クラウディア・リョサの『悪夢は苛む』*Netflix2021年11月03日 10:35

       好き嫌いがはっきり分かれるホラー「救える距離」の不穏

 

   

 

★サンセバスチャン映画祭2021セクション・オフィシアルに初めてノミネートされたクラウディア・リョサDistancia de rescateが、『悪夢は苛む』の邦題でネットフリックスで配信が始まりました。邦題の陳腐さはさておき字幕入りでの鑑賞を喜びたい。フラッシュバックや伏線多様のミックスの隙間を埋める想像力が要求される作品です。しかし不可解で象徴性に満ちていますが、注意深く登場人物の警告を聞き逃さなければ、理解できないというわけではありません。ジャンル的にはサイコスリラー、ホラー・ファンタジーなどと簡単に括れない。というのも形が見えない母性の怖れと不安、生態系の危機、民間療法による魂の転移、やや終末論的な言説もあり、現実と非現実を行ったり来たりするからです。

 

     

  (クラウディア・リョサ監督、サンセバスチャン映画祭2021フォトコール)

 

★監督キャリア&フィルモグラフィー、主演者マリア・バルベルデドロレス・フォンシ、原作者で脚本も手掛けたサマンタ・シュウェブリンについては、以下にご紹介しています。ここでは便宜上ストーリーとキャストを再録しておきます。

Distancia de rescate」の紹介記事は、コチラ20210728

  

    

     (主演者マリア・バルベルデとドロレス・フォンシ、同上)

 

キャストマリア・バルベルデ(アマンダ)、ドロレス・フォンシ(カロラ)、ギジェルモ・フェニング(アマンダの夫マルコ)、ヘルマン・パラシオス(カロラの夫オマール)、エミリオ・ヴォダノヴィッチ(カロラの息子、少年ダビ)、ギジェルミナ・ソリベス・リオッタ(アマンダの娘ニナ)、クリスティナ・バネガス(民間療法師)、マカレナ・バロス・モンテロ(ニナ保育ママ)、マルセロ・ミキノー(幼児ダビ)

 

ストーリーアマンダは家から遠く離れた診療所のベッドで死に瀕していた。少年のダビが傍らで問いかけているが、アマンダは彼の母親ではなく、ダビも彼女の息子ではない。アマンダの時が尽きようとしているので、ダビは記憶すべき事柄を矢継ぎばやに彼女に質問をしている。大人と子供という二つの声が対話しているが、物事をよく知っている声は子供、大人の声は逆に頼りなく不確かである。アルゼンチンの田園地帯小さなコミュニティを舞台に、汚染された生態系、壊れた精神の不安、待ち伏せしている未知の恐怖、子に対する母の愛の力、親と子を結びつけている細い糸についてが語られる。短編作家サマンタ・シュウェブリンが、初めて上梓した長編小説「Distancia de rescate」の映画化。

 

 

      <救える距離> が壊れたとき、私たちはどうするか?

 

A: サンセバスチャン映画祭でワールドプレミアされたのですが、当然の如く批評家の評価は割れたそうです。紙誌の評は概ねポジティブでしたが、なかにはエルパイスのカルロス・ボジェロ氏のように「退屈で全く理解できません」とけんもほろろ、評価は1つというのもありました。

B: かつて『抱擁のかけら』でアルモドバルと熾烈なバトルを展開した批評家ですね。

A: エルパイスの文化部が団結して彼の味方にまわり監督と大論戦となりました。確かに面白くなかったですが、大手メディアの個人攻撃は慎むべきことです。とにかく二人は犬猿の仲、新作の「Madres paralelas」も、1つでした。

 

B: サマンタ・シュウェブリン2014年に刊行された同名小説の映画化です。

A: 短編作家でこれが長編デビュー作、作品紹介で触れたようにホラー短編集『口のなかの小鳥たち』15編、Pájaros en la boca『七つのからっぽな家』Siete casas vacias)が翻訳されており、コアな読者がいるようです。長編は前者の1編と繋がっており、海外では短編を推す人が多いようです。リョサ監督は「知人から薦められて読みはじめ、読み終わらないうちに作家に連絡しなければと思った。それからのプロセスが大変でした」と、映画化の経緯を述懐しています。

 

    

          (サマンタ・シュウェブリンと原作の表紙)

 

B: 作家はリョサからの手紙を受け取ったとき驚いた。

A: 興味はそそられたが「小説が壊れるかもしれないと感じた。しかしリョサ映画のファンだったので会うことに躊躇いはなかった。いろいろ変更を提案されたとき、変更ではなく改善と思えた。それで4本の手で書くことになった」と、共同執筆の動機を語っている。

B: 監督はバルセロナ、作家はベルリンと地続きで生活していたから都合がよかった。

 

A: パブロ・ララインと弟のフアン・デ・ディオスの制作会社「Fabulaファブラ」が参画したことで、ロケ地がアルゼンチンではなくチリ南部のプコンとプエルと・バラスになり、コロナ前の2019年にクランクアップしていた。「言語はスペイン語、舞台はラテンアメリカでなければならない」というのが、スクリプトを見せられた米国サイドのメインプロデューサー、マーク・ジョンソンの指示だったそうです。

B: 本作では自然も登場人物の一人です。自然は元来、子供にとっても大人にとっても危険な場所になる可能性があります。

 

      

          (チリ南部でのロケ、監督と作家、2019年)

 

A: 迷信と神秘主義が日常と混じりあっている世界が舞台である必要があった。ギリシャ神話では故人の魂を小舟で冥界に運ぶ渡し守はカロンですが、アマンダが遠景で初めて少年を目撃するシーンは小舟に乗ったダビで象徴的でした。映画はカロンのようなシンボリズムを少年に与えています。

B: カロンは老人ですがダビは少年ながらある種の老獪さを感じさせ、実際のところ、その正体はよく分からない。

 

A: 本作はホラーといってもショッキングなシーンやゾンビが登場するわけではなく、目に見えないが恐ろしい何かです。恐怖は物陰に隠れているが、予想外の形で予想外の場所に現れるとダビの声は警告します。

B: 本作はアマンダの悪夢で始り、彼女と少年の二つのボイスがナレーションとなって進行する。語り手はアマンダ、語らせるのはダビです。

 

   

            (ダビとアマンダ、フレームから)

 

A: ダビの声はアマンダの潜在意識の声でしょうか。少年は「どこを見るべきか、どこに注意を払うべきか」しきりに警告している。娘ニナを愛しているアマンダが未知の危険地帯に足を踏み入れてしまったことを視聴者はやがて理解することになる。

B: ホラー映画で母性の問題が提示されるのは珍しい。「救える距離」は母と子の関係だけでなく、地球との関係にもあてはめている。私たちは既にその距離を破ってしまったわけです。

 

     

       (少年ダビ役のエミリオ・ヴォダノヴィッチ、フレームから

 

A: ダビはアマンダと観客に「あなたはそれを見ていますが理解していません」と警告する。ダイズ畑を襲う害虫を殺すための農薬が人間をも殺す。速度の遅い環境劣化は形がないので直ぐには目に見えない。

B: ここではダビの母親カロラの絶望、モンスターに変身してしまった息子についても語られる。

 

      私たちは主人公アマンダの混乱と怖れを共有する

 

A: 夏のバカンスを愉しむため都会からやってきたアマンダ母子が滞在することになった貸し別荘に、隣人カロラが「この辺りでは水道水が時々飲めなくなる」と、両手に水を張ったバケツを下げてやってくる。二人の出会いはこうして始まる。一見長閑に見える田園地帯に危険が潜んでいることをうすうす感じ始めていたアマンダは、隣人の訪問を喜ぶと同時に不安にかられる。

B: アマンダと親和性を覚えたカロラは「私はニナがダビと遊ぶことを望みなせん。ダビはかつては私の息子でしたが今はそうではない」と、7年前に息子の身におきた異常な体験を語り警告する。

 

      

          (カロラ役のドロレス・フォンシ、フレームから)

 

A: 子供たちに何か恐ろしいことが不意にやってくるのを心配しているアマンダは、ニナを救える距離を常に推しはかっている。アマンダはカロラを信じないが、私たちは健常な子供の少なさ、貸し別荘の仲介者ガセルの家で見た足が欠損したイヌ、種馬の突然の死、川に浮かんでいたアヒルの死骸などを見ているので恐怖を共有することになる。

B: ダビの突然の発熱に動転したカロラが運んだ <緑の家casa verde> 施された <移しmigración> の治療のシーンで、視聴者は一挙に幻想の世界に放り込まれる。

 

     

       (ドロレス・フォンシとマリア・バルベルデ、フレームから)

 

