カルロス・セデスの『ヴューダ・ネグラダ 黒蜘蛛の企み』*Netflix配信2025年06月26日 19:13

     実話にインスパイアされた犯罪ドラマ――カルメン・マチが刑事役

   

      

 

★バレンシア州パトライスで2017816日に起きたアントニオ・ナバロ・セルダン刺殺事件をベースにしている。計画犯が被害者の若い未亡人、実行犯が冴えない中年の愛人というお膳立て、メディアの視聴率アップに貢献した事件でした。TV局は特集を組んだり、ドキュメンタリーを制作するなどしたので、スペインでは「パトライスの邪悪な未亡人」(La viuda negra de Patraix)として誰もが知っている殺人事件でした。Netflix は「サスペンス、ミステリー」ドラマと宣伝していますが、犯罪ドラマには違いありませんが、サスペンスやミステリーなど期待しないほうがいい。

 

★オリジナル・タイトルは「La viuda negra」ですが、邦題は思わせぶりな『ヴューダ・ネグラ 黒蜘蛛の企み』となり、なんともはや恐れ入ります。カルメン・マチやトリスタン・ウジョアがクレジットされていなければ多分見ない邦題です。英語題「A Widows Game」も感心しませんが、こちらのカタカナ起こしのほうが余程ましです。タイトルは自由に付けてよい決まりですが作品の顔でもあるので、無い知恵を絞らないでもらいたい。基本データ、スタッフ&キャスト、ストーリーは以下の通り。

 

 「La viuda negura

製作:Bambú Producciones / Netflix

監督:カルロス・セデス

脚本:ラモン・カンポス、ジェマ・R・ネイラ、ジョン・デ・ラ・クエスタ、リカルド・ジョルネ、ダビ・オレア、ハビエル・チャカルテギ

撮影:ダニエル・ソサ・セグラ

音楽:アドリアン・フォルケス、フェデリコ・フシド

編集:ディエゴ・ファハルド、アンドレス・フェデリコ・ゴンサレス

キャスティング:コンチ・イグレシアス

美術:アンヘル・アマロ

衣装デザイン:アントニオ・M・サンチェス・デ・ディオス

メイクアップ&ヘアー:イサベル・アウエルンハイマー、アリシア・ブランコ、他

製作者:ラモン・カンボス、ビクトル・ファンディーニョ

 

ストーリー2017816日バレンシア、マンション駐車場内で男性の血みどろの刺殺体が発見される。6ヵ所に及ぶ深い刺し傷から男性の怨恨による殺人事件と考えられた。ベテランの警部エバを筆頭にバレンシア殺人捜査課の調査が開始された。彼らは誰も予想しなかった容疑者に導かれていくことになる。若くして未亡人になってしまった〈優しくて親切な〉看護師マヘ、夫アルトゥーロとの新婚生活は1年未満であった。

 

データ:製作国スペイン、2025年、スペイン語、サスペンス、犯罪ドラマ、122分、撮影地バレンシア州パトライス、2025530Netflix 配信開始。

 

キャスト紹介:実話ではあるがプライバシー保護のため殺人犯以外は仮名である。さらに殺人犯は事実に即しているが、それ以外の人物造形は脚色が施された別バージョンです。本作は捜査開始から3週間後の912日、別件で殉職したバレンシア殺人捜査課警部補ブラス・ガメス・オルティスに捧げられている。

 

カルメン・マチ(バレンシア殺人捜査課主任エバ・トーレス/実名エステル・マルドナド)

イバナ・バケロ(マヘMaje、実名マリア・ヘスス・モレノ・カント

トリスタン・ウジョア(サルバSalva、実名サルバドール・ロドリゴ・ラピエドラ

パブロ・モリネロ(トゥリ、トゥリエンテス)

ペペ・オシオ(ベルニ、ベルナルド/実名ブラス・ガメス・オルティス)

ラモン・ロデナス(新任刑事ハビエル・ヒル)

アレックス・ガデア(アルトゥーロ・フェレル/実名アントニオ・ナバロ・セルダン)

以下、ジョエル・サンチェス(マヘの愛人ダニエル)、ペドロ・カサブランク(判事)、パウ・デュラ、ベルタ・イバラ(エバの娘サンドラ)、タニア・フォルテア(マヘの友人ソニア)、アンパロ・フェルナンデス(アルトゥーロの母親)、ホセ・アントニオ・バヤゲス(アルトゥーロの父親)、ミケル・マルス(アルトゥーロの兄ビクトル)、インマ・サンチョ(マヘの母親)、ヘスス・カストロ(マヘの元恋人アンドレス)、テレサ・ロサノ(サルバの母親)、シスコ・ロメロ(アルトゥーロの同僚ルイス)、オスカル・パストール(サルバの友人フランセスク)、他

 

