第38回ゴヤ賞2024授賞式はバジャドリード開催*スペイン情報 ― 2023年04月03日 17:43
ゴヤ賞ガラは来年もマドリードを離れて初のバジャドリード開催が決定

(映画アカデミー会長メンデス≂レイテとバジャドリード市長オスカル・プエンテ)
★3月30日午前、スペイン映画アカデミーは、次二回のゴヤ賞授賞式の開催地を発表しました。2024年はスペイン北西部の県都バジャドリード、2025年はアンダルシアの観光都市グラナダです。これは前例のないことで、2018年を最後に当分はマドリードには戻ってこないことになりました。最近の開催地は、セビーリャ(2023と2019)、マラガ(2022と2020)の各2回、バレンシア(2021)でした。第38回となるバジャドリードは2月24日(土)、会場はマジョール広場に近い3000人以上収容できる見本市のホールで開催される。グラナダは2月後半というだけで未定です。

(プレス会見、映画アカデミー本部)
★誘致合戦に勝ち抜くための工作が多々あるわけで、バジャドリード開催になった決め手の一つが、フェルナンド・メンデス≂レイテ会長によると、映画祭の老舗として毎年10月下旬に開催される「バジャドリード映画祭の実績」の評価があげられた。一般的には、SEMINCIとして親しまれている映画祭で、サンセバスチャン映画祭に継ぐ歴史ある国際映画祭、昨年67回を開催したばかりです。2007年の12月AVEという新幹線も開通して、マドリードから約50分のバジャドリードは、「マドリードにいるようなもの」だそうですが、ただ2月末では気温が低く寒いかもしれない。
★開催にはホールだけでなく、ゲスト、スタッフ、その他の出席者を含むガラのために訪れる旅行者の宿泊施設、ホテルの準備も必要、熱意だけでは勝利できない。3ヵ所のパビリオンがあり、ガラ後のパーティー会場、フォトコールができるプレス、レッドカーペットのパティオなどなど。ガラ開催にこれほど申し分のない場所はそんなに多くないでしょうか。歴史的建造物、例えばバジャドリード大聖堂(カテドラル)、サンパブロ教会、国立彫刻美術館、スペイン現代美術館など学問の都市でもあり、観光スポットがたくさんある。

★バジャドリード市長オスカル・プエンテは、「経済的な出費は重いが、より多くのリターンが期待できます。私は今朝列車でやってきて、セビーリャが手にした経済的なインパクトある数字に接しました。それは驚くべきもでした」と語った。2025年の開催地、グラナダ市長フランシスコ・クエンカはテレマティクスを通じて「グラナダ中心地近くの市議会場で開催される」と述べ、「未来志向で、グラナダの組織力を世界に示したい」とコメントした。両市長ともPSEO社会労働党に属し、地方選挙が目前の5月28日と差し迫っており、どうやら目玉イベントを密かに模索しているようです。
スペイン映画アカデミーの新会長にフェルナンド・メンデス=レイテ ― 2022年06月08日 10:53
スペイン映画アカデミー新会長にフェルナンド・メンデス=レイテを選出

(ラファエル・ポルテラ、フェルナンド・メンデス=レイテ、スシ・サンチェス)
★去る6月4日(土曜日)、予定通り第17代スペイン映画アカデミー会長選挙が行われ、アカデミー会員は前任者マリアノ・バロッソ路線を引き継ぐことを明言していたベテラン・シネアスト、78歳のフェルナンド・メンデス=レイテを選びました。他の立候補者は製作者バレリー・デルピエール、女優ルイサ・ガバサ、撮影監督テレサ・メディナ、の女性3人、黒一点?が当選を果たしました。内訳はアカデミー会員2039人、投票権を持っている1846人のうち820人が投票、第一副会長に製作者ラファエル・ポルテラ、第二副会長に女優スシ・サンチェスを従えたメンデス=レイテが348票を獲得しました。会員でも会費が未払いだと選挙権がなく、立候補は3人一組のトリオで選挙に臨むのが決りです。新執行部は月曜日から始動します。セビーリャ開催となった第37回ゴヤ賞2023授賞式の日程と司会者選定を急ぐことになります。

