チリ映画『ナチュラルウーマン』セバスティアン・レリオ2018年03月16日 17:15

                  「私らしく」自分に正直に生きるのは難しい

 

     

セバスティアン・レリオUna mujer fantástica『ナチュラルウーマン』の邦題で公開されました(公開中)。ベルリン映画祭2017にノミネートされて以来、監督フィルモグラフィーを含めて紹介記事を書いてきましたが、第90アカデミー賞外国語映画賞受賞を機に改めて再構成いたしました。先日発表された第5イベロアメリカ・プラチナ賞2018(メキシコのリビエラ・マヤで4月開催)にも作品賞を含めて最多の9部門にノミネートされるなど、依然として勢いは止まりません。前作『グロリアの青春』とメイン・テーマは繋がっています、それは一言でいえば威厳をもった<不服従>でしょうか。

 

  

(オスカー像を手にスピーチする監督、後列左から、フアン・デ・ディオス・ラライン、

ダニエラ・ベガ、フランシスコ・レイェス、パブロ・ラライン、アカデミー賞授賞式にて)

 

 『ナチュラルウーマン』(原題Una mujer fantástica英題「A Fantastic Woman」)

製作:Fabula(チリ)/ Participant Media(米)/ Komplizen Film(独)/ Setembro Cine(西)/

    Muchas Gracias(チリ)/ ZDFARTE(独)

監督:セバスティアン・レリオ

脚本:セバスティアン・レリオ、ゴンサロ・マサ

音楽:マシュー・ハーバート、ナニ・ガルシア(コンポーザー)

撮影:ベンハミン・エチャサレッタ

編集:ソレダード・サルファテ

美術・プロダクション・デザイン:エステファニア・ラライン

衣装デザイン:ムリエル・パラ

 

製作者:フアン・デ・ディオス・ラライン、パブロ・ラライン、セバスティアン・レリオ、ゴンサロ・マサ、(共同)ヤニーネ・ヤツコフスキ、ヨナス・ドルンバッハ、フェルナンダ・デ・ニド、マーレン・アデ、(エグゼクティブ)ジェフ・スコール、ベン・フォン・ドベネック、ジョナサン・キング、ロシオ・ジャデュー、マリアン・ハート

 

データ:製作国チリ=ドイツ=スペイン=米国、スペイン語、2017年、ドラマ、104分、撮影地チリのサンティアゴ。映画祭・限定上映をを除く公開日:チリ201746日、ドイツ同年77日、スペイン同年1020日、米国201822日、日本同年224

 

映画祭・受賞歴:第67回ベルリン映画祭2017正式出品(脚本銀熊賞、エキュメニカル審査員賞スペシャル・メンション、テディー賞)、第65回サンセバスチャン映画祭2017(セバスティアネ・ラティノ賞)、リマ映画祭2017審査員賞、女優賞)、イベロアメリカ・フェニックス賞(作品賞、監督賞、女優賞)、インディペンデント・スピリット賞(外国映画賞)、ナショナル・ボード・オブ・レビュー2017(外国語映画Top 5)、ハバナ映画祭(審査員特別賞、女優賞)、フォルケ賞2018(ラティノアメリカ映画賞)、ゴヤ賞(イベロアメリカ映画賞)、パームスプリングス映画祭(シネラティノ審査員栄誉メンション、外国映画部門の女優賞)、米アカデミー賞外国語映画賞受賞、以上が主な受賞歴。ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞ノミネート以下、多数の国際映画祭ノミネーションは割愛。

 

主なキャスト(『』は公開・映画祭などで紹介された作品)

ダニエラ・ベガ(マリーナ・ビダル)

フランシスコ・レイェス(オルランド・オネット・パルティエル)、『マチュカ』『ネルーダ』『ザ・クラブ』

ルイス・ニェッコ(オルランドの兄弟ガボ)、『ネルーダ』『No』『泥棒と踊り子』

アリネ・クッペンハイム(オルランドの元妻ソニア・ブンステル)、『マチュカ』『サンティアゴの光』

ニコラス・サアベドラ(オルランドの長男ブルーノ・オネット・ブンステル)

