パブロ・ララインの『ネルーダ』*ラテンビート2017 ⑨ ― 2017年11月22日 21:08
赤い詩人自らが神話化した逃亡劇、伝記映画としては不正確!
★パブロ・ララインの『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』は、カンヌ映画祭と併催の「監督週間」(2016)でワールド・プレミアされた作品。国際映画祭でのノミネーションは多いほうですが受賞歴はわずかにとどまっています。当ブログでは「ネルーダ」の仮題で既に内容及びデータ紹介をしております。そこではジャンルとして伝記映画としましたが、マイケル・ラドフォードのイタリア映画『イル・ポスティーノ』(94)ほどではありませんが、これもフィクションとして観たほうが賢明という印象でした。ララインがネルーダの詩を利用して言葉遊びを楽しんだ映画です。カンヌのインタビューで監督が「伝記映画としては不正確」と述べていた通りでした。官憲による逮捕を避けて逃げるのですから逃亡に違いありませんが、ここでのネルーダはいわゆる逃亡者ではないのでした。
*『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』の記事紹介は、コチラ⇒2016年5月16日
(人生はゲーム、追う者と追われる者)
*主なキャスト紹介*(邦題のあるフィルモグラフィー)
ガエル・ガルシア・ベルナル:警官オスカル・ペルショノー(『No』『アモーレス・ぺロス』 『モーターサイクル・ダイアリーズ』『ノー・エスケープ』)
ルイス・ニェッコ:ネルーダ(『No』『ひとりぼっちのジョニー』『泥棒と踊り子』)
メルセデス・モラン:妻デリア・デル・カリル(『沼地という名の町』『ラ・ニーニャ・サンタ』 『モーターサイクル・ダイアリーズ』)
アルフレッド・カストロ:ゴンサレス・ビデラ大統領(ラライン映画全作他『彼方から』)
エミリオ・グティエレス・カバ:ピカソ(『13みんなのしあわせ』『スモーク・アンド・ミラーズ』)
ディエゴ・ムニョス:マルティネス(『ザ・クラブ』)
アレハンドロ・ゴイク:ホルヘ・ベレート(『ザ・クラブ』『家政婦ラケルの反乱』)、
パブロ・デルキ:友人ビクトル・ペイ(『サルバドールの朝』『ロスト・アイズ』)
マイケル・シルバ:歴史家アルバロ・ハラ(『盲目のキリスト』)、
マルセロ・アロンソ:ぺぺ・ロドリゲス(『ザ・クラブ』『No』以外の三部作)、
ハイメ・バデル:財務大臣アルトゥーロ・アレッサンドリ(『ザ・クラブ』「ピノチェト政権三部作」)
フランシスコ・レイェス:ビアンキ(『ザ・クラブ』)
アントニア・セヘルス:(「ピノチェト政権三部作」以降のラライン全作)
アンパロ・ノゲラ:(「ピノチェト政権三部作」)
ネルーダは「チリの国民的ヒーロー」か?
A: ラテンビートで鑑賞できず、先日やっと観てきました。ラテンビートのパンフレットには「チリの国民的詩人」、映画パンフには「英雄的ノーベル文学賞詩人」と紹介されていますが、ちょっと待ってよ、と言いたいですね。ラライン監督によると「ノーベル賞作家とはいえ、自分を神格化する傾向があり、チリ人はそういうタイプの人間を好まない」と言ってますからね。紹介記事の繰り返しになりますが、「ネルーダはネルーダを演じていた、自分がコミュニズムのイコンとして称揚されるよう逃亡劇をことさら曖昧にして、詩人自らが神話化」した。
B: 彼はコミュニストだったから、チリの保守派にはネルーダ嫌いが少なからずいるとも語っている。つまり、結構多いということです。
A: 時代背景も重なるホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』の中では、当時の若い詩人たちが心酔していたのはニカノール・パラで、ネルーダはクソミソだった。
B: さらに、そのホドロフスキーもチリでは嫌われているようですね。「預言者郷里に容れられず」というのは普遍的な真理です。
A: 主人公は逃亡者ネルーダか、追跡者オスカル・ペルショノーか、だんだん二人は似てきて同一人物にも思えてくる。一体オスカル・ペルショノーとは何者かとなってくる。
