ゴヤ賞「栄誉賞」はアナ・ベレン*ゴヤ賞2017 ① ― 2016年11月04日 14:29
女優、歌手アナ・ベレンの全功績を讃えて栄誉賞

★ゴヤ賞「栄誉賞」のニュースが入ると、もう一年経ってしまったのかと時の速さにがっくりする。今年はスペイン映画アカデミー会長空席にもかかわらず、9月初めに発表がありました。アナ・ベレン受賞は満場一致だったそうです。イボンヌ・ブレイク新会長の最初の大仕事がゴヤ賞2017の授賞式です。

(舞台でメデアを演じたアナ・ベレン、セネカの『メデア』から、2015~16)
★アナ・ベレン(1951、マドリード、65歳)の全業績を紹介するとなると、これはなかなか簡単にはすまない。映画出演40作、舞台は古典から現代劇まで30作、ディスコは35作に及ぶ。1965年14歳で子役としてデビューしたからキャリアは半世紀を超えました。歌手、舞台俳優、TVドラマ、1作ながら監督もしている。TVドラの当り役は、ベニート・ペレス・ガルドスの長編小説『フォルトゥナータとハシンタ』をドラマ化した“Fortunata y Jacinta”(1980)、ベレンはフォルトゥナータに扮した。

(ニューヨークで誕生した初の女性ファッション誌「ハーパーズ・バザー」のために、
モデルのようにポーズをとる少女時代のアナ・ベレン)
★映画は後述するとして、今世紀に入ってからは出演が少ないが、最新作はフェルナンド・トゥルエバの“La reina de España”が、2016年11月25日にスペインで公開される。ペネロペ・クルス主演の『美しき虜』(1998“La niña de tus ojos”)の続編、出番は少なそうです。当ブログでも紹介記事をアップしておりますが、いずれ記事にしたい映画です。というわけで女優というより歌手としての活躍が目立っているかもしれない。ステージはYOUTUBEで簡単に愉しむことができます。2015年にラテン部門のグラミー賞を受賞している。他に2016年5月下旬“Desde mi libertad”を公刊して話題になりました。
*“La reina de España”の紹介記事は、コチラ⇒2016年02月28日
★才色兼備が彼女ほどぴったりくる人は少ないのではないか。彼女の魅力はなんといっても加齢を感じさせない妖しいまでの美声、意志の強い眼光、細身ながらエネルギーあふれるルックスにありますね。スペイン映画にはどうしても欠かせない「顔と声」であり続けています。1972年に作曲家で歌手のビクトル・マヌエルと結婚(1男1女)、その二人三脚ぶりはつとに有名、パパラッチとの攻防にも怯まず、多分金婚式までいくでしょう。祖母として二人の孫との新しい人生を楽しんでいる。「祖父母の役目は孫を甘やかすことに存在意義がある。躾や教育するのは両親の役目、私たち夫婦もそうしてきた」ときっぱり。
★1989年東京で開催された「第2回スペイン映画祭」に夫婦で来日しています。ホセ・ルイス・ガルシア・サンチェスの『神の言葉』(1987)がエントリーされたからです。バリェ=インクランの同名戯曲“Divinas palabras”の映画化でした。政治的発言にも躊躇しない。2003年にはイラク戦争反対を表明、雪解けムードで話題になっているキューバ政府の人権問題「私はキューバ政府を告発する」にも署名をしています。これは2010年にあったキューバの反体制政治犯の無条件即時解放を求めてオルランド・サパタが行った断食事件、85日後に死亡したことに対する抗議でした。スペインからもアルモドバル、マヌエル=ベレン夫妻、作家ではフェルナンド・サバテル、エルビラ・リンド、フアン・マルセ、ソエ・バルデス、国籍を取得したバルガス=リョサなどが署名、最終的にはトータルで約6千人が署名した。

(イラク戦争反対の抗議デモに参加したビクトル・マヌエル=アナ・ベレン夫妻、2003年)
★ゴヤ賞授賞式までにシネアスト・キャリアは後述しますが、ゴヤ賞関連では主演女優賞4回、新人監督賞、合計5回ノミネーションされましたが、無冠に終わっていました。というわけで初のゴヤ賞受賞が「栄誉賞」になります。ノミネーションは以下の通り、年代順:
1988“Miss Caribe”監督フェルナンド・コロモ、主演女優賞
1989“El vuelo de la paloma”同ホセ・ルイス・ガルシア・サンチェス、 主演女優賞
1991“Cómo ser mujer y no morir en el intento” 新人監督賞
1994“La pasión turca”同ビセンテ・アランダ(VHSタイトル『悦楽の果て』) 主演女優賞
2004“Cosas que hacen que la vida valga la pena”同マヌエル・ゴメス・ペレイラ、 主演女優賞
2017「栄誉賞」受賞