アントニア・セヘルス(レストラン店主アレサンドラ)、『No』『ネルーダ』『ザ・クラブ』

トリニダード・ゴンサレス(マリーナの姉ワンダ・ビダル)、『ボンサイ盆栽』『ネルーダ』

アンパロ・ノゲラ(刑事アドリアナ・コルテス)、『トニー・マネロ』『No』『ネルーダ』

セルヒオ・エルナンデス(声楽教師)、『聖家族』『泥棒と踊り子』『No』『グロリアの青春』

アレハンドロ・ゴイク(医師)、『家政婦ラケルの反乱』『ザ・クラブ』

クリスティアン・チャパロ(マッサージ師)、『モーターサイクル・ダイアリーズ』『ネルーダ』

ディアナ・カシス(サウナ受付)

エドアルド・パチェコ(パラメディコ)、『サンティアゴの光』『見間違うひとびと』

ネストル・カンティリャーノ(ガストン)、『No』『ネルーダ』

ロベルト・ファリアス(警察医)、『サンティアゴの光』『No』『ザ・クラブ』『ネルーダ』

ディアブラ(マリーナの愛犬)

 

物語:心と体の性が一致しないトランスのマリーナ・ビダルの自己肯定と再生の物語。サンティアゴ、マリーナは昼間はレストランのウエイトレス、夜はナイトクラブの歌手として働いている。父親ほど年の離れたパートナーのオルランドと平穏に暮らしていた。二人でマリーナの誕生日を祝った夜、オルランドは激しい発作のあと脳動脈瘤のため帰らぬ人となった。マリーナを待ち受けていたのは、理不尽な社会の偏見、彼の家族の非難と暴力の的になることだった。すべてを失ったマリーナの反逆と尊厳を目にした観客は、亡き人の幻影に導かれ風雨に立ち向かう毅然としたマリーナと共に旅に出ることになる。                     (文責:管理人)

 

      時代で変わる「トランスジェンダー」の語義―「みんなトランスです」

 

A: アカデミー賞外国語映画賞最有力候補、公開前のダニエル・ベガ来日など、チリ映画としては話題の豊富な作品でした。日本でのセバスティアン・レリオの知名度がどれくらいか分かりませんが、前作の『グロリアの青春』を気に入った方にはお薦め作品です。

B: ヒロインのマリーナ・ビダルがトランスジェンダー、ベガ自身も同じということですが、この現在使われている「トランスジェンダーTG」という用語は、スペイン語では比較的最近使われだしたもので、語義の捉え方が一定しているのかどうか疑問です。

 

A: パンフ掲載のインタビューでも来日インタビューでも、ベガは「トランスジェンダーTG」とありますが、スペインで最も重要なゲイのグループが出している雑誌「SHANGAY」のインタビューでは、ベガ自身は「私は女性でトランスであることに誇りに思っている」と言ってるだけです。レリオ監督はマリーナを性転換者を意味する「una mujer transexualトランスセクシュアルの女性)」というTSを使用している。ベガ自身とマリーナが同じかどうか、TGなのかTSなのかはっきりしません。

B: 映画ではセリフから性別適合手術を受けた印象でしたが、「心と体の性別に差がある人」、または「誕生時に割り当てられた性別と異なる性で生きている人」という意味では同じですかね。

 

A: オルランドの死の関与を疑うコルテス刑事と医師の会話からは、まだマリーナの身分証明書が男性のままなのが分かる。そこで法的には男性でも「女性として扱ってやって」という刑事のセリフになる。マリーナも申請中だと法的には男性であることを認める。

B: TGの語義は時代とともに変化していて今は過渡期なのかもしれない。日本語の訳語は定まっていませんが、直訳すれば「性別越境者または移行者」になるのでしょうか。

 

A: ベガは「世間が私をどのように分類するか気にしません。自分の名前がトランスというレッテルで括られる必要のない日が来るかもしれませんし、来なくても構わない、どうせ同じことですから。レッテルは洋服のようなもので、脱いだり着たりする。つまり私は妊娠した女性の役でも男性の役でも演じられるということです」と。

