『ソリチュード:孤独のかけら』ハイメ・ロサーレス2013年11月08日 14:21

『ソリチュード:孤独のかけら』“La soledad

★この記事の本体は、かつてCabinaブログ20081230日)にコメントしたものを再構成したダイエット版です。カビナさんの作品紹介・コメントが面白いのでソチラにもワープして下さい。

★イマジカBSと変更される前の「シネフィルイマジカ」の直輸入映画として2008年に放映された作品、劇場未公開です。現在では番組の性格もポリシーも変わってしまっているので、今後の再放映は期待できません。アーロン・フェルナンデスの『エンプティ・アワーズ』で本作をご紹介したこともあり、またスペイン映画の多様性を楽しんで頂けたらと現時点でのコメント付きで再登場させました。

 

(写真:ゴヤ賞授賞式のハイメ・ロサーレス)

監督: ハイメ・ロサーレスJaime Rosales

脚本: ハイメ・ロサーレス、エンリク・ルファスEnric Rufas

プロデューサー:ホセ・マリア・モラレスJose Maria Morales、ハイメ・ロサーレス、リカルド・フィゲラスRicardo Figueras

撮影監督:オスカル・ドゥランOscar Duran

製作:スペイン、2007年、ドラマ、126

 

主な受賞歴

2008年スペイン、シネマ・ライター・サークル賞(ハイメ・ロサーレス)

2008年ゴヤ賞作品賞・監督賞(ロサーレス)、助演男優賞(ホセ・ルイス・トリージョ)

2008年サン・ジョルディ賞作品賞(ハイメ・ロサーレス)

2008年スペイン俳優連合賞主演女優賞(ペトラ・マルティネス)、新人女優賞(ソニア・アルマルチャ)

    

プロット:アデラ、11か月の男の子をもつ離婚した若い母親、レオン近郊の生れ故郷の小さな町で父親と暮らしていたが、元夫や父親の反対を押して新しい人生を求めてマドリッドに移住する決心をする。アントニア、夫と死別したあと雑貨や食品を扱う小さなスーパーを経営し、新しいパートナーと暮らしている。成人した3人の娘はそれぞれ家を出て暮らしているが何かと母親を頼っている。マドリッドを舞台に直接出会うことのない二人の女性とその家族の人生が語られ、大きな事件とささいな日常のなかで、二つの死がエモーショナルに描かれる(管理人文責)。

 

   キャスト紹介

ソニア・アルマルチャSonia Almarcha(アデラ)

ペトラ・マルティネスPetra Martinez(アントニア)

マリア・バサンMaria Bazan(エレナ、アントニアの長女)

ミリアム・コレアMiriamCorrea(イネス、アントニアの次女)

ヌリア・メンシアNuria Mencia(ニエベス、アントニアの三女)

ホセ・ルイス・トリージョJose Luis Torrijo(ペドロ、アデラの元夫)

ヘスス・クラシオJesus Cracio(マノロ、アントニアのパートナー)

リュイス・ビリャヌエバLluis Villanueva(カルロス、イネスの同居人)

フアン・マルガリョJuan Margallo(アデラの父親)

ルイス・ベルメホLuis Bermejo(アルベルト、エレナの夫)

ペプ・サイスPep Sais(ドクター)

アドリアン・マリンAdrian Marin(ペペ、スーパーの店員)

 

    ハイメ・ロサーレスはスペイン映画界の異分子

 

A: 音楽なし、ゆっくりしたテンポ、長回しの二分割画面、緊張を強いられて疲れてしまう映画でしょうか。漫然と受け身で見ていたら眠り込んでしまう()

B: 世代も立場も異なる二人の女性の人生を二分割画面を使って同時に描いていくというのが、見る前の知識としてあって、それで二人が同じ画面に二分割されて登場するのかと思っていました。

A: そう、ハンス・カノーバの『カンバセーションズ』(2005)に描かれたようなデュアル・フレームの使い方。元恋人たちが友人の結婚式で偶然十年振りに再会する。今の二人とかつての二人、口から出るセリフと本当の気持ちのズレを巧みに二分割画面におさめていた。本作のように複雑ではないが、お互いの心理状態をレントゲン写真を撮るように描いている点では同じです。

 

