フアン・ホセ・カンパネラ 『瞳の奥の秘密』2014年08月09日 12:47

★フアン・ホセ・カンパネラの近況記事を前々回アップした流れで、彼の代表作『瞳の奥の秘密』を再考してみました。これは以前カビナさんブログにコメントしたものに新たに加筆訂正をして再構成した改訂版です(従って部分的にカビナ・ブログと連動しております)。200912月に開催された「スペイン映画祭」直後にコメントしたもので、まだオスカー賞も日本公開も視野に入っていない時期のものがベースになっております。まさか監督がオスカーを手にするなんて思いもしませんでした。

 

    El secreto de sus ojos”The Ssecret of Their Eyes”

製作:Tornasol Eilms, Haddock Films, 100 Bares, Televisión Federal(Telefe),
          Televisión Española(TVE)

製作者:ヘラルド・エレーロ、ダニエラ・アルバラード 他

監督・脚本・製作・編集:フアン・ホセ・カンパネラ

脚本・原作:エドゥアルド・サチェリ(原作La pregunta de sus ojos

撮影:フェリックス・モンティ

音楽:フェデリコ・フシド、エミリオ・Kauderer

美術:マルセロ・ポント・ベルジェス

視覚効果(特撮):ロドリーゴ・トマッソ

 


データ:アルゼンチン≂スペイン、スペイン語、製作2009年、製作費300万ドル、129分、撮影地:最高裁判所、レティロ駅、パトリシオス公園、チビルコイ(ブエノスアイレス郊外)、スタジオ他、日本公開20108

受賞歴:第82回アカデミー賞外国語映画賞/第24回ゴヤ賞イスパノアメリカ映画賞・新人女優賞(ソレダ・ビジャミル)/メキシコ・アリエル賞/クラリン・エンターテインメント賞(以上2010)/ハバナ映画祭2009監督賞・観客賞他。英バフタ賞、仏セザール賞、ヨーロッパ映画賞、伊ドナテッロ賞などノミネーション多数。

 

キャスト:リカルド・ダリン(ベンハミン・エスポシト)/ソレダ・ビジャミル(イレーネ・メネンデス・ヘスティングス)/ギジェルモ・フランセージャ(パブロ・サンドバル)/ハビエル・ゴディノ(イシドロ・ゴメス)/カルラ・ケベード(リリアナ・コロト)/パブロ・ラゴ(リリアナ夫リカルド・モラレス)/マリオ・アラルコン(フォルトゥーナ判事)/マリアノ・アルヘント(ロマーノ)/ホセ・ルイス・ヒオイア(バエス警部)他

 

プロット舞台は1999年のブエノスアイレス。刑事裁判所を定年退職したベンハミンは、19746月に起きた謎に包まれた女性レイプ殺人事件をめぐる小説を書こうと決意する。かつての職場を訪れ、元上司の検事イレーネと再会したベンハミンは、殺人事件の裏側に潜む恐怖を迫うことが、長年自らに封印してきたイレーネへの愛であることに気づかされる。25年前の過去をフラッシュバックさせながら、さらにベンハミンの進行中の小説を絡ませるという複雑な三重構造を見事なエンターテインメントとして作り上げた。最後に衝撃の愛のかたちに出会うことになる。(文責管理人)

 

    カンパネラ監督はご不満でした!

 

A: カビナさんブログでは、タイトルのsus ojos の瞳が「誰の瞳」かで始めました。というのもスペイン語のsu(sus)は、彼の・彼女の・あなたの・それの、各複数と多義にわたり、文脈から判断するわけです。大変便利な反面曖昧でもあるんです。結果、英語タイトルは、”The Secret of Their Eyes” になりましたが、カンパネラ監督は納得していません。

B: カビナさんが翻訳してくれたインタビュー記事によればそうですね。

A: まあ監督としては、ちゃんと私の映画を見てくれたら幾らなんでもTheirにはならないでしょう、と言いたいわけです。これを受けてかどうか分かりませんが、アメリカ公開タイトルは、Her Eyesに変更された。しかし「彼女」はどの彼女? 今では犯人ゴメスの目が正解でした。

 

