『ライフ・アンド・ナッシング・モア』*東京国際映画祭2017 ③2017年11月05日 16:23

            5年もかかったアントニオ・メンデス・エスパルサの第2作目

 

               

         (スペイン題 La vida y nada más のポスター)

 

アントニオ・メンデス・エスパルサ『ライフ・アンド・ナッシング・モア』は、トロント映画祭2017でワールド・プレミアした後、サンセバスチャン映画祭では国際批評家連盟賞FIPRESCIを受賞しました。今回、本映画祭でアジアン・プレミアされ、デビュー作『ヒア・アンド・ゼア』12)に続いての上映となり、前回同様に監督が来日、上映後にQ&Aがもたれました(1026日、29日)。当ブログでは既にサンセバスチャン映画祭2017で監督キャリア及び作品紹介をしております。

Life And Nothing More 及び『ヒア・アンド・ゼア』の紹介記事は、コチラ2017910

 

  

(アンドリュー・ブリーチングトン、監督、レジーナ・ウィリアムズ、サンセバスチャン映画祭)

 

         母親を演じたレジーナ・ウィリアムズとの出会いから始まった

 

A: デビュー作『ヒア・アンド・ゼア』は、主人公になったペドロ・デ・ロス・サントスとの偶然の出会いから始まった。監督によると第2作も「レジーナ・ウィリアムズとたまたま出会って、最初は彼女を主人公にして撮ろうと考えていた」ということです。彼女の実体験や他の人の経験をミックスさせて人物造形をしていった。

B: 第1作同様ドキュメンタリーでなくフィクションで撮りたかった。映画のなかの母親レジーナの性格は攻撃的だが、実際のレジーナは勝気な性格ではあるが別の人格です。

 

A: 勿論シナリオは存在したが出演者には台本を渡さず、その日の撮影に必要なシチュエーションだけ教えて撮っていった。これは2作に共通したことです。

B: 俳優にとっては先が見えないぶん厳しいですね。「レジーナからクレームがついたが、結果的には自然な演技が引き出せた」と監督。

A: 同じやり方をして撮った映画にパブロ・ララインの『ザ・クラブ』(チリ、2015)があります。こちらはアルフレッド・カストロを筆頭に演技派揃いでしたが、わざと誰も自分が演じる役柄の準備をできないようにして、緊張感を持続させて撮っていった。

 

    

    5年前より額が後退したぶん髭が長くなったメンデス・エスパルサ監督、Q&Aにて)

 

B: メンデス・エスパルサ監督も「知らないことが重要だった」と強調していた。息子アンドリューと母親の怒鳴り合うシーンも大部分アドリブ、二人が考えたセリフだったという。

A: ずっと堪えつづけてきた寡黙な少年の言い分に共感しました。出演者の信頼を得ることを心掛け、元の台本が変わってしまっても構わなかったとも。これはちょっと驚きでした。演じているうちにアマチュアもプロに成長するということ、もともと人間は演技する動物ですから。

 

      リハーサルをせずに自然な流れで常に同じシーンを撮っていった

 

B: 冒頭に出てくる老人もアマ、さらに駐車場に現れた神父さんは台本になかった登場人物、折悪しく昼休み時間でスタッフが現場にいなかった。急いで呼び寄せてもう一度やり直してもらったが前のようにいかなかった(笑)。

A: 後にレジーナの愛人となるロバートがソフトな物言いで口説くシーン、レジーナが「男はこんなことしている女が好きなのよ」と、駐車場の柱につかまってポールダンスの真似をする。ここはレジーナのアドリブ、そのまま取り入れた。

B: もう一度演じてもらっても上手くいかなかったろうと。反対にラストに近いシーン、レジーナが仕事場で泣くシーンは27回やっても涙が出てこない。プッシュをあきらめてスタッフに引き揚げてもらったら、彼女が追いかけてきて「もう一度やりたい」、28回目でやっと涙が出た。

 

A: レジーナは、このシーンで泣く理由が理解できなかったのではないか。つまり泣いてる場合じゃないと考えたのではないか。一緒に来日していたら訊いてみたかった。駆け出しの子役だって指示されれば、ちゃんと泣けるからね。

B: 全員アマチュアだからカメラに慣れてもらうためもあって、「リハーサルをせずに自然な流れで常に同じシーンを撮っていた」のかもしれない。アメリカンフットボールのシーンなど余計な印象を受けたが、あれが日常なんだと思う。

A: あそこはドキュメンタリーのようでした。編集のサンティアゴ・オビエドは、さぞかし大変だったでしょうね。彼はキャスティングも担当しています。他にはエクアドルのセバスティアン・コルデロの Pescador2011、「釣師」)の編集も手掛けています。

 

B: 『ヒア・アンド・ゼア』でコラボした撮影監督のバルブ・バラソユは、5年間の間にテクニカルな部分が進歩して、前回では不可能だったカメラワークが今度は可能になった。

A: 光の取り込み方が印象的でした。撮影現場が住んでいるところだったのもプラスになった。前回は主役ペドロの故郷、メキシコのゲレーロが舞台だったから互いに距離を感じて、エキストラ出演してくれたコミュニティの人々とも今回のようにスムーズにいかなかった、と当時を振り返っていた。

 

           肯定にも否定にもとれる題名に込めた思い  

 

B: 最初から決めていたタイトルだったようですね。早い段階から決めていたと。意味的には肯定とも否定とも解釈される題名です。

A: 映画祭タイトルはカタカナ起こしですが、過去にアッバス・キアロスタミのLife and Nothing More1992、英題)というのがあり、邦題は『そして人生はつづく』でした。こちらもドキュメンタリーと現実をミックスした作り方、監督の出身国スペインのタイトルは、邦題と同じ Y la vida continua でした。監督が意識していたかどうかは分かりません。

 

B: イラン映画は肯定的でしたが、こちらは微妙、レジーナ親子に光は射すように見えますが、少なくともレジーナは、前途多難が予想される終わり方でした。

A: 西題は「人生とはこんなもの」くらいです。テーマの一つが父親不在ですが、まだ7年以上の刑期が残っている父親からの手紙を読むシーンで、ラストが予想できるような映画でした。予想通りになり、少なくともアンドリューは前に向かって歩き出したことが暗示されるから肯定かな。

