『ミューズ・アカデミー』 ゲリンの新作*東京国際映画祭2015 ⑤2015年11月24日 12:34

1111日から開催されたセビーリャ・ヨーロッパ映画祭で「金のヒラルダ」を受賞した作品。ロカルノ映画祭でワールド・プレミアしたときから、東京国際映画祭TIFFでの上映を確信していました。その通りになったのですが、作品解説にいささかたじろぎながらも見に出かけました。危惧したとおりセリフの多さに圧倒されてしまいました。これはQ&Aが必要な映画ですね。ロカルノでも「フィクションかノンフィクションか」に質問が集中したようです。まずはデータから。

 

  『ミューズ・アカデミー』(“La academia de las musas”)

製作:Los Films de Orfeo

監督・脚本・編集:ホセ・ルイス・ゲリン

録音:アマンダ・ビジャビエハ

音響:ジョルディ・モンロス、マリソル・ニエバス

カラーリスト:フェデリコ・デルペロ・ベハル

特別エディター:ヌリア・エスケラ

 

データ:製作国スペイン、スペイン語・イタリア語・カタルーニャ語、2015年、92分、ドラマ、

受賞歴・ノミネーション:セビーリャ・ヨーロッパ映画祭2015「金のヒラルダ」賞、ロカルノ映画祭2015ワールド・プレミア

 

キャスト:ラファエレ・ピント(哲学教授ピント)、ロサ・デロル・ムンス(教授夫人ロサ)、エマヌエラ・フォルゲッタ(生徒エマヌエラ)、ミレイア・イニエスタ(同ミレイア)、パトリシア・ジル(同パトリシア)、カロリナ・リャチェル(同カロリナ)

 

作品紹介:バルセロナ大学哲学科。イタリア人のラファエレ・ピント教授が、ダンテ「神曲」における女神の役割を皮切りに、文学、詩、そして現実社会における「女神論」を講義する。社会人の受講生たちも積極的に参加し、議論は熱を帯びる。生の授業撮影と思わせる導入部を経て、教授と妻の激しい口論へと移る。やがて数名の受講生の個性も前景化し、次第に教授の行動の倫理が問題となってくる・・。ドキュメンタリーとフィクションの境目を無効にするJL・ゲリン監督の本領が発揮される新作。(中略)ピント教授は実際のピント教授が演じており、その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する。・・・(TIFFカタログより抜粋)

 

    レトリックや文学、詩、言葉がもつ美しさへのオマージュ

 

A: セビーリャ・ヨーロッパ映画祭の最高賞を受賞したわけですが、上映会場はスペインでの上映を待っていた批評家、ゲリン賛美者、シネアスト、学生、シネマニアなどで超満員だった。

B: 8月上旬に開催されたロカルノ映画祭の好評を聞きつけて、賛美者以外のファンも待ち構えていたというわけですね。

A: フィクションは、2007年の『シルビアのいる街で』以来8年ぶりですから、フィクションを待っていた観客も詰めかけたのでしょう。前作はセリフが極力抑えられ無声映画に近かったのに、新作はレトリックや文学、詩、つまり言葉がもつ美しさへのオマージュという対照的な作品です。

B: ロカルノでも「言葉の力に捧げた」と、「パッションやアートについて、人生や創造について、特に詩について語った」映画だとゲリンはコメントしていた。

 

   

  (トレードマークのハンチングを被ったホセ・ルイス・ゲリン、ロカルノ映画祭にて)

 

A: また監督は「とりたてて事件は起こらない」と語っていましたが、『シルビアのいる街で』でも事件はこれと言って起こらない。偶然性やコントロール不可能なものに重きをおく監督は、昔の美しい恋人を求める主人公の主観的な視線と、偶然カメラが捉えてしまう客観的な視線を行ったり来たりさせた。

B: プロット的にはやや強引な設定でしたが、観客は満足した。本当にシルビアという女性がいたのかどうかは受け手に委ねられた。

 

A: セビーリャでの拍手喝采は熱狂的、満場を沸かせたようです。だからこそ「金のヒラルダ」を受賞できたのでしょう。上映はパリ同時テロの2日前だったから、今思うと感慨深いです。

B: 結局、授賞式や関連イベントは中止になりましたけど。

 

フィクションかノンフィクションかの区別がはっきりしなくてよい

 

A: 「どこまでがフィクションで、どこからがノンフィクションなのか」という質問については、「観客にとってはよく分からないほうがいい、そう思いませんか」と答えている。フィクションかドキュメンタリーか、喜劇か悲劇か、そのような映像の区別は重要でないということですかね。

B: 区別は必要ないという意見に賛成ですが、生徒の質問のどこまでが本人のもので、どこからがセリフなのか気になります。

 

A: 新作の導入部はバルセロナ大学でのピント教授の授業風景から始まる。沈黙の重さに支配された過去の作品への〈言葉による〉過激な返答という意味合いがある。導入部のダイアローグの応酬はつむじ風、サイクロン級でした。

B: 教授の講義も生徒の質問もレベルが高くて、ドキュメンタリーとはとても思えません。ただ境目がわからなかった。でも曖昧でいいのですね。

 

A: 道具としてドキュメンタリー手法を多用して、単純を装いながら虚実を混在させるのが好きな監督、ピント教授は、実際に40年前から同大学の文学教授、教授夫人も彼の妻、生徒たちもバルセロナ大学で講義を受けているノンプロの人たちで自分自身を演じている。しかしこれは100パーセントフィクションだと。そもそもドキュメンタリーというジャンルはないという立場の監督です。

 