(左から、立候補者に名乗りを上げていたルイサ・ガバサ、メンデス=レイテ、
テレサ・メディナ、バレリー・デルピエール)
★なり手が無くて押し付け合いぎみだった映画アカデミーも、36年間に16人の会長を選出してきた。前回の第16代会長選挙の立候補はバロッソ会長、副会長にラファエル・ポルテラとノラ・ナバスの3人のみで対立候補がなく信任投票だった。ラファエル・ポルテラは続投することになったわけです。彼はバルセロナ派の監督作品を主に手掛けているプロデューサー、キャリア紹介はアップ済みです。主にプロジェクトの一大イベントであるゴヤ賞の日程表作成を急ぐことになります。彼は新視聴覚コミュニケーション法に関して、「アカデミーとしての位置を明確にする必要があり、対話を通じて解決策を見つけねばなりません」と強調している。
*第16代会長選挙とラファエル・ポルテラ紹介は、コチラ⇒2018年06月23日
★新会長メンデス=レイテは、「私は長年、さまざまな政党の政治家に協力してきました。これは私の専門で、自身が直面している難問を解決してきました。文化相や財務相と会って、この新法についても話し合いたい」と語っている。難問は新法に止まらず、映画館での観客の激減、スクリーン向けでない視聴覚製作の増加など新たな課題にも直面している。「アカデミーにはスペイン映画の問題を解決する執行能力は無くても、機関や世論に影響を与える能力はあるでしょう。人々を映画館に戻さねばなりません」と。まわり道でも若者や子供たちにスクリーンで観る楽しさを体験してもらうことが大切、そのための支援が重要です。
★『日曜日の憂鬱』でゴヤ賞2019主演女優賞を受賞したスシ・サンチェスは、他の3組の候補者たちに感謝の意を伝え、全員が同じ価値観をもって参加したと語った。「今期のアカデミーが地平線となりますように」と宣言した。以下でキャリア&フィルモグラフィーをアップしています。
*スシ・サンチェスのキャリア紹介は、コチラ⇒2018年06月21日
★フェルナンド・メンデス=レイテのキャリア紹介:1944年マドリード生れ、バジャドリード大学で法学を専攻、続いてコンプルテンセ大学で映画を学ぶ。映画・TV・演劇の監督、脚本家、作家、映画評論家、製作者と守備範囲は広い。1967年よりTV界に入り70年代にTVシリーズを手掛ける。1968年から81年までバジャドリード大学で映画理論と現代映画史の教鞭をとる。ICAA映画視聴覚芸術研究所総局長(1986~88)、1994年に設立されたECAMマドリード・コミュニティ映画視聴覚学校校長を2011年まで務め、1977年以来のマラガ・フェスティバルの運営委員会のメンバーでもある。アカデミー会長就任後も離れることはない。78歳になったばかりだが精力的に活躍している。シネマ・ライターズ・サークル・メダルを1974年「Galería」と「Cultura」(TVシリーズ)でジャーナリズム賞、1980年 ”Fritz Lang” でブック賞を受賞している。1966年以来、映画批評を日刊紙プエブロとディアリオ16、フォトグラマ誌ほかに執筆している。
★フィルモグラフィーとしては、上記受賞作のほか、カルメン・マウラを起用した「Los libros」(TVシリーズ74~77)や、コメディ映画「El hombre de moda」(80)が代表作、TVミニシリーズ「Sonatas」(83)、最も成功したのはクラリンの小説を映画化した「La regenta」(1995)で、主役の裁判官夫人をアイタナ・サンチェス=ヒホンが演じた。その他「¡Ay, Carmen!」(18)、「La corte de Ana」(20)などのドキュメンタリーを監督している。2006年ゴヤ賞ガラのドキュメンタリーを撮っており、このときの体験を「真実はそれが悪夢に外ならなかったということです」とジョークまじりに語っている。しかし再び戻ってきたわけです。

(フェルナンド・メンデス=レイテ)
スタンダップコメディ 『ダニ・ロビラの嫌悪感』*ネットフリックス配信 ― 2021年05月24日 17:44
生れ故郷マラガで「Odio, Dani Rovira」と題してライブ

★ダニ・ロビラがHodgkin(ホジキンリンパ腫)という癌の診断を受けたのは、2020年3月18日、スペイン政府が新型コロナウイリス蔓延のためロックダウンを宣言した4日後だったという。1週間後SNSで告知すると、友人知人はいうに及ばず見知らぬ人々からの励ましを受けて勇気づけられたという。「Ocho apellidos vascos」共演で意気投合、以来パートナーだったクララ・ラゴとの関係は、前年に終わっていた。リピーターを含めると約1000万人が映画館に足を運んだという、スペイン映画史上最高の収益をだした大ヒット作、二人で設立した慈善財団「Fundación Ochotumbao」の活動は続行している。それとこれは別ということです。クララの新恋人は歌手で俳優のホセ・ルセナということです。
『ダニ・ロビラの嫌悪感』(原題「Odio de Dani Rovira」)
★製作はNetflix、スタンダップコメディ、82分、ライブは2020年11月14日、マラガのソーホー・カイシャバンク劇場 Teatro del Soho CaixaBank、今年のゴヤ賞2021のガラもこの劇場で開催された。2021年2月12日から Netflix で配信が開始されている。

(ソーホー・カイシャバンク劇場のライブ予告から)
★「パンデミックだけでなくがんと闘っている人々へのオマージュ」として企画された。称賛と批判あるいは嫌悪感は背中合わせであるのだが、かなりきわどい発言もあった。2020年11月といえばまだ新型コロナウイルスの真っただ中のはずですが、マスクこそしていましたが会場はほぼ満席に近かったように思え、コロナ禍対応の違いを感じさせた。ロビラが罹患したホジキンリンパ腫という癌は日本では多くないそうですが、治癒が難しいということです。多分本人的には九死に一生を得たということでしょう。40歳で迎えた第二の人生は幕が揚がったばかり、心身のバランスをとって、今後も私たちに笑いを届けてください。
★ダニ・ロビラは1980年11月マラガ生れ、俳優、スタンダップコメディアン、TV司会者、慈善活動家。完全菜食主義者である。18歳で大学進学のためグラナダに移り、グラナダ大学では体育スポーツ科学を専攻した。26歳のとき本格的に俳優の道を目指してマドリードに移住、2004年テレビ界でスタートする。長編映画デビューは、2014年のエミリオ・マルティネス=ラサロのコメディ「Ocho apellidos vascos」の主役に起用され、一躍スターダムにのし上がった。ゴヤ賞2015の総合司会に抜擢され、自身も新人男優賞を受賞した。第2作は、台本を渡されたのはこちらのほうが先だったというマリア・リポルの「Ahora o nunca」(15、邦題『やるなら今しかない!』)。ゴヤ賞ガラは3年連続で総合司会を務めたが、称賛と批判半々に疲労困憊、4回目は引き受けなかった。

