フロリアン・ガレンベルガーの”Colonia”*ナチスとピノチェト ― 2016年03月07日 16:39
「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレ医師もコロニア・ディグニダに滞在していた!
★ルシア・プエンソの『ワコルダ』(“Wakolda”2013)の舞台はアルゼンチン、パタゴニアの風光明媚なバリローチェ、フロリアン・ガレンベルガーの“Colonia”(2015,独・ルクセンブルク・仏)の舞台はチリ中央部マウレ州リナレス県のパラル市郊外です。前者はアウシュヴィッツでユダヤ人の人体実験をおこない「死の天使」と恐れられたSS将校ヨーゼフ・メンゲレ医師がアルゼンチンに逃亡して暗躍する実話、イスラエル諜報特務庁モサドが舌を巻くほどの知的モンスターだった。後者はヒトラーユーゲント団員HJだったパウル・シェーファーが、児童の性的虐待を告発されチリに逃亡、1961年に設立した“Colonia Dignidad”(尊厳のコロニー)の真相を暴く実話。両作ともナチスと軍事独裁政権絡みの社会派ドラマです。最近、前者のメンゲレ医師が一時的にこの「コロニア」に滞在していたことが判明するなど、埋もれていたナチスや軍事独裁政権下の闇の掘り起こしが始まっています。両国はホロコーストを逃れてきた多くのユダヤ系ドイツ人と同時に、利用価値があるならばナチスであろうが積極的に受け入れてきた不思議の国といえます。
*ルシア・プエンソの『ワコルダ』の記事は、コチラ⇒2013年10月23日
(警官に追われるレナとダニエル、映画から)
★映画“Colonia”の英語題は「尊厳のコロニー」と呼ばれた悪名高き“Colonia Dignidad”の名前をそのままタイトルにしています。戦慄すべきコロニーの真相が明るみに出てからは、こちらのほうがピーンとくるでしょうか。製作にチリもスペインも参画しておりませんが、言語は英語とスペイン語、ピノチェト政権の弾圧物語なので簡単に紹介しておきたい。以前パトリシオ・グスマンのドキュメンタリー『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』を記事にいたしました。第1部の舞台はチリ北部アタカマ砂漠、第2部はチリ南部太平洋岸、監督は中央部アンデス山脈の火口や火口湖を視野に入れて第3部を撮りたいと語っていましたが、「コロニア・ディグニダ」も登場するのではないでしょうか。1990年の民政移管後も民主化の歩みは遅々としており、ピノチェトの傷跡は国境を越えて吹きだしている感さえあります。
*主な『光のノスタルジア』の記事は、コチラ⇒2015年11月11日
*主な『真珠のボタン』の記事は、コチラ⇒2015年11月16日
“Colonia”( Colonia Dignidad)2015
監督・脚本:フロリアン・ガレンベルガー
脚本(共):トルステン・ヴェンツェル
撮影:Kolja・ブラント
プロデューサー:ベンヤミン・ヘルマン(ベンジャミン・ハーマン)
データ:製作国ドイツ=ルクセンブルク=フランス、言語英語・スペイン語、2015年、110分、スリラー、実話、軍事独裁政権、撮影地ルクセンブルク、公開ドイツ2016年2月18日、他にロシア、米国、イタリアなどの公開が予定されています。
映画祭上映:トロントFF2015でワールド・プレミア、チューリッヒFF2015、ベルリンFF2016など。
キャスト:エマ・ワトソン(レナ)、ダニエル・ブリュール(夫ダニエル)、ミカエル・ニクヴィスト(パウル・シェーファー)、リチェンダ・ケアリー(ギセラ)、他
(左から、ミカエル・ニクヴィスト、監督、リチェンダ・ケアリー、ダニエル・ブリュール、
ベンヤミン・ヘルマン。エマ・ワトソンは撮影中により欠席、トロント映画祭2015)
解説:1973年チリのサンティアゴ、ドイツ航空ルフトハンザの客室乗務員レナとアジェンデ政権を支持してチリに滞在していた写真家ダニエルの物語。レナは夫に会うためチリを訪れていた折しもピノチェト将軍率いる軍事クーデタに遭遇してしまう。1973年9月11日、二人はクーデタ勃発の同日に逮捕され国立スタジアムに連行される。レナは間もなく解放されるが、ダニエルはピノチェトの秘密警察である国家情報局の手で拉致されてしまう。やがてレナは彼の行き先が拷問施設として使用されている「コロニア・ディグニダ」であることを突き止めた。ヒトラーユーゲント団員、ドイツ空軍の衛生兵だったパウル・シェーファーと彼の追随者たちが、1961年に設立したカルト的な少数集団のコロニーである。レナはダニエルを救うべくシェーファーの信奉者と偽ってコロニー内部に潜入するが、そこはピノチェト軍事政権に協力してシェーファーが君臨する暴力と児童への性的虐待が蔓延する恐怖の拷問センターであった。誰一人逃れることができないコロニーから二人は脱出できるのだろうか。 (文責:管理人)
