『約束の地』 リサンドロ・アロンソ ― 2015年07月01日 22:45
大分待たされましたがいよいよロードショー
★カンヌ映画祭2014「ある視点」部門の「国際映画批評家連盟賞FIPRESCI」受賞作品。リサンドロ・アロンソの長編5作目“Jauja” が『約束の地』の邦題で公開されました。デビュー作“La libertad”がいきなり「ある視点」にノミネーション、2作目 『死者たち』、3作目“Fantasma”が、カンヌと同時期に開催される「監督週間」(カンヌとは別組織が運営)に選ばれたという、まるでカンヌの申し子みたいなアルゼンチンの若手監督です。
(カンヌに勢揃いした左から、ヴィゴ・モーテンセン、ファビアン・カサス、
ギタ・ナービュ、監督、ヴィールビョーク・マリン、エステバン・ビッリアルディ)
『約束の地』“Jauja” (“Land of Plenty”)
製作(共同):4L、Fortuna Films、Kamoli Films、Mantarraya、他
監督・脚本・製作:リサンドロ・アロンソ
脚本(共同):ファビアン・カサス
撮影:ティモ・サルミネン
音楽・製作:ヴィゴ・モーテンセン
音響:カトリエル・ビルドソラ
アートディレクター:セバスチャン・ロセス
編集:ナタリア・ロペス、ゴンサロ・デル・バル
衣装:ガブリエラ・アウロラ・フェルナンデス
製作者:イルゼ・ヒューアン、シルヴィ・ピアラ、ハイメ・ロマンディア、
アンディ・クラインマン、ヘル・ウルスティン、マイケル・ウェバー、
エゼキエル・ボロヴィンスキー、レアンドロ・プグリエセ
データ:アルゼンチン=デンマーク=米国=メキシコ=オランダ=独=仏、言語スペイン語とデンマーク語、2014年、109分、ロケ地はパタゴニア、ラグナ・アスール、リオ・ガジェゴスなどアルゼンチンが80%、残りはコペンハーゲンのLystrue 城などデンマークで撮影。タイトル“Jauja”はペルーの町の名前、コロニアル時代の最初の都、豊穣と幸福の理想郷、パラダイス。
映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭2014「国際映画批評家連盟賞」、ゲント映画祭2014(ベルギー)スペシャル・メンション、ウエルバ・ラテンアメリカ映画祭2014撮影賞(ティモ・サルミネン)など受賞。ロッテルダム映画祭2015ほかノミネーション多数。カンヌ映画祭以後、カルロヴィ・ヴァリ、パリ・シネマ、トロント、サンパウロ、ニューヨーク、ロンドンなど各映画祭で上映された。
キャスト:ヴィゴ・モーテンセン(グンナー・ディネセン大尉)、ギタ・ナービュ(洞穴の女性)、ヴィールビョーク・マリン・アガー(インゲボルグ)、アドリアン・フォンダリ(ピッタルーガ中尉)、ディエゴ・ロマン(兵士コルト)、エステバン・ビリアルディ(アンヘル・ミルキバル)、マリアノ・アルセ(ビリット)、ミサエル・サーベドラ(先住民)、ガブリエル・マルケス(スルアガ)、ブリアン・パターソン(犬の調教師)他
プロット:1882年パタゴニア、アルゼンチン政府軍による先住民掃討作戦に参加したデンマーク人エンジニア、ディネセン大尉と父に同行してきた独り娘インゲボルグの物語。文明の及ばないパタゴニア砂漠の野営地から、ある日娘は忽然と姿を消す。若い兵士コルトと恋に落ちた娘を追って、父親の狂気の捜索が始まる。過去と現実、現実と幻想、生と死の境が定かでない砂漠では、すべてのものが飲み込まれ家族も地表から消え去る運命にある。文明と野蛮、幻想でしかない愛、壊れた家族、死への憧れ、絶望に瀕したオデュッセウスの帰還は果たしてあるのか。 (文責:管理人)
*監督キャリア&フィルモグラフィー*
★リサンドロ・アロンソ Lisandro Alonso:1975年ブエノスアイレス生れの40歳、監督、脚本家、編集者、製作者。FUC(Fundación Universidad del Cine映画基金大学)で学ぶ。映画のプロデューサー、助監督などのキャリアをつみ、2001年“La libertad”で長編デビュー、カンヌ映画祭「ある視点」にノミネーションされたことは上記の通りです。
*全5作は以下の通り:
2001“La libertad”ロッテルダム映画祭2002スペシャルメンション受賞他
2004 “Los muertos”『死者たち』リマ・ラテンアメリカ映画祭2004批評家賞、トリノ・ヤング・シネマ映画祭2004トリノ市賞他、カルロヴィ・ヴァリ映画祭2005インディペンデント・カメラ賞、ウィーン映画祭2004 FIPRESCI他、エレバン映画祭2005(アルメニア)審査員特別賞受賞など