(ゴヤ賞2015新人男優賞のトロフィーを手にしたダニ・ロビラ)
*以下に主な活躍を列挙すると(ゴチック体は当ブログ紹介作品)、
2015『オチョ・アペリードス・カタラネス』(「オチョ・アペリードス・バスコス」の続編)
2016『100メートル』マルセル・バレナ監督
2017『ティ・マイ~希望のベトナム』パトリシア・フェレイラ監督
2018『スーパーロペス』ハビエル・ルイス・カルデラ監督
2018「Miamor perdida」エミリオ・マルティネス=ラサロ監督
2019「Taxi a Gibraltar」アレホ・フラ監督、マラガ映画祭2019のオープニング作品
2019「Los Japón」アルバロ・ディアス・ロレンソ監督、マラガFF2019クロージング作品
2021『ジャングルクルーズ』ジャウム・コレット=セラ監督(ディズニー映画)
★邦題はネットフリックスで配信されたときのもの、『ジャングルクルーズ』の撮影は2018年と癌罹患前であるが、もともとの公開日(2020年7月)が、米国の新型コロナウイルス蔓延のため1年後に延期されていた。日米同時公開は2021年7月の予定。本作にはダニ・ロビラのほか、エドガー・ラミレス、キム・グティエレスなどがクレジットされている。キャリア詳細については、以下の作品で紹介しています。
*「Ocho apellidos vascos」の主な作品紹介は、コチラ⇒2014年03月27日
*『やるなら今しかない!』の作品紹介は、コチラ⇒2015年07月14日
*『オチョ・アペリードス・カタラネス』の作品紹介は、コチラ⇒2015年12月09日
*「Miamor perdida」の作品紹介は、コチラ⇒2018年12月14日
サンティアゴ・セグラのコメディがナンバーワン*スペイン映画の2020年 ― 2021年01月04日 15:09
スペインの映画館の興行成績72%ダウンの嘆き
★2020年年明けの1月2月は増加傾向にあった客足も、新型コロナウイルスが到着すると事態は一変する。自宅監禁状態では映画どころではない、ということで1年間の興行成績はトータルで72.%ダウン下落した。なかで気を吐いたのが、7月29日に封切りされたサンティアゴ・セグラの新作コメディ「Padre no hay más que uno 2:La llegada de la suegra」(「Father There is Only One 2」)で、観客動員数2.317,888人、12,938,628ユーロ、第2位のサム・メンデス『1917 命をかけた伝令』は、1,573,320人、9,661,458ユーロ、第92回アカデミー賞の話題をさらったポン・ジュノの『パラサイト 半地下の家族』は、987,089人、6,044,369ユーロで第7位、これもコメディですが笑いの質が違うようです。
*サンティアゴ・セグラの新作コメディの記事は、コチラ⇒2020年09月12日

★「Padre no hay más que uno 2」は2019年に公開された「Padre no hay más que uno」の続編で、コメディ好きの観客には続編が待たれていたから、ある程度は想定内のことでした。「トレンテ」のようにシリーズ化されるのかどうか分かりませんが、巣ごもりでイライラしていた向きには格好の清涼剤でした。子供と犬が活躍するコメディはヒット率が高い。セグラは12歳を頭に4歳までのこましゃくれた5人姉弟の父親ハビエルに扮する。サンセバスチャン映画祭2020メイド・イン・スペイン部門でも上映された。「映画館を潰したくなかった」と監督、同感です。

(自作自演のサンティアゴ・セグラと子役たち、映画から)
★スペイン映画の第2位は、サルバドール・カルボの「Adú」で、ポン・ジュノを抜いて第5位と健闘した。1,088,469人、6,371,655ユーロ、セグラ・コメディの半分にも満たなかったが、サハラ以南の難民問題というテーマで勝負している。カルボ監督は、デビュー作『1898:スペイン領フィリピン最後の日』(16、Netflix)で当ブログに登場させています。同じルイス・トサールとアルバロ・セルバンテスをキャスティング、スタッフも音楽をロケ・バニョス、編集をハイメ・コリスなどとタッグを組んでいます。本作はフォルケ賞2021の作品賞にノミネートされています。

★こちらも西アフリカに位置するベナン共和国生れ、当時6歳だった男の子ムスタファ・ウマルがタイトルのアドゥ役で主演しています。本作もNetflixが一枚噛んでおり、データベースでは各国一斉に配信開始(6月30日)され、日本も含まれていますが検索できません。いずれにしろゴヤ賞最終ノミネートに残るのは間違いないと予想しますので、アップ予定作品の一つです。
追記:「Adú」はスペイン語、ほか英語の字幕入りで配信されておりました。
アルモドバル、ペネロペ・クルス主演で新作 「Madres paraleras」を撮る ― 2020年07月04日 12:29
同じ日に出産した2人の女性の物語

(Efeのインタビューを受けるアルモドバル、マドリードの制作会社事務所にて)
★ペドロ・アルモドバルによると、新型コロナウイルスの感染拡大で自宅自粛をしていた3ヵ月の間に台本執筆に専念した。新作のタイトルは「Madres paraleras」で、ペネロペ・クルスを念頭において書きすすめ、本人もとても気に入ってくれた由。秋10月にクランクイン、今年中になんとかしたい。
★新作は、マドリードを舞台に同じ日に出産した2人の女性の人生が語られるようです。タイトルのパラレルは「平行線の」が語義ですから、似たような、同じような、の意味でしょうか。「幼い子供たちを育てている、今時の母親たちのフェミニンな世界が語られる」とアルモドバル。もう一人の母親役は決まっていないのか発表にならなかった。これだけではどんな映画か想像するしかありませんが、コロナがなければ新作は、初めて挑戦する英語映画、長短編2本のはずでした。
ルシア・ベルリンの小説『掃除婦のための手引き書』の映画化は中断
★短編はジャン・コクトーが1930年に発表した戯曲 ”La Voix humaine”(スペイン語”La voz humana”)の映画化、ティルダ・スウィントンの一人舞台で15分程度のもの、4月撮影開始でしたがパンデミアで中断している。まず2週間くらいの撮影を開始するが、目下遅れや中断を心配している。
★長編は、ルシア・ベルリンの小説『掃除婦のための手引き書』の映画化でしたが、これは中断するしかない。「この映画は少し複雑なうえ、ロケ地がアメリカ、言語は英語だから、一時的に中断するしかない」と監督。もともと彼は浮気っぽくて予告通りに製作してないこと往々にしてある。「製作できない映画やシリーズ物もあるが、少しずつ立ち直っていくと思う。自分は楽観主義者で、例を挙げると、週末には映画館に出かけるつもりです」。お気をつけて。
*短編&長編の紹介記事は、コチラ⇒2020年02月17日

