アイタナ・サンチェス=ヒホン*メネンデス・ペラーヨ国際大学の講師に ― 2015年09月01日 10:22
「ラホイ政権は映画や演劇の破綻を命令している」
★先日、2015年の「スペイン映画アカデミー金のメダルをフアン・ディエゴと受賞」のニュースをアップしたばかりのアイタナ・サンチェス≂ヒホンですが、夏期講座の老舗でもあるメネンデス・ペラーヨ国際大学UIMPの講師に招かれました。1932年に「サンタンデール夏期国際大学」として創立されたUIMPはカンタブリア州の州都サンタンデールにあり、現在は同市出身のメネンデス・ペラーヨ*の名前を冠した夏期専門大学です。王室の夏の離宮としてマグダレナ半島の先端に建てられたマグダレナ宮殿に本部が置かれ、現在は一般にも開放されています。多くの大学が夏期限定の特別講座を一般公開しますが、料理の美味しい避暑地での夏期講座は、講師陣にも参加者にも人気です。同じ時期にクラシック音楽の「サンタンデール音楽祭」も開催され、他にバレエ、演劇など、1991年に完成した「パラシオ・デ・フェスティバル」で上演されます(1941年の大火で市全体が焼失した)。
*メネンデス・ペラーヨ(1856~1912サンタンデール)、サンタンデールを代表する哲学者、言語学者、歴史家、作家、政治家でもあった。

(マグダレナ半島にあるマグダレナ宮殿の全容)
★昨年の夏期講座にはアルゼンチンのフアン・ホセ・カンパネラ(『瞳の奥の秘密』の監督)が招かれたように、ラテンアメリカ諸国からも講師が招ばれる。ギリシャ悲劇『メディア』についての講演に先立ち記者会見したサンチェス≂ヒホンは、現ラホイ政権のルイス・デ・ギンドス経済大蔵大臣の「映画や演劇など文化事業にかける消費税21%**を引き下げる考えは全くない」という声明に対して、「現政権は映画や演劇を破綻させる命令を変えていない」と批判、「ポルノ・ビデオがより安い消費税であるのは驚くほかはない」と嘆息した由(8月25日)。講演テーマを『メディア』に選んだのは、例年7月下旬に開催される「メリダ演劇フェスティバル」で『メディア』に出演したからと思われる。
**消費税は2012年9月に8%から21%に倍以上に引き上げられた。6カ月間の据え置き期間をおいて2013年に導入された。当時はバルデム兄弟を先頭に反対デモ行進がマドリードの大踊りを埋めた。現映画アカデミーの大きな課題となっている。

(アイタナ・サンチェス≂ヒホン、メネンデス・ペラーヨ国際大学の夏期講座にて)
★文化事業に携わる異業種とも連携して経済省も交えて会合を重ねているようだが、一度上げた税率を下げるのは難しい。政府側からは「消費税減税は机上の空論」と一蹴され膠着状態が続いている。「責任の欠如と解釈するし、私たちの国にはびこる文化を基本的な財産の一つとは考えない慢性病です。文化を単なる娯楽としてしか捉えておらず、私たちを統治しているのは多くの凡人たち」とサンチェス≂ヒホン。
★彼女は「物言う女優」の代表選手の一人、監督のイシアル・ボリャイン、ガルシア・ケレヘタ、イサベル・コイシェなど、スペインでは政治的発言をする女性シネアストは多い。ペネロペ・クルスも夫バルデム一家の影響もあるのか、一児の母になってからは可愛いだけのお姫様役を返上して、教育行政についての発言も目立つ。最新作フリオ・メデムの“Ma ma”も公開された。乳癌に罹った母親役、抗癌剤投与ですっかり髪が抜けたショッキングな姿も。プロデューサーとしてもデビューした。
*スペイン映画アカデミー「金のメダル」受賞の記事に、サンチェス≂ヒホンの「キャリアとフィルモグラフィー」を紹介しております。コチラ⇒2015年08月01日
ペネロペ・クルスとフリオ・メデム*新作”Ma ma”が公開 ― 2015年09月04日 17:54
ペネロペが身重の乳癌患者を力演する

★お正月に今年公開される映画をいくつかご紹介いたしましたが、フリオ・メデムの“Ma ma”もその中の一つ、いよいよ9月11日にスペインで公開されます。ペネロペ・クルスはスペイン映画としては、アルモドバルの『抱擁のかけら』以来、約6年ぶりのヒロイン役マグダに扮します。脚本に惚れこんで、初のプロデューサーにも挑戦しました。演技をしているときは女優に、製作側に立つときはプロデューサーに徹し、二つの狭間で苦労したとも語るPP、第二子誕生後、押し寄せる出演依頼にいささか疲労困憊、なかでも彼女の「ステージ・パパ」とも言われた父親を6月に見送ったことが打撃だったようです。
*“Ma ma”の紹介記事は、コチラ⇒2015年01月05日、フリオ・メデム監督の「キャリア&フィルモグラフィー」も紹介しております。
“Ma ma”2015 スペイン
製作(共同):Morena Films(スペイン) / Mare Nostrum
Productions
監督・脚本・プロデューサー・編集:フリオ・メデム
撮影:キコ・デ・ラ・リカ
音楽(サウンドトラック): アルベルト・イグレシアス
美術:モンセ・サンス
編集:イバン・アレド、ヤゴ・ムニィス
衣装デザイン:カルロス・ディエス
メイクアップ:(特殊メイク)ラケル・アルバレス、ルベン・セラ、他
プロダクション・マネージメント:マリア・モレノ
プロデューサー(共同):アルバロ・ロンゴリア(エグゼクティブ・プロデューサー、代表作『ローマ、愛の部屋』)、ペネロペ・クルス、他
データ:スペイン、スペイン語、2015、ドラマ、111分、撮影地マドリード、テネリフェ島など
公開:フランス2015年5月21日、ドイツ7月30日、スペイン9月11日、カナダ9月15日
キャスト:ペネロペ・クルス(マグダ)、ルイス・トサール(アルトゥロ)、アシエル・エチェアンディア(フリアン)、ジョン・コルタハレナ、アレックス・ブレンデミュール(ラウル)、シルビア・アバスカル(看護師)、アナベル・マウリン(放射線専門医)、ビルヒニア・アビラ(ICU看護師)、サムエル・ビジュエラ、エレナ・カランサ(TVレポーター)、シロ・ミロー、ノルベルト・トルヒージョ B、他
プロット:小さな息子を抱え癌と闘う女性マグダの物語。死の淵にありながら新しい命と新しい家族を組みたてようとする。厳しい状況に直面したマグダは、ただ現実を受け入れるだけでなく、そうすることが自分の命を縮めるかもしれないが、積極的に勇気をもって内側から人生の立て直しを決心する。辛い映画ではあるが打ちひしがれる映画ではない。どうしたら心の平静をたもち、充実した人生を送れるのかという「生き方のレッスン」に観客は出遭うだろう。そして予想もしないユーモアある光景や心こまやかな幸せを目にすることができる。 (文責:管理人)