2006 “Fantasma”トロント映画祭上映
2008 “Liverpool”『リヴァプール』ヒホン映画祭2008 グランプリ・ アストゥリア賞受賞
2014 “Jauja”上記参照
脚本家ファビアン・カサスのプロフィール
★ファビアン・カサス Fabian Casas:1965年ブエノスアイレス生れの50歳、作家、詩人、ジャーナリスト、脚本家。アルゼンチンでいわゆる<90年世代>と呼ばれるグループの一人。哲学を専攻、日刊紙「クラリン」の記者として人生を出発させ、スポーツ紙「Olé」やスポーツ誌「El Gráfico」の編集に携わった後、週刊誌「エル・フェデラル」のデスクを経て編集長になった。作家としては90年代には詩作(例えば詩集“Tuca”1990)、今世紀に入ってから小説を上梓している。
*最初の小説“Ocio”(2000)が、アレハンドロ・リンヘンティ&フアン・ビジェガスの監督で映画化されている。しかし脚本はビジェガスが執筆してカサスは携わっていない。本作はアルゼンチン映画批評家協会賞にノミネートされた。脚本家デビューは『約束の地』。アロンソ=カサス=ヴィゴの関係は、だんご三兄弟みたいなところがあり、本作の脚本にはカサスの影響が強いにも拘わらず、配給元発行のカタログには言及がなかった。
キャスト陣のプロフィール
★ヴィゴ・モーテンセン、彼については公式サイト及びウィキペディアに詳しい紹介記事があるので説明不要と思うが、1958年ニューヨークはマンハッタン生れの56歳、俳優、詩人、写真家。父親がデンマーク人、母親は米国人(ヴィゴ11歳のとき離婚)。少年時代は農業経営をしていた父親の関係でベネズエラ、アルゼンチンで育った(2~11歳)からスペイン語、父親の母語であるデンマーク語、母親がノルウェー語ができたのでノルウェー語、他に仏語、伊語ができる(デンマーク語が流暢かどうか判断できないが、デンマーク人は訛りが気になったとか)。両親離婚後も共同親権なのでデンマークのパスポートを所持、監督によればこれが本作の主人公ディネセン大尉をデンマーク人にした理由とか。アロンソにとってプロの俳優起用は今回が初めて。
*公開されたスペイン語映画に限ると、アグスティン・ディアス・ヤネスの『アラトリステ』(06)とアナ・ピターバーグの『偽りの人生』(12)など。出版社Perseval
Pressを経営、ファビアン・カサスはここで詩のアンソロジーを出版している。二人はブログ「Sobrevuelos Cuervos」をもっている。現在のパートナーは『アラトリステ』の共演者だったアリアドナ・ヒル。
★ギタ・ナービュは、デンマークの国民的女優。1935年コペンハーゲン生れの79歳。出演映画は145作もあり結構公開されているようですが、管理人はベント・ハーメルのコメディ『ホルテンさんのはじめての冒険』(07)しか見ていません。間もなく80歳代になるとは思えない若々しさです。インゲボルグ役のヴィールビョーク・マリン・アガーも同じデンマークの女優、本作でデビューしました。他にデンマーク側のキャストは、最後に出てくる犬を世話している男のブリアン・パターソン。それ以外はアルゼンチン人のようです。IMDbを見ると、過去のアロンソ映画に出演した俳優の名前が散見されます。
製作者のプロフィール
★製作国7ヵ国ですから何しろ数が多すぎる。目ぼしいところでは、4L、Fortuna Filmsはアロンソの過去の映画を製作している。Kamoli Films、Mantarrayaは今回が初めてのようです。Mantarrayaはメキシコの製作会社で、カルロス・レイガーダスのデビュー作『ハポン』(2000)以下最新作『闇の後の光』(2012)全4作を手がけている。『闇の後の光』はカンヌで監督賞を受賞して拍手喝采とブーイングを同時に浴びた作品。レイガーダスもカンヌの常連監督。全作が東京国際映画祭で上映された折り来日、Q&Aに出演した。他にカンヌ映画祭2014で監督賞を受賞したアマ・エスカランテの『エリ』以下、『サングレ』『よそ者』も製作、Mantarraya出資はアロンソにとって強力な武器となった。
★解釈は見た人の数だけありそうだが、以下は個人的な印象を述べたものです。部分的にネタバレしておりますので、これから鑑賞なさる場合はご注意ください。
ストーリーはよく分からないが、映像美はよく分かる!
