『土と影』家と巨木*東京国際映画祭2015 ③ ― 2015年10月31日 17:16
★ラテンビートLB共催上映だったセサル・アウグスト・アセベドの『土と影』、LBのセッションが最終回だったので東京国際で見ることにしました。カンヌ映画祭と並行して開催される「批評家週間」で既に記事にしています。その折り「秀作の予感がする“La tierra y la sombra”」と書いた通り、カメラドールを含む4つの賞を受賞、コロンビア映画初の快挙でした。簡単な作品データ、スタッフ・キャストなどアップ済みですが(コチラ⇒2015年5月19日)、加筆して再構成いたします(ネタバレしています)。

(カメラドールを手にしたセサル・アウグスト・アセベド、カンヌ映画祭)
『土と影』“La
tierra y la sombra”(“Land and Shade”)2015
製作:Burning Blue(コロンビア)/ Cine-Sud Promotion(仏)/
Tocapi Films(蘭)/
Rampante Films(チリ)/ Preta Porte Filmes(ブラジル)
監督・脚本:セサル・アウグスト・アセベド
撮影:マテオ・グスマン
音響:フェリペ・ラヨ
編集:ミゲル・シェベルフィンゲル
特殊効果:Storm Post Production
製作者:ホルヘ・フォレロ、ディアナ・ブスタマンテ、パオラ・ペレス・ニエト
製作国:コロンビア、フランス、オランダ、チリ、ブラジル
データ:言語スペイン語、97分、撮影地コロンビアのバジェ・デル・カウカ、製作費約57万ユーロ、ワールド・プレミアはカンヌ映画祭2015「批評家週間」 コロンビア公開5月18日
受賞歴:カルタヘナ映画祭2014で監督賞。カンヌ映画祭2015でカメラドール、フランス4ヴィジョナリー賞、SACD賞*のトリプル受賞の他、グランド・ゴールデン・レール賞(観客賞)を受賞。
援助金:2009年コロンビア映画振興基金より5000ドル、2013年「ヒューバート・バルス・ファンド」**より脚本・製作費として9000ユーロなどの援助を受けて製作されている。
*La Societe des Auteurs et Compositeurs Dramatiques の略
**Hubert Bais Fund‘HBF’(1989設立):オランダのロッテルダム映画祭によって「発展途上国の有能で革新的な映画製作をする人に送られる基金」、ラテンアメリカ、アジア、アフリカの諸国が対象。コロンビアの監督では、昨年東京国際映画祭で上映された『ロス・ホンゴス』のオスカル・ルイス・ナビアが貰っています。本作にはアセベド監督も共同脚本家として参画している。
キャスト:アイメル・レアル(アルフォンソ)、イルダ・ルイス(妻アリシア)、エディソン・ライゴサ(息子ヘラルド)、マルレイダ・ソト(嫁エスペランサ)、ホセ・フェリペ・カルデナス(孫マヌエル)他
プロット:アルフォンソと妻アリシアの物語。アルフォンソは17年前、土地を手放すことを拒んだ妻と一人息子ヘラルドを置いて故郷を後にした。老いて戻ってきた故郷は自分の知らない土地に変わり果てていた。肺の病で床に臥す息子の代わりに妻と嫁エスペランサは、サトウキビの刈取り人として過酷な労働に懸命に耐えていた。アルフォンソを戸口で迎えた孫マヌエルは、焼畑の灰塵が降りかかる荒廃のなかで成長していた。もはやよそ者でしかないアルフォンソが崩壊寸前の家族のためにできるのは何か。厳しい現実と過去の誤りに直面して、アルフォンソの模索が始まる。サトウキビ畑に取り囲まれた粗末な家と1本のサマンの巨木の下に置かれた小さなベンチ、三世代にわたる親子の歴史をミクロな視点からマクロな世界を照射する。 (文責:管理人)

(小鳥を呼び寄せる台を囲む祖父と孫、ベンチに座る父、三世代が一つになるシーン)
*セサル・アウグスト・アセベドCésar Augusto Acevedoは、1984年バジェ・デル・カウカの県都カリ生れ、監督、脚本家、製作者。バジェ大学の社会コミュニケーション学部卒、卒業制作は『土と影』の脚本だった。短編“Los pasos del agua”や“La campana”(12)を撮る。後者ははコロンビア映画振興基金をもとに製作された。『土と影』は完成まで8年もの歳月を費やしており、20歳のとき母親が亡くなり、妻の死に遭遇した父親が亡霊のようになってしまったことが製作の動機。2009年コロンビア映画振興基金より援助を受け、翌年コロンビアのカリ映画祭のワークショップに参加、同年ハバナ映画祭のイベロ≂アメリカ交流のイベント、2012年ウエルバ映画祭、2013年カルタヘナ映画祭のエンクエントロス賞、サンセバスチャン映画祭のイベロ≂アメリカ共同製作フォーラムでのスペシャル・メンションを受けて完成させた。その間オスカル・ルイス・ナビアの『ロス・ホンゴス』の助監督と脚本を共同で執筆した。他に同監督のデビュー作“EL vuelco del cangrejo ”、ウイリアム・ベガの “La Sirga”などの製作に参画している。
作品を語り尽くす冒頭シーン
A: 白い帽子を被った初老の男が遠くから1本道を歩いてくる、やがて大型トラックが埃を巻き上げて疾走してくる、男は鬱蒼と生い茂ったサトウキビ畑に逃げ込んで難を避ける、視界が晴れるのを待って再び歩きはじめる、これが冒頭シーンです。
B: 誕生祝いに買ってやった凧をもった孫と一緒に通る道であり、息子を町の病院に運ぶため馬車で透った道でもある。タルコフスキーとかソクーロフの世界を思い浮かべさせるシーンでした。
A: この冒頭シーンが作品全体のメタファーとなっていることを観客に伝えようとしている。ダイアローグを切り詰め、映像の力でメッセージを伝えようとする監督の強い意思が窺える。
B: 撮影監督マテオ・グスマンの強い意思でもあるか。

(撮影中のマテオ・グスマンとアセベド監督)
A: コロンビアの若いシネアストに強い影響をあたえているのが、旧ソ連時代のアンドレイ・タルコフスキー(1932~86)とか現在活躍中のアレクサンドル・ソクーロフ(1951)だそうです。
B: カメラドール受賞後テレビのインタビューや特別番組に引っ張りだこ、なかで彼自身も影響を受けている監督にタルコフスキーを挙げていましたね。
A: 彼の生れ故郷カリ市は、かつては麻薬密売の総本山メデジン・カルテルの解体後を継いだカリ・カルテルの本拠地として知られていますが、今ではコロンビア映画のメッカだそうです。『ロス・ホンゴス』のナビア監督、話題作“Perro come
perro”の先輩監督カルロス・モレノもカリ生れです。
B: キャリア紹介からも、カンヌの4賞受賞が根拠のないことではないのが分かります。若い監督が足の引っ張り合いをせずに、互いに協力しているなかで刺激を受けて成長している。
A: コロンビアは長い麻薬密売抗争やそれに惹起したゲリラ戦争で土地を奪われた農民が未だに国内を放浪し続けている国内難民500万人を抱えている国でもあるから、この映画は見る人によってメタファーの受け取り方が違うと思います。
小さな家とファミリー・ツリー
B: 舞台になったバジェ・デル・カウカ県は、カリ・カルテルの中心地だからコカが栽培されているのかと思っていましたがサトウキビでした。
A: 南の隣県カウカがコカ栽培発祥の地だそうで、バジェ・デル・カウカはサトウキビのプランテーションが一番盛んだった県です。経営者の顔は見えず、農民を統率している男には何の権限も与えられていない。組織犯罪のセオリー通り顔が見えるのは実行犯だけ、黒幕は闇の中と同じ構図です。
B: これはコロンビアだけに特徴的なことではなく、どこの国でも見られると思いますが。
A: 他との違いを際立たせているのが真ん中に入口のある細長い家屋と、それに寄りそうように佇んでいる1本のサマンの巨木です。主に中南米に生息している樹木で『ロス・ホンゴス』にも登場していた巨木です。
B: 大地tirraの母に対して、影sombraとなった父を重ねているのでしょうか。
A: スペイン語のsombraの第一語義は「陰」で、邦題の「影」は比喩として使うケースが多く、幻影とか亡霊のfantasmaの意味にも使う。邦題は内容に踏み込んで付けたのではないか。
B: 主人公アルフォンソはこの巨木とその下に設えられた小さなベンチに拘っている。このベンチは彼が故郷を後にした17年前にもあったもの。
A: 昔と変わらないのは、かつては白かったであろう家、巨木、ベンチ、この三つしかない。故郷でアルフォンソはよそ者となっている。
B: 彼は家族との和解をしたくて帰郷したのではないことが、やがて観客にも知らされる。
A: 呼び寄せる決断をしたのは息子の妻エスペランサだ。義母アリシアと夫ヘラルドの結びつきは固く、ここから離れられない義母から病身の夫を連れ出すことは一人では不可能だからだ。
B: アルフォンソが出ていった理由が、互いの愛が冷めたせいではなかったこと、アリシアが大地にしがみつくのは、ここを出た後の青写真が描けないからということも分かってくる。
A: 大地を捨てることイコール死と滅亡なんですね。かつての母系制家族の名残りを感じました。この土地はアルフォンソのものではなくアリシアのものなんでしょうね。

