ルイス・ブニュエルの『ビリディアナ』*スペインクラシック映画上映会 ― 2020年05月29日 17:47
ヨーロッパ回帰の第1作目『ビリディアナ』をスペインで撮る
★メキシコで映画を撮っていたルイス・ブニュエルが、ヨーロッパ、それもスペインで撮ることにした『ビリディアナ』(61メキシコ合作)は、デビュー作『アンダルシアの犬』(28仏)から数えて23作目、スペイン映画としては、1932年、スペインでも最も貧しいラス・ウルデス地方に入って撮ったドキュメンタリー『糧なき土地』(短編27分、公開37)以来、およそ29年ぶりの2作目でした。ブニュエルと言えばスペイン映画を代表する監督ですが、スペイン映画としてはトレドを舞台にして撮った『哀しみのトリスターナ』(70仏伊西、ベニト・ぺレス・ガルドスの短編の映画化)と『欲望のあいまいな対象』(77仏西)を含めて生涯に4本だけ、スペイン単独としてはドキュメンタリー1作のみでした。
*『糧なき土地』(Las Hurdes. Tierra sin pan)撮影の経緯を描いたサルバドール・シモーのアニメーション「Buñuel en el laberinto de las tortugas」(18)の紹介記事は、
★本作はカンヌ映画祭1961のグランプリ(現在のパルムドール)受賞作品、公開作品の一つということで字幕入りで鑑賞でき、DVDも発売されている。ブニュエルのキャリア&フィルモグラフィについては多くのことが書かれ語られているので紹介は不要と思います。また今回の上映会の解説者である金谷重朗氏のコンパクトながら実に適切な作品紹介では、ビリディアナ事件にまで及んでおり、これで充分と思えますが、映画より事件の顛末のほうが面白いので補足したい。一応例のごとく作品データを以下にアップしておきます。
「Viridiana」(1961『ビリディアナ』)
製作:Uninci-Films 59
監督:ルイス・ブニュエル
脚本:フリオ・アレハンドロ、ルイス・ブニュエル(原案ベニト・ぺレス・ガルドス ”Harma” 1895)
助監督:フアン・ルイス・ブニュエル、ホセ・プヨル
撮影:ホセ・フェルナンデス・アグアヨ
美術:フランシスコ・カネト
音楽(選曲):グスタボ・ピッタルガ
編集:ペドロ・デル・レイ
録音:アウレリオ・ガルシア・ティヘラス
製作者:グスタボ・アラトリステ、リカルド・ムニョス・スアイ、ペレ(ペドロ)・ポルタベリャ
データ:製作国スペイン=メキシコ、スペイン語、1961年、ドラマ、90分、撮影地トレド、マドリード(アルガンダ・デル・レイ)、マドリードのスタジオC.E.A. Ciudad Lineal、撮影1961年1月、スペイン公開マドリード1977年4月9日、バルセロナ5月30日。日本公開は1964年10月1日、再上映1981年8月1日、2017年12月23日。
映画祭・受賞歴:第14回カンヌ映画祭1961出品5月17日上映、グランプリ(現在のパルムドール)受賞、ベルギー批評家協会賞1962を受賞した。
キャスト:シルビア・ピナル(ビリディアナ)、フェルナンド・レイ(伯父ドン・ハイメ)、フランシスコ・ラバル(ハイメの庶子ホルヘ)、マルガリータ・ロサノ(家政婦ラモナ)、テレサ・ラバル(ラモナの娘リタ)、ビクトリア・シニー(ホルヘの愛人ルシア)、ホセ・カルボ(物乞いドン・アマリオ)、ルイス・エレディア(同マヌエル、エル・ポカ)、ホセ・マヌエル・マルティン(同エル・コホ)、ホアキン・ロア(同セニョール・セキエル)、フアン・ガルシア・ティエンドラ(同ホセ、エル・レプロソ)、ホアキン・マヨール(同)、ロラ・ガオス(同エネディナ)、マリア(マルハ)・イスベルト(同、歌い手)、アリシア・ホルヘ・バリガ(同)、パルミラ・ゲーラ(同)、ミラグロス・トマス(同)、フランシスコ・レネ(執事モンチョ)、ロシータ・ヤルサ(マザー修道院長)、他多数
