囲気が似通っているガリシアの港湾都市ビゴが選ばれたと言われている。ビゴはルイス・トサールの出身地でもある。ゴヤ賞監督賞を受賞したほか作品賞を含めてバルデムが主演、トサールが助演、ホセ・アンヘル・エヒドが新人と男優賞全てをさらった。さらにアカデミー賞スペイン代表作品にも選ばれるなどした(ノミネーションには至らなかった)。スペイン北部の造船所閉鎖によって失業を余儀なくされた落ちこぼれ中年男たちの群像劇。観客を憂鬱にさせないユーモアを効かせた筋運び、それでいてしっかり怒り、挫折、失望、人生の浮沈を織り込んでいる。デモシーンの実写を取り入れる画面構成もなかなか迫力があった。一番の成功作かもしれない。

(ルイス・トサールとハビエル・バルデム)
*第4作がカンデラ・ペーニャを起用しての「Princesas」(05)、本作で初めてプロデューサーとして参画、主役に初めて女性を据え、二人の女優に友人同士の娼婦を演じさせた。一人はスペインの娼婦、もう一人はドミニカから移民してきた娼婦、女性の一番古い伝統的職業である娼婦、スペインへ押し寄せる移民という問題を取り入れた。二人ともゴヤ賞主演にカンデラ・ペーニャ、新人女優賞にミカエラ・ネバレスが受賞した他、マヌ・チャオがオリジナル歌曲賞を受賞した。

(カンデラ・ペーニャとミカエラ・ネバレス)
*ゴヤ賞に絡まなかったのは第5作「Amador」(10)だけ。第6作は英語で撮った「A Perfect Day」。スペイン語題は「Un dia perfecto」でカンヌ映画祭2015「監督週間」で上映され、ゴヤ賞2016では脚色賞を受賞、プレゼンターだった再婚ホヤホヤのバルガス=リョサからゴヤ胸像を受け取った。本作については紹介記事をアップしています。
*「Un dia perfecto」の紹介記事は、コチラ⇒2015年5月17日

(バルガス=リョサからゴヤ胸像を手渡されて、ゴヤ賞ガラ2016年)
★長編ドキュメンタリーも4作あり、第3作「Invisibles」(07)はイサベル・コイシェやマリアノ・バロッソ以下5監督合作だが、ゴヤ賞2008長編ドキュメンタリー賞を受賞している。寡作ではあるがゴヤ賞との相性がよい監督である。最新ドキュメンタリーは、新党ポデモスを追った「Politica, manual de instrucciones」(16)である。政治的には旗幟鮮明ということもあって評価は分かれるようですが、何はともあれスペイン映画の一つの顔であることには間違いない。運も幸いしているのかもしれませんが彼のような映画も必要だということです。
★コロンビアのメデジン・カルテルの伝説的な麻薬王エスコバルのビオピックを撮るとアナウンスして大分経ちますが、やっと2016年10月クランクインした。1980~90年代のエスコバルをハビエル・バルデム、その愛人のビルヒニア・バジェッホにペネロペ・クルス、両人とも久々のスペイン語映画になります。元ジャーナリストだったビルヒニア・バジェッホの同名回想録“Amando a Pablo, odiando a Escobar”(2007年刊)の映画化。タイトルはズバリ“Escobar”です。今年後半公開の予定ですが、あくまで予定は未定です。これは公開を期待していいでしょう。

(まだ未完成だがポスターは完成している)
サンティアゴ・セグラ、「金のメダル」受賞のニュース ― 2016年06月11日 18:02
「そろそろ私にくれてもいいのじゃないかな・・・」
★4月半ばに発表されていたスペイン映画アカデミーの「金のメダル*」、今年はサンティアゴ・セグラ、「スペイン映画における多方面にわたる全功績に対して」贈られる。授賞式は秋なので近くなってからと思っていましたが、第3回イベロアメリカ・プラチナ賞の総合司会者に決定したこともあり、早めにアウトラインをアップすることにしました。昨年はフアン・ディエゴとアイタナ・サンチェス=ヒホンという異例の二人受賞でした*。アナウンスされるたびに、「彼(彼女)は未だ貰っていなかったのね」と驚きますが、今年も同じ感想をもちました。

