ルイス・ガルシア・ベルランガの 『カラブッチ』 ― 2020年06月03日 16:04
(『カラブッチ』のポスター)
★今回のスペインクラシック映画上映会には選ばれませんでしたが、先週の「死刑執行人」(63)より前に製作された『カラブッチ』(56)をアップいたします。ベネチア映画祭1956出品、国際カトリック事務局映画賞OCIC受賞作品。以下は2012年2月13日、Cabinaブログに投稿したコメントを再構成したものです。ルイス・ガルシア・ベルランガのキャリア紹介を含んでいること、両作を流れるテーマの共通性などが、その理由です。2012年は大分昔のことになりましたが、当時と考えは変わっておりません。キャスト&ストーリーを簡単に補足しておきます。(カビナさんのブログは2012年02月04日)
「Calabuch」(『カラブッチ』1956年、スペイン=イタリア合作)
製作:Aguila films (スペイン)/ Films Costellazione(イタリア)
監督:ルイス・ガルシア・ベルランガ
原案:レオナルド・マルティン
脚本:レオナルド・マルティン、フロレンティーノ・ソリア、エンニオ・フライアーノ、ルイス・ガルシア・ベルランガ
撮影:フランシスコ・センペレ、(撮影助手)ミゲル・アグード
音楽:グイド・ゲリーニ
編集:ペピータ・オルドゥーニャ
助監督:レオナルド・マルティン
製作者:ホセ・ヘレス・アロサ
キャスト:エドマンド・グウェン(ハミルトン教授)、ヴァレンティーナ・コルテーゼ(教師エロイサ)、フランコ・ファブリリーツィ(ランゴスタ)、フアン・カルボ(駐在所長マティアス)、ホセ・イスベルト(灯台守ドン・ラモン)、ホセ・ルイス・オソレス(闘牛士)、フェリックス・フェルナンデス(神父ドン・フェリックス)、フランシスコ・ベルナル(郵便配達クレセンシオ)、マヌエル・アレクサンドレ(ビセンテ)、マリオ・ベリアトゥア(フアン)、マルハ・ビコ(マティアスの娘テレサ)、他多数
ストーリー:1950年代の半ばの或る日、アメリカの物理学者にして宇宙工学の権威ジョージ・ハミルトン教授が、豪華客船リベルテ号乗船前の記者会見を終えると、突然行方不明になる。世界中の警察が捜索するも杳として所在が分からない。ところが同じ年の5月、スペインの小さな村カラブッチの海岸に突如姿を現した。近く開催される村祭りの準備から抜け出してきたフアンとクレセンシオにばったり。二人はこれ幸いと手にした包みをランゴスタに届けて欲しいとハミルトンに手渡した。ハミルトンは密輸品とはつゆ知らずにランゴスタ探しを開始する。探しあぐねて駐在所に辿りついたハミルトンは、密輸品所持で留置所へ・・・
カラブッチは江ノ島だ!
A ベルランガの“Novio a la vista”(54「一見、恋人」)にコメントしてほぼ1年が過ぎました。そのときは、ベルランガが亡くなったばかりで哀悼の意を込めてお喋りしたのでした。ベルランガはいくら喋っても喋り足りない監督の一人です。
B スペイン映画を代表する作品を作りながら、映画祭上映は別として何故か日本公開がなかった稀有な存在でした。
A 「カラブッチ」は、「ようこそマーシャルさん」が紹介された「スペイン映画の史的展望―1951~1977」(1984開催)で上映されました。米ソ対立など何処の惑星の話なの、と言わんばかりのカラブッチ村を舞台に繰り広げられる伝統的な手法のセンチメンタルなコメディです。
B スペイン=イタリア合作映画に、ハリウッドからエドマンド・グウェン*を呼んで主人公ジョージ(カラブッチではホルヘ)・ハミルトン教授に起用、ヴァレンティーナ・コルテーゼ(教師エロイサ)とフランコ・ファブリーツィ(ランゴスタ)のイタリア勢のほかは、ベルランガ映画にお馴染みのスペイン勢がかためています。
A キャスト陣の紹介は後述するとして、「カラブッチ」のロケ地となったペニスコラは、バルセロナとバレンシアの中間にあり、地中海に突きだしたような風光明媚な町。バレンシアに向かって南下していく途中のベニカルロにパラドールがあり、そこから見えるペニスコラは江ノ島に似ています。
B 江ノ島に要塞はありませんけど、全景が村祭りのドサ廻り闘牛シーンに登場します。