ストーリー:若く美しい見習い修道女ビリディアナは、誓願式を数日後に控えている。経済的援助をしてもらっている後見人である伯父ドン・ハイメから館を訪れるよう通知を受けとるが、日頃疎遠な伯父に会うことは気がすすまなかった。しかし修道院長の強い勧めでしぶしぶ館に向かった。一方ドン・ハイメは、その昔、結婚式の夜にビリディアナの伯母である妻を心臓発作で亡くして以来、家政婦のラモナ、その娘リタ、執事のモンチョなどと、広大な領地に隠棲していた。しかし久しぶりに会った亡き妻そっくりのビリディアナに、ドン・ハイメは激しく心動かされ、修道院に戻さず手元に置きたいと願うようになる。
19世紀の文豪ベニト・ぺレス・ガルドスの小説 ”Harma” に材をとる
A: 冒頭から予想通りのフェティシストぶりに苦笑を禁じえませんが、反復して現れます。それはさておき、タイトルの由来から入りましょうか。ブニュエル監督によると「ビリディアナの名前の由来は、ラテン語の緑の場所 <ビリディウム> からきているが、実際に存在した聖女ビリディアナから取った。映画に出てくるように十字架、棘の冠、釘をもっている肖像がメキシコ市博物館にある」と語っています*。
B: 解説者の金谷重朗氏がベニト・ぺレス・ガルドスの”Harma” を下敷きにしていると話されていましたが。
(フェティシストぶりを発揮した極めつきシーン)
A: IMDbにも作品名まではクレジットされておりませんが、ガルドスの小説とあります。上記のインタビューでは監督自身は「脚本は、フリオ・アレハンドロと私のオリジナル」と応じている。彼は3人いるブニュエル映画の共同執筆者の一人、他に『砂漠のシモン』(63)、上記の『哀しみのトリスターナ』などを手掛けています。スペイン版の映画紹介では、ガルドスの ”Harma” をベースにしているとあります。しかしあらすじを読むと人格造形は似ているが、3年前にメキシコで撮った『ナサリン』(58)のような相似性はないようです。
B: 『ナサリン』は、ガルドスの小説 ”Nazarin” の映画化と明記されていますね。本作の脚本を手掛けたのもアラゴン州はウエスカ生れのアラゴネスのアレハンドロでした。
A: 深入りしませんが、ナサリンは主人公の名前、アルマはアルマ-ローテンバーグ伯爵夫人カタリナ・デ・アルタルのアルマから取られています。しかしalma(魂、精神)が隠れているのは想像できる。ヒロインのカタリナとナサリンは対になっている。貧しい人に慈悲を施しても結局裏切られて破局を迎える。
B: 例のインタビューでブニュエルは「ビリディアナはスカートを履いたドン・キホーテ」と語っていますが。
A: ビリディアナは乞食や浮浪者のグループに食事を与え保護しますが裏切られ、なおかつエル・コホから暴行を受ける。彼女は現実に目覚め、ありのままを受け入れようとする。ドン・キホーテも正気に戻って現実を受け入れる。 ”Harma” が上梓されたとき、『裁判官夫人』の著者レオポルド・アラス(筆名クラリン)が、ナサリンとアルマのカタリナのドン・キホーテ相似性を指摘しました。多分そこからきているのかもしれません。
B: ブニュエルはガルドスの小説の映画化を温めていた。”Nazarin” はガルドスの代表作ではないが、映画化権をガルドスの娘ドーニャ・マリアから買っており、それはメキシコ国籍を取得する1951年より前のことです。
A: 実現しませんでしたが、他に”Doña Perfecta”(1876「ドーニャ・ペルフェクタ」)も買っていた。ガルドスの ”Tristana” が原作の『哀しみのトリスターナ』は、1952年に一度計画されたが実らず、実際の完成は1970年でした。『ビリディアナ』の脚本が全くのオリジナルか否かは別として、記憶は年とともに想像と夢想に侵されるから、何が本当だったか曖昧になる。いずれにしても、ガルドスの ”Harma” と無縁ではなかったでしょう。
個性的に描き分けられた人格造形
A: フェルナンド・レイ扮するドン・ハイメが伯父か叔父か映画からは類推するしかありませんが、映画紹介記事でも混在しています。ビリディアナの両親は亡くなっており、ドン・ハイメは身寄りのないビリディアナの後見人として学費の援助をしている。亡き妻の姉妹の子供だから伯父姪の関係とはいえ血は繋がっていない。
