メンデス・エスパルサの3作目 『家庭裁判所 第3H法廷』 鑑賞記*ラテンビート2020 ⑭ ― 2020年12月07日 15:50
前作『ライフ・アンド・ナッシング・モア』に繋がるドキュメンタリー

★アントニオ・メンデス・エスパルサの第3作目になるドキュメンタリー『家庭裁判所 第3H法廷』(「Courtroom 3H」)は、既に終了した第33回東京国際映画祭TIFF との共催作品3作の一つ、当ブログでは第68回サンセバスチャン映画祭SSIFFセクション・オフィシアル部門でプレミアされた折りにアウトラインをご紹介しています。また前作『ライフ・アンド・ナッシング・モア』(17)で作品&監督キャリア紹介をしております。
*『家庭裁判所 第3H法廷』の作品紹介は、コチラ⇒2020年08月05日
*『ライフ・アンド・ナッシング・モア』の作品&監督紹介は、コチラ⇒2017年09月10日
*『ライフ・アンド・ナッシング・モア』のTIFF Q&A の記事は、コチラ⇒2017年11月05日

(監督、ペドロ・エルナンデス・サントスほか制作会社「AQUÍ Y ALLÍ FILMS」の製作者たち、
サンセバスチャン映画祭2020、9月22日フォトコール)
★TIFF上映後に企画された「トーク・サロン」を視聴する機会があり、以下のことが確認できました。撮影は2ヵ月間、300ケースを視聴し、180時間撮影した中から撮影中に結審したケースを選んだ。新型コロナの影響で編集はリモートでやったので6ヵ月間を費やした。米国では法廷は公的な場所だからカメラを入れることに支障はない。公開するにあたり当事者たちの許諾を受け、裁判所も社会貢献として許可が下りた。以下に作品紹介時点では分からなかった、主な出演者を列挙しておきました。
主な出演者:ジョナサン・スジョストロームJonathan Sjostrom判事、ニューリン弁護士、ジョンソン弁護士、シェパード弁護士、ブラウン弁護士、バッタグリア児童家族局員、その他ケースマネージャー、里親、訴訟後見人など多数、当事者は仮名、未成年の子供にはぼかしが入っている。

(観客に感動をもたらしたジョナサン・スジョストローム判事)
解説:フロリダ州レオン県タラハシーにある統合家庭裁判所は、虐待、育児放棄などされた未成年者に特化した事案を解決するために設立された裁判所である。こじれた親子関係の修復を扱う米国唯一の裁判所の目的は、できるだけ迅速に信頼できるやり方で、親子関係をもとに戻すことである。実際の法廷にカメラを入れて、2019年2ヵ月間に渡って撮影した180時間のフィルムを編集したものである。本作は、米国の作家で公民権運動にも携わったジェイムズ・ボールドウィンの「もしこの国でどのように不正を裁くか、あなたが本当に知りたいと望むなら、保護されていない人々に寄り添って、証言者の声に耳を傾けなさい」という言葉に触発されて作られた。(文責:管理人)
前作『ライフ・アンド・ナッシング・モア』に繋がるドキュメンタリー
A: ボールドウィンの言葉は「国の正義は弱者の声に表れる」と訳されていた。前作『ライフ・アンド・ナッシング・モア』を見ている観客には、アイディア誕生のヒントは想定内です。前作はフィクションでしたが、主人公の未成年の息子が法廷で裁かれるシーンがあり、そのシーンがここで撮影され、その際に判事と親しくなったようですね。
B: TIFF のトークで髪の薄さが話題になった。サンセバスチャン映画祭に現れた監督の髪に驚いたのですが、それがここではずっと鮮明でした。
A: まだ髪のあった3年前の写真を見せられて「懐かしい写真ありがとう」と恥ずかしがっていた。誠実でユーモアに富んだ穏やかな人柄はそのまま、アイディアは予想通り前作から生まれた。法廷シーンで裁判官と親しくなり、第2作完成後1年半ぐらい経って撮影に入った。

(メンデス・エスパルサ監督、サンセバスチャン映画祭2020、プレス会見にて)
B: 撮影は2ヵ月間、300ケースを視聴した中から選んだようだが、殆どの家庭が崩壊している印象だった。両親は別居あるいは離婚しており、母親が親権放棄したが父親が異議を申し立てたケース、実の親と里親が係争しているケース、父親が誰か分からない乳飲み子を抱えた母親、エトセトラ。
A: 両親に育てる意思がなく、子供も親と暮らしたくないケースでは、判事は親権終了を認め、養子縁組の段階に入る。親なら誰でも子供を愛しているとは限らないから、自分の限界を認めることも必要、スジョストローム判事が「自分の限界を認めてくれたことを感謝する」と親に語りかけるのは、これで子供に安定を与えられるからです。

(左から、子供の養育権をめぐって対立する母親と里親)
B: レズビアン・カップルが2人の子供の養子縁組を成立させたケースは日本ではとても考えられないことです。365日以内の迅速な結審が基本なのは、長期の裁判で子供を不安定な状態にしておくのは子供を傷つけることになるという、あくまでも子供本位の方針でした。
A: 期間が既に過ぎているケースが多い印象でしたが、結審に持っていくのは並大抵のことではないということです。審理部分が2部に分かれており、なかで結審に辿りつけた二つのケースに焦点を絞るという構成でした。
B: 両親がそれぞれセラピーを受けて子供と再出発できたケースは、両親の努力は勿論だが、弁護士、児童家族局員双方の地道な努力と判事の適切な助言の成果です。
A: 審理が始まったときの不安定な様子の母親と険しい表情の父親、結審したときの母親と父親の笑顔をうまく切り取っていた。当事者の努力は当然ながら、関係者の援助なくして解決できなかった。父親は薬物依存症の治療中でしたが、完治まで親子を離しておくのは子供が板挟みになると再出発させた印象でした。

(薬物治療中の険しい表情の父親)


(審理開始時の母親、結審時の母親、まるで別人です)
米国が多民族国家、移民国家であることを実感するエリアスのケース
B: 両親がグアテマラ国籍の子供の親権終了のケースでは、娘がアメリカに残って教育を受けさせたいので親権を放棄した。放棄するのは子供を愛していないからではなく愛しているからという理由なのが、アメリカと近隣諸国との関係であるのが浮き彫りになった。
A: 貧富の差がありすぎ、それは暴力的です。特に中南米諸国でもグアテマラは最貧国ですから。父親も故郷に帰っても娘に教育を与えることはできないと語っていた。

(グアテマラ人の父親の弁護をするとニューリン弁護士)
B: 後半は撮影中に結審した2例、エリアスとエラのケースが紹介された。前者の例は父親がベネズエラ国籍、ブラジル在住、英語を解せず特別にスペイン語の通訳2人が出廷した極めて特殊な事案だった。
A: エリアスの母親は出産当時未婚、児童虐待の疑いで子供とは切り離されている。既に親権を放棄している。問題は父親が自分の息子とは知らずにベネズエラに帰国、後にDNA検査で息子と判明した。児童家族局の依頼で訴訟後見人から父親の親権終了が申し立てられたが、父親は異議を唱えているというケースです。
B: もうすぐ3歳になるエリアスの親権を求めている。審議に出廷するためブラジルからやって来た。というのも他に子供がブラジルにいて、その子供とはネットで繋がっている。今回6年ぶりにその子と会った。8ヵ月のときから育てているエリアスの里親にすれば、父親の言い分は何を今頃になってということでしょう。
A: 所用か出稼ぎか不明だが多民族移民国家ならではの事案です。父親サイドの弁護士は、先述したニューリン弁護士、なかなか辣腕で、いろいろな困難を乗り越えて父親がブラジルから出廷できるよう手配した、その力量に驚かされた。対する里親サイドのバッタグリア児童家族局員と訴訟後見人は、父親が今まで顧みなかった息子を本当に育てる意思があるのかどうか疑っている。
B: エリアスは今のまま里親と一緒に暮らすのが最適、父親が親権を放棄すれば養子にする考えだった。しかし判事は、訴訟後見人から出されていた父親の親権終了の申立てを却下した。里親はエリアスと養子縁組はできなくなった。
A: 判事も苦渋の選択をした。両方の努力に食い違いがあった。しかし親に育てる意思があるならば、親が育てるべきという本来の方針に沿った。本当に育てる意思がなければ、父親はこの法廷にはいなかったからです。このような結審は里親には辛いはず。「里親に課せられた義務は過酷だけれども、これからも協力していただけますか」と、傍聴していた里親たちに語りかけていました。
B: 本当に素晴らしい判事でした。里親たちも「イエス、勿論です」と応えていたのが同じように素晴らしかった。ドキュメンタリーのもつ力は大きく怖い。それは「これはフィクションと逃げられないから」と監督は語っていた。