A: クリスティナ・バネガスが演じた民間療法師が施術した移しとは、ダビの魂を健康な体に移せば、ダビにとりついた毒の一部も魂についていく。ダビの命は二つの体に分かれて生き延びるが、別の息子になってしまう。それでも親としての責任が残るとカロラに説明される。

B: カロラの覚悟が決まらないうちに施術は終わる。ダビの魂と毒が誰に移行したかは分からない。モンスターに変身したダビを母親は以前のように愛せない。

 

A: ダビの発熱は長靴を失くしたせいで汚染された水溜りに入ったことが原因、彼女は夫の留守中に逃げ出した種馬捜しに気を取られ、子供の安全を二の次にしたことで自分を罰することになる。

B: 湖の対岸にある緑の家にはボートで渡るのも示唆的です。メタファーや謎解きが好みの方に向いている。

 

A: 総じて本作では父親の不在が顕著で、仕事のせいでアマンダの死後1年経ってから現地を訪れた夫のマルコ(ギジェルモ・フェニング)も、カロラの夫でダビの父親オマール(ヘルマン・パラシオス)の存在も希薄です。マルコはニナが自分の知っていた娘でないことに衝撃を受け、原因を求めて訪ねてくる。ここで熱に浮かされたアマンダに、カロラがニナを緑の家に連れていく許可を求めていたことを視聴者は思い出す。 

 

     

   (恐怖にかられ別荘を離れるアマンダ、モグラの縫いぐるみを抱いたニナ)

 

B: ニナが魂の一部を転移させ別人となって生きていることを知るわけだが、ニナの魂が誰に転移したかは想像の域を超えない。ダビの可能性もある。

A: 魂をもたない体に移行したとも考えられる。ダビがニナのモグラの縫いぐるみを抱きしめて、マルコの車に乗り込んで笑みを浮かべているシーンは、何を暗示しているのか。

 

B: アマンダに土地の秘密を告げたカロラが、家族を捨て別の土地に移ったことを知る。映画には初めと終わりがあると思っていると梯子を外される。別々に書かれたエピソードをシャッフルしてから纏めた印象を持ちました。

A: 冒頭のアマンダが本当にいた場所が分かるのは終盤になってからでした。時系列の映画では、フレームに「1週間前」または「3日前」などの説明が流れるから、ここからはフラッシュバックだと一目瞭然です。しかし本作は不親切ですから伏線やメタファーを見逃さないようにしなければならない。

 

B: 環境への配慮の欠如は緑の惑星を破壊している。カロラの職場が農薬製造会社だったのもやりきれないプロットでした。

A: 管理も制御もできない世界に直面して現れる恐怖の感覚を予測しています。私たちは既に突入しているのかもしれません。「醜悪なこと、悲劇的なこと、そして取り返しのつかないことは、日常ではありふれたことである」と作家は書いている。

 

『ザ・ドーター』のマルティン=クエンカ*TIFFトークサロン2021年11月07日 15:13

               風景は登場人物の一人、モラルのジレンマ

 

   

 

★去年からコロナ禍で来日できないシネアストとオンラインで繋がるTIFFトークサロンが、今年も始まった。スペイン、ラテンアメリカ諸国の関連作品(6作)のトップバッターとして、112日(2050)に『ザ・ドーター』(コンペティション部門)マヌエル・マルティン=クエンカが登場した。モデレーターは今年からTIFFプログラミング・ディレクターに就任した市山尚三氏、まだ本祭の本部が渋谷のオーチャードホールだった1992年から99年まで作品選定をしていたベテランが戻ってきました。

『ザ・ドーター』の作品紹介は、コチラ20211016

 

   

     

          (本作撮影中のマヌエル・マルティン=クエンカ)

     

★トークの内容は、作品紹介で書いたことと半分ぐらいは重なっていましたが、監督がコミックのファンで「日本の漫画家では、谷口ジローが好きだ」という発言など新発見もありました。以下はQ&Aのかたちではなくピックアップして纏めたものです。Qは簡潔でしたがAが長かった。監督はスペイン語、同時通訳者は映画に詳しく分かりやすかった。

 

★本作のアイディア、代理出産をテーマにした動機についてのQでは、「個人的に子供に恵まれなかったので授かりたいと考えていたので、現行法の養子制度に興味があった」ことが背景にあったようです。しかし本作のテーマを代理出産と位置づけていなかった管理人にとって不意打ちの質問でした。女性の権利、特にイレネのような未成年者の権利やモラルの境界線がテーマと考えていたからです。監督も「モラルのジレンマが常に存在していた」とコメントしていた。本作のヨーロッパでの捉え方の質問では「トロント、サンセバスチャンなどで上映され、スペインでは未成年者の権利を描く作品と一部から見られている」と答えている**

 

日本でいう代理出産は、イレネのようなケースを指していない。妻の卵子と夫の精子を第三者の子宮に移植する、あるいは夫の精子を第三者に人工授精の手法で注入して懐胎させることを指し、日本では法律がなく、日本産科婦人科学会はどちらも認めていない。従って法制化されている海外諸国で行う必要があります。監督が後半でスペインでは16歳までの未成年者の代理出産は認められていないと答えていた。

 

**サンセバスチャンFF上映後の大手日刊紙の評価は概ねポジティブ(エルペリオデコ、シネヨーロッパ)かニュートラル(エルムンド)、エルパイスのカルロス・ボジェロも「『カニバル』は好みでないが、本作は不安で重たいが、彼は必ず私を楽しませてくれる・・・最後の素晴らしい部分に恐怖を覚えた」と、監督が投げかけた謎と不安の質に高評価。ボジェロ氏はクラウディア・リョサの『悪夢は苛む』やアルモドバルの「Madres paralelas」を歯牙にかけなかった批評家です。

 

2番目のQは、舞台を人里離れた山中の山小屋にした理由、撮影場所、撮影期間について。本作にとって「風景はとても重要でキャラクターの一人です。それは風景が登場人物の心理そのものとして風景に溶け込んでいるからです。心理だけでなく身体もそうで、体重も春と秋冬では67キロの差をつけてもらった。クランクインは201911月から2020の年6月、秋、冬、春の四季をまたぐ約6ヵ月間もの長い期間、俳優たちは妥協して適応してくれた。デジタル処理でない本物の四季の変化を描きたかった」。撮影期間は6ヵ月ということでズレがありますが、11月末から6月初めということでしょうか。

 

★山小屋のある場所は「スペイン最大の国立公園、撮影隊の宿泊地から約1時間かかり、四輪駆動でないといけない。州都からは3時間、スペイン人でも知らない人が殆どです」と訳されていたが、監督は大きな自然公園の一つシエラ・デ・カソルラSierra de Cazorlaとおっしゃっていたように思います。シエラ・デ・セグラなどを含むスペイン最大の保護区であり、ヨーロッパでも2番目に大きい保護地域、ユネスコによって1983年生物圏保護区に認定された。スペイン最大の国立公園は、同じアンダルシア州でもポルトガルの国境に近いウエルバ、セビーリャ、カディス各県にまたがるドニャーナ国立公園で映画のような山間部ではない。ヨーロッパでも最大級の自然保護区、1994年世界遺産に登録され、観光地にもなっている。

 

   

             (撮影地カソルラ山脈)

 

★キャスティングについて、「主役イレネ・ビルゲス起用の決め手は何か、女優キャリアについて」のQには、「本作でデビュー、ダンス教室でスカウトした。内面の演技ができる派手でない少女を探していたが、カメラテストで気に入りイケるという感触を得た。演技経験はゼロだったのでリハーサルを何回も繰り返した。イレネは繊細なうえ、スペイン娘のような外へ外へというタイプでなく、エモーショナルな内面的演技ができた。撮影中は私の日本娘と呼んでいた。当時は14歳、今年の11月で16歳になる」とべた褒めでした。「繊細で内面的な日本女性」には苦笑いでしたが、後半で好きな日本の監督の名前を訊かれ「是枝監督の作品は殆ど見ている。クラシック映画をよく見る、例えば小津(安二郎)、成瀬(巳喜男)、溝口(健二)、黒澤(明)、特に小津の映画」と答えていたのでナルホドと納得できた。是枝映画はサンセバスチャン映画祭2018で、アジア人初のドノスティア栄誉賞を受賞した折りに特集が組まれ、代表作をまとめて観るチャンスがあったので、是枝ファンは多い。

 

    

    (内面的な演技を要求されたイレネ・ビルゲス、フレームから)

 

★「アウトローのことをしている自覚のある三人の一人」ハビエル役のハビエル・グティエレスについては、「ハビエルは物静かな善人から一線を越えていく役柄、彼には善と悪をミックスした人物を演じてもらった。彼とは他の映画でタッグを組んでいたので問題はなかった」。他の映画とはEl autorのこと、サンセバスチャン映画祭2017セクション・オフィシアルで上映された。ハビエルの妻アデラを演じたパトリシア・ロペス・アルナイスは、実名にしなかったが、彼女の祖母の名前だと明かした。二人のキャリアについては作品紹介を参考にしてください。