(ルシア・ベルリン著『掃除婦のための手引き書』の表紙)
「スペインクラシック映画上映会」のご案内 ― 2020年05月12日 16:12
スペインクラシック映画の名作10作品が週替わりで楽しめます
★この度インスティトゥト・セルバンテス東京が、文化イベント「スペインクラシック映画上映会」をVimeoチャンネルを通じて英語&ポルトガル語字幕で上映するとアナウンスしました。日時は5月9日から7月11日、毎週土曜日15:00から48時間限定です。週替わり1作ずつ10作です。第1回めは2020年5月9日(15:00~)から、オープニングはフアン・アントニオ・バルデム監督の「あるサイクリストの死」(55)です。スペイン協力開発庁(AECID Film Library)所有のカタログから選ばれたということです。上映順は分かりませんが、10作を纏めた予告編がアップされています。スペイン映画史に名を残した粒揃いの作品です。
★10作の中には「あるサイクリストの死」のように『恐怖の逢びき』の邦題で公開された作品、ルイス・ブニュエルの『ビリディアナ』のように、スペイン本国より日本で先に公開された作品、はたまたスペイン映画祭で上映されただけで未公開に終わったルイス・ガルシア・ベルランガの『ようこそマーシャルさん』(52)、ホセ・アントニオ・ニエベス・コンデの『根なし草』(51)、映画祭上映もなかったベルランガの代表作「死刑執行人」などが選ばれています。

(ガルシア・ベルランガの代表作「死刑執行人」のポスター)
★以下に原題、製作年、監督名、邦題(未紹介作品は仮題)の順で列挙しておきます。「」タイトルは未公開並びに映画祭上映もなかった作品です。映画祭としたのは、1984年10月に開催された「スペイン映画の史的展望<1951~1977>」の略です。この映画祭は一挙に23本を上映するという画期的な企画で、日本におけるスペイン映画元年といってもよいほど素晴らしいものでした。
★第1回目は終了してしまいましたが、来週5月16日も別の作品が上映される予定、以下のリストは上映順ではありません。
1)Los golfos 1961年、カルロス・サウラ、「ならず者/不良たち」(仮題)
*カンヌ映画祭1959出品、公開スペイン1961年。
2)El verdugo 1963年、ルイス・ガルシア・ベルランガ、「死刑執行人」(仮題、伊合作)
*ベネチアFF1963出品、FIPRESCI 受賞、公開マドリード1964年。
3) El pisito 1650年、マルコ・フェレーリ、「小さなアパート」(仮題)
*ロカルノ映画祭1958出品、公開マドリード1959年。
4)Calle mayor 1956年、フアン・アントニオ・バルデム、『大通り』(映画祭)
*ベネチア映画祭1956出品、FIPRESCI 受賞、公開マドリード1956年、日本未公開。
5) Viridiana 1961年、ルイス・ブニュエル、『ビリディアナ』(メキシコ合作)
*カンヌ映画祭1961出品、パルムドール受賞、公開マドリード1977年、日本1964年。
6)La vida por delante 1958年、フェルナンド・フェルナン・ゴメス、
「来たるべき人生」(仮題)
*公開マドリード1958年。
7)El cochecito 1960年、マルコ・フェレーリ、「車椅子」(仮題)
*ベネチア映画祭1960出品、FIPRESCI 受賞、公開バルセロナ1960年。
8)Bienvenido Mr. Marchall 1952年、ルイス・ガルシア・ベルランガ、
『ようこそマーシャルさん』(映画祭)
*カンヌ映画祭1953、コメディ映画賞・脚本賞受賞。公開マドリード1953年、日本未公開。
9)Surcos 1951年、ホセ・アントニオ・ニエベス・コンデ、『根なし草』(映画祭)
*公開バルセロナ1952年、日本未公開。
10)Muerte de un ciclista 1955年、フアン・アントニオ・バルデム、『恐怖の逢びき』
*カンヌ映画祭1955出品、FIPRESCI 受賞。公開マドリード1955年、日本1956年。
本上映会のタイトルは「あるサイクリストの死」と直訳されました。
★以上の10作です。クラシックといっても1950年代が主で、イタリアのネオレアリズモに影響を受けた作品から選ばれています。邦題がどのようになるか分かりませんが、一応仮題をつけておきました。この監督を選ぶなら「これよりあっちのほうがよかった」と思う作品も無きにしも非ずですが、スペイン映画の基礎をつくった作品群ではないでしょうか。巣ごもりのイライラ解消の一助となることを願っています。
2017年のスペイン映画は過去5年間の最低を記録 ― 2017年12月31日 17:12
映画業界は、最低でも落ち込んでいません!
★2017年の「スペイン映画は、過去5年間の最低を記録」と嬉しくない数字が発表になりました(12月16日)。年の瀬が迫るとこういう総括的な記事が増えてくる。2017年は「Ocho apellidos vascos」(2014年、5600万ユーロ)や昨年のフアン・アントニオ・バヨナの『怪物はささやく』(国内374万ドル、海外4357万ドル、トータル4730万ドル)のようなビッグネームのヒット作がなかったから、ある程度予想されたことでした。それでも200万ユーロ以上を売り上げた映画が13作もあったというから、観客の好みの分散化が起きているのかもしれません。12月17日調べで9560万ユーロ、まだ大晦日までに2週間あるから1億ユーロに近づけるかもしれない。

