第39回ゴヤ賞2025栄誉賞にアイタナ・サンチェス=ヒホン*ゴヤ賞2025 ① ― 2024年12月09日 11:41
総合司会者にベテラン女優マリベル・ベルドゥとレオノール・ワトリング
(アイタナ・サンチェス=ヒホン)
★第39回ゴヤ賞2025の授賞式は、既に2月8日(土)のグラナダ開催が決まっておりました(グラナダ展示会議宮殿にて開催)。今年はノミネーション発表が遅れていますが、10月8日、スペイン映画アカデミー会長フェルナンド・メンデス=レイテ、グラナダ市長マリフラン・カラソ、副会長ラファエル・ポルテラ、グラナダ市議会文化評議員フアン・ラモン・フェレイラなどが出席して、イスラム建築であるサント・ドミンゴの王の間にてゴヤ賞の大枠が発表されました。
(映画アカデミー会長メンデス=レイテ、グラナダ市長マリフラン・カラソ)
★11月13日、ガラ当日の総合司会者の発表がありました。マリベル・ベルドゥとレオノール・ワトリング、日本でも公開作品の多い知名度抜群の女優二人が仕切ることになりました。
(総合司会者マリベル・ベルドゥ、レオノール・ワトリング)
★マリベル・ベルドゥ(マドリード1970)は「レオノールと私は親友同士、私たちは共にエネルギッシュです。二人ともやるべき仕事を理解しており、チームを組んでやります。だからガラでは、ご覧になってくださる方々が楽しめるよう司会することに務めます。ゴヤ賞という特別な夕べに愛をこめて取りくみます。どうか上手くいきますように!」と表明した。
*ゴヤ賞ではビセンテ・アランダの『アマンテス』(91)で初ノミネートされてから何回も対抗馬に敗れ、グラシア・ケレヘタの「Siete mesas de billar francés」(07)が「5度目の正直」となって受賞するまでの道程が長かった。しかしその後の怒涛の受賞歴は以下のキャリア紹介に譲ります。
*マリベル・ベルドゥのキャリア&フィルモグラフィー紹介は、コチラ⇒2014年04月07日
★レオノール・ワトリング(マドリード1975)は「ゴヤ賞のガラに、私が尊敬するマリベルと一緒に司会することが夢でした。名誉なことでありますが責任も感じています。素晴らしいシナリオ作家たちが私たちと一緒だなんて何と力強いことでしょう!」と強調しました。やはりガラ全体を構成する脚本家の良し悪しが鍵を握っています。
*ゴヤ賞関連では、アントニオ・メルセロの「La hora de los valientes」(98)、イネス・パリス他の『マイ・マザー・ライクス・ウーマン』(02)でノミネートされただけです。デビューは1990年代初めですが、ビガス・ルナの『マルティナは海』(01)で日本初登場、次いで翌年アルモドバルの『トーク・トゥ・ハー』でブレイクした。バンド Marlango のボーカルとしても活躍している。
*レオノール・ワトリングのキャリア紹介は、コチラ⇒2014年06月11日
ゴヤ栄誉賞2025の受賞者アイタナ・サンチェス=ヒホン
★11月17日、スペイン映画アカデミーは、ゴヤ賞2025ゴヤ栄誉賞受賞者にアイタナ・サンチェス=ヒホン(ローマ1968)をアナウンスしました。映画のみならず舞台、TVシリーズで40年に及ぶキャリアの持ち主です。アカデミー理事会は「最初から仲間から愛され、尊敬され、批評家のみならず観客からの評価も高い」、メンデス=レイテ会長は「真面目で責任感が強く、有能で親密、すべての作品に誠実さと深みを与える方法を熟知している」ことを授賞理由に挙げました。
(インタビューを受ける受賞者、プレス会見にて)
★一方、アイタナは授賞の知らせに「圧倒され、とても感謝して幸せに浸っています」とコメント、また女優にとって栄誉賞は「名誉であり、仲間から愛されていると感じられる、映画ファミリーの一員であることを意味します。プロとして40年が経ちましたが、自分が愛されていると感じて感動しています。これからの前進の励みになります」と語った。
(メンデス=レイテ会長とアイタナ・サンチェス=ヒホン)
★過去の女性受賞者は8名、うち直近10年間の受賞者が5対5と男性と拮抗していて、やっと女性シネアストが評価される時代が到来したことを実感します(他の4人はアンヘラ・モリーナ、ぺパ・フローレス〈マリソル〉、マリサ・パレデス、アナ・ベレン)。今は亡きビガス・ルナの『裸のマハVolavérunt』のアルバ公爵夫人役でサンセバスチャン映画祭1999銀貝賞の女優賞を受賞、アルモドバルの『パラレル・マザーズ』(21)でゴヤ賞助演女優賞に初ノミネートされ、フェロス賞とイベロアメリカ・プラチナ賞には受賞した。別途紹介記事を予定していますが、スペイン映画アカデミー金のメダルをフアン・ディエゴと受賞した折に、紹介記事をアップしています。
*アイタナ・サンチェス=ヒホンの紹介記事は、コチラ⇒2015年08月01日
ロドリゴ・プリエトの『ペドロ・パラモ』④*キャスト紹介 ― 2024年12月04日 13:09
PG13では撮れなかった『ペドロ・パラモ』
★メキシコで『ペドロ・パラモ』を読むのは大体高校生から、早い子供で中学生くらいから手にする。ネットフリックスからプリエト監督にオファーがきたときは「PG13」だった(担当者は原作を読んでいない?)。それでは殺人、近親相姦、ヌードは撮れない。R指定を条件に引き受けたと監督。こうしてスサナ・サン・フアンを演じたイルセ・サラスのヌードが可能になったようです。
★ハリスコ州の架空の田舎町コマラを舞台に、20世紀初頭に起きたメキシコ革命とクリステロ反乱を時代背景にした『ペドロ・パラモ』のキャスト・プロフィール、並びに各登場人物の立ち位置を含めてアップします。映画では採用されなかった語り手の重要なモノローグ、コマラは「去る人には上り坂、来る人には下り坂」(断片1)の町、閉じ込められてもがく人、不幸を予感しながら再び戻る人も描かれる。
マヌエル・ガルシア=ルルフォ(ペドロ・パラモ役)
1981年グアダラハラ生れ。初期にはアメリカ映画出演が多いので、ネットフリックス配信を含めると字幕入りで鑑賞できる作品多数。黒澤明の『七人の侍』他のリメイク版『マグニフィセント・セブン』(米、16)、ケネス・ブラナーの『オリエント急行殺人事件』(17)、トム・ハンクスと共演した『オットーという男』(21)、『スイートガール』(21)、最近公開されたカルロス・サウラの『情熱の王国』(西=メキシコ合作、21)で演出家マヌエルを主演、メキシコのマノロ・カーロの『巣窟の祭典』(24)と本作でも主演している。
★ペドロ・パラモ:コマラの繁栄と没落を象徴する権力者にして渇望と絶望の語り手、男性性の賛美、言葉による妻への暴力、家父長制主義の加害者にして犠牲者。荒んだペドロの唯一の救いだったスサナ・サン・フアンへの不毛の愛、彼はスサナを迎え入れるために絶大な権力を求めるが、彼女がどういう世界に住んでいたかを永遠に理解できない不幸な孤独者。ペドロはギリシャ語の pétros「石」より派生、パラモは「荒地」を意味する。
(ペドロ・パラモ役のマヌエル・ガルシア=ルルフォ)
テノッチ・ウエルタ・メヒア(フアン・プレシアド役、ペドロの息子)
1981年メヒコ州エカテペック生れ、ガエル・ガルシア・ベルナルの『太陽のかけら』(07)、キャリー・フクナガの『闇の列車、光の旅』(09)、エベラルド・ゴウト『クライム・シティ』(11)に主演、エドゥビヘス役のドロレス・エレディアと共演、スペインのマヌエル・マルティン・クエンカの『小説家として』(17)、ベルナルド・アレジャノのホラー『闇に住むもの』(20)、ライアン・サラゴサのホラ―『マードレス、闇に潜む声』(21,米)、再びゴウトに起用されサスペンス・ホラー『フォーエバー・パージ』(21)、ライアン・クーグラーの『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』(22)ではタロカン帝国の王に扮した。公開こそされなかったが、東京国際映画祭2014で上映されたアロンソ・ルイスパラシオスのデビュー作『グエロス』に主演、監督夫人であるイルセ・サラスと共演している。本作では出会うことはなかったが父親役のマヌエル・ガルシア=ルルフォと同じ年に生まれている。かつて交際していたマリア・エレナ・リオスへの性的暴行疑惑という残念なニュースも浮上している。
*『グエロス』の作品紹介は、コチラ⇒2014年10月03日
★フアン・プレシアド:前半の主な語り手、ペドロとドロリータスの息子、赤ん坊のときメディア・ルナを母親と去り、母との約束により父親から略奪された財産の代償を求めるという希望をもって、下るべきでない坂を下りて来る。やがてフアンは、権力と富への渇望が痛みと絶望の遺産を残した父親の正体に近づいていく。幻視と幻聴に悩まされ死者と交流するうち、自分が生きてるのか死んでるのか分からず、やがて絶望に至る。彼の罪は幻を求めて故郷を離れて坂を下ったことである。
(フアン・プレシアド役のテノッチ・ウエルタ)
ドロレス・エレディア(エドゥビヘス・ディアダ)
1966年、バハ・カリフォルニア・スル州の州都ラパス生れ、UNAMで演劇を学んだ本格派、1990年デビューしている。アレハンドロ・スプリンガル「Santitos」で、アミアンFF1999、カルタヘナFF2000の女優賞を受賞、カルロス・キュアロン『ルド and クルシ』(08)でルド&クルシ兄弟の母親役を演じた。ロドリゴ・プラがキルケゴールの日記にインスパイアされた「Decierto adentro」(仮訳「内なる砂漠」)でグアダラハラFF2008で主演女優賞を受賞した。クリス・ワイツ『明日を継ぐために』(11)、テノッチ・ウエルタと共演した『クライム・シティ』、エイドリアン・グランバーグの『キック・オーバー』(11)、カール・フランクリン『ウルティマ、ぼくに大地の教えを』(13)、ラシッド・ブシャールの『贖罪の街』(14)はフランス映画『暗黒街の二人』のリメイク版、アレハンドラ・マルケス・アベジャ『虚栄の果て』(22)、GGベルナルの監督2作めシリアスコメディ「Chicuarotes」(19)などTVシリーズ出演も含めて国際的に活躍している。ネット配信中の作品もあるが、受賞歴のある作品は見られない。
*「Chicuarotes」の作品紹介は、コチラ⇒2019年05月13日
★エドゥビヘス・ディアダ:コマラで売春宿を兼ねたバルを営んでいた女性、フアンの母ドロリータスの親友。パラモ家の管理人フルゴルに部屋の鍵を渡したことで、図らずも殺人に手を貸してしまう。神の許しを得るために善行を積んだが、耐えきれなくて自ら命をたつ。姉マリアが死後の救済をレンテリア神父に頼むが拒まれ、まだ此の世をさまよって死者と交流する。
(エドゥビヘス役のドロレス・エレディア)
イルセ・サラス(スサナ・サン・フアン)
1981年メキシコシティ生れ、映画、TV 、舞台女優。国立演劇学校で演技を学ぶ。夫のアロンソ・ルイスパラシオスの『グエロス』でテノッチ・ウエルタと共演、アレハンドラ・マルケス・アベジャの『グッド・ワイフ』に主演、既にキャリア紹介をしています。
*『グッド・ワイフ』での紹介記事は、コチラ⇒2019年04月14日
★スサナ・サン・フアン:ペドロのこども時代からの憧れの人であり、彼が愛した唯一人の女性。肺結核を患っていた母親の死後、父バルトロメ・サン・フアンとコマラを去る。革命前夜、母親の葬儀に誰一人として弔問に訪れなかった大嫌いなコマラに戻ってくる。父親との理不尽な性的関係で死後の救済を諦めている。神父も父も共に「パードレ」、パードレはスサナにとって権力者の象徴である。父とのトラウマ克服のため狂気の世界に逃げ込んでフロレンシオという謎の夫をつくりだしている。トラウマによる想像が記憶となっている。フアンの墓の近くに埋葬されており、二人は死後の世界で繋がっている。
(狂気の世界に安住を求めるスサナ・サン・フアン)
エクトル・コツィファキス(フルゴル・セダノ、パラモ家の管理人)
1971年コアウイラ州トレオン生れ、映画、TV ,舞台俳優。UNAMの演劇学校であるCUT(大学演劇センター、1962年設立)で学ぶ(1996~2000)。TVシリーズ出演が多いが、主な代表作はルイス・エストラダの『メキシコ 地獄の抗争』(10)、ダビ・ミチャンのアクションドラマ「Reacciones adversas」(11)で主演、ディエゴ・コーエンのホラー「Luna de miel」(15)で主演、ベト・ゴメスのコメディ「Me gusta, pero me asusta」(17)と「Bendita Suegra」(23)、ナッシュ・エドガートンのダークコメディ『グリンゴ最強の悪運男』(18)、アレハンドロ・イダルゴのホラー「El exorcismo de Dios」とアクション、ホラー、コメディとこなす。TVシリーズ『ナルコス メキシコ編』に出演している。
★フルゴル・セダノ:先代ルカス・パラモ以来の未婚の管理人、ペドロに代替わりしたとき54歳と年齢が分かる悪徳管理人。借金地獄のペドロを大地主にした立役者。彼の視点は重みがある。ペドロの指示によって不動産鑑定士トリビオ・アルドルテをエドゥビヘスの店で縛り首にして殺害する。しかしペドロの土地を貰いに来たという革命軍のリーダーにあっさり射殺される。ペドロからは「役に立つ男だったが、もう老いぼれの用なし」と一顧だにされなかった。
