(続)マヌエル・マルティン・クエンカの『不遇』2014年07月02日 14:27

★セルバンテス文化センターで『不遇』(Malas temporadas)の「上映とトーク」があり参加しました(627日)。改めて見直してみると見落としが多いこと、前回(611日)レオノール・ワトリング扮するラウラの夫ファブレについての記述が少なかったこと、狂言回しの<マリアーノ>に触れなかったこと、テーマも絞らなかったので少し追加いたします。

 

   

★前回触れなかったファブレの立ち位置、結構重要だったマリアーノ、マドリードに押し寄せるラテンアメリカ、旧ソ連邦、アフリカからの移民問題、上映会ではそこに焦点を当てて見てきました。まず、マリアーノはマリアーノ・ロドリゲス(ハバナ1912~90)、シュルレアリスモ、フォービスム(野獣派)の画を描いたキューバの画家でしょうか。ホセ・マリアーノ・マヌエル・ロドリゲス≂アルバレスと長たらしく単に<マリアーノ>で通っていました。雄鶏を好んで描いた画家で豊かな色彩が特徴です。映画のなかではファブレの母親の肖像画を描いたことになっていて、それがちらりと映る。ここはフィクションですが、もしかしたらモデルになるような女性がいたのかもしれない。

  

           

         (好んで雄鶏を描いたマリアーノ・ロドリゲスの作品

 

★本作にはルネ・ポルトカレロ(ハバナ1912~85)という画家も1回だけファブレとカルロスの会話のなかに出てきます。彼は「20世紀のキューバの画家」といえば必ず言及される人。翻訳が待たれながら難解を理由に主著さえ訳されていない詩人ホセ・レサマ=リマとも友人関係にあり、彼を中心にした詩誌『オリヘネス』のグループの詩人たちと繋がっていた。キューバを離れずハバナで亡くなりましたが、あのキューバでカミングアウトしていたというから自他共に許す実力者だったのでしょう。「ポルトカレロの絵画をメキシコの収集家が入手して自分のギャラリー・リストに入れている」とカルロスに言わせている。これはキューバの文化財の海外流失が始まっていたことを暗示しているのだろうか。共同脚本家アレハンドロ・エルナンデスがキューバ人、ファブレ役のフェルナンド・エチェバリアもキューバの俳優で、最初デザインや絵画を学んでいたから、こういう事情に詳しいと考えられ信憑性がありそう。マリアーノとポルトカレロの二人はハバナのサン・アレハンドロ造形芸術学校 Escuela de Artes Plásticas de La Habana San Alejandro共に学んでいる友人でした。

   

             

        (バロック風の色彩豊かな絵を描いたポルトカレロの作品

 

★映画では、上述したようにマリアーノはファブレの母親の肖像画を描いたことになっている。ファブレは「マリアーノは仕上げに2ヵ月かけ、母は1日4時間も同じポーズをとらされた」とカルロスに説明する。ここで母親の写真と画が映り、ファブレが保証が失効しているマリアーノの絵画を欲しがる理由が単なる収集目的でないことが鮮明になる。さらにあの革命で持てる財産を「コミュニストたちに没収された」こと、その中にはマリアーノの絵画も含まれていたことなどが分かってくる。「仮に美術館に展示するとしても、誰も個人蔵の絵画を没収すべきでない」とファブレは語気鋭く言う。カルロスは無言で聞いている。

 

カルロス、贋作される愛と友人関係

★ファブレが亡命キューバ人カルロスと繋がるのは、合法非合法を問わず絵画ビジネスを通してです。ファブレはカルロスがマリアーノの画の話を持ち出したことで急接近してきたようで入手を依頼する。「私は君が取り返してくれるという言葉を信じている。それに私たちはビジネス抜きで既に友人だ」とファブレは言うが、カルロスは単にビジネスだけで繋がり、友人らしく振る舞うのは贋作です。ファブレが欲しがっているマリアーノの画は、保証がほとんど失効しているから危険なしろもの、それでキューバにいて入手を画策しているカルロスの兄弟に危険が迫っていることも分かってくる。

 

★冒頭の密輸品らしい葉巻の受け渡しシーンで「マリアーノはどうなっている」というカルロスのセリフがのっけから飛び出した理由が、ここで初めてわかる。冒頭シーンの「これはちゃんと保証済みだ」という物品が絵画であることは分からないので、この段階でマリアーノの正体を推測できる観客は多くないと思う。分かるのはカルロスがファブレに物品を届けるシーンまで待たねばならない。それはファブレの待ち焦がれていたマリアーノの画ではないから、ここでもファブレが「マリアーノはどうなっている」と尋ねるわけです。「現在、画は貸出中で美術館に戻ってくるまで埒があかない」と、カルロスは今回も入手できなかった理由を説明する。

 

 
    (愛のない夫婦、ファブレとラウラ)

★ファブレはリッチでインテリジェンス豊かな男ではあるが、事故前のラウラの過去の幻影を追い求め、無償の愛を捧げるが愛は得られない。子供の父親になることもラウラに拒絶される。一年前からいわゆるコキュなのを友人だと信じていたカルロス本人から告白されるまで気がつかない。ラウラはカルロスが自分を求めていると思いたいがカルロスはラウラを愛していない、カルロスが愛を贋作するのは亡命地マドリードで生き延びるためである。ラウラはそれを心に刻みつけてこれからを生きるしかない。電話の声でしか登場しないマイアミ在住のルイサが飛行学校の教師の仕事があると知らせてくる。カルロスはそれにすがるが事実かどう怪しい、元恋人らしいルイサはカルロスを呼び戻したいだけかもしれない。三角四角のただ不毛の愛が存在しているだけだが、カルロスは片道切符でマイアミに発つしかない。