          

          

               (ハビエル役のハビエル・グティエレス、フレームから)

 

         

      (アデラ役のパトリシア・ロペス・アルナイス、フレームから)

 

★スペインの養子制度についてのQ、「出産後、養子にすれば済むケースだと思うが、何か法的な不都合があるのか」というもっともな質問には、「スペインでは16歳までの未成年が妊娠した場合、特に施設に入っている場合、産むか産まないかは国家が決断する。本人には決定権がない。ハビエルがセンター職員だから養子にできないというわけではない。不平等だが法律で決められており、仮にイレネが出産できてもハビエル夫婦は養子にできない可能性が高い」と答えている。日本とは事情が違うようです。スペインの結婚可能年齢は男女とも18歳(日本は男性18歳、女性16歳)、15歳のイレネは結婚可能年齢に達していない。

 

★移民問題についてのQ、「イレネが過激化していく背景から、もしかして移民ではないかという理解は正しいか」という質問には、「移民という設定ではないが、イレネの両親は社会の埒外にいる人々とした。彼女は両親から子供としての愛情を受けたことがなく、家族として一緒に暮らせない。愛情というものを体験したのはハビエルが初めてだった」。ドラッグの常習で子供を養育できない親は珍しくない。

 

★映画製作の出発についてのQ、「テーマを見つけ出す、これは伝えたいというテーマ、文学作品、現実に起きていることで自分の体に入ってくるもの、理論的なものでなくてもいい」。本作もイデオロギー的なものを目指していないとも他でコメントしていた。

 

★次回作品の予定についてのQ、「まず20221月に始まる舞台のプロジェクトの準備をしている。映画はプロデューサーと準備中で、できれば来年末にはクランクインしたい」。具体的なタイトル、製作者には言及しなかった。どちらかというとじっくりタイプの映像作家、前作「El autor」は4年前、前々作『カニバル』は8年前、コロナの再燃が危惧されるからあくまで予定でしょうか。「次回作も東京に持っていけたらと思っています。日本の観客の皆さんに見てくださってありがとう、感謝します」ということでした。

 

★最後に上述したしたように、日本の漫画家谷口ジローの話が飛び込み、「刺激を受けて吹き出しに入れるセリフ書きもしている」と明かした。フランスでの受賞歴が多数ある谷口ジローのコミックはスペインでも人気があり、『父の暦』(02)がバルセロナやアストゥリアスの国際コミック展で受賞している。4年前に69歳で鬼籍入り、その死を惜しむ人は多い。現在、世田谷文学館で「描く人、谷口ジロー展」が来年2月末まで開催されている。

 

★訊き洩らし、聞き違いの節は悪しからず。舞台上でのQ&Aは時間も短く、会場からの質問が纏まっていないケースも多く、オンラインでのトークは繰り返し見ることができるので歓迎です。個人的には、本作は深淵さが理解されなかった『カニバル』の延長線上にあるのではないかと感じました。

『もうひとりのトム』デュオ監督インタビュー*TIFFトークサロン2021年11月10日 11:51

       母と子供をテーマにした3作目、本作は国家が個人に介入してくる作品

 

   

TIFFトークサロン第2弾は、ラウラ・サントゥリョロドリゴ・プラ『もうひとりのトム』113日(1130)に配信されました。モデレーターは前回同様プログラミング・ディレクターの市山尚三氏、アンサーの部分は質問の内容によって二人で手分けして答えてくれた。LSはラウラ・サントゥリョ(サントゥージョ)、RPはロドリゴ・プラです。作品紹介と重複している部分も多々ありましたが新発見も多かった。ロドリゴ・プラ監督は、前作『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』15)で来日してQ&Aに参加しています。監督から新作完成のメールを貰ったことで、早い段階でコンペティション部門上映が決まっていたと市山氏。『ザ・ドーター』同様Q&Aの正確な再録ではありません。両監督へのインタビューはスペイン語、メキシコシティとの時差は15時間、現地時間は2日午後8時半でした。

『もうひとりのトム』の作品紹介は、コチラ20211021

『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』の作品紹介、監督キャリア&フィルモグラフィーは、コチラ20151103

 

     

      (インタビューを受けるラウラ・サントゥリョ、ロドリゴ・プラ)

 

Q:本作製作の動機、実話に基づいているのかという質問については、本作の原作者で脚本も手掛けたラウラ・サントゥリョが口火を切った。

LS:本作は実際のモデルがいる実話ではありませんが、母と子の関係性やトムが診断されたADHD(多動性障害)に関心があり、ADHDについて時間をかけて取材を重ねた。専門医の意見だけでなく、障害をもつご両親のブログも読んで、リサーチをしました。

 

Q:日本でも最近ADHDが問題になっており、メキシコの事情はどうでしょうか。

LS:リサーチしていくなかで、医師も一般人もADHDが病気なのか成長の一過程なのか不確かで、矛盾を感じて意見が分かれている。この一致していないことが私たちの関心の一つでもありました。

 

Q:母と子供の関係性をテーマにしたことについての質問。

RP:母と子の関係性のテーマに関心があり、これは重要と考えております。母と子を主人公にした作品は本作が3作目になり、第1作はLa demoraThe Delay)、第2作目が『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』です。前2作と本作が大きく異なるのは、前2作が社会保障制度など国の援助を必要とする個人を国家が放置して顧みない、反対に新作は国家が個人に介入しすぎて個人を圧迫しているという点です。

La demora」は、『マリアの選択』の邦題でラテンビート2012にて上映され、観客に深い感動を与えた作品。ただし舞台はメキシコでなく、二人の出身国ウルグアイ、母国に戻って製作しました。オリジナルタイトルの意味は「遅延」、国民が必要とする事案を国がぐずぐず引き延ばして責任を果たさないことをタイトルにしたようです。邦題のマリアは認知症の老父を介護しながら3人の子供を育てているシングルマザーの名前です。(管理人補足)

   

   

         (マリア役のロクサナ・ブランコを配したポスター)

 

Q:今回初めて共同で監督したわけですが、意見の食い違などありましたか。

LS:脚本は今までも他作品で共同執筆していました。共同作業で食い違いがある場合は、納得できないときもありましたが中間地点に着地するようにしました。当然プラは監督寄りに、私は脚本寄りに傾いた。(補足、デビュー作以来、二人は二人三脚で映画製作をしています)

 

Q:キャスティングはどのように決定したのか、トムも母親エレナも自然な演技だった。

RP:トム役のイスラエル・ロドリゲス・ベルトレッリは非凡な才能の子供で、周りの雑音から離れて演技できる子供だった。実際も問題児として家庭学習をしていたが、両親が参加することで良くなるのではないかと考えてワークショップに連れてきた。集団が苦手の彼が撮影中にだんだん子供同士で遊びはじめた。新作にはプロの俳優は一人もおりませんが、最初、両国(アメリカ、メキシコ)でキャスティングしたのですが、撮影地がテキサス州のエル・パソでしたから、メキシコの俳優を連れて国境を行き来するのは難しかった。結局エル・パソの人々から選んだ。

 

    

         (トム役のイスラエル・ロドリゲス、フレームから)

 

Q:アマチュアということですと、普段の職業は何をしていた方たちですか。また撮影期間はどのくらいでしたか。

RP:本来の仕事と似ている職業、つまり教師役は教師から、精神科医役は医師という具合に、役柄に近い人からキャスティングしました。エレナ役のフリア・チャベスは、役柄と同じシングルマザーで3人の子供の母親でした。全員アマチュアでしたので演技のワークショップに時間をかけました。みんな素晴らしい演技をしてくれた。10年前から準備しており、実際はリハーサルを含めると約6ヵ月間ですが、撮影は8週間でした。

 

Q:エレナの人格はコントラストがあり、ドライな面とウエットな面があった。最初のシナリオを状況に応じて変えていくようなことはあったでしょうか。

LS:元のシナリオを撮影に入ってから変えた部分もありました。エレナはドライな反面、愛情のこもった優しさに溢れた女性、理想化された母親像ではないが、さまざまな母親像があっていい。

 

Q:父親に会いにメキシコに行く旅で、エレナが解放されたように感じた。

LS:解釈はいろいろあり、ここはトムとエレナ二人の関係性に変化が出てきた段階です。父親に会わせるという約束をしておきながら母親は約束を守らなかった。それがいま果たせたわけです。今まで忙しかったが今は充分時間がある。

 

