『グエロス』の監督がコンペティションに登場*ベルリン映画祭2018 ②2018年02月19日 17:55

       アロンソ・ルイスパラシオス、パノラマ部門からコンペティション部門へ昇格

 

アロンソ・ルイスパラシオスは、デビュー作『グエロス』がベルリン映画祭2014「パノラマ」部門で初監督作品賞を受賞したメキシコの監督。今回Museoが初めてコンペティション部門にノミネートされた。メキシコの人気俳優ガエル・ガルシア・ベルナル、『グエロス』出演のレオナルド・オルティスグリス、チリの名優アルフレッド・カストロ、イギリスの舞台俳優サイモン・ラッセル・ビール、監督夫人でもあるイルセ・サラスなど演技派を揃えて金熊賞を競います。1985年クリスマスの日に起きた実話の映画化、メキシコ国立人類学博物館に展示されていた140点にものぼるテオティワカン、マヤ、アステカなど、スペインが到達する前の文化遺産盗難事件をテーマにしている。G.G.ベルナルが犯人の一人を主演するということで、クランクイン前から話題になっていた作品。映画祭上映は222日と後半なので、現地での下馬評はまだ聞こえてきません。

『グエロス』とルイスパラシオス監督の紹介記事は、コチラ2014103

 

  

 

Museo(「Museum」)

製作:Detalle Films / Distant Horizon / Panorama Global

監督:アロンソ・ルイスパラシオス

脚本:マヌエル・アルカラ、アロンソ・ルイスパラシオス

撮影:ダミアン・ガルシア

編集:Yibran Asuad

キャスティング:ベルナルド・ベラスコ

プロダクション・デザイン:サンドラ・カブリアダ

衣装デザイン:マレーナ・デ・ラ・リバ

プロダクション・マネージメント:バネッサ・エルナンデス、カルロス・A・モラレス

録音:イサベル・ムニョス

視覚効果:ラウル・プラド

製作者:(エグゼクティブ)モイセス・コジオ、ブライアン・コックス、ガエル・ガルシア・ベルナル、ロバート・ラントス、(プロデューサー)マヌエル・アルカラ、アナント・シン、ヘラルド・ガティカ、ラミロ・ルイス、アルベルトMuffelmann、他多数

 

データ:製作国メキシコ、スペイン語、2018年、犯罪ドラマ、撮影地メキシコシティ、パレンケ、アカプルコ、ゲレーロ、チアパス、国立人類博物館を再現したスタジオ・チュルブスコ、クランクイン20173月。ベルリナーレ2018の上映は222日~25日の5回、メキシコ公開2018年が決定している。

 

キャスト:ガエル・ガルシア・ベルナル(フアン・ヌニェス)、レオナルド・オルティスグリス(ベンハミン・ウィルソン)、サイモン・ラッセル・ビール(フランク・グラベス)、アルフレッド・カストロ(ドクター・ヌニェス)、イルセ・サラス(シルビア)、リサ・オーウェン(ヌニェス夫人)、リン・ギルマーティン(ジェンマ)、レティシア・ブレディセ(シェレサダ)、ベルナルド・ベラスコ(ブスコ)、マイテ・スアレス・ディエス(ヒメナ)、他

 

プロット・解説19851225日クリスマスの明け方、メキシコ国立人類学博物館の堅固なセキュリティーを突破して、スペインが到達する前の文化遺産およそ140点がショーケースから盗まれた。テオティワカン、アステカ、マヤなどの遺跡から収集された重要な文化財であり、なかにはマヤ室に展示されていたパレンケのパカル王が被ったと言われる「翡翠の仮面」も含まれていた。当初大掛りな国際窃盗団によるものと思われていたが、メキシコ「世紀の盗難事件」の犯人は、プロではなく意外にも行き先を見失った二人の青年であった。主犯格の青年フアンにガエル・ガルシア・ベルナル、ベンハミンにレオナルド・オルティスグリスが扮する。実際に起きた犯罪事件にインスパイヤーされて製作されたフィクション、登場人物は仮名で登場している。(文責:管理人)

 

   

   (ガエル・ガルシア・ベルナルとレオナルド・オルティスグリス、映画から)

 

トレビア

アロンソ・ルイスパラシオス監督がG.G.ベルナルに「物語構成のための逸話を取材をしていたとき、突然ドキュメンタリー風ではない別のバージョンつまりフィクションのほうが、ある一部の地域で起こった事件としてではなく、世界のどこででも起きるように描いたほうがインパクトが得られるのではないか」と語ったそうです。監督は「本作は事件の正確なプロセスの再現ではなく、若者たちのアイデンティティ探しや自分たちの存在理由を求める寓話を描こうとしたら、この世紀の盗難事件が頭にひらめいた」と語っている。どうやらテーマは、生きる方向を見失った大学生たちを描いた、第1作『グエロス』と同じようである。

 

    

(本作にも出演するイルセ・サラスとレオナルド・オルティスグリス右端、『グエロス』から)

 

★実際の盗難事件は19851225日の明け方に起き、4年半後の1989610日に逮捕された。盗品は売却目的ではなくそのまま保管されていて大部分が返却された(現在マヤ室に展示されている「翡翠の仮面」はレプリカだそうです)。何が動機だったのかがメインテーマのようです。仮名にしたというフアン・ヌニェスの実名はカルロス・ペルチェス・トレビーニョ、ベンハミン・ウィルソンはラモン・サルディナ・ガルシアである。二人は獣医学専攻の大学生だった。フアンを演じるG.G.ベルナルは「登場人物の人格はとても複雑で、どうして二人があれほど窃盗に固執したのか」とコメントしている。撮影監督のダミアン・ガルシアも「二人の若者は盗みのためにプロの窃盗団に入り込むにはあまりに無邪気すぎた。私には窃盗をする動機が何だったのか言い当てられない」と。

 

       

    (犯人カルロス・ペルチェス・トレビーニョとラモン・サルディナ・ガルシア)

 

     

  (展示品を見るG.G.ベルナルとL.オルティスグリス、アステカの黒曜石製の「猿の壺」か)

 

★作家カルロス・モンシバイスが分析したように、二人は単に考古学の遺品を大事に保存して賛美したかっただけかもしれない。窃盗事件の後、皮肉にも空っぽになったショーケースを見るために文化人類学博物館の参観者が急に増加したそうです。盗まれるまでそんなに美しい遺物が博物館に展示されていることなど、人々は知らなかったわけです。

  

  

      

  

(翡翠の仮面を見つめるフアン、映画から)

 

★製作者は、Detalle Filmsのモイセス・コジオ、Distant Horizonのアナント・シン、ブライアン・コックス、 Panorama Globalのヘラルド・ガティカ、他『グエロス』の製作者ラミロ・ルイス、G.G.ベルナルなど多数。『カイトKite』(米メキシコ合作2014)を手掛けたDistant Horizonが国際販売も兼ねる由。監督フィルモグラフィーなどは『グエロス』で。

   

        

        (クランクインしたときの監督とエキストラたち、20173月)

    

「ある視点」にメキシコのミシェル・フランコ*カンヌ映画祭 ⑥2017年05月08日 12:12

       Las hijas de Abril」で4度目のカンヌに戻ってきました!

 

   

★今年の「ある視点」部門には、メキシコのミシェル・フランコLas hijas de Abrilとアルゼンチンの二人の女性監督セシリア・アタン&バレリア・ピバトが撮ったデビュー作La novia del desierto2作品、さらに追加作品として一縷の望みをかけていたアルゼンチンのサンティアゴ・ミトレの最新作La Cordilleraがノミネートされました。順番通りにご紹介していきます。ミシェル・フランコは当ブログでは何度か登場させています。『ある終焉』英語映画でしたが、今度はスペイン語で撮りました。エンマ・スアレス(『ジュリエッタ』)過去のフランコ映画出演したエルナン・メンドサ(『父の秘密』)モニカ・デル・カルメン(「A los ojos」)若いアナ・バレリアホアンナ・ラレキエンリケ・アリソンを絡ませました。

 

デビュー作Daniel & Ana09)がカンヌ映画祭と併行して開催される「監督週間」、第2『父の秘密』12Después de Lucía)がカンヌ映画祭「ある視点」のグランプリ、そして『ある終焉』15Chronicがコンペティション部門でまさかの脚本賞受賞、そして新作Las hijas de Abril「ある視点」に戻ってきました。このセクションはコンペティションより面白く、ベテランと新人が入り乱れ、今回はどうも賞に絡むのは難しいと予想します。過去の作品紹介、監督フィルモグラフィーに関連する記事は、下記にアップしております。

『父の秘密』の内容紹介記事は、コチラ20131120

『ある終焉』の物語と監督フィルモグラフィーの紹介記事は、コチラ201661518

 

 

    (アナ・バレリアと監督、2016年12月12日、プエルト・バジャルタでの記者会見

      

   

  (左から、エンリケ・アリソン、アナ・バレリア、監督、スアレス、ホアンナ・ラレキ)

      

   Las hijas de Abril(「April's Daughter」)2017

製作:LUCIA FILMS 協賛EFICINE PRODUCCION

監督・脚本・編集・製作者:ミシェル・フランコ

撮影:イヴ・カープ

編集():ホルヘ・ワイズ

録音():マヌエル・ダノイ、フェデリコ・ゴンサレス・ホルダン(ジョルダン)

メイクアップ:ベロニカ・セフード

衣装デザイン:イヴァンリー・ロブレス

サウンドデザイン:アレハンドロ・デ・イカサ

製作者:ロドルフォ・コバ、ダビ・ソナナ、ガブリエル・リプステイン(以上エグゼクティブ)

    ロレンソ・ビガス、モイセス・ソナナ

 

データ:製作国メキシコ、スペイン語、2017年、ドラマ、93分、撮影201617、撮影地プエルト・バジャルタ、グアダラハラ、メキシコシティ。カンヌ映画祭2017「ある視点」正式出品、メキシコ公開予定6月、配給元Videocineビテオシネ

 

キャスト:エンマ・スアレス(アブリル)、アナ・バレリア・べセリル(バレリア)、ホアンナ・ラレキ(クララ)、エルナン・メンドサ(グレゴリオ)、エンリケ・アリソン(マテオ)、イバン・コルテス(ホルヘ)、モニカ・デル・カルメン、他

 

プロット17歳になるバレリアは妊娠7ヵ月、異父姉妹のクララとプエルト・バジャルタで暮らしている。バレリアは離れて暮らしている母親アブリルに長らく会っていない。自分の妊娠を知られたくなかったのだが、クララはこれからの経済的負担や生まれてくる赤ん坊の育児という責任感の重さから母に知らせようと決心する。アブリルは娘たちの力になりたいとやってくるが、どうしてバレリアが母親と距離をおきたかったのか、観客はすぐに理解することになるだろう。

 

 

          (左から、監督、エンマ・スアレス、撮影監督イヴ・カープ)

 

     重要なことは世界に作品を発信して新しい観客に届くよう論議を呼ぶこと

 

★英語題はAbrilを名前でなく4月の意味に解釈したらしくAprilになっていますが、深い意味でもあるのでしょうか。さてフランコ監督への電話インタビュー(Grupo Milenio)によれば、主催者からの一報は「素晴らしいニュースでした。カンヌに行けるのは私にとって重要なことなのです。4回目になりますが、初めてのときに感じたと同じ高揚感と感動を覚えています。本作は私の過去の映画、例えば『ある終焉』や『Daniel & Anaとは違ったエネルギッシュな物語なのです。重要なことは賞を取るだけではなく、世界に向けて作品を発信して、新しい観客に届くよう論議を呼ぶことなのです」とコメントしています。果たして論議を呼ぶことができるでしょうか。映画を作ることが難しくなっている現状で、カンヌに出品できるような高レベルを維持していくのは易しいことではないとも語っており、「多くの監督が1度か2度はカンヌに来られるが、その後戻っては来られない」と、カンヌが狭き門であることを強調しています。メキシコの若手監督が2009年から2017年の間に4回は確かに異例です。先輩監督カルロス・レイガダスをおいて他にはおりません。

2002年『ハポン』カメラドールのスペシャル・メンション、2005年『天国のバトル』正式出品、2007年『静かな光』審査員賞、2012年『闇のあとの光』監督賞受賞。

 

★プロデューサーの一人として、ベネズエラのロレンソ・ビガスが参画していることが話題になっています。デビュー作『彼方から』がベネチア映画祭2015の金獅子賞を受賞した監督。フランコ監督の設立したLUCIA FILMSが同作に出資している。他にもベネズエラのロドルフォ・コバ(「Azul y no tanto rosa」)や『600マイルズ』のガブリエル・リプステインが両方に参画しています。ラテンアメリカ映画もかなり認知度が高くなりましたが、まだ足の引っ張り合いを始めるには早すぎることを肝に銘じて、国境を越えて協力していくことが必要ということでしょうか。イヴ・カープは『ある終焉』の撮影監督も手掛けている。

        

          エンマ・スアレスは2年連続でカンヌ入り

 

エンマ・スアレス1964、マドリード)は、昨年のカンヌにはアルモドバルの『ジュリエッタ』で、今年はメキシコ映画でと、大西洋を挟んでの活躍が目覚ましい。両作とも娘とうまくいかない母親役、最近活躍が目立つのは、アルモドバルのお蔭か、あるいは年齢的に吹っ切れたせいかもしれない。1990年代にフリオ・メデムの『バカス』『赤いリス』、続いて『ティエラ―地―』、今は亡きピラール・ミロの史劇『愛の虜』(映画祭タイトル『愛は奪った)などの初々しさを知っているファンには隔世の感があるでしょうか。『バカス』で思春期の少女に扮したとき、既に20代後半だった。『愛の虜』『ジュリエッタ』でゴヤ賞主演女優賞199720172011年のフォルケ賞主演女優賞をLa mosquiteraで受賞しているほか、受賞歴

エンマ・スアレスのキャリア紹介は、コチラ⇒2015年4月5日

           

       

        (母親役のエンマ・スアレスと娘バレリア役のアナ・バレリア)

 

エルナン・メンドサは、フランコ監督の『父の秘密』で父親役を演じた俳優、テレドラ出演が多い役者ですが、最近53日にノミネーションが発表になったアリエル賞最多の「La 4a compañia」に準主役で出演、13年ぶりに復活したという<Actor de cuadro>賞にノミネートされています。賞の性格がよく分かりませんが、英語では<Table of Actor>とありました。同作はアミル・ガルバン・セルベラAmir Galván Cerveraミッチ・バネッサ・アレオラMitzi Vanessa Arreolaという二人の新人監督作品、作品賞を含む20カテゴリーにノミネートされています。ここでは深入りしませんが刑務所内で結成されたアメリカン・フットボール・チームの名前がタイトルになっています。一般観客向けの面白いストーリー展開なので公開が期待できそうですが、予告編からメンドサを見つけ出すのはなかなか大変です。

 

 

   (背番号79がエルナン・メンドサ、10番が主人公のアドリアン・ラドロン)

『母という名の女』の邦題で2018年6月公開が決定、ユーロスペース。 

『ノー・エスケープ 自由への国境』*ホナス:キュアロン2017年04月23日 14:46

            トランプのお蔭で公開されることになりました?