(フルゴル・セダノ役のエクトル・コツィファキス)
ロベルト・ソサ(レンテリア神父役)
1970年メキシコシティ生れ、俳優、TVシリーズのを監督を手掛けている。1976年に子役としてスタートを切り、TVシリーズ、短編含めると166作に出演。代表作は、セバスティアン・デル・アモのヒット作、ガリシア生れながらキューバに渡り、後にメキシコにやって来てB級映画の巨匠になるフアン・オロルの伝記映画「El fantástico mundo de Juan Orol」に主役を演じ、アリエル賞2013主演男優賞、ACE賞2014主演男優賞、ドン・ルイス映画祭2013男優賞などを受賞、アレックス・コックスの「El patrullero」(日本との合作、『PNDCエル・パトレイロ』1993公開)でサンセバスチャン映画祭1992男優賞、フランシスコ・アティエの「Lolo」でシカゴ映画祭1993男優賞、他受賞歴多数。
★レンテリア神父:コマラの町の唯一人の神父。神父としての誓いを果たせるという希望をもっていたが、ペドロの金貨に負けて彼の愚息ミゲルに祝福を与えてしまう。反対に自死したエドゥビヘスには与えない。父親をミゲルに殺されたうえ、レイプされた姪と暮らしている。クリステロ内戦では反乱軍に身を投じる。本作はメキシコにおける来世に関する一連の信仰を探求しており、彼のモノローグは重要である。
(レンテリア神父役のロベルト・ソサ)
マイラ・バタジャ(ダミアナ・シスネロス役)
1990年メキシコシティ生れ、女優、短編だが脚本を執筆している。2021年タティアナ・ウエソのデビュー作、もらえる賞をすべて制覇したという問題作「Noche de fuego」で、アリエル賞2022助演女優賞、ソニア・セバスティアンの短編「Above the Desert with No Name」(23、17分)で、ロスアンゼルス映画賞2024女優賞を受賞している。TVシリーズのダークコメディ「El Mantequilla」(23,8話)では女刑事に扮する。これからが楽しみな女優の一人。
*「Noche de fuego」の作品紹介は、コチラ⇒2021年08月19日
★ダミアナ・シスネロス:メディア・ルナのパラモ家の女中頭、赤ん坊のフアン・プレシアドを一時育てていた。コマラに戻って来たフアンをメディア・ルナから迎えに来る。ペドロをあの世に招き入れる女性でもある。原作と映画の違いの一つは、原作に登場するサン・フアン家の女中、フスティナ・ディアスを省いていることです。彼女は父娘とずっと行を共にしていて、スサナの育ての親でもあった。メディア・ルナで狂気のスサナを介護していたのは、映画のようにダミアナでなくフスティナである。ジャンルが違うのですから、この程度の変更は問題ありませんが、二人は同じ女中でも本質が異なる。フスティナも幻聴に怯えているが、ダミアナのように生死の境を超えられるわけではない。
(ダミアナ・シスネロス役のマイラ・バタジャ)
ジョバンナ・サカリアス(ドロテア〈ラ・クアラカ〉)
1976年メキシコシティ生れ、女優、監督。19歳のときクラシックバレエを止め演劇を学び始め、舞台女優としてスタートする。2001年ハイメ・ウンベルト・エルモシージョの「Escrito en el cuerpo de la noche」で映画デビュー。代表作は、2018年アレハンドロ・スプリンガルのウエスタン「Sonora」で主演、ドロレス・エレディアと共演、揃ってアリエル賞にノミネートされた。マーティン・キャンベルの『レジェンド・オブ・ゾロ』(25)でバンデラスと共演、ウォルター・サレスの『オン・ザ・ロード』(12)、ブレッド・ドノフー他「Salvation」でロスアンゼルス映画祭2013の女優賞を受賞している。監督作品としては、2015年コメディ「Ramona」(10分)でアリエル賞2013短編賞、2020年長編デビュー作「Escuela para Seductores」がある。
★ドロテア〈ラ・クアラカ〉:コマラにたどり着いたフアンにエドゥビヘスの店を教える語り手。産んでもいない赤ん坊を探してコマラをうろついている。神父は天国の門は閉じられているが、主は許されると諭す。教会の広場で倒れていたフアン・プレシアドを葬り、自分も一緒の墓に眠っており、フアンの語りを聞く。施し物欲しさにミゲル・パラモに売春斡旋をしていた罪人、ミゲル亡き後、神父に懺悔する。
(ドロテア役のジョバンナ・サカリアス)
イシュベル・バウティスタ(ドロレス・プレシアド)
1994年メキシコシティ生れ、ベラクルサナ大学演劇学部卒、国立美術館演技賞受賞、2018年バニ・コシュヌーディの「Luciernagas」で映画デビュー、2023年ルイス・アレハンドロ・レムスの「El sapo de cristal」でノエ・エルナンデスと共演、TVシリーズでは征服者エルナン・コルテスを主人公にした歴史時代劇「Hernan」(8話、19)にマリンチェ役で出演している。
★ドロレス・プレシアド、ドロリータス:メディア・ルナの女あるじ、ペドロの最初の妻、フアンの母親。借金を帳消しにするためのペドロの求婚を愛と錯覚して全財産を失う。夫の言葉によるDVに耐えかね、コリマにいる姉を頼ってコマラを去り、再び戻ることができなかった。露の滴る緑豊かなコマラを息子に言い残して失意のうちに旅立つ。
(ドロリータス役のイシュベル・バウティスタ)
ノエ・エルナンデス(アブンディオ・マルティネス、ペドロの息子)
1969年イダルゴ生れ、アリエル賞主演男優賞を4回受賞するなど受賞歴多数。ホルヘ・ペレス・ソラノの「La tirisia」(14)、ガブリエル・リプスタインの『600マイルズ』(15)、セルヒオ・ウマンスキー・ブレナーの「Eight Out of Ten」(18)、2020年に製作されたヘラルド・ナランホの「Kokoloko」が大分遅れて今年受賞した他、トライベッカ映画祭2020主演男優賞も受賞している。2018年グアダラハラ映画祭のメスカル賞を受賞している。脇役だが東京国際映画祭2015で上映されたロドリゴ・プラの『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』、ラテンビートFF2011で上映されたヘラルド・ナランホの『MISS BALA/銃弾』に出演している。父親ペドロを演じたマヌエル・ガルシア=ルルフォより一回りも年上ということもあって、個人的にはキャスティングに違和感があった。
★アブンディオ・マルティネス:ペドロが認知しない大勢の私生児の一人、ロバ追いを生業とする。フアンをコマラに案内する。主な出番は最初と最後に現れるだけと少ないが、父親を殺害する重要人物、事故で耳が不自由になる設定は何を意味するか。アブンディオの造形は、短編集『燃える平原』収録の「コマドレス坂」のレミヒオ・トリコ殺しの語り手を彷彿とさせ、彼の原型は短編にある。
(アブンディオ・マルティネス役のノエ・エルナンデス右)
サンティアゴ・コロレス(ミゲル・パラモ)
TVシリーズ、チャバ・カルタスの「El gallo de oro」(23~24、20話)レミヒオ役で18話に出演。本作で映画デビューを果たした。
★ミゲル・パラモ:ペドロが気まぐれで認知した息子、母親はお産で亡くなる。愛馬コロラドに振り落とされて17歳で死去。レンテリア神父の兄弟を殺害、レイプ魔と父親の悪の部分を受け継いだ愚息。
(マルガリータ、ダミアナ・シスネロス、ミゲル・パラモ)
★その他、スサナの父親バルトロメ・サン・フアン役のアリ・ブリックマン(チアパス州1975)は俳優、作曲家、代表作はマリアナ・チェニーリョのコメディ「Todo lo invisible」(20)で、主演、音楽、脚本も監督と共同執筆している。同監督のヒット作「Cinco dias sin Nora」にも出演、本作はアリエル賞2010作品賞以下を独占した。フアンの死の恐怖がつくりだした幻覚と思われるドニスの妹役のヨシラ・エスカルレガ(1995)は、アマゾンプライムで配信が開始されたばかりの『戦慄ダイアリー 屋根裏の秘密』に出演している。ペドロの祖母を演じたフリエタ・エグロラは、娘ナタリア・ベリスタインが監督した『ざわめき』(22)に主演している。ネットフリックスで配信されている。古くはアルトゥーロ・リプスタインの『深紅の愛』に出演している。
(穴だけの母親の写真を見つめるフアン・プレシアド)
(コマラを去るサン・フアン父娘を見送るペドロ・パラモ)
(エドゥビヘスに初夜の務めを頼むドロリータス)
(レンテリア神父にミゲルの許しを金貨で支払うペドロ)
(レンテリア神父の姪アナ)
(スサナのメディア・ルナ到着を待つペドロとダミアナ)
(スサナとレンテリア神父)
ロドリゴ・プリエトの『ペドロ・パラモ』③*監督&スタッフ紹介 ― 2024年11月26日 16:09
『ペドロ・パラモ』で監督デビューしたロドリゴ・プリエト
(Deadline のインタビューを受けるプリエト監督、2024年11月24日)
★ロドリゴ・プリエトといえば、一般的にはマーティン・スコセッシの『沈黙―サイレンス』(16)、『アイリッシュマン』(19)、最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(23)、アン・リーの『ブロークバック・マウンテン』(05)、ベネチア映画祭2007の金のオゼッラ賞受賞作『ラスト・コーション』、ベン・アフラックの『アルゴ』(12)、グレタ・ガーウィグの『バービー』とアメリカ映画の撮影監督として知られています。上記のデッドラインのインタビューで、『バービー』と『キラーズ~』の撮影の合間を縫って『ペドロ・パラモ』を何回も読み返し推敲したと語りました。
(『沈黙―サイレンス』撮影中のマーティン・スコセッシと)
★しかしスペイン語映画ファンとしては、もうアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥのデビュー作『アモーレス・ぺロス』に尽きます。2000年、カンヌ映画祭併催の「批評家週間」で鮮烈デビュー、作品賞を受賞した。第1話に主演したガエル・ガルシア・ベルナルは、メディアのインタビュー攻めに「天地がひっくり返った」と語ったのでした。その後の快進撃は以下のフィルモグラフィーの通りです。2009年、ペドロ・アルモドバルの『抱擁のかけら』でタッグを組み、アルモドバル嫌いからは「どこを褒めたらいいか分からない」と酷評されましたが、プリエトの映像美は高い評価を受け、スペインのシネマ・ライターズ・サークル賞を受賞した。
(『BIUTIFULビューティフル』撮影中のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥと)
★キャリア紹介:1965年メキシコシティ生れ、撮影監督、映画監督。国籍はメキシコと米国、ロサンゼルス在住。祖父はサンルイス・ポトシ市長、メキシコシティ知事、下院議長を務めた政治家、政治的対立で迫害されテキサスに亡命、後ロサンゼルスに移る。父はニューヨークで航空工学を専攻、結婚後メキシコに戻りロドリゴが誕生した。彼は1975年設立された国立機関の映画養成センターCCC(Centro de Capacitación Cinematográfica)で学んでいる。2021年ヴィルチェク財団が選考するヴィルチェク映画賞を受賞、2023年にはモレリア映画祭の審査員を務めている。監督として、2013年、製作国米国の短編「Likeness」(9分、英語)をトライベッカ映画祭に正式出品、2019年には「R&R」(6分、米、英語)を撮っている。『ペドロ・パラモ』で長編監督デビューした。
(金のオゼッラ賞を受賞した『ラスト、コーション』撮影中のアン・リーと)
★フィルモグラフィー(本邦公開作品、短編、TVシリーズ、ミュージックビデオは割愛)
1991「El jugador」メキシコ、デビュー作、監督ホアキン・ビスナー
1996「Sobrenatural」メキシコ、監督ダニエル・グルーナー、1997年アリエル賞初受賞
1996『コロンビアのオイディプス』(「Oedipo alcalde」邦題はキューバFF2009による)
コロンビア・スペイン合作、監督ホルヘ・アリ・トリアナ
*作品紹介記事は、コチラ⇒2014年04月27日
1998「Un embrujo」メキシコ、監督カルロス・カレラ、
1999年アリエル賞、サンセバスチャンFF受賞
2000『アモーレス・ぺロス』メキシコ、監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
2001年アリエル賞、ゴールデン・フロッグ賞受賞
2001『ポワゾン』米国、監督マイケル・クリストファー
2002『8 Mile』ミュージカル、米国・独、監督カーティス・ハンソン
2002『25時』米国、監督スパイク・リー
2002『フリーダ』米国・カナダ合作、監督ジュリー・テイモア
2002『彼女の恋から分かること』米国、監督ロドリゴ・ガルシア
2003『21グラム』米国、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
2004『アレキサンダー』米国、監督オリバー・ストーン
2005『ブロークバック・マウンテン』米国、監督アン・リー、アカデミー賞ノミネート