(イベロアメリカ・プラチナ賞の司会者に選ばれて、右側にあるのがトロフィー)
*メダルの正式名は、Medalla de Oro de la Academia de las Artes y las Ciencias Cinematográficas de España と長く、通称金のメダルです。スペイン映画アカデミーが選考、受賞対象者は、製作者、監督、脚本家、俳優、音楽家、撮影者などオール・シネアスト。 1991年から始まり、第1回受賞者はフェルナンド・レイでした。内戦前のスペイン映画界に寄与した製作会社CIFESAの設立者であったビセンテ・カサノバに敬意を表して、1986年に設けられた賞が前身。最近の受賞者は、アンヘラ・モリーナ(13、女優)、マヌエル・グティエレス・アラゴン(12、監督)、ホセ・ルイス・アルカイネ(11、撮影監督)、ロサ・マリア・サルダ(10、女優)、カルメン・マウラ(09、同)、マリベル・ベルドゥ(08、同)、ほかジェラルデン・チャップリン(06)、コンチャ・ベラスコ(03)など女優の受賞者が目立っている。
*昨2015年の「金のメダル」の記事は、コチラ⇒2015年8月1日・同年11月20日
★サンチャゴ・セグラSantiago Segura Silva:1965年7月17日、マドリードの下町カラバンチェル生れの50歳、俳優・監督・製作者・脚本家・テレビ司会者・声優と多方面で活躍、ポルノ小説のペンネームはBeaベア、またはBeatrizベアトリス(イラストはホセ・アントニオ・カルボが描いた)、「トレンテ」と言えば彼を指す。本気でキャリアを紹介しようとすれば、二足どころか五足も六足も履いているから、そう簡単にはいかない。見た目からは窺い知れない複雑でインテリジュンスの持ち主、最近30年間のスペイン映画は、アレックス・デ・ラ・イグレシア同様彼なしには語れない。日本語ウィキペディアはスペインのシネアスト紹介としては充実しており全体像はつかめます。まずは喜びの談話から。
★「私の最初のリアクションは驚きと責任の重さです。(発表がある度に)いつももっと他に相応しい人物がいるのじゃないかと思ったり、時には自分にくれてもいいのじゃないかと思ったり」と相変わらず冗談を飛ばしながらもホンネをポロリ。「私のキャリアも既に終盤戦に入ってきているから、多分早くやらないと間に合わなくなると思ったのかもしれない。私自身はまだ将来有望な若者と思っているけれど、気がついてみれば、愛するファンに言いたい放題をしてもう30年も経っている」。アカデミーによると、授賞の知らせを伝えると、一呼吸してから、「私に票を投じてくれたアカデミーのメンバーに感謝を申し上げたいが、実は、それだけでなく反対意見の人にも敬意を表したい」と返答したそうです。
★マドリードの公立中高学校サン・イシドロで学ぶ。12歳のときマドリードの蚤の市で購入した(900ペセタ)ボレックスBolexのスーパー8ミリで3分程度の短編を撮り始める。マドリードのコンプルテンセ大学では趣味が嵩じて美術を専攻、デッサンの才能をあらわした。卒業後はポルノ小説を執筆するかたわら、声優、仲間とのインディペンデント演劇、ウエイター、書籍の訪問販売などの仕事をした。1989年、わずか6000ペセタの資金で撮った8ミリの“Relatos de medianoche”が、翌年バレンシア青年シネマ・コンクールに入賞、10万ペセタを獲得した。このコンクールの審査員の一人がフェルナンド・トゥルエバだった。バレンシアのお礼にトゥルエバ宅を訪れると、35ミリで撮ることを勧められた。この幸運の出会い、トゥルエバの賞賛と助言によって今日のセグラが存在する。(トゥルエバ作品では1995年『あなたに逢いたくて』、1998年『美しき虜』に出演している。)
★5人の仲間と協力して5本の短編を撮り、テレビ局のコンクールに応募、そのうちの“Vivan los novios”が受賞して7万ペセタを得る。最初のプロとしての短編1作目はホラー映画『エルム街の悪夢』の主人公フレディ・クルーガーのような精神病質者の物語“Evilio”(92)、第2作目は美しい女性ばかりを狙う殺人鬼の反社会的な物語“Perturbado”(93)、本作がゴヤ賞1994の短編映画賞を受賞し、国営テレビでも放映された。
★俳優としては、何といっても相性がいいのがアレックス・デ・ラ・イグレシア映画の常連、デビュー作『ハイルミュタンテ!電撃××作戦』(93)から、つづく『ビースト 獣の日』でゴヤ賞2016新人男優賞を受賞、いきなりスターダムにのし上がった。『ペルディータ』、『どつかれてアンダルシア』、『気狂いピエロの決闘』、『刺さった男』、女装して魔女になった『スガラムルディの魔女』など。もう一人がメキシコのギレルモ・デル・トロ監督、『ブレイド2』(02)を始めとして、『ヘルボーイ』、『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』、最新作は『パシフィック・リム』(13)でしょうか。
ホセ・ルイス・トレンテは時代錯誤、映画はそうじゃない
★長編映画デビューは、1998年から始まった「トレンテ・シリーズ」、第1作“Torrente, el brazo tonto de la ley”の監督・脚本・製作者・主役と4足の草鞋を履いた。本作の邦題は『トレンテ ハゲ!デブ!大酒飲みの女好き!超肉食系スーパーコップ』というタブー語混じりのなんともはや凄まじいもの。彼はスコセッシの『レイジング・ブル』(80)で実在のミドル級ボクサーに扮したロバート・デ・ニーロに見倣って、体重を20キロ増量して悪徳警官ホセ・ルイス・トレンテになった。デ・ニーロはアカデミー主演男優賞、セグラはゴヤ賞1999新人監督賞を受賞し、三つ目のゴヤ胸像を手にしました。

