作品賞ノミネーション監督が語る映画の現在と未来*ゴヤ賞2018 ⑦2018年02月01日 14:32

                    恒例のガラ直前の監督座談会

      

      

★ゴヤ賞授賞式1週間前の126日(金)、恒例になっている作品賞5にノミネートされた監督のうち4名の座談会が、エル・パイス紙の編集室で催されました。監督賞ノミネーションは、マヌエル・マルティン=クエンカ(「El autor)、アイトル・アレギジョン・ガラーニョ(「Handia」)、イサベル・コイシェ(「La librería」)、パコ・プラサ(「Verónica」『エクリプス』)の5名、因みに新人監督賞は、カルラ・シモン(「Verano 1993」『夏、1993』)他、セルヒオ・G・サンチェスハビエル・カルボハビエル・アンブロッシリノ・エスカランテ5名です。今年はマルティン=クエンカが「パブロ・イバル事件」のドキュメンタリーのためマイアミで撮影中で不参加、ジョン・ガラーニョも現在米国に滞在していて出席しておりません。「パブロ・イバル事件」については、いずれドキュメンタリー完成後に触れることになるでしょう。

 

       

 (左から、イサベル・コイシェ、パコ・プラサ、カルラ・シモン、アイトル・アレギ)

 

★本座談会は前回アップしたガウディ賞発表前に行われたものです。ガウディ賞独り占めの感があったカルラ・シモンもゴヤ賞となると話は別です。今年はことのほかバルセロナとマドリードには深い溝ができているうえに、選挙権のあるメンバー数もガウディとゴヤでは比較になりませんし、マドリード派が断然多い。結構根回しも重要とか、「映画は面白かったが監督は嫌い」という会員もあるようです。

 

★最終候補に残った作品は、例年とはかなり違った印象を受けます。それは使用言語の多様性だけでなくホラー映画が選ばれたことも一つかもしれない。パコ・プラサの「Verónica」は、既に『エクリプス』の邦題で公開されているが、日本の観客にはB級ホラーと評価はイマイチでした。二人の女性監督が残ったことも異例、うちカルラ・シモンの『夏、1993』はデビュー作、監督自身のビオピックというのも珍しいことです。

 

           「枠組みの変化はなかった」と出席者たち

 

★まず口火を切ったのは、他の監督より1回り2回り年長のベテラン監督イサベル・コイシェ1960、バルセロナ)。「枠組みが変わったとは思いません。単に偶然の産物、これらの作品がここまで到達できたのは良い映画だからです。またこの古風な現代ホラーにも驚きました・・・」という発言にを受けて、パコ・プラサ1973、バレンシア)「そうですね、枠組みの変化ではないですね。しかし現在のスペイン映画の多様性を反映したさまざまな変化があるように思われます。例えば以前だったらスリラーといえば、アントニオ・デ・ラ・トーレが演じた痛ましい男、怒りに満ちたルイス・トサールの3本の映画とか、ね。でも今回はカルラ・シモンの愛情のこもった物語、バスクの巨人の話、他にも火星で作られた「Abracadabra」、あるいは『ホーリー・キャンプ!』のようなミュージカル・・・今年は子供っぽいマッチョな男が出てくるスリラーは現れなかった。5作品のうち3作は女性が主役・・・多分これはより若い人々を取り込もうとするアカデミーの意図に基づくのではないか」。

 

     

 

デ・ラ・トーレが演じた痛ましい男とは、2017年作品賞のラウル・アレバロの『物静かな男の復讐』でしょうか。トサールの3作とは具体的にどれを指すのか分かりませんが、2010年作品賞の『プリズン211』、『暴走車 ランナウェイ・カー』または『クリミナル・プラン』でしょうか。

 

アイトル・アレギ1977、ギプスコア)「私も枠組みの変化はないという意見です。来年は元に戻ると思います。時には今年のような不思議な調和が、それがどうしてか分からないが起きる・・・アカデミーのメンバーが真面目に投票してくれるかどうか、最後にならないと分からない・・・確かなのは若い会員たちのモチベーション次第です」と弱気、コイシェ監督から「もっと期待して」と慰められていました。

 

             使用言語の多様性について

 

カルラ・シモン1986、バルセロナ)「アカデミーは年長者が組織しているので、若い人々の加入はとてもポジティブです。私はアカデミー会員ではないので、今年の投票はついていないでしょう。どうやって候補作を比較するんですか」。コイシェ監督が使用言語について、受賞作『あなたになら言える秘密のこと』を例にして「アカデミーは常に観客のことを先に考えている。製作者の観点からいえば、登場人物たちが話している言語はそんなに重要ではない。少なくとも私の場合は、無国籍です」

 

      

 

★「私たちの映画では、バスク語は強制的でした。農民たちは古いバスク語を話していたのです。それで愛とか皮肉についてのたとえ話を語るためにもことば遊びが必要だった」とアレギ監督。「最初のプランはスペイン語で撮ることでした。しかし上手くいかなかった。つまり私は子供の頃カタルーニャ語を喋っていたからです。それでカタルーニャ語に変更しました。登場人物たちもカタルーニャ特有の性格をもっていたからです。他に商業的な経過について言うと、最初6月にカタルーニャ語で公開しました。9月にはスペイン語版を作りました。字幕付きのコピーを拒絶する映画館が出たためでした」とシモン監督。これに対してアレギ監督は、バスク州以外でもマドリードやバルセロナでは、どちらかというとバスク語が受け入れられ、「映画ファンはスペイン語よりオリジナル言語で見たがった」と述べた。