シカゴFF、ダラス・フォートワースFF、フロリダFF、各映画批評家協会賞受賞
2006『バベル』米国、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、
2007『ラスト、コーション』米国、監督アン・リー、ベネチアFF金のオゼッラ賞受賞
2009『抱擁のかけら』スペイン、監督ペドロ・アルモドバル、
シネマ・ライターズ・サークル賞受賞
2009『消されたヘッドライン』米国、監督ケヴィン・マクドナルド
2010『BIUTIFULビューティフル』スペインとの合作、スペイン語、
監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、アリエル賞受賞
2010『ウォール・ストリート』米国、監督オリバー・ストーン
2011『恋人たちのパレード』米国、監督フランシス・ローレンス
2012『アルゴ』米国、監督ベン・アフラック
2013『ウルフ・オブ・ウォールストリート』米国、監督マーティン・スコセッシ
2014『ミッション・ワイルド』米国・フランス合作、トミー・リー・ジョーンズ
2014『夏の夜の夢』米国、監督ジュリー・テイモア
2015『沈黙-サイレンス』米国、監督マーティン・スコセッシ、アカデミー賞ノミネート
2016『パッセンジャー』SF、米国、監督モルテン・ティルドゥム
2019『アイリッシュマン』米国、監督マーティン・スコセッシ、アカデミー賞ノミネート
2020『グロリアス 世界を動かした女たち』米国、監督ジュリー・テイモア
2023『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』米国、監督マーティン・スコセッシ、
アカデミー賞ノミネート、サンディエゴFF、サンタ・バルバラFF、ダブリンFF、
各映画批評家協会賞受賞
2023『バービー』米国、監督グレタ・ガーウィグ、
ナショナル・ボード・オブ・レビュー、他多数
2024『ペドロ・パラモ』メキシコ、監督、共同撮影ニコ・アギラル
★以上、公開作品、受賞作品を中心に列挙しました。映画祭ノミネートがトータル129という驚異的な数には恐れ入ります。ノミネートはオスカー賞4作(スコセッシ3作、アン・リー1作)のみアップしました。イニャリトゥがオスカーを受賞した『バードマン~』と『レヴェナント 蘇えりし者』の撮影監督はエマニュエル・ルベッキでした。プリエトと同世代の彼はオスカー像を3個も貰っています。「賞を貰うために仕事をしているわけではない」ですけど。
★脚本を共同執筆したマテオ・ヒル・ロドリゲス Mateo Gilは、1972年カナリア諸島のラス・パルマス生れ、スペインの監督、脚本家、製作者。アレハンドロ・アメナバルのデビュー作『テシス、次に私が殺される』(96)の共同脚本家、助監督としてスタートした。長編デビュー作「Nadie conoce a nadie」(99)が東京国際映画祭2000に『ノーバディ・ノウズ・エニバディ』の邦題で正式出品され、翌年『パズル』で公開された。『アモーレス・ぺロス』が作品賞を受賞した年でした。
★2004年のアメナバルの『海を飛ぶ夢』では、監督と脚本を共同執筆、ゴヤ賞オリジナル脚本賞を受賞、さらに本作はアカデミー賞2005の外国語映画賞受賞作品でした。ネットフリックスTVシリーズ『ミダスの手先』(20、6話)のクリエーター、脚本も執筆している。
(写真下は視聴覚媒体におけるアーティストの福利厚生及びプロモーションを援助する財団AISGE のインタビューを受けたときの最新フォト)
(AISGEのインタビューを受けるマテオ・ヒル、2024年1月14日)
★かつて「ペドロ・パラモ」を監督する企画があり脚本も執筆した。しかし資金が底をついて実現に至らなかった。舞台となるコマラの町のセットも二つ必要でしたから、ネットフリックスの資金援助がなければ難しかったと思われます。その際の脚本がたたき台になったようですが、監督と脚本家もそれぞれ異なるビジョンがあり、削除したいシーン、追加したいシーンを徹底的に議論したようです。今回は脚本を手掛けているので、脚本に絞ってキャリアを紹介したい。
(短編は割愛しました)
1996『テシス、次に私が殺される』監督アレハンドロ・アメナバルとの共同執筆
1997『オープン・ユア・アイズ』同上
1999『パズル』(TIFFタイトル「ノーバディ・ノウズ・エニバディ」)監督、
脚本はフアン・ボニジャとの共同執筆
2001『バニラ・スカイ』(『オープン・ユア・アイズ』のリメイク版)
監督、脚本キャメロン・クロウ、原案アレハンドロ・アメナバル&マテオ・ヒル
2004『海を飛ぶ夢』監督アメナバル、監督との共同執筆、
ゴヤ賞2005オリジナル脚本賞受賞
2005「El método」アルゼンチン・伊・西、監督マルセロ・ピニェイロ、監督との共同執筆
ゴヤ賞2006脚色賞受賞、アルゼンチン映画アカデミー賞脚色賞受賞
2009『アレクサンドリア』監督A・アメナバル、監督との共同執筆、
ゴヤ賞2010オリジナル脚本賞受賞
2016「Realive」SF、監督&脚本マテオ・ヒル、ファンタスポルト作品賞&脚本賞受賞
2018『熱力学の法則』監督&脚本マテオ・ヒル、マイアミFF監督賞受賞、Netflix配信
2024『ペドロ・パラモ』監督ロドリゴ・プリエト
★2011『ブッチ・キャシディ―最後のガンマン―』は監督のみで、脚本はミゲル・バロスが執筆した。トライベッカFFでプレミア、トゥリア賞2012新人監督賞受賞、ゴヤ賞2012監督賞にノミネートされた。
*「El método」の紹介記事は、コチラ⇒2013年12月19日
*『熱力学の法則』の紹介記事は、コチラ⇒2018年04月02日
★音楽を手掛けたグスタボ・サンタオラジャ(ブエノスアイレス1951)は、アルゼンチンのミュージシャン、『バベル』と『ブロークバック・マウンテン』でオスカー像をゲットしたほか、オンライン映画テレビ協会賞、ほかラスベガスとサンディエゴ映画批評家協会賞など受賞歴多数。『アモーレス・ぺロス』と『BIUTIFULビューティフル』ではアリエル賞、ウォルター・サレスの『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04)とダミアン・シフロンの『人生スイッチ』(14)でアルゼンチン映画批評家協会賞など活躍の舞台は国際的です。
*『人生スイッチ』での紹介記事は、コチラ⇒2015年01月19日/同年07月29日
(グスタボ・サンタオラジャ)
★次回はキャスト紹介を予定しています。
ロドリゴ・プリエトの『ペドロ・パラモ』②*原作者紹介 ― 2024年11月22日 19:25
フアン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』の映画化
★前回ロドリゴ・プリエトが監督した『ペドロ・パラモ』の鑑賞記をアップしましたが、原作者並びに監督以下のスタッフ、キャスト紹介が積み残しになっていました。原作者の詳細な紹介までしないのですが、今回は作家の人生が映画(小説は勿論)と深く関わっているのでアップすることにしました。日本語版ウイキペディアからも情報を得られますが、生まれた年に1917年と1918年の2説あることもあり、また過去に製作された『ペドロ・パラモ』、短編集『燃える平原』に収録された短編のなかから選ばれて映画化された短編映画などを紹介したい。
(ヘビースモーカーだったフアン・ネポムセノ・カルロス・ペレス・ルルフォ・ビスカイノ)
★フアン・ルルフォ Juan Nepomuceno Carlos Perez Rulfo Vizcaino、1917年5月16日(1918年説あり)、メキシコのハリスコ州のサユラ地区アプルコ生れ(1986年1月7日、メキシコシティ没)、作家、写真家、歴史家、会社員。1922年、ホセフィナ学校に入学、初等教育を受ける。翌年6月、牧場主であった父親が殺害され、母親も4年後の1927年11月に亡くなった。学校がクリステロの反乱*(1926~29)で閉鎖されたため、1927年、叔父の判断でグアダラハラのルイス・シルバ学校に入学する。1929年、母方の祖母が住んでいたサン・ガブリエルに移り一緒に暮らすことになったが、その後グアダラハラのルイス・シルバ孤児院に預けられる。両親の死、続いて起きたクリステロの恐怖を目撃するという幸せとはほど遠い少年時代を送ったことになる。
*クリステロGuerra Cristeraの反乱:1917年メキシコ憲法第130条でカトリック教会の権力制限が強化され、政教分離に基づき国家が宗教に優先することが決定される。教会や神学校の閉鎖が相次いだ。1926年6月カジェス大統領が第130条に違反した聖職者および個人に対して特定の罰則を定めた「刑法改正法」(カジェス法)に署名、同年8月にグアダラハラで暴動が発生、内戦状態になった。多くの司祭が追放並びに殺害されたが、1929年カジェスの傀儡だったエミリオ・ボルテル・ヒル臨時大統領が譲歩して、1929年、一応の終結を見た。1938年12月、ラサロ・カルデナス大統領によりカジェス法は廃止された。他国と戦った戦争ではない内戦だったので反乱とした。
★1930年、雑誌「メキシコ」に参加する。1933年、グアダラハラ大学への入学を考えていたが、大学がストライキ中であったため、メキシコシティのコレヒオ・デ・サン・イルデフォンソ(メキシコ自治大学UNAMの大学予備校)の聴講生になり、1934年から4年間、UNAMのメキシコ哲学文学部での講義に出席した。大学進学過程を終了していなかったので入学資格はなかった。
★1937年、内務省の文書係に採用され、同年詩人のエフレン・エルナンデスと親交をもち友情を築いた。後には作家フアン・ホセ・アレオラと出合い終生友情を育んだ。翌年には内務省の委託を受けてメキシコの各地を巡る視察の旅をするという幸運に恵まれた。これはその後の彼の作品に生かされることになる。1934年ころから書き始めていた短編を雑誌に発表し始め、1941年からはグアダラハラの出入国移民局に勤務し、次いで1947年から5年間、グッドリッチ・エウスカディ社の職長として働いている。ほか1962年から没するまで、メキシコシティの国立先住民協会のエディターを務めました。1944年に知り合ったクララ・アパリシオと1947年(英語版ウイキペディア1948年)に結婚、4人の子供の父親になった。因みに1964年に生まれた末子フアン・カルロス・ルルフォ・アパリシオが、後述するように映画監督として現在活躍中である。
文学的なキャリアとレガシー、写真集の出版
★作家としては、1945年から1951年にかけて雑誌「パン・イ・アメリカ」などに発表した短編15作を収録した『燃える平原』を1953年に上梓した。なかで1950年に発表された “El llano en llamas” がタイトルに選ばれ、妻クララに捧げられている。1953年から翌年にかけて、1955年に中編小説『ペドロ・パラモ』として出版されることになるオリジナル原稿を3つの異なる雑誌に発表、1つ目のタイトルは ”Una estrella junto a la runa”(仮訳「月のかたわらの星」)、2つ目は “Los murmullos”(同「ささめき」)、3つ目が小説の舞台である田舎町の名前 ”Comala” でした。しかし最終的には主人公の名前 “Pedro Páramo” で刊行されたが、真の主人公はコマラです。
(『ペドロ・パラモ』の初版表紙)
★『燃える平原』の翻訳書は、アンデスの風叢書の1冊として、1990年11月に刊行され、のち文庫化された。以下の邦題は訳者杉山晃の邦訳によった。代表作は1945年「おれたちのもらった土地」、1946年「マカリオ」、1947年「おれたちは貧しいんだ」、1948年「コマドレス坂」、1950年「タルパ」とタイトルになった「燃える平原」、1951年「殺さねえでくれ」、先述したように1953年に『燃える平原』として刊行している。最初のオリジナル版のタイトルは、”Los cuentos del tío Celerino”(仮訳「セレリノおじさんの寓話」)で15作でした。セレリノ叔父は実在の人でルルフォを旅に連れだして見聞を広めてくれた人だと後年語っている。1971年に「犬の声は聞こえんか」と「マティルデ・アルカンヘルの息子」の2編が追加され、現在の17作になった。またフレディ・シソが映画化した「殺さねえでくれ」は、メキシコ革命時代にあった実話をベースにしているということです。
(『燃える平原』の表紙)
★『燃える平原』と『ペドロ・パラモ』の2冊だけでラテンアメリカ文学を代表する作家になったわけですが、ほかに短編集に入らなかった初期の作品、語り手が女性という “Un pedazo de noche”(仮訳「夜の断片」、1980年刊 “El gallo de oro y otros relatos” に収録)などがある。さらに1956年から1958にかけて2番目となる小説 “El gallo de oro” を書いた。ガルシア・マルケスとカルロス・フエンテスが脚本を共同執筆したことで知られる、ロベルト・ガバルドンが1964年に監督した『黄金の鶏』(邦題は「メキシコ映画祭1997」による、未公開)である。映画の台本として書かれたという理由で小説と見なされなかった。