B: 「生まれてきたばかりの赤ん坊の肌はすべすべですが、老いて死ぬときには皺だらけです。日々私たちは変化しています。私たちはみんなトランスなんです」とも発言している。映画の中でも愛犬ディアブラDiablaを取り返すときに見せたドスを効かせた声と、敏捷な動きに観客は唖然とする。

         

A: ジェンダーは社会的性別のことで生物学的な性別とは異なる。TSは「法的に戸籍も移行した性別に変えられるTS」とは全く別だと思うのですが、TS の人も広義のTGに含めて使用しているのかもしれません。

 

             映画の構想は「トロイの木馬」だった

  

B: 本作はLGBTがテーマではありません。ベルリナーレでプレミアしたとき、こんなインディ映画がオスカー像をチリにもたらすなんて誰が想像したでしょうかね。

A: 本映画祭の脚本銀熊賞が大きかったと思います。レリオ監督によると、そもそもの出発は「もし愛していた人が自分の腕の中で急に死んでしまったら何が起きるか、予想もつかない悪いことが起こるに違いないという問いが自分を突き動かした」と、昨年のサンセバスチャン映画祭で語っていた。

 

B: 脚本が「トランスセクシュアルの女性に行き着くまで試行錯誤の連続だった」というから、発想の順序が逆ですね。

A: 「トロイの木馬」だったようです。TSの女性は後から飛び出してきて勝利した。クラシック映画を超現代的にコーティングして、社会が価値のある人間と認めていない誰かを主人公にして撮ったら面白いのではないか。例えば、トランスセクシュアルの女性をヒロインにして、あたかも1950年代のジャンヌ・モローのようにエレガントに演じさせたらと考えた。

 

B: そこで当時暮らしていたベルリンからチリに帰国して主人公探しを始め、辿りついたのがダニエラ・ベガだったわけですね。

A: 起用されるまでの経緯は、ベガがあちこちのインタビューで語っているので割愛しますが、監督によるとチリの知人に取材したところ、二人の別々の人物が「それならダニエラ・ベガだよ」と即座に推薦したと。それまでにベガは、マウリシオ・ロペス・フェルナンデスのLa visitaTSのため家族からも疎んじられる女性を演じ、マルセーユ映画祭のような国際映画祭では女優賞を受賞していたからです。

 

        

     (TS の女性エレナ役のベガ、ロペス・フェルナンデスの「La visita」から)

   

B: それにシンガー・ソング・ライターのマヌエル・ガルシアのビデオクリップMaríaに登場したことが大きいのではないか。以来TV出演が増えるなど存在が知られるようになっていた。多分エリート保守派が幅を利かせるチリでも、少しずつ社会変革が進んでいるのでしょう。

A: ベガ自身も「14歳でカミングアウトした時と、13年後の現在では雲泥の差がある」と語っている。社会の壁を破るのは「法より芸術のほうが早かった」とアートの力を実感している。出演を受けたとき、ハリウッドで脚光を浴びるとは夢にも思わなかったはずです。

 

      

      (ダニエラ・ベガ、マヌエル・ガルシアのビデオクリップ《María》から)

 

 

       『ナチュラルウーマン』にはドン・ペドロはおりません

  

B: ルイ・マルやヒッチコック映画へのオマージュ、目配せのシーンが多数あるとパンフのインタビューにありました。マリーナがマイケル・ジャクソンみたいに風に向かって前傾して歩くシーンはバスター・キートンからの連想とか。スペイン語圏の人はチャップリンよりキートン好きが多い。

A: ルイ・マルのデビュー作『死刑台のエレベーター』58)のジャンヌ・モロー、ヒッチコックの『めまい』(58)、撮影中常に頭にあったのはブニュエル『昼顔』66)だったそうです。

 

B: 大勢からアルモドバルの『オール・アバウト・マイ・マザー』99)他、アルモドバルの影響を質問されるが、「とても光栄なことだが無関係」と否定していますね。

A: 「登場人物にトランスセクシュアルな女性が出てきたり、メロドラマへの目配せやスリラーを交差させることなどあると観客はアルモドバルを連想するけれど、『ナチュラルウーマン』にはドン・ペドロはおりません」と言ってます。