(ベリー・ダンスを披露したアナ・ベレン『悦楽の果て』から)
★公開作品は、マリオ・カムスの『ベルナルダ・アルバの家』(87,原作ロルカ)1作だけでしょうか。未公開だがNHK衛星が放映したビセンテ・アランダの『リベルタリアス/自由への道』(96)、マヌエル・ゴメス・ペレイラの『ペネロペ・クルスの抱きしめたい!』(96、VHS、DVD)くらいしかない。以上が代表作というわけではないので、ガラが近づいたらアップする予定です。
アルモドバル『ジュリエッタ』*ヨーロッパ映画賞2016ノミネーション発表 ― 2016年11月08日 10:21
作品賞、監督賞、2人のジュリエッタが女優賞候補に
★アルモドバルの新作『ジュリエッタ』が劇場公開された同じ日に、第29回ヨーロッパ映画賞のノミネーションが発表されました。作品賞、監督賞、2人のジュリエッタに扮したエンマ・スアレスとアドリアナ・ウガルテがユニットで女優賞、観客賞の4個です。アルモドバルはヨーロッパ映画賞のご常連、今回は多分貰えないと予想しますが蓋を開けてみないと分かりません。女優賞の2人は初ノミネート、かなり混戦状態ですが、こちらはアリかも知れません。他にハビエル・カマラがセスク・ゲイの“Truman”(「トルーマン」)で男優賞にノミネートされています。ハビエルはアルモドバルの『トーク・トゥ・ハー』以来2回め、男優賞は異例の6人が残った。しかし、顔ぶれからみると、受賞は厳しそうです。

(エンマ・スアレスとアドリアナ・ウガルテ、『ジュリエッタ』から)

(左から、ハビエル・カマラ、リカルド・ダリン、「トルーマン」から)
★対抗馬としては、カンヌ映画祭2016コンペティション作品がそのままノミネーションされているかの印象です。つまりケン・ローチ“I, Daniel Blake”(パルムドール受賞)、ポール・ヴァーホーヴェン“Elle”、マーレン・アーデ“Toni Erdmann”(「トニ・エルトマン」)、本作は「ドイツ久々の大物監督誕生」と話題をさらいながらコンペでは無冠に終わり、カンヌでは物議を醸したのでした。サンセバスチャン映画祭でFIPRESCI(国際映画批評家連盟賞)を受賞しています。映画祭と映画賞は性質が違い、特に映画祭は審査委員長の意向に左右されるから、今回は無冠ということにはならないと予想します。最多ノミネーション5個(作品、監督、脚本、女優サンドラ・フラー、男優ペーター・シモニシェック)、どれか一つくらい受賞するのではないでしょうか。というのも観たい作品だからです。アルモドバルやケン・ローチでは新鮮味がないなどという理由ではありません(笑)。残るレニー・アブラハムソン(エイブラハムソン)『ルーム』のみが2015年作品、すでに劇場公開されています。

(娘サンドラ・フラーと父親ペーター・シモニシェック、“Toni Erdmann”から)
★アルモドバルの第20作目になる『ジュリエッタ』は、愛してやまない者の喪失がテーマのドラマ、スリラー的要素もありそうですが、アクション好きな人にはお薦めでない。居眠りしてしまうかもしれない。他のカテゴリーでは、長編アニメーション1作、短編2作が残りました。結果発表は12月10日、ポーランド西部の古都ヴロツワフで授賞式が行われる。
*公開2016年11月5日、新宿ピカデリー他、順次全国ロードショー展開
『エル・クラン』 パブロ・トラペロを観る ― 2016年11月13日 18:18
アルゼンチンの脆弱な民主主義――モンスター家族のその後

★確かに衝撃的な内容ですが、1970年代後半の軍政時代の弾圧を知るアルゼンチン国民にしてみれば、それほど驚くような内容ではなかったのではなかろうか。もし驚愕したのであれば、それは社会でもや学校でも国民が自国の「現代史」を疎かにしていたことになる。軍政時代に反共を錦の御旗に国家がしたことを、民主化のせいで行き場をなくした個人が代行しただけともいえます。1980年初頭、軍事独裁政権の最後を支えていた人々の無責任と自由放任を利用できたからだといえる。この映画では3年間に4回実行された誘拐ビジネスとプッチオ父子とその実行犯の逮捕までが語られるのですが、重要なのは民主政権がウヤムヤにした軍事独裁政の総括、無関心に徹した国民、つまり名目だけの民主化でしょう。ここではモンスター家族のその後にスポットライトを当てたいと思います。
『エル・クラン』(“El clan”“The Clan”)の基本データ
製作:Kramer& Sigman Films / Matanza Cine / El Deseo / Telefe / INCAA / ICAA 他
監督・脚本:パブロ・トラペロ
脚本:フリアン・ロヨラ
撮影:フリアン・アペステギア
編集:アレハンドロ・カリーリョ
音楽:セバスチャン・エスコフェト
美術:セバスチャン・オルガンビデ
衣装:フリオ・スアレス
データ:ベネチア映画祭2015監督賞(銀獅子)受賞作品、アルゼンチン=スペイン、スペイン語、2015年、110分、伝記、スリラー犯罪物、撮影地ブエノスアイレス、配給元20世紀フォックス、公開:アルゼンチン2015年8月13日、ウルグアイ9月3日、チリ9月24日、ペルー12月3日、日本2016年9月17日(新宿シネマカリテ他)