 

B: 3人の子持ちになってしまったレジーナは微妙ですが、各自想像すればいいことです。「ザバッティーニのエッセイに『ドラマを追うのでなく、人生を追う映画でいい』とあり、それを実践した」と答えていましたからね。

A: チェザーレ・ザバッティーニ(190289)は脚本の神様みたいな人、デ・シーカの名作を多数手がけた映画史に残る脚本家でした。Q&Aで彼の名前が飛び出すなんて、これは想定外でした。

 

B: よく出る質問に主人公の <その後> がありますが、ドキュメンタリーではないのですから愚問かな。

A: 今回も訊かれた監督が想定外の質問に「1回勝って3回負けるのが人生、いいことばかりではない。辛い愛もあることを描きたい」と応じていた。

 

          噛みあわないロバートとレジーナのダイヤローグ 

 

B: プロットは取りたてて新鮮味がありません。「クソったれ」みたいな男の口説きにほだされ、結局女は一緒に住むことにする。女に保護観察中の年頃の息子がいれば男との軋轢が生まれるのは当然。アンドリューには居場所がない。

A: 息子は母親を愛しており母親も息子を愛しているのに上手くいかない。行き着く先は男の望まぬ女の妊娠、男は息子の反抗を理由に体よく逃げる。すごくありきたりのプロット。それでも何か光るものを感じるから不思議です。

 

          

           (初対面のレジーナを言葉巧みに口説くロバート)

 

B: ロバートが口達者な嘘つきのダメ男と気づきながら受け入れてしまうレジーナ。彼女が直面している過酷さと孤独が際立ちますが、誰も孤独を責めることはできません。

A: 「男はこどもをつくるだけ、女は育てなければならない」と分かっているのに一縷の希望に縋りつく弱さが哀しい。「母は強し」より「女は弱し」が優先されてしまう。レジーナが最後に流す涙の意味は、観客に委ねられるが、自分の弱さ愚かさに対する悔し涙かもしれない。

 

    

     (息子のアメリカンフットボールの試合を観戦する、幸せだった頃の家族)

 

B: もう一つのポイントが、ホワイト特権と組織全体が複雑に入り組んでおこなう人種差別

A: 家族が住んでる近くに私有地公園があり、アンドリューのような黒人は中に入れない。丁寧だがねちねちと少年を追い詰めていく白人男性の陰険さ。いつどんなかたちで爆発するか緊張する。

B: 飛び出しナイフをいじっている伏線が敷かれてあり、ああ、このシーンのためだ、と思った観客もいたはずです。振り回しただけで大人の裁判に回されるんですかね。

 

A: アメリカの裁判制度は皆目分かりませんが、ハイスクールの生徒が保護観察中だったとはいえ大人扱いされるなんて。白人の子供だったらこうはならないのではありませんか。監督は入念な下調べをして臨んだと言ってましたから事例があるのでしょう。

B: 時代背景は2016年の大統領選挙戦中のフロリダ、「どっちが大統領になっても同じ」とレジーナに言わせていましたが、現実は大分違うのではないか。

A: ヒスパニックやアジア人を含めて、白人以外はどっちみち差別されるという意味でしょう。

 

B: エンド・クレジットのサンクス欄にアルモドバルの名前があったことで質問が出ました。

A: 資金調達の協力をお願いしたからで、彼の映画に影響されたわけではないということでした。アルモドバルはデビュー当時の苦労を忘れず、若い監督の後押しに熱心です。アレックス・デ・ラ・イグレシア、『人生スイッチ』のダミアン・ジフロン、『サマ』のルクレシア・マルテル、と枚挙に暇がありません。映画の好き嫌いは別にして、スペイン人で彼ほど映画向上に貢献している監督はいないのではありませんか。今ではデ・ラ・イグレシアは、より若い監督をプロデュースする立場です。

 

B: とにかくQ&Aで印象的だったのは、その誠実な人柄ですね。スペイン人には珍しいタイプの監督さんです。次回は5年もあけずにトーキョーに戻って来られたらと締めくくっていました。

 

第14回セビーリャ映画祭開幕*ヨーロッパ映画賞ノミネーション発表2017年11月07日 15:11

         「金のヒラルダ」賞を競うコンペティション部門16作品は・・・

 

 

(実行委員会のアントニオ・ムニョス、ホセ・ルイス・シエンフエゴス、イサベル・オヘダ)

 

★今年で14回目を迎えたセビーリャ映画祭SEFF2017113日開幕しました(11日まで)。オープニング作品は、カルロス・マルケス=マルセ Tierra firme (スペイン、西語・英語・カタルーニャ語)でした。監督は 10,000km でマラガ映画祭2014の「金のビスナガ賞」を受賞している。今作の主役を演じたナタリア・テナダビ・ベルダゲルに加えてウーナ・チャップリンジェラルディン・チャップリンもカメオ出演している。ダビ・ベルダゲルは「ラテンビート2017」でドタキャンしたカルラ・シモン『夏、1993で少女フリーダの義父を演じた俳優。

 

  

               (Tierra firmeから

 

★チャップリン母子もレッド・カーペットに現れ、映画祭を盛り上げていたようです。他にベルト・ロメロ、マリオ・カサス、ホセ・コロナド、イレーネ・エスコラル、カロリナ・バング、監督では、カルロス・マルケス=マルセは当然のことだが、フランスからマチュー・アマルリックとティエリー・ド・ペレッティ、その他マヌエル・モソス、セルジ・ボソン・・・

 

★他には、ラテンビートでも上映されたベネチア映画祭の『サマZamaルクレシア・マルテル)、これは厳密にはアルゼンチン映画ですが、スペインも製作国、スペイン語映画ということで選ばれたのでしょうか。マヌエル・ムニョス・リバス El mar nos mira de lejosエバ・ビリャ Penélope が選ばれています。

 

(『サマ』から)

 

El mar nos mira de lejos から)

    

 

 Penélope から)

  

 