B: ダニエラ・ベガが演じたマリーナには、モンローのエレガントな雰囲気が漂っている。多分監督がベガに50年代のクラシック映画に現れたヒロインたちを研究するよう示唆したせいだと思いますね。

   

A: 構想から脚本完成まで1年半ほどかかった。ベルリンに戻ってからは、ベガとの取材や連絡は電話とかスカイプを利用し、シナリオが半分くらいにきたところで「主役を探さなくても目の前にいるじゃないか」とパチンときた。

B: つまり「ダニエラがマリーナ」だったわけですね。人との出会いは不思議ですね。

 

      マリーナに寄り添う巧みな選曲、心に沁みる「オンブラ・マイ・フ」

           

A: 本作では音楽の占める位置が重要です。邦題が「ファンタスティック・ウーマン」から「ナチュラルウーマン」になったのは、アレサ・フランクリンの名曲「A Natural Woman」の「You make me feel like a natural woman( あなたのそばにいると、ありのままの自分でいられる)」から採られている。個人的には内容からして、ことさら「ファンタスティック」を「ナチュラル」に変える必要がどこにあったのかと思っています。

B: マリーナは「あなたがいなくなっても、ありのままの自分でいられる」自立した女性に生れ変わるのだから、これこそ「ファンタスティック・ウーマン」です。

 

A: セルヒオ・エルナンデスが演じた歌の先生の伴奏で歌う「Sposa son disprezzata(蔑ろにされている妻)」という曲は、ボーイソプラノの美声を保つために去勢したオペラ歌手(カストラート)だったファリネッリのために書かれたものだそうです。

B: ファリネッリはバロック時代に実在した有名なカストラート、『王は踊る』のジェラール・コルビオがファリネッリのビオピック『カストラート』(94)を撮っている。

A: ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞の受賞作品でした。悲劇には違いないですが最後には光がさすところなど、マリーナとファリネッリを重ね合わせている印象をもちました。

 

B: 「愛を探しにきたのかも」というマリーナに対して、先生は「君が探しているのは愛ではない」と諭す。聖フランシスコは愛をくれ平和をくれとは言わない。

A: 聖フランシスコは「私を君の愛の手段に、君の平和の手掛かりに」と言っているだけだと。浮いたセリフに聞こえるシーンですが、マリーナが心を許している数少ない登場人物の一人がこの歌の先生、常にベガを支えてくれる父親の姿が投影されているようだ。両親の支えがなかったら今日のダニエラ・ベガは存在しない。

   

B: 「私の人生は自分で決めたい。もし賛成してくれるなら、それはファンタスティックだ」と打ち明けたとき「分かったよ、一緒に進もう」と言ってくれた父親、「それで何か問題がある? ないでしょ」と応じてくれた母親、予想される世間の中傷をものともしない家族の存在は大きい。

A: 先生を演じたセルヒオ・エルナンデスはチリのベテラン、パブロ・ララインの『No』や『グロリアの青春』にも出演している。観客を一時和ませてくれる役柄でした。

 

B: 愛犬ディアブラを取り戻したマリーナがラストで歌うヘンデルの「Ombra mai fu(オンブラ・マイ・フ)」も、カストラートのために作曲された。

A: 厳しい日差しを遮ってくれるプラタナスの木陰に感謝する曲、偏見からマリーナを守ってくれた亡きオルランドへ捧げる歌になっている。エモーショナルなシーンでした。

B: 冒頭のナイトクラブでマリーナが楽しそうに歌っていた、サルサ歌手エクトル・ラボーの「Periodico de ayer(昨日の新聞)」、マリーナがディスコで踊りまくるファンタスティックなシーンで流れるのはマシュー・ハーバートのスコア、エンディングではアラン・パーソンズの別れを受け入れる「Time」など、総じて音楽が映画を魅力あるものにしている。

 

      

          (ラストで「オンブラ・マイ・フ」を歌うマリーナ)

 

         愛と寛容、レジスタンスと尊厳―「私たちは何者であるか?」

 

