ニューディレクターズ部門ノミネーション*サンセバスチャン映画祭2016 ④2016年08月14日 17:55

         スペイン語映画はスペインの他アルゼンチンから2作品

 

   

 

★スペインからはネリー・レゲラのMaría (y los demás)1作のみ、アルゼンチンからフェデリコ・ゴッドフリードのPinamar、モロコ・コルマンのFin de semana2作です。長編映画デビュー作になるわけですが、脚本家、助監督としてのキャリア、短編映画やドキュメンタリー製作など、かなり経験を積んだ監督が多い部門でもある。

 

    ニューディレクターズ部門

María (y los demás) ネリー・レゲラ スペイン 2016 

人生の岐路に立つマリアの物語。35歳になったマリア(バルバラ・レニー)は、母親が亡くなったことで、介護が必要な父親(ホセ・アンヘル・エヒド)の世話と弟妹たちの面倒をみることになる。というのもマリアが家族の大黒柱だったからだ。しかし父親が介護師のカチータ(マリア・スケル)と結婚したいと言い出したことで、今までの人生観が脆くも崩れ去った。マリアはこれからの生き方を変える必要に迫られる。

 

 

*作品データ:製作Avalon / Frida Films 他、監督・脚本ネリー・レゲラの初監督作品、2016年、ガリシア・テレビTVGが参画、撮影地ガリシア州ア・コルーニャ県の自治体クジェレード、スペイン公開107日が決定している。

*キャストバルバラ・レニー(マリア)、ホセ・アンヘル・エヒド(父アントニオ)、ロシオ・レオン(フリア)、ビト・サンス(トニ)、マリナ・スケル(カチータ)、ルイサ・メレラス(ロサリオ)、パブロ・デルキ、フリアン・ビジャグラン、アイシャ・ビジャグラン、ほか多数

 

(マリア役のバルバラ・レニー)

 

ネリー・レゲラNery Reguera、カタルーニャ出身の脚本家、監督。短編Ausencias02)でデビュー、同Pablo09)、マル・コルがゴヤ賞新人監督賞を受賞した『家族との3日間』09、“Tres dias con la familia”)の第1助監督を務めた。本作は東京国際女性映画祭2010のオープニング作品、まだデータが少ないかんとくだが、追い追い増えていくと思います。

 

(撮影中の監督とバルバラ・レニー)

     

    

*トレビア:撮影地クジェレードは、ア・コルーニャ県でも1213世紀の建築物が残っている美しい町、人口は現在3万人に満たないが、有名レストランパソ・デ・ビラボアでの結婚式など観光地として人気が高い。ガリシア語話者85パーセント以上と高率です。バルバラ・レニーによると、「こんな素晴らしい土地での撮影は初めて」と感激、北スペインはサンセバスチャンだけでなく魚貝類料理が美味しいようです。「暗い悲劇のようにみえますが、決してそうではない」とも語っている。『エル・ニーニョ』や『マジカル・ガール』出演により日本でも知名度が高くなりつつある。共演者のホセ・アンヘル・エヒドやパブロ・デルキは、短編Pablo”にも出演しているベテランです。個人的には来年のゴヤ賞新人監督賞が楽しみになってきました。

 

 

Pinamar フェデリコ・ゴッドフリード アルゼンチン 2016

母親が亡くなり、パブロとミゲルの兄弟がピナマルに帰ってくる。母親との別離の他に相続、つまり家族所有のアパートを売却するためだった。パブロはできる限り早く片付けて帰りたい、一方ミゲルは滞在をゆっくり楽しみたい。期せずしてこの旅は彼らの関係を見つめなおすことになる。

*フェデリコ・ゴッドフリードFederico Godfridは、アルゼンチンの監督、脚本家、俳優。2008年、フアン・サシアインとの共同監督の長編デビュー作La Tigra, Chacoはロマンチックコメディ。本作が初の単独での監督。俳優としては、アドリアン・Szmuklerの“Prepotencia de trabajo”(11)に出演している。

 

 

Fin de semana モロコ・コルマン アルゼンチン 2016 77

カルラ(マリア・ウセド)は数年ぶりにマルティナ(ソフィア・ラナロ)と過ごすために山間のサンロケ湖にやって来る。二人の関係がどこかよそよそしいのは、互いに語られない何か秘密があるようだった。マルティナにはディエゴ(リサンドロ・ロドリゲス)という人目を忍ぶ相手がおり、二人は激しいセックスゲームから抜けだせないでいた。カルラはこの関係を知ると、ディエゴと対決しようとする。 

(映画から)

    

 

   

 (左から、ソフィア・ラナロ、マリア・ウセド、モニカ役エバ・ブランコ、撮影現場から)

 

*モロコ・コルマンMoroco Colmanは、アルゼンチンのコルドバ出身の監督、脚本家、製作者。1990年代からコルドバでは有名なDJとして活躍している。2010年に同タイトルの短編Fin de semanaがサンセバスチャ映画祭2010で上映されている。俳優も別ならストーリーも母娘の関係になっている。しかし舞台が都会でなく山に囲まれた湖に設定するという大枠は、短編を踏襲している。監督によると「山間の湖を舞台にすることが重要だった」と語っている。2011年に短編Lauraを撮っている。 

(モロコ・コルマン監督)

  

パールズPerlas / Pearls)部門

★チリ=仏=アルゼンチン=西合作、パブロ・ララインNeruda(「ネルーダ」)1作のみです。カンヌ映画祭と並行して開催される「監督週間」にノミネーションされた折に、監督フィルモグラフィー並びにキャスト、ストーリーを紹介しております。尚、今年のトロント映画祭でも「スペシャル・プレゼンテーション」部門にエントリーされております。

主な監督&作品紹介の記事は、コチラ⇒2016516


アントニオ・レシネス*スペイン映画アカデミー会長を辞任2016年07月15日 09:29

            不協和音がつづくスペイン映画アカデミー

 

2週間前にグラシア・ケレヘタの副会長辞任が受理されたニュースをアップしたばかりですが、13アントニオ・レシネスも会長辞任を表明、当然もう一人の副会長エドモン・ロチも右へならえです。「撤回不可能の決心」というわけで昨年55日に新体制が発足して以来14ヶ月の短命に終わりました。これでは都知事選同様年中行事化しかねませんが、フェルナンド・トゥルエバのように1年未満の方もおりますから、よくもったとも言えるでしょうか。混迷を深める政治経済とも絡んで現役の俳優や監督が兼職するには限界があるということかもしれません。レシネスは「アカデミーが難問山積なのは充分承知で引き受けたが、連日のように持ち込まれる些末な揉め事には対応できなかった。より作業能力に優れている人にお願いしたい」と皮肉たっぷりのコメントをいたしました。また現行の「選挙法」に問題があるという指摘もしたようです。

 

  
    (ヨーロッパ・プレスに辞任会見をする前アカデミー映画会長アントニオ・レシネス)

 

★野球に譬えると、現場監督(アカデミー側)と球団運営フロント(重役会)の摩擦や食い違いが常にあって、フロントからの些細な要求に納得できなかったのが背景にあるようです。前会長とポルフィリオ・エンリケスCEOとの関係は比較的良好と言われていただけに残念な結果になりました。現在の会員は約1400人、アカデミー執行部は14名、任期は6年で日本の参院選のように3年毎に半分が改選されるシステムです。次期会長はどなたになるのか、いずれにせよ会長辞任ですから再選挙がおこなわれる。

 