(アレックス・デ・ラ・イグレシアの「Perfectos desconocidos」から)
★1年でも暑い夏が終わり、映画館に足を運ぶようになる書き入れ時の9月から10月にかけてが振るわなかった。カタルーニャ独立問題を抱えたスペイン第二の都市バルセロナが名指しで戦犯になっている。というのは新人二人のハビ(カルボ&アンブロッシ)のミュージカル『ホーリー・キャンプ!』の公開と独立「Yes 対No」選挙が重なり、市民は映画どころではなかったからだそうです。しかし11月10日にイサベル・コイシェの「La libreria」、12月1日にアレックス・デ・ラ・イグレシアの新作「Perfectos desconocidos」が公開されて好転の兆しが見えてきた。ゴヤ賞ドキュメンタリー賞にノミネートされているグスタボ・サルメロンの「Muchos hijos, un mono y un castillo」も気を吐いているようです。サルメロン監督の母親が主人公、サルメロン一家はかなりユニークな家族のようで、これは授賞式までにアップしたい。多分受賞する確率が高い。

(ハビエル・カルボとハビエル・アンブロッシ、サンセバスチャン映画祭2017)

(「Muchos hijos, un mono y un castillo」の母親フリア・サルメロン)
★ゴヤ賞のアニメーション映画はアップしませんでしたが、有力候補というか受賞確実と言われているのが、エンリケ・ガトとダビ・アロンソの「Tadeo Jones 2: El secreto del rey Midas」、今年の出世頭第1位の1790万€とほぼ5分の1を売り上げている。第2位がゴヤ賞ノミネーション0個のアレックス・デ・ラ・イグレシアの「Perfectos desconocidos」1110万€、第3位が同じく0個のカルロス・テロンTherónのコメディ「Es por tu bien」960万€、第4位セルヒオ・G・サンチェスのデビュー作「El secreto de Marrowbone」720万€・・・と続き、彼は新人監督賞にノミネートされています。大体上位10本まではゴヤ賞と縁が薄く、ましてや作品賞受賞は稀れ、昨年の『怪物はささやく』はバヨナが監督賞こそ受賞しましたが、作品賞はラウル・アレバロのデビュー作『物静かな男の復讐』でした。

(アニメーション「Tadeo Jones 2: El secreto del rey Midas」から)

(ホセ・コロナド、ハビエル・カマラ、ロベルト・アラモ、「Es por tu bien」から)
★海外というかハリウッド映画を含む全公開作品のトップは、ディズニー不朽の名作をビル・コンドンが実写化した『美女と野獣』の2200万ユーロでした。エマ・ワトソンは頑張りましたが、130分は付添いの大人には長すぎました。ゴヤ賞にノミネーションされた作品のうち、Apache Filmsが製作を手掛けた、パコ・プラサの「Verónica」(売上353万€)、ビクトル・ガルシア・レオンのコメディ「Selfie」(製作資金1万€!)、『ホーリー・キャンプ!』(売上270万€)、アグスティン・ディアス・ヤネスの「Oro」(製作資金800万€)など、まだ正確な数字が出ていないものを含めて成果が表れている。大当たりしなくても小額当選金が積み重なれば、宝くじのように悪くないということらしい。

(新人男優賞ノミネート自撮りするサンティアゴ・アルベル、「Selfie」から)
★来年2018年の目玉は、『プリズン211』や『エル・ニーニョ』の監督ダニエル・モンソンが「Yucatán」を発表する。他に『ゴースト・スクール』や『SPY TIME-スパイ・タイム』でお馴染みのハビエル・ルイス・カルデラの「Superlópez」も目玉のようです。「映画は映画館で」という映画鑑賞の形態も変化しつつあり、みんなが同一作品を見る時代ではなくなった。
ピラール・バルデムが輝いた夕べ*祝AISGE設立15周年 ― 2017年06月13日 16:06
「母は引退を望まない、私たちも続投を望んでいる」とバルデム3兄弟
★6月5日(月)、AISGE*設立15周年祭がマドリードのCirco Price劇場**で行われた。どうしてピラール・バルデムがヒロインだったのかと言えば、AISGE設立時からの功労者、なおかつ現理事長でもあるからです。2013年から肺気腫を病み、当夜も左手に酸素ボンベをぶら下げての登壇、15周年のお祝いは、結局ピラールへのオマージュとして開催されたようなわけでした。3人の子供(カルロス、モニカ、ハビエル)と二人のお嫁さん(ペネロペ・クルス、セシリア・Gessa)ほか、参加者はビクトル・マヌエルとアナ・ベレン夫妻、ミゲル・リオス、ジョアン・マヌエル・セラ、アシエル・エチェアンディア、ロッシ・デ・パルマ、ゴヤ・トレド、アイタナ・サンチェス=ヒホン・・・などなど総勢1300人ほどが参集、他にペドロ・アルモドバル、アントニオ・バンデラス、コンチャ・ベラスコ、カルメン・マチなどからビデオで祝辞が届けられた。

(左から、登壇したバルデム一家、ハビエル、モニカ、ピラール、カルロス)
*AISGE:Artistas, Intérpretes, Sociedad de Gestiónの略、映画と舞台の俳優、声優、舞踊家、監督など、スペインのアーティストすべての権利を守るための交渉団体。2002年設立、執行部は25名、理事長の任期は4年、選挙によって選ばれる。しかし2003年以来ピラール・バルデムが連続して再選されており、常に二番手になりやすい女性アーティストの地位向上に尽力している。
**Circo Price:トーマス・プライス(アイルランド出身)が1853年設立したプライス・サーカス曲馬団が前身、スペインには1880年に来西した。1970年閉鎖した劇場跡に、マドリード市議会の肝煎りで文化施設として、2007年リニューアル・オープンした。所在地ロンダ・デ・アトーチャ、2000人収容、音楽会などイベントが開催されている。