(環境破壊NOキャンペンのシャツを着たトサール、ペネロペ、メデム監督)
*トレビア*
★ペネロペ・クルスの役柄についての拘りというか研究熱心はつとに有名ですが、今回もインターナショナル・ルベン・クリニックの婦人科医エレナ・カリージョの指導を受けて、誇りを持って不自然にならないよう癌患者の役に取り組んだという。「エレナは、友人としても私をサポートしてくれた」とPP。癌と闘うスペイン協会、乳癌病理学スペイン協会、国立癌協会の手になる情報を提供してくれた。実際の乳癌患者にも取材をして生の声を聞いたようで、「彼女たち全員が傷痕と心の内を見せてくれた」とも。
★今回は役者とプロデューサーの二足の草鞋、メデム監督との関係は、「演技しているときは女優と監督、製作については噛みあわず議論もしたけれど、最終的には合意できた。彼と一緒に仕事ができたことは素晴らしい経験だった」と語る。テネリフェ島の撮影は、好い天候に恵まれて、二人の男性共演者ルイス・トサールやアシエル・エチェアンディアとも良好、「だって、これは落胆したり暗い気持ちになる映画ではないの。むしろ恐怖より光が差し込む映画。でも撮影終了のパーティは楽しめなかった。喪失感と大きな困惑を覚えた。面食らうこともあったし、確かなことは一風変わったセンセーショナルな仕事だったけれど、疲れは感情的なものだった」そうです。撮影中に15カ国の配給元が契約してくれ、現在は25カ国に増えた。

(ルイス・トサールとペネロペ、映画から)
★スペイン版『ヴォーグ』9月号の表紙を飾ったペネロペ・クルス、“Ma ma”を含めた乳癌征圧の特集号のようです。1冊につき0.50ユーロが「スペイン癌征圧協会」に寄付される。週刊誌『エルパイス・セマナル』8月21号の表紙にも選ばれた。嬉しい話題が溢れているが、以前から心臓病を患っていた父親がムルシアで亡くなった(6月18日、享年62歳)。海外で撮影中だったので死に目にはあえなかった。

(スペイン版『ヴォーグ』9月号の表紙)
★10代でデビューした彼女を業界やマスコミの餌食から守ってくれた「ステージ・パパ」でもあった。父親のサポートなしで今日のPPはない。ペネロペ三人姉弟の母親とは離婚しており、再婚したカルメン・モレノとの間に3歳の娘がいる。「まだ62歳と若かったのよ、私たちは常に結束していて、多くの場合、海外ロケも一緒だった。だから仕事復帰は難しかった。というのもコメディだったから、人を笑わせる演技が辛かった。セリフが多いシークエンスでは集中できなかった」とPPは打ち明ける。コメディとはベン・スティラーの『ズーランダー 2』のことだ。コイシェ監督が「へとへとになるまで笑わせてくれた」と言っていた『ズーランダー』(01)の続編。撮影中に今度はスティラー監督の母親が亡くなって、撮影は数日間頓挫してしまった。「どうやって立ち直ったんだい?」と質問されたそうです。来年2月11日アメリカその他で公開が決定している。いずれ日本も公開されるでしょう。

(マドリードの遺体安置所に駆けつけたペネロペとハビエル・バルデム)
★フェルナンド・トゥルエバの『美しき虜』(98)の続編“La reina de Eapaña”(2016年公開予定)で同じマカレナ・グラナダを演じる。主要キャスト、アントニオ・レシネス、ホルヘ・サンス、サンチャゴ・セグラなどは前回と同じ、既にシナリオの読み合せもしたそうです。その後、前評判が大分先行しているフェルナンド・レオン・デ・アラノアの“Amando a Pablo, odiando a Escobar”が予定されている。ビルヒニア・バジェッホの同名回想録(2007年刊)の映画化。コロンビアのメデジン麻薬カルテルのドン、パブロ・エスコバルの80年代の愛人。作家でジャーナリスト、コロンビア女性は美人が多いと言われるが、彼女もその例に漏れない、現在はマイアミ在住。パブロにハビエル・バルデム、愛人ビルヒニア・バジェッホにペネロペが扮する。間もなくクランクイン「彼と一緒の仕事はちょっと不安がある」とPP、結婚前の『ハモンハモン』や『それでも恋するバルセロナ』のように簡単ではないということか。リドリー・スコットの『悪の法則』では共演と言っても撮影は交差しなかったが、今度はそうはいかない。
★『ハモンハモン』の少女も今では一男一女の母親、どうやって美しく年を重ねていけるか。スペインでは『抱擁のかけら』で母娘を演じたアンヘラ・モリーナ、また『NINE』で共演したソフィア・ローレンが理想とか。二人とも子供と仕事を両立させている女優、アンヘラは確か5人ぐらいいるし、長女オリビア(『地中海式人生のレシピ』のヒロイン)に子供が生まれたからお祖母さんでもある。
エミリー・ワトソン、ドノスティア賞受賞*サンセバスチャン映画祭2015 ⑦ ― 2015年09月07日 12:28
今年の受賞者はエミリー・ワトソン一人だけ?
★第63回サンセバスチャン映画祭のドノスティア賞にエミリー・ワトソンとアナウンスされました(9月4日)。授賞式は映画祭のメイン会場クルサール・ホールで9月25日になる模様。2012年は第60回という記念すべき年だったので5名と大盤振る舞い、2013年はカルメン・マウラとヒュー・ジャックマンの2人、2014年もベニチオ・デル・トロとデンゼル・ワシントンの2人でした。これから追加もあるかもしれませんが、どうやら2015年はワトソン一人でしょうか。
★エミリー・ワトソンは、1967年ロンドン生れの英国女優、話題作は公開されているからご紹介は不要でしょうか。どんな役をやっても頭の良さが前面に出てきてしまう女優さん、それもそのはずブリストル大学で英文学を専攻している。卒業後仕事をしながらドラマ・スタジオ・ロンドンで演劇を学び、チェーホフの『三人姉妹』やイプセンの『海の夫人』に出演している。1992年ロイヤル・シェクスピア・カンパニーに所属、映画はラース・フォン・トリアーの『奇跡の海』(1996)、無垢で宗教心の厚い女性を演じて、ヨーロッパ映画賞女優賞、全米映画批評家協会賞ほかを受賞、アカデミー賞女優賞にもノミネーションされ、幸運なデビューを果たした。

(エミリー・ワトソン、『奇跡の海』より)
★その後、ダニエル・デイ≂ルイスと共演した『ボクサー』(97)、『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(98)が再びアカデミー賞女優賞にノミネーションされた。ほか話題作としてアラン・パーカーの『アンジェラの灰』(99)、『ゴスフォード・パーク』(01)、『レッド・ドラゴン』(02)、ピーター・セラーズの最初の妻になった『ライフ・イズ・コメディ!ピーター・セラーズの愛し方』(04)、『孤独な嘘』(05、DVD)、『ミス・ポター』(06)、『ウォーター・ホース』(07)、『戦火の馬』(11)、『オレンジと太陽』(12)、最近ではホーキング博士の伝記映画『博士と彼女のセオリー』(14)で最初の妻になるジェーンの母親役で顔を出していた。最新作は、日本でも11月に公開が決定しているバルタザール・コルマウクルの3D『エベレスト』(15)、ベネチア映画祭のオープニングに選ばれたので、スタッフもともども現地入りしている。