 

★トロント映画祭2015の折に原題Desiertoとしてご紹介していた少し古い映画ですが、トランプの壁のお蔭か公開がアナウンスされました。ホナス・キュアロンの長編第2『ノー・エスケープ自由への国境』、キュアロン一家が総出で製作しました。トロント映画祭「スペシャル・プレゼンテーション」部門で国際批評家連盟賞を受賞したこともあって話題になっていた作品。これから公開されること、スリラーであることなどから、比較的詳しい公式サイトから外れないように注意してアップしたいと思います。なかでもキャスト紹介は主役の二人、ガエル・ガルシア・ベルナルとジェフリー・ディーン・モーガンしか紹介されておりませんので若干フォローしておきます。

 

    

                (オリジナル・ポスター)

 

 『ノー・エスケープ 自由への国境』(原題Desierto英題「Border Sniper」)2015

製作:Esperanto Kino / Itaca Films / CG Cinema

監督・脚本・編集・製作者:ホナス・キュアロン

脚本(共):マテオ・ガルシア

音楽:Woodkid、ヨアン・ルモワンヌ

撮影:ダミアン・ガルシア(『グエロス』)

プロダクション・デザイン:アレハンドロ・ガルシア

衣装デザイン:アンドレア・マヌエル

キャスティング:ベヌス・カナニ、他

メイクアップ・ヘアー:ヒメナ・キュアロン(メイク)、エマ・アンヘリカ・カンチョラ(ヘアー)他

製作者:ニコラス・セリス、サンティアゴ・ガルシア・ガルバン、ダビ・リンデ、ガエル・ガルシア・ベルナル(以上エグゼクティブ)、アルフォンソ・キュアロン、カルロス・キュアロン、アレックス・ガルシア、エイリアン・ハーパー、他多数

 

データ:製作国メキシコ=フランス、言語スペイン語・英語、2015年、スリラー・ドラマ、94分(日本88分)、撮影地バハ・カリフォルニア、映倫G12IMD5.9

映画祭・受賞歴:トロント映画祭2015国際批評家連盟賞受賞(スペシャル・プレゼンテーション部門)、ロンドン映画祭201510月)正式出品、(仏)ヴィルールバンヌ・イベロアメリカ映画祭20163月)正式出品、イベロアメリカ・フェニックス賞2016録音賞ノミネーション、以下2016年、ロスアンジェルス(6月)、シッチェス(10月)、オースティン(10月)、ダブリン、リマ(8月)、ハバナ(12月)他、各映画祭正式出品、第89回アカデミー賞メキシコ代表作品(落選)

公開:メキシコ20164月、フランス同4月、米国限定同10月、スペイン限定20171月、香港同1月、ハンガリー同4月、日本同5月、他多数

 

キャスト:ガエル・ガルシア・ベルナル(モイセス)、ジェフリー・ディーン・モーガン(サム)、アロンドラ・イダルゴ(アデラ)、ディエゴ・カタニョ(メチャス)、マルコ・ぺレス(ロボ)、ダビ・ペラルタ・アレオラ(ウリセス)、オスカル・フロレス・ゲレーロ(ラミロ)、エリク・バスケス(コヨーテ)、リュー・テンプル(国境パトロール)、他多数

 

プロット:正規の身分証明書を持たない、武器を持たない、ただリュック一つを携えたモイセスを含む15人のグループが、メキシコとアメリカを隔てる砂漠の国境を徒歩で越えようとしていた。それぞれ愛する家族との再会と新しいチャンスを求めていた。しかし、不運なことに越境者を消すことに生きがいを感じている錯乱した人種差別主義の<監視員>サムに発見されてしまった。不毛の砂漠の中で残忍な狩人の餌食となるのか。星条旗をはためかせたトラックに凶暴な犬トラッカーを乗せたサムは、祖国への侵略者モイセスたちを執拗に追い詰めていく。砂漠は武器を持つ者と持たざる者の戦場と化す。生への執着、生き残るための知恵、意志の強さ、人間としての誇りが、ダミアン・ガルシアの映像美、ヨアン・ルモワンヌの音楽をバックに語られる。  (文責:管理人)

 

            監督は何を語りたかったのか?

 

A: 監督が何を語りたかったのかは、観ていただくしかないが、まず製作のきっかけは10年ほど前に異母弟と一緒にアリゾナを旅行したことだったという。アリゾナ州Tucsonツーソン(トゥーソン)にあるメキシコ領事館に招待され、移民たちに起きている悲劇を生の声で聞いたことが契機だったという。

B: アリゾナ州の人口の37パーセントがヒスパニック系、もともと米墨戦争に負けるまでメキシコ領だった。そのアリゾナ体験から脚本が生まれたわけですね。

 

A: しかし、どう物語っていけばいいのか、なかなか構想がまとまらなかった。既に同じテーマでたくさんの映画が撮られていた。例えばキャリー・フクナガの『闇の列車、光の旅』09Sin nombre」)、ディエゴ・ケマダ=ディエスの『金の鳥籠』13La jaula de oro」)など、それぞれ評価が高かった。しかし、それらとは違った切り口で、もっと根深い何かを描きたかった。

B: 辿りついたのが子供の頃から大好きだった1970年代のハリウッド映画のホラーやスリラーだった。セリフを抑えたカー・アクションの不条理な追跡劇、スピルバーグの『激突!』71)や、リチャード・C・サラフィアンの『バニシング・ポイント』71)を帰国するなり見直した。

 

A: それにアンドレイ・コンチャロフスキーの『暴走機関車』85)も挙げていた。人間狩りというショッピングなテーマを描いた、アーヴィング・ピチェルの『猟奇島』32)、コーネル・ワイルドの『裸のジャングル』66)も無視できなかったと語っている。ダイヤローグを抑えるということでは、ロベール・ブレッソンの『抵抗(レジスタンス)~死刑囚の手記より』56)も参考にしたという。

B: 死刑囚の強い意志は、モイセスの強さに重なります。

 

          ネットにあふれた人種差別主義者のコメントに恐怖する!

 

A: 構想から10年、間には父親の『ゼロ・グラビティ』の脚本を共同執筆、撮影でも一緒だったからいろいろ相談に乗ってもらった。同業の有名人を父に持つのは大変です。「父の存在は重く、時には鬱陶しいこともある」と笑っています。

B: しかし「すごく力になってくれるし、叔父のカルロスも同じだが、私にとって大きなマエストロです」とも。アカデミー賞メキシコ代表作品に選ばれると、500以上のコピーを作りアメリカでの上映を可能にした。最初の16作に残れたのも、このコピーの多さのお蔭です。

 

 

(父アルフォンソ・キュアロンと、『ゼロ・グラビティ』が上映されたサンセバスチャン映画祭)

 

A: それでも「この映画の扉を開けてくれたのはガエル、彼が脚本を気に入ってくれたことだ」ときっぱり語っている。彼への信頼は揺るがない。ワールド・プレミアしたトロント映画祭にも駆けつけてくれ、素晴らしいスピーチをしてくれた。

 

  

  (スピーチをする監督とガエル・ガルシア・ベルナル、第40回トロント映画祭にて)

 

B: トロントでの批評家の反応は正直言ってさまざまだったが、それぞれ主観的なものが多かった。しかし、観客の反応は違った。

A: 苦しそうに椅子にしがみついて一心にスクリーンを観ていた。他人事ではないからね。これはリマでもハバナでも同じだった。しかしYouTubeで予告編が見られるようになると、メキシコから押し寄せる移民に反対する人種差別主義者のコメントで飽和状態になった。「何が言いたいんだよ」など大人しいほうで、なかには「みんな殺っちまえ!」とかあり、「楽天家の私でも、父親になっているのでビビりました」と監督はインタビューで語っていた。

B: トランプにとっては、本作は悪夢なんでしょうか。

 

A: しかし数日経つと、そんな雰囲気は下火になり、自然と収束していったという、当然ですよね。アメリカ公開の20161014日は、大統領選挙3週間前で両陣営とも一触即発だったから、何か起こってもおかしくない状況だった。

B: 星条旗、トラック、ライフル銃、獰猛に訓練された犬、国境沿いで起こる祖国を守るための人間狩り、お膳立てはできていた。

  

 

   (星条旗をはためかせて疾走するトラック、御主人に服従するトラッカー)

 

A: 狙撃者サム役にジェフリー・ディーン・モーガンを選んだ理由は、「彼がもっている強力な外観がパーフェクトだったから。映画の中ではサムの動機の多くを語らせなかったが、彼を念頭に置いて脚本を書いた。あのような人格にしたのが適切かどうかは別にしてね。あとはジェフリーがそれを組み立ててくれたんだ」と監督。

B: 完璧に具現化してくれたわけですね。

 

       

            (サバイバル・ゲームでモイセスを見失うサム)

 

A: 公開前なので後は映画館に足を運んでください。付録としてスタッフ&キャスト紹介を付しておきます。

 

 スタッフ紹介

ホナス・キュアロンJonás Cuarónは、19811128日メキシコシティ生れ、監督、脚本家、編集者・製作者。父親アルフォンソは『ゼロ・グラビティ』(13)のオスカー監督、叔父カルロスも監督、脚本家(『ルドandクルシ』)、製作者エイリアン・ハーパーは監督夫人。家族は神が授けるものだから選べません、というわけで「親の七光り」組です。友人は自分で選ぶ、それで主役にガエル・ガルシア・ベルナルを選びました。長編監督デビュー作Año uña(「Year of the Nail」メキシコ=英=西79分、スペイン語・英語)は、グアダラハラ映画祭2007で上映され高評価だった。父親と脚本を共同執筆した『ゼロ・グラビティ』のスピンオフムービーAningaaq13、米、7分、グリーンランド語、英語)、アニンガーはイヌイットの漁師の名前、サンドラ・ブロックが同じライアン・ストーン博士役でボイス出演している。他短編ドキュメンタリーがある。次回作Z(「El Zorro」)が進行中、ガエル・ガルシア・ベルナルが怪傑ゼロに扮します。 

  

               (本作撮影中のキュアロン監督とガエル・ガルシア・ベルナル)

 

   

(次回作Z」のポスターと主役のガエル・ガルシア・ベルナル) 

 

ダミアン・ガルシアは、1979年メキシコシティ生れ、撮影監督。メキシコシティの映画研修センターとバルセロナのESCACで撮影を学ぶ。2003年広告や多数の短編を手掛け、長編デビューは2006年、アンドレス・レオン・ベッカー&ハビエル・ソラルのMás que a nada en el mundo、アリエル賞の撮影賞にノミネートされた。アルフォンソ・ピネダ・ウジョアのViolanchelo08)、フェリペ・カサレスのChicogrande10)では、再びアリエル賞ノミネート、ハバナやリマでは撮影賞を受賞した。アリエル賞を独り占めした感のあったルイス・エストラーダの『メキシコ地獄の抗争』10、「El infierno」未公開、DVD)ではノミネートに終わった。ルイス・マンドキのLa vida precoz y breve de Sabina Rivas12)もアリエル賞を逃した。モノクロで撮影したアロンソ・ルイスパラシオスのコメディ『グエロス』14、「Güeros」ラテンビート上映)でアリエル賞の他、トライベッカ映画祭の審査員賞を受賞している。最新作にディエゴ・ルナのSr. Pig16)がある。本作上記。オスカー賞を3個も持っているエマニュエル・ルベツキ、ギジェルモ・ナバロ(『パンズ・ラビリンス』)、ロドリゴ・プリエト(『バベル』)の次の世代を代表する撮影監督である。現在はメキシコシティとバルセロナの両市に本拠地をおき、大西洋を行き来して仕事をしている。

バルセロナ大学に1994年付設されたカタルーニャ上級映画学校Escola Superior de Cinema i Audiovisuals de Catalunya の頭文字、バルセロナ派の若手シネアストを輩出している。

 

 

『グエロス』でアリエル賞撮影監督賞(銀賞)のトロフィーを手にしたダミアン・ガルシア

 

 

            (撮影中のダミアン・ガルシア)

 

 キャスト紹介

★出演者のうち、公式サイトに詳しいキャリア紹介のある、ガエル・ガルシア・ベルナル、アメリカ側のスナイパー役ジェフリー・ディーン・モーガンは割愛しますが、悪役サムがしっかり機能していたことが本作の成功の一因だったといえそうです。またスクリーンに少しだけ現れた国境パトロール隊員のリュー・テンプルは、1967年ルイジアナ州生れの俳優。犬のトラッカーは俳優犬ではなく警備の訓練を受けた犬だった由、トラッカーが出てくるとアドレナリンがドクドクの名演技でした。もう一つが2年間にわたって探し回ったという乾いた砂漠の過酷さと美しさだった。主な不法移民役のメキシコ人俳優をご紹介すると、

 

      

            (サムにショットガンを構えるモイセス)

    