★話題になっているのが特別招待作品の Oro です。監督は『アラトリステ』アグスティン・ディアス・ヤネス、アルトゥーロ・ペレス・レベルテの未発表の短編の映画化です。ラウル・アレバロバルバラ・レニーオスカル・ハエナダホセ・コロナドフアン・ディエゴルイス・カジェホフアン・ホセ・バジェスタアントニオ・デチェントアンナ・カスティーリョなど、演技派の有名どころが集合しました。ロペ・デ・アギーレのようにエル・ドラドを探し求めてアメリカ大陸に渡ったコンキスタドールたちの物語、公開されるかな。

 

     

      (左端特別出演のフアン・ディエゴ、右端ホセ・コロナド、Oro から)

 

 

        ヨーロッパ映画賞のノミネーションが発表になる映画祭

 

★セビーリャ映画祭はマラガと違ってヨーロッパ映画祭でもあり、例年フランス、イタリア、ポルトガル、ドイツ、イギリス、北欧各国から満遍なく選ばれます。11月上旬開催と時期的には遅いので、どこかの映画祭で既にエントリーされた作品が多いのは致し方ないのかもしれません。例えば東京国際映画祭のグザヴィエ・ボーヴォワ『ガーディアンズ』(仏・スイス)、『ショコラ』(88)で監督デビューしたクレール・ドゥニ『レッド・ザ・サンシャイン・イン』(仏)、カンヌ映画祭のBarbara(仏、マチュー・アマルリック)、同映画祭特別招待作品 A Violent Life(仏、ティエリー・ド・ペレッティ)など。今年はフランスが多い印象ですが、上記の参加国以外にも、チェコ、デンマーク、アイスランドなどから選ばれています。英語・西語の字幕入りで国際映画祭の基準を満たしています。

 

    

       (ジュリエット・ビノシュ、『レッド・ザ・サンシャイン・イン』から

 

★セビーリャ映画祭は、第30回になるヨーロッパ映画賞のノミネーションが発表になる映画祭でもあり、今年は114日に発表になりました。下馬評ではパルムドール受賞のリューベン・オストルンド「The Square」、ライバルはイルディゴ・エンエディ「On Body And Soul」のようですが、蓋を開けてみないことには分かりません。一応、作品賞ノミネート5作品を英題で列挙しておきます。結果発表は129日、例年通りベルリンの予定です。

 

 1120 Battements Par Minute (仏)監督:ロバン・カンピヨ

 

  1. 2)Loveless (露、ベルギー、独、仏)アンドレイ・ズビャギンツェフ

     

    3On Body And Soul (ハンガリー)監督:イルディゴ・エンエディ

     

    4『希望のかなた』(フィンランド、独)監督:アキ・カウリスマキ

     

    5The Square (スウェーデン、独、仏、デンマーク)監督:リューベン・オストルンド

      

  1.   

  2.                    (リューベン・オストルンドの「The Square」から

     

  3. 9月に既に発表になっていた「ディスカバリー賞」に、カルラ・シモン『夏、1993がノミネーションされています。もしかすると・・・と期待しています。

       


 

サウラの伝記ドキュメンタリー "Saura(s)" *フェリックス・ビスカレト2017年11月11日 14:44

 

               「パパは85歳」になりました!

 

    

★今年のラテンビートでは、カルロス・サウラの新作J:ビヨンド・フラメンコ』が上映されました。「ホタJota」というアラゴン起源の民俗舞踊と音楽をテーマにしたドキュメンタリー。現在ではリオハやナバラなどでも演奏され、歌、アコーディオン、ガイタ(ガリシアのバグパイプ)、リュート、バンドゥーリアというギターに似た楽器で演奏されます。サウラの生れ故郷ウエスカはアラゴン州の県都です。個人的には初期の『狩り』(65)や1960年代末から1970年代に撮られた作品群の強烈な印象がわざわいして、いわゆるフラメンコ物やタンゴ、ファド、ソンダの音楽舞踊がメインの作品には飽きがきています。

 

70年代の作品群の中には、『アナと狼たち』(72)、『従姉アンヘリカ』(73)、『カラスの飼育』(75)、『愛しのエリサ』(77)、『ママは百歳』(79)、『急げ、急げ』(81)など大体はジェラルディン・チャップリンがサウラの「ミューズ」であった時代の映画(9作ある)、または製作者エリアス・ケレヘタとタッグを組んでいた時代の映画です。公開されたのは『カラスの飼育』のみ、それも12年後の1987年、他はミニ映画祭上映でした。日本公開作品が如何にフラメンコ物に偏っているかが分かり、サウラ映画がきちんと紹介されているとは思いません。ラテンビートで即日完売となった『フラメンコ・フラメンコ』(10)は、本国の映画館はガラガラ閑古鳥が鳴いていたのでした。

 

    

  (母子を演じたジェラルディン・チャップリンとアナ・トレント、『カラスの飼育』)

 

★前置きが長くなりましたが、ご紹介したいのはフェリックス・ビスカレトのサウラの伝記ドキュメンタリー Saura(s)1785分)です。1932年生れのサウラは今年85歳になりました。だからではないと思いますが、父親サウラとそれぞれ世代の異なる子供7人と会話を通して対峙させてドキュメンタリーを撮ろうという企画が持ち上がり、7人からは承諾をもらえた。しかし肝心の父親は過去については当然乗り気でない。過去のことなど重要じゃない、これからが大切だというわけでしょう。

 

★しかし監督は企画に固執する。サウラは描写に拘る。監督は屈服しない。サウラも降参しない。両人とも相譲らなかった。そういう性格のドキュメンタリーのようです。逃げきろうとする老監督の核心にどこまで迫れたか、惚れっぽい女性行脚への匙加減、市民戦争がトラウマになっている先輩の数々の仕事、留守がちだった父親に対する子供たちの言い分、どこまで過不足なく描き切れたかどうかが決め手でしょうか。サウラに限らず過去の自作など恥ずかしくて一切見ない監督は結構おりますね。

 

      

     (撮影中の左から、次男アントニオ・サウラ、監督、カルロス・サウラ)

 

