パブロ・ララインの『ネルーダ』*ラテンビート2017 ⑨2017年11月22日 21:08

            赤い詩人自らが神話化した逃亡劇、伝記映画としては不正確!

 

パブロ・ラライン『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』は、カンヌ映画祭と併催の「監督週間」(2016)でワールド・プレミアされた作品。国際映画祭でのノミネーションは多いほうですが受賞歴はわずかにとどまっています。当ブログでは「ネルーダ」の仮題で既に内容及びデータ紹介をしております。そこではジャンルとして伝記映画としましたが、マイケル・ラドフォードのイタリア映画『イル・ポスティーノ』(94)ほどではありませんが、これもフィクションとして観たほうが賢明という印象でした。ララインがネルーダの詩を利用して言葉遊びを楽しんだ映画です。カンヌのインタビューで監督が「伝記映画としては不正確」と述べていた通りでした。官憲による逮捕を避けて逃げるのですから逃亡に違いありませんが、ここでのネルーダはいわゆる逃亡者ではないのでした。

『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』の記事紹介は、コチラ2016516

  

   

              (人生はゲーム、追う者と追われる者)

 

  主なキャスト紹介(邦題のあるフィルモグラフィー)

ガエル・ガルシア・ベルナル:警官オスカル・ペルショノー(『No』『アモーレス・ぺロス』

  『モーターサイクル・ダイアリーズ』『ノー・エスケープ』)

ルイス・ニェッコネルーダ(『No』『ひとりぼっちのジョニー』『泥棒と踊り子』

メルセデス・モラン妻デリア・デル・カリル(『沼地という名の町』『ラ・ニーニャ・サンタ』

  『モーターサイクル・ダイアリーズ』

アルフレッド・カストロゴンサレス・ビデラ大統領(ラライン映画全作他『彼方から』

エミリオ・グティエレス・カバピカソ(『13みんなのしあわせ

   『スモーク・アンド・ミラーズ』

ディエゴ・ムニョスマルティネス(『ザ・クラブ』

アレハンドロ・ゴイクホルヘ・ベレート(『ザ・クラブ』『家政婦ラケルの反乱』)、

パブロ・デルキ友人ビクトル・ペイ(『サルバドールの朝』『ロスト・アイズ』

マイケル・シルバ歴史家アルバロ・ハラ(『盲目のキリスト』)、

マルセロ・アロンソぺぺ・ロドリゲス(『ザ・クラブ』『No』以外の三部作)、

ハイメ・バデル財務大臣アルトゥーロ・アレッサンドリ(『ザ・クラブ』

   「ピノチェト政権三部作」

フランシスコ・レイェスビアンキ(『ザ・クラブ』

アントニア・セヘルス:(「ピノチェト政権三部作」以降のラライン全作)

アンパロ・ノゲラ:(「ピノチェト政権三部作」)

 

          ネルーダは「チリの国民的ヒーロー」か?  

 

A: ラテンビートで鑑賞できず、先日やっと観てきました。ラテンビートのパンフレットには「チリの国民的詩人」、映画パンフには「英雄的ノーベル文学賞詩人」と紹介されていますが、ちょっと待ってよ、と言いたいですね。ラライン監督によると「ノーベル賞作家とはいえ、自分を神格化する傾向があり、チリ人はそういうタイプの人間を好まない」と言ってますからね。紹介記事の繰り返しになりますが、「ネルーダはネルーダを演じていた、自分がコミュニズムのイコンとして称揚されるよう逃亡劇をことさら曖昧にして、詩人自らが神話化」した。

B: 彼はコミュニストだったから、チリの保守派にはネルーダ嫌いが少なからずいるとも語っている。つまり、結構多いということです。

 

A: 時代背景も重なるホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』の中では、当時の若い詩人たちが心酔していたのはニカノール・パラで、ネルーダはクソミソだった。

B: さらに、そのホドロフスキーもチリでは嫌われているようですね。「預言者郷里に容れられず」というのは普遍的な真理です。

 

A: 主人公は逃亡者ネルーダか、追跡者オスカル・ペルショノーか、だんだん二人は似てきて同一人物にも思えてくる。一体オスカル・ペルショノーとは何者かとなってくる。

B: サスペンスといっても、ネルーダが捕まらなかったことは歴史上の事実、だから観客は全然ドキドキしない。ドキドキしないサスペンス劇など面白くない。

A: では何が面白いのかと言えば、いつも一歩手前で逃げられてしまう間抜けな追跡者オスカルを語り部にしているところで、そのモノローグはネルーダの詩が主体となっている。

 

      

         (アラビアのロレンスの衣装を纏い詩を朗読するネルーダ)

 

B: オスカル役のガエル・ガルシア・ベルナルが「豊かなネルーダの詩の読者を失望させないと思う」と語っていたように、ネルーダの詩と言葉が主役なんですね。

A: 映画に限らず詩の翻訳は厄介です。何回か引用された『二十の愛の詩と一つの絶望の歌』や『マチュピチュの頂』、逃避行の最中に詩作した『大いなる詩』など、それぞれ複数の翻訳がありますから参考にしたか、字幕監修者の翻訳かもしれません。

  

          自分自身を誰よりも愛した男、副題 <大いなる愛の逃亡者>

 

B: 代表作『大いなる詩』に引っ掛けたのか、やはりおまけの副題がつきました。ネルーダと言っても何者か分からないから仕方がないかもしれない。

A: しかし、ネルーダが何者か知らない人は映画館まで足を運ばない。どうしても付けたいなら、いっそのこと<大いなる詩の逃亡者>としたほうが良かった。愛の逃亡者じゃないからね。

B: 観ていてつくづく思ったのは、ネルーダは目立ちたがりやの自分勝手な男、女好きの貴族趣味、愛していても足手まといになりそうな妻デリアを体よく追い払った自分自身を誰よりも愛した男だったということでした。

 

A: ネルーダの神格化を打ち壊そうとするラライン監督の意図は、ある意味で成功したわけです。1943年メキシコで結婚した画家デリア・デル・カリル18851989)は、アルゼンチンの上流階級出身、ヨーロッパ生活が長く、独語・仏語・英語ができた。1935年チリ領事だったネルーダとマドリードで知り合ったときには既に50歳だったが30歳にしか見えなかったと言われる。

B: 若いときの写真を見ると凄い美人です。ルクレシア・マルテルの「セルタ三部作」に出演したアルゼンチンのベテラン女優メルセデス・モランが好演した。ラライン映画は初出演でしょうか。

 

            

               (ネルーダとデリア、1939年)

 

A: 出会ったときには既にヨーロッパで画家として成功しており、映画にも出てくるピカソをネルーダに引き合わせた女性。キャリアを封印し、私財のすべてをつぎ込んでネルーダを支え、ヨーロッパの知識人をネルーダに紹介した。チリでは離婚は法的に認められていなかったから、ネルーダとは日本でいう内縁関係です。正式の妻は1930年に結婚したオランダ人のマルカ・ハゲナーでした。

B: オスカルがネルーダを貶めようとラジオ出演に引っ張り出してきた女性ですね。しかし彼女はチリに住んでいたのですかね。

      

        

        (髪型を似せたデリア=モランと少し太めのネルーダ=ニェッコ)

 

A: 正確なビオピック映画ではないからね。マルカ・レイェスまたはマルカ・ネルーダの名前で引用される女性、1934年に水頭症の娘が生まれるが2年後別居している。離婚手続きは1942年、当時総領事だったメキシコでマルカ不在のまま行われた。それで映画でも「私が妻です」と言っていたわけです。娘は19438歳で亡くなっている。

 

B: チリから一緒に脱出できなかったデリアも、その後ヨーロッパでの活動を共にしています。

A: しかしネルーダはカプリ島やナポリ潜伏中には、既に3人目となるマティルデ・ウルティアと一緒だった。夫の浮気には寛大すぎたデリアもプライドを傷つけられ、「愛もここまで」と思ったかどうか分かりませんが、自分自身を誰よりも愛した男とは1955年に関係を解消、画家として再出発している。

 

B: 『イル・ポスティーノ』に出てくる女性は、この3番目の女性マティルデを想定している。

A: 彼女もマルカがオランダで死去する19653月まで、チリでは法的に妻ではなかった。翌1966年、彼女のために建てたと言われるイスラ・ネグラの別荘で、晴れて二人は結婚式を挙げることができました。

B: 現在ネルーダ記念館として観光名所の一つになっている。

 

       脚本家ギジェルモ・カルデロンの独創性、映画の決め手は脚本にあり?

   

A: 劇場公開は大分遅れました。それでも公開されたのは『No』の主人公を演じたG.G.ベルナルと、公開が先になった『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』のお蔭と思います。ケネディ夫人にナタリー・ポートマン、何よりも言語が英語だったのが利いた。

B: 英語だと公開が早い。しかし邦題には呆れるくらい長い副題がつきました。G.G.ベルナルは『No』では選挙には勝つが、家庭的には妻を失うという孤独な役柄でした。本作でも損な役回りでしたが、演技が冴えて相変わらず魅力的でした。

 

     

   (二人の追跡者オスカル=G.G.ベルナルと部下マルティネス=ディエゴ・ムニョス

 

A: さて本作は、194893日の共産党非合法化から始まりますが、それ以前のネルーダについては語られない。つまり1934年外交官としてスペインに渡り内戦を目撃したこと、チリ帰国が1943年、上院議員当選が19453月、間もない7月に共産党入党などは飛ばしてある。チリ人でも少しオベンキョウが必要か。

B: 勿論伝記ではないと割り切れば知らなくてもよい。1949年初めに「ネルーダ逮捕令」が伝わり地下潜伏を余儀なくされる。サンティアゴを脱出、ロス・リオス州バルディビアなどを転々とするが、ネルーダは無事脱出させようとする妻や友人たちを尻目に好き勝手をする。

 

    

  (左から、パブロ・デルキ、メルセデス・モラン、ルイス・ニェッコ、マイケル・シルバ

 

A: メインは1949年秋からのフトロノ・コミューンからアルゼンチンへ抜ける馬上脱出劇。このマプチェ族の共同体フトロノは、ロス・リオス州ランコにある4つのコミューンの一つです。実際はここに数ヵ月潜伏していたようです。主人が協力する理由を現政権への恨みと言わせている。

B: 追跡劇の後半は、オスカルがネルーダにからめとられて二人は一体化してくる。

A: オスカルの出自を娼婦の息子とし、さらに父親をチリ警察の重要人物としたことでドラマは動き出す。このかなり奇抜な設定が成功した。脚本家ギジェルモ・カルデロンを評価する声が高い。生後1ヵ月で実母を亡くしたネルーダの孤独と貧しさ、それに打ち勝つ抜け目のなさ、モラル的な不一致、二人は似た者同士なのだ。

 

B: 監督も「この映画はギジェルモの脚本なくして作れなかった。自分で書くのを無謀だとは思わなかったが、結局彼の助けを呼ばなければならなかった」と語っている。

A: 娼婦に産ませた子供を認知して同じ姓を名乗らせるという設定にびっくりしましたが、これで自由に羽ばたけるようになったのではないか。詩人の人物像を描くのが目的ではない擬似ビオピック映画なんだから。

B: どうせなら遊んじゃえ、ということかな。

 

A: 監督夫人のアントニア・セヘルスは、逃亡前の酒池肉林のどんちゃん騒ぎのシーンで楽しそうに踊っていた女性の中の一人かな。

B: 彼女にしては珍しい役柄です。大戦後の混乱が続いていたヨーロッパやアジアと違って、参戦しなかったチリは経験したことのない豊かさだった。ホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』でも描かれていた。

 

A: ララインの「ピノチェト三部作」全作に出演しているララインお気に入りのアンパロ・ノゲラは、確信ありませんが共産党員の女性労働者に扮した女優と思います。

B: ネルーダにキスしようとして、デリアから窘められる女性ですね。

A: 他にラライン映画の全作に出演しているアルフレッド・カストロ、ネルーダ脱出に尽力する友人ビクトル・ペイパブロ・デルキ歴史家アルバロ・ハラマイケル・シルバ、チリ、スペイン、アルゼンチンのベテランと新人が起用されている。

 

