クラウディア・リョサの『悪夢は苛む』*Netflix2021年11月03日 10:35

       好き嫌いがはっきり分かれるホラー「救える距離」の不穏

 

   

 

★サンセバスチャン映画祭2021セクション・オフィシアルに初めてノミネートされたクラウディア・リョサDistancia de rescateが、『悪夢は苛む』の邦題でネットフリックスで配信が始まりました。邦題の陳腐さはさておき字幕入りでの鑑賞を喜びたい。フラッシュバックや伏線多様のミックスの隙間を埋める想像力が要求される作品です。しかし不可解で象徴性に満ちていますが、注意深く登場人物の警告を聞き逃さなければ、理解できないというわけではありません。ジャンル的にはサイコスリラー、ホラー・ファンタジーなどと簡単に括れない。というのも形が見えない母性の怖れと不安、生態系の危機、民間療法による魂の転移、やや終末論的な言説もあり、現実と非現実を行ったり来たりするからです。

 

     

  (クラウディア・リョサ監督、サンセバスチャン映画祭2021フォトコール)

 

★監督キャリア&フィルモグラフィー、主演者マリア・バルベルデドロレス・フォンシ、原作者で脚本も手掛けたサマンタ・シュウェブリンについては、以下にご紹介しています。ここでは便宜上ストーリーとキャストを再録しておきます。

Distancia de rescate」の紹介記事は、コチラ20210728

  

    

     (主演者マリア・バルベルデとドロレス・フォンシ、同上)

 

キャストマリア・バルベルデ(アマンダ)、ドロレス・フォンシ(カロラ)、ギジェルモ・フェニング(アマンダの夫マルコ)、ヘルマン・パラシオス(カロラの夫オマール)、エミリオ・ヴォダノヴィッチ(カロラの息子、少年ダビ)、ギジェルミナ・ソリベス・リオッタ(アマンダの娘ニナ)、クリスティナ・バネガス(民間療法師)、マカレナ・バロス・モンテロ(ニナ保育ママ)、マルセロ・ミキノー(幼児ダビ)

 

ストーリーアマンダは家から遠く離れた診療所のベッドで死に瀕していた。少年のダビが傍らで問いかけているが、アマンダは彼の母親ではなく、ダビも彼女の息子ではない。アマンダの時が尽きようとしているので、ダビは記憶すべき事柄を矢継ぎばやに彼女に質問をしている。大人と子供という二つの声が対話しているが、物事をよく知っている声は子供、大人の声は逆に頼りなく不確かである。アルゼンチンの田園地帯小さなコミュニティを舞台に、汚染された生態系、壊れた精神の不安、待ち伏せしている未知の恐怖、子に対する母の愛の力、親と子を結びつけている細い糸についてが語られる。短編作家サマンタ・シュウェブリンが、初めて上梓した長編小説「Distancia de rescate」の映画化。

 

 

      <救える距離> が壊れたとき、私たちはどうするか?

 

A: サンセバスチャン映画祭でワールドプレミアされたのですが、当然の如く批評家の評価は割れたそうです。紙誌の評は概ねポジティブでしたが、なかにはエルパイスのカルロス・ボジェロ氏のように「退屈で全く理解できません」とけんもほろろ、評価は1つというのもありました。

B: かつて『抱擁のかけら』でアルモドバルと熾烈なバトルを展開した批評家ですね。

A: エルパイスの文化部が団結して彼の味方にまわり監督と大論戦となりました。確かに面白くなかったですが、大手メディアの個人攻撃は慎むべきことです。とにかく二人は犬猿の仲、新作の「Madres paralelas」も、1つでした。

 

B: サマンタ・シュウェブリン2014年に刊行された同名小説の映画化です。

A: 短編作家でこれが長編デビュー作、作品紹介で触れたようにホラー短編集『口のなかの小鳥たち』15編、Pájaros en la boca『七つのからっぽな家』Siete casas vacias)が翻訳されており、コアな読者がいるようです。長編は前者の1編と繋がっており、海外では短編を推す人が多いようです。リョサ監督は「知人から薦められて読みはじめ、読み終わらないうちに作家に連絡しなければと思った。それからのプロセスが大変でした」と、映画化の経緯を述懐しています。

 

    

          (サマンタ・シュウェブリンと原作の表紙)

 

B: 作家はリョサからの手紙を受け取ったとき驚いた。

A: 興味はそそられたが「小説が壊れるかもしれないと感じた。しかしリョサ映画のファンだったので会うことに躊躇いはなかった。いろいろ変更を提案されたとき、変更ではなく改善と思えた。それで4本の手で書くことになった」と、共同執筆の動機を語っている。

B: 監督はバルセロナ、作家はベルリンと地続きで生活していたから都合がよかった。

 

A: パブロ・ララインと弟のフアン・デ・ディオスの制作会社「Fabulaファブラ」が参画したことで、ロケ地がアルゼンチンではなくチリ南部のプコンとプエルと・バラスになり、コロナ前の2019年にクランクアップしていた。「言語はスペイン語、舞台はラテンアメリカでなければならない」というのが、スクリプトを見せられた米国サイドのメインプロデューサー、マーク・ジョンソンの指示だったそうです。

B: 本作では自然も登場人物の一人です。自然は元来、子供にとっても大人にとっても危険な場所になる可能性があります。

 

      

          (チリ南部でのロケ、監督と作家、2019年)

 

A: 迷信と神秘主義が日常と混じりあっている世界が舞台である必要があった。ギリシャ神話では故人の魂を小舟で冥界に運ぶ渡し守はカロンですが、アマンダが遠景で初めて少年を目撃するシーンは小舟に乗ったダビで象徴的でした。映画はカロンのようなシンボリズムを少年に与えています。