★スペイン映画芸術科学アカデミー設立の発端は、今から遡ること30年、プロデューサーのアルフレッド・マタスの呼びかけで19851212日、マドリードのレストランでの会合から始まった。いわゆるマドリード派の監督ルイス・ガルシア・ベルランガやカルロス・サウラ、製作者マリソル・カルニセロ、テディ・ビジャルバ、俳優ホセ・サクリスタン、チャロ・ロペス、編集者パブロ・ゴンサレス・デル・アモ、作曲家ホセ・ニエト、美術監督ラミロ・ゴメスなどが参加した。正式な発足は1986年、ホセ・マリア・ゴンサレス・シンデ監督が初代会長に就任した。

 

★監督、脚本家のアンヘレス・ゴンサレス=シンデは初代の娘、社労党PSOEのホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ政権の文化教育スポーツ相就任のため、任期半ばで辞任した。映画産業に多くの予算を回したことで、国民党PPから「あなたは映画大臣ではなく、文化教育スポーツ省の大臣だ」と野次を飛ばされた(笑)。今思うとあの頃はPSOEPPの二大政党だったのでした。『プリズン211』、『悲しみのミルク』、『瞳の奥の秘密』、『デブたち』、『ナイト・トーキョー・デイ』、『泥棒と踊り子』の名作が上映された「スペイン映画祭2009」の企画者が彼女でした。

 

歴代スペイン映画アカデミー会長

初代 198688   ホセ・マリア・ゴンサレス・シンデ

2 1988       フェルナンド・トゥルエバ

3 198892   アントニオ・ヒメネス・リコ

4 199294   フェルナンド・レイ

5 1994      ヘラルド・エレロ

6 199498   ホセ・ルイス・ボラウ

7 19982000  アイタナ・サンチェス=ヒホン

8 200003   マリサ・パレデス

9 200306   メルセデス・サンピエトロ

10 200609   アンヘレス・ゴンサレス=シンデ

11 2009     エドゥアルド・カンポイ

12 200911   アレックス・デ・ラ・イグレシア

13 201115      エンリケ・ゴンサレス・マチョ

14 201516   アントニオ・レシネス

15 2016~           

 

13代のゴンサレス・マチョのように2期目途中での辞任は少数派、1年未満が3人もいて3年の任期を全うするのは難しいようです。

グラシア・ケレヘタ副会長辞任の記事は、コチラ⇒201675

 

アルモドバル”Julieta”*カンヌ映画祭2016ノミネーション発表 ①2016年05月08日 15:50

                騒々しいカンヌの季節が巡ってきました!

 

           

               (カンヌ映画祭2016のポスター)

 

★第69回カンヌ映画祭は511日に開幕、結果発表が22日という長いショービジネスです。コンペティションには、スペインからはアルモドバルJulieta1作だけですが、ないよりあるだけマシでしょうか。カンヌに照準を合わせて映画製作をしている監督、まだキャストもロッシ・デ・パルマしかアナウンスされていなかったときからノミネーション確率は120パーセントだったから誰も驚かない。逆にノミネーションされなかったらサプライズだったでしょう。パルムドール5回目の挑戦です。過去には『オール・アバウト・マイ・マザー』99)で監督賞、『ボルベール〈帰郷〉』06)で脚本賞、しかし肝心のパルムドールには嫌われている。もっともスペイン人の受賞者は半世紀以上前のブニュエルだけかも。受賞作品はフランコ体制下では物議をかもしても当然だった『ビリディアナ』(1961)でした。他『抱擁のかけら』と『私が、生きる肌』はノミネーションだけ、『バッド・エデュケーション』はコンペ外でした。

 

  

                       (“Julieta”のポスター、2人のフリエタ)

 

★監督自身は兄弟の製作会社「エル・デセオ」が、例の「パナマ文書」に関係していたため大ツナミに襲われ窮地に立たされています。幸い日本ではアルモドバルの名前は報道されなかったと思う。監督は責任を認めていますが、ただしメディアの扇情的な報道の仕方には「遺憾」を表明しています。納税の義務は遅滞なく果たすと強調しておりました。そもそもの発端は、ジュネーブのモサック・フォンセカ法律事務所のPCがハッキングされて流失した機密文書、兄弟はこの法律事務所に1990年代の初めから委託していたようです。つまり他にもヴァージン諸島なども利用していたということでしょうか。 

   

                                    (最近のアルモドバル、20164月、マドリードにて)

 

★映画に戻ると、“Julieta”のテーマは、息が詰まるような性道徳観に風穴をあけたいという監督の思いというか挑戦があるように感じますが、共感するかしないかは、いずれ分かります。ヒロインは30年にわたって無理解に苦しむわけですが、母と娘の関係は難しい。今年のカンヌの顔ぶれは結構大物監督が目立ちます。アルモドバルの下馬評は悪くない位置につけているようですが、こればかりは蓋を開けてみないと分からない。

Julieta”のデータやキャスト紹介の記事は、コチラ⇒2016219

    

  

      メキシコでもなくアルゼンチンでもなく、ブラジル映画がノミネーション

 

★今年のカンヌにはメキシコは残れず、ブラジルからKleber Mendonça Filho1968年生れ、クレベール・メンドンサ・フィリオ)のAquarius(仏合作)がノミネートされています。長編は2作目ですが、1997年より多くの中短編、ドキュメンタリーなどを発表している。デビュー作O som ao redor(“Neighboring Sounds”)は、ロッテルダム映画祭2012で上映され、ヒューバート・バルシ基金を貰った。トロント映画祭を含め海外の映画祭でも上映された作品です。日本で毎年開催されるブラジル映画祭に出品されたかどうか、スペイン語映画ではないので調べておりません。オスカー賞2014のブラジル代表作品に選ばれた由。第2作はソニア・ブラガが演じる音楽評論家クララの物語、3人の子供も独立、夫にも先立たれ執筆活動はしていない。時間を自由に旅することができる身分だが、かつては上流階級用のアパートも老朽化し地上げ屋の餌食になろうとしている。こんなお話のようです。

 

 
               (ソニア・ブラガ、映画から)

 

★ブラジル映画は一時勢いがありましたが、メキシコやアルゼンチンに比較すると、3代映画祭には遅れをとっている印象でした。政治的にも不安定、オリンピックも開催できるかどうか心配なくらいです。しかしブラジルは本作以外にも短編部門にエントリーされていますから、盛り返しつつあるのかもしれません。昨年はコロンビア映画がやたら元気でしたが、今年は相対的にラテンアメリカは静かでしょうか。

 

★次回は「ある視点」部門ノミネーション、アルゼンチン映画La larga noche de Francisco Sanctisという若い二人の監督のデビュー作です。

作品賞は西米合作”Callback”*マラガ映画祭2016結果発表 ⑧2016年05月02日 14:49

        カルレス・トラスの“Collback”は西米合作映画

 

       

 ★ノーチェックだったカルレス・トラスの第4Collbackが「金のジャスミン」を受賞しました。監督はカンタブリアのサンタンデール生れ(1978)の監督。公式サイトは英語(字幕スペイン語)だし、キャストは主人公こそチリのマルティン・バシガルポでしたが彼以外は英語話者の俳優ばかり、舞台はニューヨーク、吹替え上映などなどチェックしなかった理由でした。他に脚本賞にカルレス・トラスと共同執筆者マルティン・バシガルポ、彼は男優賞も受賞して盆と正月が一緒にきたような喜びだったでしょう。何はともあれ最高賞受賞作品なので、次回に作品紹介を予定しています。

 

 

  (マラガに現れた左から、ティモシー・ギブス、マルティン・バシガルポ、トラス監督)

 

