ダビ・トゥルエバ”Vivir es facil con los ojos cerrados”*ゴヤ賞2014ノミネーション2014年01月30日 23:13

★作品賞にノミネートされている5作品のうち未紹介アラカルト(3

 


Vivir es fácil con los ojos cerradosLiving is Easy With Eyes Closed”)

製作:フェルナンド・トゥルエバ P.C. S.A.
(クリスティナ・ウエテ フェルナンデス=マキエイラ)
作品賞ノミネート

監督・脚本:ダビ・トゥルエバ 監督賞・オリジナル脚本賞ノミネート

撮影:ダニエル・ビラル

音楽:パット・メセニー オリジナル作曲賞ノミネート

他のゴヤ賞ノミネート、主演男優賞(ハビエル・カマラ)、新人女優賞(ナタリア・デ・モリーナ)、衣装デザイン賞(ララ・ウエテ)の合計7部門ノミネート、ウエテ姉妹が揃ってノミネートされています。

 

キャスト:ハビエル・カマラ(アントニオ)、ナタリア・デ・モリーナ(ベレン)、フランセスク・コロメール(フアンホ)、ホルヘ・サンス(フアンホ父)、アリアドナ・ヒル(フアンホ母)、ロヘリオ・フェルナンデス(ブルーノ)、ラモン・フォントセレ(ラモン)他

ザ・ビートルズのジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、ポール・マッカートニーの映像も登場する。

 

データ:スペイン・スペイン語 2013 コメディ 108分 
撮影地アルメリア県(アンダルシア州)
 1031日公開

サンセバスチャン映画祭2013コンペティション正式出品。

パーム・スプリングス映画祭2014「ラテン映画賞」受賞。カリフォルニア州のパーム・スプリングス市で1月に開催される国際映画祭。アマ・エスカランテの『エリ』と賞を分かち合いました。

 

プロット1966年、ジョン・レノンが映画撮影のためアルメリアにやって来る。ビートルズの歌を教材に英語を教えていた高校教師のアントニオは、彼のヒーローに会おうと決心、休暇をとって旅に出る。道中家出してきた16歳フアンホと、何かから逃げてきた若い娘ベレンが仲間に加わり、1966年のアルメリアは3人にとって生涯忘れられない季節になる。

 


ダビ・トゥルエバ David Rodriguez Trueba 1969年マドリード生れ、監督・脚本家・作家・俳優・ジャーナリスト。トゥルエバ8人兄弟の末っ子、『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』(ラテンビート2013上映)で初来日したオスカー賞監督フェルナンド・トゥルエバは実兄。母親に甘やかされて7歳まで学校に行かなかった話は有名。父親はタイプライターの訪問販売業を営み、そのタイプライターで幼少時から物を書いていたという早熟な子供だった。マドリード・コンプルテンセ大学ジャーナリズム情報科学科卒業。1992年米国に渡り「アメリカン・フィルム・インスティチュート」脚本科に入学。

(写真はトゥルエバ監督、ロケ地アルメリアの海岸にて)

 

ゴヤ賞トレビア:テレビ映画Felicidades, Alberti1991)の脚本家として出発、長編映画La buena vida1996)がデビュー作、ゴヤ賞1997新人監督賞・脚本賞にノミネートされた他、カルロヴィー・ヴァリー映画祭特別審査員賞、トゥリア賞(第1作に与えられる賞)を受賞した。2003年の話題作Soldados de Salaminaは、ハビエル・セルカスの同名小説の映画化、オスカー賞スペイン代表作に選ばれるも最終候補に残れなかった。またコペンハーゲン映画祭脚本賞、トゥリア賞(スペイン映画部門)を受賞したが、ゴヤ賞はノミネートに終わっている。大学在学中に脚本を書き始め、エミリオ・マルティネス・ラサロに認められ、後に彼の『我が生涯最悪の年』(1994の脚本を書き、ゴヤ賞1995脚本賞にノミネートされている。これまた受賞に至らずゴヤは「道険し」の感がありますね。

Los peores anos de nuestra vida日本スペイン協会創立40周年記念を祝して開催された「スペイン映画祭1997」で上映されたときの邦題。フアンホの両親役に扮するホルヘ・サンスとアリアドナ・ヒルが恋人役で出演している。ヒルはトゥルエバ監督と結婚していたが別れたようだ。

 