(左から、ピーター・ランサニ、監督、ギジェルモ・フランセージャ、ベネチア映画祭にて)
キャスト:年齢は1985年8月23日逮捕時のもの(公式サイトより)
ギジェルモ・フランセージャ(アルキメデス・プッチオ、元公務員・外交官、56歳、
2013年84歳で没)
ピーター・ランサニ(長男アレハンドロ、マリン・スポーツ用品店経営、地元ラクビーチーム
Club Atletico San Isidro「CASIカシ」の元選手、26歳、2008年49歳で没)
リリー・ポポビッチ(妻エピファニア、高校教師・会計学、53歳)
ジセル・モッタ(長女シルビア・イネス、美術教師、25歳、52歳で没)
ガストン・コッチャラーレ(次男ダニエル、通称マギラ、「カシ」の選手23歳)
フランコ・マシニ(三男ギジェルモ、?歳)
アントニア・ベンゴエチェア(次女アドリアナ、14歳)
ステファニア・コエッセル(アレハンドロの婚約者モニカ、幼稚園教諭、21歳)
その他、誘拐グループ(クラン)の実行犯、協力者たち
解説:1980年代に4人を営利誘拐、多額の現金を手にした後に殺害していた「誘拐団プッチオ」の実話にインスパイアーされて製作された。首領アルキメデス・プッチオ並びにその家族は実在の人物であるが、映画の細部はフィクションである。プッチオ家はブエノスアイレス近郊サン・イシドロの高級住宅街にあり、道路に面した階下をマリン・スポーツの店舗にして、長男アレハンドロに経営を任せていた。人質を監禁していた地下室は外部に物音が漏れないよう密閉されていたが、昼日中の拉致、自宅監禁、拷問、殺害というプッチオ一族の凶悪な犯罪が、何故3年間も繰り返し可能だったのかが明らかにされる。しかしそれは軍事クーデタが勃発した1976年まで時間を遡っていくことになる。
*作品&パブロ・トラペロ監督キャリア紹介は、コチラ⇒2015年8月7日
*ベネチア映画祭監督賞(銀獅子)の紹介記事は、コチラ⇒2015年9月21日
コメディアン、ギジェルモ・フランセージャの蛇のような目
A: ラテンビートと重ならないよう封切り直後に鑑賞していたので、大分記憶が薄くなってしまっていますが、主人公アルキメデスを演じたギジェルモ・フランセージャの蛇のような目だけは忘れられない。
B: メキシコのA・キュアロンの『ルドandクルシ』(08)、アルゼンチンに2個めのオスカー像をもたらしたJ・J・カンパネラの『瞳の奥の秘密』(09)で既に登場しています。コメディタッチの役柄が多かったから、本作のアルキメデス役に起用されたと知って驚きました。
A: 映画にしろTVドラにしろ殆どがコメディ、フランセージャ起用はトラペロ監督の慧眼です。コメディアンとしてアルゼンチンで知らない人はいないと言われているベテラン、1955年ブエノスアイレス生れだから、軍事クーデタが勃発した1976年3月には成人しており、大人の目で道路を走り回っていた戦車を見ているはずです。TVミニシリーズ“Los hermanos Torterolo”(1980、コメディ)デビューも間もなくでした。
B: このクーデタは「起こるべくして起こった」と後に歴史家によって書かれるわけですが、誰も驚かなったというのも信じられないことです。
A: 民政といっても前も後ろもお粗末でしたから、突然知り合いが行方不明になっても関わりを怖れて「沈黙は金」を決め込むのは自然です。アルゼンチン社会にはびこっていたこの「無関心」が元凶です。前述の『瞳の奥の秘密』の時代背景は1976年クーデタの直前にあたります。本作は軍政から民政への移行期の1982~85年、3万人とも言われる行方不明者名を出した直後だけに、国民も拉致、監禁、殺害には慣らされていた時代でした。
B: 警察は通報を受けても捜索する気もないし、仮にプッチオ一家の犯罪を疑っていても逮捕しようとは思わなかったように思えます。
民政化後のシークレット・サービス員の失業対策のひとつ?
A: アルキメデスは有能なシークレット・サービスの一員、軍事独裁政権では拷問のプロとして重宝がられていた。1982年のフォークランド戦争(3月19日~6月14日)の敗北を機に翌年総選挙が実施され、12月に民政化された。軍政時に幅を利かせていた軍幹部の多くが有罪となり、プッチオのような関係者は失業者となって生活の基盤を失ってしまった。同じ境遇の退職軍人や友人たちと一緒に始めたのがこの「誘拐ビジネス」でした。
B: このグループのリーダーだったのが企画立案者にして実行犯のアルキメデス、元の上司や官憲が半ば見逃していたのは、これが部下たちの一種の「失業対策」の一つだったと考えられます。
A: 第1回目の誘拐が軍政の終焉が予想されたフォークランド戦争後の1982年7月22日、9日後身代金25万ドルを受け取ったあと殺害(要求額は50万ドルだったとも)、第2回目が1983年5月5日、10万ドル受領後殺害、所在不明だった遺体は4年後に発掘されている。
B: 驚くほどの大金ではないですね。被害者家族が払えるだろう金額を要求している。結局成功するのはこの2回だけ。長男が協力を拒否した1984年6月22日の3回目は、誘拐途中に車から逃げようとした人質を慌てた仲間が胸に発砲、結果的に大事な金づるを死なせてしまい失敗する。最後の4回目でグループ全員が逮捕される。
A: この逮捕劇は、短編ドキュメンタリー“El Clan Puccio”を見ると、実際と映画では若干異なりますが、本作はドキュメンタリーではありませんから問題なしです。事件を握りつぶしていたらしい元上司も自分に累が及ぶのを懸念して庇いきれなくなったのではないか。軍政時に窒息させられていた人権活動家や労働組合の反撃が強まったこともありますが、将来性のあるビジネスとはいえませんから先は見えていたはずです。
B: 前3人は長男アレハンドロの友人だったり父親の知り合いだったりしたが、4人目のネリダ・ボリーニ・デ・プラドは葬儀社を経営していた実業家、家族が通報して警察も動かざるを得なかった。交渉を意図的に長引かせ、自宅軟禁も32日間という番狂わせになってしまった。