B: カロンは老人ですがダビは少年ながらある種の老獪さを感じさせ、実際のところ、その正体はよく分からない。

 

A: 本作はホラーといってもショッキングなシーンやゾンビが登場するわけではなく、目に見えないが恐ろしい何かです。恐怖は物陰に隠れているが、予想外の形で予想外の場所に現れるとダビの声は警告します。

B: 本作はアマンダの悪夢で始り、彼女と少年の二つのボイスがナレーションとなって進行する。語り手はアマンダ、語らせるのはダビです。

 

   

            (ダビとアマンダ、フレームから)

 

A: ダビの声はアマンダの潜在意識の声でしょうか。少年は「どこを見るべきか、どこに注意を払うべきか」しきりに警告している。娘ニナを愛しているアマンダが未知の危険地帯に足を踏み入れてしまったことを視聴者はやがて理解することになる。

B: ホラー映画で母性の問題が提示されるのは珍しい。「救える距離」は母と子の関係だけでなく、地球との関係にもあてはめている。私たちは既にその距離を破ってしまったわけです。

 

     

       (少年ダビ役のエミリオ・ヴォダノヴィッチ、フレームから

 

A: ダビはアマンダと観客に「あなたはそれを見ていますが理解していません」と警告する。ダイズ畑を襲う害虫を殺すための農薬が人間をも殺す。速度の遅い環境劣化は形がないので直ぐには目に見えない。

B: ここではダビの母親カロラの絶望、モンスターに変身してしまった息子についても語られる。

 

      私たちは主人公アマンダの混乱と怖れを共有する

 

A: 夏のバカンスを愉しむため都会からやってきたアマンダ母子が滞在することになった貸し別荘に、隣人カロラが「この辺りでは水道水が時々飲めなくなる」と、両手に水を張ったバケツを下げてやってくる。二人の出会いはこうして始まる。一見長閑に見える田園地帯に危険が潜んでいることをうすうす感じ始めていたアマンダは、隣人の訪問を喜ぶと同時に不安にかられる。

B: アマンダと親和性を覚えたカロラは「私はニナがダビと遊ぶことを望みなせん。ダビはかつては私の息子でしたが今はそうではない」と、7年前に息子の身におきた異常な体験を語り警告する。

 

      

          (カロラ役のドロレス・フォンシ、フレームから)

 

A: 子供たちに何か恐ろしいことが不意にやってくるのを心配しているアマンダは、ニナを救える距離を常に推しはかっている。アマンダはカロラを信じないが、私たちは健常な子供の少なさ、貸し別荘の仲介者ガセルの家で見た足が欠損したイヌ、種馬の突然の死、川に浮かんでいたアヒルの死骸などを見ているので恐怖を共有することになる。

B: ダビの突然の発熱に動転したカロラが運んだ <緑の家casa verde> 施された <移しmigración> の治療のシーンで、視聴者は一挙に幻想の世界に放り込まれる。

 

     

       (ドロレス・フォンシとマリア・バルベルデ、フレームから)

 

A: クリスティナ・バネガスが演じた民間療法師が施術した移しとは、ダビの魂を健康な体に移せば、ダビにとりついた毒の一部も魂についていく。ダビの命は二つの体に分かれて生き延びるが、別の息子になってしまう。それでも親としての責任が残るとカロラに説明される。

B: カロラの覚悟が決まらないうちに施術は終わる。ダビの魂と毒が誰に移行したかは分からない。モンスターに変身したダビを母親は以前のように愛せない。

 

A: ダビの発熱は長靴を失くしたせいで汚染された水溜りに入ったことが原因、彼女は夫の留守中に逃げ出した種馬捜しに気を取られ、子供の安全を二の次にしたことで自分を罰することになる。

B: 湖の対岸にある緑の家にはボートで渡るのも示唆的です。メタファーや謎解きが好みの方に向いている。

 

A: 総じて本作では父親の不在が顕著で、仕事のせいでアマンダの死後1年経ってから現地を訪れた夫のマルコ(ギジェルモ・フェニング)も、カロラの夫でダビの父親オマール(ヘルマン・パラシオス)の存在も希薄です。マルコはニナが自分の知っていた娘でないことに衝撃を受け、原因を求めて訪ねてくる。ここで熱に浮かされたアマンダに、カロラがニナを緑の家に連れていく許可を求めていたことを視聴者は思い出す。 

 

     

   (恐怖にかられ別荘を離れるアマンダ、モグラの縫いぐるみを抱いたニナ)

 

B: ニナが魂の一部を転移させ別人となって生きていることを知るわけだが、ニナの魂が誰に転移したかは想像の域を超えない。ダビの可能性もある。

A: 魂をもたない体に移行したとも考えられる。ダビがニナのモグラの縫いぐるみを抱きしめて、マルコの車に乗り込んで笑みを浮かべているシーンは、何を暗示しているのか。

 

B: アマンダに土地の秘密を告げたカロラが、家族を捨て別の土地に移ったことを知る。映画には初めと終わりがあると思っていると梯子を外される。別々に書かれたエピソードをシャッフルしてから纏めた印象を持ちました。

A: 冒頭のアマンダが本当にいた場所が分かるのは終盤になってからでした。時系列の映画では、フレームに「1週間前」または「3日前」などの説明が流れるから、ここからはフラッシュバックだと一目瞭然です。しかし本作は不親切ですから伏線やメタファーを見逃さないようにしなければならない。

 

B: 環境への配慮の欠如は緑の惑星を破壊している。カロラの職場が農薬製造会社だったのもやりきれないプロットでした。

A: 管理も制御もできない世界に直面して現れる恐怖の感覚を予測しています。私たちは既に突入しているのかもしれません。「醜悪なこと、悲劇的なこと、そして取り返しのつかないことは、日常ではありふれたことである」と作家は書いている。