B: 教室を一歩出ると、夫婦間で火花が飛び散っている。夫婦の危機が表面化し、教授と生徒の間に新しく生まれたロマンスも進行していく。

A: 観客は次第に、ダンテの「神曲」における女神の役割論から異なったテーマ、例えば理性より感情、欲望、性、嫉妬、夫婦などをテーマにした議論に巻き込まれていく。

 

         

               (新しいロマンスの相手と教授)

 

B: 東京も含めてどこの会場でも、教授夫妻の迫真の口論には笑い声が上がったと思う。

A: 論客ピントも皮肉やの夫人に押され気味、ここがいちばん自然で本物らしく見えたが、「勿論実人生ではない。しかしある瞬間は真実が入っている、なぜならエモーションは本物だから。二人には予めこれはフィクションだからと言っておいた。でもカメラが回り始めると二人は自分の信じていることを話し始めた。もし彼らが信じていなければ、あのダイアローグは不可能だった」と監督。

 

B: 教授は実人生でもバルセロナ大学の文学教授、ロサ・デロル・ムンスはカタルーニャ文学や言語学の研究者だそうですが。

A: 教授は1951年ナポリ生れ、ダンテ心酔者、1974年からバルセロナ大学でイタリア哲学、特にダンテと文学を専門に教えている。デロル・ムンスは1943年バルセロナ生れ、バルセロナ大学の文献学を卒業、“Salvador Espriu (1929~43)”など何冊か研究書を上梓している。映画でもピント教授より年長に見えましたが、大分離れている。

 

       

          (ガラスを透して口論する教授夫妻を撮影している)

 

B: 「私がもっと若かったら」と真情を吐露している。女性は疑り深く独占欲が強く、嫉妬深い。

A: 嫉妬深いのは同じだが、男性は女性より上位にいたがり、常に自分が正しく、相手を自分好みに変えたがる。悲喜劇としか思えないが、それでも夫婦をやっている。このシーンは、ウディ・アレンの映画を彷彿させる。

 

         中心テーマは知の変化――教授法は一種の変化に貢献する

 

B: TIFFの解説に「その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する」とありましたが、講義内容はレベルが高すぎ、生徒はおろか登場人物の誰とも同化できませんでした。

A: 講義は一方的に与えるだけでなく、生徒に反論させている。生徒が変化するだけでなく、教授自身も「君の視点が私を変えた」と語っていた。優れた教授法は知の変化に貢献する。教師という仕事は生徒を餌食にするが、生徒も教師を餌食にしている。互いに変化するところが面白い。

B: 知識は変化によって価値、重要性、満足度というか喜びをはかっている。

 

A: 生徒の一人が、地中海にあるイタリア領の島、サルディーニャ島に案内する。そこで出会った牧人詩人が披露してくれた先祖伝来だという歌は素晴らしかった。

B: 現在でもこんなアルカディアが存在するなんて。この牧人には同化できますね。サルディーニャ語はイタリア語の方言ではないと言っていた。

    

 

    (小型カメラで撮影する監督、サルディーニャ島にて)

 

A: 本当の羊飼いで、ゲリンも生徒の一人(多分イタリア語を話していたエマヌエラ・フォルゲッタと思うが)に案内してもらうまで、その存在を知らなかったそうです。自然が生みだす異なった音色の洗練さに感動したとロカルノで語っていた。内容は羊飼いの古典的神話を詩の世界に調和さたものらしい。サルディーニャ島に出掛けて撮影することは最初からのプランで、作品に新しい視点を与えてくれたとも。

B: サルディーニャ語はラテン語を起源とするロマンス語に属し、フェニキア語、カタルーニャ語、スペイン語の影響も受けているとウィキペディアにあった。

 

A: サルディーニャ島シリゴ出身の言語学者ガヴィーノ・レッダを思い出しました。彼も羊飼いで20歳になるまで文字が読めなかった。父親が羊飼いには必要ないと受けさせなかった。その後軍隊で初等教育を受け、ローマ大学の言語学科を卒業したときには32歳だった。自伝『パードレ・パドローネ』(1975)がベストセラーになり、日本でも翻訳書が出ている。

B: タヴィアーニ兄弟が映画化して、カンヌ映画祭1977のグランプリを受賞、これも劇場公開されたから、見た人多いと思う。今は引退して生まれ故郷シリゴで農業と牧畜に携わっている。

 

A: スペインでも詩人ミゲル・エルナンデスは、子供時代から羊飼いをして正規の学校教育を受けていない。貧しいからという理由でなく、父親が必要ないと受けさせなかった。だから独学ですね。大体ロルカと同じ時代を生きた詩人です。

B: 内戦では共和派、終結後に収監されて生まれ故郷アリカンテの刑務所付設の病院で31歳の若さで亡くなった。スペインではロルカよりファンが多いとか。羊飼いは自然と対話していないと成り立たないから自ずと思索的になるのかもしれない。

 

    

          (カロリナ・リャチェルとエマヌエラ・フォルゲッタ)

 

     有力な映画祭出品は肌に合わない――ドキュメンタリー映画祭が好き

 

A: 『シルビアのいる街で』はベネチア映画祭に出品されたが、もみくちゃにされたのがトラウマになっているのか、有力な映画祭は好きではないという。良かった映画祭はドキュメンタリー映画祭だと。

B: 映画の宣伝には役立つが、フィクションかドキュメンタリーか、悲劇か喜劇か、カンヌなんかはジャンル分けがうるさいと聞いています。それぞれセクションごとに上映するから仕方ない。

A: ベネチア映画祭では、映画祭の喧騒を逃れて小型のデジカメを手に土地の人々や風景を収めていた。本作は世界各地の映画祭に招待されたが、映画祭はそっちのけで気軽に町中に出かけて取材していた。そうして出来たのが『ゲスト』(10)でした。