Q:国境を越えたのかどうか分かりにくかったが。

RP:分かりにくかったかもしれませんが、別れた夫はメキシコ人、メキシコに住んでおりますから国境は越えたのです。向こう側に行ったのです。

LS:メキシコから米国に入るのはコントロールされチェックが厳しいのですが、その反対はルーズなのです。

 

Q:ワールド・フォーカス部門のロレンソ・ビガスの『箱』も舞台がシウダーフアレスのようでした。ここは実際に危険なのでしょうか。

LS:正確には分かりませんが、多分メキシコ北部のチワワ州で撮影されたと思いますが、ここは治安はとても悪いです。

RP:チワワで撮影されました。ラウラが脚本を手掛けたのですよ。

LS:何年も前の初期の段階のことです。最終的にはパウラ・マルコビッチさんが脚本を執筆しました。最近私も見ましたが素晴らしい映画です。父親と息子の関係、子供に父親が必要なことなどが描かれています。**

**『箱』の作品紹介(コチラ20210907)で書きましたように、チワワ州のシウダーフアレス、クレエル、ほか数ヵ所で撮影された。話題に上がったマキラドーラについても簡単に触れております。ラウラさんが初期の段階で参画していたことは初めて聞くことで、市山氏が「これは失礼しました。クレジットを確認します」と詫びておられたが、データベースのクレジットはパウラ・マルコビッチ&ビガス監督です。(管理人補足)

 

QADHDの診断方法についての質問。トムとカウンセラーのやりとりで感情を色、例えば赤、青、黄色などで選ばせていたが、このシーンを入れた動機は何か。

RP:子供の行動や振る舞いが状況を考慮されずに単純化される危険性を示したかった。状況を無視して簡単な判断で診断される危険性、家庭環境とかその日にあったことを考慮しないで診断されている。人間は複雑な生き物で、単純にこれは黒、それは白と決めつけることはできない。いろいろな特徴をもっているのが人間です。

 

★最後に視聴者へのメッセージには、「楽しんでください、そして人間の大切さ、子供たちについて考えつづけてください。子供は大人より複雑で繊細です」とラウラさん。「TIFF上映の機会をいただけて、とても感謝しています。日本はサプライズに富んだ素晴らしい文化の国、とても刺激を与えてくれます」とロドリゴ。「是非今度は来日してください」と市山さん。だいたいトークは以上のようでしたが、訊き洩らし聞き違いは悪しからず。

 

118日にクロージング・セレモニーがあり、受賞結果が発表になっています。最高賞東京グランプリには、コソボの女性監督カルトリナ・クラスニチ『ヴェラは海の夢を見る』が受賞、これはベネチア映画祭の話題作でした。そして最優秀女優賞に本作でエレナを演じたフリア・チャベスが受賞、プレゼンターは審査委員長のイザベル・ユペールという栄誉、受賞理由の一つが「演じていないようなナチュラルな演技」でした。フリアからは「まずロドリゴとラウラに感謝、また付き人のプリシアにも。トムのイスラエルは素晴らしい俳優で、ご両親の育て方が良かった」というビデオメッセージが届いた。副賞は3000ドルということでした。

    

      

         (フリア・チャベス、ビデオメッセージから)

         

             

          (エレナ役のフリア・チャベス、フレームから)

 

審査員特別賞にテオドラ・アナ・ミハイの『市民』*TIFFトークサロン2021年11月12日 14:42

   ルーマニアの監督がメキシコを舞台に腐敗、犯罪、暴力について語る

 


 

テオドラ・アナ・ミハイ『市民』La civil審査員特別賞という大賞を受賞した。授賞式には監督のビデオメッセージが届きました。プレゼンターはローナ・ティー審査員、トロフィーと副賞5000ドルが贈られた。ビデオメッセージは「・・・『市民』は7年間かけて手がけた作品で私にとって非常に思い入れのある映画です。テーマはデリケートで現在のメキシコにとってタイムリーな問題です。海外の皆さんに見てもらい、メキシコの問題を知って議論していただくことが大切だと思っております。身にあまる賞をいただきありがとうございました」という内容でした。114日に行われたTIFFトークサロンはメキシコからでしたが、まだベルギーには帰国していないのでしょうか。

 

     

         (テオドラ・アナ・ミハイ、ビデオメッセージから)

 

 

★最優秀女優賞にはコソボ出身のカルトリナ・クラスニチ『ヴェラは海の夢を見る』ヴェラを演じたテウタ・アイディニ・イェゲニ、あるいは『市民』の主役シエロを演じたアルセリア・ラミレスのどちらかが受賞するのではと予想していました。結果はクラスニチ監督が東京グランプリ/東京都知事賞、女優賞は『もうひとりのトム』(監督ロドリゴ・プララウラ・サントゥリョ)のフリア・チャベスが受賞した。今年のTIFFは女性監督が脚光を浴びた年になりました。なおテオドラ・アナ・ミハイ監督のキャリア&フィルモグラフィー、キャスト、スタッフの紹介は既にアップしております。

『市民』(La civil)の作品&監督フィルモグラフィーは、コチラ20211025

 

  

     (審査委員長イザベル・ユペールからトロフィーを手渡された、

      駐日コソボ共和国大使館臨時代理大使アルバー・メフメティ氏)

 

 

TIFFトークサロン1141100,メキシコ32000)、モデレーターは市山尚三氏。監督は英語でインタビューに応じた。QAの内容は、質問に対するアンサーの部分が長く(同時通訳の方は難儀したのではないか)内容も前後するので、管理人がピックアップして纏めたものです。

 

Q:本作製作の動機、モデルが実在しているのに実話と明記しなかった理由、エンディングでシエロのモデルになったミリアム・ロドリゲスに本作が捧げられていた経緯の質問など。

A16歳からサンフランシスコのハイスクールに入学して、映画もこちらで学んでいる。当時は今のメキシコのように危険ではなかったのでメキシコにはよく旅行しており、メキシコ人の友人がたくさんいる。2006年、時の大統領が麻薬撲滅運動を本格化させたことで、日常生活が一変した。ベルギーにいるメキシコの友人から話を聞き、Waiting for Augustの次はメキシコの子供たちをテーマにしたドキュメンタリーを撮ろうと決めていた。今から9年前にメキシコを訪れた。友人の母親から「夕方7時以降は危険だから外出してはいけない」と注意された。子供たちにインタビューを重ね、ジャーナリズムの方法で取材を始めていった。

 

Q:(アンサーには質問と若干ズレがあり再度)実話と明記しなかった理由、モデルとの接点についての質問があった。

A:知人から是非あって欲しい人がいると言われ会うことにした。ミリアムは拳銃を持参しており彼女が危険な状況に置かれていると直感した。話の中で「毎朝、目が覚めると、殺したい、死にたいと思う」という激しい言葉に驚き、ミリアムの容姿と言葉のギャップに衝撃を受けた。2年半の間コンタクトを撮り続けたが、これはミリアムの身に起こった実話にインスパイアされ、リサーチを加えたリアリティーに深く根差したフィクションです。

 

A:最初はドキュメンタリーで撮ろうと考えミリアムも撮ったが、最初の2週間でドキュメンタリーは出演者だけでなく、私たちスタッフにも危険すぎると分かった。当局の思惑、メキシコの恥部が世界に拡散されることや自分たちにも危険が及ぶこと、軍部とミリアムの複雑な関係性などから断念せざるを得なかった。脚本はメキシコの小説家アブク・アントニオ・デ・ロサリオとの共同執筆です。

(管理人補足:作家のクリスチャンネーム Habacuc の表記は、作品紹介では予言者ハバクックHabaquq から採られたと解釈してハバクックと表記していますが、正確なところ分かりません。Hはサイレントかもしれません)

 

      

 (共同執筆者ハバクック・アントニオ・デ・ロサリオと監督、カンヌFFフォトコール)

 

A:ミリアムは既に社会問題、社会現象になっておりました。あちこちで発見される共同墓地ひとつをとっても、これがメキシコの悲しみと言えるのです、タイトル「市民」はメタファーで、シエロやミリアムのような母親がメキシコには大勢存在するということです。エンディングで本作がモデルになったミリアムに捧げられたのは、ネットでお調べになってご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、2017年の母の日に自宅前で何発もの銃弾を受けて暗殺されたからです。彼女は本作を見ることができなかったのです。

(管理人補足:20173月、カレン誘拐に携わりながら罪を逃れていた20人以上が逮捕されたことが引き金になって、510日の母の日に暗殺された。映画では娘の名前はラウラですがカレンが実名。エンディングにオマージュを入れるのは鬼籍入りしたことを意味しています。)

 

  

         (シエロのモデルとなったミリアム・ロドリゲス)

 