 

      

 

★これは観客層の違いもあるでしょう。『夏、1993』は子供が主役で、小学生くらいだとまだ字幕は充分追えない。「Handia」は小学生の観客はまず想定外、そのうえバスク語はスペイン語、カタルーニャ語のどちらとも似ていないし、大方のスペイン人には外国語のようなものです。吹き替え版が主流だったスペインでもオリジナル版で観たい観客が増えており、それで反対の結果になったのだと思います。

   

★製作会社の思惑の違い、撮影日数の少なさ、キャスト選考の困難さなどが各自語られたが、それは映画を作るうえで避けられない。コイシェ監督によれば「新しい『ショコラ』のような映画を望んでいた海外の共同製作者とやり合ったが、私の映画はそれとは別ですよ」という。『ショコラ』(2000、ラッセ・ハルストレム)とは、ジュリエット・ビノシュが主役を演じてヨーロッパ映画賞主演女優賞を受賞した作品のこと。知らない土地でチョコレートのお店を開く女性の話です。

 

★シモン監督は女の子のキャスティングが決まらず、脇役を交えての撮影は6週間だけだったという。6週間あればそれは贅沢というもので、「私は5週間でした」とコイシェ監督。56週間は普通になっている。パコ・プラサ監督は、ベロニカ役に14歳の女の子起用を製作者が認めてくれ、「16歳以下は1週間に24時間しか使えない決りです。しかし製作者はこの効率の悪い条件を受け入れてくれた」と感謝していた。

  

         

    (『エクリプス』撮影当時14歳だったベロニカ役のサンドラ・エスカセナ)

 

     「女性が撮った映画のバランスの取れた品質の良さにびっくりさせられる」

 

★司会者から作今のセクハラの事例が次々に明るみに出されたことについて質問がとんだ。モンスター製作者ワインスタインに対するローズ・マッゴーワンやサルマ・ハエックの声明には賛同するが「ゴールデングローブ賞授賞式での黒装束強要はやりすぎ、私が好感したのは、ナタリー・ポートマンが『ここにお集まりの監督賞候補者全員が男性です』とスピーチしたときです」とコイシェ監督、どの業界にも言えることですが、映画界でもシネアストの性別が云々されない時代が来ることを願っているとも。シモン監督は「映画を作っている女性は少数派、とても男性が多数派です。だから声高に主張し続けねばならない」と。

 

★男性のパコ・プラサ「私はフェミニストに囲まれて暮らしています。私の一番の戒めは、女性の声を重視するなら我々男性は沈黙すべきで、実際そうしています。男性監督93%に対して女性は7%を決まり悪く思っています。クォータシステムはまだ幾つか問題があり、不公平だからです。じゃ現実が公平かというと<No>でしょ。仮に93%の女性が監督だとしたら、それはもう男性にとってはSFの世界です。スペイン映画がマッチョなのではなく、私たちは男性優位で女嫌いの社会に暮らしているということです」。ある女性監督のプロデューサーをしたときの個人的体験から多くを学んだこと、低い「パーセンテージにもかかわらず、女性が撮った映画のバランスの取れた品質の良さにびっくりさせられる。クォータシステムに問題があっても、勿論必要です」と語ったようです。

 

★「ある女性監督」とは女優・監督・脚本家、パートナーのレティシア・ドレラと推測します。本作にも出演しておりますが、マラガ映画祭2015で新人脚本賞を受賞した「Requisitos para ser una persona normal」で監督デビューした。そのときの共同エグゼクティブ・プロデューサーの一人がプラサ監督です。他にも彼女の短編をプロデュースしている。

 

                  受賞者は誰の手に?

 

★「私は怖がりやでパコの映画は観ていない。多分『夏、1993』か「La libreria」のどちらか」とアレギ監督、「すみません、どれも観ておりません」とシモン監督、「フォルケ賞の結果から『El autor』でしょ。私は12カテゴリーにノミネーションされたことで充分満足しています」とコイシェ監督。授賞式は間もなくの23日です。

   

   

   

★欠席のマヌエル・マルティン=クエンカ1964、アルメリア)とは、スカイプでやり取りがあったようです。かなり若返りしたせいか「私は若いのかベテランなのか」と、気になるようでした。「たくさん撮ってるわけではないし、前進中だ。今年の4言語は異例だが素晴らしい。これが一時的なものに終わらないことを願っている」。映画界のみならず社会全体の男女平等の機運については「格差を是正するためにずっと闘っている。クォータシステムについては全面的に支持するが・・・社会の意識化のプロセスにかかっている。アメリカからの波が届いたとき、問題をもっと掘り下げるべきだった。私たちの両親の世代も闘っているが、それはすべての人間が平等でないからです。本質と行程を示すこと、感情的なメディア・リンチは社会変革から切り離すべきです」が、つまみ訳です。

 

(マヌエル・マルティン=クエンカ)
  

★管理人が一番驚いたのは、カルラ・シモンがノミネーションされた他作品をどれも観ていなかったこと、スペイン映画アカデミー会員でなかったことでした。会員でなくても候補者にはなれるわけです。投票権は会員だけ、それに会費を滞らせていると貰えないと聞いている。フォルケ賞は「El autor」と「La libreria」の2作、フェロス賞は『夏、1993』と結果は分かれました。ガウディ賞はあまり参考になりません。