A: 本作はトランスの人々の権利について論争を起こしましたが、チリのエリート階級は保守派で占められ、ラテンアメリカ諸国のなかでもLGBTへの偏見の強い国と言われています。実際『家政婦ラケルの反乱』の監督セバスティアン・シルバはチリを脱出、数年前からNYのブルックリンを本拠地にして英語で映画を撮っています。

B: 5年前から議論されていた「Ley de Identidad de Géneroジェンダー・アイデンティティ法」が、やっとローマ法王フランシスコが来訪する1日前の2018115日に可決されました。

A: 310日に退任したミシェル・バチェレ政権に残された仕事の一つでした。バチェレ大統領は38日の「国際女性デー」には、女性相クラウディア・パスクアルやダニエラ・ベガと共に街頭に出て、女性の権利平等を訴えました。

セバスティアン・ピニェラ大統領が311日に就任した。

 

          

       (左から、バチェレ大統領、ベガ、パスクアル女性相、201838日)

 

B: チリ社会も変わりつつあるのでしょうが、人々の意識変革はおいそれとは進まない。オルランドの死後、家族がマリーナに見せた顔が実態でしょう。

A: オルランド役のフランシスコ・レイェス、ルイス・ニェッコが演じたオルランドの兄弟ガボ、アントニア・セヘルスが扮したレストラン主人アレサンドラなどは少数派、葬式に集まった親戚一同、特にマリーナの顔をテープでぐるぐる巻きにしてしまうニコラス・サアベドラ演じる息子ブルーノと親戚の男たちが多数派、社会の多数派はトランスをこのように見ているのだという強烈なメッセージでした。

   

B: 多数派の一人、警察医になったロベルト・ファリアスは、『ザ・クラブ』でクラブに突然舞い込んできて元神父たちをかき回すキーパーソン、サンドカンを演じたベテラン、元妻か別居妻か分からなかったソニアを演じたアリネ・クッペンハイムなど、本作の脇役陣は豪華版です。

  

    

           (テープで顔を巻かれたマリーナの強烈なシーン)

 

A: ブルーノは「お前はいったい何者なんだ?」とマリーナをギリシャ神話に出てくる怪物キマイラ扱いする。それは取りもなおさず「私たちは何者であるか?」という問いですね。これが本作の根源的なテーマ、愛だの反逆などは副次的なものです。自分を捨て若いトランスに走った夫を許せないソニアや家族の復讐は、メロドラマとしてサービスされた小道具です。

B: 家庭を壊された家族が、壊れた原因がなんであれ破壊者に辛く当たるのは当たり前です。マリーナの不幸はオルランドの愛にかこつけたエゴや社会認識の甘さが理由のひとつですよ。死んだ後もマリーナの幻影として登場させているが、いずれのシーンもデジャヴ、鏡の多用など多分クラシック映画への目配せ、エールですかね。好き嫌いがはっきり分かれる。

 

         「無」を描くのが好き―円環的なサスペンス

 

A: 多くのチリ人が避けてきたテーマを引きずり出したことが評価された。チリのエリート階級が保守的なのは、パブロ・ララインやアンドレス・ウッドの映画から読み取れます。映画とは関係ありませんが、古くは1945年ノーベル文学賞を受賞したガブリエラ・ミストラルは、その官能的な詩、1946年知り合って以来死ぬまで個人秘書だったアメリカ人のドリス・ダナとの親密な関係を批判された。

B: 幼年時代を歌った詩人、優れた教師、有能な外交官としてのミストラルだけでいて欲しかった。

A: ドリス・ダナは2006年に没するまでミストラルの遺言執行人だったのですね。ミストラルとダナとの関係を調べて、マリア・エレナ・ウッドがドキュメンタリーLocas Mujeres2011)を撮っています。

 

          

          (在りし日のガブリエラ・ミストラルとドリス・ダナ)

 

B: マリア・エレナ・ウッドは、最近ご紹介したTVミニシリーズ「メアリとマイク」をプロデュースしたばかりの監督、製作者ですね。

A: ウッドは「政治的立場は違っていても、エリート階級はおしなべて保守的」とコメント「ミストラルに偏見をもたずに紹介しているのは、チリ本国より外国のほうです」とも付け加えている。ピノチェト政権が17年間も長持ちしたのも、そういうエリートたちのお蔭でしょうか。

