『ブランカニエベス』ヨーロッパ映画賞「衣装デザイン賞」受賞 ― 2013年11月02日 17:47
★もう古くなって≪ニュース≫でなくなっているものもありますが、一応最新ニュースをお届けいたします。
★「ヨーロッパ映画賞2013」技術部門 6 部門のうち衣装デザイン賞に『ブランカニエベス』の服飾デザイナー、パコ・デルガド受賞の発表がありました(10月26日)。彼は既に本作で2013年のゴヤ賞衣装賞も受賞しています。作品賞以下10部門に輝いた作品。LBFFでも上映、12月劇場公開が決定しています。
今年から技術部門 6 部門はノミネート発表なしの結果発表に決まっていました。作品賞以下、主要作品のノミネートは、セビリャで開催されるヨーロッパ映画祭期間中の11月9日にアナウンスされる予定です。授賞式は本部のあるベルリンで12月7日に行われます。

(ゴヤ賞2013授賞式でのパコ・デルガド)
★年末恒例のスペイン国営「クリスマス宝くじ」が近づいてきました。キャンペーン・コマーシャルは毎年思わず買いたくなるような素晴らしいもの。今年は『ブランカニエベス』の監督パブロ・ベルヘルが撮ります。既に撮影に入っており、出演者には往年のソプラノ歌手モンセラット・カバーリェ(!)、ラファエル(!)、ダビド・ブスタマンテ、スペイン・ポップの女王マルタ・サンチェス、フラメンコ歌手カンタオーラのニーニャ・パストリという豪華版。荒海で沈みそうなスペイン丸救助の一助になれるでしょうか。

(左より、サンチェス、ブスタマンテ、カバーリェ、ラファエル、ニーニャ・パストリ)
★来年2月9日開催のゴヤ賞イベロアメリカ映画賞部門のアルゼンチン代表に『ワコルダ』が決定しました。エルナン・ゴルドフリードの“Tesis de un homicidio”(29.87%)を押さえて、過半数の50.65%を獲得しての選出でした。他に2010年アカデミー賞外国語映画賞受賞の『瞳の奥の秘密』のフアン・ホセ・カンパネラの“Metegol”などがライバルでした。31万人の観客が映画館に足を運んだそうです。ゴヤ賞のノミネート候補には残れそうですが、アカデミー賞はどうでしょうか。なにしろ76カ国がエントリーしていますからね。
*アルゼンチン以外の主なスペイン語映画*
*スペイン“15
años y un dia”(“15 Years +1 Day”)グラシア・ケレヘタ
*メキシコ『エリ』アマ・エスカランテ
*コロンビア“La
playa ”フアン・アンドレス・アランゴ
*ペルー“El
limpiador”(“The Cleaner”)アドリアン・サバ
★グラシア・ケレヘタの“15 años y un dia”は、マラガ映画祭のグランプリ受賞作品。マリベル・ベルドゥが出演。エリアス・ケレヘタの一人娘。父親はカルロス・サウラ、ビクトル・エリセ、グティエレス・アラゴン、フェルナンド・レオン、グラシア・ケレヘタ等々の代表作を製作した名プロデュサーにして脚本家、監督でもあった。2013年6月9日に鬼籍入り、享年78歳でした(死因は公表されていない)。数々の問題作を世に問い、彼抜きでスペイン映画史を語ることはできない≪偉大な≫足跡を残した人でした。個人的にはこれ以外の作品を予想していたので少し意外でした。
★コロンビアの“La playa ”は、フアン・アンドレス・アランゴのデビュー作、2012年カンヌ映画祭「ある視点」に出品、サンセバスチャン映画祭「ホライズンズ・ラティーノス」部門でも上映された作品。
★ペルーの“El
limpiador”は、2012年サンセバスチャン映画祭「ニュー・ディレクターズ」部門の受賞作品。深いメタファーを帯びた作品で、ペルー映画の新しい波を予感させる秀作だが候補作には残れないと思う。
★シカゴ国際映画祭「ニュー・ディレクターズ」部門の最優秀作品賞に、メキシコのディエゴ・ケマーダ=ディエスの“La jaula de oro”(“The Golden Dream”)が受賞しました。英語題は意訳してあるようです。‘jaula’はここでは無蓋貨車のこと、これに乗ってグアテマラからメキシコへ、更にもっと北ノルテを目指す二人の若者の物語。勿論デビュー作です。『ワコルダ』と同様、カンヌの「ある視点」で上映されました。LBFFか東京国際FFにくるかなと期待してましたが、空振りに終わった作品。
『エンプティ・アワーズ』アーロン・フェルナンデス*TIFF2013 ― 2013年11月07日 09:25
★今年の東京国際映画祭TIFFのスペイン語映画はコンペティション上映の本作と、アマ・エスカランテの『エリ』(ワールド・フォーカス部門)だけでした。ラテンビート共催上映の『エリ』は、2014年アカデミー・メキシコ代表作品に選ばれましたが、最終候補に残れるでしょうか。(以下の記事には10月17日上映後のQ&Aの内容が含まれています。)

★アーロン・フェルナンデスの長編第2作“Las horas muertas”(2013“The Empty Hours”)が、今年の最優秀芸術貢献賞に選ばれました。最終日26日に発表になるや朗報はあっという間にメキシコに届きました(まだメキシコは25日でしたけど)。副賞5000$が多いか少ないか分かりませんが、資金難に苦しむ若い監督には励みにはなります。デビュー作“Partes usadas”(2007)から数えると約6年かかったのも資金難が大きな原因だったそうです。カンヌ映画財団のレジデンスに3カ月滞在して脚本を執筆後、2012年サンセバスチャン映画祭SIFFの「Cine en Construcción」*に参加できたり、カナナ・プロの援助で完成したということです。何はともあれフェルナンデス監督は主演のクリスティアン・フェレールと来日した甲斐がありました。(モレリア国際映画祭**出席のため帰国、授賞式には欠席でした)

★プロット:荒れ果てたベラクルスの海岸、17歳のセバスティアンは、叔父が所有する小さな時間貸しモーテルの管理を任され、そこでミランダに出会う。恋人と会うためにモーテルを訪れるが、いつも待たされてばかりのミランダ。彼女が待つ間にふたりは知り合い、束の間の誘惑ゲームが始まる。
(TIFF公式サイトより内容の良かった「公式プログラム」からの引用)
★ストーリーはいたってシンプル、劇的な展開を期待する観客向きではない。何が起ころうが動じない雄大な自然、これに人間の感情など対抗できない。ゆったり流れる時間、長回しのカメラワークから時が止まり映像はまるで写真のような錯覚を起こさせます。二人とも愛の終りを最初から意識している。「束の間の誘惑ゲームが始まる」かどうかは、見る人によって意見が異なるだろう。
*キャスト紹介*
クリスティアン・フェレール Kristyan Ferrer(セバスティアン)
アドリアナ・パス Adriana Paz(ミランダ)
セルヒオ・ラスゴン Sergio Lasgón (マリオ、ミランダの恋人)
フェルミン・マルティネス Fermin Martinez(セバスティアンの叔父)

(キャリー・フクナガの『闇の列車、光の旅』のクリスティアン・フェレール)
★クリスティアン・フェレール Kristyan
Ferrer:1995年メキシコ・シティ生れ。2001年テレビの子役として出発。しかし俳優として彼の名を世間に知らしめたのは、キャリー・フクナガの『闇の列車、光の旅』(2009、原題“Sin nombre”)でしょう。撮影当時は13歳、役柄的にはもう少し下でしたが。主人公のウィリーこと“エル・カスぺル”を撃ち殺してしまう少年“エル・スマイリー”役、≪マラ・サルバトゥルチャ≫の有力メンバーになりたくて、かつての兄貴分のウィリーをアメリカ国境まで追いつめて射殺する。この成功は良くも悪くも彼について回ることになり、TIFFのQ&Aでも語っていたように「俳優としての転機を求めてオーデションを受けた」という発言に繋がるようです。上映作品では17歳の役でしたが、小柄なせいか少々子供ぽかった印象、これ以上身長は期待できそうにないから今後の役選びは難しいかもしれない。他にルイス・エストラダの“El infierno”(2010)、カルロス・キュアロンの“Besos de azúcar”(2013)など。

(アドリアナ・パス、後方はマリオ役のセルヒオ・ラスゴン)
★アドリアナ・パス Adriana Paz:1980年メキシコ・シティ生れ。16歳で舞台デビュー、メキシコ自治大学文学哲学部で劇作法と演劇を学ぶ。映画修業のため一時期スペイン、ポルトガルに滞在、メキシコに帰国後、キューバのロス・バニョス映画学校で脚本を学んでいる。女優ではなく監督、脚本家志望だったらしい。在学中よりセミプロとして舞台に立つ。
★映画デビューはセサル・アリオシャの“Todos los besos”(2007)、これはメキシコ・シティ国際現代映画祭、トゥールーズ・ラテンアメリカ映画祭にも出品された。カルロス・キュアロンの『ルドとクルシ』(2009)にトーニャ役(ディエゴ・ルナの妻役)で出演、翌年のアリエル賞共演女優賞にノミネートされた。そのほか代表作に2010年のアリエル賞を総なめにしたカルロス・カレラのコメディ“El traspatio”(2009)、アントニオ・セラーノの“Morelos”(2012)、アンドレス・クラリオンドのデビュー作“Hilda”(2012)など。役柄によって≪美しさ≫が変化する女優として定評があり、理論派、演技派の女優であることは、上映作を見ただけでも分かる。
*監督紹介*
★1972年チワワ(メキシコ北部のチワワ州都)生れ。パリ=ソルボンヌ大学で映画撮影技法学を専攻、マスター号取得後、脚本家、監督、プロデューサー、エディターとして映画、テレビ界で活躍。プロダクション「サンタ・ルシア・シネ」を設立、現在は主にブラジルとメキシコで仕事をしている。

