カンヌ映画祭2014*「監督週間」 ディエゴ・レルマン2014年05月11日 16:11

               ディエゴ・レルマンの第4作Refugiado 

  

★今年46回目を迎える「監督週間」も「批評家週間」同様カンヌ本体とは別組織が運営しているセクションです。1月に開催されるサンダンス映画祭に上映された作品もありますが、だいたいがワールドプレミアです。今年は長編19作、中短編11作がエントリーされています。

 


★今年 Refugiado  が選ばれたディエゴ・レルマンは、第3『隠れた瞳』(アルゼンチン==西)が2010年にエントリーされています。東京国際映画祭2010で上映され、『ある日、突然。』を見て度肝を抜かれたファンを喜ばせました。昨年は御年85歳というアレハンドロ・ホドロフスキーが23年振りに撮った La danza de la realidad(チリ=仏)が登場、『エル・トポ』(1970)で世界を驚かせた監督です。今夏7月に『リアリティのダンス』の邦題で公開がアナウンスされています。これはもうお薦めです。

 

他にスペイン語の映画では、パブロ・ララインのNO2012、チリ=米国=メキシコ)、主たる言語は英語でしたが、チリのセバスチャン・シルバの『マジック・マジック』2013、米国=チリ)などがあります。『NO』は東京国際2012とラテンビート2013で上映され、前者ではラライン兄弟は次回作撮影のため来日できず、ロス在住のアメリカ側の製作者ダニエル・マルク・ドレフュスがQ&Aに来日、撮影秘話を披露、関連記事はコチラ(ラテンビート2013①、921UP)。GG・ベルナルがお目当てのファンのなかには、お父さん役だったのでがっかりした人もいたでしょうか。一方『マジック・マジック』がラテンビートで上映されたときには監督と女優のカタリーナ・サンディノ・モレノが来日、スペイン語でQ&Aに臨んだときの様子はコチラ(ラテンビート2013927UP)です。 


ディエゴ・レルマン Diego Lerman 1976324日、ブエノスアイレス生れ、監督、脚本家、製作者、舞台監督。産声を上げた日が軍事クーデタの勃発した運命の日、これ以後7年間という長きに及ぶ軍事独裁時代の幕が揚がった日でした。彼の幼年時代はまさに軍事独裁時代とぴったり重なります。体制側に与し恩恵を満喫してダメージを受けなかった家族も少なからずいたでしょうが、レルマンの家族はそうではなかった。そのことが彼の映画に顕著に現れているのが『隠れた瞳』です。


ブエノスアイレス大学の映像音響デザイン科に入学、市立演劇芸術学校でドラマツルギーを学ぶ。またキューバのサン・アントニオ・デ・ロス・バーニョスの映画TV学校で編集技術を学んだ。

 

      長編フィルモグラフィー

2002 Tan de repente (アルゼンチン)『ある日、突然。』監督・脚本・プロデューサー 
      モノクロ

2006 Mientras tanto(アルゼンチン)英題 Meanwhile 監督・脚本

2010 La mirada invisibleアルゼンチン==西『隠れた瞳』監督・脚本・プロデューサー

2014  Refugiado (アルゼンチン=ポーランド=コロンビア=仏)監督・脚本・プロデューサー

他に短編、TVドキュメンタリーを撮っている。

 

*第1Tan de repente は、「鮮烈デビュー」が大袈裟でなかった証拠にレイトショーとはいえ日本でも公開されました(笑)。国内賞だけでなくロカルノ映画祭銀豹賞、ハバナ映画祭金の珊瑚賞、ウエルバ・ラテンアメリカ映画祭銀のコロン賞、2003年にはニューヨーク・レズ&ゲイ映画祭でも受賞するなど多くの国際舞台で評価されました。まだ20代半ばでしたから、計算されたプロットにはちょっとアメナバルがデビューした頃のことを思い出してしまいました。ユーロに換算すると4万ユーロという低予算で製作された。カンヌにはエントリーされなかったのに、カンヌ映画祭財団が基金を与え寄宿舎で脚本を書く機会を提供するなど好調な滑り出しでした。

 


*プロット:ランジェリー・ショップで働く田舎出の太めのマルシアは、ある日突然、パンクなレズビアンの二人組マオとレーニンに拉致される。マオがマルシアに一目惚れしたからだという(公式サイトあり)。

  

2Mientras tanto は、アルゼンチン映画批評家協会賞にValeria Bertuccelli が主演女優賞(銀のコンドル賞)、クラリン・エンターテインメント賞(映画部門)にもBertuccelli が女優賞、ルイス・シエンブロスキーが助演男優賞を受賞しましたが、レルマン自身はベネチア映画祭のベネチア作家賞にノミネートされただけでした。「アルゼンチンの『アモーレス・ペロス』版」と言われた作品(管理人は未見)。『僕と未来とブエノスアイレス』(2004、公開2006)のダニエル・ブルマンがプロデューサーの一人。新作 El misterio de la felicidad2014)がなかなか好いという評判が聞こえてきてますが、彼の映画は公開が難しい。

 

3La mirada invisible は、「また瞳なの、瞳じゃないでしょ」と溜息をついた『隠れた瞳』は、上記したように東京国際映画祭で上映、監督と主演女優フリエタ・シルベルベルクが来日いたしました。マルティン・コーハンのベストセラー小説Ciencias Morales2007エライデ賞受賞)にインスパイアーされての映画化だから、タイトルも違うし小説の登場人物や内容、特に終わり方が違います。軍事独裁制末期1982年のブエノスアイレス、エリート養成の高等学校が舞台でしたが、国家主義的な熱狂、行方不明者、勿論フォークランド戦争は出てこない。しかしこの学校がアルゼンチン社会のアナロジーと考えると、その「見えない視線」に監視されていた社会の恐怖が伝わってくる。 

