ドキュメンタリー『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』の監督来日2017年02月01日 15:42

        『デリリオ~歓喜のサルサ』のチュス・グティエレス監督来日

 

 

★ドキュメンタリー『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』公開に合わせてチュス・グティエレス監督が来日します。公開前日の217日、東京セルバンテス文化センターで「映画監督との出会い:チュス・グティエレス」という催しのご案内です。

『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』

   (ドキュメンタリー Sacromonte: los sabios 2014

日時:2017217日(金曜日)1800~(入場無料、要予約)

場所:東京セルバンテス文化センター、地下1階オーディトリアム

セルバンテス文化センターの紹介文はコチラ

フラメンコ発祥の地、グラナダの洞窟サクロモンテに生きた伝説的アーティストらのドキュメンタリー『サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ』。この作品の公開に向け監督チュス・グティエレスが来日します。グラナダ出身の彼女は、映画監督、脚本家、女優、アーティストそして映画産業に携わる女性らの平等を求める協会に携わるなど幅広い活動をしています。同ドキュメンタリー製作にまつわる逸話をはじめ、スペインの映画事情などについてお話を伺います。 

  

★「ラテンビート2014」上映の『デリリオ~歓喜のサルサ~』と同じ年の製作です。フィクションとドキュメンタリーというジャンルの違いもありますが、スペインでの評価は本作のほうが高かったようです。公式サイトも起ちあがっておりますので詳細はそちらにワープしてください(2017218日、有楽町スバル座、アップリング渋谷ほか、全国順次公開)。監督紹介は『デリリオ~歓喜のサルサ~』をアップした折の記事を再構成したものを参考資料として載せておきます。

 

  *キャリア&フィルモグラフィー*

チュス・グティエレスChus Gutiérrez (本名María Jesús Gutiérrez):1962年グラナダ生れ、監督、脚本家、女優。本名よりチュス・グティエレスで親しまれている。8歳のとき家族でマドリードに移転、197917歳のときロンドンに英語留学、帰国後映像の世界で働いていたが、1983年本格的に映画を学ぶためにニューヨークへ留学し、グローバル・ビレッジ研究センターの授業に出席、フレッド・バーニー・タイラーの指導のもと、スーパー8ミリで短編を撮る(Porro on the Roof1984、他2篇)、1985年、シティ・カレッジに入学、1986年、最初の16ミリ短編Mery Go Roundo”を撮る。ニューヨク滞在中にはブランカ・リー、クリスティナ・エルナンデス、同じニューヨークでパーカッション、電子音楽、作曲を学んでいた弟タオ・グティエレスと一緒に音楽グループ“Xoxonees”を立ち上げるなどした。2007年には、CIMAAsociacion de Mujeres de Cine y Medios Audiovisuales)の設立に尽力した。これは映画産業に携わる女性シネアストたちの平等と多様性を求める連合、現在300名以上の会員が参加している。

 

(チュス・グティエレス監督)

    

                

1987年帰国、長編デビュー作となるSublet1991)を撮る。まだ女優業に専念していたイシアル・ボリャインを主人公に、製作は女性プロデューサーの代表的な存在であるクリスティナ・ウエテが手掛けた。夫君フェルナンド・トゥルエバ『ベルエポック』『チコとリタ』『ふたりのアトリエ』ほか、義弟ダビ・トゥルエバの Living Is Easy with Eyes Closed「僕の戦争」を探してDVD) 手掛けたベテラン・プロデューサー。

受賞歴カディスのアルカンセス映画祭1992金賞、バレンシア映画祭1993作品賞、1993シネマ・ライターズ・サークル賞(スペイン)、ゴヤ賞1993では新人監督賞にノミネートされイシアル・ボリャインもムルシア・スペイン・シネマ1993が、ベスト女優賞にあたる「フランシスコ・ラバル賞」を受賞した。

 

2Alma gitana96)は、プロのダンサーになるのが夢の若者がヒターノの女性と恋におちるストーリー、新作『デリリオ』と同じよう二つの文化の衝突あるいは相違がテーマとして流れている。5人の若手監督のオムニバス・ドキュメンタリー En el mundo a cada rato (04) 『世界でいつも・・・』の邦題で「ラテンビート2005」で上映された。第3エピソード、アルゼンチンの3歳の少女マカがどうして幸せかを語る Las siete alcantarillas を担当、アルゼンチンで撮影され「七つの橋」の邦題で上映されている。

 

 (3歳の少女マカ、映画から

 

         

他に代表作としてEl Calentito05『ヒステリック・マドリッド』)も高い評価を受け、こちらも「ラテンビート2005」で上映されたベロニカ・サンチェスを主役に、フアン・サンス、ルス・ディアス(ゴヤ賞2017新人賞ノミネート)、マカレナ・ゴメス『トガリネズミの巣穴』のヒロイン、本作でマラガ映画祭新人女優賞のヌリア・ゴンサレスなど若手の成長株を起用したコメディ

受賞歴モンテカルロ・コメディ映画祭2005作品賞他受賞、マラガ映画祭2005ジャスミン賞ノミネート、トゥールーズ映画祭で実弟タオ・グティエレスが作曲賞を受賞した。なお彼は姉の全作品音楽を担当している。 

(グティエレス姉弟)

        

 最も高い評価を受けたのが7作目Retorno a Hansala08)当時、実際に起きた事件に着想を得て作られた。海が大荒れだった翌日、カディスのロタ海岸にはモロッコからの若者11名の遺体が流れ着いた。服装からサハラのハンサラ村の出身であることが分かる。既に移民していたリデアはその一人が弟のラシッドであることを知る。リデアは葬儀社のオーナーと遺体を埋葬するため故郷に向かう。これは異なった二つの社会、価値観、言語の違いを超えて理解は可能か、また若者の海外流失止められないイスラム共同体の誇りについての映画でもある。

受賞歴バジャドリード映画祭審査員特別賞カイロ映画祭2008作品賞「ゴールデン・ピラミッド賞」国際批評家連盟賞トゥールーズ映画祭脚本賞グアダラハラ映画祭監督・脚本賞など受賞。ゴヤ賞2009ではオリジナル脚本賞にノミネートされた。

 

    

『デリリオ~歓喜のサルサ』の監督&作品紹介記事は、コチラ2014925

  

サバルテギ部門ノミネーション*サンセバスチャン映画祭2016 ⑤2016年08月19日 11:51

           長編1作、短編2作と今年は少なめです

 

サバルテギZabaltegiは、バスク語で「自由」という意味、というわけで国、言語、ジャンル、長編短編を問わず自由に約30作品ほどが選ばれ、本映画祭がワールド・プレミアでない作品も対象のセクションです。今回スペインからは、バスク出身のコルド・アルマンドスの長編Sipo phantasmaと短編2作がアナウンスされました。過去にはラテンビートなど映画祭で上映された、パブロ・トラペロ『カランチョ』、ホセ・ルイス・ゲリン『ゲスト』、パブロ・ラライン『No』、ブラジルのカオ・アンブルゲール『シングー』、昨年の話題作は、ロルカの戯曲『血の婚礼』を下敷きにしたパウラ・オルティスの“La novia”などが挙げられます。

 

バスク語題のポスター

 

    サバルテギ部門

Sipo phantasmaBarco fantasmaGhost Shipコルド・アルマンドス 2016

観客は約1時間の船旅を体験する。船にまつわる物語、映画、難破船、ゴースト、愛、吸血鬼に出会いながらクルージングを楽しもう。1990年代の終わり頃からユニークな短編を発信し続けているバルクの監督、今回長編デビューを果たしました。しかし一味違った長編のようです。

 

    

 

*コルド・アルマンドスKoldo Almandozhaは、1973年サンセバスチャン生れ、監督、脚本、製作、カメラ、編集と多才、ジャーナリスト出身。ナバラ大学でジャーナリズムを専攻、後ニューヨーク大学で映画を学ぶ。1997年短編Razielen itzulera8分)でデビュー、ドキュメンタリーを含む短編(7分から10分)を撮り続けていたが、今回初めて長編を撮る。言語はスペイン語もあるにはあるが(例Deus et machina)、殆どバスク語である。カラー、モノクロ、アニメーション、音楽グループとのコラボと多彩です。なかでBelarra0310分)が新人の登竜門といわれるロッテルダム映画祭 2003で上映され話題となり、初長編となる本作も同映画祭2016で既にワールド・プレミアされている(23日)。シンポジウムで来日した折に撮った、京都が舞台の日西合作Midori 緑”068分、実写&アニメ)はドキュメンタリー仕立ての短編、タイトルのミドリは修学旅行に来たらしい女学生の名前。短編なので大体YouTubeで楽しむことができ、やはり“Belarra”(草という意味)は素晴らしい作品。

 

   

          (コルダ・アルマンドス監督、サンセバスチャンにて)

 

CaminanOn the Pathミケル・ルエダ 短編 2015

なにもない1本の道路、1台の車、1台の自転車、自分探しをしている独身の男と女が出会う。女役を演じるのは人気女優マリベル・ベルドゥです。バスク出身の8人の監督が参加したオムニバス映画BilbaoBizkaía Ext: Díaの一編。他にはバスク映画の大御所イマノル・ウリベ(『時間切れの愛』)を筆頭に、エンリケ・ウルビス(『悪人に平穏なし』)、ペドロ・オレア、ハビエル・レボージョなどベテランから若手までのオール・バスク監督。

 

 (映画から)

   

 

*ミケル・ルエダMikel Rueda は、1980年ビルバオ生れ、監督、脚本家、製作者。2010年長編デビュー作Izarren argia(“Estrellas que alcanzar”バスク語)がサンセバスチャン映画祭の「ニューディレクターズ」部門で上映、その後公開された。第2A escondidas14、バスク語)は、マラガ映画祭2015に正式出品、その後米国、イギリス、フランス、ドイツなど15カ国で上映された。短編Agua!1216分)もサンセバスチャン映画祭で上映、過干渉の父親、おろおろする母親、フラストレーションを溜め込んだ2人の高校生の日常が語られる。これはYouTubeで見ることができる。目下、長編第3作目を準備中。

 

  

                (ミケル・ルエダ監督)

 

Gure Hormex / Our WallsNuestras paredes)短編 2016 17

マリア・エロルサ&マイデル・フェルナンデス・イリアルテ

*主婦たちの住む地区、不眠症患者の地区、無名の母親のキオスク、身寄りのない女性たちのアンダーグラウンド、「私たちの壁」は私たちが愛する人々に感謝のしるしを捧げるドキュメンタリー。二人の若いバスクの監督が人生の先達者に賛辞をおくる。