(逮捕時の長男アレハンドロ、1985年8月23日)
A: やっと身代金50万ドルで交渉成立、受け渡し現場に張り込んでいた警官に一網打尽となった。長男アレハンドロは3回目から実行には参加しておりませんが、自宅に一緒にいた恋人モニカの目の前で逮捕された。ボリーニ家の電話番号が書かれていた紙切れを所持していたことが逮捕の決め手となった。彼は拉致には協力しておりますが殺害には一切関与していない。それで最後まで罪を認めなかったようですが、父親から報奨金を貰っており無罪は通らない。現ナマの魅力は抗しがたいです。
押しつけられた「家父長制」と歪められた「家族愛」の揺らぎ
B: 長男離脱のあと「家父長制」や「家族愛」にも揺らぎがみえ、瓦解は時間の問題だった。際立つのが母親エピファニアのモンスターぶり、長男が役立たずになったとみるや直ぐさま次男を呼び寄せる。不気味ですね。
A: 母親というのは本当に危険な存在です。彼女も逮捕されるが、証拠不十分で2年後に釈放される。80歳を過ぎた現在は、一時親戚に預けられていた次女アドリアナ(当時14歳)と暮らしている。父親と息子の相克、家族は助け合わねばならないという大義名分、これほど極端ではないが観客にも身近に起こりうることです。
B: 映画にも出てきましたが、長男はブエノスアイレス裁判所から移送中に係官の手を振り切って5階の回廊から飛び降り自殺をはかる。しかし運悪くというか2階部分の柔らかい屋根に落下、死ねなかった。これを含めて3~4回自殺を試みているという。
A: 刑務所内の精神病棟に収容され、2007年条件付きで釈放されたが、翌年49歳で没している。90年代初めの獄中結婚、1997年に仮釈放されるも犠牲者家族の圧力に耐えられず刑務所に舞い戻るなど、常に精神状態が不安定だった。
自分は被害者、悪いのは民主化
B: 一方「自分こそ被害者」と死ぬまで罪を認めなかった父親アルキメデスも、ある意味、精神を病んでいたのではないですか。軍政が続いて失業しなければ誘拐ビジネスには手を染めなかった、悪いのは民政化という論理です。
A: アイヒマン同様、最後まで自分自身と家族、友人仲間の罪を認めなかったのは驚くに当たりません。箒で自宅前だけでなく反対側の道路も掃いているシーンがありましたが、当時から「箒の変人」という渾名を付けられていた。清掃が目的ではなく警戒と事情蒐集のためだった。近所の人もうすうす気づいていたが、知っていたと言えば、どうして通報しなかったと非難されるのを怖れて白を切っていたとも考えられる。今も昔も無関心は流行ですが、特に当時は蔓延していた。収監中に弁護士の資格を取り、数カ所の刑務所を経て、2008年、浴室設備のない住居指定の条件付きながら釈放、2013年脳血管障害のため、簡易ベッドの上で84歳の生涯を閉じた。

(「120歳まで生きる」と豪語していたアルキメデス・プッチオ)
B: トラペロ監督は、アルキメデスからインタビューを持ちかけられていたが、海外にいて先延ばしにしていたところ死んでしまい叶えられなかったと語っておりましたが。
A: 脳腫瘍を患っていて精神状態は不確か、ただの下品な老人になっていたらしいから、事件の根幹に関わるような話が聞き出せたかどうか疑問です。2011年、“El Clan Puccio”の著者ロドルフォ・パラシオスがインタビューしたときでさえ、多くの女性たちとの性的関係を自慢され、呆気にとられたと証言しているほどです。
B: 死ぬ4カ月前に離婚していた元妻エピファニア、次男マギラにも接触しようとしたが拒絶されたと語っておりますが、自分たちはアルキメデスの犠牲者、被害者だったと正当化されるのがオチです。
A: エピファニアはアルキメデスの遺骨の受取を拒み、彼は共同墓地に埋葬された。マギラは最後のボリーニ誘拐事件の廉で、1998年13年の禁固刑を受けていたが、ブラジルやオーストラリアを逃げ回っていた。しかし2011年に刑の正式失効が下され、2013年11月に舞い戻っていた。司法取引で自由の身になったのでしょうが、実際のところボリーニは生還できたわけですからね。