(堅い絆で結ばれたヘラルドと母アリシア)
B: 農村と都会、安定または持続性と発展、伝統と近代性、過去と未来など対立するテーマが織り込まれているが、セリフは極力抑えられているから、映像を見逃すと分からなくなる(笑)。
A: そうですね、映像のほうがずっと雄弁ですから。先述したように撮影監督のマテオ・グスマンの功績は大きいです。
B: プロの俳優はわずか、殆どが演技指導など受けたことのないアマチュアです。
A: ありのままの自分を撮ってもらっている。アルフォンソ役のアイメル・レアルは、キャスティングを行った劇場の清掃員だったそうです。エスペランサ役のマルレイダ・ソトはプロの女優さん、カルロス・モレノの“Perro come perro”で映画デビューした。(後出参照)

(アルフォンソ役のアイメル・レアル、映画から)
B: ヘラルドは、灰塵を避けるため窓を閉め切った暗い部屋に幽閉されている。ゆっくり動く長回しのカメラが捉えた暗闇、これは我が家なのに牢獄と同じです。
A: 一家の主であるのに何一つ決断できない。母を思って妻の希望を叶えてやることもできない。息子の誕生祝いもしてやれない。唯一できたのは、家族の誰一人として望まなかったことでした。
B: アルフォンソは、大地から解放されたエスペランサとマヌエルだけを連れて去っていく、それがアリシアの望んだことでもあるからだ。

(エスペランサ役マルレイダ・ソトとマヌエル役ホセ・F・カルデナス、映画から)
A: ラテンアメリカ諸国でもコロンビアは6段階に分かれた極端な階層社会、貧富の二極化が進んでいる。二極化といっても富裕層はたったの2パーセントにも満たない。
B: 社会のどの階層を切り取るかで全く違ったコロンビアが見えてくる。
A: カンヌでは「この映画のテーマは個人的な悲しみから生れた」と語っていたが、病をえること、家族の死などが動機となって作品が輝きだすのは珍しいことではない。
B: 本作はカンヌの「批評家週間」に出品された映画ですが、専門家だけでなく観客にも受け入れられたことが嬉しかったようです。
A: 「わが国の文化に深く根ざした映画にも拘わらず、観客の方々にも感じてもらえたことは素晴らしく名誉なことです、すべての方に感謝を捧げます」が観客賞受賞の言葉でした。とうとう最後まで飛んでこなかった小鳥、空高く舞い上がったマヌエルの凧、さてどんなメッセージだったのでしょうか。
*付録 & 関連記事
★Burning Blue:ラテンアメリカの若い世代に資金提供をしているコロンビアの製作会社。オスカル・ルイス・ナビアの『ロス・ホンゴス』の他、コロンビアではウイリアム・ベガの “La Sirga”(12)、フアン・アンドレス・アランゴの“La Playa D.C.”(12)など、カンヌ映画祭に並行して開催される「監督週間」や「批評家週間」に正式出品されているほか世界の映画祭に招待上映されている。ホルヘ・フォレロの“Violence”はベルリン映画祭2015の「フォーラム」部門で上映、それぞれデビュー作です。アルゼンチンのディエゴ・レルマンの4作目“Refugiado”(14)にも参画、本作はカンヌ映画祭2014年の「監督週間」に正式出品された。
*マルレイダ・ソトMarleyda Soto(エスペランサ役)は、カルロス・モレノの力作“Perro come perro”(08)の脇役で映画デビュー、同じ年トム・シュライバーの“Dr. Alemán”では主役を演じた。麻薬戦争中のカリ市の病院に医師としてドイツから派遣されてきたマルクと市場で雑貨店を営む女性ワンダとの愛を織りまぜて、暴力、麻薬取引などコロンビア社会の闇を描いている。製作国はドイツ、言語は独語・西語・英語と入り混じっている。カルロヴィヴァリ、ワルシャワ、ベルリン、バジャドリーなど国際映画祭で上映された。本作も撮影地は“La tierra y
la sombra”と同じバジェ・デル・カウカ。
*オスカル・ルイス・ナビアの『ロス・ホンゴス』の記事は、コチラ⇒2014年11月16日
『火の山のマリア』 *ラテンビート2015 ⑦ ― 2015年10月25日 15:45
べルリン映画祭「アルフレッド・バウアー賞」受賞作品

★今回見たなかで来日ゲストがあった唯一の映画が『火の山のマリア』でした。来春日本公開が決まっているのも目下のところこれ1作です。サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」部門で上映されるにつき、作品データ、スタッフ&キャスト、プロット、受賞歴、監督紹介などを既にアップしています。ハイロ・ブスタマンテ監督来日が予告されていたので、ラテンビート鑑賞後に記事を纏めることにしておりました。Q&Aを織りこみ部分的にネタバレしています。
*サンセバスチャン映画祭2015の記事は、コチラ⇒2015年8月28日
もしかして邦題は『火の山の母』ではなかったか
A: 本作の主役は娘マリアではなく、マリア・テロンが演じた母親フアナではないかと予想しておりましたが、その通りでした。移動劇団を結成して先住民の村々を回っているプロの女優、ただし映画出演は初めてです。Q&Aではマリアを置き去りにするペペ役のマルビン・コロイも仲間の一人、彼は詩人で戯曲家、脚本家でもあると紹介していた。
S: マリアを演じたマリア・メルセデス・コロイほか殆どがアマチュア、もっとも先住民のプロは少なく、映画はオール初出演です。
A: 前回の記事にも書いたことです。主役の二人はスペイン語とマヤのCakchiquelカクチケル語のバイリンガルです。公用語のスペイン語ができないことが謂われなき差別の温床なっていることを映画は浮き彫りにしていた。スペイン語の分かるコーヒー園主イグナシオが、分からないマリアの両親を私利私欲で裏切っていく件りは切なかった。

(見事な演技を見せたマリア・テロン、ベルリン映画祭)
S: この映画のアイデアは、「マリアに起こったような事件が新聞に掲載されたことが発端だった」と監督は述べておられたが、後継者が欲しい富裕層に嬰児売買に近い養子縁組をさせたことだけを指しているのか、スペイン語を解さないことを悪用して親を騙して養子縁組させたのか、そこらへんがよく分からなかった。
A: そこが重要ですよ、もし後者なら立派な犯罪だ。グアテマラ政府が早急にすべきことは、先住民に止まらず全国民の教育の普及です。マヤの人々も「スペイン語を学ぶと民族のアイデンティティーが失われる」などと拒絶せずに学ぶことです。マヤ民族の言語は21もの集団に分かれており、グアテマラに吹き荒れた36年間にも及ぶ内戦前は、言語集団を超えて接触することは稀れだったようです。
S: この映画にはマヤ民族のジェノサイドと言われる内戦の傷跡は登場しませんが、虐殺を逃れて言語を異にする多くの老若男女が否応なく国内難民となって移動、接触した。
A: マリアの両親は年齢的に体験者世代です。犠牲者20万人の大半が先住民のマヤ族だったから、互いの融和は口で言うほど簡単ではない。1992年のノーベル平和賞を受賞したリゴベルタ・メンチュウに対する一般国民の反応は冷たく、当時の国際世論との乖離が際立っていた。
S: 平和賞は誰が貰ってもケチがつく(笑)。彼女も毀誉褒貶相半ばする受賞者でしたが、両者の溝は深そうです。監督は「この映画が自分の国を知る機会になった」と意識変化に寄与したことを語っていましたが、どこまで信じていいか疑問かな。
意思疎通の難しさもテーマの一つ
A: 足が地についていないペペを誘惑したのはマリアのほう、レイプされたわけではない。コーヒー園主の後妻となって先妻の残した子供の世話などしたくない、17歳だから当たり前だ。パカヤ火山の裾野の村から脱出して「自由な女」になりたいのは分かりますね。
S: 二人はそれほど真剣に愛し合っていたようには見えなかったし、目指すアメリカがどんな国なのか想像できないのに憧れていた。身ごもる前のマリアは幼すぎる。
A: 母は娘の希望が何であるか、妊娠するまで知ろうとしなかったし、娘も男に捨てられるまで母と向き合わなかった。この意思疎通もテーマの一つですね。
S: 妊娠が分かると母は流産させようとするが、反対にマリアは生みたかった。母娘は意思を確認しあっていないのだ。岩石を飛び降りるのもいやいやだったし、あんな飛び降り方では胎児は流れない。
A: どんな御まじないも効かない、お腹の子ども自身が生まれたがっていることを母親が納得するところが実に感動的、自己主張したのはまだ生れてもいない胎児でした。
S: 人生の選択権は誰にあるかですね。
A: マリアも母になることで強くなる、初めて現実の自分と向き合うことになるからだ。この「母になること」も大きなテーマでしょう。これは監督よりマリア・テロンの意向で膨らませていったテーマかもしれない。ベルリンの記者会見でも、マヤの女性たちから多くのサジェスチョンを受けたことで脚本が豊かになっていったと語っていた。
S: ハッピーエンドにはなりませんでしたが、これがぎりぎりの限界なのでしょう。
A: でもマリアは昔のマリアではない、時代は変わり始めていることをマリアの顔が語っていた。