B: ドン・ハイメは老人というほど年寄りには見えないが、既に人生を半分諦めている。片やビリディアナは数日後に修道女誓願式を控えている若い女性で20歳未満に設定されているようです。
A: フェルナンド・レイ(ラ・コルーニャ1917)については、前回の『ようこそ、マーシャルさん』で少し触れましたが、ブニュエル作品では、『哀しみのトリスターナ』の他に『ブルジョワの秘かな愉しみ』(72)と、最後の作品となる『欲望のあいまいな対象』に主演している。当時ガラン俳優として、仲介役をしたバルデム監督の「Cómicos」(54役者たち)や「Sonatas」(59ソナタ)に出演していた。主役を演じるようになるのは、『ビリディアナ』以降、ゴヤ賞やサンセバスチャン映画祭の銀貝男優賞を取るのは、ずっと後の話です。
B: シルビア・ピナルは1931年生れで撮影当時は30歳になっていたから、美貌ではあるが初々しさに欠けていた。大金を提供した製作者のグスタボ・アラトリステが夫君で、彼女の起用が前提だった。アラトリステはスペインで撮ることを希望していたそうですね。
(ドン・ハイメから亡き妻の花嫁衣裳を着せられるビリディアナ、共犯者の家政婦ラモナ)
A: ブニュエルのヨーロッパ回帰の転機となった作品ですが、当時スペインとは距離をおいていたので可能性の点でクエスチョンでした。とにかくフランコ政権から嫌われていた。橋渡しをしてくれたのがブニュエルの親友で闘牛士のルイス・ミゲル・ドミンギンと『恐怖の逢びき』の監督フアン・アントニオ・バルデムでした。
B: ドミンギンはバルデムの『恐怖の逢びき』のヒロイン、ルチア・ボゼーと結婚していた。
A: 検閲を通すための脚本チェックを、『ようこそ、マーシャルさん』の助監督リカルド・ムニョス・スアイがしてくれた。当時の文化局長ホセ・マリア・ムニョス・フォンタンが結末の一部を変更させたが無事通過した。変更の経緯は後述しますが、スペインの検閲は脚本段階からで、これが通らないとクランクインできない。カンヌ映画祭ではフランス側の強い要請でスペイン映画の代表として出品された。
B: 資金はメキシコ側が出したのにね。
A: 合作とはいえ、メキシコからはアラトリステ夫妻と監督、実子の助監督の一人フアン・ルイス・ブニュエル、彼は既に『ナサリン』でも助監督を務めていた。キャストもシルビア以外はスペイン人です。ブニュエルは『ビリディアナ』以後も、アラトリステ夫妻と組んでメキシコ映画の『皆殺しの天使』(62)や『砂漠のシモン』(65)を手掛けていますが、それでもフランスやイタリア、スペインとの合作が主流でした。
B: ドン・ハイメの自死後、愛人ルシアを伴って館に現れるホルヘ役のフランシスコ・ラバルは、神父ナサリン役や『昼顔』(66)などに出演している。ブニュエルのお気に入りで、ラバルも「おじさん」と呼んで慕っていたそうです。
A: ホルヘはドン・ハイメの庶子で遺産の半分を相続する人物。何十年も手入れされなかった領地の整備に余念がない。何百万もいるだろう浮浪者の何人かに慈悲をほどこすなど愚かな行為とビリディアナに批判的だが、荷車の心棒に繋がれた犬が可哀そうだと買い取る。しかし繋がれたまま道路を走らされる犬は山ほどいるわけだから1匹助けても意味がない。この象徴的なシーンはビリディアナの浮浪者救済と同じ構図です。
B: 愛人がいながらビリディアナにも家政婦のラモナにも秋波を送る自信家です。彼の愛人ルシアを演じたビクトリア・シニーは、もともと退屈な田舎暮らしはしたくない、ホルヘがビリディアナに関心を寄せるのも気に入らないとさっさと館を後にするが、なかで一番まとも人物です。
(ホルヘ、愛人ルシアのビクトリア・シニー、ブニュエル監督)
A: 家政婦を演じたマルガリータ・ロサノは、フランシスコ・ロビラ=ベレタの『バルセロナ物語』(63)に出演している。「ロミオとジュリエット」バルセロナ版と言われた本作は翌年公開された。日本はフラメンコ愛好家が多く、当時からフラメンコ物は人気があったのです。カルロス・サウラでさえ最初に公開された映画は、あまり評価の高くない『カルメン』(83)でした。
