混戦模様のドキュメンタリー部門*ゴヤ賞2018 ③2018年01月13日 21:08

               作品賞よりお茶の間を沸かすドキュメンタリー部門

 

     

★本来なら作品賞部門の行方が気になるはずだが、今回はこれと言って特別応援する映画がない。面白そうなのが長編ドキュメンタリー部門である。カルロス・サウラの人生を7人の子供たちに語らせたSaura(s)は以前に紹介済みだが、今お茶の間の話題をさらっているのが、俳優グスタボ・サルメロンが実母フリータの生き方を、14年に亘って撮り続けた初監督作品Muchos hijos, un mono y un castillo(「Lot of Kids, a Monkey and a Castle」)ではないでしょうか。昨年1215日の公開以来、フリータと家族はテレビのショータイム番組に引っ張り凧、このエキセントリックな一族(写真下)が、相変わらず高い失業率にあえぐお茶の間を元気づけている。批評家の評価もおしなべて高くSaura(s)」を超えるのは間違いなさそう。何が魅力なのでしょう?

 

    

  (全員集合、前列は孫たち、中央が両親、背後に控える監督以下子供たちの家族)

 

 Muchos hijos, un mono y un castillo(「Lot of Kids, a Monkey and a Castle」)2017

製作:Sueños Despiertos / Caramel Films(配給)

監督・撮影・プロデューサー:グスタボ・サルメロン

脚本(共):グスタボ・サルメロン、ラウル・デ・トーレス、ベアトリス・モンタニェス

編集:ラウル・デ・トーレス

音楽:ナチョ・マストレッタ

美術:マヌエル・エスラバ・フェハルド

録音:アブラハム・フェルナンデス、ペラヨ・グティエレス、アナ・ベレン・マルティン

 

データ:スペイン、スペイン語、2017年、ドキュメンタリー、90分、カルロヴィ・ヴァリ映画祭201776日)でワールドプレミア、ベスト・ドキュメンタリー賞受賞、トロント映画祭(9月)出品、カムデン映画祭(米ニュージャージー州)ハレルHarrell賞受賞、サンセバスチャン映画祭サバルテギ部門出品、ハンプトン映画祭ゴールデン・スターフィッシュ賞受賞、他チューリッヒ、ロンドン、ストックホルム、マル・デル・プラタ、各映画祭出品。マドリード限定プレミア1212日、一般公開1215日。間もなく開催される2018年ゴヤ賞(ドキュメンタリー部門)、フォルケ賞(同部門)、フェロス賞(コメディ部門)などにノミネートされている。

 

     

     (トロフィーを手に、家族全員が呼ばれたカルロヴィ・ヴァリ映画祭の授賞式)  

 

出演者:グスタボ・サルメロン(監督)、フリア・サルメロン(母親フリータ)、アントニオ・ガルシア(父親)、他ガルシア・サルメロン一家

 

プロット:フリータは三つの夢を叶えることができた。それはたくさんの子供に恵まれること、モンキーを飼うこと、城に住むことの三つだった。しかし世界を震撼させた2008年の経済危機に見舞われ、目下一家は苦境に立たされている。この堂々たる城を維持していくだけのお金がないのだ・・・グスタボ・サルメロンが俳優の仕事をしながら14年間に亘って、突飛で優しさあふれた思索家でもある母親を主人公に、エキセントリックな一族を撮り続けた、ちょっと物悲しいコメディ。

 

    「私の母はスペインのジーナ・ローランズ、太めのメリル・ストリープ」と監督

 

★「なんて素晴らしい母親なんだろう! 記録しておかなくちゃ」というわけで20033月に撮影が開始された。監督によると、「14年間格闘してきた。1日として撮影しなかった日はなかった。大プリニウスの教え『1本の線を引かない日は1日もない』をモットーとしていたからだ」と。これは古代ローマの博物学者大プリニウスが、古代ギリシャの画家アペレスの不断の努力を讃えた言葉である。「出演者、つまり私の家族と私、私と私の家族の甘酸っぱい、匙加減をしない、ありのままの姿を明らかにすることだった」とも。「へこんだり、うんざりしたり、途方にくれたりしたが、とにかく14年間謙虚に作業をした」と語っています。本格的にドキュメンタリーにまとめようとしたのは後のことだったようです。

 

  

(スペイン家庭の定番朝食、ビスケットをオーレにひたしながら食べるフリータを撮る監督)

 

★中流家庭のガルシア・サルメロン家は、常に混沌としていたが子供たちには創造力と自由が許される環境に包まれていた。6人兄姉の末っ子グスタボが学齢に達しても、誰も学校に行かせようとは考えなかった。子供たちの長所を見つけて過度に励ましてくれるコツを心得ていた。「私たち兄弟はサルと一緒に育った。80年代にサルを家で飼うことなど全く無責任なことでした。母は80歳でも少女のようでした」と。子供たちのなかには将来、工業デザイナーになった兄、幼稚園の園長になった姉がいる。一家は城を買い入れ、やがて鎧や絵画、動物たちが溢れだしてきた。フリア・サルメロンはいわゆるディオゲネス症候群(ため込み症候群)の持ち主だった。自由奔放すぎる女性のようです。

 

 (家で飼っていたサル)

      

2004年の9月、「ねえ私、祖母の脊椎骨を持ってるのよ」と母フリータはのたまう。―「何だって、いい加減なこと言って」と監督。「ほんとよ、私の祖母の」―「ちょっと待ってくれ、ぼくの曾祖母のかい?」―頭が真っ白になった監督「どこにあるんだい?」―「どこかにあるはずよ」。つまり場所が分からなくなっていた。俄然見たくなった監督、本当にあるなら見つけて埋葬してやりたかった。すぐさま脊椎骨探しが始まった。この曾祖母は1936年スペイン内戦のさなかに姪とともに殺害されたということだった。本格的にドキュメンタリーにしようと決心した瞬間だったようです。だから最初のタイトルは「En busca de la vértebra perdida」(仮訳「失われた脊椎骨を探して」)だった。監督にとってこの脊椎骨探しはスペイン探しでもあったからである。

 

    

   (絵画や動物に囲まれた、かなり太めのスペインのメリル・ストリープ

 

★撮影開始10年目を迎えた20123月、母親がどんな状況でもカメラを回しつけたが、どこか具合が悪いのか元気がなく、「ねえグスタボ、私たちを撮ることで俳優の仕事ができないのじゃないの」とフリータ、いつもは強がりの父親も、「私たちはもう役立たずの二人の年寄りなんだよ」。カメラを取りに急いで書斎に入り、これは心理学者に相談しに行かねばと決心する。2008年のリーマンショックが一家を追い詰めつつあったようで、結局2014年、銀行の負債が返済できなくなり城を手放した。いいことばかりじゃなかった。城は失ったが代わりに映画が完成して大成功をおさめたのだから。 

          

         (フリータ最愛の夫「忍耐の天才」アントニオ・ガルシア)

 

         「自由についてのレッスン」とエルビラ・リンド

 

★トータルで撮影に14年間、最後の2年間はカメラを回しながら同時に編集作業をした。脚本はとても難しく、二人のプロフェッショナル、ベアトリス・モンタニェスラウル・デ・トーレスの協力を仰いだ。400時間を88分に編集してくれたのもラウル・デ・トーレスだった。別の人の視点が必要だったし、とても勉強になったと語っている。本作は個人史ではあるが「

  

  

             (脚本家ベアトリス・モンタニェスと監督)

 

★各紙の批評家がこぞって「この並外れて素晴らしい女性に観客は夢中になるだろう」とエールを送っています。『メガネのマノリート』の作者エルビラ・リンドの批評を要約すると、「どうして映画館がいっぱいになるのか? それは素晴らしい本物の女性に会えるからだ。このドキュメンタリーは自由についてのレッスンであり、傷つけあわずに共に生きることを知っている一家に会える純粋なコメディだからです」と述べています。マドリード限定のプレミア上映には、アルモドバルを筆頭に、サンティアゴ・セグラフェルナンド・コロモフアンマ・バホ・ウジョアの監督たち、カルロス・アレセスエレナ・アナヤナタリエ・ポサなど大勢の俳優たちが応援に馳せつけた。間もなく発表になるフォルケ賞が受賞ならゴヤ賞が射程にはいってくる。

 

   

 (鎧と脊椎骨を両側にセットした椅子に座る両親と監督、マドリードの映画館カジャオにて)

 

★グスタボ・サルメロンは、1970年マドリード生れの47歳、俳優、監督、脚本家、製作者。俳優としてのキャリアは、1993年フリオ・メデムの『赤いリス』でデビュー、2001年短編Desaliñadaで監督デビュー、翌年のゴヤ賞2002短編映画賞を受賞している。詳しい紹介は受賞したら特集いたします。

 

                

               (俳優グスタボ・サルメロン)

 

サウラの伝記ドキュメンタリー "Saura(s)" *フェリックス・ビスカレト2017年11月11日 14:44

 

               「パパは85歳」になりました!