(マリア役のマリア・メルセデス・コロイ、映画から)
S: 監督の優れているところは、自分の未熟に謙虚で自分一人の手柄にしなかったことです。脚本が特に優れていたという印象はありませんが、「アルフレッド・バウアー賞」にふさわしい映画でした。

A: 「アルフレッド・バウアー賞」というのは新しい視点を示した作品に贈られる賞ですね。ともあれ、岩波ホールでの公開が決定しています。あそこが発行するカタログだけは高いと感じたことがない(笑)。どんな解説が載るか今から楽しみだ。
『ザ・キング・オブ・ハバナ』 エロスとタナトス *ラテンビート2015 ⑥ ― 2015年10月24日 11:58
愛だけでは生きていけない・・・
★アグスティ・ビリャロンガの新作『ザ・キング・オブ・ハバナ』には、社会から落ちこぼれてしまった人間の悲惨というより孤独や優しさゆえの脆さが充満していた。愛だけでは生きていけないのはどこでも同じだが、愛するゆえに一緒に暮らしていけないこともある。エロスとタナトスは紙一重、ハバナの特殊な時代の極貧がなくても起こりうる物語だ。性と生にもう一つの政が加わって、三つ巴の組んずほぐれつの悲喜劇が猛スペードで終盤まで疾走する。性と生と政は、『ザ・クラブ』や『選ばれし少女たち』のテーマでもあったが、本作がより鮮明であったように感じた。作品データ、原作者ぺドロ・フアン・グティエレスなどについてはアップ済みなので割愛します。(コチラ⇒2015年9月17日)
忘れられた革命の落とし子の逞しさと脆さ
A: 撮影はICAICに拒否されたことで、急遽ドミニカ共和国のサン・ドミンゴに変更された。両方をご存知の方は違和感を感じたでしょうか。製作国とスタッフはスペインとドミニカ共和国、主なキャストはキューバ人という複雑な構成をしています。「あまりに人種差別的、性差別的、戯画化的、捉え方も表面的で悪すぎる」が拒否の理由でした。
B: 個人的には拒否するほどの内容じゃなかったと思う。監督の過去の作品を見ていたら分かったはずです。カストロ体制を批判しつづけている原作者ぺドロ・フアン・グティエレスに対する拒絶反応が作用したのではないか。

(若いキャストに囲まれた監督、サンセバスチャン映画祭にて)
A: ビリャロンガ監督は寡作ですが生と性に拘って撮りつづけている監督、話題作『ブラック・ブレッド』(2010)の他、『月の子ども』(1989)や『海へ還る日』(2000)など評価の高い記憶に残る映画を撮っています。未公開ですが『アロ・トルブキン――殺人の記憶』(LB2004上映)も忘れられない。
B: 『海へ還る日』は東京国際レズ&ゲイ映画祭上映時は、「エル・マール~海と殉教」だった。本作を見ながらちょっと思い出した映画です。本作の幕開きはグロテスクだがコメディタッチ、ところがあっという間に悲劇が起きる。
A: まさにジェットコースター、冒頭描写は過不足がない。母親を失うシーンでは一瞬『黒いオルフェ』(1959)を思い出した。横道になるが、オルフェには2通りあり、マルセル・カミュが撮ったほう、パルムドール受賞作品です。しかし映画としては後発のカルロス・チェギスの『オルフェ』(1999)のほうがよかった。
B: 端から死の匂いが漂っているが、時々織りこまれる笑いのタイミング、緩急のつけ方も上手かった。何の前触れもなく訪れる不幸が観客の意表をつく。
A: 1990年代のキューバは特殊な時代かもしれないが、革命の理想が崩壊、カストロ体制が「ルンペン」と称する革命の落後者に行き場はない。冤罪で少年院に放り込まれたレイナルドは読み書きができない孤児、観光資源として国家に寄与しているのに埒外に置かれる売春婦マグダや男娼ユニスレイディ、島脱出を夢想するマグダの兄ラウリート、逞しく脆くこんなに刹那的では濁水にまみれるしかない。

(マグダとレイナルド、映画から)
B: 自分に余裕がないと他人に優しくなれないから、彼らを外へ弾きだしてしまう。彼らも自分に敬意を払えないから救いの手を求めない。確かに最初から最後まで辛い話、カストロ政権が革命史から抹消したい時代にちがいない。
A: 彼らの辞書に「希望」とか「可能性」いう言葉はない。僅かな可能性があれば人間は死を選ばない。永遠の眠りについたマグダの傍らで、レイナルドがゴミに埋もれていくシーンは凄まじい。ハバナを見下ろすこの場所が安らかに眠れる彼らの終の棲家だと映画は言っている。
B: しかし、これは体制批判の部分が色濃いですが、愛があり、勿論セックスもある、一風変わった「ラブ・ストリー」ですね。
A: 前回「ラテンビートで上映される時には、サンセバスチャンの受賞結果が分かっています」と書きましたが、マグダ役のヨランダ・アリオサが見事銀貝賞の最優秀女優賞をゲットした。受賞に値する気迫に満ちた演技でした。監督からは「命をかけて演技してと要求された」とか。
B: 生き残りをかけてセントロハバナを駆け抜けていく、逞しさと脆さが共存する難しい役でした。メキシコからの観光客に披露するしなやかなダンスには、遠いアフリカから運んできたリズムがこだまして美しいシーンだった。

(最優秀女優賞の銀貝賞トロフィーを手にしたヨランダ・アリオサ)
A: 観光旅行は売春旅行の側面をもっている。さて、『ブラック・ブレッド』の成功から5年、寡作家とはいえ長い沈黙だった。1953年生れだから日本風に言うと既に還暦も迎えていることになる。
B: パルマ・デ・マジョルカ生れ、バルセロナ派のベテランですね。
A: 声高でない静の人だが、逆に映画は雄弁です。「何かの賞に絡めば、『ブラック・ブレッド』同様、公開が期待できるかもしれません」とも書きましたが、どうでしょうか。
B: 目下IMDbにはキューバ公開、例年12月開催のハバナ映画祭などの上映はアナウンスされていません。難しそうですね。
A: マグダ役のヨランダ・アリオサがサンセバスチャンで、「この映画がキューバで公開されないのは正当なことじゃない、だってキューバ人には必要でしょ。上映しない正当な理由などないはず」と語っていた。以前からこの小説に興味をもち映画化の権利を買おうとした人たちがいたが纏まらなかった。例えばまだ夫婦であった頃のバンデラスとメラニー・グリフィスとか。今回成功したのは時の流れもあるが、水面下で進行していた雪解けが関係していたのかもしれない。来年、再来年を期待しましょう。
家族がテーマの一つだった*ラテンビート2015 ⑤ ― 2015年10月21日 11:10
★3日間にわたって短編を含めると11本見たことになるのですが、「例年より小ぶりな作品が多いなぁ」と思っていました。しかし前回アップした『ザ・クラブ』のようにぐったり疲れる映画も含めて、結果的には結構楽しめたのではないか。「映画は映画館で」を再認識した映画祭でもありました。
★鑑賞した映画のリストは以下の通り(タイトル・監督名はプログラム表記による):
1日目:『選ばれし少女たち』(ダビ・パブロス)、『The Wolfpack』(クリスタル・モーゼル)、『ザ・クラブ』(パブロ・ラライン)
2日目:『アジェンデ』(マルシア・タンブッティ・アジェンデ)、『火の山のマリア』(ハイロ・ブスタマンテ)、『Paco de Lucia』(クロ・サンチェス)、『エイゼンシュテイン・イン・グアナファト』(ピーター・グリーナウェイ)
3日目:『パーカー』(ガブリエル・セラ・アルゲージョ)、『パウリーナ』(サンティアゴ・ミトレ)、『グラン・ノーチェ! 最高の大晦日』(アレックス・デ・ラ・イグレシア)、『ザ・キング・オブ・ハバナ』(アグスティ・ビジャロンガ)
*『土と影』(セサル・アウグスト・アセベド)は、東京国際映画祭で鑑賞予定です。
家族vs疑似家族、家族の定義は複雑
A: 最初の日に見た3作が、期せずして「家族とは何?」というテーマを扱っていた。『ザ・クラブ』のように一つ屋根に閉じ込められている疑似家族もある一方、『選ばれし少女たち』の家族は両親と二人の息子は実の親子でも、息子は少女売春の手先となって餌食となる少女のスカウトに加担している。
B: 四、五人いた幼児たちは売春させている女性たちが生んだ子供で、彼女たちの逃亡を防ぐ「人質」に過ぎない。また「しあわせ家族」を演出するための小道具としても利用している。ここにあるのは愛ではなく、欺瞞と暴力と恐怖だ。(中央がソフィア)