B: 「彼女」だとますます分からなくなって・・・イレーネ、殺害されたリリアナ、その夫モラレス、犯人と複数の目のほうがまだよかったかも。英題が混乱したのも映画の作り方に原因があったと思う。

A: 後でフラッシュバックと分かる冒頭部分、イレーネの目がクローズアップされ、ベンハミンは愛するひとの目が語りかけてくる問いを読み取ろうとします。これは叶わぬ「愛の物語」なんだからイレーネの瞳なんだ、殺人事件とは無関係なんだと。でも原作のタイトルは「秘密」じゃないんですね。

B: 原作は ”La pregunta de sus ojos”2005刊)、どうして変えたんでしょうか。今じゃ小説も映画に合わせているようです。

 

A: とにかく日本語は「誰の瞳か」なんて考えなくてもタイトル付けができて幸いでした。しかし、定冠詞losではなく所有形容詞susなんだから挑戦すべきでした。

B: 先ほど冒頭部分のフラッシュバックの話が出ましたが、あのフフイに転勤するベンハミンとそれを見送るイレーネの別離シーンは実際にあったことではなく、彼が書き始めている小説の再現シーンじゃないかな。

A: もう一度後半にも少し違って出てくる。実際にはあのようなロマンチックな別離はなかった。女は男と違ってもっとプラグマティズムです(笑)。フフイは首都から遠く離れたチリと国境を接した州ですから辛い都落ちです。この映画のフラッシュバックには、事実と虚構の2種類あって気をつける必要があります。さらにモラレスの犯人ゴメスを「車のトランクに押し込めて殺害した」という虚偽の証言も含まれています。リリアナが殺害された621日の朝食風景やサンドバル殺害の様子は、ベンハミンの小説の一部というか彼の想像です。彼はロマンチストで犯罪小説向きではない(笑)。 

                                 (レティロ駅での別離シーン)

 

B: 書き出しの5行でストップしている(笑)。フラッシュバックが多すぎました。技術的なことは分かりませんが、デジタルだと長回しもできるし、挿入も簡単なんでしょうか。

A: もう少し刈り込んで2時間ぐらいに短縮したほうがよかった。複雑な時代背景や厳しい社会情勢は別として、要するにこの映画のテーマは、愛であり、友情であり、正義とは何かです。20世紀後半の民主主義とは名ばかりのアルゼンチンを生き抜いてきた二人の男の「究極の愛の物語」なんです。ベンハミンは気づかない振りしてますが、イレーネの愛を確かめるために書こうとするのであって、その逆ではありません。

 

B: ベンハミンが冒頭部分で「Temo」(怖い)とメモを走り書きしますが、最後にこのメモに「Te Amo」(愛している)と「A」を書き入れます。彼が現役時代に使用していたタイプライターは壊れていて「A」が印字されなかったことが伏線としてあった。これは「愛は成就されます」という観客へのメッセージです。

A: イレーネが待っていたのはその「Te Amo」です。だからその後のシーンはカットです。

B: 階級差、学歴差を超えるのに25年もかかった。

 

                                         (「A」を書き入れたメモ)

 

    事件を時系列に並び替えてみよう

 

A: リリアナ殺害事件は1974621日、第41代フアン・ドミンゴ・ペロン大統領(197374、享年78)政権時代に起きた。ペロンは71日に心臓発作で急死するから、この月日は重要ですね。副大統領だった妻マリア・エステラ・マルティネス・デ・ペロン、通称イサベリータが即日大統領に就任する。

B: 誤認逮捕というかデッチ上げ逮捕などがあって、真犯人のゴメスが逮捕されるのが1年後。

A: モラレスがニュース番組で、服役中のはずのゴメスがイサベリータ大統領のボディガードとして娑婆に戻っているのを見てベンハミンに電話をかける。ここが何時かですね。

: 1975年後半から軍事クーデタが起きる翌年324日の間が想定できます。モラレスが逮捕後のゴメスの処遇を追跡していないのを奇異に感じた人が多いのではと思う。あれだけ犯人捜しに人生をかけていたのに。

 