 

    

★今年のラテンビートでは、カルロス・サウラの新作J:ビヨンド・フラメンコ』が上映されました。「ホタJota」というアラゴン起源の民俗舞踊と音楽をテーマにしたドキュメンタリー。現在ではリオハやナバラなどでも演奏され、歌、アコーディオン、ガイタ(ガリシアのバグパイプ)、リュート、バンドゥーリアというギターに似た楽器で演奏されます。サウラの生れ故郷ウエスカはアラゴン州の県都です。個人的には初期の『狩り』(65)や1960年代末から1970年代に撮られた作品群の強烈な印象がわざわいして、いわゆるフラメンコ物やタンゴ、ファド、ソンダの音楽舞踊がメインの作品には飽きがきています。

 

70年代の作品群の中には、『アナと狼たち』(72)、『従姉アンヘリカ』(73)、『カラスの飼育』(75公開)、『愛しのエリサ』(77)、『ママは百歳』(79)、『急げ、急げ』(81)など大体はジェラルディン・チャップリンがサウラの「ミューズ」であった時代の映画(9作ある)、または製作者エリアス・ケレヘタとタッグを組んでいた時代の映画です。公開されたのは『カラスの飼育』のみ、それも12年後の1987年、他はミニ映画祭上映でした。日本公開作品が如何にフラメンコ物に偏っているかが分かります。ラテンビートで即日完売となった『フラメンコ・フラメンコ』(10)は、本国の映画館では閑古鳥が鳴いていたのでした。

 

    

  (母子を演じたジェラルディン・チャップリンとアナ・トレント、『カラスの飼育』から)

 

★前置きが長くなりましたが、ご紹介したいのはフェリックス・ビスカレトのサウラの伝記ドキュメンタリー Saura(s)1785分)です。1932年生れのサウラは今年85歳になりました。だからではないと思いますが、父親サウラとそれぞれ世代の異なる子供7人と会話を通して対峙させてドキュメンタリーを撮ろうという企画が持ち上がり、7人からは承諾をもらえた。しかし肝心の父親は過去については当然乗り気でない。過去のことなど重要じゃない、これからが大切だというわけでしょう。

 

★しかし監督は企画に固執する。サウラは描写に拘る。監督は屈服しない。サウラも降参しない。両人とも相譲らなかった。そういう性格のドキュメンタリーのようです。逃げきろうとする老監督の核心にどこまで迫れたか、惚れっぽい女性行脚への匙加減、市民戦争がトラウマになっている先輩の数々の仕事、留守がちだった父親に対する子供たちの言い分、どこまで過不足なく描き切れたかどうかが決め手でしょうか。サウラに限らず過去の自作など恥ずかしくて一切見ない監督は結構おりますね。

 

      

     (撮影中の左から、次男アントニオ・サウラ、監督、カルロス・サウラ)

 

★本作はサンセバスチャン映画祭「サバルテギ部門」で上映後、113日にスペインで公開されました。鑑賞後の批評には、個人的な部分への立ち入り禁止と同時に、過去の作品の分析回避が顕著だとありました。7人の子供たちといっても第1子カルロスは1958年生れ、末子アンナは1994年生れと親子ほども開きがあります。母親も4人なのでキャスト欄には母親の名前も入れておきました。出典はスペイン語ウイキペディアによりました。日本語版と異なるのは、最初のアデラ・メドラノとは正式に結婚せず(しかしサウラを名乗る)、ジェラルディン・チャップリンと同じパートナーとなっている点です。IMDbには7人のうちシェイン・チャップリンはアップされておりません。

 

主なキャスト

カルロス・サウラ(1932ウエスカ)

エウラリア・ラモン2006結婚~現在、女優、4人目)

カルロス・サウラ・メドラノ(1958、製作者、助監督、母親アデラ・メドラノ1人目)

アントニオ・サウラ・メドラノ(1960、製作者、同上)

シェイン・チャップリン(1974、心理学者、母親ジェラルディン・チャップリン2人目)

マヌエル・サウラ・メルセデス(1981、母親メスセデス・ぺレス1982結婚~離婚、3人目)

アドリアン・サウラ(1984、同上)

ディエゴ・サウラ(1987、撮影監督、同上)

アンナ・サウラ・ラモン1994、女優、母親エウラリア・ラモン)

 

★映画界で仕事をしている子供は、父親の作品にそれぞれ参画しています。ジェラルディン・チャップリンとは、デヴィッド・リーンが『ドクトル・ジバゴ』(65)を撮影費が安く上がるスペインで撮影中、撮影風景を見学に行ったサウラと知り合った。意気投合した二人は以後1979年にパートナー関係を解消した。多分『ママは百歳』が最後の出演映画と思います。1974年には1子を出産したが籍は入れなかった。1979年、チリの撮影監督パトリシオ・カスティーリョと結婚、1986年に高齢出産で生まれたのが女優ウーナ・チャップリンである。前回アップしたセビーリャ映画祭のオープニング作品 Tierra firme のため母子で赤絨毯を踏んだ。シェインとウーナは異父兄妹になる。

 

★メルセデス・ぺレス(1960年生れ)とは、1978年ごろから関係をもち、最初のマヌエル誕生後の1982年に結婚している。女優エウラリア・ラモンとは、1990年代の自作起用(『パハリコ』『ボルドゥのゴヤ』)が機縁、正式には2006年再婚して現在に至っている。

 

     

      (娘アンナ、サウラ監督、妻エウラリア、ゴヤ賞2012ガラに3人揃って登場)

 

★海千山千の老獪な監督のガードは固かったと想像できますが、サウラ像の核心に迫れたかどうか。来年1月下旬、デヴィッド・リンチ(1946)を主人公にしたドキュメンタリー『デヴィッド・リンチ:アートライフ』が公開されます。リンチの「アタマの中」を覗ける、かなり刺激的なドキュメンタリーのようです。今年のカンヌ映画祭で特別上映された『ツイン・ピークス The Return』で観客を驚かせたリンチ、こちらは本人が謎解きをしてくれるとか。切り口は違うが、二人の監督自身がドキュメンタリーの被写体になったのは偶然か。偶然といえば、リンチも4婚している。

 

    

          (サウラと監督、サンセバスチャン映画祭2017にて)

 

フェリックス・ビスカレトFelix Viscarretは、1975年パンプローナ生れ、監督、脚本家、製作者。短編 Soñadores99)、El álbum blanco05)など発表、国内外の短編映画祭で好評を博し受賞歴多数。2007Bajo las estrellas で長編デビュー、批評家、観客両方から受け入れられ、マラガ映画祭「銀のビスナガ」監督賞・新人脚本賞、ゴヤ賞2008では脚色賞、主演のアルベルト・サン・フアンが主演男優賞を受賞、その他受賞歴多数。

 

  

                 (デビュー作 Bajo las estrellas ポスター)

 

★その後、TVミニシリーズで活躍、最近ではサンセバスチャン映画祭2016で、キューバとの合作映画TVミニシリーズ Cuatro estaciones en La HabanaFour Seasons in Havana)と Vientos de La Habana が上映された。日本でもファンの多いレオナルド・パドゥラの「マリオ・コンデ警部補シリーズ」のスリラーもの。Cuatro estaciones en La Habana は、ハバナの春夏秋冬が描かれ、それぞれ約90分のドラマ、そのうちコンデ警部補役ホルヘ・ぺルゴリア以下常連のカルロス・エンリケ・アルミランテほか、フアナ・アコスタ、マリアム・エルナンデスが出演した Vientos de La Habana が独立して、20169月に公開された。

 

  

     (Vientos de La Habana のポスターを背に、アコスタとぺルゴリア

     

 

  (Vientos de La Habana の原作者レオナルド・パドゥラ、ビスカレト監督、  

  後列、アコスタ、ぺルゴリア、エルナンデス、サンセバスチャン映画祭2016にて

   

BAFICI第19回作品賞はアドリアン・オルの「Ninato」*ドキュメンタリー2017年05月23日 15:44

           受賞作のテーマは多様化する家族像と古典的?

 

  

★インターナショナル・コンペティションの最優秀作品賞は、アドリアン・オルOrrのデビュー作Niñato2017)、どうやら想定外の受賞のようでした。本映画祭はデビュー作から3作目ぐらいまでの監督作品が対象で、4月下旬開催ということもあって情報が限られています。今年は20本、日本からもイトウ・タケヒロ伊藤丈紘の長編第2作「Out There」(日本=台湾、日本語142分)がノミネートされ話題になっていたようです。昨年のマルセーユ映画祭やトリノ映画祭、今年のロッテルダムに続く上映でした。審査員も若手が占めるからお互いライバル同士になります。スペインが幾つも大賞を取ったので審査員を調べてみましたら、以下のような陣容でした。

 

エイミー・ニコルソン(米国監督)、アンドレア・テスタ(亜監督)、ドゥニ・コテ(カナダ監督)、ニコラスWackerbarth(独俳優・監督)、フリオ・エルナンデス・コルドン(メキシコ監督)の5人、最近話題になった若手シネアストたちでした。アルゼンチンのアンドレア・テスタは、カンヌ映画祭2016「ある視点」に夫フランシスコ・マルケスと共同監督したデビュー作「La larga noche de Francisco Sanctis」がノミネートされた監督、ニコラスWackerbarthは、間もなく劇場公開されるマーレン・アデのコメディ『ありがとう、トニ・エルドマン』に脇役として出演しています。フリオ・エルナンデス・コルドンは、米国生れですが両親はメキシコ人、彼自身もスペイン語で映画を撮っています。2015年の「Te prometo anarquía」がモレリア映画祭でゲレロ賞、審査員スペシャル・メンション、ハバナ映画祭脚本賞、他を受賞している監督です。ということでスペインの審査員はゼロでした。

A・テスタ& F・マルケス「La larga noche de Francisco Sanctis」紹介は、コチラ2016511

 

Niñatoドキュメンタリー、スペイン、2017 

製作:New Folder Studio / Adrián Orr PC

監督・脚本・撮影:アドリアン・オル

編集:アナ・パーフ(プファップ)Ana Pfaff

視覚効果:ゴンサロ・コルト

録音:エドゥアルド・カストロ

カラーグレーディングetalonaje:カジェタノ・マルティン

製作者:ウーゴ・エレーラ(エグゼクティブ)

 

データ:製作国スペイン、スペイン語、2017年、ドキュメンタリー、72分、撮影地マドリード

映画祭・受賞歴:スイスで開催されるニヨン国際ドキュメンタリー映画祭Visions du Réel2017でワールド・プレミア、「第1回監督作品」部門のイノベーション賞受賞、ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭Bafici2017「インターナショナル・コンペティション」で作品賞受賞

 

キャスト:ダビ・ランサンス(父親、綽名ニニャト)、オロ・ランサンス(末子)、ミア・ランサンス(次女)、ルナ・ランサンス(長女)

 

プロット・解説:ダビは3人の子供たちとマドリードの両親の家で暮らしている。定職はないが子育てをぬってラップ・シンガーとして収入を得ている。彼の夢は自分の音楽ができること、3人の子供たちを養育できること、自分の時間がもてて、それぞれあくびやおならも自由にできれば満足だ。重要なのは経済的な危機にあっても家族が一体化すること、粘り強さも必要だ。しかし時は待ってくれない、ダビも34歳、子供たちもどんどん大きくなり難しい年齢になってきた。特に末っ子のオロには然るべき躾と教育が必要だ。何時までも友達親子をし続けることはできない、ランサンス一家も曲がり角に来ていた。およそ伝統的な家族像とはかけ離れている、風変わりな日常が淡々と語られる。3年から4年ものあいだインターバルをとって家族に密着撮影できたのは、ダビと監督が年来の友人同士だったからだ。

 

           短編第3作「Buenos dias resistencia」の続編?