(現地入りしているエミリー・ワトソン、ベネチア映画祭、9月4日)
★2002年から舞台に復帰、シェークスピアの『真夏の夜の夢』やチェーホフの『ワーニャ伯父さん』に出演、後者でイギリスでもっとも権威のある演劇賞「ローレンス・オリヴィエ賞」にノミネーションを受けた。映画に舞台にテレビにと、二足も三足も草鞋を履いて活躍中。
オスカー賞2016*スペイン代表映画の候補3作品 ― 2015年09月09日 17:36
バスク映画『Flowers
/ フラワーズ』が驚きの候補に

★アカデミー賞のガラは来年2月28日、まだラテンビートも始まらないのにオスカー賞の話は早すぎますが、昨年のラテンビートと東京国際映画祭で共催上映されたホセ・マリ・ゴエナガ & ジョン・ガラーニョの『Flowers / フラワーズ』が一つに選ばれました。2014年作と少し古いですがスペイン公開が遅かったので選ばれたのでしょう。他はガルシア・ケレヘタの“Felices 140”(2015“Happy 140”)とカルロス・ベルムトの“Magical girl”(2014)の2作です。3作とも既にご紹介しています。
★“Magical
girl”は、年初には夏公開とアナウンスされましたが、今もって未定です。配給元(ビターズ・エンド)との打ち合せかと思いますが、7月にベルムト監督は来日したようです。話題にもなりませんでしたが、「どうかお蔵入りになりませんように」と祈るばかりです(笑)。今回選ばれなくても公開時には改めて記事にいたします。監督はもともとの出発がコミックのデッサンを描いていた。大変なマンガ好き、子供の頃は映画などに興味なかったそうです。映画のストーリーは、日本のテレビアニメ「マジカル・ガール Yukiko」が好きな病弱な美少女をめぐる奇妙なミステリーです。サンセバスチャン映画祭2014の金貝賞と監督賞(銀貝賞)ダブル受賞の映画です。監督、キャストは以下で紹介しています。バルバラ・レニーがゴヤ賞主演女優賞を受賞など、他にも盛りだくさんな受賞歴です。


(左から金貝賞受賞の製作者ペドロ・エルナンデス、銀貝監督賞受賞のカルロス・ベルムト)
★“Felices
140”のガルシア・ケレヘタは、現在スペイン映画アカデミーの副会長の一人。エンリケ・ゴンサレス・マチョ前会長がゴヤ賞授賞式後に任期半ばで突如辞任を表明、改選されてアントニオ・レシネスが会長、彼女とバルセロナ派のプロデューサーエドモン・ロチが副会長に就任した。本作はマリベル・ベルドゥを主役にしたシリアス・コメディ、興行成績もよく選ばれる可能性が高いか。今年は決定打がなく3作のうちどれが選ばれてもプレセレクションには残れない気がします。
*“Felices 140”の記事は、コチラ⇒2015年01月07日/同04月03日

(本作撮影中のマリベル・ベルドゥとケレヘタ監督)
★『Flowers
/ フラワーズ』は、サンセバスチャン2014で「初のバスク語映画がコンペティションに」と話題になった作品。ゴヤ賞2015の作品賞にもノミネートされ、無冠でしたが画期的な出来事でした。作品も良かったから、スペイン映画界にとっても大きな収穫でした。以下のように何回か記事にいたしましたが、セルバンテス文化センターのニューズレターによると、共同監督のデビュー作“80 egunean”(2010、英題“Por 80 Days”)が上映されるようです。残念ながら「バスク語スペイン語字幕」ということですが、映像の力で楽しめるのではないかと思います。『フラワーズ』で名演技を見せたイジアル・アイツプルが主演の一人アスンに扮し、もう一人マイテには本作でデビューしたマリアスン・パゴアゴが扮しました。当ブログで紹介した簡単なストーリーを再録すると、大体こんなオハナシです。

*“80 egunean”:少女だった遠い昔、親友だったアスンとマイテの二人はひょんなことから50年ぶりに邂逅する。アスンは農場をやっているフアン・マリと結婚するため引っ越して以来田舎暮らしをしていた。両親と距離を置きたい娘は離婚を機にカリフォルニアに移り住んでいる。レズビアンのマイテはピアニストとして世界を飛び回ってキャリアを積んでいたが既に引退して故郷サンセバスチャンに戻ってきた。別々の人生を歩んだ二人も既に70歳、不思議な運命の糸に手繰り寄せられて再び遭遇する。この偶然の再会はアスンに微妙な変化をもたらすことになる、自分の結婚生活は果たして幸せだったのだろうか。マイテにサンタ・クララ島への旅を誘われると、アスンは自分探しの旅に出る決心をする。

(アスン役のアイツプルとマイテ役のパゴアゴ、映画から)
★受賞歴:「トゥールーズ・シネ・エスパニャ2011」で二人揃って女優賞を受賞した。年輪を重ねた知性豊かな二人の女性のナチュラルな演技が観客賞にも繋がった。

(左から、ジョン・ガラーニョ監督とホセ・マリ・ゴエナガ監督)
上映作品『80日間』 (“80 egunean”) とシネフォーラム
日時:2015年10月18日(金曜日) 19:00~
場所:セルバンテス文化センター地下1階「オーディトリアム」
*入場無料、予約不要、先着順、バスク語スペイン語字幕入り
*講師アインゲル・アロス/ホセ・マリ・ゴエナガ監督のビデオでの挨拶
*『Flowers / フラワーズ』の記事は、コチラ⇒2014年09月22日/11月09日/2015年01月16日
ロルカの死をめぐる謎に新資料*マルタ・オソリオ ― 2015年09月11日 22:20
恐怖 miedo から謎 enigma へ―失われた鎖の輪を探す
★毎年命日の8月18日が近づくとフェデリコ・ガルシア・ロルカの周りが騒がしくなる。2012年にはロルカ最後のアマンテは、定説になっている「ラファエル・ロドリゲス・ラプンではない」というマヌエル・レイナの“Los amores oscuros”が出てサプライズがあった。今年は没後79周年、本当に「光陰矢の如し」です。スペインでもっとも有名な詩人の謎に満ちた死についての研究でタクトを振っているのが、ロルカと同郷のマルタ・オソリオです。最近新資料をもとに“El enigma de una muerte. Crónica
comentada de la correspondencia entre Agustín Penón y Emilia Llanos”という長いタイトルの研究書をコマレス社から刊行して話題になっています。直訳すると「ある死をめぐる謎:アグスティン・ペノンとエミリア・リャノスの往復書簡注釈記録」でしょうか(オソリオについては後述)。

