『火の山のマリア』 *ラテンビート2015 ⑦2015年10月25日 15:45

          べルリン映画祭「アルフレッド・バウアー賞」受賞作品

 


★今回見たなかで来日ゲストがあった唯一の映画が『火の山のマリア』でした。来春日本公開が決まっているのも目下のところこれ1作です。サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」部門で上映されるにつき、作品データ、スタッフ&キャスト、プロット、受賞歴、監督紹介などを既にアップしています。ハイロ・ブスタマンテ監督来日が予告されていたので、ラテンビート鑑賞後に記事を纏めることにしておりました。Q&Aを織りこみ部分的にネタバレしています。 

サンセバスチャン映画祭2015の記事は、コチラ⇒2015828

 

     もしかして邦題は『火の山の母』ではなかったか

 

A: 本作の主役は娘マリアではなく、マリア・テロンが演じた母親フアナではないかと予想しておりましたが、その通りでした。移動劇団を結成して先住民の村々を回っているプロの女優、ただし映画出演は初めてです。Q&Aではマリアを置き去りにするペペ役のマルビン・コロイも仲間の一人、彼は詩人で戯曲家、脚本家でもあると紹介していた。

S: マリアを演じたマリア・メルセデス・コロイほか殆どがアマチュア、もっとも先住民のプロは少なく、映画はオール初出演です。

 

A: 前回の記事にも書いたことです。主役の二人はスペイン語とマヤのCakchiquelカクチケル語のバイリンガルです。公用語のスペイン語ができないことが謂われなき差別の温床なっていることを映画は浮き彫りにしていた。スペイン語の分かるコーヒー園主イグナシオが、分からないマリアの両親を私利私欲で裏切っていく件りは切なかった。

 


         (見事な演技を見せたマリア・テロン、ベルリン映画祭)

 

S: この映画のアイデアは、「マリアに起こったような事件が新聞に掲載されたことが発端だった」と監督は述べておられたが、後継者が欲しい富裕層に嬰児売買に近い養子縁組をさせたことだけを指しているのか、スペイン語を解さないことを悪用して親を騙して養子縁組させたのか、そこらへんがよく分からなかった。

A: そこが重要ですよ、もし後者なら立派な犯罪だ。グアテマラ政府が早急にすべきことは、先住民に止まらず全国民の教育の普及です。マヤの人々も「スペイン語を学ぶと民族のアイデンティティーが失われる」などと拒絶せずに学ぶことです。マヤ民族の言語は21もの集団に分かれており、グアテマラに吹き荒れた36年間にも及ぶ内戦前は、言語集団を超えて接触することは稀れだったようです。

 

S: この映画にはマヤ民族のジェノサイドと言われる内戦の傷跡は登場しませんが、虐殺を逃れて言語を異にする多くの老若男女が否応なく国内難民となって移動、接触した。

A: マリアの両親は年齢的に体験者世代です。犠牲者20万人の大半が先住民のマヤ族だったから、互いの融和は口で言うほど簡単ではない。1992年のノーベル平和賞を受賞したリゴベルタ・メンチュウに対する一般国民の反応は冷たく、当時の国際世論との乖離が際立っていた。

S: 平和賞は誰が貰ってもケチがつく()。彼女も毀誉褒貶相半ばする受賞者でしたが、両者の溝は深そうです。監督は「この映画が自分の国を知る機会になった」と意識変化に寄与したことを語っていましたが、どこまで信じていいか疑問かな。

 

             意思疎通の難しさもテーマの一つ

 

A: 足が地についていないペペを誘惑したのはマリアのほう、レイプされたわけではない。コーヒー園主の後妻となって先妻の残した子供の世話などしたくない、17歳だから当たり前だ。パカヤ火山の裾野の村から脱出して「自由な女」になりたいのは分かりますね。

S: 二人はそれほど真剣に愛し合っていたようには見えなかったし、目指すアメリカがどんな国なのか想像できないのに憧れていた。身ごもる前のマリアは幼すぎる。

 

A: 母は娘の希望が何であるか、妊娠するまで知ろうとしなかったし、娘も男に捨てられるまで母と向き合わなかった。この意思疎通もテーマの一つですね。

S: 妊娠が分かると母は流産させようとするが、反対にマリアは生みたかった。母娘は意思を確認しあっていないのだ。岩石を飛び降りるのもいやいやだったし、あんな飛び降り方では胎児は流れない。

A: どんな御まじないも効かない、お腹の子ども自身が生まれたがっていることを母親が納得するところが実に感動的、自己主張したのはまだ生れてもいない胎児でした。

 

S: 人生の選択権は誰にあるかですね。

A: マリアも母になることで強くなる、初めて現実の自分と向き合うことになるからだ。この「母になること」も大きなテーマでしょう。これは監督よりマリア・テロンの意向で膨らませていったテーマかもしれない。ベルリンの記者会見でも、マヤの女性たちから多くのサジェスチョンを受けたことで脚本が豊かになっていったと語っていた。

 

S: ハッピーエンドにはなりませんでしたが、これがぎりぎりの限界なのでしょう。

A: でもマリアは昔のマリアではない、時代は変わり始めていることをマリアの顔が語っていた。 


            (マリア役のマリア・メルセデス・コロイ、映画から)

 

S: 監督の優れているところは、自分の未熟に謙虚で自分一人の手柄にしなかったことです。脚本が特に優れていたという印象はありませんが、「アルフレッド・バウアー賞」にふさわしい映画でした。


A: 「アルフレッド・バウアー賞」というのは新しい視点を示した作品に贈られる賞ですね。ともあれ、岩波ホールでの公開が決定しています。あそこが発行するカタログだけは高いと感じたことがない()。どんな解説が載るか今から楽しみだ。