第64回ベルリン映画祭*ベンハミン・ナイシュタット2014年02月24日 15:15

★ラテンアメリカ諸国と違って、スペインではベルリンに焦点を合わせてくる監督は少数派。そういうわけか今年も出品はゼロでした。スペイン語映画はアルゼンチンから次の2作がコンペに残りました。

 

La tercera orilla 2014 The Third Side of the River)セリナ・ムルガの第3作、アルゼンチン=独=オランダ、20143月アルゼンチン公開、 製作費概算150万ドル

 

Historia del miedo2014 History of Fear)ベンハミン・ナイシュタット、アルゼンチン= ウルグアイ= 独仏、79分、カラー、アルゼンチン公開日時未定

 

クラウディア・リョサAloft2014、西・カナダ・仏)は、言語が英語、出演者もペルーとは関係ない。800万ドルの資金を投じての大作だからいずれ公開されると思う。クラウディア・リョサはベルリンと相性がよく下馬評では賞に絡むということでしたが素通りしました。今度は母娘の物語ではなく、かつて小さい息子を捨ててしまった母親の物語です。

 

セリナ・ムルガは前作Una semana solos2008A Week Aloneアルゼンチン)が、ヒホン、リオデジャネイロ、ミュンヘンなどの国際映画祭で受賞しています。サンセバスチャン映画祭2012のレトロスペクティブ「ラテンアメリカ映画の10年」にも選ばれ再上映されました。マーティン・スコセッシが感銘を受けたということで話題にもなりました。

 

 


ベンハミン・ナイシュタットHistoria del miedoはデビュー作ということと、27歳という若さに惹かれてご案内いたします。プロットを読んでも雰囲気しか分からない映画です

プロット:現代社会が抱える恐怖についての物語。暑い夏、ムシムシした気候、息苦しい雰囲気の中、町から離れた郊外の私有地に閉じこもったまま中産階級の人々が暮らしている。外部の人々をインベーダーのように怖れている。停電によって闇が支配する町、不確かな火花を散らして押し寄せる集団的悪夢はカオスと化す。

 

アルゼンチン社会に根源的にあるファンタズマにX線を通して、他階級への偏見、嫌悪感、社会的脅迫観念に取り組んでいるらしい。恐怖というのは抽象的で不合理なものだから、音、光、闇を使って描写している。だからと言って、これは厳密な意味では「社会派」ドラマではない。もっと感覚的な恐怖についての物語のようです。

 

「映画はジャンルを問わない、1970年、80年代のホラー映画が好き、ジョン・ハワード・カーペンターには限りなく魅せられている。彼の世代ではかなり政治的な監督の一人、アルゼンチンではルクレシア・マルテルの『沼地という名の町』(2001)、映画の構成を考えるとき役に立つ」と。これはマルテルの「サルタ三部作」の最初の作品、二部『ラ・ニーニャ・サンタ』(2004)と三部『頭のない女』(2008)はラテンビートで上映された。リアリズムとファンタジーとアレゴリーが同時に存在していて、好き嫌いがはっきり分かれる監督。さらに「メキシコのカルロス・レイガーダスの詩的なところ、ミハエル・ハネケ的雰囲気も気に入っている。クラウディア・ピニェイロの小説Las viudas de los juevesやロドリーゴ・プラのLa zonaの影響を受けている」ということで、だいたい彼の目指している映画の枠組みが見えてきます。La zonaについては、かなり多くのインタビュアーが指摘しています。

 


クラウディア・ピニェイロの小説は、中産階級の人々が「閉じ込められた空間」に住んでいる、という点でそっくりだが、彼らは自分たち用の堅牢な要塞を建てて外部をシャットアウトして安全を保っている。この小説は2005年のクラリン賞(小説部門)を受賞したベストセラー、2009年にマルセロ・ピニェイロが映画化している。

(写真は左から、主人公役ジョナサン・ダ・ローザとナイシュタット監督)

 

     監督のキャリア紹介

ベンハミン・ナイシュタット Benjamin Naishtat1986年ブエノスアイレス生れ、監督・脚本家・編集者・製作者。2008年、FUCFormado en la Universidad del Cine)で学んだ後、フランスの「ル・フレノワ国立現代アートスタジオ」の奨学金を得て留学。短編Estamos bien2008)、Juegos2010)がカンヌ映画祭やロッテルダム映画祭で評価された。彼によれば、このJuegos3作目Historia del mal2011)は実験映画ということです。特に前者は自分も気に入り、長編デビュー作の資金作りに役立ったという。フレノワは映画だけでなく現代アートについて学べたことが、美学的なセンスを磨くのに役立った、とも語っている。

 

★アルゼンチンから2作コンペに選ぶについては議論もあった由(セリナ・ムルガが先に決定していた)、製作国にドイツも絡んでいたことが幸いしたのだろうか。


コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://aribaba39.asablo.jp/blog/2014/02/24/7230371/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。