(2017年刊のソフトカバー版の表紙)
★しかしルルフォによると「印刷される前に、ある映画プロデューサーがこの小説に興味をもち、映画の台本用に脚色されたのです。この作品も以前の作品同様、そのような目的で書かれたのではありません。要するに、台本としてしか私の手に戻っこず、再構築するのは容易でなくなった」。台本として書いたのではなく、これまでと同様、小説として書いたということです。この小説は1980年まで出版されなかったが、ずさんな版だったようで、本作のほかに、短編集に選ばれなかった初期作品など14編が含まれている。スペイン語版ウイキペディアによると、2010年版で多くの誤りが訂正され、独語、伊語、仏語、ポ語への翻訳が行われた。
★写真家として、6000枚のネガを残しました。作家の死後、遺族によって設立されたルルフォ財団が所蔵しており、選ばれた一部が刊行されている。”El Mexico de Juan Rulfo” (1980)、"100 Fotografias de Juan Rulfo"(2010)など。また私たちは私たちの過去を知ることが必要であると、ハリスコ州の征服と植民地化についての書籍もあり、彼は歴史家でもあった。
映像作家を刺激し続けるルルフォの作品たち
★ルルフォの作品は、短編を含むと結構の数が映画化されている。玉石混淆ですが、以下に年代順に列挙します。映像は保証の限りではありませんが、YouTubeで見ることができるものもあります。本作『ペドロ・パラモ』も、1967年にカルロス・ベロがペドロにジョン・ギャビンを起用して撮ったモノクロ版があり、カンヌ映画祭1967のコンペティション部門に選ばれている。撮影監督がメキシコ映画黄金期を代表するガブリエル・フィゲロアで、先述のガバルドンの『黄金の鶏』も彼が手掛けている。メキシコ時代のルイス・ブニュエルと『忘れられた人々』、『ナサリン』、『砂漠のシモン』など何作もタッグを組んだ撮影監督としても有名です。
(ペドロの二人の息子の出合い、フアンとアブンディオ)
(ドロレスに求婚するようフルゴル・セダノに指示するペドロ)
★ルルフォの創作の主軸には、父親の不在と憎悪があり、背景にはメキシコ革命とクリステロの反乱の結果がある。革命によって土地所有者の権利がなくなったわけでもなく、ルルフォに限らず多くの家族の崩壊をもたらした。特別なことを何も持たない「普通の人々」を登場人物にしたルルフォの作品には、孤独が付きまとう、彼にとって書くことは苦しみであったに違いない。作家が寡作なのは、2冊ですべてを書ききったからでもあるでしょうが、この絶対的な孤独の存在も理由の一つだろうと思います。
1956年「タルパ」長編、監督、短編集『燃える平原』収録作品の脚色
1964年『黄金の鶏』(邦題メキシコFF1997による)長編、監督ロベルト・ガバルドン
1965年「La fórmula secreta」中編42分、監督ルベン・ガメス、
1980年刊の “El gallo de oro” に含まれた詩がベース
1967年「ペドロ・パラモ」監督カルロス・ベロ、カンヌFF1967正式出品
1972年「El Rincón de las Vírgenes」監督アルベルト・アイザック、
短編集収録の「アナクレト・モローネス」と「大地震の日」の脚色
1985年「殺さねえでくれ」ベネズエラ製作、監督フレディ・シソ、短編集収録作品の脚色
1986年「El imperio de la fortuna」監督アルトゥーロ・リプスタイン、
“El gallo de oro” がベース
1991年「ルビーナ」監督ルシンダ・マルティネス、短編集収録作品の脚色
1996年「Un pedazo de noche」短編30分、監督ロベルト・ロチン、初期短編の脚色
2008年「Burgatorio」(仮訳「煉獄/苦悩」)短編23分、監督ロベルト・ロチン、
短編集収録「北の渡し」、初期短編「Un pedazo de noche」、「Cleotilde」を脚色、
アリエル賞2000短編賞を受賞
2014年「マカリオ」短編24分、監督ジョエル・ナバロ、短編集収録作品の脚色
2024年『ペドロ・パラモ』監督ロドリゴ・プリエト
(以上、TVシリーズは割愛)
★映画監督になった末子フアン・カルロス・ルルフォ・アパリシオは、ドキュメンタリー映像作家として、パートナーのバレンティナ・ルダック・ナバロと二人三脚で活躍している。IMDbによると、代表作は監督が父親ルルフォを探してハリスコを旅する「Del olvido al no me acuerudo」(99)で、アリエル賞のオペラプリマ賞、編集賞ほか、モントリオールFFの初監督作品賞など多数の受賞歴がある。作家で親友だったフアン・ホセ・アレオラ、母クララなどが出演している。父親に関係する作品は本作だけのようです。2006年に撮った「En el hoyo」は、国際映画祭巡りをした話題作、アリエル賞2007のドキュメンタリー賞他、サンダンス、カルロヴィ・ヴァリ、グアダラハラ、リマ、マイアミ、各映画祭の受賞歴多数。メキシコ先住民のサンダル履きのマラソンランナーを描いた、『ロレーナ:サンダル履きのランナー』(2019、28分)が、ネットフリックスで鑑賞できる。100キロのウルトラマラソンの勝者、美しい風景と民族衣装、感動します。
★次回は監督以下、スタッフ、キャスト紹介を予定しています。
『ペドロ・パラモ』ロドリゴ・プリエトが初監督*ネットフリックスで鑑賞① ― 2024年11月17日 18:04
ペドロ・パラモの内面と外面の映像化に成功したか?
★11月6日ネットフリックス配信直前の11月3日、ラテンビート映画祭の特別企画としてヒューマントラストシネマ渋谷で1回切りのスクリーンでの上映会がもたれた。2021年夏、ネットフリックスがフアン・ルルフォの中編小説『ペドロ・パラモ』(“Pedro Páramo ” 1955年刊)の映画化を発表した。「ウソでしょ、いったい誰が監督するの?」。1年後、ロドリゴ・プリエトが本作で監督デビューすることが発表された。プロダクションデザインにエウヘニオ・カバジェロ、衣装デザインにアンナ・テラサスが担当することもアナウンスされた。どうやら本当だったらしく、ペドロ・パラモ役にマヌエル・ガルシア=ルルフォ、フアン・プレシアド役にテノッチ・ウエルタで、翌2023年5月クランクイン、8月に撮影が終了した。本当に驚きました。
(撮影中のロドリゴ・プリエト監督とペドロ役のマヌエル・ガルシア=ルルフォ)
★なお原作に言及するので、以下に翻訳書を明記しました。『ペドロ・パラモ』岩波文庫、1992年10月刊、杉山晃/増田義郎訳、管理人は第1刷を使用した。製作スタッフ、キャスト、ストーリーとデータのみアップしておきます。監督キャリア&フィルモグラフィー、原作者紹介は別途に予定しています。
『ペドロ・パラモ』(原題「Pedro Páramo」)
製作:Redrum Production / Woo Films
監督:ロドリゴ・プリエト
脚本:マテオ・ヒル、ロドリゴ・プリエト
原作:フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』(“Pedro Páramo ”)
音楽:グスタボ・サンタオラジャ
撮影:ニコ・アギラル、ロドリゴ・プリエト
編集:ソレダド・サルファテ
キャスティング:ベルナルド・ベラスコ
プロダクションデザイン:エウヘニオ・カバジェロ、カルロス・Y・ジャック
美術:エズラ・ブエンロストロ
衣装デザイン:アンナ・テラサス
製作者:sutacy Perskieペルスキー(Redrum Production)、 ラファエル・レイ(Woo Films)、フランシスコ・ラモス、Gildardo Martinez マルティネス
データ:製作国メキシコ、2024年、スペイン語、ドラマ、131分、撮影地メキシコ、期間2023年5月~8月、配給Netflix、配信開始2024年11月6日
映画祭・受賞歴:第49回トロント映画祭2024プラットフォーム部門プレミア上映
キャスト:
マヌエル・ガルシア=ルルフォ(ペドロ・パラモ)
テノッチ・ウエルタ(フアン・プレシアド、ペドロの息子)
ドロレス・エレディア(エドゥビヘス・ディアダ)
イルセ・サラス(スサナ・サン・フアン、ペドロの最後の妻)
エクトル・コツィファキス(フルゴル・セダノ、パラモ家の管理人)
マイラ・バタジャ(ダミアナ・シスネロス、メディア・ルナの女中頭)
ロベルト・ソサ(レンテリア神父)
ジョバンナ・サカリアス(ドロテア〈ラ・クアラカ〉、フアンと同じ墓に埋葬)
イシュベル・バウティスタ(ドロレス・プレシアド、ドロリータス、ペドロの妻、フアンの母)
ノエ・エルナンデス(ロバ追いのアブンディオ・マルティネス、ペドロの息子)
サンティアゴ・コロレス(ミゲル・パラモ、パブロが認知した息子)
ジルベルト・バラサ(ダマソ〈エル・ティルクアテ〉)
オラシオ・ガルシア・ロハス(ドニス)
ヨシラ・エスカルレガ(ドニスの妹)
アリ・ブリックマン(バルトロメ・サン・フアン、スサナの父親)
ガブリエラ・ヌニェス(マリア・ディアダ、エドゥビヘスの姉)
サラ・ロビラ(子供時代のスサナ・サン・フアン)
セバスティアン・ガルシア(子供時代のペドロ・パラモ)
マイラ・エルモシージョ(ペドロの母)
フリエタ・エグロラ(ペドロの祖母)
フェルナンダ・リベラ(マルガリータ、パラモ家の女中)
アナ・セレステ・モンタルボ(アナ、レンテリア神父の姪)
イリネオ・アルバレス(トリビオ・アルドレテ、不動産鑑定士、縛り首)
エドゥアルド・ウマラン(使い走り)
ほか多数
ストーリー:ペドロ・パラモという名の顔も知らない父親を探しておれはコマラにやって来た。しかしそこは、ひそかなささめきに包まれた死者ばかりの町であった。複数の生者と死者の声が錯綜しながら、切り離すことのできない死と生、存在しない死と生の境界、終わりのない死、人間の欲望、権力の乱用と腐敗、殺人、罪と贖罪、想像と記憶、メキシコ革命、繁栄と没落、ペドロ・パラモの不毛の愛、スサナ・サン・フアンを絶望から救う狂気の世界、ささめきに殺られたフアン・プレシアドの人生が円環的に語られる。 (文責:管理人)
本当の主人公「コマラ」の町のコントラストが語られる
A: 原作を読んだ人には物足りなく、小説はおろか原作者の名前も初めてという人には時系列がバラバラなので、なかには睡魔に襲われた人もいたのではないか。特に冒頭部分の語り手が頻繁に入れ替わることで時代が行ったり来たりするので、原作を読んでいても記憶が曖昧ですと戸惑います。
B: 原作は70の断片で構成されており、短いのはたったの3行、長いのは数ページに及ぶ。誰が語り手か分かるのと、誰の声なのか分かりづらいのもあるが、冒頭部分を見落とさないようにすれば、全部過去の話だと分かる仕掛けがしてある。
A: 映画を機会にこれから小説を読もうとするなら、作家は読者が迷子にならないよう工夫を施していますから、コツを掴むとついていけないほどではありません。点ではなく線と面で登場人物を可視化することをお奨めします。いわゆるペドロ・パラモ「人物相関図」というやつで、ハマります(笑)。
B:最初の語り手は、顔も知らない父親ペドロ・パラモを探しにコマラにやって来たフアン・プレシアド、「おれ」という一人称の語りで始まる。コマラに来る途中で、異母兄弟だというアブンディオというロバ追いに出遭い案内してもらえる。彼が町に着いたらエドゥビヘスの奥さんを訪ねるといいと教えてくれる。
(ペドロ・パラモの息子フアン・プレシアド役のテノッチ・ウエルタ)
A: フアンが最初に出合った人物が異母兄弟と知らされた私たちは呆気にとられる。どうやら異界に足を踏み入れてしまった。コマラは『百年の孤独』(1967刊)のマコンドと同じ架空の町です。コマラ以外に実際にある町の名の変形版もあったが、最終的には地域を限定したくなかったので Comalaにした。Comal はメキシコ料理の代表格トルティージャを焼く素焼きの薄い皿のことで、熱い火に焼かれる。ロバ追いがコマラは「地獄で火にあぶられる」ように暑い(熱い)とフアンに語っている。伊達にコマラにしたわけではない。
B: コマラに入ると、通りがかったショールを被った女にエドゥビヘスの家を教えてもらえ辿り着ける。このショールの女がドロテア、別称〈ラ・クアラカ〉です。ドロテアは産んでもいない息子を探すため寂れてしまってもコマラを去ることができない。一方フアンは母親の遺言を果たすため顔も知らない父親を探しにコマラにやってくる。二人ともこの世に存在しないものを探している。
(産んでもいない息子を抱えてコマラを彷徨うドロテア)
A: ドロテアはとても重要な登場人物です。半ばに大きな段落が用意されていて、教会の広場で野垂れ死にしていたフアンを埋葬した後、自身もこの世を去る。そういうわけで二人は一緒の墓に眠っている。私たちはフアンの語りの相手が自分たちではなくドロテアだったことに気づかされ、ショックで腰を抜かします。
B: フアンの母親ドロレス・プレシアド、愛称ドロリータスは、メディア・ルナの若い女あるじ、ペドロの財産目当ての求婚を愛と勘違いしてしまう甘やかされた女性です。そしてドロリータスの親友だったというドロレス・エレディア(1966生れ)扮するエドゥビヘスは、ドロレスより年も若く肌の色も少し白かった女性ですが、映画ではかなり年上で反対に見えた。
