『ラ・レクトーラ』 リカルド・ガブリエリ ― 2014年02月19日 23:31
★「コロンビア現代映画上映会」の一つとして、去る2月13日にセルバンテス文化センターで上映された作品のご紹介。当初は「日本語字幕入り」の予定でしたが、残念ながら当日「英語字幕」に変更になりました。物語構成がちょっと複雑なこと、日本初登場の新人監督の作品であること、何よりも日本語字幕でなかったこと、一回しか見てないことで不消化ぎみですが、混じりっけなしのコロンビア製映画ということで、読み違いのご指摘を期待してアップいたします。
★当ブログで扱ったコロンビア映画は、第10回ラテンビート2013上映のアンドレス・バイスの『ある殺人者の記録』(2008“Satanás”)、『暗殺者と呼ばれた男』(2013“Roa”)の2本だけでしょうか。最近登場させたガルシア・マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』(2011)は、原作者がコロンビア人というだけでした。映画祭や劇場公開作品としては、リサンドロ・ドゥケ・ナランホの『ローマの奇跡』(1988)、今世紀に入ってから『そして、ひと粒のひかり』(2004、コロンビア=米、公開05)、『エメラルド・カウボーイ』(2002、同05)、『ヒドゥン・フェイス』(2011、同12)、『スクワッド 荒野に棲む悪夢』(2011、同12)、東京国際映画祭2009上映の『激情』(2009、西=コロンビア)ぐらいしか思い浮かびません。
★国際的に活躍するコロンビア映画界の重鎮たるセルヒオ・カブレラやビクトル・ガビリアの作品さえ未公開という寒々しさです。『ヒドゥン・フェイス』のアンドレス・バイスがその次世代、そしてそれに続くのがリカルド・ガブリエリに代表される新世代ということになります。上映前のコロンビア大使館の方の挨拶の中に、「コロンビアでは質の良い映画が量産されています」とありましたが、それでしたらドンドン紹介して頂きたい。
*監督紹介*
★リカルド・ガブリエリ Riccardo Gabrielli R.:監督・脚本家・製作者・俳優他と多才。1975年、ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州生れ。名前の綴りから分かるように父親はイタリア系、母親がコロンビア人である。コロンビアの首都ボゴタにあるアンディノ・ジャーマン・スクールで学んだ後、映画をアメリカで学ぶ。バイス監督も映画をアメリカで学んでおり、ラテンアメリカ諸国の中でコロンビアはアメリカの友好国ナンバーワンです。数本撮った後コロンビアに帰国、テレビと並行しながら短編2本の後、デビュー作“Cuando rompen las olas”(2006)を撮る。第2作目となる本作の成功で脚光を浴びている有望な監督である。
*La lectora *
製作:Riccafilm
監督・脚本・プロデューサー:リカルド・ガブリエリ
撮影:フリアン・トーレス
音楽:マルセロ・トレビーニョ

キャスト:カロリーナ・ゴメス(カレン)、ディエゴ・カダビ(カチョロ)、カロリーナ・ゲラ(ラ・レクトーラ)、エルキン・ディアス(リチャード)、エクトル・ガルシア(ウィルソン)、ルイス・エドゥアルド・アランゴ(エル・パトロン)、オスカル・ボルダ(カルモナ署長)、ジョン・アレックス・トロ(ガブリエル)、カトリーヌ・ベレス(ベアトリス、カレンの叔母)、ロベルト・カノ(ボディガード)他
データ:コロンビア、スペイン語、2012、製作予算50万ドル(概算)、アクション・スリラー、97分、
撮影地ボゴタ、コロンビア公開2012年8月17日
プロット:カチョロとカレンの物語、二人は「謎のスーツケース」を持ったエル・パトロンの息子たちを同乗させたことでマフィアと警察の両方から追われる身となる。ドイツ語を学ぶ女子学生「ラ・レクトーラ」の物語、エル・パトロンの手下リチャードとウイルソンは、ドイツ語で書かれた手書きのノート解読のため女子学生を誘拐する。そのノートにはすべての人が血眼で行方を追っているスーツケース奪還の手掛かりがあるからなのだ。運命のいたずらで事件に巻き込まれてしまった二つの物語が交錯せずに並行して語られる。
製作費50万ドルってホント?
