ホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』*東京国際映画祭2017 ② ― 2017年10月31日 21:41
回想録『リアリティのダンス』の青春編、フランスに旅立つまで
★アレハンドロ・ホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』は、公開が決定していたので躊躇していましたが、Q&Aに「アダン・ホドロフスキー来場」につられて観てきました。2016年のカンヌ映画祭併催の「監督週間」正式出品作品、既に作品のアウトラインを記事にしております。主要人物以外、キャストがはっきりしていなかった部分もあり、今回補足してアップしました。これから公開される作品ですが、回想録も翻訳され、ネタバレしたら面白くないという性質の映画ではありません。生れ故郷トコビージャを後にして首都サンチャゴに転居した1940年代後半から、父親の反対を押し切って言葉も分からないパリに出立する1953年までが描かれています。世界が第二次大戦で病みつかれていたのとは対照的に、チリのデカダンな様子に興味を覚えました。
*『エンドレス・ポエトリー』の作品紹介記事は、コチラ⇒2016年5月20日
(ユーモアたっぷりのアダン・ホドロフスキー、2017年10月26日、EXシアター六本木にて)
★ホドロフスキーは、『リアリティのダンス』を含めた5部作のオートフィクションを構想しているらしく、今作が第2部になる。次はパリ時代からメキシコに渡るまで(1953~60)を第3部として資金集めを開始しています。今作同様キックスターターなどのクラウドファンディングで製作資金を呼びかけが始まっています。「どなたか会場に億万長者はおりませんか」とアダンがQ&Aで呼びかけていた。以下は個人的な憶測にすぎませんが、『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』を撮ったメキシコ時代が第4部、再びパリに戻ったパリ第二期(1974~)を第5部として、挫折した『DUNE』などが語られるのではないでしょうか。
★ホドロフスキー監督の故国チリでは、Cineteca Nacional de Chile(チリの映画保存の国立研究機関)で上映されましたが今もって未公開です。前作の『リアリティのダンス』(14)も、トコピージャでの特別上映こそされましたが公開まで時間がかかりました。それも日本でいう映倫G18(18歳以下は保護者同伴)の制限付きだった。はたして第2部は公開されるでしょうか。
カリカチュアされた登場人物、どこからどこまでがフィクション?
A: だいたい回想録『リアリティのダンス』の取りとめないエピソードをなぞっていくかたちで進行しますが、どの登場人物も大袈裟にカリカチュアされています。初恋のステラ・ディアス・バリン、エンリケ・リン、ニカノール・パラなど著名な詩人が登場します。ホドロフスキー流のデフォルメが施されていますので、なまじ詩人たちの知識があると、128分という長さから少し疲れるかもしれません。
B: 前作第1部はファンタジックなフィクション性が明らかで、第2部のほうが時間を追って忠実に再現している印象。監督は第1部から両親が溺愛したという2歳年長の姉ラケル*を見事に消去してしまいましたが、この姉の存在を無視したところが微妙です。
A: 既に鬼籍入りしていますが、可愛いラケル、ラケリータと呼ばれた美人の姉に対するコンプレックスは相当なもので、彼の屈折した性格の一因にラケルに対する嫉妬心がありますね。祖父母の代にウクライナから移民してきた貧しいユダヤ系一族という出自だけではないでしょう。ペルーに移住して詩人として活躍、ペルー文化に寄与した女性。
B: ハイメはロシア人も嫌いだったが、それ以上に周りにユダヤ人と知られることを恐れていました。
A: チリ人の半分はドイツ贔屓の反ユダヤ主義者と決めつけていた。鉤鼻のせいで直ぐユダヤと分かる息子は、父親の憎しみの対象になった。しかし皮肉にも息子は父親を憎みつづけながら、その性格の一端を受け継いでいます。
ホドロフスキー家総出で映画をつくりました
B: 観客からホドロフスキー家に生まれた感想を訊かれて「まったく普通ではない家族です」とアダンが答えて会場を沸かせていましたが、訊くまでもない質問です。
A: 映画出演については「父親に監督されて父親に扮し、兄(ブロンティス)が祖父(ハイメ)を演じた。衣装デザインを担当したのが、父の奥さん(義母パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー)とややこしかった」と笑わせていました。第2部でも監督自身が謎の人物として登場してくる。この人物は青年アレハンドロの内言ともとれるが、同名の父方の祖父アレハンドロとも解釈できる。彼は統合失調症で何度も異次元をさまよったあげく、最後は狂気に陥った人です。
B: 祖父アレハンドロを父親アレハンドロが演じ、アダン=アレハンドロに寄り添う構図ですか。アダン(1979)はホドロフスキーが50歳のとき生まれた末っ子で、父親のお気に入り、性格も才能もブロンティスより父親似です。
(青年アレハンドロ役のアダンに寄り添う老アレハンドロ役の監督)
A: ブロンティスは長いあいだ父とは上手くいっていなかった。義母パスカル(1972)はブロンティスより10歳若い。二人の母親はそれぞれ別の人で、ホドロフスキーが何婚したかはパートナーを含むかどうかで異なり、父親が鬼才だと子供も苦労します。
B: 「フツウの生活がしたい」と父親と縁を切った娘さんもおりますね。
*ホドロフスキー家の家族紹介記事は、コチラ⇒2014年7月19日
A: アダンは第1部と同じく音楽も担当している。「ミシェル・ルグランの使用していたピアノで作曲した。父の好みが分かっていたので、バイオリン、ピアノ、フルート、オーボエをメインにして、『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』を参考にした」と語っていた。2017年はルグラン生誕85周年、音楽を担当したジャック・ドゥミの『ロシュフォールの恋人たち』公開50周年ということで盛り上がっています。
B: さらに監督の好きな作曲家として、エリック・サティ、ベートーヴェン、特にストラヴィンスキーを強調していました。アダンは音楽だけでなくダンスやマイムを勉強していて、それを取り入れたかったので提案した。父は人の意見はきかない人ですとも語っていた。
A: 後半のサーカスのピエロを演じた大掛りなシーンがそれですね。父親ハイメは若いころ一時期サーカスの空中ブランコ乗りの芸人だった。子供のころに会っていた、同じサーカスで道化師をしていたクラウン・キャロットと偶然出会い、彼の勧めで道化師になろうとする。結局ピエロにはならなかったが、ここでの体験は彼の人格形成に重要な役割を果たしている。
空手チョップの達人、詩人ステラ・ディアス・バリンに一目惚れ
B: 母親サラと初恋の詩人ステラ・ディアス・バリンをパメラ・フローレスが演じた。実際のステラはあれほど豊満ではなかったようですが。母親と恋人を同じ俳優に演じさせた。ここら辺に自分を無視しつづけた両親への監督の怨念のようなものを感じた。
A: ギリシャ悲劇のオイディプス王との繋がりですね。回想録では「ステジャ」ですが、YouTubeや字幕によってステラとしました。ニカノール・パラの詩「ラ・ビボラ<蛇女>」にインスピレーションをあたえた女性、チリ「最初のパンク詩人」と言われている。以前秘密警察の一員だったときにカラテを習っていた。当時は映画のように真っ赤に髪を染め、顔を化粧する代わりに絵の具を塗っていた。ドクロの刺青も本当で、1リットル・ジョッキでビールをお替りするのも事実、美しい野獣のような女性だったと。
B: 空手チョップは本当なんですね。ステラは特別でしょうが、1949年のサンティアゴは、誇張でなくボヘミアン・アーティストたちはトンでいた。戦争に参加しなかったチリは、長い海岸線が太平洋に面していて、海の幸が豊かだったらしい。フェデリコ・フェリーニの娼婦サラギーナを重ねてしまいました。
(ステラ・ディアス・バリンに度肝をぬくアレハンドロ、カフェ・イリスのシーン)
(実際のステラ・ディアス・バリン)
A: フェリペ・リオスが演じたニカノール・パラは、実際はもっといかついボクサーのような顔、体形もがっしりしていた。当時の若者はパブロ・ネルーダではなくパラの詩を読んでいたという。ホドロフスキーはパラが技術学校で数学教師をしていたときの再会シーンを入れている。現在103歳、100歳の誕生日には、バチェレ大統領がお祝いに出向いている。
B: 本作ではネルーダはクソミソですが、ノーベル賞を受賞しました(笑)。似ていなくてもいいんですが、華奢なエンリケ・リンを演じたレアンドロ・ターブは似ていました。彼は映画では詩人ですが、後には戯曲、エッセイ、小説、物語なども書きました。
A: 多才な人で、ピノチェトの時代末期の1988年、58歳という若さで惜しくも癌に倒れました。ピノチェト時代にも作品を発表し続けましたが、危険人物とは見なされなかったようです。多分、第3部以降は出てこないかもしれない。レアンドロ・ターブはアルゼンチンの俳優(ポーランド系ユダヤ)で脚本家、TVホストと活躍、本作で映画デビューを果たした。
(エンリケ・リンを演じたレアンドロ・ターブ)
B: 最後のほう、アレハンドロがパリに出発する前に、第1部で出てきたカルロス・イバニェス・デル・カンポ将軍が亡命先の米国から帰国します。
A: 同じバスティアン・ボーデンホーファーが演じた。1952年第2次イバニェス政権が成立する。
(カルロス・イバニェス将軍のチリ帰還のシーン)
B: ホドロフスキーがチリを後にするのは、翌年の1953年3月3日、24歳のときで、これが最後の別れになった。
A: 再び親子が会うことはなかった。このモンスター的父親、それを許した母親、美しい姉を溺愛し、息子を幽霊扱いした父親を監督は許せなかったが、似たもの父子です。
(父ハイメの諫めを振り切ってチリを後にするアレハンドロ)
B: 内容紹介をした時点では、キャロリン・カールソンがどんな役をするのか分かりませんでしたが、タロット占い師役でした。
A: ホドロフスキーは、神秘的テーマへの関心が以前からあり、第3部となるだろうメキシコ時代にサイコテラピーとシャーマニズムを合わせた独自の心理療法を編み出して実践している。
B: Q&Aでも「アジアに特に関心があり、禅とかニンジャにも興味を示している」とアダンが話していたgが、クロサワの影響があるようです。。
A: メキシコ時代には日本人の高田慧穣と親交を結んでいます。『リアリティのダンス』のプロモーションで来日した折りにも座禅をしています。
B: 映画でも黒子のニンジャを登場させていた。
A: 個人的印象を言えば、前作のほうが面白かった。好みは十人十色、先ずは映画館に足を運んでスクリーンで見てください。DVDでは面白さが半減する映画です。
◎主なキャスト
ブロンティス・ホドロフスキー(父親ハイメ役、ホドロフスキーの長男)、
パメラ・フローレス(母親サラ&詩人ステラ・ディアス・バリンの2役)
イェレミアス・ハースコヴィッツ(10代後半アレハンドロ)、
アダン・ホドロフスキー(青年アレハンドロ、ホドロフスキーの四男)
アレハンドロ・ホドロフスキー(老アレハンドロ、祖父アレハンドロ?)