★オソリオは15年前に同社から“Miedo, olvido y fantasía: Crónica
de la investigación de Agustín Penón sobre Federico García Lorca(1955~1956)”(2000、直訳「恐怖、忘却と空想:ロルカについてのアグスティン・ペノンの調査記録」)を上梓しています。これはペノンの資料をもとに、闇の中に埋もれていた独裁者の犯罪に光を当てたものでしたが、新作はこれを補う内容をもつようです。結論としては、往復書簡から見えてきたのは、「証言者たちが、ロルカが銃殺された場所として指し示した墓穴から、遺体は他に移されていた」ということです。オソリオは一応これでロルカの死をめぐるテーマにけりが付いたので、これからは短編や物語の執筆に戻りたい、つまり決定版ということです。
★アグスティン・ペノン(1920~1976)という人は、バルセロナ生れだが、内戦時に家族と一緒にアメリカに亡命してアメリカ国籍を取った熱烈なロルカ信奉者。アメリカのパスポートで1955年スペインに入国、バルセロナで知り合った舞台演出家ウィリアム・レイトンと一緒にグラナダに滞在して、18カ月ほどロルカの死をめぐる聞き書き調査をした。レイトンはテレノベラのラジオ版脚本で得た資金を蓄えていた。クエーカー教徒で、内戦後のスペイン旅行に費やしていた。タイトルに(1955~1956)とあるのはペノンが調査した期間を示しています。しかし、当時のフランコ体制側からの監視の目は厳しく、ゲイの<アカ>をしつこく嗅ぎまわっている男は「ロシアのスパイか、アメリカCIAのメンバーに違いない」と圧力を掛けてきた。当時のグラナダは<恐怖>が支配していて、身の危険を感じたペノンは調査を打ち切って帰国した。収集した全資料はスーツケースに収められ、当時ペノンが暮らしていたニューヨークに運ばれ保管されていた。

(左から、調査をするアグスティン・ペノンとウィリアム・レイトン)
★フランコ政権での出版は、取材相手に危険が及ぶことが考えられ時の来るのを待っていた。帰国後ペノンとレイトンは別の人生を歩いていたが、何か予感めいたものがあったのか、ペノンは「私にもしものことがあったらスーツケースを預かって欲しい」とレイトンに頼んでいた。1976年ペノンはコスタリカの首都サン・ホセに住んでいた両親に会いに行った先で突然の死に見舞われた。フランコ没後1年も経っていなかった。遺言通り資料はレイトンのもとに渡ったが出版されることもなく静かに眠っていた。レイトンは長生きして1995年に亡くなった。巡りめぐって資料は最終的にマルタ・オソリオの手に渡った。スーツケースの長い旅も詩人の死同様、数奇な運命を辿ったことになる。

(アグスティン・ペノン)
★エミリア・リャノスは、ロルカの10歳年上の親しい友人でグラナダに住んでいた。家族同士の付き合いだった。1936年7月14日、ロルカは故郷への最後の旅をした。7月20日グラナダ守備隊が蜂起、急激に事態が悪化して共和派関係者は一挙に検挙投獄された。ロルカにも危険が迫り避難先の候補の一つとして選ばれたのがリャノス家だった。結果的にはファランヘ党のリーダーだったロサレス兄弟の家に落着くのだが、兄弟の留守中に逮捕されてしまう。ペノンはこのルイス・ロサレス、ホセ・ロサレスのインタビューも行っている。
★ペノンが聞き書きをした中で特に親交を重ねた証言者がエミリア・リャノスで、彼が帰国した後も手紙のやり取りをしており、これが新作の資料になっている。リャノスは書簡で、最初は「オリーブの木の下に埋められ、その後そこから移されたのです」と書いている。秘密にしているのは「或る有力者」から口止めされているからだと。今ではその「或る有力者」が当時の極め付きのフランコ主義者、グラナダ市長ガジェゴ・ブリンだったことが分かっている(ペノンは息子アントニオ・ガジェゴにも取材している)。内戦後のグラナダは恐怖の坩堝で、<フェデリコ>は禁句だった。移された場所はどこか分からないが、ビスナルからアルファカルに行く道路沿いの何処かしか分かっていない。ビスナルというのはナショナリストたちが<好ましからざる>人物たちを処刑した場所です。「誰も何も知らないのです」とオソリオ、死後80年も経てば、生存者は殆どいない、何か新資料が出ない限り闇の中ということか。

(ロルカが唯一愛した女性といわれるエミリア・リャノス)
★マルタ・オソリオはグラナダ生れの作家、かつては舞台女優(1961~65)であった。1966年、児童図書“El caballito que queria volar”で「ラサリーリョ賞」を受賞。日本では“Jinetes en caballos de palo”(1982)が『棒きれ木馬の騎手たち』(行路社)の邦題で翻訳されている。ロルカ研究者というより児童文学者として知られていると思います。生年が確認できてないのですが(調べ方が悪い)、「レアレホにある私の家から、フランコ主義者が思想家、文学者、自由主義者、先生たちを銃殺するのを見ないで過ごすことは難しかった」と語っているところから、人生の初めに内戦を体験した世代だと思います(レアレホはグラナダ市郊外、アルハンブラの近くの地区)。
★「ペノンが残した資料に導かれて、資料に敬意を払って」編纂した。「自分を黒子にして、自分の意見を加えることをしたくなかった」とも語っている。なかなか真似できない研究態度です。志を遂げることなく旅立ってしまったペノンへの哀悼の意が感じられる。オソリオは「家族が遺体を移した可能性もあるが」、「ロルカの墓穴が共和派の聖地になるのを恐れたフランコ主義者の命令で移された」と考えているようです。ペノンが公刊しなかった理由は一つでなく、いくつか考えられると話す。「彼は感受性豊かな人で、ロルカに関して生み出された沈黙と挫折の世界を暴くのを躊躇した」とオソリオ。ロルカの死に拘りつづけたペノンとリャノスは、真相を突き止めるのを諦めなかったようです。

(マルタ・オソリオ、グラナダの自宅の庭で、2012年撮影)
★日本では翻訳書も出ているギブソンの『ロルカ』*が、日本語で読めるロルカの伝記として決定版だと思う。本書は評価も高くベストセラーにもなった。本書にもエミリア・リャノスは登場している。夥しい参考資料から分かるように力作には違いないが、今では間違いも指摘されている。特にロルカの晩年、死をめぐる記述には問題があるという。オソリオが第1作を上梓した理由もギブソンの「不完全」版を変えたかったからだと語っている。特にペノンの資料があることを知っていたのに無視したことを非難している。
★イアン・ギブソンは1939年ダブリン生まれ、フランコ時代の1965年に来西してグラナダに1年ほど取材して、『ロルカ・スペインの死』**を出版した。フランコ没後、より正確な伝記執筆を考え、1978年来西、グラナダにどっしり腰を下ろして、1984年にはスペイン国籍まで取得して完成させたのが『ロルカ』です。これにロルカ最後のアマンテとして度々登場するのがラファエル・ロドリゲス・ラプンです。