スタッフ紹介カルロス・セデスア・コルーニャ1973)、監督、TVシリーズのクリエーター、代表作は、ロマンチックコメディ「El curb de los incomprendidos」(14)、ブランカ・スアレスとハビエル・レイを起用した「El verano que vivimos」(20)、クリエーターとして「Las chicas del cable」(1720、『ケーブル・ガールズ』41話)、イバナ・バケロが主演した「Alta mar」(1920、『アルタ・マール:公海の殺人』18話)、カルメン・マウラがイベロアメリカ・プラチナ賞の助演女優賞を受賞した「Tierra de mujeres」(243話)、カンデラ・ペーニャに同じイベロアメリカ・プラチナ賞主演女優賞をもたらした「El caso Asunta」(24、『アスンタ・バステラ事件』6話)などがある。

    

      

  

        (トリスタン・ウジョアが主演した『アスンタ・バステラ事件』

 

Bambú Producciones 2007年、製作者で脚本家のラモン・カンボス(ア・コルーニャ1975が中心になって設立した制作会社、他にテレサ・フェルナンデス=バルデス、主にTVシリーズのドラマや犯罪ドキュメンタリーを手掛けている。以下受賞歴のある話題作を挙げると、Netflixが初めてスペイン語のTVシリーズとして製作したのが「Las chicas del cable」(1720、『ケーブル・ガールズ』41話)、「El caso Asunta」(24、『アスンタ・バステラ事件』6話)、「Tierra de mujeres」(243話)、「Gran hotel」(1113、『グラン・オテル』38話)、「Velvet」(1316、『ベルベット』56話)、「Fariña」(1810話)、「Alta mar」(1920、『アルタ・マール:公海の殺人』18話)など。

   


     

★ドキュメンタリーではスペインで起きた未解決殺人事件も含めて犯罪物を多く製作している。「El caso Alcasser」(19、『アルカセルの惨劇 少女3人殺害事件』5話)、「El caso AsuntaOperación Nenúfar」(174話)、「800 metros」(22、『800メートルの恐怖:バルセロナ・テロ事件』3話)、映画ではアルベルト・ピントのMalasaña 32」(20、『スケアリー・アパートメント』)、カルロス・セデスの「El verano que vivimos」(20)、ハコボ・マルティネスの「13 Exorcismos」(22)、イサキ・ラクエスタの「Un año , una noche」(22)、最新作が「La viuda negra」である。

 

     怪物は人里離れた廃屋には住んでいない――犯人は平凡なあなたの隣人

 

A: クレジットによると脚本家が6人と多く、「船頭多くして船山に上る」が危惧されたが、どうでしょうか。3部構成になっており、第1部がカルメン・マチ扮するエバ・トーレスの視点、第2部がイバナ・バケロ扮する夫殺害を計画するマヘの視点、第3部がトリスタン・ウジョア扮する実行犯サルバの視点プラス総括、犯罪ドラマにしては2時間は長すぎた。

 

      

     (バレンシア殺人捜査課所属のエバ:トーレス役のカルメン・マチ)

   

      

            (夫殺害の計画犯マヘ役のイバナ・バケロ)

 

B: 特に第2部のマヘの夫殺害の動機の掘り下げが雑で、映画というよりTVミニシリーズのような印象を受けた。早い段階でマヘがゴミ女であることは分かるが、もっと複雑な性格なのではないか。

A: まるで欲しい獲物を狙い撃つニンフォマニアのような描き方で、両親に強制された厳格な宗教的な背景への反発、スペインの地方都市に暮らす女性の息苦しさが描ききれていなかった。

B: マヘがなぜ好きでもないアルトゥーロと結婚したのか、アルトゥーロがなぜ結婚式1ヵ月前に発覚したマヘの浮気を受け入れたのか、映画からは見えてこない。

 

      

     (アントニオ・ナバロ・セルダンとマリア・ヘスス・モレノ・カント)

  

     

          (左アントニオとマリア、右アルトゥーロとマヘ)

          

  

    (サルバ役のトリスタン・ウジョアとサルバドール・ロドリゴ・ラピエドラ)

 

A: 本事件は2017816日に自宅マンションの駐車場で遺体が発見され、翌2018110日に容疑者が逮捕されるまでを描いている。最初から犯人は未亡人マヘと割れていて難事件というほどではなかった。マヘのアリバイも稚拙で直ぐ嘘とばれてしまうものであり、6ヵ所の深い刺し傷から女性の単独犯説は初期の段階で消えた。ただ実行犯の割り出しに時間が掛かり、結果捜査班は意外な人物に辿りつく。分かってみれば、あまりの「悪の凡庸さ」に一同驚きを隠せない。