レアンドロ・ターブ(詩人エンリケ・リン)、
フェリペ・リオス(詩人ニカノール・パラ)
フリア・アバンダーニョ(エンリケ・リンのガールフレンド、ペケニータ)
カオリ・イトウ・伊藤郁女(操り人形劇団の仲間)
キャロリン・カールソン(タロット占い師マリア・レフェブレ)
ウーゴ・マリン(彫刻家・画家ウーゴ・マリン)
フェリペ・ピサロ・サエンス・デ・ウルトゥリー(青年ウーゴ・マリン)
バスティアン・ボーデンホーファー(カルロス・イバニェス・デル・カンポ将軍)
カルロス・Leay(死の天使)
アリ・アフマド・サイード・エスベル、筆名アドニス(画家アンドレ・ラクス)
*ラケル・レア・ホドロフスキー(1927~2011)詩人、1927年トコピージャ生れ。15歳のときユダヤ系移民の数学教師サウル・グロスと結婚するも間もなく破綻。1950年代にペルーの国立サン・マルコス大学の奨学金を得て移住、小説家、文化人類学者のホセ・マリア・アルゲダスと知り合い、ペルー文化に寄与。ユダヤ系アメリカ人、ビート文学の代表者、詩人アレン・ギンズバーグ(1926~97)とは互いに連絡を取り合っていた。両親が同じ船で米国に到着した間柄だった。2011年10月27日、首都リマで死去。処女詩集“La Dimensión de los Días”、他に“Poemas Escogidos”、“Caramelo de Sal”など。
ベネチア映画祭2017*パブロ・エスコバルの伝記映画 ― 2017年08月09日 17:02
今年のコンペティション部門にスペイン語映画はゼロ!
★サンセバスチャン映画祭のオフィシャル・セレクション15作も発表になりましたが、まず先発のベネチア映画祭の紹介から。と言っても今年のノミネーション21作の中に、スペイン、ポルトガルを含むイベロアメリカからは1作も選ばれませんでした。イタリアの映画祭なのにハリウッドやフランス映画が幅を利かせるようになって偏りが顕著になったベネチア映画祭、しかし国際映画祭ですから文句は言えません。ご紹介の手間が省け、これでサンセバスチャンに集中できると拗ねています。こちらローカルの映画祭には『カニバル』のマヌエル・マルティン・クエンカやバスク語で撮った『フラワーズ』のジョン・ガラーニョが今度は脚本を担当したアイトル・アレギと組んで戻ってきます。やはり言語はバスク語です。
★というわけでコンペティション外で上映される「エスコバル」と、第32回「批評家週間」にエントリーされた、ナタリアGaragiolaのデビュー作 ”Temporada de caza” をアップいたします。
★折にふれ、ご紹介してきたフェルナンド・レオン・デ・アラノアの“Escobar”が英題 ”Loving Pablo” でワールド・プレミアされることになりました。メデジン・カルテルの麻薬王パブロ・エスコバルのビオピック。ハビエル・バルデムがエスコバル、その愛人ビルヒニア・バジェッホにペネロペ・クルスと、夫婦揃って出演、久々のスペイン語映画である。この伝説的なコロンビアの麻薬王を主人公にした映画やTVシリーズは、虚実ごちゃまぜで多数製作されています。そのせいで実像は分かりにくくなっていますが、本作もバジェッホの回想録の映画化なので、犯罪ドラマと考えたほうがいいかもしれません。どちらにしろ二人とも権力、名声、お金大好き人間、愛でつながったとしても共犯関係にあった悪党同士、監督がフェルナンド・レオンでなければ食指は動きません。バルデムはアメナバルの『海を飛ぶ夢』でもラモン・サンペドロのそっくりさんになりましたが、エスコバルにも上手く化けました。
(エスコバルとバジェッホに扮した、ハビエル・バルデムとペネロペ・クルス)
★“Escobar”は、コロンビアのメデジン・カルテルの麻薬王パブロ・エスコバル(1949~93)の伝記映画。エスコバルの1980年代の愛人、ジャーナリスト、ニュースキャスター、モデル、女優、作家、など幾つもの顔をもつ、当時のコロンビアきっての大スター、ビルヒニア・バジェッホ・ガルシア(1949)の回想録“Amando a Pablo, odiando a Escobar”(“Loving Pablo, Hating Escobar” 2007年刊)の映画化。1983年、メデジンでエスコバルのインタビューをしたのが馴れ初めの始まり。たちまち恋に落ちたと称しているが、互いに持ちつ持たれつの利害関係にあり、後に麻薬密売人パブロ・エスコバルの逃亡幇助のためコロンビア国家警察の捜索を攪乱した廉で、特捜隊ウーゴ・アギラル大佐らによって告発されている。
★この回想録にはコロンビアの歴代大統領のうち、アルフォンソ・ロペス・ミケルセン(1974~78)、エルネスト・サンペール(1994~98)、アルバロ・ウリベ(2002~10)についての言及があり、映画が触れているかどうか興味があります。ウリベ大統領は、麻薬密売人パブロ・エスコバルとは全く面識がなかったことを繰り返し断言している。しかし回想録では、1983年6月14日、FARCに拉致殺害された父親アルベルト・ウリベの遺体を引き取るために用意されたヘリコプターは、パブロ・エスコバルによって提供されたものだとある。
(フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督)
★パブロの妻ナタリア・ビクトリア・エナオも美人の才媛、夫の悪事を支えたことは、ネットフリックス・オリジナルTVシリーズ『ナルコス』(2015~17、コロンビア・米国)に詳細に描かれています。フィクションですが、実名で登場する人、仮名でもすぐ同定できる人物などいろいろです。エスコバルにワグナー・モウラ(20話)、妻タタにパウリナ・ガイタン(19話)、父親にアルフレッド・カストロ(1話)、母親にパウリナ・ガルシア(15話)、ビルヒニア・バジェッホVirginia Vallejoはバレリア・ベレスValeria Velezと同じVVで登場し(11話)、ステファニー・シグマンが演じました。
★他にもカリ・カルテルの密売人にアルベルト・アンマン、ダミアン・アルカサル、パブロの手下にディエゴ・カターニョなど、コロンビアだけでなく、スペイン、ブラジル、メキシコ、チリ、米国などの有名俳優が勢揃いしております。主人公はメデジンで捜査するアメリカ麻薬捜査局のハビエル・ペーニャ(21話、ペドロ・パスカル)と実在の麻薬捜査官スティーブ・マーフィー(20話、ボイド・ホルブルック)です。この犯罪ドラマは一応エスコバルの死をもってメデジン編は終了、次はカリ・カルテルに舞台を移すようです。
(エスコバル一家には一男一女があり、パブロ亡き後はアルゼンチンに亡命した)
(エスコバルをインタビューするビルヒニア・バジェッホ)
★コンペティション外ですが、多分来年劇場公開になると思います。その折に改めてアップしたいと考えています。次回は、アルゼンチンのナタリア・Garagiolaのデビュー作 ”Temporada de caza” (亜米独仏カタール合作)をご紹介したい。
サルバドル・ダリと妹の確執を描いた"Miss Dali"*ベントゥラ・ポンス新作 ― 2017年06月29日 11:52
画家サルバドル、妻ガラ、妹アンナ・マリアの確執を描いた現代版「ギリシャ悲劇」
★ダリの「娘」を主張するピラル・アベルさんの申立てにより、「マドリード裁判所、DNA鑑定のためサルバドル・ダリの遺体掘り起しを命令」(6月26日)には、さすがのダリも彼の世でびっくりしていることでしょう。当然、ダリ財団が掘り起し阻止を上訴する意向ですから、泥仕合が続きますね。これとは全く関係ありませんが、ベントゥラ・ポンスの新作 “Miss Dali”(2017、90分)がクランクアップ、秋にはスペイン公開がアナウンスされました。ダリの4歳下の妹アンナ・マリア(1908~89)を主人公に画家との長年にわたる確執を描いた現代版「ギリシャ悲劇」です。今年の3月27日に、ダリ家の別荘があるカダケスでクランクイン、本格的には5月29日から6月にかけて撮影された。画家が滞在したニューヨークは、雰囲気が似ているジローナ県で行われたようです。物語は1920年代から兄妹が亡くなる1989年までが語られる。
★サルバドル・ダリ(1904~89、フィゲラス)自身についての著作や映画は、既に幾つも存在していますが、その妹についてはそれほど知られていません。主人公ミス・ダリを演じる英国女優シアン・フィリップス(1933、ウェールズ、『デューン砂の惑星』)でさえ「脚本が届くまでダリに妹がいるなんて知りませんでした。しかしカダケスに来てみて、それとなく疑問が解けたように感じました」。構想4年、本作執筆のため自伝を含め23冊のダリ関連本を読んだというポンス監督も、同じ小さな町に40年間も住みながら口を利かず他人同然だったという兄妹の壮絶な関係に現代版「ギリシャ悲劇」を感じたようです。クレア・ブルーム(1931、ロンドン、『英国王のスピーチ』)が演じたアンナ・マリアの親友マギーだけが実在の人物ではなくフィクションだそうです。アンナ・マリアが一時期英国に留学していたとき知り合った友人に想定したようです。ということで英国のベテラン女優二人が主役に起用されました。
(アンナ・マリア役のシアン・フィリップスとマギー役のクレア・ブルーム)
(ダリ家が夏の別荘として所有していたジローナ県カダケスで撮影中の二人)
