『デリリオ 歓喜のサルサ』 *ラテンビート2014 ④2014年09月25日 15:07

         チュス・グティエレスの『デリリオ 歓喜のサルサ』

★コロンビア映画ならカンヌ映画祭「批評家週間」ノミネーションのフランコ・ロジィの長編デビュー作Gente de bien”と予想していましたが外れてしまいました(⇒201458に記事UP)。昨年はアンドレス・バイスの『暗殺者と呼ばれた男』『ある殺人者の記録』と2本上映されました。また以前セルバンテス文化センターで特別上映された(213日)リカルド・ガブリエリの『ラ・レクトーラ/読者』が、10月の土曜映画上映会で再上映されます(日本語字幕付)。前回も日本語字幕がアナウンスされていましたが結果は英語でしたので要確認です(⇒2014219に記事UP)。では、サルサ・ショーのメッカ<デリリオ>へ、「ウノ・ドス・トレス・・・」、私たちも「シンコ・セイス・シエテ・・・」と、バモス・ア・バイラール。

 

    Ciudad Delirio

 製作B4-A Films / Film Fatasl / TVE

監督:チュス・グティエレス

脚本:エレナ・マンリケ/チュス・グティエレス

音楽:タオ・グティエレス

撮影:ディエゴ・ヒメネス 


キャスト:カロリナ・ラミレス(アンジー)、フリアン・ビリャグラン(ハビエル)、イングリッド・ルビオ(パロマ)、ホルヘ・エレーラ(バソ・デ・レイチェ)、ジョン・アレックス・カステリ、ミゲル・ラミロ、他

 

データ:コロンビア≂スペイン、スペイン語、コメディ、2014100分、

撮影地:カリ/バジェ・デル・カウカ、公開:コロンビア411日、スペイン95

モントリオール映画祭2014822日上映)、釜山映画祭2014104日上映)、他

 

解説:スペイン人の医師ハビエルは、仕事で訪れたコロンビアのカリでサルサスクールのオーナーであるアンジーに心奪われる。彼女は世界で最も有名なサルサショー「デリリオ」のオーディションに挑むべく生徒たちと日夜練習に励んでいた。決して交わることのなかった二つの人生が再び交差したとき、誰もが踊る街が愛と情熱に染まる!振付は明和電機とのコラボ「ROBOT!」等、世界的に活躍するスペイン人コレオグラファー、ブランカ・リーが手掛けた。 (LB公式サイトから)

 

★コロンビアと言ったらパブロ・エスコバル率いる麻薬密売組織メデジン・カルテル、首領亡き後壊滅したメデジンにとって代わって台頭したカリ・カルテルをイメージするでしょうか。それはひと昔ふた昔のハナシ、今ではサルサ・ショーのメッカはサンチャゴ・デ・カリだと言うではありませんか。でもテロリストに土地を奪われコロンビアじゅうを放浪しつづけている国内難民500万人(ONUデータ、ケタ間違っていません)、更に裁判報告書によれば、2013年コロンビアで殺害された人は14000人に上ると聞けば、依然、暴力によって簡単に命を失う危険な国の一つであることに変わりありません。

 

★コロンビアは「エストラート」と言われる階級社会で、納めた税金の額でエストラート「1から6」までの階層がある。その数字は表向きで、実際は「10以上」に分断されているという。つまり「1」にも含まれない「0」があり、お金と権力を持つ一握りの「56」も、5-、5+、6-、6+と分かれていると言うわけです。サルサ・ショー観覧には「56」階層は以前ならバカにして行かなかったが、今では特別席を設えて見に来るという。「3以下0」はいわゆる平土間で見る。コロンビアで封切られた初日には、多くの観客が鑑賞を断念したという。「もう大騒ぎだったのよ、夜のチケットをゲットするのに昼間から行列しなければならなかったんだから」、過熱していることは本当のようです。

 