A 現在は観光に力を入れて毎年5月にはペニスコラ・コメディ映画祭が開催されています。14世紀にテンプル騎士団によって建てられたペニスコラ城も観光の目玉です。ベルランガは殊のほかペニスコラがお気に入りで、約40年後に舞い戻り“Paris Tombuctu”(99)を撮ったのでした。
B 彼の遺作となった映画です。“Tamaño natural”(74「実物大」)で主人公を演じたミシェル・ピコリが出演していた映画です。
A 彼はベルランガの分身ともいえる親友でしたが、二人で20世紀を締め括ったわけです。「カラブッチ」50周年(?)の2006年には、ベルランガを敬愛する市民たちからメダルが贈られ再び訪れています。まあペニスコラ名誉市民賞といったところです。現地エキストラの活躍も本作の見どころの一つでした。
*高名な物理学者ハミルトン教授役のエドマンド・グウェン(エドモンドとも表記)は、1877年ロンドン生れの舞台出身のイギリス人俳優、1939年ハリウッド入りした。ハリウッド映画『三十四町目の奇跡』(47)のサンタクロース役でアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞の助演男優賞をダブルで受賞、グウェンといえばサンタクロース姿がお馴染み。ヒッチコックのスリラー喜劇『ハリーの災難』(55)では元船長役、シャーリー・マクレーンともどもハリーの遺体を掘り起したり埋めたりをコミカルに演じた。1959年脳梗塞のためロスで死去、結局、「カラブッチ」が映画としては最後の出演となった。IQは抜群でもシャイで世事には疎い物理学者を飄飄と楽しげに演じていました。
ベルランガの流れ着くよそ者のテーマ
B ふらりと迷い込んだよそ者が期せずして平穏な村に騒動を巻き起こすというのは、映画に限らず文学でもあります。
A 思えば「ようこそマーシャルさん」も同じようなもの、マーシャル使節団は車であっという間に通りすぎてしまうのですが、訪問して村人それぞれに贈り物をするという噂が「よそ者」です。
B 実際のところ使節団はスペインには来なかったというのを逆手に取ったコメディ。「一見、恋人」では、登場人物たちが日常を離れて避暑地に移動してのてんやわんやでした。
A 本作は2年後に撮られた長編4作目、前作より面白い。学識豊かな物理学教授ハミルトンは、核開発が人類を幸せにすると信じて、アメリカのバクダン作りに協力した。しかしこれが大きな間違いだったと気づいて怖くなり、ヨーロッパ行きの豪華客船から突然失踪する。
B 辿りついたところが地中海沿岸はレパント地方の小さな村カラブッチというわけ。
A 出会ったのが密輸品を仲間のランゴスタに手渡したいフアンとクレセンシオ、包を教授に頼んですたこらさっさ。頼みを律儀に果たすべくのこのこ訪れたところが警察署(駐在所?)、「ランゴスタはおりますか」と尋ねるが密輸品所持でお縄に、目指すランゴスタは既に檻の中でした。
B 筋を話しただけでは他愛なくて面白さは分かりません。しかしこれだけでもベルランガ流のペシミズムが横溢しています。
A 社会が個人のいるべき場所を破壊していられなくしている。ハミルトンは自分を取りまく社会集団の利己主義に耐えられなくなって失踪する。ベルランガは日増しに遠ざかっていく個人の自由を、それは幻想かもしれないが、代償を払ってでも(本作はかなりきわどい)希求していたのだと思います。
B フアンやテレサのように桃源郷カラブッチから逃げ出したい恋人たちもいる。
A ユートピアとはいえ父親マティアスの権威が強くて結婚もままならない。二人も居場所が見つからず、遠い外国ベネズエラに憧れて脱出しようと計画するも父親にばれてしまう。留置所を出たり入ったりして落着く場所のないランゴスタも、カラブッチから出ていきたいとホルヘにほのめかす。
B 気儘に暮らしているように見えるのは表面だけ、ホントの幸せがあるわけじゃない。ここが誰にとってのユートピアかです。
A 結局ハミルトンは絶大な国家権力に屈して帰国する。これが人生、個人にできることなんて限られている。無駄な抵抗はやめろというメッセージが聞こえてくる。こういう彼の頑なまでのペシミズムは何処からきてるのでしょうか。
「青い旅団」に志願、本当の恐怖はロシアの寒さ
