デ・ラ・イグレシア新作はコメディ*歌手ラファエルとのコラボ2015年03月14日 15:54

          カンタンテ Raphael ラファエルとのコラボレーション

     

★しばらくチリ映画が続いたので軌道修正いたします。手始めにアレックス・デ・ラ・イグレシアの近況から。去る2月下旬にコメディMi gran nocheがクランクインしました。ラファエルはスペインでは知らぬ人などいない歌手ですが、今の日本でどのくらい知名度があるのでしょうか。本名はミゲル・ラファエル・マルトス・サンチェス、194355日リナーレス生れ、芸名 Raphael はミドルネームの Rafael からとった

 

1960年代後半から世界巡業を開始、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、米国、まだソ連だった頃のロシアなど、日本公演もしているようですが、ライブを聴いた人はかなりの年配者になってます。デビューシングルの“Yo soy aquel”は、「はるかな想い」の邦題が付けられて発売された。映画タイトルの“Mi gran noche”は、彼の同名ヒット曲から取られています。因みに『気狂いピエロの決闘』の邦題で公開された“Balada triste de trompeta”(2010)もRaphaelの“Balada de la trompeta”から取られています。物語詩バラッドとバラードが掛けられているのでしょうが、邦題からはその欠片もうかがえません()

 

    

 (デ・ラ・イグレシアとラファエル、マドリードのシルクロ・デ・ベジャス・アルテスにて)

 

          デ・ラ・イグレシア学校の生徒さん大集合

     

★デ・ラ・イグレシアの映画は「すべて子供のときのオブセッションに関係がある」と本人が語っているように、本作もその例に漏れない。Raphaelは、1965年生れの監督が物心ついたころには既に超有名な歌手であり映画スターであった。「スペインのフランク・シナトラ」と称され、監督には子供の頃からの崇拝の的であったという。1973年の“Volveré a nacer”を最後に銀幕から遠ざかってしまっていたRaphaelを再び銀幕に呼び戻したい、その願い叶って40年ぶりの復帰となった。「申込んだはいいが、NOと言われるんじゃないかと怖かったよ」と監督。Raphael40年間のブランクはまったく感じていない。「まるで反対だよ」と出演が楽しみのようです。

 

★今回Raphaelは、「Alphonso」という歌手に扮します、やはり<ph>入りです()。エゴイストでサディスト、常にナンバーワンに拘り、年末恒例のテレビ番組構成にちょっかいを出し、つまり大晦日のカウントダウンで「新年おめでとう!」と叫ぶ人になりたい。他の共演者には、『スガラムルディの魔女』や『トガリネズミの巣穴』に出演していた、監督お気に入りのウーゴ・シルバ、マリオ・カサス、サンチャゴ・セグラ、監督夫人カロリーナ・バング、カルロス・アレセス、テレレ・パベス、ペポン・ニエト・・・と、他にカルメン・マチやアントニオ・ベラスケスの名前もクレジットされています。まだ全容はつかめていませんが、今年中に公開が決まっています。勿論、他の俳優が演じる伝記映画やTVミニ・シリーズのドラマは作られていますが、それはまた別の話です。 

       

      (監督デビューも果たした“Mi gran noche”出演のウーゴ・シルバ)

 

Raphaelの主なフィルモグラフィー

1963Las gemelas” 歌手(役柄)   アントニオ・デル・アモ 監督

1966Cuando tú no estás”ラファエル同   マリオ・カムス

1967Al ponerse el sol ダビ・アロンソ同  マリオ・カムス

1968Digan lo que digan ラファエル・ガンディア同  マリオ・カムス

1969El golfo”ラファエル同   ビセンテ・エスクリバ

1969El ángel エル・アンヘル同   ビセンテ・エスクリバ

1970Sin un adiós マリオ・レイバ同   ビセンテ・エスクリバ

1973Volveré a nacer”アレックス同   ハビエル・アギーレ

2015Mi gran noche”(予定)アルフォンソ 同  アレックス・デ・ラ・イグレシア

 

★リナーレス生れでも生後9カ月でマドリードに引っ越しているからマドリッ子と言える。しかし「リナーレスのナイチンゲール」「リナーレスのエル・ニーニョ」または「リナーレスの花形歌手」と生れ故郷リナーレス付きで呼ばれている。9歳のときにザルツブルグ・フェスティバルに出場、その美声でヨーロッパでも知られるようになった。美空ひばりみたいな人ですね。本作は伝記映画ではないので深入りしませんが、1970年に「エド・サリヴァン・ショー」に出演してスペイン語、英語、イタリア語で歌ってそれが放映されたり、1964年から1980年までのレコード売上げが5000万枚とか、マイケル・ジャクソンの天文学的な数字10億枚には遠く届きませんけど。

 

      

   (デビュー50周年を記念して発売されたアルバム、2008年スペイン版)

 

1985年に罹ったB型肝炎が疲労で悪化、2000年ごろには活動できなくなっていたが、臓器移植手術を受け不死鳥のごとく蘇った(ドナーは公表されていない)。「私の第二の人生が始まった」と語った。現在は臓器移植の活動に尽力している。1972714日、ジャーナリストで作家のナタリア・フィゲロアと結婚、子供はハコボ、アレハンドラ、マヌエルの二男一女、それぞれ政治家の娘や女優と結婚しているので、大勢の孫に囲まれている。

 

                   

             (ラファエルとナタリア・フィゲロア)

 

★持ち歌のジャンルはロマンティック・バラードが中心だが、タンゴやメキシコのランチェラも得意にしている。以前の人気レパートリーを現代の若者が好む最新の音響に録音しなおしている。デビューから約55年が経ったがスペインでの人気は衰えていません。「今のRaphaelは、前より穏やかでゆったりしています。ステージにもゆっくり出ていきますが、以前はせかせか落ちつかなかった。今は楽しんで歌っています」と自己分析しています。彼のステージやディナショーは、YouTubeで簡単に楽しめます。


デ・ラ・イグレシアは、「ラファエルは私の人生になくてはならない人、心の奥深いところにいます」と語る。更に「ホセ・ルイス・ボラウやマリオ・カムスの映画なしに自分は存在しない。『カラスの飼育』(カルロス・サウラ)や『パスクアル・ドゥアルテ』(リカルド・フランコ)なしに人生をイメージできない。マリオ・カムスに出会えたことで現在映画作りができることになった。ハグと感謝を捧げたい。これはラファエルにも同じことが言える。二人みたいに素晴らしい人はいない」と手放しで讃えています。マリオ・カムスはラファエルの映画を1966年~68年にかけて立て続けに3本撮った監督です。

 

 

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