セシリア・ロス*Zinebi 映画祭で栄誉賞受賞 ― 2014年12月07日 14:19
★Zinebiとは、バスク自治州最大の都市ビルバオ(ビスカヤ県)で開催される「ビルバオ・ドキュメンタリー&短編国際映画祭」のこと、今回56回目を迎えた老舗の映画祭(11月14日~21日)、主な上映会場はビルバオ最大のアリアガ劇場。州都は正式に存在しないのだが、バスク自治州議会が置かれているのがビトリア(アラバ県)なので、名目上の州都になっている。サンセバスチャン映画祭が開催されるのがギプスコア県、この3県で構成されている。一人あたりの所得はスペインで最も高く、GDPはマドリード州についで第2位、失業率も14.56%(全体の24.6%)と低く、比較的豊かな州である。
★ビルバオは、かつての製鉄業や造船業からの転進を図り、現在は金融業、エネルギー業、鉄道車両などが経済を牽引している。ビルバオ・グッゲンハイム美術館が開館(1997)して、観光都市としても発展、観光客の数では、現在ではリゾート地サンセバスチャンより多い。こういう豊かさが映画祭を支えているのだろう。セシリア・ロス栄誉賞受賞は先月アナウンスされていた。
★セシリア・ロス Cecilia Roth は、1958年、ブエノスアイレス生れのユダヤ系アルゼンチン人。父はユダヤ系ウクライナ人、1930年代にブエノスアイレスに移住した、作家、ジャーナリスト、編集者。母はアルゼンチンのメンドーサ生れ、セファルディの歌手。ミュージシャンのアリアス・ロットは実弟。1976年、軍事独裁政権の弾圧を逃れてスペインに一家で亡命した。私生活では3回結構しているが、現在は独身か。ミュージシャンでシネアストのフィト・パエスと再婚したとき養子をとったが、パエスが引き取ったようだ。スペイン、アルゼンチンで活躍しており、テレビ出演も多く、舞台でも活躍している。

受賞歴:“Martin (Hache)”ゴヤ賞1998主演女優賞・銀のコンドル賞女優賞・ハバナ映画祭女優賞他を受賞、さらにニューヨークのACE (Asociación de Cronistas de Espectaculo)も受賞した。『オール・アバウト・マイ・マザー』ゴヤ賞2000主演女優賞・銀のフォトグラマ賞受賞。“Un lugar en el mundo”銀のコンドル賞女優賞など。
*主なフィルモグラフィー*
1979 Las verdes praderas (緑の大草原)ホセ・ルイス・ガルシ
1980 Arrebato (激情)イバン・スルエタ
1981 Pepi, Luci,
Bom y otras chicas del montón 『ペピ、ルシ、ボン、その他の娘たち』
ペドロ・アルモドバル
1982 Laberinto de pasiones 『セクシリア』P・アルモドバル
1983 Entre tinieblas 『バチ当り修道院の最期』同上
1984 ¿ Qué he hecho yo para merecer esto ? 『グロリアの憂鬱』同上
1988 Las amores de Kafka 『カフカの恋』アルゼンチン=チェコスロバキア
ベダ・ドカンポ・フェイホー
1992 Un lugar en el mundo (世界のある所)アルゼンチン アドルフォ・アリスタライン
1997 Martín (Hache) (マルティン/アチェ)アルゼンチン=西 同上
1999 Todo sobre mi madre 『オール・アバウト・マイ・マザー』P・アルモドバル
2000 Segunda piel 『第二の皮膚』ヘラルド・ベラ(東京国際レズ&ゲイ映画祭上映邦題)
2001 Vidas privadas 『ブエノスアイレスの夜』アルゼンチン=西 フィト・パエス
2002 Hable con ella 『トーク・トゥ・ハー』P・アルモドバル
2002 Kamchatka (カムチャツカ)アルゼンチン=西=伊 マルセロ・ピニェイロ
2003 La hija del caníbal 『カマキリな女』メキシコ=西 アントニオ・セラノ
2005 Padre Nuestro (我らが父)チリ ロドリーゴ・セプルベダ
2008 El nido vacío (空っぽの巣)アルゼンチン=西=仏=伊 ダニエル・ブルマン
2013 Los amantes pasajeros 『アイム・ソー・エキサイテッド』P・アルモドバル
*公開作品と、未公開だが話題作を選んでいます。アルモドバル作品に出演しているので比較的知名度のあるほうかもしれない。『』は公開邦題、()は仮題。
*2008~13に映画出演がないのは、主にアルゼンチンのTVシリーズに出演していたからです。
★スペイン亡命後、早い時期にチャンスを掴んで成功した女優と言える。イバン・スエルタの“Arrebato” の主役に抜擢されたことが幸運を呼び込んだのではないか。スエルタ監督はサンセバスチャン生れ(1943~2009)、父親アントニオ・デ・スルエタは、サンセバスチャン映画祭のディレクターをつとめたシネアスト(1957~60)。長編はたったの2本しか撮っていない。ミュージカル“Un, dos, tres, al escondite inglés”(1969)*と10年後の“Arrebato”(写真下セシリア・ロス)の2作だけです。
*乾英一郎『スペイン映画史』(1992刊)では、『一・二・三・・・隠れんぼ』の邦題がついている。もっと評価されていい監督なのだが、本作については記述がないのが残念である。

★第1作はカンヌ映画祭で上映され話題になったが、本作はカンヌには拒まれた。しかし翌年夏マドリードで公開されるや、カルト映画として熱心なシネマニアやアバンギャルドの研究者たちが大いに興味を示し、民主主義「移行期」のスペイン映画のカリスマ的なイコンとなっており、現在でも海外の映画祭で上映されている。彼はスーパー8ミリの愛好家で、当時、8ミリで短編を撮りまくっていたアルモドバルの短編“El sueño, o la estrella”(1975)の撮影監督をしている。また、グラフィックデザイナーの才能も素晴らしく、アルモドバルの『セクシリア』、『バチ当り~』、『グロリアの憂鬱』、ブニュエルの『ビリディアナ』、『砂漠のシモン』などの映画ポスターを手掛けている。セシリアとアルモドバルの接点は、スエルタ監督かもしれない。
★今回バスクの映画祭で栄誉賞を受けるのは、セシリアにとっても感慨深いものがあるのではなかろうか。「自由がなければ、役者の仕事はできない、それを教えてくれたのがイバン・スルエタでした」と、Zinebi映画祭でも語っていました。

(自由がなければ役者の仕事は成り立たない、と語るセシリア)
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