A: 裁判などなかったと言いたいのかも。ゴメスが所属していた非公式の私設警察(fuerza parapolicial)は、ペロン政権から引き続き社会福祉大臣だったホセ・ロペス・レガJosé López Regaが、イサベリータの要請で創設、総指揮した秘密警察のようなものです。ですからゴメス逮捕以前からあった組織です。

B: カンパネラ監督もインタビュアーにロペス・レガについてのMarcelo Larraquyの著書を薦めていましたね。

A: 彼はトリプルAAlianza Argentina Anticomunista)という右派のテロ組織の創設者としても有名。一方イサベリータは夫より強権的な体制を敷き、就任後には反政府派を弾圧、人権活動家の投獄・殺害を行い、支持母体であるペロニスタ陣営からも反感を買ったお粗末な大統領でした。強権的なうえに経済・政策にも疎く、取り巻きも脳なし揃いだったから、「軍事クーデタが起きても国民は驚かなかった」と歴史書に書かれる始末でした。

 

B: だからゴメスのような極悪人が必要だった。ベンハミンとイレーネが抗議しに行ったのが、その社会福祉省です。二人が乗ったエレベーターにゴメスが無理矢理ドアをこじ開けて乗り込んできて、リボルバーかなにかを取り出す息づまるシーンがありました。

A: 名場面の一つです。これは偶然ではなくロマーノが脅すよう連絡したのですね。アルゼンチンでも、そういう目にあった観客が当時を思い出して身震いしたそうです。

B: 誤認逮捕で左遷されたはずのロマーノが返り咲いている。彼のような打たれ強いヘイコラ役人が必要悪として存在するのも万国共通です。

 

                 (左から、銃をもてあそぶゴメス、イレーネ、ベンハミン)

 

A: 原作では殺人事件発生が1968年、犯人の身元割り出しから逮捕に漕ぎつけたのが1973年。映画では殺害が1974621日、犯人逮捕が1年後、とちょっと強引な筋運びです。今の子供たちは学校で国家が正義を行わなかった時代「軍事独裁の時代」19761983)と教えられている。だがそうなるにはそれなりの前哨戦があったことを知らせたかった、と監督は語っています。

B: 主人公たちは、アルゼンチンのデモクラシーが名ばかりで、軍事独裁の危険を肌で感じていました。

A: 監督は「学校が教えないなら市井のオジサンが教えないと」とも語っています。ペロン→イサベリータ→軍事独裁→デモクラシーと4つの時代にまたがった激動のアルゼンチンを描きたかったのだと思います。

  

   
     魅力のポイント、選りすぐりの脇役陣

 

B: この映画の見どころの一つは、主役は勿論ですが、脇役陣の充実です。ベンハミンのライバル、ロマーノ役などやりたくない役でしたが、マリアノ・アルヘントの憎々しさ横柄ぶりは上出来でした。

: ベンハミンたちがせっかく逮捕したゴメスをペロン党のシカリオとして雇い入れる。いわばイレーネやベンハミンへの報復、まさに権力闘争です。

: 復讐として殺人犯を自由にしてライバルを脅す。何でもありの時代でした。アルゼンチンの俳優は尻込みしたのかゴメス役にはスペインのハビエル・ゴディノ、悪役をやると映画と現実を錯覚して憎まれるから辛いところ。

A: モラレス役のパブロ・ラゴの情熱を秘めた目、ベンハミンはレティロ駅で犯人を追い続けるモラレスの亡き妻への一途な愛に、自分のイレーネへの想いを重ねて再調査に着手する。鋭い目と重厚な声は適役でした。 

                                                     (モラレス役のパブロ・ラゴ

B: ベンハミンは10年後の1985年にフフイから帰京するとイレーネは結婚、二人の子供の母親になっている。1975年以降、モラレスもゴメスも行方知れずになっている。自分に残された人生にも小説の完成にもリリアナ殺害事件の真相解明は欠かせない。そしてブエノスアイレス郊外に引っ越していたモラレスの居場所を突き止める。後半のモラレスの物静かだが頑として譲らないその眼光にはは衝撃を受けます。

A: スリラー仕立ての展開は飽きさせませんでした。ベンハミンを突き動かしていた情熱は、自分の身代りになって殺害されてしまった相棒サンドバルの「誰もパッションを変えることはできない」という言葉でした。