(アーロン・フェルナンデス監督)
*長編フィルモグラフィー&受賞歴
2007“Partes usadas”監督・脚本・製作。メキシコ、フランス。長編デビュー作、2007年モントリオール映画祭のラテンアメリカ映画に贈られる最高賞「グラウベル・ローシャ賞」、同年ハバナ映画祭のデビュー作に贈られる「グランド珊瑚賞」、同年グアダラハラ映画祭第1作に贈られる国民賞など受賞した。2008年のアリエル賞はノミネートに終わった。40を超える映画祭に招待され、第1作で国際舞台で評価された作品。
2013“Las horas muertas”『エンプティ・アワーズ』監督・脚本・製作。メキシコ、フランス、スペイン。アジアン・プレミアム。上記以外に9月下旬に開催されるロカルノ国際映画祭のベスト・ヒューチャー・フィルム賞にノミネートされた。モレリア映画祭でアドリアナ・パスが主演城優勝受賞。評価はこれからです。
*「Cine en Construcción」というのは、SIFFが2002年にラテンアメリカ諸国の映画振興と若い監督の資金援助を目的に設立されました。フランスのRencontres Cinémas d’Amérique Latine de Toulouse「トゥールーズ・ラテンアメリカ映画フォーラム」(例年SIFFより少し後の9月下旬開催)とのタイアップです。これに参加できた作品は、翌年か翌々年のSIFF公式コンペティションかホライズンズ・ラティーノスに選ばれることが多い。
この中にはLBFFで上映され好評だったトリスタン・バウエルの『火に照らされて』(2006、アルゼンチン)やセバスティアン・シルバの『家政婦ラケルの反乱』、フランシスコ・バルガスの『バイオリン』(2006、メキシコ)、エンリケ・フェルナンデスの『法王のトイレ』(2007、ウルグアイ)などSIFFに止まらずカンヌでの受賞作品もあります。TIFFではアマ・エスカランテの『サングレ』(2005、メキシコ)、劇場公開作品にはナタリア・スミノフの『幸せパズル』(2010、アルゼンチン)やフェデリコ・ベイロフの『にきび』(2007、チリ)、セバスティアン・レリオの『グロリア』も来年公開されます
**正式にはモレリア国際映画祭 Festival Internacional de Cine de Morelia (FICM、10月18日~27日開催、モレリアはミチョアカン州の州都)。『エンプティ・アワーズ』は25日に上映、首都の隣州ということもあってスタッフ、キャスト総出でプレス会見に臨んだ。息子を出産したばかりの主役ミランダ役アドリアナ・パスはメッセージだけの参加でした。
*トレビア*
★FICMのプレス会見の模様は、TIFFのQ&Aにおける監督談話とだいたい同じです。映画のアイディアは「ベラクルスのエメラルド海岸を車で走っていると、たくさんのモーテルが点在していることに気がついた。絵のように美しい詩情的な風景の場所にまるで打ち捨てられたようなモーテル、その中で繰り広げられるパッションと情欲を組み合わせたらどうなるかに興味が湧いた」ということです。「いつも遅れてくる愛人のせいで無駄な時間(horas muertasでなくtiempos muertosを使っていた)を過ごさねばならない女と17歳の若者が惹かれあう」というように膨らませていったようです。カンヌ映画財団の援助で3カ月間レジデンスに宿泊して脚本を書いたこと、少年と年上の女性とのキャスティングが重要なうえ難しかったこと、キャスティングがまずいと何事も上手く運ばないことなどもTIFFで語っていました。
★TIFFでキャスティングはどうやって決めたかという質問に、監督は「セバスティアン役はオーデションで決めた。カメラテスト、スクリーンテストと長いプロセスがあった」と答えていましたが、クリスティアン・フェレールによると「ミランダ役の女優を選ぶときには何人もの女性とリハーサルを繰り返した。その中にアドリアナ・パスがいた。二人のセックスシーンでは何回も疑問をぶつけた。最終的には監督が信頼できる雰囲気をつくってくれた」と。いわゆる婚期を逸したかなり年上の女性と17歳の少年という設定ですから、監督も気を使ったことでしょう(笑)。
★FICMにはエグゼクティブ・プロデューサーのエルサ・レジェスも出席していたせいか、「あのモーテルを見つけてきてくれたのはエルサ、何度も何度も足を運んだからモーテルの人たちとも知り合いになってしまった。撮影は2012年で4週間で撮った」ということです。このモーテルは実在しています。
★監督談FICM:自分は病的なほど陳腐で暴力的なメキシコを描きたいとは思わない。そういう映画でなく逆のリリシズムのほうを選んでしまった。この映画は私の視点から、私のフィルターを通してみたフィクションです。日常的な事を描く映画が好きなんです。映画の中に現実に起こっているプロセスを入れて描くのが好きなんです。映画のテーマは、退屈とは違う≪時間の経過≫です。他にはミランダによるセバスティアンの≪感情教育≫もその一つ、ロマンスをどう組み立てるかの物語です。

★TIFFのQ&Aでも、スクリーン・フレームの使い方や小道具の位置、音や音楽に苦心したこと、そういうことに気づいてくれた観客には気に入ってもらえたと思う、みたいな発言がありました。実際構図の切り方は独特で(写真参照)、例えばハイメ・ロサーレスの『孤独のかけら』(2007、ゴヤ賞2008の作品・監督賞受賞作“La soledad”)とか、ロベール・ブレッソン映画を想起させました。壁に掛った時計、途中で壊れてしまった扇風機の向き、主人公二人の立ち位置、雨の音など、「ああ、なるほど計算しているね」という印象を受けました。ゆったりと流れる時間のなかで、表面的には何も起こらないが実は内面では変化が起きている。観客それぞれが二人の心の動きを想像しながら楽しめる≪時間≫が用意されていました。
★来年の3月頃には公開できるそうで、一番観て欲しかったというメキシコの観客にも届けられます。「映画祭だけの映画」でなかったようで嬉しいニュースです。
『ソリチュード:孤独のかけら』ハイメ・ロサーレス ― 2013年11月08日 14:21
『ソリチュード:孤独のかけら』“La soledad”
★この記事の本体は、かつてCabinaブログ(2008年12月30日)にコメントしたものを再構成したダイエット版です。カビナさんの作品紹介・コメントが面白いのでソチラにもワープして下さい。
★イマジカBSと変更される前の「シネフィルイマジカ」の直輸入映画として2008年に放映された作品、劇場未公開です。現在では番組の性格もポリシーも変わってしまっているので、今後の再放映は期待できません。アーロン・フェルナンデスの『エンプティ・アワーズ』で本作をご紹介したこともあり、またスペイン映画の多様性を楽しんで頂けたらと現時点でのコメント付きで再登場させました。

監督: ハイメ・ロサーレスJaime Rosales
脚本: ハイメ・ロサーレス、エンリク・ルファスEnric Rufas
プロデューサー:ホセ・マリア・モラレスJose
Maria Morales、ハイメ・ロサーレス、リカルド・フィゲラスRicardo Figueras
撮影監督:オスカル・ドゥランOscar Duran
製作:スペイン、2007年、ドラマ、126分
*主な受賞歴*
2008年スペイン、シネマ・ライター・サークル賞(ハイメ・ロサーレス)
2008年ゴヤ賞作品賞・監督賞(ロサーレス)、助演男優賞(ホセ・ルイス・トリージョ)
2008年サン・ジョルディ賞作品賞(ハイメ・ロサーレス)
2008年スペイン俳優連合賞主演女優賞(ペトラ・マルティネス)、新人女優賞(ソニア・アルマルチャ)
プロット:アデラ、1歳1か月の男の子をもつ離婚した若い母親、レオン近郊の生れ故郷の小さな町で父親と暮らしていたが、元夫や父親の反対を押して新しい人生を求めてマドリッドに移住する決心をする。アントニア、夫と死別したあと雑貨や食品を扱う小さなスーパーを経営し、新しいパートナーと暮らしている。成人した3人の娘はそれぞれ家を出て暮らしているが何かと母親を頼っている。マドリッドを舞台に直接出会うことのない二人の女性とその家族の人生が語られ、大きな事件とささいな日常のなかで、二つの死がエモーショナルに描かれる(管理人文責)。
*キャスト紹介*
ソニア・アルマルチャSonia Almarcha(アデラ)
ペトラ・マルティネスPetra Martinez(アントニア)
マリア・バサンMaria Bazan(エレナ、アントニアの長女)
ミリアム・コレアMiriamCorrea(イネス、アントニアの次女)
ヌリア・メンシアNuria Mencia(ニエベス、アントニアの三女)
ホセ・ルイス・トリージョJose Luis Torrijo(ペドロ、アデラの元夫)
ヘスス・クラシオJesus Cracio(マノロ、アントニアのパートナー)
リュイス・ビリャヌエバLluis Villanueva(カルロス、イネスの同居人)
フアン・マルガリョJuan Margallo(アデラの父親)
ルイス・ベルメホLuis Bermejo(アルベルト、エレナの夫)
ペプ・サイスPep Sais(ドクター)
アドリアン・マリンAdrian Marin(ペペ、スーパーの店員)
ハイメ・ロサーレスはスペイン映画界の異分子
A: 音楽なし、ゆっくりしたテンポ、長回しの二分割画面、緊張を強いられて疲れてしまう映画でしょうか。漫然と受け身で見ていたら眠り込んでしまう(笑)。
B: 世代も立場も異なる二人の女性の人生を二分割画面を使って同時に描いていくというのが、見る前の知識としてあって、それで二人が同じ画面に二分割されて登場するのかと思っていました。
A: そう、ハンス・カノーバの『カンバセーションズ』(2005)に描かれたようなデュアル・フレームの使い方。元恋人たちが友人の結婚式で偶然十年振りに再会する。今の二人とかつての二人、口から出るセリフと本当の気持ちのズレを巧みに二分割画面におさめていた。本作のように複雑ではないが、お互いの心理状態をレントゲン写真を撮るように描いている点では同じです。