(バッタグリア児童家族局員)
A: ドラマで撮る案もあったようですが、嘘っぽくなるのでやめたとも。初めてのドキュメンタリーは怖かったとも語っていた。ただエリアスのケースは、個人的には納得できなかった。ニューリン弁護士の熱意や努力を認めるとしても、昨今のベネズエラとアメリカのぎくしゃくした関係を考えると、反対のほうがベターだったのではないか。
母親の過去ではなく、更生しつつある現在の姿を考慮して欲しい
B: もう一つが3歳になるエラのケース、母親は幾度か逮捕歴のある激昂タイプの女性、ある事件をきっかけにエラは両親から引き離された。女性は現在は夫とも絶縁して、エラを取り戻したい一心で更生に励み、今では仕事をして金銭的にも育てられる。
A: 一方里親エイミーは17ヵ月のときからエラを預かりとても安定していると証言。父親は親権終了しているが、母親は終了したくないというケースです。
B: 母親サイドはジョンソン弁護士、里親サイドはエリアスと同じバッタグリア児童家族局員、このケースでは、母親とケースマネージャーの対立が問題をこじらせている。前者の問題行動ははっきりしているが、に後者にも問題がありそうだった。
A: 母親への公的支援が遅かったことも一因のようでした。母親に児童虐待の事実はないが、そのカッとしやすい性格が問題、しかしセラピーのお蔭でそれも快方に向かっていることは、女性の母親アモーレも証言している。

(母親を親身に弁護するジョンソン弁護士)
B: ジョンソン弁護士の努力も実らず、母親の親権終了で結審する。弁護士は「母親の過去ではなく、更生しつつある現在の姿を考慮して」判断して欲しいと述べるが、判事の判断は親権終了だった。これも迷った末の判断です。
A: 家族の再統合が目的とはいえ、やはり母親の今後に不安が残り、母娘の再統合は叶わなかった。ジョンソン弁護士の無念の涙には心打たれたが、弁護士の信念がこれほど凄いとは驚きだった。このケースは多分認められている30日間以内の控訴をするかもしれない。
B: 当事者用に用意されたティッシュの箱が彼女にも必要なのではないかと思った。得てして対立しがちな両者の言い分に耳を傾け、できるだけ公平に扱おうとする判事の態度に心打たれた。稀に見る高潔な人柄に尊敬の念さえ覚えた。
A: 監督も「撮影中にこのケースを最後にしようと思った」とトークで語っていたし、判事ほか弁護士などの人格を取り入れたい意向だった。ジョナサン・スジョストローム判事ありきの映画でしょうね。撮影は180時間に及んだということですが、長ければいいわけではなく、前半の次々に現れる別件の羅列は一度見ただけでは分かりにくく、全体の構成に疑問を感じた。最初からどのような事案が撮れるか分からないから、撮りながら執筆していったような印象でした。
B: このようなドキュメンタリーでは、共同脚本家が必要なのかもしれない。
A: エンディング・クレジットで気づいたのですが、本作はホセ・マリア・リバに捧げられていた。彼は1951年バルセロナ生れのジャーナリスト、映画プログラマー、パリ在住、今年5月2日に鬼籍入り、享年69歳でした。多くのシネアストが世話になっていた。
B: サンクス欄にもありました。さて、次回作もドキュメンタリーですか。
A: 4作目はフィクション、それもベルランガ流のクラシック・コメディだそうです。フアン・ホセ・ミリャスの小説 ”Que Nadie Duerma” の映画化、製作者はペドロ・エルナンデス、キャストは主役のルシアに、アルゼンチン出身のマレナ・アルテリオが決定している。現在、脚本をクララ・ロケと執筆中ということです。お楽しみに。
金獅子賞はギレルモ・デル・トロの手に*ベネチア映画祭2017 ③ ― 2017年09月11日 15:10
金獅子賞はメキシコのギレルモ・デル・トロが受賞
★先週土曜日(現地時間)に授賞式があり、金獅子賞はメキシコのギレルモ・デル・トロの ”The Shape of Water”(「ザ・シェイプ・オブ・ウォーター」)が受賞しました。製作国はアメリカ、言語は英語、オスカーを狙えるスタートラインに立ちました。時代背景は冷戦時代の1963年ですが、勿論現在のトランプ政権下のアメリカを反響させていますね。ある政府機関の秘密研究所で清掃員をしている孤独な唖者エリサが、カプセルに入れられて搬入されてきた半漁人に恋をするという一風変わったおとぎ話。または隠された政治的メッセージが込められたSF仕立ての寓話ということです。エリサに英国の演技派サリー・ホーキンス(『ハッピー・ゴー・ラッキー』)、半漁人にデル・トロ映画の常連さん、凝り性のダグ・ジョーンズが扮する。『パンズ・ラビリンス』で迷宮の番人パンになった俳優。

(金獅子賞のトロフィーを手にして、ギレルモ・デル・トロ)
★水に形はないわけですから「水のかたち」というタイトルからして意味深です。水は入れられた容器で自由に変化する。アマゾン川で捕獲されたという半漁人と言葉を発しないエリサとの恋、水は恋のメタファーか、「私たちの重要なミッションは、愛の存在を信じること」です。どうやら愛の物語のようです。現在52歳、痩せたとはいえ130キロはある巨体から発せられる言葉に皮肉は感じられない。「すべての語り手に言えることだが、何か違ったことをしたいときにはリスクを覚悟するという、人生にはそういう瞬間があるんです」と監督。メキシコに金獅子賞をもたらした最初の監督でしょうか。本作は10作目になる。スペインでは、2018年1月、”La forma del agua” のタイトルで公開が決定しています。

(エリサと半漁人、映画から)
「国際批評家週間」の作品賞にナタリア・グラジオラのデビュー作
★ベネチア映画祭併催の「国際批評家週間」の最優秀作品賞に、アルゼンチンのナタリア・グラジオラの長編デビュー作 “Temporada de caza” が受賞しました。パタゴニアを舞台にした父と息子の物語です。ベネチアだけでなく、サンセバスチャン映画祭「ホライズンズ・ラティノ」部門にもノミネートされており、その他、シカゴ、ハンブルク各映画祭にも出品されることが決まっています。

(ポスターを背にナタリア・グラジオラ監督、リド島にて、2017年9月7日)
★「上映が終わると凄いオベーションで、みんな感激して泣いてしまいました。全員ナーバスになって、人々のエネルギーに押されて・・・何しろこんなに大勢の観客の前で上映するのは初めてだったし・・・」と、手応えは充分感じていたようです。最後のガラまで残っていたのは「私と母と代母だけで、あとはブエノスアイレスに戻ってしまった」とホテル・エクセルシオールでインタビューに応じていた。映画祭期間中は代金が3倍ぐらいに跳ね上がるから、最後までいるのは相当潤沢なクルーでないと無理ですね。何しろリド島なんて不便だもんね。
★息子ナウエル役を「見つけるまでに300人ぐらい面接した。ラウタロを一目見て、この子にする、と即決した。これが正解だったの、彼しかいなかった」と監督。こういう出会いが重要、「デビュー作というのは何につけ困難を伴いますが、ヘルマン・パラシオス(父親役)とボイ・オルミが出演を快諾してくれたことが大きかった」、運も実力のうちです。既に監督キャリアを含めた作品紹介をしております。次回作は女医を主人公にしたドラマとか。

