フェルナンド・トゥルエバ*映画国民賞を受賞2015年07月17日 21:19

         「えっ、まだ貰っていなかったの?!」

 

★そう、まだ貰っていなかったんです。かく言う管理人もとっくの昔に受賞していたと思っていましたが()。トゥルエバは1955年生れですから遅すぎの感じがしますね。受賞のインタビュー記事を斜め読みした印象では、本人も「今さら貰っても・・・」と思っているように感じました。例えば「ゴヤ賞は営利的な助けになるが、目下上映中の映画はない」と。受賞しても上映館がないから観客は行列できないし、DVDが飛躍的に売れ出すとかは考えにくい。ゴヤ賞は上映中のことが多いから上映が延長されたり、その後発売されるDVDが売れたりと、関係者一同で喜べる。それに新作が2012年の『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』と大分前になり、今年は時期的にもベターではないのかもしれない。新作は来年春の2月か3月にクランクイン、タイトルもLa reina de Españaと決まっていて、La niña de tus ojos1998DVD『美しき虜』の続編とか。未公開だが、ゴヤ賞1999の作品賞、ペネロペが主演女優賞を受賞した作品だったから、この年受賞するチャンスはあったかな。

 

        

     (「映画製作は年々厳しくなっている」と語る、最近のフェルナンド・トゥルエバ)

 

★どんな賞かをおさらいすると、映画国民賞Premio Nacional de Cinematografiaというのは1980年に始まった賞です。まだ「ゴヤ賞」(第11987年)が始まっていない時期で、シネアストに与えられる賞としては唯一のものでした。国民賞は他に文学賞、美術賞、科学賞などと各分野ごとに分かれています。選出するのは日本の文部科学省にあたる教育文化スポーツ省と映画部門ではICAAInstituto de la Cinematografia y de las ArtesAudiovisuales)です。副賞は3万ユーロと少額ですが(個人が貰う賞だから少額ではないか)、1年に1人ですからゴヤ賞とは比較にならない「狭き門」、かなりの栄誉賞です。一時期(1988794)は2人でしたが、今は1人に戻っています。特に映画部門は監督・俳優・製作者・音楽家・脚本家と多方面にわたるから、文学のように1人というわけにいかない。

 

1回の受賞者がカルロス・サウラでした(受賞者の半分ぐらいが監督)。大体前年に活躍したシネアストから選ばれますが、受賞者の顔ぶれからある程度の年月映画界に貢献した人が貰うようです。しかし2013年のように、まだ40歳にもならないフアン・アントニオ・バヨナが『インポッシブル』の成功で最年少受賞者となりました。言語は英語、ハリウッド俳優起用と異色ずくめでしたが、製作国はスペインでした。例年7月に発表になり、授賞式は9月のサンセバスチャン映画祭です。以上は2014年に脚本家ロラ・サルバドールが受賞したときの記事に加筆したものです。他に歴代受賞者のご紹介などもしております。
ロラ・サルバドールの国民賞受賞の記事は、
コチラ⇒2014724

 

『ベルエポック』1992)は、ゴヤ賞9部門受賞、アカデミー賞「外国語映画賞」部門で受賞した。しかしこのときはまだ大物が何人も控えていたし、40歳前でしたから受賞できなくても納得できたでしょうか。スペインのアカデミー賞監督は4人で、第1号は『黄昏の恋』(1982)のホセ・ルイス・ガルシ(1944生れ)、1992年受賞、第3号が『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)のアルモドバル(1949生れ)、彼は既に1990年に受賞、第4号が『海を飛ぶ夢』(2004)のアメナバル(1972生れ)、まだ受賞していない。『アレキサンドリア』(2009)のあとブランクが長く、今年8月にスペイン=米国合作のスリラー“Regression”(英語)が米国で公開されます。

 

★トゥルエバの受賞を遅すぎると感じた映画批評家も多く、エル・パイス紙のカルロス・ボジェロは「知らせが届いたとき、断ろうという誘惑が即座に彼の反抗的な頭をよぎったに違いない」と書いている。何故ならこの賞は、文化の重要性に一顧だにしない政府機関がくれるものだし、常々映画や演劇のチケット代に「消費税21%もかける政府は殺人者」と批判していたからでした。だからやるほうもトゥルエバに受賞の知らせを電話で伝えたとき「断れるんじゃないか」と直感したそうです()。結局受賞することになりましたが、思い出されるのは、ノーベル文学賞の大江健三郎氏が「文化勲章」を断った事件てした。かつて断った人はいなかったから、本当にこれは事件だったのです。