B: 主人公のアデラとアントニアが同時に登場するのは、たぶん1カ所しかない。
A: 第4章の冒頭部分、左画面にアデラが公園らしきベンチに座っている。右画面には娘のニエベスとアントニアがブロック塀の前のベンチにいる個所です。ニエベスが雑誌を買いに席を立つと二人が画面に取り残される。アデラがタバコを吸いだすと、アントニアがそちらを見る、アデラもアントニアのほうに顔を向ける、すると真ん中の分断線が突然消えたような錯覚に陥る。
B: 本作は、第1章アデラとアントニア、第2章都会、第3章大地、第4章バックグランドノイズ、エピローグと5つに分かれている。終盤近いこともあって印象に残っています。
A: 二分割画面については改めて触れるとして、まずロサーレス監督の輪郭から始めましょうか。1970年バルセロナ生れ、もう額が広くなってますが、監督としては若いほうですね。子供のころは科学者になりたかったそうです。経営学を学んだ後、絵画、音楽、写真の分野に興味をもち、遠回りして映画に辿り着いた。常に映画と無関係な分野にも関心があるらしく、幅の広い勉強家みたいです。
B: 第1作は “Las
horas del dia” (2003)で、本作が2作目と寡作です。どんな作品ですか。
A: 簡単に言うと、世間からは恵まれているフツウの人と思われている、つまり家も仕事も恋人もある若者が、ある日突然、駅構内のトイレで見知らぬ男を殺す話です。「誰でもよかった」殺人です。
B: そして、今回は自動車爆弾テロで赤ん坊が死ぬ話。
A: 第3作目、昨年9月のサンセバスチャン正式作品 “Un tiro en la cabeza” では、ETAグループのテロリストが治安警察隊員を殺害します。勿論、3作目は未見なのでコメントできませんが、被害者でなくテロリスト側の目線で描いてあるということで、紆余曲折がありそう。
(管理人:自然に聞こえてくる町の騒音とかピストルの発射音以外、登場人物たちが喋っているセリフはすべて消してある。無声映画とも違う手法で撮られていて、映画祭でもセンセーションを巻き起こした問題作です。)
B: ロベール・ブレッソンの作品を思い起こさせるという批評がありますが。
A: 個人的にはハネケやカウリスマキ、ロメールの仕事に似てるかなと感じました。ブレッソンは大げさな演技を嫌い、余分なものをそぎ落として映像を極力簡素化したことや、音楽やプロの俳優を起用しない、監督になる前に画家、写真家だった経歴も似ています。ヌーベル・バーグの監督たちに影響をあたえた監督として、オールドファンには忘れられない人。最近ではあまり放映されませんが、紀伊國屋からDVD-BOXが出ています。
B: ロサーレス自身もブレッソンを尊敬する監督の一人に選んでいます。
A: 他にゴダール、アントニオーニ、ベルイマン。スペインではエリセの『エル・スール』、イバン・スルエタの ”Arrebato” (1979)。カイエ・デュ・シネマの同人たちが熱狂的に支持したニコラス・レイの『大砂塵』、忘れるわけにいかない作品としてデ・シーカの『自転車泥棒』を挙げています。『大砂塵』の原題は ”Johnny Guitar” で、ペギー・リーの歌う主題歌「ジョニー・ギター」は日本でもヒットソングになりました。
B: 監督のアウトラインがおぼろげながら見えてきましたので、デュアル・フレームに話を戻して登場人物の≪孤独≫に迫りましょう。
二分割画面で進行するユニークな映像
A: まず第1章「アデラとアントニア」で、手際よく二人の主人公が紹介されるが、物語はアデラに比重がかかっています。
B: 全体のおよそ3分の1が二分割画面と紹介されていますが、半分ぐらいあった印象です。
A: それは1台の固定カメラで撮影している場合でも、画面が垂直線、つまり柱、窓枠、ドア、桟などで執拗に仕切られているからじゃないですか。出だしの「LA SOLEDAD」というタイトルが消えると、北スペインらしき山並みを背景にした牧場が現れ、のんびり牛が草を食んでいる。真ん中に1本、何のポールか分からないが立っていて、のっけから画面が分断されています。
B: カメラが室内にあって戸外にいる人物を撮っているときでも、真ん中に太い窓枠があって、観客が近づくのを邪魔している印象。声は聞こえてくるが後ろ向きなので表情は読み取れない。
A: 最初にアデラが息子のミゲリートと玄関から入ってくるシーン、入口のある右側はカメラが室内に設定されているが、左側の居間を撮るカメラは屋外にある。それでカメラの眼は窓から部屋の中を覗き見するようになっている。両方ともロングショット。電話がかかってくるとアデラは右端から出ていき、遠回りするような感じで左端から居間に入って来て受話器を取る。左はアデラの後ろ姿の全体像、右は正面向きのアデラのクローズアップ、ここで初めて顔がわかる。
B: 大体がこんな風ですね。モンタージュの大変さが伝わってきます。
A: もう一方の家族、アントニアには三人の娘エレナ、イネス、ニエベスがいる。字幕でイネスがニエベスを妹と言うシーンがありますが、スペイン語ではどちらにも訳せます。このニエベスに結腸癌が見つかって入院することになるシーン、看護師と一緒に親子が病室に入って来る。ここは1画面なのにドアや壁の仕切りが立ちはだかって、まるで3分割された感じです。
B: 電話のシーンでもアデラは両側に半開きになった開閉窓の窓枠と横桟の真ん中に佇んでいる。

A: ミゲリートを失ったあと、アデラが入浴する凄まじいシーン、バスローブに着替えたアデラがベッドにポツンと腰かけている。カメラは廊下から室内を映していて、手前に入口のドア、奥に外窓とカーテン、その向こうにベランダの柵、その先に向かいの家の窓枠と幾重にも分割されている。
B: 音楽もセリフもなくアデラも微動だにしないから、観客はおのずとアデラの孤独に引きずりこまれてしまう。こういうショットが多いから、たぶん二分割画面が実際よりも多い印象になる。
優れた内面描写を見逃さないで
A: 場面展開もおもしろい。第1章から第2章「都会」への移行。アントニアがニエベスを残して病室から出て行くと、唐突にアデラがマドリッドの新居の下見をしている。見る側はその飛躍に戸惑う。全くの説明抜きに既にアデラがアクションを起こして都会に移動したことが分かる。ここでアデラとルームシェアすることになるアントニアの次女イネスとの出会いを入れ、二人の主人公の接点らしきものが暗示される(実際には出会わない)。
B: 普通二分割はシンメトリー的な位置に人物をおいて、垂直な軸で分断する。しかしロサーレスは意識的にメソッドを壊している。

A: 例えばアデラとパブロ、アデラが正面を向いているときはパブロは軸側の横向き、パブロが正面だとアデラは反対に横向き、この繰り返し。実際は向き合って喋っているのだが、もはや修復不可能なほど気持は離れている。二分した仕切りの陰で本当のバトルが進行している。
B: 長女エレナとイネス。二人の関係はこじれている。エレナが横→正面→横→正面に対して、イネスは完全にその逆方向。
A: ニエベスとイネス。良好とはいえないが、アンチ長姉では団結している。左側のイネスはやや左向き、右側のニエベスはやや右向き、ここは定石通りのシンメトリー。見た目にはソッポを向いて話しているように見えるが、実際はイネスが右でニエベスは左に座っているんですね。
B: 離れているようで離れていない、芸が細かいですね。
A: イネスとルームシェアしているカルロス。恋愛関係はなく上手くいっている。二人の場合、イネスが正面ならカルロスも正面、イネスが横向きならカルロスも横向き。
B: カルロスとアデラ。一緒に穏やかに食事をしていて、カルロスが傷心のアデラを慰めようと旅行に誘うシーン、左側にクローズアップのカルロス、右側にロングショットのアデラ、二人とも真ん中の軸方向の横向き。ややしつこく誘うカルロスにアデラが苛々し始めると、突然、例の正面→横→正面→横が始まる。
A: 二分割でセリフをカットするだけでなく、他人が心の中に踏み込んでくるのを拒絶している。枠が二つあることで、それぞれ自身の孤独の中に閉じこめるのに成功しています。
B:観客にあまりサービスしない、地味で職人芸的な映画が、どうしてゴヤ賞のような大賞に選ばれたか不思議です。
スペイン男のトレードマークは≪アンチ・マッチョ≫
A: 今まで見てきたスペイン映画の枠組みから外れているけれど、実人生とは簡単でいて複雑なんだと感じさせる映画です。何が起ころうとも人生は続くんだし、仮に子供を失ってもね。全体にざらざらしてペシミスティックな筋運びなんだが、結局のところロサーレスはオプティミストなんじゃないか。遠近法を利用した二分割画面が、セリフのカットやゆっくりしたリズムの破調だけでないということです。アントニアの家族が初めて総出演するシーンで、「男の品定め」を始める。
B: 特に悪い人は出てこないが、総じて存在感の薄い鈍感な男性が多い。ペドロを演じたホセ・ルイス・トリージョがゴヤ賞新人男優賞を貰いました。けっこう難しい役柄ですね。
A: アデラが積極的で自立心が強く、意志堅固で譲歩しないのに対して、ペドロは他力本願、自分勝手というわけじゃないが自分に点が甘く、離婚に至った原因が読めていない。
B: マッチョで名誉を重んずるというスペイン男は登場しない。
A: アデラは監督の分身なんだと思う。ペドロを筆頭に男性陣は概してずるくて責任回避的。ペドロは息子の養育費を払わないだけでなく、高額な借金を破廉恥にもアデラに申し込む。
B: 暴力男でないだけに始末が悪い。エレナの夫アルベルト、口数の多い妻に逆らわず、一見物わかりがいいように見えるが、それは微温的な生活を壊したくないだけ。姑のお金を当てにしてリゾート地の別荘購入にも躊躇しない。
A: 今時では珍しくないのかも。いちばんイライラさせられる男。エレナから「お腹についた肉」をそぎ落とすよう皮肉られていた。そしてアデラの父親、娘が心配で毎日電話をかけてくるが、実は寂しくて孤独に耐えられない。娘を呼び戻し昔のように御飯作ってもらって暮らしたい、ひとりでは暮して行けないタイプ。冒頭部分にアデラが言う「もうパパったら!」で一目瞭然。
B: これは日本でも多く見られるようになった優しい父親像。孫のミゲリートをだっこ紐で抱いていたでしょ、あれは一般的な光景なんだろうか。
A: アントニアの恋人マノロ、彼の願いは孤独を避けるために、ひたすら平穏を保とうとすること。用心深くいやいや思慮深く、自らはアクションを起こさない。
B: 遠まわしに「干しブドウ」と揶揄されていたけど。でも一番マトモなんじゃない。
A: あまり生活臭がなく得体のしれないのがカルロス。こういう男性増えてんですかね。
B: それぞれセリフも演技も自然で、地でやってるんじゃないかと錯覚するほど。スペイン人だって十人十色だけど、こう揃いも揃ってられちゃ、監督の目は男性に厳しい。
何が起ころうが人生は続く
A: さて「女の品定め」、一番シンパシーを感じたアントニアから。世間によくある典型的な母親像です。娘たちの何かにつけ表面化する対立に悩んでいる。もう小さい子供ではないから、依怙贔屓なく公平であろうとするが、それが却って姉妹間の溝を深めてしまう。
B: 女優陣はゴヤ賞で誰もノミネートさえされませんでした。ノミネートされた女優陣の顔ぶれからペトラ・マルチネスが助演女優賞に選ばれてもおかしくなかった。名シーンとして、例えば第4章、長女夫婦が購入した別荘に初めて案内される車の中、頭金を出した自分に相談もなく物件が大きな家に変わっていたうえ、自分より先に婿の両親を案内していたことを知る。