 

アドリアン・オルAdrián Orrは、マドリード生れ、監督。助監督時代が長い。ハビエル・フェセルの成功作『カミーノ』2008)、ハビエル・レボージョの話題作La mujer sin piano09、カルメン・マチ主演)、父親の娘への小児性愛という微妙なテーマを含むモンチョ・アルメンダリスのNo tengas miedo11)、劇場公開されたアルベルト・ロドリゲスの『ユニット7/麻薬取締第七班』12)と『マーシュランド』14)、フェデリコ・ベイロフのコメディEl apóstata15)などで経験を積んでいる。

 

    

★今回の受賞作は2013年に撮った同じ家族を被写体にしたドキュメンタリーBuenos dias resistencia20分)の続きともいえます。つまり何年かにわたってランサンス一家を追い続けているわけです。同作は2013年開催のロッテルダム映画祭、テネリフェ映画祭、Bafici短編部門などで上映、トルコのアダナ映画祭(Adana Film Festivali)の金賞、イタリア中部のポーポリ映画祭(Festival dei Popoli)、ポルトガルのヴィラ・ド・コンデ短編映画祭(Vila do Conde)ほかで受賞している。Bafici 2013の短編部門に出品されたことも今回の作品賞につながったのではないでしょうか。下の子供3人の写真は、短編のものです。他に短編「Las hormigas07)とDe caballeros11)の2作がある。 

 

      

(ランサンス家の3人の子供たち、中央がルナ)

 

     

                (ポーポリ映画祭でインタビューを受ける監督、201312月)

 

★タイトルになったniñatoは、若造、青二才の意味、普通は蔑視語として使われる。親がかりだから一人前とは評価されない。2013年ごろはスペインは経済危機の真っ最中、「EUの重病人」と陰口され、若者の失業率50パーセント以上、失業者など掃いて捨てるほどというご時世でした。しかし3人子持ちの父子家庭は珍しかったでしょう。少しは改善されたでしょうが、スペイン経済は道半ばです。別段エモーショナルというわけでなく、ダビが子供たちを起こし、着替えや食事をさせ、一緒に遊び、ベッドに入れるまでの日常を淡々と映しだしていく。オロがシャワーを浴びながら父親譲りのラッパーぶりを披露するのがYouTubeで見ることができます。現在予告編は多分まだのようです。 

      

               (niñatoダビ・ランサンス)

 

★純粋なドキュメンタリー映画というよりフィクション・ドキュメンタリーficdocまたはドキュメンタリー・フィクションficdocと呼ばれるジャンルに入るのではないかと思います。ドキュメンタリーもフィクションの一部と考える管理人は、ジャンルには拘らない。今カンヌで議論されているネットフリックスが拾ってくれないかと期待しています。


ドキュメンタリー『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』の監督来日2017年02月01日 15:42

        『デリリオ~歓喜のサルサ』のチュス・グティエレス監督来日

 

 

★ドキュメンタリー『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』公開に合わせてチュス・グティエレス監督が来日します。公開前日の217日、東京セルバンテス文化センターで「映画監督との出会い:チュス・グティエレス」という催しのご案内です。

『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』

   (ドキュメンタリー Sacromonte: los sabios 2014

日時:2017217日(金曜日)1800~(入場無料、要予約)

場所:東京セルバンテス文化センター、地下1階オーディトリアム

セルバンテス文化センターの紹介文はコチラ

フラメンコ発祥の地、グラナダの洞窟サクロモンテに生きた伝説的アーティストらのドキュメンタリー『サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ』。この作品の公開に向け監督チュス・グティエレスが来日します。グラナダ出身の彼女は、映画監督、脚本家、女優、アーティストそして映画産業に携わる女性らの平等を求める協会に携わるなど幅広い活動をしています。同ドキュメンタリー製作にまつわる逸話をはじめ、スペインの映画事情などについてお話を伺います。 

  

★「ラテンビート2014」上映の『デリリオ~歓喜のサルサ~』と同じ年の製作です。フィクションとドキュメンタリーというジャンルの違いもありますが、スペインでの評価は本作のほうが高かったようです。公式サイトも起ちあがっておりますので詳細はそちらにワープしてください(2017218日、有楽町スバル座、アップリング渋谷ほか、全国順次公開)。監督紹介は『デリリオ~歓喜のサルサ~』をアップした折の記事を再構成したものを参考資料として載せておきます。

 

  *キャリア&フィルモグラフィー*

チュス・グティエレスChus Gutiérrez (本名María Jesús Gutiérrez):1962年グラナダ生れ、監督、脚本家、女優。本名よりチュス・グティエレスで親しまれている。8歳のとき家族でマドリードに移転、197917歳のときロンドンに英語留学、帰国後映像の世界で働いていたが、1983年本格的に映画を学ぶためにニューヨークへ留学し、グローバル・ビレッジ研究センターの授業に出席、フレッド・バーニー・タイラーの指導のもと、スーパー8ミリで短編を撮る(Porro on the Roof1984、他2篇)、1985年、シティ・カレッジに入学、1986年、最初の16ミリ短編Mery Go Roundo”を撮る。ニューヨク滞在中にはブランカ・リー、クリスティナ・エルナンデス、同じニューヨークでパーカッション、電子音楽、作曲を学んでいた弟タオ・グティエレスと一緒に音楽グループ“Xoxonees”を立ち上げるなどした。2007年には、CIMAAsociacion de Mujeres de Cine y Medios Audiovisuales)の設立に尽力した。これは映画産業に携わる女性シネアストたちの平等と多様性を求める連合、現在300名以上の会員が参加している。

 

(チュス・グティエレス監督)

    

                

1987年帰国、長編デビュー作となるSublet1991)を撮る。まだ女優業に専念していたイシアル・ボリャインを主人公に、製作は女性プロデューサーの代表的な存在であるクリスティナ・ウエテが手掛けた。夫君フェルナンド・トゥルエバ『ベルエポック』『チコとリタ』『ふたりのアトリエ』ほか、義弟ダビ・トゥルエバの Living Is Easy with Eyes Closed「僕の戦争」を探してDVD) 手掛けたベテラン・プロデューサー。

受賞歴カディスのアルカンセス映画祭1992金賞、バレンシア映画祭1993作品賞、1993シネマ・ライターズ・サークル賞(スペイン)、ゴヤ賞1993では新人監督賞にノミネートされイシアル・ボリャインもムルシア・スペイン・シネマ1993が、ベスト女優賞にあたる「フランシスコ・ラバル賞」を受賞した。

 

2Alma gitana96)は、プロのダンサーになるのが夢の若者がヒターノの女性と恋におちるストーリー、新作『デリリオ』と同じよう二つの文化の衝突あるいは相違がテーマとして流れている。5人の若手監督のオムニバス・ドキュメンタリー En el mundo a cada rato (04) 『世界でいつも・・・』の邦題で「ラテンビート2005」で上映された。第3エピソード、アルゼンチンの3歳の少女マカがどうして幸せかを語る Las siete alcantarillas を担当、アルゼンチンで撮影され「七つの橋」の邦題で上映されている。

 

 (3歳の少女マカ、映画から

 

         

他に代表作としてEl Calentito05『ヒステリック・マドリッド』)も高い評価を受け、こちらも「ラテンビート2005」で上映されたベロニカ・サンチェスを主役に、フアン・サンス、ルス・ディアス(ゴヤ賞2017新人賞ノミネート)、マカレナ・ゴメス『トガリネズミの巣穴』のヒロイン、本作でマラガ映画祭新人女優賞のヌリア・ゴンサレスなど若手の成長株を起用したコメディ

受賞歴モンテカルロ・コメディ映画祭2005作品賞他受賞、マラガ映画祭2005ジャスミン賞ノミネート、トゥールーズ映画祭で実弟タオ・グティエレスが作曲賞を受賞した。なお彼は姉の全作品音楽を担当している。 

(グティエレス姉弟)

        

 最も高い評価を受けたのが7作目Retorno a Hansala08)当時、実際に起きた事件に着想を得て作られた。海が大荒れだった翌日、カディスのロタ海岸にはモロッコからの若者11名の遺体が流れ着いた。服装からサハラのハンサラ村の出身であることが分かる。既に移民していたリデアはその一人が弟のラシッドであることを知る。リデアは葬儀社のオーナーと遺体を埋葬するため故郷に向かう。これは異なった二つの社会、価値観、言語の違いを超えて理解は可能か、また若者の海外流失止められないイスラム共同体の誇りについての映画でもある。

受賞歴バジャドリード映画祭審査員特別賞カイロ映画祭2008作品賞「ゴールデン・ピラミッド賞」国際批評家連盟賞トゥールーズ映画祭脚本賞グアダラハラ映画祭監督・脚本賞など受賞。ゴヤ賞2009ではオリジナル脚本賞にノミネートされた。