★本作はサンセバスチャン映画祭「サバルテギ部門」で上映後、113日にスペインで公開されました。鑑賞後の批評には、個人的な部分への立ち入り禁止と同時に、過去の作品の分析回避が顕著だとありました。7人の子供たちといっても第1子カルロスは1958年生れ、末子アンナは1994年生れと親子ほども開きがあります。母親も4人なのでキャスト欄には母親の名前も入れておきました。出典はスペイン語ウイキペディアによりました。日本語版と異なるのは、最初のアデラ・メドラノとは正式に結婚せず(しかしサウラを名乗る)、ジェラルディン・チャップリンと同じパートナーとなっている点です。IMDbには7人のうちシェイン・チャップリンはアップされておりません。

 

主なキャスト

カルロス・サウラ(1932ウエスカ)

エウラリア・ラモン2006結婚~現在、女優、4人目)

カルロス・サウラ・メドラノ(1958、製作者、助監督、母親アデラ・メドラノ1人目)

アントニオ・サウラ・メドラノ(1960、製作者、同上)

シェイン・チャップリン(1974、心理学者、母親ジェラルディン・チャップリン2人目)

マヌエル・サウラ・メルセデス(1981、母親メスセデス・ぺレス1982結婚~離婚、3人目)

アドリアン・サウラ(1984、同上)

ディエゴ・サウラ(1987、撮影監督、同上)

アンナ・サウラ・ラモン1994、女優、母親エウラリア・ラモン)

 

★映画界で仕事をしている子供は、父親の作品にそれぞれ参画しています。ジェラルディン・チャップリンとは、デヴィッド・リーンが『ドクトル・ジバゴ』(65)を撮影費が安く上がるスペインで撮影中、撮影風景を見学に行ったサウラと知り合った。意気投合した二人は以後1979年にパートナー関係を解消した。多分『ママは百歳』が最後の出演映画と思います。1974年には1子を出産したが籍は入れなかった。1979年、チリの撮影監督パトリシオ・カスティーリョと結婚、1986年に高齢出産で生まれたのが女優ウーナ・チャップリンである。前回アップしたセビーリャ映画祭のオープニング作品 Tierra firme のため母子で赤絨毯を踏んだ。シェインとウーナは異父兄妹になる。

 

★メルセデス・ぺレス(1960年生れ)とは、1978年ごろから関係をもち、最初のマヌエル誕生後の1982年に結婚している。女優エウラリア・ラモンとは、1990年代の自作起用(『パハリコ』『ボルドゥのゴヤ』)が機縁、正式には2006年再婚して現在に至っている。

 

     

   (娘アンナ、サウラ監督、妻エウラリア、ゴヤ賞2012ガラに3人揃って登場)

 

★海千山千の老獪な監督のガードは固かったと想像できますが、サウラ像の核心に迫れたかどうか。来年1月下旬、デヴィッド・リンチ(1946)を主人公にしたドキュメンタリー『デヴィッド・リンチ:アートライフ』が公開されます。リンチの「アタマの中」を覗ける、かなり刺激的なドキュメンタリーのようです。今年のカンヌ映画祭で特別上映された『ツイン・ピークス The Return』で観客を驚かせたリンチ、こちらは本人が謎解きをしてくれるとか。切り口は違うが、二人の監督自身がドキュメンタリーの被写体になったのは偶然か。偶然といえば、リンチも4婚している。

 

    

         (サウラと監督、サンセバスチャン映画祭2017にて)

 

フェリックス・ビスカレトFelix Viscarretは、1975年パンプローナ生れ、監督、脚本家、製作者。短編 Soñadores99)、El álbum blanco05)など発表、国内外の短編映画祭で好評を博し受賞歴多数。2007Bajo las estrellas で長編デビュー、批評家、観客両方から受け入れられ、マラガ映画祭「銀のビスナガ」監督賞・新人脚本賞、ゴヤ賞2008では脚色賞、主演のアルベルト・サン・フアンが主演男優賞を受賞、その他受賞歴多数。

 

  

                 (デビュー作 Bajo las estrellas ポスター)

 

★その後、TVミニシリーズで活躍、最近ではサンセバスチャン映画祭2016で、キューバとの合作映画TVミニシリーズ Cuatro estaciones en La HabanaFour Seasons in Havana)と Vientos de La Habana が上映された。日本でもファンの多いレオナルド・パドゥラの「マリオ・コンデ警部補シリーズ」のスリラーもの。Cuatro estaciones en La Habana は、ハバナの春夏秋冬が描かれ、それぞれ約90分のドラマ、そのうちコンデ警部補役ホルヘ・ぺルゴリア以下常連のカルロス・エンリケ・アルミランテほか、フアナ・アコスタ、マリアム・エルナンデスが出演した Vientos de La Habana が独立して、20169月に公開された。

 

  

  (Vientos de La Habana のポスターを背に、アコスタとぺルゴリア

     

 

  (Vientos de La Habana の原作者レオナルド・パドゥラ、ビスカレト監督、  

  後列、アコスタ、ぺルゴリア、エルナンデス、サンセバスチャン映画祭2016にて

   

第14回セビーリャ映画祭2017*結果発表2017年11月15日 15:46

           「金のヒラルダ賞」はポルトガルの A fábrica de nada 

 

   

★映画祭最終日の1111日夜にロペ・デ・ベガ劇場で結果発表がありました。審査員はトーマス・アルスラン、アガート・ボニゼール、フェルナンド・フランコ、パオロ・モレッティ、バレリエ・デルピエレの6人。スペインのメイン映画祭としては締めくくりとなるセビーリャ映画祭の金のヒラルダ賞 Giraldillo de Oro を制したのは、ポルトガルのペドロ・ピニョ Pedro Pinho A fábrica de nadaThe Nothing Factory)でした。カンヌ映画祭併催の「監督週間」の FIPRESCI 受賞作品。ドキュメンタリーとフィクションさらにミュージカルを大胆にミックスさせ、現代ポルトガルの複雑な経済状況をレトリックを排した詩的な視点で切り取り、そのオリジナル性が評価された。スペイン語映画ではありませんが、これは公開が待たれる映画の一つです。

 

 

 

★上映時間3時間に及ぶミュージカル・ドラマ A fábrica de nada 完成の道のりは困難を極めたと監督、本国ポルトガルでも9月下旬に公開できたのは映画祭の評価のお蔭とも語っていた。ヨーロッパといってもフランスのような映画大国とは異なり、ポルトガルの現状は厳しい。「経済危機は全ヨーロッパで起きている普遍的なテーマだから、海外の観客にも容易に受け入れられてもらえると思う」と、受賞の喜びを言葉少なに語っていた。また「ペドロ・コスタやセーザル・モンテイロのような同胞が道を開いてくれたお蔭」と先輩監督への感謝も述べていた。若いが謙虚な人だ。映画祭上映以外では、目下のところアルゼンチンとフランスが公開を予定している。

