アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、黒澤明賞*東京国際映画祭2022 ⑦ ― 2022年11月01日 11:47
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ――黒澤明賞受賞と記者会見
(黒澤明賞のトロフィーを手にしたアレハンドロ・G・イニャリトゥ)
★10月29日、14年ぶりに復活した「黒澤明賞」の授賞式が帝国ホテルであり、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥと深田晃司の両監督が受賞しました。当ブログ関連記事として前者イニャリトゥ監督の記者会見(YouTube)も合わせてアップしておきます。TIFFに詳しい記事が掲載されております。
★イニャリトゥ監督のキャリア&フィルモグラフィーは既に紹介済みなので割愛します。当映画祭との関りは、デビュー作『アモーレス・ぺロス』(99)が第13回TIFF 2000でグランプリ & 監督賞の2冠を制したときから始まった。まだ本部が渋谷のオーチャードホールにあった頃、映画館から観客の足が遠のき始め映画祭も深刻な岐路に立たされていた時代でした。幸運だったのは既にカンヌ映画祭併催の「批評家週間」でグランプリを受賞、下馬評でも先頭を走っていたから、ほぼ予想通りの受賞でした。第1話の主役、期待のガエル・ガルシア・ベルナルの来日はなかったものの、第3話の主役エミリオ・エチェバリアを迎えることができた。審査委員長が『ブリキの太鼓』(79)でパルムドールを受賞したフォルカー・シュレンドルフだったことも幸いしたかもしれない。2009年には、今度は自らがコンペティション部門の審査委員長を務めるために来日した。
★記者会見の監督によると、黒澤映画では『羅生門』は『アモーレス・ぺロス』に、『生きる』は『BIUTIFUL ビューティフル』に、『七人の侍』『乱』は『レヴェナント 蘇えりし者』に大きな影響を与えたと語っていた。詳しくはTIFFのイベントレポート、トーク(45分)がアップされている。
(黒澤監督〈愛〉を熱弁するアレハンドロ・G・イニャリトゥ)
★ガラ・セレクション上映となった『バルド、偽りの記録と一握りの真実』は、第79回ベネチア映画祭のコンペティション部門にノミネートされたほか、第70回サンセバスチャン映画祭ペルラス部門、第20回の節目をむかえたモレリア映画祭(10月22日~29日)のオープニング作品に選ばれている。それぞれ合間をぬって監督以下キャスト&スタッフが現地を訪れている。監督は日程がTIFFと重なっていたモレリアFFのオープニングを済まして東京入りしたようです。
*『バルド、偽りの記録と一握りの真実』の作品紹介は、コチラ⇒2022年09月08日
(監督、ヒメネス・カチョ以下出演者と。サンセバスチャン映画祭2022)
★自伝的な要素を含む最新作のタイトルに使用したバルドは、「チベット仏教用語で自分のアイデンティティの置き場がない」という意味の由、また「バイオグラフィというものを信用していない、嘘や偽善的な内容が含まれていたりして、結局、真実とは何かという問いになる」。また「記憶には真実が抜け落ちるからだ」と、もっともな返答でした。記憶は当てになりません、記憶しておきたくないものは忘れる、または別の話に塗り替えてしまうということでしょう。「フィクションにすることで真実をより昇華でき、高みに持っていけるし、隠れているものを炙り出せる。現実と空想の垣根を漂う作品であり、内省的な作品になった」と語っている。
★製作で大切なことは「キャスティングを間違えないこと、形容詞ではなく動詞で考えること、俳優と共通言語をもつこと」と答えていました。また観客へのサジェスチョンには、「個人的な視点で撮っていますが、普遍的なテーマ、例えば父性、喪失感、愛、不確実性を描いていて、これはワカモレ*のような映画です」ということでした。「メキシコと日本は遠く離れていますが、私は日本文化、文学や音楽に親近感をもっていて、坂本龍一さんの音楽は私の人生のサウンドトラックのようなものです。『レヴェナント』で仕事ができて光栄に思いました」と。文学では松尾芭蕉、三島由紀夫、村上春樹、監督では小津、溝口、エトセトラ、の名を挙げていました。
*ワカモレはアボカドをメインに唐辛子、トマト、タマネギ、コリアンダーに塩レモンを加えて作られたメキシコ料理のサルサの一種、トルティーヤチップスと一緒に食べることが多く、語源はナワトル語でワカ(アボカド)モレ(ソース)。
★ワカモレ映画『バルド、偽りの記録と一握りの真実』は、劇場公開後、12月16日からNetflixで配信が開始されます。
『ザ・ビースト』が東京グランプリ他3冠*東京国際映画祭2022 ⑧ ― 2022年11月03日 20:47
東京グランプリにロドリゴ・ソロゴジェンの『ザ・ビースト』
★11月2日、第35回東京国際映画祭2022の授賞式が東京国際フォーラムでありました。ロドリゴ・ソロゴジェン(TIFF表記ソロゴイェン)の『ザ・ビースト』(西仏合作)が東京グランプリ/東京都知事賞・監督賞・男優賞(ドゥニ・メノーシェ)の3冠を受賞しました。他にスペイン語映画では、チリのマヌエラ・マルテッリのデビュー作『1976』に主演したアリネ・クッペンハイム(TIFF表記アリン・クーペンヘイム)が女優賞を受賞するなどした。コンペティション部門の受賞結果は以下の通り(タイトル、主製作国、監督など)、プレゼンターは各審査員。
◎東京グランプリ/東京都知事賞:『ザ・ビースト』(スペイン)、ロドリゴ・ソロゴジェン
監督欠席につきラテンビートFFプログラミング・ディレクターのアルベルト・カレロ・ルゴ氏が代理で受け取り、監督はビデオメッセージで挨拶、プレゼンターはジュリー・テイモア審査委員長、小池百合子都知事の両氏。
(小池都知事、カレロ・ルゴ氏、テイモア審査委員長)
◎審査員特別賞:『第三次世界大戦』(イラン)、ホウマン・セイエディ
監督欠席につき主演者マーサ・ヘジャーズィが代理で受け取り、プレゼンターはマリークリスティーヌ・ドゥ・ナヴァセル審査員。
(マーサ・ヘジャーズィ)
◎監督賞:ロドリゴ・ソロゴジェン『ザ・ビースト』、トロフィー授与は割愛、プレゼンターはジョアン・ペドロ・ロドリゲス審査員。
◎男優賞:ドゥニ・メノーシェ『ザ・ビースト』、欠席につきモントリオールからビデオメッセージ、トロフィー授与は割愛、プレゼンターはシム・ウンギョン審査員。
◎女優賞:アリネ・クッペンハイム『1976』(チリ)、欠席につきマヌエラ・マルテッリ監督が受け取り、受賞スピーチをした。クッペンハイムはサンティアゴからビデオメッセージ、プレゼンターは同上。
(シム・ウンギョン審査員、マヌエラ・マルテッリ監督)
◎芸術貢献賞:『孔雀の嘆き』(スリランカ)、サンジーワ・プシュパクマーラ監督、プレゼンターは柳島克己審査員。
◎観客賞:『窓辺にて』(日本)今泉力哉監督、プレゼンターは同上。
