ビクトル・エリセの第4作目「Cerrar los ojos」②2022年07月25日 17:09

       国立映画学校の実習制作「テラスにて」からCerrar los ojosまで

 

ビクトル・エリセの長編4作目となるCerrar los ojos」が映画データベースIMDbにアップされました。前回紹介した内容に止まり新味はありませんが、かつて何回かあった脚本段階での打ち切りはないと判断して、キャリア&フィルモグラフィーを列挙します。前回は『マルメロの陽光』(92)以降をご紹介しましたが、今回は国立映画研究所 IIEC1947年設立)の実習制作「テラスにて」からCerrar los ojos」までとします。日本語版ウイキペディアとスペイン語版には、製作年ほか若干の相違がありますが、概ね後者によりました。1998年、詩人のイサベル・エスクデロ、ラモン・カニェリェス監督と自身の制作会社ノーチラス・フィルムズ Nautilus Films  を設立、それ以後の作品を製作している。

 

 主なフィルモグラフィー(「」は仮訳、『』は公開・DVDの邦題)

1961 En la terraza(「テラスにて」4分、無声、モノクロ)監督・脚本

1962 Entre las vías(「レールの軌間」9分、無声、モノクロ)監督・脚本

1962 Páginas de un diarios perdido(「失われた日記のページ」12分、無声、白黒)

      監督・脚本

1963 Los días perdidos(中編「失われた日々」41分、モノクロ)監督・脚本

1969 Los desafíos(『挑戦』第3話、邦題DVD)監督・脚本

1973 El espíritu de la colmena(『ミツバチのささやき』97分)監督・脚本

1983 El sur(『エル・スール』94分)監督・脚本

1992 El sol del membrillo(『マルメロの陽光』135分)監督・脚本

2002  Ten Minutes del OlderThe TrumpetLifeline)監督・脚本

   (オムニバス『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』ライフライン、10分)

   スペインでは配給の問題で未公開。

2002 Alumbramiento(「誕生」10分、上記を短編として独立させたもの)

   パンプローナ開催の第3回プント・デ・ビスタ映画祭2007のクロージング作品

2006 La morte rouge(「緋色の死」34分、カラー&モノクロ)

2007 Sea-Mail(「船乗り-メール」4分、カラー)

2007 Victoe Erice: Abbas Kiarostami: Correspondencias

   (「アッバス・キアロスタミとのビデオ往復書簡」98分)

   *2005年~2007年に交わした10通のビデオレター

2011 3.11 Sense of HomeEpisodio Ana Three Minutes ドキュメンタリー、3)

2012 Centro HistóricoEpisodio Vidrios partidos)監督・脚本

   (オムニバス『ポルトガル、ここに誕生す~ギマランイス歴史地区』

        割れたガラス」30分)

2019 Piedra y cielo(「石と空」ドキュメンタリー、17分) 

2023 Cerrar los ojos (製作年は未定)

1967 El próximo otoño(監督アントニオ・エセイサ「今度の秋」)

      脚本、監督との共同執筆

1968 Oscuros sueños de agosto(監督ミゲル・ピカソ「8月の暗い夢」)

      脚本、監督との共同執筆

1998 La promesa de Shanghai(「上海の約束」)

   

1994年、フアン・マルセの小説 El embrujo de Sanghai の映画化を、プロデューサーのアンドレス・ビセンテ・ゴメスはエリセに依頼した。作家の熱意もあって3年かけて10バージョンほど脚色したが、3時間という長尺は経済的な理由で調整できず、主演の一人にフェルナンド・フェルナン・ゴメスを決定していたにもかかわらず、19993月突然中止になった。その後フェルナンド・トゥルエバの手に渡り、2002年、別バージョンで「El embrujo de Sanghai」として完成させたので、エリセの脚本は使用されなかった。

 

 

   エリアス・ケレヘタに見出された才能、オムニバス映画「Los desafíos

   

1940630日、バスク自治州ビスカヤ県カランサ生れ、監督、脚本家。一家は数ヵ月後にサンセバスティアンに引っ越し、彼の地で育った。高校卒業後、17歳でマドリードに移り、マドリード中央大学(現マドリード・コンプルテンセ大学)では、政治学と法学を専攻した。その後、1960年に国立映画研究所に入学して映画を学んだ。このイタリア映画のネオレアリズモの新しい流れを汲む映画学校の第1期生が、フアン・アントニオ・バルデムルイス・ガルシア・ベルランガである。エリセは実習制作として1961年の短編「En la terraza」と、1962年の「Páginas de un diarios perdido」を16ミリで撮り、1963年の「Los días perdidos」で監督資格をとって卒業した。

 

★映画評論家として「芸術と思想」や「ヌエストロ・シネ」などの雑誌に映画批評を執筆するかたわら、バシリオ・マルティン・パティノの「Tarde de domingo」の進行記録係、ミゲル・ピカソの「Oscuros sueños de agosto」やアントニオ・エセイサの「El próximo otoño」の脚本を監督と共同執筆、俳優としてマヌエル・レブエルタの映画に出演している。