(シェーファー役のミカエル・ニクヴィストとレナ役のエマ・ワトソン)
★パウル・シェーファーの人物紹介:1921年ミュンヘンのトロースドルフ生れ、2010年チリのサンチャゴで没。大戦中はヒトラーユーゲント団員であり、ドイツ空軍の衛生兵だった。1959年、孤児院を併設したバプテスト教会を設立したが、児童への性的虐待を告発され、司法の手が及ぶのを恐れたシェーファーは、追随者を引き連れて民主化以前のチリに脱出する。1961年、チリ中央部マウレ州リナレス県のパラル市郊外のバイエルン村(スペイン語で「ビジャ・バビエラ」)に、カルト的少数集団「Sociedad Benefactora y Educacional Dignidad」(仮訳「慈善協会と教育的尊厳」)を設立、のち「Colonia Dignidad」(尊厳のコロニー)に変更した。経済活動は主に農作業であったが、敷地を有刺鉄線で囲い、逃亡防止の望楼を備えた暴力が支配する秘密施設であった(1966年調査時には230人ほどがいた)。
(20歳ころのパウル・シェーファー)
★1973年9月11日、ピノチェト将軍の軍事クーデタ以後、彼の秘密警察である国家情報局の拷問センターという役割が加わった。1974年、ピノチェトもコロニア・ディグニダを訪れている。この施設に連行された人の証言により、情報局員以外のコロニーのメンバーも拷問に加担したことが後に明らかになっている。民政移管された後、シェーファーは26名の児童への性的虐待の告発を受けるが、1997年5月20日に姿を消してしまう。チリのバルパライソに潜伏した後アルゼンチンに逃亡、リカルド・ラゴス政権時の2005年3月10日ブエノスアイレスで逮捕される。両国の話合いの結果、チリ警察の手でサンチャゴに移送される。2006年5月24日、性的虐待で禁錮20年、他にも武器蓄積などで7年が加算される。コロニア・ディグニダの地下兵器庫には機関銃、自動小銃、ロケット弾、更には戦車まで隠されていたという、まさに小さな地獄であった。2010年4月24日、サンチャゴの刑務所内病院で心臓病のため死亡、享年88歳でした。ここまで生き延びて来られたのは南米諸国の政治的後進性と脆弱な民主主義、緻密なナチス残党のネットワーク、何はおいてもチリの長きに渡るピノチェト独裁のおかげである。
(2005年、潜伏先のブエノスアイレスで逮捕され、チリ警察の手で移送されるシェーファー)
★フロリアン・ガレンベルガーは、1972年ミュンヘン生れ、監督、脚本家、俳優、製作者。ミュンヘン大学では哲学を専攻したが、のちミュンヘン・フィルム・スクールで映画を学ぶ。数多く撮った短編のうち“Quiero ser”(2000、“I wont to be…”)が第73回アカデミー賞短編賞、ステューデント・アカデミー賞などを受賞する。また2009年の“John Rabe”が『ジョン・ラーベ~南京のシンドラー』の邦題で公開されている。今年5月には製作に携わったクリスティアン・チューベルトの『君がくれたグッドライフ』が公開される予定。
(ブリュール、ワトソン、監督、ベルリン映画祭2016)
★ガレンベルガー監督は製作動機を「9歳のとき学校で学んだ。当時コロニア・ディグニダのことは一大スキャンダルだった。しかし今でもドイツはアンタチャブルにしていたい。却って本作を撮るために5年前現地を訪れたときのチリのほうがオープンだった」とトロント映画祭で語っていた。1972年ミュンヘン生れの監督が9歳だった1981年は、まだチリはピノチェトが支配していた時代でした。現在ではコロニア・ディグニダについての資料や研究は進んでいるのにドイツが沈黙しているのはおかしい。人権の意味からもドイツは真実を明らかにする負債を負っている、ということでしょうか。スリラー仕立ての実話に基づく恐怖ドラマでもあるが、「これは恐怖を超えた愛の物語です。今日では、夫を助けだしたいという妻のあのような行為は普通のことではありませんが、私が惹かれるのはあの女性の勇気です」と監督。ハリポタの少女エマ・ワトソンも頭の回転の早い大人の女優に成長しました。
(コロニア・ディグニダがあった場所、ビジャ・バビエラ)
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