A: 口数の少ないアントニアの目の演技には脱帽です。子供が結婚すると、たいていの親はこういう理不尽な洗礼を受ける。シナリオが実に行き届いています。長女は頭金ほしさに母親のマンション売却を迫る。「そうすればマノロと同じ屋根の下に住めるじゃない、願ったり叶ったりよ」。冗談じゃないよマッタク。他の娘たちの板挟みになりながら売却を決心したけど、本心からじゃない。
B: 得てして長女というのはどこでも自己中心的で権力志向の人が多い。
A: しかし母親に付き添いニエベスの担当医の説明を聞きに行ってくれるのは、イネスじゃなくてエレナ。長女としての責任感を持っているし、アントニアもどこかでエレナに頼っている。
B: マリア・バサンの押しの強さ、たっぷりした腰、太い二の腕、まさにハマリ役です。
A: ニエベス、理想の男性にレアル・マドリッドのゴールキーパー、イケル・カシージャスの名を挙げていて、がっしりタイプが好き。これは余談だが、バルセロナ生れの監督は、現在マドリッドに住んでいる数少ないバルサ・ファンだそうです。医者から禁止されてるタバコが止められない、この映画でタバコを吸うのは女性、なにかメタファーがありそう。癌が発見されてからは、死の恐怖から不安定で不機嫌だが、担当医から完治したと言われた時のパッと輝くような顔、あれ、ニエベスってこんなに美人だったかしら。
B: コントラストを鮮やかに演じ分けていた。ヌリア・メンシアはラモン・サラサールの『靴に恋して』(2002)に出ています。
A: ああいうアンサンブル・ドラマにチョイ役で出て、若い監督に発掘される。ギャラの高い大物俳優は物理的に起用できませんから、チョイ役でも結果を出すことが大切です。
B: ミリアム・コレアが演じたイネスが、形見分けのシーンで母親愛用の「リネンだけでいい」と言うシーン、なんか切ないね。総じてセリフは自然で飾り気がないが、特にここはいい。
A: 母親の使っていたリネンにくるまって寝たい、失って初めて知る親の愛情の大きさね。形見分けが争いにならず、却って姉妹が和解した雰囲気が伝わってくる。親の脛かじりでないイネスたち三人が一軒の家をルームシェアするのも、家族とは何かのメタファーを感じさせます。変化する家族の在り方も本作のテーマの一つです。ここにデンとある大型のアイロン台、これもメタファーです。
B: しんがりはアデラ。わが子を失って宿命論に屈したように見えながら、新たな道を見つけて歩き始める芯の強いヒロインを好演している。
A: 監督が「ソニア・アルマルチャは私への贈り物」と述べているように、成功の鍵はソニア起用にあるでしょうね。ここの二つの死のように、死は何の前触れもなく一撃のもとにやってくることもある。観客は突然断ち切られた二つの人生に、筋の通らない衝撃を受ける。でも残された人々の人生は続くんだと映画は言っている。
B: 人間に対する深い洞察力。夫婦の亀裂が愛の喪失だけでなく、ウラにお金が絡んでいることをちゃんと入れている。三姉妹のいざこざもお金絡みです。
A: 自然な雰囲気の中で過剰な演技を避けさせ、演技させてないように演じさせている。
B: こんな地味な作品がゴヤ賞受賞するなんて、やはりサプライズでしょうね。
A: ノミネートでさえサプライズでしたから、受賞となると尚更ね。一番驚いたのは監督自身かも。私も前評判でバヨナの『永遠のこどもたち』を本命と考えていましたから。
B: 5月のカンヌでも話題になったんでした。
A: しかしカンヌの後、夏に勝負を賭けて封切りにしたが、マドリッドでさえ2館だけだった。すべての資金を製作につぎ込んでいたから、マーケティングに回せるがお金が残っていなかったそうです。
B: 独立系の弱小プロの場合、事情はどこも同じです。
A: ところがノミネートされるや、特別上映会が企画されたり、学生や映画ファンを囲んでの討論会が催されたりした。「自分のようなマイナーな映画監督が特別のイベントをしてもらえるなんて、かつてなかったこと」と述べています。ノミネートだけでも意味があったわけです。
B: 受賞したら再上映館が30館になり、DVDが手に入らないという問合せでたちまち増刷、より幅広い観客のところに届けられたわけです。彼もDVD の役割の大切さをインタビューで語っています。
A: 物語は静かに進みますが、苛立ち、忍耐、病の恐怖、老いの不安、テロへの怒りが充満しています。この映画が訴えていることは、いずれ人は鏡に映った自分の姿に向き合い、「今の自分でいいの」と問いただす時が来るということです。
『闇の列車、光の旅』キャリー・フクナガ ― 2013年11月10日 15:23
『闇の列車、光の旅』“Sin nombre”
★以下の記事は、Cabinaブログ(2010年2月14日)のコメントをベースに再構成したダイエット版です。アーロン・フェルナンデスの『エンプティ・アワーズ』で主役を演じたクリスティアン・フェレールに関連して再登場させたものです。キャリー・フクナガ監督が来日した折のQ&Aが含まれています。
★原題“Sin
nombre”(“Without Name”)メキシコ=アメリカ、2009年、劇場公開2010年06月
キャスト:エドガー・フローレス(カスペル)、パウリーナ・ガイタン(サイラ)、クリスティアン・フェレール(スマイリー)、テノチ・ウエルタ・メヒア(リル・マゴ)、ディアナ・ガルシア(マルタ)

プロット:ホンジュラスの少女サイラは、父と叔父と共によりよい生活を求めて希望の国アメリカを目指す危険な列車の旅に出る。メキシコの青年カスペルは、ギャング団マラ・サルバトゥルチャの若きリーダー、生き方に疑問を抱きながらも無為に流されている。ギャングに魅せられている少年スマイリーが二人の運命の鍵を握ることになる。中南米不法移民の過酷な現実を背景に、移民を乗せた列車の屋根で偶然出会ってしまったサイラとカスペルの物語。(文責は管理人)
マラ・サルバトゥルチャって何ですか?
A: 本作については、アマ・エスカランテの『よそ者』関連映画として触れたことがありました。『よそ者』を紹介しようとする過程で、ドキュメンタリー“La vida loca”(2008、西仏メキシコ合作だが大半の資金はフランス、英語タイトル“Crazy life”)の監督クリスチャン・ポベダ暗殺のニュースが飛び込んできました。有名な報道カメラマンでしたから、欧米各国メディアが一斉に報道し、簡単でしたが日本でもニュースになりました。それでサンダンス国際映画祭に“Sin nombre”を出品して監督賞を受賞したフクナガ監督は大丈夫かな、と心配になりました。
B: 2作品はジャンルこそ異なりますが、ともにマラ・サルバトゥルチャMara Salvatruchaをテーマにしていたからですね。
A: ポベダ監督はフランス人、1980年代のエルサルバドル内戦、またイラン・イラク戦争、レバノン戦争、軍事独裁制時代のアルゼンチン、チリ、ペルー内戦と、戦場を駆け巡った報道カメラマンでした。ゴヤ賞授賞式の「惜別」部門にも、スペイン系なので映像が流れました。
B: 前年1年間に亡くなられたシネアストを偲ぶコーナーですね。
A: さて本作はメキシコのチアパス州タパチュラのMS13、ポベダ監督のはエルサルバドルの首都サン・サルバドル近郊のMS18と、ジャンルだけでなく国もグループも違います。MSの語源については、いくつか異なる見解があるようです。一般に流布しているのは、Maraはギャングが住んでいたサン・サルバドルのLa Mara通りの名前からというもの、またスペイン語の「Marabunta」、アリの集団がぞろぞろ移動する意味から無分別な混乱を引き起こす集団、つまりギャングとかマフィア、暴力犯罪組織のことから名づけられたというのが代表例です。
B: 数字の13とか18は通りの番号ですね。