ディエゴ・カタニョは、1990年クエルナバカ生れ、フェルナンド・エインビッケのデビュー作『ダック・シーズン』04)や『レイク・タホ』08、東京国際映画祭2008)に出演、ホナス・キュアロンの長編デビュー作Año uña07Year of the Nail」)では、アメリカから休暇でやってきた年上の女性モリーに淡い恋心を抱くティーンエイジャーを演じた。モリーを演じたのがエイリアン・ハーパー2007年、監督と結婚して1児の母。第2作ではプロデューサーとして参加している。他にロドリゴ・プラの話題作「Desierto adentro08)にも出演している。

 

   

                    (ディエゴ・カタニョ、『レイク・タホ』から

  

 

  (エイリアン・ハーパー、Año uña」から

 

マルコ・ぺレスは、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『アモーレス・ペロス』99)、マルコ・クロイツパイントナーのTrade07)、クリスチャン・ケラーのグローリア・トレビのビオピックGloria14)では、グロリアのマネジャーに扮した。最後までモイセスと運命を共にするアデラ役のアロンドラ・イダルゴは、本作が長編映画デビュー、テレビドラマに出演している。

 

                    

                  (ケラー監督とマルコ・ぺレス、「Gloria」から)

 

   

(モイセスに助けられながら追跡を逃れるアデラ)

 

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『或る終焉』 ミシェル・フランコ ②2016年06月18日 16:43

             『父の秘密』を受け継ぐ喪失感と孤独

 

   

                DVDのジャケット)

 

A: メキシコとアメリカと舞台背景はまったく異なりますが、『父の秘密』のテーマを引き継いでいる印象でした。喪失感とか孤独感などは普遍的なものですから受け入れやすいテーマです。

B: なかでこれはメキシコではあり得ない、例えばセクハラ訴訟のことですが、訴訟社会のアメリカだから可能だったと思います。本作は監督の個人的体験から出発しているようですが、終末期医療は映画の入れ物にすぎない。

 

A: 個人的体験を出発点にするのは少なからずどの監督にも言えることですが、特にフランコの場合は第1作からともいえます。本作に入る前に、第4作目 A los ojosに触れますと、製作は2013年と本作より前、モレリア映画祭2013でお披露目している。しかし一般公開は20165月と結果的には反対になりました。これについてはスペイン語版ウィキペディアとIMDbとに異同があり、こういう事例は他にも結構あります。

B: ストーリーも『父の秘密』を撮った後のインタビューで語っていた通りでした。いわゆるドキュメンタリー・ドラマ、メキシコの今が語られています。

A: キャストは、モニカ・デル・カルメンが臓器移植の必要な眼病を患う息子オマールの母親になり、その母子にメキシコ・シティの路上生活者、ストリート・チルドレンのベンハミンを絡ませています。言語はスペイン語なのでいずれご紹介したい。

 

   

       (“A los ojos”の共同監督ビクトリア&ミシェル・フランコ兄妹)

 

B: さて本作『或る終焉』ですが、重いテーマのせいか上映後、椅子から立ち上がるのに一呼吸おく観客が多かった(笑)。サスペンス調で始まる冒頭部分、淡々と進む看護師の日常、そしてフィナーレに予想もしないサプライズが待っていた。

A: プレタイトルの冒頭部分は「おいおいこれじゃパクリだよ」と、思わずマヌエル・マルティン・クエンカの『カニバル』(13)を思い出してしまいました。あちらは車中の男の正体は分からないまま事件が起きる。こちらは車のフロントグラス越しに若い娘を追っている男は直ぐ判明しますが、若い娘が誰かは捨ておかれる。男の目線に導かれてスクリーンに入っていった観客は突然梯子を外される。

B: 続いて男はフェイスブックで「Nadia Wilson」なる若い女性を検索している。若い娘がナディア・ウィルソンらしきことを暗示したまま、これまたスクリーンから姿を消してしまう。ストーカー男か、はたまた雇われ殺人者かと不安にさせたまま観客を宙吊りにする。この娘が再びスクリーンに登場するのは後半に入ってから。そこから次第にダヴィッドの過去が明かされ、本当のドラマが始まっていく。

 

  

     (疎遠だった父親から突然声を掛けられて戸惑う娘ナディア、映画から)

 

A: この冒頭部分が大きな伏線になっています。デヴィッドが元の町に戻ってきたのは、セクハラ訴訟で失職した後ではなく、時おり密かに訪れていたことや、この町で起こったことが彼の喪失感の原点であることを観客は知ることになる。エイズ患者のサラや半身不随になった建築家ジョンまでをフラッシュバックとすることも可能ですが、やはり同時進行が自然でしょう。

B: フランコは『父の秘密』でもフラッシュバックは使用しなかったと思います。

 

            互いに求め合う患者と看護師の共犯関係

 

A: 非常に興味深かったのは、デヴィッドは患者との関係はうまくいくのに、患者以外の身近な人、妻や娘も含めての自身の家族、患者の家族とは距離をおいている。サラの告別式に出席したとき、サラの姪から「叔母のことを聞きたい」と話しかけられても避けてしまう。

B: 避けるというより逃げる印象、彼は病める人としか心を通いあえない一種の患者なのですね。バーで隣り合った見ず知らずの他人とは、嘘と真をないまぜにして、談笑しながら自然体で接することができるのに。

A: 患者が看護師を求めるように看護師も患者を求めている。患者と看護師のあいだに親密な共犯関係が成立している。だからメキシコ版のタイトル“El último pacienteChronicは意味深なのです。 

  

          (見ず知らずの他人と談笑するデヴィッド、映画から)

 

B: 「最後の患者」は誰なのか。スペイン語の冠詞は基本的には英語と同じと考えていいのでしょうが、英語より使用した人の気持が反映されるように感じます。定冠詞「el」か、不定冠詞「un」かで微妙に意味が変化する。

A: 邦題の『或る終焉』については目下のところ沈黙しますが、「或る」が何を指すかです。また原題の“Chronic”はギリシャ語起源の「永続する時間を意味するchronikós」から取られている。悪い状態や病気が「慢性の、または長期に渡る」ときに使用される。

B: 監督インタビューでも、しばしば看護師を襲う「chronic depression慢性的な鬱病」について語っています。

 

A: 『父の秘密』で突然妻に死なれた父親が罹っていたのが、この「慢性的な鬱病」です。テーマを受け継いでいると前述したのも、これが頭にあったから。「秘密」を抱えていたのは父ではなく娘です。映画には現れませんが娘は母の死の原因に何か関係があることが暗示されていた。だから学校でのイジメを父親には知らせずに健気にも耐えたのですね。

B: 両作とも、監督がさり気なく散りばめたメタファーをどう読み取るかで評価も印象も異なってくるはずです。

 

         ドラッグのように頭を空っぽにするジョギング

 

A: デヴィッドは看護師という職業柄、ジムで体を鍛えて健康維持に努めている。しかし、それは表層的な見方であり、その一心不乱の表情からは別のことが読み取れる。

B: スポーツにはドラッグのような陶酔感、辛い現実からの逃避があり、更に達成感も得られるから、人によってはのめり込む。本作でも場面転換で有効に使われていた。

 

A 深い喪失感を癒やすには、ただただ走ること、頭を空っぽにすることで、自分が壊れるのを防いでいる。失職してからは安い給料ではジムに通えなくなったという設定か、監督はデヴィッドに歩道を走らせている。彼は何も考えない、何も彼の目には入らない、ただ一心に走るだけ。このジムから歩道への移行もまた、大きな伏線の一つになっている。

B: 『父の秘密』でも娘が現実逃避からか唯一人、プールでひたすら泳ぐ。光と水の美しいシーンであったが、最後にこれが伏線の一つだったことに観客は驚く。

 

A: デヴィッドの看護の内容は、これといって特別新しい視点はなかったように思える。例えばマーサの自殺幇助に手を貸すストーリー、マーサは癌治療の副作用と転移に生きる意味や価値、根拠を見いだせなくなっていた。合法非合法を含めて既に映画のテーマになっている。

B: ステファヌ・ブリゼの『母の見終い』(12)のほうが、テーマの掘下げがより優れていた。

A: スイスで2005年に認められた医師による安楽死が背景にあるが、こちらも安楽死は道具、愛し合いながらもぶつかり合ってしまう母と息子の和解が真のテーマだった。息子役ヴァンサン・ランドンの演技も忘れがたい。 

        

                    (髪をカットしてもらうマーサ、見守るデヴィッド)

 

B: ポール・トーマス・アンダーソンの群像劇『マグノリア』(99)の自宅看護師フィリップ・シーモア・ホフマンの演技、ミヒャエル・ハネケが連続でパルムドールを受賞した『愛、アムール』(12)の妻を看護する夫ジャン=ルイ・トランティニャンなどを思い起こす人もいたでしょうか。

A: 看護ではないが孤独死を扱った、ウベルト・パゾリーニの『おみおくりの作法』(13)などもありますね。ティム・ロスが6ヶ月ほど看護の仕事を体験して、そこで得た情報や体験が脚本に流れ込んでいるそうですが、本作の終末期医療はやはり入れ物の感が拭えません。

 

             主人公と監督の親密な共犯関係

 

B: 「脚本はティム・ロスとの共同執筆のようなもの」と、監督はティム・ロスに花を持たせています。こんなに親密な主人公と監督の関係は珍しいのではないか。

A: 例年10月下旬に開催されるモレリア映画祭FICMがメキシコ・プレミアでしたが、ロスも栄誉招待を受けて赤絨毯を踏んだ。フランコは「この映画祭にティムを迎えることができたのはとても名誉なことです。彼の監督作品『素肌の涙』を見れば、彼の感性が私たちメキシコの映画とまったく異なっていないことに気づくでしょう」と挨拶した。父と娘の近親相姦、息子の父殺しというタブーに挑戦した映画。

 

B: 1999年に撮った“The War Zone”のことですね。なんとも陳腐としか言いようのない邦題です。彼はこれ1作しか監督していない。

A: 閉ざされた空間で起こる権力闘争の側面をもつアレキサンダー・スチュアートの同名小説の映画化、ベルリン映画祭パノラマ部門CICAE賞、英国インディペンデント映画賞、バジャドリード銀の穂賞、ヨーロッパ映画ディスカバリー賞ほかを受賞した。ロスがこのタブーに挑戦したのには自身が過去に受けた傷に関係があるようです。

 

B: 「どのようにストーリーを物語るかというミシェルのスタイルが重要です。ある一人の看護師の物語ですが、それだけではない。彼の映画の主人公を演じられたことを誇りに思いますが、それがすべてではありません」とロス。

A: ティムがメキシコで監督する可能性をフランコの製作会社「ルシア・フィルム」が模索中とか。ロスの第2作がメキシコで具体化するかもしれません。

B: ロスもモレリア映画祭を通じて2ヶ月近く滞在、多くのメキシコの映画人と接触したようです。 

    

  (左から、モイセス・ソナナ、ロス、監督、ガブリエル・リプステイン、FICM 2015

 

A: 二人の親密ぶりはカンヌ以降、わんさとネットに登場しています。フランコが「舞台はメキシコ・シティ、言語はスペイン語」という最初の脚本にアディオスする決心をしたのは、フランコに「もし看護師を女性から男性へ、場所をアメリカにすることが可能なら、私に看護師を演らせて欲しい」というロスの一言だった。

B: 既に女性看護師役も内々に決まっていたとか。でも国際的大スターに迫られて、夢心地にならない駆出し監督はいませんよ。熟慮のすえ変更を決意した。

 

A: ロス自身もBBCのシリーズTVドラマに出演していたが、「君と一緒に仕事ができるなら素晴らしい。カンヌで『父の秘密』にグランプリを与えたとき私のほうから頼んだのだ」と快諾、こうして舞台をロスアンゼルスにして始まった。監督によると戸外での撮影には安全を期して市当局にパトロールを申請しなくてはいけないのだが、それをしなかった。

B: じゃ、デヴィッドが歩道をジョギングするシーンも無許可だったの?