B スペイン内戦時代について「自分にとっては<長い休暇>みたいなものだった」と語ったことがよく紹介されますが、これはどういう意味ですか。
A 敢えて言うなら、確かに多くの迫害や死があるカオスの真っただ中にいたのだが、真の友人とは何かが分かったり、画を書いたり、読書に埋没して多くを学ぶ時間があった、ということらしい。1921年12月生れですから内戦が始まった1936年6月にはまだ14歳でした。
B バレンシアの裕福な地主の家に生まれた。
A その通りですが、父親は第二共和政時代には共和派支持の国会議員という政治家だった。フランコ側が勝利してからは、モロッコのタンジールに逃亡、しかし現地で逮捕、死刑の判決を受けた。
B 父親の減刑嘆願のために「青い旅団*」に志願するよう家族から頼まれたわけです。
A 公式にはそれも一つなんですが、晩年の告白によると、親友の恋人だった女性に恋をしていて、彼女も同じ考えだった。志願して勇気のあるところを示せば振り向いてくれるんじゃないかと。どこまでほんとか分かりません(笑)。
B どんな苦境にあっても恋は芽生える。
A 医療班に動員されたというのもありますが、彼によると任務は見張塔での監視だったらしく、幸いにも人一人殺すことなく除隊できたということです。ホントのテキは想像を絶する寒さ、恐ろしかったそうです。
B ヴィットリオ・デ・シーカの『ひまわり』でも猛吹雪の中の死の行軍が出てきますが、イタリアやスペインのような南欧の人にはロシアの寒さは想像できない。
A 戦争体験を他人に語るのは難しい、心の痛みというのは孤独なものですから。カビナさんが「花言葉」のシーンで触れてるように、孤独は彼のテーマの一つです。結局、父親の減刑にはなんの役にも立たず、父親所有の電機工場や別荘など持てるもの全てをヤミで売り払って減刑運動を続けたようです。1952年まで収監されて釈放半年後に他界しています。
B 1952年といえば「ようこそマーシャルさん」が完成した年、しかし翌年のカンヌ映画祭での国際的な成功は知らずに逝ったわけですね。
A ベルランガの国家権力に反逆しても勝ち目はないというペシミズムは、この後ラファエル・アスコナとの出会いから“Placido”(61「心優しき者」)、“El verdugo”(63「死刑執行人」)とスペイン映画史に残る名作を生み出していきます。
*青い旅団は、1940年に行われたフランコ=ヒットラー密談で、第2次世界大戦でのスペインの中立政策、枢軸国との友好関係が取り決められた。しかしフランコは1941年にロシア戦線へ18000人の兵士を派遣、一翼を担ったファランヘ党の兵士が青色の制服を着用していたことが呼称の由来。約2年間にトータルで47000が地獄の戦線に派遣された。ベルランガは1941年に派遣されている。
横道だが、最近ヘラルド・エレーロが青い旅団をテーマにミステリー仕立ての“Silencio en la nieve”(12)を撮った。監督というより製作者としての活躍が多く、スペインはおろかラテンアメリカ諸国の若い監督たちに資金提供をしている。イグナシオ・デル・バジェの小説“El tiempo de los emperadores extranos”の映画化。フアン・ディエゴ・ボトー、カルメロ・ゴメスなど日本でも馴染みの布陣のフィクション。ベルランガ映画の理解に彼の「青い旅団」体験は欠かせないと考えているので、今年注目している作品の一つ。
ベルランガ流ユーモアを体現した役者たち
B 脚本担当はベルランガを含めて合計4人と多い。
A 原案はレオナルド・マルティンですが、イタリア勢のエンニオ・フライアーノの参画が大きい。ジャーナリストで小説家でもあったフライアーノは、フェデリコ・フェリーニ映画の脚本家として信望厚く、既に『青春群像』(53)や『道』(54)などで実績があった。検閲官も外国人の視点を意味なく無視できない時代に入っていました。
B 合作は資金調達のためばかりじゃないということです。
A 心優しい密売人(!)ランゴスタ役のフランコ・ファブリーツィは1926年ミラノ生れ、先述のフェリーニの『青春群像』や『崖』(55)に出演、女先生役のヴァレンティナ・コルテーゼは1925年同じくミラノ生れ、ミケランジェロ・アントニオーニの『女ともだち』(56)に出演(ヴェネチア映画祭銀獅子賞受賞作品)、ハリウッド映画『裸足の伯爵夫人』(54)にも脇役で出ています。