(ロルカとラファエル・ロドリゲス・ラプン)
★しかしラプンではなく、実は「最後のアマンテは私です」というフアン・ラミレス・デ・ルカスの告白を載せた本が出版された。それが冒頭に書いたマヌエル・レイナの“Los amores oscuros”(2012)です。1917年アルバセテ生れ、1934年にマドリードでロルカと出会ったとき未だ17歳だった。愛は詩人の死で終止符がうたれたが、彼は長生きして2010年に93歳で没した。無名の人ではなく、日刊紙「ABC」などに芸術コラムを執筆していた有名なジャーナリストだった。レイナは1974年カディス生れ、小説家、詩人、脚本家、戯曲家、一時期「ABC」紙のコラムニストだった。ギブソンを責められないが聞き書きという作業の落とし穴をみる思いです。

(美青年だったというフアン・ラミレス・デ・ルカス)
★ロルカの親しい友人たちは皆知っていたが、内戦が激しくなったうえ、ロルカが殺害されたことを考えると沈黙を守らざるを得なかった。ロルカからの「メキシコに一緒に亡命しよう」という内容の手紙があるようです。ロルカにはコロンビアとメキシコの両国から亡命の許可が下りていたから、亡命しようと思えばできたというのは最初から言われていたこと。何故メキシコ亡命を選ばず危険なグラナダに帰郷したかが謎だったはずです。デ・ルカスは亡命には親の承諾が必要な年齢だったので同行できない、ロルカは彼が一緒でなければ亡命したくない、ということなのでしょうか。ロルカは彼のために秘密を墓場まで持っていった。これは別テーマなので深入りしませんが、アグスティン・ペノンが後にフアン・ラミレス・デ・ルカスと会っているという事実です。ペノンが公刊しなかった理由の一つかもしれません。

(“Los
amores oscuros” のポスターを背にしたマヌエル・レイナ)
*イアン・ギブソン『ロルカ』(中央公論社1997刊)
“Federico García Lorca: A Life”(英語版、ロンドン1989)、2部立てのスペイン語版を1冊にまとめたもの(1部1985年、2部1987年、バルセロナ)
**イアン・ギブソン『ロルカ・スペインの死』(晶文社1973年刊)、“La represión nacionalista de Granada en 1936
y la muerte de Federico García Lorca”(パリ、1971)
タイムテーブルの発表*ラテンビート2015 ② ― 2015年09月13日 12:11
パブロ・ララインの『ザ・クラブ』がエントリー
★やっと全体像が見えてきました。東京会場は日本映画を除くと14本、うちドキュメンタリーが5本と比率が高い。ゴヤ賞、ベルリン、マラガ、カンヌとラテンビートを視野に入れて映画祭を追ってご紹介してきましたが、一番期待していたチロ・ゲーラの“El abrazo de la serpiente”が落ち、個人的に気に入ったので空振りでもいいやとご紹介した“Ixcanul”(『火の山のマリア』)が入るなどサプライズもありました。まあ、例年より小ぶりな印象です。既に記事をアップしている作品についてはワープできるようにしましたが、アップ記事は原題表記です。
(★印は、映画祭開催前にアップ予定の作品。製作年表記なしは2015年)
*フィクション*
1)『パウリーナ』La Patota / Paulina サンティアゴ・ミトレ、アルゼンチン=ブラジル=仏、
◎カンヌ映画祭2015「批評家週間」グランプリ受賞作品
サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品作品
10月12日(月・祝)11:00~

2)『ザ・クラブ』El Club パブロ・ラライン、チリ
◎ベルリン映画祭2015審査員賞グランプリ受賞作品
サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品作品
10月10日(土)18:30~ 10月12日(月・祝)13:30~ (2回上映)

3)『土と影』La tierra y la sombra セサル・アウグスト・アセベド
コロンビア=フランス=オランダ=チリ=ブラジル
◎カンヌ映画祭2015「批評家週間」新人監督賞・カメラドール受賞作品
サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品作品
10月11日(日)21:00~

4)『火の山のマリア』Ixcanul ハイロ・ブスタマンテ、グアテマラ=フランス
◎ベルリン映画祭2015「アルフレッド・バウアー賞」受賞作品
サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品作品
10月11日(日)13:30~

5)『グラン・ノーチェ! 最高の大晦日』Mi gran noche アレックス・デ・ラ・イグレシア、西
◎サンセバスチャン映画祭2015コンペティション外上映
10月10日(土)21:00~ 10月12日(月・祝) (2回上映)

6)『エイゼンシュテイン・イン・グアナファト』Eisenstein
in Guanajuato (英題)
ピーター・グリーナウェイ、オランダ≂メキシコ≂フィンランド≂ベルギー≂フランス
◎ベルリン映画祭2015正式出品作品、シアトル映画祭2015監督賞第3席
10月11日(日)18:30~

7)★『ザ・キング・オブ・ハバナ』El
rey de la Habana アグスティ・ビリャロンガ
スペイン=ドミニカ共和国
◎サンセバスチャン映画祭2015コンペティション出品作品
10月12日(月・祝)18:30~

8)『選ばれし少女たち』Las
elegidas ダビ・パブロス、メキシコ
◎カンヌ映画祭2015「ある視点」正式出品作品
サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品作品
10月10日(土)13:30~

9)★『Closed Rooms』(英題)Habitaciones cerradas スペイン
◎スペインTVミニシリーズ作品、ワールド・プレミア
10月9日(金)18:30~ 上映とティーチイン

*ドキュメンタリー*
10)『Paco de Lucia. A Journey』(英題、2014年)クーロ・サンチェス・バレラ、スペイン
◎ゴヤ賞長編ドキュメンタリー部門の作品賞・新人監督賞・編集賞受賞作品
10月11日(土)16:00~

11)『アジェンデ』Allende, mi abuelo Allende 2014年、マルシア・タンブッチ・アジェンデ
アルゼンチン
◎カンヌ映画祭2015「監督週間」正式出品作品
10月11日(日)13:30~

12)『バルセロナ 炎のバラ』Barcelona, la rosa de fuego ジョアン・マヌエル・セッラ、スペイン
◎ラテンビート初の3D上映・オープニング作品
10月8日(木)18:30~
13)『シェリー & パロ・コルタドの謎』Jerez
& El misterio del palo cortado スペイン
ホセ・ルイス・ロペス・リナレス
10月10日(土)11:00~
14)『The Wolfpack』(英題)クリスタル・モーゼル、米国、英語
10月10日(土)18:30~

★『クッキング・アップ・ア・トリビュート』cooking
up a tribute (ルイス・ゴンサレス&アンドレア・ゴメス)は、東京会場バルト9では上映されません。
『ザ・キング・オブ・ハバナ』*ラテンビート2015 ③ ― 2015年09月17日 16:17
キングもハバナも出てこない『ザ・キング・オブ・ハバナ』
★間もなく開催されるサンセバスチャン映画祭正式出品映画です。そちらで少し記事をアップしておりますが(コチラ⇒8月4日)、ラテンビート上映ということなので改めてご紹介いたします。アグスティ・ビリャロンガ監督といえば『ブラック・ブレッド』、これは「ラテンビート2011」の目玉でした。主役のフランセスク・コロメル少年が来日舞台挨拶いたしましたが、まあ子供のことですから何てことありませんでしたが。大成功以後沈黙していた監督がやっと新作を撮りました。実際のキングもハバナも登場しません。舞台背景が「石器時代に逆戻り」と言われた1990年代後半のハバナですから、キューバ・ファンの方には思い出すのも辛い時代かもしれません。キューバ映画芸術産業庁ICAICからハバナでの撮影を拒否され、セントロ・ハバナが舞台なのに撮影地はドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴです。