B: チリ組は『ザ・クラブ』(LB2015)出演者が大勢を占めるほか、マイケル・シルバはクリストファー・マーレイの『盲目のキリスト』(LB2016)で主役を演じている。

A: ラテンビートにはマーレイ監督が来日、Q&Aに出席してくれた。ピカソ役のエミリオ・グティエレス・カバはアレックス・デ・ラ・イグレシアの映画でお馴染みです。アルトゥーロ・アレッサンドリやピノチェトのような実在した政治家や軍人もさりげなく登場させて、観客を飽きさせなかった。今回も製作はフアン・デ・ディオス・ラライン、兄弟の二人三脚でした。

B: オスカル・ペルショノーがどうなったかは、映画館で確認してください。

 

       

 (ネルーダ逮捕を命じるビデラ大統領役のアルフレッド・カストロ)

 

  

                         (撮影中のラライン監督)

 

『ザ・クラブ』の紹介記事は、コチラ2015222同年1018

『盲目のキリスト』の紹介記事は、コチラ2016106

   

 『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者Nerudaデータ

製作:Fabula(チリ) / AZ Films (アルゼンチン) / Funny Balloons () / Setembro Cine (西)他多数

監督:パブロ・ラライン

脚本:ギジェルモ・カルデロン

編集・音楽エディター:エルヴェ・シュネイ Hervé Schneid

撮影:セルヒオ・アームストロング 

音楽:フェデリコ・フシド

プロダクション・デザイン:エステファニア・ラライン

プロダクション・マネージメント:サムエル・ルンブロソ

製作者:フアン・デ・ディオス・ラライン、ほか多数

チリ=アルゼンチン=スペイン=フランス合作、スペイン語、2016年、107分、伝記映画、カンヌ映画祭2016「監督週間」正式出品、2017アカデミー賞外国語映画賞チリ代表作品、公開:チリ2016811、日本20171111

 

サンティアゴ・ミトレの『サミット』*ラテンビート2017 ⑧2017年10月25日 21:15

                リカルド・ダリンのために作られた映画ですか?

    

 

★今年のラテンビートは、『スキン』のごたごた、『夏、1993』のドタキャンなどもあり、ドキュメンタリーを除けば、まるでアルゼンチン映画祭のようでした。サンティアゴ・ミトレの長編第3『サミット』は、リカルド・ダリンの映画と言い換えてもいい。凡庸な政治家の真の姿が後半になって突然浮き上がる、結構手の込んだエンターテイメントでした。ダリンやメキシコ大統領に扮したダニエル・ヒメネス=カチョが着用していたスーツもピシッと決まっていました。カンヌ映画祭2017「ある視点」正式出品作品、邦題は La coldillera の英語題 The Summit のカタカナ起こし。

監督キャリア、プロット、キャスト、スタッフなどの紹介は、コチラ2017518

 

        

          (サンティアゴ・ミトレ監督とドロレス・フォンシ)

 

A: リカルド・ダリンは、第65回サンセバスチャン映画祭SIFFドノスティア賞という栄誉賞を受けました。ラテンアメリカ初の受賞者でしたが、納得の受賞です。「ダスティン・ホフマンのような世界の映画史に残るスターが貰った賞を自分も貰えるなんて」と感激、謙虚な人ですね。ホフマンは第60回の受賞者でした。それで『サミット』が特別上映された。

B: 授賞式間際の慌ただしいサンセバスチャン入りでした。

 

A: 昼間はマドリードでアスガル・ファルハーディのスリラー Todos lo saben の撮影、夜は舞台と走り回っていたようです。ディエゴ・レルマンの『家族のように』にでも触れましたように、これはバルデム=クルス夫婦が主演する期待の映画、バルバラ・レニーも共演します。

B: 授賞式では本作で娘役を演じた監督夫人でもあるドロレス・フォンシがトロフィーのプレゼンテーターになりました。映画の中では複雑な父娘関係を演じましたけど。

 

    

        (ドノスティア賞のトロフィーを手にしたリカルド・ダリン)

 

A: 二人は先だって公開されたセスク・ゲイ『しあわせな人生の選択』(原題 Truman、この邦題 mierda)では従兄妹同士、マルティン・オダラ『黒い雪』(邦題 NetfrixNieve negra)では兄妹(しかしスクリーンでの接点はない)、雪に閉ざされたパタゴニアに暮らす或る狩人一家の愛憎劇。近親相姦、兄弟殺し、土地の有力者の事件隠蔽、父子間の憎悪など、フラッシュバックを入れてアルゼンチン社会の閉鎖性、後進性をひたすら描いた気分の重くなる作品。

B: ダリンの弟に『キリング・ファミリー』(アドリアン・カエタノ監督)のレオナルド・スバラグリア、精神を病む妹をドロレス・フォンシが演じた。

 

   

      (パタゴニアの森で世俗を拒んで暮らす狩人役のダリン、『黒い雪』から)

 

A: 多分初顔合わせはファビアン・ビエリンスキーのクライム・スリラー El aura / The Aura05)だったかもしれない。本作発表後の2006年、心臓発作で47歳の若さで急死した監督。

B: 監督と主役のダリンが国内外の映画賞を山ほど獲得、日本でも公開が期待されたのでした。

A: もしかしたら没後何年とかのミニ映画祭で上映されているかもしれない。ダリンは完全犯罪を目論む癲癇もちの剥製制作者になる。『黒い雪』の狩人と風貌が似ていますが、本質はまったく別もの。本質が似ているのは、イタリア製の有名ブランドのスーツに身を包んだ『サミット』のアルゼンチン大統領エルナン・ブランコのほうかもしれない。

 

B: ダリンはビエリンスキーの『華麗なる詐欺師たち』DVD邦題、2000Nueve reinas / Nine Queens)に続いての出演でした。

A: 少しも華麗な詐欺師ではなかったのですが、DVD特有の邦題でした。というわけで愛すべき人物から心に闇をもつ人物、シリアス・スリラーからブラック・コメディまで演技の幅は広い。

B: まだまだ引き出しの中には、今までとは違うお宝が眠っていそうです。ダリンのために作られた映画です。

 

A: 『サミット』のなかで父娘で歌うシーンがありましたが、ミュージカル映画はないかな。

B: 仲が良いのか悪いのか、真実を語っているのは父親なのか娘なのか、娘の精神不安定の原因は過去に起きた或る事件がほのめかされるが、どうやら父親が関与しているようだ。

A: 炙り出し役の精神科医ガルシアをアルフレッド・カストロが演じた。友情出演の印象でしたが彼が登場するとスクリーンがしまる。ダリンといい勝負なのがカストロ、次のドノスティア賞の最有力候補者です。ラテンビートの前半で上映された『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』では、共産党根絶を政治使命とする、当時の大統領ガブリエル・ゴンサレス・ビデラに扮した。

 

B: パブロ・ラライン映画の全てに出演している実力者。「ネルーダ」で触れましょう。

A: ラテンアメリカ諸国「サミット」を大舞台にした政治的スリラーですが、サミットは大道具、どうでもよいとは言いませんが、メイン・テーマではないですね。

 

         

         (催眠療法で治療中の大統領令嬢役のドロレス・フォンシ) 

 

              豪華なキャスト陣の根回しに苦労する?

        

B: ラテン諸国の大統領が大勢出てきますが、ブラジルとメキシコ以外は影が薄い。大金をかけて3000メートル級の5つ星ホテル「バジェ・ネバド」を舞台にする必要があったのかどうか。

A: アルゼンチンから60ヵ所のカーブをぬって到着した俳優陣や撮影スタッフは、多くが高山病に罹って、仕事の合間に床に寝転がっていたとか。結局「サミット会議」の本番は、ブエノスアイレスのシェラトン・ホテルで撮影した。

B: カンヌでは賞に絡めず、2018年のアカデミー賞外国語映画賞アルゼンチン代表作品も『サマ』に譲り、思惑が外れました。

A: アカデミー賞を意識してか、ハリウッド俳優クリスチャン・スレイター(デレック・マッキンリー役)を参加させたのにね。

 

   

     (ブラジル一強を避けたい米国と秘密会合に臨む、マッキンリーと大統領)

 

B: メキシコ大統領役のダニエル・ヒメネス=カチョは、マルテルの『サマ』の主人公、エル・ドラドの狂気のアギーレの後継者役でしたが、ここではイタリアン・テーラードのスーツで身を固めた策士を演じました。

A: この映画の面白さは、各国の立ち位置をそれなりに押さえているところです。天国からは見放され、米国に一番近い国メキシコの苦悩を代弁していた。

B: 石油採掘の技術はブラジルが持っている。欧米列国が重視する国はブラジルをおいてほかにない。ベネズエラやボリビアのように埋蔵量があるだけでは話にならない。

A: 各国ともブラジルの言いなりになりたくないから、最後はブラック・コメディでした。自分が大統領を牛耳っていると思っていた、ヘラルド・ロマノ演ずるアルゼンチン首相が、見事に梯子を外されました。人を見掛けで判断してはいけないという教訓を含んだお話でした。

 

    

 (イタリアン・テーラードの背広で武装したメキシコ大統領役のダニエル・ヒメネス=カチョ)

 

B: ドロレス・フォンシ以外の女優陣のなかで一番重要なのが、個人秘書役ルイサ役のエリカ・リバスです。どうやら大統領の過去の秘密を握っている。

A: ダミアン・ジフロンの『人生スイッチ』最終話で、嫉妬で大騒動を巻き起こす花嫁になった女優。ここでは権力を操縦する賢い人物を演じた。アルモドバルのミューズを卒業したエレナ・アナヤ、各国の大統領にインタビューする新聞記者になった。

B: チリ大統領役のパウリナ・ガルシア、それぞれ認知度も演技力も申し分なしでした。

 

    

                 (表の顔で挨拶を交わす二人の大統領、ダリンとガルシア)

  

    

 (大統領にインタビューする記者エレナ・アナヤ)

 

      「私は常に真実を語っている嘘つきです」とリカルド・ダリン

 

A: 撮影は『人生スイッチ』を手掛けたハビエル・フリア、音楽はアルモドバルの絶大な信頼を受けているアルベルト・イグレシアス、ゴヤ賞胸像のコレクターでした。

B: アルゼンチン、フランス、スペイン合作の大作、果たして公開してもらえるでしょうか。

 

  

 (大統領令嬢役のドロレス・フォンシ)

 
    
(大統領個人秘書役のエリカ・リバス)

 

A: さまざまな役柄を演じてきましたが、その一部は悪い部分を含めて私のなかにあり、そのことを自分は気づいている。大切なのはそれを取りのぞいて、新しい人格に吹き込んでいくことです。いつも上手くいくとは限りませんが、どこに向かって行こうとしているかを押さえるようにしています。「リカルド・ダリンは何者?」とのエル・パイス紙の質問には、「私は常に真実を語っている嘘つきです」と返答しました。分かったようで分かりません(笑)。


ディエゴ・レルマンの『家族のように』*ラテンビート2017 ⑦2017年10月23日 16:30

                バルバラ・レニーの力演は報われたか?