(写真:左画面がアデラ、右画面はニエベスとアントニア)

B: 主人公のアデラとアントニアが同時に登場するのは、たぶん1カ所しかない。

A: 第4章の冒頭部分、左画面にアデラが公園らしきベンチに座っている。右画面には娘のニエベスとアントニアがブロック塀の前のベンチにいる個所です。ニエベスが雑誌を買いに席を立つと二人が画面に取り残される。アデラがタバコを吸いだすと、アントニアがそちらを見る、アデラもアントニアのほうに顔を向ける、すると真ん中の分断線が突然消えたような錯覚に陥る。

B: 本作は、第1章アデラとアントニア、第2章都会、第3章大地、第4章バックグランドノイズ、エピローグと5つに分かれている。終盤近いこともあって印象に残っています。


A: 二分割画面については改めて触れるとして、まずロサーレス監督の輪郭から始めましょうか。1970年バルセロナ生れ、もう額が広くなってますが、監督としては若いほうですね。子供のころは科学者になりたかったそうです。経営学を学んだ後、絵画、音楽、写真の分野に興味をもち、遠回りして映画に辿り着いた。常に映画と無関係な分野にも関心があるらしく、幅の広い勉強家みたいです。

B: 第1作は “Las horas del dia” (2003)で、本作が2作目と寡作です。どんな作品ですか。

 

A: 簡単に言うと、世間からは恵まれているフツウの人と思われている、つまり家も仕事も恋人もある若者が、ある日突然、駅構内のトイレで見知らぬ男を殺す話です。「誰でもよかった」殺人です。

B: そして、今回は自動車爆弾テロで赤ん坊が死ぬ話。

A: 第3作目、昨年9月のサンセバスチャン正式作品 “Un tiro en la cabeza” では、ETAグループのテロリストが治安警察隊員を殺害します。勿論、3作目は未見なのでコメントできませんが、被害者でなくテロリスト側の目線で描いてあるということで、紆余曲折がありそう。

(管理人:自然に聞こえてくる町の騒音とかピストルの発射音以外、登場人物たちが喋っているセリフはすべて消してある。無声映画とも違う手法で撮られていて、映画祭でもセンセーションを巻き起こした問題作です。)

 

B: ロベール・ブレッソンの作品を思い起こさせるという批評がありますが。

A: 個人的にはハネケやカウリスマキ、ロメールの仕事に似てるかなと感じました。ブレッソンは大げさな演技を嫌い、余分なものをそぎ落として映像を極力簡素化したことや、音楽やプロの俳優を起用しない、監督になる前に画家、写真家だった経歴も似ています。ヌーベル・バーグの監督たちに影響をあたえた監督として、オールドファンには忘れられない人。最近ではあまり放映されませんが、紀伊國屋からDVD-BOXが出ています。

B: ロサーレス自身もブレッソンを尊敬する監督の一人に選んでいます。

 

A: 他にゴダール、アントニオーニ、ベルイマン。スペインではエリセの『エル・スール』、イバン・スルエタの ”Arrebato” (1979)。カイエ・デュ・シネマの同人たちが熱狂的に支持したニコラス・レイの『大砂塵』、忘れるわけにいかない作品としてデ・シーカの『自転車泥棒』を挙げています。『大砂塵』の原題は ”Johnny Guitar” で、ペギー・リーの歌う主題歌「ジョニー・ギター」は日本でもヒットソングになりました。

B: 監督のアウトラインがおぼろげながら見えてきましたので、デュアル・フレームに話を戻して登場人物の≪孤独≫に迫りましょう。                    

 

     二分割画面で進行するユニークな映像

 

A: まず第1章「アデラとアントニア」で、手際よく二人の主人公が紹介されるが、物語はアデラに比重がかかっています。

B: 全体のおよそ3分の1が二分割画面と紹介されていますが、半分ぐらいあった印象です。

A: それは1台の固定カメラで撮影している場合でも、画面が垂直線、つまり柱、窓枠、ドア、桟などで執拗に仕切られているからじゃないですか。出だしの「LA SOLEDAD」というタイトルが消えると、北スペインらしき山並みを背景にした牧場が現れ、のんびり牛が草を食んでいる。真ん中に1本、何のポールか分からないが立っていて、のっけから画面が分断されています。