A : 「そこには、あなただけの≪結末≫が待っている―」というのが、チラシの謳い文句。長回しではあるが写実的、SFでもファンタジーでもない。分かりにくいのは小道具というかメタファーが多すぎて振り回されるせいか。少し困って帰りにカタログを買い求めました(笑)。
B : カンヌで紹介されたストーリーと違いました。娘と姿を消す恋人はデンマークから船で一緒に来た随行人ということでしたね。
A : 「タルコフスキー、ホドロフスキー、ヘルツォーク、そしてカウリスマキを想起させる」、確かにタルコフスキーの『惑星ソラリス』とか『ストーカー』など、特に後者は内容的にも案内人「ストーカー」が、主人公ディネセン大尉を洞穴に案内する疥癬病みの犬に重なりました。
B : この犬が重要なメタファーの一つ。人間を拒絶するような沈黙の砂漠は、すべてを飲みこんで無にしてしまう脅威を感じさせ、喉が渇いてひりひりする。
A : 眠気と闘った観客もいたのではないかと思うが、最初に「1882年 パタゴニア」が現れ、時代背景がはっきりする。そこで安心してはいけない。アルゼンチン政府軍による先住民掃討作戦にどうしてデンマークくんだりから軍人がやって来たのかがまず分からない。もっと不可解なのは性的欲望がむき出しになっているだろう「男の戦場」に年頃の娘を何故伴ってきたのかです。
B : これは追い追い分かる仕掛けが設えてあるのですが、出だしでは分からない。スクリーンは自慰行為に耽るピッタルーガ中尉を延々と映し出す。犬、望遠鏡、おもちゃの鉛の兵隊、磁石盤など小道具を散らばして観客を翻弄する。
女性における抑圧された男性的特性「animus」
A : インゲは一見従順で礼儀正しい娘のように見えるが、それは見せかけのようだ。間もなく自分を溺愛する父を裏切り狂気に陥れる。自分の願いは「どんな時でも離れない犬を飼うこと」という娘は、「荒々しい荒野が好き」なのだが、父親は娘を好色な目にさらすだけの、こんな過酷な場所に娘を同行してきたことを後悔して早く故郷デンマークに帰りたい。
B : この映画では男性性と女性性の特徴を逆転させている。これは若い恋人たちにも言える。兵士コルトがインゲを誘惑したのではなく、誘惑したのはインゲである。
A : インゲが上位にあってコルトを支配している。娘は自分が自由にできる犬が欲しい。娘が兵士に近づくのは、少女の幼い恋ではなく父からの脱出劇に加担させようという打算からですが、娘の自立を阻む父親からの遁走という一般的な側面を描いただけともとれる。
B : コルトは砂漠の過酷さを知りながらインゲに引きずられて遁走に手を貸す。愚かな若者ではあるが、砂漠の危険を熟知しているから行く手に死が待っていることを覚悟している。
A : 大尉も娘の謀反に気が付かないという点では愚かな父親なのです。男の好かれは独りよがりが多い。娘への溺愛ぶりは近親相姦的な雰囲気を帯びていて、これには観客には見えない妻の存在があるようだ。娘を生んだ直後に失踪してしまったという妻がトラウマになっている。妻に捨てられ娘に裏切られた男が、親を失くした孤児のように砂漠を彷徨っている。
B : 洞穴の女性が大尉の身の上話を聞いて、生れたばかりの赤ん坊をおいて姿を消す母親など珍しいと語るシーンがあるが、この女性はデンマーク語を喋り、娘が失踪するとき持ちだした大尉の磁石盤を所有している。女性は突然姿を消した妻、あるいは娘、その両方の分身でしょうか。
A : ユング心理学でいう、「animusアニムス」と「animaアニマ」の問題が織りこまれているのではないか。読みかじりですが、アニムスとは女性における抑圧された男性的特性、アニマは男性における抑圧された女性的特性のことです。アニマ(男性における女らしさ)とアニムス(女性における男らしさ)は、何かを創造する力を生みだす反面、何かを破壊してしまう危険性をはらんでいる。