(エドゥビヘス役のドロレス・エレディア、ドロリータス役のイシュベル・バウティスタ、
赤ん坊のフアンを抱く女中のダミアナ・シスネロス役のマイラ・バタジャ)
A: 人によって自分が描いていたイメージと違うわけですが、青春時代と後年犯した罪の重さから逃れるために自死してしまうエドゥビヘスを同じ女優に演じさせたことが一因かもしれません。どんなベテラン女優でも年齢には限界があります。後半キャスト紹介を予定しておりますが、フアンより先に死んでいるアブンディオも彼より10歳くらい年上に見えます。小説と映画は別の作品という考えもありますが、本作にはキャスティングミスが幾つかある印象です。
(コマラの町を見下ろすフアンとアブンディオ役のノエ・エルナンデス)
B: 本作では二人ともペドロが父親という立ち位置は変えられません。エドゥビヘスのケースとは話が違います。ペドロとスサナは、子供時代と中年時代という違いがあるから違和感ありませんが、小説では伏線が張ってあるペドロの生来の悪の部分が見えにくかった。
A: エドゥビヘスにペドロのもう一人の息子、17歳で旅立ったミゲル・パラモの死を語らせます。それぞれ息子たちはペドロの分身ですが、ミゲルが一番悪の性格を受け継いでいます。一方ペドロに憧れの女性で最後の妻となるスサナ・サン・フアンを詩的なモノローグで語らせます。あまり幸せそうでないペドロの母親、祖母、そして祖父が既に旅立ったことなども語られて、つまり冒頭のいくつかの断片でこの作品の重要人物の大方が出揃うことになります。
B: 欠けているのはレンテリア神父とパラモ家の悪辣な管理人フルゴル・セダノ、貞操を守ったことでパラモ家の女中頭になったダミアナ・シスネロスあたりでしょうか。
A: ペドロやドロリータスのモノローグから、コマラという「露の滴る緑豊かな実りのある町」が紹介され、フアンやアブンディオが「泥と粘土に蔽われた死者の町」を紹介します。このコマラという町の二面性がペドロ・パラモを象徴しており、「コマラが本当の意味での主人公」と称される所以です。特にペドロのモノローグは詩的な抒情性に富んでいて、父親ルカス・パラモの殺害者が特定できないので、居合わせた人間を片っ端から殺してしまう残忍さと対照的です。
B: 小説と違って、映画ではあっという間に字幕が消えるので、コントラストの違いが分かりづらいかもしれません。セリフはリアリズムで押していくので、その落差が際立ちます。
A: 謎めいたセリフもあるにはありますが、概ねリアリズムです。
ペドロの偶像スサナ・サン・フアンの狂気
B: レンテリア神父は、父親をミゲル・パラモに殺された姪アナと暮らしている。神父は兄弟を殺されているわけです。アナはペドロの負の部分を受け継いだ息子ミゲルにレイプされている。
A: 告解室では「ペドロ・パラモの子供を産みました」、または「ペドロ・パラモと寝ました」という女性たちの告解をうんざりするほど聞かされます。しかしペドロは一度として許しを請いに来たことがありません。赤子に罪はないのに神父は、死んだ母親から託されたミゲルをペドロに引き取らせたのでした。
B: お産で死んだ母親の代わりにミゲルを育てたのが、パラモ家の女中頭のダミアナ・シスネロスでした。この登場人物もドロテア級の重要さを秘めています。
A: 夫の嫌がらせに心が壊れてしまっていたドロリータスが、フアンを連れて家を出るまでの短期間でしたが、母親の代わりにフアンを育てたのがダミアナでした。後で触れますが、彼女はアブンディオ・マルティネスが父親であるペドロを刺し殺す現場にいて巻き添えになって命を落とします。何が重要かと言うと、フアンとペドロ・パラモを死の世界に呼び入れ付き添っていく女性だからです。エドゥビヘスの家へメディア・ルナからフアンを迎えに駆けつけ、彼を死の世界へ導いていく女性です。登場は遅いですが女性の重要人物 5人のなかの一人です。
(上段左から、ドロテア、ドロリータス、中段スサナ、下段ダミアナ、エドゥビヘスの5人)
B: ダミアナはコマラではなくメディア・ルナで眠っているから、フアンを迎えに来るのに「時間がかかってしまった」と語っている。映画はエドゥビヘスが手にする明りを蝋燭、ダミアナにはランプを持たせることで、二人が死んだ時代の違い、刻の流れを語らせているようです。ルルフォは明りとするだけで区別はしておりませんが。
A: 時代考証をしたのでしょう。小説でも二人の突然の入れ替わりの理由が分かるまで時間が必要な断片です。映画では猶更ですね。5人目となるスサナ・サン・フアンは、母親の死を機に鉱山で働いていた父バルトロメ・サン・フアンと大嫌いなコマラを去る。しかし革命の噂に不安を感じたバルトロメは、嫌な予感を振り払って、不穏になった町から未だ影響の少なかった地方の町コマラに娘と30年ぶりに戻る決心をする。
B: 実はペドロが手をまわして帰郷させたわけですね。コマラを出たのが12歳かそこいらとすると42歳くらいになっている。日本でも認知度の高いイルセ・サラスをがちがちに減量させている。
(悔い改めるべき罪は犯していないスサナ・サン・フアン)
A: 既に心が折れてしまっていたスサナに昔の面影はない。年代が特定できる手掛かりはメキシコ革命(1910~17)と、その後のクリステロスの反乱(1926~29)だけですから、逆算すると二人は1869年か1970年くらいに生まれていたことになる。母親の死が7日前とか、ペドロとドロレスの結婚式は4月3日、またはスサナ死亡は12月8日のように、月日は明確にしているが何年かは示さないので類推するしかない。おそらくスサナが戻るのは1910年以降に設定されている。
(旅立つスサナとレンテリア神父、なすすべのないペドロとダミアナ)
B: 「バルトロメと女房のスサナが戻った」とペドロに知らせるのがフルゴル・セダノ、ペドロから女房でなく娘だと訂正される。するとフルゴルもペドロのスサナへの愛を知らないことになりますね。
A: 人を介してずっと探し回っていたのに、自分の弱みを腹心の部下フルゴルにも悟られないようにしていたわけです。この用心深さ、用意周到さがなければ地方地主とはいえ権力者にはのし上がれない。父娘は近親相姦の関係にあり、ペドロにとってバルトロメは邪魔者、バルトロメにとっても憎しみそのものでしかない。ペドロは「邪魔者は消せ」とフルゴルに指示、トリビオ・アルドルテをエドゥビヘスのバルの奥の部屋で縛り首にしたように、さっそく事故に見せかけて亡き者にしてしまう。スペイン語の Fulgor の意味は皮肉にも文章語で使用する「光輝、見事」という意味なのです。
B: スサナは自分の意図に反してだが罪を犯しているので天国には行けないと思っている。トラウマを克服するための避難所として狂気の世界に逃げ込んでいる。
A: 結果、フロレンシオという想像の夫をつくり出す。小説に現れるのも名前だけで謎の人物です。スサナは父親とだけ暮らしていて、誰とも結婚していない。スサナのモノローグから、彼女が「あの人」と呼ぶ男性と海で裸で泳ぐシーンが挿入されています。スサナは実際の海を知らないはずですが、ここはトラウマがつくり出す想像が記憶の一部となっている部分で、記憶を改竄しているのではない。
(盛装してスサナを迎え入れるペドロ・パラモと女中頭ドロレス)
B: スサナのモノローグを聞いたのはフアンである。彼とドロテアはスサナの墓の近くに埋葬されているから、フアンはスサナのモノローグを聞くことができた。
A: この断片は、スサナの声をフアンとドロテアが聞くという複雑な構造をしていて、小説でも面白い部分です。ほかにもスサナが死んだ母親のことを語る部分をフアンとドロテアに語らせる断片もあります。
B: プリエト監督は、撮影監督としてスタートしただけに映像は抜群に素晴らしかったが、スサナの箇所は引っ張りすぎかな。
謎の登場人物ドニスとその妹――フアンが生み出した幻覚
A: スサナが生み出したフロレンシオのほかに、フアンが死ぬ間際に出合うドニスとその妹も謎の人物です。フアンが出合ったとき、二人が生きているのか死んでいるのか彼には分からない。
B: 私たちにも同じく分からない。フアンは二人を夫婦と思っていたが、女は「妹だ」と応えている。
A: 女は罪を犯したので「体の内側は土と粘土でどろどろしている」とフアンに語る。ルルフォによると、二人はそもそも「存在していない」とインタビューで語っている。フアンの「死の恐怖がもたらした幻覚だ」としている。フアンを捉えている死を先導する幻覚だというわけです。だから女がどろどろに溶け出すのも不思議ではないわけです。
(ヨシラ・エスカルレガが演じたドニスの妹)
B: しかし小説では、ドロテアが教会の広場で死んでいるフアンを見つけたとき、彼女はドニスが通りがかるのを見ている。ドニスも幻覚だと変に思えるが。
A: 謎の多い断片ですね。最初何が起きたのか分からない断片でも、作家は予期しないところで突然種明かしをする。しかしここはしていないのでよく質問されるそうです。複雑だが独立しているように思えます。とにかくルルフォは人が悪い作家、読者を翻弄するのが好きなのです。
B: 死者の世界では人物は時間を無視して交錯するが、死者と生者は交わらないようです。
A: もっとも死と生は切り離すことができないし、その境界もあいまいです。ペドロは息子と称するロバ追いのアブンディオに刺されて死ぬのですが、スサナを失ったときから少しずつ体の一部が死んでいく。それより前のミゲルの死から既に始まっているとも言えます。
B: メディア・ルナの玄関先に置かれた籐椅子に案山子のように座ったままのペドロは、刺される前に既に死んでいるとも解釈できる。
A: まだこちら側にいますが、ペドロより少し前に息を引き取ったダミアナ・シスネロスが、彼の肩に手を置いて「お昼ご飯もってきましょうか」と尋ねる。ペドロは「あっちへ行くよ。今行くよ」と答えるシーンでやっと此の世を去ることができた。
B: 最後のシーンには呆気にとられましたが。
A: 最後のシーンからフアン・プレシアドがコマラに到着した冒頭に戻り、円環的にぐるぐる回って終りがない小説だと思っていました。解釈は複数あって当然ですが、これでは冒頭に戻れないのではないか。積み残しのテーマが幾つかありますが、長くなったので一旦休憩して、原作者、監督、脚本家、キャスト紹介をしながら、最後のシーンにも触れたいと思います。
ディエゴ・レルマンの『UFOを愛した男』*ネットフリックスで鑑賞 ― 2024年10月31日 11:01
『UFOを愛した男』――現実と伝説化されたエピソードが衝突する
(メインキャストをちりばめたポスター)
★ディエゴ・レルマンの『UFOを愛した男』が、10月18日からネットフリックスで配信が始まりました。サンセバスチャン映画祭SSIFF 2024のセクション・オフィシアルにノミネートされた折、期待を込めて作品紹介をいたしました。フェイクニュースを演出する主人公ホセ・デ・ゼルの行動を批判することがテーマでないことは分かっていましたが、それでももう少し工夫が欲しかったと思いました。勿論、レオナルド・スバラリアの罪ではありません。混乱はアルゼンチンのアイデンティティーの基本、一貫性のないジグザクしたところを楽しむことをおすすめします。既に内容紹介をしておりますが、鑑賞したことではっきりしたところもありますので、データを加筆して再録します。謎の多いホセ・デ・ゼルの人物紹介記事は、以下にアップしております。
*『UFOを愛した男』内容紹介記事は、コチラ⇒2024年08月17日
(左から、レオナルド・スバラリア、ディエゴ・レルマン監督、レナータ・レルマン、
モニカ・アジョス、SSIFF2024、9月24日フォトコールにて)
『UFOを愛した男』(オリジナル題「El hombre que amaba los platos voladores」)
製作:El Campo Cine / Bicho Films 協賛Netflix
監督:ディエゴ・レルマン
脚本:ディエゴ・レルマン、アドリアン・ビニエス
音楽:ホセ・ビラロボス
編集:フェデリコ・ロットスタイン
撮影:ボイチェフ・スタロン
音響:レアンドロ・デ・ロレド、ナウエル・デ・カミジス、他
メイクアップ:ベアトゥシュカ・ボイトビチ
衣装デザイン:フェオニア・ベロス・バレンティナ・バリ
製作者:ニコラス・アブル、ディエゴ・レルマン
キャスト紹介:
レオナルド・スバラリア(TVレポーター&ジャーナリストのホセ・デ・ゼル)
セルヒオ・プリナ(カメラマン、カルロス・〈チャンゴ〉・トーレス)
オスマル・ヌニェス(チャンネル6ニュース部長サポリッチ/サポ)
レナータ・レルマン(ホセの娘マルティナ)
マリア・メルリノ(ホセの元妻ロキシ)
アグスティン・リッタノ(超常現象研究家シクスト・スキアフィノ)
パウラ・グリュンシュパン(TV局職員アリシア)
エバ・ビアンコ(宇宙人報道の依頼人イサドラ・ロペス・コルテセ)
エレナ・ゲレロ・ブリ(ラ・カンデラリア・ホテルの受付エレナ)
フリオ・セサル・オルメド(チーフ製作者グティエレス/グティ)
ノルマン・ブリスキ(チャンネル6のCEOチェチョ)
モニカ・アジョス(踊り子モニカ/モニ)
エドゥアルド・リベット(セロ採鉱組合理事長ペドロ・エチェバリアサ)
ダニエル・アラオス(消防署長レカバレン)
ギジェルモ・アレンゴ(精神科医ドメネク)