A: そのようです。Salvatruchaは「Salvadoreno サルバドル人」+「truchaトゥルチャ」、truchaは「用心深い、抜け目がない」という意味です。犯罪の種類は、国によっても時代によっても内容が多様化していて一概にコレコレだと定義できないようです。
B: 手広く麻薬や武器密売、殺人請負が生業のいわゆる「死の商人」の支部もあれば、不法移民の手引き、ゆすり、たかり、いわゆるカツアゲ、窃盗が主たるゴロツキ支部もある。発祥の地はカリフォルニア州ロスアンジェルス近郊の都市と、アメリカなんですね。
A: 1980年代に、主にエルサルバドルからの移民が住んでいたピコ・ユニオン市のギャングが起源です。故国では1980年代というのは「血の内戦」が起きていた時代、銃砲携帯のゲリラや逃亡兵士も含めてエルサルバドルからは50万人にも及ぶ人々がアメリカに流入したと言われてます。
B: まさにモーセのいない<エクソダス>です。
A: アメリカではエルサルバドル人はもともと穏やかな性格の国民と思われて、既成のメキシコ人とかアフリカ系アメリカ人のギャングの餌食になっていた。タテマエは彼らから同胞を守るため組織されたとも。MS13はエルサルバドル系、MS18はメキシコ系といわれてますが、今では混在して中米諸国、アメリカではバージニア、ワシントンDC、カナダや欧州にも拡大しているそうです。
B: 二つの組織の殺し合いには、イデオロギー、政治信条、信仰の違いはなく貧乏人同士の闘い。
A: MSがエルサルバドル以外のホンジュラス、ニカラグア、グアテマラに拡大した理由は、クリントン大統領時代に不法移民や犯罪者を出身国に強制送還する政策が本格的に実施されたからです。
B: アメリカも増加の一途をたどる組織犯罪をほっておけなくなり、1980年代末から90年代にかけて本格捜査を開始、容赦のない摘発で逮捕した犯罪者を強制送還したようです。その中には犯罪や病気で親を失った孤児、親が収監されて保護者を失った子供も含まれていた。
A: 孤児は故国に戻っても孤児に変わりなく、行く先は知れてます。エルサルバドル人移民50万のうち30万が故国に戻されたと言いますから、その中には当然MSメンバーも混じっており、特に9・11後はアルカイダとの接触が懸念されて拍車が掛かったようです。
成功したドキュメンタリードラマ
B: この作品はドラマといってもドキュメンタリーの要素が強いですね。
A: ジャンルとしては、ドキュメンタリードラマ(docudrama)、監督もリサーチに2年間かけたということです。本作が第1作にもかかわらず日本で公開されるには、二つのジャンルに跨っていることがあると思います。ドキュメンタリーだけより比較的受け入れやすい。ありそうもないフィクションは食傷気味、厳しい現実はテレビニュースでもうタクサン。地道な取材による社会派ドラマの要素と、若い二人の愛を絡ませつつ家族の絆というエンターテイメントの2本の糸を巧みに縒り合せることに成功した。
B: アドベンチャーやスリラーの視点を盛り込んだことも成功の秘密かもしれません。
A: 観客を置き去りにしなかったこと、これは観客におもねっているのとは違います。他にも撮影監督アドリアノ・ゴールドマンの映像美、メキシコを縦断する列車から撮ったと思われる美しい夜景と列車で運ばれていく不法移民の不潔さや過酷さのコントラストです。
B: メキシコの明と暗を象徴しているかのように思えました。ゴールドマンはサンダンス映画祭2009で最優秀撮影監督賞を受賞しています。
A: もう一つメキシコ=アメリカ合作ということがあります。ご存じの通り本作は、1月のサンダンス映画祭を皮切りに各地の映画祭で受賞しています。2月のベルリン映画祭開催中の業者向けフィルム・マーケットに出品、3月にはアメリカ公開、これが大きいのです。
B: その後のグアダラハラ、トロント等々の映画祭の快進撃、英語版DVDの発売、監督の苦労も報われました。リサーチ中にはずいぶん怖い目にも合ったそうです。セルバンテス文化センターの特別試写会に移りましょうか。
苦労したのは脚本作り 本当に体験した≪闇の列車≫
A: まず監督から参加者とのQ&Aに時間を割きたいという申し出があり、急遽ゲストお二方を交えてのシンポジウム形式に変更されました。かなりマスコミ関係者が出席しており、監督としては質疑応答で反応を確認したかったのではないでしょうか。
B: ゲストの方は難民や移民支援救済の仕事をしておられる方とか。
A: そういうことで、Q&Aも映画より難民移民に偏ってしまった。ここでは映画に絞って私の意見も加味してお話します。進行役も務められたシルビアさんが監督の簡単な紹介があった。
(*1977年カリフォルニア州オークランド生れ、母親がスウェーデン人の日系4世。映画を勉強する前に歴史と政治学を専攻、サンダンス映画祭などでの受賞歴、この映画の原点が2004年の短編“Victoria para chino”(13分)にあること等が紹介された)

B: その短編のテーマは不法移民の実話が基になっていた。
A: シンポでは内容には言及されなかった。ここからは補足です。2003年5月、テキサス州ヴィクトリアの山中に打ち捨てられたトラックの中から窒息死した17名の不法移民が発見されたという事件です。このニュースは世界中に流れました。これを基にして作ったのが2005年サンダンス短編部門で認められ、続いて各地の映画祭でも受賞した。サンダンスのワークショップで指導教官から移民問題についてのシナリオを書いてみないかという誘いを受け、それがそもそもの始まりだった。
B: 監督ではなく脚本の要請だったのですね。
A: しかし、最初から自分で監督するつもりだった。何回も書き直して下書きにOKが出るまで2週間くらいかかった。このテキスト作りが大変でしたが、ここのワークショップの素晴らしいのはプロの俳優とスタッフを使って本格的な撮影ができることだそうです。
B: 監督は今までそういう経験がないから感激した。
A: サンダンスの指導監督の一人キース・ゴードンKeith Gordonが、「キャリーは大きな階段を一段登った。彼には飛躍が必要だった。キャリーは鋭い社会意識を組み合わせたヒッチコック流の映画を作れる」とヨイショしてくれた。それが励みになって自分にも商業的に成功可能な映画が作れるのじゃないかと考えたそうです。
B: ゴードンとの≪出会い≫が、彼に幸運をもたらしてくれたわけですね。ゴードン監督の第1作『チョコレート・ウォー』(1988) は公開されました。
A: サンダンスはユタ州ですから、危険な国境も貨物列車もない。2005年の夏メキシコに出かけ、貨物列車の屋根にのって中米各地からやってくる不法移民の実態をリサーチした。それが「列車の屋根にのって越境してくる」という本作の1本の柱に決まったわけです。
B: 一般のアメリカ人はそういう実態まで知らないでしょう。
A: 監督自身も「屋根にのって越境してくることは知らなかったので衝撃を受けた」と。それで自分も列車の体験をしなくちゃと思ったそうです。
B: それはサンダンスやサンセバスチャン国際映画祭でのインタビューでも話されていた。屋根の上には700人も乗っていたとか、友人たちは尻込みしてしまい自分一人で乗り込んだとか。
A: リサーチには短編製作の仲間と出かけた。チアパスのタパチュラで偶然二人のホンジュラス人と出会い、寝起きも一緒のまさにカオスの72時間の旅だったそうです。その体験が盛り込まれていて、自分は下車しようと思えば下車できる身分だが、彼らはそうじゃないともね。
B: 唯の冒険旅行でなく生死を賭けた旅ですね。映画にも「乗ってる半分が辿りつけない」というセリフがあった。
A: シンポに戻ると、マラ・サルバトゥルチャとの接触は苦労の連続だったが、困難だったのは二つのストーリーを一つに纏めることだった。とにかく収集したデータをちゃんとした物語に完成するのが大変だった。中心にキャスパーとセイラ(字幕はカスペルとサイラ)をもってきたのは、アメリカの観客に受け入れやすくするためで、テーマは≪家族の絆≫と≪偶然の出会い≫であり、MSの政治的解決がメッセージではない。また自分の祖先も1世紀ぐらい前に移民してきたのだが、だからと言って無制限に門戸開放できないし、現実には移民問題には答がない、という主旨のことを述べました。
B: 映画は社会的教訓を目指したものではなく、彼らとまったく違う世界にいる観客に何かを感じてもらえたらということかな。不法移民やMS問題は重要ではあるが主眼でないということですか。
A: そうはっきり述べたわけではありませんが、私は本作のテーマを「崩壊した家族が出会いによって再生する」というように解釈しました。この映画は一般の人々とはかけ離れた物語ですから。
B: サイラの父親が故郷に置き去りにした一人娘をアメリカの新しい家族に加えようと再び危険な旅に挑戦するのは、一度はバラバラになってしまった家族を再生させるためです。
A: 血の繋がりはありませんが、MSも居場所を失くした人々がつくる≪擬似家族≫です。そしてカスペルとサイラの二人は、列車の屋根で運命的な出会いをする。
B: 監督が列車の旅で二人のホンジュラス人と偶然に出会ったことが、サイラの家族をホンジュラス人にしたのかもしれない。
A: アメリカへの不法移民はメキシコ人とは限らない。常に政治不安と貧困があり、北の楽園を目指す人は後を絶たない。それは暴力的とも言える経済格差の存在、経済格差と言えば聞こえがいいですが、言い換えれば「飽食できる人」と「飢え死に寸前の人」ということです。
B: 苦労してアメリカに辿りついても困難が待っている現実を知っていても、自分は成功できるという夢は捨てられない。成功談は語られても、≪Sin nombre≫のまま葬り去られた人は語られない。
A: 夢というか希望を持つことの大切さもテーマ。2008年のリーマンショック以降、送金額が減っているそうです。「ホンジュラスの農民の場合は現金収入が少なく、1日約3ドルぐらいで生活している。何といっても差がありすぎます」と監督も語っていました。
原題“Sin nombre”
B: 原題についての質問はありませんでしたか。マイケル・ホフマンの『恋の闇、愛の光』(1995米英)のパクリかと思ってしまった。
A: シルビアさんより邦題は全然違ったタイトルになったと説明がありました。監督からは「最初から考えていたタイトルであること、名前を持っていないということは、人間が悪い状態にあること、最悪の状態にあるときに使う言葉。不法移民のなかには死んだとき名前が分からず無名のまま葬られるし、ギャングでも同じことが起こる。もっとインパクトのある案も出されたが、この題には奥に深い意味が隠されているので改題しないで良かったと思う」主旨のコメントがありました。
B: 各国ともシンプルに、そのものズバリのタイトルですが、邦題は少し情緒に流れましたね。
A: 配給元は監督から褒められたと話してますが。原題には不法移民とMSメンバー両方の無名性が掛けてあります。つまりMSのメンバーは実名ではなく組織内だけで通用する名前で呼ばれる。実名を消してしまって仮名での人生を送っているから、死んだときは同じ「馬の骨」です。生ゴミやガラクタのように捨て去られるシンボルとしてタイトルは付けられたわけです。
B: 顔を持たない、アイデンティティー喪失の人間、主人公カスペルの実名はウィリー。ポベダ監督の“La vida loca”でも、バンバンとかスパイダーとか全員渾名を使っていた。
A: ハッピーという名の女性メンバーは、皮肉にも体中蜂の巣になって入院、やっと退院した自宅でボーイフレンドの死を聞かされる。カスペルの弟分ベニートもイニシエーションに合格したあと、痛さと嬉しさで泣き笑いしたので、親分リル・マゴがエル・スマイリーと名付けた。自分で実名が付けられないように、渾名も親分が付けるのかもしれない。
B: 擬似家族の結束のためにも、ここだけで通じる名前が必要なのか。実名を捨て去り、体だけでなく顔面にも刺青を入れて組織への忠誠を誓う。ここが自分の本当の家であり、元の家には戻りませんという証明です。
A: 戻ろうにも、あれだけ盛大な刺青ではカタギの世界には戻れない。映画の結末は最初から観客に暗示されていますが、それでもスリラーとしての商業性を残し、長編第1作とは思えない出来栄えです。
B: 監督はリアリティーを求めて、MSメンバーと生活を共にした。
A: 二つのMSグループのうち3人のホンモノのメンバーに接触でき、また警察の許可のもと、麻薬密輸で収監されていた人々の取材、グアテマラとメキシコの境界線であるスチアテ河に架けられた梁も見学したそうです。徹底して取材しないと気が済まないタイプの監督です。でもドキュメンタリードラマを撮るには欠かせない作業です。厳しく注文すると、マルタの人格に代表されるように、脚本には強引すぎる筋運びや綻びもあります。
エドガー・フローレスが発するオーラ
B: 映画の成功には若い新人3人の演技によるところが大きい。
A: レディ・ファーストでいくと、サイラ役のパウリーナ・ガイタンは、9歳のときからTVや映画に出演しているメキシコの女優。Marco Kreuzpaintnerの“Trade”(2007独米合作)の13歳の少女アドリアナ役で注目された。本作では15歳、主役級はこれが最初。
B: ホンジュラス人ではないんですね。
A: 監督はサイラ役にはホンジュラスの女性を探していたので、ガイタンにはディアナ・ガルシアが演じたマルタ役を割り振ってシナリオを渡した。ところがガイタンが「サイラ役をやりたい、やれないならこの映画から下りる」と。