B: プレミアはコンペではないが同じベネチア、同年TIFFでも上映された。

 

A: 撮影監督の名前がIMDbにもカタログにもクレジットされていない理由は推測するしかないが、ガラスを透して撮影するシーンが記憶に残った。

B: 前作『シルビアのいる街で』と似ていた。キャストとの心理的な距離を表現したいのか、機会があれば質問したいね。

 

A: ゲリンは完璧主義者に思われているが、素描の性格をもっている映画が好みで、技術的な凝り過ぎは最低だと語っている。確かに何回も撮り直しをするタイプじゃない。

B: 夫婦の口論も1回勝負だから、観客は騙された。

 

A: 自分で編集を手掛けるから観客第1号は自分、これは素晴らしい体験だと言う。かつての映画小僧も、今はあちこちの映画学校で講義をしている。映画を撮るべきかどうか質問されたら、最初の助言は止めなさいです。それでも中には止めないクレージーな学生がいて、そういう学生には手を差し伸べます。映画監督はクレージーでないと務まらない。

 

『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』*東京国際映画祭2015 ④2015年11月03日 16:46

 

★ロドリゴ・プラ監督とサンディノ・サラビア・ビナイ(プロデューサー)氏を迎えてのQ&Aがあり、個人的に来日を期待していたプラ夫人ラウラ・サントゥリョさんの登壇はありませんでした。本作は夫人の同名小説の映画化(2013Estuario社刊)今回も脚本を担当しています。監督のデビュー作以来、二人三脚で映画作りをしています。既に「ベネチア映画祭2015」で作品紹介をしておりますが、まだデータが揃っておりませんでした。今回監督のQ&Aを交えて改めて再構成いたしました。上映は3回あり最終日の1030日に鑑賞、Q&A司会者はコンペのプログラミング・ディレクター矢田部吉彦氏。部分的にネタバレしております。(写真下は小説の表紙)

 


    『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』原題Un monstruo de mil cabezas

製作:Buenaventura

監督・プロデューサー:ロドリゴ・プラ

脚本・原作:ラウラ・サントゥリョ

撮影:オデイ・サバレタ(初長編)

音楽:レオナルド・ヘイブルム(『マリアの選択』)、ハコボ・リエベルマン(“Desierto   adentro”)

音響:アクセル・ムニョス、アレハンドロ・デ・イカサ

美術:バルバラ・エンリケス、アレハンドロ・ガルシア

衣装:マレナ・デ・ラ・リバ

編集:ミゲル・シュアードフィンガー

プロデューサー(共同):アナ・エルナンデス、サンディノ・サラビア・ビナイ

データ:製作国メキシコ、スペイン語、2015、サスペンス、75分、アジアン・プレミア、撮影地メキシコ・シティー、公開:フランス2016316日、メキシコは未定

*ベネチア映画祭2015「オリゾンティ」正式出品、モレリア映画祭メキシコ映画部門、その他ロンドン、ワルシャワ、ハンプトン(USAバージニア州)各映画祭に正式出品

 

キャストハナ・ラルイ(ソニア・ボネ)、セバスティアン・アギーレ・ボエダ(息子ダリオ)、エミリオ・エチェバリア(CEOサンドバル)、ウーゴ・アルボレス(ビジャルバ医師)、ダニエル・ヒメネス・カチョ、マルコ・アントニオ・アギーレ、ベロニカ・ファルコン(ロレナ・モルガン)、ハロルド・トーレス、マリソル・センテノ 

 

プロット:癌でむしばまれた夫を自宅介護する妻ソニアの物語。夫婦は医療保険に加入しているが、保険会社の怠慢やシステムの不備や腐敗で正当な治療を受けられない。怒りと絶望におちいったソニアは、ある強硬手段に訴える決断をする。息子ダリオと一緒に保険会社を訪れたソニアは、無責任と不正義、汚職の蔓延に振り回され、事態はあらぬ方向へと転がりだしていく。ソニアは夫を救えるか、本当の目的は果たして何だったのか、前作『マリアの選択』のテーマを追及するスピード感あふれる社会派サスペンス。

 

     不正がまかり通ると何が起こるかについての教科書

 

A: 何が起こるかというと、怒りが爆発して人間は猪突猛進するというお話しです。イエロー・カードでは済まされないソニアの憤激は頂点に達する。

B: 日本のような公的医療保険のないメキシコでは、ソニアの家族のようなミドル階級は私的な医療保険に加入している。映画でも夫婦は15年以上支払っているという設定になっていた。

A: 然るにいざ病気になっても医療費は下りない。いろいろ難癖をつけて支払いを拒絶する。日本のように国民皆保険の国では少し分かりづらいかもしれない。先述したように本作はラウラ・サントゥリョの同名小説の映画化、彼女によると複数の友人たちから医療費を請求しても支払いを拒絶され、担当医師とも悶着がおこるという話を聞いた。試しにネットで検索したら文句を書きこんでいる人がゾロゾロ出てきた。それでこれは小説になる。

 


B: ソニアの家族のような保険金不払いが実際起こっていたのですね。Q&Aでも監督が「メキシコではこういう事件が起こってもおかしくない」とコメントしていた。

A: 勿論、ソニアのような行動に出た人が実在したわけではありませんよ()。保険加入者は支払っている間は大切なお客さんだが、病人になったら厄介者でしかない。保険会社は営利団体だから利益を上げなければならない、公的医療の不備を補う人権団体ではないというわけです。

 

B: 医師も平気でカルテに嘘の記述をする。そうすれば見返りの礼金が舞い込むシステムになっている。人権とか倫理とかの意識はなく、贅沢三昧の生活を選択する。映画を見ればだいたい想像できますが、タイトルについての質問がありました。

