『闇の列車、光の旅』キャリー・フクナガ2013年11月10日 15:23

                    『闇の列車、光の旅』“Sin nombre” 

★以下の記事はCabinaブログ2010214日)のコメントをベースに再構成したダイエット版です。アーロン・フェルナンデスの『エンプティ・アワーズ』で主役を演じたクリスティアン・フェレールに関連して再登場させたものです。キャリー・フクナガ監督が来日した折のQ&Aが含まれています。

★原題Sin nombreWithout Nameメキシコ=アメリカ、2009年、劇場公開2010年06

キャスト:エドガー・フローレス(カスペル)、パウリーナ・ガイタン(サイラ)、クリスティアン・フェレール(スマイリー)、テノチ・ウエルタ・メヒア(リル・マゴ)、ディアナ・ガルシア(マルタ)

 


プロット:ホンジュラスの少女サイラは、父と叔父と共によりよい生活を求めて希望の国アメリカを目指す危険な列車の旅に出る。メキシコの青年カスペルは、ギャング団マラ・サルバトゥルチャの若きリーダー、生き方に疑問を抱きながらも無為に流されている。ギャングに魅せられている少年スマイリーが二人の運命の鍵を握ることになる。中南米不法移民の過酷な現実を背景に、移民を乗せた列車の屋根で偶然出会ってしまったサイラとカスペルの物語。(文責は管理人)

 

                    マラ・サルバトゥルチャって何ですか?

 

A 本作については、アマ・エスカランテの『よそ者』関連映画として触れたことがありました。『よそ者』を紹介しようとする過程で、ドキュメンタリーLa vida loca2008、西仏メキシコ合作だが大半の資金はフランス、英語タイトルCrazy life)の監督クリスチャン・ポベダ暗殺のニュースが飛び込んできました。有名な報道カメラマンでしたから、欧米各国メディアが一斉に報道し、簡単でしたが日本でもニュースになりました。それでサンダンス国際映画祭にSin nombreを出品して監督賞を受賞したフクナガ監督は大丈夫かな、と心配になりました。

B  2作品はジャンルこそ異なりますが、ともにマラ・サルバトゥルチャMara Salvatruchaをテーマにしていたからですね。

 

A ポベダ監督はフランス人、1980年代のエルサルバドル内戦、またイラン・イラク戦争、レバノン戦争、軍事独裁制時代のアルゼンチン、チリ、ペルー内戦と、戦場を駆け巡った報道カメラマンでした。ゴヤ賞授賞式の「惜別」部門にも、スペイン系なので映像が流れました。

B 前年1年間に亡くなられたシネアストを偲ぶコーナーですね。

 

A さて本作はメキシコのチアパス州タパチュラのMS13、ポベダ監督のはエルサルバドルの首都サン・サルバドル近郊のMS18と、ジャンルだけでなく国もグループも違います。MSの語源については、いくつか異なる見解があるようです。一般に流布しているのは、Maraはギャングが住んでいたサン・サルバドルのLa Mara通りの名前からというもの、またスペイン語の「Marabunta」、アリの集団がぞろぞろ移動する意味から無分別な混乱を引き起こす集団、つまりギャングとかマフィア、暴力犯罪組織のことから名づけられたというのが代表例です。

B 数字の13とか18は通りの番号ですね。

 

  
                                                            (マラ・サルバトゥルチャの面々)

A そのようです。Salvatruchaは「Salvadoreno サルバドル人」+「truchaトゥルチャ」、truchaは「用心深い、抜け目がない」という意味です。犯罪の種類は、国によっても時代によっても内容が多様化していて一概にコレコレだと定義できないようです。

B: 手広く麻薬や武器密売、殺人請負が生業のいわゆる「死の商人」の支部もあれば、不法移民の手引き、ゆすり、たかり、いわゆるカツアゲ、窃盗が主たるゴロツキ支部もある。発祥の地はカリフォルニア州ロスアンジェルス近郊の都市と、アメリカなんですね。

 

