特別上映作品にパトリシオ・グスマンの新作*カンヌ映画祭2019 ⑩2019年05月15日 15:43

            もう1作はパトリシオ・グスマンの「La Cordillera de los sueños

 

       

特別上映作品のもう1作は、チリのパトリシオ・グスマンLa Cordillera de los sueñosというドキュメンタリーです。チリ最北部を撮った『光のノスタルジア』10)と最南端を撮った『真珠のボタン』15)は2部作となっています。後者がベルリン映画祭2015の銀熊脚本賞を受賞したことで本邦でも公開されたのでした。ドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマン1930)との対談(20151月)で、「もし第三部を撮るとしたらアンデス山脈になるが、目下具体的な案はないし、その可能性もない」とかつて語っていた監督、幸いなことに可能性があったようです。

 

 La Cordillera de los sueños(「The Cordillera of Dreams」)2019

製作:ARTE / Atacama Productions

監督・脚本:パトリシオ・グスマン

撮影:サムエル・ラフ Lahu

 

データ・映画祭:製作国フランス=チリ、スペイン語、2019年、ドキュメンタリー、85分、撮影地アンデス山脈。配給Pyramid Distribution(仏)。カンヌ映画祭2019コンペティション部門特別上映作品、ドキュメンタリー賞(ルイユ・ドール賞)を受賞。

 

解説カンヌ映画祭総ディレクターであるティエリー・フレモーのコメントによると「パトリシオ・グスマンは、軍事独裁政権が民主的に選ばれた政府を転覆させた40年前にチリを離れた。しかし片時も忘れたことがない地図上の母国、その文化について考え続けている。『光のノスタルジア』で北部を『真珠のボタン』で南部を描いたのち、彼が<チリの過去と現在の歴史をつらぬく広大で明白な脊柱>と称するところに近づいて行く。「La Cordillera de los sueños」は、映像詩であり、歴史的質疑であり、映像エッセイであるとともに個人的な心の探求である」

  

      

チリのピノチェト軍事独裁政権を倦むことなく糾弾し続けるグスマン監督は、第12に続いて本作で三部作を完成させたことになる。広大なチリの脊柱アンデス山脈を舞台に、精神的探求者が語るビジュアルなエッセイのようです。数カ月前に完成させたばかりの新作がカンヌ映画祭のセレクションで特別上映されることについて「カンヌは私の仕事のために常に連携してくれている。チリの隠された歴史シリーズの第3部が、このような重要な映画祭で上映されるのは光栄なことです」と語っている。

      

   

★「わたしの国ではあらゆる場所に山脈がありますが、チリの国民にとっては殆ど見知らぬ領域同然なのです。『光のノスタルジア』で北を、『真珠のボタン』で南端を描き、今度は山脈の美しさを探求し、その神秘を明らかにするために、この広大な脊柱をフィルムにおさめる用意ができたと思いました」とグスマン。

 

     

 

★チリの製作者で配給を手掛けるアレクサンドラ・ガルビスは「この映画は大きな挑戦でした。しかし監督は、撮影がアクセスの難しかった高山にもかかわらず、肉体的な限界というものを感じさせなかった」と語っている。今年のクラシック部門にルイス・ブニュエルが特集され、フランス映画『黄金時代』(30)とメキシコ時代の『忘れられた人々』(50)が4K修整、『ナサリン』(58)が3K修整で上映されるようです。今年もセレブが顔を揃えて華々しく開幕したニュースが入ってきました。高がカンヌ、されどカンヌですか。

    

                   

     

        (撮影中のグスマン監督と撮影監督のサムエル・ラフ

 

『光のノスタルジア』の作品紹介、監督フィルモグラフィーは、コチラ20151111

『真珠のボタン』の作品紹介記事は、コチラ20151116


追加情報 : 『夢のアンデス』 の邦題で、2021年10月09日から、岩波ホールで公開決定

短編銀熊賞にアルゼンチンの「Blue Boy」*ベルリン映画祭20192019年02月21日 17:20

            マヌエル・アブラモヴィチの短編「Blue Boy」が銀熊賞

 

★短編部門の銀熊賞と審査員賞を受賞したBlue Boy19m)の監督マヌエル・アブラモヴィチ(ブエノスアイレス、1987)は、ドキュメンタリーの監督、脚本家、撮影監督、製作者。ブエノスアイレスの国立映画制作学校卒、撮影監督としてそのキャリアをスタートさせている。サンセバスチャン映画祭2018SSIFF)「サバルテギ-タバカレラ」部門でご紹介したロラ・アリアスTeatro de guerraで撮影を手掛けました。本作によりイベロアメリカ・フェニックス賞2018の撮影賞にノミネートされています。先にベルリン映画祭「フォーラム」部門でワールドプレミアされ、エキュメニカル審査員賞とC.I.C. A.E.アート・シネマ賞の受賞作でもありました。

Teatro de guerra」の作品紹介は、コチラ20180805

 

       

 

★マヌエル・アブラモヴィチが国際舞台に登場したのは、2013年の短編ドキュメンタリー、カーニバルのクイーンになりたい少女を追ったLa Reina19m「The Queen」)で、監督、撮影、脚本、製作のオールランドを担当、多くの国際映画祭で短編賞を受賞しました。うち代表的なものは、アブダビ、フライブルク、グアダラハラ、ハンプトン、カルロヴィ・ヴァリ、ロスアンゼルス、シアトルほか、各映画祭で短編ドキュメンタリー賞を受賞しました。

 

 

 

★長編ドキュメンタリーの代表作は、第67回ベルリン映画祭2017「ジェネレーション14plus」に出品されたSoldado72m「Soldier」)、上記のTeatro de guerra」同様SSIFFの「サバルテギ-タバカレラ」部門に出品されました。コロンビアのカリ映画祭で審査員特別賞、マル・デル・プラタ映画祭でFIPRESCIを受賞。軍事独裁から民主化されて30数年、戦争のないアルゼンチンで志願兵士になるとはどういうことか、という青年を追ったドキュメンタリー。

   

    

 

『サマ』17)撮影中のルクレシア・マルテル監督の姿を追ったドキュメンタリーAños luz72m「Light Years」)は、ベネチア映画祭2017ドキュメンタリー部門に出品され、Venezia Classici Awardにノミネートされた。『サマ』もコンペティション外ではありましたが出品された。アブラモヴィチによると「『サマ』撮影中のマルテル監督を主人公にしたドキュメンタリーを撮るアイデアをメールしたら」、マルテルから「私が主人公になるの?」と返ってきた。最初は俳優にあれこれ指示している監督を誰が見たいと思うかと乗り気でなかった。マルテルは凝り性で『サマ』も大幅に遅れ、春の一大映画イベントのカンヌには間に合わなかった。彼女がどの部分に拘り、どんな方法で撮るかは、アブラモヴィチだけでなく後進の映画作家には参考になったのではないか。『サマ』出演のダニエル・ヒメネス=カチョ、ロラ・ドゥエニャスなども登場する。

 

         

      

  

   

(中央がマルテル、左側にサマ役のダニエル・ヒメネス=カチョ)

 

★今回受賞したBlue Boyの舞台はドイツの首都ベルリン、まだIMDbにはアップされていないので詳細はアップできないが、ベルリンにあるバー「ブルー・ボーイ」でセックス・サービスを稼業にしている、ルーマニア出身の7人の青年たちを追ったドキュメンタリー。彼らはビジネスや旅行で訪れるお客様を満足させるために役者に変身する。彼らの目は鏡のように私たちの社会を照射する。セックス労働者の自立、都会の孤独が語られるようです。(字幕英語)

 

監督・撮影・製作:マヌエル・アブラモヴィチ、

メイン・プロデューサー:Bogdan Georgescu

録音:フランシスコ・ペデモンテ

キャスト:フローリン、ラズヴァン、ステファン、マリウス、ミハイル、ラファエル、ロベルト

 

   

  (左から、短編銀熊賞のマヌエル・アブラモヴィチと製作者Bogdan Georgescu

 

     

         (誰か同定できないが出演者の青年、映画から)

 

テディー賞ドキュメンタリー賞の「Lemebel」*ベルリン映画祭20192019年02月18日 14:27

          チリの詩人ペドロ・レメベルの最後の8年間を追うドキュメンタリー

 

             

            (ビエンナーレ2019でのポスター)

    