(第1作“Torrente, el brazo tonto de la ley”のジャケット)
★悪徳警官トレンテの人格造形は、ピーター・セラーズ演ずるパリ警察のクルーゾー警部から1981年2月23日クーデタ、いわゆる23-Fの実行部隊を指揮した実在のアントニオ・テヘロ中佐(1996年釈放、現在故郷マラガ在住84歳)までを網羅しているといわれる。批評家と観客の乖離が甚だしい毀誉褒貶のシリーズだが、毎回興行成績は飛びぬけている。どの「トレンテ」も物議を醸したのだが、なかで『トレンテ4』が一番賑やかだった。

(いろいろあった『トレンテ4』のポスター)
★「EUの重病患者」または「EU のお荷物」と世界から批判された経済破綻の時期に製作された。タイトルもそのものずばりの“Torrente 4 : Lethal Crisis”でした。2011年のスペイン国内での観客動員数264万人、興行成績1957万ユーロを叩き出し、「スペイン映画界の救世主」とまでいわれた。しかし翌年のゴヤ賞のノミネーションはゼロ、たちまちネット上では不満や非難のつぶやきが始まり、2月20日のガラで頂点に達した。セグラ自身が舞台上で、映画初出演ながら真剣に映画に取り組んだ歌手キコ・リベラを軽視した映画アカデミーを挑発したからです。キコ・リベラは闘牛士パキーリことフランシスコ・リベラとコプラ歌手イサベル・パントーハの息子。パキーリを継いだパキリンが渾名、彼自身は「やあ皆さん、ありがとう、少し気落ちしているだけで怒っていないよ。(テレビの)授賞式は見なかった」とツイートした。

(サンティアゴ・セグラとキコ・リベラ)
★「4」はラテンビート2011で『トレンテ4』として上映された。この年は『私が、生きる肌』、『ブラック・ブレッド』、『気狂いピエロの決闘』、『ザ・ウォーター・ウォー』、アニメ『チコとリタ』など充実のラインナップでした。第5作目“Torrente 5 : Operación Eurovegas”には、ハリウッドスター、アレック・ボールドウィンが出演して話題をまいた。現在2017年公開予定の6作目が進行中(タイトルは未定)、その度に体重の20キロ増減を繰り返している(笑)。トレンテについては別項を設けたほうがいいかもしれないが、彼が出演した他の映画にも触れないと。

(「トレンテ5」出演の アレック・ボールドウィンと監督)
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