A: 大袈裟になるし高くつくしで「ティムと私のスタッフはパトロールなしを決意した。勿論、罰金を科されないように慎重に誰にも気づかれないように撮影したのは当然だよ」とフランコ。

 

B: 審査委員長だったコーエン兄弟が本作に脚本賞を与えたのは見事なフィナーレのせいだったとか。受賞を意外だと評する向きもありましたが。

A: 誰が受賞しても文句が出るのが映画祭。審査員は批評家でないから、どうしても両者の評価には隔たりが出る。2015年のパルムドール、ジャック・オディアールの『ディーパンの闘い』のフィナーレなんかに比べれば、数段良かったですよ。

B: あれは蛇足でした、でもブーイングするほど悪くなかったです。『キャロル』ファンはおさまらなかったでしょうが。トッド・ヘインズ監督も先にルーニー・マーラが女優賞に呼ばれた時点で、さぞかしがっかりしたことでしょう。

A: それも人生、これも人生です。


『或る終焉』ミシェル・フランコ*患者と共に死に向き合う ①2016年06月15日 17:30

癒やされない喪失感と孤独、そして愛についての物語

    

ミシェル・フランコ『或る終焉』という邦題で公開中のChronicは、カンヌ映画祭2015の脚本賞受賞作品、当時、本作の受賞を予想した人はそう多くはなかったでしょう。そうそうパルムドールがブーイングという年でしたね。デビュー作Daniel & Ana09)がカンヌ映画祭と併行して開催される「監督週間」、第2『父の秘密』12Después de Lucía”)がカンヌ映画祭「ある視点」のグランプリ、そして本作がコンペティション部門の脚本賞と順調に11段、階段を上っている。カンヌ以降、多数の国際映画祭に招待されたが、受賞はカルタヘナ映画祭2015での「Gemas賞」1個にとどまった。当ブログで第3作目としてご紹介したA los ojos2013、“In Your Eyes”、妹ビクトリアと共同監督)は、第11回モレリア映画祭2013で上映されていますが、公開は順序が逆になり今年520日にメキシコで限定上映されました。

 

医学の進歩とともに終末医療は、以前とは比較にならないほど引き伸ばされ、死が生の一部であることを感じさせるようになりました。時には自分の最期を自ら選ばなくてはならなくなってもいる。それにつれて別の世界に入ろうとしている人の命と向き合いながら自宅でケアし、最後には看取るという孤独な新しい職業が成立した。細心の注意をはらって患者の恐怖心を和らげることが求められる厳しい職業です。終末医療の看護師とは、医療技術は勿論のこと、忍耐と心の平静、冷静な判断が求められる。以前当ブログで、「『父の秘密』同様、フィナーレに衝撃が待っている」と書きましたが、確かに見事な幕切れが待っていました。ネタバレさせずに書くのは容易ではありません。 

 

 (20155月、カンヌ入りした監督以下主な出演者、左からサラ・サザーランド、監督、

  ティム・ロス、ロビン・バートレット、ナイレア・ノルビンド。

  他に製作者のガブリエル・リプステイン、モイセス・ソナナなども参加した

 

 

『或る終焉』 (原題“Chronic”) 2015

製作:Stromboli Films / Vamonos Films

監督・脚本・編集()・製作() :ミシェル・フランコ、

撮影:イヴ・カープ

編集():フリオ・ペレス4

衣装デザイン:ディアス

プロダクション・デザイン:マット・ルエム

音響デザイン:フランク・ガエタ

製作者:ガブリエル・リプスティン、モイセス・ソナナ、ジーナ・クォン、製作総指揮ティム・ロス、ベルナルド・ゴメス、フェルナンド・ペレス・カビラン、エミリオ・アスカラガ・ヘアン

データ:製作国メキシコ=フランス、言語英語、93分、撮影地ロスアンゼルス、メキシコ公開201648日(メキシコ・タイトル“El último pacienteChronic”)

映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭2015脚本賞、カルタヘナ映画祭2015Gemas賞」受賞。メルボルン、サラエボ、サンセバスチャン(ホライズンズ・ラティノ部門)、ヘルシンキ、釜山、バンクーバー、ロンドン、シカゴ、テッサロニキなど国際映画祭で上映、メキシコでは例年10月下旬に開催されるモレリア映画祭で上映された。

 

キャスト:ティム・ロス(介護師デヴィッド)、ロビン・バートレット(マーサ)、マイケル・クリストファー(ジョン)、レイチェル・ピックアップ(サラ)、サラ・サザーランド(デヴィッドの娘ナディア)、ナイレア・ノルビンド(デヴィッドの元妻ローラ)、ビッツィー・トゥロック(ジョンの娘リディア)、デヴィッド・ダストマルチャン(レナード)、メアリーベス・モンロー(サラの姪)、カリ・コールマン(サラの妹)、ジョー・サントス、他

 

解説:終末期の患者をケアする看護師デヴィッドの物語。息子ダンの死をきっかけに妻とは別れ、別の土地で看護師の仕事をしている。サラを見送ったあと受け持ったジョンとの信頼関係は築かれていたが、家族から思いもかけないセクハラ告訴をえて失職する。長く疎遠だった妻と娘が暮らす町に戻ったデヴィッドは、医学を学ぶ娘ナディアと一度は再婚したが今は一人の元妻ローラと、共に悲しみを共有した家族が再会する。やがて新しい患者マーサと出会うが、彼はある難しい決断を求められる。終末期の患者とその家族との関係性が淡々と語られるが、それがテーマではない。ドラマの背後で進行するデヴィッドの深い喪失感と孤独からくる長く深くつづく憂鬱が真のテーマであろう。                               (文責:管理人)

 

   

      (メキシコのタイトル“El último pacienteChronic”のポスター)

 

監督紹介ミシェル・フランコ Michel Franco1979年メキシコ・シティ生れ、監督、脚本家、製作者。イベロアメリカ大学でコミュニケーションを専攻、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥのスタッフとして仕事をした後、ニューヨークの映画アカデミーで監督・演出を学ぶ。短編、TVコマーシャル、音楽ビデオの制作、ルシア・フィルムを設立した。 

 

 *主なフィルモグラフィー*(最近の短編は除く)

2001Cuando seas GURANDE

2003Entre dos”短編 ウエスカ映画祭グランプリ、ドレスデン映画祭短編賞受賞

2009Daniel & Ana 監督、脚本、製作 長編デビュー作

  カンヌ映画祭2009監督週間正式出品、サンセバスチャン、シカゴほか国際映画祭で上映、フランス、メキシコ、米国ほかで公開

2012 Después de Lucía”『父の秘密』監督、脚本、製作、編集

  カンヌ映画祭2012「ある視点」グランプリ、シカゴ映画祭審査員特別賞、サンセバスチャン映画祭ホライズンズ・ラティノ作品賞、ハバナ映画祭監督賞

作品紹介ほか関連記事は、コチラ⇒20131120

2013A los ojos”ビクトリア・フランコとの共同監督、脚本、製作、編集

  第11回モレリア映画祭2013上映、公開は20165月限定上映

2015Chronic”『或る終焉』省略

2015Desde allá”製作 (監督ロレンソ・ビガス、製作国ベネズエラ==メキシコ)

ベネチア映画祭2015金獅子賞受賞作品

作品紹介ほか関連記事は、コチラ⇒201588日、921日、108

2015600 millas”製作 (監督ガブリエル・リプスティン、製作国メキシコ)

  ベルリン映画祭2016パノラマ部門初監督作品賞、アリエル賞2016初監督作品賞受賞作品

作品紹介ほか関連記事は、コチラ⇒201661

 

2001年の“Cuando seas GURANDE ”は短編ではなく、「汚職撲滅運動」のキャンペーンの一環として製作された映画の一部を監督したもののようで、メキシコの500館で上映された(スペイン語版ウィキペディア)。

 

  

   (フランコ兄妹に挟まれたモニカ・デル・カルメン、“A los ojos”のプレス会見から)


グアダラハラ映画祭2016*ロベルト・スネイデルの新作2016年03月22日 13:37

        『命を燃やして』の監督作品“Me estás matando, Susana

 

グアダラハラ映画祭2016に出品されたコメディMe estás matando, Susana、次のゴールデン・グローブ賞の候補になったので前回ほんの少しだけ記事にいたしました。ロベルト・スネイデル監督は当ブログ初登場ですが、アンヘレス・マストレッタのベストセラー小説の映画化Arráncame la vidaがラテンビート2009『命を燃やして』2008)の邦題で上映された折り来日しています。新作は約30年前に刊行されたホセ・アグスティンの小説Ciudades desiertas1982)に触発され、タイトルを変更して製作された。ランダムハウス社が映画公開に合わせて再刊しようとしていることについて、「タイトルを変えたのに、どうしてなのか分からない。出版社がどういう形態で出すか決まっていない」とスネイデル監督。製作発表時の2013年には原題のままでしたので、混乱することなく相乗作用を発揮できるのではないか。原作者にしてみれば大いに歓迎したいことでもある。刊行当時から映画化したかったが、他の製作会社が権利を持っていてできなかった。「そこが手放したので今回可能になった」とグアダラハラFFで語っている。 

    

       

            (Me estás matando, Susana”のポスター)

 

     Me estás matando, Susana2016(“Deserted Cities”)

製作:Cuévano Films / La Banda Films

監督・脚本・製作:ロベルト・スネイデル

脚本(共同):ルイス・カマラ、原作:ホセ・アグスティン“Ciudades desiertas

音楽:ビクトル・エルナンデス

撮影:アントニオ・カルバチェ

編集:アレスカ・フェレーロ

製作者:エリザベス・ハルビス、ダビ・フィリップ・メディナ

データ:メキシコ=スペイン=ブラジル=カナダ合作、スペイン語、2016年、102分、ブラック・コメディ、ジェンダー、マチスモ、フェミニズム。グアダラハラ映画祭2016コンペティション正式出品、公開メキシコ201655

 

キャスト:ガエル・ガルシア・ベルナル(エリヒオ)、ベロニカ・エチェギ(スサナ)、Jadyn・ウォン(アルタグラシア)、ダニエル・ヒメネス・カチョ(編集者)、イルセ・サラス(アンドレア)、アシュリー・ヒンショウ(イレーネ)、アンドレス・アルメイダ(アドリアン)、アダム・Hurtig 他

 

解説:カリスマ的な俳優エリヒオと前途有望な作家スサナは夫婦の危機を迎えていた。ある朝のこと、エリヒオが目覚めると妻のスサナが忽然と消えていた。スサナは自由に執筆できる時間が欲しかったし、夫との関係をこれ以上続けることにも疑問を感じ始めていた。一方、自分が捨てられたことを知ったマッチョなエリヒオは、妻が奨学金を貰って米国アイオワ州の町で若い作家向けのプログラムに参加していることを突き止めた。やがてエリヒオも人生の愛を回復させようとグリンゴの国を目指して北に出発する。

 

ロベルト・スネイデルのキャリアとフィルモグラフィー

ロベルト・スネイデルRobberto Sneider1962年メキシコ・シティ生れ、監督、製作者、脚本家。フロリダの大学進学予備校で学んだ後のち帰国、イベロアメリカ大学でコミュニケーション科学を専攻、後アメリカン・フィルム・インスティテュートで学ぶ。1980年代は主にドキュメンタリーを撮っていた。21年前の1995年、Dos crimenesで長編映画デビュー、メキシコのアカデミー賞アリエル賞新人監督賞を受賞した。ホルヘ・イバルグェンゴイティアの同名小説の映画化、ダミアン・アルカサル主演、ホセ・カルロス・ルイス、ペドロ・アルメンダリス、ドロレス・エレンディアなどが共演した話題作。第2作目Arrancame la vida08『命を燃やして』)、第3作目が本作である。

 

 

      (ロベルト・スネイデル監督)

 

20年間に3本という寡作な監督だが、1999年に製作会社「La Banda Films」を設立、プロデューサーの仕事は多数。日本でも公開されたジュリー・テイモアの『フリーダ』02、英語)の製作を手がけている。製作者を兼ねたサルマ・ハエックの執念が実ったフリーダだった。画家リベラにアルフレッド・モリーナ、メキシコに亡命していたトロツキーにジェフリー・ラッシュ、画家シケイロスにアントニオ・バンデラスが扮するなどの豪華版だった。

 

       

             (サルマ・ハエックの『フリーダ』から)

 

         マッチョな男の「感情教育」メキシコ編

 

ホセ・アグスティンの原作を「メキシコで女性の社会的自由を称揚したアンチマチスモの最初の小説」と評したのは、スペイン語圏でもっとも権威のある文学賞の一つセルバンテス賞受賞者のエレナ・ポニアトウスカだった。原作の主人公はスサナだったが、映画では焦点をエリヒオに変えている。スネイデルはエリヒオの人格も小説より少し軽めにしたと語っている。何しろ30年以上前の小説だからメキシコも米国も状況の変化が著しい。合法的にしろ不法にしろメキシコ人の米国移住は増え続けているし、男と女の関係も変化している。原作者もそのことをよく理解していて、「映画化を許可したら、どのように料理されてもクレームは付けない。小説と映画は別の芸術だから」、「既に監督と一緒に鑑賞したが、とても満足している。メキシコ・シティで公開されたら映画館で観たい」とも語っている。

 

 

                 (原作のポスター)

 

★ボヘミアンのマッチョなメキシコ男性に扮したガエル・ガルシア・ベルナル、メキシコでの長編劇映画の撮影は、なんと2008年のカルロス・キュアロンの『ルドandクルシ』(監督)以来とか。確かに英語映画が多いし、当ブログ紹介の『NO』(パブロ・ラライン)はチリ映画、『ザ・タイガー救世主伝説』(“Ardor”パブロ・ヘンドリック)はアルゼンチン映画、ミシオネス州の熱帯雨林が撮影地だった。堪能な英語のほかフランス語、ポルトガル語もまあまあできるから海外からのオファーが多くなるのも当然です。米国のTVコメディ・シリーズMozart in the Jungle”出演でゴールデン・グローブ賞主演男優賞を受賞したばかりです。スネイデル監督は、「私だけでなく他の監督も語っていることだが、ガエルの上手さには驚いている。単に求められたことを満たすだけでは満足せず、役柄を可能な限り深く掘り下げている」と感心している。物語の中心をエリヒオに変えた一因かもしれない。どうやらマッチョなメキシコ男の「感情教育」が語られるようです。

 

★スサナ役のベロニカ・エチェギ:日本ではガエルほどメジャーでないのでご紹介すると、1983年マドリード生れ。日本公開作品はスペインを舞台に繰り広げられるアメリカ映画『シャドー・チェイサー』(2012)だけでしょうか。スペイン語映画ではビガス・ルナの『女が男を捨てるとき』(06Yo soy la Juani”)、アントニオ・エルナンデス『誰かが見ている』(07El menor de los males”)、エドゥアルド・チャペロ=ジャクソン『アナザーワールド VERVO』(11Verbo”)などがDVD発売になっています。Yo soy la Juaniでゴヤ賞新人女優賞の候補になって一躍注目を集めた。今は亡きビガス・ルナに可愛がられた女優の一人です。邦題を『女が男を捨てるとき』と刺激的にしたのは、如何にも売らんかな主義です。イシアル・ボリャインのKatmandú, un espejo en el cielo12)でゴヤ賞主演女優賞にノミネートされた。実話を映画化したもので、カトマンズで行われた撮影は過酷なもので、実際怪我もしたと語っている。きちんと自己主張できるスサナのような役柄にはぴったりかもしれない。

 

     

       (ベロニカ・エチェギとガエル・ガルシア・ベルナル、映画から)

 

★このようなロマンチック・コメディで重要なのは脇役陣、メキシコを代表する大物役者ダニエル・ヒメネス・カチョを筆頭に、イルセ・サラス(アロンソ・ルイスパラシオスの『グエロス』)、アシュリー・ヒンショウSF映画『クロニクル』)、カナダのホラー映画『デバッグ』出演のJadyn・ウォンなど国際色も豊かである。かなり先の話になりますが、例年10月開催のラテンビートを期待したいところです。

