『タパス』 Tapas ③2013年09月08日 18:01


  愛に選択肢はないはずだ

 

A: ラケルとセサル。後半の山場はセサルが22歳の誕生日をロロのバルで祝うことです。二人の年齢差は二回りくらいと思うが、ふとしたきっかけで始まった火遊びが思わぬ方向に走り出してしまう。仕掛け人はラケル、彼女にはそれなりの目的と意味があったはずだが、オテントウさまというか世間体を侮ってしまった。

B: ラケルの期待と後悔がごっちゃになった最初のデートは相当笑える。

A: 二人のモルモン教徒が出現したせいですよ。今でも実際に戸別訪問して入信勧誘をしてるのかしら。

                             

B: ラケルとエドガルド。チャットで始まった疑似恋愛が突然のエドガルド出現で・・・いちばん嘘っぽい()。愛に選択肢はないと思うけど、ヒョウタンから駒が二つも。ホンモノは一体どっちなんだい。

A: 最後に姿を現す風采の上がらない中年男エドガルドに安心しますが、フアン・ホセ・カンパネラのファンには始めのチャットのときからエドゥアルド・ブランコの顔がチラついて笑えます。

B: セサルが「ネットでは嘘がいくらでも書ける」とラケルをバカにすると、彼女は気分を害して黙り込む。世代間の溝は意外と深い、と感じさせるシーンです。

 

A: オポとセサル。オポは猥褻なセリフをポンポン繰りだして男性客にサービスするが、本当は一番心の優しい若者だと思う。人を見る目があり勘の鋭い人格になっている。

B: ラケルとデートすると聞いて「マジかよ」と驚く。「死ぬほどヤリたがっている。もうヒヨッコじゃないんだから、やるだけだ」と生意気にけしかける。

A: ブルース・リーがプリントしてあるTシャツしか着ないカンフー青年。仲介だけでなく自分もやるからお師匠さんの死の真相が気がかりである。夏のリゾート地ベニカッシンにくる外国からの女の子の品定めをまくしたてる。でもホントにやったのかい? 

B: ベニカッシンはバレンシアのカステリョン州に位置するリゾート地。2万人足らずの人口が夏場には3倍以上にもなるほど若者に人気がある。もっと余裕のあるラケルの年代はイビサ島やマジョルカ島に足を延ばす。

 

A: オポとコンチ。オポはセサルの22歳の誕生日を祝ったらベニカッシンに出発だ。スーパーの裏手で商品の搬入をしていたオポをコンチが訪ねてくる。「夏のバカンスはどこに行くの」とオポ。「そうね、わたしたちどこかに行くつもりよ」とコンチ。マリアノは家から一歩も出たくないはずだ。

B: オポの手にコナの小袋をねじ込むコンチ。オポは商品のワインを1本くすねて渡す。「マリアノにプレゼントだ」と。コンチの頬に軽くキスして「アディオス」という。

A: いつもはカタルーニャ語で「アデーウ」と言っていたのに。

 

         愛は植木鉢と同じ――ハッピーエンド?                     

 

B: マオとロロ。マオがセサルの誕生パーティの後片付けをしていると、マオの恋人がいつものように向かいの道路で待っている。「もう片付けはいいよ、そのままで。でもあんたのような名料理人がどうして中国からやってきたんだい?」

A:「愛のためですよ。愛は植木鉢と同じで、毎日水やりしないと枯れてしまう」とマオ。考えこむロロ。


B: 観客はマリアノがテラスに並んだ植木鉢に毎日水やりしていたことを思い出す。

A: そして場面展開、葉が萎れた植木鉢、食べ残しのテーブルに群がるハト、ナイトテーブルに転がっている空のモルヒネ、老夫婦はフレンチ・シャンパンで≪新しい門出≫を祝ったのだった。

 

★このコメディは単純な大団円とは言えない。愛と死の要素が絡まってかなりシリアスな内容です。ロロはマオにバルを任せ「ロサリア水やり」に出発した。娼婦のカルメラからも「今度は迎えに行かなくちゃ。時は金なり、善は急げ」とハッパを掛けられていた。マオは6ヵ月の契約を結び、ロロがバカンス中の8月は倍増しの給金が貰える。これはメデタシ、メデタシ。ラケルとセサルの恋はあっけなく終り、二人ともそれなりの代償を払った。ラケルはエドガルドと新しい一歩を踏み出せるか。傷心のセサルはオポとベニカッシンに≪ティラミス≫を食べに出掛けるだろう。こちらは半メデタシ。ハッピーエンドの定義は難しいが、マリアノとコンチはどうだろうか。

 

★コメディの私なりの定義は、予期しない展開の連続、隣人家族愛、宗教、ユーモアと涙、勇気と知恵、セックス、騙し合い、為政者のカリカチュア、落とせないのが人生讃歌でしょうか。ここにいう宗教は、ローマ法王を頂点とするヒエラルキー、カトリック教会批判を指します。本作にも教区司祭が出てきましたが真の批判の対象は高位聖職者たちです。彼らが常に権力と結びつき国民の抑圧に手を貸した長い歴史があるからです。

 

★スペインを含めて厳しい検閲の時期が長かったラテンアメリカ諸国には優れたコメディが多い。これは検閲逃れの手段として有効だからです。自国の文化が最高と自負しているフランスのコメディには、自国以外の文化を笑いのタネにする傾向があってゲンナリすることがあります。この程度のエスプリで笑ってもらえると思っているのかというフレンチ・コメディを最近見たばかりです。しかし『タパス』ではアジアの代表者マオの勤勉さ、アタマの回転の良さ、深い知恵が勝利するから、終わってみれば不快感は残らない。

 

★またコメディには時代を反映するセレブや人気スポーツマン(スペインではサッカー選手)、過去の映画(たいていハリウッド)がポンポン飛び出します。オマージュだったり時には皮肉だったり、本作にも出てきました。

 

★コメディでは、怪しげな合いの手、語呂合わせのタブー語、隠語も珍しくない。本作にも末端の売人をさすCamello、ドラッグ名のSimpsonsMitshubishisなどが出てきた。シンプソンよりミツビシのほうが純度が高く入手が難しい。日本の三菱はスペインでは評価が高いから付いた隠語とか。オポに「ミツビシを30欲しい」といわれたコンチが「そんなに一度に用意できない」と答えていた。

 

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