“El Rey de La Habana” 『ザ・キング・オブ・ハバナ』2015
製作:Canal+España / Esencia Films(ドミニカ共和国)/ Pandora Cinema(スペイン)/ Ibermedia /
Tusitara Producciones Cinematográficas(スペイン) 他
監督・脚本:アグスティ・ビリャロンガ
原作:ペドロ・フアン・グティエレス(同名小説)
撮影:ジョセプ・M・Civit
音楽:ジョアン・バレント
編集:ラウル・ロマン
美術:アライン・オルティス
衣装:マリア・ジル
メイクアップ:ルシア・ソラナ(特殊メイク)
製作者:セリネス・トリビオ(エグゼクティブ)、ルイサ・マティエンソ
データ:スペイン=ドミニカ共和国、スペイン語、2015、キューバの作家ペドロ・フアン・グティエレスの同名小説の映画化、撮影地:ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴ、サンセバスチャン映画祭2015コンペがワールド・プレミア(9月25日)
キャスト: マイコル・ダビ・トルトロ(レイナルド)、ヨルダンカ・アリオサ(マグダ)、エクトル・メディナ・バルデス(ユニスレイディ)、リェアナ・ウィルソン(フレデスビンダ)、チャネル・テレロ(ジャミレ)、ジャズ・ビラ(ラウル)他

(マグダとレイナルド、映画から)
プロット:少年院から逃亡した若者レイナルドの物語。いまや自由を勝ちえてロンやユーモアを取り戻したレイナルドだが、空腹と悲惨が充満しているハバナの街路を生き残りをかけて彷徨っていた。しかし同じ境遇のマグダに出会うことで、生きる希望と勇気を見出すだろう。愛とセックスと優しさ、そして若者たちに襲いかかる失望、人並みの家族をもちたいというレイナルドの意思と切望に現実のキューバ社会が立ちはだかる。果たして彼は自分を取り巻く貧困とモラルから脱出できるだろうか。(文責:管理人)
*トレビア*
★どういう経緯でハバナでなくドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴで撮影されたのか。理由は至極簡単明瞭、キューバ当局が拒絶したからです。多分ビリャロンガの脚本がお気に召さなかったのではないでしょうか。キューバの作家ペドロ・フアン・グティエレスが1999年に発表した同名小説の映画化です。原作をダイジェスト版で読んだだけ、映画はまだ見ていない段階であれこれ言うのは控えねばなりません。しかし撮影を拒否するほど内容が変わってしまっているとは思えません。ラテンビートで鑑賞後(10月12日クロージング作品)再登場させるつもりです。目下は前座としてアップしておきます。
★原作者のペドロ・フアン・グティエレスは1950年マタンサス生れ、小説家、詩人、ジャーナリスト。世間の「カリブのブコウスキー、ハバナのヘンリー・ミラー」でイメージしにくいなら、「レイナルド・アレナスのようにラディカル、ソエ・バルデス以上に攻撃的」なら、なんとなく作風が想像できるでしょうか。1998年、ハバナ三部作の“Trilogia sucia de La
Habana”(Anclado en tierra de nadie、Nada que hacer、Sabor a mi)でデビュー、本作は長編第2作目です。第3作“Animal tropical”(2000)がスペインのアルフォンソ・ガルシア≂ラモス小説賞、第5作“Carne de perro”(2003)がイタリアの世界スール小説賞を受賞、母国より海外での評価が高い。いずれもテーマはキューバ社会の悲惨を弾劾している。そんな作家がアレナスやバルデスのように亡命することなく、セントロ・ハバナに住みつづけていられるのが不思議に思えます。

(自宅の屋根裏部屋からハバナ市を見渡している作家、2014年撮影)
★原作は200ページほどだから中編か。第三者の語り手が主人公レイナルドの視点で、サン・レオポルド地区に暮らすムラートの青年の人生を最初から最後まで語っていく。この肉など口にしたことのない若者はとりたてて美男というわけではないが、名をReinaldoまたは Rey、ある理由でEl Rey de La Habanaという渾名で呼ばれている。最下層出身の青年には王冠もなく権力もなく、あるのは空腹のみ、皮肉から付けられたキングである。まだ「ハバナのキング」の片鱗もうかがえない子供時代から物語は始まる。突然家族のすべてを失い、13歳で少年院送りとなる。そこでの大きな勝利はどんな犠牲を払ってでも同性愛者の餌食にならないことだ。命をかけて誓うが行きつく先は愛すべきゴキブリの巣窟、薄暗い独房だ。16歳で逃亡しても荒廃したハバナの街で待っているのは恐ろしい死だ。薄暗く、汚れ、疲弊した、危険な都会、これが1990年代のハバナの姿だと、語り手は章の区別もなく一気に語っていく。
★かなり際どいストーリーだが、これはあくまでフィクションであってドキュメンタリーではないことです。セントロ・ハバナにサン・レオポルドというバリオが実際にあるのかどうか。サン・ミゲル、サン・ラファエルなど「サン」のつくバリオは多数あるが、見落としの可能性もあるかもしれないが架空のバリオではないかと思う。レイナルドのように身寄りがなく、誰も助けてくれない、身分証明書もなく、おまけに殆ど読み書きができない若者にとって、少年院もシャバも同じかもしれない。ICAICに撮影申請と共に提出された脚本が「あまりに人種差別的、性差別的、戯画化的、捉え方も表面的で悪すぎる」として拒否されたのは、ドラマとドキュメンタリーとの混同があるように思える。これは鑑賞後に書くべきことだが、異なる文化圏の監督に自国の過去の悲惨をとやかく言われるのは看過できない、という思いがあるのかもしれない。
★監督によれば、この映画のアイデアは、プロデューサーのルイサ・マティエンソから「とっても気に入った小説があって映画化できないだろうか。あなたがキューバに大いに関心をもっているのを知ってるので」とコメントを求められたことから始まった。原作を読み、とても興奮したので、デビュー作“Trilogia sucia de La Habana”も読んだ。映画化に向けて作者のペドロ・フアン・グティエレスとも話し合い、脚本は自分一人で書くことに決めた。ハバナでキャスティングも行い、おおまかなロケ地の撮影もしたうえで、舞台は当然セントロ・ハバナなのだからと撮影許可を申請したが通らなかったということです。それでドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴに変更、結果的にはそれが正解だったという。
★製作過程はかなり複雑だったようですが、最初はドミニカ共和国での撮影は恐怖だったと語る。何故なら限られた製作費で、比較にならないほど豊かな国ドミニカ共和国の首都で90年代のハバナを再現できるかどうか心配だったのだ。しかし豊かな国でも光と影はつきもので杞憂に過ぎなかったのだが、驚いたのはこの国の若いシネアストたちのレベルの高さだったという。ICAICの意向も分からなくもないが、やはり異国からの「旅人の視線」を忘れないで欲しかったと思う。