ほか多数
ストーリー:1986年、ジャーナリストのホセ・デ・ゼルとカメラマンのチャンゴは、うさん臭い2人の人物から奇妙な提案を受け取り、コルドバ県のラ・カンデラリアに向かうことにした。村に到着したが、丘の中腹に円形の焼け焦げた牧草地があるだけだった。しかし、その後に起きたことはアルゼンチンのテレビ史上最高の視聴率を誇ることになる。類まれな才能の持ち主にして虚言癖の天才デ・ゼルがやったことは、未確認飛行物体UFOの存在を演出することだった。実際に起きた1980年代の宇宙人訪問詐欺を題材にしたコメディ仕立てのドラマ。現実と伝説化されたエピソードの衝突。
「視聴率50パーセントでも家では一人でした」と娘
A: 監督は冒頭で主人公ホセ・デ・ゼルの人物像を明らかにする。ヘビースモーカー、一人暮らし、女性にはサービス精神旺盛のお豆ちゃん、根っからの迷信家で常に不安定、1967年に起きた第三次中東戦争、いわゆる「六日間戦争」に予備役少尉として従軍、シナイ砂漠を彷徨ったこと、どうやら宇宙人の存在を信じていることなどが、当時の予備知識ゼロの観客に知らされる。
B: シナイ砂漠の件は想像の産物だった可能性があり眉唾ものらしいです。要するにニュースを報道するジャーナリストというより、広く浅くエンターテイメントの報道をする芸能記者のアイコンだった。
(モニカ役のモニカ・アジョスとホセ・デ・ゼル)
A: 1982年4月、イギリスを向こうに回して戦ったマルビナス戦争、いわゆるフォークランド戦争の敗北は、1976年からの軍事独裁政権の崩壊、民政移管の引き金になりました。1985年には独裁政権歴代の指導者の裁判があり、国民は明るいニュースを欲していた。
B: 99パーセント捏造でも、宇宙人訪問は格好の話題だったに違いありません。あの白髪頭だがハンサムなホセ・デ・ゼルがホントだと言っているんだから。
(チャンネル6のマイクを手にフェイクニュースを届けるホセ・デ・ゼル)
A: 映画からは「UFO を愛した男」というより「視聴率を愛した男」という印象でしたが、実際のホセ・デ・ゼルは、家族のインタビュー記事などから「マイクをこよなく愛した男」のようでした。
B: 監督の娘レナータ・レルマンが演じたマルティナの本名は、パウラ・デ・ゼル(1971)、父親と同じチャンネル9のプロデューサーだったそうですが。
(父と一緒の写真をかざす娘パウラさん)
A: パウラさんによると、実は2歳のとき父親の女性問題が原因で両親は離婚していたので、劇中でのマルティナ登場はフィクション部分、パウラはコルドバには行ったことがない。マリア・メルリノ扮する元妻ロキシも同じだそうです。父親は時々パウラに会いにやって来たそうですが、母親はホセとの関係を断っていた。「パパは人生の90パーセントを仕事に費やし、視聴率50パーセントでも、家に帰れば一人、淋しい人生だった」、自分は一人娘というわけではなく、異母妹がいるとも語っている。撮影前にスバラリアが訪ねてきたので情報をいろいろ提供したようです。
(クリニックの受診を渋るホセ・デ・ゼル、娘マルティナ、元妻ロキシ)
見世物は真実より優位にある――チャンネル6はフィクション
B: まず映画では「チャンネル6」でしたが、本当は〈Nuevediario〉「チャンネル9」ですね。
A: やはりまだ実在している人が多いから差し障りを避けるためにも変更は必要です。監督は「9を180度回転させると6になる」と。
B: 最初、ホセが持ち込んだUFO ネタをガセネタとして即座に却下したオスマル・ヌニェス扮するニュース部長サポリッチ、「視聴者は政治問題の報道に飽きあきしている。視聴者が思い描くシナリオを物語るべき」と、ホセを援護する部下のアリシアも、モデルはいるとしてもフィクション部分。
(オスマル・ヌニェス演じるサポリッチ部長)
(サポ部長をけしかけるパウラ・グリュンシュパン扮するアリシア)
A: 視聴率低迷に悩んでいるサポ部長もアリシアの「他局に取られたら」に怖気づいて前言を翻す。真実より優位にあるのがショー、お茶の間も半信半疑で楽しんだのです。パウラさんの話では、父親も経済的に苦境にあり、どうしてもネタを手放したくなかったと語っています。
B: ノルマン・ブリスキが軽妙に演じていた「チェチョ」の愛称で呼ばれていたTV局オーナーもフィクションですか。
A: チェチョのモデルは、メディア界の大物アレハンドロ・ロマイで「チャンネル9の皇帝」と呼ばれていた人物。彼との出遭いが大きい、パウラさんによると父親の「長所と短所を認めて、ずっと目をかけてくれた」ということでした。
(チャンネル6のオーナー「チェチョ」役のノルマン・ブリスキ)
B: あるときは「バカ」、あるときは「天才」と言っていた。出番はここだけでしたが存在感があった。
A: 横道になりますが、つい最近マルティン・フィエロ賞2024のガラがあり、ブリスキは栄誉賞を受賞したばかり、文化軽視の現政権を皮肉たっぷりに批判したスピーチが話題になっている。芸術は政治とは無関係などくそくらえです。ついでですがレオナルド・スバラリアも2022年に製作された「Puan」で助演男優賞を受賞した。
フィクションと現実の境界をぼかした現代のエル・キホーテ
B: 実名が一致するのは、ホセ・デ・ゼルと、セルヒオ・プリナが演じたカメラマンのカルロス・〈チャンゴ〉・トーレスの二人だけのようですが。パウラさんは「叔父さんとして家族同然だった」と語っています。
A: ホセが現代のエル・キホーテなら、チャンゴはさしずめサンチョ・パンサです。二人は正反対のようにみえますが、実は深いところで似ているのです。チャンゴはホセを上から目線の男、しつこくてうざったく思っているのに離れない、彼もUFO の存在を信じているようだ。
(カメラマン〈チャンゴ〉役のセルヒオ・プリナ)
B: ホセの「ついて来い、チャンゴ、ついて来い!」の名セリフは、その年の流行語になった。
A: チャンゴを演じたプリナの淡々とした演技を褒めたいですね。どこかで見たことのある顔だなぁと思いながら観ていましたが思い出せないでいた。検索してみたら、アグスティン・トスカノの「El motoarrebatador」でバイク引ったくり犯を生業にしている男を演じていた俳優でした。当ブログでも紹介しているのでした。
*「El motoarrebatador」の作品紹介記事は、コチラ⇒2018年09月07日
★サンセバスチャン映画祭2018オリソンテス・ラティノス部門にノミネートされ、オリソンテス賞スペシャルメンションを受賞、主役のミゲルを演じたセルヒオ・プリナがリマ・ラテンアメリカ映画祭、ハバナ映画祭で男優賞を受賞している。なら国際映画祭2018で『ザ・スナッチ・シィーフ』の邦題で上映された。ほかにマラガ映画祭2021フアン・パブロ・フェリックスの「Karnawal」(20)にも出演している。
B: UFOが着陸したと思われる牧草地、円形の黒こげのある丘も、同じコルドバ県ですが実際とは違うということですが。
A: 劇中のホセが登っていくコメルナ山ではなく、実際は海抜1979mの Cerro Uritorco ウリトルコ山ということです。当時とは景観が変わってしまっていて撮影地には適さなかった。それに消防署長以下、一般住民も大勢インチキに関わっていましたから。
「メシア主義」の存在とフェイクニュースの関係
B: セロ採鉱組合の目的が、かつては金の採掘で活気があった土地を買い占めた不動産会社の観光事業のやらせだったことが分かってからも、ホセはUFOの存在を裏付ける証拠改竄にムキになる。
A: 監督は「メシア主義」」の存在とフェイクニュースが関係していると指摘しています。救世主の到来を信ずることは、ユダヤ教の信仰のなかでも重要です。シナリオには幾つも穴があるけれども、宇宙から到来する存在の根拠に乏しい信念が、ホセの合理主義的思考を蝕んでいると語っています。
(UFO報道の仕掛け人、セロ採鉱組合役人を名乗るイサドラ役のエバ・ビアンコ)
B: 最後のシーンには唖然としました。本作は言うまでもなく、ホセ・デ・ゼルの人生を掘り下げるのがテーマではありません。
A: 深入りしたくありませんが、ホセは母親フローラがマイトレ劇場を経営していたので、後にアメリカに渡った女優の叔母さんに育てられたということです。その劇場のチケット売りをしていたが仕事が適当だったので辞めさせられた。その後、イスラエルのキブツにいた父親サミュエルに呼び寄せられてイスラエルに渡っている。謎が多くてどこまでが本当か分かりませんが、20代半ばで第三次中東戦争(1967)に従軍したのもそういう関係でしょうか。
B: その時まで父親がキブツにいたなんて知らなかったと言っている。ウイキペディア情報では、職業は「ジャーナリスト、軍人」です。帰国後、時期は不明ですが友人の紹介で「Gente」誌に就職している。ジャーナリスト誕生です。
A: 劇中でも息切れするほどの1日3箱のヘビースモーカー、そのうえコーヒー中毒者でもあり、1日12杯ぐらい飲んでいた。緊張からくるストレスで心も病んでいた。一番華やかだった時代は、チャンネル9に報道記者として在籍していた、1984年から1994年の10年間、1997年、罹患していたパーキンソン病と肺癌ではなく食道癌で56年の人生を駆け抜けた。旅立つときは「ママ、パパ、もう直ぐそっちに行くよ・・・行くから待ってて」と言ったとか。イスラエル人墓地に眠っている。
(妻殺害でサンタフェ刑務所に収監されていたミドル級チャンピオンのボクサー
カルロス・モンソンにインタビューするホセ・デ・ゼル、手にチャンネル9のマイク)
A: ホセになりきったレオナルド・スバラリア(ブエノスアイレス1970)は度々紹介しておりますが、マラガ映画祭2017の大賞マラガ-スール賞を受賞した折にキャリアをアップしております。『10億分の1の男』で鮮烈デビューして以来、リカルド・ダリンに継ぐ知名度を保っています。
B: 監督は以前からタッグを組みたかったらしく、レオもオファーを待っていた。
A: ホセ役に「体型は拘らないが白髪頭は譲れないと考えていた」と監督。脚本は未完成だったが、即座にOK の返事がきた。
B: 前述したように「Puan」でマルティン・フィエロ助演男優賞を受賞したばかり、2025年の主演を期待したい。
A: ほかに超常現象や心霊現象を調べているシクスト・スキアフィノに扮したアグスティン・リッタノはサンティアゴ・ミトレの『アルゼンチン1985』、レルマンの『代行教師』、フェリペ・ガルベスの『開拓者たち』、管理人は未見ですが、デミアン・ラグナのホラー『テリファイド』に出演している。消防署長のダニエル・アラオスはマリアーノ・コーン&ガストン・ドゥプラットの『ル・コルビュジエの家』の怪演でアルゼンチン・アカデミー賞2010の主演&新人男優賞のダブル受賞を果たし、レルマンの『家族のように』にも出演している。
B: いつの時代でも「信じたいものを信じ、見たいものを見る」のが人間のようです。
(本作撮影中のディエゴ・レルマン監督)
*主な監督キャリア&フィルモグラフィー紹介は、コチラ⇒2017年09月03日/10月23日
*主なレオナルド・スバラリアの紹介記事は、コチラ⇒2017年03月13日
マイテ・アルベルディの『イン・ハー・プレイス』*ネットフリックスで鑑賞 ― 2024年10月19日 14:45
アルベルディの初ドラマ『イン・ハー・プレイス』のテーマは居場所探し
★マイテ・アルベルディの『イン・ハー・プレイス』(仮題「他人の家」)を期待して鑑賞しました。第97回アカデミー賞とゴヤ賞2025のチリ代表作品に選ばれたということ、1950年代に実際に起きた作家マリア・カロリナ・ヘールの動機が明らかでない犯罪にインスパイアされたということなどからでした。しかしドキュメンタリー『83歳のやさしいスパイ』(20)ほど楽しめなかった。というのも肝心の恋人殺害の動機の分析は語られず、その理由は次第に分かってくるのだが、実在しない架空の登場人物たちが右往左往する。要するに殺人犯である作家の複雑な心理解明がテーマでなく、社会的弱者である裁判所の女性書記メルセデスの居場所探しの話なのでした。メルセデスは当時のチリの男性社会から無視されている多くの女性の代弁者の一人、監督は70年後の現在でも「状況はそれほど変わっていないじゃないか」と主張している。従って映画はメルセデスの視点で進行する。サンセバスチャン映画祭のコンペティションでプレミアされた折に作品紹介をしておりますが、便宜上キャスト紹介とストーリーをアップします。
(マイテ・アルベルディ、サンセバスチャン映画祭2024のフォトコール)
キャスト紹介:エリサ・スルエタ(メルセデス)、フランシスカ・ルーウィン(ペンネーム、マリア・カロリナ・ヘール/実名ヘオルヒナ・シルバ・ヒメネス)、マルシアル・タグレ(アリロ判事)、パブロ・マカヤ(夫エフライン)、ガブリエル・ウルスア(書記ドミンゴ)、ニコラス・サアベドラ(被害者ロベルト・プマリノ・バレンスエラ)、クリスティアン・カルバハル(弁護士コンチャ)、パブロ・シュヴァルツ(被害者弁護士モンテロ)、ネストル・カンテリャノ(作家の友人ルネ)、ロサリオ・バハモンデス(ロサ・ヘネケオ・サーベドラ)、ほか証言者多数