★作品賞についで大きな賞が審査員特別賞、イサキ・ラクエスタ&イサ・カンポの“La propera pell”が受賞しました。これを含めて最多の5賞を獲得してしまいました。監督賞・女優賞・編集賞・批評家審査員特別賞です。これはラテンビート、東京国際などの映画祭上映を期待しても見当外れとは言われないでしょう。アンダルシアで開催される映画祭の二つの大賞がバルセロナとカンタブリア出身の監督に贈られたことに感無量の地元ファンもいたかもしれない。またポル・ロドリゲスのQuatretondetaが評価されたのも嬉しい。

 

   

        (マラガに現れたイサキ・ラクエスタとイサ・カンポ監督)

 

オフィシャル・セクションの受賞結果

最優秀作品賞(金のジャスミン賞)

Collback監督カルレス・トラス

 

  

 (トロフィーを手に喜びのスピーチをするカルレス・トラス)

 

審査員特別賞

La propera pell”(“La próxima piel”) 監督イサキ・ラクエスタ & イサ・カンポ

作品監督紹介は、コチラ⇒2016429

 

最優秀監督賞

イサキ・ラクエスタ & イサ・カンポ “La propera pell”(“La próxima piel”)

 

最優秀女優賞

エンマ・スアレス “La propera pell”(“La próxima piel”)

 

最優秀男優賞

マルティン・バシガルポ “Collback

 

最優秀助演女優賞

シルビア・マヤ “Julie 監督アルバ・ゴンサレス・モリナ

 

最優秀助演男優賞

オスカル・マルティネス “Kóblic”監督セバスティアン・ボレンステイン

作品監督紹介は、コチラ⇒2016430

 

最優秀脚本賞

カルレス・トラス & マルティン・バシガルポ “Collback

 

最優秀音楽賞

シルビア・ペレス・クルス Cerca de tu casa 監督エドゥアルド・コルテス

 

最優秀撮影賞(2作品)

ロドリゴ・プルペイロ Kóblic 監督セバスティアン・ボレンステイン

カルレス・グシポル Quatretondeta”監督ポル・ロドリゲス

 

最優秀編集賞

ドミ・パラ La propera pell”(“La próxima piel”)

 

審査員スペシャル・メンション

Quatretondeta 監督ポル・ロドリゲス

作品監督紹介は、コチラ⇒2016年4月22日

 

批評家審査員特別賞

La propera pell”(“La próxima piel”) 監督イサキ・ラクエスタ&イサ・カンポ

 

観客賞(ガス・ナトゥラル・フェノサ)

La noche que mi madre mató a mi padre 監督イネス・パリス

作品監督紹介は、コチラ⇒2016425

 

★「金賞」は最優秀作品賞「金のジャスミン賞」だけで、他はすべて「銀賞」です。また観客賞Gas Natural Fenosaというエネルギー分野(天然ガスと電力)における多国籍企業が選んだ審査員が選考する。ガス取扱量世界第4位、本社はバルセロナ。

 

★賞には絡みませんでしたが、個人的な好みで準備しておりましたバルセロナ派のマルク・クレウエトのデビュー作El rey tuertoを落ち穂拾いしておきたいと考えています。バルセロナやマドリード他、スペイン各地を巡業して廻り大成功をおさめた戯曲の映画化です。演劇が大人の娯楽として根付いているヨーロッパでも、舞台監督自らが映画監督も手掛けるというのは珍しいケースです。 

             

                          (”El rey tuerto”のポスター)

  

『ミューズ・アカデミー』 ゲリンの新作*東京国際映画祭2015 ⑤2015年11月24日 12:34

1111日から開催されたセビーリャ・ヨーロッパ映画祭で「金のヒラルダ」を受賞した作品。ロカルノ映画祭でワールド・プレミアしたときから、東京国際映画祭TIFFでの上映を確信していました。その通りになったのですが、作品解説にいささかたじろぎながらも見に出かけました。危惧したとおりセリフの多さに圧倒されてしまいました。これはQ&Aが必要な映画ですね。ロカルノでも「フィクションかノンフィクションか」に質問が集中したようです。まずはデータから。

 

  『ミューズ・アカデミー』(“La academia de las musas”)

製作:Los Films de Orfeo

監督・脚本・編集:ホセ・ルイス・ゲリン

録音:アマンダ・ビジャビエハ

音響:ジョルディ・モンロス、マリソル・ニエバス

カラーリスト:フェデリコ・デルペロ・ベハル

特別エディター:ヌリア・エスケラ

 

データ:製作国スペイン、スペイン語・イタリア語・カタルーニャ語、2015年、92分、ドラマ、

受賞歴・ノミネーション:セビーリャ・ヨーロッパ映画祭2015「金のヒラルダ」賞、ロカルノ映画祭2015ワールド・プレミア

 

キャスト:ラファエレ・ピント(哲学教授ピント)、ロサ・デロル・ムンス(教授夫人ロサ)、エマヌエラ・フォルゲッタ(生徒エマヌエラ)、ミレイア・イニエスタ(同ミレイア)、パトリシア・ジル(同パトリシア)、カロリナ・リャチェル(同カロリナ)

 

作品紹介:バルセロナ大学哲学科。イタリア人のラファエレ・ピント教授が、ダンテ「神曲」における女神の役割を皮切りに、文学、詩、そして現実社会における「女神論」を講義する。社会人の受講生たちも積極的に参加し、議論は熱を帯びる。生の授業撮影と思わせる導入部を経て、教授と妻の激しい口論へと移る。やがて数名の受講生の個性も前景化し、次第に教授の行動の倫理が問題となってくる・・。ドキュメンタリーとフィクションの境目を無効にするJL・ゲリン監督の本領が発揮される新作。(中略)ピント教授は実際のピント教授が演じており、その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する。・・・(TIFFカタログより抜粋)

 

    レトリックや文学、詩、言葉がもつ美しさへのオマージュ

 

A: セビーリャ・ヨーロッパ映画祭の最高賞を受賞したわけですが、上映会場はスペインでの上映を待っていた批評家、ゲリン賛美者、シネアスト、学生、シネマニアなどで超満員だった。

B: 8月上旬に開催されたロカルノ映画祭の好評を聞きつけて、賛美者以外のファンも待ち構えていたというわけですね。

A: フィクションは、2007年の『シルビアのいる街で』以来8年ぶりですから、フィクションを待っていた観客も詰めかけたのでしょう。前作はセリフが極力抑えられ無声映画に近かったのに、新作はレトリックや文学、詩、つまり言葉がもつ美しさへのオマージュという対照的な作品です。

B: ロカルノでも「言葉の力に捧げた」と、「パッションやアートについて、人生や創造について、特に詩について語った」映画だとゲリンはコメントしていた。

 

   

  (トレードマークのハンチングを被ったホセ・ルイス・ゲリン、ロカルノ映画祭にて)

 

A: また監督は「とりたてて事件は起こらない」と語っていましたが、『シルビアのいる街で』でも事件はこれと言って起こらない。偶然性やコントロール不可能なものに重きをおく監督は、昔の美しい恋人を求める主人公の主観的な視線と、偶然カメラが捉えてしまう客観的な視線を行ったり来たりさせた。

B: プロット的にはやや強引な設定でしたが、観客は満足した。本当にシルビアという女性がいたのかどうかは受け手に委ねられた。

 

A: セビーリャでの拍手喝采は熱狂的、満場を沸かせたようです。だからこそ「金のヒラルダ」を受賞できたのでしょう。上映はパリ同時テロの2日前だったから、今思うと感慨深いです。

B: 結局、授賞式や関連イベントは中止になりましたけど。

 

フィクションかノンフィクションかの区別がはっきりしなくてよい

 

A: 「どこまでがフィクションで、どこからがノンフィクションなのか」という質問については、「観客にとってはよく分からないほうがいい、そう思いませんか」と答えている。フィクションかドキュメンタリーか、喜劇か悲劇か、そのような映像の区別は重要でないということですかね。

