『エル・ニド』の監督ハイメ・デ・アルミニャン逝く*訃報 ― 2024年05月12日 14:25
ブラックコメディ「Mi querida señorita」に隠された批判精神
(在りし日のハイメ・デ・アルミニャン)
★去る4月9日、フランコ時代を生き抜いた監督にして脚本家、戯曲家のハイメ・デ・アルミニャンが97歳の長い生涯を閉じました。映画、テレビ、舞台と半世紀以上にわたって活躍した。1927年3月9日マドリード生れ、スペイン内戦時代の子供としてサンセバスティアンで育ちました。マドリードのコンプルテンセ大学で法学を学び、卒業後は弁護士のかたわら雑誌に記事を書き、1957年にTVシリーズの脚本家としてスタートを切りました。1950年代にはカルデロン・デ・ラ・バルカ賞やロペ・デ・ベガ賞など受賞歴のある劇作家としての地位を築いていた。当時人気のあったホセ・マリア・フォルケ監督作品の脚本を手掛けていました。以下に簡単なキャリア&フィルモグラフィーをアップしております。
★「Mi querida señorita」(72)と「El nido」(80)で2度の米アカデミー賞外国語映画(現在の国際長編映画)部門にノミネートされながら、日本での公開作品はおそらく『エル・ニド』1作かもしれません。妻を亡くしたばかりの初老の孤独な男にエクトル・アルテリオ、早熟で子供特有の攻撃性と嫉妬心を見事に演じた13歳の女の子にアナ・トレント、二人の複雑に絡み合った愛憎関係、誰からも理解されない無償の愛を描いた作品。民主主義移行期とはいえフランコ時代の残滓があった時代の映画としては斬新なテーマだった。1984年11月に開催された「第1回スペイン映画祭」(全10作)に『巣』の邦題で上映された後、1987年に上記のタイトル『エル・ニド』として公開されました。
(エクトル・アルテリオとアナ・トレント、『エル・ニド』から)
(日本語版のチラシ)
★この映画祭には『クエンカ事件』のピラール・ミロー監督を団長にフアン・アントニオ・バルデム、『血の婚礼』のカルロス・サウラ、『庭の悪魔』のマヌエル・グティエレス・アラゴン、『ミケルの死』のイマノル・ウリベ、『パスクアル・ドゥアルテ』のリカルド・フランコ、それにハイメ・デ・アルミニャンが各々自身の新作を携えて来日しました。この映画祭にはビクトル・エリセの『エル・スール 南』も上映されましたが、来日は翌年の公開まで待たされました。20世紀スペイン映画史に残る粒揃いだったことが分かります。
★アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされた「Mi querida señorita」(仮題「愛しのお嬢さま」)は、〈お嬢さま〉として育てられながら中年になって男性であることが分かり、性転換手術を受け、かつて女中として雇っていた若い女性に恋をするコメディ。女性が社会に出ることを求めていない教育制度のせいで、男性として生きようとするも仕事が見つからない。成人学級に入学して高等教育を受けるなどコメディ仕立てでカモフラージュされているが、性転換、タブーであった性的指向をテーマにしており、随所に社会批判が首をだす。フランコ検閲時代によく脚本がパスしたと思わずにいられない。脚本はホセ・ルイス・ボラウとの共同執筆、主役のホセ・ルイス・ロペス・バスケスがシカゴ映画祭1972の銀のヒューゴー賞主演男優賞を受賞した他、シネマ・ライターズ・サークル賞(監督・脚本・男優賞)、サン・ジョルディ賞1973の作品賞ほか受賞歴多数。
★第28回ゴヤ賞2014の栄誉賞を受賞、当時すでに86歳でしたが「シネアストに引退なんて言葉はないんです。私と同じ思いのシネアストたちは引退なんかできないのです」と語っていました。日刊紙エル・ムンドのコラムニストだったし、戯曲を執筆しておりましたから現役でした。しかし、映画は2008年の「14, Fabian Road」を最後に撮っておりません。本作はマラガ映画祭にノミネートされ、共同執筆した子息エドゥアルド・アルミニャンと銀のビスナガ脚本賞を受賞しました。愛の物語とはいえ、復讐、秘密、不信、許し、忘却が入りまじって語られ、何よりもキャストが素晴らしかった。『エル・ニド』主演のアナ・トレント、1995年の「El palomo cojo」出演のアンヘラ・モリーナ、アルゼンチン出身のフリエタ・カルディナリ、イタリアのオメロ・アントヌッティ、フェレ・マルティネスなどが起用された。
★代表作の一つ「El palomo cojo」には、1989年TVシリーズのヒット作「Juncal」(全7話)で主役の元花形闘牛士フンカルに扮したパコ・ラバル、アルモドバルのかつての「ミューズ」たちのカルメン・マウラやマリア・バランコも初めて参加した。サンセバスチャン映画祭セクション・オフィシアルにノミネートされ、翌年のゴヤ賞にも脚色賞にノミネートされましたが受賞は叶いませんでした。結局、ゴヤ賞は2014年の栄誉賞だけ、当時のスペイン映画アカデミー会長エンリケ・ゴンサレス・マチョからトロフィーを受けとりました。
(ハイメ・デ・アルミニャン、2014年1月20日、ゴヤ賞ガラ)
★1974年の「El amor del capitán Brando」は、ベルリン映画祭に出品され、観客賞を受賞、ナショナル・シンジケート・オブ・スペクタクル監督賞を受賞している。亡命先から帰国した初老の男と女教師、その教え子との三角関係を描いている。性的、政治的抑圧をテーマにすることからベルリンとは相性がよく、1985年の「Stico」も出品され、フェルナンド・フェルナン・ゴメスに銀熊主演男優賞をもたらした。
★時には過小評価されることもあったが、新しい世代のロス・ハビスことハビエル・アンブロッシとハビエル・カルボによって「Mi querida señorita」のリメイク版が製作されているようです。Netflixということなのでいずれ字幕入りで鑑賞できるかもしれません。
(ポスターとロス・ハビス)
厳しい年明けとなった2024年*新年のご挨拶 ― 2024年01月04日 20:22
世界も報道した令和6年能登半島地震と羽田空港飛行機事故
★新年早々石川県能登地方を震源地とする震度7の地震が発生、北海道から九州まで日本海側全域に出された大津波を含む津波警報や注意報、被害が明らかになるにつれ予想を超えた惨状に、これは唯事ではないと驚愕する。さらに翌日、羽田空港での追い打ちをかけるように起きた日本航空機と海上保安庁機の衝突事故、テレビに釘付けになったお正月の三日間でした。後者の全員脱出は「奇跡的だ」と報じられたが回避できた事故ではなかったか。しかし前者は、日本列島に住むかぎり避けられない。スペインでも日刊紙エルパイスの北京駐在記者が、輪島や能登半島の生々しい映像を配信している。原発に敏感なスペイン人向けに、NHK報道として志賀、柏崎刈羽原発の異常なしを報じている。そう願わずにいられません。
★昨年は時間の調整がうまく取れず、ブログにかぎらず何事にも言い訳をいろいろ模索した不本意な一年でした。確認というかウラの取れない情報は、個人的なブログとはいえ避けたいと、結局下書きどまりでアップできませんでした。どうも集中力の劣化にも原因がありそうです。2013年8月にデビューした当ブログも10年になり一区切りなのかもしれません。楽しくなくなったら止めるですね。
J. A. バヨナの『雪山の絆』のネット配信始まる
★今日からJ. A. バヨナの最新作『雪山の絆』がNetflixで配信開始、アカデミー賞はドイツ語ながらイギリス製作なので作品賞に回る可能性もあるが、ジョナサン・グレイザーの『ゾーン・オブ・インタレスト』が目玉らしい。しかしヴィム・ヴェンダースの『パーフェクト・デイズ』に続いて本作も高位置にあるので、ノミネートに残れるよう期待しています。
★昨年は年明けにアグスティ・ビリャロンガ監督(1月22日、享年74歳)、ゴヤ栄誉賞ガラ直前にカルロス・サウラ(2月10日、同91歳)、生涯現役を貫いた女優で歌手のコンチャ・ベラスコ(12月2日、84歳)、わずか46歳の若さで旅立った女優イツィアル・カストロ(12月8日)と、多くの映画人を見送りました。いずれ我も行く道ながら、またたく間に過ぎさる時間の重さに心が沈みます。サウラとビリャロンガは訃報をアップいたしましたが、コンチャとイツィアルは記事だけでしたので、在りし日のフォトで偲びたい。
★コンチャ・ベラスコは、1987年Bellas Artes金のメダル、2003年アカデミー金のメダル、2013年ゴヤ栄誉賞、2019年演劇の最高賞であるMax栄誉賞を受賞、10年前からリンパ腫と闘いながら現役に拘った女優でした。アルフレッド・ランダ、フアン・ディエゴなど多くの共演者のもとに旅立った。
(老いても品格を保ったコンチャ・ベラスコ)
(ゴヤ栄誉賞のトロフィーを手にしたコンチャ)
(告別式)
★イツィアル・カストロ(バルセロナ1977)の紹介記事は、ゴヤ賞助演女優賞ノミネートのエドゥアルド・カサノバの『スキン あなたにに触らせて』(17)が最初かもしれないが、パブロ・ベルヘルの『ブランカニエベス』(12)、アレックス・デ・ラ・イグレシアの『スガラムルディの魔女』(13)、ハビエル・フェセルの『だれもが愛しいチャンピオン』(18)と「Compeonex」(23)、パコ・プラサの『RECレック3ジェネシス』(12)など、字幕入りで見られた映画に脇役ですが多数出演している。
(エドゥアルド・カサノバのデビュー作『スキン あなたにに触らせて』から)
(監督とイツィアル・カストロ、ゴヤ賞2018ガラ)
★とにかく重量のある女優だったから長命は望めないと思っていたが、こんなに早く逝くなんて口惜しかったに違いない。自身が太めのレスビアンだったことで差別を受けていた。LGTBI運動、フェミニスト、不正義と闘う活動家、政治的には左派を表明していた。ゴヤ賞ガラにはいつも楽しいファッションで出席していたが、もう彼女の姿は見られない。受賞歴は『スキン あなたにに触らせて』でスペイン俳優組合新人賞、「Matar a Dios」でブエノスアイレス・ロホ・サングレ2017女優賞を受賞している。
(ゴヤ賞2022ガラに出席のイツィアル・カストロ)
ビリャロンガの遺作「Loli tormenta」*母へのオマージュ ― 2023年04月22日 18:45
アグスティ・ビリャロンガを偲ぶ会に集まった仲間たち
★3月30日、バルセロナのカタルーニャ・フィルモテカで、アグスティ・ビリャロンガを偲ぶ会がもたれました。遺作となった監督初のコメディ「Loli tormenta」の公開前日にチョモン・ホールで開催され、家族、友人、仲間が思い思いに故人の思い出を語りました。カタルーニャ自治州政府の文化大臣ナタリア・ガリガ、カタルーニャ映画アカデミー会長ジュディス・コレルも出席して開催された。コレル会長はフレンドリーでいつも周りを笑顔にしたアグスティについて「若いころはとてもハンサムだったのですよ」と、映画館に掲げられていた「Tras el cristal」の看板の写真に見とれて追突事故を起こした逸話を語った。
(アグスティ・ビリャロンガ)
★女優ロザ・ノベルが癌に倒れる直前を記録した中編ドキュメンタリー「El testament de la Rosa」(15、46分、仮題「ロザの遺言」)が上映されました。フィルモテカ館長エステベ・リアンバウが本作上映を選んだ理由について口火を切りました。本作は「病気との闘い」という側面と、長靴を履いたまま死ぬ、つまり「殉職する、または戦死する」という側面があり、「元気づけるものではありませんが、今宵にふさわしいと考えた。それは『El testament de la Rosa』がアグスティでもあるからです」と語った。デビュー作「Tras el cristal」(88)を選ぶこともできたが、目下デジタル化の過程にあり、新しいものは別の機会に上映されるようです。
(「El testament de la Rosa」のロザ・ノベル)
★ビリャロンガの妹パウラ・ビリャロンガは、大の映画ファンで息子を映画界に手引きした兄妹の父親、デビュー作公開を目前にして亡くなった父親からの手紙を披露した。『ブラック・ブレッド』やTV映画「Després de la pluja」出演の女優マリナ・ガテル、映画監督のロザ・ベルジェス、撮影監督ジョセップ・マリア・シビトやジャウメ・ペラカウラ、「El ventre del mar」や遺作の音楽を手がけた作曲家マルクスJGRは、監督が「まだ去っておらず、次の映画に私を呼ぶだろう」と語った。1978年にバルセロナの公立舞台芸術学校である演劇研究所でアグスティと一緒に学んだ2人のクラスメート、エウラリア・ゴマとセスク・ムレトは、ビリャロンガは「たちまち頭角をあらわした」とスピーチした。