 

B: サスペンスの要素、例えば「181」というナンバーが付いた鍵、マリーナは偶然からそれがサウナのロッカーの鍵だと分かる。

A: 観客はオルランドがサウナでマッサージをうけているシーンから始まったことを思い出す。彼の体調の異変の前兆としか捉えていなかったから、サウナが伏線だったことを知る。突然逝ってしまったオルランドが、何かマリーナに残しているのではないかと前のめりになると、そこは空っぽ。

B: 何か見落としたのではないかと不安になるが、そこは「無」、哲学的です。トランスが置かれている闇かもしれない。

 

A: 「無」を言うなら、マリーナはオルランドを失っただけでなく同時に車やアパート、その他もろもろ、彼の贈り物だった愛犬さえとられてしまう。しかもディアブラは生きている、一緒に戦いたい。

B: ディアブラは単なる犬ではなく戦友なのだ。スペイン語のDiablaは「女の悪魔」という意味で、これはちょっと笑える。

 

A: オスカー像を手にチリ凱旋を果たした監督一同、国民はどんな反応をしたのでしょうか。「Ley de Identidad de Género」の可決に尽力してくれたバチェレ大統領への挨拶、ファンへの報告など多忙を極めていることでしょう。「なんてファンタスティックなの!」「ダニエラ、おめでとう!」と異口同音に迎えるだろうが、彼女はサンティアゴ空港に「ダニエラ・ベガ」で入国できたかどうか、どうでしょうか。ここから第一歩が始まる。

 

          

           (監督、ベガ、右側がバチェレ大統領、36日)

 

B: チリに初めてオスカー像がもたらされたのは、2016年の短編アニメーションだそうですね。

A: ガブリエル・オソリオHistoria de un Oso(2014、11分)というアニメーション、監督の祖父でピノチェト政権時代に亡命した社会学者だったレオポルド・オソリオの痛みを描いているそうです。「私たちが何者なのかを理解するために鏡に向き合わねばならない」と監督。テーマが本作と繋がっているようです。

   

       

   

  (左がオスカー像を手にした監督、右はアニメーターのパトリシオ・エスカラ、2016年)

          

ダニエラ・ベガDaniela Vega Herenández女優、叙情歌手。198963日サンティアゴのサン・ミゲル生れ、のち家族はニュニョアに引っ越し弟が生まれる。8歳のとき叙情歌手としての才能を見出され、サンティアゴの小さな合唱団で歌い始める。父親の理解のもとプロの声楽教師のもとで本格的に学ぶようになる。しかしその女らしさゆえ学校生活ではさまざまな偏見と差別に苦しむ。14歳のとき家族に女性にトランスすることを打ち明け、家族は直ちに共に歩むことを受け入れる。高校卒業後、美容師としての一歩を踏み出すかたわら、正式な演技指導は受けていなかったが地方の演劇団の仲間入りをする。

   

 キャリア

2011年、マルティン・デ・ラ・パラの演劇La mujer mariposaでオペラを歌う主役に抜擢され、チリ国内の多くの劇場で5年間ロングランした。

2014年、シンガー・ソング・ライターのマヌエル・ガルシアのビデオクリップMaríaに登場、TV出演が増えるなど話題になる。

2014年、マウリシオ・ロペス・フェルナンデスのデビュー作La visitaTSの女性エレナを演じる。本作はチリのバルディビア映画祭でプレミア、後OutFest、グアダラハラ、トゥールーズ、マルセーユ、各映画祭に出品され、マルセーユ映画祭2015の女優賞を受賞、監督が作品賞を受賞した。

201617年、セバスティアン・デ・ラ・クエスタ、ロドリゴ・レアルなどの演出で「Migrantesの舞台に立つ。

2017年、セバスティアン・レリオのUna mujer fantásticaで主役マリーナに起用される。

2017年、ビスヌ・イ・ゴパル・イバラのブラックコメディUn domingo de julio en Santiagoでストレートの女性弁護士に扮する。

 

   

        (演劇「La mujer mariposa」でのダニエラ・ベガ)

 

レリオ監督のキャリア&フィルモグラフィーについては、コチラ2017126

  

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