(1列中央席のピラールと家族、フィエスタ会場にて)
★ピラール・バルデムPilar Bardem、1939年3月14日、セビーリャ生れの78歳、映画81本、舞台43本、テレビ・シリーズ31本、まさに女優一筋の人生を歩んでいる。故アントニオ・バルデム(『恐怖の逢びき』)は実兄。ゴヤ賞は、1995年、アグスティン・ディアス・ヤネスの「Nadie hablará de nosotras cuando hayamos muerto」で助演女優賞受賞、2004年、ホセ・ルイス・ガルシア・サンチェスの「María querida」で主演女優賞ノミネートの2回だけと少ない。徹底したフランコ嫌い、物言う反戦女優としても有名。2013年以来健康不安を抱えているが、まだ「引退」したわけではない。「私がすぐ死ぬことを子供たちは望んでいないし、私も第三共和制を見るまでは死ねない」とスピーチ、現在の立憲君主制は勿論気に入らない。というわけで死神は当分お呼びでない。しかし、前日打ち合わせのために母親と会ったハビエルによると、「まるでマイク・タイソンと闘った後のようだった」と冗談めかして語っている。3時間に及んだというフィエスタの夕べは、バルデム家の女家長には結構激務だったのではないでしょうか。

(「・・・第三共和制を見るまでは・・・」とスピーチするピラール、左はモニカ)
★下の写真は当夜のハイライトの一つ、コミック・トリオ「Tricicle」***の演技、毛糸の帽子とピエロの付け鼻がトレードマーク。4人なのはピラールの息子が飛び入り出演しているからだそうです(右端の赤い帽子がハビエル)。彼はアシエル・エチェアンディア(ビルバオ出身の歌手、俳優、「La novia」「Ma ma」)がイタリアの「あまい囁きParole parole」を歌ったときにはボンゴを叩いた。ミゲル・リオス、ビクトル・マヌエルとアナ・ベレンの左翼カップルも「見て、見て・・・なんてピラールは素敵なの・・!」と歌で呼びかけた。バルデム一家にとって一生涯忘れられない感激の一夜となった。

(コミック・トリオ「Tricicle」とハビエル・バルデム)

(ボンゴを叩くハビエル、「あまい囁き」を熱唱するアシエル・エチェアンディア)

(ビクトル・マヌエル、アナ・ベレン、ミゲル・リオス)
***バルセロナ演劇研究所の3人の学生が、1979年バルセロナで結成したコミック・トリオ。モンティー・パイソン、ローワン・アトキンソン、またはMr.ビーンの流れを汲むパントマイムが得意。舞台出演が主だがテレビや映画にも出演している。
アントニオ・レシネス*スペイン映画アカデミー会長を辞任 ― 2016年07月15日 09:29
不協和音がつづくスペイン映画アカデミー
★2週間前にグラシア・ケレヘタの副会長辞任が受理されたニュースをアップしたばかりですが、13日アントニオ・レシネスも会長辞任を表明、当然3人セットですから、もう一人の副会長エドモンド・ロチも右へならえです。「撤回不可能の決心」というわけで昨年5月5日に新体制が発足して以来14ヶ月の短命に終わりました。これでは都知事選同様年中行事化しかねませんが、フェルナンド・トゥルエバのように1年未満の方もおりますから、よくもったとも言えるでしょうか。混迷を深める政治経済とも絡んで現役の俳優や監督が兼職するには限界があるということかもしれません。レシネスは「アカデミーが難問山積なのは充分承知で引き受けたが、連日のように持ち込まれる些末な揉め事には対応できなかった。より作業能力に優れている人にお願いしたい」と皮肉たっぷりのコメントをいたしました。また現行の「選挙法」に問題があるという指摘もしたようです。