A: 息子ウリセスの挫折は餌食にしようとした少女ソフィアを不覚にも愛してしまったことでした。彼女を救い出すために身代わりになる餌食を探すウリセス、彼は自己改造するには幼なすぎる。苦労が実って救い出せるが、二人のあいだに以前のような愛は永遠に戻ってこない。ソフィアの目にウリセスは両親から自立できない悪の手先にしか映らない。向き合った二人の間には深い谷底が横たわっている。
B: ソフィアを働かせるのを渋る息子に「わたしたちは家族なんだから協力し合わなくちゃ」と諭すセリフには背筋が凍った。最後の長閑な一家団欒のピクニックのシーン、幸せ家族がするだろう日常会話にも監督の怒りがにじみ出ていた。画面構成、照明なども優れていました。
A: カンヌの「ある視点」に選ばれただけあってレベルの高さを感じた。麻薬戦争映画のように実弾こそ飛びかいませんが、メキシコにはびこる裏社会の恐怖を静かに告発していた。さて、ニューヨークはロウアー・イーストサイドのアパートに両親に監禁されていた7人兄妹の<解放物語>は、「子供は親を選んで生れることはできない」ということを、今さらながら恐怖させる映画でした。
B: 21世紀のアメリカに『The Wolfpack』のような家族が存在していたとは信じがたい。末娘は知的な障害があるように見えた。ペルー出身の父親の「理想」に固執した手前勝手な哲学、それを疑いながらもアクションを起こさなかったアメリカ人の母親には怒りすら覚えた。
(写真下、監督と6人の兄弟)

A: 「女性は子供を3人生んだら哲学者になれる」と言ったのはバーナード・ショーだが、彼女は7人も生んだのだ(笑)。このドキュメンタリーは子供の視点で作られていたが、問題は両親、とくに父親にあるのだから、もっと父親の主張の掘下げに焦点を当てるべきだった。
B: 悪に満ちた社会から子供たちを守るために監禁したと主張する父親、部屋の鍵はこの父親だけが持っていた。この看守でもあった父親への切り込みが中途半端、インタビュアーが未熟の印象を受けた。母親は聡明な片鱗をうかがわせましたが、夫の共犯者として自分を正当化しようとしていた。子供たちは逞しかったが、兄弟の一人が「父を許さない」と語っていた。
A: 彼の社会復帰は難しそうです。このアパートを出て自立し始めた子供もいましたが、子供の性格、解放された年齢が何歳だったかにも左右されるのでは。刷り込み期間が長いと容易じゃない。父親は社会批判を楯に「働かない」のだが、この9人家族の生活費をどこから得ていたのか分からなかった。集中力を欠いていたから見落としているかもしれない。
B: 母親が家庭教師をしていたようだが充分だとは思えないね。サンダンス映画祭2015の受賞作品のようですが、『The Wolfpackその後』みたいな続編を撮るべきです。この家族がどのように変容していくか追跡して欲しい。これは一家族の話ですが、似たような国家もあります。
視点が複眼的になっていく『アジェンデ』の構成力
A: 家族を描きながら結果的に国家にも言及したのが『アジェンデ』でした。悲劇の一族アジェンデ大統領の孫娘が撮った、いわゆる家族史です。3月に軽い気持ちで紹介記事を書いたのですが、その後カンヌと並行して開催される「監督週間」に出品され、「ゴールデン・アイ」まで受賞したので「もしかして」と期待していたのです。
B: 期待を裏切りませんでした。一族のタブーだった祖父のことが知りたくて始まった極めて個人的な企画が、次第に厚みを帯びチリ現代史になっていく台本が優れていた。
A: 沈黙の一つの理由が「祖母の名誉を守る」目的だったことが分かる件りに、人間知らなくてもいいことがあるのだという複雑な感慨を覚えさせた。ユーモアに富み、みんなから愛された人でしたが<mujeriego>としても有名な「色を好む」御仁でもあった(笑)。企画から完成まで長い年月を要しているから、監督自身の人間としての成長もあり、家族の重い口を開かせる努力や辛抱強さが監督を成長させたのでしょう。(在りし日の母娘、中央がアジェンデ夫人)

B: 登場人物で一番変身したのが監督自身でした。視点が複眼的になっていく、優れたインタビュアーでもあった。完成前の祖母の死、その棺を先頭で支えた義母兄の自死という辛い現実にも直面した。
A: しかし残された人は生きていくんですね。予告編で母親や伯母たちが笑い転げるシーンがあるのですが、この最後のシーンでは上映会場でも同じことが起こりました。この資料映像はどこにあったのでしょうか。お茶目な大統領でもあった、お薦めドキュメンタリーです。
B: 『Paco de Lucia』は息子と娘が撮ったドキュメンタリー。心臓を患っていたのは本人も承知していたようですが、あんなストックでは病気でなくても寿命は縮まります。
A: パコはメキシコにも別の家庭を持っていて、スペインとメキシコを行ったり来たりしていた。パコと一緒に映像に出てくるディエゴ少年は監督たちの異母弟に当たる。メキシコで亡くなったのは偶々メキシコに行っていたときだったからです。映画製作中に父親の死にあい、ショックで中断していた。もしそんなことがなければ映画は違う展開をしたかもしれません。
B: 『グラン・ノーチェ! 最高の大晦日』の主役ラファエルの若いころの映像が出てきたり、二度と現れないだろうと言われるフラメンコ界のキング、カマロンのデビューしたての美声も楽しめます。
A: 内気で自分の演奏に厳しかったパコ、音楽ファンでなくても楽しめる構成になっています。是々非々はともかく家族のかたちも変わりつつあるという感慨に浸りました。

(向こうに逝ってしまったフラメンコ界の天才、カマロンとパコ)
管理人覚え
*『選ばれし少女たち』(カンヌ映画祭2015「ある視点」)の記事は、コチラ⇒2015年5月31日
*『アジェンデ』の紹介記事は、コチラ⇒2015年3月9日
*『Paco de Lucia』(ゴヤ賞2015)の記事は、コチラ⇒2015年1月31日
パブロ・ラライン 『ザ・クラブ』 *ラテンビート2015 ④ ― 2015年10月18日 15:11
今年の目玉は『ザ・クラブ』か?
★朝から夜まで3日間で10本の強行軍、いささか疲れました。一応映画祭前にご紹介した作品は鑑賞できましたが、なかには掘り下げが中途半端で期待外れもありました。逆に『アジェンデ』のように予想以上によかった作品もありました。なかで一番興奮したのがパブロ・ララインの『ザ・クラブ』、まだ充分内容が咀嚼できておりませんが、時間が経つと記憶が薄れて書けなくなるので、勘違いを覚悟でアップいたします。部分的にネタバレしております。(2015年2月22日「ベルリン映画祭審査員グランプリ受賞」の記事と重複している部分を含みます)
『ザ・クラブ』(“El
Club”“The Club”)2015
製作:Fabula (ラライン兄弟が設立した製作会社)
監督・脚本・製作者:パブロ・ラライン
脚本(共同):ギジェルモ・カルデロン、ダニエル・ビジャロボス
音楽:カルロス・カベサス
撮影:セルヒオ・アームストロング
編集:セバスティアン・セプルベダ
美術・衣装・デザイン:エステファニア・ラライン
製作者:フアン・イグナシオ・コレア、マリアネ・アルタルド、ロシオ・Jadue(以上エグゼクティブ)、フアン・デ・ディオス・ラライン(監督の弟)
データ:チリ、スペイン語、2015年、98分、撮影地:チリ第6区リベルタドール・ベルナルド・オイギンス州ラ・ボカ・ナビダード
公開:チリ5月28日、ブラジル10月1日、スペイン(限定10月9日)、ポーランド10月16日、デンマーク10月29日、他フランスとドイツ11月、イギリス2016年3月公開がアナウンスされている。
映画祭・受賞歴:ベルリン映画祭2015審査員グランプリ(銀熊賞)受賞作品
ノミネーション:トロント映画祭9月17日、ロンドン映画祭10月8日、他多数
キャスト:アルフレッド・カストロ(ビダル神父)、ロベルト・ファリアス(サンドカン)、アントニア・セヘルス(シスター・モニカ)、アレハンドロ・ゴイク(オルテガ神父)、ハイメ・バデル(シルバ神父)、アレハンドロ・シエベキング(ラミレス神父)、ホセ・ソーサ(マティアス・ラスカノ神父)、マルセロ・アロンソ(ガルシア神父)、フランシスコ・レジェス(アルフォンソ神父)他

(薄暮の海岸で犬の調教に熱中するビダル神父)
プロット:かつて好ましからぬ事件を起こして早期退職を余儀なくされた神父4人のグループを、教会が海岸沿いの人里離れた村の一軒家に匿っている。神父たちはカトリック教会のヒエラルキーのもと共同生活を送っており、シスター・モニカが神父たちの世話をして生活を支えている。彼女が外と接触できる唯一の人物であり、神父たちが飼っている狩猟犬グレーハウンドの世話もしている。ある日、この「クラブ」に5人目の神父が送りこまれてきたことで、秩序ある静穏さが一変してしまう。 (文責:管理人)
チリ社会の闇に拘りつづける
A: ベルリン映画祭の審査員グランプリ受賞のさい記事をアップいたしましたので、ラテンビート(LB)としては鑑賞後に回しました。サンセバスチャン映画祭「ホライズンズ・ラティノ」では無冠だったので、やはりベルリンは特殊なのかと思っていました。
B: 『パウリーナ』が独占しましたからね。これについては疑問を呈していましたが、審査員も観客も違えば評価も違うということでしょう。
A: 合唱劇ではありませんが、キャスト紹介からも分かるように複数の神父が出てくるので、それぞれどういう罪で<クラブ>に閉じ込められているのか、その理由が分かるまでうろうろします。鑑賞1回でアップするのはちょっと冒険です(笑)。
B: 性的虐待の廉でクラブ入りした最重要人物ビダル神父役のアルフレッド・カストロ以外は区別が難しい。前作『NO』に出演した俳優が殆どですが、ラライン映画のファンでも、サンドカンを演じていたのがロベルト・ファリアスだったのに気が付くのは終りのほうになってからです。
A: 何しろ顔が髭だらけで顔が見えなかった(笑)。サンドカン役も重要人物の一人、『NO』で主役を演じたガエル・ガルシア・ベルナルの別れた妻ベロニカのパートナーになった。アントニア・セヘルスが扮した訳ありシスター・モニカ役がもう一人の重要人物、彼女は『NO』でコミュニストのベロニカを演じた女優、この三人を中心にドラマは進行する。