A: ソニアが盥回しになるのは、会社の無責任体制、命令系統が縦割りでCEOにさえ決定権がない。脳みその足りない頭が千もあるモンスターということからついた。組織の安全弁として誰も責任をとらないで済むようにしているわけです。黒幕の顔は見えない、保険会社のCEOでさえ将棋の駒なんです。

B: サンドバルは最高責任者だと思っていたのに自分のサインだけじゃドキュメントが有効にならないのに呆れていた。凄いブラックユーモア、これはシリアス・コメディでもあるね。

 

      実は観客が見ているシーンのメインはフラッシュバック

 

A: 一番感心したのは映画の構成、途中から観客が見ているというか見せられているシーンが過去の出来事と分かる仕掛けをしている。刻一刻と近づいてくる夫の死をなんとか押し止めようと強硬手段に打って出たと思っていたのに、裁判シーンでの<影の声>が聞こえてきて「これはフラッシュバックじゃないか」と初めて気が付く。

B: 時系列に事件を追っていると思っていたのに、現在点はあくまで目下進行中のソニアの裁判だと分かってくる。

A: 短い<影の声>の証言が挿入されると、それにそってスクリーンに事件の推移が映し出される。見なれたフラッシュバックはこれと反対ですものね。

B: ラストに法廷シーンが映しだされる。やっと現在に戻ってきたと思いきや、2分割4分割されてどうもおかしい。開廷が宣言され被告人ソニアが入ってくるはずが別の女性が入ってくる。このシーンは実際に行われた本当の裁判を特別の許可を得て撮影したと明かしていました。最後の最後まで観客を翻弄して監督は楽しんでいたのでした()

 

A: 監督は結構お茶目だと分かった。今回のQ&Aの質問者は映画をよく見ていた人が多く、監督から面白い話を引き出していた。他にも笑える仕掛けがしてあって、保険会社の重役宅で息子がテレビでサッカー中継を見ている。解説者が「レフリーが公平じゃない、あれは賄賂を貰っているからだ」と憤然とする。

B: 映画の内容とリンクさせて、不正は何も保険会社に限ったことじゃない。スポーツ界も、政治家も、警察官も、製薬会社もみんな汚職まみれ、グルになって国民を苦しめているというわけです。

A: メキシコに限りませんけど、これはホントのこと。人を地位や見掛けで簡単に信用しちゃいけないというメッセージです()。ラストでまたサッカー中継の<影の声> が「ゴール!」と言うがこれも八百長ゴールというおまけ付き、次回作はコメディを撮って欲しい。

 

      ソニアの本当の目的は夫を救うことだったのか

 

B: 脅しで携帯したはずのピストルだが、一発火を噴いたところから歯止めが効かなくなっていく。最初は冷静だったソニアも自分の本当の目的が何だった分からなくなっていく。

A: 義理の姉から夫が急死したことを知らされても暴力の連鎖は止まらない。なんとか踏みとどまるのは、自分がダリオたちの母親だということです。ダリオは既に父親を諦めているが、母親に付き添うのは只ならぬ気配の母親まで失いたくないからです。

 

B: 高校3年生という設定、もう子供じゃないが大人でもない微妙な年齢にした。狂気に陥った母親をはらはらしながら健気に守っていく役割た。

A: 怒りが大きいとアドレナリンがどくどく出て交感神経を刺激、分別が効かなくなる。大脳は不正を許さない。夫を救うことができなかった怒りは、さらに増幅して社会的不正義の糾弾に向かう。破れかぶれは自然なことだと思いますね。

 

B: ソニアにどんな刑が言い渡されるか、または無罪かは観客に委ねられる。

A: 観客が見ているフラッシュバックは裁判中の証言にそっているから、本当はどうだったかは闇です。人間の記憶は時とともに薄れ脚色もされて変貌するから真実は曖昧模糊となる。時々映像がぼやけるのはそれを意図しているのではないか。

B: この映画のテーマの一つは記憶の不確かさ、仮りに真実があるとしても、それは<藪の中>です。

 

       ヒロインを支えた贅沢な脇役陣

 

B: カタログの紹介記事に、前作より「アート映画としてもエンタメ映画としても通用する作品に進化している」とありました。

A: 前作というのは『マリアの選択』のことで、監督夫妻の故郷ウルグアイのモンテビデオが舞台だった。メキシコに戻って撮った本作は4作目にあたる。以前海外勢は3作目あたりまでがコンペの対象作品だったが、最近はそうでもなくなった。プラ監督も中堅クラス入り、キャストも脇は豪華版です。

 

B: デビュー作“La zona”の主役ダニエル・ヒメネス・カチョも保険会社の役員として出演している。ソニアに脚を打たれて悲鳴を上げていた。まさか彼のふりチン姿を見せられるとは思いませんでした()

A: ブラック・ユーモアがところどころにちりばめられたフィルム・ノワールだ。彼はメキシコのベテラン俳優としては一番知られているのではないか。マドリード生れのせいかアルモドバルの『バッド・エデュケーション』、パブロ・ベルヘルの『ブランカニエベス』などスペイン映画出演も多い。それこそ聖人から悪魔までオーケーのカメレオン俳優、アリエル賞のコレクター(5個)でもある。

 

B: 発砲を目撃したもう一人のふりチンが逃げ込んだ先は、女の子たちが水泳の授業を受けているプールサイドだった()。次に知名度がある俳優はサンドバル役のエミリオ・エチェバリア、アレハンドロ・G・イニャリトゥのあまりにも有名な『アモーレス・ペロス』第3話の主人公エル・チボになった。

