サウラの伝記ドキュメンタリー "Saura(s)" *フェリックス・ビスカレト ― 2017年11月11日 14:44
「パパは85歳」になりました!
★今年のラテンビートでは、カルロス・サウラの新作『J:ビヨンド・フラメンコ』が上映されました。「ホタJota」というアラゴン起源の民俗舞踊と音楽をテーマにしたドキュメンタリー。現在ではリオハやナバラなどでも演奏され、歌、アコーディオン、ガイタ(ガリシアのバグパイプ)、リュート、バンドゥーリアというギターに似た楽器で演奏されます。サウラの生れ故郷ウエスカはアラゴン州の県都です。個人的には初期の『狩り』(65)や1960年代末から1970年代に撮られた作品群の強烈な印象がわざわいして、いわゆるフラメンコ物やタンゴ、ファド、ソンダの音楽舞踊がメインの作品には飽きがきています。
★70年代の作品群の中には、『アナと狼たち』(72)、『従姉アンヘリカ』(73)、『カラスの飼育』(75)、『愛しのエリサ』(77)、『ママは百歳』(79)、『急げ、急げ』(81)など大体はジェラルディン・チャップリンがサウラの「ミューズ」であった時代の映画(9作ある)、または製作者エリアス・ケレヘタとタッグを組んでいた時代の映画です。公開されたのは『カラスの飼育』のみ、それも12年後の1987年、他はミニ映画祭上映でした。日本公開作品が如何にフラメンコ物に偏っているかが分かり、サウラ映画がきちんと紹介されているとは思いません。ラテンビートで即日完売となった『フラメンコ・フラメンコ』(10)は、本国の映画館はガラガラ閑古鳥が鳴いていたのでした。
(母子を演じたジェラルディン・チャップリンとアナ・トレント、『カラスの飼育』)
★前置きが長くなりましたが、ご紹介したいのはフェリックス・ビスカレトのサウラの伝記ドキュメンタリー “Saura(s)”(17、85分)です。1932年生れのサウラは今年85歳になりました。だからではないと思いますが、父親サウラとそれぞれ世代の異なる子供7人と会話を通して対峙させてドキュメンタリーを撮ろうという企画が持ち上がり、7人からは承諾をもらえた。しかし肝心の父親は過去については当然乗り気でない。過去のことなど重要じゃない、これからが大切だというわけでしょう。
★しかし監督は企画に固執する。サウラは描写に拘る。監督は屈服しない。サウラも降参しない。両人とも相譲らなかった。そういう性格のドキュメンタリーのようです。逃げきろうとする老監督の核心にどこまで迫れたか、惚れっぽい女性行脚への匙加減、市民戦争がトラウマになっている先輩の数々の仕事、留守がちだった父親に対する子供たちの言い分、どこまで過不足なく描き切れたかどうかが決め手でしょうか。サウラに限らず過去の自作など恥ずかしくて一切見ない監督は結構おりますね。
(撮影中の左から、次男アントニオ・サウラ、監督、カルロス・サウラ)
★本作はサンセバスチャン映画祭「サバルテギ部門」で上映後、11月3日にスペインで公開されました。鑑賞後の批評には、個人的な部分への立ち入り禁止と同時に、過去の作品の分析回避が顕著だとありました。7人の子供たちといっても第1子カルロスは1958年生れ、末子アンナは1994年生れと親子ほども開きがあります。母親も4人なのでキャスト欄には母親の名前も入れておきました。出典はスペイン語ウイキペディアによりました。日本語版と異なるのは、最初のアデラ・メドラノとは正式に結婚せず(しかしサウラを名乗る)、ジェラルディン・チャップリンと同じパートナーとなっている点です。IMDbには7人のうちシェイン・チャップリンはアップされておりません。
◎主なキャスト
カルロス・サウラ(1932ウエスカ)
エウラリア・ラモン(2006結婚~現在、女優、4人目)
カルロス・サウラ・メドラノ(1958、製作者、助監督、母親アデラ・メドラノ1人目)
アントニオ・サウラ・メドラノ(1960、製作者、同上)
シェイン・チャップリン(1974、心理学者、母親ジェラルディン・チャップリン2人目)