  

『グエロス』 メキシコ映画 *ラテンビート2014 ⑥2014年10月03日 13:18

『グエロス』が、サンセバスチャン国際映画祭SIFF「ホライズンズ・ラティノ」部門のベスト・フィルム賞に受賞しました。サンセバスチャンのグランプリ作品が、同じ年に日本の映画祭で見られるのは珍しいから、急いで紹介いたします。メキシコ映画は、ディエゴ・ルナの『セザール・チャベス』と本作の2本。今年のモントリオール映画祭のスペイン語映画は、メキシコに集中していると書いたばかりですが、『グエロス』は2月開催のベルリン映画祭「パノラマ」部門で上映、初監督作品賞を受賞しています。若い監督がモノクロで撮ったということで前から気になっていた作品。モントリオールを避けてサンセバスチャンにエントリーした。最初「オフィシャル・セレクション」が考慮されたというから、「ホライズンズ・ラティノ」部門の目玉だったのかもしれない。ラテンビートの解説に「ロード・ムービー」とありますが、メキシコ・シティから一歩も出ない。ジャンルはコメディとあるけど、本当にコメディなの。

なお監督名は映画クレジット表記やスペイン語圏での使用を考えて、アロンソ・ルイスパラシオスに統一します(LB公式サイト、英語圏はルイス・パラシオス)。

 


       グエロスGüeros 

製作Catatonia Films / Conaculta / Difusion Cultural UNAM

監督:アロンソ・ルイスパラシオス

脚本:アロンソ・ルイスパラシオス/ヒブランGibran・ポルテラ

撮影:ダミアン・ガルシア

音楽:トーマス・バレイロ

編集:Yibra Assaud /アナ・ガルシア

製作者:ラミロ・ルイス/アロンソ・ルイスパラシオス(エグゼクティブ・プロデューサー)

ガエル・ガルシア・ベルナル(アソシエイト・プロデューサー)

 

データ:メキシコ、スペイン語、2014、コメディ、モノクロ、106

 

受賞歴:ベルリン映画祭2014 初監督作品賞/エルサレム映画祭2014 FIPRESCI 国際批評家連盟賞

トライベッカ映画祭2014 最優秀撮影賞・新人監督賞&特別審査員佳作

サンセバスチャン映画祭2014「ホライズンズ・ラティノ」 ベスト・フィルム賞&ユース賞

ベルリンは大きく分けると「コンペティション→パノラマ→フォーラム→ゼネレーション」と4部門あり、第2番目のパノラマ出品でした。国際審査員によって選出される金熊・銀熊賞はコンペ作品に与えられる賞。ルイスパラシオス監督が受賞したパノラマは、この部門専任の審査員によって選出される。

サンセバスチャンのベスト・フィルム賞は、副賞として35,000ユーロの賞金が授与される。

ユース賞は18歳から25歳までの人の投票で決まる一種の観客賞です。

他に、カルロヴィ・ヴァリ(チェコ)、リオデジャネイロ(ブラジル)などの映画祭に出品され、間もなく始まるロンドン映画祭出品が予定されている。最近頓に存在感を増してきているモレリア映画祭(メキシコ)への出品を製作者ラミロ・ルイスは希望しているようです。やはりメキシコ人に見てもらいたいということです。メキシコ公開は来年初めになる予定。

 

                              (監督と製作者ラミロ・ルイス)

 

キャスト:テノッチ・ウエルタ(エル・ソンブラ/ フェデ兄)、セバスティアン・アギーレ(トマス弟)、レオナルド・オルティスグリス(サントス)、イルセ・サラス(アナ)、ラウル・ブリオネス(フリア)、ラウラ・アルメラ(イサベル)、アドリアン・ラドロン(モコ)、カミラ・ロラ(アウロラ)、アルフォンソ・チャルペネル(エピグメニオ・クルス)、他

 

解説:大学のストライキ中、学生のソンブラとサントスは、メキシコシティーの古アパートで怠惰な日々を送っていた。ある日、ソンブラの弟トマスが部屋に転がり込んできた。3人はトマスが憧れる伝説のミュージシャンが、今や病床に伏していると知り、彼を探しに向かうが・・。学生運動で荒れる大学構内や危険なスラム街などをリアルなモノクロ映像で描き出すロード・ムービー。2014年ベルリン国際映画祭で初監督作品賞受賞。ガエル・ガルシア・ベルナルが製作に関わっている。                                         (ラテンビート2014公式サイトよりの引用)

 

                                  

                                                                                          (左から、ソンブラ、サントス、トマス)

   監督キャリア・フィルモグラフィー紹介

アロンソ・ルイスパラシオスAlonso Ruizpalacios:メキシコ生れ、監督、脚本家、製作者、俳優。本作の舞台背景でもあるメキシコ自治大学UNAMの学生ストライキ(19992000)時に在籍していたとすれば1970年末期の生れか。アソシエイト・プロデューサーのG.G.ベルナル(1978生れ)と同じ世代と思う。カロリーナ財団の奨学生だったようで、2011年に本財団の基金を受けて本作は製作されている。この財団はスペインとイベロアメリカ諸国との連携を旨として2000年に設立され、大学の学部卒業の資格が必要な大学院大学のようです。本作は長編デビュー作ですが、既にテレビ・シリーズ、短編を多数手掛けています。

短編受賞作は以下の通り:

2008 Café paraiso グアダラハラ・メキシコ映画祭2008メキシコ短編部門でMayahuel賞/

アリエル賞2009最優秀短編賞(銀賞)受賞

2010 El último canto del pájaro cú アリエル賞2011最優秀短編賞(銀賞)受賞

 


★ソンブラとサントスは、長引く学生ストライキの煽りをくって所在なくぼんやり暮らしている。支払いが滞ってアパートの電気は切られている。そんな折も折、ソンブラの弟トマスがママから「あんたとはもう一緒に暮らせないから」と言われて追い出されてくる。「何とかしなくちゃ」とソンブラとサントス、トマスが「パパがよく聴いていた伝説のミュージシャン、エピグメニオ・クルスが死の床にいるというから会いに行こう」と言う。ボブ・ディランを感激させたメキシカン・ロックの救世主なんだという、今じゃみんな忘れてしまって知らないけど。こうして若者3人のエピグメニオ探しの旅が始まる。 

                                             

                      (左から、ソンブラ、アナ、トマス、サントス)

  
★何もすることがなく、ただ時間つぶしをすることに恐怖を感じているソンブラ、何もしなくてもそれもいいじゃないのと現状肯定派のサントス、トマスだけが伝説のミュージシャンに会いたいという目的を持っている。ソンブラが好きらしいアナ、この4人がメインの登場人物。

 

★メキシコ・シティは雑多な人々が暮らす大都会、「北への移民だけがテーマじゃない」と監督。「するべきことが何もないという恐怖が出発点にあり、悲惨だけのメキシコではなくもう一つのメキシコに近づいて欲しい」と。このデビュー作は「時代背景として1年間続いたUNAMの学生ストライキがある。賛成でも反対でもないことが起きてそれに巻き込まれてしまう。そのときに感じた<何もするべきことがない>という恐怖が根底にあり、学生は<早まった退職者シンドローム>と呼ばれたんです」とも。

 

★本作のアイデアは、ボブ・ディランのファンだという監督によると、「ミュージシャン探しの物語はボブ・ディラン自身の体験からヒントを得ました。彼が初めてニューヨークに行ったとき、ブルックリンの病院で死の床にあったというウディ・ガスリーという有名なフォーク・シンガーに会いに行ったという物語です」。ボブに多大な影響を与えたというフォーク歌手のことで、これがミュージシャン探しのアイデアの元になったということです(ウディ・ガスリー<191267>についてはウィキペディアに詳しい)。 

                                     

                    (フォーク歌手、作詞作曲家、作家 ウディ・ガスリー)

 

★ロード・ムービーにしたのは、「メキシコ・シティは巨大都市だから深く知ることは難しい。だからロード・ムービーにして撮る価値があると常に考えていた。モノクロにしたのは、「クリエイティブな距離感をとりたかったし、ストライキに時間的位置づけをしたくなかった。モノクロで街を見始めると新しい別の顔が現れてきたんです。メキシコは色の溢れた都会だから常にネガの状態で見るようにした」。

 

★本作のキイワードは、「『ダック・シーズン』25 wattsヌーベルヴァーグ」だそうで、2作ともモノクロ+デビュー作です。『ダック・シーズン』(2004)は同じメキシコの監督フェルナンド・エインビッケのデビュー作、アリエル賞11部門に輝き、2006年公開された。「25 watts」(2001)はウルグアイのパブロ・ストールとフアン・パブロ・レベージャが共同監督したコメディ、ロッテルダム映画祭作品賞を受賞した。二人は2004年にカンヌ映画祭「ある視点」部門に『ウィスキー』を出品し、国際批評家連盟賞受賞、東京国際映画祭でもグランプリを受賞した。2年後フアン・パブロ・レベージャは鬼籍入りしてファンを驚かせた。彼らへのオマージュがあるかもしれない。ヌーベルヴァーグは、今月が没後30年ということで特集が組まれているトリュフォーではなく、ゴダールということです。

 

    

   (「偏見のない大冒険家だった」祖母への感謝のスピーチをした監督、SIFF授賞式)

 

★トライベッカ映画祭2014 最優秀撮影賞を受賞したダミアン・ガルシアの映像は洗練されていて、予告編からも想像できるようにスクリーンで見たら面白いと思います。他に監督とコラボした短編がYoutubeで見ることができます。他の監督では、ルイス・エストラーダの“El infierno”(2010)を撮っており、かなりエネルギッシュに仕事をしている。これは未公開だが『メキシコ 地獄の抗争』の邦題でDVD化されています。

 

★キャスト陣は、トマス役のセバスティアン・アギーレだけ長編デビューだが(短編あり)、他の主役たち3人は、IMDbから判断して、既に実績のある人たちのようです。

アリエル賞2014*ケマダ=ディエス9部門制覇2014年06月05日 19:12

★アリエル賞はメキシコのアカデミー賞ですが、第56回というからゴヤ賞の倍の歴史をもっている。国際的な評価とは一味違った独自の選択をすることが多いです。今年はノミネートが『エリ』14部門)とLa jaula de oro(同)の2作品に集中していて発表前から白けていたのですが、なんと『エリ』はアマ・エスカランテの監督賞だけ、後者が作品賞を筆頭に9部門制覇という結果になりました。 


La jaula de oroもカンヌ映画祭「ある視点」部門ある才能賞受賞、チリのビーニャ・デル・マル賞、アルゼンチンのマル・デル・プラタ賞、カルロヴィ・ヴァリ映画祭を皮きりに、チューリッヒ(作品賞他)、ワルシャワ、シカゴ(新人監督賞)、サンパウロ(スペシャル・メンション他)、リマ(審査員賞他)、サンセバスチャン、モレリア(新人監督・批評家・観客賞)、ムンバイ(作品賞)、ハバナなど数えきれない国際映画祭に出品され受賞しましたからイチャモンつける気はないのですが、個人的にはゴヤ賞を含めて一極集中は歓迎できない。9部門制覇にはグアダラハラ映画祭を抜いてメキシコで最も権威ある映画祭と言われるようになったモレリアで観客賞を受賞したことが今回の受賞に繋がったと推測致します。これで合計50賞になるとか(!)。

 

★『エリ』は当ブログでも何回も紹介していて飽きていましたが(笑)、メキシコのアカデミー会員も「『エリ』は沢山貰ったから、もういいかな」と考えたのか、または蓋を開けたらこうなっちゃったと思っているのか。サンセバスチャン映画祭の監督銀貝賞を貰ったフェルナンド・エインビッケのClub Sándwichはノミネートからして3部門と少なかったのですが無冠に終わりました。La jaula de oroはゴヤ賞「イベロアメリカ」部門にノミネートされた折り、若干ご紹介いたしましたが(コチラ115日)、アリエル賞9部門受賞となれば改めて紹介しておいたほうがいいでしょうか。監督の辿ってきた辛い人生と表裏一体になっていると思うから。マリア・ホセ・セッコの詩的な映像に撮影監督賞受賞は納得ですが、アマチュアの二人の若者が男優賞と助演男優賞を受賞したのには驚きました。

 

   La jaula de oroThe Golden Cage”“The Golden Dream

★データ:メキシコ=西=グアテマラ、言語:スペイン語・英語、撮影地:グアテマラ、メキシコ

2013年、102

製作共同):Animal de Luz Films / Kinemascope Films / Machete Producciones
            (作品賞受賞

監督:ディエゴ・ケマダ≂ディエス(オペラ・プリマ賞受賞/デビュー作に与えられる監督賞)

脚本:ディエゴ・ケマダ≂ディエス、ヒブラン・ポルテラ、ルシア・カレーラス (受賞)

撮影監督:マリア・ホセ・セッコ (受賞)

編集:パロマ・ロペス、フェリペ・ゴメス (受賞)

録音:マティアス・バルベイス 他 (受賞)

オリジナル音楽:レオナルド・ヘイブルム 他 (受賞)

 

キャスト:ブランドン・ロペス(フアン、男優賞受賞)/ロドルフォ・ドミンゲス(チャウク、助演男優賞受賞)/カレン・マルティネス(サラ)/カルロス・チャホン(サムエル)/エクトル・タウイテ(グレゴリオ)/リカルド・エスケラ(ビタミナ)/ルイス・アルベルティ(山刀を持った男)他

 

プロット:グアテマラのスラム街に暮らすティーンエイジャーのフアン、サラ、サムエルの三人は、よりよい生活を求めて豊かな「北」アメリカを目指す旅に出る。途中メキシコでチアパス出身の先住民チャウクに出会うが、彼はスペイン語が分からない。彼らは貨物列車「ビースト号」で、線路を徒歩で、困難に出会いながらも友情を深めていく。愛と連帯を通して痛みや恐怖や社会的不正義と闘いながら、夢見がちなフアンは本当の辛さが何であるかを知ることになる。ここでは友情や愛だけでなく、決断、出会い、言語の違いも語られる。