 

(映画から)

   

 

マリア・エロルサMaría Elorzaは、1988年ビトリア生れ、監督。バルセロナのポンペウ・ファブラ大学でオーディオビジュアル情報学を専攻、その後バスク大学でアート創作科修士課程で学ぶ。2011年からフリーランサーの仕事と並行してドキュメンタリー製作のプロジェクトに参加する。2009年“Hamasei Lehoi”で短編デビュー、2012年ギプスコアの新人アーティストのコンクールに“Antología poética de conversaciones cotidianas”応募する。2014年“Errautsak”(ドキュメンタリー・グループ製作)、マイデル・フェルナンデス・イリアルテと共同監督したAgosto sin tí15)、“El canto de los lujuriosos”(同)、他短編多数。

    

マイデル・フェルナンデス・イリアルテMaider Fernandez Iriarteは、1988年サンセバスチャン生れ、監督。祖母についてのドキュメンタリー“Autorretrato”を撮る。タイトル「自画像」は、「祖母は私である」というメッセージが込められている。Agosto sin tíがセビーリャのヨーロッパ映画祭2015、ウエスカ映画祭2016などで上映された。“Historia de dos paisajes”がセビーリャ・レジスタンス映画祭2016で上映された後、バスク自治州やフランス側のバスク語地区を巡回している。フランス、ドイツなどヨーロッパ各地は勿論、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、ドミニカ共和国、モザンビークなどへ取材旅行をしている行動派。

 

   

     (左がマリア・エロルサ、右がマイデル・フェルナンデス・イリアルテ)

 

公開中または近日公開予定のスペイン&ラテンアメリカ映画2016年06月12日 15:26

 *急がないと終了してしまう公開中の映画*

『エルヴィス、我が心の歌』原題“Ultimo Elvis”、英題“The Last Elvis 2012

監督・脚本・製作アルマンド・ボー、脚本(共)ニコラス・ヒアコボーネ、撮影ハビエル・フリア、製作(共)ビクトル・ボー、製作国アルゼンチン、言語スペイン語・英語 91

キャスト:ジョン・マキナニー、グリセルダ・シチリアニ、マルガリータ・ロペス

映画祭・受賞歴:アルゼンチン・アカデミー賞2012(主演男優賞以下6部門)、サンセバスチャン映画祭2012ホライズンズ・ラティノ部門作品賞、チューリッヒ映画祭2012初監督賞、ほか多数受賞

渋谷ユーロスペース、528日ロードショー

 

 

『或る終焉』原題“Chronic”、2015

監督・脚本・編集()・製作()ミシェル・フランコ、撮影イヴ・カープ、製作ガブリエル・リプスティン他、製作総指揮ティム・ロス他、製作国メキシコ=フランス、言語英語、94

キャスト:ティム・ロス、ロビン・バートレット、マイケル・クリストファー、レイチェル・ピックアップ、サラ・サザーランド、ナイレア・ノルビンド、他

映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭2015脚本賞受賞

渋谷ル・シネマ Bunkamura文化村 528日ロードショー

当ブログでの紹介記事は、コチラ⇒2015528

 

 

 

*近日公開予定の映画* 

『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』原題“Paco de Lucía: La búsqueda”、英題“Paco de Lucia a Journey” 2014年 ドキュメンタリー

監督・脚本()クーロ・サンチェス・バレタ、脚本()カシルダ・サンチェス、撮影カルロス・ガルシア・デ・ディオス他、製作者アンチョ・ロドリゲス、ルシア・サンチェス・バレラ他

キャスト:パコ・デ・ルシア、カルロス・サンタナ、ジョン・マクラフリン、チック・コリア、サビーカス、ぺぺ・デ・ルシア他多数

受賞歴:ゴヤ賞2015長編ドキュメンタリー賞、シネマ・ライターズ・サークル賞2015ドキュメンタリー賞、トゥリア賞2015ドキュメンタリー賞を受賞、第2回イベロアメリカ・プラチナ賞ドキュメンタリー部門ノミネーション、他

渋谷ル・シネマ Bunkamura文化村 723日ロードショー

当ブログでの紹介記事は、コチラ⇒2015131

 

   

 

『ラスト・タンゴ』原題Un tango más2015年 ドラマ・ドキュメンタリー

監督ヘルマン・クラル、ヴィム・ヴェンダース製作総指揮、製作国ドイツ=アルゼンチン、言語スペイン語、85

映画祭:トロント、ベルリン、山形、ストックホルム、クリーブランド、各国際映画祭正式出品

キャスト:マリア・ニエベス、フアン・カルロス・コペス、パブロ・ベロン、アレハンドラ・グティ、フアン・マリシア、他多数

渋谷ル・シネマ Bunkamura文化村 79日ロードショー

 

    

 

『チリの闘い』La batalla de ChileLa lucha de un pueblo sin armas19751978

ドキュメンタリー三部作

『光のノスタルジア』『真珠のボタン』のパトリシオ・グスマン監督の初期のドキュメンタリー

渋谷ユーロスペースにて9月、日本初公開

『光のノスタルジア』の主な作品紹介記事は、コチラ2015年11月11日

『真珠のボタン』の主な作品紹介記事は、コチラ2015年11月16日

 

  

     (第3部“El poder popular”、2013914日マラガでの上映会のポスター)

 

*ポルトガル映画ですが・・・*

『ホース・マネー』原題“Cavalo Dinheiro”、英題“Horse Maney2014

監督・脚本ペドロ・コスタ、撮影レオナルド・ジモエス、製作国ポルトガル、言語ポルトガル語・クレオール語、ドキュメンタリー、104

映画祭・受賞歴:ロカルノ国際映画祭20414監督賞ほか3賞、ミュンヘン映画祭2015 ARRI/OSRAM賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2015大賞受賞など、他ノミネーション多数。

渋谷ユーロスペース、618日ロードショー、627日(1830~)監督トークイベントあり、上映期間中『ヴァンダの部屋』と『コロッサル・ユース』を上映予定(期間・時間など要確認)

 

   


ガルシア=マルケスのドキュメンタリー*”Gabo:la creación de Gabriel García Márquez”2016年03月27日 15:08

                    マコンドの黄色い列車に乗って

 

Gabola creación de Gabriel García Marquezは、イギリスの監督ジャスティン・ウエブスタードキュメンタリーですが、言語はスペイン語です。監督はスペイン語が流暢、前作I will Be Murdered2013Seré asesinado”)もグアテマラの弁護士暗殺事件をテーマにしたドキュメンタリー、各地の国際映画祭で受賞しています。“Gabo”はガウディ賞2016にノミネーションされましたが受賞ならず記事を見送りました。しかし毎年誕生月の3月になると何かしら記事が目につき、今年の命日(417日)は、日本流に言うと3回忌にあたるのでご紹介することに。作家本人の登場は少ないようですが、監督によると「今まで彼のドキュメンタリーはなかった。それはインタビュー嫌いだったからだ」そうです2014年の死去に際しては当ブログでも「ガボと映画」に関する記事を中心に幾つかアップしております。

 

皆無というわけではなく、「本格的な」ドキュメンタリー映画という意味に解釈したい。作家の80歳の誕生を祝して製作された、ルイス・フェルナンドのBuscando a Gabo2007、コロンビアTV52分)が、翌2008年に『ガボを探し求めて』の邦題で上映されました(セルバンテス文化センター)。他にも『百年の孤独』に関連したシュテファン・シェヴィーテルトの“El Acordeón del Diablo”(2001、スイス=コロンビア=ドイツ合作)が『惡魔のアコーディオン』の邦題でテレビ放映されている。シェヴィーテルトは音楽ドキュメンタリー『キング・オブ・クレズマー』が公開されている監督。

「ガボと映画」に関する記事は、コチラ⇒2014123日・427日・429

 

    

 

 

  Gabola creación de Gabriel García Márquez 2015

(“GaboThe Creation of Gabriel García Márquez”、Gabola magia de lo real”他

製作:JWProductions / CanalEspaña / Caracol(コロンビアTV)他

監督・脚本:ジャスティン・ウエブスター

データ:製作国西=英=コロンビア=仏=米、スペイン語、2015年、ドキュメンタリー、伝記、90分、公開コロンビア20153月、スペイン2015417日(1周忌)、マドリード限定(TV放映)423日、バルセロナ1219日、米国独立系の映画館で20163月、ドイツ、フランス、イタリアではテレビ放映予定、他

映画祭・ノミネーション:カルタヘナ・デ・インディアス映画祭2015313日、ニューヨークのコロンビア映画祭、シカゴのラテン映画祭、ガウディ賞2016ドキュメンタリー部門ノミネーション、他

 

キャスト:フアン・ガブリエル・バスケス(作家)、アイーダ(妹1930生れ)、ハイメ(弟1941生れ)、ヘラルド・マルティン(ガボの伝記作家)、プリニオ・アプレヨ=メンドサ(親友のジャーナリスト)、セサル・ガビリア・トルヒーリョ(元コロンビア大統領)、ビル・クリントン(元合衆国大統領)、ジョン・リー・アンダーソン(ジャーナリスト)、タチア・キンタナル(元恋人)、他

 

  

                    (『百年の孤独』を頭にのせた有名なフォト)

 

       複雑に錯綜するポリフォニックな声をどこまで拾えたか?