★以上がコンペティション部門7カテゴリーの受賞結果でした。応援していたわけではありませんが、カルロス・ベルムトの4作目『マンティコア』は残念でした。最後にクロージング作品、黒澤明の名作『生きる』の舞台を第二次世界大戦後のイギリスに移した『生きる LIVING』(主演ビル・ナイ)の監督オリヴァー・ハーマナスと、脚本を執筆したノーベル賞作家のカズオ・イシグロが〈黒澤愛〉を熱く語って終幕した。
★スペイン語映画のブロガーとして『ザ・ビースト』の3冠受賞が嬉しくないはずはありませんが、新進監督の発掘を掲げて始まった映画祭の作品賞が、カンヌ映画祭を皮切りに国際映画祭巡りをして受賞歴のある作品だったことに若干危惧を覚えました。当初の長編3作目までという決りも曖昧になっております。監督はデビュー当時の共同監督2作を含めると6作撮っており、TVシリーズのヒット作を多数手掛け、本国スペインではベテラン監督とまでは言いませんが新人枠ではありません。今回監督の代わりに来日したルイス・サエラがインタビューで「以前はアルモドバル映画に出たがりましたが、今はソロゴジェンです」と応じていた。これはちょっと大袈裟ですが話半分としても人気監督であることは確かです。話題作となった第2作「Stockholm」は、およそ10年前の2013年作品、3作目『ゴッド・セイブ・アス』(16)、5作目『おもかげ』(19)も公開されており、新進監督とは言い難い。
(男優賞受賞のドゥニ・メノーシェ、マリーナ・フォイス、『ザ・ビースト』から)
★映画賞ではなく映画祭賞は、個人的にはカンヌFFのように「1作1賞を基本とすべし」と考えています。とにかく観客賞を入れても7カテゴリーしかないのですから、審査委員長が「心理スリラーの傑作」と最大級の賞賛をしても3冠では引けてしまいます。しかし審査以前の作品選考に問題があるのかもしれません。スペイン語映画のグランプリは1998年のアメナバルの『オープン・ユア・アイズ』、2004年のフアン・パブロ・レベージャ他の『ウィスキー』(ウルグアイ)、どちらも長編2作目でした。大きな国際映画祭が終わった10月末開催の映画祭として不利であることを承知しつつも、新人発掘の更なる努力を期待したい。
マヌエラ・マルテッリ『1976』Q&A*東京国際映画祭2022 ⑨ ― 2022年11月06日 16:21
「母方の祖母が49歳で亡くなった年が1976年でした」
(マヌエラ・マルテッリ監督、10月28日 Q&Aにて)
★東京国際映画祭は終幕しましたが、10月28日にマヌエラ・マルテッリ監督が参加して行われた『1976』Q&Aをアップいたします。司会は市山尚三プログラミング・ディレクター、言語は英語、約30分で、翌日YouTubeで配信されました。主役カルメンを演じたアリネ・クッペンハイムが女優賞を受賞するオマケも付いたので、最後にキャリアご紹介も付します。
★タイトルとなった〈1976年〉は、監督の「母方の祖母が亡くなった年に因んでいる」と語りました。この発言には重要な意味があったのですが、Q&Aではこれ以上踏み込まなかった。「もう一つの9.11」と称されるチリの軍事クーデタが勃発したのは1973年9月11日でした。1976年は選挙で選ばれた初めての社会主義政権と言われるアジェンデ政権がピノチェト将軍指揮する軍隊によってあえなく崩壊した年ではなかった。3年目となる1976年も多くの民間人の血が流された年ではありましたが、なぜ監督が1976年に拘ったのか、それは母方の祖母が49歳の若さで自死したことでした。
★作品紹介でも触れましたが、1983年生れの監督は祖母には会ったことがない。絵画や彫刻を制作して、主婦だけで終わりたくなかった祖母は、主人公カルメンの造形に投影されている。本作の原動力になったのが、正にこの祖母の自死にあったからでした。長いあいだ家族間で祖母の死について語ることは禁じられていましたが、10年前に重い鬱だけが原因でなかったことを知り、突き動かされるように自国の現代史を調べ始めたという、つまり本作の構想は10年前に遡るということです。クランクイン直前にパンデミックで中断、1年待たねばならず、再開しても制限の多いなかでの撮影を強いられた。これは彼女に限ったことではありませんが、コロナは世界を変えてしまいました。幸運にも完成前にカンヌから選考の報をうけ、その後のプロセスは大車輪だった。
*『1976』の作品&監督キャリア紹介の記事は、コチラ⇒2022年09月13日
★印象に残ったのは会場から色と音楽に対する拘りを指摘する質問があったことでした。「とても良い質問です」と嬉しそうに前置きして、「赤色は血をイメージし、独裁政権の影が次第にカルメンの日常を塗り替えていくイメージ、外から聞こえてくる音や音楽は、外部からの浸食であり、色と音楽の両方が外の世界の恐怖、カルメンの気持ちの変化を表現している」と語った。これが成功しているかどうかは評価の分かれるところですが、20年近くに及んだピノチェト軍事独裁政権の恐怖を知らない観客には分かりにくかったかもしれません。
★監督は大学では、演技のほかに美術も専攻しており、以前「将来的に女優を続けるかどうか分からない、絵の道に進むかもしれない」と語っていたが、一つに祖母の影響があったのかもしれない。その頃から監督になることを視野に入れて演技していたという。「女優としてさまざまな監督を観察しながら演技してきたので、今回の監督デビューは自然な成り行きだった」とチリのインタビューに応えている。チリ・プレミアは首都サンティアゴから南方850キロ離れたバルディビア映画祭(開催10月10日~16日)で、その後劇場公開となっている。
★Q&Aで本国チリでの評価を尋ねられた監督は、「観客の評価はよく、観客はちりばめられたエピソードにそれぞれ反応している。それは2019年の反政府デモをきっかけにした憲法改正の動きがあり、結果的に新憲法は否決されたが、それを残念に思っている人に受け入れられている」と応じていた。10月19日、150万人の民衆がサンティアゴの街頭に繰り出し、経済格差是正、自由の制限、憲法改正を迫ってデモ行進が行われた。この反政府デモについてのドキュメンタリーを撮ったのが、サンセバスチャン映画祭2022ホライズンズ・ラティノ部門のオープニング作品に選ばれたパトリシオ・グスマンのドキュメンタリー「Mi país imaginario」(22)でした。現在はパリ在住ですが、故国チリの現代史を問い続けているドキュメンタリー作家です。当ブログでは「チリ三部作」と称される『光のノスタルジア』『真珠のボタン』『夢のアンデス』を紹介しています。
*「Mi país imaginario」の作品紹介は、コチラ⇒2022年08月22日
★Q&Aは内容的に充実していたとは言い難いのですが、メディア向け撮影を入れた30分では質問者の数も限られ、監督も自分の母語でなかったこともあるのか隔靴掻痒だったに違いない。最後にコロナ感染で危機に苦しんでいる映画界に触れ、「映画館に足を運んでください」と、映画を映画館で観る楽しさを取り戻してほしいと強調しました。勿論、映画を見る媒体は複数あってかまわないのですが、映画とTVドラマは違うはずです。