ぶっつけ本番で撮影された、残された時間との闘い
★前置きが長くなりました。遺作「Loli tormenta」の作品紹介と主役ロリを演じたスシ・サンチェスのインタビュー記事を交えてアップします。既に癌に冒されていた監督に残された時間は僅かでしたが、皆にさよならを言う前にどうしても完成させたかった。監督は化学療法を一時中断して撮影に臨んでおり、健康状態は最悪だった。死後公開となった本作は、これまでの作品とは想像もできないほどの甘酸っぱい家族コメディで、去る3月31日封切られました。本作は娘が亡くなって、血縁関係のない2人の男の孫を育てることになったアルツハイマーの兆候が現れ始めたハッスルお祖母さんの物語です。
「Loli tormenta」(「3.000 obstáculos」)2023年
製作:3000 obstáculos A.I.E. / Crea SGR / Irusoin / Vilaüt Films / Film Factory Entertainment 協賛カタルーニャ自治州文化省 / ICAA / RTVE / TV3 / Movistar+、他
監督:アグスティ・ビリャロンガ
脚本:アグスティ・ビリャロンガ、マリオ・トレシーリャス
音楽:マルクスJGR
撮影:ジョセップ・マリア・シビト
編集:ベルナト・アラゴネス
キャスティング:イレネ・ロケ、(アシスタント)カルメン・ロペス・フランコ
プロダクション・デザイン:スザンナ・フェルナンデス、ジョルディ・ベラ
衣装デザイン:パウ・アウリ
メイクアップ&ヘアー:(ヘアー)クリスティナ・カパロス、(メイク)アルマ・カザル
製作者:フェルナンド・ラロンド、アリアドナ・ドット、ハビエル・ベルソサ、トノ・フォルゲラ、アンデル・サガルドイ、アンデル・バリナガ≂レメンテリア、(エグゼクティブ)マルタ・バルド
データ:製作国スペイン、スペイン語、2023年、コメディドラマ、94分、撮影地バルセロナの各地、2022年夏。配給キャラメル・フィルムズ、ユープラネット・ピクチャーズ、国際販売フィルム・ファクトリー、 公開スペイン2023年3月31日
キャスト:スシ・サンチェス(ロラ、ロリ)、ジョエル・ガルベス(孫ロベルト)、モル・ゴム(孫エドガー)、シャビ・サエス、ペパ・チャロ(ロッシおばさん)、セルソ・ブガーリョ(銀行家の父親トマス)、フェルナンド・エステソ(ラモンおじさん)、メテオラ・フォンタナ(ピラール)、カルメン・ロペス・フランコ(受付係)、ブランカ・スタル・オリベラ(トラム乗客)、マリア・アングラダ・セリャレス(リネト)、ほか
ストーリー:現代的で少し混沌が始まっているロラは、数年前に亡くなった娘の子供エドガーとロベルトを引き取ります。3人はバルセロナの郊外にある質素な家に住んでおり、彼らの静かな生活が劇的に変化すると疑うものは何もありません。ロラにアルツハイマー病の進行が顕著になってきますが、再び引き離されて里親に預けられることを望まない孫たちは、周りに病気の進行を隠すための素晴らしい創意工夫と溢れるファンタジーを凝らして世話をします。孫が祖母を世話するという逆転が起きてしまいます。元アスリートとして名声を博したロラは、陸上競技会出場のロベルトのように3000障害物レースに出場することになるでしょう。エキサイティングで謙虚な甘酸っぱい家族コメディ。
(左から、ロベルト、ロラ、エドガー)
★デビュー作「Tras el cristal」の公開直前に死去したという監督の父親は、15歳でスペイン内戦に引きずり込まれたという。その後血縁関係のないパルマでお針子をしていたロラ叔母さんに引き取られている。彼女がロリの人格造形に何か投影されているのだろうか。また監督より1年前に亡くなったという母親もアルツハイマー病だったことから、母親へのオマージュの側面もあるようです。老齢、死、アルツハイマー病、移民問題、エネルギー貧困、不動産投機、社会から孤立した人々など盛りだくさんな社会批判が盛り込まれている。しかし遊び心があり、あかるさに満ちた、いたずらっぽい作品に仕上がっているようです。その多くは主役ロラを演じたスシ・サンチェス(バレンシア1955)に負っている。彼女はラモン・サラサール『日曜日の憂鬱』でゴヤ賞2019主演女優賞、アラウダ・ルイス・デ・アスアの「Cinco lobitos」で助演女優賞を受賞したばかりです。現在スペイン映画アカデミー副会長です。
(ゴヤ賞助演女優賞のスシ・サンチェス、ゴヤ賞2023ガラ)
「ロリは考えない」従って「あなたも考えない」と監督
★以下の記事は、バルセロナに本部をおく「ラ・バングアルディア」紙との電話インタビューの抜粋です(4月3日)。サンチェスはクラウディア・レイニッケの「Reinas」の撮影でペルーからマドリードに戻ってきたばかりでした。
Q: 本作出演の経緯についての質問(女優はビリャロンガ作品は初出演)。
A: 以前から彼と一緒に仕事をしたいと夢見ていました。その贈り物が幸運にも届きましたが、彼の健康状態はひどいものでした。不平を言いませんでしたが、彼のような苦しみを見るのは辛かった。撮っている作品はコメディですから、監督の苦しみから切り離すのが困難でした。気温が40度、狭い部屋での撮影、リハーサルをする時間がなく、アグスティはそのことを私に詫びました。私たちに「ノー」はなく、常に「イエス」、その場でキャラクターを作りました。しかし、私はこの経験から多くを学んだのです。
Q: 監督とはどのように出会ったのですか。
A: 監督は次の映画(本作のこと)の主役が病気で出演できなくなり、代わりを緊急に見つける必要があった。共通の友人が私に会いに行くよう勧めたので、バルセロナのD'A映画祭上映の「Cinco lobitos」を見に来ました。少し話し合った後、私は彼に都合のつく時間があるから待ってほしいと言いました。脚本を読んで一緒に彼と旅をしたかったのです。今まで自分が演じてきた役柄とかけ離れていましたが、コミックのような役柄をした経験もあり、(ロリは)私を大いに魅了しました。二人の間に発見もあり、私は任せることにしたのです。
Q: 祖母役が多くなっていますが、主人公に最も惹かれたところは何でしょうか。
A: 幾つになったら、私の番になる(笑)。シェイクスピアからジュリエット役をもらえるとは思いません。もっともシニア版ならあり得ますが! ロリの魅力は、人生を前進させる能力です。ロリは「考えない女性」です。それは純粋な衝動であり、前進する生存本能です。スポーツと人生の挑戦を乗り切ることには似ているところがあり、人生への愛や物事の純粋さに対する大きな能力に惹かれました。彼女がいかに正直で、子供たちを心から世話していたか、実際ロリは闘士なのです。そして重要なのはアグスティが生きていた瞬間だったということです。
(撮影中の監督とサンチェス、2022年盛夏)
Q: あなたの人生でロリと同じくらい多くの困難に直面したでしょうか。
A: もちろん皆さんと同じです。人生は誰にとっても次々に問題が降りかかります。ロリは考えずに先に進みます。それはその瞬間を生きるよう私に教えてくれました。誰にとっても教訓だと思います。
監督が私たちに伝えたかったこと
Q: 本作はアルツハイマー病がテーマの一つになっています。
A: アルツハイマー病はすべてにおいて異なります。私はアルモドバルの『ジュリエッタ』でアルツハイマー病の女性をやりましたが、本作とは別のタイプでした。私の母親は人生の最後の3年間をホームにいましたので以前からこの病気の知識がありました。ホームで出会うアルツハイマー病の症例はそれぞれ違っておりました。監督の母親も患っていたので、彼の見解が大いに役立ちました。私たちの身近にある病気であり、これについて話したかった。一方には役に立たない要素としての老人ドラマや子供ドラマがあり、それは社会が私たちをそのように見ているからです。なぜなら高齢者はもはや成果を生み出せない、子供はまだ生み出していないからです。これについては否定したい、ここでは何が起こるかはユーモアで語られます。コメディの要素を加えたドラマです。まだ完成版を観ておりませんが、光の扱いは明るく、アグスティが指示したトーンも明るいものでした。彼は人生がもつ価値について希望に満ちたかたちで語りました。それが彼の伝えたかったことなのです。
Q: ベテランと新人をミックスしたキャスト陣についての質問。
A: アグスティは仲間のプロの俳優を呼びました。フェルナンド(・エステソ、ラモンおじさん)とは既に仕事をしていて、彼らは友達でした。一方子供たちはカメラの前に立つのは初体験で集中させるのが難しかった。しかし私とは最初から馬が合いました。私は二人に登場人物の名前で呼ぼうと提案しました。私のことをスシ以外のヤヤ(おばあちゃん)、ロリ、アブ(祖母abuela)など好きに呼んでいいと彼らに伝えました。まるでゲームのようでした。
(ラモンおじさん役のフェルナンド・エステソ、フレームから)
Q: あなたはロリと同じようにアスリートでしたか。
A: まさか! 若いころは陸上競技が好きでしたが、最近はスポーツをしておりません。最後にやったのが卓球です(笑)。
(ゴールのテープを切るロリ)
Q: 監督とお別れができたかどうかの質問。
A: 撮影終了後、中断していた化学療法を再開していたマドリードで会いました。フィルム編集はほぼ終わっていて、完成して直ぐ亡くなりました。それは信じられないほどの努力でした。私はマドリードで別れを告げました。彼に感謝し抱擁しました。私の演技がどうだったかより、彼の状態が心配でした。撮影中は楽しい時間を過ごせました。彼は生き生きとして、物事をじっくり説明し、模範を示し、皆を巻き込んでしまいました。
★ラ・バングアルディア紙以外のインタビュー記事も何紙か読みましたが、なかでこれが一番纏まっておりました。冒頭のシーンで祖母と孫が一緒に歌うバスクの子守歌「Cinco lobitos」が流れるようですが、上述したようにサンチェスは、同じ名前の映画「Cinco lobitos」に祖母役で出演していました。偶然の結果そうなったということです。脚本は映画より前に書かれたもので、サンチェスは「脚本を読んだとき偶然以上の前兆のようなものを感じた」と語っています。
★共同執筆者のマリオ・トレシーリャス(バルセロナ1971)が、本作をベースにしたコミック版 “Loli tormanta” を上梓、3月30日に書店の棚に並びました。彼は作家兼脚本家、またテコンドーのフライ級元チャンピオン、バルセロナ県サン・クガのスペインチームのメンバーでした。その後、広告ディレクター、映画とコミックの脚本家など幾つもの職業を経て、4年間「エル・ペリオディコ」のコラムニストでした。2008年、世界中の子供たちと一緒にアニメーションを制作するプロジェクト「PDA-films」を設立、国際コンペティションでも受賞しています。2009年、グラフィックノベル “Santo Cristo”、2010年 “El hijo”、2015年 ”DreamTeam” は現在フランスで映画化が検討されているということです。2019年には ”El original” が出版された。
(“Loli tormanta”の表紙)
★キャスト紹介:フェルナンド・エステソは、ビリャロンガの「Incerta glòria」に出演、どちらかというと映画より脇役としてTV出演が多い。2017年アルフレッド・コントレラスの「Luces」で刑事役を演じ、ラティノ賞2018男優賞を受賞した。盟友ビリャロンガとカルロス・サウラを立て続けに失い、ゴヤ賞短編ドキュメンタリー賞のプレゼンターを務めた折には、あちらの二人に向けて「もう直ぐそちらに行くから、映画撮るなら私の役も忘れないでくれよ」と語りかけた。
★もう一人のベテランセルソ・ブガーリョ(ガリシアのポンテベドラ1947)の一番知名度のある映画はアメナバルの『海を飛ぶ夢』でしょうか。彼は主人公の父親役でゴヤ賞2005助演男優賞を受賞した。他にフェルナンド・レオン・デ・アラノアの『月曜日にひなたぼっこ』や「El buen patrón」、ホセ・ルイス・クエルダの『蝶の舌』、マヌエル・ウエルガの『サルバドールの朝』など、字幕入りで見られる映画に出演している。
(父親トマス役のセルソ・ブガーリョとスシ・サンチェス)