(既に関係ができているホルヘとラモナ役のマルガリータ・ロサノ)
B: ルシアが消えるとホルヘを手に入れる。ここからラモナ、ホルヘ、ビリディアナの三角関係が暗示される。ラモナの娘リタを演じたテレサ・ラバルは、ペペ・ラバルと同じ姓ですが。
A: ラバルと女優のアスンシオン・バラゲルの娘で1952年バルセロナ生れ、本作でデビューした。二人は1950年に結婚、2001年のラバルの死まで半世紀も長続きした、スペインでは珍しいカップルでした。テレサはその後女優になり、現在でもテレビ司会者として活躍している。あと残るのが放浪者14人ですが、本当に乞食をしていたのは一人で、他は俳優が演じました。リタの縄跳びの縄が重要なオブジェとして登場する。
(ドン・ハイメと縄跳びが大好きなリタ)
悪夢だったパルムドール <ビリディアナ事件>の顛末
B: 本作はスペイン公開が16年後の1977年4月と極めて遅い。
A: フランコ時代(1936~76)には上映できなかった。上記したようにメキシコとの合作でしたがスペイン映画の代表作品としてカンヌで上映され、スペインに初めてグランプリをもたらした。ところが映画祭にドメニコ会派の神父がバチカンの「オッセルバトーレ・ロマーノ」紙の通信員として派遣されていた。彼が宗教を冒瀆しているとか、道徳的に堕落していると非難したことが発端でした。
B: それがスペインに伝わると、まだ映画を観てもいないのに、これはスペイン映画ではないとした。それは次々に連鎖反応を起こしていった。
A: 映画祭に出席していた文化総局長ホセ・マリア・ムニョス・フォンタンは罷免され、製作会社は解散の憂き目にあい、マスコミも記事にすることを一切禁じられた。原盤を破壊されるのを怖れたシルビア・ピナルが秘かにメキシコに持ち帰ったお蔭で私たちは鑑賞できているのです。
B: スペイン側の参加者は、帰国の途次、追放されたとか。
A: 映画以上に面白いのがビリディアナ事件の顛末です。バチカンは映画関係者を破門さえしたそうです。本作のスペイン側のプロデューサーペレ・ポルタベリャが、後に語ったところによると、映画祭が始まってもコピーは完成ぜず、上映は映画祭最終日だった。
B: 監督も息子で助監督だったフアン・ルイスがコピーを持って到着したのは「二、三日前」と言ってます。ぶっつけ本番、誰もスクリーンでは見ていなかったわけですね。
A: 会場で映画を観終わった総局長は、恐怖のあまりホテルの部屋に逃げ込んでしまった。しかし本当の悪夢は翌日に待っていた。パルムドールを受賞してしまったからです。当のブニュエルは仮病を使って偽の咳をしながら現れない。さて、誰がこの毒入り饅頭を貰いに登壇するか。突然、ドミンギンがポルタベリャに「ムニョス・フォンタンの部屋に行きましょう、私が話すから、君は黙っていていい」と。
B: ドミンギンはマタドールというよりある意味政治家ですね。
A: ドミンギンは「これはスペインにとって名誉なことだし、スペイン映画の名のもとに受け取って欲しい」と説得し、結局彼が登壇した。激怒した政権が即刻罷免したから、これが彼の最後の仕事になった。
B: そもそもあのブニュエルを帰国させ、検閲を通過させたこと自体が槍玉に挙がった。
A: 驚愕したのだから、脚本と作品には大きな違いがあったのでしょう。脚本段階での判断は難しい。特にブニュエルは「人生はすべてが気まぐれ」という人ですから。亡命共和派からは裏切り者となじられ、スキャンダルを待ち焦がれていたシュールレアリストたちは大喜びした(笑)。
B: ポルタベリャは本作で初めてブニュエル映画に参加した。
A: 二人の接点もカンヌでした。ポルタベリャはカルロス・サウラの「ならず者」(60)をプロデュースし、デビュー作ながらカンヌに出品できた。そこでブニュエルと初めて会い、それが機縁で『ビリディアナ』に参画したようです。
B: ブニュエルはこの映画が「フランコ政権の好みでないことは承知していたが、かくも長き上映禁止が続くとは思っていなかった」とインタビューで語っていた。