 

    

『デリリオ~歓喜のサルサ』の監督&作品紹介記事は、コチラ2014925

  

サバルテギ部門ノミネーション*サンセバスチャン映画祭2016 ⑤2016年08月19日 11:51

           長編1作、短編2作と今年は少なめです

 

サバルテギZabaltegiは、バスク語で「自由」という意味、というわけで国、言語、ジャンル、長編短編を問わず自由に約30作品ほどが選ばれ、本映画祭がワールド・プレミアでない作品も対象のセクションです。今回スペインからは、バスク出身のコルド・アルマンドスの長編Sipo phantasmaと短編2作がアナウンスされました。過去にはラテンビートなど映画祭で上映された、パブロ・トラペロ『カランチョ』、ホセ・ルイス・ゲリン『ゲスト』、パブロ・ラライン『No』、ブラジルのカオ・アンブルゲール『シングー』、昨年の話題作は、ロルカの戯曲『血の婚礼』を下敷きにしたパウラ・オルティスの“La novia”などが挙げられます。

 

バスク語題のポスター

 

    サバルテギ部門

Sipo phantasmaBarco fantasmaGhost Shipコルド・アルマンドス 2016

観客は約1時間の船旅を体験する。船にまつわる物語、映画、難破船、ゴースト、愛、吸血鬼に出会いながらクルージングを楽しもう。1990年代の終わり頃からユニークな短編を発信し続けているバルクの監督、今回長編デビューを果たしました。しかし一味違った長編のようです。

 

    

 

*コルド・アルマンドスKoldo Almandozhaは、1973年サンセバスチャン生れ、監督、脚本、製作、カメラ、編集と多才、ジャーナリスト出身。ナバラ大学でジャーナリズムを専攻、後ニューヨーク大学で映画を学ぶ。1997年短編Razielen itzulera8分)でデビュー、ドキュメンタリーを含む短編(7分から10分)を撮り続けていたが、今回初めて長編を撮る。言語はスペイン語もあるにはあるが(例Deus et machina)、殆どバスク語である。カラー、モノクロ、アニメーション、音楽グループとのコラボと多彩です。なかでBelarra0310分)が新人の登竜門といわれるロッテルダム映画祭 2003で上映され話題となり、初長編となる本作も同映画祭2016で既にワールド・プレミアされている(23日)。シンポジウムで来日した折に撮った、京都が舞台の日西合作Midori 緑”068分、実写&アニメ)はドキュメンタリー仕立ての短編、タイトルのミドリは修学旅行に来たらしい女学生の名前。短編なので大体YouTubeで楽しむことができ、やはり“Belarra”(草という意味)は素晴らしい作品。

 

   

          (コルダ・アルマンドス監督、サンセバスチャンにて)

 

CaminanOn the Pathミケル・ルエダ 短編 2015

なにもない1本の道路、1台の車、1台の自転車、自分探しをしている独身の男と女が出会う。女役を演じるのは人気女優マリベル・ベルドゥです。バスク出身の8人の監督が参加したオムニバス映画BilbaoBizkaía Ext: Díaの一編。他にはバスク映画の大御所イマノル・ウリベ(『時間切れの愛』)を筆頭に、エンリケ・ウルビス(『悪人に平穏なし』)、ペドロ・オレア、ハビエル・レボージョなどベテランから若手までのオール・バスク監督。

 

 (映画から)

   

 

*ミケル・ルエダMikel Rueda は、1980年ビルバオ生れ、監督、脚本家、製作者。2010年長編デビュー作Izarren argia(“Estrellas que alcanzar”バスク語)がサンセバスチャン映画祭の「ニューディレクターズ」部門で上映、その後公開された。第2A escondidas14、バスク語)は、マラガ映画祭2015に正式出品、その後米国、イギリス、フランス、ドイツなど15カ国で上映された。短編Agua!1216分)もサンセバスチャン映画祭で上映、過干渉の父親、おろおろする母親、フラストレーションを溜め込んだ2人の高校生の日常が語られる。これはYouTubeで見ることができる。目下、長編第3作目を準備中。

 

  

                (ミケル・ルエダ監督)

 

Gure Hormex / Our WallsNuestras paredes)短編 2016 17

マリア・エロルサ&マイデル・フェルナンデス・イリアルテ

*主婦たちの住む地区、不眠症患者の地区、無名の母親のキオスク、身寄りのない女性たちのアンダーグラウンド、「私たちの壁」は私たちが愛する人々に感謝のしるしを捧げるドキュメンタリー。二人の若いバスクの監督が人生の先達者に賛辞をおくる。

 

(映画から)

   

 

マリア・エロルサMaría Elorzaは、1988年ビトリア生れ、監督。バルセロナのポンペウ・ファブラ大学でオーディオビジュアル情報学を専攻、その後バスク大学でアート創作科修士課程で学ぶ。2011年からフリーランサーの仕事と並行してドキュメンタリー製作のプロジェクトに参加する。2009年“Hamasei Lehoi”で短編デビュー、2012年ギプスコアの新人アーティストのコンクールに“Antología poética de conversaciones cotidianas”応募する。2014年“Errautsak”(ドキュメンタリー・グループ製作)、マイデル・フェルナンデス・イリアルテと共同監督したAgosto sin tí15)、“El canto de los lujuriosos”(同)、他短編多数。

    

マイデル・フェルナンデス・イリアルテMaider Fernandez Iriarteは、1988年サンセバスチャン生れ、監督。祖母についてのドキュメンタリー“Autorretrato”を撮る。タイトル「自画像」は、「祖母は私である」というメッセージが込められている。Agosto sin tíがセビーリャのヨーロッパ映画祭2015、ウエスカ映画祭2016などで上映された。“Historia de dos paisajes”がセビーリャ・レジスタンス映画祭2016で上映された後、バスク自治州やフランス側のバスク語地区を巡回している。フランス、ドイツなどヨーロッパ各地は勿論、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、ドミニカ共和国、モザンビークなどへ取材旅行をしている行動派。

 

   

     (左がマリア・エロルサ、右がマイデル・フェルナンデス・イリアルテ)

 

公開中または近日公開予定のスペイン&ラテンアメリカ映画2016年06月12日 15:26

 *急がないと終了してしまう公開中の映画*

『エルヴィス、我が心の歌』原題“Ultimo Elvis”、英題“The Last Elvis 2012

監督・脚本・製作アルマンド・ボー、脚本(共)ニコラス・ヒアコボーネ、撮影ハビエル・フリア、製作(共)ビクトル・ボー、製作国アルゼンチン、言語スペイン語・英語 91

キャスト:ジョン・マキナニー、グリセルダ・シチリアニ、マルガリータ・ロペス

映画祭・受賞歴:アルゼンチン・アカデミー賞2012(主演男優賞以下6部門)、サンセバスチャン映画祭2012ホライズンズ・ラティノ部門作品賞、チューリッヒ映画祭2012初監督賞、ほか多数受賞

渋谷ユーロスペース、528日ロードショー

 

 

『或る終焉』原題“Chronic”、2015

監督・脚本・編集()・製作()ミシェル・フランコ、撮影イヴ・カープ、製作ガブリエル・リプスティン他、製作総指揮ティム・ロス他、製作国メキシコ=フランス、言語英語、94

キャスト:ティム・ロス、ロビン・バートレット、マイケル・クリストファー、レイチェル・ピックアップ、サラ・サザーランド、ナイレア・ノルビンド、他

映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭2015脚本賞受賞

渋谷ル・シネマ Bunkamura文化村 528日ロードショー

当ブログでの紹介記事は、コチラ⇒2015528

 

 

 

*近日公開予定の映画* 

『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』原題“Paco de Lucía: La búsqueda”、英題“Paco de Lucia a Journey” 2014年 ドキュメンタリー

監督・脚本()クーロ・サンチェス・バレタ、脚本()カシルダ・サンチェス、撮影カルロス・ガルシア・デ・ディオス他、製作者アンチョ・ロドリゲス、ルシア・サンチェス・バレラ他

キャスト:パコ・デ・ルシア、カルロス・サンタナ、ジョン・マクラフリン、チック・コリア、サビーカス、ぺぺ・デ・ルシア他多数

受賞歴:ゴヤ賞2015長編ドキュメンタリー賞、シネマ・ライターズ・サークル賞2015ドキュメンタリー賞、トゥリア賞2015ドキュメンタリー賞を受賞、第2回イベロアメリカ・プラチナ賞ドキュメンタリー部門ノミネーション、他

渋谷ル・シネマ Bunkamura文化村 723日ロードショー

当ブログでの紹介記事は、コチラ⇒2015131

 

   

 

『ラスト・タンゴ』原題Un tango más2015年 ドラマ・ドキュメンタリー

監督ヘルマン・クラル、ヴィム・ヴェンダース製作総指揮、製作国ドイツ=アルゼンチン、言語スペイン語、85

映画祭:トロント、ベルリン、山形、ストックホルム、クリーブランド、各国際映画祭正式出品

キャスト:マリア・ニエベス、フアン・カルロス・コペス、パブロ・ベロン、アレハンドラ・グティ、フアン・マリシア、他多数

渋谷ル・シネマ Bunkamura文化村 79日ロードショー

 

    

 

『チリの闘い』La batalla de ChileLa lucha de un pueblo sin armas19751978

ドキュメンタリー三部作

『光のノスタルジア』『真珠のボタン』のパトリシオ・グスマン監督の初期のドキュメンタリー

渋谷ユーロスペースにて9月、日本初公開

『光のノスタルジア』の主な作品紹介記事は、コチラ2015年11月11日

『真珠のボタン』の主な作品紹介記事は、コチラ2015年11月16日

 

  