(ハミルトンとエロイサ役のヴァレンティーナ・コルテーゼ)
B 二人はお互い<ほの字>なのに面と向かって言いだせない。ベルランガも例の片思いの女性に告白できなかった(笑)。この二人とエドマンド・グウェンは吹替えです。
A イタリア勢はそんなに違和感ありませんが、英語とスペイン語だと大分ずれます。最も欧米ではスペインに限らず吹替えが主流、日本のような字幕入りは少数派でした。「吹替え版の映画でがっかりした」などと登場人物に言わせるフランス映画もあり、おおむねシネアストには不評でしたが。
(檻の中のハミルトンとランゴスタ)
B マティアス署長役のフアン・カルボは、ラディスラオ・バフダの『汚れなき悪戯』(54)が日本でも公開されたから見覚えがある。少々気難しいが根は善人です。
A 1892年バレンシア生れ、すでにパピージャ神父で有名になっていた。ベルリン映画祭銀熊賞(監督部門)、カンヌ映画祭ではマルセリーノ役のバブリートが特別賞を受賞したので公開された。ベルランガ作品では“Los jueves, milagro”(57「木曜日に奇跡が」)にも出演、1962年没。
(マティアス署長のフアン・カルボ、ハミルトン、ランゴスタ)
B 半世紀前の映画だから年々物故者が増えていきます。灯台守ドン・ラモン役のホセ・イスベルトも当然鬼籍入り。
A 1886年と19世紀生れですから。「マーシャルさん」での村長ドン・パブロ役、カルボと同じく「木曜日に奇跡が」、続いて「死刑執行人」の主人公アマデオ役、1966年没だから二人ともポスト・フランコ時代をみることはなかった。脇役が多かったから100以上の映画に出演しています。
(電話で神父ドン・フェリックスとチェスをする灯台守のホセ・イスベルト)
B フェルナンド・パラシオスの『ばくだん家族』(62“La gran familia”)も公開されたから、お祖父ちゃんの活躍を記憶しているファンも多いでしょう。
A ベルランガの回想によると、撮影が始まって少しすると、「どうもペペ・イスベルトはちゃんと脚本を読んできていない」と気づいた。それどころか勝手に赤字で訂正した自分用のを撮影に携えていたという。それで自然に映画の中にとけ込んでしまったそうで、モンスター的天才です。
B じゃあ、脚本家は5人に増えてしまう。脚本を変更してしまう監督は珍しくないが、セリフを変えてしまう役者は珍しい。
A 灯台守ドン・ラモンと電話でチェスをするフェリックス神父役が「マーシャルさん」でお医者さんになったフェリックス・フェルナンデス。
B まだ若くてハンサムなのに驚いたマヌエル・アレクサンドレが絵描きのビセンテに扮している。
A ベルランガは若い頃は画家を志していたから、たぶんビセンテは彼の分身かな。
B 闘牛士役のホセ・ルイス・オソレスは、“Esa pareja feliz”(51「あの幸せなカップル」)に出ています。
A アントニオ・バルデムと共同監督したデビュー作でした。オソレスは1923年マドリード生れ、44歳の若さで1968年に亡くなっています*。
*スペインでは有名な芸術一家の出身、ペドロ・ルイス・ラミレスのコメディ“El tigre de Chamberi”(57「チャンベリの虎」)のボクサー役が代表作。トニイ・レブランクとのコンビが絶妙で笑い皺ができる。娘のアドリアナ・オソレスはアントニオ・メルセロの“La hora de los valientes”(98)でゴヤ助演女優賞を受賞、他に「めがねのマノリート」(99)や“El metodo”(05)などに出演している。
スタッフ陣も国際色豊か、音楽をグイド・ゲリーが手掛ける
B 闘牛シーンは、ペニスコラの長回しの遠景で始まる。闘牛といっても<略式闘牛>ですね。
A 村祭りの催しなどに招かれるドサ廻りの闘牛。銛打ち士も槍方も省略、マタドールと牛は一緒に巡業する親密な家族だからそもそも闘牛にならない。牛も大人のトロではなくノビーリョといわれる子供の牛のようです。