★アンナ・マリアは画家、その友人たちロルカやブニュエルの最初のミューズであり親友だったという。もともと夢見がちな少女だったというアンナ・マリアの幸せな青春時代は市民戦争でもろくも終わりを告げました。フランコ軍のスパイという容疑をかけられ誤って逮捕、収監、拷問を受けたトラウマが尾を引いていたこと、ポール・エリュアールと妻ガラがカダケスに現れ、ダリとガラの距離が急速に狭まったこと、ガラが夫を捨て画家のもとに走ったことなどが重なって拍車がかかったようです。謎に包まれた義姉ガラへの根深い嫉妬心は広く知られたことであるが、彼女の出現で兄の寵愛を失った打撃は大きかったようです。映画ではどのように描かれるのでしょうか。40年間フィゲラスで暮らしながら絶交状態だったという兄妹、アンナ・マリアは兄が1989年鬼籍入りした数か月後に後を追うように旅立った。
(芸術家たちのミューズだった頃の画家とアンナ・マリア、1920年代)
★詳しいキャストの全体像が見えてきていませんが、若い頃のアンナ・マリアをミランダ・ガスが、少女時代をベルタ・カスタニェ、エミリア・ポメスをポンス映画の常連メルセ・ポンスなど、過去にポンス映画の出演者が占めています。本作の言語はカタルーニャ語と英語ということで、バルセロナ派がキャストの大方を占めています。エミリア・ポメスは、アンナ・マリアの世話をしていた女性で生存しています。ダリの芸術作品やカダケスにあるEs Llané Granの別荘を相続しています。この夏の別荘にはロルカが1925年から3年間続けて訪れていました。当時の詩人のミューズがアンナ・マリアだったと言われています。
(ロルカとダリ、カダケスの夏の別荘、1927年夏)
(左から、エミリア・ポメス役のメルセ・ポンス、シアン・フィリップス、映画から)
★他にアナウンスされている男性キャストのうち、サルバドル・ダリを演じるエクトル・ビダレス、ガルシア・ロルカ(キム・アビラ)やルイス・ブニュエル(アルベルト・フェレイロ)、ポール・エリュアール(ティモシー・コーデュクス)など、妻ガラを誰が演じるのか気になりますが、まだIMDbにはアップされておりません。今回はアウトラインだけのご紹介です。
(クレア・ブルーム、監督、シアン・フィリップス)
哲学者ミゲル・デ・ウナムノの晩年を描いた”La isla del viento” ― 2016年12月11日 16:12
ミゲル・デ・ウナムノの謎を解く二つのエポック
★日本でミゲル・デ・ウナムノの認知度がどのくらいあるのか全く見当がつきませんが、スペイン人にとっては「98年世代*」を指導した思想家、大学人、作家、詩人、戯曲家、スペイン思想界に大きな足跡を残した「知の巨人」として知られています。複雑すぎる人格のせいかドキュメンタリーはさておき、本作が初のフィクション映画ということです。見る価値はあっても、だからと言って彼の矛盾した人格が解明されたわけではないということです。
*「Generación del 1898」1898年の米西戦争の敗北によって、スペインの最後の植民地(キューバ、プエルトリコ、フィリピン)を失ったとき、祖国の後進性を痛感し、近代化の遅れを苦悩しながらも未来を模索した知識人たちをさす名称。その代表的な思想家、作家、詩人は、本作の主人公ミゲル・デ・ウナムノ(1864)を中心にして、詩人アントニオ・マチャード(1875)、作家アソリン(1873)やピオ・バローハ(1872)、バリェ=インクラン(1866)など1860年代から70年代前半に生れており、スペイン内戦前夜の激動の時代、それにつづく戦火の生き証人でもあります。
“La isla del viento”(「風の島」)
製作:Mgc Marketing / Mediagrama / Motoneta Cine / 16M. Films
監督・脚本:マヌエル・メンチョン
撮影:アルベルト・D・センテノ
編集:アレハンドロ・ラサロ
音楽:サンティアゴ・ペドロンシニ
プロデューサー:パトリック・ベンコモ、ビクトル・クルス、イグナシオ・モンへ、
ラファエル・アルバレス他
データ:スペイン=アルゼンチン、スペイン語・フランス語、2015年、105分、ビオピック、撮影地カナリア諸島フエルテベントゥラ、ワーキングタイトル「フエルテベントゥラのウナムノ」、マル・デ・プラタ映画祭2015(11月4日)、マラガ映画祭2016(4月23日)、スペイン公開1916年11月18日
キャスト:ホセ・ルイス・ゴメス(ミゲル・デ・ウナムノ)、ビクトル・クラビホ(ドン・ビクトル主任司祭)、イサベル・プリンス(ドーニャ・コンチャ)、アナ・セレンタノ(デルフィナ・モリーナ)、シロ・ミロ(ホセ・カスタニェイラ)、エネコイス・ノダ(ラモン・カスタニェイラ)、ルス・アルマス(成人カーラ)、スアミラ・ヒル(少女カーラ)、ラウラ・ネグリン(カーラの母)、ハビエル・セムプルン(ミリャン・アストライ)、ファビアン・アルバレス(共和制の議員ロドリゴ・ソリアノ)他
解説:1864年スペイン北部ビスカヤ県の県都ビルバオ生れ、1936年内戦勃発の1936年の大晦日に孤独と失意のうちに亡くなったミゲル・デ・ウナムノの晩年を描いた伝記映画。彼の人生の二つのエポックとなった1924年と1936年10月12日に焦点を合わせている。一つ目は独裁者ミゲル・プリモ・デ・リベラを批判したため政治犯としてカナリア諸島フエルテベントゥラに追放された1924年3月からフランスの新聞社の協力でパリに脱出するまでの4カ月間、二つ目が1936年7月にフランコの反乱軍による内戦が始まると反乱軍集会で演説したことで、8月に共和国政府からサラマンカ大学終身総長を罷免される。クライマックスは、10月12日**にサラマンカ大学講堂での反乱軍集会における軍人ミリャン・アストライとの対決です。後世に残る名言を残したこの集会でウナムノは反乱軍兵士たちに反戦を説いて自宅軟禁になった。架空の登場人物羊飼いの娘カーラ、自作の『殉教者聖マヌエル・ブエノ』の主人公、彼の分身たるドン・ビクトル主任司祭、実在の豪商ラモン・カスタニェイラ、アルゼンチンの作家デルフィナ・モリーナとの宿命的な愛、フランコの友人にして軍人のミリャン・アストレイとの対決など、虚実を織り交ぜて彼の世界観を変えた二つの時代を軸に、知の巨人の複雑な深層に迫る。
**10月12日はコロンブスがアメリカに到達した日、以前「アメリカ発見」と言われた日です。当時は「民族の日Dia de la Raza」といわれ、現在ではスペインのナショナルデーとして祝日になっています。
(友人同士だったフランコ将軍と軍人ミリャン・アストライ)
★本作に関係の深いミゲル・デ・ウナムノ Miguel de Unamuno y Jugo の簡単すぎるアウトライン。1864年ビスカヤ県の県都ビルバオ生れ。マドリード大学(現マドリード・コンプルテンセ大額)文学部で文学、哲学・言語学を学んだ。卒業後故郷に戻りラテン語の代用教員、個人教授、著作に専念、1891年サラマンカ大学のギリシャ語教授試験に合格後はサラマンカに居を移した。1900年には若干35歳にしてサラマンカ大学総長に任命された(以後政権によって罷免と再任を繰り返している)。映画に描かれた1924年の追放からフランス亡命を経て帰国するまでの6年間以外終生サラマンカで暮らした。バスク語、仏・独・伊・英語、ギリシャ語、ラテン語、デンマーク語他、カタルーニャ語などを含む17言語を解したと言われているが、母語はスペイン語である。ウナムノの主な著作をあげるのは難しいがざっくり選んでおきます(法政大学出版局より著作集全5巻が刊行されています)。
1905年『ドン・キホーテとサンチョの生涯』(哲学)
1913年『生の悲劇的感情』(哲学)
1914年『霧』(小説)
1921年“La tía Tura”(小説、「トゥーラ叔母さん」)
1930年『殉教者聖マヌエル・ブエノ』(小説)
★スペイン内戦終結後を描いた映画として一番日本で観られた映画と言えば、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』(73)にとどめをさすと思います。末期とはいえフランコ時代に撮られた反戦映画の意味も大きい。この中に姉妹の父親の書斎にミゲル・デ・ウナムノの写真と2羽の折り紙の小鳥が登場します。父親がサラマンカ大学でウナムノの教え子であったことを暗示しているわけです。ウナムノは折り紙の名手で“La isla del viento”の中でも羊飼いの少女に小鳥を折ってやるシーンが出てきます。また小説の映画化としては、上記の“La tía Tura”が、1963年ミゲル・ピカソによって映画化され、1966年『ひとりぼっちの愛情』の邦題で公開された。1984年秋開催の本格的なスペイン映画紹介となった「スペイン映画の史的展望1951~77」でもエントリーされています。
★ミゲル・デ・ウナムノを演じたホセ・ルイス・ゴメスは、1940年ウエルバ生れ、TVドラでデビュー、アルモドバルの『抱擁のかけら』(09)では、若い秘書(ペネロペ・クルス)を金で買った会社社長という情けない役で出演している。しかしオールドファンにはカミロ・ホセ・セラのデビュー作『パスクアル・ドゥアルテの家族』(1942)をリカルド・フランコが映画化した“Pascual Duarte”でしょうか。彼はパスクアルを演じて「カンヌ映画祭1976」の男優賞を受賞しました。
(サラマンカ大学講堂でスピーチするウナムノ、映画から)
(フエルテベントゥラでヒトコブラクダに乗るウナムノ、映画から)