B : 患者が語る夢の分析からこの理論を導き出したようですが、ユング自身にもそのような傾向があったのではありませんか。
A : 医者が患者との一線を越えて性的関係をもつなどは、フロイトが最も嫌うところでしょう。インゲが会ったこともない母親の気質を受け継いだことは否定できない。あの洞穴のシーンは大尉が既に冥界に入ってしまったという暗示ともとれます。
A : 出番は少ないのに強烈な印象を残したのが洞穴の女性、さすがにデンマークの国民的女優の名に恥じない貫禄です。理由が分からずに切り捨てられた夢想的な男と、より現実的で自己中心的な女の対比が描かれているようにも思える。
B : 洞穴に大尉を導く犬を冥府の番犬ケルベロスととると、洞穴は冥界なのかもしれない。前の晩砂漠で眠りにつくから、大尉が見ている夢かもしれない。大尉は人生の半ばで暗い森を彷徨い歩き地獄に迷い込んでしまう『神曲』のダンテじゃないか(笑)。
A : しかし『神曲』の地獄は、漏斗状の大穴で地球の中心まで到達しているが、この洞穴は地下にあるのではなく険しい岩場の上にあった。大尉は水を求めてこの岩場を登ってきて女性に遭遇する。邂逅すると言ってもよい。
B : 日本神話の黄泉の国は地下にあると思われてそのように現代語訳されているものもありますが、原文にある「坂本」は正確には坂の入り口で、そこを上ると黄泉の国がある。
A : 冥界の食事をしてしまったため黄泉から出られないイザナミを必死で振り切ろうとするイザナギは、坂本まで駆け下りてくる。岩場の上にあった洞穴より更に上にあった湧き水を大尉が飲んでしまったことは、彼が冥界の人になったことを暗示しているのかも。
(ギリシャ神話のケルベロス)
B : ギリシャ神話に出てくる冥界の番犬ケルベロスは、死者の魂が冥界から出ようとすると貪り食うが、洞穴の犬は大尉が穴から出ることを許した。内も外も地獄と変わりないのですが。この犬は大尉の姿を目にするとうずくまっていた水溜りから起き上がる。
A : デンマークの邸宅で飼われていた犬は皮膚病もやや癒えて、長い眠りから覚めた少女と森に散歩に出る。少女は途中玩具の鉛の兵隊を拾うが無造作に池に投げ捨てる。すると池に波紋ができパタゴニアの砂漠が現れる。水を介してあちらとこちらが繋がっている。
B : この人形を最後に持っていたのはディネセン大尉、だとするとさすらいのオデュッセウスは帰還できたということになる。
A : いや人形だけが時空を超えたのかも。またケルベロスには頭が三つあり、過去・現在・未来を象徴してるともいわれる。するとさらに想像の翼は広がる。なかなか「註文の多い」映画です。
女装して反旗を翻すスルアガ大佐の意味
B : 本作においては、アルゼンチン政府軍による先住民掃討作戦など添えものでしかないのですが、ディネセン大尉自身に軍人の自覚が乏しい(笑)。さて、謎の人物スルアガですが、かつて勇名を馳せた政府軍の将校、今は先住民側に寝返って政府軍を悩ましている。
A : スルアガの存在が政府の軍事作戦の実行を阻んでいる。そこから映画は始まるのですが、スルアガのような存在は現代でも珍しくない。映画で直ぐ思いつくのはコッポラの『地獄の黙示録』の狂気のカーツ大佐、マーロン・ブランドの異様な演技が今でも目に浮かびます。
B : ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』の映画化、物語の舞台をベトナム戦争後期に移して翻案した叙事詩的映画ですね。本作の脚本にはコンラッドの影響を感じます。
A :
アルゼンチン人ならホセ・エルナンデスの叙事詩『エル・ガウチョ・マルティン・フィエロ』(1872)の主人公に直結する。こちらは1968年にレオポルド・トーレ・ニルソンが映画化している。またウエスタンの古典とも言われるジョン・フォードの『捜索者』(1956)の影響も絶対受けていますね。公開当時はあまり評価されなかった作品ですが、今では『駅馬車』を凌ぐ傑作といわれ、時々テレビ放映もされているほど。