ジョアンナ・レポシLemebelは、コンペティション部門の次にランク付けされている「パノラマ」部門に出品された作品。ベルリナーレはコンペティション以外の部門が数多くあり、短編を含めると300とか400作ぐらい上映されるのはないでしょうか。というわけで賞の数も半端ではありません。コンペに新人が食い込めるのは大変なことで、却ってこのパノラマとかフォーラムをいずれ光輝く原石が眠る採石場として重要視している向きが多い。ただしコンペに比べると圧倒的に作品情報が限られるからチェックはしんどい。従って受賞作の落穂ひろいにならざるを得ません。

 

★ラテンビート2015で上映後に劇場公開された、グアテマラの新人ハイロ・ブスタマンテTembloresをアップしようと思っておりましたが、コンペティション部門の発表に先立って結果が発表になったパノラマ部門のLemebel96分、チリ=コロンビア)が、テディー賞ドキュメンタリー賞を受賞しましたので先にご紹介します。チリの作家、詩人、コラムニスト、パフォーマンス・アーティスト、自らも同性愛者でジェンダーの平等を訴え続けた活動家でもあったペドロ・レメベルの最後の8年間を追ったドキュメンタリーです。パノラマ部門はLGBTをテーマにしたものが目立つようで、テディー賞を受賞したアルゼンチンのサンティアゴ・ロサBreve historia del Planeta Verdeもパノラマ部門でした。昨年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したセバスティアン・レリオ『ナチュラルウーマン』もテディー賞を受賞しましたが、こちらはコンペティション部門でした。

 

            

         (トレード・マークのスカーフを被ったペドロ・レメベル)

 

ペドロ・レメベル Pedro Segundo Mardones Lemebel は、19521121日チリのサンティアゴ生れ、父親の姓 Mardones は使用しないことを明言している。2015123日、2011年に発症した喉頭癌のため死去、晩年は手術のために声を失った(享年62歳)。1970年代にチリ大学に入学、造形芸術の学位を得る。1979年サンティアゴの二つの高校の教師となるが、1983年に両校から解雇される。おそらく彼の性的志向が理由だと推測された。以後教職に戻ることはなく、自ら起ち上げたワークショップで指導に当たった。チリの作家といえば、ノーベル賞受賞者のガブリエラ・ミストラルと映画の主人公にもなったパブロ・ネルーダの二人の詩人、若くしてチリを離れたロベルト・ボラーニョ、またはボラーニョが尊敬していたというニカノール・パラなどが挙げられます。日本でのペドロ・レメベルの認知度がどのくらいあるのか分かりませんが、小説Tengo miedo torero2001)の他、グラフィック小説、コラム集、短編・詩・コラムを纏めたアンソロジーが刊行されている。

 

    

 

★代表作品は、上記の「Tengo miedo torero」でフランス語、イタリア語、英語に翻訳されている。代表的なコラム集は、1995La esquina es mi corazón: crónica urbana1996Loco afán: crónicas de sidario2004Adiós mariquita lindaなど。没後出版されたインタビュー集No tengo amigos, tengo amoresその他中道左派の「ラ・ナシオン」紙、左翼系雑誌「プント・フィナル」や「ザ・クリニック」のコラムニスト、さらにラジオ番組の制作者だった。ハーバード大学やスタンフォード大学など多くの大学に招聘され講義を行っている。2013ホセ・ドノソ賞を受賞している。1月開催のチリ恒例の文化祭に姿を見せファンを驚かせたレメベル、これが最後の姿になった。

 

       

       (ファンに最後の別れを告げるレメベル、201517日)

 

★彼の青春時代、活動期がピノチェト軍事政権時代(197390)と重なるので、反共主義者、ホモ嫌いだった政権下では生きにくかったと想像できます。チリは南米諸国でも際立ってホモセクシュアルの偏見が強く、日本同様同性婚は認められていない。下の写真は1986年ピノチェト政権反対の政治集会に共産主義や共産党のシンボル「鎌と槌」の化粧をしてハイヒールを履いて参加したときのレメベル。集会で「私は釈明を乞うパゾリーニではない/・・・私は詩人に見せかけた同性愛者ではない/変装など必要ない/これが私の顔/・・・私は少しも変ではない」(拙訳)というマニフェスト《Hablo por mi diferencia》を読み上げた

 

           

       (独裁政権を挑発した「鎌と槌」の化粧をしたレメベル)

 

★チリ出身だが1970年代末にスペインに移住した作家ロベルト・ボラーニョ19532003)と同世代ということもあって、チリとスペインと離れていたが親交があった。50歳という若さで鬼籍入りしたボラーニョはレメベルの影響を大きく受けたと書いている。二人の会話は平行線を辿りながらも「レメベルは私の世代ではずば抜けた詩人、私は魅せられていた」と。「レメベルは最高の詩人になるために詩を書く必要はない。誰もレメベルのような奥深さに到達しない」。彼の詩をひたすら読めばいい、彼は私のヒーローだと「Entre parentesis」に書いている。1998年に25年ぶりにチリに帰国している。このときニカノール・パラにも会っている。

 

       

    (ロベルト・ボラーニョとペドロ・レメベル、1998年に帰国したときのものか)

 

★監督のジョアンナ・レポシ Joanna Reposi Garibaldi は、1971年サンティアゴ生れ。2013年ごろ生前のレメベルからドキュメンタリー製作の許可を得ていたようで、完成にはかなりの年月をかけている。脚本もマヌエル・マイラと共同執筆した。デビュー作は2002年のドキュメンタリーLocos del almaで、本作は第2作めになる。受賞後のインタビューで「レメベルはアヴァンギャルドな芸術家で、いつも言ってるけど、彼はヨーコ・オノ、デヴィッド・ボウイであり、ビクトル・ハラやビオレッタ・ハラのように、この国ではその真価が認められていない芸術家」と語っている。

 

      

                       (ドキュメンタリー「Lemebel」から)

    

       

 (ジョアンナ・レポシとマヌエル・マイラ)

 

★本作はベルリンのあと、3月開催のテッサロニキ・ドキュメンタリー映画祭の国際コンペティション部門にも正式出品、「金のアレクサンダー」賞を競うことになる。またサンティアゴ映画祭2019でも818日上映がアナウンスされた。   

 

『I Hate New York』&『サビ』他:ラテンビートあれやこれや⑥2018年11月09日 15:18

 

 114日に見たグスタボ・サンチェスのドキュメンタリーI Hate New York』、アランチャ・エチェバリアのデビュー作『カルメン&ロラ』、アリ・ムリチバの『サビ』、3作ともに考えさせられる作品でした。I Hate New York』と『カルメン&ロラ』には監督のQ&Aがありました。真摯な人柄が分かるサンチェス監督、見るたびにふくよかになっていく元気印のエチェバリア監督、アレックス・デ・ラ・イグレシアのようにならないことを切に願います。バジャドリード映画祭2018で新設なった「ドゥニア・アヤソ賞」受賞の記事をアップしたばかりです。先輩女性監督の名を冠した賞の名誉ある受賞者になりました。前回に続いて見た順に感想をメモランダムに。

  

          10年前1台のカメラで撮りはじめたI Hate New York

 

     

 (Q&A終了後のフォトコール、サンチェス監督とアルベルト・カレロ氏、LBサイトから拝借)

 

A: 昨日に続いて第2回目の上映となったグスタボ・サンチェスI Hate New York』は、9.11後に訪れたNYを見たことが原点にあるようでした。その後2007年に再訪、はっきりした構想もプロデューサーも決まっていなかったが、9.11後のNY市民の日常を1台のカメラで自由に回し続けていた。

B: パブリックの資金援助は貰っていない、エグゼクティブ・プロデューサーとしてエンディング・クレジットにあったJ.A.バヨナカルロス・バヨナ兄弟の参画は、最初からあったわけではないと語っていた。

 

         

        (サンチェス監督とJ.A.バヨナ、マラガ映画祭2018のプレス会見)

 

A: 制作会社「Colosé Producciones」のサンドラ・エルミダJ.A.バヨナは、以前から共同で製作しているから、そういう繋がりで参画したのではないか。サウンドトラックなどを手掛けているカルロス・バヨナは、本作で製作者デビューを果たしたようです。

 

I Hate New York』の紹介記事は、コチラ20180905

 J.A.バヨナのキャリア&フィルモグラフィー記事は、コチラ20180324

 

B: 80人ほどの証言者のうちアンダーグラウンドのLGBTQのアーティスト4人に絞り込み完成させた。その4人とは、ドラッグクイーンのアマンダ・ルポール、キューバから夢を抱いて亡命してきたソフィア・ラマル、元パンクバンドの歌手クロエ・ズビロ、クロエのパートナーで前衛アーティストのT・デ・ロング、彼の出生時の性は女性です。