(ヒトコブラクダに乗っているウナムノ、実写)
★フエルテベントゥラにドン・ビクトル・サン・マルティンとして登場する主任司祭の人格は、1930年に執筆した小説『殉教者聖マヌエル・ブエノ』の主人公からとられている。ウナムノの「alter ego」分身と思われ、フエルテベントゥラの自然と人々との連帯感のシンボリックな存在のようです。ドン・ビクトルに扮したビクトル・クラビホは1973年カディス生れ、ベルリン映画祭に正式出品されたF・ハビエル・グティエレスのスリラー“Tres días”(08)、ホルヘ・コイラのコメディ『朝食、昼食、そして夕食』(10)、最近ではコルド・セラの「Guernikaゲルニカ」(16)、これはマラガ映画祭2016で作品紹介をしています。
(ドン・ビクトリに扮したビクトル・クラビホ、映画から)
★同じく前半に登場するデルフィナ・モリーナは実在のアルゼンチンの作家ですが、予告編にあるタンゴを踊るようなシーンはフィクションでしょう。彼女とはフエルテベントゥラと亡命先のパリで2度会っているだけだそうです。モリーナを演じたアナ・セレンタノは、1969年ブエノスアイレス州ラプラタ生れのアルゼンチン女優。エクトル・オリベラの『ミッドナイト・ミッシング』(86)に学生の一人として映画デビュー、マルセロ・ピニェイロのミステリー『木曜日の未亡人』(09、DVD)、エクトル・オリベラの“El mural”(10)で銀のコンドル賞助演女優賞を受賞している。
(デルフィナとウナムノの宿命的な愛をテーマにした著作)
★ウナムノと陸軍将官ホセ・ミリャン・アストレイのサラマンカ大学講堂での対決は、音声も残っており、多くの書物に引用されています。1879年ラ・コルーニャ生れ(1954年マドリード没)、スペイン外人部隊の設立者。フランコ将軍の友人で1936年10月12日のウナムノとの対決では、「君たちが勝てても、説得できないだろう」というウナムノに、「死よバンザイ、知性などくたばってしまえ!」、「カタルーニャとバスクは、スペイン国家の二つの癌!」とやり返してウナムノを挑発した人物の一人。彼を演じたハビエル・セムプルンは本作で映画デビューした。
(サラマンカ大学講堂から追い出されるウナムノ、実写)
(ウナムノの後方にミリャン・アストライがいる同じシーン、映画から)
★マヌエル・メンチョン Manuel Menchon は、監督、脚本家、プロデューサー。本作が長編映画デビュー作、他にドキュメンタリー“Malta Radio”(09)がある。これは2006年7月、地中海でスペインの漁師によって保護された移民たちの漂流をテーマにしたドキュメンタリー。オビエドやオスロなど海外の映画祭で上映され、エストレマドゥーラ・ドキュメンタリー映画祭で受賞した。マドリード市やカスティーリャ・ラ・マンチャのコミュニティの公共宣伝の仕事、マドリード銀行、レンフェ RENFE、イベリア航空とのコラボもしている。
(“Malta Radio”のポスターをバックにしたマヌエル・メンチョン監督)
(マヌエル・メンチョン監督と主役のホセ・ルイス・ゴメス)
『スモーク・アンド・ミラーズ』*ラテンビート2016 ① ― 2016年09月24日 17:27
アルベルト・ロドリゲスの新作スリラー“El hombre de las mil caras”
★サンセバスチャン映画祭(SSFF) 2016オフィシャル・セレクション出品作品。まさか今年のラテンビートで見ることができるとは思いませんでした。タイトルは英語題のカタカナ表記『スモーク・アンド・ミラーズ』、少し残念な邦題ですが、英語字幕を翻訳した配給会社の意向でしょう。アルベルト・ロドリゲス(1971、セビーリャ)の第7作め、SSFFノミネーションは『マーシュランド』(14)に続いて3回め、「三度目の正直」か「二度あることは三度ある」となるか、下馬評では今年の目玉ですが、間もなく結果が発表になります。(現地9月24日)
(ポスターを背に自作を紹介するロドリゲス監督、SSFF 2016)
★実在のスパイ、フランシスコ・パエサを主人公にしたスリラー、現代史に基づいていますがマヌエル・セルドンの小説“Paesa: El espía de las mil caras”の映画化、というわけでワーキング・タイトルは“El espía de las mil caras”として開始されました。実話に着想を得ていますが、この謎に包まれたスパイの真相は完全に解明されておりません。本人のみならず関係者や親族が高齢になったとはいえ存命しているなかでは、何が真実だったかは10年、20年先でも闇の中かもしれません。F・パエサについてのビオピックはこれまでも映画化されていますが、今作はいわゆるパエサガが関わった「ロルダン事件」にテーマを絞っています。1994年に起きた元治安警備隊長ルイス・ロルダンの国外逃亡劇、彼はフランコ体制を支えた人物の一人、「パエサという人物を語るのに一番ベターな事件だから」とロドリゲス監督。
(フランシスコ・パエサに扮したエドゥアルド・フェルナンデス)
★最近アメリカの「ヴァニティ・フェア」誌のインタビューに応じたフランシスコ・パエサの証言をもとに特集が組まれました。仮に彼が真実を語ったとすれば、どうやら別の顔が現れたようで、検証は今後の課題です。実話に基づいていますが、お化粧しています、悪しからず、ということです。諜報員フランシスコ・パエサにエドゥアルド・フェルナンデス、元治安警備隊長ルイス・ロルダンにカルロス・サントス、その妻ニエベスにマルタ・エトゥラ、ヘスス・カモエスにホセ・コロナド、どんな役を演ずるのか目下不明ですが、エミリオ・グティエレス・カバが特別出演しています。
(「ヴァニティ・フェア」の表紙を飾った本物のフランシスコ・パエサ)
“El hombre de las mil caras”(英題“Smoke and Mirrors”)
製作:Zeta Audiovisual / Atresmedia Cine / Atípica Films / Sacromonte Films /
El espía de las mil caras AIE 協賛Movistar+ / Canal Sur Televici:on
監督:アルベルト・ロドリゲス
脚本(共):ラファエル・コボス、アルベルト・ロドリゲス、原作マヌエル・セルダン
撮影:アレックス・カタラン
音楽:フリオ・デ・ラ・ロサ
編集:ホセ・M・G・モヤノ
美術:ぺぺ・ドミンゲス・デル・オルモ
キャスティング:エバ・レイラ、ヨランダ・セラノ
衣装デザイン:フェルナンド・ガルシア
メイクアップ:ヨランダ・ピニャ
製作者:ホセ・アントニオ・フェレス、アントニオ・アセンシオ、メルセデス・ガメロ、他多数
データ:製作国スペイン、言語スペイン語、2016年、スリラー、伝記、123分、1970後半~80年代、スパイ、製作費500万ユーロ、撮影地パリ、マドリード、ジュネーブ、シンガポール、配給ワーナー・ブラザーズ・日本ニューセレクト、スペイン公開9月23日
映画祭:サンセバスチャン映画祭2016コンペティション部門正式出品、ラテンビート10月8日、ロンドン映画祭10月12日
キャスト:エドゥアルド・フェルナンデス(フランシスコ・パエサ)、カルロス・サントス(ルイス・ロルダン)、マルタ・エトゥラ(ロルダン妻ブランカ)、ホセ・コロナド(ヘスス・カモエス)、ルイス・カジェホ、エミリオ・グティエレス・カバ、イジアル・アティエンサ(フライトアテンダント)、イスラエル・エレハルデ(ゴンサレス)、ジェームス・ショー(アメリカ人投資家)、ペドロ・カサブランク、他多数
解説:フランシスコ・パエサは、マドリード生れのビジネスマン。スイスの銀行家、武器商人、言い逃れのプロ、ペテン師、プレイボーイのジゴロ、さらに泥棒でもありシークレット・エージェントでもある。まさに1000の顔をもつモンスター。1986年、彼はスペイン政府に雇われる。その頃はまだ信頼できる親友ヘスス・カモエスのサポートを得ていたが、潮目が変わって裏切られる。1994年、妻との関係が破綻した時期に、準軍事組織である治安警備隊の元トップだったルイス・ロルダンから美味しい依頼を受ける。それは「自分の国外逃亡を助け、パリとアンティーブにある二つのリッチな不動産と公的基金からくすねた600万ドルを守ってほしい」というものだった。彼は、ロルダンの金を横取りし、自分を見捨てたスペイン政府への復讐もできる好機と協力を引き受ける。
★マドリード生れの実在のスパイ、フランシスコ・パエサFrancisco Paesa(1936~)の人生に基づく物語。後に赤道ギニアの独裁者となるフランシスコ・マシアス・ンゲマと取引して、1976年インターポールによってベルギーで逮捕され、スイスの刑務所に収監された。バスク人テロ組織ETAによるテロ行為が横行した時代には、ETAに対抗するために組織された極右テロリスト集団GAL(1983年創設、反テロリスト解放グループ)とも関わったといわれる。出所後スペインのシークレット・サービスと協力してETAに位置センサー付きの対空ミサイル2基を売るなどの武器密輸にも関与、それがETAの所有していた大量の武器や文書発見につながった。いわゆる「ソコア作戦」(Operacion Sokoa)といわれる事件。武装集団の協力と偽造ID使用の廉で、1988年12月逮捕される。