★女優陣では、ロッシおばさん役のぺパ・チャロ(マドリード1977)は、ビリャロンガの『アロ・トルブキン』、TVムービー「Carta a Eva」に出演している。ピラール役のメテオラ・フォンタナ(ベローナ1958)は、『ハウス・オブ・フラワーズ:ザ・ムービー』(Netflix)、『バルド』など。今回女優とキャスティングを掛け持ちしているカルメン・ロペス・フランコはキャスティングに軸足をおいているようです。
(スシ・サンチェス、ペパ・チャロ、後方フェルナンド・エステソ)
★カタルーニャとバスクの仲間が参加した本作が、いずれ本邦でも鑑賞できることを願っています。アグスティ、あなたがいなくなっても、他の人があなたの映画を守ります。じゃ、またね。
アグスティ・ビリャロンガ逝く*闇と光の世界を生きる ― 2023年04月14日 18:39
映画への情熱を手引きした郵便配達人の父親
★去る1月22日の明け方、アグスティ・ビリャロンガが突然別れを告げました。カタルーニャ映画アカデミーは「今朝、映画監督のアグスティ・ビリャロンガは、私たちをバルセロナに残して、愛する家族や友人に見守られて旅立ちました。彼の才能、感性、豊かな愛に満ちた包容力、そして数々の映画は永遠に残るでしょう」と報じた。彼が人生の最後の2年間闘ってきた癌は、スペインの支配的な傾向に逆らって、ユニークな作品を作り続けた、この並外れた映画人を連れ去りました。1週間の緩和ケアの後、バルセロナで69歳の生涯を閉じたということですから、突然ではなかったわけです。当ブログで紹介した「El ventre del mar」がマラガ映画祭2021で作品賞以下6冠を制したときには、既に闘病中だったことになります。
★訃報のアップは本当に気が重い。特に彼のように早すぎる死は猶更です。ガウディ賞の受賞者としてバルセロナ派を牽引してきただけにその死は惜しまれてなりません。ガウディ賞は毎年アップしていたわけではありませんが、今年は気が滅入ってアップする気になれませんでした。なにしろ旅立ちは、第15回ガウディ賞授賞式の当日でした。ガラはビリャロンガ逝くの追悼式のようだったということでした。因みに受賞結果は、発表を待つまでもなく作品賞はカタルーニャ語部門がカルラ・シモンの「Alcarràs」、カタルーニャ語以外の部門はゴヤ賞ではノミネートさえされなかったアルベルト・セラの『パシフィクション』と、下馬評通りの結果でした。
(在りし日のビリャロンガ、サンセバスチャン映画祭2010)
★ビリャロンガと言えば、カタルーニャ語映画が初めてゴヤ賞を受賞した「Pa negre」(2010「Pan negro」)でしょうか。本作はラテンビート映画祭2011で上映され、翌年『ブラック・ブレッド』の邦題で公開されました。ゴヤ賞では作品賞を含めて9部門を制覇、彼自身も監督賞と脚本賞の2冠、ガウディ賞は13冠とほぼ総なめ状態でした。その他サンジョルディ賞、トゥリア賞、フォトグラマス・デ・プラタ賞、アリエル賞(イベロアメリカ部門)作品賞などを受賞しています。
*まだ当ブログは存在しておらず、目下休眠中のCabinaさんブログに、テーマ、監督キャリア&キャスト紹介などをコメントとして投稿しています。(コチラ⇒2011年03月03日)
(受賞スピーチをするビリャロンガ、監督・脚本賞を受賞したゴヤ賞2011から)
★1953年3月4日、パルマ・デ・マジョルカ生れ、監督、脚本家、俳優。スペイン内戦時に15歳で戦線に引きずり込まれた父親から映画への情熱を植え付けられた。カタルーニャの操り人形師の家系に生まれた父親は、後にパルマに定住して郵便配達員として働いていた。彼は映画に情熱を注ぎ息子アグスティを映画の世界に導きました。父親の影響を受けた息子はデッサン、マッチ箱、懐中電灯を使って手作りの映写機を作ったほど映画に熱中した。
★監督が「El ventre del mar」のプロモーションの過程で語ったところによると、「14歳で映画監督になる決心をして、ローマの映画学校のロベルト・ロッセリーニに手紙を書いた。彼の学校に本当に入りたかったのです。しかし若すぎるという理由で拒否されました」。彼らはまず大学を卒業すべきだと返事してきた。イエズス会の中学校を終了していた十代のアグスティはやや失望しパルマを出ることにした。バルセロナ自治大学で美術史を専攻して学位を取り、その後バルセロナの公立舞台芸術学校である演劇研究所 Institut del Teatre に入学、舞台美術を学んだ。当時を振り返って「今は彼(ロッセリーニ)の映画はあまり好きではありません。若いころには理解できなかったパゾリーニに情熱を注いでいます」と、またイングマール・ベルイマン映画にも言及し、彼は「私に多くの足跡を残した」と同じインタビューに答えている。
(「El ventre del mar」のカタルーニャ語版ポスター)
俳優としてキャリアをスタートさせた―ヌリア・エスペルトとの出会い
★キャリアをスタートさせて間もなく、ビクトル・ガルシアと出会い、女優で演出家のヌリア・エスペルトが設立した劇団に俳優として入る。ガルシア・ロルカの『イェルマ』ツアーに参加、ヨーロッパ、アメリカを巡業する。帰国後映画俳優としてホセ・ラモン・ララスの「El fin de la inocencia」(77)、フアン・ホセ・ポルトの「El último guateque」(78)、ホセ・アントニオ・デ・ラ・ロマの「Perros callejeros II」(79)などに出演する。しかし1982年、製作者のぺポン・コロミナスが彼を監督業に引き戻した。というのも彼は既に短編3作を撮っていたのである。
★そして誕生したのが、長編デビュー作「Tras el cristal」(86、110分)である。ギュンター・マイスナー、マリサ・パレデス、ダビ・スストを起用したホラー・サスペンス。ベルリン映画祭で上映され、ムルシア・スペイン映画週間で初監督に与えられるオペラ・プリマ賞を受賞、ほかサンジョルディ賞1988のオペラ・プリマ賞も受賞した。第2作となるSFファンタジー「El niño de la runa」はカンヌ映画祭1989コンペティション部門にノミネートされ、翌年のゴヤ賞オリジナル脚本賞を受賞、監督賞にノミネートされた。キャストはマリベル・マルティンやルチア・ボゼーのようなベテラン女優を軸に、前作出演のギュンター・マイスナーやダビ・スストを起用している。本邦では1992年『月の子ども』の邦題で公開された。
(公開された『月の子ども』のポスター)
★メルセ・ロドレダの小説 “La mort de primavera” の映画化を模索したが、製作者を見つけることができなかった。1997年、マリア・バランコを主役に据え、テレレ・パベスやルス・ガブリエルで脇を固めたホラー「99.9」は、モントリオール、トロント、ローマ、各映画祭で上映されシッチェス映画祭に正式出品された。撮影を手がけたハビエル・アギレサロベが撮影賞、彼はヨーロッパ・ファンタジー映画に贈られる銀のメリエス賞を受賞した。続いて現れたのが同性愛をテーマにした「El mar」(邦題『海へ還る日』)である。カタルーニャ語を採用、生れ故郷マジョルカで撮られた本作はベルリン映画祭2000に出品され、新しく設けられた独立系映画に与えられるマンフレッド・ザルツベルガー賞を受賞して、認知度は国際的になった。ザルツベルガーはテディ賞生みの親の一人、20世紀ドイツのLGBT運動の推進者である。本作で映画デビューした、後の『ブラック・ブレッド』や「El ventre del mar」に出演したロジェール・カザマジョールとの出会いがあった。
*「El mar」の作品紹介、ロジェール・カザマジョールのフィルモグラフィー&キャリア紹介は、コチラ⇒2021年06月24日
(カザマジョールを配した『海へ還る日』のポスター)
★2002年、サンセバスチャン映画祭を驚かせた「Aro Tolbukhin (en la mente del asesino)」(メキシコとの合作)は、メキシカン・ヌーベルバーグと称された偽造ドキュメンタリーである。アイザック=ピエール・ラシネ、リディア・ジマーマンとの共同監督、翌年のアリエル賞を作品賞以下全カテゴリーにノミネートされるも作品賞には及ばなかった。しかし脚本賞を含む7冠を制し、時間の経過とともにファンを増やしていった。ハンガリーの船乗りで連続殺人犯アロ・トロブキンがグアテマラに逃亡し捕らえられ銃殺刑になるまでを描き、彼の犯罪の背後にある「殺人者の心のなか」の闇に迫った。実際のドキュメンタリー映像を広範囲に使用しているが、これはドラマであってドキュメンタリーではない。本作は後にラテンビート映画祭に統一された第1回「ヒスパニックビート2004」に、『アロ・トルブキン―殺人の記憶』として上映されている。
『ブラック・ブレッド』がルールを変えた
★海外での評価と人気はあってもスペイン全体に届いたとは言えなかった。彼はしばらく映画を離れカタルーニャTV映画「Després de la pluja」(07「After the Rain」)やTVシリーズのドキュメンタリーを手がけている。何作か映画製作を模索していたが、いずれも財政的な支援が得られなかったようだ。2010年、一部の批判的な評価を覆した『ブラック・ブレッド』(フランスとの合作)が到着した。
★本作はエミリ・テシドール(1932~2012)の同名小説 “Pa negre” を軸に、彼の2冊の小説をベースにして映画化されたダークミステリーである。内戦後のカタルーニャの小さな町に起きた不可解な事件を軸に、1940年代を生きた少年アンドレウに焦点を当て、真実を求める過程で過去の亡霊に出会うなかで自分のセクシュアリティに目覚める。少年は嘘と欺瞞に満ちた大人たちを許すことなくモンスターに変貌していく。マドリード派が優勢なゴヤ賞も14部門ノミネート、作品賞を含む9冠に輝いた。ゴヤ賞2011年のライバル作品は、ロドリゴ・コルテスの『リミット』、イシアル・ボリャインの『ザ・ウォーター・ウォー』、アレックス・デ・ラ・イグレシアの『気狂いピエロの決闘』と誰が受賞してもおかしくない豊作の年、いずれも公開されている。ガウディ賞は13冠、プレミアされたサンセバスチャン映画祭では、少年の母親に扮したノラ・ナバスが女優賞を受賞した。
(少年アンドレウを配したオリジナル・ポスター)
(左から、アグスティ・ビリャロンガ、ロドリゴ・コルテス、イシアル・ボリャイン、
アレックス・デ・ラ・イグレシア、ゴヤ賞2011ノミネートの4監督)
★サンセバスチャン映画祭2012でプレミアされたTVミニシリーズ「Carta a Eva」(2話)を製作、翌年放映された。アルゼンチンのエバ・ペロンのヨーロッパ・ツアーをめぐるドラマである。エバにはアルゼンチンのフリエタ・カルディナルが主演、フランコ総統にヘスス・カステジョン、ほかアナ・トレント、カルメン・マウラ、ノラ・ナバスなどスペインサイドが出演している。2015年の「El rey de La Habana」は、ラテンビート2015で『ザ・キング・オブ・ハバナ』の邦題で上映された折、当ブログで作品紹介をしています。ペドロ・フアン・グティエレスの不穏な同名小説の映画化。亡命することなくキューバに止まり、故国の悲惨を弾劾しつづけている作家、詩人、ジャーナリスト、。
*『ザ・キング・オブ・ハバナ』の原作者&作品紹介は、
★中編ドキュメンタリー「El testament de la Rosa」(16、仮題「ロザの遺言」45分)は、女優ロザ・ノベル(バルセロナ1953-2015)が癌で亡くなる直前をカメラに収めたドキュメンタリー。既に視力を失っていた女優の最後の作品(コルム・トビンの「El testament de la Maria」)になるであろう舞台リハーサルをモノクロで追っている。結果的には亡くなってしまったのでブランカ・ポルテーリョが演じた。本作には監督自身と『海へ還る日』や『ブラック・ブレッド』の製作者イソナ・パッソラ、脚本家エドゥアルド・メンドサ、テレビでの活躍が多い女優フランセスカ・ピニョンが出演している。バジャドリード映画祭2016でプレミアされた。
(ブランカ・ポルテーリョと監督)