B: サイラの性格そっくりですね。サイラは感じやすい女の子だが強い意志の持ち主。
A: 自分に似ていて自分も同じような問題を抱えていたから、どうしてもサイラをやりたかった。役作りには監督に自分の意見もどんどん言って採用してもらったと。
B: 当然撮影に入る前に、越境してくる不法移民の実写やレクチャーを受けた。
A: 参加者全員が受けた。列車での越境は知らなかったし、実際撮影に入って、監督から「屋根に上れ、今度は下りろ。もう1回やり直し」と檄が飛ぶと、映画じゃなく本当のことのように胸がドキドキした。メキシコ人はアメリカでの同胞のひどい扱いに文句を言ってるが、自分たちも中米からの移民に同じ感情を持っている。それをこの映画が教えてくれたとコメントしてます。
B: メキシコでは中米からの越境者を快く思わない人も多く、貧乏人が貧乏人を差別している構図が映画からも窺えました。
A: カスペル役のエドガー・フローレス、ホンジュラスの首都テグシガルパ生れ。だからメキシコの観客からは「カスペルのアクセントはメキシコ人と全然違う」と文句がでた(笑)。
B: ホンジュラス人のサイラをメキシコ人のガイタンが演じ、メキシコ人のカスペルをホンジュラス人のフローレスが、ちょうど反対になった。しかし素晴らしい役者、成功のカギは彼が握っています。
A: 第1作がホルヘ・ルケJorje Lukeの“Provocacion”(2000メキシコ)で脇役を演じただけですから、今回のカスペル役は大抜擢です。IMDbを見ると、エンリケ・ロドリゲスの“El cuarto oscuro”(2008メキシコ)で撮影の手伝いをしている。あるインタビューで「将来の夢は自分で映画を作ること」と話しているのは、あながち夢物語ばかりとは言えないようです。
B: 未来を諦めた若者と未来を諦めない少女の愛の物語ともいえます。カスペルは17歳にして人生に見切りをつけてしまった若者。MSのメンバーだがグループに違和感を感じている。マルタのいない今、もはや失うべきものは何もない。いつ寝首を掻かれるか分からない恐怖から目を開けたまま眠る。
A: そういう複雑な青年の諦観をうまく表現していた。フローレスは「映画に出られるなんて考えたこともなかったが、今では出られたことを神に感謝している。別の人生を演じるという熱中できるものが見つかったから」と。
B: スマイリー役のクリスティアン・フェレールは、これが本格的な映画デビューです。
A: この映画に出演するために猛勉強しなければならなかった。MS関係のドキュメンタリー・ビデオを見せて、歩き方、話し方、仲間同士でやる手のサイン、刺青、殺害方法などを細かく指導したと監督。クリスティアンも「イニシエーションのシーンでは、ほんとに痛くて、でも入会できた喜びを表現しなければならなかったから難しかった」とインタビューに答えてます。ポベダの“La vida loca”のフィナーレがそうだったようにイニシエーションは組織存続のための重要儀式です。
ヨーロッパ映画賞2013ノミネート ― 2013年11月12日 12:58
★パコ・デルガードの衣装デザイン賞受賞のニュースに続いて、メインの作品賞以下の候補作品が、セビリャで開催されていたヨーロッパ映画祭で発表になりました(11月9日)。前記したことがありますが、ヨーロッパ映画賞というのは、1988年ヴィム・ヴェンダース、イングマール・ベルイマン他を発起人にして始まった。「オスカー」に対抗してというか当てこすりでしょうね。ヨーロッパ映画アカデミー(EFA)が選ぶ賞で、会員2000名ぐらいで始まりましたが、現在の会員数2900人が選挙権を持っています。本部はベルリンにあり、授賞式は加入国持ち回りが原則ですが、諸般の事情で最近ではベルリンが多い。

★作品賞ノミネートにスペイン期待のパブロ・ベルヘルの『ブランカニエベス』、彼は監督賞にも選ばれました。今年の作品賞・監督賞は、ジュゼッペ・トルナトーレ、パオロ・ソレンティーノ、アブデラティフ・ケシシュなどダブっていて誰が貰ってもおかしくない激戦。ノミネート経験者はいても受賞者はいないから誰の手に渡っても初受賞となります。ベルヘルのノミネート喜び談話によると「ついにユーロカップの最終戦に辿りついたようなもの。私はこの素晴らしいチームのキャプテンですが、とても優れた仲間に囲まれ、驚いています。私の映画は競馬に譬えるなら優勝レースの後ろを走っている馬ですけど。授賞式に出席するかって? 勿論行きますよ、夢ですからね。もし受賞できたらチーム皆のお蔭です」だそうです。

★新設されたコメディ賞にアルモドバルの『アイム・ソー・エキサイテッド』、彼はワールド・シネマに貢献したとして栄誉賞を受賞することが決まっていましたから(9月16日)、コメディ賞受賞なら喜びも二重になります。ラ・マンチャの監督は既に1989年新人監督賞を『神経衰弱ぎりぎりの女たち』で、作品賞として1999年の『オール・アバウト・マイ・マザー』、2002年に『トーク・トゥ・ハー』と相性がよく、2006年には『ボルベール』で監督賞、他に本作は女優賞、撮影賞、作曲賞など主要5部門を制しました。この年作品賞を逃したのは、ライバル作品がフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクの『善き人のためのソナタ』だったから納得です。

★フアン・アントニオ・バヨナの『インポッシブル』で主役を演じたナオミ・ワッツが、女優賞にノミネートされました。ここのレースも激戦ですね。『アンナ・カレーニナ』のキーラ・ナイトレイ、『ハンナ・アーレント』のバーバラ・スコーヴァ、ナオミ・ワッツも凄い演技だったけど(写真)、バーバラ・スコーヴァかなぁ。いずれにしても代表作の多くがアメリカ映画の女優が候補になるのは珍しいかな。
『父の秘密』 ミシェル・フランコ ― 2013年11月20日 16:57
*『父の秘密』“Después
de Lucía”(“After Lucia”)
監督・脚本・プロデューサー:ミシェル・フランコ
撮影監督:チューイ・チャベス
音楽:ホセ・ミゲル・エンリケ
製作国:メキシコ=フランス 2012年 103分 スペイン語
キャスト:エルナン・メンドーサ(ロベルト)、テッサ・イア(アレハンドラ)、ゴンサロ・ベガ Jr.(ホセ)、タマラ・ジャスベク(カミラ)、フアン・カルロス・バランコ(マヌエル)、パロマ・セルバンテス(イレーネ)、フランシスコ・ルエダ(ハビエル)、マルコ・トレビーニョ(校長)、ナイレア・ノルビンド(保険会社社員ボイス)、モニカ・デル・カルメン(教師)
受賞歴・トレビア:第65回カンヌ映画祭2012「ある視点」グランプリ受賞、第60回サンセバスチャン国際映画祭ホライズンズ・ラティーノ出品、ゴヤ賞2013イベロアメリカ映画賞ノミネート、アカデミー外国語映画賞メキシコ代表作品に選ばれたが最終候補には残れなかった。保険会社社員役でボイス出演したナイレア・ノルビンドはテッサ・イアの母親、女優・脚本家として活躍している。
*ユーロスペース(東京)で公開中ですがネタバレしています。