B: 区別は必要ないという意見に賛成ですが、生徒の質問のどこまでが本人のもので、どこからがセリフなのか気になります。

 

A: 新作の導入部はバルセロナ大学でのピント教授の授業風景から始まる。沈黙の重さに支配された過去の作品への〈言葉による〉過激な返答という意味合いがある。導入部のダイアローグの応酬はつむじ風、サイクロン級でした。

B: 教授の講義も生徒の質問もレベルが高くて、ドキュメンタリーとはとても思えません。ただ境目がわからなかった。でも曖昧でいいのですね。

 

A: 道具としてドキュメンタリー手法を多用して、単純を装いながら虚実を混在させるのが好きな監督、ピント教授は、実際に40年前から同大学の文学教授、教授夫人も彼の妻、生徒たちもバルセロナ大学で講義を受けているノンプロの人たちで自分自身を演じている。しかしこれは100パーセントフィクションだと。そもそもドキュメンタリーというジャンルはないという立場の監督です。

 

B: 教室を一歩出ると、夫婦間で火花が飛び散っている。夫婦の危機が表面化し、教授と生徒の間に新しく生まれたロマンスも進行していく。

A: 観客は次第に、ダンテの「神曲」における女神の役割論から異なったテーマ、例えば理性より感情、欲望、性、嫉妬、夫婦などをテーマにした議論に巻き込まれていく。

 

         

               (新しいロマンスの相手と教授)

 

B: 東京も含めてどこの会場でも、教授夫妻の迫真の口論には笑い声が上がったと思う。

A: 論客ピントも皮肉やの夫人に押され気味、ここがいちばん自然で本物らしく見えたが、「勿論実人生ではない。しかしある瞬間は真実が入っている、なぜならエモーションは本物だから。二人には予めこれはフィクションだからと言っておいた。でもカメラが回り始めると二人は自分の信じていることを話し始めた。もし彼らが信じていなければ、あのダイアローグは不可能だった」と監督。

 

B: 教授は実人生でもバルセロナ大学の文学教授、ロサ・デロル・ムンスはカタルーニャ文学や言語学の研究者だそうですが。

A: 教授は1951年ナポリ生れ、ダンテ心酔者、1974年からバルセロナ大学でイタリア哲学、特にダンテと文学を専門に教えている。デロル・ムンスは1943年バルセロナ生れ、バルセロナ大学の文献学を卒業、“Salvador Espriu (1929~43)”など何冊か研究書を上梓している。映画でもピント教授より年長に見えましたが、大分離れている。

 

       

          (ガラスを透して口論する教授夫妻を撮影している)

 

B: 「私がもっと若かったら」と真情を吐露している。女性は疑り深く独占欲が強く、嫉妬深い。

A: 嫉妬深いのは同じだが、男性は女性より上位にいたがり、常に自分が正しく、相手を自分好みに変えたがる。悲喜劇としか思えないが、それでも夫婦をやっている。このシーンは、ウディ・アレンの映画を彷彿させる。

 

         中心テーマは知の変化――教授法は一種の変化に貢献する

 

B: TIFFの解説に「その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する」とありましたが、講義内容はレベルが高すぎ、生徒はおろか登場人物の誰とも同化できませんでした。

A: 講義は一方的に与えるだけでなく、生徒に反論させている。生徒が変化するだけでなく、教授自身も「君の視点が私を変えた」と語っていた。優れた教授法は知の変化に貢献する。教師という仕事は生徒を餌食にするが、生徒も教師を餌食にしている。互いに変化するところが面白い。

B: 知識は変化によって価値、重要性、満足度というか喜びをはかっている。

 

A: 生徒の一人が、地中海にあるイタリア領の島、サルディーニャ島に案内する。そこで出会った牧人詩人が披露してくれた先祖伝来だという歌は素晴らしかった。

B: 現在でもこんなアルカディアが存在するなんて。この牧人には同化できますね。サルディーニャ語はイタリア語の方言ではないと言っていた。

    

 

    (小型カメラで撮影する監督、サルディーニャ島にて)

 

A: 本当の羊飼いで、ゲリンも生徒の一人(多分イタリア語を話していたエマヌエラ・フォルゲッタと思うが)に案内してもらうまで、その存在を知らなかったそうです。自然が生みだす異なった音色の洗練さに感動したとロカルノで語っていた。内容は羊飼いの古典的神話を詩の世界に調和さたものらしい。サルディーニャ島に出掛けて撮影することは最初からのプランで、作品に新しい視点を与えてくれたとも。

B: サルディーニャ語はラテン語を起源とするロマンス語に属し、フェニキア語、カタルーニャ語、スペイン語の影響も受けているとウィキペディアにあった。

 

A: サルディーニャ島シリゴ出身の言語学者ガヴィーノ・レッダを思い出しました。彼も羊飼いで20歳になるまで文字が読めなかった。父親が羊飼いには必要ないと受けさせなかった。その後軍隊で初等教育を受け、ローマ大学の言語学科を卒業したときには32歳だった。自伝『パードレ・パドローネ』(1975)がベストセラーになり、日本でも翻訳書が出ている。

B: タヴィアーニ兄弟が映画化して、カンヌ映画祭1977のグランプリを受賞、これも劇場公開されたから、見た人多いと思う。今は引退して生まれ故郷シリゴで農業と牧畜に携わっている。

 

A: スペインでも詩人ミゲル・エルナンデスは、子供時代から羊飼いをして正規の学校教育を受けていない。貧しいからという理由でなく、父親が必要ないと受けさせなかった。だから独学ですね。大体ロルカと同じ時代を生きた詩人です。

B: 内戦では共和派、終結後に収監されて生まれ故郷アリカンテの刑務所付設の病院で31歳の若さで亡くなった。スペインではロルカよりファンが多いとか。羊飼いは自然と対話していないと成り立たないから自ずと思索的になるのかもしれない。

 

    

          (カロリナ・リャチェルとエマヌエラ・フォルゲッタ)

 

     有力な映画祭出品は肌に合わない――ドキュメンタリー映画祭が好き

 

A: 『シルビアのいる街で』はベネチア映画祭に出品されたが、もみくちゃにされたのがトラウマになっているのか、有力な映画祭は好きではないという。良かった映画祭はドキュメンタリー映画祭だと。

B: 映画の宣伝には役立つが、フィクションかドキュメンタリーか、悲劇か喜劇か、カンヌなんかはジャンル分けがうるさいと聞いています。それぞれセクションごとに上映するから仕方ない。

A: ベネチア映画祭では、映画祭の喧騒を逃れて小型のデジカメを手に土地の人々や風景を収めていた。本作は世界各地の映画祭に招待されたが、映画祭はそっちのけで気軽に町中に出かけて取材していた。そうして出来たのが『ゲスト』(10)でした。

B: プレミアはコンペではないが同じベネチア、同年TIFFでも上映された。

 

A: 撮影監督の名前がIMDbにもカタログにもクレジットされていない理由は推測するしかないが、ガラスを透して撮影するシーンが記憶に残った。

B: 前作『シルビアのいる街で』と似ていた。キャストとの心理的な距離を表現したいのか、機会があれば質問したいね。

 

A: ゲリンは完璧主義者に思われているが、素描の性格をもっている映画が好みで、技術的な凝り過ぎは最低だと語っている。確かに何回も撮り直しをするタイプじゃない。

B: 夫婦の口論も1回勝負だから、観客は騙された。

 

A: 自分で編集を手掛けるから観客第1号は自分、これは素晴らしい体験だと言う。かつての映画小僧も、今はあちこちの映画学校で講義をしている。映画を撮るべきかどうか質問されたら、最初の助言は止めなさいです。それでも中には止めないクレージーな学生がいて、そういう学生には手を差し伸べます。映画監督はクレージーでないと務まらない。

 

『ミューズ・アカデミー』J・L・ゲリンの新作*東京国際映画祭2015 ②2015年10月06日 12:35

    ロカルノ映画祭の話題作は、言語についてのパッションがテーマ?