ストーリー:1955年4月14日の午後、サンティアゴ市の豪華ホテル・クリヨンのカフェで、作家マリア・カロリナ・ヘールがベルギー製リボルバーで恋人ロベルト・プマリノ・バレンスエラに5発の銃弾を浴びせて殺害した。この事件を担当することになった裁判所の内気な書記官メルセデスは、判事から容疑者のサポートを命じられる。作家のアパートを訪れたメルセデスは、そこに自由のオアシスを見つけると、自分の理不尽な人生、アイデンティティ、社会における女性の地位の低さに疑問を抱くようになる。実際に起きた殺人事件にインスパイアされてドラマ化された。
(被害者と容疑者になる前のシーンから)
マリア・カロリナ・ヘール事件はドラマの背景
A: 作品紹介で述べたように本作は、アリア・トラブッコ・セランの著作 “Las homicidas” 、英語題 “When Women Kill” にインスパイアされて映画化されたフィクションです。20世紀にチリ女性によって犯された象徴的な4つの殺人事件が分析考察されており、その一つが本作に登場する作家マリア・カロリナ・ヘールの殺人事件です。
B: フランシスカ・ルーウィンが演じたマリア・カロリナ・ヘールはペンネームで、実名はヘオルヒナ・シルバ・ヒメネス、劇中でもシーンによって使い分けされている。
(マリア・カロリナ・ヘールことヘオルヒナ・シルバ・ヒメネス)
(劇中小道具として使用される銀のブレスレットをした作家)
A: 事件前に数冊の小説*を上梓している他、1949年に女性が手掛けるのは初めていう “Siete escritoras chilenas”(仮題「7人のチリの女性作家」)という文芸評論を出版しており、彼女が徹底して作品を読みこんだことが実証された。7人のなかにはノーベル文学賞を受賞したガブリエラ・ミストラル、映画にも恋人射殺事件をおこした作家として登場するマリア・ルイサ・ボンバル、ほかに親交のあったアマンダ・ラバルカ、マリア・モンベルなどが含まれている。有名な作家の作品でも批判的に読むことの重要性を指摘しているそうです。
(射殺後に救けを呼ぶという矛盾した行動に出る作家)
B: 小説の特徴は、登場人物を通じて女性の内面性に焦点を当て、女性の知的、社会的自由を求めて闘う姿勢を示している。
A: 家父長主義、男性優位が当たり前の社会、女性解放、ウーマンリブという言葉さえなかった時代ですから、どの作品も評価は分かれたでしょう。映画は当時の社会階級の相違、容疑者も被害者も共に経済的に何不自由なく暮らしている中流階級に属しており、陽ざしの届かない狭苦しいアパートにひしめき合って暮らすエリサ・スルエタ演じるメルセデスのような庶民からすれば、どちらも同情に値しない。
B: メルセデスは、家族、なかでも鈍感な夫に対してフラストレーションを抱え、精神的な逃げ道というか息抜きを必要としていた。偶然にしろ手にした自身の自由を少しでも長く享受したいから、上司である判事が厳罰で臨むことを願っている。
A: 容疑者の弁護士は、精神錯乱を理由に無罪に持ち込もうと画策するが、作家は翌1956年、自分が体験している女子刑務所を舞台にした “Cárcel de mujeres” **(「女性刑務所」)というタイトルの小説を発表して、弁護士の計画を断ち切った。自ら精神錯乱を否定したわけだが、女性蔑視の報道に終始したメディアが「動機は文学的キャリアを高めるためだ」という方向に向かう危険をはらんでいた。
(代表作となった小説 “Cárcel de mujeres” の表紙)
(小説を手にしているメルセデス)
B: この本の出現は軽い制裁で済まそうとしていた判事のメンツをつぶした。判事の事情聴取には黙秘権を行使しておきながら、収監中に小説を執筆して堂々と刊行するなど到底許しがたい。しかし思いがけず手にした自由を手放したくないメルセデスは密かにほくそ笑む。
A: 実際がどうだったか分かりませんが、映画では1956年7月11日、懲役541日の判決を下す。実際は約2倍の3年ですが、変えた理由は何でしょうか。取り立てて落ち度のなさそうな誠実な人間を射殺しておきながら、この刑の軽さは現在の常識では理解しがたい。
B: 現在の司法制度では、判決を下す際に犯罪の動機、被害者への謝罪は重要ですが、作家は謝罪どころか後悔の素振りもなかった。
A: 映画でも彼女の真意は謎のままで、殺害の動機については一貫して沈黙しつづけ、結局墓場までもって行った。作家は1913年生れ、数年前に発症していたアルツハイマー病で自分の名前すら分からなくなって旅立つのが1996年1月1日、享年82歳でした。
B: 真昼間、衆人環視のもとで公然と行われた衝撃的な殺害事件はドラマの背景にすぎなかったというわけでしょうか。
A: 一方、ニコラス・サアベドラが演じた被害者のロベルト・プマリノ・バレンスエラは、1925年サンティアゴ生れ、12歳年下でした。同じ職場である公務員ジャーナリスト基金で知り合ったときは既婚者でしたが、彼女の虜になってからは二人の関係を不倫にしたくないということで離婚しています。
B: カフェのウェイターが「彼は指輪をしていなかった」と証言している。兄弟や同僚の証言からもロベルトが律儀で誠実な男性だったことが窺えるが、作家がロベルトに望んでいたことではなかった。
A: 所詮、ヘオルヒナ・シルバという女性は、彼の手に負える女性ではなく、お金を貢いでくれる取り巻きの一人でしかなかった。独立していて、性的に自由で、文学界である程度の評価を得ていても、ほかの女流作家ほど高くなかったということですから、より名声を求めていたのは確かでしょう。
B: 彼がプレゼントした当時の主婦の憧れの床掃除機を、彼女が「マポチョ川に投げ入れた」という証言が事実なら、やはり激情しやすい、どこかが壊れていた女性です。
A: 才能ある自分が普通の女と一緒くたにされて、プライドを傷つけられたわけです。メルセデスが愛用した赤いガウンをプレゼントした自称詩人ルネが「床掃除機を贈っていたら今頃は僕の追悼式だった」と自嘲するシーンがありましたね。
50年代のチリに精神錯乱でもなく動機もない犯罪は存在しなかった
B: さらに彼女に朗報が届く。ニューヨークに在住していたミストラルなどが、時の大統領カルロス・イバニェス・デル・カンポに恩赦の嘆願書を送った。
A: 映画のエンディングに挿入された嘆願書の日付は、判決の約1カ月後の8月13日でした。ミストラルは「友人である作家」の赦免を求めている。反体制派には厳罰で臨んだ軍事独裁者も、政治的な発言は生涯剥奪したものの自由を認めた。
B: 結果、服役は1年足らずです。残念なことにメルセデスの自由は束の間に終わってしまった。ミストラルは半年後に膵臓癌でニューヨークで客死するから間一髪でした。遺族にしてみれば不条理だったに違いない。
(オスカーとゴヤ賞のチリ代表作品に選ばれた)
A: チリの50年代には、動機のない犯罪、挑発もなく女性が犯す殺人の可能性は考えられなかったことも作家には幸いしたが、これが正義だったとは思えない。ロベルト・プマリノは浮かばれないし、遺族や弁護士はさぞ歯噛みしたことでしょう。被害者サイドの弁護士モンテロが、容疑者が刑務所でなくホテル住まいだと息まくシーンもありました。判事からブエン・パストールの女子修道院だと宥められるが、司祭以外の「男性お断り」の女子修道院では男性のモンテロにはお手上げです。修道院が刑務所の一端を担っていた。
B: 作家の出所は、メルセデスを突き放す。もうセンスある衣装を身にまとうことも、イヤリングなどの装身具も、マニキュア、化粧品とも別れなければならない。
A: 作家と同じ髪型に変え、トレードマークのロングコート、ブレスレッドを付けて変身していく大胆さに、観客はこれはヤバいとドキドキする。しかし、メルセデスが想像のなかで作家と一体化して現実を侵食していくシーンは少し冗漫に感じました。実際のところ弁護士が預かれない容疑者の鍵を担当書記官が自由に使用できる設定は「あり」でしょうかね。
B: 作家の鍵を持っていて、アパートでメルセデスと鉢合わせする自称詩人のルネも自分の居場所がないと嘆いていましたが、居場所探しは女性に限らない。
A: 出所した作家をタクシーで迎えに行った取り巻きの一人がこのルネでした。詩を書いて生計を立てるのは、いつの時代でも厳しい。2回登場させていますが、パラルにいるという姉も含めて多くの証言者が冒頭で消えてしまうのと対照的です。
B: それぞれ視点を変えれば、どんどん実像から離れていくという駒として登場させている。
前例のあった殺人事件――「エウロヒオ射殺事件」
A: 前述の詩人で小説家のマリア・ルイサ・ボンバル(1910~80)の恋人射殺事件を取り入れることで、ストーリーにふくらみをもたせている。1941年、ボンバルはかつて熱烈な恋愛関係にあったエウロヒオ・サンチェスの腕に3発の銃弾を浴びせるという事件を起こしている。場所も同じホテル・クリヨンでした。裁判になったがサンチェスが彼女の罪をいっさい問わなかったので裁判官もボンバルを無罪にした。
B: 前例があるわけですね。シルバがこの射殺事件を念頭において模倣した可能性がある。
A: ウイキペディア情報ですが、二人の作家は作風が似ているようです。ボンバルはボルヘスやネルーダとも親交のあった作家だそうで、エロティック、シュールレアリスト、フェミニズムのテーマを取り入れ、いわゆる男性らしさを否定している。サンティアゴ市文学賞を受賞するなどシルバより評価は高そうです。
B: 実在したモデルのある人物と架空の登場人物がうまく噛み合っていない印象でした。
A: 公式サイトで、エリサ・スルエタが演じたメルセデスを「内気」と紹介していますが、内気どころか少々大胆で、保身に汲々している上司を翻弄している。当ブログ初登場です。
B: 2人のハイティーンの息子がいるから、事件当時42歳だった作家と同年齢か少し年下に設定されていますが、若く見えました。複雑な作家を演じたフランシスカ・ルーウィンも初登場。
A: ルーウィンは1980年サンティアゴ生れ、彼女も映画よりTVシリーズ出演が多い。
★エリサ・スルエタは、1981年サンティアゴ生れ、映画、TV、舞台女優、脚本家、演出家でもある。マルティン・ドゥプァケットの「El Fantasma」(23)に主演、共同で脚本を執筆、ルネ役のネストル・カンテリャノと共演している。TVシリーズ出演が多い。ノミネートはあるが受賞歴はない。
★フランシスカ・ルーウィンは、1980年サンティアゴ生れ、TVシリーズ出演が多く、「Los Capo」(全124話)でアート・エンターテインメント批評家2005助演女優賞を受賞している。
(ともにサンセバスチャン映画祭は初めてという、スルエタとルーウィン、9月23日)
*”El mundo dormido de Yenia”(1946、イェニアの眠りの世界)、”Extraño estío”(1947、奇妙な夏)、”Soñaba y amaba al adolescente Perces”(1949、ペルセスの思春期の夢と愛)、仮題を付記しました。
**フィクション、証言、自伝を織りまぜており、通行不能な世界である刑務所に収監された女性たちと彼女たちを取り巻く状況を描いた画期的な小説、ほかに女性同士の欲望、今でいうレズビアンを描いた部分が当時としては独特な位置を占めている。「省略と脱線の繰り返しは、裁判官や弁護士の協力を防ぐために巧妙に配されている」とトラブッコ・セランは評している。
*原作者、作品紹介は、コチラ⇒2024年08月14日
*監督の主な紹介は、コチラ⇒2020年10月22日/2024年01月18日
スペイン勢のフォト集*サンセバスチャン映画祭2024 ㉞ ― 2024年10月09日 18:41
映画祭を盛り上げた地元スペインのスターたち
★映画以外のTVシリーズ、HBOなど日本では視聴が難しい作品も含めて、映画祭を盛り上げた面々を特集しました。クラシック映画(Klasikoak)部門でモンチョ・アルメンダリスの「Tasio」(84)が、バスク・フィルム・ライブラリーで修復され40年ぶりに上映されました。監督も姿を現し歓迎を受けました。TVシリーズはアウト・オブ・コンペティション作品なので作品紹介はしておりませんが、当ブログに登場願った知名度の高いスターのフォトを中心に落穂ひろいをしました。手短に内容紹介をしました。
★モンチョ・アルメンダリスの名作「Tasio」(Klasikoak部門)には、「Silencio roto」(01)や「Obaba」(05)など監督の代表作を手掛けている製作者プイ・オリアが同伴しておりました。
(上映会で挨拶するモンチョ・アルメンダリス監督、9月21日)
(監督とプロデューサーのプイ・オリア)
★エンリケ・ウルビスのスペイン=米国合作スリラー「Cuando nadie nos ve」(8話、HBO)には、監督以下主演者3人、マリベル・ベルドゥ、マリエラ・ガリガ、アメリカの俳優オースティン・アメリオが参加しました。来年の放映ですからプロモーションのようです。日本でも2021年6月からHBO Maxは、U-NEXTで配信されるようになっているので英語版なら見られるかもしれません。
(エンリケ・ウルビス監督、9月23日)
(マリベル・ベルドゥ)
(左から、監督、マリベル・ベルドゥ、マリエラ・ガリガ、オースティン・アメリオ)
