マラガ―スール賞にアレハンドロ・アメナバル*マラガ映画祭2021 ⑦ ― 2021年05月15日 18:31
マラガ映画祭の最高賞マラガ―スール賞にアレハンドロ・アメナバル
★去る5月11日、「マラガ―スール賞にアレハンドロ・アメナバル」の発表がありました。マラガ映画祭と日刊紙「スール」Diario Sur がコラボレーションした、本映画祭の大賞です。スペインのみならず海外での多数の受賞歴をもつ監督、脚本家、製作者、作曲家。国際的知名度のあるスペインを代表するシネアストの一人。当ブログでは、哲学者ミゲル・ウナムノの最晩年を描いた『戦争のさなかで』(19)をクランクイン当時からご紹介しています。キャリア&フィルモグラフィーについては、英語版を翻訳したと思われる日本語ウイキペディアで読むことができます(ただし2015年の『リグレッション』まで)。
*『戦争のさなかで』の紹介は、コチラ⇒2018年06月01日/2019年09月27日/11月26日
(クランクイン当時の監督とウナムノ役のカラ・エレハルデ、サラマンカ)
★アレハンドロ・アメナバルは、1972年3月チリのサンティアゴ生れ、監督、脚本家、製作者、作曲家。チリとスペインの二重国籍、父親はでチリ人、母親はスペイン人、1969年生れの兄がいる。1973年8月、首都の不穏な政治情勢に不安を感じた両親は、母親の生れ故郷スペインへの移住を決意する。不安は的中、翌月11日チリ陸軍大将アウグスト・ピノチェトによる軍事クーデターが勃発、社会主義政党アジェンデ政権は崩壊した。ラテンアメリカでは「もう一つの9・11」と称される。
★父親はミュンヘンに本部を置くOSRAM に職をえるが、マドリードに到着した当座はキャンピングカー暮らし、最終的にマドリード近郊のパラクエジョス・デ・ハラマに落ち着いた。17世紀に開校したヘタフェのパードレス・エスコラピオス学校に入学、高校2年のときマドリード北部バラハスにあるアラメダ・デ・オスナに編入した。両親は兄弟の教育には熱心で、テレビや映画館は15歳まで許されなかった。入学したマドリード・コンプルテンセ大学情報科学部は中退している。同大学の親友マテオ・ヒルは、後に『テシス 次に私が殺される』や『オープン・ユア・アイズ』、更に『夢を飛ぶ夢』、『アレクサンドリア』の脚本を共同執筆している。
★1991年「La cabeza」で短編デビュー、その後「La extraña obsesión del Doctor Morbius」(92)、「Himenóptero」(92)、「Luna」(94)と合計4本の短編発表後、1996年長編『テシス 次に私が殺される』で鮮烈デビュー、映画界のみならずスペイン社会に衝撃を与える。第2作サイコスリラー『オープン・ユア・アイズ』(97)は、ベルリンや東京国際映画祭で高評価、トム・クルーズがリメイク権を取得、キャメロン・クロウ監督、クルーズ、ペネロペ・クルス主演で『バニラ・スカイ』(01)としてリメイクされた。3作目ホラー・サスペンス『アザーズ』(01)でハリウッド進出、ニコール・キッドマンを起用して初めて英語で撮り、観客と批評家から受け入れられた。本作はベネチア映画祭でプレミアされ、ゴヤ賞15部門ノミネート8冠を制している。作品賞・監督賞を含む8冠はゴヤ賞史上でもイマノル・ウリベの『時間切れの愛』とダニエル・モンソンの『プリズン211』を数えるだけである。
(デビュー作『テシス 次に私が殺される』のスペイン版ポスター)
★スペインに戻った監督は、尊厳死を願うガリシアのラモン・サンペドロの手記をベースにした4作目 『夢を飛ぶ夢』(04)を製作、ベネチア映画祭2004でプレミアされ審査員特別賞ほか受賞、翌年のゴヤ賞15部門ノミネーション14冠、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞、最終的にアカデミー外国語映画賞を受賞してオスカー監督となった。受賞挨拶で「このトロフィーをラモンに捧げる」とスピーチしたが、後にサンペドロの遺族との間に軋轢を残す結果となった。言語はスペイン語、ガリシア語、カタルーニャ語。