B: 実行犯サルバは、マヘが働いている病院の年配の同僚でした。同じ職場で働く看護師の妻、18歳になる息子、介護が必要な母親という〈平凡〉を絵に描いたような家庭でした。日ごろ憎からず思っていた若い女性から愛を囁かれ有頂天になって殺人を犯すには、もっと長い心の道程を描く必要があったのではないか。

   

    

                  (サルバとマヘ)

 

A: 憎しみや絶望から犯行に及ぶわけではない。実直な中年男性の心に流れる静かな隙間風、男の身勝手な正義感や見当違いの忠誠心から、いやいや犯行に引きずり込まれていく悲哀をトリスタン・ウジョアが演じていた。

B: 友人フランセスクにマヘの写真を見せておきながら、自分に捜査の手が及ぶことはないと確信している愚かさが信じられない。

A: サルバはマヘの夫アルトゥーロを実際にはよく知らないわけで、マヘからの一方的な情報で殺害を決心する。恋は盲目とはいえ、その陳腐さに呆れる。人は「自分が信じたいことだけを信じる」の見本みたいです。

      

     事件「その後」もなかなかユニーク、マヘは刑務所内で男児を出産

 

B: 映画は犯人逮捕までで裁判シーンは描かれないし、メディアを喜ばせたマヘのその後も描かれない。サルバは最初、自分の単独犯を主張してマヘを庇うが、結局マヘに利用されていただけと知って共謀を認める。

A: エンディングで実際の法廷シーンが挿入され、裁判の供述前に前言を翻したことが観客に知らされます。逮捕後マヘは、男女混合のピカセンテ刑務所に収監されるのですが、入所以来相変わらず多くの男性と関係している。それを知ってやっと目が覚める。

B: 受刑者間のセックスが容認されているわけだ。

 

A: 2020828日の裁判でマヘに唆されて殺害したことを正式に認める。金銭の授受がない「請負殺人」でした。同年11月にマヘに禁固22年、サルバに禁固17年の刑が申し渡され結審する。教唆罪は実行犯と同じ罪が科されるのですが、マヘがサルバより5年加重されたのは「親族殺人」だからです。映画の字幕ではサルバが捜査に協力的だったから減刑されたとありましたが。

B: 教唆罪も重い、マヘは司法の手が自分に及ぶとは思っていないが、事件当時既に26歳でしたから賢いのかバカなのか首を捻る。

       

A: 横道にそれますが、殺人事件そのものも衝撃ですが、「その後」も興味深いのです。マヘは収監中に妊娠する。子供の父親は殺人の罪で2008年から同じ刑務所に収監されているダビという受刑者。それで出産設備のある別のアリカンテ刑務所に移送され、20237月に総合病院で男児を出産する。出産後はアリカンテ刑務所内にある男子禁制の母子寮で、子供が3歳になる2026年まで一緒に過ごせる。現在そこにいます。

 

B: 生まれてくる子に罪はないというわけですね。

A: 同じ塀の中でも母子寮のほうが自由度も高く待遇もいいので、妊娠を希望する女子受刑者がいるのかもしれません。一方、ダビは既に刑期を終えて出所していますが、当然マヘとの関係は終わらせている。

 

B: 実話を下敷きにしているとはいえ、フィクションとして見たほうがいいですね。人々の記憶が鮮明な直近の事件ですから、映像化にはそれなりの配慮が必要です。第2部のイバナ・バケロのヌードなど本当に必要だったとは思えません。

A: 脚本執筆の分担がどうなっているのか知りたいところです。第1部の警部補ベルニ殉職のサイドストーリーなど、エンディングまで意味不明でした。「ブラス・ガメス・オルティスを偲んで」の字幕が出て、初めて分かった。主役はタイトルになった「邪悪な未亡人」マヘではなく、エバ・トーレス率いる事件解決98パーセントの「バレンシア殺人捜査班」です。

   

     

     (2017912日、51歳で殉職したブラス・ガメス・オルティスの葬儀)

     

  

                          (エバとベルニ)
     

B: 大分たっぷりめのマチがスクリーンに登場すると画面が生きいきしてくる。最初にTVミニシリーズの話があったそうですが。

A: 冒頭に出てくるマヘの遊び友達ソニア役でタニア・フォルテアの起用がアナウンスされたのです。ですから4話ぐらいのミニシリーズかと思っていました。事情はあくまで憶測でしかありませんが、何らかの理由により途中で変更されたのではないでしょうか。映画の台本を6名で執筆するなど異例です。それにソニアの描き方もステレオタイプで、わざわざ出演をアナウンスするほどではなかった。

  

B: 今回のネット配信で寝た子を起こされた、事件とは全く無関係のサルバの息子(実際は娘)や妻、元夫の親族のプライバシーがどうなっているのか気になります。かなりのお化粧直しはプライバシー保護の観点からも当然です。