 

           

           (左からフアン、男の子に変装したサラ、チャウク)

 

ディエゴ・ケマダ≂ディエス Diego Quemada-Diez 1969年、カスティーリャ・レオン州のブルゴス生れ、監督、脚本家、撮影監督、プロデューサー。アメリカン・フィルム・インスティテュートの演出&撮影科で学ぶ。卒業制作A Table Is a Table2001、短編、スペイン語題Una mesa es una mesa)は、アメリカン・ソサエティ・オブ・シネマトグラファーの撮影技術賞を受賞した。2006年に 2作として短編ドキュメンタリーI Wont to Be a Pilot(“Yo quiero ser piloto”)をケニアで撮る。貧しい12歳の少年オモンディはパイロットになることが夢である。純然たるドキュメンタリーというよりドキュメンタリー・ドラマ。本作はクリーブランド国際映画祭(オハイオ州)の短編ドキュメンタリー賞を受賞、ロサンゼルス、サンパウロ、カナリア諸島映画祭などでドキュメンタリー賞を受賞する。同年第3作として短編ドキュメンタリーLa morenaを撮る。メキシコでは最大の商港都市マサトランの市街地で貧しさから売春をして生きる女性を描く。長編デビュー作La jaula de oroに繋がる将来を描けない若者がテーマであることが分かる。

1967年に映画芸術の遺産保護と前進を目的に設立された。現在ロサンゼルスにある映画テレビ研究センターは、映画の演出や製作技能の教育機関となっている。テレンス・マリック(1967入学)、デヴィッド・リンチ(1971同)などが学んでおり、ケマダ≂ディエスも入学の動機として二人の名を挙げている。 


ケマダ≂ディエスはスペイン系メキシコの監督

★スペインの、メキシコの、スペイン系メキシコの監督、と紹介はまちまちですが、メキシコに来て約20年近くなり10年前に既に帰化しているというから正確にはスペイン系メキシコの監督です。1990年代後半にメキシコやグアテマラをたびたび訪れていたという母親が死去したのを機にスペインを離れたようですが年数にズレがある。ゴヤ賞2014「イベロアメリカ」部門にノミネートされたときのインタビューでは「17年前にスペインを離れ、最初はポーランドに行った」と語っている(1996年になる)。ある人から「イサベル・コイシェがThings I Never Told You1996、スペイン語題Cosas que nunca te dije**)をアメリカのオレゴン州で撮っていてカメラマン助手を探している。やる気があるなら便宜を図る」と言われてアメリカ行きを決めた。ケン・ローチの『カルラの歌』のカメラマン助手、その後は撮影監督のもと撮影技師としてフェルナンド・メイレーレス、アレハンドロ・ゴンサーレス・イニャリトゥ、オリバー・ストーン、スパイク・リーなどの映画に参画している。40歳を過ぎてからの長編デビューであるが、スタッフに実力ある顔ぶれを揃えられたことからも、その映画歴の長さが推しはかれます。

**ヒスパニック・ビート映画祭2004(後ラテンビートに統一)で『あなたに言えなかったこと』の邦題で上映された。 


不法移民だった監督が撮った不法移民の映画 

★先ほどのインタビュー記事の続きで、出国の理由としてスペインに映画を学ぶ学校がなかったことを挙げております。なかったわけではないが***、アメリカン・フィルム・インスティテュートのように映画をプラクティカルに学ぶ学校がなかったいう意味でしょう。他に夢だけをトランクにいっぱい詰めて、英語も喋れず星条旗の国の身分証明書もなくアメリカに入国したこと、これが「不法移民だった監督が撮った不法移民の映画」といわれる所以です。アメリカン・フィルム・インスティテュートに入るため倹約の日々であったこと、メキシコにくることになったきっかけが『MISS BALA / 銃弾』(2011、ラテンビート上映)のヘラルド・ナランホとの出会いであったことなど、たくさんエピソードを語っていますが、今回はアリエル賞受賞がテーマですから後に回すことにします。

***スペインの国立の映画学校としては、1947年に設立された国立映画研究所Instituto de Investigaciones y Experiencias CinematograficasIIEC)があり、後に国立映画学校Escuela Oficial de CinematografiaEOC)に改組された(1962年)。本校も1990年に29年間の活動を終え、トータルで約1500人の学生が卒業、スペイン映画界で活躍中のシネアスト(物故者を含めて)の多くはここで学んでいる。現在はマドリードのコンプルテンセ大学に発展吸収されています。バルセロナにもカタルーニャ映画センターがあり、メキシコからも学びにきております。

 

 類似映画は『闇の列車、光の旅』

★グアテマラを出発した三人は離れ離れになってしまい、フアンとチャウクの二人の旅になる。彼らはアメリカの大地に果たして立つことができるのか。ハリウッド映画じゃないからアルフォンソ・キュアロンの『ゼロ・グラビティ』のように無事地球に帰還できるかどうか。物語は第3La morenaの舞台となった港湾都市マサトランや麻薬カルテルの本拠地シナロアで2003年から収集し始めた600以上の証言から構成されている。事実に基づくドキュメンタリー・ドラマ(ドキュドラマdocudrama)であり、過去の類似作品としてはキャリー・フクナガの『闇の列車、光の旅』が挙げられます(コチラ20131110日)。

 

   
      (撮影中の監督、後方が二人の主人公)

★ドキュメンタリー手法を取り入れた撮影は特に評価が高く、列車内の映像もどうやって撮影したのか興味がもたれています。毎年、中米やメキシコからのアメリカへ押し寄せる不法移民40万人は尋常な数字ではないし、摘発して母国に送還する方法では本当の解決策にならない。監督も「私たちの喜びが現実にある悲惨や苦しみの中から生れたことは、人生のパラドックスです。夢を叶えるために強奪や暴力や殺人まで犯して、このルートを通らねばならないことを為政者に問いたい」と受賞インタビューで語っています。エンリケ・ペーニャ・ニエト大統領が出演俳優たちに「おめでとう」をツイッターしたそうです。ちゃんと見てくれたのかしらん。

 

★ティーンエイジャーたち四人は初出演、脇をプロの俳優が固めている。男優賞受賞のブランドン・ロペス(フアン)は、グアテマラのバリオで行ったオーデションでスカウトされた。「僕の夢は有名になることだった、この映画に出演したことで僕の夢は叶い、ここに立っている」と受賞の挨拶。チャウクに扮したロドルフォ・ドミンゲスは自分の母語ツォツィルtzotzil語しか解さなかったようで、監督も「撮影は困難を極めた」とカンヌで語っていました。カンヌでは場違いのところに連れて来られて気後れしているようだったが、アリエルでは別人のように見えます。ドミンゲスのスカウトの経緯は分からなかった。(ウィキペディアによれば、ツォツィル語はマヤ語の仲間で、話者人口はメキシコのチアパス、タバスコ、ユカタン他、グアテマラ、ホンジュラス、ベリースに35万人いるそうです。) 

                       

                      (トロフィーを手にしたブランドン・ロペス)

 

  

(トロフィーを手にしたロドルフォ・ドミンゲス)

 

★今年のアリエル賞は、『ゼロ・グラビティ』でメキシコ初のオスカー監督となったアルフォンソ・キュアロンを風刺する言葉が発せられたようです。プレゼンターも「メキシコの映画には殆ど寄与していない、なぜなら成層圏にいるんだから」と皮肉ったようですが、これはハリウッド映画なのですから大人げないという印象をもちました。背景にはキュアロンの映画そのものより上流出身とかハリウッドでの成功に対するヤッカミがあるのでしょうね。アルモドバルが『オール・アバウト・マイ・マザー』でアカデミー賞を受賞したときのスペイン人の反応に似ているかな。ケマダ≂ディエス監督も「キュアロンやデル・トロは南から北へ移動したけど、私は北から南へ逆のルートを辿っている」と冗談言ってましたが、人のことはどうでもよいです。

 

『父の秘密』 ミシェル・フランコ2013年11月20日 16:57

  『父の秘密』Después de LucíaAfter Lucia

監督・脚本・プロデューサー:ミシェル・フランコ

撮影監督:チューイ・チャベス

音楽:ホセ・ミゲル・エンリケ

製作国:メキシコ=フランス 2012年 103分 スペイン語

キャスト:エルナン・メンドーサ(ロベルト)、テッサ・イア(アレハンドラ)、ゴンサロ・ベガ  Jr.(ホセ)、タマラ・ジャスベク(カミラ)、フアン・カルロス・バランコ(マヌエル)、パロマ・セルバンテス(イレーネ)、フランシスコ・ルエダ(ハビエル)、マルコ・トレビーニョ(校長)、ナイレア・ノルビンド(保険会社社員ボイス)、モニカ・デル・カルメン(教師)

受賞歴・トレビア:第65回カンヌ映画祭2012「ある視点」グランプリ受賞、第60回サンセバスチャン国際映画祭ホライズンズ・ラティーノ出品、ゴヤ賞2013イベロアメリカ映画賞ノミネート、アカデミー外国語映画賞メキシコ代表作品に選ばれたが最終候補には残れなかった。保険会社社員役でボイス出演したナイレア・ノルビンドはテッサ・イアの母親、女優・脚本家として活躍している。
ユーロスペース(東京)で公開中ですがネタバレしています。

  

プロット:父ロベルトとその娘アレハンドラの物語。交通事故で妻ルシアを失ったロベルトは、年頃の娘と共に、妻の思い出が詰まったプエルト・バジャルタから遠く離れたメキシコ・シティへの移住を決心する。父は新しい職場を見つけ、娘の再出発も表面的には順調に見えたが、間もなく二人の抱える問題が噴き出してくる。(文責・管理人)

 

           光と闇のコントラストシンボルとメタファー

 

A:友人からメキシコの『父の秘密』見ましたかと聞かれて、「あれ、そんな映画あったかなあ」と思ったほど原題と結びつきませんでした。「ゴヤ賞2013予想と結果③」で既にご紹介しており、気に入ったのでいずれアップしますなどと書いた映画でした。

B:予想が大外れだったイベロアメリカ映画部門ですね。

A:2012年のLBFFか東京国際映画祭TIFFに登場するかと期待してたんですが空振り、まさか今年公開されるなんて思いもしませんでした。

 

B:邦題はさておくとして、亡妻の名前ルシアLucíaと「光る・輝く」という形容詞luciaが掛けてある。

A:ですから「妻が亡くなった後で」と「光が消えた後で」ということです。映像が光と闇のコントラストをことさら強調している大きな理由です。車の中は暗く車窓から見える風景は明るく、うす暗い部屋を照らしているデスクスタンドやフロアースタンドの明りは弱く、あたかもスタンドが妻ルシアであるかのようだ。黒々した夜の海に白く光る波がしら、海岸に切りたつ黒い岩の彼方の残光、薄暗い洗面所に点滅する携帯の明り、夜の砂浜に揺らめく焚き火の炎・・・。

 

B:光も海も岩も一種のメタファーとして登場する。それと重要なのは「車」ですね。

A:テーマとして重要なのは、ラテンアメリカの映画や文学に特徴的な変化や危機に出会ったときの≪移動≫、中南米に限りませんが≪不在≫≪伝達不能≫です。まずタイトルがアップされる前に、車の修理を頼んだらしい男が引き取りにやってくる。男は工員の説明を聞いているのかいないのか上の空で引き取りの書類にサインする。車はハンドルのVWマークからフォルクスワーゲンであることが分かる。カメラと私たち観客を後部座席に乗せて、男は暫く走らせると突然停車、カメラはキイを残したまま車を路上に置き去りにして立ち去っていく男の後ろ姿を追っていく。

B:ここでやっとタイトルがアップされる。ワーゲンのマークを映し続けていましたが、車には疎いのですが特別な意味を持たせているのでしょうか。

 

A:シーンが変わると薄暗い海岸の岩にポツンと女の子が座っている。この最初の数分で観客は男と女の子の孤独な内面を覗くことになる。この車の行方を私たちは後ほど知ることになりますが、この海が男の捨ててきたプエルト・バジャルタの海であることも知らされる。男→女の子→男が繰り返えされますが、こういう映画にありがちなフラッシュバックはない。ある意味で円環的というか循環的ですね。

B:海のメタファーの一つは強靭さですが、男にとっては凶暴性、女の子にとっては救いです。

 

A:次のシーンで母の≪不在≫が知らされ、別の土地への≪移動≫も始まっている。

B:アマ・エスカランテの『エリ』の家族も別の共同体から移動してきている。引き金ではありませんが、それも悲劇の背後にありました。

A:日本でも熱狂的ファンの多いカルロス・レイガダスの新作『闇の後の光』TIFF2013上映)の主人公も移動する。思えば第1作『ハポン』の人物は再び戻ってこられない究極の場所に移動したのでした。

 

            「イジメ」は立派な犯罪公平とは何か

 

B:アレハンドラは新しい学校で性的ハラスメント、レイプまで受けるわけですが、濃淡こそあれイジメは映画全体に蔓延している。ロベルトが味の違いの分からない料理人をこき下ろすのも言葉の暴力ですね。

A:生徒にドーピング検査を義務づけているのも、ベラクルスへの夏季旅行が≪全員参加≫なのも、学校という権威によるイジメです。だから教師に「全員参加!」と叫ばせるのですね。これはイジメ映画じゃありませんけど、公平や安全安心のための、またアソビに名を借りたイジメは立派な犯罪です。

 

B:マリファナの陽性反応が出て父が呼び出しを受ける。裏切られたと怒りを抑えられないロベルトが発する止めの一言は、「退学はダメだ」。自分は部下のお喋りが気に入らないと職場放棄してフテ寝するのに。

A:親の子供に対するイジメの一例、親はそう考えていないが。「善い人」なのに不幸なのは自分だけと錯覚する未熟な父親です。悲しみより怒りで冷静さを失っている。それに引きかえ娘の背伸びが痛々しい。日本なら高校生156歳ぐらいの設定でしょう。大人でもなく子供でもない不安定な年齢です。大人は子供の目を未来に向けさせ、上手く子供時代に別れを告げさせる義務を負っているはずです。

 

B:行方不明になった娘の捜索願いに出向いた父親に、イジメた生徒たちは「未成年者だから取り調べ出来ない」というもっともらしい警官の一言も責任逃れというイジメでしょうね。

A:妻の突然の死で抑えのきかなくなっていた≪暴力≫が、この一言で一気に暴発する。ラストシーンでロベルトが見せる大胆な≪暴力≫こそ、この映画の重要なテーマです。

B:ここでは暴力も必要悪として観客の心をわし掴みにする。ギリシャ悲劇のように心の中に鬱積していたもやもやを解放して観客を一種のカタルシスに導いていく、このラストシーンのために出来た映画とも言える。

 

           10点満点の3評価は自由でよい?