 

★前回ルクレシア・マルテルの『サマ』の原作者アントニオ・ディ・ベネデットを紹介したおりに、彼が軍事クーデタ勃発の1976324日に、ビデラ将軍率いる軍事評議会によって即日逮捕されたことに触れました。その同じ日に産声を上げたのが本作の監督ディエゴ・レルマンでした。フィルモグラフィについては、当ブログでは度々触れていますので、紹介はそちらに譲りますが、アルゼンチンの若手監督としては実力派の一人に数えてよいでしょう。

『家族のように』の内容、監督紹介記事は、コチラ2017932014511

 

   

 

A: 今年のサンセバスチャン映画祭SIFFに正式出品されたディエゴ・レルマンの第5Una especie de familia 『家族のように』の邦題で上映されました。SIFFには主なスタッフ、キャストが揃って現地入りして金貝賞を狙いましたが、監督と共同執筆者マリア・メイラの脚本賞受賞にとどまりました。個人的にはちょっと意外でしたが、アルゼンチン社会の非合法養子縁組にメスを入れ、スリラー仕立てで観客を飽きさせなかったことが評価されたのかもしれない。

B: 養子縁組法の不備を利用した乳児の不正取引に医師や看護師、弁護士が絡んでいること、裏にはマフィアの存在がそれとなく暗示されていました。

 

    

         (トロフィーを手に喜びのレルマン監督とマリア・メイラ、授賞式にて)     

 

A: 女性医師マレナを演じたバルバラ・レニーの女優賞受賞を予想する批評家が多かったようですが、外れてしまいました。同じアルゼンチンからエントリーされたアナイ・ベルネリ Alanis で、子持ちの娼婦を演じたソフィア・ガラ・カスティリオーネが銀貝賞、その捨て身で運命に立ち向かうバイタリティーあふれる演技が審査員の心をつかんだようです。

B: ベルネリ監督も銀貝賞をゲット、監督賞と女優賞のダブル受賞でした。

A: これは追加作品、ときどきこういう番狂わせがあります。「初の女性監督受賞」とプレゼンテーターが紹介していましたが、こちらのほうが驚きでした。ディエゴ・レルマンの作品は、テーマが重く、マレナのヒステリックな母親願望の発端が観客に伝わりにくく、テーマ的にも少し欲張りすぎの感がありました。

 

     

     (バルバラ・レニーとディエゴ・レルマン監督、サンセバスチャン映画祭にて)

 

        「女性がもつ力強さと壊れやすさというか脆さに興味がある」 

 

B: レルマン監督が女性をヒロインにすることが多いのには、何か理由がありそうです。

A: ワールド・プレミアされたトロント映画祭でのインタビューで、「女性がもつ力強さと壊れやすさというか脆さに興味があり、男性中心の権力構造を描くドラマより興味がある」と語っていました。まさにマレナのような女性です。女性医師というステータス、中流家庭でなに不足なく育ち、教養も経済力もあるのに、死産という経験を契機に平常心を失って深みにはまっていく。

B: どうしてこんなにしてまで赤ん坊に執着するのか、最初は観客に分からない。

 

A: 本当のテーマが見えてくるのは、生みの親の家族が赤ん坊引き渡しに1万ドルを要求してからです。これは最初から仕組まれていた強請りだと、平常心なら即座にわかるはずです。

B: マレナの救世主だと思われていたコスタス医師が本性を現す瞬間ですね。これはドラマですが、アルゼンチンではこのような実態があるのでしょうか。

 

A: 製作の意図を「乳児養子縁組をした知り合いからそれとなく聞いて興味をもった。取材をして分かったことは、さまざまなケースがあって、証言もまちまちだった。そこで(舞台となった)ミシオネス州に出かけ、あらゆる階層の人々、自分の赤ん坊を売った母親、看護師、警官、裁判官、弁護士・・・」などから証言集めた。

B: 国の養子縁組法の複雑さと後進性、貧富の格差が、映画のような実態を生み出しているのですね。

A: 簡単に言えば、需要と供給のあるところ、必ずやお金が動き、意図したことではなかった裏社会との結びつきができてしまうということです。南米でもアルゼンチンは経済の二極化が激しい。

 

B: 養子をとって新しい家族をつくりたい人、経済的に子供を育てられないため我が子を手放す人がいるわけ。ここでは法的抜け穴の存在を知りながら、何の手も打たない国の責任が問われている。

A: 男性の存在が希薄ですね。出稼ぎ先で大怪我を負ったことにされたマルセラの夫、マレナとは別居しているような夫マリアノも、最初は携帯の声だけで姿を現さない。もともと夫は養子縁組に反対していたこと、別居していたことも分かってくる。

B: 既に夫婦の仲は壊れている。そのことがマレナの苛立ち、感情の激発の根源かもしれない。

 

      

     (主な登場人物が勢揃いした重要なシーン、左からマルセラの父、マレナ、

      生みの母親マルセラ、ペルニア、マレナの夫マリアノ、コスタス医師)

 

          ヒロインにバルバラ・レニーを選んだ理由は?

 

A: バルバラ・レニーは、両親が軍事独裁の手を逃れスペイン亡命中にマドリードで生れたが(1984)、生後すぐに民主化なったばかりのアルゼンチンに帰国した。しかし6歳で再びスペインに戻っている。スペイン女優だが、やはり両親の故国でもあるアルゼンチン映画に出演したいと思っていた。すんなり決まったわけではなく、紆余曲折を経ての決断だったようです。

B: マレナに命を吹き込むのに複雑すぎて時間がかかったということですか。

 

A: 母親になりたいために社会的、道徳的な規範を冒してまで人生の全てを賭ける役ですからね。実人生で自分がまだ子供をもったことがないのも躊躇の一因だった、とSIFFで語っていた。

B: 監督は監督で、アルゼンチンでも問題山積の地域、快適とは程遠いミシオネスでの撮影を案じていたようです。彼女の出演映画のほとんどを見て、強い印象を受けていたので粘った。

 

     

          (乳児誘拐の廉で留置所に入れられたマレナ、映画から)

   

A: 最初からバルバラを念頭に入れていたようですから。トロントのインタビューでは、彼女のことを「限度のない可能性を秘めた女優」とぞっこんでした。でもSIFFでは女優賞は逃した。カルロス・ベルムトの『マジカル・ガール』(14)でも取れず、SIFFとは相性が悪い。

B: 冷静さを取り戻したときのマレナ、狂気に走ったかのようなマレナ、そのアップダウンの演技にバルバルを疲労困憊させたと監督。あの謎めいた美しさはどこからやってくるのかなぁ。

    

     

              (赤ん坊に最後の別れの愛撫をするマレナ、映画から)

 

A: コスタス医師を演じたダニエル・アラオスは、ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーンの『ル・コルビュジエの家』で、不気味な隣りの男を演じた俳優。赤ん坊の生みの親になったヤニナ・アビラは映画初出演でしたが、我が子を手放す母親の微妙な心理状態を演じて上手かった。

B: 夫のクラウディオ・トルカチル、ブラジル女優のパウラ・コーエン、総じて良かったです。

A: 撮影期間が長かったこともあり、互いに信頼が生まれてチームワークが良かったのかもしれない。

 

B: スタッフでは、撮影監督ヴォイテク・スタロンの映像は際立ってました。

A: スタロンとは4作目になる Refugiado14)からタッグを組んでいる。1973年生れのポーランド人、主にドキュメンタリーで国際的に活躍している。夫の家庭内暴力から逃れて7歳の息子を連れて逃げ回る母親の話。物語も込み入って一筋縄ではいかないのだが、その映像の美しさは抜群だった。

B: 『家族のように』よりいいね。それに7歳の子供を演じた子役が上手すぎて、どうやって演技指導したのかと驚きました。他にも子供が大勢出演していて、レルマン映画では珍しい。

A: 東京国際映画祭で上映された第3作目の『隠れた瞳』10)とRefugiado と本作を「女性三部作」というらしいのだが、一応これで終りにしたいということです。

 

B: 一方バルバラ・レニーは、ラモン・サラサールの La enfermedad del domingo が来年1月スペイン公開が決定しています。

A: ハイメ・ロサレスの最新作 Petra主役のペトラ役)の撮影が終了したばかり。他に当ブログでも紹介したことのあるアスガル・ファルハーディの Todos lo saben にも出演する。『彼女が消えた浜辺』『別離』『セールスマン』などヒット・メーカーのイラン監督作品。主役はハビエル・バルデム、ペネロペ・クルス、それに加えてリカルド・ダリンという豪華版、いずれも2018年公開がアナウンスされています。

 

バルバラ・レニーのフィルモグラフィ紹介記事は、コチラ2016215


ルクレシア・マルテルの『サマ』を観てきました*ラテンビート2017 ⑥2017年10月20日 21:20

            『サマ』は音と映像がしのぎを削っている!          

 

  

A: 1回観ただけでアップは心もとないが、そうかと言って消化に時間をかけていると印象が薄れていくというわけで、勘違い覚悟で話すしかありません。ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』の主人公ミスター・クルツ、この小説を素材にしてフォード・コッポラが舞台をベトナム戦争に移して撮った『地獄の黙示録』のカーツ大佐などに思いを馳せる、観客を刺激する映画でした。

B: 各観客の受け止め方も、よく分からなかったが面白かった(!)という人、チロ・ゲーラの『彷徨える河』、ニュー・ジャーマン・シネマのヴェルナー・ヘルツォークの『アギーレ/神の怒り』を思い出したという人、当時の植民地支配の様子が興味深かったという人、さまざまでした。

 

A: アフリカで暮らしたことのあるフランスのクレール・ドニが撮った『美しき仕事』の主人公をドン・ディエゴ・デ・サマに重ねる批評家もいます。アルゼンチンでは、「チョー退屈」「半分寝ていた」「これをオスカー賞アルゼンチン代表作品に選ぶなんて」「良かったのは映像とショットだけ」と、批評家と観客の乖離が際立っています。

B: 観客に多くを要求する監督メキシコのカルロス・レイガダス映画と同じように、好き嫌いがはっきり分かれる監督です。

 

A: マルテル映画では音がセリフと同じくらい重要と感想を述べたのですが、賛同を得られませんでした。しかし、デビュー作の『沼地という名の町』以来、マルテル・ワールドではサウンドはセリフや映像と同じくらい重要です。

B: 本作でも鳥の鋭い鳴き声、虫や小動物がたてる音、波の音か風の音か分からないざわめき、遠くから響いてくる馬の蹄の音などが、やがて起こるであろう凄惨なシーンを観客に予告していた。

 

A: 音の密度の高さが際立っていました。デビュー作以来、マルテル監督とタッグを組んでいるサウンド・デザイナーのグイド・ベレンブラムと音作りに苦心したということです。自然音と錯覚させるような鳥や虫の声も概ね電子音だそうで、ミミックだったなんて驚きます。サウンドやリズムは、撮影を容易にしてくれるとも語っています。

 

      

         (サウンド・デザイナーのグイド・ベレンブラム)

 

B: 前作『頭のない女』でも、車に何か当たったような、または轢いたような鈍い音が印象的でした。それをきっかけにヒロインの心の崩壊が始まるのでした。

A: 恐ろしい映画でした。都合の悪いことは「見ないようにすれば、行ってしまう・・・ほら、行ってしまった」と、あったこともなかったことにしてしまう、アルゼンチン中流家庭の独善性を描いていた。前作と本作は時代も背景も全く異なりますが、自分の思い描いていた世界が崩壊しそうになっている主人公、ということでは似ています。前作では<待望>というテーマは語られませんでしたが。

 

B: 『サマ』の始まりも映像でなく音だったように思いますが。

A: 耳の錯覚を利用して不安を煽るシェパード・トーン、無限音階を使った。脳の勘違いを利用して聞く人に緊張を強いる。何か悪いことが起こるような予感を観客に与える効果がある。

B: ハリウッドではクリストファー・ノーランが好んで使用する。最近公開された『ダンケルク』もシェパード・トーンを多用、戦闘場面でCGは使用しなかったが、サウンドはシェパード・トーンだったそうです。

 

A: アントニオ・ディ・ベネデット192286)の小説では、音はどのように表現されているのか興味が湧きます。邦訳は Zama1956刊)も含めて1冊もないそうです。勿論誰かが翻訳中かもしれませんが、目下は皆無だそうです。前回データをアップしたときに書いたように、ボルヘスも認めている作家で、フリオ・コルタサルやエルネスト・サバトに並ぶ作家といわれているにしては寂しいかぎりです。

 

     

             (原作者アントニオ・ディ・ベネデット、マドリードにて)

 

B: 最近作品集「ボラーニョ・コレクション」全8巻が完結したばかりのロベルト・ボラーニョも、1980年代に読んで影響を受けたそうです。

A: 文章が多義的で翻訳しにくいということがあるのかもしれません。映画では、サマのクローズアップに、彼の内言をナレーションのようにつぶやかせるが、詩的な内言に原文はどうなっているのか、かなり訳しづらいのではないでしょうか。英訳本ですら2016年にニューヨークで出版されたばかりということですから。スペイン語を母語とする人口は4万人を越えますが、やはりマイナー言語なのでしょう。

 

    

             (クローズアップに内言が被さるシーン)

 

『サマ』のデータ、監督フィルモグラフィー、原作者アントニオ・ディ・ベネデットの記事は、

 コチラ20171013

 

 