A: TIFF2000の東京グランプリ受賞作品、当時の最高賞です。監督と一緒に来日している。同監督の『バベル』やアルフォンソ・キュアロンの『天国の口、終りの楽園』ではディエゴ・ルナの父親に扮した。ヒメネス・カチョもナレーターとして出演していた。ほかに未公開作品だがデンマーク出身のヘニング・カールセンがガルシア・マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』を映画化、そこでは語り手のエル・サビオに扮した。

 

B: ビジャルバ医師役のウーゴ・アルボレスほかの俳優は、メキシコのTVドラ・シリーズで活躍している人で占められている。

A: ソニア役のハナ・ラルイ(カタログはジャナ、スペイン語読みにした)は、1998TVドラの脇役でデビュー、主にシリーズ物のTVドラに出演している。映画の主役は本作が初めてのようです。すごい形相のクローズアップが多かったが、かなりの美人です。

 


              (ハナ・ラルイ、カンヌ映画祭にて)

 

B: 来日した製作者のサンディノ・サラビア・ビナイの謙虚さと若さに驚きました。

A: カンヌにも参加、プラ夫人や撮影監督のオデイ・サバレタの姿もあった。音楽監督のレオナルド・ヘイブルムは、『マリアの選択』以外にマルシア・タンブッチ・アジェンデの『アジェンデ』(ラテンビート2015)やディエゴ・ケマダ≂ディエスの『金の鳥籠』などを手掛けたベテラン。

B: 無駄を省いた75分、映画も小説も足し算より引き算が成功の秘訣。どこかが配給してくれたら、もう一度見たいリストに入れときます。

 


   (左から、オデイ・サバレタ、ハナ・ラルイ、プラ監督、ラウラ・サントゥリョ、

サンディノ・サラビア・ビナイ、カンヌ映画祭にて)

 

 

監督キャリア& フィルモグラフィー

ロドリゴ・プラRodrigo Plá1968年、ウルグアイのモンテビデオ生れ、監督、脚本家、プロデューサー。「エスクエラ・アクティバ・デ・フォトグラフィア・イ・ビデオ」で学ぶ。後Centro de Capacitacion CinematograficaCCC)で脚本と演出を専攻。ウルグアイ出身の作家、脚本家のラウラ・サントゥリョと結婚。デビュー作より二人三脚で映画作りをしている。

 


1996Novia mía短編、第3回メキシコの映画学校の国際映画祭に出品、メキシコ部門の短編賞を受賞、フランスのビアリッツ映画祭ラテンアメリカ部門などにも出品された。

2001El ojo en la nuca”短編、グアダラハラ映画祭メキシコ短編部門で特別メンションを受ける。ハバナ映画祭、チリのバルディビア映画祭で受賞の他、スペインのウエスカ映画祭、サンパウロ映画祭などにも出品された。

2007La zona”監督、脚本、製作、ベネチア映画祭2007で「ルイジ・デ・ラウレンティス賞」、「平和のための映画賞」、「ローマ市賞」の3賞を受賞、トロント映画祭で審査員賞、マイアミ、サンフランシスコ両映画祭2008で観客賞受賞

2008Desierto adentro”監督、脚本、製作、グアダラハラ映画祭2008で観客賞ほか受賞、

アリエル賞2009で脚本賞受賞

2010Revolución”(10名の監督による「メキシコ革命100周年記念」作品)『レボリューション』の邦題でラテンビート2010で上映

2012La demora 『マリアの選択』の邦題でラテンビート2012で上映、ベルリン映画祭2012「フォーラム」部門でエキュメニカル審査員賞受賞、アリエル監督賞、ハバナ映画祭監督賞、ウルグアイの映画批評家連盟の作品賞以下を独占した。

2015Un monstruo de mil cabezas”割愛。

 

 

『土と影』家と巨木*東京国際映画祭2015 ③2015年10月31日 17:16

       

★ラテンビートLB共催上映だったセサル・アウグスト・アセベドの『土と影』、LBのセッションが最終回だったので東京国際で見ることにしました。カンヌ映画祭と並行して開催される「批評家週間」で既に記事にしています。その折り「秀作の予感がする“La tierra y la sombra”」と書いた通り、カメラドールを含む4つの賞を受賞、コロンビア映画初の快挙でした。簡単な作品データ、スタッフ・キャストなどアップ済みですが(コチラ⇒2015519)、加筆して再構成いたします(ネタバレしています)。

 


     (カメラドールを手にしたセサル・アウグスト・アセベド、カンヌ映画祭)

 

    『土と影』La tierra y la sombra(“Land and Shade”)2015

製作:Burning Blueコロンビア/ Cine-Sud Promotion/ Tocapi Films/

 Rampante Filmsチリ/ Preta Porte Filmesブラジル

監督・脚本:セサル・アウグスト・アセベド

撮影:マテオ・グスマン

音響:フェリペ・ラヨ

編集:ミゲル・シェベルフィンゲル

特殊効果:Storm Post Production

製作者:ホルヘ・フォレロ、ディアナ・ブスタマンテ、パオラ・ペレス・ニエト

製作国:コロンビア、フランス、オランダ、チリ、ブラジル

 

データ:言語スペイン語、97分、撮影地コロンビアのバジェ・デル・カウカ、製作費約57万ユーロ、ワールド・プレミアはカンヌ映画祭2015「批評家週間」 コロンビア公開518

受賞歴:カルタヘナ映画祭2014で監督賞。カンヌ映画祭2015カメラドール、フランス4ヴィジョナリー賞、SACDのトリプル受賞の他、グランド・ゴールデン・レール賞(観客賞)を受賞。