B: サスペンスといっても、ネルーダが捕まらなかったことは歴史上の事実、だから観客は全然ドキドキしない。ドキドキしないサスペンス劇など面白くない。
A: では何が面白いのかと言えば、いつも一歩手前で逃げられてしまう間抜けな追跡者オスカルを語り部にしているところで、そのモノローグはネルーダの詩が主体となっている。
(アラビアのロレンスの衣装を纏い詩を朗読するネルーダ)
B: オスカル役のガエル・ガルシア・ベルナルが「豊かなネルーダの詩の読者を失望させないと思う」と語っていたように、ネルーダの詩と言葉が主役なんですね。
A: 映画に限らず詩の翻訳は厄介です。何回か引用された『二十の愛の詩と一つの絶望の歌』や『マチュピチュの頂』、逃避行の最中に詩作した『大いなる詩』など、それぞれ複数の翻訳がありますから参考にしたか、字幕監修者の翻訳かもしれません。
自分自身を誰よりも愛した男、副題 <大いなる愛の逃亡者>
B: 代表作『大いなる詩』に引っ掛けたのか、やはりおまけの副題がつきました。ネルーダと言っても何者か分からないから仕方がないかもしれない。
A: しかし、ネルーダが何者か知らない人は映画館まで足を運ばない。どうしても付けたいなら、いっそのこと<大いなる詩の逃亡者>としたほうが良かった。愛の逃亡者じゃないからね。
B: 観ていてつくづく思ったのは、ネルーダは目立ちたがりやの自分勝手な男、女好きの貴族趣味、愛していても足手まといになりそうな妻デリアを体よく追い払った自分自身を誰よりも愛した男だったということでした。
A: ネルーダの神格化を打ち壊そうとするラライン監督の意図は、ある意味で成功したわけです。1943年メキシコで結婚した画家デリア・デル・カリル(1885~1989)は、アルゼンチンの上流階級出身、ヨーロッパ生活が長く、独語・仏語・英語ができた。1935年チリ領事だったネルーダとマドリードで知り合ったときには既に50歳だったが30歳にしか見えなかったと言われる。
B: 若いときの写真を見ると凄い美人です。ルクレシア・マルテルの「セルタ三部作」に出演したアルゼンチンのベテラン女優メルセデス・モランが好演した。ラライン映画は初出演でしょうか。
(ネルーダとデリア、1939年)
A: 出会ったときには既にヨーロッパで画家として成功しており、映画にも出てくるピカソをネルーダに引き合わせた女性。キャリアを封印し、私財のすべてをつぎ込んでネルーダを支え、ヨーロッパの知識人をネルーダに紹介した。チリでは離婚は法的に認められていなかったから、ネルーダとは日本でいう内縁関係です。正式の妻は1930年に結婚したオランダ人のマルカ・ハゲナーでした。
B: オスカルがネルーダを貶めようとラジオ出演に引っ張り出してきた女性ですね。しかし彼女はチリに住んでいたのですかね。
(髪型を似せたデリア=モランと少し太めのネルーダ=ニェッコ)
A: 正確なビオピック映画ではないからね。マルカ・レイェスまたはマルカ・ネルーダの名前で引用される女性、1934年に水頭症の娘が生まれるが2年後別居している。離婚手続きは1942年、当時総領事だったメキシコでマルカ不在のまま行われた。それで映画でも「私が妻です」と言っていたわけです。娘は1943年8歳で亡くなっている。
B: チリから一緒に脱出できなかったデリアも、その後ヨーロッパでの活動を共にしています。
A: しかしネルーダはカプリ島やナポリ潜伏中には、既に3人目となるマティルデ・ウルティアと一緒だった。夫の浮気には寛大すぎたデリアもプライドを傷つけられ、「愛もここまで」と思ったかどうか分かりませんが、自分自身を誰よりも愛した男とは1955年に関係を解消、画家として再出発している。
B: 『イル・ポスティーノ』に出てくる女性は、この3番目の女性マティルデを想定している。
A: 彼女もマルカがオランダで死去する1965年3月まで、チリでは法的に妻ではなかった。翌1966年、彼女のために建てたと言われるイスラ・ネグラの別荘で、晴れて二人は結婚式を挙げることができました。
B: 現在ネルーダ記念館として観光名所の一つになっている。
脚本家ギジェルモ・カルデロンの独創性、映画の決め手は脚本にあり?