★チリ映画界の現状は厳しく、監督が映画界入りした2001年に製作された本数は10本だった。その95%は特権的な男性監督によるものです。現在では映画法も制定され4倍に増えていますが、申請倍率も高くアクセス事態が難しいということです。申請は1年1回に限定され、落選すればもう1年待たねばならない。チリは文化活動に資金を使いたくないのが伝統というお国柄、『1976』で「私は忍耐力を養いました」と監督。どんなに素晴らしい映画でも「観られなければ意味がない」とも語っています。既に次回作の準備に取りかかっており、90年代のチリが舞台、デビュー作に繋がっているということです。
★去る9月28日、第37回ゴヤ賞2023(2月11日)イベロアメリカ映画賞のチリ代表作品に選ばれました。監督は「代表作品に選ばれ光栄です。選んでくださった270人のチリ映画アカデミー会員に感謝いたします」とコメントしています。4作に絞られる正式ノミネーションを待たねばなりませんが、候補としてアルゼンチン代表「Argentina, 1985」(サンティアゴ・ミトレ)、コロンビア代表『ラ・ハウリア』(アンドレス・ラミレス・プリド)、ポルトガル代表「Nothing Ever Happened」(ゴンサロ・ガルバン・テレス)、ボリビア=ウルグアイ合作の『Utama~私たちの家~』(アレハンドロ・ロアイサ・グリシ、邦題はSKIPシティ国際Dシネマ映画祭 SKIP CITY IDCF による)などが候補に上がっています。いずれも強敵ですが残れるでしょうか。ポルトガル映画以外は既にご紹介しています。
★アリネ・クッペンハイム紹介:1969年バルセロナ生れ、父親はフランス人、母親はチリ人、共に手工芸家、両親の仕事の関係で幼少期はヨーロッパ諸国を転々とした。チリに戻ったのは1980年代初頭、サンティアゴ市北部の地方自治体ラス・コンデスの高校で学んだ。その後フェルナンド・ゴンサレスのアカデミー-・クラブで演劇を学んだ。1991年テレノベラ「Ellas por ellas」(4話)出演でスタート、数局のTVシリーズで成功、女優としての地位を築いた。一方映画デビューは、クラウディオ・サピアインの「El hombre que imaginaba」(98)、アントニア・オリバーレスの「Historias de sex」(00)など、しかしTVシリーズ出演が多い。1999年、クラウディア・ディ・ジロラモ主演のTVシリーズ「La fiera」を最後に、当時の夫で俳優のバスティアン・ボーデンへーファーとフランスに渡る(2006年離婚)。
★フアン・ヘラルドのキューバ革命をテーマにしたドイツ、メキシコ、米国合作「Dreaming of Julia / Sangre de Cuba」(03、英語)で、ガエル・ガルシア・ベルナルやハーヴェイ・カイテル、セシリア・スアレスとクレジットを共有している。2004年、チリに帰国、アンドレス・ウッドの「Machuca」(04)、アジェンデ政権に反対する1970年代初頭の富裕階級の典型的な女性像を演じて賞賛された。本作にはマヌエラ・マルテッリ監督も共演している。レビスタWIKEN助演女優賞受賞、邦題『マチュカ~僕らと革命』でDVD化された。ウッド監督とは「La buena vida」(ラテンビート2009の邦題『サンティアゴの光』)に再びオファーを受け、今度はマルテッリと母娘を演じた。ペドロ・シエンナ賞、ビアリッツFF演技賞などを受賞している。
(反アジェンデ派のシンボリックな女性像を演じた『マチュカ』から)
★アリシア・シェルソンのデビュー作「Play」(05『プレイ』)、本作はシェルソンがSKIP CITY IDCF 2006で新人監督賞を受賞した作品、また同監督の「Turistas」(08)では主役を演じた。アジェンデ大統領の最後の7時間を描いたミゲル・リッティンの「Allende en su laberinnto」(14)で、大統領の私設秘書、愛人でもあったミリア・コントレラスに扮した。通称〈La Payita〉はスウェーデン大使の助けを得てキューバに亡命、1990年に帰国するまでパリやマイアミに住んでいた。軍事クーデタの証言者の一人。
(マルセロ・アロンソと倦怠期の夫婦を演じたシェルソンの「Turistas」から)
★公開作品にはセバスティアン・レリオの『ナチュラルウーマン』(17)がある。TVシリーズ「42 Días en la Oscuridad」(22、6話)で再びクラウディア・ディ・ジロラモと共演、実話に着想を得たミステリー、ある日突然失踪する主婦を演じている。本作は『暗闇の42日間』の邦題でNetflix ストリーミング配信中です。ラテンアメリカ諸国だけでなく、アメリカ、ヨーロッパ、アジアで配信され、チリでもっとも成功したTVシリーズの代表作となっている。
★『1976』出演で、8月開催の第26回リマ映画祭2022で演技賞、東京国際映画祭の女優賞を受賞、次回作はバレリア・サルミエントの犯罪ミステリー「Detrás de la Lluvia」(22)、本作にはマヌエラ・マルテッリ、クラウディア・ディ・ジロラモが共演している。
(自分の行動がどれほど深刻か気づき始めるカルメン、『1976』から)
第20回モレリア映画祭2022*映画祭沿革と受賞結果 ― 2022年11月10日 16:05
アレハンドラ・マルケスの「El norte sobre el vacío」が作品賞
★今年二十歳の誕生日を迎えることができたモレリア国際映画祭2022は、無事10月29日に終幕しました。アレハンドラ・マルケス・アベジャの「El norte sobre el vacío」が作品賞、脚本賞、男優賞(ヘラルド・トレホルナ)の大賞3冠を受賞しました。監督賞は「Manto de gemas」のナタリア・ロペス・ガジャルド、女優賞は「Dos estaciones」のテレサ・サンチェス、観客賞はミシェル・ガルサ・セルベラのホラー「Huesera」、ドキュメンタリー賞はマーラ&エウヘニオ・ポルゴフスキーの「Malintzin 17」などでした。作品賞を受賞した「El norte sobre el vacío」は、『虚栄の果て』の邦題でプライムビデオで配信が始まっています(10月28日)。主な受賞結果は以下の通りです。審査委員長はポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ、『イーダ』(13)でアカデミー外国語映画賞を受賞したオスカー監督です。
(受賞を手にした女性シネアストたち、左からテレサ・サンチェス、
アレハンドラ・マルケス・アベジャ、ナタリア・ロペス・ガジャルド)
*第20回モレリア映画祭2022受賞結果*
作品賞:「El norte sobre el vacío」 アレハンドラ・マルケス・アベジャ
監督賞:ナタリア・ロペス・ガジャルド「Manto de gemas」