A: しかし監督の意思はどうあれ、ドン・ハイメの自死、フェティシストであるばかりでなく女装趣味者で窃視主義者、さらに嘘つきです。夢想するだけでなくバージンのビリディアナを犯そうとさえする。また女性の胸を露出させることは禁止されていたのに無視した。なおかつ8歳ぐらいの少女に盗み見させている。ドメニコ修道会ならずとも眉を顰めるに充分だった。
B: 問題は他にもありそうです。浮浪者たちが乱痴気騒ぎの果てに、イタリアの至宝、ダヴィンチの「最後の晩餐」をパロディ化したことも許せなかったでしょうね。
A: 盲人のキリスト役を中心に12人の弟子役が、3人1組で並び、4つのグループに等間隔に分けられている。おまけにイエスの右側の女乞食は、ダヴィンチが描いたトマスのように右手の指を1本立てている。ここにはカメラマン役のエネディアだけが入っていない。
(ダヴィンチの「最後の晩餐」のパロディ)
B: ダヴィンチの壁画のように全員座っていないので台形にはなっていないが、ワイングラスは13個です。登場する浮浪者は14人いたが、13人にするためエネディアをカメラマンにして外した。
A: 『ブニュエル、ロルカ、ダリ』の著者アグスティン・サンチェス・ビダルは、ダリが1955年に発表した「最後の晩餐」との関連を述べている。翌年ワシントンのナショナル・ギャラリーに出品された。
B: イエスを中央にして12人の弟子が6人ずつ分かれ、シンメトリーに描かれている。
A: 画家はこれはロルカへのオマージュでもあると書いている。ロルカ、ブニュエル、ダリの確執は複雑にもつれている。結果、ダリはフランコにお目通りを許され、2年後ガラとカトリックの儀式に則って結婚、翌年にはヨハネ23世にも謁見した。だから関係がこじれていたダリを皮肉ったのではないか。
B: ブニュエルは撮影中にパロディ化することを思いついた。「私は憤ることがわからないよ。乞食が晩餐していて、たまたま、レオナルドの絵のように構図をとった」と韜晦している(笑)。
A: 他にもキューバのトマス・グティエレス・アレアが、そのものずばりのタイトル『最後の晩餐』(La ultima cena 75)を撮っている。
本当の物乞いはレプラ患者役のエル・レプロソだけだった
B: 薄汚い浮浪者の区別は難しいが、だんだんきちんと描き分けられていることが分かってくる。
A: 最後の晩餐に唯一人映っていないエネディア役のロラ・ガオスは、『哀しみのトリスターナ』にも出演している。ベルランガ&バルデムが共同監督したデビュー作「幸せなカップル」(51)やアンヘリーノ・フォンスの『探求』(66)に出ています。特異な容貌から区別しやすい女優です。盲人ドン・アマリオ役のホセ・カルボは、セルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』(64)にイーストウッドと共演している。
(ロラ・ガオスとホセ・カルボ)
B: 1人いるという本当の乞食は誰ですか。
A: エル・レプロソ役、つまりレプラ患者を演じたフアン・ガルシア・ティエンドラ、マラガ生れでマドリードで物乞いをしていた。アルコール漬けで撮影後亡くなったということです。一番役にハマって見えたのは、演技というより地だったのかもしれない。
(ウエディングドレスを着て浮かれ踊るエル・レプロソ)
B: ビリディアナを暴行しようとするエル・コホ(ホセ・マヌエル・マルティン)を、お金欲しさに暖炉のスコップで殴打して殺してしまう乞食ですね。エル・コホからイジメを受けていた。エル・コホに画家の真似をさせていたが、何か意味がありそうです。エル・ポカのルイス・エレディア、歌い手のマリア・イスベルトにしろ、総じて女浮浪者たちは品がありすぎた。
夢遊病者だったビリディアナ、オブジェの謎解き
A: 夜中にビリディアナが毛糸の入った籠を抱えてドン・ハイメの部屋に現れる。驚く伯父には目もくれず暖炉に毛糸を投げ入れ、代わりに灰を掴んで籠に入れる。その灰を伯父のベッドの上に置く。これはインタビューによると、ドン・ハイメの死を暗示しているシーンだそうです。