 

B: カメラが室内にあって戸外にいる人物を撮っているときでも、真ん中に太い窓枠があって、観客が近づくのを邪魔している印象。声は聞こえてくるが後ろ向きなので表情は読み取れない。

A: 最初にアデラが息子のミゲリートと玄関から入ってくるシーン、入口のある右側はカメラが室内に設定されているが、左側の居間を撮るカメラは屋外にある。それでカメラの眼は窓から部屋の中を覗き見するようになっている。両方ともロングショット。電話がかかってくるとアデラは右端から出ていき、遠回りするような感じで左端から居間に入って来て受話器を取る。左はアデラの後ろ姿の全体像、右は正面向きのアデラのクローズアップ、ここで初めて顔がわかる。

 

B: 大体がこんな風ですね。モンタージュの大変さが伝わってきます。

A: もう一方の家族、アントニアには三人の娘エレナ、イネス、ニエベスがいる。字幕でイネスがニエベスを妹と言うシーンがありますが、スペイン語ではどちらにも訳せます。このニエベスに結腸癌が見つかって入院することになるシーン、看護師と一緒に親子が病室に入って来る。ここは1画面なのにドアや壁の仕切りが立ちはだかって、まるで3分割された感じです。

B: 電話のシーンでもアデラは両側に半開きになった開閉窓の窓枠と横桟の真ん中に佇んでいる。

 


A: ミゲリートを失ったあと、アデラが入浴する凄まじいシーン、バスローブに着替えたアデラがベッドにポツンと腰かけている。カメラは廊下から室内を映していて、手前に入口のドア、奥に外窓とカーテン、その向こうにベランダの柵、その先に向かいの家の窓枠と幾重にも分割されている。

B: 音楽もセリフもなくアデラも微動だにしないから、観客はおのずとアデラの孤独に引きずりこまれてしまう。こういうショットが多いから、たぶん二分割画面が実際よりも多い印象になる。

 

     優れた内面描写を見逃さないで

 

A: 場面展開もおもしろい。第1章から第2章「都会」への移行。アントニアがニエベスを残して病室から出て行くと、唐突にアデラがマドリッドの新居の下見をしている。見る側はその飛躍に戸惑う。全くの説明抜きに既にアデラがアクションを起こして都会に移動したことが分かる。ここでアデラとルームシェアすることになるアントニアの次女イネスとの出会いを入れ、二人の主人公の接点らしきものが暗示される(実際には出会わない)。

 

B: 普通二分割はシンメトリー的な位置に人物をおいて、垂直な軸で分断する。しかしロサーレスは意識的にメソッドを壊している。


A: 例えばアデラとパブロ、アデラが正面を向いているときはパブロは軸側の横向き、パブロが正面だとアデラは反対に横向き、この繰り返し。実際は向き合って喋っているのだが、もはや修復不可能なほど気持は離れている。二分した仕切りの陰で本当のバトルが進行している。

B: 長女エレナとイネス。二人の関係はこじれている。エレナが横→正面→横→正面に対して、イネスは完全にその逆方向。

 

A: ニエベスとイネス。良好とはいえないが、アンチ長姉では団結している。左側のイネスはやや左向き、右側のニエベスはやや右向き、ここは定石通りのシンメトリー。見た目にはソッポを向いて話しているように見えるが、実際はイネスが右でニエベスは左に座っているんですね。

B: 離れているようで離れていない、芸が細かいですね。

 

A: イネスとルームシェアしているカルロス。恋愛関係はなく上手くいっている。二人の場合、イネスが正面ならカルロスも正面、イネスが横向きならカルロスも横向き。

B: カルロスとアデラ。一緒に穏やかに食事をしていて、カルロスが傷心のアデラを慰めようと旅行に誘うシーン、左側にクローズアップのカルロス、右側にロングショットのアデラ、二人とも真ん中の軸方向の横向き。ややしつこく誘うカルロスにアデラが苛々し始めると、突然、例の正面→横→正面→横が始まる。

A: 二分割でセリフをカットするだけでなく、他人が心の中に踏み込んでくるのを拒絶している。枠が二つあることで、それぞれ自身の孤独の中に閉じこめるのに成功しています。