★1994年に起きた「ロルダン事件」(Caso Roldán)に関与していたとされている。ルイス・ロルダンはスペインの社会労働党の政治家、準軍事組織である治安警備隊(グアルディア・シビル)の元隊長だった。ロルダンが横領した金額は英貨100万ポンド、当時スペインで使用されていたペセタに換算すると244億ペセタに相当する。映画は前述したように、このロルダン事件に的を絞っています。
(前列中央がロルダン役のカルロス・サントス、映画から)
★1998年7月、パエサの姉妹が「タイで死亡した」という死亡広告をエル・パイス等に掲載した。死亡が偽装だったことは6年後にはっきりするのだが、当時から一部の関係者は単なる韜晦と死亡説を否定していた。スペインのジャーナリスト、マヌエル・セルダンが、パリでフランシスコ・パエサのインタビューに成功、生存が確認されて世間を驚かせた。このインタビューに基づいて執筆されたセルダンの“Paesa: El espía de
las mil caras”(“The Spy with a Thousand Faces”)に着想を得て映画化されたのが本作である。
(死亡通知が掲載された新聞記事、1998年7月2日)
★ルイス・ロルダン(1943年サラゴサ生れ)、元社会労働党(PSOE)党員、治安警備隊長(1986~93)、1994年偽の身分証明書でスペインを脱出したが、国際指名手配されていたので、1995年タイのバンコク空港で逮捕された。「刑務所に行くときは、一人じゃ行かない」と、関係者の道連れを臆せず語っていたが、1998年、最高裁で禁固刑31年の刑が確定した。1995年2月からアビラ刑務所、その後マドリードで15年刑期を務めた後、2010年に釈放、現在は自由の身である。2015年、フェルナンド・サンチェス・ドラゴによって彼の伝記が公刊されている。
(本物のルイス・ロルダン、1997年)
★以上は映画を楽しむ基礎データですが、パエサは潜伏の6年間をどこでどうしていたのか、先述した「ヴァニティ・フェア」誌のインタビュー記事の証言も含めて、鑑賞後にもう一度アップするつもりです。パエサとロルダンの関係は実に複雑です。パエサは公開を前に「ロルダンは紳士ですよ。でもびた一文貰っていない。私はもう死んでいるのです。そうね、死人だよ、だから何だって言うの」とインタビューに答えている。
*ラテンビート(新宿バルト9)では、10月8日(土)と10月14日(金)の2回上映です。
*監督紹介と『マーシュランド』の関連記事は、コチラ⇒2015年01月24日
アスガー・ファルハディ✕バルデム=クルス✕エル・デセオ ― 2016年06月06日 15:53
アスガー・ファルハディの次回作の舞台はスペインのアンダルシア
★イランのアスガー・ファルハディとハビエル・バルデム=ペネロペ・クルスのカップル、アルモドバル兄弟の製作会社エル・デセオが手を組んで新作を撮る。ファルハディはカンヌ映画祭2016で『The Salesman』(英題「ザ・セールスマン」)が脚本賞を受賞したばかりです。先にシャハブ・ホセイニが男優賞を受賞していたので「1作品1賞」というカンヌの原則を破ったことで場内はざわめいたようです。それにはベルリン映画祭金熊賞受賞の『別離』(11)ほどの出来ではなかったことも背景にあるようです。つまり、受賞に値する作品が他にもあったではないかという不満です。タイトルはアーサー・ミラーの『セールスマンの死』から採られている。
(最近のハビエル・バルデムとペネロペ・クルス)
★クルス出演は既にアナウンスされておりましたが、バルデムが共演することはファルハディがカンヌに到着するまで伏せられていた。そもそもはエル・デセオのアグスティン・アルモドバルが『私が、生きる肌』(11)のプロモーションのためロス入りして接触したのが始まりだった。ファルハディはアルモドバルが“Julieta”をマドリードで撮影していたとき立ち寄っていたから,水面下では大分前から進んでいたということになります。ファルハディによると「6月にロケ地見分にスペインを訪れ雰囲気を掴みたい。できれば夏にはクランクインしたい」とインタビューに応えている。2017年秋公開でしょうか。。
(アルモドバルとファルハディ)
★IMDbによれば、タイトルは目下未定ですが、言語はスペイン語と英語、製作は他にフランスのMemento Films社、今のところ製作国はスペインとフランスのみ。脚本は監督自身が執筆、あらあらのプロットは「アンダルシア地方のブドウ栽培農家の家族を中心にした愛の三角関係」らしく、絡んでくるもう一人にはアメリカの俳優が起用される模様です。テーマ的には複雑な家族関係を描くなどファルハディとアルモドバルは似通っている。アグスティンによると「ファルハディはロンダやスペインの南部が気にいっている」ということですから撮影地もほぼ決定しているのでしょうか。(Memento Filmsは、『The Salesman』や『ある過去の行方』も製作している)
(ファルハディ監督、カンヌ映画祭2016にて)
★スペイン語を解さない外国で撮影する不安はないかとの質問に、「外国での撮影としては第2作目、不安は感じていない」、第1作はフランスで撮った『ある過去の行方』(13、仏・伊・イラン合作)、言語はフランス語とペルシャ語だった。『アーティスト』に出演していたベレニス・ベジョの演技に感心して主役に起用した。カンヌ映画祭2013で女優賞を受賞して監督の期待に応えました。「過去に向き合わないで未来は描けない」が信条とか。しかし公開3作品のうち一番感心したのは、ベルリン映画祭で監督賞(銀熊)に輝いた『彼女が消えた浜辺』(09)でした。イランの中流階級の問題が凝縮されていて、こういう声高ではない方法で問題提起ができるのだと感心した。邦題の許容範囲は広いのですが、内容に余計なものを「付け足さない」という翻訳のイロハを逸脱して興醒めでしたが。(2009年に開催された「アジアフォーカス福岡国際映画祭」のタイトルは英題”About Elly”のカタカナ表記『アバウト・エリ』でした。監督も来日)
「監督週間」にホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』*カンヌ映画祭2016 ⑥ ― 2016年05月20日 15:06
『リアリティのダンス』の続編、『エンドレス・ポエトリー』
★前作『リアリティのダンス』の配給元アップリンクの代表者浅井隆がエグゼクティブ・プロデューサーの一人ということで、2017年春公開がアナウンスされています。いずれうんざりするほど記事が溢れてくると思いますが、一応アウトラインをご紹介。カンヌでは「長~い」オベーションに、ホドロフスキー父子3人、チリからカンヌ入りしたパメラ・フローレス、前作より大分背の伸びたイェレミアス・ハースコヴィッツも登壇して感激の面持ちだったとか。
★アレハンドロ・ホドロフスキーの『リアリティのダンス』紹介記事のなかで、次回作は「ブロンティス主演で『フアン・ソロ』(“Juan Solo”)と決定しているようです」と書いたのですが、気が変わったのか蓋を開けたら前作の続きの“Poesía sin fin”でした。生まれ故郷トコビージャを出て首都サンチャゴに転居したところから始まります。アレハンドロの青春時代、1940年代後半が語られる。父親ハイメには前作同様長男ブロンティス・ホドロフスキー、母親サラも同じくパメラ・フローレス、10代後半までのアレハンドロにイェレミアス・ハースコヴィッツ、そして青年アレハンドロに四男アダン・ホドロフスキー、彼は前作ではイバニェス大統領暗殺に失敗して自殺するアナーキスト役を演じました。今回は主役になるわけで、50歳のとき生まれた末っ子ということもあって可愛がっている。アダンは音楽も担当する。
(人形を操るエンリケ・リンとホドロフスキー、1949年)
★どうやらホドロフスキーは5部作のオートフィクションを構想しているらしく、本作はその第2部になるようです。それなら急がねばなりません、何しろ87歳ですから(1929年2月17日生れ)。それで資金も充分でないのに見切り発車、昨年、YouTubeを通じてキックスターターなどのクラウドファンディング・サイトで製作資金を募り、世界中から1万人に及ぶ人々の出資で完成した。これは寄付金と同じで出資者に返済する義務はない。この呼びかけの談話では、人間86歳にもなれば毎朝目が覚めると、「まだ生きている」と生きていることの幸せを噛みしめるが、今日が最後の日になるかもしれないとも考えるものだ、と語っていた。老いるということは時間との駆けっこです。長く生きることではなく、よく生きること、これが映画を作り続ける理由でしょう。
*『リアリティのダンス』紹介記事は、コチラ⇒2014年7月14日、7月19日、8月6日
3回に分けて家族歴・キャリア・映画データ・プロットなどアップしております。
“Poesía sin fin”(“Endless Poetry”)2016
製作: Le Soleil Films(チリ) / Openvizor / Satori Films(仏) 他
監督・脚本・製作者:アレハンドロ・ホドロフスキー
撮影:クリストファー・ドイル
音楽:アダン・ホドロフスキー
編集:マリリーヌ・モンティウ Maryline Monthieux
衣装デザイン:パスカル・モンタンドン≂ホドロフスキー
製作者:モイゼス・コシオ(メキシコ)、ハビエル・ゲレーロ・ヤマモト(チリ)、タカシ・アサイ浅井隆(日本)、Abbas Nokhas、以上エグゼクティブ・プロデューサー