プロット:父ロベルトとその娘アレハンドラの物語。交通事故で妻ルシアを失ったロベルトは、年頃の娘と共に、妻の思い出が詰まったプエルト・バジャルタから遠く離れたメキシコ・シティへの移住を決心する。父は新しい職場を見つけ、娘の再出発も表面的には順調に見えたが、間もなく二人の抱える問題が噴き出してくる。(文責・管理人)
光と闇のコントラスト*シンボルとメタファー
A:友人からメキシコの『父の秘密』見ましたかと聞かれて、「あれ、そんな映画あったかなあ」と思ったほど原題と結びつきませんでした。「ゴヤ賞2013予想と結果③」で既にご紹介しており、気に入ったのでいずれアップしますなどと書いた映画でした。
B:予想が大外れだったイベロアメリカ映画部門ですね。
A:2012年のLBFFか東京国際映画祭TIFFに登場するかと期待してたんですが空振り、まさか今年公開されるなんて思いもしませんでした。
B:邦題はさておくとして、亡妻の名前ルシアLucíaと「光る・輝く」という形容詞luciaが掛けてある。
A:ですから「妻が亡くなった後で」と「光が消えた後で」ということです。映像が光と闇のコントラストをことさら強調している大きな理由です。車の中は暗く車窓から見える風景は明るく、うす暗い部屋を照らしているデスクスタンドやフロアースタンドの明りは弱く、あたかもスタンドが妻ルシアであるかのようだ。黒々した夜の海に白く光る波がしら、海岸に切りたつ黒い岩の彼方の残光、薄暗い洗面所に点滅する携帯の明り、夜の砂浜に揺らめく焚き火の炎・・・。
B:光も海も岩も一種のメタファーとして登場する。それと重要なのは「車」ですね。
A:テーマとして重要なのは、ラテンアメリカの映画や文学に特徴的な変化や危機に出会ったときの≪移動≫、中南米に限りませんが≪不在≫と≪伝達不能≫です。まずタイトルがアップされる前に、車の修理を頼んだらしい男が引き取りにやってくる。男は工員の説明を聞いているのかいないのか上の空で引き取りの書類にサインする。車はハンドルのVWマークからフォルクスワーゲンであることが分かる。カメラと私たち観客を後部座席に乗せて、男は暫く走らせると突然停車、カメラはキイを残したまま車を路上に置き去りにして立ち去っていく男の後ろ姿を追っていく。
B:ここでやっとタイトルがアップされる。ワーゲンのマークを映し続けていましたが、車には疎いのですが特別な意味を持たせているのでしょうか。
A:シーンが変わると薄暗い海岸の岩にポツンと女の子が座っている。この最初の数分で観客は男と女の子の孤独な内面を覗くことになる。この車の行方を私たちは後ほど知ることになりますが、この海が男の捨ててきたプエルト・バジャルタの海であることも知らされる。男→女の子→男が繰り返えされますが、こういう映画にありがちなフラッシュバックはない。ある意味で円環的というか循環的ですね。
B:海のメタファーの一つは強靭さですが、男にとっては凶暴性、女の子にとっては救いです。
A:次のシーンで母の≪不在≫が知らされ、別の土地への≪移動≫も始まっている。
B:アマ・エスカランテの『エリ』の家族も別の共同体から移動してきている。引き金ではありませんが、それも悲劇の背後にありました。
A:日本でも熱狂的ファンの多いカルロス・レイガダスの新作『闇の後の光』(TIFF2013上映)の主人公も移動する。思えば第1作『ハポン』の人物は再び戻ってこられない究極の場所に移動したのでした。
「イジメ」は立派な犯罪*公平とは何か
B:アレハンドラは新しい学校で性的ハラスメント、レイプまで受けるわけですが、濃淡こそあれイジメは映画全体に蔓延している。ロベルトが味の違いの分からない料理人をこき下ろすのも言葉の暴力ですね。
A:生徒にドーピング検査を義務づけているのも、ベラクルスへの夏季旅行が≪全員参加≫なのも、学校という権威によるイジメです。だから教師に「全員参加!」と叫ばせるのですね。これはイジメ映画じゃありませんけど、公平や安全安心のための、またアソビに名を借りたイジメは立派な犯罪です。
B:マリファナの陽性反応が出て父が呼び出しを受ける。裏切られたと怒りを抑えられないロベルトが発する止めの一言は、「退学はダメだ」。自分は部下のお喋りが気に入らないと職場放棄してフテ寝するのに。
A:親の子供に対するイジメの一例、親はそう考えていないが。「善い人」なのに不幸なのは自分だけと錯覚する未熟な父親です。悲しみより怒りで冷静さを失っている。それに引きかえ娘の背伸びが痛々しい。日本なら高校生15~6歳ぐらいの設定でしょう。大人でもなく子供でもない不安定な年齢です。大人は子供の目を未来に向けさせ、上手く子供時代に別れを告げさせる義務を負っているはずです。
B:行方不明になった娘の捜索願いに出向いた父親に、イジメた生徒たちは「未成年者だから取り調べ出来ない」というもっともらしい警官の一言も責任逃れというイジメでしょうね。
A:妻の突然の死で抑えのきかなくなっていた≪暴力≫が、この一言で一気に暴発する。ラストシーンでロベルトが見せる大胆な≪暴力≫こそ、この映画の重要なテーマです。
B:ここでは暴力も必要悪として観客の心をわし掴みにする。ギリシャ悲劇のように心の中に鬱積していたもやもやを解放して観客を一種のカタルシスに導いていく、このラストシーンのために出来た映画とも言える。
10点満点の3点*評価は自由でよい?
A:海外のブログ(署名入り)に「この映画が何を語りたかったのか最後まで分からなかった。あのカンヌがグランプリを与えた真意が理解できない。10点満点でいうと3点です」というのがあった。
B:おやまあ。いろんな意見があって当然、みんなを満足させる映画なんてありません。
A:万人向きじゃないことは確かです。しかし映画祭だけの映画でもない。世界各地の映画祭に招待されましたが、劇場公開も多いほうです。アジアでも台湾、韓国が日本より先に公開しています。フランコ監督もあるインタビューで「映画のエキスパートから評価されたのは勿論嬉しいが、一般の観客が見に来てくれたのが一番嬉しい」と語っています。いわゆる芸術のためのアート映画を作るつもりはないとも。
B:でもカンヌで評価されたことが大きい。これがなかったら(笑)。テクニカルな面はどうですか。
A:先述したようにフラッシュバックはない。ただしロベルトのシーンとアレハンドラのシーンが目まぐるしく変わる。こういうのが好みでない人、それに映像を言葉で説明することが少ないのを物足らなく感じる人、バックミュージックの代わりのようなエンジン音、波の音をノイズと捕える人にはお薦めできない。
B:シナリオもよかったが、編集が大変だったのじゃないかな。

A:モノトーンの映像が多いせいか、突然現れる赤や黄緑の色使いが効果的でした。盗撮された動画が配信されたあと登校するアレハンドラの服は、まるで学校全体に挑むかのように真っ赤。誕生日に着て行くTシャツは鮮やかな黄緑、屋外プールの澄んだ青、暗がりから木々の緑が目に飛び込んでくるとハッとする。
B:よく計算されています。画面構成もハイメ・ロサーレスの『ソリチュード:孤独のかけら』やアーロン・フェルナンデスの『エンプティ・アワーズ』を思い起こさせる。またカメラを固定して構図を変えないなど小津安二郎的でもある。
A:影響を受けている監督に挙げています。アレハンドラが髪をバッサリ切られたあと、鏡と真正面から対峙する。カメラはアレハンドラの背後にあるのだが、あたかも鏡でなくカメラを見つめているような錯覚を起こさせる。俳優がカメラに向かってセリフを言うのも「小津調」です(笑)。
少ないセリフ*伏線の張り方
B:何もないガランとした新居に二人が入ってくる。最低の荷物で引っ越してきたから当然なのだが、このぽっかり空いた空間は、二人の心を象徴している。娘「あら、素敵じゃない」、「ほんとかい」と父。セリフはそれだけ。
A:すごい省エネ家族です。アレハンドラと出来たばかりの友人たちとの短い会話から、太平洋に面した高級リゾート地プエルト・バジャルタから引っ越してきたこと、父がシェフであること、母とは別居とアレハンドラが嘘をついてること等が一気に分かる。
B:父は父で、路上に放置してきた車を売却したと嘘をつく。一見して仲の良い父娘に見えるが、二人の心は遠く離れていて、秘密と嘘をどんどん重ねていくからお互い本当の姿を知らないのだ。
A:娘がミルクアレルギーなのを始めて知る父。アレルギーが昨日今日始まったわけではないでしょ。勿論、引っ越す前に娘が暗いプエルト・バジャルタの海を見つめていたことなど知るわけがない。
B:母の事故死に娘が関係していたのではないかと保険会社の担当者が質問しますが、これは謎のままで各自想像するしかない。
A:アレハンドラが父に譲歩することから関係ありと感じましたが。この事情聴取から娘の心理カウンセラーを父が断ったことも判明して、とにかく情報のいっぱい詰まったシーンです。担当者の姿は映さず機械的な音声だけだったのも効果的でした。
B:アレクサンドラがプールで泳ぐシーンが繰り返されましたが、後半のベラクルスの夜の海のシーンに繋がり、これが伏線だったことがやっと判る。
A:嫌な出来事のあったあと泳いでいるから、何か意味があると思っていましたが。また娘が家具を運ぼうと提案すると、「新しい家具を買おう」と父親。それでいずれは戻る伏線かと思っていた。
B:アレハンドラが元の家に辿りつき、窓を跨いで入るシーン、マットレスだけのベッドで黙々とリンゴを齧るシーン、印象的でした。

A:やっと娘は未来の扉を開けることができたんだ、子供時代に別れを告げることができたんだ、と感じさせるシーンでした。仔羊は帰還を果たしたが、親羊はどうなった。
B:やっと自分が親であることに目覚める。最終目的に向かって進むロベルトは、力強く生きいきとさえ見えてくる。イジメの主犯ホセの家を夜通し見張り、ロベルトのホセ拉致成功に観客も「ヨシッ」と頷く。賽は投げられた、もう後戻りはできないのだ。結末に納得できない人のタイプには二種類ある。
A:これではロベルトもイジメッ子たちと五十歩百歩というもの、もう一つは生ぬるい、ガス・ヴァン・サントの『エレファント』(2003)のように皆殺しだ。
B:テイストは異なりますが、『エレファント』を思い起こす人は多い。こちらは父と息子でした。フランコ監督によると最初は娘でなく息子だったようです。人を不安にさせるノイズの入れ方など似ています。
A:影響受けていますね。それと衝撃的だったミヒャエル・ハネケの『ファニー・ゲーム』(1997)ね。なんの説明もなく始まるサディスト的な暴力、陰険なやり口、ゆっくりしたテンポのなかで観客を不快感に陥れる。以前アップした『タパス』の共同監督ホセ・コルバチョとフアン・クルスが撮った“Cobardes”(2008)、エストニアのイルマル・ラークの『ザ・クラス』(2007、“Klass”)も類似作品、後者は「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008」で上映された。
B:ハイスクールが舞台で年齢的にも本作と近く、脚本賞を受賞したんでした。
A:さて、ロベルトはどこに向かってモーターボートを走らせていたのでしょうか。岸に向かって、沖に向かって、どちらでしょうか。エンディング・タイトルのバックにずっとモーターボートのエンジン音が響いていましたが。
B:それは観客の自由でいい。好きな方を選べばいいのです。
A:なるほど、そうですか(笑)。