 

A:海外のブログ(署名入り)に「この映画が何を語りたかったのか最後まで分からなかった。あのカンヌがグランプリを与えた真意が理解できない。10点満点でいうと3点です」というのがあった。

B:おやまあ。いろんな意見があって当然、みんなを満足させる映画なんてありません。

A:万人向きじゃないことは確かです。しかし映画祭だけの映画でもない。世界各地の映画祭に招待されましたが、劇場公開も多いほうです。アジアでも台湾、韓国が日本より先に公開しています。フランコ監督もあるインタビューで「映画のエキスパートから評価されたのは勿論嬉しいが、一般の観客が見に来てくれたのが一番嬉しい」と語っています。いわゆる芸術のためのアート映画を作るつもりはないとも。

B:でもカンヌで評価されたことが大きい。これがなかったら()。テクニカルな面はどうですか。

 

A:先述したようにフラッシュバックはない。ただしロベルトのシーンとアレハンドラのシーンが目まぐるしく変わる。こういうのが好みでない人、それに映像を言葉で説明することが少ないのを物足らなく感じる人、バックミュージックの代わりのようなエンジン音、波の音をノイズと捕える人にはお薦めできない。

B:シナリオもよかったが、編集が大変だったのじゃないかな。

 


A:モノトーンの映像が多いせいか、突然現れる赤や黄緑の色使いが効果的でした。盗撮された動画が配信されたあと登校するアレハンドラの服は、まるで学校全体に挑むかのように真っ赤。誕生日に着て行くTシャツは鮮やかな黄緑、屋外プールの澄んだ青、暗がりから木々の緑が目に飛び込んでくるとハッとする。

B:よく計算されています。画面構成もハイメ・ロサーレスの『ソリチュード:孤独のかけら』やアーロン・フェルナンデスの『エンプティ・アワーズ』を思い起こさせる。またカメラを固定して構図を変えないなど小津安二郎的でもある。

A:影響を受けている監督に挙げています。アレハンドラが髪をバッサリ切られたあと、鏡と真正面から対峙する。カメラはアレハンドラの背後にあるのだが、あたかも鏡でなくカメラを見つめているような錯覚を起こさせる。俳優がカメラに向かってセリフを言うのも「小津調」です()

 

             少ないセリフ伏線の張り方

 

B:何もないガランとした新居に二人が入ってくる。最低の荷物で引っ越してきたから当然なのだが、このぽっかり空いた空間は、二人の心を象徴している。娘「あら、素敵じゃない」、「ほんとかい」と父。セリフはそれだけ。

A:すごい省エネ家族です。アレハンドラと出来たばかりの友人たちとの短い会話から、太平洋に面した高級リゾート地プエルト・バジャルタから引っ越してきたこと、父がシェフであること、母とは別居とアレハンドラが嘘をついてること等が一気に分かる。

B:父は父で、路上に放置してきた車を売却したと嘘をつく。一見して仲の良い父娘に見えるが、二人の心は遠く離れていて、秘密と嘘をどんどん重ねていくからお互い本当の姿を知らないのだ。

 

A:娘がミルクアレルギーなのを始めて知る父。アレルギーが昨日今日始まったわけではないでしょ。勿論、引っ越す前に娘が暗いプエルト・バジャルタの海を見つめていたことなど知るわけがない。

B:母の事故死に娘が関係していたのではないかと保険会社の担当者が質問しますが、これは謎のままで各自想像するしかない。

A:アレハンドラが父に譲歩することから関係ありと感じましたが。この事情聴取から娘の心理カウンセラーを父が断ったことも判明して、とにかく情報のいっぱい詰まったシーンです。担当者の姿は映さず機械的な音声だけだったのも効果的でした。

 

B:アレクサンドラがプールで泳ぐシーンが繰り返されましたが、後半のベラクルスの夜の海のシーンに繋がり、これが伏線だったことがやっと判る。

A:嫌な出来事のあったあと泳いでいるから、何か意味があると思っていましたが。また娘が家具を運ぼうと提案すると、「新しい家具を買おう」と父親。それでいずれは戻る伏線かと思っていた。

B:アレハンドラが元の家に辿りつき、窓を跨いで入るシーン、マットレスだけのベッドで黙々とリンゴを齧るシーン、印象的でした。

 


A:やっと娘は未来の扉を開けることができたんだ、子供時代に別れを告げることができたんだ、と感じさせるシーンでした。仔羊は帰還を果たしたが、親羊はどうなった。

B:やっと自分が親であることに目覚める。最終目的に向かって進むロベルトは、力強く生きいきとさえ見えてくる。イジメの主犯ホセの家を夜通し見張り、ロベルトのホセ拉致成功に観客も「ヨシッ」と頷く。賽は投げられた、もう後戻りはできないのだ。結末に納得できない人のタイプには二種類ある。

 

A:これではロベルトもイジメッ子たちと五十歩百歩というもの、もう一つは生ぬるい、ガス・ヴァン・サントの『エレファント』(2003)のように皆殺しだ。

B:テイストは異なりますが、『エレファント』を思い起こす人は多い。こちらは父と息子でした。フランコ監督によると最初は娘でなく息子だったようです。人を不安にさせるノイズの入れ方など似ています。

 

A:影響受けていますね。それと衝撃的だったミヒャエル・ハネケの『ファニー・ゲーム』(1997)ね。なんの説明もなく始まるサディスト的な暴力、陰険なやり口、ゆっくりしたテンポのなかで観客を不快感に陥れる。以前アップした『タパス』の共同監督ホセ・コルバチョとフアン・クルスが撮ったCobardes2008)、エストニアのイルマル・ラークの『ザ・クラス』(2007Klass)も類似作品、後者は「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008」で上映された。

B:ハイスクールが舞台で年齢的にも本作と近く、脚本賞を受賞したんでした。

 

A:さて、ロベルトはどこに向かってモーターボートを走らせていたのでしょうか。岸に向かって、沖に向かって、どちらでしょうか。エンディング・タイトルのバックにずっとモーターボートのエンジン音が響いていましたが。

B:それは観客の自由でいい。好きな方を選べばいいのです。

A:なるほど、そうですか(笑)。

 


             (左からエルナン・メンドーサ、テッサ・イア、フランコ監督、カンヌにて)

★二年振りにカンヌに戻ってグランプリを手にしたフランコ監督、前作Daniel & Ana2009)は監督週間でしたが今回は「ある視点」と、コンペに近づきつつあるのでしょうか。若い監督にとってカンヌは復讐と同じくらい魅惑的、世界中の映画ファンにアッピールできるチャンスですから。長編3作目はLos ojosと題名も決まっています。路上生活者を援助する団体で働き、臓器移植をしないと命がない息子を抱えている女性の物語。主演女優にモニカ・デル・カルメンを起用、本作でも教師を演じていました。しかし彼女を有名にしたのは、2010年マイケル・ロウ監督にカメラドールをもたらした”Año Bisiesto/Leap Year”のヒロイン役でした。カンヌに衝撃を与えた本作は、うるう年の秘め事の邦題でLBFF2011で上映されました。

★テッサ・イアの少女らしからぬ自然な演技は将来の大器を予感させる。大切に育ててほしい。既に3本の短編が完成している。ルイス・マリアノ・ガルシアのCorre sin mirar atrás11分)とMonstruo10分)、セサル・ラモスのReflexión4分)、短編とはいえちょっとハードかな。

★エルナン・メンドーサは主にテレビ出演が多いようだが、アクションもコメディもオーケーの演技派。TVシリーズの他、Mitzi Vanessa Arreola他のLa 4a compañia2013)に出演している。

 

『闇の列車、光の旅』キャリー・フクナガ2013年11月10日 15:23

                    『闇の列車、光の旅』“Sin nombre” 

★以下の記事はCabinaブログ2010214日)のコメントをベースに再構成したダイエット版です。アーロン・フェルナンデスの『エンプティ・アワーズ』で主役を演じたクリスティアン・フェレールに関連して再登場させたものです。キャリー・フクナガ監督が来日した折のQ&Aが含まれています。

★原題Sin nombreWithout Nameメキシコ=アメリカ、2009年、劇場公開2010年06

キャスト:エドガー・フローレス(カスペル)、パウリーナ・ガイタン(サイラ)、クリスティアン・フェレール(スマイリー)、テノチ・ウエルタ・メヒア(リル・マゴ)、ディアナ・ガルシア(マルタ)

 


プロット:ホンジュラスの少女サイラは、父と叔父と共によりよい生活を求めて希望の国アメリカを目指す危険な列車の旅に出る。メキシコの青年カスペルは、ギャング団マラ・サルバトゥルチャの若きリーダー、生き方に疑問を抱きながらも無為に流されている。ギャングに魅せられている少年スマイリーが二人の運命の鍵を握ることになる。中南米不法移民の過酷な現実を背景に、移民を乗せた列車の屋根で偶然出会ってしまったサイラとカスペルの物語。(文責は管理人)

 

                    マラ・サルバトゥルチャって何ですか?

 

A 本作については、アマ・エスカランテの『よそ者』関連映画として触れたことがありました。『よそ者』を紹介しようとする過程で、ドキュメンタリーLa vida loca2008、西仏メキシコ合作だが大半の資金はフランス、英語タイトルCrazy life)の監督クリスチャン・ポベダ暗殺のニュースが飛び込んできました。有名な報道カメラマンでしたから、欧米各国メディアが一斉に報道し、簡単でしたが日本でもニュースになりました。それでサンダンス国際映画祭にSin nombreを出品して監督賞を受賞したフクナガ監督は大丈夫かな、と心配になりました。

B  2作品はジャンルこそ異なりますが、ともにマラ・サルバトゥルチャMara Salvatruchaをテーマにしていたからですね。

 

A ポベダ監督はフランス人、1980年代のエルサルバドル内戦、またイラン・イラク戦争、レバノン戦争、軍事独裁制時代のアルゼンチン、チリ、ペルー内戦と、戦場を駆け巡った報道カメラマンでした。ゴヤ賞授賞式の「惜別」部門にも、スペイン系なので映像が流れました。

B 前年1年間に亡くなられたシネアストを偲ぶコーナーですね。

 

A さて本作はメキシコのチアパス州タパチュラのMS13、ポベダ監督のはエルサルバドルの首都サン・サルバドル近郊のMS18と、ジャンルだけでなく国もグループも違います。MSの語源については、いくつか異なる見解があるようです。一般に流布しているのは、Maraはギャングが住んでいたサン・サルバドルのLa Mara通りの名前からというもの、またスペイン語の「Marabunta」、アリの集団がぞろぞろ移動する意味から無分別な混乱を引き起こす集団、つまりギャングとかマフィア、暴力犯罪組織のことから名づけられたというのが代表例です。

B 数字の13とか18は通りの番号ですね。

 

  
                                                            (マラ・サルバトゥルチャの面々)

A そのようです。Salvatruchaは「Salvadoreno サルバドル人」+「truchaトゥルチャ」、truchaは「用心深い、抜け目がない」という意味です。犯罪の種類は、国によっても時代によっても内容が多様化していて一概にコレコレだと定義できないようです。

B: 手広く麻薬や武器密売、殺人請負が生業のいわゆる「死の商人」の支部もあれば、不法移民の手引き、ゆすり、たかり、いわゆるカツアゲ、窃盗が主たるゴロツキ支部もある。発祥の地はカリフォルニア州ロスアンジェルス近郊の都市と、アメリカなんですね。

 

A 1980年代に、主にエルサルバドルからの移民が住んでいたピコ・ユニオン市のギャングが起源です。故国では1980年代というのは「血の内戦」が起きていた時代、銃砲携帯のゲリラや逃亡兵士も含めてエルサルバドルからは50万人にも及ぶ人々がアメリカに流入したと言われてます。

B まさにモーセのいない<エクソダス>です。

 

A アメリカではエルサルバドル人はもともと穏やかな性格の国民と思われて、既成のメキシコ人とかアフリカ系アメリカ人のギャングの餌食になっていた。タテマエは彼らから同胞を守るため組織されたとも。MS13はエルサルバドル系、MS18はメキシコ系といわれてますが、今では混在して中米諸国、アメリカではバージニア、ワシントンDC、カナダや欧州にも拡大しているそうです。

B 二つの組織の殺し合いには、イデオロギー、政治信条、信仰の違いはなく貧乏人同士の闘い。

 

A MSがエルサルバドル以外のホンジュラス、ニカラグア、グアテマラに拡大した理由は、クリントン大統領時代に不法移民や犯罪者を出身国に強制送還する政策が本格的に実施されたからです。

B アメリカも増加の一途をたどる組織犯罪をほっておけなくなり、1980年代末から90年代にかけて本格捜査を開始、容赦のない摘発で逮捕した犯罪者を強制送還したようです。その中には犯罪や病気で親を失った孤児、親が収監されて保護者を失った子供も含まれていた。

A 孤児は故国に戻っても孤児に変わりなく、行く先は知れてます。エルサルバドル人移民50万のうち30万が故国に戻されたと言いますから、その中には当然MSメンバーも混じっており、特に911後はアルカイダとの接触が懸念されて拍車が掛かったようです。

 

               成功したドキュメンタリードラマ

 