 

        

                (アマンダとソフィア)

 

A: 見る前はアマンダを中心にしたドキュメンタリーだと思っていましたが、HIV偏見と闘い、常に死と隣り合わせで生きているクロエ、彼女を心から愛しているT・デ・ロングの印象が強かった。コネチカット出身のクロエは、1982年にNYに移住、その死まで暮らしていた。この二人に絞ったほうがよかったと思ったくらいです。

 

      

             (元パンクバンドの歌手のクロエ・ズビロ)

 

B: 監督は同じスペイン語話者であるソフィアに惹かれていたようですが、掘り下げが足りない印象を受けた。1回目のQ&Aで会場から10年で区切りをつけた理由を質問されて、「クロエの死だ」と答えていたようです。

A: 見ていてそう感じました。強い愛が介在していた死は重たい、たまたまそれが10年目だった。フィルム編集は監督ではなかったが、惜しい。続けてT・デ・ロングのその後を追ってほしい。NYという都会は、ウディ・アレンに限らず多くのシネアストを刺激し続けている。誰もが夢を見るNYだけれど、その背後に潜む理不尽な現実を10年間も追い続けたドキュメンタリーはそんなに多くない。

 

B: タイトルについての質問が当然出ました。「I Love New York」に対抗してアイロニーを込めている。「大都会NYから得られるものを人々は本当に望んでいるのか」という疑問も込めて「Hate」にした。表舞台でなく裏舞台で暮らしている人たちへの共感をこめている印象でした。

A: 「Love」だったら、もっと皮肉だ。

 

B: コメンテーターのカトリナ・デル・マルLGBTQ分析が面白かった。

A: NY在住の写真家、ビデオアーティスト、ライター、短編映画を数作撮っているドキュメンタリー監督、海外の大学にも招聘されて講義をしている。短編ドキュメンタリー「Hell on Wheels Gang Girls Forever」(12)が代表作。音楽好きの方はご存知でしょう。彼女をコメンテーターとして登場させたことが成功の一つでした。

B: マラガ映画祭、サンセバスチャン映画祭上映のお蔭か、J.A.バヨナのネームバリューのお蔭か、スペイン本国でも公開になり(119日)、映画祭用映画で終わらなかったことを証明した。これから「梅田ブルク7」でも上映されます、と宣伝しておきます。

 

            

            (サンセバスチャン映画祭宣伝用のポスター)

 

 

         閉ざされたロマ社会の禁じられた愛を描く『カルメン&ロラ』

 

     

 (Q&A終了後のフォトコール、エチェバリア監督、スペイン大使、カレロ氏、同上

 

A: Q&A2日前に着任したばかりという駐日スペイン大使の飛入りもあって盛り上がりました。日西国交150周年だそうで、これまたびっくりしました。カンヌ映画祭と併催の「監督週間」正式出品以来、快進撃を続けている『カルメン&ロラ』をスクリーンで見ることができたことは考え深い。

 

B: 本作の字幕翻訳者の方も会場におられて、司会者からコメントを要請されていましたが。

A: ロマ社会の実情は翻訳者もご存じなかったそうで、個人的にはこれまた考え深いことでした。本作の製作意図、ストーリーやアランチャ・エチェバリア監督の紹介はダブらせたくないので省きますが、伏線が巧みに張られておりラストシーンはその通りになりました。上述したように1027日に閉幕したバジャドリード映画祭でドゥニア・アヤソ賞を受賞しました。

 

『カルメン&ロラ』の紹介記事は、コチラ20180513

ドゥニア・アヤソ賞受賞の記事は、コチラ20181102

 

B: 東京4日目という監督は疲れもみせず元気いっぱいの登壇でした。司会者の監督紹介の後、本作のアイデアを訊かれて「初恋」がもとになっており、2009年にロマ女性の同性婚の記事を新聞で読み、タブー視されているテーマを絡ませようと考えた、と応えていました。

A: カンヌの紹介記事に書いた通りです。映画に描かれた内容に誇張はないときっぱり、マドリードのような大都会でも周辺は別で、特にロマ社会は家父長的な考えが強い。カルメンの父親も、ロラの父親も、さらには息子世代もマッチョがまかり通っている。

 

     

           (素顔の主役二人とアランチャ・エチェバリア監督)

 

B: スペインでは、同性婚が法的に認められていますが、マドリードやバルセロナのような都会はいざ知らず、地方の現実はまだまだ、理解は得られていないのではないか。

A: ロマ社会のタブーを炙り出すことですが、二人の若い女性、カルメンとロラが困難に直面することで強くなり、視野が広がること、人は変わることができるのだ、というのが真のテーマでしょう。

B: マックス・オフュルスの『歴史は女で作られる』(55)ではありませんが、女は自由を求めている、変革は女性の手で、というわけです。応募に1000人もの人が押し寄せたというのも変化の表れだと思いませんか。

 

A: 微妙に変化していくロラの母親役ラファエラ・レオンも、変われない父親役のモレノ・ボルハも素人、唯一のプロがパキ役のカロリナ・ジュステでした。モレノ・ボルハは初出演とは思えない上手さでしたが、果たしてトゥールーズ・スペイン映画祭で男優賞を受賞、他に観客賞ヴィオレト・ドール(ゴールデン・スミレ賞)を受賞した。

 

B: 監督からロラ役のサイラ・モラレスは、作中でカルメン役のロジー・ロドリゲスが選ぼうとした職業「美容師になろうと考えていたが、今は次回作も決まって女優を目指している」と監督。

A: 何がきっかけで人生が変わるか分かりませんが、ペルー映画『悲しみのミルク』(09)のヒロイン、マガリ・ソリエルも教会前で露店の売り子をしていたとき、クラウディア・リョサ監督に見いだされ、女優の道を歩くようになった。

 

    

(海を見たことがないカルメンとマラガの海を知っているロラが辿りついた海辺のラストシーン)

 

B: より厳しい現実が二人を待っているのだが、自分で決めた自由は素晴らしい。

 

 

        ネットに潜む危険と不在がもたらす孤独についての『サビ』

 

     

A: 3本目はブラジル映画、アリ・ムリチバの『サビ』、ポルトガル語ということで簡単にしか内容紹介ができませんでしたが、若者の遊び半分が重大な悲劇をもたらすというサスペンスドラマ。

B: 第1部がSNSに熱中する16歳の女子高校生タチ、第2部がタチの同級生ヘネとその家族、二人が通う高校の教師でもある父親、弟と妹、3人を捨て新しい夫との間に身ごもっている元母親の話。

 

         

      (ネットに流出した個人情報に愕然とするタチ役のティファニー・ドプケ)

       

A: 家族を捨てるのが夫ではなく妻という設定が時代の流れを感じさせる。ネタバレさせずに語るのは難しいが、衝撃的なシーンがあるとだけ言っておきます。タチの家族はスクリーンに現れず、当然存在すべきものが不在しているという不気味さがある。

B: 反対にヘネの家族は全員登場するのだが、関係はばらばらであたかも家族ではないような希薄さがある。特に中流家庭の子供が通う高校教師である父親の被害者面をしたずる賢さが、映画の進行につれて母親の出奔をもたらしたと分かってくる。

 

    

           (タチとヘネ役のジョヴァンニ・デ・ロレンツィ)

 

A: 自分に無関心な夫を捨てるのはいいとして、まだ母親を必要とする3人の子供をおいて新しい恋人のもとに走るというのが一般的にあるのか分かりませんが、少なくとも二人の息子は母親を許さない。

B: ヘネの弟は母親を小母さんと呼んで無視していた。

A: 学校でのイジメがテーマではないのですが、それぞれ自己中心的で自分の殻に閉じこもっていることで、以前見たミシェル・フランコの『父の秘密』(12)を連想しながら鑑賞しました。

 

B: あのメキシコ映画もイジメではなく突然の不在がテーマでした。

A: タチを演じたティファニー・ドプケと『父の秘密』のアレハンドラ役のテッサ・イアが似ていたせいかもしれません。なかなか興味深い映画でしたが、邦題『サビ』は若干分かりにくいのではないでしょうか。原題はFerrugemで直訳すると「鉄錆」という意味ですが、無教養、怠惰、活力の減退などマイナス・イメージの単語です。

 

     

   (アリ・ムリチバ監督、ティファニー・ドプケと友人ラケル役のクラリッサ・キスチ)

 

 B: 大阪梅田会場は上映されませんが、横浜ブルク13で上映されます。本日からアナ・カッツの『夢のフロリアノポリス』で後半が始まります。

 

『サビ』の簡単紹介記事は、コチラ20180924

 

ドキュメンタリー『激情の時』*ラテンビート2018 ④2018年10月12日 10:49

         アーカイブ映像で綴った激動の1960年代―パリ、中国、プラハ、リオ

 

★邦題『激情の時』は、山形国際ドキュメンタリー映画祭2017で上映されたときに付けられたもの、審査員特別賞を受賞した。ジョアン・モレイラ・サレス監督はドキュメンタリー映像作家として国際的に認知されている(現在のところフィクションは撮っていない)。『激情の時』2007年のSantiago以来、5年の歳月を掛けて10年ぶりに完成させたもの。1966年文化大革命初期の中国、1968年ソビエト連邦のプラハ侵攻、パリ1968年五月革命(フランスの五月危機)、軍事独裁時代(196485)のリオデジャネイロなどのアーカイブ映像で綴ったドキュメンタリー。

 

         

 

 『激情の時』(原題No Intenso Agora、英題「In the Intense Now」) 

製作:Videofilmes Producoes Artististicas Ltda.