 

★日本ではビクトル・エリセのお墨付き監督ということで(実際にお弟子さん)、ゲリンを待っているコアなファンが多く、東京国際映画祭TIFFの常連さんでもある。『シルビアのいる街で』(08)のヒット以来、ドキュメンタリー『ゲスト』(10)、同『メカス×ゲリン 往復書簡』(11)と今回で4本は異例の多さではないでしょうか。『シルビアのいる街で』が20108月に公開されたのを機にイメージフォーラムで特集が組まれ、全作品が1週間にわたって上映されました。勿論ゲストとして来日、その驕らない誠実さでファンを魅了、彼がQ&Aに出席した回は満席だった。

 

★製作国はスペイン、言語はスペイン語、カタルーニャ語、イタリア語が混在、TIFFの原題がイタリア語のL’Accademia delle Museなのは、ロカルノ映画祭がワールド・プレミアだったことと思われます。スイス南部に位置するロカルノ市はイタリア語圏、IMDbが採用しているのはスペイン語題のLa academia de las musasです。英題が“The Academy of Muses”、邦題は英題のカタカナ起しといういささか込み入っています。込み入っているのは言語やタイトルだけでなく、テーマそのものらしい。これについては鑑賞後に回すとして、TIFFの作品解説からもその一端が窺えます。

 


★前回「ジャンルはドキュメンターとあるが・・・」と疑問を呈しておきましたが、道具としてドキュメンタリー手法を多用して、単純を装いながら虚実を混在させるのが好きな監督、これは紛れもなく「フィクション」です。作品解説に「バルセロナ大学哲学科。イタリア人のラファエレ・ピント教授が、ダンテの『神曲』における女神の役割を皮切りに、文学、詩、そして現実社会における〈女神論〉を講義する・・」とあるように、導入部は同大学での授業風景から始まる。ピント教授は、実際に40年前から同大学の文学教授、その他のキャスト、講義を受ける学生たちも実際のファーストネームで登場するようです。

 


★ゲリンは「とりたてて事件は起こらない」とロカルノでのインタビューで語っているが、『シルビアのいる街で』でも事件はこれと言って起こらない。偶然性やコントロール不可能なものに重きをおくゲリンは、昔の美しい恋人を求める主人公の主観的な視線と、偶然カメラが捉えてしまう客観的な視線を行ったり来たりさせた。本当にシルビアという女性がいたのかどうかは観客に委ねられた。セリフは極力抑えられ無声映画に近かったと思います。しかし新作は「言葉の力に捧げた」と、「パッションやアートについて、人生や創造について、特に詩について語った」映画だとコメントしている。

 

★哲学論の講義など、普通は退屈のあまり睡魔と闘うものだが、ここでは白熱すようだ。「その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する」、同化できるかどうか、試してみるのも面白いか。


ロルカの死をめぐる謎に新資料*マルタ・オソリオ2015年09月11日 22:20

          恐怖miedoから謎enigmaへ―失われた鎖の輪を探す

 

★毎年命日の818日が近づくとフェデリコ・ガルシア・ロルカの周りが騒がしくなる。2012年にはロルカ最後のアマンテは、定説になっている「ラファエル・ロドリゲス・ラプンではない」というマヌエル・レイナのLos amores oscurosが出てサプライズがあった。今年は没後79周年、本当に「光陰矢の如し」です。スペインでもっとも有名な詩人の謎に満ちた死についての研究でタクトを振っているのが、ロルカと同郷のマルタ・オソリオです。最近新資料をもとにEl enigma de una muerte. Crónica comentada de la correspondencia entre Agustín Penón y Emilia Llanosという長いタイトルの研究書をコマレス社から刊行して話題になっています。直訳すると「ある死をめぐる謎:アグスティン・ペノンとエミリア・リャノスの往復書簡注釈記録」でしょうか(オソリオについては後述)。 


★オソリオは15年前に同社からMiedo, olvido y fantasía: Crónica de la investigación de Agustín Penón sobre Federico García Lorca(1955~1956)2000、直訳「恐怖、忘却と空想:ロルカについてのアグスティン・ペノンの調査記録」)を上梓しています。これはペノンの資料をもとに、闇の中に埋もれていた独裁者の犯罪に光を当てたものでしたが、新作はこれを補う内容をもつようです。結論としては、往復書簡から見えてきたのは、「証言者たちが、ロルカが銃殺された場所として指し示した墓穴から、遺体は他に移されていた」ということです。オソリオは一応これでロルカの死をめぐるテーマにけりが付いたので、これからは短編や物語の執筆に戻りたい、つまり決定版ということです。

 

アグスティン・ペノン19201976)という人は、バルセロナ生れだが、内戦時に家族と一緒にアメリカに亡命してアメリカ国籍を取った熱烈なロルカ信奉者。アメリカのパスポートで1955年スペインに入国、バルセロナで知り合った舞台演出家ウィリアム・レイトンと一緒にグラナダに滞在して、18カ月ほどロルカの死をめぐる聞き書き調査をした。レイトンはテレノベラのラジオ版脚本で得た資金を蓄えていた。クエーカー教徒で、内戦後のスペイン旅行に費やしていた。タイトルに1955~1956とあるのはペノンが調査した期間を示しています。しかし、当時のフランコ体制側からの監視の目は厳しく、ゲイの<アカ>をしつこく嗅ぎまわっている男は「ロシアのスパイか、アメリカCIAのメンバーに違いない」と圧力を掛けてきた。当時のグラナダは<恐怖>が支配していて、身の危険を感じたペノンは調査を打ち切って帰国した。収集した全資料はスーツケースに収められ、当時ペノンが暮らしていたニューヨークに運ばれ保管されていた。

 


     (左から、調査をするアグスティン・ペノンとウィリアム・レイトン)

 

★フランコ政権での出版は、取材相手に危険が及ぶことが考えられ時の来るのを待っていた。帰国後ペノンとレイトンは別の人生を歩いていたが、何か予感めいたものがあったのか、ペノンは「私にもしものことがあったらスーツケースを預かって欲しい」とレイトンに頼んでいた。1976年ペノンはコスタリカの首都サン・ホセに住んでいた両親に会いに行った先で突然の死に見舞われた。フランコ没後1年も経っていなかった。遺言通り資料はレイトンのもとに渡ったが出版されることもなく静かに眠っていた。レイトンは長生きして1995年に亡くなった。巡りめぐって資料は最終的にマルタ・オソリオの手に渡った。スーツケースの長い旅も詩人の死同様、数奇な運命を辿ったことになる。

 


                  (アグスティン・ペノン)

 

エミリア・リャノスは、ロルカの10歳年上の親しい友人でグラナダに住んでいた。家族同士の付き合いだった。1936714日、ロルカは故郷への最後の旅をした。720日グラナダ守備隊が蜂起、急激に事態が悪化して共和派関係者は一挙に検挙投獄された。ロルカにも危険が迫り避難先の候補の一つとして選ばれたのがリャノス家だった。結果的にはファランヘ党のリーダーだったロサレス兄弟の家に落着くのだが、兄弟の留守中に逮捕されてしまう。ペノンはこのルイス・ロサレス、ホセ・ロサレスのインタビューも行っている。

 

