『フィッシュチャイルド/ある伝説の湖』ルシア・プエンソ*LBFF番外編 ― 2013年10月11日 16:06
★ルシア・プエンソの『ワコルダ』は、10月17日から始まる京都会場からになります。カンヌ映画祭からチェックしていた作品なので横浜に間にあうようアップいたします。取りあえずLBFF2009で上映された第2作『フィッシュチャイルド』“El niño pez”のダイエット版を掲載いたします。これも『よそ者』 同様 Cabina さんブログにコメントとして投稿したものです。Cabina ブログに詳しい「ラテンビートQ&A」部分を割愛して再構成したものです。
★ストーリー:ブエノスアイレスの高級住宅地に住むララと、その邸宅で働くパラグアイ人メイドのアイリン。生まれも育ちも異なる少女達は秘かに愛し合い、アイリンの故郷にあるイポア湖畔に住むことを夢見て出発の日を指折り数えていた。しかし、現実はある日残酷に舵を切った。一人パラグアイへと向かったララは、イポア湖畔に秘められたアイリンの謎めいた過去を知ることになり・・・。同性愛、近親相姦、格差社会、尊属殺人、児童買春。重いテーマが複雑に絡み合う本作は、前作『XXY』で国際的に高い評価を得た監督が23歳で書き下ろした小説の待望の映画化だ。
(LBFF2009「カタログ」から引用)
★アルゼンチン=フランス=スペイン合作、2009年、96分、スペイン語・グアラニー語、2009年4月9日アルゼンチン公開
*スタッフ&キャスト*
監督・脚本:ルシア・プエンソ
プロデューサー:ミゲル・モラレス/ルイス・プエンソ他
撮影監督:ロドリゴ・プルペイロ
音楽:アンドレス・ゴールドスタイン/ダニエル・タラゴ/ラウラ・ジスマン
キャスト:イネス・エフロン(ララ)、マリエラ・ビタレ*エンメ(アイリン)、ディエゴ・ベラスケス(エル・バスコ)、ペプ・ムネー(判事ブロンテ、ララの父)カルロス・バルデム(警察署長)、アルナルド・アンドレ(ソクラテス・エスピナ、アイリンの父)、フリアン・ドレッガー(ナチョ、ララの兄弟)
*映画祭・受賞歴*
2009 ベルリン国際映画祭正式出品、
2009 マラガ映画祭:審査員特別賞銀のジャスミン賞(ルシア・プエンソ)/
最優秀撮影賞(ロドリゴ・プルペイロ)受賞
2009 アルゼンチン映画芸術アカデミー賞:最優秀新人女優賞(マリエラ・ビタレ)/
他ノミネート多数
2010 アルゼンチン映画批評家連盟賞:最優秀音楽・新人女優・脚本賞ノミネート
2010 トリノ国際ゲイ&レズビアン映画祭:最優秀ヒューチャー映画賞(プエンソ)受賞
★この映画に出てくるパラグアイの伝説は、プレスペイン時代からあるイポアYpoa湖に伝わる先住民グアラニーの神話を指しています。この湖はパラグアイ国立公園のなかにある三つの潟湖のなかでも、その美しさで有名です。開発が遅れていたお蔭で自然が残り、皮肉にもエコ・ブームの波にも乗って今や観光資源となっています。映画の撮影は、資金不足から現地撮影ができませんでしたので、同地をご存じの方には違和感があるようです。この映画ではイポア湖は、現実と非現実の境界を指すメタファーであり、シンボルともなっています。
盛り沢山な舞台装置に振り回される
A: 芝居の大道具、つまり同性愛、近親相姦、尊属殺人、政と官の癒着などが前面に出て、テーマが拡散してしまった印象を受けました。監督自身の処女小説の映画化ということで、ちょっと力みすぎじゃないか。脚本を一人で手掛けたことも、ブレーキが利かず裏目に出た感じでした。
B: 冒頭の立てつづけのフラッシュバックはインパクトこそありましたが、時の経過が少ない分、現時点がどこなのか分かりにくい。後半は髪型とか、演じた役者が違うことで解消されていましたが。
A: 第1作“XXY”(2007)は、Sergio Bizzio の短編“Cinismo”の映画化で、脚本は共同執筆でした。筋はシンプルでしたが深いテーマをもつ静かな感動が残る秀作でした。
B: 表面的には両性具有がテーマのように見えましたが、不寛容と差別、真のテーマは「人生の選択権は誰にあるか」でした。
A: 誰でもが遭遇する普遍的な事柄がテーマ、ジェンダーとしてではなく、性器兼備としての両性具有は充分ショッキングではありましたが、それは舞台装置でした。だから主人公は、生れてくる子供が両性具有と知りながら、敢えて出産に踏み切った両親、特に過去の選択が正しかったかに苦悩する父親です。2作に共通しているのは、人と変わっている人間を受け入れることの困難さ、古風な要素と鋭い現代性が共存していることです。