★2017年、時代背景を1937年のスペイン内戦中のアラゴン戦線にした「Incerta glòria」は、ジョアン・サレスの同名小説の映画化、ゴヤ賞では脚色賞に共同執筆のコラル・クルスとノミネート、ガウディ賞はキャスト陣、技術部門のスタッフにトロフィーを多数もたらしたが、監督自身は無冠に終わった。2019年にはアンドレス・ビセンテ・ゴメスがプロデュースした「Nacido rey」(言語は英語「Born a King」)が公開された。サウジアラビアの偉大な君主として知られるファイサル国王(1906~75)のビオピックである。監督は「私は映画が大好きで、お金目当てではありません。本作はアラブ諸国で撮影されましたが、経済的なもの以外の魅力も加えました。本題に無関係な話を差し挟むような依頼は受けておりません」と語っている。
★2021年の「El ventre del mar」がマラガ映画祭2021に正式出品され、上述したように金のビスナガ作品賞を含む6冠を制した(金のビスナガ作品賞・監督・脚本・撮影・音楽・男優賞)。作品紹介は簡単ですがアップ済みです。イタリアの作家アレッサンドロ・バリッコが実話に基づいて書いた小説 ”Océano mar” にインスパイアーされて製作されている。本作に「20年間取りくんできた」ということです。遺作となったスシ・サンチェスを主役に起用したコメディ「Loli Tormenta」(23)は、先月末に公開された。本作については別個に紹介したい。
*「El ventre del mar」の作品紹介、マラガFFガ授賞式の様子は、
(銀のビスナガ監督賞を受賞、マラガFF2021 授賞式)
★生涯を通じて演技者としても活躍していたが、最後の作品はルーマニアのコルネリュ・ポルンボイュの「La gomera」出演で、冷徹なマフィアに扮した。ルーマニア、フランス、ドイツなどの合作映画だが、原題の「ラ・ゴメラ」はカナリア諸島の島名から採られている。カンヌ映画祭2019に出品され、今回は演技者としてカンヌを訪れた。2021年に『ホイッスラーズ 誓いの口笛』の邦題でWOWOWで放映され、プライムビデオでも配信されている。
★変わり者が多いスペインでも独特の作風をもつ監督として駆け抜けたビリャロンガですが、晩年「私のスタイルにとても近い人を見つけることはできませんが、今日では私は変わり者 bicho raro ではないと思います。ただ自分にできることをするだけです」と、フィルモグラフィーを振り返って語っている。彼は比較的早い段階で性的マイノリティを公表していたが、こどものときから「人と違うこと」に敏感だった。その内なる世界は『ブラック・ブレッド』の少年アンドレウや『海へ還る日』の青年に投影されている。
◎上記以外の受賞歴
2001年、カタルーニャ自治州の文化省が選考母体のカタルーニャ映画国民賞を受賞した。前年に国際的な活躍をした人に贈られる賞、映画のほか文学・音楽など各分野から原則1年に1人選ばれる。彼の場合は2000年の『海へ還る日』の成功によるものと思われる。
2011年、スペイン文化省が選考母体の映画国民賞を受賞、2010年の『ブラック・ブレッド』が評価されたことによる。
2012年、ゲイ-レスボ映画と舞台芸術国際フェスティバル栄誉賞、カタルーニャ・ラテンアメリカ映画祭ジョルディ・ダウダ賞などを受賞した。
2021年12月1日、芸術功労金のメダルを受賞、国王フェリペ6世、レティシア王妃列席のもと授与された。
(左から一人おいて、国王フェリペ6世、王妃レティシア、ビリャロンガ、
背後に控えているのがミケル・イセタ教育・文化・スポーツ大臣)
第37回ゴヤ賞の夕べ―結果発表*ゴヤ賞2023 ⑫ ― 2023年02月17日 10:57
「アディオス、マエストロ!」で開幕、ソロゴジェンの『ザ・ビースト』で終幕
★去る2月11日、第37回ゴヤ賞2023授賞式がセビーリャの FIBES で開催されましたが、例年とは異なってゴヤ栄誉賞受賞者カルロス・サウラ急逝のニュースが駆け巡り、「アディオス、マエストロ」の幕開けとなりました。しかし一つの作品にゴヤ胸像が集中したのは例年通り、ロドリゴ・ソロゴジェンの『ザ・ビースト』独占の夕べとなりました。監督は登壇した受賞者たちの感謝の言葉に何度も涙することになりました。総合司会者なしでプレゼンターは、アントニオ・デ・ラ・トーレとクララ・ラゴでした。
★『ザ・ビースト』が作品・監督・主演男優・オリジナル脚本・助演男優・撮影・編集・録音・オリジナル作曲賞の9部門を制覇、アルベルト・ロドリゲスの「Modelo 77」が特殊効果・美術・メイクアップ・衣装デザイン・プロダクションの5部門、続くアラウダ・ルイス・デ・アスアの「Cinco lobitos」の新人監督・主演女優・助演女優の3部門、この3作で17部門を攫う結果となり、なんと11部門ノミネートのカルラ・シモンの「Alcarràs」は無冠に終わるという番狂わせになりました。
★長くても2時間半以内と予告されていましたが、サウラへのオマージュに30分ほど要し、終了したのは翌日の1時近くでした。サウラと困難な時代を共に歩んできたフェルナンド・メンデス≂レイテ新会長も目を赤くしてマエストロの死を悼みました。2週間間前に開催されたフェロス賞の流れを汲んでか、黒一色で埋め尽くされた感のある会場でした。また政治色の強い授賞式でサンチェス首相以下、イセタ文化教育相、ディアス労働相など閣僚数人が招待客に並んでおりました。
★作品賞のプレゼンターは、フェルナンド・トゥルエバの『ベルエポック』30周年を記念して、4人姉妹を演じた、ミリアム・ディアス≂アロカ、アリアドナ・ヒル、マリベル・ベルドゥ、ペネロペ・クルスの4女優が勢揃いするという豪華版でした。
(左から、アリアドナ・ヒル、ペネロペ・クルス、
ミリアム・ディアス≂アロカ、マリベル・ベルドゥ)
*第37回ゴヤ賞2022結果発表全28カテゴリー*
◎作品賞
「Alcarras」カルラ・シモン(11個)
「Cinco lobitos」アラウダ・ルイス・デ・アスア(11個)
「La maternal」ピラール・パロメロ(3個)
「Modelo 77」アルベルト・ロドリゲス(16個)
「As bestas」ロドリゴ・ソロゴジェン監督、邦題『ザ・ビースト』(東京国際映画祭)
製作:Arcadia Motion Picture / Caballo Films / Cronos Entertinment / Le Pacto 協賛RTVE 他多数、製作者:サンドラ・タピア、イグナシ・エスタペ、イボン・コルメンサナ、他多数
◎監督賞
カルラ・シモン「Alcarras」
ピラール・パロメロ「La maternal」
カルロス・ベルムト「Manticora」『マンティコア』(東京国際映画祭)
アルベルト・ロドリゲス「Modelo 77」
ロドリゴ・ソロゴジェン「As bestas」
*プレゼンターは、目下パリ在住のイランのミトラ・ファラハニ監督とフアン・アントニオ・バヨナ監督、イランの監督は故国の政治弾圧のために闘っている人々の生命と自由、特に差別に苦しむ女性たちの救援を訴えました。スペインの監督が訴えに呼応すると、会場から拍手が沸き起こりました。ファラハニはドキュメンタリー「See You Friday, Robinson」がベルリン映画祭2022でエンカウンターズ部門の-特別審査員賞を受賞している。
(ソロゴジェン、ミトラ・ファラハニ、J. A. バヨナ)
◎新人監督賞
カルロタ・ペレダ「Cerdita」
エレナ・ロペス・リエラ「El agua」邦題『ザ・ウォーター』(東京国際映画祭)
フアン・ディエゴ・ボット「En los márgenes」
ミケル・グレア「Suro」
アラウダ・ルイス・デ・アスア「Cinco lobitos」
*プレゼンターは、『リベルタード』(21)で同賞を受賞したクララ・ロケでした。
◎主演女優賞
マリナ・フォイス「As bestas」
アンナ・カスティーリョ「Girasoles silvestres」監督ハイメ・ロサーレス
バルバラ・レニー「Los renglones torcidos de Dios」監督オリオル・パウロ
ヴィッキー・ルエンゴ「Suro」
ライア・コスタ「Cinco lobitos」
*ブランカ・ポルティーニョとノラ・ナバスという大先輩からトロフィーを受け取り、実に光栄なことでした。フェロス賞に続いての受賞。フランスから来西したマリナ・フォイス、二人の子供の母親を演じたアンナ・カスティーリョ、微妙にすれ違う若い妻を演じたヴィッキー・ルエンゴは残念でした。バルバラ・レニーは出産したばかりで欠席しました。
◎主演男優賞
ルイス・トサール「En los márgenes」
ナチョ・サンチェス「Manticora」
ハビエル・グティエレス「Modelo 77」
ミゲル・エラン「Modelo 77」
ドゥニ・メノーシュ「As bestas」
*フランスから来西した甲斐がありました。「スペインに引っ越そうかと思います。たくさんの愛を頂きました」とスピーチ。その後はスマホと老眼鏡を取り出して入力したスペイン語原稿を読み上げました。撮影中はスペインの家族同様に和気あいあいと過ごすことができたとスピーチ、「男性たちの頑迷さを前にした女性たちの力強さと愛に敬意を表する」とリップサービスも忘れず会場を盛り上げた。彼が手にするとトロフィーが小さく見えました。おそらく外国人俳優が受賞した第1号でしょうか。フェロス賞はナチョ・サンチェスと評価が分かれました。プレゼンターはアシエル・エチェアンディアとレオナルド・スバラグリア。
◎オリジナル脚本賞
アルナウ・ピラロ&カルラ・シモン「Alcarras」
アラウダ・ルイス・デ・アスア「Cinco lobitos」
カルロス・ベルムト「Manticora」
アルベルト・ロドリゲス&ラファエル・コボス「Modelo 77」
イサベル・ペーニャ&ロドリゴ・ソロゴジェン「As bestas」
*プレゼンターは、ダニエル・サンチェス・アレバロでした。二人で登壇しましたがスピーチはイサベル・ペーニャだけでした。フェロス賞はアラウダ・ルイス・デ・アスア。
◎脚色賞
カルロタ・ペレダ「Cerdita」
パウル・ウルキホ・アリホ「Irati」監督は脚色に同じ、バスク語
ギレム・クルア&オリオル・パウロ「Los renglones torcidos de Dios」
ダビ・ムニョス&フェリックス・ビスカレット「No mires a los ojos」
監督フェリックス・ビスカレット
フラン・アラウホ、イサ・カンポ、イサキ・ラクエスタ「Un año, una noche」イサキ・ラクエスタ
*3人登壇し、イサ・カンポ、フラン・アラウホ、イサキ・ラクエスタの順にスピーチしました。本作の受賞は脚色賞だけでした。
(イサキ・ラクエスタ、イサ・カンポ、フラン・アラウホ)
◎助演女優賞
マリー・コロン「As bestas」
カルメン・マチ「Cerdita」
ペネロペ・クルス「En los márgenes」
アンヘラ・セルバンテス「La maternal」
スシ・サンチェス「Cinco lobitos」
*スペイン映画アカデミー副会長のスシ・サンチェスに軍配が揚がりました。すでに2個のゴヤ賞保持者、予期していなかったのか大分興奮して直ぐにはスピーチができないほどでした。女性監督の作品で受賞できたことが嬉しかったそうです。このカテゴリーは誰が取ってもおかしくない激戦区でしたが、フランスから来西したマリー・コロンは残念でした。プレゼンターは、ペトラ・マルティネスとベレン・クエスタ、二人はそれぞれ主演女優賞を受賞しています。
◎助演男優賞
ディエゴ・アニド「As bestas」
ラモン・バレア「Cinco lobitos」
フェルナンド・テヘロ「Modelo 77」
ヘスス・カロサ「Modelo 77」
ルイス・サエラ「As bestas」
*プレゼンターは、アイタナ・サンチェス≂ヒホン、例年ですと受賞者発表は助演男優賞から始まりますが、今年はカルロス・サウラ急逝でゴヤ栄誉賞で開始されました。予想通りの受賞ですが、フェロス賞に続いての受賞でした。
◎新人女優賞
アナ・オティン「Alcarras」
ルナ・ラミエス「El agua」
バレリア・ソローリャ「La consagración de la primavera」監督フェルナンド・フランコ
ゾーイ・スタイン「Manticora」
ラウラ・ガラン「Cerdita」
*文句なしの受賞ですが貫禄勝ちかもしれません。一度見たら忘れられない強烈な女優です。プレゼンターは、ロス・ハビスことハビエル・カルボ&ハビエル・アンブロッシとアブリル・サモラでした。
◎新人男優賞
アルベルト・ボッシュ「Alcarras」
ジョルディ・プジョル・ドルセト「Alcarras」
ミケル・ブスタマンテ「Cinco lobitos」
クリスティアン・チェカ「En los márgenes」