★本作は昨年のコロンビアへの旅から始まったとグティエレス監督、入念なリサーチをもとに物語は構成されている(2013824日クランクイン)。内気で口数の少ないスペイン人医師ハビエルとサルサのダンサー兼振付師のコロンビア女性アンジーのロマンティック・コメディ(内気で口数の少ないスペイン男性もいるんですね)。しかしバックボーンには異なった二つの文化や価値観の違いを描くアカデミックな物語でもあるようです。それが監督の持ち味、以下の経歴をみれば頷けるはずです。 


  監督キャリア&フィルモグラフィー

チュス・グティエレス Chus Gutiérrez (本名 María Jesús Gutiérrez)は、1962年グラナダ生れ、監督、脚本家、女優。本名よりチュス・グティエレスで親しまれている。8歳のとき家族でマドリードに移転、197917歳のときロンドンに英語留学、帰国後映像の世界で働いていたが、1983年本格的に映画を学ぶためにニューヨークへ留学し、グローバル・ビレッジ研究センターの授業に出席、フレッド・バーニー・タイラーの指導のもと、スーパー8ミリで短編を撮る(“Porro on the Roof1984、他2篇)、1985年、シティ・カレッジに入学、1986年、最初の16ミリ短編“Mery Go Roundo”を撮る。ニューヨク滞在中にはブランカ・リー、クリスティナ・エルナンデス、同じニューヨークでパーカッション、電子音楽、作曲を学んでいた弟タオ・グティエレスと一緒に音楽グループ“Xoxonees”を立ち上げるなどした。2007年には、CIMAAsociacion de Mujeres de Cine y Medios Audiovisuales)の設立に尽力した。これは映画産業に携わる女性シネアストたちの平等と多様性を求める連合、現在300名以上の会員が参加している。

  


1987年帰国、長編デビュー作となるSublet91)を撮る。まだ女優だけだったイシアル・ボリャインを主人公に、製作は昨年初来日したフェルナンド・トゥルエバ夫人のクリスティナ・ウエテが手掛けた。『ベルエポック』『チコとリタ』『ふたりのアトリエ』ほか、今年梅田会場から上映される義弟ダビ・トゥルエバの『Living Is Easy with Eyes Closed』も当然製作しているベテラン・プロデューサー。カディスのアルカンセス映画祭1992金賞、バレンシア映画祭1993作品賞、1993シネマ・ライターズ・サークル賞(スペイン)、ゴヤ賞1993では新人監督賞にノミネートされた。イシアル・ボリャインもムルシア・スペイン・シネマ1993が、ベスト女優賞になる「フランシスコ・ラバル賞」を受賞した。

 

2Alma gitana96)は、プロのダンサーになるのが夢の若者がヒターノの女性と恋におちるストーリー、新作『デリリオ』と同じような二つの文化の衝突あるいは相違がテーマとして流れている。他に代表作としてEl Calentito05)も高い評価を受けた。ベロニカ・サンチェスを主役にしたコメディ、モンテカルロ・コメディ映画祭2005で作品賞他受賞、マラガ映画祭2005ジャスミン賞ノミネート、トゥールーズ映画祭でタオ・グティエレスが作曲賞を受賞した。なお彼は姉の全作品にわたって音楽を担当している。


(グティエレス姉弟)

 

 
最も高い評価を受けたのが7作目となるRetorno a Hansala(“Return to Hansala08)、当時、実際に起きていた事件に着想を得て作られた。海が大荒れだった翌日、カディスのロタ海岸にはモロッコからの若者11名の遺体が流れ着いた。服装からサハラのハンサラ村の出身であることが分かる。既に移民していたリデアはその一人が弟のラシッドであることを知る。リデアは葬儀社のオーナーと遺体を埋葬するため故郷に向かう。これは異なった二つの社会、価値観、言語の違いを超えて理解は可能か、また若者を送りだしてしまうイスラム共同体の誇りについての映画でもある。

