「批評家週間」もう1作はアルゼンチン*カンヌ映画祭2015 ④2015年05月21日 20:45

     『エストゥディアンテ』のサンティアゴ・ミトレの第2

 

★「正確にはカンヌじゃないが、同じ映画祭のように力があり面白い」批評家週間の続き。もう1本はアルゼンチンからLa patota、カンヌでのタイトルはPaulinaです。そう、ダニエル・ティナイレが1960年にモノクロで撮った“La patota”のリメイク版。こちらはベルリン映画祭1961に正式に出品された作品。ヒロインのパウリーナを演じたミルタ・レグランドも孫のナチョ・ビアレと一緒にカンヌ入りの予定でしたが風邪のためキャンセルになったようです。ビアレは本作のプロデューサーの一人です。

 


★さて、サンティアゴ・ミトレはラテンビート2012で長編デビュー作『エストゥディアンテ』2011El estudiante”)が上映されたおり来日しています。まだ当ブログは存在していなかったので第2作目でも初登場です。同映画祭でお馴染みのパブロ・トラペロの『檻の中』(08)や『カランチョ』(10)、『ホワイト・エレファント』(12)の共同脚本家としても活躍しています。他に公開された映画では、オムニバス映画『セブン・デイズ・イン・ハバナ』(12)の第2話「ジャム・セッション」を監督のトラペロと共同執筆している。1980年ブエノスアイレス生れ、監督、脚本家、製作者、編集者。本作のパウリーナを演じるのは、昨年ガエル・ガルシア・.ベルナルと正式に離婚したドロレス・フォンシ。新恋人というかフィアンセが監督のサンティアゴ・ミトレ、新婚旅行を兼ねて(?)カンヌ入りしている。

 

  (『エストゥディアンテ』の主人公を演じたエステバン・ラモチェ、本作にも出演)

 

      Paulina(オリジナル・タイトルLa patota

製作:Union de los Rios, La / Lita Stantic Producciones / Television Federal (Telefe) ほか

監督・脚本:サンティアゴ・ミトレ

脚本(共同):マリアノ・ジィナス 

1960年版のエドゥアルド・ボラスとダニエル・ティナイレの脚本がベース

撮影:グスタボ・ビアツィ

音楽:ニコラス・バルチャスキー

データ:アルゼンチン≂ブラジル≂仏、2015年、スペイン語・グアラニー語、スリラー、103分、撮影地アルゼンチンのミシオネス州Misiones、製作費:約1000ARS(アルゼンチンペソ)、アルゼンチン公開2015618

 

キャストドロレス・フォンシ(パウリーナ)、オスカル・マルティネス(フェルナンド)、エステバン・ラモチェ、ほか

 

プロット:弁護士としての輝かしいキャリアをもつブルジョア階級出身のパウリーナの物語。弁護士の仕事をやめ、ミシオネスの貧しい地区に暮らす若者たちを教えようと決心する。そこで起きたこと、それは徒党を組んだ若者の不良グループ「パトータ」からレイプという暴力を受けたことだ。パウリーナは思索的で強い意志をもつ女性だが、扱いにくい気難しい登場人物。極めて政治的な強いテーマをもった映画だが、社会の階級を裁くことが主眼ではない。

 

解説 パトータpatotaという単語は、アルゼンチンの一種の隠語ルンファルドで、若者の不良仲間を指す。スペイン語ではpanda pandillaにあたる。カンヌでのタイトルがヒロインの名前に変わったのには、1960年版と同題になるのを避ける意味と言葉の分かりにくさが配慮されたのかもしれない。時代が半世紀も違うからリメイクといってもかなり違った印象を受ける。前作には“Ultraje”(乱暴・侮辱)という別タイトルもある。1960年のアルゼンチンはペロン失脚後、ペロニスタと軍部が対立する混乱期だったことを考えると、よくこんな映画が撮れたものだと驚く。(写真下は、1960年版のポスター、映画はモノクロ)

 


パウリーナが赴任するミシオネス州はアルゼンチン北東部に位置し、ブラジルとパラグアイに国境を接している。そのせいでイタリア人、ドイツ人、スペイン人、ポトガル人の他、東欧北欧の人、アラブ人などが混在している。かつては先住民グアラニー族が住んでいた土地であり、今でもグアラニー語が話されている。

 

           (ミシオネスで撮影中のドロレス・フォンシ)

 

*トレビア*

ドロレス・フォンシDolores Fonziは、1978年アルゼンチンのアドログエ生れ。デビューは17歳、キャリアも既に20年近くなる。フィト・パエスの『ブエノスアイレスの夜』(2001)で共演したガエル・ガルシア・ベルナルと再婚して一男一女の母となるが、2014年に離婚した。現在は本作撮影中に愛が芽生えた監督サンチャゴ・ミトレと婚約中。1960年版の監督ダニエル・ティナイレとパウリーナ役のミルタ・レグランドは夫婦であったから不思議な縁を感じさせる。カンヌは2度目、最初はパブロ・アグエロの“Salamandra”(2007)で「誰もカンヌがこんなに寒いと教えてくれなかった」と。今年は晴天に恵まれているようですが雨が降ると寒い。撮影前に監督からは「撮影終了まで前作を見ないようにと助言されたので見なかったが、今は既に5回見ている」由。「アルゼンチンからの移動と映画のプロモーションでくたくただが、とても満足している」のは、海外メディアの反応がポジティブな評価をしてくれたからのようです。

 

             (恋人二人、ドロレスとサンティアゴ)

 

★ミトレ監督は、カンヌではかなりナーバスだったらしい。「受け入れには懐疑的でした。この映画は辛くて居心地のよいものではないし、複雑な問題を抱え込んでいるから。でも3回の上映とも観客の入りはよく拍手をたくさん戴けた。カンヌはこの映画が広く配給されるのに役立った。なぜならカンヌは映画のフェスティバルというだけでなく重要な商談の場所でもあるからです」とミトレ。そうですね、映画祭映画で終わることのないよう祈りたい。

 

1960年版のパウリーナことミルタ・レグランドは、1927年アルゼンチンのサンタフェ生れ。1940年子役で映画デビュー。夫ダニエル・ティナイレ(191094)が撮った“La patota”で「スター誕生」となる。2012年のTVドラ・ミニシリーズ“La Dueña”でマルティン・フィエロ賞(テレビ部門)にノミネートされている。カンヌでは赤絨毯をどんな衣装で歩くのか、暖かいのか寒いのか分からないのでロングドレスを数着もっていく、髪のセットはどこでやるのか、などに心を砕いておりましたが、風邪をこじらせて出発直前の512日に出席をキャンセルしたそうです。

 

           (カンヌには行けなかったミルタ・レグランド)