★監督賞を受賞したペドロ・マルティン・カレロの「El llanto」(コンペティション)のグループは、脚本を監督と共同で執筆したイサベラ・ペーニャも含めて大挙して参加していました。本作は東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門で『叫び』の邦題でやってきます。ラテンビート映画祭共催作品です。Q&Aに参加してくれることを願っています。
(ペドロ・マルティン・カレロ監督、9月25日)
(監督と脚本家イサベラ・ペーニャ)
(左から、エステル・エクスポシト、マレナ・ビリャ、マティルダ・オリヴィエ)
(3女優に挟まれた監督)
★ハビエル・ギネルとエレナ・トラぺの共同監督のコメディ「Yo, adicto」(6話、TVシリーズ)には総勢14人、監督以下、主役ハビエルを演じるオリオル・プラ、アルモドバルの『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』にも出演したビクトリア・ルエンゴなどが参加しました。ハビエル・ギネル(ビスカヤ県バラカルド1977)は監督、脚本家、製作者だが、10年以上前はセックス、アルコール、ドラッグの中毒者だった。その依存症との関係、その脱出についての同名著書 ”Yo, adicto” の映画化です。自分の体験を語っており、クローゼットから出てきたことも明らかにしています。当時自分が中毒者である自覚はなかったそうで「それに気づいていない人の数に驚くだろう」とも語っている。コメディ仕立てですが奥は深そうです。
(ハビエル・ギネル、エレナ・トラぺ、9月25日)
(主人公ハビエル役のオリオル・プラ)
(共演者ビクトリア・ルエンゴとオマール・アユソ)
★アレクシス・モランテのコメディ「¿ Es el enemigo? La película de Gila」(RTVE製作)の舞台はスペイン内戦時代の1936年マドリード、祖父母と平和に暮らしていたミゲル・ヒラと呼ばれた若い男性の物語。実在したコメディアンの物語。初めて主役ミゲルに抜擢されたオスカル・ラサルテの演技が絶賛されています。その他の共演者ナタリア・デ・モリーナ、カルロス・クエバス、ミゲル・ヒラの娘の一人マレナ・ヒラ、他が参加しています。「内戦という悲劇的シチュエーションを超えるためのユーモアがふんだんに描かれている」とオスカル・ラサルテがインタビューに応えている。
(アレクシス・モランテ監督とマレナ・ヒラ、9月26日)
(主人公ミゲルを演じたオスカル・ラサルテ)
(共演者のナタリア・デ・モリーナ)
(同上カルロス・クエバス)
(左から、クエバス、ヒラ、ラサルテ、監督、デ・モリーナ、レッドカーペット)
★ロドリゴ・コルテスの「Escape」(RTVE)には、監督以下マリオ・カサス、アンナ・カステーリョ、製作者のアドリアン・ゲーラが参加していました。マーティン・スコセッシがエグゼクティブプロデューサーを務めたことが話題になっています。共演者にホセ・サクリスタン、ブランカ・ポルテーリョなどがクレジットされていますが不参加でした。刑務所生活を望む青年Nの物語。世界から消え去りたい、そのため刑務所に入ろうと深刻な犯罪を犯そうとする。家族も精神科医も裁判官もNの願いを止めることができるかどうかの疑問が提起される。相変わらずコルテスらしい捻りのスリラー。刑務所から逃げるのではなく、世界から逃げたい青年の話、テーマは自由は何かということでしょうか。
(ロドリゴ・コルテス監督、9月27日)
(N役のマリオ・カサス、妹役のアンナ・カステーリョ)
(左から、アドリアン・ゲーラ、カサス、監督、ホセ・パストール、
アンナ・カステーリョ、エレナ・サンチェス、プレス会見)
★アラウダ・ルイス・デ・アスアの「Querer」(TVミニシリーズ、4話、アウト・オブ・コンペティション作品)は、監督以下主役のナゴレ・アランブル、ロレト・マウレオン、二人の息子役にミゲル・ベルナルドーとイバン・ペリセルなどが参加しました。完璧な結婚生活の30年間にレイプを受け続け、家を出てからもレイプされ続けていると妻が夫を告発したとき、家族は引き裂かれる。二人の息子は母親を信じるか、無実を主張する父親を支持するかの選択を迫られる。映画は真実を見つけようとする同じ目的をもつ法的手続きと並行して進行する家族の旅が語られる。夫役のペドロ・カサブランクは不参加でした。
(アラウダ・ルイス・デ・アスア監督、9月27日プレス会見)
(妻ミレン役のナゴレ・アランブル、フォトコール)
(ロレト・マウレオン)
(左から、ミゲル・ベルナルドー、ロレト・マウレオン、ナゴレ・アランブル、
イバン・ペリセル、アラウダ・ルイス・デ・アスア監督)
★最後はペルラス部門のクロージング作品、アイトル・アレギ&ジョン・ガラーニョの「Marco」のグループ、マルコ役のエドゥアルド・フェルナンデス、妻役のナタリエ・ポサがフォトコールに出席しました。本作は作品紹介をアップしています。
(アイトル・アレギ、最終日の9月28日)
(ジョン・ガラーニョ)
(エドゥアルド・フェルナンデス)
(ナタリエ・ポサ)
★第72回サンセバスチャン映画祭も積み残しが多くてすっきりしませんが、これでおしまいにします。10月11日にマイテ・アルベルディの『イン・ハー・プレイス』のNetflixストリーミングの配信が始まります。
欧米からの参加シネアストたち*サンセバスチャン映画祭2024 ㉝ ― 2024年10月07日 12:11
ティム・バートン、ジャック・オーディーアール、コスタ・ガブラス・・・
★コンペティション作品でなかったことから作品紹介はしませんでしたが、レッドカーペットを彩った監督やキャストのスナップをご覧ください。コスタ・ガブラスの「Le dernier souffle」はコンペティション作品でしたが、主役2人の参加はなく、共演者のアンヘラ・モリーナ、シャーロット・ランプリングのようなベテラン女優が監督と連れ立ってフォトコールに応じていました。サンセバスティアン市の9月下旬は寒暖の差が激しく、用意してきた衣装にもよるのでしょうが夏服秋服混在での登場でした。
★ティム・バートンの「Maria Callas: Letters and Memoirs」(ペルラス部門)のグループ。
(ティム・バートンとマリア・カラスを演じたモニカ・ベルッチ、9月26日)
(左から2人目、モニカ・ベルッチ)
★ジャック・オーディーアールの「Emilia Pérez」(ペルラス部門)、カンヌ映画祭でカルラ・ソフィア・ガスコンが女優賞を受賞している。
(ジャック・オーディーアール)
(カルラ・ソフィア・ガスコンとオーディーアール監督、9月20日)
★コスタ・ガブラスの「Le dernier souffle / Last Breath」(コンペティション)、監督と女優3人が参加しました。
(コスタ・ガブラス監督、9月25日)
(アンヘラ・モリーナ)
(シャーロット・ランプリング)
(左から、マリリン・カント、監督、ランプリング、モリーナ)
★パヤル・カパディアの「All We Imagie As Light / La luz que imaginamos」(インド、ペルラス部門)、インドからの参加ですが、RTVE「ある視点」賞を受賞しましたのでアップしました。大勢で参加しましたが、最後のガラまで待たずに帰国してしまった。
(パヤル・カパディア監督)
(参加したキャストたち)
★マイク・リーの「Hard Truths / Mi única familia」(コンペティション、イギリス)、監督以下主演のマリアンヌ・ジャン=バティスト、エグゼクティブプロデューサーのハビエル・メンデス、プロデューサーのジョージナ・ロウなどが参加した。
(81歳になったマイク・リー監督、マリアンヌ・ジャン=バティスト、9月26日)
(ハビエル・メンデス)
(右から2人目がジョージナ・ロウ)
★ラウラ・カレイアの「On Falling」(コンペティション、英=ポルトガル)、監督賞受賞作品。
(ラウラ・カレイラ監督、9月24日)
(主演ジョアナ・サントス)
(ジェイク・マクガリー)
★ジョシュア・オッペンハイマーの「The End」(コンペティション)、主演のティルダ・スウィントンはフォトコールには参加しなかったようです。デンマークの製作者シーネ・ビュレ・ソーレンセンが参加しました。
(ジョシュア・オッペンハイマー、9月23日)
(俳優ジョージ・マッケイ)
(監督とシーネ・ビュレ・ソーレンセン)
★ジョニー・デップの「Modi, Three Days on the Wing of Madness」(イギリス=ハンガリー=イタリア)はアウト・オブ・コンペティションでしたので作品紹介はしませんでした。1916年パリの街路が舞台、友人たちからモディの愛称で呼ばれていたイタリアの画家アメデオ・モディリアーニ(1884~1920)の3日間の旋風を描いている。フランスの画家ユトリロをブルーノ・グーリーが演じる。
(ホセ・ルイス・レボルディノスの歓迎をうけるジョニー・デップ、9月24日)
(モディの恋人ベアトリス役のアントニア・デスプラ、監督、リッカルド・スカマルシオ)
(モディを演じたリッカルド・スカマルシオ)
(モーリス・ユトリロを演じたブルーノ・グーリー)
(ルイザ・ラニエリ)
ラテンアメリカから現地入りしたスター*サンセバスチャン映画祭2024 ㉜ ― 2024年10月05日 16:36
マイテ・アルベルディ、マリアナ・ロンドン、ディエゴ・レルマン・・・
★オリソンテス・ラティノス部門にノミネートされたグループには、チリのマイテ・アルベルディ、ベネズエラのマリアナ・ロンドン&マリテ・ウガス、アルゼンチンのディエゴ・レルマンなど受賞歴のあるシネアストが現地入りしました。既にオリソンテス賞を受賞したルイス・オルテガの「El jockey」のグループはアップしております。以下は入手できたセクション・オフィシアルとオリソンテス・ラティノス部門ノミネートのグループです。作品紹介は長短ありますが、すべてアップしております。
*「El jockey」のフォトは、コチラ⇒2024年09月26日
★ドキュメンタリー作家としてアカデミー賞にノミネートされた、マイテ・アルベルディの初となる長編ドラマ「El lugar de la otra」のグループ。監督は開幕前から現地入りしておりましたが、今回は無冠に終わりましたが、『イン・ハー・プレイス』の邦題で間もなくNetflix配信が始まります。
(マイテ・アルベルディ監督、9月23日)
(フランシスカ・ルーウィン)
(エリサ・スルエタ)
(プレス会見、9月23日)
★チリのホセ・ルイス・トーレス・レイバの「Cuando las nubes esconden las sombras」のグループ、マリア・アルチェが主演した。
(監督、マリア・アルチェ、9月19日)
(参加者レッドカーペットに、9月21日)
★パナマのアナ・エンダラ・ミスロフ監督の「Querido trópico」は孤独がテーマ、チリのベテラン女優パウリナ・ガルシアが認知症を患う女性を演じています。
(アナ・エンダラ・ミスロフ、9月20日)
(中央が監督とパウリナ・ガルシア、レッドカーペット、9月20日)
(右がエンダラ監督)
(パウエル・ガルシア、プレス会見、9月21日)
★ベネズエラのマリアナ・ロンドン&マリテ・ウガス共同監督の「Zafari」のグループ。ロンドンはSSIFF2013で「Pelo malo」が金貝賞を受賞しています。
(左から、マリテ・ウガス、マリアナ・ロンドン、9月20日)
(両監督以下参加者レッドカーペットに、9月21日)
(マリアナ・ロンドン、プレス会見、9月23日)
(主役を演じたダニエラ・ラミネス)
★アルゼンチンのフェデリコ・ルイス監督の「Simón de la montaña」のグループ。
(フェデリコ・ルイス、9月21日)
(左から2番目がルイス監督)4人水色ズボン
★ディエゴ・レルマンの「El hombre que amaba los platos voladores」は、セクション・オフィシアルです。20世紀に実在したテレビ・レポーターが主人公でレオナルド・スバラリア(スバラグリア)が演じます。ディエゴ・レルマン、レナータ・レルマンの父娘など大勢で参加していましたが、前作『代行教師』のように今回は賞に絡むことはできませんでした。10月18日からNetflix配信が始まります。
(ディエゴ・レルマン監督、9月24日)
(主役のレオナルド・スバラリア)
(ニコラス・アブル)
(前回助演俳優賞を受賞したレナータ・レルマン)
(モニカ・アジョス)
★LGTBIAQをテーマにした作品に贈られるセバスティアン賞を受賞したロラ・アリアスのドキュメンタリー「Reas」のグループ、監督以下出演者ノエリア・ラディオサなどが現地入りしました。
(右から3人目が監督、2人目がラディオサ)
(左から、ラディオサ、ロラ・アリアス監督)
(第25回ガラには市長やドラッグクイーン、審査員アンナ・カステーリョ、
同エネコ・サガルドイなどが賑やかに出席した)
★アルゼンチンのセリナ・ムルガ監督の「El aroma del paso recién cortado」、主演のホアキン・フリエルが現地入りしました。
(セリナ・ムルガ)
(ホアキン・フリエル、9月18日)
(ムルガ監督とホアキン・フリエル)
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