 

(ペドロ・ピニュ監督)

 

審査員大賞:ドイツ映画 Western(監督ヴァレスカ・グリーゼバッハの第3作)カンヌ映画祭コンペティション外出品、多くの国際映画祭に出品されている。

    

審査員スペシャル・メンションルクレシア・マルテル『サマ』(アルゼンチン、スペイン他合作)、ベネチア映画祭コンペティション外出品、話題作ながら過去の映画祭受賞歴がなく、やっと審査員賞に漕ぎつけました。アカデミー賞外国語映画賞アルゼンチン代表作品。

『サマ』の紹介記事は、コチラ201710131020

 

   

 

監督賞:フランスのマチュー・アマルリック Barbara、カンヌ映画祭「ある視点」出品、シネマ・ポエトリー賞受賞作品。「映画はこの上なく強力になっている。(ヨーロッパ)映画の寿命が尽きたというのは間違いだ。私は楽観主義者なんだ」とアマルリック監督。彼は映画の将来性を信じているネアカ監督、独立系の制作会社で苦労したペドロ・ピニュとは対極の立場、互いの置かれた状況が鮮明です。「以前のようにはいかないが」カンヌ映画祭の後、15ヵ国で公開されたとも。新しい技術の導入でコストも下げられることを上げていた。

 

   

 (ヨーロッパ映画は死んでいないと語る、マチュー・アマルリック、セビーリャ映画祭にて)

 

男優賞:イタリアのジョナス・カルピニャーノの第2作目 A Ciambra 14歳の主人公を演じたピオ・アマトが男優賞を受賞しました。カルピニャーノの同名短編 A Ciambra201416分)、数々の受賞歴のあるデビュー作『地中海』(2015)にも出演しており、こちらはイタリア映画祭2016で上映された。家族の団結が最優先のシチリア島のチャンブラを舞台に、ロマの少年ピオと家族が遭遇する困難が語られる。キャスト陣も重なっており、いわば短編とデビュー作のスピン・オフ的作品。シチリア系移民の家庭に育ったマーティン・スコセッシがエグゼクティブ・プロデューサーを務めている。個人的に金賞を予想していたのが本作でした。カンヌ映画祭併催の「監督週間」でラベル・ヨーロッパ映画賞受賞、アカデミー賞外国語映画賞イタリア代表作品。

 

     

                       (男優賞受賞のピオ・アマト、映画から)

 

      

 

★その他、女優賞はイタリア映画 Pure Hearts Selene Caramazza セレネ・カラマツァ、脚本賞はフランス映画 A Violent Life ティエリー・ド・ペレッティ撮影賞はデンマーク=アイスランド合作映画 Winter Brothers Maria von Hausswolff など、主要な賞はそれなりにばらけました。

 

アンダルシア・シネマライターズ連合ASECAN作品賞には、カルロス・マルケス=マルセ Tierra firmeAnchor and Hope)が受賞した。スペイン公開1124日。

Tierra firme の簡単な紹介記事は、コチラ2017117

 

    

    (左から、ナタリエ・テナ、ウーナ・チャップリン、ダビ・ベルダゲル、映画から)

 

Las nuevas Olas」いわゆるニューウエーブ部門はセビーリャ大学の関係者6名が審査に当たる。スペイン語映画をピックアップすると、作品賞にはアドリアン・オルのドキュメンタリー Niñato が受賞した。

 Niñato の紹介記事は、コチラ2017523

 

   

        (アドリアン・オルのドキュメンタリー Niñato のポスター

 

オフィシャル・コンペティション・レジスタンス部門の作品賞には、パブロ・ジョルカ Ternura y la tercera persona が受賞した。この受賞者にはDELUXEとして次回長編プロジェクトのためのマスターDCP(デジタル・シネマ・パッケージ)最高6000ユーロが提供される。

 

DELUXEには、マヌエル・ムニョス・リバス El mar nos mira de lejos が受賞した。マスターDCPが提供される。

  

★主なスペイン語映画の受賞作は以上の通りです。1年で360日はどこかで開催されているのが映画祭、現在でもスペインではウエルバ映画祭が開催中、インディペンデントの映画祭がなければ埋もれてしまう作品が多数、受賞して運よく公開されても1週間で打ち切りになるケースもあるとか、映画の平均寿命は年々短くなっているというのが、映画祭関係者の悩みのようです。スクリーンでは観ないという観客が増えていく傾向にあり、鑑賞媒体の変化に対応する工夫が必要な時代になったのは確かです。

 

パブロ・ララインの『ネルーダ』*ラテンビート2017 ⑨2017年11月22日 21:08

         赤い詩人自らが神話化した逃亡劇、伝記映画としては不正確!

 

パブロ・ラライン『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』は、カンヌ映画祭と併催の「監督週間」(2016)でワールド・プレミアされた作品。国際映画祭でのノミネーションは多いほうですが受賞歴はわずかにとどまっています。当ブログでは「ネルーダ」の仮題で既に内容及びデータ紹介をしております。そこではジャンルとして伝記映画としましたが、マイケル・ラドフォードのイタリア映画『イル・ポスティーノ』(94)ほどではありませんが、これもフィクションとして観たほうが賢明という印象でした。ララインがネルーダの詩を利用して言葉遊びを楽しんだ映画です。カンヌのインタビューで監督が「伝記映画としては不正確」と述べていた通りでした。官憲による逮捕を避けて逃げるのですから逃亡に違いありませんが、ここでのネルーダはいわゆる逃亡者ではないのでした。

『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』の記事紹介は、コチラ2016516

  

   

            (人生はゲーム、追う者と追われる者)

 

  主なキャスト紹介(邦題のあるフィルモグラフィー)

ガエル・ガルシア・ベルナル:警官オスカル・ペルショノー(『No』『アモーレス・ぺロス』  『モーターサイクル・ダイアリーズ』『ノー・エスケープ』)