A 1980年代に、主にエルサルバドルからの移民が住んでいたピコ・ユニオン市のギャングが起源です。故国では1980年代というのは「血の内戦」が起きていた時代、銃砲携帯のゲリラや逃亡兵士も含めてエルサルバドルからは50万人にも及ぶ人々がアメリカに流入したと言われてます。

B まさにモーセのいない<エクソダス>です。

 

A アメリカではエルサルバドル人はもともと穏やかな性格の国民と思われて、既成のメキシコ人とかアフリカ系アメリカ人のギャングの餌食になっていた。タテマエは彼らから同胞を守るため組織されたとも。MS13はエルサルバドル系、MS18はメキシコ系といわれてますが、今では混在して中米諸国、アメリカではバージニア、ワシントンDC、カナダや欧州にも拡大しているそうです。

B 二つの組織の殺し合いには、イデオロギー、政治信条、信仰の違いはなく貧乏人同士の闘い。

 

A MSがエルサルバドル以外のホンジュラス、ニカラグア、グアテマラに拡大した理由は、クリントン大統領時代に不法移民や犯罪者を出身国に強制送還する政策が本格的に実施されたからです。

B アメリカも増加の一途をたどる組織犯罪をほっておけなくなり、1980年代末から90年代にかけて本格捜査を開始、容赦のない摘発で逮捕した犯罪者を強制送還したようです。その中には犯罪や病気で親を失った孤児、親が収監されて保護者を失った子供も含まれていた。

A 孤児は故国に戻っても孤児に変わりなく、行く先は知れてます。エルサルバドル人移民50万のうち30万が故国に戻されたと言いますから、その中には当然MSメンバーも混じっており、特に911後はアルカイダとの接触が懸念されて拍車が掛かったようです。

 

               成功したドキュメンタリードラマ

 

B この作品はドラマといってもドキュメンタリーの要素が強いですね。

A ジャンルとしては、ドキュメンタリードラマ(docudrama、監督もリサーチに2年間かけたということです。本作が第1作にもかかわらず日本で公開されるには、二つのジャンルに跨っていることがあると思います。ドキュメンタリーだけより比較的受け入れやすい。ありそうもないフィクションは食傷気味、厳しい現実はテレビニュースでもうタクサン。地道な取材による社会派ドラマの要素と、若い二人の愛を絡ませつつ家族の絆というエンターテイメントの2本の糸を巧みに縒り合せることに成功した。

 

B アドベンチャーやスリラーの視点を盛り込んだことも成功の秘密かもしれません。

A 観客を置き去りにしなかったこと、これは観客におもねっているのとは違います。他にも撮影監督アドリアノ・ゴールドマンの映像美、メキシコを縦断する列車から撮ったと思われる美しい夜景と列車で運ばれていく不法移民の不潔さや過酷さのコントラストです。

B メキシコの明と暗を象徴しているかのように思えました。ゴールドマンはサンダンス映画祭2009で最優秀撮影監督賞を受賞しています。

 

A もう一つメキシコ=アメリカ合作ということがあります。ご存じの通り本作は、1月のサンダンス映画祭を皮切りに各地の映画祭で受賞しています。2月のベルリン映画祭開催中の業者向けフィルム・マーケットに出品、3月にはアメリカ公開、これが大きいのです。

B その後のグアダラハラ、トロント等々の映画祭の快進撃、英語版DVD発売、監督の苦労も報われました。リサーチ中にはずいぶん怖い目にも合ったそうです。セルバンテス文化センターの特別試写会に移りましょうか。

 

            苦労したのは脚本作り 本当に体験した≪闇の列車≫

 

A まず監督から参加者とのQ&Aに時間を割きたいという申し出があり、急遽ゲストお二方を交えてのシンポジウム形式に変更されました。かなりマスコミ関係者が出席しており、監督としては質疑応答で反応を確認したかったのではないでしょうか。

B ゲストの方は難民や移民支援救済の仕事をしておられる方とか。

A そういうことで、QAも映画より難民移民に偏ってしまった。ここでは映画に絞って私の意見も加味してお話します。進行役も務められたシルビアさんが監督の簡単な紹介があった。