『ヒア・アンド・ゼア』の監督作品*サンセバスチャン映画祭2017 ⑦ ― 2017年09月10日 17:07
オフィシャル・セレクション第4弾、5年ぶりメンデス・エスパルサの新作
★アントニオ・メンデス・エスパルサが、新作 “Life And Nothing More” で5年ぶりにサンセバスチャンにやってきます。彼のデビュー作 “Aquí y allá” は『ヒア・アンド・ゼア』の邦題で、東京国際映画祭TIFF2012「ワールド・シネマ」で上映されました。スペインの若手監督ですが、もっぱら米国、メキシコで仕事をしています。前作はアマチュアを起用してフィクションともドキュメンタリーとも、両方をミックスさせたような作品でした。あるメキシコ移民がアメリカから故郷に戻ってくる。家族と再会した幸福感や安堵感が、時間がゆったり流れるなかで、やがて喪失感に変化していくさまをスペイン語とナワトル語で描いた。今回はフロリダを舞台にしての英語映画ですがマドリード生れの将来有望な若手ということでご紹介いたします。『ヒア・アンド・ゼア』がTIFFで上映されたときには、当ブログは存在していなかったので初登場です。

(英題ポスター、左から、ロバート、リィネシア、レジーナ)
“Life And Nothing More” (“La vida y nada más”)2017
製作:Aqui y alli Films
監督・脚本:アントニオ・メンデス・エスパルサ
撮影:バルブ・バラショユ(『ヒア・アンド・ゼア』)
編集:サンティアゴ・オビエド
美術・プロダクション・デザイナー:クラウディア・ゴンサレス
録音:ルイス・アルグエジェス
プロダクション・ディレクター:ララ・テヘラ
キャスティング:Ivo Huahua、サンティアゴ・オビエド
プロデューサー:ペドロ・エルナンデス・サントス(『ヒア・アンド・ゼア』『マジカル・ガール』)、アルバロ・ポルタネット・エルナンデス、アマデオ・エルナンデス・ブエノ
(エグゼクティブ)ポール・E・コーエン、ビクトル・ヌネス
データ:製作国スペイン=米国、英語、ドクフィクション、113分、撮影地フロリダ、2016年10月31日クランクイン、約6週間。製作資金50万ユーロ。トロント映画祭2017「コンテンポラリー・ワールド・シネマ」正式出品(9月8日ワールドプレミア)、サンセバスチャン映画祭セクション・オフィシアル部門出品。
キャスト:レジーナ・ウィリアムズ(母親)、アンドリュー・ブリーチングトン(長男14歳)、リィネシア・チェンバース(長女3歳)、ロバート・ウィリアムズ(ロバート)
プロット:シングルマザーのレジーナはフロリダ北部の町でウエイトレスをして2人の子供を育てている。町では日常的にいざこざが起きている。思春期を迎えたアンドリューは、現在のアメリカでアフリカ系アメリカ人としてのより良い生き方を模索している。レジーナは絶え間ない闘いを余儀なくされ、さらに息子の問題行動と周囲に溶け込む余裕のないことで社会との軋轢を深めていく。不在の父に会いたいというアンドリューの思いが、彼を危険な十字路に立たせることになる。

(スペイン語題ポスター)
多角的な視点で描いた長編デビュー作 “Aquí y allá”
★アントニオ・メンデス・エスパルサは、1976年マドリード生れ、監督、脚本、製作。マドリードのコンプルテンセ大学法学部卒、その後ロスアンゼルスに渡りUCLAで映画を学んだ後、さらにニューヨークのコロンビア大学映画制作マスターコースを終了。ここでメキシコ移民のペドロ・デ・ロス・サントスと知り合い、2009年、彼を主役にした短編 “Una y otra vez” を撮る。TVE短編コンクール賞、ロスアンゼルス映画祭短編作品賞、オスカー賞プレセレクションに選ばれるなど、受賞歴多数。現在はアメリカに仕事の本拠地をおいている。

(新作 “La vida y nada más” 撮影中のメンデス・エスパルサ監督)
★カンヌ映画祭2012「批評家週間」で長編デビュー作 “Aquí y allá”(スペイン=米国=メキシコ)がグランプリを受賞したときは36歳、資金不足から監督、脚本、製作と何でもこなした。本作の主人公にも “Una y otra vez” のペドロ・デ・ロス・サントスを起用、ペドロの妻テレサも実際の奥さん、ただし2人の娘さんは別人です。当時「彼や彼の家族、友人、隣人との出会いと応援がなかったらこの映画は生まれなかった」と監督は語っている。彼自身は舞台となるメキシコに住んだことはなく、キャスティングはペドロを通じて知り合った移民たち、聞き書き、ドキュメンタリーの手法を採用したが、あくまでもフィクションである。上記したように故郷のゲレーロの山村に戻った当座は、妻も依然と変わりなく温かく迎えてくれ、幸福感と安堵感に満たされるが、あまりの静寂さにやがて喪失感に襲われるようになる推移がゆったりと描かれていた。バルブ・バラショユ撮影監督の映像美、アメリカから見たメキシコ、メキシコから見たアメリカ、という二つの視点が光った作品。

(デビュー作『ヒア・アンド・ゼア』のポスター)

(緑に囲まれた山間を親子4人で散策、映像が素晴らしかった)
アフリカ系アメリカ人に対する社会的不公正と人種差別、父親の不在
★第89回アカデミー賞作品賞受賞の『ムーンライト』を例に持ち出すまでもなく、アフリカ系アメリカ人の差別をテーにした映画は枚挙に暇がありません。勿論、メインテーマはそれぞれ違いますが、どうしてもステレオタイプ的な描かれ方になりがちです。それを避けるには『ラビング 愛という名前のふたり』のように実話をベースにすることが多い。5年ぶりとなる長編2作目 “Life And Nothing More” は、大きく括ると、いわゆるドクフィクションdocuficciónというジャンルに属している。ドキュメンタリーの父と言われるロバート・フラハティの『モアナ』に始まり、他作品では、ルキノ・ヴィスコンティの『揺れる大地』、ポルトガルのペドロ・コスタの『ヴァンダの部屋』、同名小説がベースになっていますが、フェルナンド・メイレレスの『シティ・オブ・ゴッド』などを挙げることができます。
★前作『ヒア・アンド・ゼア』同様ノンプロの俳優を起用、撮影はアメリカ大統領選挙中の熱気に包まれたフロリダで、10月31日にクランクインした。製作者のペドロ・エルナンデス・サントスは、「不確実な空気を取り込むには、これ以上の好機はないからだ」と語っている。掛け持ちで仕事に追われて不安定な母親レジーナと口達者なロバートとの会話も自然なアドリブの部分があり、それが非常にエモーショナルなものを呼び起こしたと監督。子供たちの父親は刑務所に収監中だが、14歳になるアンドリューは会いたいと思っている。しかしそれは母親から禁じられており、本作でも父親の不在がキイポイントの一つになっているようだ。特権と組織全体的な人種差別が複雑に入り組んでいるアメリカ社会の今が語られる。