 

「メキシコに行くつもりだよ」と親友プリニオ・アプレヨ=メンドサ**に語って、まだノーベル賞作家ではなかった1961年に妻メルセデスと長男ロドリゴを伴ってコロンビアを去った。到着したメキシコのメディアは、ノーベル賞作家ヘミングウェイのショットガン自殺(72日)を盛んに報じていたという。出演してくれた彼の妹弟が兄への愛を語るのは当然だが、「有名な作家だから賞賛しなければならないと考えた人々には出会わなかった」と監督。妹アイーダ弟ハイメの二人は、大変な読書好きだった母親について語っている。しかし作家が大きな影響を受けたのは彼の幼少期に母親代りだった母方の祖母、つまり『大佐に手紙は来ない』に出てくる大佐夫人だった。アイーダとハイメは『予告された殺人の記録』に実名で登場している。

 

     

            (マルケス一家、妻メルセデス、ガボ、次男ゴンサロ、長男ロドリゴ)

 

**プリニオ・アプレヨ=メンドサは、1957年に共産諸国(ポーランド、チェコスロバキア、ソ連、東ドイツ、ハンガリー)を巡る旅を一緒にしたコロンビア人のジャーナリスト。しかし1971年の「パディーリャ事件」での意見の相違から袂を分かつ。彼についてはアンヘル・エステバン&ステファニー・パニヂェリのGabo y Fidel2004『絆と権力 ガルシア=マルケスとカストロ』新潮社、2010、野谷文昭訳)に詳しい。ウィキペディアからは見えてこない作家の一面が分かる推薦図書の一つ。あくまでもIMDbによる情報ですが、残念ながら二人の著者はキャスト欄にクレジットされていない。複雑に錯綜するポリフォニックな声をどこまで拾えたかが本作の評価を左右すると思います。       

 

  

   (前列左から2人目ブニュエル、一人おいた眼鏡がガボ、1965年アカプルコにて)

 

本作の語り手にコロンビアの作家フアン・ガブリエル・バスケス1973ボゴタ)を起用している。ロサリオ大学で法学を専攻、1996年フランスに渡り、1999年パリ大学ソルボンヌでラテンアメリカ文学の博士号取得、1年ほどベルギーに滞在した。その後バルセロナに移り2012年まで在住、現在はボゴタに戻っている。彼のEl ruido de las cosas al caer2011)が最近『物が落ちる音』(松籟社、20161月、柳原孝敦訳)の邦題で刊行されたばかり、推薦図書として合わせてご紹介しておきます。コロンビアと米国の麻薬戦争を巡るドキュメンタリー風の小説、2011年のアルファグエラ賞受賞作品。

 

 

            (アルファグエラ賞授賞式でスピーチをするバスケス、2011

 

タチア・キンタナル(本名コンセプシオン・キンタナル)は、1929年バスク自治州ギプスコア生れの女優、詩人(タチアTachiaは渾名、コンセプシオンの愛称コンチータCon­-chi-taのシラブルを入れ替えたもの)。フランコ独裁政権下では仕事ができず1953年フランスに亡命、1956年パリでガルシア=マルケスと知り合う。二人とも厳しい経済的困窮を抱えていた時代、あたかも後に書かれることになる『大佐に手紙は来ない』の大佐夫婦のような生活だったらしい(彼女は82歳になった2010年師走にアラカタカを初訪問している)。二人の熱烈な関係は1年とも数年とも言われている。作家がメルセデス・バルチャと結婚するのは1958年です。キンタナルも1950年に出会ったビルバオの詩人ブラス・デ・オテロ(191679)と親密な恋人関係を詩人の死まで維持していた。詩人はタチアの名付け親でもある。

 

  
     (「アディオス、ガボ」と作家の好きな黄色い花束を手にしたタチア・キンタナル)

 

★キンタナルには左耳の聴覚障害があり、映画化もされた『コレラの時代の愛』のヒロイン、フェルミーナ・ダーサを同じ聴覚障害者にしたのは、作家の元恋人への目配せだというわけです。この小説のモデルは作家の両親というのが通説ですが(本人が述べているようだ)、「私の両親は結婚しています。この小説は、アカプルコで毎年逢瀬を愉しんでいた80代のカップルを、あるとき船頭がオールで殴り殺してしまった結果事件となり、二人の秘密が白日の下になってしまった。二人はそれぞれ別の人と結婚していたからだ、という新聞記事にインスピレーションを得て書かれた」とも語っています。キンタナルも結婚してミュージシャンの息子がいる。両親は主人公フロレンティーノ・アリーサのように「519ヶ月と4日」も待たなかったというわけです。ウソとマコトを織り交ぜて話すのが大好きな作家の言うことですから、信じる信じないはご自由です。

 

ジャスティン・ウエブスターのキャリア&フィルモグラフィー

★イギリス出身の監督、脚本家、製作者、ノンフィクション・ライター、ジャーナリスト。ケンブリッジ大学で古典文学を専攻、1990年代はロンドンでジャーナリストとして働いた後、バルセロナに移り写真術を学びながらフリーランサーのレポーターの仕事をする。1996年製作会社JWProductionsを設立、現在はバルセロナを拠点にして映画製作に携わっている。本作の企画は「ほぼ10年前から温めていたが、具体的に始動したのは作家が死去する数ヶ月前のことで、亡くなったことで危機が訪れた」と監督。作家の熱烈なファンであったウエブスターにとって『百年の孤独』の作家の人生を語ることは難しく、結局予定より1年半遅れて完成。しかし、この映画を作ることで「今までと違った作家像にも出会った。例えば意外に内気で、若い頃に暮らしていたバルセロナ時代は無口で、親しい友人たちの付き合いを好んでいた」とも語っている。反面ノーベル賞受賞には執念をもやし、推薦者への根回しを怠らなかったいう話は有名です。

 

      

                        (最近のジャスティン・ウエブスター監督

 

ウエブスターが国際舞台に躍り出たのは、冒頭で触れたドキュメンタリー第1I Will Be Murdered2013Seré asesinado”、デンマーク、英、西、グアテマラ合作)だった。グアテマラの政財界に激震を走らせた「ロドリゴ・ローゼンバーグ暗殺事件」をテーマにしたドキュメンタリー、各地の映画祭に招かれそれぞれ受賞も果たした***ローゼンバーグはグアテマラのエリート弁護士、2009510の日曜の朝、サイクリング途中に或る者から差し向けられたヒットマンによって暗殺された(享年48歳の若さだった)。グアテマラ内戦(196096)の平和条約の調印がなされた後も和平合意は実現されておらず、当時の殺人件数6000人以上、誘拐件数400人以上というグアテマラでも大事件だった。それに拍車をかけるように弁護士が2日前に撮ったというビデオテープが公開されたことから国家の危機を引き起こす暗殺事件に発展した。

 

 

            

                  (政権を告発するロドリゴ・ローゼンバーグと殺害現場)

 

★ロドリゴ・ローゼンバーグの死後2日後に公開されたビデオは、「自分が殺害された場合の首謀者は、アルバロ・コロン大統領私設秘書官グスタボ・アレホスであり、大統領夫妻も私の殺害を了承していた」という衝撃的な内容だった。ローゼンバーグは国家資金を運用しているグアテマラ農村開発銀行の執行委員を務めていた企業家とその娘の殺害事件の調査に関与していた。彼は起業家が違法取引の隠蔽工作の協力を断ったために殺害されたと政権を告発した。 

 

 

         (高い評価を受けた“I will Be Murdered”のポスター)

 

***受賞歴:サンパウロ映画祭2013ドキュメンタリー部門審査員賞・栄誉メンション、ウィチタ映画祭2013ベスト・フューチャー・ドキュメンタリー賞、ハバナ映画祭2013ラテンアメリカ以外の監督部門サンゴ賞、グアナファト映画祭作品賞、カルタヘナ映画祭2014監督賞、バルセロナPro-Docs2014ベスト・ドキュメンタリー賞、その他、シカゴ映画祭2013正式出品、ガウディ賞2015ノミネーションなど多数。



チリ映画”La Once”*ゴヤ賞2016ノミネーション ⑪2016年01月25日 16:04

             食べて喋って、こんなに元気で長生きです

 

  

マイテ・アルベルディの長編ドキュメンタリー第2弾はコメディLa Onceです。昨年、オスカー賞代表作品の選定にパブロ・ララインの“El Club”『ザ・クラブ』(ベルリン映画祭2015グランプリ審査員賞受賞)とLa Once”というドキュメンタリーのどちらにするかチリ映画アカデミーが迷っているという記事を目にしました。結局オスカー代表作品はララインに決定したのでゴヤ賞も『ザ・クラブ』と予想していました。だってドキュメンタリーは分が悪いし、監督の知名度もイマイチだから。ところが違った。ドキュメンタリーと言ってもこれはコメディだという、本当に珍しい。検索をかけたら厚化粧の貫禄充分のおばあさんたちが美味しそうにケーキを食べている。毎月1回、60年間続いているお茶会だという。監督の実のお祖母さんがメンバーの一人、なるほど、これで繋がった。

 

  

      (お茶とケーキ、おしゃべりに余念がない老人パワーに圧倒される?)

 

     La Once(“Tea Time”)2014

製作:Micromundo Producciones

監督・脚本:マイテ・アルベルディ

撮影:パブロ・バルデス

編集:フアン・エドゥアルド・ムリージョ、セバスチャン・Brahm

音楽:ホセ・ミゲル・トバル、ミゲル・ミランダ

プロデューサー:クララ・タリッコ

 

データ:チリ、スペイン語、2014年、80分、ドキュメンタリー、公開チリ201564日、(マドリード)プレミア20151129日・公開201619日、(バルセロナ)プレミア124日、公開18

映画祭:サンティアゴ映画祭2014、メキシコ移動ドキュメンタリー映画祭20151月),以下マイアミ(3月)、ブエノスアイレス・インディペンデント・シネマ(4月)、シアトル(5月)、シドニー(6月)、シェフィールド・ドキュメンタリー(UK 6月)、など各映画祭で定栄された。

受賞歴:サンティアゴ映画祭作品賞・監督賞、アムステルダム・ドキュメンタリー映画祭監督賞、カルタヘナ映画祭でゴールデン・インディア・カタリナ・ドキュメンタリー賞受賞、バルセロナ・ドキュメンタリー映画祭でTV3賞、他、マイアミ映画祭、グアダラハラ映画祭でも受賞している。

 

主演者:マリア・アンヘリカ・シャルペンティエル(元スペイン語教授)、マリア・テレサ・ムニョス(監督の祖母)、シメナ・カルデロン、アリシア・ペレス、マヌエラ・ロドリゲス、フアニータ・バスケス、ニナ・キッカレッリ Chiccarelli、他(全員女性)

 

解説:タイトルのLa Onceラ・オンセ(午前11時という意味)というのは、イギリスの午前11時頃にとるお茶と軽食「elevenses」とか、スペインの昼食前に摂るメリエンダ「merienda」に相当するようです。現在では午後のおやつ、または昼食にも使用されており、いわゆるアフタヌーンティーです。チリでは定冠詞laを複数にしてlas oncesともいう。現在では時刻に拘らず夕食前に会話を楽しみながら摂る広義の「お茶と軽食会」を指すよう変化している。13食どころか5食になって肥満人口の増加に拍車をかけているのではないでしょうか。

 