★野球に譬えると、現場監督(アカデミー側)と球団運営フロント(重役会)の摩擦や食い違いが常にあって、フロントからの些細な要求に納得できなかったのが背景にあるようです。前会長とポルフィリオ・エンリケスCEOとの関係は比較的良好と言われていただけに残念な結果になりました。現在の会員は約1400人、アカデミー執行部は14名、任期は6年で日本の参院選のように3年毎に半分が改選されるシステムです。次期会長はどなたになるのか、いずれにせよ会長辞任ですから再選挙がおこなわれる。
★スペイン映画芸術科学アカデミー設立の発端は、今から遡ること30年、プロデューサーのアルフレッド・マタスの呼びかけで1985年12月12日、マドリードのレストランでの会合から始まった。いわゆるマドリード派の監督ルイス・ガルシア・ベルランガやカルロス・サウラ、製作者マリソル・カルニセロ、テディ・ビジャルバ、俳優ホセ・サクリスタン、チャロ・ロペス、編集者パブロ・ゴンサレス・デル・アモ、作曲家ホセ・ニエト、美術監督ラミロ・ゴメスなどが参加した。正式な発足は1986年、ホセ・マリア・ゴンサレス・シンデ監督が初代会長に就任した。
★監督、脚本家のアンヘレス・ゴンサレス=シンデは初代の娘、社労党PSOEのホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ政権の文化教育スポーツ相就任のため、任期半ばで辞任した。映画産業に多くの予算を回したことで、国民党PPから「あなたは映画大臣ではなく、文化教育スポーツ省の大臣だ」と野次を飛ばされた(笑)。今思うとあの頃はPSOEとPPの二大政党だったのでした。『プリズン211』、『悲しみのミルク』、『瞳の奥の秘密』、『デブたち』、『ナイト・トーキョー・デイ』、『泥棒と踊り子』の名作が上映された「スペイン映画祭2009」の企画者が彼女でした。
*歴代スペイン映画アカデミー会長*
初代 1986~88 ホセ・マリア・ゴンサレス・シンデ
2代 1988 フェルナンド・トゥルエバ
3代 1988~92 アントニオ・ヒメネス・リコ
4代 1992~94 フェルナンド・レイ
5代 1994 ヘラルド・エレロ
6代 1994~98 ホセ・ルイス・ボラウ
7代 1998~2000 アイタナ・サンチェス=ヒホン
8代 2000~03 マリサ・パレデス
9代 2003~06 メルセデス・サンピエトロ
10代 2006~09 アンヘレス・ゴンサレス=シンデ
11代 2009 エドゥアルド・カンポイ
12代 2009~11 アレックス・デ・ラ・イグレシア
13代 2011~15 エンリケ・ゴンサレス・マチョ
14代 2015~16 アントニオ・レシネス
15代 2016~ ?
★13代のゴンサレス・マチョのように2期目途中での辞任は少数派、1年未満が3人もいて3年の任期を全うするのは難しいようです。
*グラシア・ケレヘタ副会長辞任の記事は、コチラ⇒2016年7月5日
ロルカの死をめぐる謎に新資料*マルタ・オソリオ ― 2015年09月11日 22:20
恐怖 miedo から謎 enigma へ―失われた鎖の輪を探す
★毎年命日の8月18日が近づくとフェデリコ・ガルシア・ロルカの周りが騒がしくなる。2012年にはロルカ最後のアマンテは、定説になっている「ラファエル・ロドリゲス・ラプンではない」というマヌエル・レイナの“Los amores oscuros”が出てサプライズがあった。今年は没後79周年、本当に「光陰矢の如し」です。スペインでもっとも有名な詩人の謎に満ちた死についての研究でタクトを振っているのが、ロルカと同郷のマルタ・オソリオです。最近新資料をもとに“El enigma de una muerte. Crónica
comentada de la correspondencia entre Agustín Penón y Emilia Llanos”という長いタイトルの研究書をコマレス社から刊行して話題になっています。直訳すると「ある死をめぐる謎:アグスティン・ペノンとエミリア・リャノスの往復書簡注釈記録」でしょうか(オソリオについては後述)。

★オソリオは15年前に同社から“Miedo, olvido y fantasía: Crónica
de la investigación de Agustín Penón sobre Federico García Lorca(1955~1956)”(2000、直訳「恐怖、忘却と空想:ロルカについてのアグスティン・ペノンの調査記録」)を上梓しています。これはペノンの資料をもとに、闇の中に埋もれていた独裁者の犯罪に光を当てたものでしたが、新作はこれを補う内容をもつようです。結論としては、往復書簡から見えてきたのは、「証言者たちが、ロルカが銃殺された場所として指し示した墓穴から、遺体は他に移されていた」ということです。オソリオは一応これでロルカの死をめぐるテーマにけりが付いたので、これからは短編や物語の執筆に戻りたい、つまり決定版ということです。
★アグスティン・ペノン(1920~1976)という人は、バルセロナ生れだが、内戦時に家族と一緒にアメリカに亡命してアメリカ国籍を取った熱烈なロルカ信奉者。アメリカのパスポートで1955年スペインに入国、バルセロナで知り合った舞台演出家ウィリアム・レイトンと一緒にグラナダに滞在して、18カ月ほどロルカの死をめぐる聞き書き調査をした。レイトンはテレノベラのラジオ版脚本で得た資金を蓄えていた。クエーカー教徒で、内戦後のスペイン旅行に費やしていた。タイトルに(1955~1956)とあるのはペノンが調査した期間を示しています。しかし、当時のフランコ体制側からの監視の目は厳しく、ゲイの<アカ>をしつこく嗅ぎまわっている男は「ロシアのスパイか、アメリカCIAのメンバーに違いない」と圧力を掛けてきた。当時のグラナダは<恐怖>が支配していて、身の危険を感じたペノンは調査を打ち切って帰国した。収集した全資料はスーツケースに収められ、当時ペノンが暮らしていたニューヨークに運ばれ保管されていた。

(左から、調査をするアグスティン・ペノンとウィリアム・レイトン)
★フランコ政権での出版は、取材相手に危険が及ぶことが考えられ時の来るのを待っていた。帰国後ペノンとレイトンは別の人生を歩いていたが、何か予感めいたものがあったのか、ペノンは「私にもしものことがあったらスーツケースを預かって欲しい」とレイトンに頼んでいた。1976年ペノンはコスタリカの首都サン・ホセに住んでいた両親に会いに行った先で突然の死に見舞われた。フランコ没後1年も経っていなかった。遺言通り資料はレイトンのもとに渡ったが出版されることもなく静かに眠っていた。レイトンは長生きして1995年に亡くなった。巡りめぐって資料は最終的にマルタ・オソリオの手に渡った。スーツケースの長い旅も詩人の死同様、数奇な運命を辿ったことになる。

(アグスティン・ペノン)
★エミリア・リャノスは、ロルカの10歳年上の親しい友人でグラナダに住んでいた。家族同士の付き合いだった。1936年7月14日、ロルカは故郷への最後の旅をした。7月20日グラナダ守備隊が蜂起、急激に事態が悪化して共和派関係者は一挙に検挙投獄された。ロルカにも危険が迫り避難先の候補の一つとして選ばれたのがリャノス家だった。結果的にはファランヘ党のリーダーだったロサレス兄弟の家に落着くのだが、兄弟の留守中に逮捕されてしまう。ペノンはこのルイス・ロサレス、ホセ・ロサレスのインタビューも行っている。
★ペノンが聞き書きをした中で特に親交を重ねた証言者がエミリア・リャノスで、彼が帰国した後も手紙のやり取りをしており、これが新作の資料になっている。リャノスは書簡で、最初は「オリーブの木の下に埋められ、その後そこから移されたのです」と書いている。秘密にしているのは「或る有力者」から口止めされているからだと。今ではその「或る有力者」が当時の極め付きのフランコ主義者、グラナダ市長ガジェゴ・ブリンだったことが分かっている(ペノンは息子アントニオ・ガジェゴにも取材している)。内戦後のグラナダは恐怖の坩堝で、<フェデリコ>は禁句だった。移された場所はどこか分からないが、ビスナルからアルファカルに行く道路沿いの何処かしか分かっていない。ビスナルというのはナショナリストたちが<好ましからざる>人物たちを処刑した場所です。「誰も何も知らないのです」とオソリオ、死後80年も経てば、生存者は殆どいない、何か新資料が出ない限り闇の中ということか。