B: カトリックの慣例では灰は死を意味する。旧約聖書の創世記にある「汝、塵なれば、塵に戻るものなり」を引用している。
(ドン・ハイメのベッドに灰を播くビリディアナ)
A: ビリディアナが館に携えてきた十字架、棘の冠、釘の3点セットは聖女ビリディアナのオブジェ、最後に冠は少女リタの手で焚き火にくべられてしまう。このシーンを神を汚すと不快に思った人もいた。
(3点セットを並べて祈りを捧げるビリディアナ)
B: ブニュエルは古くなった教会の品物は、よく燃やされると言ってますが(笑)。ホルヘが父親の遺品を整理しているなかにあったキリスト受難の像のようなナイフも非難された。
A: 偶然アルバセテの店で見つけたもので面白いからオブジェとして挿入したので他意はないと。事件の後スペインでは使用が禁止されたと語っているが、どれくらい守られたか怪しい。
(田舎暮らしが不満なルシア、遺品のナイフを手にしているホルヘ)
B: リタが縄跳びしていた縄でドン・ハイメは首を吊る。その縄は三度現れる。それは浮浪者たちの乱痴気宴のあと、縄を偶然見つけた乞食が腰ひもにするシーンです。
A: 監督は縄は知的な伏線ではなく「明らかに欲望と関連のある、潜在的な無意識の線はある」と言っているだけです。ドン・ハイメの視線は、少女の顔ではなく足と縄に注がれている。主人公と監督が重なる部分です。
B: ドン・ハイメが姪に結婚を強く拒絶され、遺言を認めるシーンで微笑というか苦笑いをすのは、どう判断したらいいのか。
A: 観客は微笑しながら何か書いているドン・ハイメを見ている。ところが翌日彼は枝に吊るした縄で首を吊る。観客がどんなに驚くか知りたかった。彼は自分の死で姪が修道院を出て館に留まること、つまり現実を受け入れることに期待をかけた。確信できなかったが結果はそうなった。微笑は自身を嘲笑しているととることもできると語っている。
フィナーレの変更は検閲者の怪我の功名?
B: あれこれ分析しても仕方がない。ドン・ハイメと監督、ホルヘと監督、それぞれ好みや性格が一脈通じている。最後に総局長ムニョス・フォンタンが書き直させたフィナーレのトランプ遊びの部分、元はどうだったのか。
A: 最初は「ビリディアナがホルヘの部屋のドアをノックする。ホルヘが出てきてビリディアナが入るとドアを閉める」だけだった。製作者のポルタベリャが語るところによると、撮影に入る前にムニョス・フォンタンから私たちは大臣室に呼び出された。「他は問題ないんだが、この最後の部分が気に入らない――しばし沈黙の後――そうだ、3人にしたらどうだろう」と。私とブニュエルは当惑して顔を見合わせた。するとブニュエルが、即座に「いいでしょう、とてもいいアイディアです」と。
B: 3人になったのは、総局長のアイディアだった?
(トランプをしながら互いに真意を探り合う、ホルヘ、ビリディアナ、ラモナの3人)
A: 大臣室を辞したエレベーターの中ではみんな笑いが止まらなかったという。「ルイスは『三角関係にするなんて、実に素晴らしい』と言い続けた」とポルタベリャは経緯を説明している。
B: ホルヘ、ビリディアナ、ラモナの3人がトランプ遊びをしているシーンは検閲のお蔭だった。
A: 検閲前より深みができて、観客の想像力を刺激することになった。この三角関係は大ヒット作になったビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸します』(60)へのオマージュでもあったそうです。
*インタビュー『ルイス・ブニュエル 公開禁止令』(“LUIS BUÑEL Prohibido Asomarse Al Interior” 1986)、インタビュアー:トマス・ぺレス・トレント(メキシコのシネアスト)、ホセ・デ・ラ・コリーナ(スペインの脚本家、雑誌編集者)。翻訳書は1990年刊行。
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