ペネロペ・クルス、作品賞のプレゼンター*ゴヤ賞授賞式あれこれ ― 2015年02月18日 10:31
ダニ・ロビラが合格点を貰った授賞式
A: 約4時間、正確には3時間46分の長丁場でした。なかには途中で退席したまま戻ってこない方もおられたようですが、見てるほうだってさぞかし疲れたことでしょう。
B: 日曜から土曜の夜に変更、昨年最悪だった視聴率19.8%を24.7%に回復させ、これは約384万人が見ていた計算になるとか。司会者に“8 apellidos vascos”の主役ダニ・ロビラを抜擢したことが功を奏したようです。
A: 新人男優賞も受賞したし、恐ろしいくらいの幸せを味わった。船長エミリオ・マルティネス≂ラサロ監督に大感謝してましたが、まだ会場に残っていたかしら(笑)。ゴヤ胸像は勿論結婚ホヤホヤのクララ・ラゴに、彼女ちょっとウルウルしてましたね。
(新人男優賞のダニ・ロビラ)
B: TVE局も大満足したようですが、2010年の26.4%には及ばなかった。モンソンの『プリズン211』が作品賞を受賞した年です。
A: やはり司会者の力量も重要ですが、どんな作品がノミネーションされているかが大きい。今回のピークが予定より大分ズレて23時49分の511万人(29.4%)、バンデラスの栄誉賞でした。全部ではないがテレビを見た人はトータルで約1182万人になるんだそうです。
B: 日本映画も国際的な賞をたくさん頂いてますが、こういう話を聞いたことがないのは、管理人が単に知らないだけ?
くっきり色分けされたガウディ VS ゴヤ
A: ガウディ賞はダニエル・モンソンの『エル・ニーニョ』、ゴヤ賞はアルベルト・ロドリゲスの“La isla mínima”とはっきり分かれました。<小島>が大賞を浚いましたが、ちょっと貰いすぎかな。
B: 作品・監督・主演男優・助演女優・脚本・撮影・作曲・編集・美術・衣装デザインの10個、確かに貰いすぎ。昨年のダビ・トゥルエバの“Vivir es fácil con los ojos
cerrados”以上です。
A: ガウディ賞を制した『エル・ニーニョ』は、歌曲・プロダクション・特殊効果・録音の4個、バルセロナ派とマドリード派の犬猿の仲がくっきりした。ガウディ賞が“La isla mínima”をヨーロッパ映画賞部門にノミネーション、ダメ押しにイタリア映画を受賞作に選んだ反発かな。
B: モンソンはマジョルカのパルマ出身だが、別にバルセロナ派というわけではないけど。
A: 写真家アティン・アヤが、フランコ時代にアンダルシアの庶民を撮ったモノクロに触発されて本作が製作されたと知ったら驚くでしょうね。アルベルト・ロドリゲス監督、脚本家のラファエル・コボス、並びに撮影監督アレックス・カタランたちは、アヤの写真に大いに刺激を受けたと語っています。
B: アティン・アヤはセビーリャ出身の写真家、52歳の若さで鬼籍入りしています(2007)。「ちょうど回顧展が開催されて、みんなで見に行った」と監督も語っています。
(オリジナル脚本賞受賞のラファエル・コボスと監督)
A: 『エル・ニーニョ』の撮影も受賞に値すると思いますが、“La isla mínima”の映像美には驚かされます。ロドリゲスはカタランとは第4作“After”(2009)からタッグを組んでいるので、彼の受賞は殊のほか嬉しいようです。
B: 共同脚本家のコボスは『七人のバージン』(2005)から、スタッフを変えないタイプの監督、ノミネーションまでは行くが受賞には手が届かず、やっと本作で宿願が叶った。
A: 今までの分を足して10個でもいいかな。最近発表された「シネマ・ライターズ・サークル賞2015」にも二人は脚本賞を受賞したようです。
ペネロペ・クルス、製作者として初参加
A: 作品賞の贈呈者はなんとペネロペ・クルスでした。俳優としてではなくプロデューサーの肩書きですが、これはフリオ・メデムの新作“Ma ma”でプロデュサーとしてデビューしたからと思います。
B: 二人の子供の母親の貫禄充分だが、美しさは変わらない。3人登場でしたが誰と誰?