(*1977年カリフォルニア州オークランド生れ、母親がスウェーデン人の日系4世。映画を勉強する前に歴史と政治学を専攻、サンダンス映画祭などでの受賞歴、この映画の原点が2004年の短編Victoria para chino13分)にあること等が紹介された)

 

   
                           (キャリー・フクナガ監督、セルバンテス文化センター試写会にて)

B その短編のテーマは不法移民の実話が基になっていた。

A シンポでは内容には言及されなかった。ここからは補足です。20035月、テキサス州ヴィクトリアの山中に打ち捨てられたトラックの中から窒息死した17名の不法移民が発見されたという事件です。このニュースは世界中に流れました。これを基にして作ったのが2005年サンダンス短編部門で認められ、続いて各地の映画祭でも受賞した。サンダンスのワークショップで指導教官から移民問題についてのシナリオを書いてみないかという誘いを受け、それがそもそもの始まりだった。

B 監督ではなく脚本の要請だったのですね。

A しかし、最初から自分で監督するつもりだった。何回も書き直して下書きにOKが出るまで2週間くらいかかった。このテキスト作りが大変でしたが、ここのワークショップの素晴らしいのはプロの俳優とスタッフを使って本格的な撮影ができることだそうです。

 

B 監督は今までそういう経験がないから感激した。

A サンダンスの指導監督の一人キース・ゴードンKeith Gordon、「キャリーは大きな階段を一段登った。彼には飛躍が必要だった。キャリーは鋭い社会意識を組み合わせたヒッチコック流の映画を作れる」とヨイショしてくれた。それが励みになって自分にも商業的に成功可能な映画が作れるのじゃないかと考えたそうです。

B ゴードンとの≪出会い≫が、彼に幸運をもたらしてくれたわけですね。ゴードン監督の第1作『チョコレート・ウォー』1988) は公開されました。

 

A サンダンスはユタ州ですから、危険な国境も貨物列車もない。2005年の夏メキシコに出かけ、貨物列車の屋根にのって中米各地からやってくる不法移民の実態をリサーチした。それが「列車の屋根にのって越境してくる」という本作の1本の柱に決まったわけです。

B 一般のアメリカ人はそういう実態まで知らないでしょう。

A 監督自身も「屋根にのって越境してくることは知らなかったので衝撃を受けた」と。それで自分も列車の体験をしなくちゃと思ったそうです。

 

B それはサンダンスやサンセバスチャン国際映画祭でのインタビューでも話されていた。屋根の上には700人も乗っていたとか、友人たちは尻込みしてしまい自分一人で乗り込んだとか。

A リサーチには短編製作の仲間と出かけた。チアパスのタパチュラで偶然二人のホンジュラス人と出会い、寝起きも一緒のまさにカオスの72時間の旅だったそうです。その体験が盛り込まれていて、自分は下車しようと思えば下車できる身分だが、彼らはそうじゃないともね。

B 唯の冒険旅行でなく生死を賭けた旅ですね。映画にも「乗ってる半分が辿りつけない」というセリフがあった。

 

A シンポに戻ると、マラ・サルバトゥルチャとの接触は苦労の連続だったが、困難だったのは二つのストーリーを一つに纏めることだった。とにかく収集したデータをちゃんとした物語に完成するのが大変だった。中心にキャスパーとセイラ(字幕はカスペルとサイラ)をもってきたのは、アメリカの観客に受け入れやすくするためで、テーマは≪家族の絆≫≪偶然の出会い≫であり、MSの政治的解決がメッセージではない。また自分の祖先も1世紀ぐらい前に移民してきたのだが、だからと言って無制限に門戸開放できないし、現実には移民問題には答がない、という主旨のことを述べました。

 

B 映画は社会的教訓を目指したものではなく、彼らとまったく違う世界にいる観客に何かを感じてもらえたらということかな。不法移民やMS問題は重要ではあるが主眼でないということですか。