テルモ・イルレタ「La consagración de la primavera」
*車椅子で登壇した34歳の新人は、2歳のとき脳炎が原因で脳性まひになった由、「私たちは存在しています、そしてセックスもします」と語り、障害者の可視化を印象づけました。「本当に嬉しい」と「ありがとう」を繰り返し、女優のエレナ・イルレタの甥だそうで彼女にトロフィーを捧げると語った。プレゼンターはキム・グティエレス。
◎アニメーション賞
「Black is Beltza II: Ainhoa」 監督フェルミン・ムグルザ
「Inspector Sun y la maldición de la viuda negra」 監督フリオ・ソト・グルピデ
「Los demonios de barro」 監督ヌノ・ベアト
「Tadeo Jones 3, La tabla esmeralda」 監督エンリケ・ガト
「Unicorn Wars」 監督アルベルト・バスケス
*下馬評通りの受賞でした。プレゼンターはマカレナ・ゴメス。
◎ドキュメンタリー賞
「A las mujeres de España. María Lejárraga」 監督Laura Hojman
「El sostre groc (El techo amarillo)」 監督イサベル・コイシェ
「Oswald. El falsificador」 監督キケ・マイリョ
「Sintiéndolo mucho」 監督フェルナンド・レオン・デ・アラノア
「Labordeta, un hombre sin más」 監督パウラ・ラボルデタ&ガイスカ・ウレスティ
*ラボルデタ監督は天国のパパに受賞を報告しました。
◎ヨーロッパ映画賞
「Berfast」(イギリス)監督ケネス・ブラナー、邦題『ベルファスト』
「Fue la mano de Dios」(イタリア)監督パオロ・ソレンティーノ、
邦題『Hand of God-神の手が触れた日-』
「Las ilusiones perdidas」(フランス)監督グザヴィエ・ジャノリ、邦題『幻滅』
「Un pequeño mundo」(ベルギー)監督ローラ・ワンデル、邦題『プレイグラウンド』
(なら国際映画祭2022)
「La peor persona del mundo」(ノルウェー)監督ヨアキム・トリアー、
邦題『わたしは最悪。』
*ノミネートされても誰も来西せずしらけるから、一時はカテゴリーから外す案もありましたが、最近は出席することが多くなりました。監督、製作者の来西はなく、スペインの配給会社のエンリケ・コスタが登壇、代理で受け取りました。プレゼンターはベレン・ルエダ。
(エンリケ・コスタがスピーチした)
◎イベロアメリカ映画賞
「1976」(チリ)監督マヌエラ・マルテッリ、邦題『1976』(東京国際映画祭)
「La jauría」(コロンビア)監督アンドレス・ラミレス・プリド、邦題『ラ・ハウリア』
(東京国際映画祭)
「Noche de fuego」(メキシコ)監督タチアナ・ウエソ、
「Utama」(ボリビア)アレハンドロ・ロアイサ・グリシ、邦題『UTAMA~私たちの家~』
(Skipシティ国際Dシネマ映画祭)
「Argentina, 1985」(アルゼンチン)監督サンティアゴ・ミトレ、
邦題『アルゼンチン 1985』
*長いあいだ独裁政権下で苦しんだこともあって下馬評通りになりました。3月12日開催のアカデミー賞の根回しで忙しいのか、監督と主演のリカルド・ダリンは姿を見せませんでした。副検事役のピーター・ランサニが受け取りスピーチしました。
(中央がピーター・ランサニ、製作者)
◎撮影賞
ダニエラ・カヒアス「Alcarras」
ジョン・D.・ドミンゲス「Cinco lobitos」
アルナウ・バルス「Competencia oficial」 監督ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン
アレックス・カタラン「Modelo 77」
アレックス・デ・パブロ「As bestas」
*アレックス・デ・パブロ欠席で、ソロゴジェンが代理で受け取りました。
◎編集賞
アナ・プラッフ「Alcarras」
アンドレス・ジル「Cinco lobitos」
ホセ・M.G.・モヤノ「Modelo 77」
セルジ・ディエス&フェルナンド・フランコ「Un año, una noche」
アルベルト・デル・カンポ「As bestas」
*プレゼンターはハビエル・レイ。
◎録音賞
エバ・バリニョ、トマス・ジオルジ、アレハンドロ・カスティーリョ「Alcarras」
アシエル・ゴンサレス、エバ・デ・ラ・フエンテス、ロベルト・フェルナンデス「Cinco lobitos」
ダニエル・デ・サヤス、ミゲル・ウエルテ、ペラヨ・グティエレス他「Modelo 77」
アマンダ・ビリャビエハ、エバ・バリニョ、アレハンドロ・カスティーリョ他「Un año, una noche」
アイトル・べレンゲル、ファビオラ・オルドヨ、ヤスミナ・プラデラス「As bestas」
*プレゼンターは、イングリッド・ガルシア・ヨンソン。
(左から、ヤスミナ・プラデラス、アイトル・ベレンゲル、ファビオラ・オルドヨ)
◎特殊効果賞
マリアノ・ガルシア・マルティ&ジョルディ・コスタ「13 exorcismos」
オスカル・アバデス&アナ・ルビオ「As bestas」
ジョン・セラーノ&ダビ・エラス「Irati」
リュイス・リベラ&ラウラ・ペドロ「Malnazidos」 監督アルベルト・デ・トロ&
ハビエル・ルイス・カルデラ
エステル・バリェステロス&アナ・ルビオ「Modelo 77」
◎美術賞
モニカ・ベルヌイ「Alcarras」
ホセ・ティラド「As bestas」
メラニー・アントン「La piedad」 監督エドゥアルド・カサノバ
シルビア・Steinbrecht「Los renglones torcidos de Dios」
ペペ・ドミンゲス・デル・オルモ「Modelo 77」
◎オリジナル作曲賞
アランサス・カジェハ、マイテ・アロイタハウレギ ”ムルセゴMursego”「Irati」
イヴァン・パロマレス「Las ninas de Cristal」監督ホタ・リナレス、邦題『少女は、踊る』Netflix
フェルナンド・ヴェラスケス「Los renglones torcidos de Dios」
フリオ・デ・ラ・ロサ「Modelo 77」
オリヴィエ・アーソン「As bestas」
*フェロス賞に続いての受賞でした。
◎オリジナル歌曲賞
エドゥアルド・クルス&マリア・ロサレン「En los márgenes」
アランサス・カジェハ、マイテ・アロイタハウレギ、パウル・ウルキホ・アリホ「Irati」
パロマ・ペニャルビア・ルイス&ヴァネサ・ベニテス・サモラ「La vida chipén」
ホセバ・ベリスタイン「Unicorn Wars」
ホアキン・サビナ、レイバ「Sintiéndolo mucho」
*フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督のドキュメンタリーが受賞、ホアキン・サビナは欠席でした。
(レイバが受け取りました)
◎衣装デザイン賞(6作品)
パオラ・トーレス「As bestas」
ネレア・トリホス「Irati」
スエビア・サンペラヨ「La piedad」
アルベルト・バルカルセル「Los renglones torcidos de Dios」
クリスティナ・ロドリゲス「Malnazidos」
フェルナンド・ガルシア「Modelo 77」
◎メイクアップ&ヘアー賞
イレネ・ペドロサ&ヘスス・ジル「As bestas」
パロマ・ロサノ「Cerdita」
サライ・ロドリゲス、ラケル・ゴンサレス、オスカル・デル・モンテ「La piedad」
モンセ・サンフェィウ、カロリナ・アチュカロ、パブロ・ペロナ「Los renglones torcidos de Dios」
ヨランダ・ピニャ&フェリックス・テレロ「Modelo 77」
◎プロダクション賞
エリサ・シルベント「Alcarras」
カルメン・サンチェス・デ・ラ・ベガ「As bestas」
サラ・ガルシア「Cerdita」
マリア・ホセ・ディエスポル「Cinco lobitos」
マヌエラ・オコン・アブルト「Modelo 77」
◎短編映画賞
「Chaval」(29分) 監督ハイメ・オリアス
「Cuerdas」(30分) 監督エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン
「La entrega」(25分) 監督ペドロ・ディアス
「Sorda」(18分) 監督エバ・リベルタード&ヌリア・ムニョス・オルティン
「Arquitectura emocional 1959」(30分) 監督エリアス・レオン・シミニアニ
*4人が登壇、プレゼンターは『少女は、踊る』主演のマリア・ペドラサ。
(左から2人目がエリアス・レオン・シミニアニ監督)
◎短編ドキュメンタリー賞
「Dancing with Rosa」(27分) 監督ロベルト・ムニョス・ルぺレス
「La gabia」(19分) 監督アダン・アリアガ
「Memoria」(15分) 監督ネレア・バロス
「Trazos del alma」(14分) 監督ラファエル・G.・アロヨ
「Maldita. A Love Song to Sarajevo」(27分) アマイア・レミレス&ラウル・デ・ラ・フエンテ *
*予想通りの受賞、プロデューサーのイバン・サイノスと両監督が登壇して、サイノス、レミレス、デ・ラ・フエンテの順でそれぞれスピーチした。プレゼンターは、なんと老優フェルナンド・エステソがポル・モネンに支えられて杖で登場した。「カルロスもアグスティも、次回作の脚本を書いてるだろうが、私のことも忘れないでくれよ、もう直ぐそちらに行くから。安らかに」とスピーチ、サウラと1週間前に鬼籍入りビリャロンガを追悼しました。
(フェルナンド・エステソ、ポル・モネン)
◎短編アニメーション賞
「Amanece la noche más larga」(9分) 監督ロレナ・アレス&カルロス・フェルナンデス・デ・ビゴ
「Amarrados」(10分) 監督カルメン・コルドバ
「La prima cosa」(19分) 監督オマル・A.・ラザック&シーラ・ウクライナツShira Ukrainitz
「La primavera siempre vuelve」(10分) 監督アリシア・ヌニェス・プエルト
「Loop」(8分) 監督パブロ・ポリェドリPolledri
◎ゴヤ栄誉賞
★カルロス・サウラ(ウエスカ1934)かねてよりマドリードの自宅で療養中でしたが、ガラ前日の2月10日に呼吸不全となり逝去、91歳の誕生日を迎えたばかりでした。スタンディングオベーションが鳴りやまず、登壇した家族はスピーチが始められませんでした。夫人で女優のエウラリア・ラモンがメッセージを読んだ。プロデューサーの息子アントニオ・サウラも登壇、女優の娘アンナ・サウラは天国のパパに感謝のスピーチをした。プレゼンターは彼の唯一のゴヤ賞受賞作『歌姫カルメーラ』(90)で主役を演じたカルメン・マウラ、本作撮影当時の思い出話、「とても優しかった」とマエストロの人柄を語った。会場の面々も涙の感謝、天国の本人に届いたでしょうか。
(左から、カルメン・マウラ、アントニオ、夫人、アンナ)
★『歌姫カルメーラ』ほか、代表作『カラスの飼育』やデビュー作『狩』、フラメンコ物が次々にスクリーンに映し出され、会場は激動の時代を走り続けたマエストロに思いを馳せていた。簡単ですが、キャリア&フィルモグラフィーを紹介しています。
*カルロス・サウラのキャリア&フィルモグラフィーは、コチラ⇒2023年01月07日
(在りし日のカルロス・サウラ)
◎国際ゴヤ賞(第2回)
★ジュリエット・ビノシュ(パリ1984)スタンディングオベーションを受けて登場した輝くようなスターは、予想した通り「Nadie quiere la noche」(15)の監督イサベル・コイシェよりトロフィーを受け取りました。ゴヤ胸像に軽くキスすると、片言のスペイン語でグラシアスを連発、スペイン映画を賞賛しました。その後はフランス語で、少女時代に観たサウラの『カラスの飼育』に触れ、「幼年時代に影響を受けた」と語った。最後に劇中で姉妹たちが踊りながら歌った “Por que te vas ” を鼻歌まじり歌い、このお茶目っぷりに満場の拍手喝采をうけた。これがジュリエットの魅力です。あちらのサウラもさぞかし呵々大笑したことでしょう。