     (第3部“El poder popular”、2013914日マラガでの上映会のポスター)

 

*ポルトガル映画ですが・・・*

『ホース・マネー』原題“Cavalo Dinheiro”、英題“Horse Maney2014

監督・脚本ペドロ・コスタ、撮影レオナルド・ジモエス、製作国ポルトガル、言語ポルトガル語・クレオール語、ドキュメンタリー、104

映画祭・受賞歴:ロカルノ国際映画祭20414監督賞ほか3賞、ミュンヘン映画祭2015 ARRI/OSRAM賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2015大賞受賞など、他ノミネーション多数。

渋谷ユーロスペース、618日ロードショー、627日(1830~)監督トークイベントあり、上映期間中『ヴァンダの部屋』と『コロッサル・ユース』を上映予定(期間・時間など要確認)

 

   


ガルシア=マルケスのドキュメンタリー*”Gabo:la creación de Gabriel García Márquez”2016年03月27日 15:08

                    マコンドの黄色い列車に乗って

 

Gabola creación de Gabriel García Marquezは、イギリスの監督ジャスティン・ウエブスタードキュメンタリーですが、言語はスペイン語です。監督はスペイン語が流暢、前作I will Be Murdered2013Seré asesinado”)もグアテマラの弁護士暗殺事件をテーマにしたドキュメンタリー、各地の国際映画祭で受賞しています。“Gabo”はガウディ賞2016にノミネーションされましたが受賞ならず記事を見送りました。しかし毎年誕生月の3月になると何かしら記事が目につき、今年の命日(417日)は、日本流に言うと3回忌にあたるのでご紹介することに。作家本人の登場は少ないようですが、監督によると「今まで彼のドキュメンタリーはなかった。それはインタビュー嫌いだったからだ」そうです2014年の死去に際しては当ブログでも「ガボと映画」に関する記事を中心に幾つかアップしております。

 

皆無というわけではなく、「本格的な」ドキュメンタリー映画という意味に解釈したい。作家の80歳の誕生を祝して製作された、ルイス・フェルナンドのBuscando a Gabo2007、コロンビアTV52分)が、翌2008年に『ガボを探し求めて』の邦題で上映されました(セルバンテス文化センター)。他にも『百年の孤独』に関連したシュテファン・シェヴィーテルトの“El Acordeón del Diablo”(2001、スイス=コロンビア=ドイツ合作)が『惡魔のアコーディオン』の邦題でテレビ放映されている。シェヴィーテルトは音楽ドキュメンタリー『キング・オブ・クレズマー』が公開されている監督。

「ガボと映画」に関する記事は、コチラ⇒2014123日・427日・429

 

    

   

  Gabola creación de Gabriel García Márquez 2015

(“GaboThe Creation of Gabriel García Márquez”、Gabola magia de lo real”他

製作:JWProductions / CanalEspaña / Caracol(コロンビアTV)他

監督・脚本:ジャスティン・ウエブスター

データ:製作国西=英=コロンビア=仏=米、スペイン語、2015年、ドキュメンタリー、伝記、90分、公開コロンビア20153月、スペイン2015417日(1周忌)、マドリード限定(TV放映)423日、バルセロナ1219日、米国独立系の映画館で20163月、ドイツ、フランス、イタリアではテレビ放映予定、他

映画祭・ノミネーション:カルタヘナ・デ・インディアス映画祭2015313日、ニューヨークのコロンビア映画祭、シカゴのラテン映画祭、ガウディ賞2016ドキュメンタリー部門ノミネーション、他

 

キャスト:フアン・ガブリエル・バスケス(作家)、アイーダ(妹1930生れ)、ハイメ(弟1941生れ)、ヘラルド・マルティン(ガボの伝記作家)、プリニオ・アプレヨ=メンドサ(親友のジャーナリスト)、セサル・ガビリア・トルヒーリョ(元コロンビア大統領)、ビル・クリントン(元合衆国大統領)、ジョン・リー・アンダーソン(ジャーナリスト)、タチア・キンタナル(元恋人)、他 

  

                    (『百年の孤独』を頭にのせた有名なフォト)

 

       複雑に錯綜するポリフォニックな声をどこまで拾えたか?

 

「メキシコに行くつもりだよ」と親友プリニオ・アプレヨ=メンドサ**に語って、まだノーベル賞作家ではなかった1961年に妻メルセデスと長男ロドリゴを伴ってコロンビアを去った。到着したメキシコのメディアは、ノーベル賞作家ヘミングウェイのショットガン自殺(72日)を盛んに報じていたという。出演してくれた彼の妹弟が兄への愛を語るのは当然だが、「有名な作家だから賞賛しなければならないと考えた人々には出会わなかった」と監督。妹アイーダ弟ハイメの二人は、大変な読書好きだった母親について語っている。しかし作家が大きな影響を受けたのは彼の幼少期に母親代りだった母方の祖母、つまり『大佐に手紙は来ない』に出てくる大佐夫人だった。アイーダとハイメは『予告された殺人の記録』に実名で登場している。

 

     

            (マルケス一家、妻メルセデス、ガボ、次男ゴンサロ、長男ロドリゴ)

 

**プリニオ・アプレヨ=メンドサは、1957年に共産諸国(ポーランド、チェコスロバキア、ソ連、東ドイツ、ハンガリー)を巡る旅を一緒にしたコロンビア人のジャーナリスト。しかし1971年の「パディーリャ事件」での意見の相違から袂を分かつ。彼についてはアンヘル・エステバン&ステファニー・パニヂェリのGabo y Fidel2004『絆と権力 ガルシア=マルケスとカストロ』新潮社、2010、野谷文昭訳)に詳しい。ウィキペディアからは見えてこない作家の一面が分かる推薦図書の一つ。あくまでもIMDbによる情報ですが、残念ながら二人の著者はキャスト欄にクレジットされていない。複雑に錯綜するポリフォニックな声をどこまで拾えたかが本作の評価を左右すると思います。       

 

  

   (前列左から2人目ブニュエル、一人おいた眼鏡がガボ、1965年アカプルコにて)

 

本作の語り手にコロンビアの作家フアン・ガブリエル・バスケス1973ボゴタ)を起用している。ロサリオ大学で法学を専攻、1996年フランスに渡り、1999年パリ大学ソルボンヌでラテンアメリカ文学の博士号取得、1年ほどベルギーに滞在した。その後バルセロナに移り2012年まで在住、現在はボゴタに戻っている。彼のEl ruido de las cosas al caer2011)が最近『物が落ちる音』(松籟社、20161月、柳原孝敦訳)の邦題で刊行されたばかり、推薦図書として合わせてご紹介しておきます。コロンビアと米国の麻薬戦争を巡るドキュメンタリー風の小説、2011年のアルファグエラ賞受賞作品。

 

 

            (アルファグエラ賞授賞式でスピーチをするバスケス、2011

 

タチア・キンタナル(本名コンセプシオン・キンタナル)は、1929年バスク自治州ギプスコア生れの女優、詩人(タチアTachiaは渾名、コンセプシオンの愛称コンチータCon­-chi-taのシラブルを入れ替えたもの)。フランコ独裁政権下では仕事ができず1953年フランスに亡命、1956年パリでガルシア=マルケスと知り合う。二人とも厳しい経済的困窮を抱えていた時代、あたかも後に書かれることになる『大佐に手紙は来ない』の大佐夫婦のような生活だったらしい(彼女は82歳になった2010年師走にアラカタカを初訪問している)。二人の熱烈な関係は1年とも数年とも言われている。作家がメルセデス・バルチャと結婚するのは1958年です。キンタナルも1950年に出会ったビルバオの詩人ブラス・デ・オテロ(191679)と親密な恋人関係を詩人の死まで維持していた。詩人はタチアの名付け親でもある。

 

  
     (「アディオス、ガボ」と作家の好きな黄色い花束を手にしたタチア・キンタナル)

 

★キンタナルには左耳の聴覚障害があり、映画化もされた『コレラの時代の愛』のヒロイン、フェルミーナ・ダーサを同じ聴覚障害者にしたのは、作家の元恋人への目配せだというわけです。この小説のモデルは作家の両親というのが通説ですが(本人が述べているようだ)、「私の両親は結婚しています。この小説は、アカプルコで毎年逢瀬を愉しんでいた80代のカップルを、あるとき船頭がオールで殴り殺してしまった結果事件となり、二人の秘密が白日の下になってしまった。二人はそれぞれ別の人と結婚していたからだ、という新聞記事にインスピレーションを得て書かれた」とも語っています。キンタナルも結婚してミュージシャンの息子がいる。両親は主人公フロレンティーノ・アリーサのように「519ヶ月と4日」も待たなかったというわけです。ウソとマコトを織り交ぜて話すのが大好きな作家の言うことですから、信じる信じないはご自由です。

 

ジャスティン・ウエブスターのキャリア&フィルモグラフィー

★イギリス出身の監督、脚本家、製作者、ノンフィクション・ライター、ジャーナリスト。ケンブリッジ大学で古典文学を専攻、1990年代はロンドンでジャーナリストとして働いた後、バルセロナに移り写真術を学びながらフリーランサーのレポーターの仕事をする。1996年製作会社JWProductionsを設立、現在はバルセロナを拠点にして映画製作に携わっている。本作の企画は「ほぼ10年前から温めていたが、具体的に始動したのは作家が死去する数ヶ月前のことで、亡くなったことで危機が訪れた」と監督。作家の熱烈なファンであったウエブスターにとって『百年の孤独』の作家の人生を語ることは難しく、結局予定より1年半遅れて完成。しかし、この映画を作ることで「今までと違った作家像にも出会った。例えば意外に内気で、若い頃に暮らしていたバルセロナ時代は無口で、親しい友人たちの付き合いを好んでいた」とも語っている。反面ノーベル賞受賞には執念をもやし、推薦者への根回しを怠らなかったいう話は有名です。