A: 長身の人がAtipica Filmsのホセ・アントニオ・フェレス、赤いドレスがAntena 3 Filmsのメルセデス・ガメロ、もう一人は多分Sacromonte Filmsのヘルバシオ・イグレシアスかもしれない。製作者は裏方だから、スピーチも短くて歓迎、「スピーチは短ければ短いほどよい」です。
B: 監督賞は昨年の受賞者ダビ・トゥルエバからロドリゲスへ、これは恒例ですが、アレックス・デ・ラ・イグレシアも登壇していた。
A: 主演男優賞ハビエル・グティエレスは、本作でサン・ジョルディ賞、サンセバスチャン銀貝賞、フォルケ賞、フェロス賞、シネマ・ライターズ・サークル賞と貰える賞の全てを独占した。
B: ロドリゲス映画は初出演、演劇、テレビ、映画と164センチと小柄ながらエネルギッシュ、今回は苦労を共にした共演のラウル・アレバロがライバルでした。これは辛いね。
A: それが「ラウル・アレバロ、君の連帯感に感謝するよ、今夜は僕が喝采を浴びているが、僕は君を賞讃したい。監督としてはまだ駆け出しだが、この国の現在と未来のアクターだ。君が好きだよ、ホントに」というスピーチになった。
B: 思考停止状態だと切り出したが、受賞がほぼ確定していても本番は興奮するようですね。「アルベルト・ロドリゲス、これはまったくなんてことだ」と言ってました。
(主演男優賞のハビエル・グティエレス)
A: アニマラリオAnimalario(1996 設立)というマドリードに本拠をおく演劇集団のメンバー、アルベルト・サン・フアン、エルネスト・アウテリオ、主演女優賞のバルバラ・レニーなどが所属している。
B: ヨーロッパの俳優は、演技の基礎を舞台で磨いている人が多い。バルバラ・レニーも映画と演劇の二つの海で泳ぐと宣言してますね。どちらも諦めないと。
A: 彼女はマドリード生れだが少女時代はアルゼンチンで育っている。だから高校ではアルゼンチン訛りをからかわれ、女優として矯正に苦労しているようです。“Magical Girl”はサンセバスチャンの金貝賞受賞作品でしたが、ゴヤはこれ1個でした。
B: レニーは、モンチョ・アルメンダリス、イサキ・ラクエスタ、ダニエル・モンソン、そして映画の魅力を教えてくれた最初の恋人ジョナス・トゥルエバに感謝を捧げていた。
(主演女優賞のバルバラ・レニー)
A: レニーは、カルロス・ベルムト監督に「是非あなたの映画に出たい」と頼んでいたとか。3日後にコーヒーを一緒に飲み、1週間後プロジェクトに参加していた。「貰った脚本は狂気と挑発、そして幻想的でした」と。そうやって“Magical Girl”を自分に引き寄せた。
B: フランス人ながらオスカー女優となったマリオン・コティヤールが好きだそうです。
A: マリオンの妥協をしない演技が魅力、「妥協は死と同じ」だからと語っている。
B: これからも個性的な監督からのオファーが期待されます。
A: 新人女優賞のネレア・バロスは「もしかして」と思っていたでしょうが、現実になって相当感激していた。「ホントに驚いたわ、ありがとうございます。受賞できるなんて全然思っていなかった」
B: 今年は主演女優が二人ノミネートされていたから、確率は五分五分でした。
(新人女優賞のネレア・バロス)
“Ocho apellidos vascos”は報われた?
A: 助演男優賞のカラ・エレハルデはイシアル・ボリャインの『雨さえも~ボリビアの熱い一日~』(2010)以来の受賞です。そのときのスピーチが長すぎて批判されたせいか、今回は制限時間を守った。何しろ司会者のロビラが娘婿、彼を困らせたくなかった(笑)。
(助演男優賞のカラ・エレハルデ)
B: カルメン・マチは、今年1月に77歳で逝去したばかりのアンパロ・バロを偲んでゴヤ胸像を彼女に捧げました。バロも同じ助演女優賞を受賞していますね。
A: グラシア・ケレヘタの“Siete mesas de billar francés”(2007)で受賞している。旅立つ少し前に会ったとき、アンパロから「つまり、ゴヤ賞が欲しいというわけね」と言われ、「まさか、アンパロ、そんなこと言ってないわよ」、「でも私にはそう聞こえるけど」という会話を紹介した後、「親愛なるアンパロ・バロ、これをあなたに捧げます」と結んだ。
B: 大先輩への悼辞も兼ねた、ユーモアを効かせた素晴らしいスピーチでした。
(助演女優賞のカルメン・マチ)
A: イベロアメリカ映画賞は受賞が確定していたせいかダミアン・ジフロン監督以下大勢出席してましたね。さて、きりがないからゴヤ賞はここいらでお開きにします。第65回ベルリン映画祭でチリのパブロ・ララインの“El club”がグランプリ審査員賞(銀熊賞)を受賞しました。金熊賞に継ぐ大賞です。オープニング作品に選ばれたイサベル・コイシェは無冠に終わりました。
(イベロアメリカ映画賞のダミアン・ジフロン)
*関連記事:管理人覚え
アルベルト・ロドリゲス、フィルモグラフィー紹介⇒2015年1月24日
アレックス・カタラン、キャリア紹介⇒同上
アティン・アヤ、キャリア紹介⇒同上
ハビエル・グティエレス、キャリア紹介⇒同上
ネレア・バロス、キャリア紹介⇒2015年2月5日
バルバラ・レニー、キャリア紹介⇒2015年1月21日
カラ・エレハルデ、キャリア紹介⇒2015年1月28日
カルメン・マチ、キャリア紹介⇒同上
ダミアン・シフロン、キャリア紹介⇒2015年1月19日
ペネロペ・クルス、初プロデューサー“Ma ma”⇒2015年1月5日
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