:観客にあまりサービスしない、地味で職人芸的な映画が、どうしてゴヤ賞のような大賞に選ばれたか不思議です。        

 

     スペイン男のトレードマークは≪アンチ・マッチョ≫

 

A: 今まで見てきたスペイン映画の枠組みから外れているけれど、実人生とは簡単でいて複雑なんだと感じさせる映画です。何が起ころうとも人生は続くんだし、仮に子供を失ってもね。全体にざらざらしてペシミスティックな筋運びなんだが、結局のところロサーレスはオプティミストなんじゃないか。遠近法を利用した二分割画面が、セリフのカットやゆっくりしたリズムの破調だけでないということです。アントニアの家族が初めて総出演するシーンで、「男の品定め」を始める。

 

B: 特に悪い人は出てこないが、総じて存在感の薄い鈍感な男性が多い。ペドロを演じたホセ・ルイス・トリージョがゴヤ賞新人男優賞を貰いました。けっこう難しい役柄ですね。

: アデラが積極的で自立心が強く、意志堅固で譲歩しないのに対して、ペドロは他力本願、自分勝手というわけじゃないが自分に点が甘く、離婚に至った原因が読めていない。

B: マッチョで名誉を重んずるというスペイン男は登場しない。

A: アデラは監督の分身なんだと思う。ペドロを筆頭に男性陣は概してずるくて責任回避的。ペドロは息子の養育費を払わないだけでなく、高額な借金を破廉恥にもアデラに申し込む。

 

B: 暴力男でないだけに始末が悪い。エレナの夫アルベルト、口数の多い妻に逆らわず、一見物わかりがいいように見えるが、それは微温的な生活を壊したくないだけ。姑のお金を当てにしてリゾート地の別荘購入にも躊躇しない。

A: 今時では珍しくないのかも。いちばんイライラさせられる男。エレナから「お腹についた肉」をそぎ落とすよう皮肉られていた。そしてアデラの父親、娘が心配で毎日電話をかけてくるが、実は寂しくて孤独に耐えられない。娘を呼び戻し昔のように御飯作ってもらって暮らしたい、ひとりでは暮して行けないタイプ。冒頭部分にアデラが言う「もうパパったら!」で一目瞭然。

B: これは日本でも多く見られるようになった優しい父親像。孫のミゲリートをだっこ紐で抱いていたでしょ、あれは一般的な光景なんだろうか。

 

A: アントニアの恋人マノロ、彼の願いは孤独を避けるために、ひたすら平穏を保とうとすること。用心深くいやいや思慮深く、自らはアクションを起こさない。

B: 遠まわしに「干しブドウ」と揶揄されていたけど。でも一番マトモなんじゃない。

A: あまり生活臭がなく得体のしれないのがカルロス。こういう男性増えてんですかね。

B: それぞれセリフも演技も自然で、地でやってるんじゃないかと錯覚するほど。スペイン人だって十人十色だけど、こう揃いも揃ってられちゃ、監督の目は男性に厳しい。

 

    何が起ころうが人生は続くんです

 

A: さて「女の品定め」、一番シンパシーを感じたアントニアから。世間によくある典型的な母親像です。娘たちの何かにつけ表面化する対立に悩んでいる。もう小さい子供ではないから、依怙贔屓なく公平であろうとするが、それが却って姉妹間の溝を深めてしまう。

B: 女優陣はゴヤ賞で誰もノミネートさえされませんでした。ノミネートされた女優陣の顔ぶれからペトラ・マルチネスが助演女優賞に選ばれてもおかしくなかった。名シーンとして、例えば第4章、長女夫婦が購入した別荘に初めて案内される車の中、頭金を出した自分に相談もなく物件が大きな家に変わっていたうえ、自分より先に婿の両親を案内していたことを知る。

 

(写真:車中のエレナ、アントニア、アルベルト)

A: 口数の少ないアントニアの目の演技には脱帽です。子供が結婚すると、たいていの親はこういう理不尽な洗礼を受ける。シナリオが実に行き届いています。長女は頭金ほしさに母親のマンション売却を迫る。「そうすればマノロと同じ屋根の下に住めるじゃない、願ったり叶ったりよ」。冗談じゃないよマッタク。他の娘たちの板挟みになりながら売却を決心したけど、本心からじゃない。