      

     

   (『ベルエポック』アカデミー賞授賞式でのトゥルエバと製作者A・ビセンテ・ゴメス)

 

★長年二人三脚というか婦唱夫随で夫の映画製作を手掛けてきたトゥルエバ夫人クリスティナ・ウエテは、この暑さで窒息しそうな取材記者たちのための飲み物の準備に忙しい午後を過ごした。彼女はいろいろあるけれど受賞は嬉しいと語っている。政治的発言を少し穏やかにしてもらいたいという思惑もあるのかしらん。「私は今年60歳になって、いまだにショック状態なんだよ」、もう年だからそろそろやってもいいということなのか。でも2年前フアン・アントニオ・バヨナが受賞したときは、比較にならないほど若かった(38歳)。だから年のせいじゃないよ。ほかにも若い来日監督では、2001年のホセ・ルイス・ゲリン(1960生れ)、2010年のアレックス・デ・ラ・イグレシア(1965生れ)もいるから、引退宣告じゃない()

 

★「賞を貰うにしろ貰わないにしろ、言うべきことは言うから、どっちにしろ私には同じこと、貰ったからといって生き方を変えることなんかしない」、「攻撃型の人間で、人と如才なく付き合うことなんてできない。言うべきことは主張するし、いま賞を返却する必要もないから、謙虚に受けるべきと思っている」、「政府が左だろうが右だろうが、わたしには同じことで、なにも気にかけない」。どちらも映画に敬意を払わない点では同じ穴のムジナだというわけです。旗幟鮮明なシネアストが多い中で、彼はどの党派にも属しておらず、支持政党はない由。授賞式は9月のサンセバスチャン映画祭、どんな受賞スピーチをするか、ひと波乱あるでしょうか。

 

フェルナンド・トゥルエバ1955年マドリード生れ、監督、プロデューサー、脚本家。雑誌「Casablanca」の設立者。エル・パイス紙や「Guia de Ocio」で映画批評を執筆。19881年足らずだが、スペイン映画アカデミー会長を務めた。1980年、“Opera prima”で長編映画デビュー、ヴェネチア映画祭新人賞受賞。公開または映画祭上映などの代表作は上記の他にベルリン映画祭1987監督賞受賞の『目覚めの年』1986)、『禁断のつぼみ』1989)、『あなたに逢いたくて』1994)、『泥棒と踊り子』2009)、アニメ『チコとリタ』2010)、『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』2012)、列挙すると結構ありますね。最近作2本が「ラテンビート2013」で上映された折り初来日した。

 

              

          (第28回ゴヤ賞授賞式でのトゥルエバ、201529日)

 

★ビリー・ワイルダーを映画の師と仰ぐ監督のモットーは「みんなが笑って楽しめる映画作り」だそうですが、これはなかなか難しい。以前インタビューで「とてつもなく素晴らしい人は誰?」と訊かれて、「私の母」と即座に答えるほどの親孝行息子。8人のトゥルエバ兄妹を分け隔てなく育て上げた人で、子供たちからは信頼と尊敬を受けている女性だ。内戦中どちらにも与していなかったが、共和派の民兵によって父親を銃殺された。彼女は13歳から働きはじめ、中学には1週間しか行けなかったという。「しかし、私に読み書きを教えてくれたのは母親だった」。それで「3歳半のときには『ドン・キホーテ』をすらすら読むことができたんだ。末の弟ダビは母親を図書館にして大きくなったんだ」。学齢がきても学校に行かなかった話は、Vivir es fºácil con los ojos cerradosの記事で紹介いたしました。

 

関係記事*管理人覚え

『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』のQ&Aは、コチラ⇒20131031

Vivir es fºácil con los ojos cerrados”の主な記事は、コチラ⇒20141301121

クリスティナ・ウエテの記事は、コチラ⇒2014112

アメナバル新作Regression”の記事は、コチラ⇒201513