★二年振りにカンヌに戻ってグランプリを手にしたフランコ監督、前作“Daniel
& Ana”(2009)は監督週間でしたが今回は「ある視点」と、コンペに近づきつつあるのでしょうか。若い監督にとってカンヌは復讐と同じくらい魅惑的、世界中の映画ファンにアッピールできるチャンスですから。長編3作目は“Los ojos”と題名も決まっています。路上生活者を援助する団体で働き、臓器移植をしないと命がない息子を抱えている女性の物語。主演女優にモニカ・デル・カルメンを起用、本作でも教師を演じていました。しかし彼女を有名にしたのは、2010年マイケル・ロウ監督にカメラドールをもたらした”Año
Bisiesto/Leap Year”のヒロイン役でした。カンヌに衝撃を与えた本作は、『うるう年の秘め事』の邦題でLBFF2011で上映されました。
★テッサ・イアの少女らしからぬ自然な演技は将来の大器を予感させる。大切に育ててほしい。既に3本の短編が完成している。ルイス・マリアノ・ガルシアの“Corre sin mirar atrás”(11分)と“Monstruo”(10分)、セサル・ラモスの“Reflexión”(4分)、短編とはいえちょっとハードかな。
★エルナン・メンドーサは主にテレビ出演が多いようだが、アクションもコメディもオーケーの演技派。TVシリーズの他、Mitzi Vanessa Arreola他の“La 4a compañia”(2013)に出演している。
『エリ』の撮影監督ロレンソ・ハーゲルマン最優秀撮影賞受賞 ― 2013年11月23日 11:19
ストックホルム国際映画祭ハーゲルマン撮影賞を受賞
★ストックホルム国際映画祭で『エリ』の撮影監督ロレンソ・ハーゲルマンがベスト撮影賞を受賞しました。『エリ』についてはLBFFその他で既にご紹介済みです。スペイン語映画として公式コンペティションに、サンセバスチャン映画祭SIFF 2013「金貝賞」受賞のマリアナ・ロンドンの“Pelo malo”(“Bad Hair”ベネズエラ=ペルー=ドイツ)、同銀貝賞監督賞を受賞したフェルナンド・エインビッケの“Club Sandwich”(メキシコ)がエントリーされていました。
★SIFFについては、個別作品を折々ご紹介しただけで総括をしないままですが、まもなく始まるゴヤ賞候補作品と重なると思うので、そちらで纏めるつもりです。大物受賞者は国際批評家連盟賞のベルトラン・タヴェルニエだけ、「大スター不在の映画が大賞を射止めた」と評されたSIFF 2013年でした。こうやって国際映画祭の受賞作品をご紹介していると「1年の364日はどこかで映画祭が開催中」が冗談じゃなく思えてきます(笑)。

★ロレンソ・ハーゲルマン(カンヌでの発音による)Lorenzo
Hagermanは、ドキュメンタリー映画で出発、“Which Way Home”(2009、アメリカ)が2010年のアカデミー賞にノミネートされるという実績の持主です。エルサルバドルの10代前半の子供たちが豊かな「北」を目指して列車の屋根で旅をするドキュメンタリー。そうキャリー・フクナガの『闇の列車、光の旅』のドキュメンタリー版です。『エリ』ではエスカランテ監督とカンヌ入りしており単独インタビューも受けておりました。映画をご覧になった方はメキシコのウンザリするほど乾いた風景や特に遠景の捉え方にドキュメンタリー手法を感じた方が多かったのではないでしょうか。(東京国際映画祭カタログにフィルム編集者のナタリア・ロペスが紹介されておりますが、撮影監督はハーゲルマンです。

★ついでにSIFFに触れますと、マリアナ・ロンドン Mariana
Rondon の第3作“Pelo
malo”金貝賞受賞には驚きました。ベネズエラ作品がオフィシャル・コンペに選ばれるのも珍しいこと。他に彼女は「セバスチャン2013スペシャル・メンション」も手にしました。不寛容なベネズエラ社会をえぐり出した本作はサンセバスチャンの惜しみない熱烈な歓迎を受けた。「不寛容を癒すために作られた、こんなちっちゃい映画にこんな大賞をありがとう。違いを尊重してくれたサンセバスチャン、本当にありがとう」と受賞の言葉もよかった。審査委員長トッド・ヘインズによると「審査員全員一致の受賞」ということです。彼の『エデンより彼方に』のテーマも不寛容、主役のジュリアン・ムーアにヴェネチア以下数々の女優賞をもたらした映画でした。

★フェルナンド・エインビッケ Fernando Eimbckeの“Club Sandwich”は、母親と思春期にさしかかった息子のあいだに芽生えるオイディプス的な密接な関係についての物語。エインビッケは既に『ダック・シーズン』(2004)や『レイク・タホ』(2008)で国際的な評価を受けている監督。アリエル賞、アルフレッド・バウアー賞受賞など国際舞台の体験者です。後者は劇場未公開ですが第21回TIFF 2008で上映されました。いずれ“Pelo malo”ともどもご紹介する機会があるでしょう。
審査員特別賞フェルナンド・フランコ*サンセバスチャン2013 ― 2013年11月27日 13:45
審査員特別賞に新星フェルナンド・フランコ
★マリアナ・ロンドンの“Pelo malo”金貝賞受賞にも驚きましたが、フェルナンド・フランコの“La herida”(“Wounded”)審査員特別賞にはもっと驚きました。ノミネートの段階では、マヌエル・マルティン・クエンカの“Caníbal”やダビド・トゥルエバの“Vivir es fácil con los ojos
cerrados”に気をとられてノーチェックでした。「ゴリアテに立ち向かうダビデ」のようだと評されていたほど。マヌエル・マルティン・クエンカやダビド・トゥルエバが巨人とは思いませんが、第1作がサンセバスチャンのコンペに名を連ねるのは珍しいことでした。「ほんとにクラクラ目眩がしました」と喜びを語ったフランコ監督、「5年前に台本を渡されていました」と語った主役マリアン・アルバレス、若いシネアストたちに希望と勇気を与えてくれました。

★受賞後慌ててキャリアを調べたらパブロ・ベルヘルの『ブランカニエベス』のフィルム編集をしており、短編、ドキュメンタリー、TVを含めると40本近い編集を手掛けているベテラン。マルティン・ロセテの“Voice Over”(2011)が、今年の第8回札幌国際短編映画祭に『ボイス・オーバー』の邦題でエントリーされ、フィルム編賞をしたフランコが最優秀編集賞を受賞していたのでした。『ボイス・オーバー』は世界各国の短編映画祭を一巡して受賞を独り占めにした話題作、いずれこの監督も長編で注目されるようになるでしょう。

★フェルナンド・フランコ Fernando Franco:1976年セビーリャ生れ。ただし本作のロケ地は映画祭の開催されていたサンセバスチャンということもあって、セビリャっ子には自分は知られていないとインタビューに答えていました。5本の短編を撮っておりますがビルバオとか北スペインが多く、短編デビュー作“Mensajes de voz”(2007)と第2作“Tu(a)mor”(2009)がアンダルシアの映画祭マラガで受賞しています。フィルム編集者として、上記の『ブランカニエベス』のほか、最近の話題作にモンチョ・アルメンダリスの“No tengas miedo”(2011)、ダビド・ピニリョスの“Bon appetit”(2010)など。既に例年2月に行われるスペイン最大の映画の祭典ゴヤ賞ノミネートが話題になっており、新人監督賞ノミネートは確実と思いますが、作品賞はどうでしょうか。
★脚本共同執筆者にエンリク・ルファスの名前がありました。彼はハイメ・ロサーレスの『ソリチュード:孤独のかけら』でロサーレスの共同執筆者でした。フランコ監督の映画仲間はいわゆるバルセロナ派に多く、この二人の他イサキ・ラクエスタ監督、脚本家ルイソ・ベルデホなどの名前を挙げています。スペイン映画界ではどちらかというと傍流、癖のある凝り性の人たちです。

★本作はヒロインのアナ役マリアン・アルバレス Marian Alvarez(1978年マドリード生れ)が、女優賞(銀貝賞)を貰うという快挙も加わり、スペイン作品ということもあってベネズエラの“Pelo malo”金貝賞よりニュースになりました。マリアン・アルバレスと言えば、ロセル・アギラールの“Lo mejor de mi”(2007“The Best of me”)の主役を演じた女優、ロカルノ映画祭で銀ヒョウ女優賞を受賞した。トゥリア Turia 映画祭2008で新人女優賞受賞など話題になりました。TVドラマのシリーズで2000年デビュー、2005年ごろから映画の脇役で出演、“Lo mejor de mi”の主役で「銀ヒョウ賞」を獲得したのでした。
*そして6年ぶりの映画界復帰でサンセバスチャンの人気を攫いました。まだ秘密のベールに包まれているマリアンだが、女優賞(または新人女優賞)ノミネート(または受賞)の可能性は100%でしょう。映画はともかく彼女の演技には、日刊紙「エル・パイス」のメイン映画批評家、辛口でうるさ型、みんなの嫌われ者カルロス・ボジェロが太鼓判押しているのですから。
★それで“La
herida”はどんな映画なんでしょうか。タイトルがタイトルですから、見て楽しめる映画でないのは100%保証です。主人公アナは20代後半、救急車のドライバー、他人を救助するという有益な仕事に満足感を感じている。しかし≪境界性パーソナリティ障害≫*という病気をもっている。アナは自分を苦しめているのが病気なのかどうかも知らない。少しずつアナの心は壊れていく。映画はアナの苦しみと絶望をゾッとするような冷静さで語っていく。ちょっと見るのは覚悟がいりそうです。確かにアナのような人生を送るヒロインを演じるのは女優とはいえ容易いことではない。輝く光と暗い闇を演じ分けたマリアン・アルバレスこそ、今年もっとも力強く生きいきした演技をした女優、と批評家連が口を揃えて絶賛しています。あのボジェロ氏さえ「納得の演技」と言ってるんだから見ないわけにもいかないか。
★来年になりますが、いずれ鑑賞したらアップ致します。作品紹介はそちらで。
*思春期ごろに特に女性に発症するという病気、1970年代頃から患者が増えているという。原因も治療法も研究なかばで確立されていないらしい。対人関係が上手くコントロールできず、不安定な自己、衝動的な自己破壊(リストカットなどの自傷行為)、拒食・過食、アルコール依存症など様々、他人からは理解してもらえない行為、自殺で解決する例もあるなど深刻な病気です。
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