ルイス・ニェッコネルーダ(『No』『ひとりぼっちのジョニー』『泥棒と踊り子』

メルセデス・モラン妻デリア・デル・カリル(『沼地という名の町』『ラ・ニーニャ・サンタ』  『モーターサイクル・ダイアリーズ』

アルフレッド・カストロゴンサレス・ビデラ大統領(ラライン映画全作他『彼方から』

エミリオ・グティエレス・カバピカソ(『13みんなのしあわせ』『スモーク・アンド・ミラーズ』

ディエゴ・ムニョスマルティネス(『ザ・クラブ』

アレハンドロ・ゴイクホルヘ・ベレート(『ザ・クラブ』『家政婦ラケルの反乱』)、

パブロ・デルキ友人ビクトル・ペイ(『サルバドールの朝』『ロスト・アイズ』

マイケル・シルバ歴史家アルバロ・ハラ(『盲目のキリスト』)、

マルセロ・アロンソぺぺ・ロドリゲス(『ザ・クラブ』『No』以外の三部作)、

ハイメ・バデル財務大臣アルトゥーロ・アレッサンドリ(『ザ・クラブ』「ピノチェト政権三部作」

フランシスコ・レイェスビアンキ(『ザ・クラブ』

アントニア・セヘルス:(「ピノチェト政権三部作」以降のラライン全作)

アンパロ・ノゲラ:(「ピノチェト政権三部作」)

 

        ネルーダは「チリの国民的ヒーロー」か?  

 

A: ラテンビートで鑑賞できず、先日やっと観てきました。ラテンビートのパンフレットには「チリの国民的詩人」、映画パンフには「英雄的ノーベル文学賞詩人」と紹介されていますが、ちょっと待ってよ、と言いたいですね。ラライン監督によると「ノーベル賞作家とはいえ、自分を神格化する傾向があり、チリ人はそういうタイプの人間を好まない」と言ってますからね。紹介記事の繰り返しになりますが、「ネルーダはネルーダを演じていた、自分がコミュニズムのイコンとして称揚されるよう逃亡劇をことさら曖昧にして、詩人自らが神話化」した。

B: 彼はコミュニストだったから、チリの保守派にはネルーダ嫌いが少なからずいるとも語っている。つまり、結構多いということです。

 

A: 時代背景も重なるホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』の中では、当時の若い詩人たちが心酔していたのはニカノール・パラで、ネルーダはクソミソだった。

B: さらに、そのホドロフスキーもチリでは嫌われているようですね。「預言者郷里に容れられず」というのは普遍的な真理です。

 

A: 主人公は逃亡者ネルーダか、追跡者オスカル・ペルショノーか、だんだん二人は似てきて同一人物にも思えてくる。一体オスカル・ペルショノーとは何者かとなってくる。

B: サスペンスといっても、ネルーダが捕まらなかったことは歴史上の事実、だから観客は全然ドキドキしない。ドキドキしないサスペンス劇など面白くない。

A: では何が面白いのかと言えば、いつも一歩手前で逃げられてしまう間抜けな追跡者オスカルを語り部にしているところで、そのモノローグはネルーダの詩が主体となっている。

 

      

        (アラビアのロレンスの衣装を纏い詩を朗読するネルーダ)

 

B: オスカル役のガエル・ガルシア・ベルナルが「豊かなネルーダの詩の読者を失望させないと思う」と語っていたように、ネルーダの詩と言葉が主役なんですね。

A: 映画に限らず詩の翻訳は厄介です。何回か引用された『二十の愛の詩と一つの絶望の歌』や『マチュピチュの頂』、逃避行の最中に詩作した『大いなる詩』など、それぞれ複数の翻訳がありますから参考にしたか、字幕監修者の翻訳かもしれません。

  

       自分自身を誰よりも愛した男、副題 <大いなる愛の逃亡者>

 

B: 代表作『大いなる詩』に引っ掛けたのか、やはりおまけの副題がつきました。ネルーダと言っても何者か分からないから仕方がないかもしれない。

A: しかし、ネルーダが何者か知らない人は映画館まで足を運ばない。どうしても付けたいなら、いっそのこと<大いなる詩の逃亡者>としたほうが良かった。愛の逃亡者じゃないからね。

B: 観ていてつくづく思ったのは、ネルーダは目立ちたがりやの自分勝手な男、女好きの貴族趣味、愛していても足手まといになりそうな妻デリアを体よく追い払った自分自身を誰よりも愛した男だったということでした。

 

A: ネルーダの神格化を打ち壊そうとするラライン監督の意図は、ある意味で成功したわけです。1943年メキシコで結婚した画家デリア・デル・カリル18851989)は、アルゼンチンの上流階級出身、ヨーロッパ生活が長く、独語・仏語・英語ができた。1935年チリ領事だったネルーダとマドリードで知り合ったときには既に50歳だったが30歳にしか見えなかったと言われる。

B: 若いときの写真を見ると凄い美人です。ルクレシア・マルテルの「セルタ三部作」に出演したアルゼンチンのベテラン女優メルセデス・モランが好演した。ラライン映画は初出演でしょうか。

 

            

               (ネルーダとデリア、1939年)

 

A: 出会ったときには既にヨーロッパで画家として成功しており、映画にも出てくるピカソをネルーダに引き合わせた女性。キャリアを封印し、私財のすべてをつぎ込んでネルーダを支え、ヨーロッパの知識人をネルーダに紹介した。チリでは離婚は法的に認められていなかったから、ネルーダとは日本でいう内縁関係です。正式の妻は1930年に結婚したオランダ人のマルカ・ハゲナーでした。

B: オスカルがネルーダを貶めようとラジオ出演に引っ張り出してきた女性ですね。しかし彼女はチリに住んでいたのですかね。

      

        

      (髪型を似せたデリア=モランと少し太めのネルーダ=ニェッコ)

 

A: 正確なビオピック映画ではないからね。マルカ・レイェスまたはマルカ・ネルーダの名前で引用される女性、1934年に水頭症の娘が生まれるが2年後別居している。離婚手続きは1942年、当時総領事だったメキシコでマルカ不在のまま行われた。それで映画でも「私が妻です」と言っていたわけです。娘は19438歳で亡くなっている。

