『盲目のキリスト』 Q&A*ラテンビート2016 ⑨2016年10月21日 12:20

        ベネチア正式出品だけでは日本の観客を惹きつけられない?

 

★今年のラテンビートのQ&Aは、前回の『The Olive Tree』と本作だけ、ちょっと寂しかった。クリストファー・マーレイ監督の来日、1回上映にもかかわらず観客も少なめなうえ、Q&A前に席を立つ人もあり、知名度の低さを印象づけた。ベネチア正式出品だけでは日本の観客を惹きつけることは難しい。映画祭ディレクターのカレロ氏によるキャリア紹介に続いて、ベネチア映画祭出席の印象、映画製作の経緯、舞台となったチリ北部の人々の信仰心、並びにキャスティング方法などの質問の後、会場からの質問にも丁寧に応じていた。作品同様非常に思索的な、しかしこれからの監督、一般観客を惹きつけるには工夫が必要と感じた。

 

         

        (登壇したマーレイ監督とカレロ氏、1015日、バルト9にて)

 

A: 映画祭ディレクターのカレロ氏からベネチア映画祭での感想を聞かれて、「尊敬する監督さんたちとの交流、海外の観客に見てもらえるなど、すべて初体験だった」と応えていた。2010年にパブロ・カレラと共同で監督したデビュー作Manuel de Riberaは、ロッテルダム映画祭でワールド・プレミアされたのですが規模が違います。翌年クロアチアのスプリト国際映画祭(ニューフィルム)特別賞を受賞しましたが、より規模が小さい。

B: ロッテルダムは新人の登竜門、ベネチアのような大物監督は出品しないのではないか。

 

A: 他に2012年、ドキュメンタリーPropaganda62分)を送り出しており高い評価を受けている。チリではこちらのほうが有名です。単独での長編劇映画は、本作が初監督です。

B: 聞き違いかもしれませんが、ドキュメンタリーも共同監督作品と通訳されていました。ドキュメンタリーは単独で撮っていますね。

 

       盲目なのは誰か、社会的政治的メッセージはどこまで届くか?

 

A: まず当ブログで紹介したプロットが若干ずれていましたね。冒頭で主人公マイケルに「病気を治せることはできない」と語らせている。しかし「藁をもつか」みたい村人は奇跡を信じたがっている。やがてマイケルも、「もしかして起こせるかもしれない」と思い始めて巡礼を続けていく。

B: 結果的には幼な友達マウリシオの足の怪我を治すことはできなかった。しかし、マウリシオは彼が仕事や父親を投げ打って訪ねてきてくれたことで充分報われたと感謝する。

A: 逆境にありながらも、マウリシオのこの声高でない謙虚さに驚く。友情以外の〈何か〉が分からないと、彼の諦観を理解することはできない。

 

   

       (幼な友達マウリシオの怪我を治そうと精神を集中するマイケル、

    奇跡が起こるのを我が目で見たいと長い道のりを同行した巡礼者たち)

 

B: ラテンビート・カタログでは、マイケル・シルバが演じた主人公の名前が「ラファエル」になっておりますが、当ブログの「マイケル」でよかったようです。シルバはただ一人のプロの俳優、「チリ北部の人々は押しなべて信仰心が厚く、北部出身の彼も例外ではない」と監督。

A: 信仰心といってもローマ・カトリックというわけでなく、大航海時代にヨーロッパからもたらされたキリスト教、もともと先住民が部族ごとに信仰していた宗教、この二つがミックスされた宗教、と多種多様ですね。

 

B: Q&Aでマーレイ監督も「種類も多く、儀式のやり方もさまざま、現地に行かなければ分からなかった。神話、民話、実話がミックスされていた」と語っていた。

A: これはチリに限らないことで、ラテンアメリカ全体に言えること、キリスト教とドッキングしているように見えても、目に見えない塵のように辺りを浮遊しているだけかもしれない。作品紹介でも書いたことですが、監督自身は特別熱心に信仰しているわけではなく「魅せられている、それは宗教の背後に人間的な性質や現実が存在するから」で、常に神話の起源はどこからくるのかを自問自答しているという。

 

   

     (マイケル・シルバとクリストファー・マーレイ監督、ベネチア映画祭にて)

 

B: 「宗教は社会問題と結びつくことが多く、常に興味をもっていた。チリ北部に暮らす人々の考え方、特に信仰心について多くの人に知ってほしかった」と話していた。「信仰は大切だが、神は自分の心の中にいる」とも語っていた。

A: 現地に行って初めて分かる現実というものがあるわけで、彼らと話し合いながら進行していった。多分、脚本を書き直しながらの撮影だったのではないか。この映画は現地の人々とのコラボだとベネチアでも語っていたからね。

 

神話や民話で語りつぐ構成―長く感じた宗教的寓話

 

B: 演技指導は特別しなかったとも語っていたから、行く先々で村人がマイケルに語り聞かせる例え話あるいは神話は、セリフを暗記して喋っているというより「自分が信じている事」をそのまま語っていたように感じた。

A: だから演技指導など必要なかったということですかね。彼ら自身の言葉で語っているように感じた。人から聞いた話だったり、彼らが信じている神話だったりするが、それは耳を傾けるに値する普遍性がありますね。観客も自分は信じていないが、自分の祖父や曾祖母たちは信じていたに違いないと思わせる。

B: ゆったり時間が流れるので2時間ぐらい見たように錯覚した。速いテンポのアクション映画の好きな人は退屈したかもしれない。

 

A: カメラは素晴らしかった。アレハンドロ・フェルナンデス・アルメンドロスの『殺せ』(ラテンビート2014)を撮ったインティ・ブリオネス、監督と同じグループ「クール世代」のメンバー、チリ映画の躍進は、ひとえに彼らの活躍にあるでしょう。

B: 作品紹介記事で触れたように、製作会社「Jirafa」の資金提供、プロデューサーたちの支援がなければ不可能な作品かもしれませんね。

 

A: 紹介記事では詳しく触れませんでしたが、パブロ・カレラとの共同作品“Manuel de Ribera”は、英語字幕ならネットで見られます。こちらは本作とは反対の土地、チリ南部のチリ・パタゴニア地方のカルブコが舞台、テーストは似ていて不思議な空間に迷い込んでしまいます。

B: 砂漠と海と舞台も対照的です。主人公のマヌエル・リベラをエウへニオ・モラレスが演じていたが、少し難解ですね。

 

        

          (エウへニオ・モラレス、“Manuel de Ribera”から)

 

A: 影響を受けた監督に、ロベール・ブレッソン(1999没)とピエル・パオロ・パゾリーニ(1975没)をあげていました。ブレッソンはプロの俳優の演技を嫌い基本的にはアマチュアを起用した。そんなことが本作に影響を与えているのかもしれない。

B: その後、俳優になった人もおりますね。パゾリーニの『奇跡の丘』は、「マタイによる福音書」の映像化、「処女懐胎」から「復活」までを忠実に描いた。物語を次々に登場する村人に語らせていく本作の構成と相通じるものがあり、「なるほど、そうなのか」と思いました。

 

A: 今後のことを聞かれて、「現在はマンチェスター大学の大学院でAntropología visualを学んでいる」と答えていた。確か「映像人類学」と訳しておられたが、「視覚人類学」のほうがベターかもしれない。広い意味での画像(グラフィックアート、写真、映画、ビデオ)を研究対象にしている。

B: 映画は現実を知り、それを分析するのに役立つから、一つの手段として見ることにも意味がありますね。

 

『盲目のキリスト』の作品紹介記事は、コチラ⇒2016106


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