(左から、マイコル・ダビ、監督、ヨルダンカ・アリオサ、サント・ドミンゴにて)
★ラテンビートで上映される時には、サンセバスチャンの受賞結果が分かっています。今年はスペイン語作品ノミネーションは6作と多いのですが、2年連続でスペイン語映画が金貝賞を受賞しているので微妙です。サンセバスチャン映画祭のワールド・プレミアから間をおかず、こうして日本で上映されるのは本当に珍しいことです。金貝賞以外でも何かの賞に絡めば、『ブラック・ブレッド』同様、公開が期待できるかもしれません。後は鑑賞着に書くことにして、今はこれくらいにしておきます。
金獅子賞はベネズエラの「フロム・アファー」*ベネチア映画祭2015 ⑤ ― 2015年09月21日 18:34
さようならアジア、こんにちはラテンアメリカ
★ロレンソ・ビガスの“Desde allá”(“From Afar”「フロム・アファー」)金獅子賞受賞のニュースには心底驚きました。当ブログを開設して2年になりますが、こんなサプライズは初めてです。仮に5年前に開設していたとしても驚きは同じだったかもしれません。とにかくノミネーションで驚いていたのですから。知名度もありベネチアとは相性のいいパブロ・トラペロの“El clan”(“The Clan”「ザ・クラン」)が、何かの賞に絡む可能性はあると思っていました。だからトラペロの監督賞(銀獅子)受賞だけでしたら驚きませんでしたが、金銀のアベック受賞となると話は別でしょう。

(金獅子賞のトロフィーを手に、ロレンソ・ビガス監督)
★カンヌと違ってベネチアは、1989年の台湾のホウ・シャオシェン(今回審査員の一人)『悲情城市』以来、北野武97、チャン・イーモウ98、ジャファル・パナピ2000、ミーラー・ナーイル01、ジャ・ジャンクー06、アン・リー07、キム・ギドク『嘆きのピエタ』2012までアジア勢が目立っていた。ラテンアメリカは、同時期開催のサンセバスチャン、またはベルリン、カンヌに向かっていた印象でした。ベネズエラがコンペティションに選ばれたのも初めて、金獅子賞が大西洋を越えてラテンアメリカ大陸に届いたのも初めてです。今回のアベック受賞が刺激になって流れが少し変わるかもしれません。
「皆が気に入る映画を作る気はありませんが」とビガス監督
★テーマも映画手法も異なる映画がベネチアで評価された、これはアクシデントではないか。ラテンアメリカ諸国は、1国だけでは経済規模も市場も小さくて映画産業が成り立たない。逆にこれが幸いしたと思う。スペインだけでなくフランス、ドイツ、イタリアまたはラテンアメリカ諸国同士の合作が大勢を占める。ラテンアメリカと一括りされるが各国ともその成り立ちや人種構成が違うから当然国民性にも特徴がある。異文化同士が集まれば摩擦も起きるが、それ以上にカルチャーショックがプラスに転じ、得るところのほうが多くなる。ベネズエラのロレンソ・ビガスの“Desde allá”の主人公の義歯技工士にはチリのベテランアルフレッド・カストロが扮した。パブロ・ララインの「ピノチェト三部作」ほか全作の殆どに出演しています。二人はラテンビート2015の『ザ・クラブ』で三度目の登場となりますが、本作はベルリン映画祭2015のグランプリ審査員賞受賞作品です。
★盆とお正月が一緒にきたような金獅子受賞ですが、「皆が気に入る映画を作る気はありません。しかしベネズエラを覆っているとても重たい社会的政治的経済的な問題について、人々が話し合うきっかけになること、隣国とも問題を共有していくことが映画製作の目的」というのが受賞の弁です。政治体制が異なるから隣国コロンビアやアルゼンチンの映画をベネズエラで見るのは難しいとビガス監督。また、「映画を見るのは楽しみでもある。しかし問題山積の国では、シネアストにはそれらの問題について、ディベートを巻き起こす責任がある。だから議論を促す映画を作っている」と明言した。「階層を超えて、指導者たちも同じ土俵に上がってきて議論して欲しい。映画は中年男性の同性愛を扱っていますが、それがテーマではありません。最近顕著なのは混乱が日常的な国では、階層間の緊張が高まって、人々の感情が乏しくなっていること、それがテーマです。また父性も主軸です」とも。義歯技工士はお金を払った若者に触れようとせず離れたところから見つめるだけ、父親らしい関係を象徴しているようです。

(左から、アルフレッド・カストロ、監督、ルイス・シルバ ベネチアにて)
★長編デビュー作と言っても、既に短編がカンヌで評価されたベネズエラではベテラン監督です。オリジナル脚本はメキシコのギジェルモ・アリアガ、主役をチリのベテランを起用、これで面白くならなかったらおかしいくらいです。タイトル“Desde allá”の意味、監督キャリア&フィルモグラフィー、アルフレッド・カストロ紹介などは、アップ済みなので繰り返しません。金獅子賞受賞作品はおおかた劇場公開されています。大いに期待したいところですが、その折りには別の角度から記事にしたいと考えています。
*“Desde allá”(「フロム・アファー」)紹介の記事は、コチラ⇒2015年8月8日
*『ザ・クラブ』の記事は、
★先ほど「これはアクシデントではないか」と書きましたが、パブロ・トラペロは、「ラテンアメリカ映画が受賞したのは決して偶然のことではない」とはっきり。確かにここ15年間ぐらいのラテンアメリカ映画の躍進を見れば、新しい波ヌーベル・ヴァーグが押し寄せていると実感できます。アルゼンチンだけでなく、メキシコ、ブラジル、特に最近のチリ、コロンビア、そして「フロム・アファー」のベネズエラなど。ベルリン、カンヌ、サンセバスチャン、トロントと受賞作が増加していますね。トラペロ自身は、「今回は受賞なし」と判断して発表前の水曜日夜にブエノスアイレスに帰国してしまっていた。ところが「監督賞をあげるから早く戻ってきて」という本部からの電話で急遽金曜日にリド島にリターン、日曜日のガラに無事間に合ったということです。受賞後のまだ興奮冷めやらぬ廊下でスペイン・メディアに打ち明けたらしい(笑)。どうやら受賞作品は二、三日前に決定していることがあるみたいです。

(授賞式に間にあったパブロ・トラペロ、銀獅子賞のトロフィーを手に)
★まあ、審査委員長がメキシコのアルフォンソ・キュアロンだったことも否定しません。しかし、審査団にはポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ、台湾のホウ・シャオシェン、伊フランチェスコ・ムンズィ、英のリン・ラムジー、仏のエマニュエル・カレル、トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイランなどの監督たち、ハリウッドで活躍中の女優、米のエリザベス・バンクス、独のダイアン・クルーガーと国際的にも偏りがなかった。ノミネーション作品もM・ベロッキオ、A・エゴヤン、A・ソクーロフ、イエジー・スコリモフスキ、A・ギタイなど大物監督が顔を揃えていたから、ロレンソ・ビガスが金獅子賞など誰が予想していたでしょうか。