脚本賞:ガブリエル・ヌンシオ、アレハンドラ・マルケス・アベジャ
「El norte sobre el vacío」
男優賞:ヘラルド・トレホルナ「El norte sobre el vacío」
女優賞:テレサ・サンチェス「Dos estaciones」 監督フアン・パブロ・ゴンサレス
ドキュメンタリー賞:「Malintzin 17」 マーラ&エウヘニオ・ポルゴフスキ
観客賞-メキシコ長編部門:「Huesera」 監督ミシェル・ガルサ・セルベラ
観客賞-インターナショナル部門:「Close」(ベルギー) 監督ルーカス・ドン
観客賞-長編ドキュメンタリー部門:「Ahora que estamos juntas」
監督パトリシア・バルデラス・カストロ
女性監督ドキュメンタリー賞:「Ahora que estamos juntas」 同上
他に短編映画・ドキュメンタリー・アニメーションなど
★世界三大映画祭の流れに沿ってか女性監督の活躍が目立ったモレリアでした。作品賞の「El norte sobre el vacío」は、上述したように既にNetflixで『虚栄の果て』の邦題で配信中、アレハンドラ・マルケス・アベジャ監督は「私がこれまで作った映画のなかで、あらゆる面でもっとも自由な映画でした。自らに自由を与えたのです」と語った。監督については長編第2作「Las niñas bien」がマラガ映画祭2019で金のビスナガ賞(イベロアメリカ部門)を受賞した折りにキャリア&フィルモグラフィーをご紹介しています。本作もモレリアFF正式出品され、本邦では2020年7月に『グッド・ワイフ』の邦題で公開された。後日新作紹介を予定していますが、男優賞を受賞したヘラルド・トレホルナより、女性の名ハンター役を演じたパロマ・ペトラの生き方が光った印象でした。二人とも欠席でしたが、トレホルナはビデオメッセージで「多様性がスクリーンに持ち込まれた映画が勝利した」と監督を讃えていた。
*「Las niñas bien」(『グッド・ワイフ』)紹介記事は、コチラ⇒2019年04月14日
(受賞スピーチをするアレハンドラ・マルケス・アベリャ監督)
(新作「El norte sobre el vacío」のポスター)
★デビュー作が監督賞を受賞したナタリア・ロペス・ガジャルドは、1980年ボリビアのラパス生れだが、2000年前後にメキシコに渡っている。フィルム編集者として夫カルロス・レイガダス(『静かな光』『闇のあとの光』)、アマ・エスカランテ(『エリ』)、アロンソ・リサンドロ(『約束の地』)、ダニエル・カストロ・ジンブロン(「The Darkness」)他を手掛けている。レイガダスの『われらの時代』では夫婦揃って劇中でも岐路に立つ夫婦役に挑戦した。不穏な犯罪ミステリー「Manto de gemas」は、ベルリン映画祭2022で金熊賞を競い、異論もあったようだが審査員賞(銀熊賞)を受賞していた。
*監督キャリアと『われらの時代』紹介記事は、コチラ⇒2018年09月02日
(ナタリア・ロペス・ガジャルド監督)
★女優賞受賞のテレサ・サンチェスはフアン・パブロ・ゴンサレスの「Dos estaciones」で、男性たちが君臨するテキーラ工場経営を女性経営者として立ち向かう役を演じた。キャリア&作品紹介は、サンセバスチャン映画祭2022ホライズンズ・ラティノ部門で上映された折りにアップしております。
*テレサ・サンチェス紹介記事は、コチラ⇒2022年08月22日
(テレサ・サンチェス)
★女性へのハラスメントをテーマにしたデビュー作「Ahora que estamos juntas」(「Now that we are together」)で観客賞-長編ドキュメンタリー部門、女性監督ドキュメンタリー賞の2冠達成のパトリシア・バルデラス・カストロ監督、若い女性シネアストの台頭を印象づけた。一人で監督、脚本、撮影、編集、製作を手掛けたというクレジットに驚きを隠せません。
(パトリシア・バルデラス・カストロ)
★フィクション部門の観客賞も超自然的な体験をし始める妊婦のタブーを描いたホラー「Huesera」のミシェル・ガルサ・セルベラとこちらも女性監督が受賞した。監督はモレリアFFのほか、シッチェス、トライベッカ、各映画祭で新人監督賞や作品賞を受賞している。インターナショナル部門の観客賞には、3年ぶりに5月開催となったカンヌFF2022でグランプリを受賞したルーカス・ドンの「Close」が受賞した。
(主役のナタリア・ソリアンとミシェル・ガルサ・セルベラ監督)
★映画祭に姿を見せたのはオープニング作品に選ばれた『バルド』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、ストップモーション・アニメーションで描くピノッキオ「Pinocho」*のギレルモ・デル・トロ、海外勢の招待客には、メキシコ映画出演もあるスペインのマリベル・ベルドゥ、2回目のパルム・ドールを受賞したリューベン・オストルンド、「Fuego」でタッグを組んだクレール・ドゥニ監督とジュリエット・ビノシュが参加するなどした。ビノシュはサンセバスチャン映画祭のドノスティア栄誉賞を受賞したばかりでした。
*『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』の宣伝文句は「誰も見たことがないピノッキオ」の由、今年のクリスマスはもう決りです。11月25日公開、12月9日からNetflixで配信予定。
カンヌやベネチアをめざしていません――モレリア映画祭の沿革
★確かなテーマをもたずに唯メキシコ映画を広める目的で始まったモレリア映画祭 FICM が「当初このように長く続くとは思えなかった」と、創設者の一人建築家のクアウテモック・カルデナス・バテルは語っている。現在では大方の予測を裏切って、20年も続くメキシコを代表する国際映画祭となっている(国際映画製作者連盟に授与されるカテゴリーAクラスの映画祭)。どうしてメキシコシティではなくミチョアカン州のモレリア市だったのか、それは偶然かどうか分かりませんが、米国外でもっとも重要な映画館チェーンであるシネポリスの本社があったからでした。そして誕生に立ち合ったのは、女優サルマ・ハエックとフリア・オーモンド、製作者ヴェルナー・ヘルツォークとバーベット・シュローダー、作家のフェルナンド・バレホなどでした。
★当時の政党PANのフォックス大統領は映画学校や撮影スタジオの廃校廃止を画策しており、メキシコ映画界は危機的状況にあった。しかしアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『アモーレス・ぺロス』(00)、アルフォンソ・キュアロン(クアロン)の『天国の入口、終りの楽園』(01)、カルロス・カレラの『アマロ神父の犯罪』(02)などがカンヌやオスカー賞など国際舞台で脚光を浴びるようになっていた。そんななかで、2003年第1回モレリア映画祭が開催され、ウーゴ・ロドリゲスの「Nicotina」が作品賞を受賞した。本作は第1回ラテンビート映画祭(ヒスパニックビート2004)のメキシカン・ニューウェーブ枠で『ニコチン』の邦題で上映された。人気上昇中のディエゴ・ルナが主演していた。