(髭で素顔が見えないサンドカン役のロベルト・ファリアス)
B: キャストはラライン映画専属俳優と言ってもいいくらい、監督は気に入った俳優を起用しつづけるタイプ、1回起用に徹しているアメナバルの対極にある監督です。
A: アルフレッド・カストロは、「ピノチェト政権三部作」全てに出演、『トニー・マネロ』がLB2008で上映された折り来日しております。監督夫人でもあるアントニア・セヘルスも同じように全3作に出ており、『トニー・マネロ』では脇役のTVプロデューサー、第2作“Post Mortem”で主役を演じた。子供のときから女優になるのが夢だったという根っからの女優志願。
B: 女優、テレビ製作者、ラライン同様セレブ階級に属しており、結婚は2006年、既に2人供がいる。神父たちを甲斐甲斐しく世話しているが、その実クラブを牛耳っている抜け目のないシスター役は秀逸でした。よく透る美しい声の持主。
A: 彼女は家政婦であると同時に看守であり、つまりクラブはカトリック教会直属の私設刑務所でもあるからです。教会のルールに従って神父たちの連禱などを先導、男たちの気まぐれを許しながら、緻密な管理能力で調和を保つよう細心の注意を払っている。正式な尼僧ではないらしく過去のある謎のシスター、下界と接触できる唯一の人物。カトリック教会のヒエラルキーの末端にいるが、彼女なしにはクラブは存在できない。

(シスター・モニカ役のアントニア・セヘルス)
B: しかし、彼女自身もクラブなしには生きていけないという共犯関係にある。全員で所有している狩猟犬グレーハウンドと一緒に土地のドッグレースに出場できるのもシスターだけ、闇にまぎれて夜間しか外出できない神父たちは遠くから双眼鏡でレースを見守るしかない。
A: 神父たちがささやかとはいえ、教会が禁止している賭け事に興じているのも皮肉です。このグレーハウンド犬はバイブルに登場するただ一つの犬種で、この犬の辿る運命が大きなメタファーになっているのでしょう。ビダル神父が海岸沿いでラヨと名付けた犬を訓練している美しい映像が上記の写真です。
B: 神父たちは各自一定の距離を保ってバランスをとっている。そうすることが生き延びる最低条件だと分かっているからです。
A: それぞれクラブに入らざるをえなかった理由が違います。二人目のシルバ神父はピノチェト軍事独裁政の弾圧機関によって送りこまれた反体制派の神父、三人目はオルテガ神父、違法な赤ん坊の養子縁組を告発されて送りこまれてきた。四人目がラミレス神父、老いのせいか長い隔離が原因か分からないが、認知症でシスターにお下の世話をしてもらっている。クラブで何十年もの年月を過ごしている最高齢者である。

(左から、ビダル神父、オルテガ神父、シルバ神父)
B: そこへ五人目の小児性愛の罪でラスカノ神父が到着、間もなく神父を追ってサンドカンがクラブの庭先に現れたことで、危うい均衡を保っていた調和が脆くも崩れてしまう。
A: ラスカノ神父は自分は小児性愛者ではなく、皆さんのような罪は犯していないと主張するが、庭先でのサンドカンの喚きがすぐさまそれを打ち消す、彼は神父を「マティアス」とクリスチャン・ネームで呼んでいる、これがミソです。
B: 神父を告発するためにこの僻地まで追ってきたのでないことが明らかになっていくが、その真の理由は誰にとっても秘密にしたいことだった。
A: サンドカンを追い払うために渡したピストルで、あろうことかラスカノ神父が自殺してしまう。前半のクライマックスです。ここでクラブの性格が一気に判明してしまう。
B: クラブの存続を脅かす性的虐待と自殺行為が神父たちを恐怖に陥れる。
A: 正式に神父たちには告解を聞いたり葬儀を行う権限がなく、中央からアルフォンソ神父が派遣され葬儀が執り行われる。そして原因糾明を担ったガルシア神父が登場、これですべての神父が出揃うことになる。
B: 直にガルシア神父到着の本当の理由が、クラブ閉鎖であることが分かってくる。この若い教養ある革新主義者の神父が、シスターぐるみの神父たちの抵抗に手こずるところは、ブラック・コメディですね。
A: カリカチュアぎりぎりかな。これ以上落ちるところのない、海千山千の歴戦の戦士たちは保身のためなら嘘をつくことも躊躇しない。
B: クラブ全員の憂慮は、サンドカンが当地に住みつきそうなことだ。全員一致で追い出しに奔走することになる。ここから後半が猛スピードで展開していく。
A: 最後のどんでん返しに観客は驚くが、さすがにネタバレできない(笑)。因みに、ラスカノ神父役のホセ・ソーサはララインのデビュー作“Fuga”に出演、アルフォンソ神父を演じたフランシスコ・レジェスはアンドレス・ウッドの『マチュカ』に出ていた。ガルシア神父役のマルセロ・アロンソは『トニー・マネロ』や“Post Mortem”などラライン映画に複数出演している。
カトリック系の学校に通った少年時代
B: これはあくまでもフィクションですね。
A: この映画のアイディアは、チリでは有名なラ・セレナ市の大司教も務めた神父フランシスコ・ホセ・コックス神父が住んでいた牧歌的なスイスの館の写真を見て生れたということです。同性愛や小児性愛で告発された神父です。ですからこういう施設は実際にあったわけです。監督は少年時代は、カトリック系の学校に通っていたから、カトリック教会のシステムを熟知している。さまざまなタイプの神父を観察してきたと語っています。
B: 幽閉されていた神父たちにはモデルとなる神父たちの誰彼が投影されているのでしょうか。
A: 詳しいことは知りませんが、マティアス・リラの“El bosque de Karadima”(2015)という映画は、1930年チリ生れのフェルナンド・カラディマ神父の実話です。1980年代から2000年にかけて性的虐待をしていたことを、2011年にバチカンも認めた。そういう現存している人物が『ザ・クラブ』の神父の誰かに投影されていると考えるのは自然なことでしょう。
B: カトリック教会のモラルの衰退が大きなテーマですが、同性愛と小児性愛は別の次元の問題です。
A: 問題なのは小児性愛、事実はどうあれビダル神父は同性愛だけを認めていました。神は子孫を残すために男と女をお創りになった。子孫を残せない同性愛を教会は認めない。しかし「同性愛者も神がお創りになったのだ」とビダル神父は語る。現在もバチカンは認めていないが、エルトン・ジョンの国が合法化したのは1967年でした。第2次世界大戦下、ドイツ軍の暗号エニグマ解読に成功した天才数学者チューリングも犠牲者だった。スコットランド、北アイルランドの合法化は1980年代、ついこの間のことなのです。
B: エイゼンシュテインもメキシコから帰国したあと10年のシベリア送りになったと『エイゼンシュテイン・イン・グアナファト』のエンディングにあった。
A: このクラブの4人の住人は贖罪などしない。代わりに夜間の散歩や狩猟犬のトレーニングにのめり込んでいる。贖罪すべき罪を犯していないからか、許されるチャンスが与えられていないからか。
B: 終身刑ですから言葉悪いですが飼殺しです。反体制派のシルバ神父など全く救われないです。
A: チリはピノチェトの時代が18年間と長かったから、民主主義は名ばかりで実体は脆弱なのかもしれません。スタイルは違いますが、「ピノチェト政権三部作」の続編だと言えますね。
B: 『NO』のときは、80年代当時のフッテージ映像が映画になじむようアナログのソニー製ビンテージカメラで撮影された。今作はピントをゆがませたり、カメラを固定して広角レンズを多用していた印象でした。
A: 相変わらず凝り性ですね。クローズアップが多かったように思いましたが、個人的には好きになれません。テレビで見ることを想定していると勘ぐってしまいます。

(ビダル神父役のアルフレッド・カストロ)
B: 凝るのはカメラだけじゃない、出演者には前もってシナリオを渡さず、大枠の知識だけで撮影に入ったそうですね。誰も自分が演ずる役柄の準備ができないようにした。
A: 撮影期間は2週間ちょっと、邪魔が入るのを恐れて秘密裏に行い、編集は自宅でやったという。ベルリンまでの道のりは綱渡りでスリル満点だったでしょう。弟で製作者のフアン・デ・ディオス・ララインの協力なしには不可能だった。