B この作品はドラマといってもドキュメンタリーの要素が強いですね。

A ジャンルとしては、ドキュメンタリードラマ(docudrama、監督もリサーチに2年間かけたということです。本作が第1作にもかかわらず日本で公開されるには、二つのジャンルに跨っていることがあると思います。ドキュメンタリーだけより比較的受け入れやすい。ありそうもないフィクションは食傷気味、厳しい現実はテレビニュースでもうタクサン。地道な取材による社会派ドラマの要素と、若い二人の愛を絡ませつつ家族の絆というエンターテイメントの2本の糸を巧みに縒り合せることに成功した。

 

B アドベンチャーやスリラーの視点を盛り込んだことも成功の秘密かもしれません。

A 観客を置き去りにしなかったこと、これは観客におもねっているのとは違います。他にも撮影監督アドリアノ・ゴールドマンの映像美、メキシコを縦断する列車から撮ったと思われる美しい夜景と列車で運ばれていく不法移民の不潔さや過酷さのコントラストです。

B メキシコの明と暗を象徴しているかのように思えました。ゴールドマンはサンダンス映画祭2009で最優秀撮影監督賞を受賞しています。

 

A もう一つメキシコ=アメリカ合作ということがあります。ご存じの通り本作は、1月のサンダンス映画祭を皮切りに各地の映画祭で受賞しています。2月のベルリン映画祭開催中の業者向けフィルム・マーケットに出品、3月にはアメリカ公開、これが大きいのです。

B その後のグアダラハラ、トロント等々の映画祭の快進撃、英語版DVD発売、監督の苦労も報われました。リサーチ中にはずいぶん怖い目にも合ったそうです。セルバンテス文化センターの特別試写会に移りましょうか。

 

            苦労したのは脚本作り 本当に体験した≪闇の列車≫

 

A まず監督から参加者とのQ&Aに時間を割きたいという申し出があり、急遽ゲストお二方を交えてのシンポジウム形式に変更されました。かなりマスコミ関係者が出席しており、監督としては質疑応答で反応を確認したかったのではないでしょうか。

B ゲストの方は難民や移民支援救済の仕事をしておられる方とか。

A そういうことで、QAも映画より難民移民に偏ってしまった。ここでは映画に絞って私の意見も加味してお話します。進行役も務められたシルビアさんが監督の簡単な紹介があった。

(*1977年カリフォルニア州オークランド生れ、母親がスウェーデン人の日系4世。映画を勉強する前に歴史と政治学を専攻、サンダンス映画祭などでの受賞歴、この映画の原点が2004年の短編Victoria para chino13分)にあること等が紹介された)

 

   
                           (キャリー・フクナガ監督、セルバンテス文化センター試写会にて)

B その短編のテーマは不法移民の実話が基になっていた。

A シンポでは内容には言及されなかった。ここからは補足です。20035月、テキサス州ヴィクトリアの山中に打ち捨てられたトラックの中から窒息死した17名の不法移民が発見されたという事件です。このニュースは世界中に流れました。これを基にして作ったのが2005年サンダンス短編部門で認められ、続いて各地の映画祭でも受賞した。サンダンスのワークショップで指導教官から移民問題についてのシナリオを書いてみないかという誘いを受け、それがそもそもの始まりだった。

B 監督ではなく脚本の要請だったのですね。

A しかし、最初から自分で監督するつもりだった。何回も書き直して下書きにOKが出るまで2週間くらいかかった。このテキスト作りが大変でしたが、ここのワークショップの素晴らしいのはプロの俳優とスタッフを使って本格的な撮影ができることだそうです。

 

B 監督は今までそういう経験がないから感激した。

A サンダンスの指導監督の一人キース・ゴードンKeith Gordon、「キャリーは大きな階段を一段登った。彼には飛躍が必要だった。キャリーは鋭い社会意識を組み合わせたヒッチコック流の映画を作れる」とヨイショしてくれた。それが励みになって自分にも商業的に成功可能な映画が作れるのじゃないかと考えたそうです。

B ゴードンとの≪出会い≫が、彼に幸運をもたらしてくれたわけですね。ゴードン監督の第1作『チョコレート・ウォー』1988) は公開されました。

 

A サンダンスはユタ州ですから、危険な国境も貨物列車もない。2005年の夏メキシコに出かけ、貨物列車の屋根にのって中米各地からやってくる不法移民の実態をリサーチした。それが「列車の屋根にのって越境してくる」という本作の1本の柱に決まったわけです。

B 一般のアメリカ人はそういう実態まで知らないでしょう。

A 監督自身も「屋根にのって越境してくることは知らなかったので衝撃を受けた」と。それで自分も列車の体験をしなくちゃと思ったそうです。

 

B それはサンダンスやサンセバスチャン国際映画祭でのインタビューでも話されていた。屋根の上には700人も乗っていたとか、友人たちは尻込みしてしまい自分一人で乗り込んだとか。

A リサーチには短編製作の仲間と出かけた。チアパスのタパチュラで偶然二人のホンジュラス人と出会い、寝起きも一緒のまさにカオスの72時間の旅だったそうです。その体験が盛り込まれていて、自分は下車しようと思えば下車できる身分だが、彼らはそうじゃないともね。

B 唯の冒険旅行でなく生死を賭けた旅ですね。映画にも「乗ってる半分が辿りつけない」というセリフがあった。

 

A シンポに戻ると、マラ・サルバトゥルチャとの接触は苦労の連続だったが、困難だったのは二つのストーリーを一つに纏めることだった。とにかく収集したデータをちゃんとした物語に完成するのが大変だった。中心にキャスパーとセイラ(字幕はカスペルとサイラ)をもってきたのは、アメリカの観客に受け入れやすくするためで、テーマは≪家族の絆≫≪偶然の出会い≫であり、MSの政治的解決がメッセージではない。また自分の祖先も1世紀ぐらい前に移民してきたのだが、だからと言って無制限に門戸開放できないし、現実には移民問題には答がない、という主旨のことを述べました。

 

B 映画は社会的教訓を目指したものではなく、彼らとまったく違う世界にいる観客に何かを感じてもらえたらということかな。不法移民やMS問題は重要ではあるが主眼でないということですか。

A そうはっきり述べたわけではありませんが、私は本作のテーマを「崩壊した家族が出会いによって再生する」というように解釈しました。この映画は一般の人々とはかけ離れた物語ですから。

 

B サイラの父親が故郷に置き去りにした一人娘をアメリカの新しい家族に加えようと再び危険な旅に挑戦するのは、一度はバラバラになってしまった家族を再生させるためです。

A 血の繋がりはありませんが、MSも居場所を失くした人々がつくる≪擬似家族≫です。そしてカスペルとサイラの二人は、列車の屋根で運命的な出会いをする。

B 監督が列車の旅で二人のホンジュラス人と偶然に出会ったことが、サイラの家族をホンジュラス人にしたのかもしれない。

 

A アメリカへの不法移民はメキシコ人とは限らない。常に政治不安と貧困があり、北の楽園を目指す人は後を絶たない。それは暴力的とも言える経済格差の存在、経済格差と言えば聞こえがいいですが、言い換えれば「飽食できる人」と「飢え死に寸前の人」ということです。

B 苦労してアメリカに辿りついても困難が待っている現実を知っていても、自分は成功できるという夢は捨てられない。成功談は語られても、≪Sin nombre≫のまま葬り去られた人は語られない。

A 夢というか希望を持つことの大切さもテーマ。2008年のリーマンショック以降、送金額が減っているそうです。「ホンジュラスの農民の場合は現金収入が少なく、1日約3ドルぐらいで生活している。何といっても差がありすぎます」と監督も語っていました。

 

                        原題Sin nombre      

 

B 原題についての質問はありませんでしたか。マイケル・ホフマンの『恋の闇、愛の光』(1995米英)のパクリかと思ってしまった。

A シルビアさんより邦題は全然違ったタイトルになったと説明がありました。監督からは「最初から考えていたタイトルであること、名前を持っていないということは、人間が悪い状態にあること、最悪の状態にあるときに使う言葉。不法移民のなかには死んだとき名前が分からず無名のまま葬られるし、ギャングでも同じことが起こる。もっとインパクトのある案も出されたが、この題には奥に深い意味が隠されているので改題しないで良かったと思う」主旨のコメントがありました。

B 各国ともシンプルに、そのものズバリのタイトルですが、邦題は少し情緒に流れましたね。

 

A 配給元は監督から褒められたと話してますが。原題には不法移民とMSメンバー両方の無名性が掛けてあります。つまりMSのメンバーは実名ではなく組織内だけで通用する名前で呼ばれる。実名を消してしまって仮名での人生を送っているから、死んだときは同じ「馬の骨」です。生ゴミやガラクタのように捨て去られるシンボルとしてタイトルは付けられたわけです。

B 顔を持たない、アイデンティティー喪失の人間、主人公カスペルの実名はウィリー。ポベダ監督のLa vida locaでも、バンバンとかスパイダーとか全員渾名を使っていた。

 

A ハッピーという名の女性メンバーは、皮肉にも体中蜂の巣になって入院、やっと退院した自宅でボーイフレンドの死を聞かされる。カスペルの弟分ベニートもイニシエーションに合格したあと、痛さと嬉しさで泣き笑いしたので、親分リル・マゴがエル・スマイリーと名付けた。自分で実名が付けられないように、渾名も親分が付けるのかもしれない。

B 擬似家族の結束のためにも、ここだけで通じる名前が必要なのか。実名を捨て去り、体だけでなく顔面にも刺青を入れて組織への忠誠を誓う。ここが自分の本当の家であり、元の家には戻りませんという証明です。

A 戻ろうにも、あれだけ盛大な刺青ではカタギの世界には戻れない。映画の結末は最初から観客に暗示されていますが、それでもスリラーとしての商業性を残し、長編第1作とは思えない出来栄えです。

 

B 監督はリアリティーを求めて、MSメンバーと生活を共にした。

A 二つのMSグループのうち3人のホンモノのメンバーに接触でき、また警察の許可のもと、麻薬密輸で収監されていた人々の取材、グアテマラとメキシコの境界線であるスチアテ河に架けられた梁も見学したそうです。徹底して取材しないと気が済まないタイプの監督です。でもドキュメンタリードラマを撮るには欠かせない作業です。厳しく注文すると、マルタの人格に代表されるように、脚本には強引すぎる筋運びや綻びもあります。

 

                 エドガー・フローレスが発するオーラ

 

B 映画の成功には若い新人3人の演技によるところが大きい。

A レディ・ファーストでいくと、サイラ役のパウリーナ・ガイタンは、9歳のときからTVや映画に出演しているメキシコの女優。Marco KreuzpaintnerTrade2007独米合作)の13歳の少女アドリアナ役で注目された。本作では15歳、主役級はこれが最初。

B ホンジュラス人ではないんですね。

A 監督はサイラ役にはホンジュラスの女性を探していたので、ガイタンにはディアナ・ガルシアが演じたマルタ役を割り振ってシナリオを渡した。ところがガイタンが「サイラ役をやりたい、やれないならこの映画から下りる」と。

 

 
                                            (パウリーナ・ガイタンとエドガー・フローレス)

B サイラの性格そっくりですね。サイラは感じやすい女の子だが強い意志の持ち主。

A 自分に似ていて自分も同じような問題を抱えていたから、どうしてもサイラをやりたかった。役作りには監督に自分の意見もどんどん言って採用してもらったと。

B 当然撮影に入る前に、越境してくる不法移民の実写やレクチャーを受けた。

A 参加者全員が受けた。列車での越境は知らなかったし、実際撮影に入って、監督から「屋根に上れ、今度は下りろ。もう1回やり直し」と檄が飛ぶと、映画じゃなく本当のことのように胸がドキドキした。メキシコ人はアメリカでの同胞のひどい扱いに文句を言ってるが、自分たちも中米からの移民に同じ感情を持っている。それをこの映画が教えてくれたとコメントしてます。

B メキシコでは中米からの越境者を快く思わない人も多く、貧乏人が貧乏人を差別している構図が映画からも窺えました。

 

A カスペル役のエドガー・フローレス、ホンジュラスの首都テグシガルパ生れ。だからメキシコの観客からは「カスペルのアクセントはメキシコ人と全然違う」と文句がでた()

B ホンジュラス人のサイラをメキシコ人のガイタンが演じ、メキシコ人のカスペルをホンジュラス人のフローレスが、ちょうど反対になった。しかし素晴らしい役者、成功のカギは彼が握っています。

A 第1作がホルヘ・ルケJorje LukeProvocacion2000メキシコ)で脇役を演じただけですから、今回のカスペル役は大抜擢です。IMDbを見ると、エンリケ・ロドリゲスのEl cuarto oscuro2008メキシコ)で撮影の手伝いをしている。あるインタビューで「将来の夢は自分で映画を作ること」と話しているのは、あながち夢物語ばかりとは言えないようです。

 

B 未来を諦めた若者と未来を諦めない少女の愛の物語ともいえます。カスペルは17歳にして人生に見切りをつけてしまった若者。MSのメンバーだがグループに違和感を感じている。マルタのいない今、もはや失うべきものは何もない。いつ寝首を掻かれるか分からない恐怖から目を開けたまま眠る。

A そういう複雑な青年の諦観をうまく表現していた。フローレスは「映画に出られるなんて考えたこともなかったが、今では出られたことを神に感謝している。別の人生を演じるという熱中できるものが見つかったから」と。

 

B スマイリー役のクリスティアン・フェレールは、これが本格的な映画デビューです。

A この映画に出演するために猛勉強しなければならなかった。MS関係のドキュメンタリー・ビデオを見せて、歩き方、話し方、仲間同士でやる手のサイン、刺青、殺害方法などを細かく指導したと監督。クリスティアンも「イニシエーションのシーンでは、ほんとに痛くて、でも入会できた喜びを表現しなければならなかったから難しかった」とインタビューに答えてます。ポベダのLa vida locaのフィナーレがそうだったようにイニシエーションは組織存続のための重要儀式です。