物語:ひと月1回のペースで延々60年間も続いているお茶とケーキを楽しみながらのお喋り会。メンバーの共通点は多くが1930年代生れ、同じカトリック系の女学校の卒業生ということ。もう間もなくあの世に旅立つことが避けられない人生最後の時間を過ごしている女性たち。アジェンデ政権やピノチェトの軍事クーデタという変革期をリアルタイムで目撃したツワモノたち。ラテンアメリカ映画の定番テーマでもある老人の孤独、貧困、社会の疎外者というテーマを避けて、かつてはドラマティックな人生を歩んだ女性たちの老い方のレシピ。意見の違いや時には秘密も曝露される。老いとか、死という重荷は取り敢えず下ろして、人生の最後においても尚且つエネルギッシュに輝いている女性たちの「愛と友情」についての物語だ。

 

  

              (しっかりお化粧も致します 映画から)

 

監督キャリア& フィルモグラフィーマイテ・アルベルディMaite Alberdi 1983年首都サンティアゴ生れ、監督、脚本家。チリ・カトリック大学オーディオビジュアル監督と美学科で社会情報を専攻、小宇宙の日常的な事柄に興味があり、フィクションとノンフィクションのジャンル区別をセず、あるのは映画だけという立場をとっている。複数の大学で教鞭をとるかたわら、“Teorías del cine decumental en Chile: 1957-1973”(共著)という著書がある。「チリ映画は全体的にみて、折衷主義で多様性に富んでいる」と語っている。“La Once”は12の映画祭で上映され、なかには参加した出演者たちもいる。

2007Las peluqueras”(短編ドラマ)監督・脚本 

カサ・デ・アメリカ、TVEよりイベロアメリカ短編賞、バルディビア映画祭2008ユース賞

2011El Salvavidas”(長編ドキュメンタリー)監督・脚本

   バルディビア映画祭2011観客賞、グアダラハラ映画祭2012審査員特別賞、バルセロナ、ドキュメンタリー映画祭2013新人ドキュメンタリー賞、ほか

2014La Once”省略

2014Propaganda”(長編ドキュメンタリー、脚本のみ)

 

製作者クララ・タリッコのキャリアClara Taricco ブエノスアイレス大学文学部卒、チリ・カトリック大学オーディオビジュアル表記法のマスター号取得。2009年より5年間アルベルティ監督の“La Once”の製作を手掛ける。201011年、アニメ・シリーズ“Libertas”を製作、“Antología de textos críticos sobre Raúl Ruiz”の翻訳、2009年よりバルディビア映画祭の産業研究室に在籍している。

 

    

        (左から、ラ・オンセを楽しむアルベルティ監督とクララ・タリッコ)

 

★子供のときから伝統的な慣習の目撃者だったが、大人になってからはチリの女性たちが体験した記録を残すドキュメンタリー監督になる道を選んだ。本作の目的は「社会の中で女性だけに課せられた役割をどうやって変革していくか」に焦点を当てて描いた。祖母が学んだ女学校はいわゆる「良妻賢母教育」をしていた。当時の女性には参政権はなく政治に参加することは出来なかった。しかしチリに限ったことではなく、日本でも敗戦後の194610月、チリはもっと遅く1949年です。出演してくれた女性たちは自分たちが人生の最後に差し掛かっていることを自覚している。差し迫っている死の不安は常にあるが、映画の中ではっきり死が語られることはない。重要なのは一緒にテーブルを囲んで時間を共有することだと語っている。

 

2009年から5年間をかけて撮ったから、中には本作の成功を知らずに鬼籍入りした女性もいた。監督によると、出演してくれた女性たちにお披露目をするときには、彼女たちがどんな反応を示すか怖かったという。彼女たちも自分たちがどのように映っているか神経質になっていた。しかし互いの心配は最初だけで、しばしばおこる笑い声、終いには皆な感動して気に入ってくれた。ドキュメンタリーの場合、一般観客よりスクリーンに出てくれた人々の反応の予測が難しいという。出演者を知らずに傷つけてしまう可能性もあるからでしょうね。

 

★ドキュメンタリーがゴヤ賞にノミネーションされる可能性は少ない。「チリ代表作品に選ばれたのは2003年が最後で、そのキャンペーンの難しさがネックだったと聞いています。だから今回ノミネーションされたことを素直に喜びたいし、出演してくれた女性たちを誇りに思う」と監督は締めくくった。甘党の観客にはヨダレが出そうなケーキが登場します。

 

パラグアイのドキュメンタリーがオスカー外国映画賞に初挑戦2015年12月13日 22:39

 

           アラミ・ウジョンが自身の母親と向き合うドキュメンタリー

 

                    (映画のポスター)

★オスカー賞2016の各国代表作品をリスト・アップした際に「これは是非見たい映画です」と書いた作品。El tiempo nublado(“Cloudy Times”パラグアイ=スイス合作)は、近年増加しているというパーキンソン病に罹ったウジョン監督自身の母親を追った重いテーマのドキュメンタリー、車椅子生活となった母と一人娘が向き合う映画です。ゴヤ賞2016「イベロアメリカ映画賞」のパラグアイ代表作品にも選ばれている。

 

      

      (母親ミルナとアラミ・ウジョン監督、映画から)

 

★実は、パーキンソン病の他にてんかん、高齢による知力減退が重なって自力で生活できなくなっていた。当時監督はパートナーのパトリックとスイスで暮らしていたが、実母の介護のためグアラニーの故国に戻ってきた。上記の写真からも分かるように自身も被写体にしており、監督、脚本家、共同製作者も兼ねている。アジェンデ大統領の孫娘タンブッティ・アジェンデのドキュメンタリーと同じく、非常に個人的な要素を含んだ作品ですが、「親が老いて病を得たとき、私たちは何をすべきか?」という根源的なテーマが語られている。つまり老親の介護は万人共通の普遍的なテーマだと言えるからです。複数の兄妹がいれば、ロドリゴ・プラの『マリアの選択』のような「誰が老親を看るか」という問題も発生するが、監督のように一人娘であれば選択肢はない。離れて暮らしている母と娘、母と息子、父と娘・・・など、少子化問題は我が国でも待ったなしでしょう。

 

★パラグアイのように福祉がおろそかにされている国では、個人的に対策を考えなければならない。政治は第3世代つまり老齢になった人々をフォローする余裕がない。「多くの老人が放置され、自分の境遇または家族の助けを諦めて耐えている。そのことに気づいた」と監督。「介護料は高額のうえ質も保証されておらず家族が奮闘することが当たり前だ」とも。「最も憂慮すべきことはこの問題に関してわたしたちが沈黙していること。老いや病について、患者の権利と介護者の権利について語り合うことがない。私の映画がそういう状況打開に一石を投ずることができたらと思う」と監督。まずディベートを始めることですね。

 

★「本作はある一つの現実を語ったものですが、母親と一緒に映画を作ることが一種の健康維持にもつながったという体験をした。以前は互いに避けていた事柄にきちんと向き合うこと、逃げ出さない義務があることを学んだ。そういう過程で母娘の関係性が強化された。多分他人の視点で自分の生き方を見ることができるようになったから」と締めくくった。これは素晴らしい体験です。だからといって介護は家族がすべきなのだとは絶対に思いません。

 

★受賞歴:スイスのバーゼル映画祭「Zoom Basler Filme ImFokus」で長編映画賞、同ニヨン市「Visions du Reel」で初監督賞を受賞している。

 

軍事独裁制(195984)が長く続いたパラグアイは文字通り映画後進国、映画アカデミーのような組織もなかった。これがないとオスカー賞に参加できない。2012年の話題作“7 cajas”も当時参加できなかった。その苦い経験から20131028日、初めてパラグアイ映画アカデミーACPY総会が開催され、今年の代表作品選考に辿りついた。初代会長は“7 cajas”の監督タナ・シェンボリ(1970、アスンシオン)。ACPY会員の投票で、第1回の代表作品にEl tiempo nublado”が選ばれた。

(写真下は、オスカー賞とゴヤ賞のパラグアイ代表作品のノミネーションを発表する代表者)

 

 

    (左から、第一書記イバナ・ウリサル、会長タナ・シェンボリ、812日)

 

7 cajasという映画は、社会から疎外された少年グループが複雑な闇社会に翻弄されるスリラー。フアン・カルロス・マネグリア(1966、アスンシオン)とタナ・シェンボリの共同監督作品。2011年サンセバスチャン映画祭「Cine en Construccion賞」という新人監督に与えられる賞をもらい、翌年の同映画祭で「Euskatel de la Juventud賞」(いわゆるユース賞)を獲得した。ゴヤ賞2013年パラグアイ代表作品に選ばれ、パラグアイ初のノミネーションを受けた。その他モントリオール、マル・デル・プラタ、パルマ・スプリングなどの国際映画祭で上映され、パルマでは「New Visions」部門で特別賞を受賞し、賞金5000$を得た。二人の監督は、1990年代にTVミニシリーズでコンビを組んで以来の仲間。

 

★スペイン代表作品はジョン・ガラーニョ&ホセ・マリ・ゴエナガの『フラワーズ』、めぼしいところを列挙すると、チリがパブロ・ララインの『ザ・クラブ』、これは最近ノミネーションが発表になったゴールデン・グローブ賞の5作品候に踏みとどまった。アルゼンチンがパブロ・トラペロの「ザ・クラン」、最終候補に残るスペイン語映画があるとすれば、本作が一番有力ではないかと思っています。

 

*関連記事・管理人覚え*

オスカー賞2016外国語映画賞(スペイン語)の主なリストは、コチラ⇒201510月3

  

『真珠のボタン』 水の記憶*パトリシオ・グスマン2015年11月16日 16:31

サンチャゴで公開された『真珠のボタン』

 

★遺骨を探し続けている二人の女性が談笑しながら星の観察をしている。初めて見せる二人の笑顔で前作『光のノスタルジア』は幕を閉じました。かすかな希望を抱いて『真珠のボタン』を続けて見ました。自然が作りだす驚異的な美しさに息をのみましたが、人間のあまりの愚かさ残酷さにスクリーンがぼやけてしまう作品でした。929日、やっとチリの首都サンチャゴで初めて公開されたということは、チリにも一筋の光が射してきたということでしょうか。

 

   

      『真珠のボタン』“El botón de nácar”(“The Pearl Button”)