A そうはっきり述べたわけではありませんが、私は本作のテーマを「崩壊した家族が出会いによって再生する」というように解釈しました。この映画は一般の人々とはかけ離れた物語ですから。

 

B サイラの父親が故郷に置き去りにした一人娘をアメリカの新しい家族に加えようと再び危険な旅に挑戦するのは、一度はバラバラになってしまった家族を再生させるためです。

A 血の繋がりはありませんが、MSも居場所を失くした人々がつくる≪擬似家族≫です。そしてカスペルとサイラの二人は、列車の屋根で運命的な出会いをする。

B 監督が列車の旅で二人のホンジュラス人と偶然に出会ったことが、サイラの家族をホンジュラス人にしたのかもしれない。

 

A アメリカへの不法移民はメキシコ人とは限らない。常に政治不安と貧困があり、北の楽園を目指す人は後を絶たない。それは暴力的とも言える経済格差の存在、経済格差と言えば聞こえがいいですが、言い換えれば「飽食できる人」と「飢え死に寸前の人」ということです。

B 苦労してアメリカに辿りついても困難が待っている現実を知っていても、自分は成功できるという夢は捨てられない。成功談は語られても、≪Sin nombre≫のまま葬り去られた人は語られない。

A 夢というか希望を持つことの大切さもテーマ。2008年のリーマンショック以降、送金額が減っているそうです。「ホンジュラスの農民の場合は現金収入が少なく、1日約3ドルぐらいで生活している。何といっても差がありすぎます」と監督も語っていました。

 

                        原題Sin nombre      

 

B 原題についての質問はありませんでしたか。マイケル・ホフマンの『恋の闇、愛の光』(1995米英)のパクリかと思ってしまった。

A シルビアさんより邦題は全然違ったタイトルになったと説明がありました。監督からは「最初から考えていたタイトルであること、名前を持っていないということは、人間が悪い状態にあること、最悪の状態にあるときに使う言葉。不法移民のなかには死んだとき名前が分からず無名のまま葬られるし、ギャングでも同じことが起こる。もっとインパクトのある案も出されたが、この題には奥に深い意味が隠されているので改題しないで良かったと思う」主旨のコメントがありました。

B 各国ともシンプルに、そのものズバリのタイトルですが、邦題は少し情緒に流れましたね。

 

A 配給元は監督から褒められたと話してますが。原題には不法移民とMSメンバー両方の無名性が掛けてあります。つまりMSのメンバーは実名ではなく組織内だけで通用する名前で呼ばれる。実名を消してしまって仮名での人生を送っているから、死んだときは同じ「馬の骨」です。生ゴミやガラクタのように捨て去られるシンボルとしてタイトルは付けられたわけです。

B 顔を持たない、アイデンティティー喪失の人間、主人公カスペルの実名はウィリー。ポベダ監督のLa vida locaでも、バンバンとかスパイダーとか全員渾名を使っていた。

 

A ハッピーという名の女性メンバーは、皮肉にも体中蜂の巣になって入院、やっと退院した自宅でボーイフレンドの死を聞かされる。カスペルの弟分ベニートもイニシエーションに合格したあと、痛さと嬉しさで泣き笑いしたので、親分リル・マゴがエル・スマイリーと名付けた。自分で実名が付けられないように、渾名も親分が付けるのかもしれない。

B 擬似家族の結束のためにも、ここだけで通じる名前が必要なのか。実名を捨て去り、体だけでなく顔面にも刺青を入れて組織への忠誠を誓う。ここが自分の本当の家であり、元の家には戻りませんという証明です。

A 戻ろうにも、あれだけ盛大な刺青ではカタギの世界には戻れない。映画の結末は最初から観客に暗示されていますが、それでもスリラーとしての商業性を残し、長編第1作とは思えない出来栄えです。

 

B 監督はリアリティーを求めて、MSメンバーと生活を共にした。

A 二つのMSグループのうち3人のホンモノのメンバーに接触でき、また警察の許可のもと、麻薬密輸で収監されていた人々の取材、グアテマラとメキシコの境界線であるスチアテ河に架けられた梁も見学したそうです。徹底して取材しないと気が済まないタイプの監督です。でもドキュメンタリードラマを撮るには欠かせない作業です。厳しく注文すると、マルタの人格に代表されるように、脚本には強引すぎる筋運びや綻びもあります。