(プッチオ一家、前列が本物)
B: 残る家族のうちスポーツ選手だった3男ギジェルモと長女シルビアのその後は?
A: 3男は2回めの自宅軟禁で事件の概要を察知、遠征で訪れたニュージーランドにそのまま亡命して帰国していない。地下の軟禁部屋の階段を上り降りしたと証言した長女も当然嫌疑をかけられたが、母親同様加担した証拠が不十分で釈放されている。52歳でこの世を去っている。
意図的だったBGMのミスマッチ、悲劇を裏切るような選曲
B: 当時のブエノスアイレスでは、軍政時代に禁止されていた「ブリティッシュ・ポップス」が流行していた。映像と音楽が齟齬をきたすような選曲は意図的だった。
A: このズレを批判しているブログもありましたが、事情が分かると納得します。スクリーンに現れた人間の二面性同様、ひねり具合というのも難しいですね。
B: 監督はフィクションの部分をできるだけ避けたと語っていますが、やはりフィクションです。
A: 新聞記事や残された写真や手紙から家族内の会話を構成するには限界があります。スクリーンで語られたセリフは想像であり創造でもあります。プッチオ関連ではドキュメンタリーの他、アレハンドロの獄中インタビューTV番組、TVミニシリーズ“Historia de un clan”(2015年9月~11月、11話)がTelefeで放映されている。父親にアレハンドロ・アワダ、母親にセシリア・ロス、長男アレハンドロにリカルド・ダリンの息子“チノ”・ダリンが扮している。
B: アレハンドロ・アワダはこのアルキメデス役でマルティン・フィエロ賞を受賞しており、2015年は「プッチオ・フィーバー」の年でした。
『名誉市民』がバジャドリード映画祭「銀の穂」賞を受賞 ― 2016年11月15日 11:18
グランプリ「金の穂」賞はパオロ・ヴィルツィの“La pazza gioia”

(小麦の穂をあしらった「金の穂」賞のトロフィー)
★10月29日に閉幕したバジャドリード映画祭のグランプリ「金の穂 Espigas de Oro」賞は、パオロ・ヴィルツィの“La pazza gioia”(“Like Crazy”、仏伊合作)でした。この映画祭は、スペインではバジャドリード映画祭より“Semana Internacional de Cine de Valladolid”の頭文字Seminciで親しまれています。春開催のマラガ映画祭のようにスペイン語映画に特化しているわけではなく、第1回が1956年と歴史も古く、今年で61回を数える国際映画祭、バジャドリード市が後援しています。ただどちらかというとヨーロッパが中心の印象があるかもしれませんが、昨年は河瀬直美監督が『あん』で監督賞を受賞しています。今年は『名誉市民』が「銀の穂」賞を受賞したのでアップしました。
★東京国際映画祭と同じ10月下旬の映画祭なので、受賞作はほぼどこかの映画祭の受賞作と重なることが多い。スペインではサンセバスチャン映画祭に次ぐ老舗の映画祭ですが、日本ではバルセロナ近郊シッチェスで開催される後発の「ファンタジック映画祭」のほうが有名です。今年の審査委員長は、チリの若手監督、脚本家にして製作者のマティアス・ビセ、スペインの女優、現在は監督にシフトしているシルビア・ムント、他フランス、インド、イタリア、メキシコの6人編成でした。マティアス・ビセは1979年生れの37歳、“La vida de los peces”がゴヤ賞2011イスパノアメリカ映画賞を受賞しています。
★「金の穂」賞受賞のパオロ・ヴィルツィの“La pazza gioia”は、他に二人の主演女優、ヴァレリア・ブルーニ=テデスキとミカエラ・ラマゾッティが女優賞を受賞しました。精神病院に入院している二人の女性の、不思議な絆で結ばれた、常軌を逸した悦楽が語られるようです。いずれ公開されると思います。本作はカンヌ映画祭と並行して開催される「監督週間」に出品された作品です。


(左から、ミカエラ・ラマゾッティ、ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ、監督)
★当ブログでご紹介したガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーンの『名誉市民』は、「銀の穂」賞と脚本賞の2賞、「金」には手が届きませんでしたが善戦しました。ベネチア映画祭で男優賞を手にしたオスカル・マルティネスは受賞ならず残念でした。

★カテゴリーは他の映画祭と同じです。「栄誉賞」がジェラルディン・チャップリンとチェマ・プラドに与えられました。前者のご紹介は不要でしょうが、チェマ・プラドは、国際フィルム・アーカイヴ連盟のメンバー、スペインのフィルム・ライブラリー(Filmoteca Española)のディレクターを1989年より26年間務め、今年4月に引退、同時にスペイン映画の回復保存に尽力した全功績に対して「パノラマ賞」を受賞しています。スペイン映画界を陰で支えてきた裏方に「栄誉賞」が渡ったことを喜びたい。

(栄誉賞を受賞したジェラルディン・チャップリンとチェマ・プラド)
「ロス・カボス」映画祭2016*メヒコ・プリメロのグランプリは”X500” ― 2016年11月19日 10:33
コロンビアのフアン・アンドレス・アランゴの“X500”