 

B: チリから一緒に脱出できなかったデリアも、その後ヨーロッパでの活動を共にしています。

A: しかしネルーダはカプリ島やナポリ潜伏中には、既に3人目となるマティルデ・ウルティアと一緒だった。夫の浮気には寛大すぎたデリアもプライドを傷つけられ、「愛もここまで」と思ったかどうか分かりませんが、自分自身を誰よりも愛した男とは1955年に関係を解消、画家として再出発している。

 

B: 『イル・ポスティーノ』に出てくる女性は、この3番目の女性マティルデを想定している。

A: 彼女もマルカがオランダで死去する19653月まで、チリでは法的に妻ではなかった。翌1966年、彼女のために建てたと言われるイスラ・ネグラの別荘で、晴れて二人は結婚式を挙げることができました。

B: 現在ネルーダ記念館として観光名所の一つになっている。

 

    脚本家ギジェルモ・カルデロンの独創性、映画の決め手は脚本にあり?

   

A: 劇場公開は大分遅れました。それでも公開されたのは『No』の主人公を演じたG.G.ベルナルと、公開が先になった『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』のお蔭と思います。ケネディ夫人にナタリー・ポートマン、何よりも言語が英語だったのが利いた。

B: 英語だと公開が早い。しかし邦題には呆れるくらい長い副題がつきました。G.G.ベルナルは『No』では選挙には勝つが、家庭的には妻を失うという孤独な役柄でした。本作でも損な役回りでしたが、演技が冴えて相変わらず魅力的でした。

 

     

  (二人の追跡者オスカル=G.G.ベルナルと部下マルティネス=ディエゴ・ムニョス

 

A: さて本作は、194893日の共産党非合法化から始まりますが、それ以前のネルーダについては語られない。つまり1934年外交官としてスペインに渡り内戦を目撃したこと、チリ帰国が1943年、上院議員当選が19453月、間もない7月に共産党入党などは飛ばしてある。チリ人でも少しオベンキョウが必要か。

B: 勿論伝記ではないと割り切れば知らなくてもよい。1949年初めに「ネルーダ逮捕令」が伝わり地下潜伏を余儀なくされる。サンティアゴを脱出、ロス・リオス州バルディビアなどを転々とするが、ネルーダは無事脱出させようとする妻や友人たちを尻目に好き勝手をする。

 

    

 (左から、パブロ・デルキ、メルセデス・モラン、ルイス・ニェッコ、マイケル・シルバ

 

A: メインは1949年秋からのフトロノ・コミューンからアルゼンチンへ抜ける馬上脱出劇。このマプチェ族の共同体フトロノは、ロス・リオス州ランコにある4つのコミューンの一つです。実際はここに数ヵ月潜伏していたようです。主人が協力する理由を現政権への恨みと言わせている。

B: 追跡劇の後半は、オスカルがネルーダにからめとられて二人は一体化してくる。

A: オスカルの出自を娼婦の息子とし、さらに父親をチリ警察の重要人物としたことでドラマは動き出す。このかなり奇抜な設定が成功した。脚本家ギジェルモ・カルデロンを評価する声が高い。生後1ヵ月で実母を亡くしたネルーダの孤独と貧しさ、それに打ち勝つ抜け目のなさ、モラル的な不一致、二人は似た者同士なのだ。

 

B: 監督も「この映画はギジェルモの脚本なくして作れなかった。自分で書くのを無謀だとは思わなかったが、結局彼の助けを呼ばなければならなかった」と語っている。

A: 娼婦に産ませた子供を認知して同じ姓を名乗らせるという設定にびっくりしましたが、これで自由に羽ばたけるようになったのではないか。詩人の人物像を描くのが目的ではない擬似ビオピック映画なんだから。

B: どうせなら遊んじゃえ、ということかな。

 

A: 監督夫人のアントニア・セヘルスは、逃亡前の酒池肉林のどんちゃん騒ぎのシーンで楽しそうに踊っていた女性の中の一人かな。

B: 彼女にしては珍しい役柄です。大戦後の混乱が続いていたヨーロッパやアジアと違って、参戦しなかったチリは経験したことのない豊かさだった。ホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』でも描かれていた。

 

A: ララインの「ピノチェト三部作」全作に出演しているララインお気に入りのアンパロ・ノゲラは、確信ありませんが共産党員の女性労働者に扮した女優と思います。

B: ネルーダにキスしようとして、デリアから窘められる女性ですね。

A: 他にラライン映画の全作に出演しているアルフレッド・カストロ、ネルーダ脱出に尽力する友人ビクトル・ペイパブロ・デルキ歴史家アルバロ・ハラマイケル・シルバ、チリ、スペイン、アルゼンチンのベテランと新人が起用されている。

 

B: チリ組は『ザ・クラブ』(LB2015)出演者が大勢を占めるほか、マイケル・シルバはクリストファー・マーレイの『盲目のキリスト』(LB2016)で主役を演じている。

A: ラテンビートにはマーレイ監督が来日、Q&Aに出席してくれた。ピカソ役のエミリオ・グティエレス・カバはアレックス・デ・ラ・イグレシアの映画でお馴染みです。アルトゥーロ・アレッサンドリやピノチェトのような実在した政治家や軍人もさりげなく登場させて、観客を飽きさせなかった。今回も製作はフアン・デ・ディオス・ラライン、兄弟の二人三脚でした。

B: オスカル・ペルショノーがどうなったかは、映画館で確認してください。

 

       

 (ネルーダ逮捕を命じるビデラ大統領役のアルフレッド・カストロ)

 

  

                       (撮影中のラライン監督)

 

『ザ・クラブ』の紹介記事は、コチラ2015222同年1018

『盲目のキリスト』の紹介記事は、コチラ2016106

   

 『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者Nerudaデータ

製作:Fabula(チリ) / AZ Films (アルゼンチン) / Funny Balloons () / Setembro Cine (西)他多数

監督:パブロ・ラライン

脚本:ギジェルモ・カルデロン

編集・音楽エディター:エルヴェ・シュネイ Hervé Schneid

撮影:セルヒオ・アームストロング 

音楽:フェデリコ・フシド

プロダクション・デザイン:エステファニア・ラライン

プロダクション・マネージメント:サムエル・ルンブロソ

製作者:フアン・デ・ディオス・ラライン、ほか多数

チリ=アルゼンチン=スペイン=フランス合作、スペイン語、2016年、107分、伝記映画、カンヌ映画祭2016「監督週間」正式出品、2017アカデミー賞外国語映画賞チリ代表作品、公開:チリ2016811、日本20171111