援助金2009年コロンビア映画振興基金より5000ドル、2013年「ヒューバート・バルス・ファンド」**より脚本・製作費として9000ユーロなどの援助を受けて製作されている。

La Societe des Auteurs et Compositeurs Dramatiques の略

**Hubert Bais FundHBF’(1989設立):オランダのロッテルダム映画祭によって「発展途上国の有能で革新的な映画製作をする人に送られる基金」、ラテンアメリカ、アジア、アフリカの諸国が対象。コロンビアの監督では、昨年東京国際映画祭で上映された『ロス・ホンゴス』オスカル・ルイス・ナビアが貰っています。本作にはアセベド監督も共同脚本家として参画している。

キャスト:アイメル・レアル(アルフォンソ)、イルダ・ルイス(妻アリシア)、エディソン・ライゴサ(息子ヘラルド)、マルレイダ・ソト(嫁エスペランサ)、ホセ・フェリペ・カルデナス(孫マヌエル)他

 

プロット:アルフォンソと妻アリシアの物語。アルフォンソは17年前、土地を手放すことを拒んだ妻と一人息子ヘラルドを置いて故郷を後にした。老いて戻ってきた故郷は自分の知らない土地に変わり果てていた。肺の病で床に臥す息子の代わりに妻と嫁エスペランサは、サトウキビの刈取り人として過酷な労働に懸命に耐えていた。アルフォンソを戸口で迎えた孫マヌエルは、焼畑の灰塵が降りかかる荒廃のなかで成長していた。もはやよそ者でしかないアルフォンソが崩壊寸前の家族のためにできるのは何か。厳しい現実と過去の誤りに直面して、アルフォンソの模索が始まる。サトウキビ畑に取り囲まれた粗末な家と1本のサマンの巨木の下に置かれた小さなベンチ、三世代にわたる親子の歴史をミクロな視点からマクロな世界を照射する。       (文責:管理人)

 


   (小鳥を呼び寄せる台を囲む祖父と孫、ベンチに座る父、三世代が一つになるシーン)

 

セサル・アウグスト・アセベドCésar Augusto Acevedoは、1984バジェ・デル・カウカの県都カリ生れ、監督、脚本家、製作者。バジェ大学の社会コミュニケーション学部卒、卒業制作は『土と影』の脚本だった。短編“Los pasos del agua”や“La campana”(12)を撮る。後者ははコロンビア映画振興基金をもとに製作された。『土と影』は完成まで8年もの歳月を費やしており、20歳のとき母親が亡くなり、妻の死に遭遇した父親が亡霊のようになってしまったことが製作の動機。2009年コロンビア映画振興基金より援助を受け、翌年コロンビアのカリ映画祭のワークショップに参加、同年ハバナ映画祭のイベロ≂アメリカ交流のイベント、2012年ウエルバ映画祭、2013年カルタヘナ映画祭のエンクエントロス賞、サンセバスチャン映画祭のイベロ≂アメリカ共同製作フォーラムでのスペシャル・メンションを受けて完成させた。その間オスカル・ルイス・ナビアの『ロス・ホンゴス』の助監督と脚本を共同で執筆した。他に同監督のデビュー作“EL vuelco del cangrejo ”、ウイリアム・ベガの La Sirga”などの製作に参画している

 

      作品を語り尽くす冒頭シーン

 

A: 白い帽子を被った初老の男が遠くから1本道を歩いてくる、やがて大型トラックが埃を巻き上げて疾走してくる、男は鬱蒼と生い茂ったサトウキビ畑に逃げ込んで難を避ける、視界が晴れるのを待って再び歩きはじめる、これが冒頭シーンです。

B: 誕生祝いに買ってやった凧をもった孫と一緒に通る道であり、息子を町の病院に運ぶため馬車で透った道でもある。タルコフスキーとかソクーロフの世界を思い浮かべさせるシーンでした。

A: この冒頭シーンが作品全体のメタファーとなっていることを観客に伝えようとしている。ダイアローグを切り詰め、映像の力でメッセージを伝えようとする監督の強い意思が窺える。

B: 撮影監督マテオ・グスマンの強い意思でもあるか。

 


           (撮影中のマテオ・グスマンとアセベド監督)

 

A: コロンビアの若いシネアストに強い影響をあたえているのが、旧ソ連時代のアンドレイ・タルコフスキー(193286)とか現在活躍中のアレクサンドル・ソクーロフ(1951)だそうです。

B: カメラドール受賞後テレビのインタビューや特別番組に引っ張りだこ、なかで彼自身も影響を受けている監督にタルコフスキーを挙げていましたね。

A: 彼の生れ故郷カリ市は、かつては麻薬密売の総本山メデジン・カルテルの解体後を継いだカリ・カルテルの本拠地として知られていますが、今ではコロンビア映画のメッカだそうです。『ロス・ホンゴス』のナビア監督、話題作“Perro come perro”の先輩監督カルロス・モレノもカリ生れです。

 

B: キャリア紹介からも、カンヌの4賞受賞が根拠のないことではないのが分かります。若い監督が足の引っ張り合いをせずに、互いに協力しているなかで刺激を受けて成長している。

A: コロンビアは長い麻薬密売抗争やそれに惹起したゲリラ戦争で土地を奪われた農民が未だに国内を放浪し続けている国内難民500万人を抱えている国でもあるから、この映画は見る人によってメタファーの受け取り方が違うと思います。

 

                                    小さな家とファミリー・ツリー

 