        2016年はアルゼンチン独立宣言200年、『サマ』刊行60周年・・・

 

B: スペインからアルゼンチンが独立したのは181778日、2016年は独立宣言200周年だった。さらに『サマ』刊行60周年、ディ・ベネデット没後30周年と節目の年でした。、

A: さらに言えば、1976324日の軍事クーデタ勃発当日に、ディ・ベネデットが軍事評議会の手で即座に逮捕されてから40年目でもありました。彼は日刊紙「ロス・アンデス」の副編集長だったから、真相を暴かれることを封じるためにジャーナリストの逮捕は必然だった。

B: 逮捕後17ヵ月収監されており、釈放されたときは精神はずたずたにされていた。

 

A: 刑務所に閉じ込められ、拷問で痛めつけられ、銃殺刑で脅されても、平和的なヒューマニズムを貫いた作家だった、とボラーニョの評価も高いのですね。

B: 釈放の仲介をしたのが、ボルヘスとかエルネスト・サバトとか・・・

A: そんなことあり得ませんよ。「恐怖の文化」が蔓延していたアルゼンチンで信じる人はいないのではありませんか。ボルヘスはビデラ将軍を支持して体制側にいた人ですが、火中の栗を拾う人ではない。真相はドイツのノーベル文学賞(1972受賞)作家ハインリッヒ・ベルだったことが分かっています。当時ドイツでは、ディ・ベネデットの "El silenciero"1964刊)の翻訳が出版されていた。

B: ノーベル賞作家、言語はドイツ語というわけでベルの翻訳書はたくさん出版されています。

 

A: 作家で翻訳家のエスター・アレンによって英訳が5年ほど前から企画されていた。しかしマルテル監督が2016年完成をメドに映画化を準備中ということで、刊行は2016年後半と決定した。ところが映画が予定通りに進捗せず、仕方なく映画に先行して出版されたそうです。マルテル監督は Zama を読み始めたら目が釘付けになって、一気呵成に読んだと語っていました。

B: 日本では、『サマ』で初めて原作者の名前を知った観客が殆どだったと思いますが、ラテンアメリカ文学の「アンチ・ブーム」の優れた作家として故国では有名だった。

A: スペインでは2011年に、先述した "El silenciero" と、1969年刊の Los suicidas <待望の三部作>と銘打って刊行しています。勿論ディ・ベネデット自身に、そういう意図はなかった。

 

           ビクーニャ・ポルトはディエゴ・デ・サマの分身か?

 

B: 観客は18世紀末のコロニアル時代のパラグアイに時間を遡っていく。そしてスペイン国王によってアスンシオンに赴任させられた、主人公ディエゴ・デ・サマの孤独と待望を共有する。

A: ラテンアメリカの伝統的価値観、男性優位のマチスモがはびこる世界でも、本国出身のスペイン人と植民地生れのクリオーリョには歴然とした格差があり、クリオーリョのサマは差別される。2世紀前も現代も差別や不寛容は連綿とつづく。

B: 不始末をした部下が、サマの切望していたブエノスアイレスに転任できたのに、上司である自分がないがしろにされている理不尽を総督に問い詰めると、「彼はスペイン生れだから」と軽くいなされてしまう。

 

A: 総督は「サマが本国生れpeninsularではない」と言っている。人事異動はスペイン国王の気まぐれで行われるのであるが、総督はサマの異動嘆願書を握りつぶしていたようで、いくら待っても信書が届けられるはずはなかった。

B: 本国生れの総督は「私はスペインに転任できる」と、国王からの異動信書を誇らしげにサマに読み聞かせる。サマが切れてしまう瞬間です。

 

A: 悪名高い無法者ビクーニャ・ポルトの人格とサマの人格は、深いところで繋がっている。ビクーニャも部下たちも新世界で一旗揚げようとしていた。社会の欄外に追いやられるのは、いくら待っても夢は実現しなかった結果なのだ。

B: ビクーニャは伝説と化し、一人ではないのかもしれない。一人が死ねば次のビクーニャが生れ、ビクーニャは永遠に生き続けている。複数のビクーニャが存在するようにサマも複数存在する。

 

A: ビクーニャ・ポルトを演じたマテウス・ナシュテルゲールは、ブラジルの俳優、下記にキャスト紹介をアップしましたが、公開作品としてフェルナンド・メイレレスの『シティ・オブ・ゴッド』、ウォルター・サレスの『セントラル・ステーション』などに出演しています

B: ビクーニャ・ポルト討伐隊のキャプテンに扮したのがラファエル・スプレゲルブルド。

A: ラファエル・スプレゲルブルドは、ガストン・ドゥプラットとマリアノ・コーンが共同監督した『ル・コルビュジエの家』の主人公、クルチェット邸に住んでいた建築家役を演じた俳優です。舞台俳優出身ですが、脚本家、舞台演出家のほうがメインです。戯曲集も出版している。『サマ』出演は意外でした。

 

    

   (左端がサマ、中央の馬上の人がキャプテン、頭陀袋を持っているのがビクーニャ)

 

B: ビクーニャ討伐隊のはずが、討伐隊にビクーニャ本人が紛れ込んでいる。この地が魑魅魍魎の跋扈している世界であることを印象づける。

A: 本作ではビクーニャ・ポルトの人格はとても重要ですね。サマが最後にとった行動、功を焦るあまり討伐隊に志願する、これはあまりに愚かな行為、狂気の沙汰だった。結局サマは取り返しのつかない屈辱を受ける。かつての自分たちがしてきたことですが、既にスペインの栄光が瓦解していたことを暗示している。

 

B: 討伐隊の悲劇はシェパード・トーンによって、まず観客に届いてきます。悲劇の始まりはビクーニャではなかった。文明人と称するヨーロッパ人が、野蛮人と蔑んでいた先住民に翻弄されるというシニシズム。

A: サマにだけ身分を明かすビクーニャの狡猾さ。サマが裏切ることを見越して打ち明ける。悲劇はすでに準備されていた。時代に取り残され、社会の埒外に追いやられた、サマとビクーニャのフラストレーションは繋がっている。

 

         サマのドラマは決して実現しない昇任を待っている男の物語

 

B: サマはいわば落伍者、どうして英雄でなく落伍者の映画を撮ろうとしたのか。

A: 『サマ』は決して実現しない何かを待っているマッチョな男の物語、ここでは国王からの昇任通知を待っている。この「待ちつづけている」というテーマが面白い。

B: マチスモ文化のラテンアメリカで、この落伍者の人生を描くというアイデアは、不愉快で困難が付きまといます。サマは文字通り何も手にすることができなかった。

A: 女性はどっちみち権力の欄外にいたわけで、生き方を変えるのに棒で殴られることはない。ロラ・ドゥエニャスが演じたブランデー中毒のルシアナのように、夫の目を盗んで愛人やサマと戯れたり、思う存分贅沢を楽しめる。

B: 幸運なことに両手を失ったりしないですむわけですね。

 

      

 

 (サマをもてあそぶルシアナ・ピニャレス・デ・ルエンガ

 

A: ロラ・ドゥエニャスは、スペイン女優としては認知度が高いほうです。なんと言っても代表作はアメナバルの『海を飛ぶ夢』(04)です。愛にあふれていたが情緒的に不安定な実在の女性を演じて、ゴヤ賞主演女優賞を受賞した。

B: 一時期アルモドバル映画の常連でもあったが、脇役でも光る女優。今回の出番は多くありませんでしたが、マチスモの世界で生き延びる術を心得た退廃的な女性を演じた。サマ役のダニエル・ヒメネス=カチョも、よく目にする俳優。

A: 今年のラテンビートでは、サンティアゴ・ミトレの『サミット』で、抜け目のないメキシコ大統領を演じた。出演本数の多いベテランですが、アルゼンチン映画は初めてでしょうか。

 

B: エンド・クレジットで流れたポップ調のBGMは、物語とアンバランスな印象ですが。

A: わざとでしょうね。以前耳にタコができるほど聴いた覚えのある懐かしい曲でした。見ながら同じアルゼンチンのパブロ・トラペロが撮った『エル・クラン』のアンバランスを思い出していました。

B: 誘拐殺人を家業にしていたモンスター家族を描いた映画からは、予想もできないアップテンポな曲が流れてきた。

A: わざと視覚と聴覚を混乱させることを狙って、当時流行していたブリティッシュ・ポップスを使用したのです。トラペロにしろマルテルにしろ若い監督たちの感性は、オールド・シネマニアの意表を突いてきます。

 

B: 最後に「どうしてサマの映画を撮ろうとしたのか」

A: 「それは音と映像を用いて、甘美な後戻りのできない小旅行に出かけることは、人生においてそうザラにあることではないから」と監督。

B: 製作国9ヵ国、ロケ地8ヵ国、製作者28人という大所帯の遠足、大分お金が掛かったのではありませんか。

A: 撮影監督ルイ・ポサス、編集者ミゲル・シュアードフィンガー他、スタッフの協力があって実行できた遠足でした。

 

 

 主なキャスト紹介

ダニエル・ヒメネス=カチョ(ドン・ディエゴ・デ・サマ)、メキシコ、1961マドリード

 代表作『クロノス』『真紅の愛』『ブランカニエベス』『バッド・エデュケーション』

 『サミット』

ロラ・ドゥエニャス(ルシアナ・ピニャレス・デ・ルエンガ)、1971バルセロナ

 代表作『靴に恋して』『夢を飛ぶ夢』『ボルベール 帰郷』『トーク・トゥ・ハー』

マテウス・ナシュテルゲール(ビクーニャ・ポルト)、ブラジル、1969サンパウロ

 代表作『クアトロ・ディアス』『セントラル・ステーション』『シティ・オブ・ゴッド』

ラファエル・スプレゲルブルド(キャプテン・イポリト・パリィリャ)1970ブエノスアイレス

 代表作『ル・コルビュジエの家』、脚本家・舞台演出家、戯曲の翻訳を手掛けている。

フアン・ミヌヒン(ベントゥラ・プリエト)、アルゼンチン

ダニエル・ベロネセ(総督)、1955ブエノスアイレス、監督・脚本家・作家

ナウエル・カノ(マヌエル・フェルナンデス)

マリアナ・ヌネス、ブラジル(『ペレ 伝説の誕生』ペレの母親役)

 

ルクレシア・マルテルの新作『サマ』*ラテンビート2017 ⑤2017年10月13日 12:32

              どうしてサマの人生を撮ろうとしたのか?