*追記:東京国際映画祭2017「ワールド・フォーカス」部門に『ライフ・アンド・ナッシング・モア』の邦題で上映されます。
アントニオ・バンデラス「国民映画賞2017」受賞*その他いろいろ ― 2017年08月25日 14:06
バンデラスがサンセバスチャン映画祭にやってくる
★「国民映画賞」の授賞式は、サンセバスチャン映画祭で行われるのが恒例、アントニオ・バンデラスが久しぶりにサンセバスチャンにやってきます。昨年はアンヘラ・モリーナで盛り上がりましたが、なかには2015年のフェルナンド・トゥルエバのように「今更もらっても・・・」と受賞をごねる監督もいたりして、受賞者の選考は難しい。今回も「もう上げちゃうの、どうして?」と疑問を呈するシネアストもいるようでした。今年の1月26日に心筋梗塞で倒れ、その後ジュネーブの有名な心臓外科病院で3本のステント手術を受けており、健康不安というトラブルを抱えるようになっています。

(心臓手術後のアントニオ・バンデラス、2017年4月)
★2015年には最年少の受賞者としてゴヤ栄誉賞をもらったばかり、2008年にはサンセバスチャン映画祭の栄誉賞ドノスティア賞、2004年金のメダル、シッチェス映画祭2014栄誉賞、マラガ映画祭2017では名誉金のビスナガ賞、イベロアメリカ・プラチナ賞2015の栄誉賞などなど、海外も含めて50代にして数々の栄誉賞に輝いています。まだ受賞歴のないゴヤ賞主演男優賞あるいは助演男優賞が待たれるところです。
*ゴヤ賞2015栄誉賞の記事は、コチラ⇒2014年11月5日
*マラガ映画祭2017名誉金のビスナガ賞の記事は、コチラ⇒2017年4月1日
アカデミー賞2018外国語映画賞のスペイン代表は・・・
★先日、アカデミー賞2018外国語映画賞のスペイン代表候補3作がスペイン映画アカデミー会長イボンヌ・ブレイクの口から発表になりました。今年の話題作、カルラ・シモンのデビュー作 “Verano 1993”(ラテンビート2017の邦題『夏、1993』)、パブロ・ベルヘルの第3作コメディ “Abracadabra” (仮題「アブラカダブラ」)、サルバドル・カルボの戦争歴史物 “1898, Los ultimos de Filipinas” 以上3作に絞られました。カルラ・シモンの “Verano 1993” は、オデッサ映画祭2017のインターナショナル部門の作品賞を受賞したばかり、ヨーロッパ映画賞2017の候補に選ばれています。

(カルラ・シモンの “Verano 1993”)

(パブロ・ベルヘルの “Abracadabra”)

(サルバドル・カルボの “1898, Los ultimos de Filipinas”)
* “Verano 1993” の紹介記事は、コチラ⇒2017年2月22日
* “Abracadabra” の紹介記事は、コチラ⇒2017年7月5日
* “1898, Los ultimos de Filipinas” の紹介記事は、コチラ⇒2017年1月5日
ヨーロッパ映画賞2017にスペインから3作が残りました
★ヨーロッパ映画賞エントリー51作が発表になりました。うちスペインからは次の3作が選ばれています。スペイン映画界に多大な貢献をしているフアン・アントニオ・バヨナの『怪物はささやく』(劇場公開になっています)、ラウル・アレバロの『物静かな男の復讐』(Netflix放映)、カルラ・シモンの『夏、1993』(ラテンビート2017上映予定)の3作です。51作のなかから、11月4日開催のセビーリャ・ヨーロッパ映画祭でノミネーションが正式に確定します。1国1作品が恒例ですから選ばれるとしてもどれか1作です。授賞式は例年通り12月9日にベルリンで行われます。

(フアン・アントニオ・バヨナ『怪物はささやく』)

(ラウル・アレバロの『物静かな男の復讐』)
米アカデミー新会員に招待されたイベロアメリカのシネアスト ― 2017年07月03日 11:09
新会員候補者774人のなかで断るシネアストは何人くらい?
★ホワイト男性の牙城ハリウッドも国内外からの批判を浴びて、重い腰を上げたということでしょうか。2016年「♯OscarsSoWhite」の政治的キャンペーン以来、従来のアカデミー会員規則の変更を迫られた。会員の92%以上が白人男性で平均年齢が62歳という具体的な数字を挙げられてみれば、これはやはり異常な「老人クラブ」だと今更ながら驚きます。シェリル・ブーン・アイザック会長によれば、昨年は683人、今年は59か国774人に招待状を送ったということです。新会員のうち非白人が30%、女性が39%、一番若い会員はエル・ファニングの19歳、これで少しは平均年齢が下がるでしょうか(笑)。勿論会員になりたくなければ招待を断ってもいいわけですが、世界で最も選り抜きの映画クラブですから損得を計算する必要がありそうです。90年前に設立者293人で始まった米アカデミーの会員は、約7500を数える大所帯になったわけです(アカデミーはこれまでも正確な構成員数は明らかにしていない)。
★日本からも三池崇史監督、真田広之、昨年母親になった菊地凛子など、米国で比較的認知度のある人の名前が報道されていましたが、スペイン、ラテンアメリカ諸国でも同じ傾向のようです。スペイン映画出演では、エレナ・アナヤ、パス・ベガ、ヴィゴ・モーテンセン、ダニエル・ブリュール、エドガー・ラミレス、ロドリゴ・サントロなどの俳優、当ブログ未紹介のロドリゴ・サントロはブラジルで絶大な人気を誇る大スター、ウォルター・サレスの『ビハインド・ザ・サン』、エクトル・バベンコの『カランジル』や最近ではパトリシア・リヘンの『チリ33人の希望の軌跡』ほか、米国映画にも多く出演している。

★撮影監督では、ホセ・ルイス・アルカイネ、アフォンソ・ベアト、キコ・デ・ラ・リカ、エルネスト・パルドなど。アフォンソ・ベアトは、ブラジル出身ですがアルモドバルの『ライブ・フレッシュ』や『オール・アバウト・マイ・マザー』を手掛けている。メキシコのエルネスト・パルドは主にドキュメンタリーを撮っている撮影監督、最近ではタティアナ・ウエソの "Tempestad" でフェニックス賞ドキュメンタリー部門の撮影賞を受賞、これから発表になるアリエル賞2017でもノミネートされています。

★監督では、アドルフォ・アリスタライン、パトリシア・カルドソ、アレハンドロ・ホドロフスキー、エクトル・オリベラ、アルトゥーロ・リプスタイン、パブロ・トラペロなど、当ブログに登場してもらった名前を挙げておきます。アドルフォ・アリスタラインは2003年にスペイン国籍を取得、アルゼンチンとの二重国籍です。サンセバスチャン映画祭やゴヤ賞のノミネーションでよく目にする監督、オスカーでは1992年の”Un lugar en el mundo” が最終候補に選ばれた。2004年の『ローマ』がラテンビートで上映されている。アルトゥーロ・リプスタインはメキシコ出身だが、アリスタライン同様2003年にスペイン国籍をとり、現在は夫人で脚本家のパス・アリシア・ガルシア・ディエゴとサンセバスチャン在住。『真紅の愛』(96)や『大佐に手紙は来ない』(99)などが公開されている。友人でもあったルイス・ブニュエルの後継者と言われている。