 

      

                        (最近のジャスティン・ウエブスター監督

 

ウエブスターが国際舞台に躍り出たのは、冒頭で触れたドキュメンタリー第1I Will Be Murdered2013Seré asesinado”、デンマーク、英、西、グアテマラ合作)だった。グアテマラの政財界に激震を走らせた「ロドリゴ・ローゼンバーグ暗殺事件」をテーマにしたドキュメンタリー、各地の映画祭に招かれそれぞれ受賞も果たした***ローゼンバーグはグアテマラのエリート弁護士、2009510の日曜の朝、サイクリング途中に或る者から差し向けられたヒットマンによって暗殺された(享年48歳の若さだった)。グアテマラ内戦(196096)の平和条約の調印がなされた後も和平合意は実現されておらず、当時の殺人件数6000人以上、誘拐件数400人以上というグアテマラでも大事件だった。それに拍車をかけるように弁護士が2日前に撮ったというビデオテープが公開されたことから国家の危機を引き起こす暗殺事件に発展した。

 

 

            

                  (政権を告発するロドリゴ・ローゼンバーグと殺害現場)

 

★ロドリゴ・ローゼンバーグの死後2日後に公開されたビデオは、「自分が殺害された場合の首謀者は、アルバロ・コロン大統領私設秘書官グスタボ・アレホスであり、大統領夫妻も私の殺害を了承していた」という衝撃的な内容だった。ローゼンバーグは国家資金を運用しているグアテマラ農村開発銀行の執行委員を務めていた企業家とその娘の殺害事件の調査に関与していた。彼は起業家が違法取引の隠蔽工作の協力を断ったために殺害されたと政権を告発した。 

 

 

         (高い評価を受けた“I will Be Murdered”のポスター)

 

***受賞歴:サンパウロ映画祭2013ドキュメンタリー部門審査員賞・栄誉メンション、ウィチタ映画祭2013ベスト・フューチャー・ドキュメンタリー賞、ハバナ映画祭2013ラテンアメリカ以外の監督部門サンゴ賞、グアナファト映画祭作品賞、カルタヘナ映画祭2014監督賞、バルセロナPro-Docs2014ベスト・ドキュメンタリー賞、その他、シカゴ映画祭2013正式出品、ガウディ賞2015ノミネーションなど多数。



チリ映画”La Once”*ゴヤ賞2016ノミネーション ⑪2016年01月25日 16:04

             食べて喋って、こんなに元気で長生きです

 

  

マイテ・アルベルディの長編ドキュメンタリー第2弾はコメディLa Onceです。昨年、オスカー賞代表作品の選定にパブロ・ララインの“El Club”『ザ・クラブ』(ベルリン映画祭2015グランプリ審査員賞受賞)とLa Once”というドキュメンタリーのどちらにするかチリ映画アカデミーが迷っているという記事を目にしました。結局オスカー代表作品はララインに決定したのでゴヤ賞も『ザ・クラブ』と予想していました。だってドキュメンタリーは分が悪いし、監督の知名度もイマイチだから。ところが違った。ドキュメンタリーと言ってもこれはコメディだという、本当に珍しい。検索をかけたら厚化粧の貫禄充分のおばあさんたちが美味しそうにケーキを食べている。毎月1回、60年間続いているお茶会だという。監督の実のお祖母さんがメンバーの一人、なるほど、これで繋がった。

 

  

      (お茶とケーキ、おしゃべりに余念がない老人パワーに圧倒される?)

 

     La Once(“Tea Time”)2014

製作:Micromundo Producciones

監督・脚本:マイテ・アルベルディ

撮影:パブロ・バルデス

編集:フアン・エドゥアルド・ムリージョ、セバスチャン・Brahm

音楽:ホセ・ミゲル・トバル、ミゲル・ミランダ

プロデューサー:クララ・タリッコ

 

データ:チリ、スペイン語、2014年、80分、ドキュメンタリー、公開チリ201564日、(マドリード)プレミア20151129日・公開201619日、(バルセロナ)プレミア124日、公開18

映画祭:サンティアゴ映画祭2014、メキシコ移動ドキュメンタリー映画祭20151月),以下マイアミ(3月)、ブエノスアイレス・インディペンデント・シネマ(4月)、シアトル(5月)、シドニー(6月)、シェフィールド・ドキュメンタリー(UK 6月)、など各映画祭で定栄された。

受賞歴:サンティアゴ映画祭作品賞・監督賞、アムステルダム・ドキュメンタリー映画祭監督賞、カルタヘナ映画祭でゴールデン・インディア・カタリナ・ドキュメンタリー賞受賞、バルセロナ・ドキュメンタリー映画祭でTV3賞、他、マイアミ映画祭、グアダラハラ映画祭でも受賞している。

 

主演者:マリア・アンヘリカ・シャルペンティエル(元スペイン語教授)、マリア・テレサ・ムニョス(監督の祖母)、シメナ・カルデロン、アリシア・ペレス、マヌエラ・ロドリゲス、フアニータ・バスケス、ニナ・キッカレッリ Chiccarelli、他(全員女性)

 

解説:タイトルのLa Onceラ・オンセ(午前11時という意味)というのは、イギリスの午前11時頃にとるお茶と軽食「elevenses」とか、スペインの昼食前に摂るメリエンダ「merienda」に相当するようです。現在では午後のおやつ、または昼食にも使用されており、いわゆるアフタヌーンティーです。チリでは定冠詞laを複数にしてlas oncesともいう。現在では時刻に拘らず夕食前に会話を楽しみながら摂る広義の「お茶と軽食会」を指すよう変化している。13食どころか5食になって肥満人口の増加に拍車をかけているのではないでしょうか。

 

物語:ひと月1回のペースで延々60年間も続いているお茶とケーキを楽しみながらのお喋り会。メンバーの共通点は多くが1930年代生れ、同じカトリック系の女学校の卒業生ということ。もう間もなくあの世に旅立つことが避けられない人生最後の時間を過ごしている女性たち。アジェンデ政権やピノチェトの軍事クーデタという変革期をリアルタイムで目撃したツワモノたち。ラテンアメリカ映画の定番テーマでもある老人の孤独、貧困、社会の疎外者というテーマを避けて、かつてはドラマティックな人生を歩んだ女性たちの老い方のレシピ。意見の違いや時には秘密も曝露される。老いとか、死という重荷は取り敢えず下ろして、人生の最後においても尚且つエネルギッシュに輝いている女性たちの「愛と友情」についての物語だ。

 

  

              (しっかりお化粧も致します 映画から)

 

監督キャリア& フィルモグラフィーマイテ・アルベルディMaite Alberdi 1983年首都サンティアゴ生れ、監督、脚本家。チリ・カトリック大学オーディオビジュアル監督と美学科で社会情報を専攻、小宇宙の日常的な事柄に興味があり、フィクションとノンフィクションのジャンル区別をセず、あるのは映画だけという立場をとっている。複数の大学で教鞭をとるかたわら、“Teorías del cine decumental en Chile: 1957-1973”(共著)という著書がある。「チリ映画は全体的にみて、折衷主義で多様性に富んでいる」と語っている。“La Once”は12の映画祭で上映され、なかには参加した出演者たちもいる。

2007Las peluqueras”(短編ドラマ)監督・脚本 

カサ・デ・アメリカ、TVEよりイベロアメリカ短編賞、バルディビア映画祭2008ユース賞

2011El Salvavidas”(長編ドキュメンタリー)監督・脚本

   バルディビア映画祭2011観客賞、グアダラハラ映画祭2012審査員特別賞、バルセロナ、ドキュメンタリー映画祭2013新人ドキュメンタリー賞、ほか

2014La Once”省略

2014Propaganda”(長編ドキュメンタリー、脚本のみ)

 

製作者クララ・タリッコのキャリアClara Taricco ブエノスアイレス大学文学部卒、チリ・カトリック大学オーディオビジュアル表記法のマスター号取得。2009年より5年間アルベルティ監督の“La Once”の製作を手掛ける。201011年、アニメ・シリーズ“Libertas”を製作、“Antología de textos críticos sobre Raúl Ruiz”の翻訳、2009年よりバルディビア映画祭の産業研究室に在籍している。

 

    

        (左から、ラ・オンセを楽しむアルベルティ監督とクララ・タリッコ)

 

★子供のときから伝統的な慣習の目撃者だったが、大人になってからはチリの女性たちが体験した記録を残すドキュメンタリー監督になる道を選んだ。本作の目的は「社会の中で女性だけに課せられた役割をどうやって変革していくか」に焦点を当てて描いた。祖母が学んだ女学校はいわゆる「良妻賢母教育」をしていた。当時の女性には参政権はなく政治に参加することは出来なかった。しかしチリに限ったことではなく、日本でも敗戦後の194610月、チリはもっと遅く1949年です。出演してくれた女性たちは自分たちが人生の最後に差し掛かっていることを自覚している。差し迫っている死の不安は常にあるが、映画の中ではっきり死が語られることはない。重要なのは一緒にテーブルを囲んで時間を共有することだと語っている。

 

2009年から5年間をかけて撮ったから、中には本作の成功を知らずに鬼籍入りした女性もいた。監督によると、出演してくれた女性たちにお披露目をするときには、彼女たちがどんな反応を示すか怖かったという。彼女たちも自分たちがどのように映っているか神経質になっていた。しかし互いの心配は最初だけで、しばしばおこる笑い声、終いには皆な感動して気に入ってくれた。ドキュメンタリーの場合、一般観客よりスクリーンに出てくれた人々の反応の予測が難しいという。出演者を知らずに傷つけてしまう可能性もあるからでしょうね。

 