Q:製作者にダルデンヌ兄弟、ムンジュウ、ミシェル・フランコとの関りについての質問。

A:ダルデンヌ映画とスタイルが似ているかもしれない。というのも白黒が曖昧なキャラクターを描いている。善悪をテーマにしており、善人と悪人が別個に存在しているのではなく、人間は常にグレーです。シエロも最初は被害者でしたが、ある一線を越えてダークな方向へ向かってしまう。

 

Q:日本映画についての質問。

A:私が生まれたころの監督、黒澤(明)は私のマエストロです。是枝(裕和)映画は全部見ています。私のWaiting for August14)は、『誰も知らない』(04)にインスパイアされたドキュメンタリーです。これは16歳の長男を頭に5歳の末っ子7人の兄妹の物語です。父親はいなくて、母親がイタリアに出稼ぎに行って仕送りしている。14歳になる長女が家族の面倒をみて切り盛りしている。『誰も知らない』は悲しい作品でしたが、私の作品はもっとポジティブに描きたかったので、ラストはそうしました。

 

Q:シエロを演じた女優アルセリア・ラミレスのキャリアについての質問。

A:サンフランシスコにいたころ観た映画「Like Water for Chocolate」(92)に出演していた女優さんが記憶にあり、その頃はとても若かったのですが心の中に残っていた。現在はベテラン女優として忙しそうだったが大部のシナリオを送ってみた。すると1日半もかけて脚本を読んでくれ、「私に息を吹きこませてください」という感動的なメッセージ付きで返事が来た。

   


           (髪をバッサリ切って変身するシエロ)

 

★市山氏から「その映画なら『赤い薔薇ソースの伝説』という邦題で、TIFFで上映しました。私がTIFFに参加した最初の年で、よく覚えています。どんな役を演じていたか記憶していませんが」とコメントがあった。「小さな役でナレーションをやりました」と監督が応じた。

(管理人補足:アルセリア・ラミレスが演じた役は、一家の女主ママ・エレナの曽孫役、スクリーンの冒頭に登場して、このマジックリアリズムの物語を語るナレーション役になった。原題はComo agua para chocolateアルフォンソ・アラウ監督のパートナー、ラウラ・エスキベルの大ベストセラー小説の映画化。タイトルは情熱や怒りが沸騰している状況、特に性的興奮を表すメキシコの慣用句から採られている。日本語が堪能なメキシコの知人が、あまりの迷題に笑い転げたことを思い出します。アルセリア・ラミレスのキャリア紹介はアップしております。)

 

★ミハイ監督から「映画祭に私の作品を招待して下さりありがとうございました。メキシコの状況をご友人とも語り合って、劇場で是非ご覧になってください。劇場で一緒に鑑賞する文化は失われてはいけません。早くコロナが収束することを願っています」と感謝の言葉があった。

 

★トークでは時間の関係から触れられなかったのか、他のインタビューで「私はシエロのような不幸に挫けず生きていく女性のキャラクターに惹かれます。それは私自身の生い立ちと無縁ではありません。ルーマニアがチャウシェスク独裁政権下の1988年、私の両親はベルギーに亡命、当時7歳だった私は人質として残されました。幸い1年後に合流できましたが、当時のルーマニアは、国民同士が告発しあう監視社会で、誰も他人を信頼できませんでした。そういう実態経験が私の人格形成に影響を及ぼしています」と語っています。視聴者からフィナーレについての曖昧さが指摘されているようですが、ラストはいろいろな解釈が可能なように敢えてしたということです。メキシコの悲劇は現在も進行中、我が子の生存すら分からぬまま生きていかねばならない家族を考慮したようです。


追加情報:2023年1月20日、邦題『母の聖戦』で公開されました。

『箱』のロレンソ・ビガス監督インタビュー*TIFFトークサロン2021年11月16日 16:50

      『箱』は「父性についての三部作」の第3部、風景は主人公の一人

 

      

 

TIFFトークサロン、ワールド・フォーカス部門上映のロレンソ・ビガス『箱』The BoxLa caja)は、メキシコ=米国合作映画、第78回ベネチア映画祭2021コンペティション部門でワールドプレミアされた。ロレンソ・ビガスといえば、『彼方から』15Desde alláで金獅子賞のトロフィーを初めてラテンアメリカに運んできた映像作家という栄誉が常に付いて回る。栄誉には違いないが重荷でもあったのではないか。メキシコの作品が続くが、ビガス監督はベネズエラ(メリダ1967)出身、『もうひとりのトム』のデュオ監督ロドリゴ・プララウラ・サントゥリョはウルグアイ、『市民』のテオドラ・アナ・ミハイはルーマニアと、全員メキシコ以外の出身者だったのは皮肉です。ここはメキシコの懐の深さとでも理解しておきましょう。

      
★『箱』及び『彼方から』の作品紹介、キャスト、スタッフ、監督キャリア&フィルモグラフィーは、既に紹介しております。特に『彼方から』は監督メッセージで「是非ご覧になってください」と話されていましたので関連記事も含めました。チリの演技派俳優アルフレッド・カストロの目線にご注目です。

『箱』の作品紹介は、コチラ20210907

『彼方から』の作品紹介、監督キャリア&フィルモグラフィーは、

 コチラ20150808同年100920160930

    

  

    (金獅子賞のトロフィーを手にしたロレンソ・ビガス、ベネチアFF2015

 

 

  

 (マリオ役のエルナン・メンドサ、監督、ハッツィン・ナバレテ、ベネチアFF2021

 

★以下はトークの流れに沿っていますが、作品紹介で書きました内容と重なっている部分は端折っております。観客から寄せられた質問を中心にして展開されました。モデレーターは前回同様、映画祭プログラミング・ディレクター市山尚三氏。

 

Q: メキシコの闇の部分が描かれていたが、本作のアイディア誕生は何か。

A: 私はベネズエラ生れですが、メキシコの友人とコラボするつもりで21年前に訪れ、結局ここに居つくことになりました。長く滞在しておりますと、ニュースなどでメキシコの現実を見ることは避けられない。メキシコ北部のニュースが多く、例えば多くの女性たちの行方不明事件などです。あるときメキシコ北部の共同墓地のニュースを見ていたとき、少年が父の遺骨を取りに行く→箱の中には父の遺骨が入っている→街中で父と瓜二つの男性を見かける→箱の中の遺骨か目の前の男性か、どちらが本当の父親なのか、というストーリーがひらめいた。

   


               (箱の中に入っているのは何か)

 

Q: メキシコ北部、治安は悪いと聞いている危険なチワワ州を舞台に選んだ理由は何か。

A: チワワ州はメキシコで最大の面積をもつ州です。国境に接している州なので危険地帯です。場所選びに1年間かけました。なかで舞台の一つになったシウダー・フアレスにはマキラドーラ産業の部品工場が多くあり、この工場も物語の登場人物の一人ということがありました。またハッツィン少年の孤独を象徴しているような広大な砂漠地帯、風景も登場人物だったのです。風景もマキラドーラの工場も揃っているチワワを撮影地に決定したのです。

管理人補足:チワワ州の州都はチワワ市だが、舞台となるシウダー・フアレスが最大の都市であり、周囲はチワワ砂漠に囲まれている。麻薬のカルテル同士の抗争が絶えない危険地帯。『箱』の作品紹介でチワワに決定した理由、シウダー・フアレスの他、35ミリで撮影した理由、マキラドーラ産業について触れています)

 

    

          (空虚さがただよう共同墓地のある砂漠地帯)

 

Q: 撮影期間はどのくらいか、犯罪の多いシウダー・フアレスで撮影中、危険を避けるために具体的にしたことはあるか。

A: 準備期間は約1年間です。撮影期間は普通は68週間ですが、本作では10週間かかりました。というのも撮影地がシウダー・フアレスから遺骨が埋まっている砂漠地帯まで、そのほか数ヵ所の撮影地を含めると広範に渡っていたのでの移動に時間が掛かったからです。確かに治安は悪かったのですが、撮影数週間前に土地の麻薬密売のカルテルに「迷惑をかけることはない撮影です」と根回しをして、撮影許可をとりました。ロケ地ごとにカルテルが違っていたので大変でした。チワワ州知事が協力してくれたことも大きかった。

 

A: 1年間、撮影を許可してくれる工場を探しましたが、工場同士の競争が激しく実現しませんでした。それは会社の実態を知られたくない、特に労働者の労働環境を知られたくないという思惑があったからです。使用した工場は破産したばかりの会社で、3日間貸しきりにして労働者も実際働いていた人々です。既に解雇されていたので、賃金はプロダクションが支払いました。

 

 

         (マキラドーラ産業の破産したばかりの工場シーン)

 