製作Atacama Productions / Valdivia Film / Mediapro / France 3 Cinema

監督・脚本パトリシオ・グスマン

助監督:ニコラス・ラスにバット

撮影:カテル・ジアン

音響:アルバロ・シルバ、ジャン・ジャック・キネ

音楽:ミランダ & トバル

編集:エマニュエル・ジョリー

製作者:レナーテ・ザクセ、フェルナンド・ラタステ、ジャウマ・ロウレス他

データ:製作国フランス、チリ、スペイン、スペイン語、2015年、82分、ドキュメンタリー、主な撮影地:西パタゴニア、チリ公開:929

受賞歴:ベルリン映画祭2015銀熊脚本賞・エキュメニカル審査員賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2015山形市長賞、ビオグラフィルム・フェスティバル2015(ボローニャ)作品賞・観客賞ほか、エルサレム映画祭2015ドキュメンタリー賞、フィラデルフィア映画祭2015審査員賞、各受賞。サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品、他ノミネーション多数。

 

登場する主な語り部たち

ガブリエラ・パテリト(カウェスカル族の末裔、推定73歳。手工芸品製作者)

クリスティナ・カルデロン(ヤガン族の末裔、86歳。文化・歴史・伝説の伝承者、

  手工芸品製作者)

マルティン・G・カルデロン(クリスティナの甥、古代からの製法でカヌーを製作している)

ラウル・スリタ(拷問を受けた共産党活動家、詩人。2000年国民文学賞を受賞)

ガブリエル・サラサール(アジェンデ政権時の極左派MIRの活動家。チリ大学哲学科・法科の教授、2011年国民賞受賞)

クラウディオ・メルカド(人類学者、実験音楽の作曲家・演奏家、伝統音楽の継承者)

ラウル・ベアス(ボタンが付着したレールを引き上げたダイバー)

フアン・モリナ(197911月のデサパレシード投棄に携わったヘリコプターの元整備士)

アディル・ブルコヴィッチ(ヘリコプターで海中に投棄されたマルタ・ウガルテの弁護士)

ハビエル・レボジェド(遺体を海中に投棄するため胸にレールを括りつける行程を再現したジャーナリスト・作家)

パトリシオ・グスマン<影の声>

パス・エラスリス(写真家、カウェスカル族の写真提供者)

マルティン・グシンデ(写真家・司祭、セルクナム族のモノクロ写真提供者)

 

プロット:大洋は人類の歴史を包みこんでいる。海は大地と宇宙からやってくる声を記憶している。水は星の推進力を受け取って命ある創造物に伝えている。また水は、深い海底で廻りあった二つのミステリアスなボタンの秘密を守っていた。一つはパタゴニアの先住民の声、もう一つは軍事独裁時代の行方不明者の声、水は記憶をもっている。宇宙に渦巻く水の生命力、パタゴニアに吹く乾いた風、銀河系を引き裂く彗星、チリの歴史に残る悲劇的なジェノサイド。チリの片隅から眺めたすこぶる個人的な要素をもつパトリシオ・グスマンの<影の声>は、純粋さと怒りに溢れている。これは記憶についてのエレガントで示唆に富む美的思索のドラマ。      (文責:管理人)

 

         チリの歴史を凝縮した水の言葉―-二つのボタン

 

A: チリの北部アタカマ砂漠から始まった水と宇宙についての物語のテーマは、アンデス山脈に沈み込む最南端の西パタゴニアの水と氷の世界に私たちを導いてゆく。

B: 白ではなくまるで青いガラスの壁のような氷河の映像には息を呑みます。宇宙飛行士ガガーリンのように宇宙に飛びださなくても、地球が水の球体であることが実感できる。

A: 「地球は青かった」は不正確な引用らしいが、とにかく約70パーセント以上は海という球体です。なかでも全長4600キロに及ぶチリの国土は太平洋に面している。だから海洋国家なんですね。でも海の恵みを無視してきた歴史をもつ国家でもある。 

 


B: 自然の驚異を見せるための自然地理学の映画ではない。海に眠っていた二つのボタン、一つは19世紀末にやってきた白人によって祖国と自由を奪われた先住民の声を語るボタン、もう一つはピノチェトの軍事クーデタで逮捕されたデサパレシードの声を語るボタンです。

A: この二つのボタンの発見がなければ、このように理想的なかたちの映画は生れなかったかもしれない。このミステリアスなボタンが語り出すのは、闇に葬られたチリの歴史です。

B: 抽象的で思索的なメッセージなのに分かりやすく、ストレートに観客の心に響いてくる。忘れぽいチリ人に記憶の重要性を迫っていた前作よりずっと深化している。

 

  • desaparecido:広義には行方不明者のことですが、ラテンアメリカ諸国、特にアルゼンチンでは軍事政権下(197684)で政治的に秘密警察によって殺害された人々を指し、航空機・海難事故などの行方不明者は指しません。隣国チリでもピノチェト軍事政権下(197390)の行方不明者を指し、本作でもその意味で使われています。

     

           先住民やデサパレシードたちの墓場は海の底

     

    A: 遺族並びに体験者の最大の苦しみは、差別や迫害ではなく無関心だということです。たくさんの語り部たちの他に、例えば17回も南極大陸に旅し、冒頭シーンの撮影に協力した二人の冒険家、チリの完全な地図を制作した画家エンマ・マリク、先住民の写真を提供してくれた二人の写真家などが本作を支えています。

    B: 19世紀の初めにパタゴニアにやってきたイギリス船に乗せられて、石器時代から産業革命のイギリスに旅をして、ジェミー・ボタンと名付けられた悲劇のインディオ。1年後に戻ってきたが元の自分に戻れなかった。

 

               

                (パタゴニアの先住民)

 

  • A: 船長フィッツロイの任務は土地の風景や海岸線を描くことで、彼の地図は1世紀にわたって使用された。つまり白人の入植者に役立ったことが、皮肉にも先住民の文化破壊や、ひいてはジェノサイドにつながった。

    B: 当のフィッツロイ船長に悪意はなかったが、150年後に押し寄せた入植者には、先住民の存在は邪魔で目障りだったということです。

     

    A またヘリコプターから太平洋に投棄され、1976912日にコキンボ州の海岸に打ち上げられたマルタ・ウガルテ、レールが外れて浮上した。海底を捜索したらもっとレールは見つかるはずだと監督。

    B: 殺害された人数は約3000人、うち1200人から1400人が海や湖に沈められたからですね。

     

  •         

  •          (軍事独裁時代の犠牲者を船中から探すグスマン監督)

     

    A: 800個所もあったという強制収容所の一つ、ドーソン島に収監されていた人々の声を拾っている。逮捕監禁され拷問を受けた人数は35,000人ともその倍とも言われている。アジェンデ派の政治犯や反体制活動家だけでなく、存在そのものが目障りだった先住民、学生、未成年者もいた。アルゼンチンと傾向は同じです。

    B: 先住民のジェノサイド、18世紀には8000人が暮らしていたという西パタゴニアの先住民は、現在たったの20人しかいない、にわかには信じられない数字です。

     

    A: カウェスカル族の末裔ガブリエラが「神は持たないから、警察は必要ないから」カウェスカル語にはないとインタビューに答えていた。警察がないのは当たり前、聞くまでもないか。『光のノスタルジア』でも言ったことだが、本作にはドキュメンタリーとしてギリギリの演出がありますね。

    B: ヘリコプターからのダミー投棄の再現はいい例です。

    A: フレデリック・ワイズマンとの対談で「ドキュメンタリーが情報伝達だけのメディアにならないように」したかったと語っていましたが。

     

  •     

  •           (カウェスカル族の末裔ガブリエラ・パテリト)

     

          記憶をもたない国にはエネルギーがない

     

    B: 国際映画データバンク(IMDb)にも載っていなかったし、まさかサンチャゴで公開されていたなんて驚きです。現在の政権ミシェル・バチェレ(第2期)が影響してるのか、ベルリン映画祭の銀熊賞を無視できなかったのか()

    A 現在グスマンはパリに住んでおり、彼が創設者である「サンチャゴ・ドキュメンタリー国際映画祭(Fidocs)」で本作がエントリーされ帰国していた。「海を介して過去と和解する映画」と観客に紹介したそうです。「記憶を検証しなければ未来は閉じられる」とも。

     

    B: ベルリンのインタビューでは、チリではデサパレシードをテーマにした映画を作る環境にない、それが唯一できるのはアルゼンチンだけで、ブラジル、ウルグアイなどおしなべてNOだと語っていた。

    A: 「恐怖の文化」が国民を黙らせている。スペインの「エル・パイス」紙が反フランコで果たしたようなことを、チリの「エル・メルクリオ」紙は果たしていない。それは「報道の自由、映像の自由」がないからです。軍事独裁が16年間に及んだこと、民政化は名ばかりで、グスマン監督も「暗黙の恐怖が支配している。政治に携わる人たちは、今もってアジェンデの理想を裏切っている」と語っていた。

     

    B: アルゼンチンの民主主義も脆弱と言われていますが、それでも民生化3年後にルイス・プエンソが『オフィシャル・ストーリー』(86)を撮ることができた。アカデミー賞外国語映画賞を初めてアルゼンチンにもたらし、今や古典といってもいい。

    A: ルクレシア・マルテルのメタファー満載の「サルタ三部作」も軍事独裁時代の記憶をテーマにしている。ここでは深入りしませんが字幕入りで見られる映画が結構あります。

     

    B: チリでもベテランのミゲル・リティンの“Dowson Isla 10”(直訳「ドーソン島1009)アンドレス・ウッドの『マチュカ』(06)や『サンチャゴの光』(08)、若いパブロ・ララインの「ピノチェト政権三部作」**など力作がありますが、アルゼンチンには遠く及ばない。

     

    「サルタ三部作」:『沼地という名の町』(La cienaga 01)、『ラ・ニーニャ・サンタ』(La nina santa 04)、『頭のない女』(La mujer sin cabeza 08

    **「ピノチェト政権三部作」:『トニー・マネロ』(Tony Manero 08)、“Post mortem10、『NO』(12

     

           私の家族はノマドでした―移動もテーマ

     

    A: 監督は「私の家族はノマド(放浪民)」と言うように子供の時から国内をあちこち移動している。チリは旧大陸からの移民国だから彼に限ったことではないが、ラテンアメリカ映画のテーマの一つは移動です。

    B: カンヌ映画祭でカメラドールを受賞した、セサル・A・アセベドの『土と影』も移動が重要なテーマでした。

    A: 映画仲間もすこぶる国際的、デビュー作El primer año”(1972)にはフランスの友人クリス・マルケル監督のプロローグ入りだった。サンティアゴで公開されたときには、彼も馳せつけ、フランスやベルギーでの上映にも寄与してくれたし、三部作「チリの戦い」(“La batalla de Chile”)の撮影にも協力を惜しまなかった。