★設立者は、メキシコ短編映画会議をコーディネートした映画評論家のダニエラ・ミシェル、シネポリスの現ディレクターのアレハンドロ・ラミレス、上述の建築家クアウテモック・カルデナス・バテルなど。最初のコンペティション部門は短編映画だけだったそうで、その後ドキュメンタリーや長編を参加させていった。今では灰のなから蘇えった不死鳥のように、メキシコでもっとも前衛的な作品が観られる映画祭に育った。
サンティアゴ・ミトレの『アルゼンチン1985』*プライムビデオ鑑賞記 ― 2022年11月23日 18:05
アカデミー賞2023のアルゼンチン代表作品『アルゼンチン1985』
★アルゼンチン初となるアマゾン・オリジナル作品となったサンティアゴ・ミトレの『アルゼンチン1985』は、10月21日から配信が始まりました。サンセバスチャン映画祭2022の作品紹介で140分が長かったか短かったか試されると書きましたが如何でしたでしょうか。本作のように生存者の証言記録、法廷内の写真などが残っている場合は、ドラマとは言え事実にお化粧直しはできません。その当時、リアルタイムで新聞を読みラジオの特別放送を聞いていた国民のなかには、封印してきた過去の亡霊に直面して眠れなかった人もいたはずです。コロナ禍の中にも拘わらず、公開3週間で約60万人が映画館に足を運んだ。
★実在した重要人物が多いのも本作の特徴です。実在あるいは架空の登場人物紹介を兼ねながら物語を進めたい。なお本作は第95回アカデミー賞国際長編映画賞とゴヤ賞イベロアメリカ映画賞のアルゼンチン代表作品に選ばれ、ホセ・マリア・フォルケ賞のイベロアメリカ映画部門にノミネートされました。
*作品、監督キャリア&フィルモグラフィー紹介は、コチラ⇒2022年09月06日
データ:『アルゼンチン1985~歴史を変えた裁判~』(原題「Argentina, 1985」)アルゼンチン=米国合作、2022年、スペイン語、歴史・法廷ドラマ、140分、10月21日からプライムビデオ独占配信開始。
映画祭・受賞歴:第79回ベネチア映画祭2022コンペティション部門正式出品、FIPRESCI(国際映画批評家連盟賞)、SIGNIS 佳作(カトリックメディア協会賞)の2冠、第70回サンセバスチャン映画祭ペルラス部門の観客賞受賞、ラ・ロッシュ・シュル・ヨン映画祭(仏)観客賞受賞、他チューリッヒ、ハンブルグ、ロンドン、リオデジャネイロ、ニューポートビーチ、ベルゲン、各国際映画祭で上映された。
(ミトレ監督、リカルド・ダリン、ピーター・ランサニ、ベネチア映画祭2022)
あらすじ:1983年10月3日、軍事独裁から政権が民政に移管された。ラウル・アルフォンシは大統領に就任した12月13日に「大統領政令158/83」に署名し、司法手続きが開始された。軍事独裁政権時代(1976~83)の3人の大統領を含む陸海空三軍の軍人9名を「拉致・拷問・殺害の大量虐殺」の罪で起訴した集団裁判、いわゆる「軍事評議会裁判または評議会裁判」(フンタス裁判)が1985年4月22日に始まった。約4か月半後の8月14日までに、延530時間、833人の証人が証言し、結審した12月9日までを物語った法廷ドラマ。この映画は、主任検事フリオ・ストラッセラと副検事ルイス・モレノ・オカンポの実話に触発されて製作されました。
主なキャスト紹介:
リカルド・ダリン(フリオ・ストラッセラ主任検事、1933~2015、享年81歳)
ピーター・ランサニ(ルイス・モレノ・オカンポ副検事、1952~)
アレハンドラ・フレヒナー(ストラッセラ妻シルビア、実名マリサ)
サンティアゴ・アルマス・エステバレナ(ストラッセラ息ハビエル、実名フリアン)
ジーナ・マストロ二コラ(ストラッセラ娘ベロニカ)
ノーマン・ブリスキ(ルソ、ストラッセラの先輩弁護士、架空)
クラウディオ・ダ・パッサノ(ストラッセラの友人〈ソミ〉作家カルロス・ソミリアナ、享年54歳)
ガブリエル・フェルナンデス(ブルッゾ、架空)
パウラ・ランゼンベルク(ストラッセラ付の司法職員スサナ)
ラウラ・パレデス(アドリアナ・カルボ・デ・ラボルデ、最初の証言者、1947~2010、享年63歳)専攻
カルロス・ポルタルッピ(レオン・カルロス・アルスラニアン裁判長)
アレホ・ガルシア・ピントス(判事)
ウォルター・ジェイコブ(判事)
エクトル・ディアス(被告側の主任弁護士バシーレ)
リカルド・セペタ(同上)
ソフィア・ラナロ(コルドバ出身の証人)
ロベルト・マウリ(同上)
◎他に判事、証言者多数
*9名の被告
マルセロ・ポッツィ(ホルヘ・ラファエル・ビデラ陸軍総司令官、期間1976年3月29日~81年3月28日、終身刑及び永久資格剥奪)
エクトル・バルコネ(ロベルト・エドゥアルド・ビオラ陸軍総司令官、期間1981年3月29日~12月11日、禁固17年)
カルロス・Ihler(レオポルド・フォルトナート・ガルティエリ陸軍総司令官、期間1981年12月22日~1982年6月16日、無罪)
ホセロ・ベジャ(エドゥアルド・マセラ提督、ビデラ政権、終身刑)
ホルヘ・バラス(アルマンド・ランブルスキーニ海軍、ビオラ政権、禁固8年)
ホルヘ・グレゴリオ(オルランド・アゴスティ陸軍准将、禁固4年6ヵ月)
セルヒオ・サンチェス(ホルヘ・アナヤ海軍准将、ガルティエリ政権、無罪)
マルセロ・ロペス(バシリオ・ラミ・ドソ空軍司令官、ガルティエリ政権、無罪)
ホルヘ・ルイス・コウト(オマール・グラフィグナGraffigna空軍総司令官、ビオラ政権、無罪)
*若手司法チームのメンバー
マヌエル・カポニ(ルーカス・パラシオス)、ブリアン・シチェルSichel(フェデリコ・コラレス)、アルムデナ・ゴンサレス(ジュディス・ケーニッヒ)、フェリックス・ロドリゲス・サンタマリア(マコ・ソミリアナ、作家ソミの息)、アントニア・ベンゴエチェア(マリア・エウヘニア)、サンティアゴ・ロビト(エドゥアルド)、レイラ・ベチャラ(イサベル)、他
*その他
アドリアン・マンペル(ラウル・アルフォンシン大統領)
フィト・ヤネリ(国土安全保障長官/内務大臣アントニオ・トロッコリ)
ロサナ・ヴェツィニVezzoni(5月広場の母)
アナイ・マルテジャ(同上)
スサナ・パンピン(オカンポ副検事の母ペルラ)
アンドレス・スリタ(オカンポ副検事の伯叔父、大佐)
ギジェルモ・ジャクボウィッツ(ストラッセラの身辺警護官オルミガ)
マルティン・ガジョ(同上ロメロ)
◎海外メディアを含む新聞社、ラジオ・テレビ局の記者、制作者、カメラマン、「5月広場の母たち」のメンバーなど多数
良くも悪くもリカルド・ダリンの独壇場
A: サンティアゴ・ミトレ監督とリカルド・ダリンがタッグを組むのは、『サミット』(17)に続いて2作目です。2011年の単独長編デビュー以来5作しか撮っていない熟慮タイプの監督です。しかしミトレはパブロ・トラペロの『檻の中』(08)、『カランチョ』(10)、『ホワイト・エレファンテ』(12)の共同脚本家としても知られ、『カランチョ』には出演もしている。