★ビートルズ・ファンなら題名を見て、ジョン・レノンの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」(1967)から取られたことが分かるでしょう。ビートルズ映画を撮った監督リチャード・レスターの『ジョン・レノンの僕の戦争』撮影のため、レノンは実際にアルメリアに滞在していた。しかしこれはレノンの伝記映画ではない。1960年代スペインの、ちっとも言うことを聞かない生徒にうんざりした英語教師と出奔女性と家出少年三人の物語だ。時代は1966年と監督の生れる前のスペイン、民主主義の足音も遥か彼方、スペインは灰色に沈んでいた。アルメリアの人々は農業と漁業に従事して生活は貧しく、自由に憧れる若者にとってビートルズはまさにヒーロー、希望の星でもあった。

原題How I Won the War1967イギリス、パトリック・ライアンの同名小説の映画化。未公開だったがビデオが発売されたときに付けられた邦題(廃盤)。戦争の愚かさをブラック・ユーモアで笑い飛ばした映画で、本作のメタファーにもなっている。

 

 

 
        (写真左からフランセスク・コロメール、ハビエル・カマラ、ナタリア・デ・モリーナ)

 

★英語教師アントニオにはモデルがいる。監督によれば、ずっと以前のことだがアドルフォ・イグレシアスという記者が書いた「カルタヘナの英語教師」という記事を目にした。フアン・カリオンという美声の英語教師がビートルズの歌を使って英語を教えている。そしてジョン・レノンが映画撮影のためアルメリアにやって来るというので会いに出掛けた、という記事だ。そこに先輩監督フアン・アントニオ・バルデムがフランコ没後の第1作として撮ったコメディEl puente1977、仮題「夏季休暇」)がひらめいた。主役のアルフレッド・ランダが夏季休暇を利用してバイクでマドリードからトレモリーノスへ旅をする話で、一種のロードムービー。そこでトゥルエバはカルタヘナ(ムルシア州)をアルバセテ(カスティリャ=ラマンチャ州)に変更してオリジナル脚本を書いたというわけです。

直訳だと「橋」ですが、休日に挟まれた平日に「橋」をかけて連休にする意味もあり、ここでは「夏季休暇」にした。読みかじりですが本作にもモデルがいたようです。横道になりますが、モスクワ映画祭グランプリ受賞作品、主役のアルフレッド・ランダが一躍注目を集め、この成功はマリオ・カムスの『無垢なる聖者』(1984)、ホセ・ルイス・クエルダの『にぎやかな森』(1987)へと繋がっていく。

 

★舞台となるアルメリア(県都)もかれこれ40年も経てば様変わりしていて、60年代を再現するのは難しかった。ここには2日間しかいなかった。ロケ地探しには苦労したようで、アルメリア県内の内陸部のタベルナス、ロダルキラル、地中海沿いのカボ・デ・ガタなどで撮影は行われた。

 


★新人女優賞にノミネートのナタリア・デ・モリー Natalía de molina は、アンダルシアの観光地ハエン近郊のリナレス生れ、グラナダで育った(正確な生年がIMDbでもアップされていないが、201311月に受けたインタビューで23歳と答えているので1990年ごろか)。俳優・歌手・バレエダンサー(短編で共演しているセリナ・デ・モリーナとは姉妹)。マラガ高等演劇芸術学校で2年間ミュージカルの基礎を学んだ後、マドリードに出て、演劇学校ガレージ・リュミエールGaraje Lumiere やスタジオ・コラッサEstudio Corazzaで演技を学ぶ。長編第1作でゴヤ新人女優賞にノミネートされた。インタビュアーから「スター誕生ですね」と言われて、「そうなれば嬉しい」と答えている。今年の新人女優賞は激戦だからどうでしょうか。

本作では独身で妊娠してしまった21歳のマラゲーニャ役、アンダルシア訛りが出来ることが出演の幸運を呼び込んだ。写真でも分かるようにナタリー・ポートマンに似ているが、よく言われるとのこと。彼女も踊れて演技できるから「とても光栄に思っている」由。

 


★フアンホ役のフランセスク・コロメールは、アグスティ・ビリャロンガの『ブラック・ブレッド』の少年アンドレウで既に新人男優賞をゲットしています。3年ですっかり若者になりましたが、あの独特の目ですぐ分かります。今回はカツラなしで登場のハビエル・カマラはご紹介するまでもないですね。

 

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