★ペノンが聞き書きをした中で特に親交を重ねた証言者がエミリア・リャノスで、彼が帰国した後も手紙のやり取りをしており、これが新作の資料になっている。リャノスは書簡で、最初は「オリーブの木の下に埋められ、その後そこから移されたのです」と書いている。秘密にしているのは「或る有力者」から口止めされているからだと。今ではその「或る有力者」が当時の極め付きのフランコ主義者、グラナダ市長ガジェゴ・ブリンだったことが分かっている(ペノンは息子アントニオ・ガジェゴにも取材している)。内戦後のグラナダは恐怖の坩堝で、<フェデリコ>は禁句だった。移された場所はどこか分からないが、ビスナルからアルファカルに行く道路沿いの何処かしか分かっていない。ビスナルというのはナショナリストたちが<好ましからざる>人物たちを処刑した場所です。「誰も何も知らないのです」とオソリオ、死後80年も経てば、生存者は殆どいない、何か新資料が出ない限り闇の中ということか。

 


         (ロルカが唯一愛した女性といわれるエミリア・リャノス)

 

マルタ・オソリオはグラナダ生れの作家、かつては舞台女優(196165)であった。1966年、児童図書El caballito que queria volar”で「ラサリーリョ賞」を受賞。日本では“Jinetes en caballos de palo”(1982)が『棒きれ木馬の騎手たち』(行路社)の邦題で翻訳されている。ロルカ研究者というより児童文学者として知られていると思います。生年が確認できてないのですが(調べ方が悪い)、「レアレホにある私の家から、フランコ主義者が思想家、文学者、自由主義者、先生たちを銃殺するのを見ないで過ごすことは難しかった」と語っているところから、人生の初めに内戦を体験した世代だと思います(レアレホはグラナダ市郊外、アルハンブラの近くの地区)。

 

★「ペノンが残した資料に導かれて、資料に敬意を払って」編纂した。「自分を黒子にして、自分の意見を加えることをしたくなかった」とも語っている。なかなか真似できない研究態度です。志を遂げることなく旅立ってしまったペノンへの哀悼の意が感じられる。オソリオは「家族が遺体を移した可能性もあるが」、「ロルカの墓穴が共和派の聖地になるのを恐れたフランコ主義者の命令で移された」と考えているようです。ペノンが公刊しなかった理由は一つでなく、いくつか考えられると話す。「彼は感受性豊かな人で、ロルカに関して生み出された沈黙と挫折の世界を暴くのを躊躇した」とオソリオ。ロルカの死に拘りつづけたペノンとリャノスは、真相を突き止めるのを諦めなかったようです。

 


      (マルタ・オソリオ、グラナダの自宅の庭で、2012年撮影)

 

★日本では翻訳書も出ているギブソン『ロルカ』が、日本語で読めるロルカの伝記として決定版だと思う。本書は評価も高くベストセラーにもなった。本書にもエミリア・リャノスは登場している。夥しい参考資料から分かるように力作には違いないが、今では間違いも指摘されている。特にロルカの晩年、死をめぐる記述には問題があるという。オソリオが第1作を上梓した理由もギブソンの「不完全」版を変えたかったからだと語っている。特にペノンの資料があることを知っていたのに無視したことを非難している。

 

イアン・ギブソン1939年ダブリン生まれ、フランコ時代の1965年に来西してグラナダに1年ほど取材して、『ロルカ・スペインの死』**を出版した。フランコ没後、より正確な伝記執筆を考え、1978年来西、グラナダにどっしり腰を下ろして、1984年にはスペイン国籍まで取得して完成させたのが『ロルカ』です。これにロルカ最後のアマンテとして度々登場するのがラファエル・ロドリゲス・ラプンです。

 


     (ロルカとラファエル・ロドリゲス・ラプン)

      

★しかしラプンではなく、実は「最後のアマンテは私です」というフアン・ラミレス・デ・ルーカスの告白を載せた本が出版された。それが冒頭に書いたマヌエル・レイナのLos amores oscuros2012)です。1917年アルバセテ生れ、1934年にマドリードでロルカと出会ったとき未だ17歳だった。愛は詩人の死で終止符がうたれたが、彼は長生きして2010年に93歳で没した。無名の人ではなく、日刊紙「ABC」などに芸術コラムを執筆していた有名なジャーナリストだった。レイナは1974年カディス生れ、小説家、詩人、脚本家、戯曲家、一時期「ABC」紙のコラムニストだった。ギブソンを責められないが聞き書きという作業の落とし穴をみる思いです。

 


         (美青年だったというフアン・ラミレス・デ・ルーカス

 

★ロルカの親しい友人たちは皆知っていたが、内戦が激しくなったうえ、ロルカが殺害されたことを考えると沈黙を守らざるを得なかった。ロルカからの「メキシコに一緒に亡命しよう」という内容の手紙があるようです。ロルカにはコロンビアとメキシコの両国から亡命の許可が下りていたから、亡命しようと思えばできたというのは最初から言われていたこと。何故メキシコ亡命を選ばず危険なグラナダに帰郷したかが謎だったはずです。デ・ルーカスは亡命には親の承諾が必要な年齢だったので同行できない、ロルカは彼が一緒でなければ亡命したくない、ということなのでしょうか。ロルカは彼のために秘密を墓場まで持っていった。これは別テーマなので深入りしませんが、アグスティン・ペノンが後にフアン・ラミレス・デ・ルーカスと会っているという事実です。ペノンが公刊しなかった理由の一つかもしれません。

 


     (Los amores oscuros のポスターを背にしたマヌエル・レイナ)

 

イアン・ギブソン『ロルカ』(中央公論社1997刊)
Federico García Lorca: A Life”(英語版、ロンドン19892部立てのスペイン語版を1冊にまとめたもの(11985年、21987年、バルセロナ)

**イアン・ギブソン『ロルカ・スペインの死』(晶文社1973年刊)、“La represión nacionalista de Granada en 1936 y la muerte de Federico García Lorca”(パリ、1971


オスカー賞2016*スペイン代表映画の候補3作品2015年09月09日 17:36

          バスク映画『Flowers / フラワーズ』が驚きの候補に

 


★アカデミー賞のガラは来年228日、まだラテンビートも始まらないのにオスカー賞の話は早すぎますが、昨年のラテンビートと東京国際映画祭で共催上映されたホセ・マリ・ゴエナガ & ジョン・ガラーニョのFlowers / フラワーズ』が一つに選ばれました。2014年作と少し古いですがスペイン公開が遅かったので選ばれたのでしょう。他はガルシア・ケレヘタのFelices 1402015Happy 140”)とカルロス・ベルムトのMagical girl2014)の2作です。3作とも既にご紹介しています。

 

Magical girlは、年初には夏公開とアナウンスされましたが、今もって未定です。配給元(ビターズ・エンド)との打ち合せかと思いますが、7月にベルムト監督は来日したようです。話題にもなりませんでしたが、「どうかお蔵入りになりませんように」と祈るばかりです()。今回選ばれなくても公開時には改めて記事にいたします。監督はもともとの出発がコミックのデッサンを描いていた。大変なマンガ好き、子供の頃は映画などに興味なかったそうです。映画のストーリーは、日本のテレビアニメ「マジカル・ガール Yukiko」が好きな病弱な美少女をめぐる奇妙なミステリーです。サンセバスチャン映画祭2014金貝賞監督賞(銀貝賞)ダブル受賞の映画です。監督、キャストは以下で紹介しています。バルバラ・レニーがゴヤ賞主演女優賞を受賞など、他にも盛りだくさんな受賞歴です。


Magical girl”の記事は、コチラ⇒20149162015121

バルバラ・レニーの記事は、コチラ⇒2015327

 