B: ダリンは『カランチョ』や『ホワイト・エレファンテ』の主役、二人の接点は早く付き合いは長い。彼は元もとコメディ役者ですから、ストラッセラ検事のような役は打って付けです。
A: ミトレは硬派の監督ですがコメディも撮っています。実際のストラッセラはユーモアに富んだ人柄だったようで、例えば被告席で無罪を信じきって談笑する空軍の将軍たちに怒りを抑えられないフリオは、卑猥な行為で挑発、さらに鼻を摘まむしぐさをして副検事を慌てさせた。このシーンは事実で、エンディングの写真に採用されていたが本物は眼鏡をかけていない。(笑)
B: ざわつく法廷に副検事のルイス・モレノ・オカンポが驚いて「落ち着いてください」と制していた。写真がバッチリ残っていますね。空軍は大量虐殺には関与していなかったのですか。
A: 主に失踪者の秘密の拘置センター間の移動を請け負った。全国に散らばったセンターは340ヵ所もあったという。そのうち遠方からの移送では空軍が担った。運ぶだけでなく纏めて殺害したい場合は睡眠薬で眠らせて生きたまま海中に落とした。全員死亡したからあの時点では証拠収集が難しかったのです。エンディングで採用されたた船のデッキから海へ花束を投げ入れている写真は、彼らを弔っている遺族たちです。
B: 強制収容所は街中の空き地に建てたバラック小屋からパタゴニアまで広範囲に散らばっていた。
(メガネかけていない。鼻を摘まむストラッセラ、写真とフレームから)
A: また偉ぶらないし、礼儀を重んずる人だったようで、被告側弁護士バシーレが傍聴席に座っていた「5月広場の母たち」が被っていた白いスカーフに難癖を付ける。理由は法廷内では「政治的シンボルとなる色や形は禁ずる」という規則を盾にした。
B: 副検事ルイスと連れ立って「ご不満でしょうが、ご理解ください」と丁重にお願いに出向く。裁判の重要性を熟知していた母親たちは受け入れる。
A: このシーンも写真が残っています。あのスカーフは確かに政治的シンボルでした。というのも「行方不明者」になった我が子が赤ん坊のとき実際に使用していたオムツで、1977年のグループ結成時には見ず知らずだった母親たちが知り合うために子供の実名を書いていた。向こうのオムツは真四角の風呂敷タイプです。劇中のスカーフには〈Aparición con Vida de los Desaparecidos Madres de Plaza de Mayo〉と書かれていた。行方不明者たちを生きて返せということですから、鉄面皮の軍人たちとはいえ母親たちの運動が目障りで面白くなかった。
(5月広場の母たちの席に頼みに行くシーン)
B: 本作では母親たちの証言は多くありませんでしたが、彼女たちの粘り強い地道な努力や協力が裁判では大いに役立ちました。それはグループが援護射撃した証言者たちが証明した。
A: 独裁政権時代に母親たちが舐めつくした恐怖と暴力、世間の無関心は想像を超えています。待ちに待った裁判を台無しにしたくなかったから検事の要請を受け入れたのです。母親たちを主役にした名作が沢山製作されていますが、ここでは深入りしません。とにもかくにも本作はリカルド・ダリン映画、彼なくして成功はなかったでしょう。
B: 副検事役のピーター・ランサニは、上記のパブロ・トラペロの『ザ・クラン』に主演、民政直後に誘拐ビジネスを稼業としたプッチオ一家の長男役を演じた。
A: この映画も同時代に「プッチオ誘拐事件」として世間を騒がせた実話に基づいています。現在メキシコTVシリーズで『グレコ家の秘密』としてリメイクされ、Netflixで配信中です。
B: ストラッセラは2015年に鬼籍入りしましたが、モレノ・オカンポは、当時32歳で上流階級に属しており、「ビデラに質問するなどは一族にとって裏切り行為でした」という家庭に育った。しかし家族と仕事を冷静に区別することのできる人でした。
A: 2003年国際刑事裁判所の最初の主任検察官に就任するなど国際的に活躍しています。当時は1980年から司法長官の法務秘書官を務めていたに過ぎず起訴経験ゼロでした。呆れたストラッセラが「敵側から送り込まれたトロイの木馬だ」と揶揄したが、結局この相棒なくして裁判には勝てなかったと脱帽したのでした。今でも弁護士として現役、最近当時を語った ”Cuando el poder perdió el juicio”(仮題「権力が理性を失ったとき」2022刊)を出版した。取材を受けたモレノ・オカンポは、ストラッセラの1日3箱というヘビースモーカーには困ったと語っている。
B: 大量殺戮を信じようとしなかった大多数の国民に、犠牲者に何が起こったかを判断できるよう顔と声を与え、大量殺害などでっち上げと考えていた人々の考えを変えた。
A: その一人が高祖父の時代から軍人家庭に育ち、日曜日にはビデラ将軍と同じ教会にミサに行くという実の母親でした。ビデラはストラッセラの論告求刑のさい聖書を読むなどして国民の目を欺こうとした姑息な男、今なら法廷侮辱罪ものです。
B: 多くのカトリック教会関係者が独裁政権に加担して私腹を肥やしていた。教区司祭だけでなく高位聖職者の多くが見て見ぬふりどころか、権力者たちに阿って追従した。
A: 横道に入りますが、現在では他のカトリック国同様信者の数は減り続けていますが、当時の国民の大多数はカトリック信者でした。多くの信者を抱えていながら中南米からローマ教皇が一人も選出されなかった理由の一つが彼らの独裁政権への加担でした。この事実を掴んでいたバチカンは、危険を察知して選びたくても選べなかったようです。
B: 史上初となるアメリカ大陸出身の現教皇フランシスコは協力者ではなかったが、後に自身の無関心を国民に謝罪していた。予定になかった選出だったと言われていますが、バチカンはイタリア人の新教皇を熱望していた。彼がイタリア系アルゼンチン人だったことが幸いしたとも言われています。
A: アレハンドラ・フレヒナー演ずるストラッセラの妻シルビア(実名マリサ・トバル)は、劇中では夫以上に時代の流れに勇敢で分析力もあった。「何を怖れているの? 裁判が行われること、行われないこと」と詰め寄り、「あなたならできるわよ」とけしかけていた。
B: 夫は「裁判をするかどうかは判事が決めることだ。どうせ認めないよ」と応酬、「怖いのは当たり前だ、家族の命も掛かっている」と。引き受ける本人にしてみれば、笑い者になるか英雄になるか、一か八かの賭けでした。
(シルビア役のアレハンドラ・フレヒナー、フレームから)
A: 愛称のハビで呼ばれていた息子ハビエルの本名はフリアン、現在51歳になるフリアン・ストラッセラは弁護士となっている。「母親はフィクションでの映画化に反対しており、ドキュメンタリーに拘っていた」とメディアに語っている。また「ラウル・アルフォンシン大統領が前面に出てこないことに不満を洩らしていた」ということです。