★第5回ロス・カボス映画祭(11月9日~13日)の結果発表があり、フアン・アンドレス・アランゴの“X500”が受賞しました。まだ5回と歴史も浅く知名度も高くありませんが、将来的には重要な映画祭になるのではないかと思います。開催地はバハ・カリフォルニア・スール州のリゾート地カボ・サン・ルーカス。メキシコの映画祭といえば、老舗のグアダラハラ、若いシネアストたちの信望が厚いモレリアは何度かご紹介していますが、本映画祭は初めてのご紹介です。正式名は「Festival Internacional del Cine de los Cabos」(英語略語CIFF)です。
★この映画祭の趣旨は、メキシコ、米国、カナダの架け橋となるような映画に贈られる賞、国境に壁ではなく橋を架けることを目的にした映画祭のようです。大きく分けるとメヒコ・プリメロ部門とワールド部門になります。今年のメヒコ・プリメロには、次の6作が選ばれました。サンセバスチャン映画祭でご紹介した“X500”が受賞したこと、今後イベロアメリカ映画の台風の目になるだろうことを予想してアップいたします。副賞としてグランプリには20万ドル、以下他の各賞にもそれぞれ賞金が授与される。

*メヒコ・プリメロMéxico Primero:
1)“X500”(メキシコ=カナダ=コロンビア)監督:フアン・アンドレス・アランゴ
(コロンビア) 最優秀作品賞受賞、副賞20万ドル
2)“Los Paisajes”(2015フランス=メキシコ=イギリス)同:ロドリゴ・セルバンテス
3)“Tamara y la Catarina”(メキシコ=スペイン)同:ルシア・カレラス
アート・キングダム賞、FIPRESCI賞を受賞
4)“Carroña”(メキシコ)同:セバスティアン・イリアルト(メキシコ)
5)“Bellas de noche” ドキュメンタリー(メキシコ)同:マリア・ホセ・クエバス 審査員賞
6)“La región salvaje”(メキシコ=デンマーク)同:アマ・エスカランテ(メキシコ)

(第5回ロス・カボス映画祭2016の受賞者たち、2016年11月13日)
★2カ国以上の合作を選考基準にしているようですが、上記からも分かるように必ずしもそうなっていないが、メキシコ以外の製作者がタッチしているケースが多い。昨今では合作が多く、1国単独での映画製作は難しくなっている。“Carroña”のセバスティアン・イリアルトは、“A tiro de piedra”(10)で長編デビュー、アリエル賞の作品賞と第1作監督賞を受賞している。“Carroña”をプロデュースしたベレン・カストロなど女性の躍進が珍しくなくなっている。
★今年はアメリカ大統領選挙投票日の翌日に開催、「国境に壁を作る」を選挙キャンペーンの一つにしたトランプ氏がまさかまさかの次期アメリカ大統領になり、メキシコに激震が走りました。「豊かな北」を目指すラテンアメリカ諸国民にとっては厳しい冬になりそうです。“La región salvaje”は、今年のベネチア映画祭に初ノミネートされたアマ・エスカランテが監督賞を受賞した作品です。
*“X500”の作品紹介記事は、コチラ⇒2016年9月2日
*“La región salvaje”ベネチア映画祭監督賞受賞の記事は、コチラ⇒2016年9月17日

(フアン・アンドレス・アランゴの“X500”)
★セクション・オフィシャルのグランプリは、イギリスのアンドレア・アーノルドの“American Honey”(16,英=米)が射止めました(副賞20万ドル)。カンヌ映画祭2016の審査員賞&エキュメニカル特別メンション賞受賞作品、カンヌではお馴染みの監督。長編デビュー“Red Road”(06)と第2作『フィッシュ・タンク』(09)がカンヌ映画祭の審査員賞をそれぞれ受賞している。後者はテレビ放映もされたのでご覧になっている方も多いと思います。今年の受賞者で目立つのが女性の活躍でしょうか。

(アンドレア・アーノルドの“American Honey”)
★生涯功労賞にイタリアの女優モニカ・ベルッチが選ばれ、華を添えました。栄誉賞はメキシコの撮影監督ロドリゴ・プリエト、代表作品はアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『アモーレス・ペロス』(99)以降、『ビューティフル』(10)など多くの作品を手掛けている。アルモドバルが呼び寄せて撮らせた『抱擁のかけら』(09)、スコセッシの『ウォール・ストリート』(13)、アン・リーの『ブロークバック・マウンテン』(05)、『ラスト、コーション』(08)など公開作品も多く、監督からの信頼も高い。

(受賞のスピーチをするモニカ・ベルッチ)

(受賞のスピーチをするロドリゴ・プリエト)
ダニ・ロビラ、3連続でゴヤ賞ガラの総合司会者に*ゴヤ賞2017 ② ― 2016年11月21日 12:28
ソーシャルネット上での侮蔑的ツイートにもメゲず3連続オファーを受諾