マヌエル・サウラ・メルセデス(1981、母親メスセデス・ぺレス1982結婚~離婚、3人目)
アドリアン・サウラ(1984、同上)
ディエゴ・サウラ(1987、撮影監督、同上)
アンナ・サウラ・ラモン(1994、女優、母親エウラリア・ラモン)
★映画界で仕事をしている子供は、父親の作品にそれぞれ参画しています。ジェラルディン・チャップリンとは、デヴィッド・リーンが『ドクトル・ジバゴ』(65)を撮影費が安く上がるスペインで撮影中、撮影風景を見学に行ったサウラと知り合った。意気投合した二人は以後1979年にパートナー関係を解消した。多分『ママは百歳』が最後の出演映画と思います。1974年には1子を出産したが籍は入れなかった。1979年、チリの撮影監督パトリシオ・カスティーリョと結婚、1986年に高齢出産で生まれたのが女優ウーナ・チャップリンである。前回アップしたセビーリャ映画祭のオープニング作品 ”Tierra firme” のため母子で赤絨毯を踏んだ。シェインとウーナは異父兄妹になる。
★メルセデス・ぺレス(1960年生れ)とは、1978年ごろから関係をもち、最初のマヌエル誕生後の1982年に結婚している。女優エウラリア・ラモンとは、1990年代の自作起用(『パハリコ』『ボルドゥのゴヤ』)が機縁、正式には2006年再婚して現在に至っている。
(娘アンナ、サウラ監督、妻エウラリア、ゴヤ賞2012ガラに3人揃って登場)
★海千山千の老獪な監督のガードは固かったと想像できますが、サウラ像の核心に迫れたかどうか。来年1月下旬、デヴィッド・リンチ(1946)を主人公にしたドキュメンタリー『デヴィッド・リンチ:アートライフ』が公開されます。リンチの「アタマの中」を覗ける、かなり刺激的なドキュメンタリーのようです。今年のカンヌ映画祭で特別上映された『ツイン・ピークス The Return』で観客を驚かせたリンチ、こちらは本人が謎解きをしてくれるとか。切り口は違うが、二人の監督自身がドキュメンタリーの被写体になったのは偶然か。偶然といえば、リンチも4婚している。
(サウラと監督、サンセバスチャン映画祭2017にて)
★フェリックス・ビスカレトFelix Viscarretは、1975年パンプローナ生れ、監督、脚本家、製作者。短編 “Soñadores”(99)、”El álbum blanco”(05)など発表、国内外の短編映画祭で好評を博し受賞歴多数。2007年 ”Bajo las estrellas” で長編デビュー、批評家、観客両方から受け入れられ、マラガ映画祭「銀のビスナガ」監督賞・新人脚本賞、ゴヤ賞2008では脚色賞、主演のアルベルト・サン・フアンが主演男優賞を受賞、その他受賞歴多数。
(デビュー作 ”Bajo las estrellas” のポスター)
★その後、TVミニシリーズで活躍、最近ではサンセバスチャン映画祭2016で、キューバとの合作映画TVミニシリーズ “Cuatro estaciones en La Habana”(Four Seasons in Havana)と “Vientos de La Habana” が上映された。日本でもファンの多いレオナルド・パドゥラの「マリオ・コンデ警部補シリーズ」のスリラーもの。“Cuatro estaciones en La Habana” は、ハバナの春夏秋冬が描かれ、それぞれ約90分のドラマ、そのうちコンデ警部補役ホルヘ・ぺルゴリア以下常連のカルロス・エンリケ・アルミランテほか、フアナ・アコスタ、マリアム・エルナンデスが出演した “Vientos de La Habana” が独立して、2016年9月に公開された。
(“Vientos de La Habana” のポスターを背に、アコスタとぺルゴリア)
(“Vientos de La Habana” の原作者レオナルド・パドゥラ、ビスカレト監督、
後列、アコスタ、ぺルゴリア、エルナンデス、サンセバスチャン映画祭2016にて)
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