監督・脚本:ジョアン・モレイラ・サレス

編集:エドゥアルド・エスコレル、Lais Lifschitz

音楽:ホドリゴ・レアンRodrigo Leao

 

データ:製作国ブラジル、言語ポルトガル語、2017年、127分、ドキュメンタリー、現代史、モノクロ&カラー、公開ブラジル201711月、他2018年に米国、ポーランド、コロンビアなどで公開

 

映画祭・受賞歴:シネマ・ドゥ・リール2017オリジナル音楽賞(ホドリゴ・レアン)、サンティアゴ映画祭SANFICスペシャル・メンション、山形国際ドキュメンタリー映画祭2017審査員特別賞、サンパウロ美術評論家協会2018APCA賞、以上受賞。ベルリン映画祭2017、ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭BAFICI、パリ・ブラジル映画祭、エルサレム、サンセバスチャン(サバルテギ-タバカレラ部門)、サンティアゴ、リマ、シカゴ、ウィーン、アムステルダム・ドキュメンタリー、各映画祭に出品。シネマ・ブラジル大賞2018(ドキュメンタリー、編集)、イベロアメリカ・フェニックス賞2017(作品・音楽)にノミネートされた。

 

      

     (来日した監督と司会の荒井幸博、山形国際ドキュメンタリー映画祭2017

 

解説:ブラジル軍事独裁時代のリオデジャネイロ、文化大革命初期の中国、フランス五月危機のパリ、ソビエト連邦のチェコスロバキアのプラハ侵攻、激動の1966年から1968年を切りとったアーカイブ映像と、中国を訪れた監督の母親が撮ったアマチュアのフッテージで構成されている。1968年という年は世界的規模で一般大衆、特に若者が社会に不服従を申し立てをした年だった。旧態依然の父権性、白人男性優位、階級区分、兵役拒否など、特にフランスの五月危機は60年代後半の若者の怒りに点火して、その後の社会意識に変化をもたらした。監督独自の視点で纏められている。手持ちの16ミリ、スーパー 8mm フィルムなどで撮られている。まだ iPhone SNS がなかった時代の記録。                                                            (文責:管理人)

      

       

(文化大革命初期の中国、1966年)

 

    

      (当時の中国を訪問した監督の母親のグループのフッテージ)

 

       

               (ソビエト連邦のチェコスロバキアのプラハ侵攻、1968年)

 

       

    (フランスの名門大学ソルボンヌの学生、パリ五月革命、1968年)

 

       

(石畳を粉砕した投石で警察の催涙弾や放水に対抗したフランスの学生たち)

 

    

         (軍事独裁時代のリオデジャネイロ、19683月)

 

 監督キャリア&フィルモグラフィー

ジョアン・モレイラ・サレスJoan Moreira Salles1962年リオデジャネイロ生れ、監督、製作者、脚本家、編集者。ブラジルのセレブの出身。リオデジャネイロ・カトリック大学で経済学を専攻、ニュージャージー州のプリンストン大学卒。『セントラル・ステ-ション』(98)、『ビハインド・ザ・サン』(01)、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04)のウォルター・サレス監督は実兄、ブランカ・ビアナ・サレスは夫人。

 

      

         (モレイラ・サレス監督とブランカ・ビアナ・サレス夫人)

 

1987China, o Imperio do Centro」(104分、デビュー作)

1990Blues(アフリカンアメリカ人の音楽)

1999Noíicias de una Guerra Particular

     (スペイン合作、57分、カティア・ルンドとの共同監督)

    マラガ映画祭2001スペシャル・メンション

2003Nelson Freire102分、ピアニスト、ネルソン・フレイレのビオピック)

    ACIE賞ブラジル04、シネマ・ブラジル大賞04、サンパウロ美術評論家協会賞04受賞

2004Entreatos117分)

    2002年大統領選挙の候補者ルーラ・ダ・シルヴァに同行して撮った政治キャンペーン

    ACIE賞ブラジル05、ハバナ映画祭05サンゴ2席、サンパウロ美術評論家協会賞05受賞   

2007Santiago80分、モノクロ)

    サレス家で30年間に亘って働いた執事サンティアゴについてのドキュメンタリー

    シネマ・ドゥ・リール賞2007、リマ・ラテンアメリカ映画祭071席、

    マイアミ映画祭08審査員大賞受賞

2017No Intenso Agora省略

 

      

 

              

       (マルタ・アルゲリッチと連弾するネルソン・フレイレ、

 訪日回数も多く2017年、2018年連続で「すみだトリフォニーホール」でリサイタルを開催)

  

     

(ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァをあしらった「Entreatos」)

 

     

                    (執事サンティアゴをあしらった「Santiago」)

 

サバルテギ-タバカレラ部門 3*サンセバスチャン映画祭2018 ⑧2018年08月05日 16:00

       サバルテギの3作目はアルゼンチンのドキュメンタリー「Teatro de guerra

 

 

ロラ・アリアスTeatro de guerraは、1982年に勃発したマルビナス(フォークランド)戦争に従軍したアルゼンチンとイギリスのかつての兵士6人の個人的な記憶に基づいたドキュメンタリー。両陣営合わせて約1000名の犠牲者を出した戦争は、旧型兵器の在庫一掃、兵器開発国にとっての巨大な実験場とも称された。イギリス軍の圧勝に終わった戦争だが、アルゼンチンではマルビナス諸島の統治権についての論争は未だに続いている。戦争終結35周年の節目に両国のユニークなコラボレーションで製作された。本作は既にベルリン映画祭2018「フォーラム」部門でワールドプレミアされ、エキュメニカル審査員賞C.I.C.A.E.Art Cinema賞を受賞している。

 

      

 Teatro de guerra(「Theatre of War」)ロラ・アリアス

キャスト:ダビ・ジャクソン、ルベン・オテロ、マルセロ・バジェッホ、ルー・アーマーLou Armour、ガブリエル・サガストゥメSagastume、スクリム・ライSukrim Rai

 

     

 (前列、マルビナス諸島の地図をもつ、左からマルセロ・バジェッホ、ルー・アーマー、

後列、ガブリエル・サガストゥメ、ダビ・ジャクソン、スクリム・ライ、ルベン・オテロ)

 

監督・脚本:ロラ・アリアス

撮影:マヌエル・アブラモヴィチ

製作者:ジェマ・フアレス・アジェン(Gema Films代表者)、アレハンドラ Grinschpum、ベティナ・ワルター、他

 

データ:製作国(制作会社)アルゼンチン(Gema Films、スペイン(BWP、ドイツ(Sutor Kolonko)、スペイン語・英語、2018年、ドキュメンタリー、73分、撮影地ブエノスアイレス、ロンドンのロイヤル・コート・シアター、製作資金約23万ユーロ、アルゼンチン配給INCAA、公開アルゼンチン201842

 

映画祭・受賞歴:ベルリン映画祭2018フォーラム部門(ワールドプレミア)エキュメニカル審査員賞C.I.C.A.E.Art Cinema賞を受賞、SXSW米国サウス・バイ・サウス映画祭出品、イスタンブール映画祭、エルサレム映画祭(ベスト・ドキュメンタリー賞)他

 

     

 (C.I.C.A.E.Art Cinemaのトロフィーを手に、ジェマ・フアレス・アジェン、ベルリン映画祭)

 