Q: ハッツィン少年のキャスティングについて、時に覗かせる笑顔が素晴らしく心に残りました。

A: キャスティングは極めて難航しました。演技をできる子役はいたのですが、13歳ぐらいだと演技はできても自分の声をもっていない、本作に必要なアイデンティティをもっていない。私は演技をしない子供を探していた。3か月間、数えきれない学校巡りをして何百人もの子供に会い、ワークショップもしましたが見つからなかった。それで一時キャスティングを中断して準備に取りかかった。すると撮影1週間前に「オーディション会場に行くお金がなくて行けなかった」という少年のビデオが送られてきた。ビデオを見て、どうしても会いたくなった。リハーサルを繰り返すうちに「この子は他の子と違うな」と思いました。特に目、視線が良かった。父親との辛い体験をもっており、この個人的経験が役柄に活かされると思った。

 

     

           (ハッツィン役のハッツィン・ナバレテ)

 

Q: 役名と実名を同じにしたのは意図的か。

A: 脚本は最初アルトゥーロでした。内向的でしたが撮影に入って暫くすると、セットでの存在感が出てきて、アルトゥーロより本名のハッツィンのほうがぴったりしてきた。それで途中から変えました。

 

Q: 家族の話をテーマにしたかったのでしょうか。

A: 本作は家族というより父と子の関係性を描いています。ラテンアメリカ映画の特徴の一つ、父親不在が子供に何をもたらすかに興味がありました。実は本作は <父性についての三部作> の第3部に当たります。第1部は短編Los elefantes nunca olvidan04、仮題「象たちは決して忘れない」13)、第2部が『彼方から』です。5年前に亡くなった父親と自分の関係は近く、自身のことではありません。

管理人補足: 父親オスワルド・ビガス90歳で死ぬまで描き続けたという画家。彼を描いたドキュメンタリーEl vendedor de orquídeas1675分)も、父と子というテーマなのでリストに入れてもいいと、別のインタビューでは答えている

 

Q: 色のトーンを意図的に変えているか。

A: 意図的ではない。前作の『彼方から』のほうはミステリアスな心理状態に合わせて意図的に修整した。新作は夏から冬へと季節が移り変わる、季節とマッチした、その移り変わっていくチワワの風景を忠実に撮影したかった。チワワの風景は35ミリでないと表現できないので、あまり修整しなかった。風景も重要な登場人物だからです。

  

Q: 製作者にミシェル・フランコ、反対に監督はフランコのSundownのプロデューサーになっています。そちらでは国境を越えて協力し合うことが多いのですか。

A: そういうことではありません。あくまでも私とミシェルの個人的な特別な長い関係です。二人はだいたい同じ時期にデビューしています。スタイルは異なりますが、互いに意見を出しあい脚本を見せあっています。力を合わせることで強さ発揮できます。それにお互い尊敬しあっていて、二人でやるのが楽しいからです。

管理人補足: ミシェル・フランコは1979年生れ、2009年長編DanielAnaでカンヌ映画祭と併催の「監督週間」に出品された。Sundownは『箱』と同じベネチア映画祭2021コンペティション部門でワールドプレミアされた最新作

 

Q: 娯楽映画ではないので資金調達が困難だったのではないでしょうか。

A: 半分はメキシコ政府が行っている映画特別予算が提供されました。これは提供した会社に税金の面で控除があるようです。他は自分たちの制作会社「テオレマTeorema」とアメリカの制作会社でした。

 

Q: カーラジオから流れてくる曲がエンドロールでも流れていた。どんな曲ですか。

A: 自分はスコアは使わない方針なのですが、今回は試しにミュージシャンに頼んでみました。しかしうまくいかなかった。チワワではラジオをよく聞く文化があって、たまたまラジオから聞こえてきたハビエル・ソリスを使った。彼はボレロ・ランチェーラというジャンルを開拓したミュージシャンです。曲は幸せになれないという失恋の歌でした。使用した理由は映画と上手くリンクすると考えたからです。

管理人補足: ハビエル・ソリス、1931年生れの歌手で映画俳優。貧しい家庭の出身でしたが、その美声を認められて歌手となった。しかし患っていた胆嚢炎の手術が失敗して、1966年その絶頂期に34歳という若さで亡くなった。活動期間は短かったがアメリカでも多くのファンを獲得、今もってその美声の人気は衰えないようです)

 

Q: 最後に日本の観客へのメッセージをお願いします。

A: ハッツィンの気持ちを共有していただけて嬉しく思います。日本へは次の作品をもって東京に行けたらと思います。父親不在がどんな結果をもたらすかを描いた『彼方から』を是非ご覧になってください。

管理人補足:『彼方から』は、ラテンビート2016とレインボー・リール東京映画祭、元の名称-東京国際レズビアン&ゲイ映画祭-で上映されました。DVDは残念ながら発売されていないようです)

 

★父親に似た男性マリオを演じたエルナン・メンドサについての質問がなかったのが、個人的に惜しまれました。作品紹介で触れましたようにミシェル・フランコの『父の秘密』12)の主役を演じた俳優です。彼の存在なくして本作の成功はなかったはずです。

  

   

            (エルナン・メンドサとハッツィン・ナバレテ、フレームから


『リベルタード』のクララ・ロケ監督インタビュー*TIFFトークサロン2021年11月20日 11:29

  クララ・ロケのデビュー作『リベルタード』は短編「El adiós」がベース

 

   

 

TIFFトークサロン視聴の最終回は、ワールド・フォーカス部門のクララ・ロケのデビュー作『リベルタード』です。カンヌ映画祭と併催の「批評家週間」でワールドプレミアされました。本作はバルト9での上映が見送られた18回ラテンビートとの共催上映作品です。既にアップした作品紹介と重なっている部分、アイデア誕生の経緯自由とはないかアイデンティティ形成期の重要性階級差の理不尽本作のベースになった短編「El adiósなど重なっていた。しかし紹介では触れなかった新発見も多々ありましたので、そのあたりを中心に触れたいと思います。インタビューは英語、クララ・ロケ(バルセロナ1988)は、カタルーニャ政府が1990年に創立したポンペウ・ファブラ大学で視聴覚コミュニケーションを学んだあと、奨学金を得てコロンビア大学で脚本を学んでおり英語は堪能。モデレーターは映画祭プログラミング・ディレクターの市山尚三氏。

『リベルタード』作品紹介、キャリア&フィルモグラフィーは、

  コチラ20211012

 

     

                (クララ・ロケ監督)

 

Q: 本作は監督の体験が含まれているのかという観客からの質問がきています。

A: 短編「El adiós」がベースになっており、これはアルツハイマーの祖母を介護してくれたコロンビアから働きに来ていた女性がモデルになっています。短編のキャスティングの段階で、女性介護師の多くが、故国に家族を残して出稼ぎに来ていることを知りました。私は恵まれた階級に属していることを実感していますが、この階級格差をテーマにしてフィクションを撮ろうとしたわけです。地中海に面した避暑地コスタブラバに別荘があり、子供のころ夏休みをここで過ごしたので撮影地にしました。

 

       

          (多くの受賞歴がある「El adiós」のポスター)

 

Q: 劇中のアルツハイマーの祖母とご自身のお祖母さんと重なる部分がありますか。

A: 私の祖母の記憶に沿っています。壊れていく祖母を目の当たりにして、一つの世界の終り、一つの時代の終り、家族のアイデンティティの終りを実感しました。アイデンティティと階級格差、記憶をテーマにしました。アイデンティティは記憶でつくられるからです。

 

Q: 本作を撮るにあたり参考にしたバカンスをテーマにした映画などありましたか。

A: イングマール・ベルイマンの『不良少女モニカ』、エリック・ロメールの『海辺のポーリーヌ』、ルクレシア・マルテルの『沼地という名の町』など、人間の感情を描いているところ、辛辣で意地悪な雰囲気を感じさせるユニークなスタイルが参考になりました。特にマルテルの作品です。

 

管理人補足:クラシック映画、またはマイナー映画ということもあって、邦題の同定には市山氏の貴重な助言がありました。監督が挙げた3作品の駆け足紹介。

1953年のスウェーデン映画『不良少女モニカ』(原題Sommaren med Monika、仮題「モニカとの夏」)はベルイマンの初期の作品で、フランスのヌーベルバーグの監督から絶賛された作品。17歳になる奔放なモニカと内気な19歳のハリイの物語、奔放なリベルタードの人物造形はモニカが参考になっているのかもしれません。1955年に公開されました。現在はないアート系映画チャンネル、シネフィル・イマジカのベルイマン特集があると放映されていました。ビデオ、DVDが発売されています。

1983年の『海辺のポーリーヌ』は、ロメールの「喜劇と格言劇」シリーズの第3作目、ノルマンディーの避暑地を舞台にした一夏の恋のアバンチュール、愛するより愛されたい人々を辛辣に描いた群像劇。ベルリン映画祭でロメールが銀熊監督賞、国際批評家連盟賞を受賞した作品。撮影監督がバルセロナ出身のネストル・アルメンドロスでロメール映画やフランソワ・トリュフォー映画を多数手掛けている。ビデオ、DVDで鑑賞できます。