 

  

★ラテンビートのサイトでも、ルクレシア・マルテル『サマ』が、第90回米アカデミー賞外国語映画賞のアルゼンチン代表作品に選ばれたニュースが掲載されました。もう、そういう季節なのでした。それはさておき、久々のマルテル映画がラテンビートにやってきます。出身地のサルタを舞台に撮った「サルタ三部作」の最終作『頭のない女』(2008)以来ですから約十年ぶりです。今年のブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭BAFICIZama が正式出品されたとき、記事にしようかどうか迷った作品。BAFICIは開催日がマラガとカンヌの両映画祭に挟まれているせいで優先順位が低い。アルゼンチンの作家アントニオ・ディ・ベネデットの同名小説 Zama1956年刊)の映画化。最大の関心は、どうしてマルテルが自国の優れた小説の映画化という、後戻りのできない新しい分野に斬りこもうとしたか、です。

 

Zamaの表紙)

  

★『頭のない女』はカンヌでブーイングを受けた映画ですが、これは映画祭向きではなかったと思います。そもそも監督は上映後すぐのQ&Aは好きじゃないと語っています。彼女の映画は観客が咀嚼というか消化する時間が必要だからでしょうか。というわけかどうか分かりませんが、今年のカンヌは素通りしました。秋のベネチア映画祭には、コンペティション外でしたがエントリーされ、ベネチアには監督、ディエゴ・デ・サマ役のダニエル・ヒメネス=カチョ、共演者のロラ・ドゥエニャスが現地入りしておりました。製作国はアルゼンチン、スペイン、メキシコ、ブラジルを含めて9ヵ国、プロデューサーもエグゼクティブや共同、アシスタントを含めて総勢28人、まともじゃないが全部は紹介できない。ラテンビートでは追加作品だったから、カタログ掲載が間に合わなかったようです。東京会場バルト9では最終回上映、鑑賞後改めてアップするとして、今回はデータ中心にしました。

 

   

 (左から、ロラ・ドゥエニャス、監督、ダニエル・ヒメネス=カチョ、ベネチア映画祭にて)

 

『サマ』 Zama2017

製作:Rei Cine(亜)/ Bananeira Films(ブラジル)/ LemmingFilm(蘭)/ Canana(メキシコ)/

   El Deseo(西)/ KNM(スイス)/ Louverture Films(米)他

   協賛:INCAAICAACNC(仏)、Netherland Filmfund(蘭)、Programa Ibermedia 他

監督・脚本:ルクレシア・マルテル

原作:アントニオ・ディ・ベネデットの小説 Zama 

撮影:ルイ・ポサス

編集:カレン・ハーレー、ミゲル・シュアードフィンガー

キャスティング:ナタリア・スミルノフ、ベロニカ・ソウト

美術:レナータ・ピネイロ

衣装デザイン:フリオ・スアレス

メイクアップ&ヘアー:マリサ・アメンタ(メイク)、アルベルト・モッチア(ヘアー)、他

音楽:グスタボ・モンテネグロ

プロダクション・マネージメント:フカ・ディアス、パブロ・Trachter

録音:グイド・ベレンブラム Guido Berenblum、マヌエル・デ・アンドレス、ホセ・カルダラロ、他多数

製作者:ヴァニア・カタニ、ベンハミン・ドメネク、サンティアゴ・ガリェリ、(エグゼクティブ)ガエル・ガルシア・ベルナル、アンヘリサ・ステイン、(共同)アルモドバル兄弟、エステル・ガルシア、パブロ・クルス、ルイス・ウルバノ、フアン・ベラ、他総勢28

 

データ:製作国アルゼンチン、スペイン、フランス、オランダ、USA、メキシコ、ブラジル、ポルトガル、レバノン、スイス、言語スペイン語、2017年。映画祭上映BAFICI、ベネチア、トロント、ニューヨーク、ロンドン、ムンバイ、釜山、各映画祭2017、他。撮影地はアルゼンチンの他、ブラジル、スペイン、フランス、メキシコ、ポルトガル、オランダ、米国など。公開アルゼンチン928日、スペイン2018126

 

キャスト:ダニエル・ヒメネス=カチョ(ドン・ディエゴ・デ・サマ)、ロラ・ドゥエニャス(ルシアナ・ピニャレス・デ・ルエンガ)、マテウス・ナシュテルゲール(ビクーニャ・ポルト)、フアン・ミヌヒン(ベントゥラ・プリエト)、ナウエル・カノ(マヌエル・フェルナンデス)、マリアナ・ヌネス、ダニエル・ベロネセ(総督)、カルロス・デフェオ、ラファエル・スプレゲルブルド(キャプテン・イポリト・パリィリャ)他

 

解説:ドン・ディエゴ・デ・サマは知らせを待ちつづけている。サマはスペイン国王により植民地統治のためパラグアイに派遣されてきていた。ブエノスアイレスへの異動信書を運んでくるはずの船を待ち侘び、地平線を見つめるのが日課だった。妻や子供たちと切り離され、時が永遠に止まってしまったかのような未知の世界で孤独を募らせていく。18世紀末の植民地時代を背景に、自分が思い描いていた世界が壊れそうになっていく男の物語。先述したようにアントニオ・ディ・ベネデットの同名小説 Zama1956年刊)の映画化。

 

   

        (ドン・ディエゴ・デ・サマ、ダニエル・ヒメネス=カチョ)

 

  

                       (国王の信書を待ちわびるサマ)


  
  (サマに戯れる役人の妻ルシアナ、ロラ・ドゥエニャス)

 

★物語も時代背景も全く異なるのに、前作『頭のない女』とテーマは似ているかなという印象です。これも運転中に何かを轢いたかもしれないという或るきっかけを境いに、自分の世界が壊れそうになっていく女性の話でした。『サマ』も自分が思い描いていた世界が壊れていく男の人生を描いている。孤独のなかで「待望に捉えられた」男の苦しさを描いている。

 

★原作者のアントニオ・ディ・ベネデットは、1922年メンドサ生れ、作家、ジャーナリスト、映画脚本家。日刊紙「ロス・アンデス」の記者として出発している。アルゼンチンのジャーナリズムで仕事をしていて、軍事独裁と無縁であった人は僅かでしょうか。彼は1976324日の軍事クーデタ勃発当日に、ロス・アンデスの編集室で逮捕されている。197794日に釈放されたときには精神がずたずただったという。その後すぐにフランスに脱出、マドリードに移って6年間の亡命生活を余儀なくされた。名ばかりとはいえ民主主義になった1984年に帰国したが、198610月に63歳で死去している。ディ・ベネデットはドストエフスキーやルイジ・ピランデルロ(1934年、ノーベル賞受賞)に魅了されて作家の道に進んだという。アルゼンチンではボルヘスも評価していた作家だそうで、フリオ・コルタサル、エルネスト・サバトと並ぶようですが、それにしては翻訳書が目下のところないのが不思議です。『サマ』の英訳も最近出版されたばかりのようです。

 

(アントニオ・ディ・ベネデット)

 

ルクレシア・マルテルLucrecia Martelの簡単紹介。19661214日、アルゼンチン北部のサルタ州生れ。長編デビュー作が『沼地という名の町』(2001La Ciénaga)、NHKが資金提供しているサンダンス映画祭でNHK賞を受賞した。他にハバナ映画祭サンゴ賞(作品賞)、ベルリン映画祭アルフレッド・バウアー賞、アルゼンチンのクラリン賞など受賞歴多数。日本では一度だけNHKBS)で深夜放映された。2作目が『ラ・ニーニャ・サンタ』(2004La niña santa)、カンヌ映画祭正式出品、クラリン賞、サンパウロ映画祭審査員賞など受賞している。本作は第1回ヒスパニック・ビート映画祭2004(現ラテンビート)で上映された。

  

   

          (ルクレシア・マルテル監督、ブエノスアイレスにて)

 

3作目がカンヌ映画祭でブーイングを受けたという『頭のない女』(2008La mujer sin cabeza)、しかし国内での評価は高く、アルゼンチン・アカデミー賞、シルバー・コンドル賞、またリマ映画祭審査員賞、リオデジャネイロ映画祭FIPRESCI賞などを受賞、ラテンビート2008で上映されました。プロデューサーが来日、質疑応答の機会がもたれたが、通訳が上手く噛みあわなかった。以上3作は、生れ故郷サルタが舞台だったことから、「サルタ三部作」といわれている。第4作が『サマ』です。短編、TVドキュメンタリーを除いています。

 

  

            (『サマ』撮影中のルクレシア・マルテル)

 

3作『頭のない女』については、現在休眠中のCabinaブログに感想をコメントしております。カビナさんのユニークな紹介記事は、コチラ

   http://azafran.tea-nifty.com/blog/2008/09/la-mujer-sin-ca.html

  

  

『ホーリー・キャンプ!』*ラテンビート2017 ④2017年10月07日 18:20

      大ヒット・ミュージカルの映画化、4年間で30万人が劇場に足を運んだ!

 

  

終了したばかりのサンセバスチャン映画祭2017Gala TVE」部門で上映されハビエル・アンブロッシハビエル・カルボ La llamada が、英題のカタカナ起こし『ホーリー・キャンプ!』の邦題で上映されます。サンセバスチャンでも少しご紹介しましたが、ラテンビート上映が決定したので追加いたします。201352Lara劇場でスタート、4年間で30万人の観客動員数を誇るロングラン・ミュージカルの映画化。劇場版も二人のハビエルJavierJavisハビス)が監督、脚本を手掛けました。二人ともTVシリーズに出演している俳優出身ですが、今回、揃って映画監督デビューしました。ハビエル・アンブロッシ(1984年マドリード)、彼のパートナーであるハビエル・カルボ(1991年マドリード)の息の合ったミュージカルが楽しめます

 

     

   (左から、アンブロッシ監督、カルボ監督、マカレナ・ガルシア、ベレン・クエスタ、

    アンナ・カスティーリョ、グラシア・オラヨ)

 

★キャスト陣は、『ブランカニエベス』のマカレナ・ガルシア、『オリーブの樹は呼んでいる』のアンナ・カスティーリョ、『KIKI~恋のトライ&エラー』のベレン・クエスタなどのぴちぴちガールズが出演します。グラシア・オラヨ(『気狂いピエロの決闘』)やセクン・デ・ラ・ロサ(『スガラムルディの魔女』)などアレックス・デ・ラ・イグレシア映画のメンバーが脇を固めています。いずれもラテンビートで上映された作品です他に舞台から引き続いて出演しているディオス(神様)役をイギリス出身のリチャード・コリンズ・ムーアが演じ、舞台同様人気を博しています。必要な時にはいつも居留守をつかう神様が目で見られるなんてね。

 

   La llamada Holy Camp !”) 2017 

製作Apache Films / Lo hacemos y ya vemos / Sábade Películas / スペイン国営放送TVE

監督・脚本:ハビエル・アンブロッシ & ハビエル・カルボ

音楽:Leiva

撮影:ミゲル・アモエド

編集:マルタ・ベラスコ

美術:ロヘル・ベリェス

衣装デザイン:アナ・ロペス・コボス

メイクアップ&ヘアー:シルビエ・インベルト、パブロ・モリリャス

プロダクション・マネージメント:ピラール・ロブラ

特殊効果:ラウル・ロマニリョス

視覚効果:ラモン・セルベラ、ギジェルモ・ゲレーロ 

製作者:ホセ・コルバチョ、キケ・マイリョ、ホルヘ・ハビエル・バスケス

   (エグゼクティブ)トニ・カリソサ、エンリケ・ロペス

 

データ:製作国スペイン、スペイン語、2017年、ミュージカル映画、109分、サンセバスチャン映画祭2017Gala TVE上映(927日)、スペイン公開929日、ラテンビート2017上映(108日)

 

キャスト:マカレナ・ガルシア(マリア・カサド)、アンナ・カスティーリョ(スサナ)、ベレン・クエスタ(シスター・ミラグロス)、グラシア・オラヨ(ベルナルダ尼)、リチャード・コリンズ・ムーア(ディオス)、セクン・デ・ラ・ロサ(カルロス)、マリア・イサベル・ディアス、エスティ・ケサダ、他

 

プロット解説:セゴビアにある「ラ・ブルフラ」のキリスト教のキャンプ、最近当地にやってきたばかりのベルナルダ尼は、歌でこのキャンプを乗り越えたいと思っている。若いシスター・ミラグロスは疑問を抱え、まだ迷いが残っている。十代のマリアとスサナは「スマ・ラティナ」と呼ばれるグループに属していて、罰を受けてキャンプに参加していた。ところがある夜のこと、ディオスがマリアの前に現れてからというもの、事態は一変した。だってディオスはホイットニー・ヒューストンが大好きなのだ。

 

      というわけで、ホイットニー・ヒューストンに大枚をはたいた

     

★神様に授けられた声とも天使の声とも称されたホイットニー・ヒューストンのレパートリー以外のカントリーやウエスタンも登場するようです。彼女のレパートリーを使うことは、20122月に世界を駆け巡った突然の訃報にも関係があるようです。直接の死因は薬物の多量摂取によるとしても、本当の理由はほかにあることはファンならずとも知っています。彼女は落ち着ける自分の居場所がなかったのですよ。さて、劇場版は大成功したとは言え、映画化への道は結構大変だったようです。それは「ホイットニー・ヒューストンの曲の権利が高額だったためだが、映画化のために最初に獲得した。劇場版と同じように『オールウェイズ・ラヴ・ユー』は許可されたが、『ステップ・バイ・ステップ』は難しかった。作曲家がヒューストンでなく、アニー・レノックスだったからです」とアンブロッシ監督。何度も手紙で熱烈に交渉して、数か月後にやっと許可が下りたということです。若い人だけでなく大衆に受け入れられたのは、似非信心ぶらない、お説教くさくない、クリスチャンのミュージカルだったからで、三つの鍵は、ほとばしる熱意、エネルギー、歓喜だと。物語は誠実で、魅力的、強さ、感謝に満ちている。

   

     