 

                 エドガー・フローレスが発するオーラ

 

B 映画の成功には若い新人3人の演技によるところが大きい。

A レディ・ファーストでいくと、サイラ役のパウリーナ・ガイタンは、9歳のときからTVや映画に出演しているメキシコの女優。Marco KreuzpaintnerTrade2007独米合作)の13歳の少女アドリアナ役で注目された。本作では15歳、主役級はこれが最初。

B ホンジュラス人ではないんですね。

A 監督はサイラ役にはホンジュラスの女性を探していたので、ガイタンにはディアナ・ガルシアが演じたマルタ役を割り振ってシナリオを渡した。ところがガイタンが「サイラ役をやりたい、やれないならこの映画から下りる」と。

 

 
                                            (パウリーナ・ガイタンとエドガー・フローレス)

B サイラの性格そっくりですね。サイラは感じやすい女の子だが強い意志の持ち主。

A 自分に似ていて自分も同じような問題を抱えていたから、どうしてもサイラをやりたかった。役作りには監督に自分の意見もどんどん言って採用してもらったと。

B 当然撮影に入る前に、越境してくる不法移民の実写やレクチャーを受けた。

A 参加者全員が受けた。列車での越境は知らなかったし、実際撮影に入って、監督から「屋根に上れ、今度は下りろ。もう1回やり直し」と檄が飛ぶと、映画じゃなく本当のことのように胸がドキドキした。メキシコ人はアメリカでの同胞のひどい扱いに文句を言ってるが、自分たちも中米からの移民に同じ感情を持っている。それをこの映画が教えてくれたとコメントしてます。

B メキシコでは中米からの越境者を快く思わない人も多く、貧乏人が貧乏人を差別している構図が映画からも窺えました。

 

A カスペル役のエドガー・フローレス、ホンジュラスの首都テグシガルパ生れ。だからメキシコの観客からは「カスペルのアクセントはメキシコ人と全然違う」と文句がでた()

B ホンジュラス人のサイラをメキシコ人のガイタンが演じ、メキシコ人のカスペルをホンジュラス人のフローレスが、ちょうど反対になった。しかし素晴らしい役者、成功のカギは彼が握っています。

A 第1作がホルヘ・ルケJorje LukeProvocacion2000メキシコ)で脇役を演じただけですから、今回のカスペル役は大抜擢です。IMDbを見ると、エンリケ・ロドリゲスのEl cuarto oscuro2008メキシコ)で撮影の手伝いをしている。あるインタビューで「将来の夢は自分で映画を作ること」と話しているのは、あながち夢物語ばかりとは言えないようです。

 

B 未来を諦めた若者と未来を諦めない少女の愛の物語ともいえます。カスペルは17歳にして人生に見切りをつけてしまった若者。MSのメンバーだがグループに違和感を感じている。マルタのいない今、もはや失うべきものは何もない。いつ寝首を掻かれるか分からない恐怖から目を開けたまま眠る。

A そういう複雑な青年の諦観をうまく表現していた。フローレスは「映画に出られるなんて考えたこともなかったが、今では出られたことを神に感謝している。別の人生を演じるという熱中できるものが見つかったから」と。

 

B スマイリー役のクリスティアン・フェレールは、これが本格的な映画デビューです。

A この映画に出演するために猛勉強しなければならなかった。MS関係のドキュメンタリー・ビデオを見せて、歩き方、話し方、仲間同士でやる手のサイン、刺青、殺害方法などを細かく指導したと監督。クリスティアンも「イニシエーションのシーンでは、ほんとに痛くて、でも入会できた喜びを表現しなければならなかったから難しかった」とインタビューに答えてます。ポベダのLa vida locaのフィナーレがそうだったようにイニシエーションは組織存続のための重要儀式です。