(左から、J・デ・D・ラライン、ファリアス、監督、カストロ ベルリン映画祭)
B: ラライン監督は、21世紀に入ってからのチリ映画を牽引している代表選手です。
A: 監督紹介でも触れておりますが、自作に止まらず他監督の製作にも協力を惜しみません。セバスティアン・シルバの新作“Nasty Baby”は、ベルリン映画祭2015「パノラマ」部門で上映された英語映画です。現在ニューヨークのブルックリンに本拠を移し、パートナーと暮らしています。映画もそれがヒントになってでいるそうです。LB2013に来日してQ&Aに出演しています。
B: ララインの次回作は“Neruda”とアナウンスされています。再びG.G.ガエルとタッグを組むようですが。
A: 時代背景は1940年代後半、ビデラ政権によって共産党が非合法化され、ネルーダが国外逃亡を余儀なくされた頃を描いたもの。ガエルはそのネルーダを追い回す刑事役です。ネルーダにはチリの大物コメディアン、ルイス・グネッコ(1962、サンチャゴ)が扮します。『NO』ではキリスト教民主党の政治家ホセ・トマス・ウルティアを演じたベテラン俳優、どんなネルーダになるんでしょうか。
B: 同じ逃亡中のネルーダを扱ったマイケル・ラドフォードの『イル・ポスティーノ』(94)とは全く別の顔を見せるはずです。2016年チリ公開が決まっています。
*監督キャリア&フィルモグラフィー*
★パブロ・ララインは、1976年チリの首都サンチャゴ生れ。父親エルナン・ラライン・フェルナンデス氏は、チリでは誰知らぬ者もいない保守派の大物政治家、1994年からUDI(Union Democrata Independiente 独立民主連合) の上院議員で弁護士でもあり、2006年には党首にもなった人物。母親マグダレナ・マッテも政治家で前政権セバスチャン・ピニェラ(2010~14)の閣僚経験者、つまり一族は富裕層に属している。6人兄妹の次男、2006年アントニア・セヘルスと結婚、一男一女の父親。

★ミゲル・リティンの『戒厳令下チリ潜入記』でキャリアを出発させている。弟フアン・デ・ディオス・ララインとプロダクション「Fabula」を設立、その後、独立してコカ・コーラやテレフォニカのコマーシャルを制作して資金を準備、デビュー作“Fuga”を発表した。<ジェネレーションHD>と呼ばれる若手の「クール世代」*に属している。現在はラライン、セバスティアン・シルバ、セバスティアン・レリオがチリの三羽鴉か。プロジェクトを組んで互いに協力し合っている。
*長編映画(短編・TVシリーズ省略)*
2006“Fuga”監督・脚本
2008“Tony Manero”『トニー・マネロ』監督・脚本「ピノチェト政権三部作」第1部
LB2008
2010“Post mortem” 監督・脚本「ピノチェト政権三部作」第2部
2012“No”『No』監督「ピノチェト政権三部作」第3部 LB2013
2015“El club”『ザ・クラブ』監督・脚本・製作、 LB2015
*他監督の主な製作作品(Fabula製作)*
2007“La vida me mata”セバスティアン・シルバ
2011“El año del tigre” セバスティアン・レリオ
2011“Ulises”オスカル・ゴドイ
2012“Joven y alocada”マリアリー・リバス
2013“Gloria”『グロリアの青春』 セバスティアン・レリオ LB2013
2013“Crystal
Fairy” 『クリスタル・フェアリー』セバスティアン・シルバ LB2013
2015“Nasty Baby” セバスティアン・シルバ
*「クール世代」のメンバー:『マチュカ』『サンティアゴの光』のアンドレス・ウッド、『盆栽』『ヴォイス・オーヴァー』のクリスチャン・ヒメネス、『家政婦ラケルの反乱』『マジック・マジック』のセバスティアン・シルバ、『グロリアの青春』のセバスティアン・レリオ、『プレイ/Play』のアリシア・シェルソンなどがメンバー(邦題は映画祭上映時のもの)
ロドリーゴ・プラの新作はサスペンス*東京国際映画祭2015 ① ― 2015年10月04日 17:23
スペイン語映画が3作上映されます
★東京国際映画祭TIFFの大枠がはっきりしてきました。見落としがなければスペイン語映画は、コンペティションにロドリーゴ・プラの『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』、ワールド・フォーカスにホセ・ルイス・ゲリンの『ミューズ・アカデミー』と、ラテンビート共催上映のセサル・アウグスト・アセベドの『土と影』の合計3作がアナウンスされました。
★コンペ上映の『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』(メキシコ)は、ベネチア映画祭2015でご紹介した“Un
monstruo de mil cabezas”の英題をそのまま仮名で表記したものです。作品解説によると「~平凡な主婦が絶望的な行動に走る様を、抜群のテクニックで描くノンストップサスペンス」と紹介されています。また「~前作『The Delay』において~」とあるのは、“La demora”の英題、「ラテンビート2012」で『マリアの選択』の邦題で上映された映画です。生れ故郷ウルグアイに戻って製作、主人公マリアに扮したロクサナ・ブランコが高い評価を受けた映画でした。監督と脚本家のラウラ・サントゥリョは夫婦で共にウルグアイ出身です。新作はメキシコに戻って撮ったメキシコ映画、既にスタッフ、キャスト、監督キャリア&フィルモグラフィーなどトレビアを含めてご紹介しています。
*“Un monstruo de mil cabezas”の記事は、コチラ⇒2015年8月10日

★セサル・アウグスト・アセベドの『土と影』については、ラテンビート2015、またはカンヌ映画祭2015に、スタッフ、キャスト、監督キャリア&フィルモグラフィーなどトレビアを含めてご紹介済みです。ラテンビートは10月11日(日)21:00の1回だけの上映です。遅い時間帯だけに帰宅の足が心配な方は、是非TIFFで。
*カンヌ映画祭2015の記事は、コチラ⇒2015年5月1

★8月の暑い盛りに開催されるスイスのロカルノ映画祭の話題作、ホセ・ルイス・ゲリンの久々の新作『ミューズ・アカデミー』については、次回アップいたします。TIFFの公式サイトに「ドキュメンタリー」とありましたが、さて、これはドキュメンタリーでしょうか。

(ホセ・ルイス・ゲリン監督)
『ザ・キング・オブ・ハバナ』*ラテンビート2015 ③ ― 2015年09月17日 16:17
キングもハバナも出てこない『ザ・キング・オブ・ハバナ』
★間もなく開催されるサンセバスチャン映画祭正式出品映画です。そちらで少し記事をアップしておりますが(コチラ⇒8月4日)、ラテンビート上映ということなので改めてご紹介いたします。アグスティ・ビリャロンガ監督といえば『ブラック・ブレッド』、これは「ラテンビート2011」の目玉でした。主役のフランセスク・コロメル少年が来日舞台挨拶いたしましたが、まあ子供のことですから何てことありませんでしたが。大成功以後沈黙していた監督がやっと新作を撮りました。実際のキングもハバナも登場しません。舞台背景が「石器時代に逆戻り」と言われた1990年代後半のハバナですから、キューバ・ファンの方には思い出すのも辛い時代かもしれません。キューバ映画芸術産業庁ICAICからハバナでの撮影を拒否され、セントロ・ハバナが舞台なのに撮影地はドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴです。

“El Rey de La Habana” 『ザ・キング・オブ・ハバナ』2015
製作:Canal+España / Esencia Films(ドミニカ共和国)/ Pandora Cinema(スペイン)/ Ibermedia /
Tusitara Producciones Cinematográficas(スペイン) 他
監督・脚本:アグスティ・ビリャロンガ
原作:ペドロ・フアン・グティエレス(同名小説)
撮影:ジョセプ・M・Civit
音楽:ジョアン・バレント
編集:ラウル・ロマン
美術:アライン・オルティス
衣装:マリア・ジル
メイクアップ:ルシア・ソラナ(特殊メイク)
製作者:セリネス・トリビオ(エグゼクティブ)、ルイサ・マティエンソ
データ:スペイン=ドミニカ共和国、スペイン語、2015、キューバの作家ペドロ・フアン・グティエレスの同名小説の映画化、撮影地:ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴ、サンセバスチャン映画祭2015コンペがワールド・プレミア(9月25日)
キャスト: マイコル・ダビ・トルトロ(レイナルド)、ヨルダンカ・アリオサ(マグダ)、エクトル・メディナ・バルデス(ユニスレイディ)、リェアナ・ウィルソン(フレデスビンダ)、チャネル・テレロ(ジャミレ)、ジャズ・ビラ(ラウル)他

(マグダとレイナルド、映画から)
プロット:少年院から逃亡した若者レイナルドの物語。いまや自由を勝ちえてロンやユーモアを取り戻したレイナルドだが、空腹と悲惨が充満しているハバナの街路を生き残りをかけて彷徨っていた。しかし同じ境遇のマグダに出会うことで、生きる希望と勇気を見出すだろう。愛とセックスと優しさ、そして若者たちに襲いかかる失望、人並みの家族をもちたいというレイナルドの意思と切望に現実のキューバ社会が立ちはだかる。果たして彼は自分を取り巻く貧困とモラルから脱出できるだろうか。(文責:管理人)
*トレビア*
★どういう経緯でハバナでなくドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴで撮影されたのか。理由は至極簡単明瞭、キューバ当局が拒絶したからです。多分ビリャロンガの脚本がお気に召さなかったのではないでしょうか。キューバの作家ペドロ・フアン・グティエレスが1999年に発表した同名小説の映画化です。原作をダイジェスト版で読んだだけ、映画はまだ見ていない段階であれこれ言うのは控えねばなりません。しかし撮影を拒否するほど内容が変わってしまっているとは思えません。ラテンビートで鑑賞後(10月12日クロージング作品)再登場させるつもりです。目下は前座としてアップしておきます。
★原作者のペドロ・フアン・グティエレスは1950年マタンサス生れ、小説家、詩人、ジャーナリスト。世間の「カリブのブコウスキー、ハバナのヘンリー・ミラー」でイメージしにくいなら、「レイナルド・アレナスのようにラディカル、ソエ・バルデス以上に攻撃的」なら、なんとなく作風が想像できるでしょうか。1998年、ハバナ三部作の“Trilogia sucia de La
Habana”(Anclado en tierra de nadie、Nada que hacer、Sabor a mi)でデビュー、本作は長編第2作目です。第3作“Animal tropical”(2000)がスペインのアルフォンソ・ガルシア≂ラモス小説賞、第5作“Carne de perro”(2003)がイタリアの世界スール小説賞を受賞、母国より海外での評価が高い。いずれもテーマはキューバ社会の悲惨を弾劾している。そんな作家がアレナスやバルデスのように亡命することなく、セントロ・ハバナに住みつづけていられるのが不思議に思えます。