(ロルカが唯一愛した女性といわれるエミリア・リャノス)
★マルタ・オソリオはグラナダ生れの作家、かつては舞台女優(1961~65)であった。1966年、児童図書“El caballito que queria volar”で「ラサリーリョ賞」を受賞。日本では“Jinetes en caballos de palo”(1982)が『棒きれ木馬の騎手たち』(行路社)の邦題で翻訳されている。ロルカ研究者というより児童文学者として知られていると思います。生年が確認できてないのですが(調べ方が悪い)、「レアレホにある私の家から、フランコ主義者が思想家、文学者、自由主義者、先生たちを銃殺するのを見ないで過ごすことは難しかった」と語っているところから、人生の初めに内戦を体験した世代だと思います(レアレホはグラナダ市郊外、アルハンブラの近くの地区)。
★「ペノンが残した資料に導かれて、資料に敬意を払って」編纂した。「自分を黒子にして、自分の意見を加えることをしたくなかった」とも語っている。なかなか真似できない研究態度です。志を遂げることなく旅立ってしまったペノンへの哀悼の意が感じられる。オソリオは「家族が遺体を移した可能性もあるが」、「ロルカの墓穴が共和派の聖地になるのを恐れたフランコ主義者の命令で移された」と考えているようです。ペノンが公刊しなかった理由は一つでなく、いくつか考えられると話す。「彼は感受性豊かな人で、ロルカに関して生み出された沈黙と挫折の世界を暴くのを躊躇した」とオソリオ。ロルカの死に拘りつづけたペノンとリャノスは、真相を突き止めるのを諦めなかったようです。

(マルタ・オソリオ、グラナダの自宅の庭で、2012年撮影)
★日本では翻訳書も出ているギブソンの『ロルカ』*が、日本語で読めるロルカの伝記として決定版だと思う。本書は評価も高くベストセラーにもなった。本書にもエミリア・リャノスは登場している。夥しい参考資料から分かるように力作には違いないが、今では間違いも指摘されている。特にロルカの晩年、死をめぐる記述には問題があるという。オソリオが第1作を上梓した理由もギブソンの「不完全」版を変えたかったからだと語っている。特にペノンの資料があることを知っていたのに無視したことを非難している。
★イアン・ギブソンは1939年ダブリン生まれ、フランコ時代の1965年に来西してグラナダに1年ほど取材して、『ロルカ・スペインの死』**を出版した。フランコ没後、より正確な伝記執筆を考え、1978年来西、グラナダにどっしり腰を下ろして、1984年にはスペイン国籍まで取得して完成させたのが『ロルカ』です。これにロルカ最後のアマンテとして度々登場するのがラファエル・ロドリゲス・ラプンです。

(ロルカとラファエル・ロドリゲス・ラプン)
★しかしラプンではなく、実は「最後のアマンテは私です」というフアン・ラミレス・デ・ルカスの告白を載せた本が出版された。それが冒頭に書いたマヌエル・レイナの“Los amores oscuros”(2012)です。1917年アルバセテ生れ、1934年にマドリードでロルカと出会ったとき未だ17歳だった。愛は詩人の死で終止符がうたれたが、彼は長生きして2010年に93歳で没した。無名の人ではなく、日刊紙「ABC」などに芸術コラムを執筆していた有名なジャーナリストだった。レイナは1974年カディス生れ、小説家、詩人、脚本家、戯曲家、一時期「ABC」紙のコラムニストだった。ギブソンを責められないが聞き書きという作業の落とし穴をみる思いです。

(美青年だったというフアン・ラミレス・デ・ルカス)
★ロルカの親しい友人たちは皆知っていたが、内戦が激しくなったうえ、ロルカが殺害されたことを考えると沈黙を守らざるを得なかった。ロルカからの「メキシコに一緒に亡命しよう」という内容の手紙があるようです。ロルカにはコロンビアとメキシコの両国から亡命の許可が下りていたから、亡命しようと思えばできたというのは最初から言われていたこと。何故メキシコ亡命を選ばず危険なグラナダに帰郷したかが謎だったはずです。デ・ルカスは亡命には親の承諾が必要な年齢だったので同行できない、ロルカは彼が一緒でなければ亡命したくない、ということなのでしょうか。ロルカは彼のために秘密を墓場まで持っていった。これは別テーマなので深入りしませんが、アグスティン・ペノンが後にフアン・ラミレス・デ・ルカスと会っているという事実です。ペノンが公刊しなかった理由の一つかもしれません。

(“Los
amores oscuros” のポスターを背にしたマヌエル・レイナ)
*イアン・ギブソン『ロルカ』(中央公論社1997刊)
“Federico García Lorca: A Life”(英語版、ロンドン1989)、2部立てのスペイン語版を1冊にまとめたもの(1部1985年、2部1987年、バルセロナ)
**イアン・ギブソン『ロルカ・スペインの死』(晶文社1973年刊)、“La represión nacionalista de Granada en 1936
y la muerte de Federico García Lorca”(パリ、1971)
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