(ダニ・ロビラ、ゴヤ賞2016授賞式にて)
★「ゴヤ賞の司会者なんて誰もやりたくないよ。ややこしいばかりで厄介な仕事だから」と受諾の弁。労力とペイが釣り合わないし、仕事も中断せざるをえない。上手くやって当たり前、失敗すれば矢面に立たされる。綺羅星のごとく並ぶ先輩たち全部を満足させることは至難の業です。「お金に見合う仕事じゃないが、これも芸を磨くための挑戦だと思っている」「僕は臆病でオバカさんだから断れないんだ」と語っている。昨年は放映中からツイッターたちのダニ・ロビラに対する批判、非難の石礫が飛んだ。なかには侮辱的な内容もあって、翌日には「私にとって総合司会をしたことはなんの価値もないこと」と逆ツイートした。だから今年はオファーがあっても引き受けないと予想していましたが、異例の3年連続を引き受けました。
★不況が長引き失業中の若者の不満に拍車がかかり、政治の混乱がより身近なセレブたちに向かうのは仕方ないのかもしれない。ダニ・ロビラ(1980年マラガ)は、最近10年間(2005~15)で興行成績ナンバーワンの“Ocho apellidos vascos”の主役を演じ、一躍、檜舞台に躍りでたシンデレラ・ボーイ。国内55,379,625ユーロは、今後も抜かれることはないと言われています。続編“Ocho apellidos catalanes”も31,526,477€で第3位、第2位は『インポッシブル』の42,408,547€でした。以下ベストテン入りは、4位『永遠のこどもたち』、5位『アレクサンドリア』、6位『トレンテ4』、『タデオ・ジョーンズの冒険』、『アラトリステ』、『エル・ニーニョ』、『プリズン211』(13,145,423€)の順でした。“Ocho apellidos vascos”の4人組が俳優ベストフォー、ベストワンはクララ・ラゴ、以下カルメン・マチ、ダニ・ロビラ、カラ・エレハルデの順でした。

(“Ocho apellidos vascos”お馴染みの出演者たち)
★ダニ・ロビラの最新作は、マルセル・バレナの“100 metros” が公開されたばかり(11月4日)。トライアスロン選手ラモン・アロージョの伝記映画、2004年32歳のとき多発性硬化症と診断され、100メートル走ることはおろか歩くこともできなくなるだろうと宣告されたが、体育教師だった義父の助力で9年後の2013年、見事奇跡の復活を果たしたラモンの実話に基づいている。義父にカラ・エレハルデ(1960年ギプスコア)、ロビラはここでもエレハルデの娘婿役、彼が脚本を渡して出演を勧めたようです。他にもライバルが何人もいて尻込みしていたダニを、「君ならやれる」と励ましたのがエレハルデだったと語っている。妻役アレクサンドラ・ヒメネスは、パコ・レオンのコメディ『KIKI~愛のトライ&エラー』(ラテンビート2016)に出演していた。

(ラモン役のロビラ、妻を演じたアレクサンドラ・ヒメネス)
★第31回ゴヤ賞2017の授賞式は、エミリアノ・オテギのプロダクションとフアン・ルイス・イボラの演出で2月4日に開催される。
サンティアゴ・セグラ「金のメダル」授賞式 ― 2016年11月23日 12:11
「トレンテVI」を撮るかどうかはトランプ次期大統領次第?
★スペイン映画アカデミー新会長イボンヌ・ブレイクは、「今日はあなたにとって素晴らしい一日になるでしょう。映画アカデミーはこのメダルをあなたに渡せることを誇りに思います」と挨拶、「金のメダル*」がサンティアゴ・セグラの手に渡りました。受賞の発表は半年前の4月半ば、決定したときの会長は短命に終わったアントニオ・レシネス執行部でした。授賞式の夕べはアカデミー会員や友人を交えてリッツで開催されました(11月18日)。サンティアゴ・セグラのキャリアと毎回高い興行成績でスペイン映画の窮地を救ってきた「トレンテ・シリーズ」の作品紹介は既にアップ済みです。主人公の悪徳警官ホセ・ルイス・トレンテを演じるために体重を20キロ増量して、太ったり痩せたりはきついのか、「トレンテ6」を撮るかどうかはトランプ次期アメリカ大統領次第と記者団を煙に巻いておりました。

(メダルを手に現在は痩せているサンティアゴ・セグラ)
*メダルの正式名は、Medalla de Oro de la Academia de las Artes y las Ciencias Cinematográficas de España と長く、通称金のメダルです。スペイン映画アカデミーが選考、受賞対象者は、製作者、監督、脚本家、俳優、音楽家、撮影者などオール・シネアスト。「スペイン映画における多方面にわたる全功績に対して」贈られる。

(20キロ増量した第1作“Torrente, el brazo tonto de la ley”のジャケット)
★サンティアゴ・セグラは、1965年マドリード生れ、俳優、脚本家、監督、製作者。メダルを手に記者団の質問にはユーモアを交えて言葉巧みに応じていたようです。「自分の性格はふさぎ込むタイプ、これはあまり知られていない部分かも知れない。以前の受賞者と比較して、メダルが自分に値するかどうかわからないが、とても誇りに思っている。実際に生きる力になると感じているし、今夜はとても感動している」、「前進しつづけるためのガソリンになった」と。
★「私たちシネアストも他の労働者と同じように暮らしは大変だ。時々砂漠の真ん中で叫んでいるのにうんざりしてくる、何時かそれに気づくと思う。トランプはどう思うかだって、メダル受賞の投票からも分かるようにデモクラシーは不完全だ。今は彼が選挙で約束した政策を守らない他の政治家と同じようになることを期待している。映画アカデミー会長は? それはない。首相はどうかだって・・・ねえ、昨日トランプのニュースを見ていて考えたのだが、皆んな今の政治に飽き飽きしているんだよ。「トレンテ6」を撮るかどうかはトランプ次第、もし世の中ひっくり返ったら映画は作れない」。TPPには参加しないと言って、日本政府は慌てているけど・・・
★今後の予定 アルゼンチンでダニエル・ブルマンのTVミニシリーズ“Supermax”に出演する。共演者はセシリア・ロス、ハバナ生れだがスペインで活躍するルベン・コルターダなど。他に映画を2本、ガブリエル・ナスシ“Casi leyenda”(アルゼンチン、17)とフェデリコ・クエバのアクション・コメディ“Sólo se vive una vez”(アルゼンチン=西、17)をブエノスアイレスで撮影する。「アルゼンチンで自分が好まれているかどうか知らない。シリーズ『トレンテ』は未公開だが、海賊版がスタンドに出回っており、自分も贈呈され持っている。アクセントは耐えられないが同じ言語だからね。映画産業も御多分にもれずグロバリゼーションだね」。撮影終了後、帰国して大晦日のTVバラエティ番組「Fin de Año」の司会をする予定、なかなかもって忙しい。