(自宅の屋根裏部屋からハバナ市を見渡している作家、2014年撮影)
★原作は200ページほどだから中編か。第三者の語り手が主人公レイナルドの視点で、サン・レオポルド地区に暮らすムラートの青年の人生を最初から最後まで語っていく。この肉など口にしたことのない若者はとりたてて美男というわけではないが、名をReinaldoまたは Rey、ある理由でEl Rey de La Habanaという渾名で呼ばれている。最下層出身の青年には王冠もなく権力もなく、あるのは空腹のみ、皮肉から付けられたキングである。まだ「ハバナのキング」の片鱗もうかがえない子供時代から物語は始まる。突然家族のすべてを失い、13歳で少年院送りとなる。そこでの大きな勝利はどんな犠牲を払ってでも同性愛者の餌食にならないことだ。命をかけて誓うが行きつく先は愛すべきゴキブリの巣窟、薄暗い独房だ。16歳で逃亡しても荒廃したハバナの街で待っているのは恐ろしい死だ。薄暗く、汚れ、疲弊した、危険な都会、これが1990年代のハバナの姿だと、語り手は章の区別もなく一気に語っていく。
★かなり際どいストーリーだが、これはあくまでフィクションであってドキュメンタリーではないことです。セントロ・ハバナにサン・レオポルドというバリオが実際にあるのかどうか。サン・ミゲル、サン・ラファエルなど「サン」のつくバリオは多数あるが、見落としの可能性もあるかもしれないが架空のバリオではないかと思う。レイナルドのように身寄りがなく、誰も助けてくれない、身分証明書もなく、おまけに殆ど読み書きができない若者にとって、少年院もシャバも同じかもしれない。ICAICに撮影申請と共に提出された脚本が「あまりに人種差別的、性差別的、戯画化的、捉え方も表面的で悪すぎる」として拒否されたのは、ドラマとドキュメンタリーとの混同があるように思える。これは鑑賞後に書くべきことだが、異なる文化圏の監督に自国の過去の悲惨をとやかく言われるのは看過できない、という思いがあるのかもしれない。
★監督によれば、この映画のアイデアは、プロデューサーのルイサ・マティエンソから「とっても気に入った小説があって映画化できないだろうか。あなたがキューバに大いに関心をもっているのを知ってるので」とコメントを求められたことから始まった。原作を読み、とても興奮したので、デビュー作“Trilogia sucia de La Habana”も読んだ。映画化に向けて作者のペドロ・フアン・グティエレスとも話し合い、脚本は自分一人で書くことに決めた。ハバナでキャスティングも行い、おおまかなロケ地の撮影もしたうえで、舞台は当然セントロ・ハバナなのだからと撮影許可を申請したが通らなかったということです。それでドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴに変更、結果的にはそれが正解だったという。
★製作過程はかなり複雑だったようですが、最初はドミニカ共和国での撮影は恐怖だったと語る。何故なら限られた製作費で、比較にならないほど豊かな国ドミニカ共和国の首都で90年代のハバナを再現できるかどうか心配だったのだ。しかし豊かな国でも光と影はつきもので杞憂に過ぎなかったのだが、驚いたのはこの国の若いシネアストたちのレベルの高さだったという。ICAICの意向も分からなくもないが、やはり異国からの「旅人の視線」を忘れないで欲しかったと思う。

(左から、マイコル・ダビ、監督、ヨルダンカ・アリオサ、サント・ドミンゴにて)
★ラテンビートで上映される時には、サンセバスチャンの受賞結果が分かっています。今年はスペイン語作品ノミネーションは6作と多いのですが、2年連続でスペイン語映画が金貝賞を受賞しているので微妙です。サンセバスチャン映画祭のワールド・プレミアから間をおかず、こうして日本で上映されるのは本当に珍しいことです。金貝賞以外でも何かの賞に絡めば、『ブラック・ブレッド』同様、公開が期待できるかもしれません。後は鑑賞着に書くことにして、今はこれくらいにしておきます。
タイムテーブルの発表*ラテンビート2015 ② ― 2015年09月13日 12:11
パブロ・ララインの『ザ・クラブ』がエントリー
★やっと全体像が見えてきました。東京会場は日本映画を除くと14本、うちドキュメンタリーが5本と比率が高い。ゴヤ賞、ベルリン、マラガ、カンヌとラテンビートを視野に入れて映画祭を追ってご紹介してきましたが、一番期待していたチロ・ゲーラの“El abrazo de la serpiente”が落ち、個人的に気に入ったので空振りでもいいやとご紹介した“Ixcanul”(『火の山のマリア』)が入るなどサプライズもありました。まあ、例年より小ぶりな印象です。既に記事をアップしている作品についてはワープできるようにしましたが、アップ記事は原題表記です。
(★印は、映画祭開催前にアップ予定の作品。製作年表記なしは2015年)
*フィクション*
1)『パウリーナ』La Patota / Paulina サンティアゴ・ミトレ、アルゼンチン=ブラジル=仏、
◎カンヌ映画祭2015「批評家週間」グランプリ受賞作品
サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品作品
10月12日(月・祝)11:00~

2)『ザ・クラブ』El Club パブロ・ラライン、チリ
◎ベルリン映画祭2015審査員賞グランプリ受賞作品
サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品作品
10月10日(土)18:30~ 10月12日(月・祝)13:30~ (2回上映)

3)『土と影』La tierra y la sombra セサル・アウグスト・アセベド
コロンビア=フランス=オランダ=チリ=ブラジル
◎カンヌ映画祭2015「批評家週間」新人監督賞・カメラドール受賞作品
サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品作品
10月11日(日)21:00~

4)『火の山のマリア』Ixcanul ハイロ・ブスタマンテ、グアテマラ=フランス
◎ベルリン映画祭2015「アルフレッド・バウアー賞」受賞作品
サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品作品
10月11日(日)13:30~

5)『グラン・ノーチェ! 最高の大晦日』Mi gran noche アレックス・デ・ラ・イグレシア、西
◎サンセバスチャン映画祭2015コンペティション外上映
10月10日(土)21:00~ 10月12日(月・祝) (2回上映)

6)『エイゼンシュテイン・イン・グアナファト』Eisenstein
in Guanajuato (英題)
ピーター・グリーナウェイ、オランダ≂メキシコ≂フィンランド≂ベルギー≂フランス
◎ベルリン映画祭2015正式出品作品、シアトル映画祭2015監督賞第3席
10月11日(日)18:30~

7)★『ザ・キング・オブ・ハバナ』El
rey de la Habana アグスティ・ビリャロンガ
スペイン=ドミニカ共和国
◎サンセバスチャン映画祭2015コンペティション出品作品
10月12日(月・祝)18:30~

8)『選ばれし少女たち』Las
elegidas ダビ・パブロス、メキシコ
◎カンヌ映画祭2015「ある視点」正式出品作品
サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品作品
10月10日(土)13:30~

9)★『Closed Rooms』(英題)Habitaciones cerradas スペイン
◎スペインTVミニシリーズ作品、ワールド・プレミア
10月9日(金)18:30~ 上映とティーチイン

*ドキュメンタリー*
10)『Paco de Lucia. A Journey』(英題、2014年)クーロ・サンチェス・バレラ、スペイン
◎ゴヤ賞長編ドキュメンタリー部門の作品賞・新人監督賞・編集賞受賞作品
10月11日(土)16:00~

11)『アジェンデ』Allende, mi abuelo Allende 2014年、マルシア・タンブッチ・アジェンデ
アルゼンチン
◎カンヌ映画祭2015「監督週間」正式出品作品
10月11日(日)13:30~

12)『バルセロナ 炎のバラ』Barcelona, la rosa de fuego ジョアン・マヌエル・セッラ、スペイン
◎ラテンビート初の3D上映・オープニング作品
10月8日(木)18:30~
13)『シェリー & パロ・コルタドの謎』Jerez
& El misterio del palo cortado スペイン
ホセ・ルイス・ロペス・リナレス
10月10日(土)11:00~
14)『The Wolfpack』(英題)クリスタル・モーゼル、米国、英語
10月10日(土)18:30~