(アルトゥーロ・リプスタインと夫人パス・アリシア・ガルシア・ディエゴ)
★パトリシア・カルドソも当ブログ未紹介の監督(日本表記はカルドーゾ)、コロンビアのボゴタ出身だが、1987年米国に移住している。2002年のサンダンス映画祭で ”Real Women Have Curves” が観客賞・審査員賞を受賞しており、2010年の ”Lies in Plain Sight” が『見えない真実』という邦題で紹介されているようだが未見です。米国での活躍が選定の一つになっている。
メキシコはハリウッドを目指す?
★メキシコは隣国ということもあって、上記のアルトゥーロ・リプスタイン、エルネスト・パルドを含めて6人が招待を受けました。メキシコはますますハリウッドを目指すのでしょうか。ほかの4人は、『エリ』のアマ・エスカランテ監督、カナナ・フィルムの中心的プロデューサー、『選ばれし少女たち』や『ミス・バラ』を企画したパブロ・クルス、ベルタ・ナバロ(日本表記はバーサ・ナヴァッロ)、デル・トロのホラー『クロノス』(93)、『デビルズ・バックボーン』(01)、続いて『パンズ・ラビリンス』などをプロデュースしている。監督・脚本家のナタリア・アルマダは、第40代メキシコ大統領プルタルコ・エリアスの曽孫、ドキュメンタリー作家としてスタートした。代表作は、”Al otro lado”(05)、曾祖父の足跡をたどった“El general”(09)、”El Velador”(11)など。最新作の初フィクション”Todo lo demas”(16)が高評価、ヒロインのアドリアナ・バラッサがアリエル賞女優賞にノミネートされている。2012年にマッカーサー奨学資金を受けている。メキシコの6人は既に招待受諾の意思を表明している。

(パブロ・クルス)


★昨年既に招待されている監督に、カルロス・レイガダスやカルロス・カレラ、パトリシア・リヘンがいる。ブニュエルの『ビリディアナ』や『皆殺しの天使』で知られるシルビア・ピナル(1931)は、まだTVシリーズに出演している現役だが投票の権利を行使しないと表明している。いずれにしてもシネマニアには大して関係ないことですから、ここいらへんで。
イーサン・ホークがドノスティア栄誉賞*サンセバスチャン映画祭 ⑬ ― 2016年09月12日 06:39
今度こそサンセバスチャンに現れます!

★第64回サンセバスチャン映画祭の栄誉賞はシガニー・ウィーバーとイーサン・ホークに決定しました。シガニー・ウィーバーは早々とアナウンスされましたが、イーサン・ホークは時間がかかりました。結局今年の栄誉賞は米国俳優2人になり、ハリウッド抜きで映画祭は成り立たない印象を受けました。昨年アメナバルの“Regression”(“Regresión”)がオープニング上映された時には、“The Magnificent Seven”撮影中で残念ながら来西を果たせませんでした。今回は9月17日にスペイン語題“Los siete magníficos”上映前に栄誉賞が手渡されます。米国封切りが9月23日ですから本映画祭上映がワールド・プレミアでしょうか。日本でも『マグニフィセント・セブン』の邦題で2017年1月27日公開が決定しています。黒澤明の『七人の侍』(54)をリメイクした『荒野の七人』(60)、この2本を原案にして更にリメイクしたようです。ハリウッドの人気俳優7人が勢揃いした活劇です。

(中央がイーサン・ホーク、右隣りがデンゼル・ワシントン)
★1970年テキサス州オースティン生れ、監督、脚本、作家と幾つもの顔をもつ俳優。「ビフォアー」シリーズの他、『ガタカ』(97)、『6才のボクが、大人になるまで』(14)など殆どが公開されている。アカデミー賞はノミネーションだけに終わっているが、未だ45歳、これからですね。小説は4作、2作目となる“The Hottest State”は、自ら脚本も手がけて監督した(『痛いほどきみが好きなのに』2007)。4作目の“Inden”(16)が「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラー・リストに初めて登場した。
*シガニー・ウィーバーの紹介記事は、コチラ⇒2016年7月22日
ハビエル・バルデム*古典ホラー『フランケンシュタイン』のリブートに出演? ― 2016年07月25日 15:33
フランケンシュタイン博士、あるいはモンスター役?
★ショーン・ペンのアフリカ内戦もの『ザ・ラスト・フェイス』(“The Last Face”)が今年のカンヌ映画祭でワールド・プレミア、シャーリーズ・セロンと共演(公開が予定されている)、今年夏公開が予定されていた「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズ第5弾は遅れて来年になる由、久々のスペイン語映画フェルナンド・レオン・デ・アラノアの“Escobar”(麻薬王パブロ・エスコバルのビオピック、妻ペネロペ・クルスと共演)、ダーレン・アロノフスキーの新作にジェニファーローレンスと出演、更にイランのアスガル・ファルハディの新作に夫婦で出演、来年夏にはスペインでのクランクインが予定されている。
★“Escobar”は、コロンビアのメデジン・カルテルの麻薬王パブロ・エスコバルの伝記映画。エスコバルの1980年代の愛人、元ジャーナリストのビルヒニア・バジェッホの同名回想録“Amando a Pablo, odiando a Escobar”(2007年刊)の映画化。バルデムがエスコバル、クルスが愛人ビルヒニアになります。

(ハビエル・バルデムとペネロペ・クルス)
★そして今回アナウンスされたのが、1930年代にユニバース・ピクチャーズが製作した一連のホラー映画の一つ『フランケンシュタイン』のリブート出演のニュースです。本作はイギリスのメアリー・シェリー(1797~1851)が、1818年に匿名で発表したゴシック小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』を、1931年にジェイムズ・ホエールが映画化したもの(当時の女性作家は匿名)。ボリス・カーロフが扮した怪物の造形イメージが今日でもモンスター像として定着している。小説と映画の人物造形にはかなりの違いがあり、新作が原作重視か、あるいは映画重視かは分からない。そもそもバルデムがフランケンシュタイン博士になるのかモンスターになるのかさえ不明である。今後も紆余曲折がありそうです。製作は2019年と大分先になるようだ。

(ボリス・カーロフ、1931年映画版のフランケンシュタインの怪物)
★ジェイムズ・ホエールは1935年に『フランケンシュタインの花嫁』も監督しており、モンスターは同じくボリス・カーロフが扮した。こちらには原作者のメアリー・シェリーまで登場するというもので、ますます原作から離れてしまっている。新作「フランケンシュタイン」には、両作を合体させるのかもしれない。資金力はあっても企画力が乏しくなっているせいか、リブートだのリメイクだの新鮮味に欠けるニュースのご紹介です。
★新作は、昨年の夏以来、アレックス・カーツとクリス・モーガンを主軸に、ユニバース・ピクチャーズが「古典モンスター映画」のリブートを企画した第3作目に当たる。第1作は『ミイラ再生』(1932)の“The Mummy”、トム・クルーズが主役のタイラー・コルトに、ラッセル・クロウがジキル博士を演じた。このジキル博士役のオファーをバルデムが断ったと聞いている。2017年6月公開予定。第2作が『透明人間』(1933)、ジョニー・デップが主役を演じる。
*アスガル・ファルハディの新作の記事は、コチラ⇒2016年06月06日
『エルヴィス、我が心の歌』 *アルマンド・ボー ② ― 2016年06月26日 12:56
根っこのない人間、インパーソネーターの危機