A: 劇場公開は大分遅れました。それでも公開されたのは『No』の主人公を演じたG.G.ベルナルと、公開が先になった『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』のお蔭と思います。ケネディ夫人にナタリー・ポートマン、何よりも言語が英語だったのが利いた。
B: 英語だと公開が早い。しかし邦題には呆れるくらい長い副題がつきました。G.G.ベルナルは『No』では選挙には勝つが、家庭的には妻を失うという孤独な役柄でした。本作でも損な役回りでしたが、演技が冴えて相変わらず魅力的でした。
(二人の追跡者オスカル=G.G.ベルナルと部下マルティネス=ディエゴ・ムニョス)
A: さて本作は、1948年9月3日の共産党非合法化から始まりますが、それ以前のネルーダについては語られない。つまり1934年外交官としてスペインに渡り内戦を目撃したこと、チリ帰国が1943年、上院議員当選が1945年3月、間もない7月に共産党入党などは飛ばしてある。チリ人でも少しオベンキョウが必要か。
B: 勿論伝記ではないと割り切れば知らなくてもよい。1949年初めに「ネルーダ逮捕令」が伝わり地下潜伏を余儀なくされる。サンティアゴを脱出、ロス・リオス州バルディビアなどを転々とするが、ネルーダは無事脱出させようとする妻や友人たちを尻目に好き勝手をする。
(左から、パブロ・デルキ、メルセデス・モラン、ルイス・ニェッコ、マイケル・シルバ)
A: メインは1949年秋からのフトロノ・コミューンからアルゼンチンへ抜ける馬上脱出劇。このマプチェ族の共同体フトロノは、ロス・リオス州ランコにある4つのコミューンの一つです。実際はここに数ヵ月潜伏していたようです。主人が協力する理由を現政権への恨みと言わせている。
B: 追跡劇の後半は、オスカルがネルーダにからめとられて二人は一体化してくる。
A: オスカルの出自を娼婦の息子とし、さらに父親をチリ警察の重要人物としたことでドラマは動き出す。このかなり奇抜な設定が成功した。脚本家ギジェルモ・カルデロンを評価する声が高い。生後1ヵ月で実母を亡くしたネルーダの孤独と貧しさ、それに打ち勝つ抜け目のなさ、モラル的な不一致、二人は似た者同士なのだ。
B: 監督も「この映画はギジェルモの脚本なくして作れなかった。自分で書くのを無謀だとは思わなかったが、結局彼の助けを呼ばなければならなかった」と語っている。
A: 娼婦に産ませた子供を認知して同じ姓を名乗らせるという設定にびっくりしましたが、これで自由に羽ばたけるようになったのではないか。詩人の人物像を描くのが目的ではない擬似ビオピック映画なんだから。
B: どうせなら遊んじゃえ、ということかな。
A: 監督夫人のアントニア・セヘルスは、逃亡前の酒池肉林のどんちゃん騒ぎのシーンで楽しそうに踊っていた女性の中の一人かな。
B: 彼女にしては珍しい役柄です。大戦後の混乱が続いていたヨーロッパやアジアと違って、参戦しなかったチリは経験したことのない豊かさだった。ホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』でも描かれていた。
A: ララインの「ピノチェト三部作」全作に出演しているララインお気に入りのアンパロ・ノゲラは、確信ありませんが共産党員の女性労働者に扮した女優と思います。
B: ネルーダにキスしようとして、デリアから窘められる女性ですね。
A: 他にラライン映画の全作に出演しているアルフレッド・カストロ、ネルーダ脱出に尽力する友人ビクトル・ペイにパブロ・デルキ、歴史家アルバロ・ハラにマイケル・シルバ、チリ、スペイン、アルゼンチンのベテランと新人が起用されている。
B: チリ組は『ザ・クラブ』(LB2015)出演者が大勢を占めるほか、マイケル・シルバはクリストファー・マーレイの『盲目のキリスト』(LB2016)で主役を演じている。
A: ラテンビートにはマーレイ監督が来日、Q&Aに出席してくれた。ピカソ役のエミリオ・グティエレス・カバはアレックス・デ・ラ・イグレシアの映画でお馴染みです。アルトゥーロ・アレッサンドリやピノチェトのような実在した政治家や軍人もさりげなく登場させて、観客を飽きさせなかった。今回も製作はフアン・デ・ディオス・ラライン、兄弟の二人三脚でした。
B: オスカル・ペルショノーがどうなったかは、映画館で確認してください。
(ネルーダ逮捕を命じるビデラ大統領役のアルフレッド・カストロ)
(撮影中のラライン監督)
*『ザ・クラブ』の紹介記事は、コチラ⇒2015年2月22日/同年10月18日
*『盲目のキリスト』の紹介記事は、コチラ⇒2016年10月6日
『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』“Neruda”のデータ
製作:Fabula(チリ) / AZ Films (アルゼンチン) / Funny Balloons (仏) / Setembro Cine (西)他多数
監督:パブロ・ラライン
脚本:ギジェルモ・カルデロン
編集・音楽エディター:エルヴェ・シュネイ Hervé Schneid
撮影:セルヒオ・アームストロング
音楽:フェデリコ・フシド
プロダクション・デザイン:エステファニア・ラライン
プロダクション・マネージメント:サムエル・ルンブロソ
製作者:フアン・デ・ディオス・ラライン、ほか多数
◎チリ=アルゼンチン=スペイン=フランス合作、スペイン語、2016年、107分、伝記映画、カンヌ映画祭2016「監督週間」正式出品、2017年アカデミー賞外国語映画賞チリ代表作品、公開:チリ2016年8月11日、日本2017年11月11日
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