    B: 2012年に91歳で鬼籍入りしたが、ゴダール、アラン・レネ、ルルーシュ、アニエス・ヴァルダなどが好きなシネマニアには忘れられない監督です。

     

    A: 「チリの戦い」の編集を担当したペドロ・チャスケル1932年ドイツ)は、7歳のときチリに移民、1952年にチリ国籍を取っている。共にチリの新しい映画運動を担ったシネアスト、軍事クーデタでキューバに亡命、1983年帰国、キューバではICAICで編集や監督の仕事をしていた。

    B: 彼もノマドかな。

    A: 本作には関わっていないが、彼のドキュメンタリーというジャンルの的確な判断の手法が影響しているそうです。「クール世代」と言われる前出のアンドレス・ウッドやパブロ・ララインを育てたカルロス・フローレス・デルピノなども、チリの民主化に寄与しています。彼は1994年設立の「チリ映画学校」の生みの親、2009年まで教鞭をとっていた。

     

                不寛容と偏見に終わりはない

     

    A: 現代のチリでは、ホモセクシャルの人間に権利はないと監督、『家政婦ラケルの反乱』で大成功をおさめながらニューヨークに本拠を移したセバスチャン・シルバなどがその好例です。チリではパートナーと一緒に暮らすなどできない。それに彼は自信家でハッキリものを言うタイプだから、先輩シネアストの心証が良くないのかもしれない。

    B: ラテンビートで『マジック・マジック』と『クリスタル・フェアリー』がエントリーされたが、英語映画にシフト変更です。彼もララインの仲間ですが、現状が続くと才能流出も止まらない。

     

    A: 今ではラテンアメリカ諸国の軍事独裁政は、赤化をなんとしてでもキューバで食い止めたいCIAの指導援助の元に行われたことが明らかです。

    B: 拷問の手口が金太郎の飴だった。ベトナムで培った方法を伝授した。商社や大使館の職員に身をやつしてパナマにある養成機関で教育した。

    A: チリの「No」か「Yes」の国民投票をピノチェトに迫ったのも事態を沈静化したいCIAの思惑で行われたが、結果は逆方向になってしまいました。

     

    B: アンデス山脈を中心に第三部が作られる話が聞こえてきています。

    A: チリは有数の火山国でアンデス山系には多くの活火山がある。火口や火口湖にもデサパレシードを投棄したからじゃないか。アタカマ砂漠、太平洋、アンデス山脈、この三つに犠牲者は弔ってもらうことなく眠っています。

     

    パトリシオ・グスマン監督のキャリア&フィルモグラフィーは、前回の『光のノスタルジア』を参照してください。

     

『光のノスタルジア』 星と砂漠*パトリシオ・グスマン2015年11月11日 11:39

★東京国際映画祭で見たホセ・ルイス・ゲリン『ミューズ・アカデミー』を先にアップするつもりでおりましたが、鑑賞しているあいだ最近見たばかりの『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』の寡黙でありながら雄弁な語り口が思い出され、ゲリンになかなか入りこめなかった。このパトリシオ・グスマンの作品を先に文字にしないと先に進めない。と言っても語る言葉が容易に見つからないんだが。まずデータでウォーミングアップしよう。

 


     『光のノスタルジア』“Nostalgia de la luz 2010

製作:Atacama Productions () / Blinker Filmproduktion & WDR () / Cronomedia (チリ)

監督・脚本・編集:パトリシオ・グスマン

撮影:カテル・ジアン

音響:フレディ・ゴンサレス

音楽:ミランダ&トバール

編集(共同):エマニュエル・ジョリー

製作者:レナーテ・ザクセ

データ:製作国フランス=ドイツ=チリ、言語スペイン語、英語、ドキュメンタリー、90分、カラー(資料映像のモノクロを含む)、チリ公開未定、フランス、ドイツ、USA、イギリス、日本などで公開

受賞歴:ヨーロッパ映画賞2010ドキュメンタリー賞、アブダビ映画祭2010ドキュメンタリー「ブラック・パール賞」、国際ドキュメンタリー協会賞2011IDA賞」、シェフィールド・ドキュメンタリー映画祭2011スペシャル・メンション、ロサンゼレス・ラテン映画祭2011審査員賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2011最優秀賞、トロント映画祭2012TFCA賞」などを受賞

映画祭ノミネーション:カンヌ映画祭2010コンペ外正式出品、ほかにメルボルン、トロント、サンセバスチャン、リオデジャネイロ、サンパウロ、ビアリッツ(ラテン部門)、テッサロニキ・ドキュメンタリーなどの国際映画祭で上映された。

 

登場する主な思索者たち

ビクトリア・サアベドラ(行方不明者デサパレシードの弟ホセの遺骨を28年間探し続けている)

ビオレータ・べりオス(デサパレシードのマリオの遺骨を28年間探し続けている)

ガスパル・ガラス(軍事クーデタ後に生れた若い天文学者、人類と宇宙の過去を探している)

ラウタロ・ヌニェス(数千年前のミイラと遺骨を探す女性たちと語り合える考古学者)

ミゲル・ローナー(強制収容所から生還できた記憶力に優れた建築家)

ルイス・エンリケス(星座を観察することで生き延びた強制収容所体験者、アマチュア天文学者)

ビクトル・ゴンサレス(ヨーロッパ南天天文台のドイツ人技師)

V・ゴンサレスの母(クーデタ後ドイツに亡命、現在は遺族のヒーリングマッサージをしている)

バレンティナ・ロドリゲス(両親がデサパレシード、天文団体の職員、二児の母)

バレンティナの祖父母(誕生したばかりのバレンティナを養育した)

ジョージ・プレストン(人間は星の中に住む宇宙の一部と語る天文学者)

 

プロット:チリの最北端アタカマ砂漠では、天文学者たちが約138億年前に誕生した宇宙の起源に関する答えを求めて星を見つめ続けている。一方地表では、考古学者が数千年前の人類の歴史を探して発掘している。更に女性たちがピノチェト独裁政権時代に殺害され砂漠に遺棄された家族の遺骨を求めて掘り続けている。共に目的の異なる過去への旅をしているが、もう一人の過去の探求者グスマンに導かれ砂漠で邂逅する。                  (文責:管理人)

 

       グスマンを駆り立てた二人の女性のパッション

 

A: フィルモグラフィーを見ると、2005年に「私のジュール・ヴェルヌ」を撮った後、少し長い4年間のブランクがある。テーマははっきりしているのにカチッと鍵が回らない。このブランクは自問しながら格闘している監督の時間です。ところが28年間も家族の遺骨を探し続けている二人の女性に出会って、突然砂漠と星がシンクロする。こういう瞬間を体験することってありますね。

B: 彼は子どもの頃からの天文学ファンで最初のガールフレンドは考古学者だった。しかし天体望遠鏡を通して見える宇宙の過去とか、砂漠を発掘して過去を辿る話を撮りたかったわけではない。

 

A: 付録として最後に簡単なプロフィールを紹介しておいたが、彼の原点は「もう一つの911」と言われる、1973年のピノチェト軍事クーデタにある。常にその原点に立ち戻っている。5年後に撮った『真珠のボタン』も本作に繋がり、テーマは円環的だから閉じることがないのかもしれない。

B: 一応二部作のようだが、「チリの戦い」のように三部作になる可能性もあるね。

 

A: 監督はクーデタ後、逮捕されて2週間国立競技場に監禁されるという体験の持ち主、まかり間違えば行方不明者デサパレシードになる可能性があった。

B: 日本でも多くのファンがいるシンガー・ソング・ライターのビクトル・ハラが監禁されたと同じ競技場ですか。

A: 彼はチリ・スタジアムのほうで、5日後の916日には銃殺されています。サンチャゴの親戚を訪問中に偶然クーデタに遭遇したロベルト・ボラーニョも逮捕監禁された。なんとか友人たちの助けで無事メキシコに戻れましたが、人権などクソみたいな時代でした。

B: 行方不明者の6割が未だに分かっていないそうだから、まだ終わっていない。世界の映画祭で上映され公開もされていますが、本作も『真珠のボタン』もチリ国民は、見ることができません。

 

A: 映画の存在さえ知らないのではないか。30年前に起こったことを教科書は載せていないから、チリの子どもたちが学校で学ぶことはない。ということはクーデタ以後に生れた世代はクーデタがあったことさえ知らないですんでいる。死者の中には先住民、外国人、未成年者も含まれている。逮捕され強制収容所に送られた人数が3万人とも10万人とも言われているのに、チリの夜明けは遠い。

B: アジェンデ大統領の孫娘が撮った『アジェンデ』の中で、「祖父のことを話すことは家族のタブーだった」と監督が語っていたが、家族どころか国家のタブーなんだ。

 


A: 事実の検証はチリ国民が抱える負の遺産だが「あったことをなかったことにすることはできない」。チリの慣例では元大統領は国葬ということですが、2006年当時の大統領ミシェル・バチェレが拒否した。父親が犠牲者だったことや自身も亡命を余儀なくされたのを配慮して見送られたとも。しかし、陸軍主催の葬儀は認めざる得なかった、それが当時の限界だった。

B: 日本でもその盛大な葬儀の模様がニュースで流れたが複雑な感慨を覚えた。遺骸に唾を吐きかける人、チリ国民をアカの脅威から守った偉大な大統領と賞讃する人、対話が始まるのは半世紀先か、1世紀後か。映画から伝わってくるのは今でもチリ社会は暗闇の中ということ。

 

           これはドキュメンタリーですか?