解説19823月、アルゼンチンとグレートブリテンは、大西洋上のフォークランド(マルビナス)諸島の領有権をめぐって軍事衝突した。約3か月後の614日、両陣営合わせて約900名の犠牲者を出して終結した。イギリスの圧倒的な勝利に終わった戦争だが、アルゼンチンではマルビナス諸島の統治権についての論争は未だに続いている。出演者6名は、オーディションに応募してきたマルビナス戦争の従軍兵士から各3名ずつ選ばれた。彼らが戦った戦争の記憶の掘り起こしに数か月間かけて再構築した。このドキュメンタリーはかつての敵同士を出合わせて、戦争で深い傷を負った元兵士たちの個人史を語らせるという社会的な実験でもある。彼らの記憶の掘り起こしの舞台となった空間は、それぞれスイミングプール、建設中の工事現場、軍の連隊であったりした。すべてのシーンは、本物であると同時に人工的につくられたものでもある。戦争終結35周年に際して、アルゼンチンとイギリス両国のユニークなコラボレーションで製作された。

 

           

                     (プールサイドで記憶を再構築する元兵士たち)

 

★ドキュメンタリーというより、ドキュメンタリーとフィクションがミックスされた印象を受ける。かなり革新的な手法で撮られており、これからのドキュメンタリーの方向性を占う参考にもなりそうです。この戦争については優れたドキュメンタリーもあり(ヨークシャーTVThe Farkland War1987)、字幕入りで放映されたものが、部分的にYouTubeで見ることができる。湾岸戦争の先駆け、旧型兵器の在庫一掃、兵器開発国にとっての巨大な実験場などと称されるが、死傷者654名を出したアルゼンチン兵士の多くは、にわか仕立ての訓練が不十分な若者だったと言われています。戦場と帰還した本国のギャップに苦しみ、自殺した兵士の数は戦死者と同数だったともいわれている。

 

    

   (国民の不満を逸らすためマルビナスに軍隊を派遣した軍事独裁者ガルティエリ大統領、

国連の勧告を無視して機動艦隊と原子力潜水艦を派遣、人気挽回を図った鉄の女サッチャー首相)

 

トリスタン・バウエルIlminados por el fuego05『火に照らされて』アルゼンチン)は、18歳でマルビナスの戦場に放り込まれた青年エステバンが20年後に戦争の記憶を辿る物語。サンセバスチャン映画祭2005の審査員特別賞を受賞したほか、ゴヤ賞2006スペイン語外国映画賞(現イベロアメリカ映画賞)を受賞している。戦争の記憶は生きている限り消えることはない。

 

監督紹介ロラ・アリアス Lola Arias は、1976年ブエノスアイレス生れ、監督、脚本家、作曲家、女優、舞台演出家。ブエノスアイレス大学卒。舞台演出家としてのキャリアが長く、長編ドキュメンタリーTeatro de guerra42歳でのデビュー作。プロジェクト・チームの立ち上げは2013年、準備に時間をかけている。その間、同じテーマで劇化した「Minefield」(地雷敷設区域)は既に何回も上演されているようです。キャストもマルビナス戦争に従軍した6人の元兵士です。今年10月に開催される京都国際舞台芸術2018『記憶の地雷原』100分)の邦題で3回の上演が決定しています。アリアスは5年前に『憂鬱とデモ』で当京都国際舞台芸術祭に参加しているそうで、演劇界では実績のある演出家。

   

    

   (「Minefield」に出演のマルセロ・バジェッホ、ロイヤル・コート・シアター、2016年)

 

★お気に入りの監督は、ベルギーの故シャンタル・アケルマン、特に「Je, tu, il, elle」(75、モノクロ)は「独創的で、センシティヴ、詩的で美しい。女性同士のセックスシーンの美しさは今まで見たことがなかった」と。本邦では第19回カイエ・デュ・シネマ週間「シャンタル・アケルマン追悼特集」で『私、あなた、彼、彼女』として上映された。ジャム・ジャームッシュ以下影響を受けた監督は数多い。私生活では作家のアラン・パウルスと結婚、2児の母親。パウルスの小説で映画化されたものは、先年鬼籍入りしたエクトル・バベンコの『失われた肌』(07)があり、他にフィト・パエスの『ブエノスアイレスの夜』(07)、当ブログでもご紹介したグスタボ・タレットの『ブエノスアイレス恋愛事情』(11)などの脚本を手掛けている。

  

            

                      (ロラ・アリアス、ベルリン映画祭2018にて)

  

混戦模様のドキュメンタリー部門*ゴヤ賞2018 ③2018年01月13日 21:08

               作品賞よりお茶の間を沸かすドキュメンタリー部門

 

     

★本来なら作品賞部門の行方が気になるはずだが、今回はこれと言って特別応援する映画がない。面白そうなのが長編ドキュメンタリー部門である。カルロス・サウラの人生を7人の子供たちに語らせたSaura(s)は以前に紹介済みだが、今お茶の間の話題をさらっているのが、俳優グスタボ・サルメロンが実母フリータの生き方を、14年に亘って撮り続けた初監督作品Muchos hijos, un mono y un castillo(「Lot of Kids, a Monkey and a Castle」)ではないでしょうか。昨年1215日の公開以来、フリータと家族はテレビのショータイム番組に引っ張り凧、このエキセントリックな一族(写真下)が、相変わらず高い失業率にあえぐお茶の間を元気づけている。批評家の評価もおしなべて高くSaura(s)」を超えるのは間違いなさそう。何が魅力なのでしょう?

 

    

  (全員集合、前列は孫たち、中央が両親、背後に控える監督以下子供たちの家族)

 

 Muchos hijos, un mono y un castillo(「Lot of Kids, a Monkey and a Castle」)2017

製作:Sueños Despiertos / Caramel Films(配給)

監督・撮影・プロデューサー:グスタボ・サルメロン

脚本(共):グスタボ・サルメロン、ラウル・デ・トーレス、ベアトリス・モンタニェス

編集:ラウル・デ・トーレス

音楽:ナチョ・マストレッタ

美術:マヌエル・エスラバ・フェハルド

録音:アブラハム・フェルナンデス、ペラヨ・グティエレス、アナ・ベレン・マルティン

 

データ:スペイン、スペイン語、2017年、ドキュメンタリー、90分、カルロヴィ・ヴァリ映画祭201776日)でワールドプレミア、ベスト・ドキュメンタリー賞受賞、トロント映画祭(9月)出品、カムデン映画祭(米ニュージャージー州)ハレルHarrell賞受賞、サンセバスチャン映画祭サバルテギ部門出品、ハンプトン映画祭ゴールデン・スターフィッシュ賞受賞、他チューリッヒ、ロンドン、ストックホルム、マル・デル・プラタ、各映画祭出品。マドリード限定プレミア1212日、一般公開1215日。間もなく開催される2018年ゴヤ賞(ドキュメンタリー部門)、フォルケ賞(同部門)、フェロス賞(コメディ部門)などにノミネートされている。

 

     

     (トロフィーを手に、家族全員が呼ばれたカルロヴィ・ヴァリ映画祭の授賞式)  

 

出演者:グスタボ・サルメロン(監督)、フリア・サルメロン(母親フリータ)、アントニオ・ガルシア(父親)、他ガルシア・サルメロン一家

 

プロット:フリータは三つの夢を叶えることができた。それはたくさんの子供に恵まれること、モンキーを飼うこと、城に住むことの三つだった。しかし世界を震撼させた2008年の経済危機に見舞われ、目下一家は苦境に立たされている。この堂々たる城を維持していくだけのお金がないのだ・・・グスタボ・サルメロンが俳優の仕事をしながら14年間に亘って、突飛で優しさあふれた思索家でもある母親を主人公に、エキセントリックな一族を撮り続けた、ちょっと物悲しいコメディ。

 

    「私の母はスペインのジーナ・ローランズ、太めのメリル・ストリープ」と監督

 

★「なんて素晴らしい母親なんだろう! 記録しておかなくちゃ」というわけで20033月に撮影が開始された。監督によると、「14年間格闘してきた。1日として撮影しなかった日はなかった。大プリニウスの教え『1本の線を引かない日は1日もない』をモットーとしていたからだ」と。これは古代ローマの博物学者大プリニウスが、古代ギリシャの画家アペレスの不断の努力を讃えた言葉である。「出演者、つまり私の家族と私、私と私の家族の甘酸っぱい、匙加減をしない、ありのままの姿を明らかにすることだった」とも。「へこんだり、うんざりしたり、途方にくれたりしたが、とにかく14年間謙虚に作業をした」と語っています。本格的にドキュメンタリーにまとめようとしたのは後のことだったようです。