A: 誰でもある程度は他人を真似て生きているわけですが、主人公カルロスのようにピッタリ重なってしまうと救済できない。恐ろしい社会派ドラマです。自分で拵えた壁だから壊すこともできたのだが、愛が壊れると残るのは喪失感だけです。孤独には幻滅も付いてくるから、現実は地獄と化す。
B: アイデンティティーの喪失とか自己否定とかではすまない。「そっくりさん」をやっているうちに誇大妄想に陥り、コチラとアチラの境界が消滅してしまう。
A: かろじてコチラに踏みとどまっていられたのは、妻や娘への愛だった。最初カルロスは、エルヴィスとして自分を完結させるか家族を選ぶか、二つの間で揺れていた。しかし家族が壊れてしまえばコチラに未練はない。プレスリーは妻プリシラが娘のリサ・マリーを連れて新しい男に走ってから急激に崩れていった。
B: 監督はモデルの人生に、そっくりさんの人生を重ねていく。
A: モデルは妻が新しい男に走ったことで苦しむが、そっくりさんの方は、妄想にとり憑かれ現実を受け入れない夫に同情しながらも一緒に暮らすことができなくなった妻の方が苦しむ。ここが二人の大きな違いです。
B: 自分に根っこがないと境界は無きが如しだから、行き来している自覚もやがて消えてしまうことになる。
A: 自分も含めて周りはそういう人が溢れている。アルマンド・ボー監督もこの映画は「狂気のメタファー」だと語っています。
B: インパーソネーターはただの「そっくりさん」ではなく、モデルの内面に深く入り込み、完全一体化していかなければならない。カルロスはそれを実践した。
A: スペイン語映画ファンなら、『トニー・マネロ』(08)を思い出す観客が多かったはず、主役を演じたアルフレッド・カストロの狂気にショックをうけた。パブロ・ララインの「ピノチェト政権三部作」の第一部を飾った作品、監督、俳優とも二人をおいて現代チリ映画は語れない。
B: 大抵の方はハーモニー・コリンの『ミスター・ロンリー』(07)でしょうか。パリに住むアメリカ青年役にディエゴ・ルナが扮し、マイケル・ジャクソンのそっくりさんを演じた。マリリン・モンロー、マドンナ、ジュームス・ディーンなどのそっくりさんも登場する。結末は本作とは異なりますが。

(『トニー・マネロ』のポスター)
A: マイケル・ジャクソンのインパーソネーターNo.1のNAVIは、マイケル自身のお墨付きをもらっていた。本人没後はツアーを組んで大忙しだとか。しかしエルヴィスにしろマイケルにしろ、若くして亡くなっているから、モデルの享年が近づくにつれインパーソネーターに危機がやってくる。
B: まさにカルロスがそうでした。カルロスにとって42歳の誕生日は、41歳とはまるで違う。
ちりばめられた伏線の貼り方、メタファーとしての選曲
A: 昼は「お前の代わりなんか直ぐ見つかる」と馘首をちらつかせ、カルロスの誇りをズタズタにする現場主任のもとで働いている。ここは自分の居場所ではない。夜はエルヴィスのトリビュート・アーティストとして取替不可能な存在、大きな野心が生れてくる。
B: ここでは自分を〈エルヴィス〉と呼ばせ、音響設備が悪いとぶちギレしてステージを下りてしまう。「俺は神様から素晴らしい声を授けられたエルヴィス」なのだから。
A: このとき歌っていたのが最後のシーンに流れる「アメリカの祈り」、だからゆめ疎かにできないのです。それが最後に分かる。しかし出演料は安く、おまけに滞りがち、これでは間に合わない。映画の早い段階で帰宅途中に飛行場の側を通るシーンが映りますが、これもいずれメンフィスにあるエルヴィスの聖地に飛ぶ伏線でしょう。

(「ザ・キング」エルヴィス・プレスリー)
B: 老母が入所しているケアハウスでギターを手に弾き語る「オールウェイズ・オン・マイ・マインド」は、喪失感を象徴する曲、母に最後の別れを告げる伏線になっている。
A: シンガーの田中タケル氏が「カタログ」に寄せた紹介文によると、カルロスが決行前夜クラブでピアノの弾き語りをしながら熱唱する「アンチェインド・メロディ」は、死別を象徴する曲、カルロスが着ていた衣装もエルヴィスにとっては死装束だそうです。
B: エルヴィス・ファンには、選曲のすべてがメタファー、伏線だと分かる仕掛けになっている。勿論、そんな知識がなくてもジョン・マキナニーの歌に酔うことができます。
奇跡は結構起きる、ジョン・マキナニーとの出会い
A: 工場の制服を焼却し、スケート場で親子三人の最後の時を過ごす。準備万端整ったところで、妻が交通事故で意識不明の重体となる。ここから実は本当のドラマが始まると思う。
B: これ以前は予想通りの筋書き、しかし疎遠だった娘との距離が次第に縮まるにつれ、もしかして娘の愛の力で正気に戻るのか。不安で眠れない娘に子守唄代わりにカルロスが歌った「ハワイアン・ウェディング・ソング」は心に沁みた。

(妻アレハンドラ、娘リサ・マリー、カルロス)
A: プレスリーが主演した『ブルー・ハワイ』で歌われた曲、娘との距離の縮め方は自然でとてもよかった。奇跡的にアレハンドラの意識が戻り、二人で面会にいくシーンでは、監督は二人に手を繋がせていた。奇跡はめったに起こらないと言いますが、結構起きるのです(笑)。
B: プレスリーの音源は一切使用されていない、すべてジョン・マキナニーが歌っている。
A: ボー監督がトリビュート・バンド「エルビス・ビベ」のジョン・マキナニーに接触したのは、当時構想していた主役の演技指導を打診するためだった。ところが会った瞬間、主役が目の前に立っていた、というわけです。奇跡は起こるのですね。
B: しかし、この逸話は眉唾だね。マキナニーはエルヴィスのトリビュートとして有名だったから、最初から彼に白羽の矢を立てていたにちがいない。声や体型は言わずもがな、マイクを握る太い指、歌唱中に吹きでる汗までそっくりだった。