A: そんなこんながネックになって、TVシリーズ化がおじゃんになったか。描けるのは逮捕劇までですね。捜査班の3人がマヘとサルバのプリペイド式携帯の通話記録を聞くシーンはコミカルでちょっと笑えた。マチによると「女性の観客は実話に基づいた殺人事件が好き」だそうで、ターゲットは女性のようです。「劇場に来てくれるのは70パーセント以上が女性」ともエル・パイス紙に語っている。

   


        (捜査班の3人、トゥリ、エバ、ベルニ、フレームから

  

  

 (ベルニ亡きあとに配属されたハビエル・ヒルとエバ)

 

B: マヘを演じたバケロが「マヘはとても複雑で、心に闇を抱えているように思える」と、インタビューに応えていますが、スクリーンからは見えてこなかった。

A: エバのセリフに「尽くしてくれる男を求めるタイプ」とあったが、それに「お金」をプラスしなければならない。ダニエルのようにお金持ちで未来に目を向けることのできる男性が理想的、因習が支配的な故郷ノベルダから精神的に離れられないアルトゥーロなどお呼びでなかった。殺人の決意を加速させた一因は、ダニエルとの偶然の出会いでしょうか。

  

B: 引き金です。殺さずとも離婚すればすむはずなのに「離婚するより未亡人に見られるほうがマシなタイプ」、バレなければ遺産も遺族年金も受け取れる。理想を言えば、夫の同僚ルイスのように交通事故死してくれることでした。夫の葬儀の空涙の名演技も実話通りなら褒めてやりたい。

A: しかし仕事もせずラクして金持ち男に寄生するタイプではない。病院と介護施設を掛け持ちして夜勤もこなす〈優しくて親切な〉看護師なのです。殺人の三大動機「ドラッグ、お金、アモール」、ドラッグはやっていなかった。マヘのなかには複数の人格が存在しているように思えます。

B: サルバのように殺人など犯しそうでない人が、いとも簡単に一線を越える恐怖、道徳的な自己欺瞞がどのように機能するのか、裁判シーンがあったら浮かび上がってきたように思った。

 


キャスト紹介

カルメン・マチについては、マラガ映画祭2025の大賞マラガ―スール賞を受賞した折にキャリア&フィルモグラフィー紹介しています。コチラ20250406

     

     

  (エル・パイスのインタビューを受けるカルメン・マチ、2025年5月6日、マドリード)


イバナ・バケロ1994年バルセロナ生れ、ギレルモ・デル・トロの『パンズ・ラビリンス』(06)の赤い靴を履いた可憐な少女を演じ、子役ながらゴヤ新人女優を受賞した。大人になってからは前述したカルロス・セデスの『アルタ・マール:公海の殺人』、カタルーニャ語はもちろん英語もできるので、イサベル・コイシェのホラー「Another Me」(13)に起用されている。ほか米国コメディ『ブラックフライデー』(22DVD)にも出演している。目標は同じ子役出身のジョディ・フォスター、ナタリー・ポートマンの由、これからです。

  

      

      (夫の死に泣き崩れるマヘ)

    

     

                  (新任刑事ハビエル・ヒルに手錠をかけられるマヘ

 

トリスタン・ウジョア1970年、当時両親が亡命していたフランスのオルレアンで生まれた。俳優、監督、脚本家、フランス語、スペイン語、カタルーニャ語、英語ができる。主にスペイン映画で出演している。代表作は、ジャウマ・バラゲロのホラー『ネームレス無名恐怖』(99)、フリオ・メデムの『ルシアとSEX01、ゴヤ賞主演男優賞ノミネート)、アントニオ・チャバリアスの「Volverás」(02、マル・デル・プラタ映画祭スペシャル・メンション、アリエル賞ノミネート)、マヌエル・ウエルガの『サルバドールの朝』(06)、イシアル・ボリャインの「Mataharis」(07、ゴヤ主演ノミネート)、フアン・マルティネス・モレノのスリラー「Un buen hombre」(09)、最新作はカルラ・シモンの「Romería」(25)。

TVシリーズでは「Fariña」(1810話)、『シスター戦士』(2022、英語、Netflix 配信)、先述したカルロス・セデスの『アスンタ・バステラ事件』でフォトグラマス・デ・プラタ賞受賞、フェロス賞とスペイン俳優連盟賞にノミネートされた。2002年、弟ダビ・ウジョアと共同で短編「Ciclo」を監督する。ついで共同で監督した「Pudor」(07)がカルロヴィ・ヴァリ、ワルシャワ、マラガ、シカゴ、各映画祭にノミネートされ、翌年のゴヤ賞新人監督賞と脚色賞にノミネートされた。現在ダビ・ウジョアは主にTVシリーズの監督として活躍している。

     

    

              (犯行のチャンスを窺うサルバ)