A: 製作費は概算で50万ドルだそうです。「お金や時間がなくても面白い映画、商業的にもペイする映画が作れることを証明したかった」とガブリエリ監督。
B: お金がなくて撮れないと嘆くスペインの監督たちに聞かせたい。
A: カチョロとカレンがマフィアと警察の銃撃戦でハチの巣状態になるシーン、車が空中を回転するシーン、証拠の車を爆破するシーンなどは、この予算から判断するに一発勝負だったでしょうね。2012年2月に17日間で撮影、8月17日公開ですから、凄いスピード狂です(笑)。
B: このような特殊効果を使った撮影は、ハリウッド映画を見なれているから珍しくありませんが、銃撃戦のシーンは車のボンネットから撮ったようでカメラマンも命がけです(笑)。
A: さて「ラ・レクトーラ」は≪読む女性≫、ここではドイツ語の手書きのノートの≪朗読者≫です。こういう朗読者が映画の進行役をする前例は結構あります。ミシェル・ドヴィルの『読書する女』(“La lectrice”1988仏)、魅力的なミュウ・ミュウが朗読者でした。
B: ニック・カサヴェテスの『きみに読む物語』(2004米)、スティーブン・ダルドリーの『愛を読むひと』(2008米独)、2作とも吹替え版でテレビ放映されたほどの話題作です。ただ朗読者は男性です。
A: 両方ともベストセラー小説の映画化、前者は監督の母ジーナ・ローランズがゴールデン・サテライト賞助演女優賞、後者はヒロインを演じたケイト・ウィンスレットが主演女優賞のオスカーを手にしました。本作もセルヒオ・アルバレスの同名小説の映画化です*。キャスト陣はテレビ界の大物俳優が多数出演、ギャラはどうやって捻出したのか聞きたいところです。

*セルヒオ・アルバレスSergio Alvarez Guarin :1965年ボゴタ生れ、作家・脚本家・ジャーナリスト。バルセロナとボゴタに在住、「エル・パイス」や「ラ・バングアルディア」に寄稿、“La lectora”(Alfaguara 2004刊)で作家デビュー、コロンビアRCNのTVシリーズにドラマ化されたことが今回の映画化に繋がった。(写真は小説の表紙)
朗読者は「アラビアン・ナイト」のシェヘラザード
B: さて本題、本作のユニークなところは、朗読者がただ書いてある通りに朗読するのではない点です。自分の生死に関わる恐怖のなかで、誘拐犯の反応を見極めながら巧みにリライトして朗読していく。実際観客も目撃者の一人となってオハナシを作り始めます。
A: 1回分を完結させずに時間稼ぎをしながら再創造しているわけです。ドイツ語の原文をそのまま朗読しているのではない。お手本になった≪朗読者≫は、ある批評家が指摘しているように、『千一夜物語』の美しく聡明なシェヘラザード姫でしょう。物語を聞いている誘拐犯、観ている観客を巻き込むような美しく魅力的な女性でなければならない。外見だけでなく内面の美しさも重要だと映画は言っている。そこがお味噌です。
B: ガルシア・マルケスを夢中にさせた『アラビアン・ナイト』ですね。妻の不貞から女性不信になったシャフリヤール王の毎夜の殺人を止めさせるべく妃になった女性。
A: シェヘラザードもラ・レクトーラも物語が完結したら用済みとなって殺害されてしまう運命にある。二人とも冒険談や恋物語で相手を魔法にかけねばならない。特に後者は人質となり鎖で両手を縛られ、常に眼前にピストルという緊張状態で朗読している。誘拐犯が何故スーツケースの在りかを知りたがっているのか推測し、二人を混乱させながら自分の生き残りをかけて再創造していく。だから語られる「カレンとカチョロの物語」は現実と虚構がないまぜになっている。

(写真は手書きのノートを読むラ・レクトーラ)
A: テーマは教訓的で凄くマジメです(笑)。朗読者は創作していくうちに次第にカチョロとカレンの「愛の物語」に偏っていきます。カレンもカチョロもいわば夜の人間、世間的にはいかがわしい職業についている。しかし朗読者にもカレンが夜の女王として君臨していることが分かってくる。
B: 人質になっているのを忘れて再創造に夢中になり誘拐犯が不審がる。結構笑えるコミック・マンガそこのけのシーンもありました。てっきり死んだと思われたカチョロがピンピンして活躍する(笑)。
B: カレンの叔母さんの登場などサービスのしすぎ、叔母さんが警察官を呼びに行ってる間にシャワーを浴びて、セックスまでしちゃうなんてハチャメチャ。しかしドンパチの中に隠し味的ユーモアを入れるのも観客を飽きさせないテクニックです。
A: 冒頭に現れるカレンのストリップ・ショーなど、男性観客への過剰サービス、もうハリウッド映画で見飽きているシーンですけど。登場人物すべてがどれもこれもフツウじゃないし、あり得ないシチュエーションも多い。オスカル・ボルダという俳優は実力派の俳優らしいのですが、スクリーンに現れるだけで可笑しい。部下の警官が抜けているのも、観客には日ごろの鬱憤晴らしができる。