キャスト選びの難しさ
B: それでは本作に戻って、まず二人のヒロインの年齢は何歳ぐらいですか。
A: アイリンは、各紹介記事では17歳から20歳の幅がありましたが、監督が「パラグアイで13歳のとき出産、その後ブエノスアイレスに来て、目下19歳に設定した」とあるインタビューで語っています。
B: 二十歳未満だから未決囚を収容する拘置所も未成年者用にしたのですね。
A: ララはアイリンより二、三歳下ですかね。二人とも実年齢より六、七歳下を演じたわけです。十代と二十代は体の変化の著しい時ですから、少し無理があったかも。特にエンメは成熟していて十代には見えない。またララの兄弟、薬物治療中のナチョの年齢も兄か弟か微妙です。
B: アイリンは十代でも≪大人≫の女性が経験することを卒業しているという設定です。一方のララ役、監督談話によると、ララ役探しに7カ月費やしたが徒労に終わり、結局、前作のイネス・エフロンに決まったそうです。
A: 前作のイメージ壊しを観客も含め全員でやらなければならない。やはり連続起用は挑戦です。2作品の間に、脇役でしたがルクレシア・マルテルの『頭のない女』(2008、LBFF2008)やダニエル・ブルマンの“El nido vacio”(2008)を見ていました。ブルマンのは別として、第1作が強烈だったせいか、やはり苦労しました。
B: パラグアイ在住20年という方が、「パラグアイにテレドラはないに等しく、俳優として食べていくのは夢のまた夢、アイリンの父親がテレドラの人気俳優だったはずがない」とコメントしていましたが。
A: パラグアイは国土も狭く人口も少ない農業国、これからの国ですから俳優も海外と掛け持ちと聞いてます。
B: 小説は10年ほど前に書かれていますが、この映画の時代は1990年代後半ぐらいかな。
A: アルゼンチンが国家破産する前の印象ですが、時代は小説が書かれた時期や場所にリンクするとは限りませんし、小説と映画もリンクしないケースが多々ありますから想像でしかありません。ララ、アイリン、エル・バスコの3人が出かけたディスコや母親のパーティでかかっていた曲から割り出せるかもしれませんが、わざと混乱させる監督もいるから油断できない(笑)。
B: 仮に90年代として、アイリンの父親ソクラテス・エスピノが人気俳優だった時代は、壁に貼り付けてある若い頃の写真から類推すると、かなり前になりテレドラ俳優というのはありえないか。
A: パラグアイの日刊紙“abc”電子版を覗くと、サッカーやハリウッドのゴシップ記事、ハリウッド映画封切りの案内と、若者群像は他の中南米諸国とさして変わらない。駐日パラグアイ大使は日系人、パラグアイへの投資・援助額は、日本が世界No 1という経済的に縁の深い国です。
小説の語り手は犬のセラフィン
B: 軌道修正、エンメのグアラニー語、パラグアイ訛りの習得は、専門のコーチについて特訓を受けた。歌手でミュージシャンの家庭で育ったことが幸いしたと語っています。
A: 「耳」が抜群なんでしょう。このコーチがアルゼンチン在住のパラグアイ人俳優コラルPerla Coral Gabaglio とエンメのお母さんだそうです。監督も「エンメはあっという間にマスターした」と褒め、エンメ起用は正解だったとも。監督の母方の祖母もパラグアイ育ち、ただ少女の頃にブエノスアイレスに来たのでアクセントは忘れてしまっていた。パラグアイには親戚も住んでいて、シンパシーがある由。
B: アイリンの父親役アルナルド・アンドレもアルゼンチン在住のパラグアイ人、才能流出が起こっている。
A: 彼がコラルを含めて他のパラグアイ人俳優を紹介し、クレジットにはパラグアイのグループ<Los Potrankos>の名前もありました。
B: 小説は犬のセラフィンの視点で書かれている。
A: 例年四月に開催されるマラガ映画祭のインタビューで監督自身が語っています。セラフィンは<ルンファルド>というポルテーニョ(ブエノスアイレスっ子)にしか通じないスラングで物語を進行させている。
B: 初期の歌タンゴはこのルンファルドで歌われていた。イタリアはジェノバからの移民のスラングです。
A: そう、泥棒仲間が符牒として使っていたとも。映画の語り手を犬にするには無理があって、その一つにルンファルドの翻訳を挙げています。
B: ナレーターの問題もありますね。