B: 舞台になったバジェ・デル・カウカ県は、カリ・カルテルの中心地だからコカが栽培されているのかと思っていましたがサトウキビでした。

A: 南の隣県カウカがコカ栽培発祥の地だそうで、バジェ・デル・カウカはサトウキビのプランテーションが一番盛んだった県です。経営者の顔は見えず、農民を統率している男には何の権限も与えられていない。組織犯罪のセオリー通り顔が見えるのは実行犯だけ、黒幕は闇の中と同じ構図です。

B: これはコロンビアだけに特徴的なことではなく、どこの国でも見られると思いますが。

A: 他との違いを際立たせているのが真ん中に入口のある細長い家屋と、それに寄りそうように佇んでいる1本のサマンの巨木です。主に中南米に生息している樹木で『ロス・ホンゴス』にも登場していた巨木です。

 

B: 大地tirraの母に対して、sombraとなった父を重ねているのでしょうか。

A: スペイン語のsombraの第一語義は「陰」で、邦題の「影」は比喩として使うケースが多く、幻影とか亡霊のfantasmaの意味にも使う。邦題は内容に踏み込んで付けたのではないか。

B: 主人公アルフォンソはこの巨木とその下に設えられた小さなベンチに拘っている。このベンチは彼が故郷を後にした17年前にもあったもの。

A: 昔と変わらないのは、かつては白かったであろう家、巨木、ベンチ、この三つしかない。故郷でアルフォンソはよそ者となっている。

 

B: 彼は家族との和解をしたくて帰郷したのではないことが、やがて観客にも知らされる。

A: 呼び寄せる決断をしたのは息子の妻エスペランサだ。義母アリシアと夫ヘラルドの結びつきは固く、ここから離れられない義母から病身の夫を連れ出すことは一人では不可能だからだ。
B: アルフォンソが出ていった理由が、互いの愛が冷めたせいではなかったこと、アリシアが大地にしがみつくのは、ここを出た後の青写真が描けないからということも分かってくる。

A: 大地を捨てることイコール死と滅亡なんですね。かつての母系制家族の名残りを感じました。この土地はアルフォンソのものではなくアリシアのものなんでしょうね。


                     (堅い絆で結ばれたヘラルドと母アリシア)

 

B: 農村と都会、安定または持続性と発展、伝統と近代性、過去と未来など対立するテーマが織り込まれているが、セリフは極力抑えられているから、映像を見逃すと分からなくなる()

A: そうですね、映像のほうがずっと雄弁ですから。先述したように撮影監督のマテオ・グスマンの功績は大きいです。
B
: プロの俳優はわずか、殆どが演技指導など受けたことのないアマチュアです。

A: ありのままの自分を撮ってもらっている。アルフォンソ役のアイメル・レアルは、キャスティングを行った劇場の清掃員だったそうです。エスペランサ役のマルレイダ・ソトはプロの女優さん、カルロス・モレノの“Perro come perro”で映画デビューした。(後出参照)

 


                         (アルフォンソ役のアイメル・レアル、映画から)

 

B: ヘラルドは、灰塵を避けるため窓を閉め切った暗い部屋に幽閉されている。ゆっくり動く長回しのカメラが捉えた暗闇、これは我が家なのに牢獄と同じです。

A: 一家の主であるのに何一つ決断できない。母を思って妻の希望を叶えてやることもできない。息子の誕生祝いもしてやれない。唯一できたのは、家族の誰一人として望まなかったことでした。

B: アルフォンソは、大地から解放されたエスペランサとマヌエルだけを連れて去っていく、それがアリシアの望んだことでもあるからだ。

 


   (エスペランサ役マルレイダ・ソトとマヌエル役ホセ・F・カルデナス、映画から)

 

A: ラテンアメリカ諸国でもコロンビアは6段階に分かれた極端な階層社会、貧富の二極化が進んでいる。二極化といっても富裕層はたったの2パーセントにも満たない。

B: 社会のどの階層を切り取るかで全く違ったコロンビアが見えてくる。

A: カンヌでは「この映画のテーマは個人的な悲しみから生れた」と語っていたが、病をえること、家族の死などが動機となって作品が輝きだすのは珍しいことではない。

 

B: 本作はカンヌの「批評家週間」に出品された映画ですが、専門家だけでなく観客にも受け入れられたことが嬉しかったようです。

A: 「わが国の文化に深く根ざした映画にも拘わらず、観客の方々にも感じてもらえたことは素晴らしく名誉なことです、すべての方に感謝を捧げます」が観客賞受賞の言葉でした。とうとう最後まで飛んでこなかった小鳥、空高く舞い上がったマヌエルの凧、さてどんなメッセージだったのでしょうか。

 

*付録 & 関連記事

Burning Blue:ラテンアメリカの若い世代に資金提供をしているコロンビアの製作会社。オスカル・ルイス・ナビアの『ロス・ホンゴス』の他、コロンビアではウイリアム・ベガの La Sirga”(12)、フアン・アンドレス・アランゴの“La Playa D.C.”(12)など、カンヌ映画祭に並行して開催される「監督週間」や「批評家週間」に正式出品されているほか世界の映画祭に招待上映されている。ホルヘ・フォレロの“Violence”はベルリン映画祭2015の「フォーラム」部門で上映、それぞれデビュー作です。アルゼンチンのディエゴ・レルマン4作目Refugiado14)にも参画、本作はカンヌ映画祭2014年の「監督週間」に正式出品された。

 

マルレイダ・ソトMarleyda Sotoエスペランサ役)は、カルロス・モレノの力作“Perro come perro”(08)の脇役で映画デビュー、同じ年トム・シュライバーの“Dr. Alemán”では主役を演じた。麻薬戦争中のカリ市の病院に医師としてドイツから派遣されてきたマルクと市場で雑貨店を営む女性ワンダとの愛を織りまぜて、暴力、麻薬取引などコロンビア社会の闇を描いている。製作国はドイツ、言語は独語・西語・英語と入り混じっている。カルロヴィヴァリ、ワルシャワ、ベルリン、バジャドリーなど国際映画祭で上映された。本作も撮影地はLa tierra y la sombra”と同じバジェ・デル・カウカ。

 

オスカル・ルイス・ナビアの『ロス・ホンゴス』の記事は、コチラ⇒20141116


『ミューズ・アカデミー』J・L・ゲリンの新作*東京国際映画祭2015 ②2015年10月06日 12:35

    ロカルノ映画祭の話題作は、言語についてのパッションがテーマ?