B: 得てして長女というのはどこでも自己中心的で権力志向の人が多い。

 

A: しかし母親に付き添いニエベスの担当医の説明を聞きに行ってくれるのは、イネスじゃなくてエレナ。長女としての責任感を持っているし、アントニアもどこかでエレナに頼っている。

B: マリア・バサンの押しの強さ、たっぷりした腰、太い二の腕、まさにハマリ役です。

 

A: ニエベス、理想の男性にレアル・マドリッドのゴールキーパー、イケル・カシージャスの名を挙げていて、がっしりタイプが好き。これは余談だが、バルセロナ生れの監督は、現在マドリッドに住んでいる数少ないバルサ・ファンだそうです。医者から禁止されてるタバコが止められない、この映画でタバコを吸うのは女性、なにかメタファーがありそう。癌が発見されてからは、死の恐怖から不安定で不機嫌だが、担当医から完治したと言われた時のパッと輝くような顔、あれ、ニエベスってこんなに美人だったかしら。

B: コントラストを鮮やかに演じ分けていた。ヌリア・メンシアはラモン・サラサールの『靴に恋して』(2002)に出ています。

A: ああいうアンサンブル・ドラマにチョイ役で出て、若い監督に発掘される。ギャラの高い大物俳優は物理的に起用できませんから、チョイ役でも結果を出すことが大切です。

 

B: ミリアム・コレアが演じたイネスが、形見分けのシーンで母親愛用の「リネンだけでいい」と言うシーン、なんか切ないね。総じてセリフは自然で飾り気がないが、特にここはいい。

A: 母親の使っていたリネンにくるまって寝たい、失って初めて知る親の愛情の大きさね。形見分けが争いにならず、却って姉妹が和解した雰囲気が伝わってくる。親の脛かじりでないイネスたち三人が一軒の家をルームシェアするのも、家族とは何かのメタファーを感じさせます。変化する家族の在り方も本作のテーマの一つです。ここにデンとある大型のアイロン台、これもメタファーです。

 

B: しんがりはアデラ。わが子を失って宿命論に屈したように見えながら、新たな道を見つけて歩き始める芯の強いヒロインを好演している。

A: 監督が「ソニア・アルマルチャは私への贈り物」と述べているように、成功の鍵はソニア起用にあるでしょうね。ここの二つの死のように、死は何の前触れもなく一撃のもとにやってくることもある。観客は突然断ち切られた二つの人生に、筋の通らない衝撃を受ける。でも残された人々の人生は続くんだと映画は言っている。

 

B: 人間に対する深い洞察力。夫婦の亀裂が愛の喪失だけでなく、ウラにお金が絡んでいることをちゃんと入れている。三姉妹のいざこざもお金絡みです。

A: 自然な雰囲気の中で過剰な演技を避けさせ、演技させてないように演じさせている。

 

B: こんな地味な作品がゴヤ賞受賞するなんて、やはりサプライズでしょうね。

A: ノミネートでさえサプライズでしたから、受賞となると尚更ね。一番驚いたのは監督自身かも。私も前評判でバヨナの『永遠のこどもたち』を本命と考えていましたから。

B: 5月のカンヌでも話題になったんでした。

A: しかしカンヌの後、夏に勝負を賭けて封切りにしたが、マドリッドでさえ2館だけだった。すべての資金を製作につぎ込んでいたから、マーケティングに回せるがお金が残っていなかったそうです。

 

B: 独立系の弱小プロの場合、事情はどこも同じです。

A: ところがノミネートされるや、特別上映会が企画されたり、学生や映画ファンを囲んでの討論会が催されたりした。「自分のようなマイナーな映画監督が特別のイベントをしてもらえるなんて、かつてなかったこと」と述べています。ノミネートだけでも意味があったわけです。

B: 受賞したら再上映館が30館になり、DVDが手に入らないという問合せでたちまち増刷、より幅広い観客のところに届けられたわけです。彼もDVD の役割の大切さをインタビューで語っています。

A: 物語は静かに進みますが、苛立ち、忍耐、病の恐怖、老いの不安、テロへの怒りが充満しています。この映画が訴えていることは、いずれ人は鏡に映った自分の姿に向き合い、「今の自分でいいの」と問いただす時が来るということです。