(コイシェ監督からトロフィーを受け取った受賞者)
★来西は3回、ゴヤ賞ガラ参加は今回が2回目、最初の「Nadie quiere la noche」で主演女優賞にノミネートされた折には、初めて生のジュリエットに接した若い女優たちは、その気取りの少しもない大スターに興奮した。サンセバスチャン映画祭2022ドノスティア栄誉賞を受賞した折に来西、スペインでは最も人気の高いフランス女優です。
*キャリア&フィルモグラフィーは、コチラ⇒2023年02月05日/2022年09月17日
(レッドカーペットのスター)
★駆け足紹介ですが、以上の結果となりました。ベルリン金熊賞受賞、オスカー賞スペイン代表作品にも選ばれたうえ、ノミネーション11部門のカルラ・シモンの「Alcarràs」が無冠に終わったことを「これは何かの手違い?」と訝しむ声もあったようです。不公平は世の常、ベルリンはベルリン、セビーリャはセビーリャで別ということ、良質な映画だがエモーションに欠けていたのではないか。
★現在投票権のあるアカデミー会員は約2000人くらいに増加しており予想が難しくなっている。シモンの映画は昨年前半、ソロゴジェンのは後半と、忘れっぽいスペイン人にシモンは分が悪かった。大方の予想は、フェロス賞のように作品賞は『ザ・ビースト』、監督賞はカルラ・シモンと予想していたようです。ソロゴジェンは「アルカラスは大作です、受賞はそんなに重要ではない」と言ったとか。しかし重要に決まっています。管理人がもっと訝るのは、カンヌ映画祭のコンペティションに選ばれた、アルベルト・セラの『パシフィクション』が、スペイン語映画でなかったからかノミネートすらされなかったことでした。先駆者「故郷に入れられず」でしょうか。
ベロニカ・フォルケ逝く*自ら幕引きをした66年の生涯 ― 2021年12月21日 15:17
安住を求めて自ら幕引きをした、長くもあり短くもあった66年の生涯
(中央に柩が安置されたお別れの会、マドリードのスペイン劇場、12月15日)
★12月13日、国家警察がマドリードの自宅で自死した女優ベロニカ・フォルケの遺体を発見したと報道した。12時49分救急センターに或る女性から電話があり、救急隊Summa112が駆けつけたが既に手遅れであったという。当日は自死だけが報道され、正確な死因は検死結果を待つことになった。翌日、錠剤などの痕跡がないこと、首に外傷性の傷がありタオルでの首吊りによる窒息死であったと発表された。最近鬱状態がひどく、3時間前に一人娘マリア・クララ・イボラ・フォルケがお手伝いさんと交替して帰宅したばかりだった。オレンジジュースを飲み、シャワーを浴びると言ってバスルームに入ったまま帰らぬ人となった。ホセ・マリア・フォルケ賞の顔の一人でもあったベロニカ、カルメン・マウラと80~90年代のスペイン映画を代表する女優の一人だったベロニカ、常に明るく機知にとんだ会話で周りを楽しませてくれたのは表の顔、2014年の離婚以来、鬱病に苦しむ闇を抱えた人生だったということです。
(ありし日のベロニカと娘マリア)
★訃報の記事はしんどい、特に書くことはないだろうと思っていた若い人の予期せぬ旅立ちはしんどい。しかしここ最近の映像を見るかぎり60代の女性とは思えない険しい顔に唖然とする。最後となったTVシリーズ「MasterChef Celebrity」(21)を「もうこれ以上続けられない」と自ら降板した彼女は、痛々しく全くの別人のようだった。今思うと管理人が魅了された1980年代後半から90年代にかけてが全盛期だったのかもしれない。
★キャリア&フィルモグラフィー:1955年12月生れ、映画、舞台、TV女優。監督、製作者のホセ・マリア・フォルケ(1995年没)を父親に、女優、作家、脚本家のカルメン・バスケス・ビゴ(2018年没)を母親にマドリードで生まれた。2歳年上のアルバロ・フォルケ(2014没)も監督、脚本家というシネアスト一家。1981年マヌエル・イボラ監督と結婚(~2014)、マリア・フォルケを授かる。出演映画、TVシリーズを含めると3桁に近い。1972年ハイメ・デ・アルミリャンの「Mi querida señorita」で映画デビュー、70年代は父親の監督作品、ホセ・ルイス・ガルシア・サンチェス、カルロス・サウラなどの映画に出演している。
(第9回ゴヤ栄誉賞受賞の父ホセ・マリア・フォルケと娘ベロニカ、1995年)
★突拍子もないオカマ監督と批評家から無視されていたペドロ・アルモドバルが、その存在感を内外に示した『グローリアの憂鬱』(84、¿Qué he hecho yo para merecer esto?)に出演したことが転機となる。その後、『マタドール』(86)、『キカ』でゴヤ賞1994の主演女優賞を受賞、4個目のゴヤ胸像を手にした。1987年から始まったゴヤ賞では、第1回目にフェルナンド・トゥルエバの『目覚めの年』で助演女優賞、第2回目となる1988年は、フェルナンド・コロモの「La vida alegre」で主演、ルイス・ガルシア・ベルランガの「Moros y cristianos」で助演のダブル受賞となった。ゴヤ胸像は4個獲得している。コロモには「Bajarse al moro」(89)でも起用されており、ゴヤ賞にノミネートされている。
(カルメン・マウラと、『グローリアの憂鬱』から)
(共演のロッシ・デ・パルマと、『キカ』のフレームから)
★90年代はマヌエル・ゴメス・ペレイラの「Salsa rosa」(91)で始まった。他にマリオ・カムスの「Amor propio」(93)、フェルナンド・フェルナン=ゴメス、ジョアキン・オリストレル(95、¿De qué se ríen las mujeres?)、ダビ・セラノ、クララ・マルティネス・ラサロ、フアン・ルイス・イボラの「Enloquecidas」(08)、1981年に結婚したマヌエル・イボラ作品には、「El tiempo de la felicidad」(97)、カルメン・マウラと性格の異なった姉妹を演じた「Clara y Elena」(01、クララ役)、「La dama boba」(06)などに多数出演している。最後の作品となったのが若手のマルク・クレウエトの「Espejo, espejo」(21)で、スペイン公開は2022年になる。多くの監督が鬼籍入りしているが、例えばフェルナン=ゴメス(2007年)、マリオ・カムスは今年9月に旅立ったばかりである。他にマラガ映画祭2005の最高賞マラガ賞、2014年バジャドリード映画祭エスピガ栄誉賞、2018年フェロス栄誉賞、1986年『グローリアの憂鬱』でニューヨークACE賞、他フォトグラマス・デ・プラタ賞、サンジョルディ賞、ペニスコラ・コメディ映画祭など受賞歴多数。
(2018年のフェロス栄誉賞のトロフィーを手にしたベロニカ)
★TVシリーズでは、1990年の「Eva y Adan, agencia matrimonial」(20話、エバ役)と1995年のマヌエル・イボラの「Pepa y Pepe」(34話、ペパ役)でテレビ部門のTP de Oro 女優賞を受賞している。後者は2シーズンに渡って人気を博したコメディでした。TVミニシリーズ「Días de Navidad」(19、3話)の1話に出演している。Netflixが『クリスマスのあの日私たちは』の邦題で配信しています。最後のTV出演となった「MasterChef Celebrity」は、「12歳の少女に戻れる」と語っていたが、自ら降板することになった。
(ペペ役のティト・バルベルデと、TV「Pepa y Pepe」から)
(共演者エドゥアルド・ナバレテと、TV「MasterChef Celebrity」から)
★舞台女優としては、1975年のバリェ=インクランの「Divinas palabras」(『聖なる言葉』)、1978年のテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』、1985年には後に映画化もされた「Bajarse al moro」、ホセ・サンチス・シニステラが1986年発表した「¡ Ay, Carmela !」を1987年と2006年にカルメラ役で主演した。この戯曲はカルロス・サウラによって映画化され、日本では『歌姫カルメーラ』(90)の邦題で公開された。こちらはカルメン・マウラが演じている。2019年フリアン・フエンテス演出の「Las cosas que sé que son de verdad」で、演劇界の最高賞と言われるMax賞2020主演女優賞を受賞している。
(Max賞を受賞したベロニカ・フォルケ、プレゼンターは盟友マリア・バランコ、
マラガのセルバンテス劇場、2020年9月8日)
★ベロニカがファンや友人、そして同僚から如何に愛されていたかは、会葬者の顔ぶれを見れば分かります。ゴヤ賞のガラでもこんなに多くないでしょう。14日のサンイシドロ葬儀場でのお通夜には、「MasterChef Celebrity」の共演者エドゥアルド・ナバレテ、ミキ・ナダル、タマラ、アナ・ベレンとビクトル・マヌエル夫妻、アイタナ・サンチェス=ヒホン、シルビア・アバスカル、ベレン・クエスタ、ヨランダ・ラモス、ペポン・ニエト、カエタナ・ギジョン・クエルボ、アントニオ・レシネス、エンリケ・セレソ、バネッサ・ロレンソ・・・。
★15日のお別れの会(午前11時~午後4時)に馳せつけた友人や同僚たちは、泣き顔をサングラスとマスクで防御していた。コロナウイリスはセレブの匿名性に役立ちました。多くがマスコミのインタビューには言葉少なだったということです。11時に姿を見せたパコ・レオンは「ベロニカは陽気さと感性豊かな人でした。陽気さは皆がもつことのできる美しいものですが、彼女はそれをもっていました」と語り、午後3時に母親のカルミナ・バリオスを伴って再び姿を見せました。カルミナはテレビでの共演者、大きな赤い薔薇の花束を抱えていました。
★マリベル・ベルドゥとアイタナ・サンチェス=ヒホンが腕を組んで足早に立ち去った。先輩後輩の俳優たち、ベアトリス・リコ、スシ・サンチェス、マリア・バランコ、歌手マシエル、アントニオ・レシネス、フアン・ディエゴ、チャロ・ロペス、ホセ・ルイス・ゴメス、フアン・エチャノベ、ティト・バルベルデ、フェレ・マルティネス、フアン・リボ、カルロス・イポリト、ホルヘ・カルボ、ビッキー・ペーニャ、マルタ・ニエト、アントニア・サン・フアンなどの俳優たち、監督ではパウ・ドゥラ、マヌエル・ゴメス・ペレイラ、フアン・ルイス・イボラ、ハイメ・チャバリ、脚本家のヨランダ・ガルシア・セラノ、舞台演出家ダビ・セラノ、マリオ・ガスなど。通りには100人以上のジャーナリストやファンがつめかけ、彼女がスペイン魂に火をつけた80年代のコメディに感動を分かち合った。スペイン映画は80年代や90年代のコメディやドラマ抜きに理解することはできません。
★コメントを残した政治家たちには、文化スポーツ大臣ミケル・イセタ、マドリード市長マルティネス・アルメイダと副市長ベゴーニャ・ビジャシス、マドリード・コミュニティ会長ディアス・アヤソと文化大臣リベラ・デ・ラ・クルス、ICAA会長ベアトリス・ナバス・バルデス、他スペイン下院議員たち多数。
(文化教育スポーツ大臣ミケル・イセタ氏)
★印象的なキャリアをもつアーティストのマリア・フォルケを通じてファンになった別の世代、マリアの冒険仲間のグループも駆けつけました。ベロニカに別れの手紙を捧げました。ガルシア・ロルカの最後の詩 ”Doña Rosita la soltera” の断片が書かれたポスターが掲げられ、それは「夜の帳が降りるとき、しなやかな金属の角、そして星が流れる、風が消えるあいだに、暗闇の境めで、落葉しはじめる」(拙訳)で閉じられていた。
★スペイン映画アカデミー会長マリアノ・バロッソは「彼女は悲しい泣きピエロのように、自分が抱えていた痛みを隠し続けました。今私は映画界の愛と尊敬を伝えることしかできません」と。弟アグスティンと一緒に参列したペドロ・アルモドバルは「ベロニカはコメディに特別な才能を発揮しました。人々を笑わせる能力に秀でていて、幼い頃の無邪気さを失っていなかった。天使と一緒に、私は私の人生でもっとも面白い映画をつくることができました」。また最近のベロニカについては「彼女は私が知っているベロニカではありませんでした。私が覚えているのは、とても幸せで、信じられないほどコミカルな女優でした。とても世話好きで皆の力になりました。彼女は夫とうまくいかず、数年前にお兄さんを失くしました。時間は彼女の感情をうまく扱いませんでした。これらの問題と闘う武器を持っていると思っていましたが、現実は私たちにノーと言ったのです」と付け加えました。