★ドキュメンタリーがゴヤ賞にノミネーションされる可能性は少ない。「チリ代表作品に選ばれたのは2003年が最後で、そのキャンペーンの難しさがネックだったと聞いています。だから今回ノミネーションされたことを素直に喜びたいし、出演してくれた女性たちを誇りに思う」と監督は締めくくった。甘党の観客にはヨダレが出そうなケーキが登場します。

 

パラグアイのドキュメンタリーがオスカー外国映画賞に初挑戦2015年12月13日 22:39

 

           アラミ・ウジョンが自身の母親と向き合うドキュメンタリー

 

                    (映画のポスター)

★オスカー賞2016の各国代表作品をリスト・アップした際に「これは是非見たい映画です」と書いた作品。El tiempo nublado(“Cloudy Times”パラグアイ=スイス合作)は、近年増加しているというパーキンソン病に罹ったウジョン監督自身の母親を追った重いテーマのドキュメンタリー、車椅子生活となった母と一人娘が向き合う映画です。ゴヤ賞2016「イベロアメリカ映画賞」のパラグアイ代表作品にも選ばれている。

 

      

      (母親ミルナとアラミ・ウジョン監督、映画から)

 

★実は、パーキンソン病の他にてんかん、高齢による知力減退が重なって自力で生活できなくなっていた。当時監督はパートナーのパトリックとスイスで暮らしていたが、実母の介護のためグアラニーの故国に戻ってきた。上記の写真からも分かるように自身も被写体にしており、監督、脚本家、共同製作者も兼ねている。アジェンデ大統領の孫娘タンブッティ・アジェンデのドキュメンタリーと同じく、非常に個人的な要素を含んだ作品ですが、「親が老いて病を得たとき、私たちは何をすべきか?」という根源的なテーマが語られている。つまり老親の介護は万人共通の普遍的なテーマだと言えるからです。複数の兄妹がいれば、ロドリゴ・プラの『マリアの選択』のような「誰が老親を看るか」という問題も発生するが、監督のように一人娘であれば選択肢はない。離れて暮らしている母と娘、母と息子、父と娘・・・など、少子化問題は我が国でも待ったなしでしょう。

 

★パラグアイのように福祉がおろそかにされている国では、個人的に対策を考えなければならない。政治は第3世代つまり老齢になった人々をフォローする余裕がない。「多くの老人が放置され、自分の境遇または家族の助けを諦めて耐えている。そのことに気づいた」と監督。「介護料は高額のうえ質も保証されておらず家族が奮闘することが当たり前だ」とも。「最も憂慮すべきことはこの問題に関してわたしたちが沈黙していること。老いや病について、患者の権利と介護者の権利について語り合うことがない。私の映画がそういう状況打開に一石を投ずることができたらと思う」と監督。まずディベートを始めることですね。

 

★「本作はある一つの現実を語ったものですが、母親と一緒に映画を作ることが一種の健康維持にもつながったという体験をした。以前は互いに避けていた事柄にきちんと向き合うこと、逃げ出さない義務があることを学んだ。そういう過程で母娘の関係性が強化された。多分他人の視点で自分の生き方を見ることができるようになったから」と締めくくった。これは素晴らしい体験です。だからといって介護は家族がすべきなのだとは絶対に思いません。

 

★受賞歴:スイスのバーゼル映画祭「Zoom Basler Filme ImFokus」で長編映画賞、同ニヨン市「Visions du Reel」で初監督賞を受賞している。

 

軍事独裁制(195984)が長く続いたパラグアイは文字通り映画後進国、映画アカデミーのような組織もなかった。これがないとオスカー賞に参加できない。2012年の話題作“7 cajas”も当時参加できなかった。その苦い経験から20131028日、初めてパラグアイ映画アカデミーACPY総会が開催され、今年の代表作品選考に辿りついた。初代会長は“7 cajas”の監督タナ・シェンボリ(1970、アスンシオン)。ACPY会員の投票で、第1回の代表作品にEl tiempo nublado”が選ばれた。

(写真下は、オスカー賞とゴヤ賞のパラグアイ代表作品のノミネーションを発表する代表者)

 

 

    (左から、第一書記イバナ・ウリサル、会長タナ・シェンボリ、812日)

 

7 cajasという映画は、社会から疎外された少年グループが複雑な闇社会に翻弄されるスリラー。フアン・カルロス・マネグリア(1966、アスンシオン)とタナ・シェンボリの共同監督作品。2011年サンセバスチャン映画祭「Cine en Construccion賞」という新人監督に与えられる賞をもらい、翌年の同映画祭で「Euskatel de la Juventud賞」(いわゆるユース賞)を獲得した。ゴヤ賞2013年パラグアイ代表作品に選ばれ、パラグアイ初のノミネーションを受けた。その他モントリオール、マル・デル・プラタ、パルマ・スプリングなどの国際映画祭で上映され、パルマでは「New Visions」部門で特別賞を受賞し、賞金5000$を得た。二人の監督は、1990年代にTVミニシリーズでコンビを組んで以来の仲間。

 

★スペイン代表作品はジョン・ガラーニョ&ホセ・マリ・ゴエナガの『フラワーズ』、めぼしいところを列挙すると、チリがパブロ・ララインの『ザ・クラブ』、これは最近ノミネーションが発表になったゴールデン・グローブ賞の5作品候に踏みとどまった。アルゼンチンがパブロ・トラペロの「ザ・クラン」、最終候補に残るスペイン語映画があるとすれば、本作が一番有力ではないかと思っています。

 

*関連記事・管理人覚え*

オスカー賞2016外国語映画賞(スペイン語)の主なリストは、コチラ⇒201510月3

  

『真珠のボタン』 水の記憶*パトリシオ・グスマン2015年11月16日 16:31

サンチャゴで公開された『真珠のボタン』

 

★遺骨を探し続けている二人の女性が談笑しながら星の観察をしている。初めて見せる二人の笑顔で前作『光のノスタルジア』は幕を閉じました。かすかな希望を抱いて『真珠のボタン』を続けて見ました。自然が作りだす驚異的な美しさに息をのみましたが、人間のあまりの愚かさ残酷さにスクリーンがぼやけてしまう作品でした。929日、やっとチリの首都サンチャゴで初めて公開されたということは、チリにも一筋の光が射してきたということでしょうか。

 

   

      『真珠のボタン』“El botón de nácar”(“The Pearl Button”)

製作Atacama Productions / Valdivia Film / Mediapro / France 3 Cinema

監督・脚本パトリシオ・グスマン

助監督:ニコラス・ラスにバット

撮影:カテル・ジアン

音響:アルバロ・シルバ、ジャン・ジャック・キネ

音楽:ミランダ & トバル

編集:エマニュエル・ジョリー

製作者:レナーテ・ザクセ、フェルナンド・ラタステ、ジャウマ・ロウレス他

データ:製作国フランス、チリ、スペイン、スペイン語、2015年、82分、ドキュメンタリー、主な撮影地:西パタゴニア、チリ公開:929

受賞歴:ベルリン映画祭2015銀熊脚本賞・エキュメニカル審査員賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2015山形市長賞、ビオグラフィルム・フェスティバル2015(ボローニャ)作品賞・観客賞ほか、エルサレム映画祭2015ドキュメンタリー賞、フィラデルフィア映画祭2015審査員賞、各受賞。サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品、他ノミネーション多数。

 

登場する主な語り部たち

ガブリエラ・パテリト(カウェスカル族の末裔、推定73歳。手工芸品製作者)

クリスティナ・カルデロン(ヤガン族の末裔、86歳。文化・歴史・伝説の伝承者、

  手工芸品製作者)

マルティン・G・カルデロン(クリスティナの甥、古代からの製法でカヌーを製作している)

ラウル・スリタ(拷問を受けた共産党活動家、詩人。2000年国民文学賞を受賞)

ガブリエル・サラサール(アジェンデ政権時の極左派MIRの活動家。チリ大学哲学科・法科の教授、2011年国民賞受賞)

クラウディオ・メルカド(人類学者、実験音楽の作曲家・演奏家、伝統音楽の継承者)

ラウル・ベアス(ボタンが付着したレールを引き上げたダイバー)

フアン・モリナ(197911月のデサパレシード投棄に携わったヘリコプターの元整備士)

アディル・ブルコヴィッチ(ヘリコプターで海中に投棄されたマルタ・ウガルテの弁護士)

ハビエル・レボジェド(遺体を海中に投棄するため胸にレールを括りつける行程を再現したジャーナリスト・作家)

パトリシオ・グスマン<影の声>

パス・エラスリス(写真家、カウェスカル族の写真提供者)

マルティン・グシンデ(写真家・司祭、セルクナム族のモノクロ写真提供者)

 

プロット:大洋は人類の歴史を包みこんでいる。海は大地と宇宙からやってくる声を記憶している。水は星の推進力を受け取って命ある創造物に伝えている。また水は、深い海底で廻りあった二つのミステリアスなボタンの秘密を守っていた。一つはパタゴニアの先住民の声、もう一つは軍事独裁時代の行方不明者の声、水は記憶をもっている。宇宙に渦巻く水の生命力、パタゴニアに吹く乾いた風、銀河系を引き裂く彗星、チリの歴史に残る悲劇的なジェノサイド。チリの片隅から眺めたすこぶる個人的な要素をもつパトリシオ・グスマンの<影の声>は、純粋さと怒りに溢れている。これは記憶についてのエレガントで示唆に富む美的思索のドラマ。      (文責:管理人)

 

         チリの歴史を凝縮した水の言葉―-二つのボタン

 

A: チリの北部アタカマ砂漠から始まった水と宇宙についての物語のテーマは、アンデス山脈に沈み込む最南端の西パタゴニアの水と氷の世界に私たちを導いてゆく。

B: 白ではなくまるで青いガラスの壁のような氷河の映像には息を呑みます。宇宙飛行士ガガーリンのように宇宙に飛びださなくても、地球が水の球体であることが実感できる。