(『マルティン・フィエロ』のDVDのジャケット)
B : 優れたカメラワークはデヴィッド・リーンの『アラビアのロレンス』や『地獄の黙示録』にも活かされている。さて本作に戻って、女装でイメージできるヒーローは、俊足のアキレウス、不死の人アキレウスかな。
A : 踵に弱点があって結局パリスに矢を射られて死ぬ。オデュッセウスは冥界を訪れて死者となったアキレウスと語り合う。
B : 映画ではスルアガは、兵士コルトを殺し、ディネセンも肝心の娘の姿を見失う。ここで完全に捜索の手掛かりを失ったうえ馬まで奪われてしまう。
A : キリスト教の社会規範では女装(男装)を禁じていたから、それが背景にあるかもしれない。しかしここからが映画の本番が始まるとも言えますね。ピースがいくつも欠けていて永久に完成しないジグソーパズルのような映画だね。私たちが暮らしているところはフィクションの世界、この世は誰にとっても仮住まい、エンディングに答えはない。
ダンゴ三兄弟は揃って「サン・ロレンソ」のサポーター
B : カンヌで上映されたときのインタビューで、アロンソ監督は「ヴィゴとの出会いは、2006年のトロント映画祭だった。僕たちは、サッカーのこと、かつてヴィゴが暮らしたことのあるアルゼンチンのことで意気投合した」と語っていた。
A : トロントで第3作“Fantasma”が上映されたとき以来の親友、本作の脚本を共同執筆したファビアン・カサスとヴィゴを主人公にした映画を作ろうと考えていた。だから先にヴィゴ・モーテンセンありきなんです。カサスと知り合うのはヴィゴよりもっと後のようです。カンヌで3~4前からの友人と話していましたから。
(ブエノスアイレスに本拠地をおくサッカー・クラブ「サン・ロレンソ」の旗を手にした
カサスとヴィゴ。映画よりサッカーが大事なオジサンたち。カンヌ映画祭にて)
B : ヴィゴとカサスの出会いは上記の経歴にも書いたように、ヴィゴが経営する出版社Perseval Pressからカサスが詩のアンソロジーを出版したことからですね。
A : ですからヴィゴが結びの神、監督とカサスで脚本を練り、素案をヴィゴに見せたら気に入ってくれ出演をオーケーしてくれた。それから三人で詰めて完成させた。最初パタゴニアにやってくるのはイギリス人の設定だったが、ヴィゴがデンマークのパスポートを持っていることを思い出し書き直した。カサスによると「ヴィゴがああいう軍服を着たがったんだよ」(笑)。詩人なのになんと一男一女の父親、子供の林間学校の費用に四苦八苦している。実に魅力的な人だが、自分はプロの脚本家ではなく、「アロンソ用の脚本家」だそうです。
B : 映画祭そのものが宣伝になるから映画祭にエントリーされることは、若い監督には重要、思いがけない出会いもあるから。
A : カンヌの時のブログにも書いたことだが、監督は過去の作風から「エイリアン*宇宙人」のラベルが張られたグループと思われているが、彼自身は当然そういうレッテル張りを拒否している。映画祭用の映画を作ろうとは考えていないし、多くの観客に見てもらいたい。しかし完成したときには資金は尽きプロモーションに回せない。
B : まだヴィゴには一銭も払っていないと語っていたが、さすがにもう貰えたかな。
A : ヴィゴからは観客を惹きつけるコツみたいなものを教えてもらった。製作会社マンタラヤが参加してくれたことは本当に幸運なこと、適切なサゼスチョンには感謝していますとも語っていた。
B : ヴィゴありきの映画、日本公開も彼の知名度におんぶしている。彼が出演しているなら何でも見たいヴィゴ・ファン、満足して映画館を出られたでしょうか。
A : 海外の評価は☆セロ個から10個と真っ二つ、日本の評価は果たして何個。
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