バジャドリード映画祭審査員特別賞/カイロ映画祭2008作品賞「ゴールデン・ピラミッド賞」・国際批評家連盟賞を受賞/トゥールーズ映画祭脚本賞を受賞/グアダラハラ映画祭監督・脚本賞など受賞。ゴヤ賞2009ではオリジナル脚本賞にノミネートされた。

 

 

  キャスト紹介

カロリナ・ラミレス Carolina Ramírez は、1983年サンチャゴ・デ・カリ生れの31歳。最初舞踊家を志していたが、その才能にも拘わらず舞踊家としての必要条件不足で演技者に転向した。テレビ初出演は土曜と日曜の午前ちゅう放映の子供番組にレギュラー出演する。テレノベラ“La hija del mariachi”(2006~08)の成功で、テレノベラのヒロインになる。2010年、歴史上の殉教者Policarpa Salavarrieta 愛称ラ・ポーラに題材を取った“La Pola”が大成功、コロンビアで最も愛されるスターとなった。映画デビューは、“Soñar no cuesta nada”(06)、本作が第2作目、主役のアンジー役を射止めた。他に演劇にも出演と幅広く活躍中。

 
アンジーには、コロンビアではもう伝説的なコレオグラファーになっているビビアナ・バルガスが投影されているようです。2005年ラスベガスで開催された「サルサ世界チャンピオン大会」や「ワールド・ラテン・ダンス・カップ」の優勝者、サルサ学校「Stilo y Sabor」のオーナー兼振付師です。『デリリオ』で描かれたようなレッスン風景は、ここがモデルの一つとか。街のクラブで踊られるサルサと違って、人生を変える目的でサルサを習いに来る、サルサ・ショー出演のためのダンス学校です。

(アンジーとハビエル)

                                 

 

フリアン・ビリャグラン Fulian Villagran は、1973年カディス生れの41歳。ラテンビート2006上映のアルベルト・ロドリゲスの『7人のバージン』、同2007年のダニエル・サンチェス・アレバロの『漆黒のような深い青』で既にラテンビートに登場していますが、脇役なので印象に残らなかったかも。1997年のフランセスク・ベトリウの“La Duquesa Roja”で映画デビュー、チキ・カラバンテの“Carlos contra el mundo”(02)で初の主役、ムルシア映画祭2003で金賞の「フランシスコ・ラバル賞」を受賞、本作はほかに監督賞など受賞している。

最近では、アルベルト・ロドリゲスの“Grupo 7”(12)でゴヤ賞 2013 助演男優賞受賞、シネマ・ライターズ・サークル賞 2013(スペイン)助演男優賞、スペイン俳優連盟賞 2013 助演男優賞を受賞している。他にフェリックス・ビスカレットの“Bajo las estrellas”(07)でゴヤ賞 2008 助演男優賞、シネマ・ライターズ・サークル賞2008 助演男優賞、スペイン俳優連盟賞にノミネートされている。

 

★内気で控えめな医師ハビエルは、医学会議に出向いたカリで、偶然出会ったアンジーと魅惑の一夜を過ごす。マドリードに戻ったが彼女が頭から離れず仕事が手につかない。カリで医師として働いている親友パロマを頼って、一定期間カリで仕事をしようと決心する。このパロマ役がイングリッド・ルビオ1975年バルセロナ生れ)です。テレビで活躍中、その演技力、歌唱力、モダンバレエの実力がカルロス・サウラの目にとまり『タクシー』(96)で長編デビューしました。「スペイン映画祭1997」で来日しています。脇役だから簡単に紹介すると、他にマヌエル・ウエルガの『サルバドールの朝』(06、翌年公開)にも彼の妹役で出演しています。フランコ末期、最後のガローテ刑で処刑された実在のアナーキスト、プッチ・アンティックの伝記映画。その残酷性ゆえにバチカンからも非難声明が出されたという。

 

      

           (左から、フリアン・ビリャグラン、監督、イングリッド・ルビオ)

 

ラテンビート2014(新宿バルト9上映日時:101118301321002回)