(トリビュート・バンド「エルビス・ビベ」で歌うジョン・マキナニー)
A: どちらにしろ彼の人生は変わってしまった。テレビのトーク番組のゲストに呼ばれたり、ガストン・ポルタルが監督したTVミニシリーズ“Babylon”(12)に1話だけですが出演した。
B: エルヴィスとはまったく関係ない刑事ドラマでした。
親の「七光り」もラクではない
A: 前回アルマンド・ボーのキャリアについては簡単にご紹介しましたが、祖父と姓名が同じのため二人はごちゃまぜに紹介されています。父親のビクトルがミドルネームを付けなかったせい、アルゼンチンでは「nieto孫」を付けて区別しています。ミューズだったイサベル・サルリが出演している作品は祖父の監督作品です*。
B: ボー監督は現在6歳になる長男にも同じアルマンドを付けた。日本では戸籍法があるからこういう自体はあり得ない(笑)。
A: 有名人の「○○の子供」「××の孫」は七光りの反面重荷になることもある。彼は勉強嫌いだったらしく、特に数学がダメだった。16歳から広告業界で働き始めたのもそれがあるね。ニューヨーク・フィルム・アカデミーも父親に行かされたと語っている。たったの4ヶ月在籍しただけ、縛られるのが嫌いなのでしょう。
B: 本作を共同執筆したニコラス・ヒアコボーネはエルサルバドル大学で学んでいる。アルマンド・ボーの長女の子供、というわけで従兄弟同士です。
A: 前回も書きましたが、現在はロスアンゼルスの閑静なベニス地区に転居している。理由はコマーシャルの仕事にはアメリカのほうがいいから。それもあるでしょうが、何につけ祖父や父親と比較されるのが重荷になっているのかもしれない。
B: 脚本を共同執筆した『バードマン』がアカデミー賞を受賞したことも大きい。ガラではジョージ・クルーニーと一緒にコーヒーを飲み、ミック・ジャガーと歓談し、ベッカムが「見たなかではバードマンが一番面白かったよ」と言うために近寄ってきたとか。
A: 「受賞したから言うわけじゃないが、息子を誇りに思う」父親も我が子の晴れ舞台にアルゼンチンから駆けつけた。「私の父も私も成し遂げなかった快挙」と興奮気味のビクトル、妻ルチアナともどもボー一家は興奮の渦に巻き込まれた。たかが映画ですが、これがオスカーなのです。
B: 他にも祖父のミューズだったイサベル・サルリの逆鱗が理由の一つだったのでは?
A: 「私のことを祖父のアマンテだったと言ったけど、私は彼の祖父のアモールだったのよ。彼の祖父が死んだとき、孫は赤ん坊だった。私についてよくも知らず、あんな発言をするのは恩知らずの碌でなしがすること。ボー一族について話すのは気分が良くない。私にはボーという姓はアルマンドの死とともに終わったの。まったく○×△☆・・・」
B: もう女優は引退していると思うが意気軒昂、やはりボー一族とは確執があったようですね。
A: 孫も悪気があって言ったわけではないが、口は禍いの門、狭い世界です。
映画だけでは食べていけない―今後の活躍
B: 一生制作するとは思わないが、コマーシャルを制作するのは映画だけでは食べていけないから。映画は3~4年かかる。両方やってみて分かったことだが、映画とコマーシャルを同時に進行させるのは無理だと語っている。
A: 広告と映画はとても異なった世界、素晴らしい広告を制作できたからといって素晴らしい映画が作れるわけではない。すべての映画監督に当てはまるわけではないけど、その逆も同じ、とインタビューに答えている。
B: 家では映画があふれていたけど、若い時は映画を見なかった。見ていたのはサッカーだったとか。アルゼンチンの普通の若者像です。
A: 無意識のうちに祖父や父の重圧に反発していたのかも。好きだった映画は1960~70年代のハリウッドやヨーロッパ映画、コッポラの『ゴッド・ファーザー』、キューブリックの『2001年宇宙の旅』や『時計じかけのオレンジ』、キューブリックは今でも無敵を誇る存在とか。
B: 『2001年宇宙の旅』に使用されたリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」が本作にも登場していた。
A: より若い監督作品では、ポール・トーマス・アンダーソンの群像劇『マグノリア』、スパイク・ジョーンズ『マルコヴィッチの穴』、スティーブン・ソダーバーグ『セックスと嘘とビデオテープ』を挙げている。ベン・スティーラーが自作自演した『ズーランダー』も大好きだそうです。
B: 自国の映画はお呼びでないようです。
A: 新作“Lifeline”(16)は30分の中短編、来年には『バードマン』のスタッフが再びチームを組んで10話構成のTVミニ・シリーズ“The One Percent”(“1%”)が始まる。エド・ハリスやエド・ヘルムズ、ヒラリー・スワンクなどが出演する。ボー監督は脚本と製作の一翼を担うことになる。
*『女体蟻地獄』(1958“El trueno entre las hojas”、1962公開)、脚本をアウグスト・ロア・バストスが執筆したもので高評価だった。またミス・ユニヴァースのアルゼンチン代表、セックス・シンボルだったイサベル・サルリ(1935~)のデビュー作でもある。『裸の誘惑』(1966“Naked Temtation”、1967公開)はイギリス映画、『獣欲魔地獄責め』(1973“Furia infernal”、1974公開)には、息子ビクトルが初めて出演した。祖父の映画はセックスを売り物にしたploitation映画と言われ、邦題もそれに準じて付けられておりますが、かなり表層的な見方と思います。最後の作品となる“Una viuda descocada”(仮題「厚かましい未亡人」80)は、エロティック・コメディながら裏に皮肉な社会批判が込められている。豊かな胸を武器に次々にエロおやじを餌食にして墓石のコレクターになる未亡人にサルリが扮した。当時のアルゼンチンは「恐怖の文化」が支配した軍事独裁政権時代、こういう映画を見ると複雑です。翌年脳腫瘍のため67歳で没したとき、孫アルマンドは未だ2歳でした。
『エルヴィス、我が心の歌』*模倣の人生を生きる ① ― 2016年06月22日 18:29
エルヴィスのトリビュート・アーティスト、カルロスの生き方

★2012年と大分前のアルゼンチン映画『エルヴィス、我が心の歌』が劇場公開された。これも偏にアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『バードマン』が2015年アカデミー作品賞を受賞したお陰です。アルマンド・ボー監督が脚本の共同執筆者の一人だったからです。『エルヴィス、我が心の歌』がサンセバスチャン映画祭「ホライズンズ・ラティノ」部門のグランプリ、トゥールーズ映画祭「シネラティノ」部門の批評家賞、UNASUR映画祭の脚本賞などなどを受賞しただけでは公開されなかったでしょう。それと同胞ダミアン・ジフロンの『人生スイッチ』が後押ししてくれたかもしれない。
『エルヴィス、我が心の歌』(原題“El ultimo Elvis”、英題“The Last Elvis”)2012
製作:Anonymous Content / K&S Films / Rebolucion / Kramer & Sigman Films
協力:INCAA / Telefe
監督・脚本・編集・製作者:アルマンド・ボー
脚本(共):ニコラス・ヒアコボーネGiacobone
美術:ダニエル・Gimeleberg
音楽:セバスティアン・エスコフェ
撮影:ハビエル・フリア
録音:マルティン・ポルタ
編集(共):パトリシオ・ペナ
衣装デザイン:ルチアナ・マルティ
メイクアップ:アルベルト・モッチャMoccia
特殊効果:クラウディオ・ラングサム
製作者:ビクトル・ボー
データ:製作国アルゼンチン=米国、スペイン語・英語、2012,91分、撮影地ブエノスアイレス、公開アルゼンチン2012年4月26日、フランスとスペイン2013年1月、他ブラジル、オランダ、ポルトガルなど。
映画祭・受賞歴:サンセバスチャン映画祭2012ホライズンズ賞、2012年アルゼンチン・アカデミー賞6部門(作品賞・新人監督賞は逃す)、UNASUR(南米諸国連合)映画祭2012美術・衣装・脚本の3賞、トゥールーズ映画祭シネラティノ批評家賞、チューリッヒ映画祭監督賞、イースト・エンド映画祭作品賞、2013年コンドル賞(アルゼンチン批評家賞)などを受賞。2012年のサンダンス、ビアリッツ「ラテンアメリカシネマ」などの映画祭で上映された。
キャスト:ジョン・マキナニー(エルヴィス/カルロス・グティエレス)、グリセルダ・シチリアニ(プリシラ/妻アレハンドラ・オレンブルグ)、マルガリータ・ロペス(娘リサ・マリー・グティエレス)、コリナ・ロメロ(秘書)、ロシオ・ロドリゲス・プレセド(ニナ)、他

プロット:エルヴィス・プレスリーの幻影を生きたカルロス・グティエレスの人生が語られる。カルロスはブエノスアイレスの貧しい労働者地区の工場で働きながら、夜は〈エルヴィス〉のトリビュート・アーティストとしてステージに立っている。妻アレハンドラをプリシラと呼び、一人娘にはリサ・マリーと名付けた。自分は神から素晴らしい声を授かった特別な人間、エルヴィスの化身なのだ。だからエルヴィスと同じ体型を維持するため彼の好物ピーナッツバター・バナナサンドを毎日食べているのではないか。妻は妄想にとり憑かれた夫の言動に耐えられず、娘を連れて遠の昔に家を出てしまっていた。しかし彼の心を占めているのは、自分が間もなくエルヴィスの旅立った年齢に近づいていること、カルロスに〈その後〉はないのだった。仕事を辞めてグレースランドへの準備を始めた矢先、思わぬ事故が起きて娘を引き取ることになったカルロス、計画は頓挫してしまうのだろうか。自己否定がゆえに他人の人生を選んでしまった男の物語。