 

1969年、エリセはクラウディオ・ゲリン(第1話)ホセ・ルイス・エヘア(第2話)3監督によるオムニバス映画「Los desafíos」(『挑戦』)を撮る。3人ともIIECの有望な卒業生として、当時の大物プロデューサーであったエリアス・ケレヘタが推薦した。脚本には名脚本家であったラファエル・アスコナが共同執筆者として参加している。音楽にルイス・デ・パブロ、撮影にルイス・クアドラド、編集にパブロ・G・デル・アモ、美術にはまだ監督デビューしていなかったハイメ・チャバリと、4年後の長編デビュー作『ミツバチのささやき』と同じ布陣で臨んでいる。第3話を務めたエリセは、チンパンジー連れのアメリカ人、スペイン人、キューバ人の若者グループが突然おこすハプニングを描いている。

 

      

              (唯一生き残るチンパンジーのピンキーを配したポスター)

       

3話に共通して主演したディーン・セルミエがアメリカ的生活様式と価値観を体現し、スペイン側の相克と攻撃性が語られており、3話ともに出口なしの結末である。サンセバスチャン映画祭1969監督部門の銀貝賞、シネマ・ライターズ・サークル賞では脚本賞と第2話に主演したアルフレッド・マヨが男優賞を受賞してケレヘタの期待に応えている。キャストはブニュエル映画でお馴染みのフランシスコ・ラバル、アスンシオン・バラゲル、テレサ・ラバル、フリア・グティエレス・カバ、フリア・ペーニャ、ルイス・スアレスなど、当時のスターが出演している。

   

   

               (ディーン・セルミエとピンキー)

  

2019年、エリセは「Piedra y cielo」をナバラで撮影した。これはビルバオ美術館がプロデュースしたホルヘ・デ・オテイサの彫刻作品とアギーニャ山の頂上にあるミュージシャンのアイタ・ドノスティアのモニュメントについてのビデオ・インスタレーション。「Espacio Día」(11分)と「Espacio Noche」(6分)の二部構成。映像にはピアニストのホス・オキニェナの演奏によるアイタ・ドノスティアの音楽テーマと、オテイサの詩の断片が挿入されている。20191113日ビルバオ美術館でプレミアされた。オテイサはギプスコア県(オリオ1908~サンセバスティアン2003)出身のバスクを代表する彫刻家で詩人。ナバラにホルヘ・オテイサ美術館がある。

 

★長編3作(『ミツバチのささやき』『エル・スール』『マルメロの陽光』)については、いずれアップするとしても既に語りつくされている感があり、今回は受賞歴にとどめます。監督は常々フィクションとドキュメンタリーは同じと語っておりますので、『マルメロの陽光』は区別しませんでした。

   

『ミツバチのささやき』El espíritu de la colmena1973

 サンセバスチャン映画祭1973金貝賞

 シカゴ映画祭1973シルバー・ヒューゴ

 シネマ・ライターズ・サークル賞1974 作品・監督・男優賞(フェルナンド・F・ゴメス)

 フォトグラマス・デ・プラタ賞1974俳優賞(アナ・トレント)

 ACE1977女優賞(アナ・トレント)、監督賞

 

  

     

       (フランケンシュタインに出会った瞬間のアナ・トレント)

  

『エル・スール』El sur1983

 シカゴ映画祭1983ゴールド・ヒューゴ

 サンジョルディ賞1984作品賞

 サンパウロ映画祭1984批評家賞

 ASECAN(アンダルシア・シネマ・ライターズ)1984 スペインフィルム賞

 フォトグラマス・デ・プラタ賞1984作品賞

 シネマ・ライターズ・サークル賞1985監督賞

 他、カンヌ映画祭1983コンペティション部門にノミネートされ好評をえる。

  フォトグラマス・デ・プラタ賞にイシアル・ボリャインがノミネートされた。

 

      

     

          (15歳の少女を演じたイシアル・ボリャイン)

 

『マルメロの陽光』El sol del membrillo1992

 カンヌ映画祭1992審査員賞・国際映画批評家連盟賞FIPRESCI

 シカゴ映画祭1992ゴールド・ヒューゴ

 サンジョルディ賞1993 特別賞

 ADIRCAE1993 監督賞

 ASECAN1994 スペインフィルム賞

 トゥリア賞1994 スペインフィルム賞

 ACE1996 作品賞

 

      

   

                (画家アントニオ・ロペス)

 

★他に栄誉賞として、1993年映画国民賞、1995年芸術功労賞金のメダル、2012年スペイン映画史家協会栄誉賞、2014年ロカルノ映画祭生涯功労賞としてヒョウ賞を受賞している。

        

         

      (トロフィーを手にしたビクトル・エリセ、ロカルノ映画祭2014


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