★『クッキング・アップ・ア・トリビュート』cooking
up a tribute (ルイス・ゴンサレス&アンドレア・ゴメス)は、東京会場バルト9では上映されません。
サンセバスチャン映画祭2015*グアテマラ映画”Ixcanul” ⑥ ― 2015年08月28日 15:09
オール初出演のグアテマラ映画“Ixcanul”

★ハイロ・ブスタマンテがベルリン映画祭2015「アルフレッド・バウアー賞」(銀熊賞)を受賞したときにはデータが揃わず受賞のニュースだけをアップいたしました。受賞のお蔭か、その後グアダラハラ、カルタヘナ、香港、シドニー、台湾、カルロヴィ・ヴァリ、トゥールーズ、サント・ドミンゴ、スロバキア共和国アート・フィルム・フェス、スロベニア共和国マルタなど国際映画祭を旅して、やっとサンセバスチャンに舞い戻ってきました。というのも本作は本映画祭2014「Cine en Construccion」参加作品でした。ベルリン映画祭のアルフレッド・バウアー賞というのは新しい視点を示した作品に贈られる賞、昨年は大御所アラン・レネの遺作となってしまった『愛して飲んで歌って』が受賞したのでした。どうも何か賞を獲りそうな予感がいたします。
“Ixcanul”(英題“Ixcanul Volcano”)グアテマラ=フランス
製作:La Casa
de Producción(グアテマラ)/ Tu Vas Voir(フランス)
監督・脚本・製作者:ハイロ・ブスタマンテ
音楽:パスクアル・レジェス
撮影:ルイス・アルマンド・アルテアガ
編集:セサル・ディアス
美術・製作者:ピラール・ペレド(アルゼンチン人でフランスのTu Vas Voirのプロデューサー)
衣装デザイン:ソフィア・ランタン
メイクアップ&ヘアー:アイコ・サトウ
製作者:イネス・ノフエンテス(エグゼクティブ)、マリナ・ペラルタ(グアテマラ)、エドガルド・テネムバウム
データ:グアテマラ≂フランス、スペイン語・マヤCakchiquelカクチケル語、2015、93分、撮影地:パカヤ火山の裾野の村エル・パトロシニオ。サンセバチャン映画祭2014「Cine en Construccion」参加作品。8月22日エル・パトロシニオで先行上映後、グアテマラ公開8月27日、フランス11月25日
受賞歴:ベルリン映画祭2015「アルフレッド・バウアー賞」、トゥールーズ映画祭2015審査員賞と観客賞、カルタヘナ映画祭2015作品賞、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ映画祭2015初監督作品賞、スロベニア共和国のマルタ映画祭2015撮影賞、スロバキアのアート映画祭2015作品賞「青の天使賞」と助演女優賞(マリア・テロン)など受賞歴多数、目下更新中。
キャスト:マリア・メルセデス・コロイ(マリア)、マリア・テロン(マリアの母フアナ)、マヌエル・マヌエル・アントゥン(マヌエル)、フスト・ロレンソ(イグナシオ)、マルビン・コロイ(エル・ペペ)、映画はオール初出演

プロット:マヤ族カクチケルのマリアは17歳、グアテマラの活火山パカヤの山腹で両親と一緒に暮らしている。コーヒー農園で働いていたが、両親が農園主イグナシオとの結婚を取り結んだことで平穏が破られる。マリアはインディヘナとしての運命を変えたいと思っていたが、この結婚から逃れることはできない。妊娠という難問をかかえており、都会の病院は高額すぎて彼女を助けることができない。マリアは火山の反対側の新世界アメリカを夢見る若いコーヒー刈り取り人が彼女を置き去りにしたとき、改めて自分の世界と文化を発見する。しかし先住民の伝統や文化についての映画ではなく、ましてやフォークロアなどではない。後継者のいない富裕層の養子縁組のために生れるや連れ去られてしまう残忍なテーマ、先住民の女性たちが受ける理不尽な社会的差別、母と娘の内面の葛藤が語られるだろう。 (文責管理人)

(パカヤ火山を背にマリア役のマリア・メルセデス・コロイ、映画から)
トレビア:タイトルの‘Ixcanul’(イシカヌルか)はカクチケル語で「火山」という意味。グアテマラの公用語はスペイン語であるが、先住民マヤ族の言語は21種もあり、多言語国家でもある。そのうちカクチケル語の話者は約50万人いると言われ最も重要な言語の一つであり、メキシコにも話者は多い。本作の主人公に扮する2人のマリアのようにバイリンガルな人もいるが、スペイン語ができない人も多い。識字率が70%に満たない低さで、ラテンアメリカ諸国のうちでも最低の国に数えられている。それは前世紀後半グアテマラに吹き荒れた36年間に及ぶ内戦が深くかかわっている。1960年から始まり1996年に終結したが、死者約20万人、うち犠牲者の80%以上がマヤ族の武器を持たない性別を選ばない赤ん坊から老人まで、グアテマラ内戦が「ジェノサイドだった」と言われる所以である。内戦の後遺症は尾を引き、現在でも治安は悪く、真の平和は遠いと言われている。
★今年のベルリンは本作の他、チリのパブロ・ララインの“El
Culb”が審査員賞、同パトリシオ・グスマンの『真珠のボタン』の脚本賞と、ラテンアメリカのシネアストが評価された年であった。

(クロージングに出席した監督と民族衣装に身を包んだ二人のマリア、2015年2月14日)
*監督キャリア
& フィルモグラフィー*
★ハイロ・ブスタマンテJayro Bustamanteは、監督、脚本家、製作者。映画の舞台となったグアテマラのマヤ族カクチケルが住む地域で育った。現在37歳ということなので1978年ころの生れか。まさにグアテマラ内戦(1960~96)の中で生れ育った世代。パリやローマで映画製作を学び、多数の短編を製作、そのなかの“Cuando sea grande”(2011)が評価される。のち本作を撮るために故郷に戻ってきた。

(受賞のトロフィーを手にした監督、ベルリン映画祭にて)
メーキング:ブスタマンテ監督によると、「まず現地でワークショップを開催、彼らの生き方を自身の口から語ってもらうことにした。近距離からマヤの人々が現在置かれている状況を調査した。そうすることで、女性たちとの特別なコネクションができ、母親や祖母世代の慣習や仕来たりを学んでいった」という。グローバル化からはほど遠い、あまり知られていない日常的な日課が我々を待っているが、先住民文化についての映画ではない。「この映画が世界に受け入れやすくするための方針はとらなかった。また同世代の監督が陥りやすい民族的な悲惨さを描くのを避けた」とも語っている。必要なのは観客を魅了する人間ドラマを撮ること、それには互いの立場を尊敬しあうことでしょうね。
★まだカメラ経験のないアマチュアの出演者を探すのに奔走した。主人公マリアの母親を演じたマリア・テロンから「多くのリハーサルに時間をかけるのか、もしそうなら私はあなたを信頼しない」と質問された。勿論「ノー」と答えた。「監督することであなた方から多くのことを学びたい」。「分かったわ、そうであるなら、教えてあげましょう」とテロン。彼女は映画は初出演だが舞台女優の42歳、「映画に出てくる火山のようにエネルギュッシュな女性」と監督、スロバキアの映画祭で助演女優賞受賞した理由は、「物語の最初から最後まで緊張状態を維持した。母親役を言葉ではなく優しさと才覚で演じた」その演技力が評価された。

(マリア・テロン、ベルリン映画祭にて)
★製作者には、二人の女性プロヂューサーが初参加、グアテマラのLa Casa de Producción のマリナ・ペラルタ、この製作会社はブスタマンテ監督が設立した。もう一人はアルゼンチンのピラール・ペレド、フランスのTu Vas Voir に所属している。
ラテンビート2015*メインビジュアルが模様替え ① ― 2015年08月14日 16:06
上映3作品が発表になりました
★東京バルト9は、秋10月開催が恒例になりました。今年は10月8日(木)~12日(月祝日)の5日間、上映作品はまだ3作品だけの発表です。うちカンヌ映画祭「ある視点」部門にノミネーションされた“Las Elegidas”(メキシコ)が『選ばれし少女たち』の邦題で上映がアナウンスされました。これについては「もしかして、ラテンビート・・・」と考えて、既に作品・監督・製作者・キャストを紹介しております*。以下は作品・監督などを簡単にアップいたします。

(メインビジュアルは、ハビエル・マリスカルのデザインになりました)
監督ピーター・グリーナウェイ、ロマンチック・コメディ、伝記、オランダ≂メキシコ≂フィンランド≂ベルギー≂仏、英語・西語、105分
*ベルリン映画祭2013正式出品作品、シアトル映画祭2015監督賞第3席

(中央の白背広がエイゼンシュタイン役のE・バック、帽子がパロミノ役のL・アルベルティ)
2)『選ばれし少女たち』“Las Elegidas”(2015)監督ダビ・パブロス
メキシコ、西語、105分
*カンヌ映画祭2015「ある視点」の記事は、コチラ⇒2015年5月31日

(中央が主役ソフィア役のナンシー・タラマンテス、映画から)
3)『Wolfpack』“The Wolfpack”(2015)監督クリスタル・モーゼル
ドキュメンタリー、伝記、米国、英語、90分

(アングロ6人兄弟と監督)
★これから追い追いアップされていくのでしょうが、全体像が発表されたら個別にぼちぼちご紹介していきます。
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