   (ハビエル・カルボとハビエル・アンブロッシ、サンセバスチャン映画祭2017にて)

 

★劇場版は201352日、マドリードのララ劇場で初演され、予想外の大当たりに興行主も驚いたという。マドリードからパレンシア、バジャドリード、バレンシア、ソリアなど合計30都市を巡業して回り、メキシコにまで遠征しています。ブロードウェイに舳先を向けてオフ・ブロードウェイで始まったミュージカルが、スペインでここ数年間で最も成功した舞台の一つに仲間入りしたということです。劇場版では、既に数々の賞を受賞している作品ですが、映画版でも来年のゴヤ賞に早くも候補の噂が出ています。特にベルナルダ尼に扮して軽やかなステップと声を披露したグラシア・オラヨのノミネーションは当たらずとも遠からずかも。

 

★キャスト陣は劇場版で出演したメンバーだったので、新しいシーンも加味したとはいえ、脚本の筋そのものは熟知していた。半面、慣れからくる甘やかしを忘れさせねばならなかったとアンブロッシ監督。スペイン語以外の言語やカメラの移動を調整したり、劇場版のロジックを忘れさせねばならなかった。ジャンルが異なるのだから、当然といえば当然の話ですよね。それぞれ複数の俳優が交代で舞台に立った。アンナ・カスティーリョが『オリーブの樹は呼んでいる』(イシアル・ボリャイン)の撮影で、ベレン・クエスタがKIKI~恋のトライ&エラー』(パコ・レオン)の撮影で降板したりした。その都度、涙の「さよなら公演」は大入り満員、観客が広くもない舞台に駆け上がり、舞台がはねた後も通りに繰り出し、朝まで騒ぎは静まらなかった由。つまり30万人のなかには3回、4回と見に来てくれたリピーターがいたということでしょう。経済不況と失業者の苛々ストレスが爆発したのかもしれませんが、舞台を見た観客はみんな喜びを分かち合い、幸せな気分になれたのでしょう。映画も同じだといいのですが。

 

       

         (ベレン・クエスタ、アンナ・カスティーリョ、映画から)

 

     ハビエル・アンブロッシ監督とマカレナ・ガルシアは実の兄妹

 

★作品の誕生は、「クリスチャンのキャンプで生まれるレズビアンの愛の物語を語りたかったからだ」とカルボ監督。そして「二人ともニューヨークのアンダーグラウンドのミュージカルが大好きだったからだ」とアンブロッシ監督。2012年のホイットニー・ヒューストンの訃報、ワールドユースデー(青年カトリック信者の年次集会)がスペインで開催され、ローマ教皇が訪問、マリア役のマカレナ・ガルシア(アンブロッシの実妹)の『ブランカニエベス』でのゴヤ新人女優賞受賞など、ヒットの種はあったようです。

 

   

            (マリア役のマカレナ・ガルシア、映画から)

       

★とはいえ舞台と違って映画となると観客の規模が大きくなるから、「とても不安、舞台の失敗より映画の失敗が怖い」とカルボ、「同じことだよ、ハビ。信念をもって思い切って挑戦したんだから」ともう一人のハビ。最近アンブロッシがカルボに正式にプロポーズしたようです。公開したばかりのスペインでの批評家の評価はまずまず、ラテンビートの観客の評価はどうでしょうか。

 

サンティアゴ・ミトレの『サミット』などが追加発表*ラテンビート2017 ③2017年09月17日 17:19

                やっと上映作品の全体像が見えてきました!

 

★タイムテーブルはまだ穴あき状態で不完全ですが、これで上映作品はほぼ決定したのでしょうか。新たに追加されたなかに、サンティアゴ・ミトレの第3 La cordillera が、英題のカタカナ起こし『サミット』の邦題で上映されることになりました。カンヌ映画祭2017「ある視点」に正式出品された折りに、当ブログでは作品紹介をしております。リカルド・ダリンがアルゼンチン大統領に扮して「ラテンアメリカ・サミット」に出席、チリ大統領には『グロリアの青春』のパウリナ・ガルシア、メキシコ大統領には『ブランカニエベス』のダニエル・ヒメネス=カチョ、ダリンの娘に『パウリーナ』のドロレス・フォンシ、他にエレナ・アナヤ(『私が、生きる肌』)、エリカ・リバス(『人生スイッチ』)などなど、見た顔が勢揃いしています。

 La cordillera の作品紹介の記事は、コチラ2017518

 

        

     (サンティアゴ・ミトレ監督とアルゼンチン大統領のリカルド・ダリン)

 

★主役のリカルド・ダリンが今年のドノスティア賞(栄誉賞)を受賞するので、スペシャル・プロジェクションとして『サミット』が上映されことになっています。ほかにドノスティア賞の受賞者は、イタリア女優のモニカ・ベルッチと、ベルギー出身だが第二次世界大戦中フランスに避難、フランス国籍の若々しい89歳のアニエス・ヴァルダです。ベルッチは代表作ジュゼッペ・トルナトーレの『マレーナ』2000)、ヴァルダはカンヌ映画祭2017(コンペティション外)の観客を沸かせたドキュメンタリーFaces Places (Visages, Villages)が上映されます。ヴァルダと孫ほど年の違う若い写真家でアーティストのJRが、フランスの田舎を旅してまわるお可笑しくて哀しい上質のドキュメンタリー。カンヌ上映後のオベーションが永遠に続いたとか。日本ではいつ劇場公開されるのでしょうか。第65回ということもあってドノスティア賞には以上3人が受賞します。 

 

 

                   (ベルッチの代表作『マレーナ』のポスター)

 

 
  
(お茶目なアニエス・ヴァルダとJR、映画から)
 

 ★他に、ハビエル・アンブロッシハビエル・カルボ La llamada が、英題のカタカナ起こし『ホーリー・キャンプ』の邦題で上映されます。『ブランカニエベス』のマカレナ・ガルシア、『オリーブの樹は呼んでいる』のアンナ・カスティーリョ、『KIKI~恋のトライ&エラー』のベレン・クエスタなどのぴちぴちガールズが出演します。2013年に30万人の観客を集めたという大ヒット・ミュージカルの映画化。監督は二人ともTVシリーズに出演している俳優出身、今回、揃って監督デビューしました。ハビエル・アンブロッシ(1984年マドリード)、ハビエル・カルボ(1991年マドリード)の若い監督、グラシア・オラヨ(『気狂いピエロの決闘』)やセクン・デ・ラ・ロサ(『クローズド・バル』)などアレックス・デ・ラ・イグレシア映画のメンバーが脇を固めています。サンセバスチャン映画祭2017Gala TVE」部門で上映される。

 

 

 (ベレン・クエスタ、アンナ・カスティーリョ、マカレナ・ガルシア、グラシア・オラヨ)

 

 

(左から、マカレナ・ガルシア、ハビエル・カルボ監督、アンナ・カスティーリョ、

 ベレン・クエスタ、グラシア・オラヨ、ハビエル・アンブロッシ監督)

 

★サンセバスチャン映画祭関連では、エドゥアルド・カサノバ『スキン』カルラ・シモン1993、夏』が、「メイド・イン・スペイン」部門で上映されます。このセクションは既にスペインで公開されて人気の高かった作品が選ばれるようです。ラテンビートではエントリーされませんでしたが、当ブログで作品紹介をしたなかに、スペイン公開と同時だったアレックス・デ・ラ・イグレシア『クローズド・バル』、マラガ映画祭でリノ・エスカレラが審査員特別賞と脚本賞を受賞した No sé decir adiós や、同映画祭の「ZonaZine」部門の作品賞・監督賞をダブル受賞した新人エレナ・マルティン Júlia ist などが選ばれています。

 No sé decir adiós の記事は、コチラ2017625

 Júlia ist の記事は、コチラ2017710

 

ディエゴ・レルマンの第5作*サンセバスチャン映画祭2017 ⑤2017年09月03日 14:52

   オフィシャル・セレクション第2弾、アルゼンチンからディエゴ・レルマン

 

★今年のオフィシャル・セレクションにノミネートされた4作は、スペイン語2作、バスク語、英語が各1作ずつと、例年とは少し様相が異なります。うちスペイン語はマヌエル・マルティン・クエンカの El autor ディエゴ・レルマン Una especie de familia 2作だけです。ディエゴ・レルマンは20代の半ばにモノクロで撮った第1作『ある日、突然。』(2002Tan de reoente)で「鮮烈デビュー」したアルゼンチンの監督。レイトショーとはいえ劇場公開され、その奇抜なプロットに驚かされました。エントリーされた新作は第5作目になります。

ラテンビート2017でも『家族のように』の邦題で上映が決定された。

 

  

 

    Una especie de familiaA Sort of Family2017

製作:El Campo Cine(アルゼンチン)/ Bossa Nova(ブラジル)/ 27 Films Production(独)/

   Bellota Films(仏)/ Staron Films(ポーランド) 協賛INCAA

監督:ディエゴ・レルマン

脚本(共同):ディエゴ・レルマン、マリア・メイラ

撮影:ヴォイテク・スタロン

編集:アレハンドロ・Brodersohn

音楽:ホセ・ビリャロボス 

キャスティング:マリア・ラウラ・ベルチ

美術:マルコス・ぺドロン

衣装デザイン:バレンティナ・バリ

メイクアップ:ナンシー・Marignac

プロダクション・マネジメント:エセキエル・ラボルダ、イネス・ベラ

製作者:ニコラス・Avruj(エグゼクティブ)、ディエゴ・レルマン、他多数

 

データ:アルゼンチン=ブラジル=ポーランド=フランス、スペイン語、2017年、90分、社会派スリラー、ロード・ムービー。撮影地カタマルカ州、ブエノスアイレス、ミシオネス州、201611月初旬クランクイン、12月末アップ。トロント映画祭2017コンテンポラリー・ワールド・シネマ部門上映98日、サンセバスチャン映画祭正式出品、アルゼンチン公開914

 

キャスト:バルバラ・レニー(マレナ)、ダニエル・アラオス(ドクター・コスタス)、クラウディオ・トルカチル(マリアノ)、ヤニナ・アビラ(マルセラ)、パウラ・コーエン(ペルニア医師)、他

 

プロット:ブエノスアイレスの中流家庭で育った38歳になる女医マレナのロード・ムービー。ある日の午後、ドクター・コスタスから直ちにアルゼンチンの北部に出立するよう電話が掛かってくる。待ち望んでいた赤ん坊の誕生が差し迫っているというのだ。マレナは逡巡しながらも、この不確かな旅に出立しようと決心する。行く手にはたくさんの罠が仕掛けられており、赤ん坊によってもたらされる予想外の高い代価や、自分が望んだものを手に入れるための限界はどこまでかを常に自問自答しながら、法にかなった道徳的な障害に直面する。私たちも新しい人生に立ち向かうマレナと一緒に旅をすることになるだろう。

 

★エグゼクティブ・プロデューサーのニコラス・Avrujによると、マレナは最近娘を亡くし夫とも別れている。母親になりたいが養子縁組のシステムが複雑で望みを叶えられない、という設定にした。養子縁組制度の欠陥という社会的問題にサスペンスの要素をミックスさせたドラマのようです。ミシオネス・ビジュアルアート研究所とアルバ・ポセ病院の協力を受けて撮影された。ミシオネスは北西をパラグアイ、北と東をブラジルと接している、アルゼンチンでも2番目に小さい州、パラナ、ウルグアイ、イグアスという大河が流れていて、河や密林の風景も映画の主人公のようです。 

   

   (赤ん坊を求めてミシオネスにやってきたマレナ役のバルバラ・レニー、映画から)

 

★デビュー作『ある日、突然。』前作 Refugiado も一種のロード・ムービーでしたが、本作でもヒロインはブエノスアイレスから北部を目指して旅をする。このラテンアメリカ映画に特徴的な「移動」は、たいていひょんなきっかけで突然やってくる。エル・パイス紙の記事によると、同じく金貝賞を狙う、ギリシャのアレクサンドロス・アブラナス Love me Not にテーマが類似しているという。あるカップルが若い移民女性を代理母として契約する。女性を彼らの瀟洒な別荘に招き、生活スタイルを教え楽しんでもらう。妻はある秘密を抱えているが表に出さない。夫が仕事に出かけた後、妻と女性は軽く飲んでドライブに出かける。翌朝、夫は妻が事故車のなかで焼死体となっていることを知らされる。大体こんな筋書です。両作に共通しているのは、これから生まれてくるはずの赤ん坊を待っていること、赤ん坊のメタファーに類似性があるようです。