アルゼンチンのルクレシア・マルテルの『沼地という名の町』La Ciénaga)は、アルゼンチン国家破産前のプール付き邸宅で暮らすブルジョワ家族のどんよりした日常が語られます。NHKが資金提供しているサンダンス映画祭1999NHK国際映像作家賞(賞金1万米ドル)を受賞して完成させた関係から、NHKの衛星第2で深夜に放映されています。他にラテンビート2010京都会場で特別上映されたのがスクリーンで観られた唯一の機会でした。ベルリン映画祭2001フォーラム部門でワールドプレミアされ、アルフレッド・バウアー賞を受賞した他、国際映画祭の受賞歴多数。監督の生れ故郷サルタの特権階級を舞台にした『ラ・ニーニャ・サンタ』(04)と『頭のない女』(08)を合わせてサルタ三部作と言われています。DVDは発売されていないと思います。

 

Q: キャスティングの経緯と二人の少女の演出についての質問。

A: マリア・モレラニコル・ガルシアの二人に出演してもらえたのは幸運でした。マリアは別の作品を見ていて起用したいと思っていましたが、ニコルは本作がデビュー作です。リベルタードのバックグランドをもっている女の子を探しておりました。つまりコロンビア人でスペインは初めてということです。それでコロンビアまで探しに行きました。プロは考えてなく、街中を探し回りました。青い髪をなびかせてローラースケートをしている素晴らしい女の子ニコルを探しあてたのです。クランクイン前に二人を同じ家に一緒に住まわせて、二人をキャラクターに無理に合わせるのではなく、二人の個性に寄せて脚本を変えた部分もありました。

 

        

          (生れも育ちも対照的なノラとリベルタード)

 

Q: 階級格差を描いているが、スペインは階級社会なのでしょうか。

A: スペインは欧米の多くの国々と同じく階級社会です。あからさまに話題にしなくなっていますが、平等になって格差が無くなったと考えるのは錯覚です。出自によって得られるチャンスが違うからです。『リベルタード』製作にあたって、自分が特権階級と気づくために、一時そこから意識的に離れる必要がありました。

 

Q: リベルタードは結局自由になれない、階級差が続くというメッセージですか。反対に死に近づく祖母アンヘラがある意味で自由になっていく。これは老いてから自由になれるということですか。

A: 素晴らしい質問です、『リベルタード』で描きたかったことです。経済的に恵まれていないため自分の人生を生きることのできない人は、本当に自由になれるのかという問いですね。またアンヘラは自分が望んでいた人生を歩んでいたわけではない、これは本当の意味での人生ではないから、死をもって不本意な人生を終わらせ自由になりました。

 

Q: 音楽が良かった、どのように選曲しましたか。

A: 好きな音楽についての質問でとても嬉しいです。私にとって音楽は重要、それで音楽用の資金を残してくれるように頼んでおきました。シーンに載せるだけの音楽でなく、シーンから生まれる音楽をつくりたいと考えました。過去の記憶を失ってノスタルジーに生きているアンヘラにはクラシックを使用、若い二人には、レゲエ、よりヘビーなレゲトン、サルサなどのニューミュージックです。家族の贅沢を象徴する音楽も入れました。

 

Q: 撮影地のコスタブラバは、子供のときと現在で変化はありましたか。

A: 脚本はコスタブラバをイメージしながら執筆しました。知ってる場所だとよいものになると思っていて、実際何かが起きるのです。

Q: 女の子たちのセリフを変えたところがありますか。

A: 監督のために脚本を書くことが私の仕事で、脚本に固執していましたが、監督をして学んだこともありました。それは役者たちが即興で演じたセリフのほうが面白いという経験です。結果、変えたところが良いシーンになったのでした。

 

Q: 長編デビューしたわけですから、今後は監督業に徹しますか。また、これからのプランがあったら聞かせてください。

A: 私は他の監督のために脚本を書くのが好きですから書き続けます。是非撮りたいというテーマがあれば別ですが、監督業はエネルギーが必要です。先の話になりますが、父親が馬のディーラーをしているので馬をテーマにした映画を考えています。短編を撮っているので今度は長編を撮りたい。興味深い質問ありがとうございました。

 

★馬をテーマにした短編というのは、女の子の姉妹と片目を失った農場の1頭の馬を語ったLes bones nenes1517分)を指す。監督の母語カタルーニャ語映画で国際映画祭巡りをして好評を得た。うちシネヨーロッパ賞2019短編映画賞、アルカラ・デ・エナレス短編映画祭2017で『リベルタード』の音楽も手掛けたパウル・タイアンがオリジナル作曲賞を受賞するなどした短編。

 

     

        (馬を主人公にしたLes bones nenesのフレームから)

 

★これで当ブログ関連のTIFFトークサロンは終りです。アレックス・デ・ラ・イグレシア『ベネシアフレニア』は、ラテンビートFFプログラミング・ディレクターのアルベルト・カレロ氏とのオンライントークがアップされています。「美しいものは壊れる」がテーマです。いずれ公開されると思いますので割愛します。力不足で聞き違い勘違いが多々あると思いますが、ご容赦ください。

 

パブロ・ララインの新作「スペンサー」*ダイアナ・スペンサーの謎2021年11月28日 20:33

    伝統に縛られた風変わりで冷酷な裏切りの王室を描いたホラー映画

 

      

 

2022年はダイアナ・スペンサーが交通事故死して25年目というわけで、クリステン・スチュワートを起用したパブロ・ララインSpencer(仮題「スペンサー」)と、エド・パーキンズのドキュメンタリーDianaの劇場公開が決定しています。チリの監督作品がベネチア映画祭でワールドプレミアされたからと言って、邦題も公開日も正式に決まっていないのに、紹介記事が多数アップされるとは驚きです。同じ有名人のビオピック『ジャッキー/ファーストレディ最後の使命』とは比較になりません。その謎に包まれた悲劇的な最期もあるのか、未だにダイアナ人気は持続しているようです。ネットフリックス配信のピーター・モーガン原案のTVシリーズ『ザ・クラウン』(ダイアナ役エマ・コリン)、酷評さくさくだったダイアナ最後の2年間に焦点を絞ったオリヴァー・ヒルシュビーゲル『ダイアナ』(同ナオミ・ワッツ)と、ダイアナ女優の競演も見逃せません。

 

★旧姓 <スペンサー> だけでダイアナ妃に直結できる人がどのくらい居るのか分かりませんが、副題入りなら願わくば簡潔にして欲しい。本作についてはまだ詳細が分からなかった昨年夏にクリステン・スチュワート監督デビューを含むトレビア記事を紹介しております。スペイン語映画ではありませんが、久々にラライン映画をご紹介。

「スペンサー」のトレビア記事は、コチラ20200712

 

     

 (パブロ・ラライン監督とクリステン・スチュワート、ベネチアFF2021フォトコール)

 

 Spencer(仮題「スペンサー」)

製作:Komplizen Film / Fabla / Shoebox Films  協賛FilmNation Entertainment

監督:パブロ・ラライン

脚本:スティーブン・ナイト

撮影:クレア・マトン

美術(プロダクション・デザイン):ガイ・ヘンドリックス・ディアス

編集:セバスティアン・セプルベダ

衣装デザイン:ジャクリーン・デュラン

音楽(監修):ジョニー・グリーンウッド、ニック・エンジェル

キャスティング:Amy Hubbard

製作者:ポール・ウェブスター(英)、マーレン・アデ、ヨナス・ドルンバッハ、ヤニーネ・ヤツコフスキー(以上独)、フアン・デ・ディオス・ラライン&パブロ・ラライン(チリ)、(エグゼクティブ)スティーブン・ナイト、トム・クインほか多数

 

データ:製作国ドイツ=チリ=イギリス=アメリカ、英語、2021年、ビオピック・ドラマ、111分、撮影地ドイツ(フリードリヒスホーフ城)、イギリスのノーフォーク他、期間2021128日~427日まで。配給STAR CHANNEL MOVIES、公開イギリス・アメリカ2021115日、チリ2022120日、独127日他多数、日本は2022年、東北新社フィルム・コーポレーション

映画祭・受賞歴:第78回ベネチア映画祭コンペティション部門、トロントFF、パルマ・スプリングFFスポットライト賞(クリステン・スチュワート)、ほかチューリッヒ、BFIロンドン、ハンプトン、ヘント、サンディエゴ、シカゴ、マドリードなどの国際映画祭上映多数。

 