(“Supermax”撮影中のサンティアゴ・セグラとダニエル・ブルマン監督)
★「ゴヤ賞は、短編映画賞、新人男優賞、新人監督賞と3個持っているが、健康に恵まれ今後も仕事が続けられるなら、そのうち栄誉賞がもらえるかも」。「金のメダル」のあと狙うのはゴヤ栄誉賞のようです。
*「金のメダル」、サンティアゴ・セグラのキャリア&作品紹介は、コチラ⇒2016年6月11日
セビーリャ・ヨーロッパ映画祭*”Mimosas”が審査員特別賞 ― 2016年11月25日 10:41
「金のヒラルダ」賞はフランス映画“Ma Loute”
★第13回セビーリャ・ヨーロッパ映画祭(11月4日~12日)は、「金のヒラルダGiraldillo de Oro」賞にブリュノ・デュモンBruno Dumontの“Ma Loute”を、審査員特別賞にオリヴェル・ラセの“Mimosas”を選んで閉幕しました。前者はカンヌ映画祭2016のコンペティション正式出品、後者は同映画祭のパラレル・セクション「批評家週間」のグランプリ受賞作品、大賞は二つともカンヌ絡みでした。年後半の11月に開催される映画祭はどうしても金太郎飴になりがちですが、どの製作会社も春と秋に照準を合わせるから致し方ありません。“Ma Loute”は社会階級についての辛辣な寓話、いずれ公開されるのではないか。昨年はホセ・ルイス・ゲリンの『ミューズ・アカデミー』がまさかの「金のヒラルダ」を受賞して驚いたのでした。セビーリャ上映がスペイン・プレミア、東京国際映画祭で上映されたばかりだったから、私たちのほうが先だったのです。

★“Mimosas”の作品紹介はカンヌ映画祭で既にアップしております。オリヴェル・ラセOliver Laxe、1982年パリ生れ、ガリシアへ移民してきたガジェゴ(gallego)。カタカナ表記はフランス語読みにしましたが、ガリシア語ならオリベル・ラシェかと思います。カンヌ映画祭2010のパラレル・セクション「監督週間」に出品したデビュー作“Todos vós sodes capitáns”(“Todos vosotros sois capitanes”/“You All Are Captains”2010,カラー&モノクロ、78分、スペイン語・アラビア語・フランス語)が、国際映画批評家連盟賞FIPRESCIを受賞しています。スペイン映画アカデミーが翌年のゴヤ賞新人監督賞にノミネートしなかったことで一部から批判されるということがありました。
*“Mimosas”の作品紹介記事は、コチラ⇒2016年5月22日


(撮影中のオリヴェル・ラセ)
★6年ぶりに撮った第2作“Mimosas”(モロッコ=スペイン=フランス、アラビア語)がカンヌ映画祭「批評家週間」でグランプリを受賞したうえ、今回の審査員特別賞とスペシャル・メンション音響デザイン&編集賞を受賞したことで、来年のゴヤ賞ノミネーションの行方が気になってきました。デビュー作ではないが初ノミネーションとして「新人監督賞」のカテゴリーの可能性があるかもしれません。過去にそういう事例があります。
★他にも何作か受賞作品がありますが、なかでパブロ・リョルカ(ジョルカ)Pablo Llorca Casanuevaの“Días color naranja”が「新しい波」部門のデラックス賞を受賞しました。1963年マドリード生れ、監督、脚本家、製作者。大学では芸術史を専攻、その後映画を学んで80年代後半から短編を発表、代表作品は“La espalda de Dios”(2001、西語)、ドイツで撮影した冷戦時代のスパイ物“La cicatriz”(2005、英語・独語)は、マラガ映画祭ZONA-CINEセクションの作品賞・脚本賞を受賞しています。
★こんなお話です。自由を満喫できる夏、手軽な手荷物一つの気ままな列車の旅、新しい体験、列車で知り合った仲間との冒険、芽生えたつかの間の恋、これこそ〈オレンジ色の日々〉というにふさわしい。2010年の夏、アイスランドの火山が爆発したせいで、韓国旅行からの帰途にあったアルバロは、アテネに足留めになってしまう。こうして列車の旅が始まったのだ。スウェーデンのベルタとは、ディケンズの『ピケウィック・クラブ』が縁で親しくなった。

(アルバロとベルタ、“Días color naranja”から)
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