 

A: さて映画に戻して、ドキュメンタリーではなくフィクションを見ていると感じた人が多かったかもしれない。でもドキュメンタリーって何だろうかドキュメンタリーの定義は、一般的には作り手の主観や演出を加えることなく記録された映像作品を指すのだろうが、実際そんなドキュメンタリーは見たことない。この定義だと「できるだけ客観性や中立性を重んじる」報道とどこが違うのか。個人的にはドキュメンタリーもフィクションの一部と思っている。

B: 報道が客観性を欠くとプロパガンダになりかねないから当たり前です。本作はメタファーを媒介して監督の世界観が語られているから、定義を尊重するとドキュメンタリーではないことになるね。

 

A: 世界の代表的なドキュメンタリー作品は、すべて「ドキュメンタリーではない」ことになる。以前、ゴンサレス・ルビオの“Alamar”(2010メキシコ)がトロント映画祭で上映され、ドキュメンタリーなのかフィクションなのか曖昧だということで、「これはどちらですか」と訊かれた監督、「これは映画です」と返事していた()

B: 蓋し名答だ。役者が台本通りまたは監督の演出通りに演技するかしないかの違いだ。本作でも登場人物の中には監督の意図を慮って発言しているように感じられる人もいた。編集に苦労したんじゃないかと思う。

A: 特に『真珠のボタン』にはその傾向が強かった。例えばヘリコプターから行方不明者を海に投下する映像は再現ドラマだった。事実だから捏造ではないが、もし報道だったら許されないシーンだ。

B: ドーソン島にあった強制収容所の生存者を一堂に集めて、「ドーソン島の方角を指して下さい」というヴォイスが流れると、多くの人が同じ方向を指すシーンなんかも演出があったかも。

 

           過去を語る記憶­―現実は存在しない

 

A: 天文学者のガスパル・ガラスが、「現実で経験することはすべて過去のことです」と語るが、確かに宇宙的時間では現在という時間は存在しないに等しい。彼らは138億前のビッグバンで生れた宇宙の過去を探しているが、二人の女性はおよそ30年前の過去を探している。同じ過去を探しているが、「私は夜になればぐっすり眠れる。しかし彼女たちは朝起きれば苦しみが始まる」とガラス。

B: ここに登場する人々は、おしなべて思索者、寡黙だが心に響く言葉の持ち主だ。グスマン監督を尊敬し、監督も彼らを尊重しているのが伝わってくる。上から目線ではない。

A: 監督が自問しながら、観客に問いかけているのが伝わってくる。これが魅力の一つ。

 

B: 考古学者のラウタロ・ヌニェスの言葉も重い。もし自分の子どもが虐殺されたとしたら遺骨を探し続けるし、決して忘れない。何びとも死ぬ運命に変わりはないが、どこで眠っているのか分からなければ葬ってやれない。

A: まだ答えを見つけていないし、「遺骨を探すのは、マリオを見つけてきちんと葬ってやりたいから」とビオレータ・ベリオス。遺骨がなければ「弟が死んだという事実を受け入れることができない」と語るビクトリア・サアベドラ30年前の家族の骨を探す人々なんか、頭のおかしい人という批判に抵抗している。

B: 軍事政権を支えた人たちには、先住民と同じように彼らは目障りな存在なんだ。

 


   (デサパレシードを探し続ける遺族たち、左端ビオレータ、右から2番目ビクトリア)

 

A: 一番記憶に残った人というのは、孫のバレンティナ・ロドリゲスを育てたという祖父母、ソファに座り失語症になったかのように無言、凄いインパクトだった。

B: バレンティナは「私の両親が高い理想と勇気をもった素晴らしい人たちだったこと、私に人生の喜びを教え、幸せな子供時代を送らせてくれた人」と敬意をこめて語っていた。

 


               (我が子を抱くバレンティナ)

 

A: 建築家のミゲル・ローナーの記憶力には驚かされた。5カ所の強制収容所の体験者、その収容所の図面を正確に記憶して、亡命後そのイラストを本に纏めて出版した。彼が再現した記憶術の方法は「基本のキ」だ。図面を書いたらすぐさま粉々に破り捨ててしまう。処分したので覚えていられたと思う。

B: 発見される危険と語っていたけど。チリ国民が「そんなことあったなんて知らなかった」と言わせたいために記憶した。記憶も本作の主題だね。

A: 映像の美しさは言葉にしても何の意味もありません、スクリーンで見てください。

 


                (建築家ミゲル・ローナー)

 

監督キャリア&主なフィルモグラフィー

パトリシオ・グスマンPatricio Guzmán 1941年サンティアゴ生れ、監督、脚本家、フィルム編集、撮影、俳優。彼によると、生れはサンティアゴだが「うちは一個所にとどまって暮らすことがなく遊牧民家族のように放浪していた。そのたびに学校も変わり、ビニャ・デル・マルに住んでいたこともあった」と語っている。1960年チリ大学の演劇学校で歴史学科(61)と哲学科(6265)に所属していたが経済的理由で中途退学した。4年間出版社で働き、その間小説や短編を執筆している。

 

しかし仕事に情熱がもてず映画に転身、8ミリで短編を撮り始める。1965年、カトリック大学の映画研究所とのコラボで短編デビュー作“Viva la libertad”(18分)を撮る。毎年1作ずつ短編を撮りつづけるが満足できず、海外の映画学校を目指す。しかし奨学金が下りず、当時の妻パメラ・ウルスアが家財道具をすべてを売却してマドリードへの切符を調達してくれた。マドリードでは国立映画学校の入学資金を得るため広告代理店で働き、1969年入学、翌年監督科の資格を取得。スペインでも大きい広告会社モロ・スタジオではたらいた後、19713月、前年に誕生していたアジェンデ政権の母国に戻る。 


最初の長編“El primer año”を撮る。1973911日ピノチェトの軍事クーデタが勃発、逮捕される。2週間国立競技場に監禁されるが、妻や友人たちの助けでチリを脱出、ヨーロッパへ亡命する。フランスの友人クリス・マルケル監督と一緒に仕事を開始、フランスのシネアストとの友好関係を維持しながら、キューバのICAICの援助を受けてドキュメンタリーを完成させている。

 

1997年サンティアゴ・ドキュメンタリー映画祭の創設者(Fidocs)、若いシネアスト・グループの援助や指導に当たっている。ヨーロッパやラテンアメリカの映画学校でドキュメンタリー映画の教鞭を執っている。現在は再婚したプロヂューサーのレナーテ・ザクセRenate Sachse(ドイツ出身)とパリ在住。先妻との間に二人の娘がおり共にシネアスト、しばしば父とコラボしている。

 

 

主な長編ドキュメンタリー

1972El primer año”「最初の年」100

アジェンデ政権最初の1年間を描く。友人クリス・マルケル監督のプロローグ入り

197579La batalla de Chile”「チリの戦い」(19757679)長編三部作、270

アジェンデ政権と軍事クーデタで政権が失墜するまでを描くドキュメンタリー

1987En nombre de Dios”「神の名において」100

ピノチェト軍事政権下で人権のためにチリのカトリック教会と闘ったドキュメンタリー

1992La cruz del sur”「サザンクロス」80

ラテンアメリカの庶民の信仰心についてのドキュメンタリー

1997Chile, la memoria obstinada”「チリ、執拗な記憶」58分中編、

チリ人の政治的記憶喪失についてのドキュメンタリー

2001El caso Pinochet”「ピノチェト・ケース」110

元独裁者ピノチェトのロンドンでの裁判についてのドキュメンタリー

2004Salvador Allende”「サルバドル・アジェンデ」102分、私的ポートレート

2005MI Julio Verne「私のジュール・ヴェルヌ」52分中編、フランスの作家の伝記

2010Nostalgia de la luz『光のノスタルジア』90分、省略

2015El botón de nácar『真珠のボタン』82分、省略

多数の短編、フィクションは割愛した。

 

国立映画学校1947年創立の国立映画研究所が、1962年改組されたもの。フランコ没後の1976年にマドリード・コンプルテンセ大学情報科学学部に発展吸収され現在は存在しない。卒業生にアントニオ・デル・アモ、アントニオ・バルデム、ガルシア・ベルランガ、ハイメ・チャバリ、イマノル・ウリベ、ホセ・ルイス・ボラウ、カルロス・サウラ、ピラール・ミロ、ビクトル・エリセなど他多数。スペインの映画史に名を残すシネアストが学んだ映画学校。

 

第72回ベネチア映画祭*カルロス・サウラ ④2015年08月11日 22:29

         サウラのドキュメンタリー“Zondafolclore argentino

 


映画祭と並行して開催される「ベニス・デイ」で上映されるのがカルロス・サウラの音楽ドキュメンタリーZondafolclore argentinoです。『タンゴ』(98)、『イベリア、魂のフラメンコ』(05)、『ファド』(07)、『フラメンコ・フラメンコ』(10)などの音楽路線を踏襲しています。『ファド』ではポルトガル人からは「これはファドじゃない」と腐され、『フラメンコ・フラメンコ』は、日本では間際に行ったのでは満席で入れなかったのですが、マドリードの映画館はガラガラ、「スペインの映画は危機に瀕している」という記事では、このガラ空きの写真が採用されたほど評判が悪かった。危機に陥ったのはサウラ独りのせいじゃないと気の毒に思いましたが、サウラのフラメンコものは食傷気味でした。初期の『狩り』、『カラスの飼育』、『歌姫カルメーラ』の感動が忘れられないコラムニストが多かったのです。果たして本作は如何でしょうか。予告編、メーキングを見る限りでは『フラメンコ・フラメンコ』よりは面白そうです。既にアルゼンチンでは公開され、100点満点で52点、IMDb、ロッテントマトなども同じようです。

 

           (製作者アレハンドロ・イスラエル、サウラ監督)

 

   Zondafolclore argentino アルゼンチン、スペイン、フランス 

製作Barakacine Producciones / INCAA / Mondex & cie

監督・脚本:カルロス・サウラ

音楽:リト・ビタレ

撮影:フェリックス“チャンゴ”モンティ

編集:セサル・クストディオ、ララ・ロドリゲス・ビラルデボ

美術:パブロ・マエストレ・ガジィ

録音:フェルナンド・ソルデビラ、アンドレス・ペルジニ

衣装:ラウラ・フォルティニ

メイクアップ:マルセラ・ビラルデボ

舞踊振付:コキ&パハリン・サアベドラ兄弟

プロデューサー:マリアナ・エリヒモビッチ(『ファド』)、アレハンドロ・イスラエル(『Juan y Eva』)、マルセロ・チャプセス、アントニオ・サウラ、他

 

                (音楽監督のリト・ビタレ)

 

                      
         

                       (歌手ソレダ・パストルッティ)