A: 「地球は青かった」は不正確な引用らしいが、とにかく約70パーセント以上は海という球体です。なかでも全長4600キロに及ぶチリの国土は太平洋に面している。だから海洋国家なんですね。でも海の恵みを無視してきた歴史をもつ国家でもある。 

 


B: 自然の驚異を見せるための自然地理学の映画ではない。海に眠っていた二つのボタン、一つは19世紀末にやってきた白人によって祖国と自由を奪われた先住民の声を語るボタン、もう一つはピノチェトの軍事クーデタで逮捕されたデサパレシードの声を語るボタンです。

A: この二つのボタンの発見がなければ、このように理想的なかたちの映画は生れなかったかもしれない。このミステリアスなボタンが語り出すのは、闇に葬られたチリの歴史です。

B: 抽象的で思索的なメッセージなのに分かりやすく、ストレートに観客の心に響いてくる。忘れぽいチリ人に記憶の重要性を迫っていた前作よりずっと深化している。

 

  • desaparecido:広義には行方不明者のことですが、ラテンアメリカ諸国、特にアルゼンチンでは軍事政権下(197684)で政治的に秘密警察によって殺害された人々を指し、航空機・海難事故などの行方不明者は指しません。隣国チリでもピノチェト軍事政権下(197390)の行方不明者を指し、本作でもその意味で使われています。

     

           先住民やデサパレシードたちの墓場は海の底

     

    A: 遺族並びに体験者の最大の苦しみは、差別や迫害ではなく無関心だということです。たくさんの語り部たちの他に、例えば17回も南極大陸に旅し、冒頭シーンの撮影に協力した二人の冒険家、チリの完全な地図を制作した画家エンマ・マリク、先住民の写真を提供してくれた二人の写真家などが本作を支えています。

    B: 19世紀の初めにパタゴニアにやってきたイギリス船に乗せられて、石器時代から産業革命のイギリスに旅をして、ジェミー・ボタンと名付けられた悲劇のインディオ。1年後に戻ってきたが元の自分に戻れなかった。

 

               

                (パタゴニアの先住民)

 

  • A: 船長フィッツロイの任務は土地の風景や海岸線を描くことで、彼の地図は1世紀にわたって使用された。つまり白人の入植者に役立ったことが、皮肉にも先住民の文化破壊や、ひいてはジェノサイドにつながった。

    B: 当のフィッツロイ船長に悪意はなかったが、150年後に押し寄せた入植者には、先住民の存在は邪魔で目障りだったということです。

     

    A またヘリコプターから太平洋に投棄され、1976912日にコキンボ州の海岸に打ち上げられたマルタ・ウガルテ、レールが外れて浮上した。海底を捜索したらもっとレールは見つかるはずだと監督。

    B: 殺害された人数は約3000人、うち1200人から1400人が海や湖に沈められたからですね。

     

  •         

  •          (軍事独裁時代の犠牲者を船中から探すグスマン監督)

     

    A: 800個所もあったという強制収容所の一つ、ドーソン島に収監されていた人々の声を拾っている。逮捕監禁され拷問を受けた人数は35,000人ともその倍とも言われている。アジェンデ派の政治犯や反体制活動家だけでなく、存在そのものが目障りだった先住民、学生、未成年者もいた。アルゼンチンと傾向は同じです。

    B: 先住民のジェノサイド、18世紀には8000人が暮らしていたという西パタゴニアの先住民は、現在たったの20人しかいない、にわかには信じられない数字です。

     

    A: カウェスカル族の末裔ガブリエラが「神は持たないから、警察は必要ないから」カウェスカル語にはないとインタビューに答えていた。警察がないのは当たり前、聞くまでもないか。『光のノスタルジア』でも言ったことだが、本作にはドキュメンタリーとしてギリギリの演出がありますね。

    B: ヘリコプターからのダミー投棄の再現はいい例です。

    A: フレデリック・ワイズマンとの対談で「ドキュメンタリーが情報伝達だけのメディアにならないように」したかったと語っていましたが。

     

  •     

  •           (カウェスカル族の末裔ガブリエラ・パテリト)

     

          記憶をもたない国にはエネルギーがない

     

    B: 国際映画データバンク(IMDb)にも載っていなかったし、まさかサンチャゴで公開されていたなんて驚きです。現在の政権ミシェル・バチェレ(第2期)が影響してるのか、ベルリン映画祭の銀熊賞を無視できなかったのか()

    A 現在グスマンはパリに住んでおり、彼が創設者である「サンチャゴ・ドキュメンタリー国際映画祭(Fidocs)」で本作がエントリーされ帰国していた。「海を介して過去と和解する映画」と観客に紹介したそうです。「記憶を検証しなければ未来は閉じられる」とも。

     

    B: ベルリンのインタビューでは、チリではデサパレシードをテーマにした映画を作る環境にない、それが唯一できるのはアルゼンチンだけで、ブラジル、ウルグアイなどおしなべてNOだと語っていた。

    A: 「恐怖の文化」が国民を黙らせている。スペインの「エル・パイス」紙が反フランコで果たしたようなことを、チリの「エル・メルクリオ」紙は果たしていない。それは「報道の自由、映像の自由」がないからです。軍事独裁が16年間に及んだこと、民政化は名ばかりで、グスマン監督も「暗黙の恐怖が支配している。政治に携わる人たちは、今もってアジェンデの理想を裏切っている」と語っていた。

     

    B: アルゼンチンの民主主義も脆弱と言われていますが、それでも民生化3年後にルイス・プエンソが『オフィシャル・ストーリー』(86)を撮ることができた。アカデミー賞外国語映画賞を初めてアルゼンチンにもたらし、今や古典といってもいい。

    A: ルクレシア・マルテルのメタファー満載の「サルタ三部作」も軍事独裁時代の記憶をテーマにしている。ここでは深入りしませんが字幕入りで見られる映画が結構あります。

     

    B: チリでもベテランのミゲル・リティンの“Dowson Isla 10”(直訳「ドーソン島1009)アンドレス・ウッドの『マチュカ』(06)や『サンチャゴの光』(08)、若いパブロ・ララインの「ピノチェト政権三部作」**など力作がありますが、アルゼンチンには遠く及ばない。

     

    「サルタ三部作」:『沼地という名の町』(La cienaga 01)、『ラ・ニーニャ・サンタ』(La nina santa 04)、『頭のない女』(La mujer sin cabeza 08

    **「ピノチェト政権三部作」:『トニー・マネロ』(Tony Manero 08)、“Post mortem10、『NO』(12

     

           私の家族はノマドでした―移動もテーマ

     

    A: 監督は「私の家族はノマド(放浪民)」と言うように子供の時から国内をあちこち移動している。チリは旧大陸からの移民国だから彼に限ったことではないが、ラテンアメリカ映画のテーマの一つは移動です。

    B: カンヌ映画祭でカメラドールを受賞した、セサル・A・アセベドの『土と影』も移動が重要なテーマでした。

    A: 映画仲間もすこぶる国際的、デビュー作El primer año”(1972)にはフランスの友人クリス・マルケル監督のプロローグ入りだった。サンティアゴで公開されたときには、彼も馳せつけ、フランスやベルギーでの上映にも寄与してくれたし、三部作「チリの戦い」(“La batalla de Chile”)の撮影にも協力を惜しまなかった。

    B: 2012年に91歳で鬼籍入りしたが、ゴダール、アラン・レネ、ルルーシュ、アニエス・ヴァルダなどが好きなシネマニアには忘れられない監督です。

     

    A: 「チリの戦い」の編集を担当したペドロ・チャスケル1932年ドイツ)は、7歳のときチリに移民、1952年にチリ国籍を取っている。共にチリの新しい映画運動を担ったシネアスト、軍事クーデタでキューバに亡命、1983年帰国、キューバではICAICで編集や監督の仕事をしていた。

    B: 彼もノマドかな。

    A: 本作には関わっていないが、彼のドキュメンタリーというジャンルの的確な判断の手法が影響しているそうです。「クール世代」と言われる前出のアンドレス・ウッドやパブロ・ララインを育てたカルロス・フローレス・デルピノなども、チリの民主化に寄与しています。彼は1994年設立の「チリ映画学校」の生みの親、2009年まで教鞭をとっていた。

     

                不寛容と偏見に終わりはない

     

    A: 現代のチリでは、ホモセクシャルの人間に権利はないと監督、『家政婦ラケルの反乱』で大成功をおさめながらニューヨークに本拠を移したセバスチャン・シルバなどがその好例です。チリではパートナーと一緒に暮らすなどできない。それに彼は自信家でハッキリものを言うタイプだから、先輩シネアストの心証が良くないのかもしれない。

    B: ラテンビートで『マジック・マジック』と『クリスタル・フェアリー』がエントリーされたが、英語映画にシフト変更です。彼もララインの仲間ですが、現状が続くと才能流出も止まらない。

     

    A: 今ではラテンアメリカ諸国の軍事独裁政は、赤化をなんとしてでもキューバで食い止めたいCIAの指導援助の元に行われたことが明らかです。

    B: 拷問の手口が金太郎の飴だった。ベトナムで培った方法を伝授した。商社や大使館の職員に身をやつしてパナマにある養成機関で教育した。

    A: チリの「No」か「Yes」の国民投票をピノチェトに迫ったのも事態を沈静化したいCIAの思惑で行われたが、結果は逆方向になってしまいました。

     

    B: アンデス山脈を中心に第三部が作られる話が聞こえてきています。

    A: チリは有数の火山国でアンデス山系には多くの活火山がある。火口や火口湖にもデサパレシードを投棄したからじゃないか。アタカマ砂漠、太平洋、アンデス山脈、この三つに犠牲者は弔ってもらうことなく眠っています。

     

    パトリシオ・グスマン監督のキャリア&フィルモグラフィーは、前回の『光のノスタルジア』を参照してください。