 

  

(スペイン家庭の定番朝食、ビスケットをオーレにひたしながら食べるフリータを撮る監督)

 

★中流家庭のガルシア・サルメロン家は、常に混沌としていたが子供たちには創造力と自由が許される環境に包まれていた。6人兄姉の末っ子グスタボが学齢に達しても、誰も学校に行かせようとは考えなかった。子供たちの長所を見つけて過度に励ましてくれるコツを心得ていた。「私たち兄弟はサルと一緒に育った。80年代にサルを家で飼うことなど全く無責任なことでした。母は80歳でも少女のようでした」と。子供たちのなかには将来、工業デザイナーになった兄、幼稚園の園長になった姉がいる。一家は城を買い入れ、やがて鎧や絵画、動物たちが溢れだしてきた。フリア・サルメロンはいわゆるディオゲネス症候群(ため込み症候群)の持ち主だった。自由奔放すぎる女性のようです。

 

 (家で飼っていたサル)

      

2004年の9月、「ねえ私、祖母の脊椎骨を持ってるのよ」と母フリータはのたまう。―「何だって、いい加減なこと言って」と監督。「ほんとよ、私の祖母の」―「ちょっと待ってくれ、ぼくの曾祖母のかい?」―頭が真っ白になった監督「どこにあるんだい?」―「どこかにあるはずよ」。つまり場所が分からなくなっていた。俄然見たくなった監督、本当にあるなら見つけて埋葬してやりたかった。すぐさま脊椎骨探しが始まった。この曾祖母は1936年スペイン内戦のさなかに姪とともに殺害されたということだった。本格的にドキュメンタリーにしようと決心した瞬間だったようです。だから最初のタイトルは「En busca de la vértebra perdida」(仮訳「失われた脊椎骨を探して」)だった。監督にとってこの脊椎骨探しはスペイン探しでもあったからである。

 

    

   (絵画や動物に囲まれた、かなり太めのスペインのメリル・ストリープ

 

★撮影開始10年目を迎えた20123月、母親がどんな状況でもカメラを回しつけたが、どこか具合が悪いのか元気がなく、「ねえグスタボ、私たちを撮ることで俳優の仕事ができないのじゃないの」とフリータ、いつもは強がりの父親も、「私たちはもう役立たずの二人の年寄りなんだよ」。カメラを取りに急いで書斎に入り、これは心理学者に相談しに行かねばと決心する。2008年のリーマンショックが一家を追い詰めつつあったようで、結局2014年、銀行の負債が返済できなくなり城を手放した。いいことばかりじゃなかった。城は失ったが代わりに映画が完成して大成功をおさめたのだから。 

          

         (フリータ最愛の夫「忍耐の天才」アントニオ・ガルシア)

 

         「自由についてのレッスン」とエルビラ・リンド

 

★トータルで撮影に14年間、最後の2年間はカメラを回しながら同時に編集作業をした。脚本はとても難しく、二人のプロフェッショナル、ベアトリス・モンタニェスラウル・デ・トーレスの協力を仰いだ。400時間を88分に編集してくれたのもラウル・デ・トーレスだった。別の人の視点が必要だったし、とても勉強になったと語っている。本作は個人史ではあるが「

  

  

             (脚本家ベアトリス・モンタニェスと監督)

 

★各紙の批評家がこぞって「この並外れて素晴らしい女性に観客は夢中になるだろう」とエールを送っています。『メガネのマノリート』の作者エルビラ・リンドの批評を要約すると、「どうして映画館がいっぱいになるのか? それは素晴らしい本物の女性に会えるからだ。このドキュメンタリーは自由についてのレッスンであり、傷つけあわずに共に生きることを知っている一家に会える純粋なコメディだからです」と述べています。マドリード限定のプレミア上映には、アルモドバルを筆頭に、サンティアゴ・セグラフェルナンド・コロモフアンマ・バホ・ウジョアの監督たち、カルロス・アレセスエレナ・アナヤナタリエ・ポサなど大勢の俳優たちが応援に馳せつけた。間もなく発表になるフォルケ賞が受賞ならゴヤ賞が射程にはいってくる。

 

   

 (鎧と脊椎骨を両側にセットした椅子に座る両親と監督、マドリードの映画館カジャオにて)

 

★グスタボ・サルメロンは、1970年マドリード生れの47歳、俳優、監督、脚本家、製作者。俳優としてのキャリアは、1993年フリオ・メデムの『赤いリス』でデビュー、2001年短編Desaliñadaで監督デビュー、翌年のゴヤ賞2002短編映画賞を受賞している。詳しい紹介は受賞したら特集いたします。

 

                

               (俳優グスタボ・サルメロン)

 

サウラの伝記ドキュメンタリー "Saura(s)" *フェリックス・ビスカレト2017年11月11日 14:44

 

               「パパは85歳」になりました!

 

    

★今年のラテンビートでは、カルロス・サウラの新作J:ビヨンド・フラメンコ』が上映されました。「ホタJota」というアラゴン起源の民俗舞踊と音楽をテーマにしたドキュメンタリー。現在ではリオハやナバラなどでも演奏され、歌、アコーディオン、ガイタ(ガリシアのバグパイプ)、リュート、バンドゥーリアというギターに似た楽器で演奏されます。サウラの生れ故郷ウエスカはアラゴン州の県都です。個人的には初期の『狩り』(65)や1960年代末から1970年代に撮られた作品群の強烈な印象がわざわいして、いわゆるフラメンコ物やタンゴ、ファド、ソンダの音楽舞踊がメインの作品には飽きがきています。

 

70年代の作品群の中には、『アナと狼たち』(72)、『従姉アンヘリカ』(73)、『カラスの飼育』(75公開)、『愛しのエリサ』(77)、『ママは百歳』(79)、『急げ、急げ』(81)など大体はジェラルディン・チャップリンがサウラの「ミューズ」であった時代の映画(9作ある)、または製作者エリアス・ケレヘタとタッグを組んでいた時代の映画です。公開されたのは『カラスの飼育』のみ、それも12年後の1987年、他はミニ映画祭上映でした。日本公開作品が如何にフラメンコ物に偏っているかが分かります。ラテンビートで即日完売となった『フラメンコ・フラメンコ』(10)は、本国の映画館では閑古鳥が鳴いていたのでした。

 

    

  (母子を演じたジェラルディン・チャップリンとアナ・トレント、『カラスの飼育』から)

 

★前置きが長くなりましたが、ご紹介したいのはフェリックス・ビスカレトのサウラの伝記ドキュメンタリー Saura(s)1785分)です。1932年生れのサウラは今年85歳になりました。だからではないと思いますが、父親サウラとそれぞれ世代の異なる子供7人と会話を通して対峙させてドキュメンタリーを撮ろうという企画が持ち上がり、7人からは承諾をもらえた。しかし肝心の父親は過去については当然乗り気でない。過去のことなど重要じゃない、これからが大切だというわけでしょう。

 

★しかし監督は企画に固執する。サウラは描写に拘る。監督は屈服しない。サウラも降参しない。両人とも相譲らなかった。そういう性格のドキュメンタリーのようです。逃げきろうとする老監督の核心にどこまで迫れたか、惚れっぽい女性行脚への匙加減、市民戦争がトラウマになっている先輩の数々の仕事、留守がちだった父親に対する子供たちの言い分、どこまで過不足なく描き切れたかどうかが決め手でしょうか。サウラに限らず過去の自作など恥ずかしくて一切見ない監督は結構おりますね。

 

      

     (撮影中の左から、次男アントニオ・サウラ、監督、カルロス・サウラ)

 

★本作はサンセバスチャン映画祭「サバルテギ部門」で上映後、113日にスペインで公開されました。鑑賞後の批評には、個人的な部分への立ち入り禁止と同時に、過去の作品の分析回避が顕著だとありました。7人の子供たちといっても第1子カルロスは1958年生れ、末子アンナは1994年生れと親子ほども開きがあります。母親も4人なのでキャスト欄には母親の名前も入れておきました。出典はスペイン語ウイキペディアによりました。日本語版と異なるのは、最初のアデラ・メドラノとは正式に結婚せず(しかしサウラを名乗る)、ジェラルディン・チャップリンと同じパートナーとなっている点です。IMDbには7人のうちシェイン・チャップリンはアップされておりません。

 

主なキャスト

カルロス・サウラ(1932ウエスカ)

エウラリア・ラモン2006結婚~現在、女優、4人目)

カルロス・サウラ・メドラノ(1958、製作者、助監督、母親アデラ・メドラノ1人目)