A: セラフィンはセラフィム、またはセラピムとも、9 階級中最高位の熾天使 (してんし)のこと。神の使者として派遣され人間を守護するエンジェル。つまりラストシーンで、致命傷を受けたセラフィンが一命を取りとめ、一緒にイポア湖に向かう意味は、二人にとって≪光≫なのです。
B: 限りなく≪闇≫に向かって突っ走っているように見えましたが。
A: セラフィンに重傷を負わせたのには意味があるんですが、幸福感が何時まで続くか、映画は語っていません。
ルシア・プエンソの愛読書はギリシャ神話
B: 愛と狂気とパッションをテーマにした小説を書いたのが23歳のときということですから、かれこれ10年になります。
A: 依頼があって書いたわけではなく、当時は出版の当てもなかったから刊行の話が舞い込むまで草稿のままだった。小説のテーマは自由と無処罰、ドラマティックな構成もなく、ただ人物を泳がせていた。刊行は2004年、大分経ってますが、『XXY』よりは前です。
B: 二人の愛は複雑で世間は受け入れませんが純粋なもの、二人は自由を求めて脱出する。ララの犯罪もアイリンの父ソクラテスも法的には裁かれず、まさに無処罰です。
A: 小説も映画もテーマは変わっていない。無処罰はアルモドバルの『ボルベール』のテーマでもありました。夫と愛人を火事に見せかけて焼き殺したライムンダの母、義父を刺殺した娘パウラ、娘の殺人を隠蔽したライムンダ、三人とも裁かれませんでした。
B: プエンソは、まだ2作しか監督しておりません(*『ワコルダ』が3作目)。
A: 脚本家としては、主にテレビですが10年以上のキャリアがあり、『娼婦と鯨』(2004 DVD)は、父のルイス・プエンソ、スペイン文化大臣に転身して話題になったゴンサレス・シンデの3人で共同執筆しています。
B: <水子伝説>を背景に、てんこ盛りのテーマを調整するのは大変です。
A: 水子伝説は古今東西ありますが、これはグアラニーの伝説そのままでなく、それに着想を得て創作された。イポア湖に彼女の物語と似た神話があり、それは子供でなく大人だったそうです。少女の頃からギリシャ神話に親しみ、グアラニーの神話を読んだのは15歳頃と語っています。
B: 伝説の起原は何か、神話の背後には何が潜んでいるのか、延々と今日まで伝えられてきたのは何故か。
A: 神話の普遍性、プエンソは自分とは別世界のグアラニー語に魅せられ、現在から過去に遡っていった。
B: フィッシュチャイルドは、ギリシャ神話に出てくる上半身女性で下半身鳥の尾をしたセイレンのミニチュアみたいだ。
A: セイレンは複数の性格を有しておりますが、そのなかに風を鎮める力、死者を冥府に送る役目があるとされています。そう言えば、あの湖の水面はいやに静かだった。
社会性のあるテーマに魅力がある
B: 昨今では同性愛など、テーマとして目新しいものではありません。しかし尊属殺人、近親相姦と並ぶと穏やかではない。
A: 尊属殺人といっても偶発的なのでは。ララはアイリンと父親の決定的な密会を目撃して、完全にアイリンを失ってしまう。ララが多量の睡眠薬入りミルクで自殺しようとしたのか、それを父親に飲まそうとしたのかが曖昧だった。作っている最中に父親が入ってきてミルクを所望する。二つ並んだコップのうち、父親がどちらを選ぶか運命でしかない。ララは制止することもできたがしなかったから、結果的には尊属殺人になった。
B: 多数のカプセルがテーブルに散乱していたから父は気付いていたはずです。カメラは故意にコップを映さず、父親がどちらを手にしたか観客には知らせない。
A: 父親は当時の病めるアルゼンチンの上流階級を象徴していると解釈できます。この仮面夫婦は完全に崩壊していて修復不可能、その意思もない。彼は判事としての人生にピリオドを打ちたがっていた。夕食時に4人で記念撮影をしますね、これが父親の最後の写真になる伏線、娘が愛おしくレスビアンでアイリンを愛していることを知りながら、お金でアイリンを弄ぶ。
B: 屈折度が複雑、自らを破滅に追い込んでいる。お金を渡すことで辛うじてパトロンとしての優位性を示そうとするが、アイリンの若い肉体の虜にもなっている。自分の才覚と肉体でひとり闘ってきた人間がもつ自信とふてぶてしさ、女の怖さをビタレが見事に演じた。
A: ここでは権力の逆転がおこっている。ララも二人の関係に気付いており、それが脱出に拍車をかけていた。二人が逃走資金に絵画を売り飛ばすシーン、持ち出すのを父親は窓から目撃しており、アイリンも見られたことに気づいて窓に向かって笑いかける。この家で主導権を握っているのはメイドかと感じさせる瞬間でした。父親役のペプ・ムネーはバルセロナ生れ、スペインのテレビを始め、イタリアやドイツ映画にも。コメディもこなし、『アナとオットー』(1998) や『娼婦と鯨』に出演している。