 (左から金貝賞受賞の製作者ペドロ・エルナンデス、銀貝監督賞受賞のカルロス・ベルムト

 

 

Felices 140のガルシア・ケレヘタは、現在スペイン映画アカデミーの副会長の一人。エンリケ・ゴンサレス・マチョ前会長がゴヤ賞授賞式後に任期半ばで突如辞任を表明、改選されてアントニオ・レシネスが会長、彼女とバルセロナ派のプロデューサーエドモン・ロチが副会長に就任した。本作はマリベル・ベルドゥを主役にしたシリアス・コメディ、興行成績もよく選ばれる可能性が高いか。今年は決定打がなく3作のうちどれが選ばれてもプレセレクションには残れない気がします。

Felices 140”の記事は、コチラ⇒20151743

 


          
          (本作撮影中のマリベル・ベルドゥとケレヘタ監督)

 

 

Flowers / フラワーズ』は、サンセバスチャン2014で「初のバスク語映画がコンペティションに」と話題になった作品。ゴヤ賞2015の作品賞にもノミネートされ、無冠でしたが画期的な出来事でした。作品も良かったから、スペイン映画界にとっても大きな収穫でした。以下のように何回か記事にいたしましたが、セルバンテス文化センターのニューズレターによると、共同監督のデビュー作80 egunean2010、英題“Por 80 Days”)が上映されるようです。残念ながら「バスク語スペイン語字幕」ということですが、映像の力で楽しめるのではないかと思います。『フラワーズ』で名演技を見せたイジアル・アイツプルが主演の一人アスンに扮し、もう一人マイテには本作でデビューしたマリアスン・パゴアゴが扮しました。当ブログで紹介した簡単なストーリーを再録すると、大体こんなオハナシです。


     

80 egunean:少女だった遠い昔、親友だったアスンとマイテの二人はひょんなことから50年ぶりに邂逅する。アスンは農場をやっているフアン・マリと結婚するため引っ越して以来田舎暮らしをしていた。両親と距離を置きたい娘は離婚を機にカリフォルニアに移り住んでいる。レズビアンのマイテはピアニストとして世界を飛び回ってキャリアを積んでいたが既に引退して故郷サンセバスチャンに戻ってきた。別々の人生を歩んだ二人も既に70歳、不思議な運命の糸に手繰り寄せられて再び遭遇する。この偶然の再会はアスンに微妙な変化をもたらすことになる、自分の結婚生活は果たして幸せだったのだろうか。マイテにサンタ・クララ島への旅を誘われると、アスンは自分探しの旅に出る決心をする。

 


    (アスン役のアイツプルとマイテ役のパゴアゴ、映画から

 

★受賞歴:「トゥールーズ・シネ・エスパニャ2011で二人揃って女優賞を受賞した。年輪を重ねた知性豊かな二人の女性のナチュラルな演技が観客賞にも繋がった。

 


       (左から、ジョン・ガラーニョ監督とホセ・マリ・ゴエナガ監督)

 

上映作品80日間』 (80 egunean) とシネフォーラム

日時:20151018日(金曜日) 1900

場所:セルバンテス文化センター地下1階「オーディトリアム」

入場無料、予約不要、先着順、バスク語スペイン語字幕入り

講師アインゲル・アロス/ホセ・マリ・ゴエナガ監督のビデオでの挨拶

 

Flowers / フラワーズ』の記事は、コチラ⇒20149221192015116

 

ペネロペ・クルスとフリオ・メデム*新作”Ma ma”が公開2015年09月04日 17:54

             ペネロペが身重の乳癌患者を力演する

 


★お正月に今年公開される映画をいくつかご紹介いたしましたが、フリオ・メデムMa maもその中の一つ、いよいよ911日にスペインで公開されます。ペネロペ・クルスはスペイン映画としては、アルモドバルの『抱擁のかけら』以来、約6年ぶりのヒロイン役マグダに扮します。脚本に惚れこんで、初のプロデューサーにも挑戦しました。演技をしているときは女優に、製作側に立つときはプロデューサーに徹し、二つの狭間で苦労したとも語るPP、第二子誕生後、押し寄せる出演依頼にいささか疲労困憊、なかでも彼女の「ステージ・パパ」とも言われた父親を6月に見送ったことが打撃だったようです。

Ma ma”の紹介記事は、コチラ⇒201515、フリオ・メデム監督の「キャリア&フィルモグラフィー」も紹介しております。

 

     Ma ma2015 スペイン

製作(共同)Morena Films(スペイン) / Mare Nostrum Productions

監督・脚本・プロデューサー・編集:フリオ・メデム

撮影:キコ・デ・ラ・リカ

音楽(サウンドトラック) アルベルト・イグレシアス

美術:モンセ・サンス

編集:イバン・アレド、ヤゴ・ムニィス

衣装デザイン:カルロス・ディエス

メイクアップ:(特殊メイク)ラケル・アルバレス、ルベン・セラ、他

プロダクション・マネージメント:マリア・モレノ

プロデューサー(共同):アルバロ・ロンゴリア(エグゼクティブ・プロデューサー、代表作『ローマ、愛の部屋』)、ペネロペ・クルス、他

 

データ:スペイン、スペイン語、2015、ドラマ、111分、撮影地マドリード、テネリフェ島など

公開:フランス2015521日、ドイツ730日、スペイン911日、カナダ915


キャスト:ペネロペ・クルス(マグダ)、ルイス・トサール(アルトゥロ)、アシエル・エトシェアンディア Etxeandia(フリアン)、ジョン・コルタハレナ、アレックス・ブレンデミュール(ラウル)、シルビア・アバスカル(看護師)、アナベル・マウリン(放射線専門医)、ビルヒニア・アビラ(ICU看護師)、サムエル・ビジュエラ、エレナ・カランサ(TVレポーター)、シロ・ミロー、ノルベルト・トルヒージョ B、他

 

プロット:小さな息子を抱え癌と闘う女性マグダの物語。死の淵にありながら新しい命と新しい家族を組みたてようとする。厳しい状況に直面したマグダは、ただ現実を受け入れるだけでなく、そうすることが自分の命を縮めるかもしれないが、積極的に勇気をもって内側から人生の立て直しを決心する。辛い映画ではあるが打ちひしがれる映画ではない。どうしたら心の平静をたもち、充実した人生を送れるのかという「生き方のレッスン」に観客は出遭うだろう。そして予想もしないユーモアある光景や心こまやかな幸せを目にすることができる。     (文責:管理人)

 

       

         (環境破壊NOキャンペンのシャツを着たトサール、ペネロペ、メデム監督)

 

  
トレビア

★ペネロペ・クルスの役柄についての拘りというか研究熱心はつとに有名ですが、今回もインターナショナル・ルベン・クリニックの婦人科医エレナ・カリージョの指導を受けて、誇りを持って不自然にならないよう癌患者の役に取り組んだという。「エレナは、友人としても私をサポートしてくれた」とPP。癌と闘うスペイン協会、乳癌病理学スペイン協会、国立癌協会の手になる情報を提供してくれた。実際の乳癌患者にも取材をして生の声を聞いたようで、「彼女たち全員が傷痕と心の内を見せてくれた」とも。

 

★今回は役者とプロデューサーの二足の草鞋、メデム監督との関係は、「演技しているときは女優と監督、製作については噛みあわず議論もしたけれど、最終的には合意できた。彼と一緒に仕事ができたことは素晴らしい経験だった」と語る。テネリフェ島の撮影は、好い天候に恵まれて、二人の男性共演者ルイス・トサールアシエル・エトシェアンディアとも良好、「だって、これは落胆したり暗い気持ちになる映画ではないの。むしろ恐怖より光が差し込む映画。でも撮影終了のパーティは楽しめなかった。喪失感と大きな困惑を覚えた。面食らうこともあったし、確かなことは一風変わったセンセーショナルな仕事だったけれど、疲れは感情的なものだった」そうです。撮影中に15カ国の配給元が契約してくれ、現在は25カ国に増えた。