アントニオ・サウラ・メドラノ(1960、製作者、同上)

シェイン・チャップリン(1974、心理学者、母親ジェラルディン・チャップリン2人目)

マヌエル・サウラ・メルセデス(1981、母親メスセデス・ぺレス1982結婚~離婚、3人目)

アドリアン・サウラ(1984、同上)

ディエゴ・サウラ(1987、撮影監督、同上)

アンナ・サウラ・ラモン1994、女優、母親エウラリア・ラモン)

 

★映画界で仕事をしている子供は、父親の作品にそれぞれ参画しています。ジェラルディン・チャップリンとは、デヴィッド・リーンが『ドクトル・ジバゴ』(65)を撮影費が安く上がるスペインで撮影中、撮影風景を見学に行ったサウラと知り合った。意気投合した二人は以後1979年にパートナー関係を解消した。多分『ママは百歳』が最後の出演映画と思います。1974年には1子を出産したが籍は入れなかった。1979年、チリの撮影監督パトリシオ・カスティーリョと結婚、1986年に高齢出産で生まれたのが女優ウーナ・チャップリンである。前回アップしたセビーリャ映画祭のオープニング作品 Tierra firme のため母子で赤絨毯を踏んだ。シェインとウーナは異父兄妹になる。

 

★メルセデス・ぺレス(1960年生れ)とは、1978年ごろから関係をもち、最初のマヌエル誕生後の1982年に結婚している。女優エウラリア・ラモンとは、1990年代の自作起用(『パハリコ』『ボルドゥのゴヤ』)が機縁、正式には2006年再婚して現在に至っている。

 

     

      (娘アンナ、サウラ監督、妻エウラリア、ゴヤ賞2012ガラに3人揃って登場)

 

★海千山千の老獪な監督のガードは固かったと想像できますが、サウラ像の核心に迫れたかどうか。来年1月下旬、デヴィッド・リンチ(1946)を主人公にしたドキュメンタリー『デヴィッド・リンチ:アートライフ』が公開されます。リンチの「アタマの中」を覗ける、かなり刺激的なドキュメンタリーのようです。今年のカンヌ映画祭で特別上映された『ツイン・ピークス The Return』で観客を驚かせたリンチ、こちらは本人が謎解きをしてくれるとか。切り口は違うが、二人の監督自身がドキュメンタリーの被写体になったのは偶然か。偶然といえば、リンチも4婚している。

 

    

          (サウラと監督、サンセバスチャン映画祭2017にて)

 

フェリックス・ビスカレトFelix Viscarretは、1975年パンプローナ生れ、監督、脚本家、製作者。短編 Soñadores99)、El álbum blanco05)など発表、国内外の短編映画祭で好評を博し受賞歴多数。2007Bajo las estrellas で長編デビュー、批評家、観客両方から受け入れられ、マラガ映画祭「銀のビスナガ」監督賞・新人脚本賞、ゴヤ賞2008では脚色賞、主演のアルベルト・サン・フアンが主演男優賞を受賞、その他受賞歴多数。

 

  

                 (デビュー作 Bajo las estrellas ポスター)

 

★その後、TVミニシリーズで活躍、最近ではサンセバスチャン映画祭2016で、キューバとの合作映画TVミニシリーズ Cuatro estaciones en La HabanaFour Seasons in Havana)と Vientos de La Habana が上映された。日本でもファンの多いレオナルド・パドゥラの「マリオ・コンデ警部補シリーズ」のスリラーもの。Cuatro estaciones en La Habana は、ハバナの春夏秋冬が描かれ、それぞれ約90分のドラマ、そのうちコンデ警部補役ホルヘ・ぺルゴリア以下常連のカルロス・エンリケ・アルミランテほか、フアナ・アコスタ、マリアム・エルナンデスが出演した Vientos de La Habana が独立して、20169月に公開された。

 

  

     (Vientos de La Habana のポスターを背に、アコスタとぺルゴリア

     

 

  (Vientos de La Habana の原作者レオナルド・パドゥラ、ビスカレト監督、  

  後列、アコスタ、ぺルゴリア、エルナンデス、サンセバスチャン映画祭2016にて

   

BAFICI第19回作品賞はアドリアン・オルの「Ninato」*ドキュメンタリー2017年05月23日 15:44

           受賞作のテーマは多様化する家族像と古典的?

 

  

★インターナショナル・コンペティションの最優秀作品賞は、アドリアン・オルOrrのデビュー作Niñato2017)、どうやら想定外の受賞のようでした。本映画祭はデビュー作から3作目ぐらいまでの監督作品が対象で、4月下旬開催ということもあって情報が限られています。今年は20本、日本からもイトウ・タケヒロ伊藤丈紘の長編第2作「Out There」(日本=台湾、日本語142分)がノミネートされ話題になっていたようです。昨年のマルセーユ映画祭やトリノ映画祭、今年のロッテルダムに続く上映でした。審査員も若手が占めるからお互いライバル同士になります。スペインが幾つも大賞を取ったので審査員を調べてみましたら、以下のような陣容でした。

 

エイミー・ニコルソン(米国監督)、アンドレア・テスタ(亜監督)、ドゥニ・コテ(カナダ監督)、ニコラスWackerbarth(独俳優・監督)、フリオ・エルナンデス・コルドン(メキシコ監督)の5人、最近話題になった若手シネアストたちでした。アルゼンチンのアンドレア・テスタは、カンヌ映画祭2016「ある視点」に夫フランシスコ・マルケスと共同監督したデビュー作「La larga noche de Francisco Sanctis」がノミネートされた監督、ニコラスWackerbarthは、間もなく劇場公開されるマーレン・アデのコメディ『ありがとう、トニ・エルドマン』に脇役として出演しています。フリオ・エルナンデス・コルドンは、米国生れですが両親はメキシコ人、彼自身もスペイン語で映画を撮っています。2015年の「Te prometo anarquía」がモレリア映画祭でゲレロ賞、審査員スペシャル・メンション、ハバナ映画祭脚本賞、他を受賞している監督です。ということでスペインの審査員はゼロでした。

A・テスタ& F・マルケス「La larga noche de Francisco Sanctis」紹介は、コチラ2016511

 

Niñatoドキュメンタリー、スペイン、2017 

製作:New Folder Studio / Adrián Orr PC

監督・脚本・撮影:アドリアン・オル

編集:アナ・パーフ(プファップ)Ana Pfaff

視覚効果:ゴンサロ・コルト

録音:エドゥアルド・カストロ

カラーグレーディングetalonaje:カジェタノ・マルティン

製作者:ウーゴ・エレーラ(エグゼクティブ)

 

データ:製作国スペイン、スペイン語、2017年、ドキュメンタリー、72分、撮影地マドリード

映画祭・受賞歴:スイスで開催されるニヨン国際ドキュメンタリー映画祭Visions du Réel2017でワールド・プレミア、「第1回監督作品」部門のイノベーション賞受賞、ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭Bafici2017「インターナショナル・コンペティション」で作品賞受賞

 

キャスト:ダビ・ランサンス(父親、綽名ニニャト)、オロ・ランサンス(末子)、ミア・ランサンス(次女)、ルナ・ランサンス(長女)

 

プロット・解説:ダビは3人の子供たちとマドリードの両親の家で暮らしている。定職はないが子育てをぬってラップ・シンガーとして収入を得ている。彼の夢は自分の音楽ができること、3人の子供たちを養育できること、自分の時間がもてて、それぞれあくびやおならも自由にできれば満足だ。重要なのは経済的な危機にあっても家族が一体化すること、粘り強さも必要だ。しかし時は待ってくれない、ダビも34歳、子供たちもどんどん大きくなり難しい年齢になってきた。特に末っ子のオロには然るべき躾と教育が必要だ。何時までも友達親子をし続けることはできない、ランサンス一家も曲がり角に来ていた。およそ伝統的な家族像とはかけ離れている、風変わりな日常が淡々と語られる。3年から4年ものあいだインターバルをとって家族に密着撮影できたのは、ダビと監督が年来の友人同士だったからだ。

 

           短編第3作「Buenos dias resistencia」の続編?