データ 製作国:フランス、チリ、日本合作 スペイン語、2016年、128分、伝記 撮影地:チリの首都サンティアゴ、2015年7月~8月の8週間。カンヌ映画祭2016「監督週間」正式出品、映画祭上映5月14日、日本公開2017年春予定、多分邦題は『エンドレス・ポエトリー』か。
キャスト:ブロンティス・ホドロフスキー(父親ハイメ)、パメラ・フローレス(母親サラ)、イェレミアス・ハースコヴィッツ(10代後半アレハンドロ)、アダン・ホドロフスキー(青年アレハンドロ)、レアンドロ・ターブ(詩人エンリケ・リン)、フェリペ・リオス(ニカノール・パラ)、カオリ・イトウ、キャロリン・カールソン、ウーゴ・マリン、アリ・アフマド・サイード・エスベル、他
解説:ホドロフスキー一家は生れ故郷トコビージャを後にしてサンチャゴに移転、アレハンドロも新しい一歩を踏み出していく。しかし割礼を受けた鉤鼻の青年は、まさにコンプレックスのかたまりであった。抑圧的な父ハイメの希望は息子が医者か弁護士か、あるいは建築家になることだった。詩人なんてあまりにバカげている。「クソ家族」と喚きながら庭の菩提樹を斧で伐り倒そうとするアレハンドロ、そんなアレハンドロにも転機が訪れる。ある日のこと、従兄がセレセダ姉妹の家に連れて行ってくれた。一人は画家、もう一人は詩人だった。姉妹の家でマリオネットに魅せられ、やがて檻に鍵を掛けていたのが自分自身であったことに気づく。檻から自らを解き放ち、エンリケ・リン、ニカノール・パラ、初恋の人ステラ・ディアス・バリン、後にチリを代表する詩人、アーティストたちとも出会うことになるだろう。
(「詩人になりたい」という息子の願いを無視する父ハイメ)
★実際のホドロフスキー一家は1939年にサンチャゴに転居している。映画は1940年代後半、アレハンドロの青春時代を中心に語られるようです。同時代の詩人エンリケ・リン、アンチ・ポエマスを標榜したニカノール・パラ、初恋の人ステラ・ディアス・バリンなど実在の詩人、アーティストが登場する。IMDbではまだ詳細が分からず、ステラを誰が演じるのか楽しみです。彼女はニカノール・パラの“La víbora”(「蛇女」)にインスピレーションを与えた詩人、ホドロフスキーは1949年に町の中心にあった夜行性の人間たちの溜まり場「カフェ・イリス」で出逢っている。異様なオーラを放つステラにひと目でノックアウトされた。
(「クソ家族」と喚きながら庭をぐるぐる駆けまわるアレハンドロ、奥に母サラの姿)
★本作の主人公青年アレハンドロを演じるのは監督の四男アダン・ホドロフスキー、前作同様音楽も担当する。1979年パリ生れ、俳優、監督、ミュージシャン(ベースギター奏者、ピアノ、作曲)と多才。前作ではイバニェス大統領暗殺に失敗して自殺するアナーキスト役を演じた。ホドロフスキーの『サンタ・サングレ』(89)、ジュリー・デルピーの『パリ、恋人たちの2日間』(07)などに出演。短編“The Voice Thief”(13、米・仏・チリ)がフランスの「ジェラールメ映画祭2014」で短編賞を受賞した。父親アレハンドロも出演、脚本も共同執筆して応援、目下お気に入りの息子。
★父親ハイメ役は監督長男ブロンティス・ホドロフスキー、彼の怪演は前作に引き続き健在、虚栄心と憎しみをエネルギーにした矛盾だらけの人格、苦労と怒りで心の発達が子供で止まってしまった人間、若い頃は許せなかったという監督も今は父親の体だけ逞しくなった人間の悲しみ、粗野と純粋が複雑に絡み合ったハイメを理解できるという。
★衣装デザインを担当するパスカル・モンタンドン≂ホドロフスキーは監督夫人、ヴェトナム系フランス人の画家、デザイナー。彼女の一目惚れで結婚した。『リアリティのダンス』プロモーションに監督と一緒に来日している。撮影監督クリストファー・ドイルは、ウォン・カーウァイ『恋する惑星』や『花様年華』、チャン・イーモウ『HERO』、ガス・ヴァン・サント『パラノイドパーク』など、最近は日本映画も撮っている。ホドロフスキーとのタッグは初めて。他に舞踊家のキャロリン・カールソンの名前がクレジットされていますが、誰を演じるのか目下のところ不明です。他にもクレジットされているアリ・アフマド・サイード・エスベルは、シリア出身の詩人でエッセイストのペンネームAdonisアドニスでしょうか、そのうち分かりますね。
(いかさまカードで親戚から毟られるハイメ、左が祖母ハシェ、右は叔父イシドロ)
(本作撮影中のクリストファー・ドイル奥)
*追加情報:東京国際映画祭2017「特別招待作品」として上映決定
「監督週間」にパブロ・ララインの『ネルーダ』*カンヌ映画祭2016 ⑤ ― 2016年05月16日 14:19
順風満帆のパブロ・ラライン
★パブロ・ララインの“Neruda”のほかアレハンドロ・ホドロフスキーの“Poesía sin fin”の2作がノミネーションされましたが、ひとまずララインの“Neruda”から。本作については昨年6月クランクインした折に「ララインの新作」としてアウトラインを記事にしております。カンヌ本体とは別組織が運営する「監督週間」とはいえカンヌですから、公開はさておき字幕入りで見られるチャンスがこれで一つ増えました。ララインによると、「ノーベル賞作家とはいえ、ネルーダは自らを神話化する傾向があり、チリ人はそういうタイプを好まない」そうで、コミュニストだったこともあり、チリではネルーダ嫌いが結構いる。「自らを神話化する」という意味ではホドロフスキーも同じで、チリの人には好かれていない。そもそもチリの監督と紹介するには管理人自身も抵抗があります。ホドロフスキー映画は次回に回します。
*新作“Neruda”についての記事は、コチラ⇒2015年07月30日
(ネルーダ役のルイス・ニェッコ、映画から)
★「パブロ・ララインの新作は『ネルーダ』」と、あたかも邦題が決定したかのごとく紹介しておりますが、勿論まだ“Neruda”です(邦題に不要な修飾語がつかないことを切に願っている)。ベルリン映画祭2015で『ザ・クラブ』“El Club”が審査員賞グランプリを受賞したばかり、チリでもっとも注目されている若手監督の一人です。1971年ノーベル文学賞を受賞した詩人、作家、外交官、政治家といくつもの顔をもつ、それだけに謎の多い人物の伝記映画です。伝記と言って1949年という地下潜伏と逃避行に明け暮れた激動の時期を切り取った映画です。「ネルーダはネルーダを演じていた」、つまり自分がコミュニズムのイコンとして称揚されるよう、この逃亡劇をことさら曖昧にして詩人自らが神話化した。この映画は「ネルーダの『ニ十の愛の詩と一つの絶望の歌』の詩人の忠実な伝記映画というより、ネルーダ信奉者が作った映画」(監督談)なので、伝記映画としては不正確ということです。
“Neruda”2016
製作:Fabula(チリ) / AZ Films(アルゼンチン) / Funny Balloons(フランス) /
Setembro Cine(スペイン)他
監督:パブロ・ラライン
脚本:ギジェルモ・カルデロン
編集・音楽エディター:エルヴェ・シュネイ Hervé Schneid
プロダクション・デザイン:エステファニア・ラライン
撮影:セルヒオ・アームストロング
音楽:フェデリコ・フシド
プロダクション・マネージメント:サムエル・ルンブロソ
製作者:フアン・デ・ディオス・ラライン、ほか多数
データ:チリ=アルゼンチン=スペイン=フランス合作、スペイン語、2016年、107分、伝記映画、カンヌ映画祭2016「監督週間」正式出品、チリ公開2016年8月11日決定
キャスト:ルイス・ニェッコ(ネルーダ)、メルセデス・モラン(妻デリア・デル・カリル)、ガエル・ガルシア・ベルナル(刑事オスカル・ペルショノー)、アルフレッド・カストロ(ガブリエル・ゴンサレス・ビデラ大統領)、エミリオ・グティエレス・カバ(パブロ・ピカソ)、ディエゴ・ムニョス(マルティネス)、アレハンドロ・ゴイク(ホルヘ・ベレート)、パブロ・デルキ(友人ビクトル・ペイ)、マイケル・シルバ(歴史家アルバロ・ハラ)、マルセロ・アロンソ(ぺぺ・ロドリゲス)、ハイメ・バデル(財務大臣アルトゥーロ・アレッサンドリ)、フランシスコ・レイェス(ビアンキ)、アントニア・セヘルス、アンパロ・ノゲラ、他
解説:1947年、ガブリエル・ゴンサレス・ビデラは大統領に就任すると、共産党根絶を開始する。チリ共産党の支援をうけて1945年3月に上院議員となった赤い詩人ネルーダは苦境に立たされる。1948年共産党が非合法化されると、党は危険の迫った詩人を亡命させることに着手する。1949年の秋、妻デリア・デル・カリルを伴ってのネルーダの地下潜伏とパリへの逃避行が始まった。首都サンティアゴで数カ月潜伏した後、追っ手の目を晦ますため女装してリベルタドール、バルパライソ、ロス・リオス州バルディビア、フトロノ・コミューンなどを転々とした。馬乗してアルゼンチンに脱出すると、やがてピカソなどヨーロッパの多くの友人に助けられて、春4月半ばパリに辿り着く。逃避行の最中に『大いなる歌』が書かれ、謎に満ちたネルーダの脱出劇は伝説となる。
*トレビア*