(ラモンを演じたハビエル・バルデム、メイクに6時間費やしたことが話題になった)
★レイチェル・ワイズを迎えて撮った5作目『アレクサンドリア』は、カンヌ映画祭2009コンペティション部門に出品された。ゴヤ賞7冠の本作は、スペインでは興行成績年間トップの2100万ユーロ、観客動員数350万人だったが、アメリカでの不発が原因で巨額の資金を投じたテレシンコ・シネマは苦境に立たされた。ローマ帝国末期4世紀にエジプト・アレクサンドリアに実在した女性天文学者の物語は、アメリカの若者には受け入れられなかった。言語は英語。
★6年間の沈黙を破って撮った、イーサン・ホーク、エマ・ワトソン主演の6作目『リグレッション』は、ホラー・サスペンス。サンセバスチャン映画祭2015のオープニング作品としてプレミアされた(コンペティション外作品)。スペイン興行成績900万ユーロ、観客動員数100万人だった。7作目が上述した『戦争のさなかで』(19)は、トロント、サンセバスチャン上映後、本邦でも東京国際映画祭とラテンビートの共催で上映された。スペインでは190万人が映画館に足を運んだ。彼のようにスリラー、ホラー、SF、サスペンスなどを取り入れた映画作家は多くはない。
★影響を受けた監督として、ヒッチコック、フリッツ・ラング、フランス系アメリカ人ジャック・ターナー、キューブリック、ロマン・ポランスキーなどを挙げ、ポランスキー以外は鬼籍入りしている。最新作はTVミニシリーズ「La Fortuna」(6話、21)は、パコ・ロカ&ギジェルモ・コラルのグラフィック小説「El tesoro de cisne negro」に着想を得て製作された。キャストはペドロ・カサブランク、同じ俳優を起用しない方針を変更したのか(TVは別なのか)カラ・エレハルデがクレジットされている。製作はMovistar+、Mod Producciones、秋公開が予定されている。
*主なフィルモグラフィー*
1996-Tasis 『テシス 次に私が殺される』 監督・脚本・音楽
ゴヤ賞(作品賞・新人監督賞・オリジナル脚本賞)、サンジョルディ賞
1997-Abre los ojos 『オープン・ユア・アイズ』 監督・脚本・音楽
2001-Los otros 『アザーズ』 監督・脚本・音楽
ゴヤ賞(監督賞・オリジナル脚本賞)、サンジョルディ賞
2004-Mar adentro 『夢を飛ぶ夢』 監督・脚本・製作・音楽
アカデミー外国語映画賞、ゴールデン・グローブ外国語映画賞賞、
ゴヤ賞(作品・監督・オリジナル脚本・オリジナル作曲)、サンジョルディ賞、トゥリア賞
2009-Ágora 『アレクサンドリア』 監督・脚本
ゴヤ賞(オリジナル脚本賞)
2015-Regresion 『リグレッション』 監督・脚本
2019-Mientras dure la gurra『戦争のさなかで』 監督・脚本・音楽
*短編、TVシリーズ、ミュージックビデオ、テレビコマーシャルを除く。
★他にホセ・ルイス・クエルダの『蝶の舌』(99)とマテオ・ヒルの『パズル』(99)の音楽、オスカル・サントスの『命の相続人』(10)の製作を手掛けている。横道にそれるが、2004年カミングアウト、同性婚成立後の2015年7月ダビ・ブランコと結婚したが、2018年初め別居、翌年離婚、新パートナーとは2018年夏から交際、病理解剖学を専門とする医師セサル、22歳年下ということです。
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