データ:アルゼンチン≂西≂仏、スペイン語、2015、音楽ドキュメンタリー、88分、撮影地ブエノスアイレス、配給元プリメル・プラノ、公開アルゼンチン201558

出演:ペドロ・アスナール、フアン・ファルー、ソレダ・パストルッティ、ペテコ・カラバハル、チャケニョ・パラベシノス、マリアン・ファリアス・ゴメス、、リリアナ・エレーロ、ハイロ、オラシオ・ラバンデラ、ルシアナ・ジュリー、ガボ・フェロ、ベロニカ・コンドミ、トマス・リパン、メラニア・ペレス、マリアナ・カリソ、ハイメ・トーレス、ビクトル・マヌエル・アバロス、ポロ・ロマン、ルイス・サリナス、ワルター・ソリア、グルーポ・ロス・テキス、グルーポ・ロス・ノチェロス、他 

              (チャランゴ奏者ハイメ・トーレス)

 

             (ガボ・フェロとルシアナ・ジュリー)

 

★“Zonda”は、アルゼンチンの大草原に吹く熱風のことで、直訳すると「パンパの熱風:アルゼンチン・フォルクローレ」くらいでしょうか。既に故人となっているアルゼンチン・フォルクローレの象徴的な存在であるアタワルパ・ユパンキ(“Preguntitas sobre Dios”「神についてのささやかな問い」モノクロ映像)とメルセデス・ソーサ(“Todo cambia”「すべては変わる」のライブ・バージョン)の歌も流れます。ブエノスアイレスのボカ地区に大きな掛け小屋を設えてジャンルの異なるアーチストごとに撮影したらしく、大変な作業だったことがうかがえる。

 

            (アタワルパ・ユパンキとメルセデス・ソーサ)

 

『キホーテ 映画に跨って』アスセン・マルチェナ&ハビエル・リオジョ2015年07月04日 16:06

      6月のドン・キホーテの視点 映画上映会

★先日ご案内したセルバンテス文化センター映画上映会の『キホーテ 映画に跨って』を見てきました。20世紀初頭から現代までのドン・キホーテ映画を素材にした、実写からアニメーション、ギニョール、ジャンルはドラマからドキュメンタリー、ミュージカルなど40本近くが網羅されていました。製作国もスペインを始めとして、米国、フランス、ソ連、ドイツ、イギリス他。無声、モノクロ、カラーとそれこそバラエティーに富んでいて、これでは日本語字幕は付けられないと納得。

 

    Quijote, cabalgando por el cine

監督(共同)アスセン・マルチェナ&ハビエル・リオジョ

製作:Junta de Castilla-La Manchaカスティージャラ・マンチャ評議会

プロダクションStom Comunicacion para la Empresa Publica Don Quijote dela Mancha 2005 S.A.

協賛:セルバンテス協会

データ:スペイン、2007、ドキュメンタリー、86分、DVD上映

『機知にとんだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(1605)正編(前編)刊行400周年記念行事の一環として企画されたもの。

 

ドキュメンタリーに登場した目ぼしいドン・キホーテ映画(製作順)

製作国、監督、俳優(キホーテとサンチョ)をメモランダムに列挙:

1933Don Quixote”「ドン・キホーテ」仏英独、英語、モノクロ、ミュージカル、73

監督ゲオルク・ヴィルヘルム・パブスト、キホーテ(フェオドール・イワノヴィッチ・シャリアピン)サンチョ(ジョージ・ロビー)
独英仏語の
3バージョンのうちDVD化されフランス版使用。

1947Don Quijote de la Mancha”『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』スペイン、西語、137分、モノクロ、監督ラファエル・ヒル、キホーテ(ラファエル・リベリェス)サンチョ(フアン・カルボ

1957Don Kikhot”ソビエト連邦、ロシア語、カラー、110分、監督グリゴーリ・コージンツェフ

1965Don Quichotte”カナダ=フランス、フランス語、TVドキュメンタリー

  監督エリック・ロメール

1972Man of La Mancha”『ラ・マンチャの男』イタリア=米国、英語、カラー、129分、公開

監督アーサー・ヒラー、キホーテ(ピーター・オトゥール)、サンチョ(ジェームズ・コ  コ)、ドゥルシネーア(ソフィア・ローレン)
1973Don Quijote cabalga de nuevo”西=メキシコ、コメディ、スペイン語、カラー、132

監督ロベルト・ガバルドン、キホーテ(フェルナンド・フェルナン≂ゴメス)、サンチョ(カンティンフラスことマリオ・モレノ

1992Don Quijote de Orson Welles”(“Orson Welles’ Don Quijote”)「オーソン・ウェルズのドン・キホーテ」スペイン=イタリア=米国、スペイン語、カラー、116

監督オーソン・ウェルズ、ダイアローグ:ハビエル・ミナ&ヘスス・フランコ、キホーテ(フランシスコ・レイゲーラ)サンチョ(エイキム・タミロフ)

2002El caballero Don Quijote”『エル・カバジェロ・ドン・キホーテ』スペイン、119

監督マヌエル・グティエレス・アラゴン、キホーテ(フアン・ルイス・ガジャルド)サンチョ(カルロス・イグレシアス)ドゥルシネーア(マルタ・エトゥラ)

本作の記事はコチラ2015619

 

     自分の中のドン・キホーテを刺激する

 

A: 上記の作品は記憶に残った作品の一部、1回見ただけでは全容はつかめず、かつて見たことのある映像が出ると、「ああ、『オーソン・ウェルズのドン・キホーテ』だ、ラファエル・ヒルの『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』だ」と部分的に分かるだけでした。なにしろ40作近い作品を詰め込んでいるから目まぐるしいことおびただしい。

B: 子供向けに作られたアニメやギニョールの数もかなりありました。クロージングのクレジットに採用した作品のタイトル、製作年、監督名が列挙されていたので、DVDを再見すれば正確な情報が得られます。

 

A: 上記のように『機知にとんだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(1605)正編(前編)刊行400周年記念行事の一環として企画された。だから商業映画として製作されたものではなく、DVDのコピーも2000部、半分が世界各国にあるセルバンテス協会支部用に、残りが公共図書館などに寄贈されたようです。商業用でないので国際映画データベースIMDbから情報を入手することができませんでした。

B: 今回の上映もそのDVDで上映されたはず。

 

   (ロベルト・ガバルドンの「ドン・キホーテ」カンティンフラスとフェルナン≂ゴメス)

 

A: ゲオルク・ヴィルヘルム・パブストの「ドン・キホーテ」は、以前参加した映画講座で教材として上映されたのを見ました。

B: ラファエル・ヒルはセルバンテス文化センターで上映したばかり、マヌエル・グティエレス・アラゴン作品は、5月の「ドン・キホーテの視点映画上映会」で英語字幕で上映されたようです。

A: グティエレス・アラゴン監督は1991年にTVミニシリーズで原作の正編(前編)を撮っている。これはそれに続く続編(後編)として企画された。キホーテにフアン・ルイス・ガジャルド、ドゥルシネーアにマルタ・エトゥラ、公爵夫人にエンマ・スアレスなど現在活躍中の俳優が出演している。 

   ゲオルク・ヴィルヘルム・パブストの「ドン・キホーテ」F・シャリアピン

 

B: ガジャルドは残念ながら2012年に鬼籍入りしてしまっています。

A: イネス・パリスの“Miguel y William”(2007)でミゲル・デ・セルバンテスに扮した。セルバンテスとシェイクスピアが同じ女性に恋してしまうロマンティック・コメディ。カルロス・サウラの『タンゴ』にも出演していたが、結構重要な役だったのにカタログでさえ無視されてしまった()

B: アレックス・デ・ラ・イグレシアの『刺さった男』(2011)が遺作になるのかな。

 

         (カルロス・イグレシアスとフアン・ルイス・ガジャルド)

 

A: オーソン・ウェールズの「オーソン・ウェールズのドン・キホーテ」は、ウェールズが最後まで監督できず(1985没)ダイアローグを執筆したヘスス・フランコが引き継いで1992年に完成させた。フランシスコ・レイゲーラ(キホーテ)もエイキム・タミロフ(サンチョ)も故人でしたから、アーカイブ・フッテージ使用です。主従ボイスをペペ・メディアビジャとフアン・カルロス・オルドネスが担当した。 

                     (「オーソン・ウェールズのドン・キホーテ」)

 

B: まだ旧ソ連時代にグリゴーリ・コージンツェフが「ドン・キホーテ」を撮っていた。

A: 彼はシェイクスピアの『リア王』や『ハムレット』を撮った監督、これは日本でも公開されたからオールドファンには懐かしい名前です。「ドン・キホーテ」はやはりというか、未公開です。

B: エリック・ロメールがTVドキュメンタリーを撮っていたなんて。

A: それぞれ自分の中のドン・キホーテ像をもっていて刺激されるのでしょう。ピーター・オトゥールと言えば『アラビアのロレンス』ですが、コメディも得意としたからキホーテ役は意外じゃない。スペインのフェルナンド・フェルナン≂ゴメスのキホーテも何度かスクリーンに登場した。実際は40作以上撮られていて、ここに登場したのもその一部というわけです。今後も作られつづけるでしょう。

 

     テリー・ギリアムの「ドン・キホーテ」

 

A: キホーテ映画に執念を燃やし続けている監督の一人がテリー・ギリアム。20009月にクランクインした「ドンキホーテを殺した男」は諸般の事情で未完に終わった。事情とは、ロケ地が洪水という災害に見舞われ撮影機材が損害を受け、ロケ地の景観も変わってしまった。おまけにキホーテ役のジャン・ロシュフォールが椎間板ヘルニアの持病持ちで、それが悪化して馬に乗れなくなった。

B: 彼は姿かたちがキホーテにそっくり、乗馬も得意でキホーテ役にはもってこい、英語も一生懸命ベンキョウして準備していたのでした。今度は7度目の挑戦とか。

 

        (撮影中のジャン・ロシュフォールとギリアム監督、2000

 

A: この不運続きの顛末をドキュメンタリーにしたのが『ロスト・イン・ラ・マンチャ』(2002)です。その損害額1500万ドルを保険会社が支払ったわけです。

B: それでも夢醒めやらず、またぞろジョン・ハートをキホーテ役に撮るそうですが。リンチの『エレファント・マン』、ハリポタのオリバンダー老人役、英語はできるから()改めて勉強の必要はない。

A: お蔵入りした前作の脚本は保険会社が所有していて、リベンジにはその関係もあるのかしら。来年初めにクランクインする予定ですが、最近の報道によるとハートに膵臓癌が見つかって目下治療中、そうなるとどうなるのでしょう。難しい癌だし、トビー役のジョニー・デップも断ったそうだし。

B: 病に勝って再びスクリーンで馬上のキホーテ姿を見られたらと思います。スペイン以外の俳優のキホーテ役は多くないですからね。