B: ラ・レクトーラ役のカロリーナ・ゲラは本作でデビュー、コロンビアは美人国で有名ですが、この女優も美しい。
A: テレビ出演で既に顔は知られている。朗読者は美しく聡明でなければならないという条件を満たしています。ウィルソン役のエクトル・ガルシア、エル・パトロン役のルイス・エドゥアルド・アランゴ、それに主役カチョロのディエゴ・カダビなどテレビ界の人気俳優たちが、この若い監督応援に馳せつけたことが成功をもたらした。
B: 勿論カレン役のカロリーナ・ゴメスは言うまでもありません。橋の欄干から飛び降りさせられたり(これはスタントか人形ね、しかし大型トラックの荷台から飛び下りたのは本人)、ストリップをさせられたり、美しい顔が変形するほど殴られたりと、頑張りました。
A: 1974年生れとは思えない若さと美貌、カダビと息のあった演技で観客を魅了しました。カロリーナ・ゴメスを起用出来たことは監督にとって幸運でした。テレビのインタビューの印象だと、カレンとゴメスは雰囲気が似ています。1回ごとの物語がちょっとバラバラな印象もありましたが、それは映画というよりテレビの手法に寄りかかりすぎたからかもしれないし、結末があまりにあっけない。「主役は美人でなければ」というオブセッションからも抜け出せていない。しかし一定の水準を保った良質のエンターテイメントが低予算でも撮れることを証明できたのではないでしょうか。

(写真はディエゴ・カダビとカロリーナ・ゴメス)
外国の監督が描くコロンビアの暗部
A: 脇道に逸れますが、海外の目からコロンビアはどう見られているか。コロンビアで一番有名な人物と言えばガルシア・マルケス、彼の『予告された殺人の記録』をフランチェスコ・ロージが撮った(1987、伊仏=コロンビア、公開1988)。コロンビアのモンポスやカルタヘナに赴いて撮影したが、これはイタリア映画であってコロンビア映画ではない。
B: コロンビアでは評判の悪い映画です。前置きで触れた『そして、ひと粒のひかり』の監督はアメリカ人ジョシュア・マーストン、ベルリン映画祭で評価された主役のカタリナ・サンディノ・モレノがオスカーにノミネートされたりとコロンビア人も大騒ぎしましたが、結末が笑えました。
A: これは米国製映画か、どこまでコロンビア映画かと言えば異論もありそう。『激情』だってセバスチャン・コルデロはエクアドルの監督です。コロンビアとの関わりは、女優マルティナ・ガルシアが出演しているだけ。北スペインの或る町に移民してきたコロンビア人という設定ですが、ラテンアメリカならコロンビアじゃなくてもいい。
B: 公開直前にストップが掛かった『暗殺者の聖母』(2000、コロンビア=西)の監督バーベット・シュローダーは、テヘラン生れでフランス国籍のスイス人、ハリウッドで活躍している(笑)。
A: 死ぬために故郷メデジンに戻ってきた中年男と死にたくないが生きるために暗殺者となっている少年の物語。これはコロンビア映画といえるが、別の機会にきちんとご紹介すべき作品です。
B: 原作者で脚本も自身で手掛けたフェルナンド・バジェッホについても触れる必要がありますからね。
A: 毀誉褒貶の作家ですが、彼を語ることはコロンビアの暗部を語ることに繋がります。暗部と言えば、ミゲル・コルトワというフランスの監督が撮った“Operaciaón E”(2012)という作品があって、『ある殺人者の記憶』と同じように実話を題材にしたものです。テレビでは報道されないFARC(コロンビア革命軍)の実態を浮き彫りにしています。≪E≫は2002年2月、FARCによってイングリット・べタンクールと一緒に誘拐されたクララ・ロハスの赤ん坊 Emmanuelの頭文字から取られています。
B: 母子二人は2008年7月に解放され、大きくテレビで報道されましたが、日本ではべタンクールのことしか報道されなかった記憶です。
A: ルイス・トサールとマルティナ・ガルシアが4人の子持ちの夫婦役、預かったロハスの赤ん坊を守ってFARCや政府軍の双方から逃げ回る農民夫婦に扮しました。母親がバスク生れというコルトワ監督は、過去にETA問題をテーマにした“El Lobo”(2004)や“GAL”(2006)を撮っています。「ETAやFARCの問題は自分にとって身近なテーマ」と語っています。『暗殺者の聖母』も危険覚悟でメデジンに乗りこんで撮影しましたが、こちらもコロンビアのジャングルに分け入っての撮影でした。2012年から「平和交渉」に入った≪今日のコロンビア≫情勢を知る手掛かりになるでしょう。
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