★ネルーダは1904年生れ、チリ共産党の支援を受けて1945年3月に上院議員に当選、同年7月に入党している。1948年ガブリエル・ゴンサレス・ビデラ大統領が共産党を非合法化したため、当時の妻デリア・デル・カリルと地下に潜ることになる。ネルーダは離婚を2回しており、本作に登場する妻はネルーダがヨーロッパから帰国した1943年に再婚した2番目の妻(1955年離婚)で、『イル・ポスティーノ』に出てくる妻マティルデは3番目のマティルデ・ウルティアを想定しているようです。現在ネルーダ記念館として観光名所になっているイスラ・ネグラの美しい別荘は、彼女のために建てたものだそうです。移動には女装したとか、フトロノ・コミューンを出てアルゼンチンに行く途中のクリングエ川の急流を渡るときには溺れそうになったとか逸話が多い。
(妻デリア・デル・カリルと詩の朗読会用のメイクをしたネルーダ)
★「この映画はギジェルモ・カルデロンの脚本なくして作れなかった。自分で脚本を書くのは無謀だとは思わなかったが、結局彼の助けを求めなければならなかった。だからいくら感謝してもしきれない」とラライン。脚本を評価するコラムニストが多い。ネルーダは女好きで誇大妄想きみのブルジョア趣味という反面、深遠な理想主義にもえ寛容、チリの社会にインパクトを与えた人です。だから「ネルーダまたはその造形に挑戦した」映画だとラライン。
(パブロ・ラライン監督)
★既にネルーダをテーマにした映画やTVドラは多数あります。なかでもマイケル・ラドフォードのイタリア映画『イル・ポスティーノ』(1994)は劇場公開された後、吹替え版、完全版を含めてテレビで放映されています。ネルーダにフィリップ・ノワレ、主人公郵便配達人マリオに病をおして出演したマッシモ・トロイージがクランクアップ直後に他界したことも話題になった。ララインの「ネルーダ」は1949年が時代背景ですが、『イル・ポスティーノ』のほうは1950年代初めのナポリ湾に浮かぶ架空の島が舞台だった。ナポリ湾のプローチダ島で撮影されたが、それはネルーダがカプリ島に潜伏していたときの史実に基づいている。
(逃避行をするネルーダ夫妻)
*主なキャスト紹介*
★アルフレッド・カストロ(1955年チリのサンティアゴ)とガエル・ガルシア・ベルナル(1978年メキシコのグアダラハラ)については度々登場してもらっているので割愛します。前者はラライン監督のデビュー作 “Fuga” を含めて全作に出演しており、本作ではネルーダ逮捕を命じる大統領として登場します(ララインのフィルモグラフィー参照)。後者はあと一歩のところで獲物を取り逃がしてしまう平凡な刑事役、彼のモノローグが映画の推進役となっている。今回の二人は役柄としては嫌われ役でしょうか。G.G.ガエルによると、「この映画は豊かなネルーダの詩の読者の多くを失望させないと思う、それは間違いない。ぼくたちを映画に導いたのは、ネルーダの素晴らしい詩のお陰なのです」と。他のキャスト陣もラライン映画の常連さんです。
(大統領の命令を受けるオスカル、G・G・ベルナル、左側の背中が大統領)
◎ルイス・ニェッコ Luis Gnecco(ネルーダ):1962年チリのサンティアゴ生れ、グスタボ・G・マリノ『ひとりぼっちのジョニー』(1993)、フェルナンド・トゥルエバ『泥棒と踊り子』(09)、ラライン『No』など。
◎メルセデス・モラン Mercedes Morán(ネルーダ夫人):1955年アルゼンチンのサンルイス生れ、ルクレシア・マルテルのサルタ三部作の1部『沼地という名の町』(01)と同2部『ラ・ニーニャ・サンタ』(04)、ウォルター・サレスの『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04)などで登場している。一時『人生スイッチ』愚息出演のオスカル・マルティネスと結婚していた。
◎パブロ・デルキ Pablo Derqui(ネルーダ友人ビクトル・ペイ):1976年バルセロナ生れ、マヌエル・ウエルガ『サルバドールの朝』、ギリェム・モラレス『ロスト・アイズ』
◎ハイメ・バデル Jaime Vadell(財務大臣アルトゥーロ・アレッサンドリ):1935年バルパライソ生れ、ロドリゴ・セプルベダの代表作“Padre Nuestro”(05)の主役を演じた。「ピノチェト政権三部作」、ホドロフスキー『リアリティのダンス』、『ザ・クラブ』ではシルバ神父になった。
◎アントニア・セヘルス Antonia Zegers:1972年サンティアゴ生れ、「ピノチェト政権三部作」以降のラライン映画にオール出演、ラライン夫人である。
◎マルセロ・アロンソ Marcelo Alonso(ぺぺ・ロドリゲス):1969年サンティアゴ生れ、『No』以外の「ピノチェト政権三部作」、『ザ・クラブ』ではガルシア神父になった。テレビ出演が多い。
◎マイケル・シルバ Michael Silva(歴史家アルバロ・ハラ):1987年チリ南部アントファガスタ生れ、戯曲家、ミュージシャンとしても活躍。若い頃のアルバロ・ハラ(1923~98)はコミュニストの活動家だった。ラライン映画は初出演。
*監督フィルモグラフィー*(短編・TVシリーズを除く)
2006 “Fuga” 監督・脚本
2008 “Tony Manero”『トニー・マネロ』監督・脚本「ピノチェト政権三部作」第1部
ラテンビート2008上映
2010 “Post mortem” 監督・脚本「ピノチェト政権三部作」第2部
2012 “No”『No』監督「ピノチェト政権三部作」第3部、カンヌ映画祭2012「監督週間」、
ラテンビート2013上映
2015 “El club”『ザ・クラブ』監督・脚本・製作、ラテンビート2015上映
2016 “Neruda” 監督、カンヌ映画祭2016「監督週間」正式出品
★ララインの次回作は英語映画“Jackie”と、3月にアナウンスされています。「ブルータスお前もか」という心境、彼も英語映画を撮る監督の仲間入りです。政治に絡んだジャッキー・ケネデイの伝記映画。ジャッキーを演じるのはナタリー・ポートマン、劇場公開間違いなしです。
(ジャッキーになるナタリー・ポートマン)
ガルシア=マルケスのドキュメンタリー*”Gabo:la creación de Gabriel García Márquez” ― 2016年03月27日 15:08
マコンドの黄色い列車に乗って
★“Gabo:la creación de Gabriel García Marquez”は、イギリスの監督ジャスティン・ウエブスターのドキュメンタリーですが、言語はスペイン語です。監督はスペイン語が流暢、前作“I will Be Murdered”(2013“Seré asesinado”)もグアテマラの弁護士暗殺事件をテーマにしたドキュメンタリー、各地の国際映画祭で受賞しています。“Gabo”はガウディ賞2016にノミネーションされましたが受賞ならず記事を見送りました。しかし毎年誕生月の3月になると何かしら記事が目につき、今年の命日(4月17日)は、日本流に言うと3回忌にあたるのでご紹介することに。作家本人の登場は少ないようですが、監督によると「今まで彼のドキュメンタリーはなかった。それはインタビュー嫌いだったからだ」そうです*。2014年の死去に際しては当ブログでも「ガボと映画」に関する記事を中心に幾つかアップしております。
*皆無というわけではなく、「本格的な」ドキュメンタリー映画という意味に解釈したい。作家の80歳の誕生を祝して製作された、ルイス・フェルナンドの“Buscando a Gabo”(2007、コロンビアTV、52分)が、翌2008年に『ガボを探し求めて』の邦題で上映されました(セルバンテス文化センター)。他にも『百年の孤独』に関連したシュテファン・シェヴィーテルトの“El Acordeón del Diablo”(2001、スイス=コロンビア=ドイツ合作)が『惡魔のアコーディオン』の邦題でテレビ放映されている。シェヴィーテルトは音楽ドキュメンタリー『キング・オブ・クレズマー』が公開されている監督。
*「ガボと映画」に関する記事は、コチラ⇒2014年1月23日・4月27日・4月29日
“Gabo:la creación de Gabriel García Márquez” 2015
(“Gabo:The Creation of Gabriel García Márquez”、“Gabo:la magia de lo real”他)
製作:JWProductions / Canal+España / Caracol(コロンビアTV)他
監督・脚本:ジャスティン・ウエブスター
データ:製作国西=英=コロンビア=仏=米、スペイン語、2015年、ドキュメンタリー、伝記、90分、公開コロンビア2015年3月、スペイン2015年4月17日(1周忌)、マドリード限定(TV放映)4月23日、バルセロナ12月19日、米国独立系の映画館で2016年3月、ドイツ、フランス、イタリアではテレビ放映予定、他
映画祭・ノミネーション:カルタヘナ・デ・インディアス映画祭2015年3月13日、ニューヨークのコロンビア映画祭、シカゴのラテン映画祭、ガウディ賞2016ドキュメンタリー部門ノミネーション、他
キャスト:フアン・ガブリエル・バスケス(作家)、アイーダ(妹1930生れ)、ハイメ(弟1941生れ)、ヘラルド・マルティン(ガボの伝記作家)、プリニオ・アプレヨ=メンドサ(親友のジャーナリスト)、セサル・ガビリア・トルヒーリョ(元コロンビア大統領)、ビル・クリントン(元合衆国大統領)、ジョン・リー・アンダーソン(ジャーナリスト)、タチア・キンタナル(元恋人)、他
(『百年の孤独』を頭にのせた有名なフォト)
複雑に錯綜するポリフォニックな声をどこまで拾えたか?