 

★アレクサンドロス・アブラナス(1977、ラリッサ)は、第2Miss Violence が、ベネチア映画祭2013で監督賞(銀獅子賞)、フェデオラ賞(ヨーロッパ地中海映画)などを受賞している。ここでは深入りしませんが、Miss Violence もある秘密を抱えた少女の自殺をめぐる物語で、審査員や観客を魅了した。ディエゴ・レルマンと同世代の若手監督、ギリシャの次世代を担うだろう楽しみな監督です。Love me Not も賞に絡みそうな気がしますが、どうでしょうか。

 

 キャスト

★マレナ役のバルバラ・レニーは、アルゼンチン育ちのスペイン女優、アルゼンチン弁を克服して、『私が、生きる肌』『マジカル・ガール』『エル・ニーニョ』などに出演、日本での知名度も高いほうかもしれません。抜群のスタイルを生かしてモデル、映画にとどまらず舞台にも意欲的に出演、二足の草鞋派です。

バルバラ・レニーの主な紹介記事は、コチラ2016215

 

  

            (初めて赤ん坊を胸に抱くマレナ、映画から)

 

ダニエル・アラオスは、1962年コルドバ生れ。ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーンの監督コンビの第2作『ル・コルビュジエの家』(09)に初出演、不気味な隣りの男ビクトルに扮した俳優です。第3Querida, voy acomprar cidarrillo y vuelvo11)にも起用された。新作『笑う故郷』には出演しておりませんが、間もなく公開されます。クラウディオ・トルカチルは、1975年ブエノスアイレス生れ、公開作品では、パブロ・ヘンドリックの El Ardor14)に出演しています。ガエル・ガルシア・ベルナルがシャーマンに扮してジャングルでの撮影に臨んだ映画、新大陸にはタイガーは棲息していないのですが、『ザ・タイガー 救世主伝説』とまったく意味不明の邦題で公開されました。

『ザ・タイガー 救世主伝説』の記事は、コチラ20151218

 

   

       (打ち合わせをする製作者ニコラス・Avrujとダニエル・アラオス)

 

 スタッフ

ディエゴ・レルマン Diego Lermanは、1976年ブエノスアイレス生れ、監督、脚本家、製作者、舞台監督。産声を上げた324日が奇しくも軍事クーデタ勃発日、これ以後7年間という長きに及ぶ軍事独裁時代の幕が揚がった日でした。彼の幼年時代はまさに軍事独裁時代とぴったり重なります。体制側に与し恩恵を満喫し家族も少なからずいたでしょうが、レルマンの家族はそうではなかった。ブエノスアイレス大学の映像音響デザイン科に入学、市立演劇芸術学校でドラマツルギーを学ぶ。またキューバのサン・アントニオ・デ・ロス・バーニョスの映画TV学校で編集技術を学んでいる当ブログでは、カンヌ映画祭2014「監督週間」に第4作目 Refugiado 選ばれたときに、キャリアとフィルモグラフィーの詳細を記事にしておりますが3年前になりますので、今回再構成して下記に付録としてアップしています。

 

   

               (ディエゴ・レルマン監督)

 

★第4作から撮影を手掛けているヴォイテク・スタロンWojtek (Wojciech) Staron(ヴォイテクは男子名ボイチェフの愛称)は、1973年生れのポーランド人、主にドキュメンタリー国際的に活躍している撮影監督です。なかでメキシコで脚本家として活躍しているアルゼンチンのパウラ・マルコヴィッチ長編デビュー作 El premio がベルリン映画祭2011にエントリーされ、スタロンは銀熊賞(芸術貢献賞の撮影賞)を受賞しています自分の少女時代を送ったサン・クレメンテ・デル・トゥジュという湯治場を舞台に軍事独裁時代を少女の目線撮ったマルコビッチの自伝的要素の強い映画アリエル賞も受賞している

 

   

    (銀熊賞のトロフィーを手にしたヴォイテクスタロン、ベルリン映画祭2011

 

  

付録:ディエゴ・レルマンの長編フィルモグラフィー

2002 Tan de repente (アルゼンチン)『ある日、突然。』監督・脚本・プロデューサー モノクロ

2006 Mientras tanto(アルゼンチン)英題 Meanwhile 監督・脚本

2010 La mirada invisibleアルゼンチン==西『隠れた瞳』監督・脚本・プロデューサー

2014 Refugiado (アルゼンチン=ポーランド=コロンビア=仏)監督・脚本・プロデューサー

2017 Una especie de familia 省略

他に短編、TVドキュメンタリーを撮っている。

 

1Tan de repente ロカルノ映画祭銀豹賞、ハバナ映画祭金の珊瑚賞、ウエルバ・ラテンアメリカ映画祭銀のコロン賞、2003年にはニューヨーク・レズ&ゲイ映画祭でも受賞するなど多くの国際舞台で評価されました。まだ20代半ばという若さでした、計算されたプロットにはアメナバルデビュー当時を思い出させました。ユーロに換算すると4万ユーロという低予算で製作された。

 

2Mientras tanto :アルゼンチン映画批評家協会賞にValeria Bertuccelli が主演女優賞(銀のコンドル賞)、クラリン・エンターテインメント賞(映画部門)にもBertuccelli が女優賞、ルイス・シエンブロスキーが助演男優賞を受賞しましたが、レルマン自身はベネチア映画祭のベネチア作家賞にノミネートされただけでした。「アルゼンチンの『アモーレス・ペロス』版」と言われた作品。『僕と未来とブエノスアイレス』(04、公開06)のダニエル・ブルマンがプロデューサーの一人。

 

3La mirada invisible 東京国際映画祭2010で『隠れた瞳』の邦題で上映された。映画祭では監督と主演女優フリエタ・シルベルベルクが来日しました。マルティン・コーハンのベストセラー小説Ciencias Morales2007エライデ賞受賞)にインスパイアーされての映画化。従ってタイトルも登場人物小説とは異なり、特に結末が大きくっていました。軍事独裁制末期1982年のブエノスアイレス、エリート養成の高等学校が舞台でしたが、国家主義的な熱狂、行方不明者、勿論フォークランド戦争は出てきませんが、この学校がアルゼンチン社会のアナロジーと考えると、その「見えない視線」に監視されていた社会の恐怖が伝わってくるという仕掛けがしてあった彼の作品の中で軍事独裁が顕著に現れているのが本作です。かつてブエノスアイレスが「南米のパリ」と言われた頃に建築された建物が高等学校として採用され、それ自体が絵になっています。

 

★第4 Refugiadoカンヌ映画祭2014「監督週間」にノミネーション。7歳のマティアスと母ラウラに起こったことがマティアスの無垢な驚きの目を通して語られる。父ファビアンのドメスティック・バイオレンスDVを逃れて、身重の母とティトを連れた息子は安全な避難場所を求めて都会を彷徨い歩く都会をぐるぐる廻るスリラー仕立てのロード・ムービー。

 

   

     (市内を逃げまわるマティアスと母親役のフリエタ・ディアス、映画から)

 

ディエゴ・レルマンのキャリア&フィルモグラフィーの記事は、コチラ2014511


『あなたに触らせて』あるいは『スキン』*ラテンビート2017 ②2017年08月20日 15:39

          末恐ろしいエドゥアルド・カサノバのデビュー作

 

  

               (ピンクのシャツで全員集合)

 

エドゥアルド・カサノバのデビュー作 PielesSkinsは、ラテンビートでは英題の『スキン』ですが、ネットフリックス『あなたに触らせて』として既に放映されています。ネットフリックスの邦題は本作に限らずオリジナル・タイトルに辿りつけないものがが多く、これも御多分に漏れずです。セリフの一部から採用しているのですが・・・。ネットフリックスの資金援助とアレックス・デ・ラ・イグレシアカロリナ・バングの制作会社Pokeepsie Filmsキコ・マルティネスNadie es Perfecto後押しで、1年半という新人には考えられない短期間で完成できた作品。新プラットフォームの出現でスクリーン鑑賞が後になるというのも、時代の流れでしょうか。なおカロリナ・バングはプロデュースだけでなく精神科医役として特別出演しています。

 

ベルリン映画祭2017パノラマ部門マラガ映画祭正式出品の話題作。デフォルメされた身体のせいで理不尽に加えられる暴力が最後に痛々しいメロドラマに変化するという、社会批判を込めた辛口コメディ、ダーク・ファンタジー。好きな人は涙、受けつけない人は苦虫、どちらにしろウトウトできない。

 

   PielesSkins)『スキン』(または『あなたに触らせて』2017

製作:Nadie es Perfecto / Pokeepsie Films / Pieles Producciones A.I.E.

   協賛The Other Side Films

監督・脚本:エドゥアルド・カサノバ

撮影:ホセ・アントニオ・ムニョス・モリナ(モノ・ムニョス)

編集:フアンフェル・アンドレス

音楽:アンヘル・ラモス

録音:アレックス・マライス

録音デザイン:ダビ・ロドリゲス

美術・プロダクションデザイン:イドイア・エステバン

メイク&ヘアー:ローラ・ゴメス(メイク主任)、オスカル・デル・モンテ(特殊メイク)

        ヘスス・ジル(ヘアー)

衣装デザイン:カロリナ・ガリアナ

キャスティング:ピラール・モヤ、ホセ・セルケダ

プロダクション・マネジャー:ホセ・ルイス・ヒメネス、他

助監督:パブロ・アティエンサ

製作者:キコ・マルティネス、カロリナ・バング、アレックス・デ・ラ・イグレシア、他

視覚効果:Free your mindo

 

データ:スペイン、スペイン語、2017年、コメディ、ダーク・ファンタジー、77分、ベルリン映画祭2017パノラマ部門出品、マラガ映画祭2017セクション・オフィシアル出品(ヤング審査員特別賞受賞)、ビルバオ・ファンタジー映画祭上映。配給ネットフリックス190ヵ国放映、スペイン公開69日、ラテンビート2017予定。

 

プロット:普通とは異なった身体のため迫害を受ける、サマンサ、ラウラ、アナ、バネッサ、イツィアルを中心に、周りには理解してもらえない願望をもつ、クリスティアン、エルネスト、シモン、後天的に顔面に酷い火傷を負い再生手術を願っているギリェなどを絡ませて、「普通とは何か」を問いかけた異色のダーク・ファンタジー。人は「普通」を選択して生まれることはできない。しかし人生をどう生きるかの選択権は他人ではなく、彼ら自身がもっている。ピンクとパープルに彩られたスクリーンから放たれる暴力と痛み、愛と悲しみ、美と金銭、父と娘あるいは母と息子の断絶、苦悩をもって生れてくる人々にも未来はあるのか。

 

キャスト

アナ・ポルボロサ:消化器官が反対になったサマンサ(Eat My Shit『アイーダ』)

マカレナ・ゴメス:両眼欠損の娼婦ラウラ(『トガリネズミの巣穴』『スガラムルディの魔女』)

カンデラ・ペーニャ:顔面変形片目のアナ(『時間切れの愛』『オール・アバウト・マイ・マザー』)

エロイ・コスタ:身体完全同一性障害、人魚になりたいクリスティアン(TVCentro mrdico

ジョン・コルタジャレナ:顔面火傷を負ったギリェ(米『シングル・マン』TVQuantico

セクン・デ・ラ・ロサ:異形愛好家エルネスト(『クローズド・バル』 Ansiedad

アナ・マリア・アヤラ:軟骨無形成症のバネッサ

ホアキン・クリメント:バネッサの父アレクシス(『クローズド・バル』)

カルメン・マチ:クリスティアンの母クラウディア(『クローズド・バル』『ペーパーバード』『アイーダ』)

アントニオ・デュランモリス’:クリスティアンの父シモン(『プリズン211』『月曜日にひなたぼっこ』)

イツィアル・カストロ:肥満症のイツィアル(『ブランカニエベス』『Rec3Eat My Shit

アドルフォ・フェルナンデス:(『トーク・トゥ・ハー』)