 

★アナを中心に展開しているように見えるが、カルロスの存在なくしてアナ=ゴンサロ母子とミケルは出会えないし、ファブレとラウラとの三角関係も成立しない、いわばカルロスは登場人物の接着剤的存在と言っていい。ミケルと同房だったパスクアルを含めて、すべての登場人物と接触するのはカルロス一人であり、ここらへんに共同脚本家アレハンドロ・エルナンデスの思い入れが感じられる

 

光を見つけるアナ母子、ミケルの再生

★この映画は登場人物を取りまく現実を裁こうとしているわけではない。ヨーロッパに押し寄せる難民問題とか、チェチェン紛争とか、スーダンのダルフールにおける民族浄化とか、革命の後遺症とか、21世紀初頭の世界の暴力が出てくるが、もっと個人が抱え込んでいる小さな問題を私たちに引き寄せて描こうとしている。それは誰でも多少はもっている自己欺瞞であり、<不遇>から抜け出すには過去に拘って止まっていてはいけないのに、それぞれ袋小路に入ってしまっている。人生はいつも順風満帆とはいかない、いい時もあれば悪い時もある、しかし生きるに値するのが人生だ、ちょっと止まって自分の心の声に耳を傾けたら別の道が開けることだってあるんだ。セカンド・チャンスは必ずあるよ、そういうメッセージを私たちに届けたかったんだと思う。

 

 
                        (不登校を決心するゴンサロ)

★アナは最初、息子ゴンサロの不登校(日本の引きこもりとは違う)を受け入れられない、君の仕事は勉強だ、私は忙しいのに食事を作り君のために一生懸命に難民救済の仕事をしている。なのにどうして? 現実に向き合わなくてすむように自室に閉じこもる息子に寄り添えない。これを契機にして仕事は行き詰る。担当しているイブラムの弟のロンドンでの死亡、ロシアからの移民オルガは無実の罪で収監されている息子ニコライを助けて欲しい、しかし彼は7人のレイプと4人殺害の罪で服役していた。アナは嘘をつかれていたと逆上するが、オルガは政府や軍部のデッチ上げで事実ではない。第二次チェチェン紛争の真っただ中、罪を贋作しているのは母親か権力者か映画は語らない。ただ「息子を助けるのは母親しかいない」というオルガの一言にアナは絶句する。そうゴンサロを救い出せるのは自分しかいない。

 

 (光が見えないアナ)

 

  
★ミケルも難民の一人なんだと思う。6年間の服役で塀の外の「正常な世界」の規範が分からなくなっている。かつてはチェスの王者、何度も世界チャンピオンになったカルポフ**とも打ち合ったことがあるほど輝いていた。今の自分の<不遇>を他人のせいにしているが、ゴンサロを救うために教え始めたチェスが、結局自分を救うことになる。弱者が弱者を共に救いだすというパラドックス。ゴンサロから「どうして刑務所に入っていたの」と訊かれて、「今は何の罪でかは重要じゃない」と答える。ミケルの再生が予告されてメロドラマは終わる。

 

ファブレ役のフェルナンド・エチェバリアは、キューバのオルギン生れ、映画・舞台俳優のほか、芸術大学ISAInstituto Superior de Arte)演劇学部で演技指導の教師をしている。生年がはっきりしないが2010年に53歳という記述を信用するなら逆算して革命前の1957年ごろと思われる。1972年、オルギンの州立造形芸術学校でデザイン、絵画、彫刻などを学び始める。1976年、国立芸術学校の演技科を専攻、卒業。カルロス・ゴメス率いる Compañía de Teatro El Público に参加、チェーホフの『かもめ』、シェイクスピアの『リア王』、ロルカの『観客』に出演(197894)、映画デビューはマヌエル・オクタビオ・ゴメスのLa tierra y el cielo1973)。代表作にルイス・オリベロスPata negra2000、西≂キューバ)、ダニエル・ディアス・トーレスCamino de edén2006)、テレドラ出演など。因みにパスポート偽造で荒稼ぎしているレオポルド(レオ)はオルギン生れに設定されていた。「1万ユーロだが同じキューバ人だから8000でいい」など逞しいキューバ人。

  


**アナトリー・カルポフ1951~)はロシア(旧ソ連邦)ズラトウース生れの世界チャンピオン(1975859398)。本作では実名で登場する人物として他にヴァーツラフ・ハヴェル1936~2011)がいる。日本にも来日したことのあるチェコスロヴァキアの最後の大統領にして、 チェコ共和国初代大統領。戯曲家でもあって、「カフカ賞」や「アストゥリアス皇太子賞(コミュニケーションと人文科学)」(1997)を受賞している。

 

★監督は本作の前にドキュメンタリーを撮りたかったが、製作者を説得させられなかったという。2001年の「911」アメリカ同時多発テロで幕開けした21世紀、第二次チェチェン紛争(19992009)、スーダンのダルフールにおける民族浄化(2003)などをさりげなく取り入れているのは、クエンカ監督の意思のようだ。カルロスに「パイロットだが、オレンジ農園の散布が仕事で軍隊ではない」、やましい気持ちがあるので「ビルには突っ込まないよ」と冗談言って、却って係官の不信を買ってしまう。盛り沢山の印象も受けるが、画面構成の巧みさ、沈黙と視線の重要性は、新作『カニバル』にも通底している。