B: 本作でもっとも絶賛された俳優は、サンドバル役のギジェルモ・フランセージャでした。テレビ界の大物コメディアンだそうです。牛乳ビンの底みたいなレンズのメガネをかけて、ガス抜きして笑わせました。

 

A: この作品がコメディ・ドラマのフィルム・ノワールと言われる所以です。

B: コメディ犯罪映画というのもおかしい。カビナさんブログにもピーター・セラーズのブラック・ユーモアとの指摘がありましたが、『ピンク・パンサー』のクルーゾー警部を思い出しました。第1作目の『ピンクの豹』ではクルーゾー警部は脇役のはずが主役を食ってしまうほどの名演技でした。 

          (右:サンドバル役のギジェルモ・フランセージャ)  

A: どの俳優も適材適所の感がありますが、特にフランセージャの演技を褒める批評家や観客が多かった。それだけ人気もあったということで、彼の起用は大当たりでした。機知に富み、友情に熱く、仕事も粘りがあって緻密、論理的な思考もできるが、唯一の欠点はアルコールに飲まれていたことでした。これがサンドバルのパッションでしたし、ゴメスのパッションはサッカーでした。

B: バエス警部役のホセ・ルイス・ヒオイアもテレビ界の喜劇俳優とか、分別臭い顔してにこりともしませんでした。映画出演は初めてだそうです。カンパネラはTVドラマを数多く手掛けているから抜かりがない。

 

A: ベンハミンは司法刑事、日本でいうと私服で犯罪捜査を行う司法警察職員に近くノンキャリア組。一方イレーネはコーネル大学出身の裁判官秘書官、出世が約束されたキャリア組、年下ながらベンハミンやサンドバルの上司として登場する。端から階級差や学歴差を観客に印象づける。

B: イレーネは美貌にして才識兼備、時代の空気を正確に察知し、世の中を複眼的に観察できる。恋愛と結婚は別と考え、親の決めた相手を受け入れる。

A: イレーネの長所は、長い目で見れば短所でもありますね。ソレダ・ビジャミルは声に張りがあって、上背があるせいか堂々としている。スクリーンで見るのはこれが初めてです。リカルド・ダリンはルシア・プエンソの『XXY』がラテンビート2007で上映、カンパネラの4作品に出演、ご紹介するまでもないですね。

アナ・ピーターバーグの『偽りの人生』(Todos tenemos un plan 2012)が2013年公開された。ヴィゴ・モーテンセンが一卵性の双子を演じ、ビジャミルは弟の妻に扮した。公開作品はこの2作だけ。

 

    130万の観客が映画館に足を運んだ

 

B: アルゼンチンでは2009813日に封切られ、5週目統計が130万人。海外に目を向けると、トロント映画祭(912)1週間遅れでサンセバスティアン映画祭、リオデジャネイロ映画祭(928)、そしてスペイン公開は925日でした。

A: 130万のなかにリピーターがいるのは、寄せられたコメントからも窺えます。本映画祭でも上映されたダニエル・モンソンの『第211号監房』が1週間統計で20万人、トップを走り続けていたアメナバルのAgora(公開邦題『アレクサンドリア』)を押さえての快挙と報じられましたが、それを超えています。

B: 多分、大方の観客はこの時代の空気を吸っていた人々でしょう。

 

A: 出演者も同様で、リカルド・ダリン、ギジェルモ・フランセージャ、マリアノ・アルヘント、マリオ・アラルコン(フォルトゥナ判事)などが1950年代生れ。一回り下がソレダ・ビジャミル、パブロ・ラゴ、ゴメス役のハビエル・ゴディノはスペイン人だから除外するとして、カンパネラ監督自身は1959年生れです。ただし原作者のエドゥアルド・サチェリは1967年生れ、2005年の出版ですから執筆は40歳前となります。

B: 意外に若い、サチェリについては後で触れるとして、犯罪者が大手を振って自由に町を闊歩し、無実の人は刑務所に収監されていたと言われる時代を知っている人々が行列したということです。

 