(インタビューに応じるペドロ・アルモドバル監督)
★マヌエル・イボラと離婚した同じ2014年の大晦日に、尊敬もし頼りにもしていた兄アルバロが鬼籍入りした。このことが彼女に精神的なダメージを与え、深刻な鬱状態になったことは周知の通りです。2018年3月の母親の旅立ちも痛手だったのではないでしょうか。午後4時からの出棺まで待っていた200人ほどの人々が数分間拍手喝采して柩を見送りしました。内輪だけで荼毘に付すため、エル・エスコリアルの遺体安置所に運ばれて行きました。嘆いてもきりがありません、「どうかよい旅でありますように、ベロニカ」
*以下の写真は代表作としてメディアが作成したものです。上段左から、TVシリーズ「Eva y Adan, agencia matrimonial」、『キカ』、TVシリーズ「Pepa y Pepe」、舞台『歌姫カルメーラ』、下段左から、「Amor propio」、「Bajarse al moro」、「Enloquecidas」、「Las cosas que sé que son de verdad」の順です。
ロサ・マリア・サルダ逝く*リンパ腫癌に倒れる ― 2020年06月18日 11:01
ハリケーンのように半世紀を駆け抜けた女優ロサ・マリア・サルダ逝く
★6月11日、ロサ・マリア・サルダがリンパ腫癌で旅立ちました。親しい友人たちも彼女が病魔と闘っていることを直前まで知らなかったということです。死去する数週間前に、正確には40日前にジョルディ・エボレのテレビ番組に出演し、「もう私の人生に良い時は訪れないでしょう。78歳という年齢はだいたいそんなものです。私はどちらかというと病人、ええ、癌なんです。しかし皆さんはそのことを知らないはずです」と語ったことで、彼女が2014年から闘病しながら映画に出演していたことが分かったのでした。Netflixで日本でもストリーミング配信されたエミリオ・マルティネス=ラサロの『オチョ・アペリードス・カタラネス』(15)も、結局最後の映画出演となったフェルナンド・トゥルエバの「La reina de España」(16)も闘病しながらの出演だったということになります。
(ありし日のロサ・マリア・サルダ)
★ロサ・マリア・サルダは、1941年7月30日バルセロナ生れ、女優、コメディアン、舞台演出家、舞台女優、テレビ司会者、2020年6月11日バルセロナで死去、享年78歳でした。スペイン語とカタルーニャ語を駆使して約半世紀に渡って笑いを振りまきましたが、「自分を喜劇役者とは思っていません」と。ウィットに富んだ語り口、時にはシニカルだがパンチの利いた社会的発言、頭の回転の速さ、よく動く目と口で私たちを魅了しました。年の離れた弟ジャーナリストのハビエル・サルダ(1958)、1980年若くしてエイズに倒れた末弟フアンの3人姉弟。コミック・トリオLa Trincaラ・トリンカメンバーの一人、後に息子の父親となるジョセップ・マリア・マイナトと結婚した。1962年プロの舞台女優としてスタート、1969年からTVシリーズ、一人息子のポル・マイナト(1975)は、俳優、監督、撮影監督、TVシリーズ「Abuela de verano」(05)で共演している。
(一人息子ポル・マイナト・サルダとのツーショット、2004年)
★映画界入りは80年代と遅く、ベントゥラ・ポンスの「El vicario de Olot」(81)、ルイス・ガルシア・ベルランガの「Moros y cristianos」(87「イスラム教徒とキリスト教徒」)に出演している。1993年、マヌエル・ゴメス・ペレイラのコメディ「 ¿Por qué lo llaman amor cuando quieren decir sexo? 」 にベロニカ・フォルケやホルヘ・サンスと共演、翌年の第8回ゴヤ賞助演女優賞を受賞した。ゴヤ賞ガラの総合司会者にも抜擢され、コメディアンとしての実力を遺憾なく発揮した記念すべき授賞式だった。ゴヤ賞関連では、第13回ゴヤ賞1999の2回目となる総合司会者となり、つづいて第16回ゴヤ賞2002の3回目のホストを務め、ジョアキン・オリストレルの「Sin vergüenza」(01)で2個目となる助演女優賞も受賞している。
(ゴヤ賞ガラの総合司会をする)
(2個目となる助演女優賞のトロフィを手にしたロサ・マリア・サルダ、ゴヤ賞2002ガラ)
★舞台女優としては、1986年にブレヒトの戯曲『肝っ玉おっ母と子どもたち』に出演、1989年にはジョセップ・マリア・ベネトのコメディ戯曲「Ai carai!」を演出、舞台監督デビューをした。他に映画化もされているガルシア・ロルカの『ベルナルド・アルバの家』では、女家長の世話を長年務めた家政婦ポンシア役で演劇界の大女優ヌリア・エスペルトと共演した。エスペルトとはベントゥラ・ポンスの「Actrius」(96、カタルーニャ語「女優たち」)でも共演、翌1997年ブタカ賞を揃って受賞している。ポンス監督とはマイアミ映画祭2001女優賞受賞作「Anita no pierde el tren」(00、カタルーニャ語)他でもタッグを組んでいる。2015年には演劇界の最高賞と言われるマックス栄誉賞を受賞している。映画化もされたマーガレット・エドソンの戯曲『ウィット』をリュイス・パスクアルが演出した舞台にも立っている。
(マックス栄誉賞のトロフィを手にスピーチするサルダ、2015年)
(ヌリア・エスペルトとサルダ『ベルナルド・アルバの家』から)
(エドソンの戯曲『ウィット』に出演したサルダ)
★90年代以降は映画にシフトし、公開や映画祭上映作品として字幕入りで観られる作品が増えた。フェルナンド・トゥルエバの『美しき虜』(98、ゴヤ賞1999助演女優賞ノミネート)、ペドロ・アルモドバルの『オール・アバウト・マイ・マザー』(99)、イマノル・ウリベの『キャロルの初恋』(02)、ダニエラ・フェヘルマン&イネス・パリスの『マイ・マザー・ライクス・ウーマン』(02)、イシアル・ボリャインの『テイク・マイ・アイズ』(03)、上記の『オチョ・アペリードス・カタラネス』と結構あります。
(セシリア・ロス、サルダ、ペネロペ・クルス、『オール・アバウト・マイ・マザー』から)
★ゴヤ賞以外にも、2010年スペイン映画アカデミーから「金のメダル」、同年マラガ映画祭マラガ賞、第3回フェロス賞2016 栄誉賞受賞、実弟のハビエル・サルダの手からトロフィを受け取った。同年ガウディ賞栄誉賞も受賞した。映画界入りが遅かったこともあり、晩年の活躍が目立った。
*第3回フェロス賞2016栄誉賞の記事は、コチラ⇒2016年01月21日
(フェロス栄誉賞に出席したサルダ姉弟、2016年)
(ガウディ栄誉賞のトロフィを代理で受け取った息子ポル・マイナト、2016年)
★昨年の11月にプラネタ社から ”Un incidente sin importancia”(仮訳「あまり重要でない事ども」)というタイトルの自伝を出版した。コメディアンの草分け的存在だった祖父母のこと、若くして亡くなった看護師の母親のこと、そして黒い縮れた髪、地中海の青い海とも薄暗い湖のようにも見える目をした、一番ハンサムだった末弟フアンのことなど、亡き人々へ送る手紙として後半生の30年間を綴っているようです。母親が亡くなったとき25歳だったロサ・マリアには、まだ8歳だったハビエルと、もっと小さいフアンが残された。二人の弟の母親でもあったようです。フアンは1980年、まだスペインでは謎の病気だったエイズの犠牲者の一人になった。地獄のような2年間の闘病生活を共にしたということです。あのサルダの明るさと強靭な精神は何処から来たのでしょうか。本書を「初めての世界へ旅立つのはなんて複雑なんでしょう!」と締めくくったサルダ、生涯にわたり自由人であり続けたサルダも病魔の痛みから解放された。
(”Un incidente sin importannte”の表紙)
★コロナの時代に訃報を綴るのは気の重いことですが、サルダの光と影、特に今まで語られなかった影の部分に心打たれアップすることにしました。ツイッターでは、俳優のアントニオ・バンデラス、ハビエル・カマラ、「トレンテ 2」で共演したサンティアゴ・セグラ、政界からはペドロ・サンチェス首相がサルダの偉大さについて自身のSNSで哀悼の意を捧げている。ほか多くのファンからは涙のつぶやきが溢れている。8月開催がアナウンスされたマラガ映画祭で急遽特集が組まれかもしれません。
(地中海に面したマラガの遊歩道に建立された自身の記念碑の前で、2010マラガ賞受賞)
ホセ・ルイス・クエルダ監督逝く*『にぎやかな森』&『蝶の舌』 ― 2020年02月11日 15:11
シュールなコメディの旗手、ホセ・ルイス・クエルダ
★シュールレアリスムを突き抜けたシュールレアリスムの映画の旗手、不条理コメディのプロモーター、ホセ・ルイス・クエルダが旅立ちました。寡作な映画作家でしたが、ファンを大いに楽しませてくれた監督でした。シネアストは塞栓症治療のため入院していたマドリードのプリンセサ病院で2月4日に亡くなったことが、二人の娘イレネとエレナによって公にされました、享年72歳、こんなに急いでいくことはなかったにと残念でたまりません。
★1947年2月18日アルバセテ生れ、監督、脚本家、製作者。本邦では『にぎやかな森』(第2回ゴヤ賞1988作品・脚本賞、ただし彼は監督のみ)と『蝶の舌』(同2000脚色賞)が公開されています。フェロス賞2019栄誉賞、マラガ映画祭2019「金の映画賞」(1989「Amanece, que no es poco」)を受賞した折りに、キャリア&フィルモグラフィー紹介をしたばかりですが、ゴヤではとうとう監督賞はノミネーションだけで受賞しないまま逝ってしまいました。
*フェロス賞2019栄誉賞の記事は、コチラ⇒2019年01月23日
★「Amanece, que no es poco」は、彼の不条理コメディの代表作、公開当時はパッとしなかった。何しろ出演者が自分のセリフの意味が何だか分からず戸惑っていたから、ましてや観客が簡単に理解できるはずなどなかったわけです。しかし後にビデオ、DVDを繰り返し見た若者が気に入り、フェイスブックを通じて拡散、ファンクラブができるほどでした。まあ、スペイン人の一押しは内戦物の『蝶の舌』ではなく本作、意味など分からなくても可笑しければ笑えばいいのだ、というわけです。本作については「金の映画賞」でご紹介しています。主人公はいると言えばいるが、いないと言えばいないアンサンブル劇ですが、その一人、アントニオ・レシネスは訃報に接して「当時本作を批判した者がいたとしても、今日では悪口言う人は誰もおりません。クエルダはチャンピオンリーグの映画人、脚本家としての巨人、どうか忘れないで」と語りました。
*マラガ映画祭2019「金の映画賞」の記事は、コチラ⇒2019年04月03日
(親子を演じたアントニオ・レシネスとルイス・シヘス、「Amanece, que no es poco」)
(金の映画賞のトロフィーを手にした、今は亡きホセ・ルイス・クエルダ)
★『にぎやかな森』は、ウェンセスラオ・フェルナンデス・フロレスの小説の映画化なので、現在なら脚色賞に当たるのですが、当時はまだ始まったばかりで区別されておりませんでした。カテゴリーも15部門、現在の28部門になったのは2003年からでした。『蝶の舌』の原作はマヌエル・リバスの小説、このときは既にオリジナル脚本と脚色に分かれており、共同執筆者のラファエル・アスコナと原作者と3人で脚色賞を受賞しました。このゴヤ賞2000は粒ぞろい、アルモドバルの『オール・アバウト・マイ・マザー』(作品・監督賞)やベニト・サンブラノの『ローサのぬくもり』(脚本賞)など、マイナーだったスペイン映画が公開されるようになった年でもありました。
★クエルダはほとんど無名だったアメナバルの才能に着目したプロデューサーとしても知られています。『テシス 次に私が殺される』(96)と『アザーズ』(01)で作品賞を受賞している。自作を自ら設立した制作会社で撮る監督は昨今では珍しくありませんが、クエルダはそういうタイプではなかったようです。