★「メキシコに行くつもりだよ」と親友プリニオ・アプレヨ=メンドサ**に語って、まだノーベル賞作家ではなかった1961年に妻メルセデスと長男ロドリゴを伴ってコロンビアを去った。到着したメキシコのメディアは、ノーベル賞作家ヘミングウェイのショットガン自殺(7月2日)を盛んに報じていたという。出演してくれた彼の妹弟が兄への愛を語るのは当然だが、「有名な作家だから賞賛しなければならないと考えた人々には出会わなかった」と監督。妹アイーダと弟ハイメの二人は、大変な読書好きだった母親について語っている。しかし作家が大きな影響を受けたのは彼の幼少期に母親代りだった母方の祖母、つまり『大佐に手紙は来ない』に出てくる大佐夫人だった。アイーダとハイメは『予告された殺人の記録』に実名で登場している。
(マルケス一家、妻メルセデス、ガボ、次男ゴンサロ、長男ロドリゴ)
**プリニオ・アプレヨ=メンドサは、1957年に共産諸国(ポーランド、チェコスロバキア、ソ連、東ドイツ、ハンガリー)を巡る旅を一緒にしたコロンビア人のジャーナリスト。しかし1971年の「パディーリャ事件」での意見の相違から袂を分かつ。彼についてはアンヘル・エステバン&ステファニー・パニヂェリの“Gabo y Fidel”(2004、『絆と権力 ガルシア=マルケスとカストロ』新潮社、2010、野谷文昭訳)に詳しい。ウィキペディアからは見えてこない作家の一面が分かる推薦図書の一つ。あくまでもIMDbによる情報ですが、残念ながら二人の著者はキャスト欄にクレジットされていない。複雑に錯綜するポリフォニックな声をどこまで拾えたかが本作の評価を左右すると思います。
(前列左から2人目ブニュエル、一人おいた眼鏡がガボ、1965年アカプルコにて)
★本作の語り手にコロンビアの作家フアン・ガブリエル・バスケス(1973ボゴタ)を起用している。ロサリオ大学で法学を専攻、1996年フランスに渡り、1999年パリ大学ソルボンヌでラテンアメリカ文学の博士号取得、1年ほどベルギーに滞在した。その後バルセロナに移り2012年まで在住、現在はボゴタに戻っている。彼の“El ruido de las cosas al caer”(2011)が最近『物が落ちる音』(松籟社、2016年1月、柳原孝敦訳)の邦題で刊行されたばかり、推薦図書として合わせてご紹介しておきます。コロンビアと米国の麻薬戦争を巡るドキュメンタリー風の小説、2011年のアルファグエラ賞受賞作品。
(アルファグエラ賞授賞式でスピーチをするバスケス、2011年)
★タチア・キンタナル(本名コンセプシオン・キンタナル)は、1929年バスク自治州ギプスコア生れの女優、詩人(タチアTachiaは渾名、コンセプシオンの愛称コンチータCon-chi-taのシラブルを入れ替えたもの)。フランコ独裁政権下では仕事ができず1953年フランスに亡命、1956年パリでガルシア=マルケスと知り合う。二人とも厳しい経済的困窮を抱えていた時代、あたかも後に書かれることになる『大佐に手紙は来ない』の大佐夫婦のような生活だったらしい(彼女は82歳になった2010年師走にアラカタカを初訪問している)。二人の熱烈な関係は1年とも数年とも言われている。作家がメルセデス・バルチャと結婚するのは1958年です。キンタナルも1950年に出会ったビルバオの詩人ブラス・デ・オテロ(1916~79)と親密な恋人関係を詩人の死まで維持していた。詩人はタチアの名付け親でもある。
★キンタナルには左耳の聴覚障害があり、映画化もされた『コレラの時代の愛』のヒロイン、フェルミーナ・ダーサを同じ聴覚障害者にしたのは、作家の元恋人への目配せだというわけです。この小説のモデルは作家の両親というのが通説ですが(本人が述べているようだ)、「私の両親は結婚しています。この小説は、アカプルコで毎年逢瀬を愉しんでいた80代のカップルを、あるとき船頭がオールで殴り殺してしまった結果事件となり、二人の秘密が白日の下になってしまった。二人はそれぞれ別の人と結婚していたからだ、という新聞記事にインスピレーションを得て書かれた」とも語っています。キンタナルも結婚してミュージシャンの息子がいる。両親は主人公フロレンティーノ・アリーサのように「51年9ヶ月と4日」も待たなかったというわけです。ウソとマコトを織り交ぜて話すのが大好きな作家の言うことですから、信じる信じないはご自由です。
*ジャスティン・ウエブスターのキャリア&フィルモグラフィー*
★イギリス出身の監督、脚本家、製作者、ノンフィクション・ライター、ジャーナリスト。ケンブリッジ大学で古典文学を専攻、1990年代はロンドンでジャーナリストとして働いた後、バルセロナに移り写真術を学びながらフリーランサーのレポーターの仕事をする。1996年製作会社JWProductionsを設立、現在はバルセロナを拠点にして映画製作に携わっている。本作の企画は「ほぼ10年前から温めていたが、具体的に始動したのは作家が死去する数ヶ月前のことで、亡くなったことで危機が訪れた」と監督。作家の熱烈なファンであったウエブスターにとって『百年の孤独』の作家の人生を語ることは難しく、結局予定より1年半遅れて完成。しかし、この映画を作ることで「今までと違った作家像にも出会った。例えば意外に内気で、若い頃に暮らしていたバルセロナ時代は無口で、親しい友人たちの付き合いを好んでいた」とも語っている。反面ノーベル賞受賞には執念をもやし、推薦者への根回しを怠らなかったいう話は有名です。
(最近のジャスティン・ウエブスター監督)
★ウエブスターが国際舞台に躍り出たのは、冒頭で触れたドキュメンタリー第1作“I Will Be Murdered”(2013“Seré asesinado”、デンマーク、英、西、グアテマラ合作)だった。グアテマラの政財界に激震を走らせた「ロドリゴ・ローゼンバーグ暗殺事件」をテーマにしたドキュメンタリー、各地の映画祭に招かれそれぞれ受賞も果たした***。ローゼンバーグはグアテマラのエリート弁護士、2009年5月10日の日曜の朝、サイクリング途中に或る者から差し向けられたヒットマンによって暗殺された(享年48歳の若さだった)。グアテマラ内戦(1960~96)の平和条約の調印がなされた後も和平合意は実現されておらず、当時の殺人件数6000人以上、誘拐件数400人以上というグアテマラでも大事件だった。それに拍車をかけるように弁護士が2日前に撮ったというビデオテープが公開されたことから国家の危機を引き起こす暗殺事件に発展した。
(政権を告発するロドリゴ・ローゼンバーグと殺害現場)
★ロドリゴ・ローゼンバーグの死後2日後に公開されたビデオは、「自分が殺害された場合の首謀者は、アルバロ・コロン大統領私設秘書官グスタボ・アレホスであり、大統領夫妻も私の殺害を了承していた」という衝撃的な内容だった。ローゼンバーグは国家資金を運用しているグアテマラ農村開発銀行の執行委員を務めていた企業家とその娘の殺害事件の調査に関与していた。彼は起業家が違法取引の隠蔽工作の協力を断ったために殺害されたと政権を告発した。
(高い評価を受けた“I will Be Murdered”のポスター)
***受賞歴:サンパウロ映画祭2013ドキュメンタリー部門審査員賞・栄誉メンション、ウィチタ映画祭2013ベスト・フューチャー・ドキュメンタリー賞、ハバナ映画祭2013ラテンアメリカ以外の監督部門サンゴ賞、グアナファト映画祭作品賞、カルタヘナ映画祭2014監督賞、バルセロナPro-Docs2014ベスト・ドキュメンタリー賞、その他、シカゴ映画祭2013正式出品、ガウディ賞2015ノミネーションなど多数。
パブロ・ララインの新作*ノーベル賞詩人ネルーダの伝記 ― 2015年07月30日 16:59
共産主義者ネルーダの逃亡劇を映画化
★パブロ・ララインの新作は、その名もずばりネルーダ“Neruda”です。ベルリン映画祭2015で“El Club”が審査員賞グランプリを受賞したばかり。キャストは既にアナウンスされていましたが、この度撮影が開始されたようです。1971年ノーベル文学賞を受賞した詩人、作家、外交官、政治家といくつもの顔をもつチリではよく知られた存在、既にネルーダをテーマにした映画やTVドラは多数あります。なかでもマイケル・ラドフォードのイタリア映画『イル・ポスティーノ』(1994)は劇場公開された後、吹替えでテレビで放映されたほどでした。ネルーダにフィリップ・ノワレ、主人公郵便配達人マリオに病をおして出演したマッシモ・トロイージが撮影後に他界したことも話題になった。
(審査員賞グランプリのトロフィーを掲げるラライン監督、ベルリン映画祭2015)
★ララインの「ネルーダ」では、ネルーダにチリのルイス・ニェッコ、妻デリア・デル・カリルにアルゼンチンのメルセデス・モラン、共産党活動家ネルーダを追い回す刑事オスカルにメキシコのガエル・ガルシア・ベルナルと国際色豊か。ネルーダは1945年にチリ共産党に入党していた。しかし1948年ガブリエル・ゴンサレス・ビデラ政権が共産党を非合法化したため亡命を余儀なくされ、アンデス山脈を越えて隣国アルゼンチンに亡命する。ですから時代背景としては、50年代のナポリ湾に浮かぶカプリ島が舞台だった『イル・ポスティーノ』の少し前になります。
(撮影中のルイス・ニェッコとメルセデス・モラン、中央の二人)
★ネルーダは1904年生れ、1948年には44歳、1945年3月に上院議員に当選、7月に入党している。当時はまだノーベル賞とは無関係(1971年受賞)な時代でした。ネルーダは離婚を2回しており、映画に登場する妻デリア・デル・カリルは、ネルーダがヨーロッパから帰国した1943年に再婚した2番目の妻(1955年離婚)、余談だが現在ネルーダ記念館として観光名所になっているイスラネグラの美しい別荘は、3番目の妻マティルデ・ウルティアのために建てたもの。観光客でにぎわっているそうですが、ララインによると、ネルーダは自らを神話化する傾向があり、チリ人はそういうタイプを好まない。日本で人気を博した『リアリティのダンス』の監督ホドロフスキーも好かれていないようだ。チリ公開が「R18+」に本気で怒っていたが、そもそもゲイジュツ映画は及びでない(笑)。
★ガルシア・ベルナルは、既に『No』(2011)でララインとはコラボしている。彼は1978年グアダラハラ生れの37歳、『アモーレスペロス』は遠い昔になりました。今回は主人公をつけ回す嫌われ役の刑事を演じる。どちらかというと彼が主役のようです。他にラライン映画の殆どに出演しているアルフレッド・カストロもクレジットされている。『トニー・マネロ』を怪演した個性派俳優。ノーベル賞詩人ネルーダ、ガエル・ガルシア・ベルナル、ベルリンのグランプリ受賞監督ラライン・・・と話題性もあるから、どこかが拾ってくれることを期待しています。
(ネルーダをつけ回す刑事G.G.ベルナル、髭を生やして登場)
★チリ、アルゼンチン、スペイン、フランス合作、言語はスペイン語、撮影地は首都サンティアゴ、少し西側のバルパライソ、亡命先ブエノスアイレスなど。2016年半ば公開を予定している。
関連記事*管理人覚え
◎ベルリン映画祭審査員賞グランプリの記事は、コチラ⇒2015年2月22日
ララインのフィルモグラフィー、“El Club”作品紹介他、チリ映画界の現状を紹介。
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