 


     (ルイス・トサールとペネロペ、映画から)

 

★スペイン版『ヴォーグ』9月号の表紙を飾ったペネロペ・クルス、Ma ma”を含めた乳癌征圧の特集号のようです。1冊につき0.50ユーロが「スペイン癌征圧協会」に寄付される。週刊誌『エルパイス・セマナル』821号の表紙にも選ばれた。嬉しい話題が溢れているが、以前から心臓病を患っていた父親がムルシアで亡くなった(618日、享年62歳)。海外で撮影中だったので死に目にはあえなかった。

 


              (スペイン版『ヴォーグ』9月号の表紙)

 

10代でデビューした彼女を業界やマスコミの餌食から守ってくれた「ステージ・パパ」でもあった。父親のサポートなしで今日のPPはない。ペネロペ三人姉弟の母親とは離婚しており、再婚したカルメン・モレノとの間に3歳の娘がいる。「まだ62歳と若かったのよ、私たちは常に結束していて、多くの場合、海外ロケも一緒だった。だから仕事復帰は難しかった。というのもコメディだったから、人を笑わせる演技が辛かった。セリフが多いシークエンスでは集中できなかった」とPPは打ち明ける。コメディとはベン・スティラーの『ズーランダー 2のことだ。コイシェ監督が「へとへとになるまで笑わせてくれた」と言っていた『ズーランダー』(01)の続編。撮影中に今度はスティラー監督の母親が亡くなって、撮影は数日間頓挫してしまった。「どうやって立ち直ったんだい?」と質問されたそうです。来年211日アメリカその他で公開が決定している。いずれ日本も公開されるでしょう。

 


      (マドリードの遺体安置所に駆けつけたペネロペとハビエル・バルデム)

 

フェルナンド・トゥルエバ『美しき虜』98)の続編La reina de Eapaña2016年公開予定)で同じマカレナ・グラナダを演じる。主要キャスト、アントニオ・レシネス、ホルヘ・サンス、サンチャゴ・セグラなどは前回と同じ、既にシナリオの読み合せもしたそうです。その後、前評判が大分先行しているフェルナンド・レオン・デ・アラノアAmando a Pablo, odiando a Escobarが予定されている。ビルヒニア・バジェッホの同名回想録(2007年刊)の映画化。コロンビアのメデジン麻薬カルテルのドン、パブロ・エスコバルの80年代の愛人。作家でジャーナリスト、コロンビア女性は美人が多いと言われるが、彼女もその例に漏れない、現在はマイアミ在住。パブロにハビエル・バルデム、愛人ビルヒニア・バジェッホにペネロペが扮する。間もなくクランクイン「彼と一緒の仕事はちょっと不安がある」とPP、結婚前の『ハモンハモン』や『それでも恋するバルセロナ』のように簡単ではないということか。リドリー・スコットの『悪の法則』では共演と言っても撮影は交差しなかったが、今度はそうはいかない。

 

★『ハモンハモン』の少女も今では一男一女の母親、どうやって美しく年を重ねていけるか。スペインでは『抱擁のかけら』で母娘を演じたアンヘラ・モリーナ、また『NINE』で共演したソフィア・ローレンが理想とか。二人とも子供と仕事を両立させている女優、アンヘラは確か5人ぐらいいるし、長女オリビア(『地中海式人生のレシピ』のヒロイン)に子供が生まれたからお祖母さんでもある。

 

 

アイタナ・サンチェス=ヒホン*メネンデス・ペラーヨ国際大学の講師に2015年09月01日 10:22

       「ラホイ政権は映画や演劇の破綻を命令している」

 

★先日、2015年の「スペイン映画アカデミー金のメダルをフアン・ディエゴと受賞」のニュースをアップしたばかりのアイタナ・サンチェス≂ヒホンですが、夏期講座の老舗でもあるメネンデス・ペラーヨ国際大学UIMPの講師に招かれました。1932年に「サンタンデール夏期国際大学」として創立されたUIMPカンタブリア州の州都サンタンデールにあり、現在は同市出身のメネンデス・ペラーヨの名前を冠した夏期専門大学です。王室の夏の離宮としてマグダレナ半島の先端に建てられたマグダレナ宮殿に本部が置かれ、現在は一般にも開放されています。多くの大学が夏期限定の特別講座を一般公開しますが、料理の美味しい避暑地での夏期講座は、講師陣にも参加者にも人気です。同じ時期にクラシック音楽の「サンタンデール音楽祭」も開催され、他にバレエ、演劇など、1991年に完成した「パラシオ・デ・フェスティバル」で上演されます(1941年の大火で市全体が焼失した)。

メネンデス・ペラーヨ(18561912サンタンデール)、サンタンデールを代表する哲学者、言語学者、歴史家、作家、政治家でもあった。

 


           (マグダレナ半島にあるマグダレナ宮殿の全容

 

★昨年の夏期講座にはアルゼンチンのフアン・ホセ・カンパネラ(『瞳の奥の秘密』の監督)が招かれたように、ラテンアメリカ諸国からも講師が招ばれる。ギリシャ悲劇『メディア』についての講演に先立ち記者会見したサンチェス≂ヒホンは、現ラホイ政権のルイス・デ・ギンドス経済大蔵大臣の「映画や演劇など文化事業にかける消費税21%**を引き下げる考えは全くない」という声明に対して、「現政権は映画や演劇を破綻させる命令を変えていない」と批判、「ポルノ・ビデオがより安い消費税であるのは驚くほかはない」と嘆息した由(825日)。講演テーマを『メディア』に選んだのは、例年7月下旬に開催される「メリダ演劇フェスティバル」で『メディア』に出演したからと思われる。

 

**消費税は20129月に8%から21%に倍以上に引き上げられた。6カ月間の据え置き期間をおいて2013年に導入された。当時はバルデム兄弟を先頭に反対デモ行進がマドリードの大踊りを埋めた。現映画アカデミーの大きな課題となっている。

 


   (アイタナ・サンチェス≂ヒホン、メネンデス・ペラーヨ国際大学の夏期講座にて)

 

★文化事業に携わる異業種とも連携して経済省も交えて会合を重ねているようだが、一度上げた税率を下げるのは難しい。政府側からは「消費税減税は机上の空論」と一蹴され膠着状態が続いている。「責任の欠如と解釈するし、私たちの国にはびこる文化を基本的な財産の一つとは考えない慢性病です。文化を単なる娯楽としてしか捉えておらず、私たちを統治しているのは多くの凡人たち」とサンチェス≂ヒホン。映画やお芝居を観るのはおんな

 

★彼女は「物言う女優」の代表選手の一人、監督のイシアル・ボリャイン、ガルシア・ケレヘタ、イサベル・コイシェなど、スペインでは政治的発言をする女性シネアストは多い。ペネロペ・クルスも夫バルデム一家の影響もあるのか、一児の母になってからは可愛いだけのお姫様役を返上して、教育行政についての発言も目立つ。最新作フリオ・メデムの“Ma ma”も公開された。乳癌に罹った母親役、抗癌剤投与ですっかり髪が抜けたショッキングな姿も。プロデューサーとしてもデビューした。

 

スペイン映画アカデミー「金のメダル」受賞の記事に、サンチェス≂ヒホンの「キャリアとフィルモグラフィー」を紹介しております。コチラ⇒201581