マリア・ヘスス・オジョス:エルネストの母?(『スガラムルディの魔女』『ペーパーバード』)

アルベルト・ラング:(『トガリネズミの巣穴』『グラン・ノーチェ』)

ハビエル・ボダロ:街のチンピラ(『デビルズ・バックボーン』)

ミケル・ゴドイ:2017年の娼館のアシスタント

特別出演

カロリナ・バング:精神科医(『気狂いピエロの決闘』)

ルシア・デ・ラ・フエンテ

マラ・バジェステロ:2000年の娼館経営者(『アイーダ』)

 

  監督キャリア&フィルモグラフィ

エドゥアルド・カサノバEduardo Casanova19913月マドリード生れの26歳、俳優、監督、脚本家。人気TVシリーズ Aída「アイーダ」(0514)に子役としてデビュー、たちまちブレークして232話に出演した。他、アレックス・デ・ラ・イグレシアの『刺さった男』や『グラン・ノーチェ!最高の大晦日』、アントニア・サン・フアンの Del lado del verano などに脇役として出演している。

 

 

「アイーダ」に出演していた頃のカサノバ、ダビ・カスティリョ、アナ・ポルボロサ)

 

★監督・脚本家としては、2011年ゾンビ映画 AnsiedadAnxiety)で監督デューを果たす。この短編にはアナ・ポルボロサとセクン・デ・ラ・ロサを起用している。短編8編のうち、2014年の凄まじいメロドラマ La hora del baño17分)にはマカレナ・ゴメス、2015年のEat My Shit には再びアナ・ポルボロサが出演、長編 Pieles『スキン』のベースになっている。他に2016年にホセ・ルイス・デ・マダリアガをフィデル・カストロ役に起用して Fidel5分)を撮る。短期間だがハバナのサン・アントニオ・デ・ロス・バニョスの映画学校でビデオクリップの制作を学んでいる。カサノバによるとキューバや独裁者たちや紛争対立に興味があるようです。「アイーダ」での役名は偶然にもフィデル・マルティネスだった。

  

      ("Eat My Shit"のイツィアル・カストロ、監督、アナ・ポルボロサ)

   

    

          (エドゥアルド・カサノバ、ベルリン映画祭2017にて)

 

         冒頭から度肝をぬくマラ・バジェステロの怪演

 

A: 物語はドール・ハウスのようにピンクに彩られた「愛の館」から始まる。マラ・バジェステロ扮する娼館の女主人は、「本能は変えられない」と客のシモンを諭す。先ず彼女の風体に度肝をぬかれる。シモンは妻クラウディアが無事男の子を出産したことを確認すると妻子の前から姿を消す。この男の子がクリスティアンです。この親子がグループ1

B: クリスティアンは身体完全同一性障害BIIDという実際にある病気にかかっている。四肢のどれかが不必要と感じる病気です。彼の場合は両足がいらない、人魚のようになりたいと思っている。彼のメインカラーはパープルである。このピンクとパープルが一種のメタファーになっている。 

   

                 (「本能は変えられない」とシモンを諭す娼館のマダム)

 

  

A: このプロローグには作品全体のテーマが網羅されている。娼館マダムのマラ・バジェステロの風体にも混乱させられるが、その病的な理念「美とノーマルが支配する無慈悲な社会秩序を支えているマヤカシ」を静かに告発している。

B: 深い政治的な映画であることがすぐ分かるプロローグ。ただ苦しむために生まれてくるかのような人々の存在が現実にある。

 

   

                   (人魚になりたいクリスティアンのエロイ・コスタ)

 

    

(息子の葬儀に17年ぶりに邂逅する、クラウディアのカルメン・マチとシモン)

 

A: シモンは身体的に普通でない女性が好きなことを恥じている。女主人が紹介するのが目が欠損している当時11歳というラウラにたじろぐが、ラウラに魅せられてしまう。シモンはラウラに2個のダイヤの目をプレゼントする。シモンにはアントニオ・デュランモリス、ラウラには『トガリネズミの巣穴』のマカレナ・ゴメスが扮した。

B: ラウラのメインカラーはピンク、時代は17年後の2017年にワープして本当のドラマが始まる。

A: ラウラに肥満症のイツィアルが絡んでグループ2となる。イツィアル・カストロは、カサノバ監督のお気に入りで短編 Eat My Shit15)にも出演している。

 

 

                   (シモンからダイヤの目をもらったラウラ)

 

 
 (ラウラのダイヤを盗んだイツィアル)

 

B: この短編を取り込んで、サマンサを中心にしたグループ3に発展させた。サマンサのメインカラーはパープルです。

A: サマンサ役のアナ・ポルボロサが長短編どちらにも同じ役で出演している。消化器官が反対、つまり顔に肛門、お尻に口とかなりグロテスクだが、ポルボロサの美しさが勝っています。カサノバ監督とポルボロサは人気TVシリーズ「アイーダ」の子役時代からの親友、彼女のほうが2歳年上です。サマンサは外では人々の哄笑とチンピラの理不尽な暴力に屈している。なおかつ家では父親の見当はずれの過保護に疲れはて、悲しみのなかで生きている。

B: サマンサに倒産寸前の食堂経営者イツィアル、BIID患者のクリスティアンが絡んで、最終的にはエルネストに出会うことになる。

 

(サマンサのアナ・ポルボロサ)

 

           

        外見は手術によって変えられる―悪は自分の中にある

 

A: エルネストは外見が奇形でないと愛を感じられないシモンと同系列の人間。片目がふさがり頬が垂れ下がっているアナを愛している。母親はそんな息子を受け入れられない。エルネストはアナと一緒に暮らそうと家を出るが、賢いアナはエルネストが愛しているのは Solo me quieres por mi físico 外見であって内面ではないと拒絶する。

B: 外見は手術によって変えられる。アナが愛しているのは、顔面頭部全体が大火傷でケロイドになってしまっているギリェだ。これがグループ4で、アナのメインカラーはピンクです。

 

                          

                                                (アナのカンデラ・ペーニャ)

 


 

(監督とエルネスト役のセクン・デ・ラ・ロサ)

 

A: しかしギリェは偶然手に入れたお金をネコババして再生手術を受け、終局的にはアナを裏切る。アナもやっと自立を決意する。エルネストはアナのときはピンク、サマンサに遭遇してからは、パープルに変わる。相手に流される人物という意味か。

 

    

            (ギリェを演じたジョン・コルタジャレナ)

 

B: ギリェが愛していたのは美青年だった頃の自分自身だった。聡明なアナも見抜けなかった。アナ役のオファーをよく受けたと思いませんか。監督もカンデラ・ペーニャのような有名女優が引き受けてくれたことに感激していました。

A: 彼女はインタビューで、「エドゥアルドにはショックを受けた。こんな脚本今までに読んだことなかったし、比較にならない才能です。私の女優人生でも後にも先にもこんな役は来ないと思う」とベタ褒めでした。ラウラとアナの特殊メイクを担当したのがオスカル・デル・モンテ、2時間ぐらいかかるので、ヘアーも同時にしたようです。タイトルが「スキン」だから、常にスキン、スキン、スキンとみんなで唱えていたと、責任者のローラ・ゴメスは語っていた。冒頭に出てくる娼館マダムのヌードの意味もこれで解けます。

 

        本当の家族を求めるバネッサ、娘の幸せより金銭を求める父親

 

B: 低身長のバネッサは軟骨無形成症という病気をもって生まれてきた。今はピンクーという着ぐるみキャラクターとしてテレビに出演、子供たちの人気者になっている。しかし欲に目のくらんだプロダクション・オーナーと父親に酷使され続けている。

A: 体外受精で目下妊娠しているから胎児のためにも番組を下りたい。しかし娘の幸せより金銭を愛する父親は断固反対する。こんな父親は本当の家族とは言えない。このバネッサと父親、札束で頬を叩くようなオーナーが最後のグループ5です。ここにギリェが絡んだことでアナは目が覚める。

B: このグループの社会批判がもっとも分かりやすい。バネッサのメインカラーはピンクです。

 

   

            (ピンクーの着ぐるみを着せられるバネッサ)

 

A: この映画のメタファーは差別と不公正だと思いますが、こういう形で見せられると悪は自分の中にあると考えさせられます。

B: 固定観念にとらわれていますが、普通とは一体何かです。

A: 「常に母親という存在や先天的奇形に取りつかれている」という監督は、登場人物たちは自分の目的を手に入れるために乗り越えねばならない壁として先天的奇形を利用していると言う。肌に触れたい登場人物には目を取りのぞく(ラウラ)、あるいはキスをしたい登場人物には口を取り去ってしまう(サマンサ)ように造形した。

 

B: スクリーンがパステルカラーに支配されているとのはどうしてかという質問には、「なぜ、ピンク色かだって? いけないかい? 僕の家はピンク色なんだよ」と答えている。

A: 建築物がピンク色ではおかしいという固定観念に囚われている。

 

B: 影響を受けた監督としてスウェーデンのロイ・アンダーソンとブランドン・クローネンバーグを挙げていますが。

A: アンダーソン監督の『散歩する惑星』はカンヌ映画祭2000の審査員賞、『さよなら、人類』はベネチア映画祭2014の金獅子賞、本作は東京国際映画祭ではオリジナルの直訳「実存を省みる枝の上の鳩」といタイトルで上映された。シュールなブラック・ユーモアに富み、不思議な登場人物が次々に現れる恐ろしい作品。クローネンバーグはデヴィッド・クローネンバーグの息子、近未来サスペンス『アンチヴァイラル』(12)が公開されている。これまたSFとはいえ恐ろしい作品、今作を見た人は『スキン』のあるシーンに「あれッ」と思うかもしれない。カサノバ監督の第2作が待たれます。

  

上映作品の一部がアナウンスされました*ラテンビート2017 ①2017年08月14日 08:23

       パブロ・ラライン、カルラ・シモン、エドゥアルド・カサノバ・・・

 

  

814日現在で7作品が発表されただけですが、そのうち当ブログでピックアップしたパブロ・ララインの Neruda とカルラ・シモンの Verano 1993(カタルーニャ語題Estiu 1993)の2作、ゴヤ賞2017でご紹介したかったエドゥアルド・カサノバの Pieles が含まれていました。

 

パブロ・ララインの「ネルーダ」は、公開が以前から予告されており、この度『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』という邦題で1111日に公開が決定しています(新宿シネマカリテ、恵比寿ガーデン・シネマ)。従って宣伝を兼ねた先行上映になりますね。既にカンヌ映画祭2016の「監督週間」にノミネーションされた折りに、監督紹介、スタッフ、キャスト、プロットなど詳細を記事にしておりますので、ラテンビートでは割愛します。

「ネルーダ」の記事は、コチラ2016516

 

  

カルラ・シモン Verano 1993(西題)オリジナル・タイトルは Estiu 1993、ベルリン映画祭、マラガ映画祭などの折に、ラテンビートを意識してその都度ご紹介してきましたが、今回新しいニュースを補足して再構成いたします。監督自身の少女時代が語られます。こちらは『夏、1993と邦題もすっきり、余計な副題からも救われています。変更しないことを切に願っております。

 Verano 1993 の主な記事は、コチラ⇒2017222

 

  

エドゥアルド・カサノバのデビュー作 Pieles は、ラテンビートでは『スキン』で上映される。しかし本作は既にネットフリックスで『あなたに触らせて』の邦題で放映されているから、新たに字幕を入れ替えて上映するということでしょうか。スクリーン鑑賞が後になるということに時代の変化を感じています。ベルリン映画祭2017パノラマ部門、マラガ映画祭セクション・オフィシアル部門での話題作。理不尽な暴力が痛々しいメロドラマに変化するという、社会批判を込めた辛口コメディ、ダーク・ファンタジー、とにかくスペインにアンファン・テリブルが誕生した。アレックス・デ・ラ・イグレシアカロリナ・バング夫婦が、カサノバの才能に惚れ込んで製作した。本作については改めてアップいたします。

 

   

        (エドゥアルド・カサノバとアレックス・デ・ラ・イグレシア)

 

★カルロス・サウラの Jota de Saura は、いずれ公開されるでしょうし、解説の必要はないでしょう。