キャスト:クリステン・スチュワート(ダイアナ妃)、ティモシー・スポール(アリスター・グレゴリー)、ジャック・ニーレン(長男ウイリアム)、フレディ・スプリー(次男ヘンリー)、ジャック・ファージング(チャールズ皇太子)、ショーン・ハリス(ダレン)、ステラ・ゴネット(エリザベス女王)、リチャード・サメル(エディンバラ公フィリップ殿下)、エリザベス・べリントン(アン王女)、ロア・ステファネク(女王の母、王太后)、サリー・ホーキンス(マギー)、エイミー・マンソン(アン・ブーリン)、ローラ・ベンソン(着付師アンジェラ)、ジョン・ケオ(チャールズの側用人マイケル)、トーマス・ダグラス(ダイアナの父ジョン・スペンサー)、エマ・ダーウォール・スミス(カミラ・パーカー・ボウルズ)、ニクラス・コート(アンドリュー王子)、オルガ・ヘルシング(元ヨークシャー公爵夫人サラ・ファーガソン)、他多数

 

ストーリー:ダイアナは、英国王室がクリスマス休暇を過ごすノーフォークにあるサンドリンガム邸に一人で到着した。彼女は生まれ育ったところからそれほど遠くないサンドリンガムをずっと憎んでいました。ダイアナが離婚を決意したクリスマス休暇の3日間が描かれる。彼女は過去と現在は同じものであり、未来は存在しない場所を逃れて、なりたい自分になることを選びます。誰も正確に本当のレディ・ディを知りません。

 

    「謎に包まれたレディ・ディは魅惑的です」とラライン監督

 

★王室が存在しない国の監督パブロ・ラライン(サンティアゴ・デ・チリ197645歳)は、本作のプロモーションのためロンドンに滞在していました。キャンペーンはうまくいってるようです。「イギリス人は自分たちの暮らす社会とは違う話に慣れており、外部の誰かがそれに取り組んでいることを面白がります。彼らはこの映画が物議を醸すかどうか気をもんでいます。多分その要素はあるでしょう、おそらく危険です」とエル・パイスの記者にコメントした。

 

         

    (ウェールズのダイアナとして登場するクリステン・スチュワート)

 

★「スペンサー」は、デビッド・クローネンバーグの『イースタン・プロミス』(07)の脚本を手掛けたスティーブン・ナイトに脚本を依頼したことから始まった。20211月下旬、ドイツのサンドリンガムに見立てたフリードリヒスホーフ城で迅速に撮影が始り、3月下旬にイギリスに移動して完成させました。カンヌ映画祭には間に合わず、ベネチアでワールドプレミアされました。ベネチアにはかつて『ジャッキー~』や『エマ、愛の罠』がコンペティション部門にノミネートされたとき現地入りしています。

 

★撮影は『トニー・マネロ』以来、長年にわたってラライン映画を手掛けてきた撮影監督セルヒオ・アームストロングから、今回はフランスのクレア・マトンに変わった。マトンはセリーヌ・シアマがカンヌFF2019の脚本賞・クイア賞を受賞した『燃ゆる女の肖像』の撮影監督です。アームストロングはロレンソ・ビガスの『箱』を撮っていた。ドイツ・サイドの製作者にマーレン・アデ、アデは『ありがとう、トニ・エルドマン』(16)の監督、そして今作をプロデュースしたのがヨナス・ドルンバッハヤニーネ・ヤツコフスキーでした。イギリスからポール・ウェブスター、チリが監督の実弟フアン・デ・ディオス・ラライン、スタッフ陣に抜かりはありません。

 

★「ほぼ2年にわたって調査をしたのですが、情報が多くなればなるほど謎が深まっていった」と監督。「ダイアナを包み込んでいた謎は魅惑的で、理解できないことで逆に興味が増していきました。映画をご覧になった方は、それぞれ自分のバージョンをつくり、私的に愉しむことができます。伝統的なおとぎ話では、魅力的な王子様が現れてお姫様を見つけ結婚する。やがて王妃になれるのですが、ここでは反対のことが起きる」のです。つまりお姫様は王子様と出会う前のなりたい自分になると決めて王室を去るからです。そうして初めてアイデンティティをもつことができたのです。

 

     

        (イギリスで撮影中のクリステン・スチュワートと監督)

 

★離婚でもっとも有名になった女性の運命については、既に皆が知ってることなので描かれない。1997831日にパリで起きた衝撃的な交通事故についても描かれない。舞台はエリザベス女王のサンドリンガム邸、日付は指定されていません。別居が公式に発表になった1992129日より前の1991年の或るクリスマス休暇の3日間か、あるいは息子二人の年齢から1992年の可能性もあると監督はコメントしている。ヘアースタイリスト界のスターだったサム・マックナイトの勧めで、ダイアナが髪をショートカットにした時期は1990年後半、1991年は「ダイアナ・ピクシー」と言われるショートだったという。映画のようなふんわりした髪型はもっと後のものだというのだが、明らかに違います。マックナイトはTVシリーズ『ザ・クラウン』でエマ・コリンのヘアーを担当しています。

  

   

        (レディ・ディに扮したクリステン・スチュワート)

   

   

         (ショートカットのダイアナ妃、199157日)

    

★ベネチア映画祭のあれこれは、既に報道されていることですが、監督が「私はいつもクリステンが揺るぎない、しっかりした、長い準備をして非常に自信をもっているように感じました。そしてそれがチームの他のメンバーに安心をもたらしました」とスピーチしたら、女優は「いいえ、私は怖れていました! しかし私はどっしり構えたあなたを見て、それに縋りつきました。とにかく私と同じように全員が怖がっていたのでした」と応じました。皆が知っている毀誉褒貶半ばする人物を演じるのは怖いです。実際本作はスタンリー・キューブリックの『シャイニング』のようなサイコホラーとは違うようですが、1200年の歴史と伝統にとらわれた不条理なホラー映画です。

   

    

         (レディ・ディと二人の息子たち、フレームから

    

★横道ですがベネチアにはパートナーの脚本家ディラン・マイヤーも現地入りしており、パパラッチを喜ばせていた。2018年夏からの比較的長い交際だから、今度は結婚にゴールインするかもしれない。彼女はコロナ禍の2020年に製作された17人の監督からなる短編コレクションHOMEMADEホームメード』で監督デビューしたクリステンのために脚本を執筆している。

 

 

監督紹介パブロ・ララインは、1976年チリの首都サンチャゴ生れ。父親エルナン・ラライン・フェルナンデス氏は、チリでは誰知らぬ者もいない保守派の大物政治家、1994年からUDIUnion Democrata Independiente 独立民主連合) の上院議員で弁護士でもあり、2006年には党首にもなった人物。現在はピニェラ政権下で法務人権相。母親マグダレナ・マッテも政治家でセバスチャン・ピニェラ(201014政権の閣僚経験者、つまり一族は階級的には富裕層に属している。6人兄妹の次男、2006女優のアントニア・セヘルスと結婚、一男一女の父親。ミゲル・リティンの『戒厳令下チリ潜入記』でキャリアを出発させている。弟フアン・デ・ディオス・ララインとプロダクションFabula設立、その後、独立してコカ・コーラやテレフォニカのコマーシャルを制作して資金を準備、デビュー作Fugaを発表した。<ジェネレーションHD>と呼ばれる若手の「クール世代」に属している。

 

*長編映画(短編・TVシリーズ省略)

2006Fuga監督・脚本

2008Tony Manero『トニー・マネロ』監督・脚本「ピノチェト政権三部作」第1

   ラテンビートLB2008

2010Post mortem 監督・脚本「ピノチェト政権三部作」第2

2012NoNo』監督「ピノチェト政権三部作」第3、カンヌFF2012「監督週間」

   正式出品、LB2013

2015El club『ザ・クラブ』監督・脚本・製作、ベルリンFF 2015 LB2015

2016Neruda」『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』 監督、カンヌFF2016「監督週間」

   正式出品LB2017

2016Jackie」『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』監督、ベネチアFF 2016

   正式出品

2019Ema」『エマ、愛の罠』監督・製作、ベネチアFF 2019、正式出品

2021Spencer」仮題「スペンサー」監督・製作、ベネチアFF 2021、正式出品

 

ラライン監督は、1121日に行われたチリ大統領選挙のため帰国しているようです。ララインは左派の元チリ学生連盟会長のガブリエル・ボリッチ下院議員を支持しており、両親とは支持政党が異なっている。チリは1990年の民政移管以来、中道左派、中道右派が交代で政権についていたが、格差拡大で中道はどちらも失速し、今回の選挙には7人が立候補していた。どの候補も過半数を取れず、下馬評通り極右の弁護士で元下院議員ホセ・カストとガブリエル・ボリッチの一騎打ちになった。1219日に決選投票が行われる。「選挙を棄権したことはありません。この選挙のプロセスを撮影したい」と語っていた。