(ジョン・マキナニー、グリセルダ・シチリアニ、監督)
監督紹介:アルマンド・ボーArmando Bo/Bó (nieto)、1978年ブエノスアイレス生れ、脚本家、監督、製作者、編集者。父親ビクトル・ボーは俳優、製作者、本作の製作者の一人。祖父アルマンド・ボー(1914~81、脳腫瘍のため死去、享年67歳)は伝説的なシネアスト、俳優、脚本家、監督、作曲家。アルゼンチンで〈アルマンド・ボー〉といえば、1939年にデビューした美男俳優、50年代半ばから監督もした祖父のことを指した。それで「アルマンド・ボーの孫」、またはJr.ジュニアを付けたり、愛称のアルマンディートと呼ばれている。いわゆる親の「七光り」派、未だ10代の終わり、何も発表していない頃からデビュー作の受賞が期待されていた。
★ブエノスアイレスのベルグラノ地区の私立高校で学ぶ。俳優デビューは12歳の頃、父ビクトルが製作したコメディ“Ya no hay hombres”(1991、監督アルベルト・Fischerman)に経費節減のため無料で出演した。1997年、アンドレス・ペルシバレ他によって制作したTeleganasのゲーム・プログラムに参加する。
その後、制作会社「La Brea」に入社、多数のコマーシャルに携わる。撮影はぶつ続け30時間と殺人的な作業だったが、ここでの経験が後で役に立った。しかし監督という家業を継ぐのは運命と思い定め、3年ほどで退社、ニューヨークの映画学校で本格的な映画製作の勉強を始める。

(お洒落ではないが身だしなみには気をつけているという最近の監督、2016年1月撮影)
★2005年、パトリシオ・アルバレス・カサドと一緒にコマーシャル制作会社「Rebolucion」(本部はアルゼンチンとブラジル)を設立、イベロアメリカの優秀なプロデューサーの一人となった。制作した120のコマーシャルのうち、50作近くが国際的な賞を受賞している(これには祖父や父親の「七光」を割り引かねばならないが)。2010年、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『ビューティフル』の脚本をN・ヒアコボーネ、監督と共同執筆し、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。2014年、同監督の『バードマン』が第87回アカデミー賞の作品・監督・脚本・撮影の4賞を受賞、脚本の共同執筆者の一人として授賞式に出席した。

(左から、N・ヒアコボーネ、A・G・イニャリトゥ、アレクサンダー・ディネラリス、
今宵のために新調したタキシード姿のA・ボー、アカデミー賞2015授賞式にて)
★脚本の共同執筆者ニコラス・ヒアコボーネは従兄弟、脚本家、作家、製作者、短編映画も撮っている。A・G・イニャリトゥの最新作『レヴェナント 蘇りし者』の製作にも参加している。衣装デザインを担当したルチアナ・マルティは妻、既に6歳と2歳の息子がいる。2015年1月よりロスアンゼルスのベニス地区に転居、仕事の本拠地をアメリカに移している。
アメリカン・ドリームの挫折を描いた”Callback”*マラガ映画祭2016 ⑨ ― 2016年05月03日 15:48
監督と俳優が合作したスリラーが「金のジャスミン賞」
★オリジナル版の言語が英語という映画が作品賞を受賞した。スペイン語のできる英語話者が主人公の映画は珍しくなくなったが、カルレス・トラスの“Callback”は初めてのケースではないかと思う。10年ほど遡ってみたが該当する作品はなかった。ゴヤ賞を含め数々の賞に輝いたイサベル・コイシェの『あなたになら言える秘密のこと』(05)が同じケースだが、これはマラガでは上映されなかった。マラガは国際映画祭ではなく、スペイン語映画に特化している映画祭なのだが、製作国がスペインならOKという時代になったのでしょう。
★今回の金賞は大方の見方とは異なった結果になったようです。エル・パイスのレポートによると、話題の中心はイサキ・ラクエスタ&イサ・カンポの“La propera pell”とセバスティアン・ボレンステインの“Kóblic”の2作品に絞られていたそうです。開幕から観客の大きな輪ができていたのもこの2作品だった。つまり観客の受けはイマイチだったということかな。しかし審査員は結果的に“Callback”を選んだわけです。さて来年は第20回となる節目の年、大きなイベントが計画されているようです。

(マルティン・バシガルポをあしらったポスター)
“Callback”2016
製作:Zabriskie Films / Glass Eye Pix
監督・脚本・製作者:カルレス・トラス
脚本(共同):マルティン・バシガルポ
撮影:フアン・セバスティアン・バスケス
編集:エマーヌエル・ティツィアーニ
製作者(共同):マルティン・バシガルポ、ラリー・フェッセンデン、ティモシー・ギブス、他
データ:スペイン=米国、オリジナル言語英語、2016年、スリラー、80分、マラガ映画祭2016上映4月27日他、バルセロナ映画祭4月28日
キャスト:マルティン・バシガルポ(ラリー・デ・チェッコ)、リリー・スタイン(アレクサンドラ)、ラリー・フェッセンデン(ラリーの雇い主ジョー)、ティモシー・ギブス(福音派の牧師)
解説:ラリーは熱烈な福音主義のプロテスタント、引越し業者のもとで働いている。彼にはプロフェッショナルな大スターになるという夢があるがチャンスはなかなか巡ってこない。雇い主のジョーとは折り合いが悪く、孤独な一人暮らしを続けている。ある日、アレクサンドラという女性が彼の人生に入ってきたことでラリーの運命に転機が訪れる。運が向き始めたようにみえたが、ことごとく悪い方へ転がり始めてしまう。アメリカン・ドリームを抱いて一か八かやってくるが、ニューヨークのような大都会では多くの移民がフラストレーションと厳しい孤独に苦しむことになる。夢を果たせずに挫折する移民たちの物語。

(最優秀男優賞を受賞したマルティン・バシガルポ、映画“Callback”から)
★監督紹介:カルレス・トラスは、1974年バルセロナ生れ、監督、脚本家、製作者。カタルーニャ映画スタジオ・センター(CECC)で学ぶ。ベルリン映画祭の「Berlinale Talent Campus」の参加資格を得て、リドリー・スコット、スティーヴン・フリアーズ、ウォルター・サレス、クレール・ドニ、撮影監督クリストファー・ドイルなどのセミナーに出席した。長編映画は以下の通り:
2004“Joves”ラモン・テルメンスとの共同監督、バルセロナ映画賞新人監督賞受賞、他
2009“Trash”ガウディ賞監督賞ノミネーション、他
2011“Open 24H”監督・製作者、ガウディ賞監督賞ノミネーション、他
2016“Callback”

(マラガ映画祭でのカルレス・トラス監督)
★キャスト紹介:マルティン・バシガルポはチリ生れ、1975年からニューヨーク在住の俳優、脚本家、製作者。ロンドン、ベラルーシ共倭国の首都ミンスクの芸術アカデミー、ニューヨークの名門演劇学校ステラ・アドラー・スタジオなどで演劇を学ぶ。舞台デビューは2003年の『ハムレット』、2008年『セールスマンの死』、ほか昨年2015は『三人姉妹』など。アメリカン・ルネッサンス・シアター・カンパニーのメンバー。
★映画、TVは、マーリー・エルナンデスの短編“La Reclusa”(2013,USA、スペイン語、12分)でデビュー、アメリカのTVドラ“The Hunt with John Walsh”(2014,第4章Victim の1話)に出演、本作が本格的な長編映画デビューとなる。初長編で最優秀男優賞受賞が決して棚ボタでないことは経歴が証明している。脚本には彼の体験が色濃く反映されている。

(最優秀男優賞のトロフィーを掲げて、マルティン・バシガルポ)
★リリー・スタインは本作アレクサンドラ役がデビュー作、ラリー・フェッセンデンは1963年ニューヨーク生れ、ホラー映画でお目にかかっている。風貌がホラー映画『シャイニング』に出てくる太めのジャック・ニコルソンに似ている(笑)。ティモシー・ギブスは、1967年カリフォルニアのカラバサス生れ、劇場公開作品はないようだが、ダーレン・リン・バウズマンのサスペンス・ホラー『11:11:11』(米西、2011年11月11日にアメリカで公開、DVD)で主役を演じた。ほかにハイメ・ファレロのホラー・アクション『バンカー/地底要塞』(西、2015、DVD)にも出演している。

(リリー・スタイン、映画から)

(ラリー・フェッセンデン右側、映画から)

(マラガ映画祭でのティモシー・ギブス)
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