 

★日本ではビクトル・エリセのお墨付き監督ということで(実際にお弟子さん)、ゲリンを待っているコアなファンが多く、東京国際映画祭TIFFの常連さんでもある。『シルビアのいる街で』(08)のヒット以来、ドキュメンタリー『ゲスト』(10)、同『メカス×ゲリン 往復書簡』(11)と今回で4本は異例の多さではないでしょうか。『シルビアのいる街で』が20108月に公開されたのを機にイメージフォーラムで特集が組まれ、全作品が1週間にわたって上映されました。勿論ゲストとして来日、その驕らない誠実さでファンを魅了、彼がQ&Aに出席した回は満席だった。

 

★製作国はスペイン、言語はスペイン語、カタルーニャ語、イタリア語が混在、TIFFの原題がイタリア語のL’Accademia delle Museなのは、ロカルノ映画祭がワールド・プレミアだったことと思われます。スイス南部に位置するロカルノ市はイタリア語圏、IMDbが採用しているのはスペイン語題のLa academia de las musasです。英題が“The Academy of Muses”、邦題は英題のカタカナ起しといういささか込み入っています。込み入っているのは言語やタイトルだけでなく、テーマそのものらしい。これについては鑑賞後に回すとして、TIFFの作品解説からもその一端が窺えます。

 


★前回「ジャンルはドキュメンターとあるが・・・」と疑問を呈しておきましたが、道具としてドキュメンタリー手法を多用して、単純を装いながら虚実を混在させるのが好きな監督、これは紛れもなく「フィクション」です。作品解説に「バルセロナ大学哲学科。イタリア人のラファエレ・ピント教授が、ダンテの『神曲』における女神の役割を皮切りに、文学、詩、そして現実社会における〈女神論〉を講義する・・」とあるように、導入部は同大学での授業風景から始まる。ピント教授は、実際に40年前から同大学の文学教授、その他のキャスト、講義を受ける学生たちも実際のファーストネームで登場するようです。

 


★ゲリンは「とりたてて事件は起こらない」とロカルノでのインタビューで語っているが、『シルビアのいる街で』でも事件はこれと言って起こらない。偶然性やコントロール不可能なものに重きをおくゲリンは、昔の美しい恋人を求める主人公の主観的な視線と、偶然カメラが捉えてしまう客観的な視線を行ったり来たりさせた。本当にシルビアという女性がいたのかどうかは観客に委ねられた。セリフは極力抑えられ無声映画に近かったと思います。しかし新作は「言葉の力に捧げた」と、「パッションやアートについて、人生や創造について、特に詩について語った」映画だとコメントしている。

 

★哲学論の講義など、普通は退屈のあまり睡魔と闘うものだが、ここでは白熱すようだ。「その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する」、同化できるかどうか、試してみるのも面白いか。


ロドリーゴ・プラの新作はサスペンス*東京国際映画祭2015 ①2015年10月04日 17:23

          スペイン語映画が3作上映されます

 

★東京国際映画祭TIFFの大枠がはっきりしてきました。見落としがなければスペイン語映画は、コンペティションにロドリーゴ・プラの『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』、ワールド・フォーカスにホセ・ルイス・ゲリンの『ミューズ・アカデミー』と、ラテンビート共催上映のセサル・アウグスト・アセベドの『土と影』の合計3作がアナウンスされました。

 

★コンペ上映の『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』メキシコ)は、ベネチア映画祭2015でご紹介したUn monstruo de mil cabezasの英題をそのまま仮名で表記したものです。作品解説によると「~平凡な主婦が絶望的な行動に走る様を、抜群のテクニックで描くノンストップサスペンス」と紹介されています。また「~前作『The Delay』において~」とあるのは、La demoraの英題、「ラテンビート2012」で『マリアの選択』の邦題で上映された映画です。生れ故郷ウルグアイに戻って製作、主人公マリアに扮したロクサナ・ブランコが高い評価を受けた映画でした。監督と脚本家のラウラ・サントゥリョは夫婦で共にウルグアイ出身です。新作はメキシコに戻って撮ったメキシコ映画、既にスタッフ、キャスト、監督キャリア&フィルモグラフィーなどトレビアを含めてご紹介しています。

Un monstruo de mil cabezasの記事は、コチラ⇒2015810

  


セサル・アウグスト・アセベドの『土と影』については、ラテンビート2015、またはカンヌ映画祭2015に、スタッフ、キャスト、監督キャリア&フィルモグラフィーなどトレビアを含めてご紹介済みです。ラテンビートは1011日(日)21001回だけの上映です。遅い時間帯だけに帰宅の足が心配な方は、是非TIFFで。

カンヌ映画祭2015の記事は、コチラ⇒201551 9


8月の暑い盛りに開催されるスイスのロカルノ映画祭の話題作、ホセ・ルイス・ゲリンの久々の新作『ミューズ・アカデミー』については、次回アップいたします。TIFFの公式サイトに「ドキュメンタリー」とありましたが、さて、これはドキュメンタリーでしょうか。


                (ホセ・ルイス・ゲリン監督)