A: 見ても幸せになれない人まで見に来てくれたし、なかには「こんな映画は成功しない」と忠告する人もいたと監督は語っています。映画の成功は、咽喉に刺さった小さなトゲを抜く時が、やっとアルゼンチンにも訪れたということかもしれません。脆弱ながら民主化されて約20年、長くかかりました。

B: 「あれは私のことだ」と、登場人物の誰かれに重ね合わせて見た観客も多かった。映画が自分の現実にあまりに近くて、区別するのに時間がかかったという人も。

A: 小説を読んで映画化されるのを待っていた、反対に映画を見て小説を手に取ったという人も。また「小説のほうがずっと面白い」と言う人、さまざまです。サンセバスティアン映画祭では金貝賞こそ逃しましたが、観客、審査員ともに好評でした。細かいことを言えば不満は多々ありますが。

B: 不要なフラッシュバックとか、サッカー場の雑踏に張り込むとか、刑事たちが犯人の顔を知らないで張り込むとか、ちょっとあり得ない。

 

    撮影技術のレベルの高さ

 

A: 撮影技術のレベルの高さ、特にサッカー場の特撮を担当したロドリーゴ・トマッソについては賞讃の言葉が多い。

B: お金と時間をかけただけのことがあった。映画を映画館で見る醍醐味ですね。アルゼンチンでは初めての試みだったようです。

A: カンパネラは新しいことが大好き人間です。あのシーンを見ると、アルゼンチン人がサッカーに寄せるパッションとか国民性まで分かります。

B: バルでのサンドバルとサッカー狂との丁々発止は、ここに辿りつくまでの前段として挿入されていた。 

                                      (逮捕劇が繰りひろげられたサッカー場のシーン)

 

A: 原作者エドゥアルド・サチェリは前述したように1967年生れ。第1作は“Esperandolo a Tito y otros cuentos de futbol(2000)というサッカーをめぐる物語のようです。ディエゴ・マラドーナに捧げられた短編(‘Me van a tener que disculpar’)が含まれているようです。歴史学を専攻し、現に大学や高校で歴史を教えています。

B: 70年代にはホンの子供だったのに詳しいのは専門家だからなんだ。

A: 小説では1968年から76年の事件と前述しました。現在は同じようなので映画が25年前に対して原作は30年前となるようです。ベンハミンの名字も‘Chaparro(上背が低い、ずんぐりした人の意味)で、終わり方も違うようです。

B: 映画の‘Esposito’も<捨て子>で、どっちにしろ実際にある名字でしょうか。

 


A: サチェリは脚本を監督と共同執筆していますが、ほんとに骨の折れる難しい仕事だったと述懐しています。カンパネラが1年もかけて推敲に推敲を重ねたこと、互いに議論をした結果、彼の視点を通したことで、登場人物の人格もより深く複雑になったとも語っています。

B: 映画の成功で単行本も増刷され、相乗効果があった。

A: 想像以上のサプライズだったとか。サチェリは監督とは対照的に物静かでちょっとはにかみ屋さん。人生の先輩者としての礼節という面もあるのか、共同作業で学んだことは数限りないと感謝の言葉を口にしています。

 

B: カンパネラ監督の撮影現場は、「まさにお祭り騒ぎの賑やかさ」と、リカルド・ダリンがエル・パイスの記者に語っています。

A: サンセバスティアン映画祭2009に来西した時の記事、「大声で叫んだり、泣き落しにかかったりしたあげく、役者たちを魅了してしまう」、彼の映画を見れば納得です。

B: 2009年はフェルナンド・トゥルエバ監督の『泥棒と踊り子』も上映されましたから、ダリンにとっては嬉しい年になりました。「スペイン映画祭2009」でも両方上映され、ダリン・ファンにとっても嬉しい年でした。

A: トゥルエバ監督は「静の人」だから、ダリンも面食らったのでは()。監督は、モラレス夫婦が『三ばか大将』を見ながらお昼を食べるというセリフを何気なく挿入してアメリカ映画への目配せをしたり、誤認逮捕したボリビア人の職人を拷問して自白を強要したり、「大統領は宣伝家」とペロニスタを揶揄している。拷問、暗殺は過去のことになったとはいえ、軍事独裁を許した責任の一端は国民にもあったと言いたげです。


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