 

ウエルバ映画祭2017結果発表*アルゼンチンの「La novia del desierto」2017年11月24日 14:05

             二人の女性監督のデビュー作が「金のコロン」作品賞を受賞

  

   

★第43回を迎えたイベロアメリカ・ウエルバ映画祭2017の結果発表がありました(1118日)。本映画祭紹介は初めてですが、今年は当ブログで紹介したアルゼンチンのセシリア・アタンバレリア・ピバトの長編デビュー作La novia del desierto(アルゼンチン=チリ合作)が最優秀作品賞「金のコロン」(ゴールデン・コロンブス賞)、主演のパウリナ・ガルシアが女優賞「銀のコロン」、同じく共演者のクラウディオ・リッシが男優賞、さらに合作映画に与えられる共同製作賞などの大賞を独り占めしたのでアップいたします。カンヌ映画祭2017「ある視点」ノミネーション作品。

La novia del desierto」の紹介記事は、コチラ2017514

 

 

(パウリナ・ガルシアとクラウディオ・リッシ)

 

 

                 (二人の監督、セシリア・アタンとバレリア・ピバト) 

 

★授賞式には両監督は欠席、主役のパウリナ・ガルシアがメッセージを代読、配給元のプロデューサーロレア・エルソが「世界のすべてのテレサたちに捧ぐ」とコメントした(テレサとはパウリナが演じた54歳になる身寄りのない家政婦の名前)。プレゼンテーターは今回の審査委員長メキシコの監督ルシア・カレーラス、日本では『うるう年の秘め事』(マイケル・ロウ、LB2011)や『金の鳥籠』(ディエゴ・ケマダ=ディエス、難民映画祭2014の脚本家として認知されているが、2011年「Nos vemos, papa」で監督デビューを果たし、2016年の第2作「Tamara y la Catarina」は評価も高く、今回の審査委員長指名になった。

 

   

   (左から、ルシア・カレーラス、パウリナ・ガルシア、ロレア・エルソ、授賞式にて)

 

★ウエルバ市はアンダルシア州ウエルバ県の県都、隣県セビーリャ、カディス、バダホス、ポルトガルに接し、南はカディス湾に面している。どちらかというと芸術文化には縁の薄い産業と農業の町です。作品賞に命名された「コロン」は、1492年にコロンブスが最初の航海に出た港がウエルバ県のパロス・デ・ラ・フロンテラだったからです。まだフランコ体制だった1974年設立、第1回開催が1975年、インターナショナルではなくスペイン語とポルトガル語映画に特化した映画祭、イベロアメリカの発展振興を世界に向けて発信するのが目的です。今年の受賞国アルゼンチンが10回、続くブラジルとチリが7回、他スペイン、ポルトガル、メキシコ、キューバ、ウルグアイなどが各35回、時代によってかなり変化があります。

 

★オフィシャル・セレクションはドキュメンタリーを含む長編と短編に分かれ、長編部門の最高賞が「金のコロン」、短編が「銀のカラベラ」です。カラベラcarabela156世紀の航海時代に使用された3本マストの快速小型帆船のことで、コロンブスの第1回航海に使用されたことに因んで命名された。従って金賞は長編作品賞のみです。他にコンペティション部門とは関係なく選ばれる、栄誉賞にあたる「ウエルバ市賞」(1998年より)、アンダルシア出身の監督作品に与えられる「フアン・ラモン・ヒメネス賞」、新人監督賞、観客賞(El eco de los aplausos)他があります。

 

★今年は12作がノミネートされ、そのうち当ブログで紹介した作品は、受賞作の他、ベルリン映画祭2017の銀熊脚本賞に輝いたセバスティアン・レリオUna mujer fantástica(チリ)、カンヌ映画祭併催の「批評家週間」に正式出品されたマルセラ・サイド2Los perros(チリ)、エベラルド・ゴンサレスのメキシコの闇を切り取った問題作La libertad del díablo(メキシコ、ドキュメンタリー)などがあります。賞に絡んだのは、マルセラ・サイドの「Los perros」が「イベロアメリカの現実を反映した映画」として、ラジオ・エクステリアRadio Exterior de España賞、主役を演じたダニエラ・ベガが女優賞を取るかと予想した、セバスティアン・レリオのUna mujer fantástica」は観客賞を受賞した。既にベルリンやカンヌでワールド・プレミアした作品ですが、チリの躍進が目立った印象でした。

  

「Una mujer fantástica」の紹介記事は、コチラ⇒2017年1月26日同年2月22日

「Los perros」の紹介記事は、コチラ⇒2017年5月1日

「La libertad del diablo」の紹介記事は、コチラ⇒2017年2月22日

 

 

 

 (アントニア・セヘルスとアルフレッド・カストロ、ポスターから)

 

(マルセラ・サイド監督)

 

 

(女性に性転換したマリアを演じたダニエラ・ベガ、映画から)

  

  

             (La libertad del díablo」のエベラルド・ゴンサレス監督)

  

★栄誉賞「ウエルバ市賞」をアルゼンチンの俳優ダリオ・グランディネッティが受賞、登壇したハイメ・チャバリにエスコートされたアナ・フェルナンデスの手からトロフィーを受け取った。1959年サンタ・フェ生れの58歳、アルモドバルの『トーク・トゥ・ハー』や『ジュリエッタ』、ダミアン・ジフロンの『人生スイッチ』で知名度を高めている。2016年の受賞者はキューバのホルヘ・ぺルゴリア、2015年はベレン・ルエダアイタナ・サンチェス=ヒホンの複数、年によって数がまちまちです。他にアルゼンチンからは、アドルフォ・アリスタライン監督、ベテラン俳優のフェデリコ・ルッピ、レオナルド・スバラグリア、エルネスト・アルテリオなどが受賞者。

 

   

            (トロフィーを手にダリオ・グランディネッティ)