B: ハビエル役のサンティアゴ・アルマス・エステバレナは、現在14歳で10歳の頃から舞台に立っている。スパイを勘づけられた判事から買ってもらったアメ玉をしゃぶりながら父親を援護していた。現在はイケメンもプラスして目下人気上昇中です。
A: 押し付け役ガブリエル・フェルナンデス扮する「ブルッゾ様」は架空の人物、互いにブルッゾ、フリオと呼び合っていましたから、複数の司法官を合成したモデルがいるのかもしれません。期待以上のストラッセラの活躍にビビッて、「まだ軍は蜂起する力をもっている。求刑には気を付けろ」と、遠回しに空軍の求刑をセーブしに現れる。ルイスがトイレまで押し掛けて内容を聞きたがるが、フリオはのらりくらりとかわしていた。
B: アルベルト・ムーチニク法律事務所の看板を掲げていた先輩弁護士らしい「ルソ」も実在しないそうですが。
A: やはり人物造形にはモデルらしき人はいるのでしょうが架空の人物だそうです。ユーモアたっぷりの皮肉やだが、飄々と演じて好印象を残しましたが、少し出過ぎでしたでしょうか。ベテラン俳優ノーマン・ブリスキに敬意を払ったからでしょう。
B: ストラッセラを支える相談役の友人「ソミ」は、実在していました。
A: カルロス・ソミリアナというアルゼンチン60年世代の中心的な作家でアーティスト、クラウディオ・ダ・パッサノが演じた。結審2年後の1987年1月に54歳の若さで惜しくも鬼籍入りしてしまったが、劇中では若い調査員チームの選抜から論告求刑の草案作りにまで参加していた。
(ありし日のカルロス・ソミリアナとフリオ・ストラッセラ)
裁判を決定づけた最初の証人アドリアナ・カルボの証言
B: パウラ・パレデス扮するアドリアナ・カルボは誤認逮捕でした。1977年2月4日自宅で逮捕されたとき、妊娠22週目の身重でした。
A: 裁判は1985年4月22日に開始されましたが、被告側の証人から始まり、検察側は4月29日から、彼女が最初の証人でした。ラプラタ大学で物理学を専攻、その後博士号を取得して同大の物理学教授でした。誤認逮捕の経緯は彼女が所属していたアルゼンチン精神科医連盟と、1968年に設立された都市ゲリラ及びテロ組織のペロニスト軍隊の頭文字が同じFAPでした。その後ブエノスアイレス大学工学部で化学の教鞭をとっていた夫ミゲル・アンヘル・ラボルデも逮捕されています。
B: 検察側の作戦勝ち、よく調査もせず手当たり次第に拉致していた実態が明らかになった。彼女は人権無視、赤裸々な出産の様子なども臆せず証言した。さすがのバシーレ被告側弁護士もショックを受けたのか、裁判長から反対尋問を促されても「ありません」と答えるしかありませんでした。
A: 移送中の車中で目隠しされ後ろ手に手錠をはめられ、どうやって出産したか記憶がとんでいた。4月15日出産だと8ヵ月ぐらいの早産になり、よくぞ生き延びたと涙した人も多かったでしょう。誘拐、拷問、人権無視は、彼女のような身重の女性でもお構いなし、後は推して知るべしでした。
B: 裁判に同行していた女の子ですね。傍聴席にいたから本人も聞いたはずです。
A: 当時ペロニスト軍隊は分裂を繰り返してかなり弱体化しており脅威ではなかったのですが、FAPを根こそぎにしたい権力側は片っ端から逮捕、リーダーたちは拷問を受けて亡くなり、結局主導者が誘拐され拷問のすえに死亡、1979年8月に解体しています。
(収監中の拷問や人権無視の証言をするアドリアナ・カルボ、フレームから)
B: 被告らが実行犯ではないけれども彼らの有罪を国民に印象づけた。誤認逮捕と判明した段階で闇に葬ることもできたから、釈放したことを軍人たちは心から後悔したにちがいない。
A: 証言者アドリアナ・カルボは、出産から1ヵ月後に誤認逮捕と分かって釈放された。釈放後は人権活動家として活躍、行方不明者協会のメンバーの一人、アルゼンチンではよく知られた女性でしたが、2010年亡くなりました。
フンタス裁判の証拠収集に寄与したコナデプの報告書 ”Nunca más”
B: 映画は1984年7月4日、国土安全保障長官アントニオ・トロッコリのテレビ特別放映〈Nunca más 二度と再び〉で幕が開く。このネバー・アゲインは、国家失踪委員会CONADEP*が纏めた報告書 ”Nunca más” から採られている。
A: トロッコリは日本でいうと旧内務省の大臣に当たり、絶大な権力をもつ中央警察官庁の長です。国家失踪委員会の ”Nunca más” は、まだ大統領には届けられていませんでしたが、目にした国民の大多数がショックを受ける内容でした。そこで先回りして、この報告書が「アルゼンチンが破壊工作とテロリズムの嵐に襲われたときのもので、片方からの見解にすぎない」と述べ、返す刀で被害者を批判さえした。
B: 帰宅したストラッセラが「マセラを呼べ!」と怒鳴ってテレビを消し、熱心にテレビを見ていた家族の顰蹙を買う。
A: マセラというのは、ビデラ政権時代の海軍提督エドゥアルド・エミリオ・マセラのこと、大量虐殺の実行犯のリーダー的存在でビデラ大統領よりも憎まれていた。大統領でもなかったのにビデラと同じ「終身刑」を受けた人物でした。
B: また9月18日のストラッセラの論告求刑にもこのフレーズが登場した。彼は「判事の皆さま、二度と再び」と論告を締めくくった。
A: 国家失踪委員会はアルフォンシン大統領が就任後5日めの12月15日に署名した「政令187/83」を指し、軍事政権時代(1970年代から80年代初頭)に発生した人権侵害、特に3万人とも言われる失踪者(行方不明者)の調査を目的とした委員会です。
*CONADEP(La Comisión Nacional sobre Desaparición de Personas)国家失踪委員会:1983年12月15日創設、完成した報告書 ”Nunca más” を大統領に届けた1984年9月20日をもって解散した。わずか280日間の期限付きだったが、340ヵ所の秘密拘置センター(強制収容所)の所在目録、8960人の行方不明者リストなど、釈放者の同意を受けて情報を収集した50,000ページにわたる膨大な報告書。主な委員会メンバーは、委員長エルネスト・サバト(作家、物理学者)、ブエノスアイレス大学元学長、法学者、弁護士、神学者、人権活動家、ジャーナリストなどで構成されていた。委員長サバトは処女作『トンネル』(48)がカミュに絶賛されて一躍国際的な名声を受けた。2作目『英雄たちと墓』(61)など小説は3作しか発表していないが、1984年にスペインのセルバンテス賞を受賞している。
(報告書の表紙、アルフォンシン大統領に報告書を手渡すエルネスト・サバト)
B: この報告書はフンタス裁判の基礎的データとして使用され、駆け出しの若い司法調査官チームが4ヵ月と2週間という短期間に証拠固めの書類を作成できたのも、この報告書のお蔭でした。
A: しかし先述した5月広場の母たちは、この報告書が犯罪の手打ち式になることを警戒して評価していなかった。実際3万人が約9000人だったことを悪用され、3万人はフェイクだと非難されました。