B: ピラミッド型の権力構造の揺らぎは、警察幹部と刑務官の癒着による児童買春、それを取り持つ裏社会の暗躍にも見てとれます。警察署長が小娘に射殺されるなんてスキャンダラスこのうえない。
A: このあたりの描写は現実味に欠けます。ララが厳重な警備を潜り抜けられるのも、初めて銃を手にした人間が、ピストルを取ろうと動いた署長に弾を命中させるのも。
B: 政治家の邸宅のようでしたが、悪事を働く場所の警備としては抜け穴だらけでした。こういう政治家と官憲の癒着は、軍事独裁時代の闇を引きずっている感じを受けました。
A: 逮捕されないのは本当の犯罪者だけと皮肉られた時代でした。この警察署長をハビエル・バルデムの兄カルロス・バルデムが演じてました。バルデム家は有名な映画一家、プエンソ家も同じ。ルシアの兄妹4人とも映画界で仕事をしています。
B: カルロスは強面で悪役にはぴったりです。『チェ39歳/別れの手紙』(2008) に出演している。
A: 他に公開作品では『ペルディータ』(1997)、『アラトリステ』(2006)、『宮廷画家ゴヤは見た』(2006)などに。未公開作品には主役脇役ふくめて列挙するのに時間がかかるほど。
B: ララをおんぼろ車で屋敷に案内する、違法賭博の<闘犬>を調教しているエル・バスコ役、ディエゴ・ベラスケスは初めて見る顔、17世紀のスペインの大画家と同姓同名です。
A: 短編やテレビに出ていますが、これが長編映画としては初めての大役です。前年にマルティン・カランサの第1作“Amorosa soledad”に出たのが繋がりかも知れません。主役のソレダ役がイネス・エフロン、その父親がリカルド・ダリンです。二人は“XXY”でも父娘を演じました。カランサは助監督としての経験が豊富、アレハンドロ・アグレスティの『バレンティン』(2002)を見た人も多いのでは。
B: 人生を達観したような冷めた役どころに女性ファンがつきそうです。
A: いわば都会の闇の部分を担っている役。クールな彼が二人の遁走劇に熱くなって手を貸すのが後半の山場です。彼はアイリンを愛していたのですが、アイリンは違ったようです。アイリンの人格は強さと弱さを行ったり来たりしてミステリアスです。
B: アイリンと父親の関係も分かりにくい。一親等の近親相姦はそうザラにある話じゃありません。
A: 小説ではアイリンをレイプするのは父ではなく兄です。多分大物俳優アルナルド・アンドレの起用が先にあったからではないでしょうか。
B: 自分の過去と向き合い死者を悼みながら代償を払っているが、13歳の娘が払った代償には遠く及ばない。今や娘は異国で罪を着せられ囚人となっている。この家庭も母親不在、テーマとして母性の崩壊があるのでしょうか。
A: もともと母性の存在など錯覚なのです。唐突ですがナボコフの『ロリータ』に似ています。中年男の早熟な美少女への愛を描いたと言われますが、権力を持つ者(男)が持たない者(少女)を力で征服する物語です。ここにあるのは愛に見せかけた男の≪権力≫です。
B: 「どうして?」とソクラテスに詰め寄るララに、彼はアイリンへの愛を口にします。ララのアイリンへの愛と同等に置こうとします。
A: 似て非なるもの、ララの憤激は当然です。また外国人差別も描かれた。
B: グアラニー差別だけじゃない。
A: 隣国同士の移民問題は複雑、経済的移民は自国で生きていけないから移民する。隣家のメイドもパラグアイ人、アルゼンチンが豊かとは思えませんが、パラグアイよりはマシ。バラエティ番組でパラグアイ訛りが茶化されるとか。
B: アイリンはパラグアイ人だから、まともな調べも受けられずに拘留され買春を強要される。
A: 大胆不敵なテーマです。フィクションとはいえそれなりの裏付けがないとできない。ララの父親がアイリンにグアラニー語で歌うことを強いるシーン、ララとナチョは気色ばみ非難の目を父親に向けます。
B: 強要に悪意がなかったとは言えません。
A: ララが上流階級のシンボルであるカールした金髪をバッサリ切るのは、白人優位主義との決別、権力をもつ男性への変貌を意味している。自由は与えられるものではなく勝ち取るものです。
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