 

アドリアン・オルAdrián Orrは、マドリード生れ、監督。助監督時代が長い。ハビエル・フェセルの成功作『カミーノ』2008)、ハビエル・レボージョの話題作La mujer sin piano09、カルメン・マチ主演)、父親の娘への小児性愛という微妙なテーマを含むモンチョ・アルメンダリスのNo tengas miedo11)、劇場公開されたアルベルト・ロドリゲスの『ユニット7/麻薬取締第七班』12)と『マーシュランド』14)、フェデリコ・ベイロフのコメディEl apóstata15)などで経験を積んでいる。

 

    

★今回の受賞作は2013年に撮った同じ家族を被写体にしたドキュメンタリーBuenos dias resistencia20分)の続きともいえます。つまり何年かにわたってランサンス一家を追い続けているわけです。同作は2013年開催のロッテルダム映画祭、テネリフェ映画祭、Bafici短編部門などで上映、トルコのアダナ映画祭(Adana Film Festivali)の金賞、イタリア中部のポーポリ映画祭(Festival dei Popoli)、ポルトガルのヴィラ・ド・コンデ短編映画祭(Vila do Conde)ほかで受賞している。Bafici 2013の短編部門に出品されたことも今回の作品賞につながったのではないでしょうか。下の子供3人の写真は、短編のものです。他に短編「Las hormigas07)とDe caballeros11)の2作がある。 

 

      

(ランサンス家の3人の子供たち、中央がルナ)

 

     

                (ポーポリ映画祭でインタビューを受ける監督、201312月)

 

★タイトルになったniñatoは、若造、青二才の意味、普通は蔑視語として使われる。親がかりだから一人前とは評価されない。2013年ごろはスペインは経済危機の真っ最中、「EUの重病人」と陰口され、若者の失業率50パーセント以上、失業者など掃いて捨てるほどというご時世でした。しかし3人子持ちの父子家庭は珍しかったでしょう。少しは改善されたでしょうが、スペイン経済は道半ばです。別段エモーショナルというわけでなく、ダビが子供たちを起こし、着替えや食事をさせ、一緒に遊び、ベッドに入れるまでの日常を淡々と映しだしていく。オロがシャワーを浴びながら父親譲りのラッパーぶりを披露するのがYouTubeで見ることができます。現在予告編は多分まだのようです。 

      

               (niñatoダビ・ランサンス)

 

★純粋なドキュメンタリー映画というよりフィクション・ドキュメンタリーficdocまたはドキュメンタリー・フィクションficdocと呼ばれるジャンルに入るのではないかと思います。ドキュメンタリーもフィクションの一部と考える管理人は、ジャンルには拘らない。今カンヌで議論されているネットフリックスが拾ってくれないかと期待しています。


ドキュメンタリー 『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』の監督来日2017年02月01日 15:42

        『デリリオ~歓喜のサルサ』のチュス・グティエレス監督来日

 

 

★ドキュメンタリー『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』公開に合わせてチュス・グティエレス監督が来日します。公開前日の217日、東京セルバンテス文化センターで「映画監督との出会い:チュス・グティエレス」という催しのご案内です。

   

『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』

   (ドキュメンタリー Sacromonte: los sabios 2014

日時:2017217日(金曜日)1800~(入場無料、要予約)

場所:東京セルバンテス文化センター、地下1階オーディトリアム

セルバンテス文化センターの紹介文はコチラ

フラメンコ発祥の地、グラナダの洞窟サクロモンテに生きた伝説的アーティストらのドキュメンタリー『サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ』。この作品の公開に向け監督チュス・グティエレスが来日します。グラナダ出身の彼女は、映画監督、脚本家、女優、アーティストそして映画産業に携わる女性らの平等を求める協会に携わるなど幅広い活動をしています。同ドキュメンタリー製作にまつわる逸話をはじめ、スペインの映画事情などについてお話を伺います。 

  

★「ラテンビート2014」上映の『デリリオ~歓喜のサルサ~』と同じ年の製作です。フィクションとドキュメンタリーというジャンルの違いもありますが、スペインでの評価は本作のほうが高かったようです。公式サイトも起ちあがっておりますので詳細はそちらにワープしてください(2017218日、有楽町スバル座、アップリング渋谷ほか、全国順次公開)。監督紹介は『デリリオ~歓喜のサルサ~』をアップした折の記事を再構成したものを参考資料として載せておきます。

 

  *キャリア&フィルモグラフィー*

チュス・グティエレスChus Gutiérrez (本名María Jesús Gutiérrez):1962年グラナダ生れ、監督、脚本家、女優。本名よりチュス・グティエレスで親しまれている。8歳のとき家族でマドリードに移転、197917歳のときロンドンに英語留学、帰国後映像の世界で働いていたが、1983年本格的に映画を学ぶためにニューヨークへ留学し、グローバル・ビレッジ研究センターの授業に出席、フレッド・バーニー・タイラーの指導のもと、スーパー8ミリで短編を撮る(Porro on the Roof1984、他2篇)、1985年、シティ・カレッジに入学、1986年、最初の16ミリ短編Mery Go Roundo”を撮る。ニューヨク滞在中にはブランカ・リー、クリスティナ・エルナンデス、同じニューヨークでパーカッション、電子音楽、作曲を学んでいた弟タオ・グティエレスと一緒に音楽グループ“Xoxonees”を立ち上げるなどした。2007年には、CIMAAsociacion de Mujeres de Cine y Medios Audiovisuales)の設立に尽力した。これは映画産業に携わる女性シネアストたちの平等と多様性を求める連合、現在300名以上の会員が参加している。

 

(チュス・グティエレス監督)

    

                

1987年帰国、長編デビュー作となるSublet1991)を撮る。まだ女優業に専念していたイシアル・ボリャインを主人公に、製作は女性プロデューサーの代表的な存在であるクリスティナ・ウエテが手掛けた。夫君フェルナンド・トゥルエバ『ベルエポック』『チコとリタ』『ふたりのアトリエ』ほか、義弟ダビ・トゥルエバの Living Is Easy with Eyes Closed「僕の戦争」を探してDVD) 手掛けたベテラン・プロデューサー。

受賞歴カディスのアルカンセス映画祭1992金賞、バレンシア映画祭1993作品賞、1993シネマ・ライターズ・サークル賞(スペイン)、ゴヤ賞1993では新人監督賞にノミネートされイシアル・ボリャインもムルシア・スペイン・シネマ1993が、ベスト女優賞にあたる「フランシスコ・ラバル賞」を受賞した。

 

2Alma gitana96)は、プロのダンサーになるのが夢の若者がヒターノの女性と恋におちるストーリー、新作『デリリオ』と同じよう二つの文化の衝突あるいは相違がテーマとして流れている。5人の若手監督のオムニバス・ドキュメンタリー En el mundo a cada rato (04) 『世界でいつも・・・』の邦題で「ラテンビート2005」で上映された。第3エピソード、アルゼンチンの3歳の少女マカがどうして幸せかを語る Las siete alcantarillas を担当、アルゼンチンで撮影され「七つの橋」の邦題で上映されている。

 

 (3歳の少女マカ、映画から

 

         

他に代表作としてEl Calentito05『ヒステリック・マドリッド』)も高い評価を受け、こちらも「ラテンビート2005」で上映されたベロニカ・サンチェスを主役に、フアン・サンス、ルス・ディアス(ゴヤ賞2017新人賞ノミネート)、マカレナ・ゴメス『トガリネズミの巣穴』のヒロイン、本作でマラガ映画祭新人女優賞のヌリア・ゴンサレスなど若手の成長株を起用したコメディ

受賞歴モンテカルロ・コメディ映画祭2005作品賞他受賞、マラガ映画祭2005ジャスミン賞ノミネート、トゥールーズ映画祭で実弟タオ・グティエレスが作曲賞を受賞した。なお彼は姉の全作品音楽を担当している。 

(グティエレス姉弟)

        

 最も高い評価を受けたのが7作目Retorno a Hansala08)当時、実際に起きた事件に着想を得て作られた。海が大荒れだった翌日、カディスのロタ海岸にはモロッコからの若者11名の遺体が流れ着いた。服装からサハラのハンサラ村の出身であることが分かる。既に移民していたリデアはその一人が弟のラシッドであることを知る。リデアは葬儀社のオーナーと遺体を埋葬するため故郷に向かう。これは異なった二つの社会、価値観、言語の違いを超えて理解は可能か、また若者の海外流失止められないイスラム共同体の誇りについての映画でもある。

受賞歴バジャドリード映画祭審査員特別賞カイロ映画祭2008作品賞「ゴールデン・ピラミッド賞」国際批評家連盟賞トゥールーズ映画祭脚本賞グアダラハラ映画祭監督・脚本賞など受賞。ゴヤ賞2009ではオリジナル脚本賞にノミネートされた。

 

    

『デリリオ~歓喜のサルサ』の監督&作品紹介記事は、コチラ2014925