B 闘牛はスペインでは「国民の祝祭」だから登場させたい。「マーシャルさん」ではフラメンコをやったしね。闘牛の際に演奏されるパソドブレの軽快なリズムで一行は登場する。
A この音楽を担当したのがイタリアのアンジェロ・フランチェスコ・ラヴァニーノとグイド・ゲリーニ。ラヴァニーノは映画音楽では超有名。ソルダーティのヒット作『河の女』(55)の音楽も彼が担当した。原作はネオレアリズモの代表的存在であるアルベルト・モラヴィアと先述したエンニオ・フライアーノが共作し、戦後イタリアが生んだ大女優ソフィア・ローレンの出演でも話題になった。
B グイド・ゲリーニはイタリア音楽界のマエストロとして、パルマ音楽院を皮切りに、フィレンツェ、ボローニャ、そして撮影時にはローマ音楽院で教鞭をとっていた。
A 二人はカラブッチの村祭りを楽しくするためにスペシャル・ミュージックを作ろうとした、なぜならカラブッチの人々がユーモアのセンスを忘れずに暮らしていたからだと。
B 撮影監督はスペインのフランシスコ・センペレ。ロングショットからクローズアップへ、またその逆の切り替え、ローアングルと面白い。
A 個人的には大写しは嫌いだが、ここでは役者の表情がいいので気にならない。この後「木曜日に奇跡が」や「心優しき者」、イタリアのマルコ・フェリーニやホセ・マリア・フォルケ(フォルケ賞は彼の名前から)とタッグを組んでいる。
B 闘牛シーンに戻ると、肝心のトロは狭苦しい車から解放され、のんびり渚をぶらぶらしてるだけ。いくらマタドールが「ちゃんとやってよ」と頼んでもバケツの水など飲んで知らんぷり。
A しびれを切らした見物人が飛び入りして、やっとこさ牛との追いかけっこが始まる。手持無沙汰のマタドールはお弁当のコンビーフの缶詰なんか開けて食べ始める。ここはシュールだね。
B 闘牛祭りも終了、夕闇せまる浜辺にマタドールと子牛がポツンと残される。
A 父親が我が子を慈しむように「わたしの坊や」と、頑張った子牛の頭を優しく撫でてやる。
(ぶらぶら散歩するばかりで闘わないトロに困り果てる闘牛士)
人間は地球上で一番危険な生きもの
B バラ色のネオレアリズモの影響下に作られた半世紀も前の映画を語る必要がありますかね。
A そうね。でも世の中そんなに変わっていないのじゃない。チェスの世界チャンピオンがコンピューターに負けたとか、チェスより複雑な将棋でも<ボンクラー>が米長名人を下したとか。しかし相変わらず世界は不安定で、貧しい人の数は逆に増えている。
B 冷戦時代は終わったというけど、世界の対立構図は形を変えて常に私たちを脅かしている。
A ランゴスタが密売のシゴトをするので突然映写技師にさせられたホルヘ、NO-DOのニュースに自分が映って大慌て、操作を誤って大切な国策フィルムを燃やしてしまう。
B よく検閲がパスしましたね。映写室には誰もいないのに身元がバレてはいけないと大急ぎでサングラスをかける可笑しさ。こういうアイロニーは今でも古くない。
A 灯台からドン・ラモンが望遠鏡で覗くと、はるか彼方に数隻の艦船が目に飛び込んでくる。
B 東地中海を守っている艦隊はアメリカの第6艦隊、ソ連の脅威に対抗して創設された。
A アメリカの秘密を知りすぎた男ハミルトン引渡しに第6艦隊を派遣してきた。ここで観客は冷酷な現実に引き戻される。ユートピアといえども冷戦構図からは逃げられないのだと。
B マティアス以下村の知恵者が作戦を練る。村人こぞって古びた槍刀を手に手に兜を被って小舟でいざ出陣。しかし端から勝負にならない。
A 迎えに飛来したヘリコプターに搭乗したハミルトンは、旋回しながら機上から村人たちに最後の別れを告げる。軍事大国とか国家権力には逆らえないというペシミズム。常にベルランガは政治、宗教、教育などを直球勝負を避けながらソフトに批判している。かつてはバラ色に見えた「**イズム」も、地球上でもっとも危険な生きものが人間であることを忘れて崩壊した。行き場というか<生き場>を奪われた人々の生き辛さは、今も昔も変わらない。
B ベルランガ映画のいいところは、決して絶望の押売りをしないということです。
(以上は、Cabinaブログに投稿したコメントの再録です)
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