                                     

         (東京国際映画祭Q&Aに登場したレルマン監督とフリエタ)

 

この映画の一つの主役はカメラ、校内中庭を鳥瞰撮影した幾何学的な美しさ、教師と生徒が靴音を響かせて廊下を歩く遠景描写は軍隊行進のメタファーと感じさせる。ヒロインの突然のクローズアップの多用、構図がくっきりしていて気持ちがいい。それにしてもトイレのシーンが何回となく繰り返し現れるのは、何のメタファーなのだろう。心の中の汚物を吐きだす場所、人に隠れて秘密をもつ場所か。実際ある三つの高等学校で撮影したそうで、かつてブエノスアイレスが「南米のパリ」と言われた頃に建築された建物は、それ自体が絵になっています。撮影監督のアルバロ・グティエレスはスペイン人、数多くの短編映画、なかでHombres de paja2005)がストラスブール映画祭2007のベスト撮影監督賞を受賞、長編では、フェリックス・ビスカレットのBajo las estrellas2007)がゴヤ賞2008撮影監督賞にノミネートされ、エンマ・スアレス(主演女優賞ノミネート)やアルベルト・サン・フアンが出演したことで映画も話題になりました。

 

              

       (写真では美しさがよく分からないが、舞台となった高等学校の校舎)

 

フリエタ・シルベルベルクは『ニーニャ・サンタ』(2004、ラテンビート2004上映)以来の登場、真面目で繊細、故にアンバランスになっている女教師役にぴったりです。今年のカンヌのコンペに残ったダミアンSzifron オムニバス映画Relatos salvajes にも出演しています。校長役のオスマル・ヌニェス、忘れられないのが祖母役のマルタ・ルボスの老練さでした。

 

   

  (フリエタの後方が校長のヌニェス)

 

★第4 Refugiado は、3月半ばに撮影が終了したという出来たてほやほやの作品、勿論ワールドプレミアです。まずプロットは、7歳のマティアスと母ラウラに起こったことがマティアスの無垢な驚きの目を通して語られる。父ファビアンのドメスティック・バイオレンスDVを逃れて、身ごもった母とティトを連れた子は安全な避難場所を求めて都会を彷徨い歩く、都会をぐるぐる廻るスリラー仕立てのロード・ムービー。

 

ティトとはマティアスのプラスチック製の恐竜玩具ディノザウルスのこと。夫婦関係についての、暴力の本質についての映画だが、傷つくことのない関係の不可能性や無力さが語られている。だから道徳的に裁いたりしないのだ。第1『ある日、突然。』同様、社会的文化的なありようとしてのジェンダーの話であり、単なる遁走でなく、前に進むための彷徨なのでしょう。エモーショナルななかにもユーモアのセンスが光る、スリラーの要素が込められた都会を巡る一種のロード・ムービー。

 

アルゼンチンは他のラテンアメリカ諸国より、夫やパートナーによる家庭内暴力死亡事例が高く、年々増加の傾向にある。子供たちはそういう両親の葛藤と対立の中に置かれている。マティアスの場合は幼くて自分たちの彷徨の意味をよく理解しているわけではない。身体的なDV だけでなく精神的なものも含むから、その複雑さは理解できなくて当然です。

 

キャスト陣:ラウラにフリエタ・ディアスJulieta Diaz)、マティアスにセバスチャン・モリナロSebastian Molinaro)、他いわゆる駆け込み寺に暮らす女性たちが出演する。マルタ・ルボス、シルビア・パロミノ、サンドラ・ビジャニ、パウラ・イトゥリサ、カルロスWeberほか。撮影はマティアス役の年齢(当時8歳)を考えて最長6時間に限り、ブエノスアイレスと近郊都市で7週間、ティグレTigre2週間半かけてクランク・アップした。

 

              

          (本当の母と子のように似ているディアスとセバスチャン)

 

話題になっているのが撮影監督のヴォイテク・スタロン Wojtek (Wojciech) Staron です。1973年生れのポーランド人ですが、国際的に活躍している主にドキュメンタリーを撮っている監督です(ヴォイテクは男子名ボイチェフの愛称)。なかでパウラ・マルコヴィッチ El premio が第61回ベルリン映画祭2011にエントリーされ、彼は銀熊賞(芸術貢献賞の撮影賞)を受賞しました。これはアルゼンチンの脚本家パウラ・マルコビッチの長編デビュー作で自伝的要素の強い映画です。フェルナンド・エインビッケの『レイク・タホ』や『ダック・シーズン』の脚本を監督と共同執筆して、もっぱらメキシコで仕事をしているのでメキシコ人と思われていますが、アルゼンチン人です。監督の生れ育ったサン・クレメンテ・デル・トゥジュという湯治場を舞台に軍事独裁時代を女の子の目線から撮った映画、製作国は主にメキシコですが、フランス=ポーランド=ドイツの合作です。アリエル賞も受賞した。

 

     

     (銀熊賞のトロフィーを手にしたマルコヴィッチ監督と撮影監督スタロン)

 

イギリスとポーランド合作のドキュメンタリー Wojtek : The Bear That Went to War2011)がNHK教育テレビの「地球ドラマチック」において『戦争に行ったクマ~ヴォイテクとポーランド兵たちの物語』として放映されました(2012811日)。これを撮影した監督です。

 

プロダクションは、アルゼンチン(CAMPO CINERioRoja他)、ポーランド(Staron Films)、コロンビア(Burning Blue)、フランス(Bellota Films)。アルゼンチン9月公開が決定している。今後の賞の行方によって変わるかもしれない。

 

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