★クエルダの作品はざっくり分けると、不条理コメディと内戦物になります。後者の一つ、2008年の「Los girasoles ciegos」では、共同執筆者ラファエル・アスコナとゴヤ賞2009脚色賞を受賞しました。トポという内戦の敗者がフランコ軍の追跡を逃れて自宅に隠れる話、トポ役にハビエル・カマラ、その妻にマリベル・ベルドゥ、妻を秘かに愛する青年司祭にラウル・アレバロなどを配している。作品・監督賞はノミネートに終わったが、米アカデミー賞外国語映画賞のスペイン代表作品に選ばれている。
★不条理コメディの一つ、1983年のTVムービー「Total」、スペイン人の少し好ましくない特徴に根差した作品、2598年という26世紀末の小さな村ロンドンが舞台だが、どう見てもロンドンには見えない。ガリシア風なのですが、クエルダは上記したようにアルバセテ生れですが、ガリシアに手ごろな家を見つけて、そこにブドウ園をもっている。語り部は羊飼いで、世界の終末が語られる。後の「Amanece, que no es poco」の源流なのかもしれません。1982年、フェリックス・トゥセル・ゴメスがプロデュースしたデビュー作「Pares y nones」に始り、その息子フェリックス・トゥセル・サンチェスが35年後に手掛けた、9177年のスペインを描いたSFコメディ「Tiempo después」(18)を完成させて逝ってしまいました。盟友アスコナと「最近のスペインは悪くなるばかりだな、心配だよ」と雑談してることでしょう。観る人によってベストだったりワーストだったり、映画の評価も十人十色ですけど。
(アントニオ・レシネスとシルビア・ムント)
(中央がクエルダ監督、「Tiempo después」撮影中のクルー)
スペイン映画アカデミー名誉会長イボンヌ・ブレイク逝く ― 2018年07月20日 14:44
「Our duty」の言葉を残して、第15代映画アカデミー名誉会長ブレイク逝く
(常に笑みを絶やさなかったイボンヌ・ブレイク)
★残念なニュースですが、第15代スペイン映画アカデミー会長イボンヌ・ブレイク氏が、7月17日旅立ちました(享年78歳)。新年早々の1月3日、脳卒中でマドリードのラモン・カハル大学病院に緊急入院、以来ICUでの闘病生活を送っておりました。マンチェスター生れ(1940)ながらスペイン映画との関りは長く、4個もゴヤ賞を受賞している。国際的な服飾デザイナーとして『ニコライとアレクサンドラ』(71)でオスカー賞、『ロビンとマリリン』(76)、今は懐かしい『スーパーマン』(78)衣装の生みの親、国民映画賞受賞者、女性シネアストの地位向上など、その功績は数えきれません。生涯現役をモットーに、なり手のなかったスペイン映画アカデミー会長を引き受け、自己主張ばかり強いスペイン映画界を忍耐強く統率してきた女性だった。
(スーパーマンの衣装を着た今は亡きクリストファー・リーヴ)
★ブレイク会長を支えてきた現会長マリアノ・バロッソの回想によれば、ブレイク氏から事務所に呼ばれ「副会長就任の打診を受けたときは引き受ける気などさらさらなかった。何しろ断る理由は山ほどあったからね。ところが帰るときには何故か引き受けていたんだ。彼女は『私たちで引き受けましょう、マリアノ、そして英語でIt’s our duty』と言ったんだ」。「イボンヌは、ひたすら情熱的に良心、献身、寛容を実行した人だった。その素晴らしい才能、その視点の確実さ、微笑、ほろ苦いユーモア、常識的な考えについての機知にとんだ言葉は皆を和ませた」とバロッソ。アントニオ・レシノスとグラシア・ケレヘタが任期途中で投げ出した「スペイン映画アカデミー」という泥舟に乗らざるを得なかった経緯だった。スペイン語と込み入った話は英語で周りを説得して回った、この逞しさと優しさを兼ね備えたイギリス女性のお蔭で、シネアストのそれぞれが将来の映画について、「Our duty」とは何かについて、改めて考えることになったようだ。
(ゴヤ賞2017授賞式で挨拶するブレイク会長とバロッソ副会長)
(女性シネアストの機会均等に尽くしたブレイクと盟友アナ・ベレン)
(共にオスカー受賞者のブレイクとフェイ・ダナウェイ)
(『ロビンとマリリン』のヒロイン、オードリー・ヘプバーンの衣装を整えるブレイク)
*ブレイク名誉会長の関連記事*
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*ブレイク会長緊急入院、キャリア紹介の記事は、コチラ⇒2018年01月09日
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脇役に徹した個性派女優テレレ・パベス逝く ― 2017年08月29日 10:46
去る8月11日、脳溢血のためマドリードのラ・パス病院で死去
★訃報記事は気が重い。特に大好きだったテレレ・パベスとなると尚更です。TVを含めると100本近くの映画に出演しておきながら、ゴヤ賞助演女優賞を受賞したのが2014年、アレックス・デ・ラ・イグレシアの『スガラムルディの魔女』(13)だった。テレレ・パベスTerele Pávez(本名Teresa Marta Ruiz Penella)は、政治家ラモン・ルイス・アロンソを父に、芸術一家だったマグダレナ・ペネリャ・シルバを母として、1939年7月29日ビルバオで生れたが、育ったのはマドリードでした。四人姉妹の末っ子、うち二人の姉エンマ・パネリャ(1931~2007)とエリサ・モンテス(1934)も女優。姉たちの影響で女優の道に進み、3人揃って出演した映画が1作だけあるようだ。女優エンマ・オソレス(エリサの娘)の叔母にあたる。
★1973年、編集者ホセ・ベニト・アリケ(2008年没)との間に息子が誕生したが、テレレは父子の認知を望まず、シングル・マザーの道を選んで、自分の父姓ルイスを取ってカロロ・ルイスCarolo Ruiz とした。母子関係はいつも良好とは言えなかったそうだが、没後カロロは涙の会見をした。同年生れのピラール・バルデムと共に、女性シネアストの地位向上にも尽力したテレレ・パベスだったが、去る8月11日、脳溢血のためマドリードのラ・パス病院で死去、8月13日、遺体はエル・エスコリアルの火葬場で荼毘に付された。写真下はマドリードのホテル・リッツで行われたゴヤ賞2017の前夜祭のような会合に出席した母子、彼女はマリナ・セレセスキーの “La puerta abierta” で6度目の助演女優賞にノミネートされていた。
(息子カロロ・ルイスに寄り添うテレレ・パベス、2017年1月)
★60年に及ぶ長い女優人生だったが、一度も主役を演じたことがなかった。しかし20世紀スペインでもっとも愛され尊敬された監督と称されたガルシア・ベルランガ、『無垢なる聖者』のマリオ・カムス、『セレスティーナ』のヘラルド・ベラ、ビセンテ・アランダ、ビガス・ルナ、そして1995年のホラー・コメディ『ビースト 獣の日』出演以来、アレックス・デ・ラ・イグレシアのお気に入りとなった。映画デビューはガルシア・ベルランガ(1921~2010)の辛口コメディ“Novio a la vista”(1954「一見、恋人」仮題)、1959年、ベルランガがプロデュースして、ヘスス・フランコが監督したコメディ “Tenemos 18 años” に姉エリサの夫になるアントニオ・アロンソなどと共演した。その他マヌエル・バスケス・モンタルバンの陰謀小説を映画化したビガス・ルナの “Tatuaje”(1979「刺青」仮題)などがある。
(左から、パコ・ラバル、テレレ・パベス、アルフレッド・ランダ、『無垢なる聖者』から)
★出演作で一番評価が高いのが、マリオ・カムスの『無垢なる聖者』(“Los santos inocentes”1984)、アルフレッド・ランダが演じた主人公の妻レグラに扮した。ミゲル・デリーベスの同名小説の映画化、1960年代のスペイン農民のレクイエムです。これは20世紀スペイン映画史に残る名画、パベスの最高傑作と言ってもいいでしょう。残念ながらまだゴヤ賞は始まっていませんでした。アンヘラ・モリーナやフアン・ディエゴと共演したゴンサロ・エラルデの “Laura, del cielo llega la noche”(1987)で第2回目のゴヤ賞に初ノミネート、翌年も続いてノミネートされたが受賞できなかった。ビセンテ・アランダの「エル・ルーテ」の続編、”El Lute II: mañana seré libre”(1988)に起用された。
(演技が絶賛された『セレスティーナ』から)
★そのほかゴヤ賞関連では、ヘラルド・ベラの『セレスティーナ』(96)の演技が認められてゴヤ賞確実と言われながらノミネーションさえされなかった。しかし1997年サン・ジョルディ賞を受賞した。3回目のノミネーションがアレックス・デ・ラ・イグレシアの『13みんなのしあわせ』(00)だが、カルメン・マウラが主演、エミリオ・グティエレス・カバが助演を受賞したものの、テレレは受賞できなかった。4回目の『気狂いピエロの決闘』も空振り、アレックス映画のマスコット的女優となった『スガラムルディの魔女』(13)で宿願を果たした。カルメン・マウラ扮する人食い魔女のリーダーの母親マリチェを怪演した。これは「三度目の正直」ではなく「五度目」でした。今年2017もマリナ・セレセスキーの “La puerta abierta”(16)で認知症の母親役を演じて6度目のノミネーションを受けた。ゴヤ賞ノミネーションはすべて助演女優賞です。
(魔女マリチェに扮した『スガラムルディの魔女』から)
(涙、涙のゴヤ賞2014助演女優賞の授賞式にて)
★アッレクス・デ・ラ・イグレシアがゴヤ賞1996監督賞を受賞した『ビースト、獣の日』に初出演したあとも、上記以外に『マカロニ・ウエスタン800発の銃弾』(02)『グラン・ノーチェ!最高の大晦日』(15)『クローズド・バル』(17)などに起用されている。
(左から、カロリナ・バング、カルメン・マウラ、デ・ラ・イグレシア、テレレ・パベス)
★テレレ・パベスを理解するのに避けて通れないのが父ラモン・ルイス・アロンソとの関係である。父はガルシア・ロルカ殺害に深く関与したことで告発され、テレレや姉二人ともにその重荷を背負って生きてきた。父親は内戦勃発の1936年、ヒル・ロブレス率いるスペイン独立右翼連合CEDA所属の元国会議員としてグラナダでは有名だった。アカ嫌いのルイス・アロンソは、グラナダのファランヘ党のリーダーとして幅を利かせていたという。ロルカ逮捕には関与したが、8月18日のロルカ銃殺には立ちあっていなかった。ダブリン出身だが1978年からスペインに移り住み国籍まで取った、ロルカ研究の第一人者イアン・ギブソンの著書に、逮捕の経過が詳細に書かれている*。こういう事情を知らなかった若い舞台演出家が「ベルナルダ・アルバの家」のオファーをしたことがあったようです。時とともに内戦の悲劇も風化していくということでしょうか。
*Federico García Lorca: A Life, ロンドン、Faber and Faber, 1989(1997年に翻訳書が出版)
★三人姉妹は集団的敵意の重圧に苦しみ、一時期父姓のルイスを省いていた。親の負債を子供がどれだけ負うべきかという是非はともかく、充分苦しんだという。私たち三人姉妹は「父親を恥じてRuizを省いていたが、もうすんだこと、父親としてはいい人だったのよ」とテレレは語っていたそうです。父親はフランコ総統が1975年12月に亡くなり後ろ盾を失ったことで不安を感じ、ラスベガスに移住していた三女マリア・フリア(1937~2017)を頼って数週間後にはアメリカに渡り、3年後の1978年に死去した。
★テレレを陶片追放から救い出してくれたのがデ・ラ・イグレシアだった。周囲の重圧をはねのける真摯な態度、傷つきやすさ、誠実さ、誰にも真似できない強烈な個性、それは彼女自身が編み出した演技だった。割り当てられた人物になりきる能力がずば抜けていた。「泣くべき時に泣き、どんな状況にも対応できた。モンスターだったよ」と『セレスティーナ』のベラ監督。トレードマークのような大胆なマスカラをつけ、しわがれ声をあちらで響かせていることだろう。
*“Novio a la vista”の記事は、コチラ⇒2015年6月21日
*『無垢なる聖者』の記事は、コチラ⇒2014年3月10日・11日
*『スガラムルディの魔女』の記事は、コチラ⇒2014年10月18日
* “La puerta abierta” の記事は、コチラ⇒2017年1月12日
*ガルシア・ロルカの死についての記事は、コチラ⇒2015年9月11日
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