B: 1984年9月25日に軍最高評議会(Consejo Supremo de las Fuerzas Armadas)がサインした通知を検察に送り、10月2日に検察が受理したことをストラッセラがタイプして裁判が始まる。
A: 同年10月25日に傍聴人を入れない、つまり非公開での予備審問があり、9名の被告は当然のごとく無罪を主張したが受け入れられなかった。カルロス・ポルタルッピ演じるレオン・カルロス・アルスラニアン裁判長を含む6人の判事が連邦議会のメンバーなど、日本とは司法制度の違いもあって分かりにくい部分がありますね。実際のアルスラニアンは太めですがポルタルッピほどではなかったし髭を生やしていました。ポルタルッピは人気TVシリーズに出演して認知度があり、冷静で公平な裁判長役でトクをしました。
(左から2人めがアルスラニアン裁判長、フレームから)
B: 反対にソンしたのは、ビデラ将軍を筆頭にした9名の軍人たち、メイクのせいかもしれませんがよく似ていましたが、演りたくなかったかもしれません。
A: 特にビデラの後を受けて軍政2人目の大統領となったロベルト・ビオラ役などね。彼は禁固17年の刑を受け退廷するとき、国旗のほうに顔を向け何か口走った。字幕には「くそったれ」とあった(笑)。多くの記者が侮蔑語「Hijo de puta」と彼が叫ぶのを聞いたから、脚本家の創作ではないようです。
(論告求刑日の9名の被告、右から3人目がビデラ陸軍司令官、フレーム)
B: ビオラが終身刑でなかったのは、期間が短期だったことと、大量虐殺の多くがビデラ時代の5年間に行われていたからですね。マルビナス(フォークランド)戦争を指揮した3人目の大統領レオポルド・ガルティエリが無罪になったのも、一つにはそれがあった。
A: 多くの未訓練の若者が戦死したのは「誘拐、拷問、殺害」とは違うからです。この裁判では無罪でしたが、後に別の裁判で有罪になりました。1990年、フンタス裁判で有罪判決を受けた全員が、次期大統領カルロス・メネムの恩赦で自由の身になりました。終身刑がたったの5年で釈放でした。しかし大統領が変わるたびに別の裁判が起され有罪判決となり、刑務所を出たり入ったりしていた。結局のところ刑務所内で人生を終えた人物は、クリスティナ・デ・キルチネルが大統領だった2010年に「人道に対する罪」で起訴され終身刑を受けたビデラ一人でした。
歴史上初となる軍事政権を裁いた民政の裁判
B: 分かりにくい固有名、ペロニストは分かるとして、マンリケ派とか、ESMAとか、モントネーロス、などの立ち位置が分かりにくかった。
A: ESMAはアルゼンチン海軍技術学校の頭文字で検事側からすると強敵でした。劇中ではESMAに利用されたというリスクの高いビクトル・バステラが検事側の証人として証言したが、当然のごとく被告側弁護士から猛烈な反対尋問を受けた。
(証言するビクトル・バステラ、7月22日)
B: この7月22日の法廷には『伝奇集』で知られた小説家で詩人のホルヘ・ルイス・ボルヘスが傍聴席にいた。作家はあまりの恐ろしさに耐えかねて席を立つ写真が残っている。その後、その傍聴記事をスペインのEFEに寄稿している。
(詩人ホルヘ・ルイス・ボルヘス、1985年7月22日)
A: 86歳でジュネーブで死去するおよそ1年前です。また寄り道になりますが、アルゼンチンを代表する詩人ボルヘスは、50歳前から視力が衰え始め、当時は失明していた。同年肝臓癌であることが分かり、初冬の11月イタリア旅行を楽しんだの最後に、翌年1月終焉の地と定めていたジュネーブの病院に入院して、故郷のメディアから遠く離れて旅立った。
B: モントネーロスというのは1969年結成されたペロニスト過激派の都市ゲリラ、大統領を誘拐殺害して世界に衝撃を与えた。1973年ペロンが復帰してからもテロ行為を止めなかったので非合法組織にされた。
A: ペロン亡き後、副大統領だった夫人のイサベル・デ・ペロンが世界初となる女性大統領となった。しかし政治経済に無能ぶりを露呈、2年未満で崩壊した。1976年3月24日にビデラが軍事クーデタを起してもアルゼンチン人は誰も驚かなかった。それくらい暴力は日常的だったわけです。ビデラは徹底的にペロニスト軍隊同様モントネーロスを弾圧して壊滅状態にした。
B: トロッコリ国土安全保障長官の見解もデタラメではない部分を含んでいる。目下世界はサッカーのワールドカップで湧いていますが、優勝候補アルゼンチンは多くの血が流された国ですね。
A: 2回の世界大戦には参加しませんでしたが、右も左もごちゃごちゃ入りまじった移民国、ナチスも反ナチスも、反米も親米も分け隔てなく受け入れ、国家破産で世界に迷惑かけても平気の平左衛門の国家でしょうね。
B: 本作は歴史上初となる軍事政権の犯罪を民政が裁いた裁判の記録ですが、泥縄式で結成された若い司法調査員チームの活躍は感動ものでした。
A: この裁判は「自分は絶対正しい」と疑わなかった軍人たちの裁判でもありました。被告側弁護士が「カブスカウト」と冷笑した司法チームは、16冊4000ページの膨大な資料を作成しました。資料が運び込まれるのを目撃して、強気だったバシーレ弁護士も不安に駆られていた。
B: メンバーは法律を学ぶ学生2人、司法省職員8人、国家失踪委員会CONADEPメンバーの弁護士など15名、主に学生で構成されていた。19歳から20代後半までの若者ですね。
A: 劇中でバシーレを「ファシスト的とはあなたみたいな人です」と答えたジュディスは21歳で司法長官から送り込まれている。カルロス・ソミリアナの息子マコは23歳、法学と人類学の学生、父親と同姓同名なので愛称マコで呼ばれていた。後に国家検察庁の「人道に対する犯罪」の法医学人類学チームの先駆者の一人になった。司法関係者でもあった父親もチームの一人として協力していたがメンバーではなかった。ダリンの姪アントニア・ベンゴエチェアもマリア・エウヘニア役で出演している。彼女はトラペロの『ザ・クラン』にピーター・ランサニの妹役で共演している。
B: しかし法廷にはチームと一緒にいましたね。駆けだしとはいえ若い調査チームのトータル833人の証言なしには勝てなかった裁判でした。彼らこそ英雄です。
A: アルフォンシン大統領は求刑前夜に検事を呼び出したり、他にも裏で裁判官と取引しようとしたようですが、6人の裁判官は考慮したくなかった。三権分立が機能したのでした。
(2人の検事を取り囲んだ司法チーム、後列左に作家ソミリアナの姿も)
B: 大統領の出番がチラリだった理由の一つかもしれない。
A: 大統領はブエノスアイレス大学で法学を専攻して弁護士になった経歴の政治家でしたが、ハイスクールは軍学校で学んでおり、同級生には3人目の大統領ガルティエリがいた。なかなか難しい立ち位置にいたわけでした。裁判中止の車爆弾事件や家族への脅迫電話、ストーカー行為など盛り沢山でしたが長くなりました、ここいらでお開きに。
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