(プッチオ家ファミリーをバックにしたポスター、中央がフランセージャ)
★「ザ・クラン」は実在のアルキメデス・プッチオの犯罪にインスパイアーされて製作された。主役のアルキメデス・プッチオにカンパネラの『瞳の奥の秘密』でリカルド・ダリンの相棒になって洒脱な演技を披露したギジェルモ・フランセージャが扮した。TVでは知らない人がいないといわれるコメディアン、そのミスマッチが見どころ。プッチオのような犯罪が罰せられずにいられたのは、1980年初頭、軍事独裁政権の最後を支えていた人々の無責任と自由放任を利用できたからだという。

(逮捕されたアルキメデス・プッチオ)
★「映画は本来、私たちをワクワクさせ、私たちの考えに変更を加える可能性をもっている。だから映画を作る人は責任をもたなければいけない。映画は娯楽や興行でもあるが、同時に助言でもある」と主張する。「観客におもねる映画に抵抗するには、よい映画を作りつづけるしかない」と監督。トラペロらしい発言ですが、今回の受賞作は以前よりエンターテイメントの部分があり公開が期待できそう。本作も既に監督のキャリア&フィルモグラフィーをアップしております。
イベロアメリカ映画にスペイン協同賞新設*サンセバスチャン映画祭2015 ⑧ ― 2015年09月23日 15:33
優れたイベロアメリカ映画に賞金15,000ユーロを授与

★サンセバスチャン映画祭ディレクター、ホセ・ルイス・レボルディノスが、「スペイン協同賞」を新設したと発表した。対象は本映画祭「コンペティション」「ホライズンズ・ラティノ」「ニュー・ディレクターズ」の3部門にノミネーションされたイベロアメリカ映画(スペインとの合作)。さらに人類の発展、貧困の根絶、基本的人権の完全な行使に寄与しているなどの条件付き、製作者に与えられる賞です。かなり社会的政治的な意味合いが濃い。
★今年の例で言うと、「コンペティション」部門では、“El rey de La Habana”(アグスティ・ビリャロンガ『ザ・キング・オブ・ハバナ』ドミニカ共和国)、“Eva no duerme”(パブロ・アグエロ、アルゼンチン)の2作、「ホライズンズ・ラティノ」では、“El abrazo de la serpientes”(チロ・ゲーラ、コロンビア)、“El botón de nácar”(パトリシオ・グスマン『真珠のボタン』チリ)、“Ixcanul”(ハイロ・ブスタマンテ『火の山のマリア』グアテマラ)、“Paulina”(サンティアゴ・ミトレ『パウリナ』アルゼンチン)、“La tierra y la sombra”(セサル・アウグスト・アセベド『土と影』コロンビア)などが候補になっている。
★映画祭実行委員長のレボルディノスは、新設した賞の目的は「新しい才能発掘の促進、映画プロジェクトの活性化、そして映画の商品化や国際化を強化するため」に設けられたと説明した。映画祭で高評価を受けても、完成したときに資金が底をつき、プロモーションに回すだけの余裕が残っていない現状がありますね。賞金15,000ユーロが多いか少ないかは別として、製作者たちへの「応援歌」の足しにはなりそうです。審査員は、ルベン・ロペス・プリド(スペイン協同通信部長)、パブロ・ベラステギ(サンセバスチャン2016のディレクター)、ハイオネ・アスカシバル(バスク文化通信部長)で構成されることになっている。写真中央のイジアル・タボアダは、スペイン協同局AECIDの文化科学担当ディレクター。

(賞新設の発表をした左から、レボルディノス、イジアル・タボアダ、プリド)
★映画祭も後半に入りました。ラテンビート上映予定のデ・ラ・イグレシアの『グラン・ノーチェ~』も上映済み、批評家の評判は如何に?
トロント映画祭2015*ホナス・キュアロンFIPRESCIを受賞 ― 2015年09月25日 22:47
父親は『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロン
★年々注目を集めるようになった「トロント映画祭TIFF」も40回を数えた。米国の隣りということで地の利もいいので集客力も凄い。審査員を設定せず、つまり観客賞が最高賞です。ここでの受賞はオスカーにも繋がるから一石二鳥というわけです。2008年以来の受賞作7作のうち6作がノミネートされ、内3作がオスカー像を手にした。例えば、2008年の『スラムドッグ$ミリオネア』、2010年の『英国王のスピーチ』、2013年の『それでも夜は明ける』の3作です。これらのデータから、1994年以来TIFFディレクターとCEOを兼ねるピアーズ・ハンドリングは、「国際映画祭として重要性が増し関心を示してもらえることに誇りに感じています」と。さて今年の受賞作“Room”は果たしてどうでしょうか。

(キュアロン父子、『ゼロ・グラビティ』のころの写真)
★スペイン語映画の目ぼしいサプライズは、ホナス・キュアロンの長編第2作“Desierto”がFIPRESCI国際映画批評家連盟賞を受賞したことです。1981年、アルフォンソ・キュアロンを父にメキシコ・シティに生れる。監督、脚本家、プロデューサー、フィルム編集、俳優と何でもこなす。長編デビュー作は“Año uña”(2007)、このときの主演女優Eireann Harperと同じ年に結婚している。『ゼロ・グラビティ』の脚本を父と共同執筆、本作には父も製作者の一人に名を連ねている。親の七光りは大いに利用すべしです。

データ:メキシコ=フランス合作、スペイン語・英語、2015年、製作(Esperanto Kino / Itaca Films 他)、94分、トロント映画祭(9月13日)がワールド・プレミア、ロンドン映画祭(10月14日)正式出品が決定している。
★物語はメキシコから米国へ徒歩での国境越え、いわゆる不法移民がテーマ、主役にガエル・ガルシア・ベルナルを迎えることができた。不法移民のテーマは過去にもあるし多分未来にも途絶えることなく選ばれると思います。それぞれ切り口は異なっても過去のことではなく、目下進行中のテーマだからです。急遽会場に駆けつけたガエル・ガルシア・ベルナル、「1時間前に到着したばかりで、まだふらふらです。しかしここに来られて最高です。この映画はこれからも息長く記憶に残るだろうと思います。移民問題は熟知してる人、それほどでもない人の違いはあっても、皆が知っている焦眉の急だからです。経済的あるいは治安の悪さと理由はいろいろですが、好き好んで国境越えをしているわけではない」とコメント。「どうか移民たちが生活できますように!」と立ち去り際に叫んでいた由。重いテーマですね。

(当日駆けつけてきたGG・ベルナルと喜びのスピーチをする J・キュアロン監督)
★その他、ベネチア映画祭監督賞受賞作品、パブロ・トラペロの“El clan”「ザ・クラン」が審査員特別メンションを受賞、いわゆる佳作です。この映画についてはベネチア映画祭で記事にしています。

最近のコメント